2.開催場所 品川インターシティホール(東京都港区港南2-15-4)
3.出 席 者
原子力委員
藤家委員長代理、遠藤委員
(事務局)
それでは定刻になりましたので、ただいまより「ご意見をきく会」を開催致します。まず初めに、長期計画策定会議の那須座長より挨拶があります。
(那須)
ただいまご指名のありました原子力長期計画策定会議の座長を務めていました那須です。本日はお忙しい中、かくも大勢の方々にご参加をいただきまして、誠にありがとうございます。会の開催にあたりまして、一言ご挨拶を申し上げさせていただきたいと思います。
ご案内の通り、わが国の原子力研究開発利用は、かねてから原子力長期計画に示された指針に基づき、計画的に遂行されてきたところでありますが、平成6年に策定されました現行の長期計画策定以降の諸情勢を踏まえまして、1999年の5月、つまり昨年の5月、原子力委員会は21世紀に向けての原子力の全体像と長期展望を示す新たな長期計画の策定を決定致しました。この決定に基づきまして、策定するための調査研究を行うために設置されたのがこの長期計画策定会議であります。
各分野の専門家33名からなる長期計画策定会議では、昨年来14回にわたりまして調査・審議を行ってきていまして、ただいまのは本会議だけの数ですが、8月22日には長期計画の案をとりまとめたところであります。
一方原子力の研究、開発、利用は、国民の生活や経済にも深く関わっているところでありまして、また、これに関する国内外の関心も高まっているところです。このため、このたびとりまとめました長期計画案に対して、国民からの幅広いご意見を募集いたしますとともに、ご意見を直接お聞きして長期計画策定会議での審議に反映させるために、「ご意見をきく会」を開催することとした次第であります。
本日の東京での「ご意見をきく会」は、多数の意見発表の応募及び傍聴希望の申し込みをいただきまして、誠にありがとうございました。本日は応募いただいている方々の中から、5人の方、そしてまた策定会議からお願いしました方5人の、合計10名の方からご意見をお伺いするのが主な目的でありますが、時間の許す限り、策定会議での審議の経緯の説明及び質疑応答をさせていただきたいと考えていますので、どうぞよろしくご協力をお願い致します。また、本日いただきますご意見につきましては、策定会議での審議にこれからまた改めて反映するという形にしたいと思っています。
簡単ではありますが、これでご挨拶に代えさせていただきます。どうもありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願い致します。
(事務局)
ありがとうございました。それでは続きまして、本日の会議の進行についてご説明させていただきます。本日は一般公募の方5名と、策定会議から発表をお願いした5名の、計10名の方にご意見を発表していただく予定です。このうち、一般公募につきましては、本日の東京会場での意見発表につきまして、61名の方からのべ88件の意見応募をいただきました。その中から幅広いテーマについてご意見をいただくことに留意しながら、厳正な抽選及びルールの下に意見発表者を選定させていただいています。
意見発表者については、前半5名、後半5名に分け、それぞれ1名10分の持ち時間で意見を発表していただきます。各々5名の方から意見を発表していただいた後、本日は策定会議委員も多数出席していますので、意見に関する策定会議での審議経過などについて説明を行い、その後、質疑応答を考えています。
それではお手元の資料にもありますが、本日ご意見を発表していたただく方を発表順にご紹介させていただきます。なお、前半及び後半、それぞれで様々なご意見をおききいただけるよう、組み合わせに配慮してあります。
まず、前半に発表していただきますのは、原子力資料情報室共同代表の西尾漠さん。女優の大山のぶ代さん。公募でおいでいただきました神奈川県にお住まいの長島彬さん。東京大学大学院工学系研究科教授の中島尚正さん。公募でおいでいただきました東京都にお住まいの斉藤史郎さんです。
また、後半に発表していただきますのは、公募でおいでいただきました愛知県にお住まいの、ふじおかこうたろさん。放射線教育フォーラム代表総務幹事の松浦辰男さん。公募でおいでいただきました群馬県にお住まいの平野弘康さん。公募でおいでいただきました神奈川県にお住まいの大間知倫さん。日本総合研究所主任研究員の飯田哲也さんです。飯田さんは後半からご出席の予定です。
また本日は長期計画策定会議から那須座長、森嶌座長代理、秋山委員、神田委員、熊谷委員、近藤委員、下山委員、鈴木委員、鷲見委員、住田委員、都甲委員、長瀧委員、吉岡委員、佐々木第五分科会座長が出席しています。また、原子力委員会から藤家委員長代理、遠藤委員が出席しています。
なお、一般傍聴につきましても、374名の応募がありまして、抽選の結果250名の方にご案内を差し上げています。意見発表者の方から本日お述べいただくご意見につきましては、あらかじめその内容を事務局に提出していただいていまして、本日の資料として配付させていただいていますので、適宜ご参照下さい。
それでは、本日の議事進行役をご紹介させていただきます。本日は長期計画策定会議の森嶌座長代理が議事進行役を務めます。それでは、森嶌座長代理、よろしくお願い致します。
(森嶌)
本日の議事の進行役を務めさせていただきます森嶌です。どうぞよろしくお願い致します。それでは、いま事務局からのご説明にもありましたように、本日はご意見の発表を前半と後半と2つに分けて進めさせていただきます。まず、前半のご発表ですが、先程もご紹介がありましたように、西尾さん、大山さん、長島さん、中島さん、斉藤さんの5人の方にこの順でご発表をお願い致します。そして、それぞれ10分のご意見を賜ることになっていますが、皆さんのご意見を伺ったあと、策定会議の側から、ご意見に関連することについてご説明なりを致したいと思っています。そして、その後、こちらからのご説明のあと、ご意見を発表いただいた発表者と策定会議側で、いわば双方向的に質疑応答という形を取らせていただきますので、よろしくお願いを致します。
それでは早速西尾さんから意見の発表をお願い致します。恐縮ですが、10分ということでお願い致します。
(西尾)
原子力資料情報室の西尾と言います。よろしくお願い致します。
一番最初ということで、最初から雰囲気を悪くしてしまうのではないかと思って、ちょっと心配をしています。というのは、お手元の意見にも書きましたけれども、そもそもこの原子力長期計画というものが本当に必要だということについては、そうは思っていないというところがあります。そんなものが本当にいるのだろうかということがありますので、そういう意味からすれば、いわばあるべき長期計画という立場から意見を言うというよりは、ちょっと違った形になってしまうということがあると思います。
長期計画というものを作るにしても、もともと原子力基本法ということから考えていけば、それは国の施策についてのみ計画をまとめればよいと思います。民間の計画にまで長期計画というものがいるのかどうかということがあって、そういうことが本当に必要なのかどうかということがあります。
それから、更に言えば、いま「案」という形で出てきているものを拝見すると、何だかよくわからないことがほとんどでありまして、言葉は色々な言葉が並んでいるのだけれども、では、その中で一体何を言おうとしているのかということについても、必ずしもはっきりしないというところがあって、そういう意味でも、本当にこれが必要なものなのかどうかということについては、かなり疑問を持っています。
ある意味で言うと、こう言っては失礼かもしれないのですが、お作りになられようとしている原子力委員会も、どの程度このことを重要に思っているのかと思うのは、これは科学技術庁主催なのでしょうか、放射性廃棄物のシンポジウムというものが、いまやられているシリーズだけでも20回ぐらいやられているわけです。その前に高レベル放射性廃棄物の処分懇談会を作りました時には、半年間意見の公募をして、回数は忘れましたけれども、全国何か所かでやはり意見を聞く会のようなことをやった。そういうことに比べると、今回の長期計画について言えば、「ご意見をきく会」というのは3か所、1か月ちょっとの意見公募、そうすると少なくとも放射性廃棄物の問題よりはかなり軽く考えられているのかなという気も致します。その意味でも、どこまでどう重要視されているのかという気がするのです。
いずれにしても、本当にそんなものであるのならば、そもそもここへ来て何か言わなくてもよいということかもしれませんが、しかしそれが、一方ではそうでありながら、例えば高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開に向けた作業にある種の根拠を与えてしまうようなことがあるとすれば、やはり何も言わないわけにはいかないだろうと思いまして、今日ここに出席をさせていただいています。
そこに書きましたけれども、この長期計画を今回特に国民社会や国際社会に向けたメッセージ、前回の時にも多少似たような表現があったかと思いますけれども、今回そこが非常に強調されているわけですが、これも本当にそんなものをこの策定会議が作れるのか、つまり策定会議自身はおそらくこれで意見を聞いたあとで多少の修文をした上で解散されてしまうのだと思うのですけれども、そういうところが国民に向かってのメッセージを発するということが本来できるものなのかどうかということについては、非常に疑問を持っています。
どうしても国民に対して訴えたいことがあるのであれば、それは訴えたいところの人たちが自分のお金を使ってやればよいことであって、それをそうでない形で、だれがどう責任を持つのかということが必ずしもわからない形でメッセージを発するというのは、非常におかしなことだと思っています。
更に、この長期計画、これまで長期計画というものが続けて出されてきた。そのことが、民間の計画にもかなり影響しているということで、むしろ原子力というものが、これは国のエネルギー政策でやっているのであって、必ずしも民間に責任がないかのような、そういう印象も与えてきたということがあると思うのです。現にこれはある電力会社の人が、当時の社長さんですけれども、というか電気事業連合会としてのご発言だと思うのですが、「国のエネルギー政策で原子力をやっているのだから、廃棄物も国が全責任を持ってほしい」と、そういった発言がある。そのような形で国に責任を押しつけるようなことも、ある意味で言えば、この長期計画が根拠になってしまっているのではないか。そのように思います。
そういうことからすれば、どうしても何か出すのであれば、その責任の問題ということは、むしろもっとはっきりさせてほしい。今回の長期計画では、国と民間の役割の基本、これもある意味で言うと、今回初めて書かれたものかもしれません。いままでは、国の研究開発については触れられていましたけれども、国と民間の役割について書いたというのは初めてかもしれない。それはそれで評価されるべきかもしれないのですけれども、その中で「民間の自主的な活動に伴う原子力発電」と書かれている。それからすれば、まさに国のエネルギー政策だから民間がというのではなくて、やはり民間が自らの責任を持ってやっていることということになるのだと思うのですが、そのことをもっとはっきりさせてほしいと思います。原子力発電所だけではなくて、核燃料サイクル施設、そういったものの建設、運転、高レベル放射性廃棄物の最終処分計画などは、民間の事業者がやっているわけですから、その責任ということをもっとはっきりさせてほしいと思います。
もちろん、その民間の活動を誘導する施策を国が行うということもあり得ると思っています。それを一切するなと言っているわけではないのですが、もしそういうことをするのであれば、それは例えば国会できちんと審議をしてそこで決めるとか、そういった手続きが必要なのではないか。それから、国が行う研究開発にしても、きちんとした客観的な評価と、それから関係した住民の合意、それから国会での議決、そういったものが必要なのではないかと思っています。
そこにも書きましたけれども、国の役割として原子力の軍事利用の防止及び放射能災害、JCOの事故を考えると放射線災害というのもあるかもしれませんけれども、その放射能災害、放射線災害の防止が、むしろ国の行うべき仕事だと思っています。言い換えると、軍事利用の防止というのは原子力委員会の仕事であり、災害の防止というのは原子力安全委員会の仕事ということになるのかもしれませんけれども、そういったことについて、もっときちんとしたことがむしろ言われるべきであって、何かそういう責任がむしろ曖昧になっているという気がします。こういう長期計画のようなものを仮に作るのであれば、その辺をもっとはっきりさせてほしいというのが希望です。
具体的なことを1つ2つ申し上げますと、「もんじゅ」の運転再開ということが突然書かれているという印象があります。なぜ「もんじゅ」の運転を再開するのかということについての根拠が、きちんと書かれていないと思います。
「所期の目的を達成するために」とあるのですけれども、そもそもその所期の目的というのは何であったのか。それがあの事故を起こしたあとで、いま現在でもその所期の目的というのは生きている目的なのか。その目的を達成するためには、「もんじゅ」を本当に動かさないとできないことなのか。それから「もんじゅ」のあとで、そもそも高速増殖炉の実用化というものがあり得るのか。あるいは、する必要があるのか。そういったことについて、きちんとした根拠がやはりない。突然運転再開だけが出ているという印象を持っています。同じようなことが六ヶ所の再処理工場についても言えるのではないかと思っています。
「利用目的のないプルトニウムは持たない。それが原則である」ということは何度も書かれているわけですけれども、本当にプルトニウムを持たない、目的のないものを持たないということを言うのであれば、その一方で再処理工場が計画通り動き出しますというのはきわめておかしなことであって、少なくとも、そもそもプルトニウムを軽水炉で燃やすいわゆるプルサーマルというのが本当に需要なのか。再処理をするからプルトニウムが出てきて、それを仕方がないから原子炉で燃やすというのがプルサーマルであるとすれば、そもそもそれを需要と呼ぶのかと思いますけれども、いずれにしても、その需要がはっきりした上でそれに合わせて再処理をするというのならばまだ話はわかるのですけれども、そうではなくて、一方で余分なプルトニウムを持たないと言いながら、もう一方でその再処理工場は計画通り進めるようなことになっているというのは、非常におかしな計画だと思います。そのようなことがきちんとした説明がなされていないで書かれている。
今回、前のものに比べて、計画全体としてはすっきりとまとまっていまして、その意味では読みやすいということはあるのかもしれませんが、その分、逆に中身が非常に薄くなっている印象を強く持っています。とりあえず、それぐらいのことを最初に発言させていだきます。ありがとうございました。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは引き続きまして、大山さんから、よろしくお願い致します。時間は10分ということでお願い致します。
(大山)
まずいま西尾さんがおっしゃったことの一番初めの、なぜ長期会議策定会議がいま必要かということに対して、私は必要だと思います。やはり20世紀になって人間が手に入れて使いだし、利用しだした原子の力というのは、1回使って、あるいは成功して、いまずっと使い続けているからそれでよいというものではないと思います。長い長い間、ずっと大勢の人が見続けて、よりよく進むように、絶えず考えなくてはいけない問題だと思いますので、この長期計画策定会議というのはおおいに必要なことだと思います。
その長期なのですが、100年単位なのか1000年単位なのか、あるいは5年ごととか10年ごとの程度なのかということを考えると、私は処理の問題の場合は1000年ということを考えています。そして、それも含めるならば、この長期計画というのは1000年ずっと続けなくてはいけないものだと思います。
けれども、いま現在さしあたって何がというと、私は、初めて私たち、ことに日本の国で原子の力を利用してエネルギーに変えるということをやり始めた時に、もっと日本人というのは謙虚だったと思うのです。やっと今世紀になって手に入れた素晴らしい力を使う以上は、慎重に、本当に大切に皆使ったと思うのです。
ですから、いま事故で止まっている「もんじゅ」ではなくて、初めて「もんじゅ」の原子力発電所ができた時に、正直言って私は人間が原子力というものを扱うのが怖かったから、まず見に行きました。自分でよく見ればそれでわかるだろうと思い、見に行きました。ただ嫌だ、怖い、なぜ怖いかというと私どもの年代は原子爆弾を経験している年代ですから、まず原子力発電所、しかもそれを詰めて「原発」という言い方が、何か「原爆」に通じるような気がしてとても反感を覚えました。なぜそんな変な名前を付けたのだろう、もっと「アトム」とか何とか可愛い名前にして、「アトム発電所」にすればもっと皆が親しみを持ってくれるのに、と思いました。
けれども、見に行ったときに、「もんじゅ」と「ふげん」をよく拝見させてもらったときに、私は日本人というのは偉いなと思ったのです。人間が人間の持っている最大の知恵と力を使って1つのものを造り上げて、最新の科学的技術をうまく利用したものでも、最後には人間の力には及ばない何かがある。それを守ってもらいたい。それを何事もなく済ませるように守りたいからといって、文殊菩薩、普賢菩薩のあの「もんじゅ」と「ふげん」というお名前をわざわざお付けになったのだろうと思うのです。そして、それぐらい皆は真剣に取り組んだと思うのです。
その後、新しくできる原子力の発電所は色々な所を全部見せてもらいました。ある発電所の所長さんの部屋には、汚い蒸かごのようなものが、古びて汚れたものがありました。「何ですか」と聞くと「これはおこわを入れて、池に沈めるものです」という話です。「何のおこわを?」と言ったら、「この浜松の町には池があって、そこに龍神様が住んでいて、おこわを蒸かごに入れて、皆で、年に1度その池に沈めます。そうすると空になった蒸かごだけが上がってきます。龍神様がそのおこわを食べてくれたことによって、今年も無事にちゃんと守って下さるのだと皆が思えるもので、これはこの発電所ができた時からずっと使っているので、実はこんなに古びて汚れています」というお話を聞いた時に、「ああ、ここでも日本人というのは、こうやって大切なものを扱うのに気を遣っているのだ」と思ったのです。
けれども、それがこの何年間か、私たちはとても贅沢な暮らしをさせてもらうようにはなりましたけれども、それよりもっと多く、もっと安い材料で、もっとたくさんというようなエネルギーの作り方を進めるようになってきた時に、やはり色々な形で事故が起きました。
その時に、やはりその事故がどうして起きたかということをよく調べた上で、これはちょっと考えなくてはいけないのかとか、これはちょっとやめるべきかなとか、そういう自分の進退を決めるようなことは、やはりきちんとやるべき問題であろうと思うし、それにもまして、あまりにもこういうものに慣れすぎてしまった人たちがこういうものを扱っていると、何か人間が一番偉いというような驕り高ぶった気持ちで、つまらない事故を、それこそ皆さんもおっしゃっているけれども、JCOとかああいう問題が出てきます。
やはりこの際、私たちは、作って下さる側、それに携わって下さる側と、それを使わせていただける一般市民の側と、両方から歩み寄らなくてはいけないと思うのです。昼日中からこういう電気をつけなくては会議ができないような建物ばかり造らないで、太陽光線がどうにか入る、天気の時にはもっと明るく生活できるような場所とか、普段の一般の家庭で何でもかんでも電気に頼って、いつもいつも家の中にピカピカ青い電気がついていて、テレビがいつも押せばつくような生活とか、もうそんな無駄なことは皆で止めて、そしてもしそれを使って商売する方でも、何キロワットだか知りませんが、その明るさ以上のものはピカピカつける必要のない所はつけないということを決めて、パチンコ屋さんの大きなピカピカした電気はどんどん消すようにとか、私たちも子供のテレビゲームは1日に20分に決めましたとか、きちんとそうやって、その上、今度は本職の皆さんがそれを扱って下さる時に、本当にもう一度謙虚な気持ちになって、大切に大切に扱って、つまらない人間のミスによるような事故などということは二度とないように……。
それと、直接に原子力の所で働いている皆さんは、年に2回も勉強する場所に行って、毎年新しく勉強なさって、資格を取り直して、そして携わっていますね。一般の方はあまり知らないと思うけれども、ものすごい訓練をしていらっしゃいます。あれを初めて見た時に、お医者様は1回医師免許を取れば一生それで食べていける、それに比べて原子力を扱う方たちは何て謙虚で偉いなと思ったのです。
ところが、そうではないような、することまで勉強しないような人までが携わるような仕事のさせ方をする大手というか、上のほうの方たちの感覚、そのようなことも、もう一度、21世紀は長い長い目で見て、前へ前へ進むと思わないでゆっくり後ろを振り向きながら、20年前は洗濯機ではなかった手で洗ったなと、そこまで戻らなくてもよいけれども、もう少し謙虚な電気の使い方、もう少し謙虚なエネルギーの作り方を両方でやってみるような世紀が、今度の世紀なのだろうと思っています。
もう一度、私たちは改めて無駄を省くというのと同時に、作る側の方たちももう一度初心に戻ってというか、謙虚な気持ちでこれを扱っていただきたいと思っています。そのための教育というのも大切だと思っています。
ごめんなさい、2分過ぎました。
(森嶌)どうもありがとうございました。それでは長島さん、よろしくお願いします。やはり10分ということでお願い致します。
(長島)
機械設計をやっています長島です。
戦後原子力の平和利用が大々的に推進され、我々は35年間以上科学技術関係予算の80%をこの技術の発展につぎ込んできました。しかし、いま、世界の先進国はこの原子力に失望し、撤退を考慮する国が確実に多くなってきています。地球温暖化の防止対策として日本は原子力が有効であるとしてきていますが、その前提に対する疑問が、世界の原子力発電に対する姿勢の変化からわかります。
一見収入がよくすてきな紳士だが酒を飲むと暴力を振るう男と最愛の娘が結婚すると言えば、ほとんどの両親は反対します。つまり、原子力は利点を凌駕するほどの根本的な欠点を持っているのです。また、原発の建設には、多大の炭酸ガスを排出し、10年近い建設期間を要しますので、地球温暖化防止対策の約束にほとんどの計画が効果が出るに至りません。21世紀の発電方法の選択は、断じて見せかけの経済性や安定性、大容量に目を奪われて、この薄氷を踏む幸せを更に長く国民に強いるべきではないと思います。
最近原子力の経済性について別の見方に気づきました。それは実際のコストを、東電の損益計算書から計算してみることです。以前は公式には9円と言われていたと思いますが、近頃資源エネルギー庁の原子力部会の資料などには、6円以下が表示されています。東電のデータベースはインターネットでだれでも見ることができます。それには、発電方法別の発電量や費用が記入されています。もしkWhあたり6円でできるならば、我々の買う値段は24円、大企業が買う値段が16円、これは高すぎます。東電は儲かりすぎます。しかし、損益計算書には売上の4%前後の経常利益です。おかしいです。原子力発電費7,253億円、発電量は1,260億kWh、つまり5.7円/kWhです。しかし、送電費に4,082億円、変電費に2,367億円、配電費に5,687億円、そのため、その他販売費や一般管理費を積み上げていくと、1兆8,300億円を必要な経費としています。とりあえず平均的にこの経費が各種の発電方法にかかったとすると、9.4円、つまり、原子力発電は15.1円/kWhが現実の最低線です。更にその他の費用の中で、送電費や管理費、販売費、財務費用などにおいて、原子力発電に対して費用の率が多いことを勘案して試算すると、12円近い計算になり、どうやら17〜18円が妥当な線となります。今日以後、これを全体に原子力の将来を考えていただきたいと思います。正確には会計検査院等で厳格に算定していただくことがよいのではないかと思います。使用済核燃料を再処理し使用していけば、さらなる費用と生活圏内に移動する核廃棄物になどに対する危険が増加します。
一方、自然エネルギーで高くて話にならないと宣伝されている太陽光発電について考えてみます。現在政府は1kWhあたり27万円補助をしています。逆に考えると政府は27万円の支出をすれば、自前のエネルギーを安全に安くいくらでも得ることができます。例えば20年の寿命として、稼働率を12%で試算するとkWhあたりの単価は約13円になります。導入する個人はkWあたりの設備の単位が50万円になれば、単価は24円/kwhでできます。だれも損はしないのです。
よく太陽光は面積がたくさん要り、狭い面積ではとてもだめだというような宣伝が行き渡っていますが、全国には300万ヘクタールの減反農地があります。その1割にソーラー発電を設置したとすると、原発135万kWクラスを50基増設したと等しい電力が得られます。政府の費用は121.5兆円、40年で実施するとすると、年3兆円で国家予算の4%以下です。(現在の減反農地面積は約100万ヘクタールで)30%が減反農地になります。
逆噴射しジャンボ機を墜落させた機長を例に求めていくまでもなく、内部からの破壊活動やミサイル攻撃に対するゼロに等しい安全性、またすべての原子炉の配管などで応力腐食割れが進行している現実により、いまや震度4の地震にさえ耐えられないことが判明してきています。早々と老朽化しているこの原子炉の状態の現実を国民は恐れています。25,000人前後の原子力関係者と、1億人を超える国民の意識は確実に遊離してきています。
例えば廃棄物に関する認識です。原子炉白書などに掲載されて、推進する利用の中に、一般廃棄物と放射性廃棄物の量の比較です。1人の人間が出すし尿その他は1年間に296プラス408sも出し、高レベル放射性廃棄物は4gにも満たないという説明です。少量でも何万年も地球の生物界の脅威になる物質と比較して論じること自体が情けないと思います。危険の度合いと、無害化するまでの時間を係数としてかけ、比較するのが常識であると思います。
時代のエース、普及に堪える太陽電池、燃料電池が完成目前である今日、電力は集中から分散の時代に変わっていきます。大きいことは20世紀は正義でした。21世紀は大きいことは事故があった時の被害の大きさや与える影響の大きさから考えると、もはや最善の選択ではなくなってきています。分散し、戸別で効率よく発電していくことが、日本が21世紀に求める姿だと思います。いまや原子力を推進する意味はなく、いかに撤退させていくことこそが、勇気ある21世紀初頭の長期計画の課題でなくてはならないと思う次第であります。
時間はありますか。
(森嶌)
いや、まだ。ほぼもう時間です。
(長島)
では、もう少し。
高速増殖炉は日本だけがたとえ実用化を目指しても、世界の原子炉がウラン鉱石を浪費する中では焼け石に水で、効果は期待できません。費用と危険だけが増加して効果がないのでは、存在意義はないと思います。核燃料サイクルは周期が長く、危険だけが増大します。21世紀は環境の世紀で、生命体に毒性を示す物質は、生産をどの工程でも使用すること、貯蔵すること、廃棄することが法律で禁じられる時代と認識しなければなりません。猛毒物質は閉じこめると、できないことでも安全宣言すれば使用できる時代は終わっていると思います。以上です。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは中島さん、お願い致します。
(中島)
中島です。私は原子力の研究や開発は、取り組み方によって展望を開き、人々に夢を与えうるものだと思っています。しかし、大変残念なことに、現在ではこの夢を託すことができないほどに、原子力の事業や研究開発に携わっている人々が社会の信頼を失っていると思います。
確かに「もんじゅ」からJCOに至る一連の事故は、稼働中の原子炉本体に関わることではありません。また、原子力科学技術に関する広範な活動からすると、ごく限られた局所的な分野の事故であったかもしれません。また、事故原因の多くは、原子力固有の技術とは別のものであったかもしれません。しかし、結果として、信頼感の喪失が、広く原子力の関係者の全体に及んでいるということはきわめて重大であると思います。
私は原子力との距離をおいた者、あるいは傍観者として、このようなことを言っているわけではありません。私の所属している東大工学部は、きわめて小型ですけれども、研究用の原子炉を持っています。事業者としての責任者は東大の総長ですが、実質的には工学部長が担当します。例のJCOの事故の当時、私が工学部長でありましたので、原子力事業の関係者の1人としての立場でした。その時に大学の内部、あるいは大学外部から、様々な多くの方々からご指摘を受け、率直な意見を聞く貴重な機会を得ましたけれども、その時に原子力関係者の信頼感が、全体に対して非常に大きく揺らいでいるということを痛感させられたわけです。
つまり、原子力技術全般が持つ影響力、抱えている課題の大きさ、重さに比較して、関係者が自覚し、あるいは責任を意識していることが、きわめて細分化された狭い領域に対してしか向けられていないということが、多くの人々の不満であったと私は理解しています。もちろん関係者がすべてそうであったとは申しません。
さて、5年前の長期計画の見直しの時は、原子力関連の技術の信頼性が問われた時だと思います。その技術の信頼性回復が重要課題として検討され、その方策が長期計画に盛り込まれたと理解しています。しかし、現在は状況が更に悪くなって、技術だけではなくて、人に対する信頼性や信頼感が問われていると思います。従いまして、原子力関係者全体の信頼の回復が、今回の長期計画においてきわめて重要な課題として取り上げられなくてはならないと思います。この観点から、人の信頼性の回復という観点から、原子力分野全体の人材育成、それから確保の方法などを見直し、方策を具体化して提示することが必要なことだと思います。
例えば原子力の専門技術者について言うと、専門の技術や知識を備えているだけではもちろん不十分です。広い視野を持ち、一般の社会人と円滑なコミュニケーションができることが必要であり、また総合的な知識や倫理観に裏付けられた行動規範を備えていることが大切だと思います。また、安全管理、危機管理、高い倫理観の維持等に関するマネージメント、あるいは技術に関しては、これは何も原子力だけの問題ではなく、広く一般の産業技術分野にも共通するものですけれども、他分野が原子力分野を模範とするほどに、そして、これが重要だと思うのですけれども、若い人々がその職務に就くことにあこがれと誇りを抱くほどに、原子力分野においては卓越したレベルを維持することが大切だと思います。
そのためには、例えばですが、原子力分野の中に閉ざされた職務上の資格では限界があり、マネージメントや技術のエキスパートが他分野へ移動し、あるいは他分野から請われて移動して、そこでも貢献することが容易になるような、分野横断型の職に関する資格制度を検討することも非常に重要ではないかと思います。
それから、原子力分野に限らず、一般に技術が社会に及ぼす影響力は著しく大きくなっています。そのために技術者の育成方法、技術者倫理、技術者教育の質の保証や認定等に関し、現在、産・官・学の間で活発な意見交換や提案がなされています。また様々な分野の学協会が、技術者教育の認定方法を具体化する検討を進めています。このような技術者教育育成の課題に関して、私は原子力分野が先行して検討を進め、他分野をリードするような立場であることを期待するのですが、現実には残念ながらそのような状況にはありませんし、他分野と比べて先進性、積極性に欠けるように思われます。
それから、大学内の原子力関係専門技術者の教育に関しては、私は学部から行うのではなく、大学院から始めるのがよいと思います。昭和30年代に原子力と名の付いた学科が相当数の大学の工学部に設置されました。しかし、現在では、その多くの学科が原子力という名前を外しています。そうしないと学生が志望してくれないという、深刻な事情があるためです。原子力技術の持つ影響力の大きさ、あるいは抱える問題の大きさや重さを考えると、高校卒や教養課程修了段階で原子力関連学科を選択させるのは早すぎるように思います。学部では広く理工学の基礎や人文科学、社会科学を修得した者の中から、先に述べましたような原子力専門技術者としての自覚や素養を備えた者を選抜して、大学院教育として育成する必要があるのではないかと思います。
最後に大学の原子力関連教育設備、またその運営に関しては既に長期計画の中で検討されていることと思いますが、現在の大学には、その施設の運営にあたって、安全管理や危機管理のために非常に多くの人手と経費がかかっています。つまり、高負担に悩まされているという現実があります。この点も含めて、大学の原子力関係施設のあり方について、早急に解決策を検討されるようにお願いしたいと思います。以上です。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは引き続いて、斉藤さんお願い致します。
(斉藤)
豊島区に住んでいます斉藤と申します。本日このような席で意見を述べることができ、大変幸運に思っています。まずはこの機会を下さった方々に、お礼を申し上げたいと思います。
私は原子力長期計画案に対して4つの分野に意見を応募させていただきました。今回選んでいただきましたのは、原子力発電と核燃料サイクルについてのものでしたので、特に高レベル放射性廃棄物の処分問題について意見を述べたいと思います。
私の意見はおおまかに次の2つです。1つは、高レベル放射性廃棄物のみを特別扱いせず、他の有害廃棄物と公平な視点で扱うべきだということです。2つ目は高レベル廃棄物と他の産業やエネルギー生産で発生する有害廃棄物を公平に比較し、その処分方法の妥当性を相対的に評価することが必要だということです。
まず1点目について述べさせていただきます。世間では高レベル廃棄物がこの世で最悪な負の遺産であるかのように語られますが、はたして本当にそうなのかという疑問を私は持っています。日常生活、産業活動、他のエネルギー生産で発生するカドミウム、水銀、亜鉛、ダイオキシンなどの有害廃棄物も、同様に負の遺産と言えます。また、地球環境問題の主役である炭酸ガスも、非常にたちの悪い負の遺産と言えます。もし仮に「負の遺産を全く残してはいけない」というルールがあるならば、私たちのいまの生活は全く成り立たなくなります。大切なのは負の遺産を残さないということよりも、それによる後世の影響を最小限に押さえること、そして管理の負担を後世に残さないことだと思います。
このような観点からは、高レベル廃棄物をガラス固化し、厚い金属容器、数百メートルの地層で何重にも閉じこめ、現世代の人間に扱えない長期間の管理を、人工と天然の障壁、バリアに委ねるという考え方は適切なものだと思います。高レベル廃棄物の地層処分の問題に関して、処分場で天変地異がないことを何万年も保証できないとの意見もあります。しかし、仮に人工バリアの効果が1000年でなくなり、天然バリアを全く無視して1000年後に突然地上に現れたとしても、既に99.9%以上減衰し、その時の放射能は天然ウラン鉱石の2倍程度でしかありません。このようなレベルであれば、よほど注意を怠らなければ、急性の放射線障害を受けることはないのではないかと思います。
長期的にはガンが心配ですが、はたしていまから1000年後の西暦3000年に、ガンはまだ死に至る病なのでしょうか。いまを遡る1000年前の平安時代は、加持祈祷で病気を治していた時代です。将来の医療技術に期待するのは不真面目だというご批判もあるかもしれません。では、原子力、放射線と無縁な廃棄物であれば、はたして1000年後のガンを心配したりするのでしょうか。原子力、放射線であるがゆえに、1000年先までの真剣な議論を求められているように思います。
半減期が長いことを理由に、高レベル廃棄物の危険性が大であるとの議論が多くあります。では、カドミウム、水銀、亜鉛などの半減期ない有害廃棄物、つまり毒性が永遠になくならない廃棄物はどのように考えるのでしょうか。半減期のない永遠の毒性を持つ有害物質を、半減期の長い有害物質よりも罪が軽いと見るのは、科学的にフェアな態度ではありません。高レベル廃棄物をガラス固化して、数百mの地層の中に処分することがいけないならば、永遠の毒性を持つ有害廃棄物はどのように安定化して、一体どこに埋めたらよいのでしょうか。単なる産業廃棄物として、私たちの生活環境のすぐそばに埋め立てられているのが現実です。
高レベル廃棄物は私たち人類にとって見れば、数多くの負の遺産の1つに過ぎません。それのみを過大視し、他の有害物質を、有害廃棄物を省みないことは、人類の将来、地球の将来という観点では、あまり意味があることには私には思えません。
次に第2点目について、お話しさせていただきます。高レベル廃棄物の毒性は、他の産業やエネルギー生産で発生する廃棄物と比べて、一体どの程度危険なのでしょうか。それが現時点であいまいであるため、高レベル、放射性という2つの言葉が並んで、非常に恐ろしいものというイメージを世間に植え付けているように思います。まず、その量や毒性について、他の産業、エネルギーから排出されるものと、公平に比較評価する必要があると私は思います。海外では毒性と量を掛け合わせて計算すると、年間で発生する高レベル廃棄物の危険性は、塩素や青酸、バリウムなどに比べて桁違いに小さいとの報告もあります。また、600年後の高レベル廃棄物のグラム当たりの毒性は、10円玉に使われている銅と変わらないとも言います。
今回の長期計画案では、今後も高レベル廃棄物処分の技術開発に邁進する旨の記載があります。しかし、ここで一度冷静になって、周りを見回してみるというプロセスも必要なのではないかと私は思います。つまり、高レベル廃棄物の処分について、絶対評価で1000点満点を目指すことも大切ですが、まずは相対評価で「よくできました」であることを確認しませんか、と申し上げたいのです。評価の結果、仮に高レベル廃棄物よりはるかに危険な廃棄物がたくさん存在するとしたら、それ以上の労力や資金は「頑張りましょう」と評価されたそれらの廃棄物の管理に当てたほうが、人類や地球にとっては有益なことではないかと思うのです。
廃棄物全体の中で放射性廃棄物の位置付けを明確化していくには、2つの困難があります。1つは、放射性廃棄物と他の廃棄物の危険性を比較評価することで、不利益を生じる一般の産業や団体があることです。もう1つは、環境庁や厚生省との壁を超えて、原子力委員会が放射線以外の廃棄物の評価にまで手を伸ばすのが難しいことです。しかし、これからぜひ、国という公平な立場でこれをやっていただきたいと申し上げます。高レベル廃棄物の安全な処分方法に関する研究を着実に積み上げていく努力は非常に重要だと思いますが、それだけでは国民の理解を得るのは難しいと思うからです。たとえ高レベル廃棄物の影響がゼロであることを証明してみせたとしても、それは新たな安全神話との批判を生み出すだけのような気がします。この世に存在する多くの有害廃棄物に比較して、十分に適切な処分方法であることをきちんと示していくことが、むしろ国民の理解を得るための近道のように思われます。
最後に、私の意見をまとめます。私たち人類は、原子力利用に限らず、日常生活や産業活動、他のエネルギー生産でも様々な負の遺産を残します。まずその事実を正面から受けとめる必要があります。そして、原子力、放射線という言葉のみに偏ることなく、様々な負の遺産による人や環境への影響、リスクを公平な条件で評価し、バランスよく管理していくという視点が必要だと思います。私たちが近く迎える21世紀は、原子力のみならず、様々な技術、産業、そして生活において、常に100%の安全しか許容しないゼロリスクという幻想の世界から離れて、周りにある様々な危険を認識し、それを合理的に管理していくリスクと向き合う時代だと私は思います。
以上で私の意見を終わります。ご静聴ありがとうございました。
(森嶌)
どうもありがとうございました。皆さん時間を守っていただきましたので、予定の時間より少し早く、これで前半の5人の方のご意見のご発表を終えていただきました。
先程申しましたように、ここから策定会議における審議の経緯なども踏まえて、いまのご意見に関わっている点について、私たちは6つの分科会を設けて、まず分科会で検討し、それが全体の策定会議の中で検討されまた戻りという、そういうプロセスでやってきましたので、とりあえず関係の分科会の座長のほうからご説明をいただきます。時間的に少し余裕がありますので、一通り座長のほうからお答えいただいたあとに、各策定会議のメンバーからも関連したことでご説明をいただければと思います。
なお、質疑につきまして、あるいはご意見につきましては、またあとで質疑応答という形でやりますので、策定会議側での議論、あるいはメンバーとしてのご意見ということで結構ですので、お話をしていただきたいと思います。
まず総論的な部分につきましては、私が座長代理ということですので、全体的なことについて、つまり今回の長計、先程西尾さんのほうから「必要ないのではないか」ということについて、どういう考え方で今回の長計を策定しようとしたかということについてお答え致したいと思います。それから、原子力発電、あるいは核燃料サイクルの全体的な問題については、第二分科会の座長でいらっしゃる近藤先生からお話をいただき、それから高速増殖炉、「もんじゅ」の問題については、第三分科会の座長でおられる鈴木先生のほうからお話をいただきます。大学における原子力と言いましょうか、放射能を含めた研究については、秋山座長のほうからお話をいただくということに致します。そして、それに引き続いて、各メンバーのほうからご発言いただきたいと思います。
それではまず全体的な考え方ですが、今度の長計につきましては、従来そういう考え方ではなかったというわけではありませんが、先程からの皆さんのご意見にありますように、1つは原子力の関係者の人的な人材、人的な仕組みについての不信感、あるいはそこから由来する安全性に対する不信感というのが、おそらく6年前の長計よりもはるかに強くなっているということは、申し上げるまでもないと思います。
一方で、原子力というものが賛成・反対に限らず実際にエネルギー源として非常に重要な役割を担っているということ、それからエネルギー源でない原子力の分野でも、放射線の利用などにおいて先端技術、あるいは医療において非常に重要な役割を担っている一方で課題の重要性ということがあり、他方で原子力に対する国民の不審・不安というものがあるというときに、ただ原子力の側から「このようにやっていきたい」ということではなく、むしろ国民の皆様に「このように考えています」ということを述べる、それと同時に皆さんからのご意見を広く承るという形で、やはり原子力の長計の作り方そのものをまず転換していくことが重要ではないかということから、今回の長計のまず第1部は、むしろ総論という形になっていますけれども、国民に対するメッセージということであります。
しかし、同時に、それは大きなエネルギー源としても、あるいは放射線の利用という点でも非常に重要な現代社会の役割を担っているので、それをどうするかという意味で原子力関係者に対して「このような方法で国としては考えている」ということを述べるという、そういう2つの側面、むしろ第2の側面は従来の長計の考え方であります。
それと同時に、いま申し上げたことは長計の策定の時にどういう考え方で長計を作っていくかということで、これは全体会議でも随分議論をされ、分科会の中ではそれを主として取り上げて議論された分科会も少なくありません。その意味で、長計を作るにあたってのどういう態度かということは、いまご説明をした通りです。
次に、これも西尾さんがおっしゃった民間との関係ですが、やはり国の施策を打ち出すというだけではなくて、これは国だけでできることではありません。例えば原子力発電における安全の確保にしても、これは民間というものが第一義的に存在をして確保してもらわなければならないわけでして、その意味で、国の施策、これは西尾さんがおっしゃったように平和利用に徹底するとか、安全の規制そのものを強化すると、その点で国が重要な、第一義的な責任を負っていることは確かですけれども、同時にそれは民間と一緒にやらなければできないことであり、しかしながら今回の長計においては、民間については、民間がいわば国の計画に従ってというのではなくて、国の計画とともに民間のほうでもそれぞれの計画を立てていただいてやっていただく。
その意味で、お読みになってもわからないかもしれませんが、国については「必要である」とかという形で「すべきである」というような考え方ですが、民間については「〜を期待する」という、つまり国はこういうことなのでぜひ重要な役割を担って、民間はこれについて自主的にきっちりとやることはやっていただきたいという主旨であります。その意味で民間が入っているということです。
一応、私のほうからのご説明としてはそういうことです。また、それでもどうだというお話があれば、あとでまた承ることに致します。
それから、中島先生のご報告の中に人材育成ということがありまして、策定会議の本会議でも、あるいは各部会においても非常に重要な課題でありまして、このような文書ですから、必ずしもさっと苦心の程は読んでいただけないかもしれませんけれども、人材育成に関しては我々も十分に検討をしたことであります。他の委員からも、あとでこの点についてまたご発言があろうかと思います。
それでは近藤先生、第二分科会関係をお願いします。
(近藤)
近藤です。第二分科会関係についてご意見をいただいたことについて、どんな審議をしたかということを簡単に申し上げます。
まず、西尾さんから国と民間の役割分担の話、これにつきましてはいま座長代理からお話があったところでありますが、付言しますと、1つはいわゆる行政計画なるものが原子力に関しては不要ということをおっしゃられたけれども、これは西尾さんと同じ時に参考人として、国会に呼ばれたことがありました際、質疑に明らかなように国会が行政計画について期待するところありというのが現実であり、それは当然と考えるところでして、ここのところはやや私と認識が違うところです。
第2に、民間活動を誘導する施策については国会の決議とのご意見ですが、これは現在のいわゆる行政法定主義の時代において、非常に多くの部分が何らかの意味で国会のいわゆる民主的統制、議会の統制を経ていることはご存じの通りでして、特に特別会計にしても予算にしても、何らかのお金を伴うものについては予算審議という過程でそういう審議がされていることは、皆さんよくご承知の通りでそのことは十分に認識して、議論をしたつもりです。最近の行政改革の中で更にそれを厳密化せよという議論があることは承知していますところ、そういうコンテクストでのご提案であるとすれば、それは意見として承っておきたいと思いますけれども。
それから「利用目的のないプルトニウムを持たないとすれば、結局再処理をやめるしかないではないか」というご意見ですが、ここでは当面のところプルサーマルと高速増殖炉の研究等にプルトニウムを利用することを妥当としているのです。プルサーマルは仕方なくやっているのであって、本来の利用目的ではないとおっしゃられたけれども、策定会議としてはその立場をとらない、何故なら、プルサーマルはその実用化のために長く研究開発してきたところであり、それ自体に資源の節約等、固有の意義があり、これを実施することは適切であるという判断を行ったのです。で、その判断に基づき今後、様々な環境変動はあるかもしれないけれども、全体の展望をしつつ、柔軟かつ透明な利用を図るべきとしているところです。
それから、大山さんはエネルギー利用の無駄遣いを嘆き、かつ原子力に関わるモラルの重要性をおっしゃられましたけれども、これにつきましてはおっしゃる通りで、この草案でもエネルギー利用については、今後21世紀の循環型社会を目指して、国民のモラルを向上することに、これは原子力だけの問題ではないわけですけれども、そのことについて努力すべしということをうたっていますし、また安全については安全文化の重要性について数か所において記載しているところです。
それから、長島さんからは、経済性の議論と長期的に考えたときに、今後の地球環境の制約の下での将来の電源構造のあり方についてご指摘がありましたが、経済性についておっしゃられた数字、原子力発電コストがいくらという数字については、発電端コストについては私どもと同じデータを使って同じ結論をおしゃっていると思います。これが企業経営上どうなっているかということについては、株主総会等で議論がなされ、民間活動として合理的な選択がされていると理解しているところです。
それから、地球温暖化防止に関してですが、この策定会議では、太陽とか風力とか、いわゆる自然エネルギー、再生エネルギーについては、それぞれご専門の、例えば太陽であれば京セラの稲森さんが委員ですので、稲森さんから太陽電池の技術の将来展望のお話を伺い、風力について言えば東海大の日本風力学会の、会長さんか副会長さんですけれども、関さんのご意見、その技術の将来展望についてのご意見を伺い、それを基に、2005年、2010年というタイムスパンの中でそれがどれだけ寄与できるかということを考えたところ、やはりそうしたものは、現状では経済性からも実現可能規模からも補完的な位置付けに留まらざるを得ないのではないかという判断を得たわけです。
つまり21世紀の2100年とか、我々のこれからの投資活動によって変えられる未来の議論をする場合ならいざしらず、毎日毎日こうやって電気を使い、経済がある程度の成長することが求められている中で、我々がいまここで言えることは、石炭が非常にたくさんあって、原子力をやめても石炭でやれるドイツのような国と違って、何も持っていない我々の今日、明日の選択としては、一方で省エネルギーに最大限努めつつ、それぞれの技術を最大限に活用していくのが正しい選択ではないか、そうとすれば、原子力についてはそれの持つエネルギーセキュリティとか供給安定性への寄与能力とか経済性というような特性を考えてみると、これをエネルギー供給率のこうした特性を確保していく観点から、これを適切な割合に維持していくことが合理的な選択ではないかと結論したところです。
それから、中島先生から人材育成の話と、大学の原子力施設が管理面で高負担と、これは大学でそのように陳情しているのでここで言われると困ってしまうのですけれども、これについてお話しがあったわけですが、中でも人材の問題についておっしゃられたことは非常に重要なことと私どもも認識していまして、産業界の問題として第二分科会でも深刻な議論をさせていただきました。そして、これに対しては産・国・学がそういう問題意識を共有してそれぞれに努力して新しいスキームを考えていくのが重要ではないかという議論が多く、それが、報告の基本的なトーンになっているかと理解しています。
それから、斉藤さんからリスクの問題、私はリスクの議論はそれなりに勉強させていただいているつもりでありますが、ご指摘、いちいちごもっともだと思います。この長計の中でもリスクについては、策定会議あるいは第二分科会、あるいは第一分科会でも少し議論があったと理解していますけれども、議論を致しました。それで、結論としては、「原子力に伴うリスクについては、自然放射線や身の回りのリスクも含めて、広く国民に説明していくことが重要」という書きぶりではありますが、そのことを今後我々はよく考えなければならないとしています。
リスクの問題は長く議論されているのはご承知の通りでありまして、しばしば引用される「我々の共通の未来」というプルントブラント報告でも、エネルギーに関するリスクというのは非常に小さいものから大きいものまであるのだけれども、例えば風力1つとってみてもノイズの問題があり、渡り鳥が死ぬとか色々な問題があるけれど、なかなか人々はその大小関係について必ずしもそれに比例した関心を持たないとしています。どちらかと言えば再生エネルギーに共感をもっての書きぶりをしているとされている報告ですが、実は再生エネルギーのリスクもあるのに、なかなか世の中そう思っていないとしているところもありまして、これはどの立場を取るにしろなかなか難しい問題です。
ですから、ここではリスクコミュニケーションというのがこれから非常に重要ではないかと指摘させていただいているところです。以上です。
(森嶌)
それでは第三分科会の鈴木座長、お願いします。
(鈴木)
ありがとうございます。鈴木です。「もんじゅ」あるいは高速増殖炉、もしくは高速増殖炉サイクル技術に関連してご意見のあった点につきまして、第三分科会、あるいは全体の策定会議のところでどのような議論があったか、現在の長期計画案に即して少しご説明させていただきたいと思います。
策定案では13ページから14ページにかけて、まず高速増殖炉サイクル技術、「もんじゅ」あるいは高速炉自身も含めてですが、どのように位置付けているかということについて言及しています。
13ページの2−2の少し前のところに、その上のところに、諸外国においてどのようになっているかの認識も書いてありまして、この点、ご指摘のように欧米諸国は経済性、あるいは政治的な理由から、一定の技術的成果を上げつつも開発を中止したり、方針を転換を図っていると認識しています。わが国では、それではどのような捉え方が必要かという部分は、13ページの下から数行目から14ページにかけてありまして、一言で申し上げれば、この高速増殖炉サイクル技術は不透明な将来に備え、将来のエネルギーの有力な選択肢を確保しておく観点から着実にその開発に取り組むことが重要ではないかと考えた次第です。
やや具体的には報告書では33ページから34ページ、あるいは35ページにかけて、それでは研究開発のあり方と将来の展開をどのように考えるべきかということについて言及しています。33ページの下から十数行目あたり、5−1から、諸外国で特に欧米諸国で方針の転換を図っているにもかかわらず、なぜわが国が高速増殖炉サイクル技術の開発に取り組むのかという点については、わが国では先進国の中でも特にきわだったエネルギー資源小国であって、長期的あるいはグローバルな観点から見ると、世界における将来のエネルギー問題の解決を目指し、その技術的選択肢の確保に取り組んでいくことが重要ではないかということで、そのようなものの一環として考えたときに、そのような技術的な選択肢の中でも潜在可能性が最も大きいものの1つと位置付けてはどうかということで、この報告書案ができているわけです。
その潜在的可能性の最も大きいものの1つという意味でありまして、これはすなわち高速増殖炉サイクル技術を仮に捨てる、放棄するということになると、逆に言えば、そのことに伴うリスクも非常に大きいであろうという意味も含んでいるかと思います。
高速増殖炉サイクル技術の技術的な特徴としては、そこにありますように、色々な燃料形態等に対する柔軟性があるということで、色々な利用の仕方があり得る。つまり、将来的には廃棄物問題の解決にも貢献しうるのではないかと、そういう観点も踏まえ、34ページ以降に、実際の研究開発の方向性としては、そのページの上から7〜8行目にありますが、ポイントの1つは、この長期計画において新たに1つの考え方として示しているものが「幅広い選択肢を検討し、柔軟に取り組む」ということです。ですから、高速増殖炉サイクル技術の開発は、もうこれ1本だということではないということを、かなりはっきりと打ち出しているかと思います。
ただし問題は、その場合に色々な選択肢を検討していくにあたっても、その比較評価のベースとなるもの、これがまず必要であって、そういう意味ではこれまで最も開発が進んでいるMOX燃料とナトリウム冷却を基本とする技術がやはり大事ではないか。そういうことの評価に優先的に取り組むべきではないか。
そのような考え方から「もんじゅ」の早期運転再開については、その根拠がはっきりしないというご指摘がありましたが、そのような観点からすると、いま申し上げました比較評価のベースとなるものを早期に、優先的にその評価を行うという観点からすると、「もんじゅ」の早期運転再開が適切である、と。その初期の目的というのは、発電プラントとしての信頼性の実証と、その運転経験を通じたナトリウム取り扱い技術の確立と考えています。
その柔軟性ということは、他の技術開発にも併せて取り組むと同時に、その適切な段階において、技術的評価のみならず研究開発政策等の見直しも含めて、ずい時評価を行っていく。そういうことを通じて、柔軟性を確保する。この点も、今回の長期計画において強調している点です。
最後に、このような「もんじゅ」を中心とした高速増殖炉サイクル技術に関する論点については、これはいわゆる「もんじゅ」事故以降、色々な議論がなされてきているわけでありまして、従いまして、このような結論が、今回の長期計画の策定の場において唐突にそういう議論になっているとは私ども認識していません。いわゆる円卓会議、あるいは新円卓会議と呼ばれる場においても、色々な方々から多様なご意見が出されたわけでありまして、特に今年の春に出されたいわゆる新円卓会議のご提言につきましては、これについても分科会の場で議論をさせていただいて、その中の選択肢の2番目をやはり採用するのが適切ではないかということで、つまり、策定会議の場に先立つ色々な多様なご意見、ご議論というものを私どもなりに勉強させていただいて、このような結論にさせていただいたということです。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは研究につきまして、秋山第四分科会座長からお願い致します。
(秋山)
大学の原子力関連教育施設の問題につきまして中島先生からご指摘のありました点を中心に、第四分科会でどのように検討し、見解をとりまとめたかというあたりを中心にご報告申し上げます。
まず原子力の研究開発を進めるにあたり、大学の果たすべき、また実際果たしてきた役割、これは大きくは人材育成と基礎・基盤研究に大別されると思いますが、それらを含めてきわめて重要な役割を果たしてきたということを踏まえ、今回の策定会議におきましても関連の議論を進めたわけです。
これに関連する背景認識としては、お手元の報告書の36ページあたりから具体的な文章でまとめてありますが、要目を追いますと、原子力の科学技術の基礎研究、これは原子力発電という実用、エネルギー利用が現在では中心になっていますが、それに関連する様々な多様な可能性がありまして、それらの可能性をこれからますます引き出し、また将来の関連の技術革新の展開に資するような、様々なシーズを生み出すということが期待されるわけです。
これらの基盤研究ですが、原子力の分野のプロジェクト研究及び他の科学技術分野の発展に寄与することが期待されていまして、国が競争的な資金の活用も考慮しながら研究者の独創性を重視して進めるということでありますが、研究環境の整備がわけても重要であり、ご指摘のように、人材育成機能を有する大学の原子力周りの環境を維持し、また改善していくということが重要であるということを、37ページあたりにまとめたところです。
学術研究や基礎・基盤研究、医療、人材養成等に、大学を含めて大きな基礎研究の役割、あるいは研究炉の役割が期待されるわけですが、最近ではご案内のように特に社会との接点という意味で、多くの方々に研究炉の実情を実地にご体験いただくということも含めて、様々なプログラムが展開されています。こうした研究用の原子炉について、今後の前向きな役割を見定めながら、そのあり方について現状の問題を改善しつつ、あり方を更に検討を行うことが必要であるということ、そして、問題として、いま色々議論されている使用済燃料の取り扱い、あるいは高濃縮ウラン燃料の期限内への関係国への返還等をきちんと処理するということも重要であると、このようなことを長計の中で議論致しました。以上です。
(森嶌)
ありがとうございます。それでは委員の中で、策定会議の経緯について、何かこの際ご説明はありますでしょうか。はい、吉岡委員、どうぞ。
(吉岡)
斉藤さんの意見というのは同意できる点が非常に多かった。私は原子力について批判的ですけれども、その他の科学技術全般について批判的であって、社会としての制御、つまりコントロールが行き届いた状況で暴走しないようにする仕組みが必要だと考えているわけです。その一環として「石油文明はひどいぞ」ということを原案に入れろということをかなり強く主張したわけです。どこがひどいかというと、エネルギー利用としては莫大な汚染物質を放出する。更にエネルギーだけではなくて、化学物質としての利用についても、最近話題になっている環境ホルモンを始めとして、様々な危険物質を放出する。更に動力としての利用の花形は自動車だが、自動車というのは日本だけで年間1万人以上の人間を殺している、傷つくものは更に多い。このように様々な負の要素が、石油はもとよりあらゆる種類のエネルギー源につきまとっているのであって、それを包括的に減らしていくべきだということを主張したのです。それは報告書の文面に部分的とはいえ反映されたと思っています。斉藤さんの意見はどちらかというと、ややましなリスクについては寛容な態度をとれと、そのようなニュアンスを受けました。しかし全部を厳しく取り締まるべきだというのが私の考えです。
それと、中島さんの意見については、原子力の教育は大学院レベルでやれという点については非常に共感するところが多いわけですけれども、もともと、私は歴史家なのでつい悪口を言いたくなるのです。東大ではもともとは大学院レベルで、学部横断的に原子力教育研究の組織を作ろうということで活が始まったと思うのです。それが最終的には工学部の原子力工学科となってしまった。それを大学院レベルに組み替えるのはよろしいとは思うのですけれども、その場合工学系研究科でやるのか、それともより広い枠組みでやるのか、あるいはもう少し広げて、1大学ではなくて大学連合のようなものを作ってやるのかというところまで、我々は改めて議論しなければいけないということを感じています。
それと、最後に西尾さん、時間がないのですけれども、私は西尾さんの味方だと思われているらしいですけれども、中立的な立場から言います。確かに民間事業については民間企業が責任を持ってやってほしい。国は誘導策のみを述べるべきである。報告書には「期待」という表現がたくさん出てきますが、これでもやや言い過ぎだという気はしていたのですけれども、命令調から「期待する」調になったのはおおいなる改善だと思いまして、妥協したわけです。
それで、最近島根原発とかあるいは川内原発とかで増設の話が出ているのですが、私はどうも身を切られる思いがしています。どういうことかというと、電力会社が非常に大きな経営リスクを抱えることになるのではないか、と思います。規制緩和が進む時代にこれが理由になって倒産するのではないか危惧します。私は国債発行についても身を切られる思いをしていますし、公共事業10兆円とかも身を切られる思いはするのですけれども、原発増設についても本当に大丈夫なのかという気がしています。その点では国としては電力は公益事業ですからその安定供給を誘導するという責任があるわけですから、その辺を、倒産しても消費者が困らないような仕組みにしてくれるとか何とか、そういう国のイニシアティブ、誘導措置としてのイニシアティブが何か必要ではないかという気が最近強くしています。以上です。
(森嶌)
策定会議の側でのご説明ということだったのですけれども、いまの吉岡先生のお話しからもわかりますように、策定会議では色々な意見が非常にオープンになされていたと、その意味では策定会議の議論のプロセスの一端を吉岡さんが紹介されたような感じが致します。
それでは、これから時間は非常に短いですが、質疑応答という形で、これはどちらからどちらに向けても、あるいはどなたかに向けても結構ですが、ご質問の場合にはだれにということと、何をということが明確になるようにおっしゃっていただきたいと思います。どちらからでも結構です。どうぞ。では、西尾さんどうぞ。
(西尾)
すみません。色々なことを言わなくてはいけないと思ったのですが、それを言っているとたぶん時間がないでしょうから、特にその国と民間の役割ということについては、やはり「期待する」というのもちょっときれい事かなと思いますけれども、そこは後半で飯田さんがたぶんまだ引き継いでやって下さるのではないかと思うので、それはとりあえず置いておきます。
ただ、今回「こう考えています」ということを述べて、国民の意見を広く承るというお話がありました。その意味で言えば、国民の意見というのを本当にどうやって受けとめて、それを生かすのかということについては、きちんと考えていただきたいということだけを申し上げておきます。
あとは近藤部会長、鈴木部会長のほうに質問という形でお聞きしたいと思うのですが、1つはプルサーマルには固有の役割があるのだとおっしゃった。そこについて議論している時間はたぶんないと思うのですが、第二分科会の中でも「再処理をするからプルトニウムが出てくるのですか。プルトニウムの使い道があるから再処理をするのですか」ということに対して、電力会社の方のお答えは「再処理をするからプルトニウムが出てくるのです。ただし、再処理は必要なのです」というお答えだったと思いますので、ちょっとそれだけご紹介しておきます。
その上で、本当に需給のバランス、それこそ2100年とか2200年という話ではなくて、まさに2005年、2010年と別のところでおっしゃいましたけれども、その時の需給のバランスというのは具体的にどう取るのか。2005年に六ヶ所再処理工場の運転開始をすることが書いてあるわけですけれども、では、その2005年までに、例えばいま現在待っているプルトニウムのいわば余剰分、さしあたってすぐに使っていない分を、2005年までにはその分はどれぐらい減るのか、どうなのか、そういったことについてもちゃんとした検討がされているとはとても思えない。
プルサーマルで使う、それから研究開発と言いますけれども、特にその研究開発のほうについて言えば、「もんじゅ」はいま動いていないわけですし、「常陽」も止まりますし、「ふげん」はいずれ廃炉になるわけです。そうすると、研究開発のほうも使い道がはっきりしない。そういう中で「再処理を2005年に」ということをわざわざ言うことの意味はどうなのですかということをお聞きしたいと思います。リスクの話とか、色々言いたいことはあるのですけれども、具体的な話だけにしたいと思います。
それから、「もんじゅ」の話なのですけれども、まさに「不透明さに向けて云々」ということ自体が非常に不透明なご説明かと思いますけれども、唐突ではないと言われて、そして新円卓会議ということも言われましたけれども、新円卓会議の提言自体が、新円卓会議に一応そこでも意見を述べた立場からすると、それこそ唐突で「そんな議論はしていなかったじゃないか」というのが印象ですけれども、それも置いておいておきます。
「もんじゅ」なのですけれども、先ほど所期の目的として、「発電プラントしての信頼性の実証と、その運転経験を通じてナトリウム取り扱い技術の確立という所期の目的を達成する」というのですけれども、本当にこれが「もんじゅ」の所期の目的だったのでしょうかということをお聞きしたい。「もんじゅ」の運転を始める時に、安全委員会のほうから「ナトリウムの取り扱い技術についてはきちんとやって下さいね」という注文はつきました。それに対して当時の動燃事業団は「ナトリウムの取り扱い技術は確立しているのだ」という答え方をしているわけで、いま事故が起きたあとになってから、「ナトリウム取り扱い技術の確立というのが所期の目的だった」と言われると、「あれ、こんなことは始めにどこに書いてあったのだろう」と思います。その辺も含めて、やはり不透明という印象は非常に強く持っています。
(森嶌)
それでは時間の関係もありますので、なるべく簡単にお答え下さい。
(近藤)
利用目的を持たない余剰のプルトニウムを持たないという原則、これは策定会議の場でもその解釈を巡り、色々なご意見がかわされたことは、西尾さんのご存じの通りでありまして、その結果してこのようなポジションがここに記載されているということです。
第二分科会においては、もう少し技術的な検討ないし経済性の問題とか、バランスの問題とかを議論しました。第1のポイントは日本の原子力政策の中で核燃料サイクルの持つ意味合い、これについては、先程述べたことに加えて、鈴木先生がおっしゃられたような不透明な未来に対する備えとしての適切な投資という評価もありました。そして、再処理によりそれ自体有意義であり、プルトニウムを利用していくこと、それが事業活動としてなされることは、将来の新しい技術実用化の準備的な活動しての意味もあるだろう。そういうトータルな視点から事業者がかくかくしかじかのプルサーマル計画を持っているというところ、それについては、適切であると評価したわけです。
第2に、「余剰」についてはおよそ常識があるわけです。事業を行う以上、ランニングストックは必要でしょうし、計画自体未来のことですから。先のBNFLの問題のように想定外、想定外というとまた怒られますけれども、将来のことは不確実性がある、そうしたことで、このストックが増加することもあるかもしれない。つまり、利用する限り余剰が生じるのは当然です。それは経営の問題として、電気事業者が管理していくことになりますが、国としては、それが常識の範囲にあることを前提に厳格な保障措置規制の下でプルトニウムのマネージメントがなされることは適切だと考えたわけです。ただし、この範囲に入らない、「利用目的のない余剰プルトニウムは持たない」のです。そのことによってわが国のプルトニウムを巡る核不拡散政策がきちんとしていると、そういうことなんだとわかるように、平和利用にかかわる透明性を確保する。このことにこそ力点を置くべきだということが、様々な議論の結果としここに述べられているのです。
(森嶌)
それでは鈴木分科会座長、お願いします。
(鈴木)
ご質問の1つとしてありました「ナトリウム取り扱い技術の確立というのが元々初期の目的だったのかどうか」というお尋ねですが、ここの表現をちょっと注意していただきたいのですけれども「発電プラントしての信頼性の実証と、その運転経験を通じたナトリウム取り扱い技術の確立」ということでありまして、西尾さんもよくご存じのように、よく言われる要素技術としてのナトリウム取り扱い技術というよりは、発電プラントとしてそれを運転し、その運転を通じたナトリウム取り扱い技術の確立が重要だと、こういうことだと私どもは理解しています。
要するに温度変化、あるいは取り扱うボリューム等々、これはそういうプラントをやはりきちんと運転する経験を得ることが非常に重要だというのは、私どもとしては自然に理解できるのではないかと思っています。
もう少し本質的と言いますか、つまり議論が十分尽くされていない、あるいは新円卓会議でも、あそこで出ている提言そのものが唐突だというニュアンスのお話もありましたが、よく西尾さん始めそういうことをおっしゃる方はいらっしゃるのですが、議論ももちろん大事だと思いますけれども、しかも拙速にことを運ぶというのはよくないと思いますが、しかし議論をする素材というか、基本というか、あるいは前提、そういうものとして、やはり技術的な色々なベースというか、情報、知見、それも必要なのであって、すべてほとんど経験のないことについて、想像というか、要するに具体的な技術的な根拠ということをほとんど持たずに議論をしているということも、これも大変私のほうからすると難しいのかなと。
ですから、ここで申し上げていることは、一度決めたらそれで邁進する、全然後ろを振り向かないということではなく、ともかくいまここで、ここまではやったらどうでしょうか、と。その経験を通じて色々な評価を受け、自らも評価し、特に透明性に留意して、その開発を進めるという考え方はどうでしょうか、ということを書いているつもりです。以上です。
(森嶌)
それでは長島さん、名宛人を明確にして、短く。
(長島)
鈴木先生と斉藤さんに1つずつ質問があります。
48ページを見ていただきたいと思うのですが、核燃料サイクルというのが、この絵は昔から、十何年よく出てきているわけですけれども、各々のサイクルの周期については、だれも、色々なところを見ても、出てきません。上の軽水炉サイクルが何年かかるのか、真ん中のMOXのサイクルが何年かかるか、プルトニウムのサイクルが何年かかるかということについて、今後は、国ではっきりと年数を書いていただきたい、ということをお願いしたいと思います。
この年数によって私たちは何を考えるかというと、要は中間在庫、仕掛品の在庫が実際の発電量の、例えば年間1,200トン使用済燃料が出るとすると、10年かかれば10倍我々の民間の道とか色々な所にうろうろするということを認識しなければいけないわけです。ですから、このところの年数が何年かかって、そしてどう移動するのだということを必ず明確に書いていただきたい。
これはちょっとしたことで動燃の人に聞いてみたら「一度も回ったことはないからわからないよ」ということではぐらかされましたけれども、結局問題なのは、使用済み燃料が熱くて、最初は触れなくて、何年も放っておいて、それから右往左往しながら元に戻した時に何年かかるかということです。我々の工場では工程在庫をいくら持つのだということは非常に重要なファクターなわけです。
ですから、学者さんのこの夢物語、高速増殖炉自体は1945年の、50年前の発明なわけです。その発明をいまだに実施できないところは何なのかということをやはり真摯に考えていただきたいと思います。
もう1つは、斉藤さんが先ほど画期的なことをおっしゃったので多少びっくりしたのですが、要は核廃棄物が600年たつと10円玉ぐらいの毒素だということを言われたのですが、これは私の聞き間違いなのか、それともどういう根拠でおっしゃったのか説明していただきたいと思います。
(森嶌)
時間がもうほぼ前半終了していますので、鈴木分科会座長からのお話があればということで、斉藤さんに向けられた質問にはお答えがおありだと思いますけれども、残念ながら打ち切らせていただきたいと思います。
(鈴木)
それでは48ページの絵ですが、この軽水炉燃料サイクルのサイクルで最も時間がかかるものは2つあるかと思います。1つは天然ウランを調達して、それを実際加工し、発電所の燃料として使うまで、これはウランを調達するというのはいつの時点を開始したものだとするか、これは契約等があって外国との関係ですから、ここは色々なケースがあろうかと思います。しかし、それはあまりご心配されている点ではないかと思います。
そして、軽水炉の発電所では、通常、炉心の中に3年ないし5年位滞在しているかと思います。その後、再処理工場にどの位の期間を経て持ち込むかですが、これも色々なケースがあろうかと思いますが、ある程度冷却を要することはその通りでして、大雑把に言うと、大体10年位かと私は考えています。色々なケースがあるかと思います。それで再処理をして、そしてMOXに作り、これをプルサーマルと言われているものに戻せば、この軽水炉のいわゆるリサイクルができるということかと思います。
従いまして、大体毎年わが国の現在の発電規模ですと、使用済燃料にして1,000トン位発生しているかと思いますが、いま現在は1,000トン弱だと思いますが、しかし大雑把に言って1,000トン、それを10年位、主としてそれはどこに保管してあるかというと、発電所の中に安全に貯蔵するということで、従いまして、その間どこかをうろうろしているということはないかと思います。
高速増殖炉に要する時間、これはMOXにして、これを利用し、そしてこれは大体2年か3年か、いわゆる炉心かブランケットかにもよりますが、年のオーダーで燃料として使い、これを再処理する。これも冷却する必要があって、これも大体私の感じでは平均的に言えば10年位。しかし、将来これが非常に実用化されて、より発電を続けなければいけないというものとしてこの高速増殖炉サイクルが位置付けられている場合は、これはより短くなろうかと思います。いま私が想定するようなものというは、大体そんなものと思っています。
(森嶌)では、どうぞ。手短にお願いします。
(斉藤)
はい。策定委員の方々にご質問させていただくかわりに、いまの長島さんへのご質問回答を少しだけさせていただけますでしょうか。
600年後に銅と同じぐらいだと申し上げたのは、これは決して私がそれほどちゃんと評価したわけではありませんで、実はバーナード・L・コーエンというアメリカの先生の著書を引用したものです。近藤先生が監訳されている本ですけれども、そちらのほうから引用させていただきました。だからといって、高レベル廃棄物が必ずしも危険ではないということをこの場で申し上げたつもりはなくて、むしろ専門家以外の、私自身もそうですけれども、一般の方々、私自身もそうですけれども、高レベル廃棄物というのは一体どのぐらいの毒性があるのかというのをやはりわかっていないと思うのです。私自身もわかりません。ですから、例えばそういった評価例がありますという例でご紹介したのですが、そういった他の廃棄物と比べていったいどれぐらいのところにあるのだろうというのを一度確認するプロセスというのが必要なのではないかということで申し上げました。以上です。
(森嶌)
どうもありがとうございました。こちら側からもまだおありかと思うのですけれども、すでに前半の時間を5分過ぎていますので、大変貴重なご意見をありがとうございました。それでは前半のご意見の発表はこれで一時終わらせていただいて、あと休憩時間等については事務局のほうから。
(事務局)
それでは事務局のほうからご案内致します。まず、意見発表者、策定会議委員の退場となりますので、一般傍聴の方々は恐縮でありますが、ご着席のまましばらくお待ち下さい。
では、この間に一般傍聴の方々に休憩に際しまして、注意事項をご案内致します。再入場に際しましては、いまお付けいただいていますバッチが必要になりますので、常にご着用いただきますようお願い致します。またこの会場を出たカウンターの所にお飲物を用意してありますので、ご利用下さい。なお、本会場、フロアー内での飲食はできませんので、ロビーでお飲みいただきますようお願い致します。また、喫煙につきましてですが、カウンター脇に喫煙所がありますので、そちらをお願い致します。
それでは休憩に入らせていただきますが、5分程延びましたので、15時30分、午後3時30分から後半をスタートさせていただきたいと思いますので、定刻までにご着席いただきますよう、お願い致します。以上です。
−−休憩−−
(事務局)
それではお時間になりましたので、ただいまより後半の部を開始致します。森嶌座長代理、よろしくお願い致します。
(森嶌)
はい。それでは後半のご意見を伺いたいと思います。後半の意見のご発表はふじおかさん、松浦さん、平野さん、大間知さん、飯田さんの順でお願いをしたいと思います。前半同様にお一人10分ずつの時間でご発表をいただいて、それが一通り終わりましたら、策定会議の側から策定会議の考え方等につきましてご説明を申し上げ、その後に質疑応答ということでやってまいりたいと思います。それでは早速ですがふじおかさん、よろしくお願い致します。申し上げるまでもないのですが、10分ということでお願い致します。
(ふじおか)
ふじおかです。今度の長期計画案、非常に危機感を感じました。やはりこれまで通りにやるのだというご方針を貫いているという感じが私としてはしたわけです。これは最近、中曽根康弘さんが「21世紀日本の国家戦略」でお書きになっていることと重なっている。これだと日本は超やばいと思ったわけです。中曽根さんは1945年8月6日に高松から原爆の雲を見て、非常に強い印象を受けられた。それが発端ですが1954年の3月、ビキニ被爆の直後に2億3,500万円の「独断専行追認期待」的な予算として歩を進められた。そして、2人の死者、もうすぐ1年になりますがJCOの事故を経ても、「リスクがあっても堅持すべし」と謳っておられ、長計案もこれと重なっている。これではだめだと、本当にそう思うのです。
この間、選挙がありました。新潟2区では桜井新さんという元環境庁長官の肩書のある方が、もっと原発に、立地現地に金を投下してやるのだという方針が、やはり脱原発で自然エネルギーをやっていくという新人に敗れた。これは巻町の原発をやめたいという町と、それだけではなく柏崎原発の地元の刈羽村、そこでも負けている。国民の意思と長計案はものすごく離れている、これを何とかしてほしい、どうしたらよいのだろうと、本当にそう思うわけです。原点を間違えているのではないか。
原子炉の父と言われたエンリコ・フェルミさんは、もう原爆を完成する前から「こういうものは、人々の受け入れるものにならないだろう」とおっしゃっていたそうです。これは高木仁三郎さんの「原子力神話からの解放」、最近のご著書で読んだのですが「そうだったのか」と僕は思いました。イタリア人は、チェルノブイリ事故の1年後に国民投票で全部やめてしまおうということになって、もう4つあったものが全部ない。ドイツが最近、ぼちぼちやろうかという方向で合意しておやりになる。日独伊のうちで、そこは前向きにいっている。日本は本当に世界の重荷になるだろうと思うのです。そういう中では、やはり原点としての被爆体験、ここに戻らなければいけないのだと、僕はそう思ったのです。 、広大の理論物理学研究所長、この方が被爆体験に立って「絶対にやってはいかん」とおっしゃったと。これは伏見康治さんの「時代の証言」で読んだのですが、「あっ、そういうことがあったのか」と思って、そこに戻らなければいけないのではないかと思うのです。一日も早く、そういう方向に転換をせねば、日本はやばいですよ。
それを達成するには、人々の声が反映する場を作らなければいけない。これはいまの枠組みでは僕は不十分だと思うのです。一歩ぐらい進んだかどうかは知りませんけど、それはあれしますけれども、農水省などがやるコンセンサス会議、素人が納得いくまで専門家から説明を受ける。納得できるところで、この方法でいこうじゃないかというものを出す。そういうものを農水省が別分野でおやりになる。やはり日本政府の中にもそういう部分がある。これを原子力でもやってほしいと思います。
そういうことで、枠組みとして非常に不満だけれども、その中でどこまで言えるのだろうということで、私としてはリスクということですね。5月9日に、実は浜岡の5号炉の現場を、いまこれから建てようとする地盤を見たのです。火山灰の層がぐにゃりとうねって、ばっさりと切れている。切れているわけですよ。その上に建てることになりますね。火山灰の層、砂岩、泥岩、互層と説明されました。「ああ、そうか」と、これは僕は非常に不安を感じます。本当に大丈夫なのでしょうか。大きな地震があって、そこから地震が起こるとは言わないにしても、そのときに「あっ、あそこ、切れているな」というのが見ていてわかるわけです。写真を撮った人もいますけれどね。カチンとやって叩いたら、何ではつったか知りませんけれど、そのはつりがあるところで力が止まって、むこうに行かない。伝わっていない。こちらの壊れ方と向こうが違うから見えるわけですね。こういった部分は本当に大地震が出たときに、その両側で同じように動いていくのだろうか。これは、非常に僕は不安を感じました。
それを見学したときに「近くに見える海で津波はどうですか」と聞くと、専門家という方が「6mの想定津波に対して大丈夫だ」と答えました。ところが、僕はここにちょっと書いてますけれど「ギネスブック」の津波というところにどんなものが書いてあるだろうと思って見たら、360m、ノルウェー沖、シェトランド諸島か何かの数値が書いてありました。付記して八重山津波のようなものも書いてました。百科事典の「津波」というところを見ると、八重山津波は80mを超すものだと、こういうものが歴史的にもあって、石垣島の頂上を越えていったような書き方をしている。
南海トラフ、この辺は泥岩、砂岩、互層というのは何でできるのか。これは平朝彦さんですか。岩波新書に書かれています。これは泥岩はシズシズと積もる。ときたまドドッと砂が押し寄せてくる。それが30cmぐらいあって、シズシズと積もるのが5cmぐらいある。500年に一度ぐらいだという書き方をされていたのですが、富士川から四国あたりまでダーッと何らかのきっかけで海底地滑り等が起きる。その辺にはまた最近は天然ガスの水と水和したメタンハイドレート等もあったりして、そういったものを結構天然ガス源として使ったら、非常にうまい使い方をすればよいかもしれないけれど、逆に怖い。ブローアウトして、ガス化して、大津波になる。そうなると360mも出たり、80mも出たり、6mで留まらないものもやはり「ギネスブック」にも載っているのだから、その辺を「想定外」とそのときに言われたら困る。名古屋のこの間の雨は「想定外」ということで言われましたが、雨だったら想定外でも大体は素人が多少はあれしてやりますけれども、原発津波リスクは怖いわけです。これは何とかしてほしいと思います。
そういったリスクがあるから、地震については石橋克彦さん等が「原発震災というのはやばいよ」ということもおっしゃっていますし、海辺の原発は、僕は津波のほうがひょっとしたら怖いかもしれないと思うのですが。だから、そういった話を僕は国会議員さんに「こういった石橋克彦の原発震災論をどう思うか」と送り付けて、「どう思うかと」言ったら「重く受けとめるべきであると思う」と、与野党ともそういう意見もあるわけです。
そういったところを、それに関わって化学反応の1億倍とか、そういったエネルギーがドバッと、JCO事故の1mgではないその10億倍か何かになる量が、一挙にメルトダウン等で環境に放出されることが可能性としてあるわけです。現実にも起こっている。これで日本壊滅にならないように。それにはもう、津波のようなものはそれ自体として不幸だけれども、それだけだったらその地域の問題だけれども、それがメルトダウンに波及することになると、日本から国を捨てて皆、ユダヤの民ではないけれど、本当になっていくかもしれない。どうなるのだろうと、この辺を本当に考えたら、コンセンサス会議をやって早くやめる。ここのご面々様の中ではそういった方向が出ないのだったら、自分たちでは1つの限界かもしれないというところで。中曽根さんの路線を脱却して、やはり原点、 さんのあれに戻って。
吉岡斉さん等も中日新聞エリアでお書きになっている、これをやっていくと2人の死者だけではないと、2,500人・シーベルトこれまで被ばくしている、20人・シーベルトだったら100人以上がガン死している勘定になる、これをやはり情報開示をしてほしい。最近もぱらぱらとその関係を見ますと、100人・シーベルト毎年ということになる。これも5人ガン死、白血病死等をされていることになる。これはもう中電管区でも嶋橋伸之さんについて、「息子はどうして白血病で死んだのか」と、本にもなっていますけどね。
(森嶌)
ふじおかさん、恐れ入りますがもう10分を過ぎていますので。
(ふじおか)
そういったことをね、やっぱりこういうものが反映された長期計画。基本的な視点、被爆者の視点を忘れない、これについて訴えたいと思います。よろしく。
(森嶌)
はい、どうもありがとうございました。それでは松浦さん、お願いします。
(松浦)
私が本日お話し申し上げたいことは、原子力教育、とくにそれに密接に関連しています放射線、放射能に関する教育のことであります。最近、原子力推進に関して、これ以上進めることに不安を持つ方々が大変増えているようですが、私は日本が置かれている種々の条件から、当分の間は少なくとも現状程度の規模で原子力に依存するのが合理的な選択であり、それには国民の不安をできるだけ軽減して国民の合意を得ながら進めて行くことが必要と考えます。
国民に不安を持たれている原子力の安全性というのはどういうことかと考えてみますと、原子力発電所の事故の確率と程度といったものと、付随する放射線の安全性、さらに放射性廃棄物に関することがあります。しかし、つまるところ、どの場合も不安を持たれているのは、原子炉とか放射性廃棄物処理施設からもれてくるかもしれない放射能が広がってきて、自分たちの健康に悪い影響を及ぼすのではないか、放射線は微量でも遺伝的影響があると聞かされているが、自分達の子孫にそのような可能性があるのではないか、それが心配である、ということだと思います。
したかって、国が原子力を現状のように、あるいは現状以上に進めようとすれば、国民の放射線・放射能に対する漠然とした不安、あるいはJCO事故で被曝された東海村の住民の方々のような具体的な不安をできるだけ軽減してやらねばなりません。またああいう場合に実際に被曝された方ばかりではなく、それに伴って風評被害といった非常に余計な社会的不合理性が起こったことはたいへん困ったことです。それはなぜかというと国民一般の方々が放射線・放射能というものをあまりにも事実以上に怖がっておられるからだと思うのです。
私どもはこういう状況を何とかして改善したいと考えています。別に原子力を積極的に推進しろというのではありませんが、こういう消極的にしろ推進せざるを得ない状況で、少しでも原子力推進の結果、実際的に被害を受ける方を少しでも少なくしてあげたいという気持ちで、私どもはボランタリー組織を作って活動をやっているわけです。
ここにおいでの先生方には釈迦に説法ですが、放射線は目に見えないから危険といわれますけれども、電気とか電波でも目にはみえませんが昔は危険視されていたのであります。電気や電波はその基本的な性質が多くの一般の方々に理解され、市民の皆さんは今や何らそれを危険と思わずに日常生活に充分に役立たせているわけであります。放射線も放射線検出器を使えばその存在はわかりますし、医学などで非常に有用に役立っていることは皆様ご承知の通りでありますので、ぜひ国民の多くの方々に、近代に生きる常識として、放射線・放射能の基本的な知識というものを、電気や電波と同じくらいに知っていただきたいのであります。
まず、重要な事実は、放射線・放射能というものは、もともと原子力開発とは全く関係なく、地球始まって以来我々の身の周りに存在するということでありまして、その量はどの程度かということはこの資料の後のほうに書いてあります。実際に放射線は地球の大地から、空気中から、また宇宙から降ってくるわけでありまして、また放射能は毎日口にする食物とか自分の体の中にさえ少量は存在しているわけです。
ですから、よく新聞などで「放射能もれ」だといって大騒ぎをされていますが、すべて科学的な現象とその効果というものは量が問題でありまして、たとえば健康のために良いものであっても、それを取りすぎると悪影響があることは明らかであります。放射線や放射能のように天然に身の回りに存在するものは、その量に比べて、JCO事故のときのように何千倍、何万倍も浴びれば確かに危険でありますが、その量が普段浴びている自然線量や自分の体内に含まれているものに比べて10分の1や100分の1を浴びたり入ってきても全く問題はないと考えるのが常識です。そういうものまで「放射能もれ」という言葉で片づけて、それは非常に悪いことである、ということをマスメディアの方が書き立てておられるのはたいへん困るのであります。
医療の放射能は非常に危険であると、昔はそれが本当だと思われていたのですが、最近は色々と、こちらにも専門家の先生方がいらっしゃるわけですが、大量の放射線と身の回りにあるくらいの少量の放射線では作用が全く違いまして、人間をはじめ生物体はひとりでに傷が治ったり、病気が治ったりするのと同じように、少量の放射線で少しくらい細胞に傷ができても修復する機能が備わっているのです。むしろ少量の放射線は生命体の維持のために必須なのではないかという「放射線ホルミシス」という考え方もあり、それを支持する多くの実験事実があります。
そのようなに、放射線、放射能は少しでもあったら危険だという考え方はもはや事実ではないのであります。マスメディアの皆様にお願いしたいのは、放射線、放射能に関して報道されるときに、いつも量的なことも考えていただきたいのであります。この間のJCO事故のあとの報道を私は注意してみており、また色々調べたのですが、実は案外というと失礼ですが、割合に正確な報道がされておられるのに感心したのです。しかし例外もあり、例えばある大新聞の社説に「放射能は見えないし、においもない。だが、体や衣服についたり、吸い込んだりすると人体をじわじわとむしばむ。」と書いてあるのです。社説に堂々とそういう間違ったことが書いてあれば、一般の方々はそれが正しいのかと思って、不安に思われるのは当然です。 それから、本日特に申し上げたいのは、社会教育におけるマスメディア及び学校教育の役割は非常に重要でありますから、それぞれが、それなりの義務を果たしていただきたいことであります。もし原子力委員会がこういう方針を決めたとなった場合には、それは、国の政策でありますから、できるだけメディアはそれを国民に正しくPRしていただきたい。また、原子力委員会だけが進めるというのではなく科学技術庁はもちろん、文部省、通産省、私が特に申し上げたいのは若い生徒・学生に、エネルギー問題や原子力の平和利用の重要性と、放射能の安全性については大量は危険だけれども少量は安全だということと、また先程も出ています原子爆弾のことなども、その歴史的、科学的事実を、こんど新たに学校の教育制度の中にできた「総合的な学習の時間」でもっとちゃんと教えていただきたい。これまでは放射線・放射能は高校での理科のうち物理を選択した人でしか学べず、それも3年生の最後にちょっと出るだけです。このような現状で、原子力の専門家を養成しようととか、それは無理というものです。
原子力の価値判断に影響が大きい放射線・放射能に関する基礎的知識は小学生のときからでも教えようとすればできるのです。今は「はかるくん」といいましてポータブルの放射線測定器が簡単に手に入りますので、実際に私どもの仲間で小学校の先生と一緒に身の回りに放射線があることを計らせた例があります。すると、子供たちは面白がって、こっちは高かった、こっちは低かった、とこの授業に非常に興味を持ったと報告されています。そしてこの程度の少量の放射線は何ら危険なものではないことを体験できるわけです。そのようなことをもっと文部省が先頭に立って、小中高の段階で児童・生徒の発育段階に応じた放射線教育をやっていただきたいのです。
ところが、残念ながら日本では、小中高の教育システムは文部省の決めた学習指導要領でがっちりと、小学校、中学校、高等学校それぞれでこれこれの科目ではこのような内容をこのように教えなさい、と決められています。しかも、皆様ご承知のように、今は理科の教育時間がどんどん減りまして、このままでは原子力に限らず、日本の将来の科学技術そのものも危ないのではないか、と危機感をもたれております。そこで教育制度を改善していただきたいと我々が希望しましても、教育制度を作っておられる先生方の中に理科系の人はそもそも少ないし、またその中にも原子力、放射線の専門家は全然おられない状況ですからなか改善されない。
一般の普通の理科教育専門家の方は、こう言っては何ですが、教員組織の顔色を伺っていると言うと悪いのですが、なるべく子供や学校の先生方の楽なようにどんどん教育制度を変えているこさえ思われます。そして物理とか化学のようなこれまでの我が国の発展に大きく貢献した科学技術の基礎となる科目を選択科目にいてしまっています。その中でも原子力や放射線は物理でしか教えなくてよいようになっています。今度JCO事故が起こって、少し学習指導要領が変わりまして、「理科総合基礎」「理科総合A」 「理科総合B」というものができ、このうち少なくとも1つは必修ということになり、そのうち「理科基礎」「理科総合A」では、エネルギーや放射線のことも教えなさいと、ということになりました。また、「物理」では中性子や臨界のことも教えなさい、と指導要領の「解説」に記載されて、少しは進歩した、いう状況であります。
問題は、今度の改定でもいまだに物理が必修でないところにもってきて、一般社会とか、政治経済とか、地理とか、保健体育とか、そのような理科以外の必修科目では、原子力推進に伴う放射能でこのように環境が汚染されて危険だということを教科書に堂々と書いてあるわけです。そのようなところを、私どもは数年前から教科書の記述をシラミつぶしにに調べて目に余るところは「これでは困る」と出版社に知らせたり、文部省に要望書を出したりしています。その結果かどうか、最近の教科書は少しずつ改善されていることは認めます。
しかし、根本的には日本の学校教育のあり方を諸方面から改善していただかねばなりません。その中に、このような国の政策をもっと正しく教えていただきたいことも含まれます。そのとき、私は決して原子力推進を押し付けるやり方で教えよとは申しません。原子力も、ほかの種々のエネルギー同様、その長所、短所をもっと客観的に付記して、そして生徒に判断力を持たせることが必要であると思います。もちろん同時に、放射線・放射能のような基礎的なことは必修科目として生徒全員が常識として学べるようにしていただきたいと希望します。以上です。
(森嶌)
はい、どうもありがとうございました。それでは引き続いて平野さん、お願いします。
(平野)
群馬から来ました平野です。原子力の研究開発及び利用に関する長期計画で、原子力と砂漠の開拓について話をしたいと思います。
現在のわが国の経済状態は不景気から抜け出そうと、国民、国およびあらゆる人々が努力をしています。国民生活の経済活動の活発化の基礎は、安価でクリーンなエネルギーの実現にあるのではないかと考えます。過去の石油ショックや、最近の消費税の引き上げなどが、国民生活の経済活動を停滞させた原因になっていることなどがその例です。そして、21世紀のエネルギーの中心は太陽電池、核融合等による電気水素エネルギー及びバイオマスエネルギーとなり、それまでのつなぎとして従来の核分裂、天然ガスおよび石油、石炭などになるのではないかと考えます。この中で核分裂の高能率化について特に述べます。
理想の原子力は核融合炉の実現ですが、残念ながら早くても21世紀の中頃となりそうです。この核融合でも1つ難問があります。熱汚染の問題です。しかし、砂漠を緑化することにより、許容範囲に収めることができるのです。その点、太陽光発電は理想的なエネルギー源となります。屋根や砂漠に設置する場合においてです。静止軌道の太陽光発電はマイクロ波で送電し、地球上の温帯や亜寒帯の砂漠に受電点を設けるのが適当かと思います。これも熱汚染の心配がありますが、砂漠を緑化することにより許容範囲に収まります。
なぜ砂漠を緑化すると許容範囲になるかというと、温暖化の原因になっている二酸化炭素そのものが少なくなるからです。それと亜熱帯砂漠の太陽光発電は、水を電気分解して、水素と酸素と重水を得ることができます。電気分解の水素は純粋であるので、水素貯蔵合金に溜めておくのに大変適しています。純粋な水素は水素貯蔵合金の寿命を長くします。また、この水素、酸素は、ゴミの処理に使っているガス化溶融方式を高度化することにより、燃料として使うとゴミの再資源化が実現し、水素、酸素燃焼は最高温度が2,800℃にまでなるので、ダイオキシンもほとんど出さずに、ゴミの資源化ができるのです。
また、原子力による発電と海水淡水化フラッシュ蒸発法との兼用ですが、いままで例外的にありましたが、原子炉の熱は海に捨てているほうが発電より圧倒的に多いのが現実です。水より石油が安価な国、アラブ諸国において、火力発電と海水淡水化装置、フラッシュ蒸発法の両方を兼用して使っているものがあるぐらいで、わが国においては例外を除いて火力、原子力とも発電で残った熱を海に捨てているのが現状です。しかし、原子力を砂漠の開拓に使えば、この核エネルギーを発電と海水淡水化の両方に使えることになります。要するに一石二鳥、三鳥にもなるのです。
そして、放射性廃棄物を砂漠の岩盤に埋め立て処分することの同意を砂漠国から得られやすくなります。砂漠には地下水のないところがあるので、長い年月にわたり埋め立て処分をしておくのに適しています。そして、原子力によって得た発電と海水淡水化による水によって、砂漠で農業と産業が発展します。砂漠で得られた食料は人類の人口増に対処でき、21世紀の中頃に、人類の人口が100億人になっても何ら困ることはありません。そして、砂漠で得た食料を、国際機関により南極大陸を一大食料貯蔵庫にすることにより、天災、人災による人類の食糧難を救うことにもなります。
現時点において大量に海水淡水化を可能にするのは、核分裂エネルギーである原子炉以外にあり得ません。この熱エネルギーを利用し、発電と海水淡水化フラッシュ蒸発法の兼用を図ることです。火力発電を使う方法もありますが、これは産油国以外、可能性は低いと思います。海水淡水化フラッシュ蒸発法はエネルギー的には最も不利であるが、装置は簡素、大量処理に適しており、スケールアップのメリットが大変大きいのです。このエネルギー的に最も不利ということを逆手に取って、現在、原子力発電の復水器の熱を海に捨てているだけの、これを利用することです。
また、フラッシュ蒸発法は現在、装置として使われている海水淡水化装置のうちで一番多い逆浸透法より純粋な真水が得られるので、長い目で見た場合に一番有利です。造水能力としてはフラッシュ蒸発法で作る真水が世界で一番多いのです。ちなみにわが国のフラッシュ蒸発法での世界のシェアは50%以上を占めています。砂漠地帯で農作物を育てる場合、毛細管現象で塩類集積を起こしますので、これを大量の純粋の水で流し去るのに適しているからです。逆浸透法では少し塩分が混じってしまうので、長い目で見た場合、塩類集積を起こす危険性があります。
次に核分裂原子炉の高度化です。高速増殖炉がありますが、これは現在まで経済性、安全性という原子炉の必要条件を満たしていません。これからも疑問の状態のままです。なぜなら、ナトリウムと水を使うという危険性、高速中性子を使うという危険性、高濃縮のウランおよびプルトニウムを使うという三大危険性があるからです。その点、沸騰水型軽水炉を改良した新型炉は、原子炉の経済性、安全性の必要条件を満たしています。大型としての新型高転換炉は燃料棒体積と減速材体積の比を軽水炉と同じぐらいの状態で、重水多く軽水の少ない混合水を減速材、冷却材に使うことにより、中性子平均エネルギーを軽水炉より10-1電子ボルトと100電子ボルトの間に1桁上げることができるので、蒸気温度、圧力とも少し上げることができ、そしてその分ウラン235の濃縮度を1.5%に下げられることと長時間持続運転が可能となる2点によって、安全度も軽水炉と同じぐらいにすることができます。
従来、天然ウランを使った重水炉がありましたが、これだと天然ウランを使えるという長所がありますが、原子炉容器が大きくなり過ぎるという欠点になります。また、皆さんご存知の新型転換炉「ふげん」がありますが、これは重水と軽水を分離していまして、軽水炉より転換比を上げることと重水経済上はよいのですが、安全度は軽水炉より少し劣り、経済性もいまいちです。次の小型の新型増殖炉は中性子平均エネルギーを100電子ボルトから101電子ボルトまでの中速中性子を使い、プルトニウム239の3%濃縮で同じく重水を多く軽水少なしの混合水を使い、燃料棒体積と減速材体積の比を1対1ぐらいとすることで原子炉容器を小さくでき、また安全を考えて小型炉として利用するのに適しています。このことより蒸気温度、圧力ともだいぶ高くすることが可能となります。
この新型炉はともに軽水炉より長時間持続運転が可能で、このことは廃棄物の減少と核不拡散性の適合となります。そして、安全度は軽水炉とほとんど同じで、経済性は軽水炉より格段によくなります。また、新型炉の両方をセットで使うことで、大型炉から小型炉まで適材適所に安全に利用ができ、ウラン燃料の効率的利用ができるので、ウランの延命も可能となり、核融合までのつなぎとなります。以上の点などから、原子力長期計画の見直しを希望します。以上です。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは大間知さん、次にお願い致します。
(大間知)
神奈川からまいりました大間知です。よろしくお願いします。
私は特に原子力防災を中心にして、危機管理という観点からお話をさせていただきたいと思います。原子力防災は、安全委員会の指針によれば、原子力発電所の周囲半径8〜10kmに絞られているわけですが、原子力のリスクということを考えれば範囲はもっと拡大され、全国的エリアで行われるべきではないかと思います。
危機管理というのはそもそも「大地震、大停電、ハイジャック、テロなど天災、人災を問わず不測の事態に対して事前の準備を行い、被害を最小限に食い止めるよう対処するための諸方策」と、「大辞林」にはそのようになっています。
先般ありました東海村のJCO事故などは、取り扱い方法がルール通りに行われていなかったというような点が非常に言われているわけですが、原子力発電所を含めたそのような施設付近では、危機管理の観点から言えば、予想外のことが起きるということで原子力防災体制は生まれてこなければいけないと考えているわけで、それに基づいて原子力対策特別措置法とか原子力規制法の改正等が行われてきていると思います。
例えば、東海村の日本原子力東海発電所では、東海村を含めた5つの市町村があって、その市町村の人口が平成7年の国勢調査では46万人ぐらいあります。あるいは中部電力の浜岡発電所の付近では、5つの町村で人口が約9万9,000人ぐらいいるわけですが、これらが防災訓練や何かをするときには一緒にやることになっているわけです。そのようなことから、この辺全体の危機管理を想定した訓練が行われているかというと、必ずしもそうではない。いくつか論点を具体的に申し上げていきたいと思います。
まず1つは原子力発電所等で放射能漏れ事故が発生し、環境中に影響が及べば、例えば風速毎秒2mを想定しても、風下ではもし障害物等がなければ1時間以内に7.2kmまで放射能が拡散していくことになりますので、1時間で約8kmという所に及んでいるわけですから、更にそれが先に流れていくことになれば、防災エリアはもっと拡大されなければいけないのではないか。
それから、東海村の臨界事故では、茨城県、東海村、科学技術庁への業者からの事故発生通告はファックス等によりまして約41分後に行われたわけですが、この時に風速が仮に毎秒2mあったとすれば、約5km風下まで放射能が既に及んでいるわけです。事業所は自治体とか、国に事故発生と同時に通知するようなシステムが必要ではないかと思われるのですが、今度の法改正によっても事業者は15分以内に通報することになっていますけれども、実際に東海村のJCO事故とか「もんじゅ」のときでも、施設の構内では異常事態が起きたらベルが鳴っているわけです。そのベルと行政の市町村の原子力対策の部門には少なくとも直結してベルが鳴るというぐらいのことが必要ではないか。戦時中、空襲警報はサイレンで通告されていたわけですが、そのようなシステムがたぶん必要ではないかと思われるわけです。
それから、防災の基本計画では事業者の事故発生通知は先ほど申し上げたように15分以内ということですが、15分でも約1.8kmまで放射能が及んでいるわけです。少なくとも住民の安全を考えれば、施設の周囲から徒歩1時間以内は居住をすべきか、どうすべきかということが考慮されるべきではないかと思われるわけです。法改正によって原子力安全のための防災専門官、保安検査官の配置がありましたが、これが24時間対応が可能かきわめて不安なところもあります。東海村臨界事故収拾の任に当たられた安全委員会の住田委員が、ただ1人で当たられたような印象を受けたわけです。たしかに深夜このような事故が発生したとき、防災専門官、保安検査官がただちに出動できて、的確な指示ができるかどうか。その辺はたぶんできるようにはなっているのではないかと思いますが、一般にはよくわかりかねるところで非常に不安を持っています。
次に核燃料輸送は、核燃料の処理されている所から全国の原子力発電所等に常時輸送されているわけですが、自治体によっては平成9年6月、国の防災基本計画が原子力災害対策編を設けたことによって、原子力防災計画が整備されているわけですが、事故発生通告の義務は先ほど申し上げたように事業者にありまして、特に輸送時においては当事者に致命的な事故が発生していれば、通告がないまま被害が拡大という事態もあるのではないか。通過自治体に事前通告、原子力防災訓練、地震発生と同時に事故発生という想定の訓練はされてはいません。例えば静岡県等でも、そのような地震と同時に原子力事故が起きたというような訓練は一切されていないように聞いています。
やはり危機管理という観点は、そのときにどのような対応が可能かを訓練等によっても点検をしておくべきではないか。事故はまた原子力そのものの事故によって起きるよりも、それは地震等によって誘発される可能性のほうがむしろ高いのではないか、と私は考えているわけです。
東海村のJCO事故において、また災害対策本部の設置状況にかなりばらつきがありました。事故は10時35分に起きていますが、例えば東海村では災害対策本部は12時15分に村長の方針により設けられているわけです。その他、その周辺の日立市、ひたちなか市、常陸太田市、那珂町、こういったところでは那珂町が16時40分、常陸太田市が21時、ひたちなか市は21時45分、日立市は21時、茨城県が対策本部を設けたのは16時です。科学技術庁に対策本部が設けられたのは14時30分ということです。茨城県が対策本部を立てたことを受けて、那珂町では対策本部ができたということではないかと思うわけですが、結局、市町村に事故対策本部を立ち上げるだけの力が不足しているのではないか。やはり防災情報が行政、事業者、市民に共有化されて指揮系統が一本化されなければ、あるところでは被害が拡大して、あるところではうまくいって被害が少なくて済んだというようなことがあるのではないか。そういう防災の一元化のシステムが必要ではないかと思われるわけです。
これは例えば国の対策本部の設置状況を見てもわかるわけですが、科学技術庁は14時30分に災害対策本部を立てて、15時に事故対策本部という編成になっていますが、それを受けて茨城県が16時、政府が21時、運輸省も21時、消防庁は13時に災害警戒連絡室を設けて、22時になってようやく災害対策本部を作った。警察庁は12時20分、災害準備連絡室というものを立てています。このように国の各機関においても、一斉に災害対策本部、事故対策本部が置かれることはないわけです。ですから、国の各機関においても防災情報を一括して管理するシステムがなければいけないと思われるわけです。
それから、施設周辺の自治体の防災体制ですが、例えばJCOの工場から那珂町までの距離は500m弱であったわけですが、避難命令は東海村より約3時間遅れて出ているわけです。東海村の場合はJCOの工場から350m範囲内は、那珂町より3時間前に出ているわけで、原子力防災の地域の市町村の対応は大きなばらつきがあり、現実には機能していないので、これは検討されなければいけないと考えています。以上です。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは最後に飯田さん、お願いします。
(飯田)
日本総合研究所の飯田と申します。私は主にエネルギー政策の視点から簡単にコメントをしたいと思います。この長計を見たときに、私だけではなく一般の人も、こういう建前をきれいごとで飾った、しかも「長期計画」という旧ソ連型の言葉をいまだに引きずっているものはもういい加減にしてほしいと、おそらく皆さんは思われたのではないかと思います。あまりに一般市民の感覚とまずかけ離れていること、それから、一般市民だけではなく、例えば欧州が向かっているエネルギー政策のある種の知識人が共有している感覚とはあまりに大きな解離があって、もう少し現実を見据えて埋めていかなければいけないのではないか。
まず総論的に言えば、3つの致命的な欠落があると思います。まず第一に現実が見えていない。特に経済的な現実あるいは地域の現実が見えていないのではないか。第二にこの計画が指し示すところの未来像が全く見えないというか、非常に私はグルーミー、暗い未来像しか想像できないのです。プルトニウムも、原発もますます拡大していくような未来像で、一体将来において我々のエネルギー市場、電力市場、あるいは社会はどういう社会であるべきかというところは、この計画からは決して明るい姿は見えてこない。3つ目に責任が全く欠けている。集団無責任のような形で文章が書かれている。以下、もう少し具体的に説明をします。
まず電力市場、エネルギー市場全般だけではなくネットワーク型産業が規制緩和でどんどんマーケット化、自由化していく流れは不可避だと思います。電力事業も例外ではない。日本はかなり立ち後れていますけれども、一応、大口需要だけの部分自由化ということでこの3月に始まりましたが、ただネットワークの部分はまだ電力産業では残されたままです。しかし、これは3年後に見直しをしていくわけですが、本当の意味の開かれた完全自由化を目指していくと、この現時点でもっと現実を見据えて議論をしなければいけないことは、回収不能費用をどうすべきかということをもう少し、しかも責任の所在を議論すべきではないか。
例えばアメリカの例でも、あるいはイギリス、その他の自由化諸国でもそうですが、どうしてもこれまでネットワーク型産業で設備過剰感がどんどん膨れてくると、それを自由化していくときには必然的に回収不能費用をどう処理していくかという議論が析出してくる。これはこれまで規制でやってきましたから、それを100%電力会社が背負うべきだということには必ずしもつながらなくて、やはり自由化に向けて、もう少し電力会社も、電量会社そのものが本来解体されていくべきだと思いますが、身軽になっていくべきであろう。
私自身がいまもし提案というか、具体的にイメージしていますのは、いま現状を完全自由化を想定した場合に予想される回収不能費用、かなりの部分が原子力、原子力以外のものもあると思いますが、それから六ヶ所村、こういった部分は今後、数年間で競争移行費用などで回収していくことを、そのような費用システムなどももう少し議論されてよいのではないか。
しかし、もう自由化の流れが見えている、いま現時点でこれから追加投資するもの、例えば北海道電力の泊とか、島根もそうですが、あれは経営的に見てどうあがいても正当化できない投資だと思いますが、それはその投資を決めた経営者の自己責任で見ていくのだと、そのような現時点で見えている未来像が少なくとも数年スパンから10年スパンで見えている未来像が自由化に関してはありますので、そこにおける費用の責任を明示すべきではないか。漠然と先ほども終わりがけに聞いていましたけれど、「期待」という言葉で逃げるのではなく、やはりそこの費用責任をもっと明示すべきだろう。
それから、再処理と「もんじゅ」ですが、六ヶ所村が今後経営的に破綻をしていくだろう。つまり、自由化市場においてですね。これはかなり僕は明らかだろうと思っています。これに関しては現状凍結が妥当だろうというのは先ほど申し上げた通りですが、「もんじゅ」に関しても再開をしていく合理的な理由がまったく見当たらない。まず少なくとも3点に関して反証可能でなければならないと思います。
1つは技術の普遍性ということ、これは吉岡さんが技術論の大家ということで実際に指摘されておられましたが、アメリカも、ドイツも、イギリスも、フランスでさえ撤退をしていて、なぜ日本だけで、しかもこれまで何十年もやってきて、今後、可能なのかということを、説得力のある形で論理的に実証すべきです。
2つ目にスタンダードというか、日本の原子力技術はいまだにアメリカからの輸入とフランスからの再処理技術の輸入ということで、いわゆる技術の体系そのものを丸ごと輸入しているわけです。日本固有の個別の技術ではないけれど、技術の体系というものをいまだに原子力に関して作ったことがない。軽水炉に関してはASMEのほとんどカーボンコピーが通産省告示501号に入っていますし、そういうものを日本の技術文化としてこれから高速増殖炉も孤立してやっていけるのか。
3つ目に技術のトレンドです。いまはインターネットも、携帯電話も、ここ4、5年で一気に普及して、それ直接関係ないのですが、小規模分散型と再生可能エネルギーの技術の実用化のスピードがものすごく加速しているわけです。例えばマイクロタービンなどで言えば、アメリカではkWあたり1、2万円ぐらいで実用化していまして、座長の那須さんのおられる東京電力さんもマイエナジーという実際のベンチャービジネスも作られた。今後、小規模分散型のエネルギーがものすごく急速な形で、燃料電池も視野に入ってくるでしょうし、広がっていく中で、このような大規模集中型の技術が市場性をはたして持つのか。
現実にドイツが90年代に10年間でほぼゼロだった自然エネルギーの比率を昨年末で約5%ぐらいまで高めて、2010年には10%というシェアに達している。日本の場合はまともな政策は取られていないので、自然エネルギーはいまだに普及は進んでいませんが、資源リソースと立地の適地等を考えるとドイツ並みの普及量は十分考えられるわけです。そういった他の技術と比較した意味において、いわゆる高速増殖炉は全く正当化できないだろう。それを反証可能でなければ、今の国家の経済破綻的な予算の配分として正当化する理由はないと私は考えています。
最後にこの長計の報告のあり方ですが、先ほどの集団無責任体制という話ですが、こういったことを決めたことに対する各委員の責任、原子力委員会の責任、あるいは事務局である科学技術庁の責任は結局不在なわけです。それは当然で、私もどこかの審議会の委員になっていますから、いちいち経営責任を問われると、そんな払うお金は私は貧乏なのでないのですが、しかし委員としての知的責任は果たすべきだろうと思います。
例えば欧米では当たり前になっていますが、しかも議事録を読むと皆さん多様な意見を言われている。その意見に関して、例えば場合によっては、この長計には同意できないので名前を削ってほしいということで義理を果たすことも可能でしょうし、自分はこの部分同意できるけれども、この部分は同意できないのだという個別のリザベーションというシステムがあると思いますが、各委員がすべてここに同意されたと思えない。それを皆さんに誠意があるならば、そういうことをきちんと盛り込んで、それを国民に開示をすべきではないか。最終的に結論をするのは僕は政治だと思いますので、これはリコメンデーションに留まるのはそれでよいと思いますが、委員は知的責任を果たすべきだろうと思います。以上です。
(森嶌)
はい、どうもありがとうございました。それでは前半と同じように、ここで策定会議側からの説明をいただきたいと思います。ちょっと時間が押していますので、なるべくご説明は短くお願いしたいと思います。原子力防災に関しては第一分科会の委員でもある神田委員のほうからお願いしたいと思いますし、それから先程の通りに第二分科会、第三分科会については近藤、鈴木両座長からお願いをしたいと思います。それから、新型炉に関しては第四分科会の座長にお願いをしたいと思います。それではなるべく申し訳ありませんが、手短にお願いをしたいと思います。
(神田)
大間知さんが大変よくJCOの事故を研究しておられましたが、長計ではちょうど始まって間もなくJCOの事故が起きましたので、色々な分科会を合わせて、2か月間ぐらいはそれにかかりきりにならざるを得なかった。その中で特に第1分科会では防災をどう考えるかということをやりました。
一方、国としては、防災の考え方をJCOの事故が起きる直前の9月7日に防災部会が答申を出していまして、そのときのハイライトは責任の一点集中はだれをもって当てるかということでした。前提になった画期的なアイデアというか考え方は、安全確保のためにいかなる取り決めがなされたとしても、事故発生の可能性を100%排除することができないという大前提を立てて、防災計画を作ったということです。最終的には一点責任で総理大臣になることに決まりましたが、これはJCOの事故の直後だったからできた。我々が9月7日に出した答申のときには、「最終責任が総理にすべきだ」という人と「総理ではない。総理を最終責任にしたというのは世界中でそんな例はない。防災でそういうことは起こらない」という強い意見を法学部の先生が主張されましたので、まっ二つに分かれたのですが、A案、B案のうちのB案が国会を通ったという意味では、我々の作業は思わぬところまで進んだと思っています。
ご心配の8km、10kmとか、たくさん誤解があるようですから、また機会があればぜひともそのあたりを読んでいただきたいのです。それから、輸送に関しての事前の通告というのもきちんとやっていますし、各都道府県にあらかじめ知らせていますし、必ずしも防災の全体をご存じとは思えませんので、併せてご研究をいただけると面白いのではないかと思います。
もう1つ困ったことは、防災という言葉自身を長計の委員たちが知らなかったということです。必ずしもよく知らなかったということは、防災とは安全ではないのです。安全規制があって、安全規制が破られた場合に、初めて防災が働く。防災とは何か事故が起きたときに、それに対して住民あるいは周囲の人たちが災害を被らないようにすることを防災というのであって、更にそれでも被害があった場合には、損害賠償ということになってくる。ですから、法体系としては安全規制、防災、損害賠償の三点セットで動いているということです。ときどき混乱がありましたので、長計ではよく整理をしてその文章がまとめてあると思いますので、そのつもりで読んでいただけるとありがたいと思います。以上です。
(森嶌)
それでは近藤委員、どうぞ。
(近藤)
ふじおかさんは原子力発電所の破滅的な事故の可能性ということで、特に津波のこと、地震のことの2つについて問題を提起をされたわけですが、これはご承知とは思いますが、原子力発電所の安全設置を許可する際には、当然のことながらそういう自然事象の発生、可能性について専門家に情報を提供していただき、それに基づいて、例えば地震ならば、これが歴史上の記録から考えて、これが最大かなと、あるいは地体構造から考えて限界地震という言葉を使っていますが、このあたりの活断層でおきる地震はこれ位かなという専門家のご判断をいただいて地震を想定し、それに対して安全を確保できるような設備、構造であることをもって許可をする、そのような作業がなされています。長計自体はそのような安全確保に関する活動を今後ともきちんとやっていくべきということを述べているところです。
それから、津波という個別の自然事象について、色々な例をあげてご心配を表明されたわけですが、本来それはこの会合の取り上げるべきことではありませんが、たまたまの記憶で申し上げますと、たしかに300mなどという高さの津波が襲えば、ご承知のように例えば伊勢湾台風は高潮でしたが、たかだか数mの高潮で2,500人ぐらいの方が亡くなったということがありますから、おっしゃる300mということであれば、例えば東京都を襲えば1,000万人ぐらいの方が亡くなることはおおいに想像できるわけです。
ただ、これは専門家ではないからあやしいのですが、私の記憶が間違ってなければ、ノルウェーの津波の高さは特有の地形、すなわちフィヨルドという特殊な地形において、ご承知のように広い海から狭い所に波が追い込まれると非常に高くなるということで、非常に高い津波が発生する。これはノルウェーのみならずアラスカでも経験されていることであります。一般的に言って津波の高さは震源の強さと受け取る側の地形によって決まり、記憶が間違っていなければ、現在はそれなりに、日本で言えばチリの地震が大体太平洋岸に大きな津波をもたらすというのでそうした震源を想定し、コンピュータシミュレーションでどのぐらいの津波が出るかということもあたっていて、その結果を基にして、つまり歴史的な津波の記録及びそうしたシミュレーションによって、特殊な地形、地域ごとの津波の高さを推定して、それに基づいて設計を評価していることは申し上げられると思います。
それから、飯田さんからいくつか第二分科会に関わる問題提起がありました。自由化の進行と現在の投資に係わる経営リスクの責任とめざすべきエネルギー社会の姿とその実現に対する役割分担を明らかにせよというところ、これについては第二分科会でも非常に熱のこもった議論がなされ、その結果を策定案に書かせていただいているところです。将来のエネルギー社会、特に供給体系への期待とそこにおける原子力の位置付けについては、12ページにありますような位置付けを行い、これを実現する国と民間の役割分担については、22ページにありますような基本的考え方を整理したわけです。この中にそのことが読み取れるかどうかということについて、飯田さんはこれは何だかわからないと、たぶんそれは記述の長さ短さにも関係しているのでしょう。そうしたご指摘があったことは当然、今後の策定会議で議論されるところだと思いますが、少なくともここではそうしたことについて、議論した結果として、このようなスタンスが我々のとるべきところとして記述されているということをご紹介申し上げておきます。
それから、自然エネルギー云々の議論あるいは原発モラトリアムのオプションを検討せよと、これは既に新円卓会議でもそのようなご提案があり、それについては原子力委員会というよりは総合エネルギー調査会のほうでそうした議論をすることにいま整理が一応なされています。これは飯田さんもよくご承知の通りです。
ただ、ここでは極めて簡単に要約的にしか記載してありませんが、自然エネルギーの現実を色々整理をしてみると、飯田さんは過小評価とおっしゃられましたが、それぞれの専門家もお呼びして、ご意見をいただいたわけですが、情報を勘案すると、わが国は例えばドイツのように石炭がたくさんある、ガスは輸入し易いという国などとは違うのですから、ありとあらゆるオプションをなるべくオープンに追及するという方針が重要であり、かつ現在、主要な供給力を担い、かつ温室効果ガス排出の削減に貢献している原子力については、わが国の置かれた地理的資源的条件、そして将来の不透明さを考えると、エネルギー社会の望ましい姿を実現するのに応しい割合、これをここでは適切なといっているのですが、そのようにこれを維持することが必要だと、そういう結論に至ったところです。
最後に、最初に飯田さんは「計画」という言葉に嫌悪感を表明されたわけですが、しかしいかなる国においても、リスク管理は国家の責任でありまして、しかもそれは行政法にいう行政計画の担当するところではないでしょうか。そうとすれば、この計画という言葉を使うことについて、それほど抵抗される必要はないと思います。飯田さんのメモを見ると「ECの指令」などという、むしろ軍隊用語に近いような言葉も、飯田さんのお好きな風力について使われている、それを好ましい例として紹介されておられます。こりゃなんじゃといいたいところですが、そこのところはそういう言葉尻にこだわる議論をするよりは、エネルギー政策の本質について意見を交わしたいと思うところです。以上です。
(森嶌)
それでは鈴木さん、どうぞ。
(鈴木)
ありがとうございます。それでは第1に平野さんからご指摘のあった、あるいはご意見として示された新しい原子炉の利用、あり方についてですが、これはある意味で中小型炉あるいは砂漠の緑化、海水淡水化ということで、色々な多様な可能性を追求すべきだということで、おっしゃる通りというか、重要な観点かと思います。私の理解しているところでは、こういうことについては前からだいぶ議論がありまして、現在でも国際原子力機関などではそういうことの可能性が検討されているかと思います。ですから、もしご興味がおありでしたら、そのような資料等もご覧いただけたらと思います。
次に飯田さんからのご指摘で「もんじゅ」あるいは再処理プルトニム路線、こういうものの合理性といいますか、論理的根拠不明確等のご意見がありました。これは先程前半の西尾さんのご意見と重なるところもあろうかと思いますので、むしろ飯田さんご自身がおっしゃった技術体系が欧米からの借り物というかコピーであって、日本は本当にやっていけるのかというご指摘、私はこれは非常に重要なご指摘ではないかと思います。ですから、今後、原子力に限らないと思いますが、特にここでは原子力の議論をしているわけですが、わが国において研究開発をしていくにあたっては、いまご指摘の視点を今後、本当にどのようにそこを本来の姿に長期的に持っていくのか。つまり、できるだけある意味で重要なものについては自前の技術、自前のノウハウ、そのようなものを蓄積していく、そのような計画、計画というのはあまり使ってはいけないのかもしれませんが、そのような考え方が私は重要ではないかと思います。
そういう考え方が、この長期計画の中でははっきりは盛り込まれていないかもしれませんけれども、私ども第三分科会あるいは全体会議の中でも、そのような考え方が背景に私は入っていると、つまり長期的な観点から、むしろ例えば第四分科会であるとか、他の分科会ともおおいに関係がありますが、原子力を科学技術の1つのベースになるものとして研究開発に取り組むというところにつながっているのではないかと思います。そのような意味で、その一環として「もんじゅ」についても位置付けられるのではないかと、このようなことが今回の長計案ではないかと思っています。
(森嶌)
それでは秋山さん。
(秋山)
平野さんからのご意見で、原子力の長期計画は経済性と安全性の観点から見直して、大型炉としての沸騰水型の軽水炉を改良した新型高転換炉、それから小型炉としての新型増殖炉を開発すべきというご意見に関しましては、いま鈴木委員からもコメントがありましたが、第四分科会でこの点に関してどのような議論があったかを含めて、若干補足させていただきたいと存じます。
安全性、経済性等を現状よりも更に向上していくという観点も含めまして、今後、将来はどのような型の、あるいは規模の原子炉を開発したらよいか、そのあり方について第四分科会、あるいは全体の策定会議でも色々議論があったところです。第四分科会ではそうした将来のマーケットを考え、全体としてのキーワード「革新的原子炉」という名称で括っていまして、それについての記述はこの長期計画案の36ページにご案内のところですが、そこを追ってみますと「21世紀を展望しますと次世代軽水炉とともに高い経済性と安全性を持ち、熱利用等の多様なエネルギー供給や、原子炉利用の普及に適した革新的な原子炉が期待される」ということが書かれています。ここでの革新的原子炉の中身ですが、分科会ではそのベクトルとして、第1は規模あるいはエネルギー効率について、規模を多様化し、またエネルギー効率を高めていくという観点での中小出力規模の原子炉とか、あるいは超臨界圧水冷却炉といった炉型を広く視野に入れて、議論をしました。
第2番目のカテゴリーは、熱利用も含めた原子力のエネルギー利用を更に積極的に展開するということでは、ご案内の高温ガス炉の持つポテンシャルを利用して、様々な温度の熱を多目的に利用することを議論しました。また、燃料サイクル等の観点では、いわゆる溶融塩炉等も含めまして様々な検討を進めたわけです。それを個々に全部記載するわけにはいきませんので「革新的原子炉」ということで括ったわけです。
36ページの本文に戻りますが「このために炉の規模、方式にとらわれず、今後多様なアイデアの活動に留意しながら、国、産業界および大学等が協力をして革新的な原子炉の研究開発についての検討を行うことが必要である」とまとめたわけですが、この「検討を行う」という表現の意図としては、更に具体的な計画を進めるところまでも踏み込んで、第四分科会では議論したことを付け加えさせていただきます。以上です。
(森嶌)
はい。なお私のほうから、全体会議でもそうでありましたが、松浦さんのご指摘の教育、それからマスメディアという点については全体会議、それから第一分科会で相当の時間を費やして議論されていまして、結論としては松浦さんがご指摘の通りの内容の議論をしていまして、この点については24、25ページに出ていますので、どうもご意見をありがとうございました。
それでは時間が押していますけれども、これで策定会議側からのご説明ということですが、他に委員から、それでは長瀧委員。
(長瀧)
ふじおかさん、あるいは松浦さんから被爆体験に帰れとか、放射線の健康あるいは子孫に対する影響が心配であるというお話がありましたので、被爆国としての立場から一言だけお話をさせていただきます。
いずれにしろ安全という問題の根本は、人間に対してどのような影響があるかということだと思いますが、そのような人間の健康に対する影響という観点は、今度の長計の中にいままでに比べるとかなりたくさん取り入れられたと思います。我々として決して満足しているわけではありませんけれども、いままでに比べればかなりそのような意味の取り組みがなされたということを申し上げたいと思います。そしてもちろん世界中で被爆国はわが国だけですから、放射線の人間に対する影響に関しては十分に被爆国としての知識がありますので、放射線の影響を科学的に分析した結果をすべて余さず発表しております。
そして、あとで放医研の佐々木所長からもお話があるかもしれませんが、急性の放射線による人体影響に関してもできるだけのデータを積み上げて、それを社会に対して正確にお伝えすることが大切だと考えています。ただ、同じ科学的な結果に対しても、その国のエネルギー利用に対する問題の取り上げ方、あるいは経済的な問題、心理的な問題、更にリスクをどう評価するかということによって、すなわちそれぞれの国の社会の考え方で取り上げかたが違ってくるのだろうと思います。ただ、我々としては科学的な、医学的な結果を、できるだけ正確な言葉でお伝えするということが任務と思っていますが、それがある部分今度の長計には生かされているということをお伝えしたいと思います。
(森嶌)
吉岡委員どうぞ。先にいいですか。では、吉岡さんが終わってから。
(吉岡)
2点だけ、最初に東海村事故がこの長期計画案でどう検討され、どう反映されたかということですが、目を皿にして全部の分科会報告を見てみたのですが、全体のトーンに明確に反映されている。原子力をめぐる状況が非常に厳しくなっていて、将来も不透明であるというトーンになっているのです。しかしながら、個別の具体的政策提言が新たに長期計画案で出されているかというと、全然出されていないという印象を私は持っています。つまり、既に政府が対応を取ったか、あるいは安全委員会の報告書が指摘したこと以上のことは全然言っていない。実は僕は安全規制行政の抜本的改革とか、そのようなことをも報告書に入れたかったのだけれども、全然入っていないというのは非常に印象的でした。
それと、飯田さんに怒られた感じなのですが、委員は報告書の責任を取れ、気に入らない箇所については保留意見を書けというようなことをおっしゃられた。実はそれは全然出ていないわけではなく、例えば第三分科会報告書で僕は「もんじゅ」運転再開について若干のメリットはあるが、デメリットの方が大きいと考えています。つまり、もし「もんじゅ」型を発電設備を持つそれなりの大型の炉として安定運転できるならば、それは他の炉型との比較を行う上で若干の意味をもつデータとなるけれども、それを確かめたところでどうせほとんど実用化の見込みがなく、むしろデメリットが大きいから、博物館にしろという提案をしたのですが、報告書には「博物館という意見も示されました」と書いてあります。
議事録を見れば、私がそのようなことを言ったことは明確に書かれているので、これでよいのではないかと思っていたのですが、飯田さんに言われるとまた考えてしまう。多くの国民意見が出てきた場合、リザベーションを書く可能性についても考えなければいけないと思いました。以上です。
(森嶌)
それでは佐々木委員、どうぞ。
(佐々木)
第五分科会は国民生活に貢献する放射線利用ということで討議をしたわけですが、本日の前半、後半を通じて直接、この問題に関するご意見はなかったと思います。ただ、松浦さんから放射線、放射能の教育の重要性ということがご指摘されましたし、間接的には色々関連したご発言もあったと思いますので、第五分科会の議論の中で、今日のご意見と多少関連のある3点をご紹介させていただきたいと思います。
松浦さんがご指摘になりましたように、放射線の利用は100年余りの歴史を持っていますので、第五分科会では放射線と原子力というものの定義に遡った議論もあったのですが、放射線は原子の持つ力の1つであるという観点に立って議論を進めたわけです。
言うまでもなく、放射線は取り扱いを誤りますと色々な障害をきたす、しかしうまく利用すれば我々の生活に色々な意味で便益をもたらすものだというのが、この委員会の基調になっていきます。医学、工学、農学あるいは食品保全といった色々なことに利用されているのですが、それがあまりよく知られていないところがあります。従って、利点も欠点も含めて、一般の方たちと正しい知識を共有する必要があるということが大きな主張になっています。そのことは初等、中等教育の重要性も含めて、長計の案の中に反映されていると思います。
そして、そのような中で、もし欠点を補えるところは補っていかなければいけないし、欠点がなくて利用価値だけがある新たな技術があるならば、そちらに移っていって一向に構わないわけです。そのような立場で第五分科会が、教育あるいは知識の共有ということを大変重視したことが第1点です。
それから、第五分科会では利用の中で実は「生体影響」という言葉を使っています。生体影響が利用かという議論もあるわけですが、利用を語るにあたっては生体影響を外して語ることはできないということで、放射線の生体影響についても議論をしています。その途中で、先程お話が出ていますようにJCOの事故が起こったわけです。そこで3人の方が高度の被ばくをされたのですが、こと医療に関しては、既にご承知と思いますが、3年程前から緊急被ばく医療ネットワーク会議を持って事故に備えていました。これが完全とは言いませんが、非常に有効に機能したと私どもは思っています。そのことを体験して、万一に備えて体制を整えておくことが非常に重要なのだということを主張していまして、そのことも報告の17ページあたりに反映していただいているところです。これが第2点です。
第3点ですが、放射線の利用は大変に多岐にわたっていまして、担当省庁も複数にわたるので、省庁横断的な協力や協調を円滑に進めることがきわめて重要であることは強く主張致しました。そのことも報告書の39ページに反映していただいています。以上、3点を申し上げさせていただきました。
(森嶌)
はい、どうぞ。
(鷲見)
よろしいですか。先程、飯田さんに「自由化の中における原子力」という非常に立派な表題を出していただいたのですが、私ども長計の策定会議では、自由化の流れを踏まえつつ環境問題、CO2問題、エネルギーセキュリティも含めて、もう少し長いスパンで考えよう、経済性はこれらの公益性も考えれば保っていけるだろうと議論しました。それから、集団無責任体制と言われたのですが、私は集団責任体制だと思います。皆さん各々が責任を持ってやっていただいたことの結集で、その点では一致したと思います。このことをぜひ申し上げたいと思います。皆さん、将来のためにも原子力をやろうよという意欲に燃えた結果が、これに結集されると思いますので、よろしくお願い致します。
(森嶌)
それではちょっと待って下さい。どうぞ。
(神田)
議論に費やした時間とレポートの長さが比例していませんのでちょっと申し上げますと、第二分科会で自由化はかなりやりまして、大体けりがついたものについてはあまり詳しく述べていない。完全に自由化するのは不可避であるということは、日本では起こり得ないことが皆さん一致したと思いますので、それが1つです。
それから、もう1つは松浦先生が言われた総合的学習というのは、実は長計の原案が終わった頃に急に起こりまして、いま各地で文部省、小学校、中学校の先生を中心とした総合的学習における放射線の教育をどのようにするかといううねりのような動きがあります。9月、10月、11月と、この3か月間でものすごい動きが出ると思いますので、たぶんまたご足労をいただくかもしれませんけれども、今回の長計には表立って書いてありませんが、機会があればその動きを記述するように努力したいと思います。以上です。
(森嶌)
それでは時間がだいぶたっていますが、今度は双方向ではなくて一方向からということにしまして、ふじおかさんどうぞ。質疑ということで、あるいはご意見でも結構です。
(ふじおか)
先ほど、近藤さんのほうから多少私の意見に対してのお答えをいただいたのですが、確たるお答えをいただいたとは全く納得ができないのです。地形的なあれがあるのだとすれば、それを差し引いたら360mはどれだけになるのだというご説明がないと、とてもではないけれど不安で仕方ない。80mの件はどうなのだと、地形的影響がどれだけで、差し引いたらどうなのだということもない。
ですから、その辺が、始めに推進ありという原点に立って、それに対して考慮できるものだけしようということがあるのではないかという疑いが国民の中にあります。私自身もまだ感じています。ですから、やはりそのようなことではだめだということです。全然まともなお答えをいただいたと思えない。こういった不安は、本当に科学的な教育が欠落しているからそのような不安が出るのだと、僕はそう思わないのです。これは、南海トラフの泥岩、砂岩、互層をもたらす海底地滑りやそれによる津波というのは本当に原発の設置基準に反映されているのか、それをお答えいただかないと。これはできるものだけ考慮に入れようという、そういうことの中でずるずると行っている。これは全く戦前の「独断専行追認期待」の満州事変から被爆壊滅まで、アナロジカルに繰り返される恐れがあるということに対する不安があるわけで、やはり僕に対して説明してほしいと思います。
(森嶌)
はい。それでは飯田さん、どうぞ。
(飯田)
はい、1点だけ質問をすることに引っかけて、コメントバックを手短にしたいと思います。まず先ほどのこの文章で近藤さんが含まれているとおっしゃいましたが、とてもそうは読めないのですが、いずれにしても現在、原子力がある意味で例えば環境、CO2削減に果たしている役割と、今後の拡大という部分は、かなり厳密にまず分けなければいけない。
それから、鈴木さんが言われた、体系ができるという話を自前という形にあまり矮小化してとらえるべきではない。やはり50年間できなかったものを、これからできるという幻想は捨てたほうがよいと私は思います。まして、更に市場がないという話が一方であります。
それから、リザベーションの話は、たしかに吉岡さんのような形で委員が出てくるのも大事ですし、例えば電力会社にすべての責任があるのだという形に取られると、例えば那須座長も鷲見さんも困られるわけです。意見の多様性が出ることが、その違いから国民も一般の人も論点が何かということを読み取れるわけで、国民教育的にもリザベーションというシステムは大事だろうと思います。
それで質問ですが。
(森嶌)
どなたに。
(飯田)
鷲見委員にしたいのは、今後、自由化がどういう形で進むのであれ、電力会社はまだマーケットを持っていますけれども、日本原電はIPPですから、原発IPPはより経営が厳しくなると思うのですが、その前に電発さんと日本原電さんのほうがもっと厳しいかもしれませんが、仮にいま例えば敦賀で2つ大型を計画されていますが、それが市場性をもたなかった場合に、どのようにされるおつもりかというか、見通しを持っておられるのか。それとも確実に売れるという自信で、もうすべて切り捨てられるのか、経営上、仮にその電気が売れない、市場性を持たない場合にはどのような対応を取られるおつもりなのかという質問を1点お伺いしたいと思います。
(森嶌)
それでは全部お聞きします。他にご質問はありますか。それではどうぞ。
(松浦)
ちょっと訂正を。私は先ほど、文部省は教員の顔色ばかりを伺ってということを申し上げて、それは失言でありまして、教員の中にも原子力、放射線教育に大変熱心な方、ぜひやりたいのだけれどいまの学習指導要領ではできないので、何とかもう少し自分たちの熱意が叶えられるようにしてほしいという希望があります。そのようなことですので、ぜひ先ほどもおっしゃいましたような各省庁の総意を集めて、教育行政にもぜひ原子力の放射線に関する希望といいますか、望ましい方向に反映していただきたい。そういうことです。
(森嶌)
はい、ありがとうございました。よろしいでしょうか。平野さん、大間知さん、よろしいですか。それでは直接の名宛人は近藤さんと鷲見さんですので、誠に申し訳ありませんが非常に手短にお願いします。予定された時間に。
(近藤)
私、ここで、ノルウェーの334mの説明をする能力も責任もたぶんないと思いますが、ただ私がそのことについてそういう解釈があるということを申し上げたのは、アラスカの180mか、正確な高さは忘れましたが、非常に高い津波の例について、私自身が読んだ岩波新書だったかにあったことを思い出して、そういう解釈ができるということを申し上げたわけです。
しかし、私が大事であり、ご理解をいただくべきと思って申し上げたことは、発電所の建設許可にあたっての安全審査では、そうした可能性について、津波の専門家は原子力の賛否と関係のないところにおられるわけですが、津波の専門家のご意見を伺って、適切な津波を設定していることについてご理解をいただきたいと思った次第です。
(鷲見)
いまのご質問は私はどういう立場で答えたらよいのかと、非常に難しいわけですね。策定委員とすれば、経営者としてはここでお答えをするわけにはいかないと思います。これは策定委員として、泊とか、島根の話も一緒に含めた考えを述べさせて頂きますので、そういう意味で聞いておいて下さい。
と言いますのは、私は、北海道電力さんでも、中国電力さんでも、需要は必ず伸びる。伸びないことには、日本の経済はだめになると考えています。飯田さんに一度それをどうお考えかお教えいただきたいのですが。エネルギー源を考えた場合、電力へのシフトも必ず起こる。従って、電力需要は伸びるであろうと確信があります。
それから、もう1つは経済的に自由化の中でやっていけるのかということですが、私どもも計算しました。定額法で計算しますと、通産で出しておられるように5円90銭にぴたりとなります。しかしながら、将来の社会的な要請の変貌があるでしょう。そのような余裕や、それからもう1つ経年的な問題も見ますと、もうちょっと上になるだろうと。それにしても、6円から7円ぐらいの間かなというのが私どもの想定です。従って、自由化の中でも、社会的に皆様方に認めていただけるならば、完全に成立致しますのでご心配はいりません。
(森嶌)
まだ追加があるかもしれませんけれど、また別途、いま鷲見委員からも別途というお話がありますので、そのようなことにさせていただきたいと思います。大変、本日は貴重なご意見をありがとうございました。最後は時間が押せ押せになりまして、十分な議論ができなかったかもしれませんが、私どもとしてはこれを最初の機会として、色々な多様なご意見を伺っていきたいと思っているところです。どうもありがとうございました。それでは座長のほうから。
(那須)
それでは閉会でございますので、立って心からのお礼を申し上げます。本当に皆様のご意見の中には、それでは個別にどうかといえば、私も賛成な点も、反対な点もあるというのが正直なところです。これはこの策定会議をやっていても、議長をやっていても同じことでありまして、それにしましても今日のお話、非常に心から信じておられるご意見を、力強くお話をいただいたことに、本当に心を打たれたと申し上げます。
意見の違うことは、これは持ち帰って、今日、お配りしました長期計画にまだ「案」と書いてあるのは、これをまだ策定委員の方々に持ち帰って、今日のご報告もして、皆さんのご意見をやって、最終的にまとめることになりますので、今日のお話もきちんと報告を致します。反対だから報告をしないということは致しません。
そのようなことでありまして、皆様のご意見をまとめて、しかも委員の方々から色々ご報告をいただいたように、「実はその話も策定会議で出たのだ」という話が非常に多かったように、非常に熱心な、本当に心のこもった議論をまた我々もやったわけですから、そういったことをここでご報告しまして、今日のお礼を申し上げまして、そして今日のご意見ももう1回、持ち帰ることもお約束しまして、お礼の言葉にさせていただきます。どうもありがとうございました。
(森嶌)
どうもありがとうございました。それでは事務局のほうから。
(事務局)
それでは以上をもちまして、「ご意見をきく会」を終了させていただきますが、まず始めに意見発表者および策定会議委員が先に退室致しますので、恐縮ですが一般傍聴の方はしばらくご着席のままお待ちいただきますよう、お願い致します。
それでは退場に際しまして、若干注意事項を述べさせていただきます。お帰りの際には、お付けいただいていますバッチを受付で返却いただきますよう、お願い申し上げます。また、入場に際しまして荷物を預けられた方は、お忘れなきよう受付にお立ち寄りいただきまして、荷物をお引き取り下さい。
また、長期計画案に対するご意見ですが、10月10日の火曜日まで受け付けていますので、本日の配布資料にも入っているものですから、引き続きご意見のある方はお出しいただきますようお願い致します。それでは以上で本日の「ご意見をきく会」を終了させていただきます。本当にありがとうございました。
−−終了−−