平成12年6月14日
石 橋 忠 雄
追加検討テーマの件 原子力委員会に、長期計画で策定された原子力政策について、例えば「原子力政策評価小委員会」または「原子力長期計画評価小委員会」といった評価機関を設置する必要があり、そのことを今回の長計で提言すべきであると思います。
私は、昨年4月の原産年次大会のセッション「原子力長期計画に何を求めるか」(これには西澤(議長)、鳥井、依田の各氏も参加されました〕で過去の長計をみた場合、総体として脈絡が全くなく、信頼性がないことを指摘し、また第1分科会でも同様の報告をしました。原子力委員会が内閣府にうつり、通産、文部、科学技術庁の原子力関連の立法、行政を統括、調査、指導する強い権限を与えられるべきだと思いますが、その場合、その政策に高い信頼性がなければなりません。そのためには原子力委員会においても長計にもられた政策や計画を随時、評価すると共に、時代環境に適応した原子力政策のあり方を検討し、国民に発信することが求められると思います。このことは説明責任との兼ね合いでも重要であります。
これまでのように5年後にはそれまでの長期計画について何の言及もなく、全く別の原子力長期計画ができるということでは大方の国民の支持が得られないのではないか。
なお、この評価機関は、現在の、原子力政策円卓会議の任務、作業と1部、重なり合っております。しかし、円卓会議はもんじゅ事故を契機としてできた経過があり、政策全般の評価機関として位置づけられている訳ではありません。従って、仮りに円卓会議を評価機関としてこのまま存続させるとしても改めて長期計画全体の評価機関としての役割と位置づけを検討する必要があると思います。
以上
平成12年6月8日
委員 敦賀市長 河瀬一治
長期計画策定会議素案作成に関する意見について(回答) 梅雨の候ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
つきましては、表記の件について、下記のとおり意見を提出しますので、よろしくご配慮願います。
記 ①新原子力長期計画の国民合意について
- 第一分科会報告等の各部分に『国民の合意形成』『国民の理解を得るため』などの記述がありますが、国民の理解活動をするのはそれぞれの関係者と解するべきですか?
- また、新原子力長期計画自体の国民合意は、どのように図る予定ですか?
- 一案として、新原子力長期計画を国会に報告して、承認または了承などの手続きを予定しているのですか?
- 各政党等において、自然エネルギー発電促進法案や原子力地域振興特別措置法案の立法化の動きがあるが、これと長計との調整はどうなるのですか?
②地域振興について
- 自民党電源調査会が原子力地域振興特別措置法案を作成しておりますが、第一分科会報告にはこの点に関する記述が弱いように感じられるので、長計素案には、より積極的な記述をして戴きたい。
平成12年6月9日
全国電力関連産業労働組合総連合
会 長 妻 木 紀 雄
長期計画策定会議素案作成に関する意見について(回答) 先般の第11回長期計画策定会議において、どの分科会でも審議されていないような事項について確認していただきたい旨の発言がありましたので、検討していただきたい点を下記に記載しお送りさせていただきます。
記
○産業用原材料・産業廃棄物への放射性物質混入防止対策について
ゴールデンウィーク前後に相次いで発見された鉄鋼原料用スクラップへの放射性物質混入の問題に鑑みて、産業用原材料や産業廃棄物に未然に混入を防止する手だてと海外からの輸入品においても水際で察知する仕組み、また、発見された放射性物質を安全に処理する体制の整備などについても検討していただきたい。 O「安全確保への取り組み」におけるスコープについて
これまでの議論では、社会的に問題となった事故やトラブルを踏まえて、原子力発電や核燃料サイクル事業における安全の確保のみが議論されてきた。過去の長期計画においても、この範囲での書きぶりとなっている。
しかし、研究機関や医療現場においても核燃料や放射性物質(RI線源)を取り扱う施設は、原子力発電所よりも遙かに数が多く、これらの施設における廃棄物の処理までを含めた安全確保対策や防災対策についてもスコープとすべく、検討していただきたい。
以上
長期計画策定会議における今後の審議テーマについての提案書
2000年6月20日
吉岡斉はじめに
原子力委員会決定「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画の策定について」
(平成11年5月18日)の中で、留意点として挙げられているのは、次の5点である。(吉岡流に表現を修正しているところもある)。
〔A〕 21世紀に向けての原子力研究開発利用の全体像と長期展望を提示する。 〔B〕 国民や国際社会に向けてのメッセージとしての役割を重視する。 〔C〕 状況変化によらず不変の理念・政策と、状況変化に応じて可変的な理念・政策を区別し、後者については取りうる選択肢と評価方法を示す。 〔D〕 国と民間との連携・協力のあり方を見直す(強化するのではなく)。 いずれも重要な留意点だと思う。しかし、いずれも個別の分科会で論じ尽くすことのできる事柄ではなく、全体会議で突っ込んだ議論を行うべき事柄だと思う。そうした観点から、今後の全体会議での審議テーマとして、以下の10個のテーマを提案したい。 〔E〕 商業段階の事業と研究開発段階の事業について、それぞれ理念を明確にし、全体としての整合性を確保する。 〔テーマ1〕原子力(核エネルギー)技術に関する歴史認識をどうするか〔A〕
将来の長期展望を行うには、過去の歴史認識が不可欠である。4月24日開催の第9回長期計画策定会議の本会議の席上、森嶌昭夫座長代理が提出した「新たな原子力長期計画骨子作成のための議論用資料」のなかに、次のような歴史認識が示されている。「20世紀の原子力の歴史は、人類社会に多大な貢献を果たしてきた。特に、資源が少なく、地理的制約を受ける日本にとっては欠くことのできない科学技術資源である。」
このような歴史認識を、長期展望の基礎に据えるべきではない。もしそうすればそれだけで、「日本人の核意識」の底の浅さを国際社会に対して露呈し、ひいては「日本の核武装の野望についての疑惑」を刺激することになりかねない。
原子力技術の歴史は、軍事・民事の両分野を包括したものとして捉えられるべきであり、そうした観点からは原子力の歴史は、莫大な「負の遺産」をわれわれに残した「負の歴史」として捉えられる。原子力の歴史を美化するのは、核保有国だけで沢山だ。なお原子力の民事利用は、その軍事利用との密接なリンケージゆえに、冷戦時代において実力以上の政策的優遇を受けたが、ポスト冷戦時代においてはそれはマイナス要素へと転化した。そうした歴史認識に立って、民事利用の将来計画を立てねばならない。以上は私の見解である。会議でさまざまの見解が表明され、活発な議論が行われ、一定の結論が導かれることを望む。〔テーマ2〕原子力開発利用を永続的なものとするための条件は何か〔A〕
原子力は、その技術的な特性ゆえに、他の技術とは桁違いに高度な安全と保安のための方策を、常時講じておく必要があるものである。しかもその必要性は、たとえ将来において原子力開発利用が世界的に廃絶されたとしても、超長期にわたって解消されない。(「負の遺産」として、広大な汚染地帯や、高レベル放射性廃棄物などが生ずる)。
だが果して、原子力に要請されるきわめて高度な安全と保安の水準を、いかにして維持できるか。それを可能にするための条件は何か。もしそれが不可能と判断されるならば、原子力からの撤退を考えるのが賢明である。直観的に見ても、「核エネルギーとの永続的な共存」(あるいは政治的含蓄の強い言葉なので好きではないが、「持続可能」な核エネルギー開発利用の実現)は、きわめて困難である。(第1分科会報告では、ほとんど根拠なしに「十分管理できる見通しが得られつつある」と述べているが果してそうか)。
少なくとも、原子力発電は市場経済に本質的に馴染まないように思われる。企業は中長期的にみれば不安定な組織であり、原子力発電とその「負の遺産」の半永久的な抱え込みという大きな負荷に耐えられるものではない。したがって、国家によるサポートとバックアップが不可欠であるが、果してそれがエネルギー産業政策の全体的見地から正当化できるかどうかは難題である。また長期的には、国家自体が安泰ではない(少なくとも財政的には)ことも考慮に入れなくてはならない。
以上のようなことを、文明史的な観点をも取り入れて議論したい。〔テーマ3〕原子力政策の意思決定枠組みをエネルギー開発利用政策の全体としての意思決定枠組みの中にどう組み込むか〔A〕
エネルギー開発利用政策の全体としての意思決定枠組みが、二元的な構造となっている点は、早急に改めなければならない。そこでは原子力委員会が原子力政策について政府内で最高位にあるが、その一方で、通産省がエネルギー政策について最高位にあり、そこから派生するものとして商業段階の原子力政策についても、通産省が事実上最高の決定権をもつ。そうした二元的な構造を解消する最もスマートなアイデアは、包括的なエネルギー政策について内閣全体の観点から企画立案作業を行う委員会(仮称:総合エネルギー委員会)を、内閣府に設置し、そこに原子力委員会の機能を吸収することである。そうすれば、エネルギー開発利用計画が、原子力開発利用計画の上位に立つ。
なおエネルギー政策は、世界平和の維持、国民の生命・健康の維持、環境保護、科学技術の発展など総合的な政策判断が必要な分野であり、そこにおいて経済や産業の発展という観点が優遇されるのは妥当ではない。従って、それを経済産業省が所轄するのは妥当ではない。特定の省庁でなく政府全体の責任において政策を企画・立案する必要がある。予算配分も、エネルギー全体の中で競争的に行われるようにする必要がある。
さらに、放射線に関する行政が多元的となっている点など、官僚機構とその法制が複雑怪奇な様相を呈している諸点については、上記と同様の改革を行う必要がある。
以上のような点を議論し、一定の方向性が結論として得られれば有意義である。その結果として、原子力長期計画という仕組みそのものを見直すのが妥当であるとの提言が導かれるかも知れないが、それも選択肢として考慮に入れた判断を行うべきである。〔テーマ4〕国民へのメッセージをどのようなものにするか[B〕
A4版1枚程度で、提言内容を明快な文章に要約するよう、努力すべきである。ただしもちろん提言内容の理由説明には、数枚以上の分量が必要となるだろう。私の意見では、次のような提言をメッセージとして伝えるのが妥当だと思う。
本策定会議は、原子力開発利用を拡大するという前提に立って検討を進めたのではなく、縮小や廃止の可能性も選択肢として考慮に入れて、どの道が最善であるかという観点から検討を進めた。つまり、
(1)原子力発電の拡大、
(2)使用済核燃料の全量再処理、
(3)高速増殖炉サイクル技術の実用化計画の継続、
という従来の3つの基本政策が、将来にわたって不変なのではなく、状況変化に応じて将来変わりうるという認識に立って、検討を進めた。
その結論として、3つの基本政策を直ちに撤回することは妥当でないとの判断に達した。しかしながら、上記の方針を撤回すべきだという判断もまた、かなりの説得力をもつものであり、将来の状況変化によっては、それが第一の選択肢ともなりうると、われわれは判断する。そうした観点から、新しい長期計画では、従来の方針を大幅に柔軟化させることとした。
従来の長期計画は、全ての政府事業・民間事業を、計画の対象とし、民間事業をも国家計画の中に包括的に組み込んできた。しかもその国家計画は、きわめて詳細かつ具体的なものであった。すなわち、おおむね十数年後までの全ての主要事業について、その責任主体、事業規模、目標年度が明示されてきた。
しかるに新しい長期計画では、民間事業については政府としての希望・期待を述べるにとどめることとし、目標年次や数値目標に関する記述もほとんど割愛した。また研究開発段階の事業については、実用化への単線的路線を突き進むという従来の考え方を撤回し、選択の幅を持たせるようにした。さらに、柔軟な計画見直しを臨機応変に行うことができるよう、厳格かつ公正な評価システムを整備して、政策評価および事業評価を、第三者的観点を尊重しつつ行うという方針を明確に示すこととした。そして政策の見直しを国民を巻き込んだ形で適宜行うことができるように、情報公開を一層促進するための措置を講ずるとともに、国民意見反映のためのさまざまの方途を一層整備することとした。
そうした「開かれた政策決定」の仕組みが効果的に運用され、しかも優れた安全上の実績が積み重ねられるようになるならば、国民の不信・不安は緩和される方向に向かうことが期待される。ただし重大事故は起こりうるものであり、また放射線の人体影響にはなお不明の点が多いことを考慮し、国民は常に「一定の警戒感」をもって生活してほしい。
以上がメッセージの基本的な筋書きであるが、これに説得力をもたせるには、なぜ3つの基本政策を継続するのが妥当であるかについて、選択肢を立てての総合評価によってベストの方針を選ぶ、という手続きを踏んで説明しなければならない。(残念なことに、第2分科会および第3分科会の報告書では、そうした手続きは踏まれていない。だから全体会議の報告書で、かなりの程度まで突っ込んだ記述を行うのが適当である)。さらに、「一定の警戒感」とは何か(安心とは何か)についての丁寧な説明も必要である。〔テーマ5〕国際社会へのメッセージをどのようなものにするか〔B〕
基本的に、上記と同じ説明を行うのが適当である。しかし、次のような点については、追加的な説明が必要である。
第1に、先進諸国では、日本と異なる基本方針--①原子力発電の新増設の中止、②使用済核燃料の再処理から直接処分へのシフト、③高速増殖炉サイクル技術の実用化計画の中止--が取られているが、これをどう評価するかの記述は必要である。(十分な合理的理由があり、至極もっともである、と書けばよい。そして日本の原子力も多くの点で、他の先進諸国と同様の問題を抱えていることを、率直に認めればよい)。
第2に、日本でなぜ、他の先進諸国とは異なる基本方針を採用しているかの説明が必要である。(ローカルな特殊事情によって、総合評価の結論が変わってくる、といった説明になろうか。この線で合理的説明が可能かどうかは疑わしいが。あるいは先進諸国の動きの方が不合理であり、日本だけが正しいのだと主張することも、理論的には可能であるが、その論証はさらに輪をかけて困難であろう)。
第3に、そうした基本方針を日本が取ることが、国際核不拡散の観点からのリスクを増大させることを率直にみとめ、そのリスク増大についての正確な評価を示すとともに、それを解消したり相殺したりするための具体的な方策について、提案を行う必要がある。
第4に、「一国原子力愛好主義」の状況を、将来どう変えたいか(あるいは変えたくないか)についての構想を示す必要がある。(世界的に受け入れられるだけの普遍性を持った新たなシステムを構築して世界に普及させる、という考え方もありうる)。〔テーマ6〕状況変化によらず不変の理念・政策とは何か〔C〕
これについては第11回(6月5日)に問題提起したとおりである。「われわれは、『変えることの出来ないものを受け容れる冷静さと、変えることが出来るものを変える勇気と、そしてその両者を識別する知慧』(R.ニーバー)をもって21世紀の原子力政策に取り組まなくてはならない」というのは、〔C〕を文学的に表現したものであり、原子力委員会の方針に準拠したものである。私は、「日本が核武装をしない」という1点を除き、全てが可変的だと思うが、異論をもつ者があれば、議論をしたい。
〔テーマ7〕事業・政策の評価方法とその資源配分への反映方法をどうするか〔C〕
これについては第三分科会報告に、基本的な考え方が示されている。すなわち、事業評価については事業者が外部評価を取り入れる形で行い、原子力委員会がその妥当性をチェックした上で政策決定の判断材料とする。また政策評価については、原子力委員会が「第三者的観点を十分に尊重しつつ」みずから政策評価をし、それを政策に反映させるというのである。これを全体会議が全分野に適用される原則として確認することが適当である。しかし、原子力委員会の「自己評価」という形で閉じさせるのか、それともさらに別の組織が独自の評価を行うのか(あるいは「評価の評価」を行うのか)についての検討を行う必要がある。また「自己評価」をいかにして「開かれた評価」とするかについても検討が必要である。
〔テーマ8〕政府と民間の関係をどうするか〔D〕
今までの長期計画においては、政府事業のみならず民間事業までが、国家計画の中に組み入れられてきた。こうした政府の過剰な介入の結果として、電力会社をはじめとする民間会社の事業は、国家計画によって強く束縛されてきた。だがこれは、他産業の常識と相いれない時代錯誤的なものであるばかりでなく、グローバル資本主義化の進展とそれを背景とした規制緩和の推進という時代の要請にも反する。さらにいえば、エネルギー事業は技術革新の激しい分野であるため、その基本的なルールの流動化によって、民間事業の経営の在り方は激変することが予想される。現存する企業の大部分が、遠くない将来において消滅するか、あるいは現在とは似ても似つかぬ企業となる可能性がある。民間事業を国家計画によって束縛することは、経営改革(経営権の譲渡にともなう不採算事業の整理など)の足かせとなる恐れがある。それゆえ今回の長期計画では、民間事業を国家計画の対象から外す必要がある。ただしその場合でも、原子力委員会としての「大枠としての考え方」を示して、それにもとづいて税制上・財政上の優遇措置などの政策を勧告することはできる。以上のような観点から、民間事業については民間の決定を尊重することを原則とすべきである。ただし原子力が市場経済に本質的に適合しないものであることを考慮し、政府によるバックアップの方策を講ずるのが適当である。以上のような観点から、幅広く議論したい。
〔テーマ9〕研究開発機関、メーカー、ユーザーの三者関係をどうするか〔E〕
このテーマは、研究開発段階の事業についての基本理念に関わる重要問題であり、十分に論じておく必要がある。従来は、研究開発機関が実用化の目処がつく段階までを担当し、その上で電気事業者(ユーザー)に商業施設の設計・建設を委ね、メーカーはそれに協力する、という関係が当たり前のように想定されていた。そこでは民間は政府計画への協力を半ば強制されていた。それがオールジャパン方式の開発体制などと呼ばれてきた。
しかしこれは、他産業の常識から著しくかけ離れたものであり、軽水炉と比べてさえも奇妙な仕組みである。グローバル資本主義化の進展とそれを背景とした規制緩和の推進という時代の動きに対応するように、この仕組みを見直すべきである。民間機関にとっては、営利事業としての合理性を有するという条件を満たしてはじめて、研究開発に参加する意義がある。したがって研究開発への参加や、そこからの脱退については、経営上の判断にもとづく民間の自己決定に任せるのが適当である。
とくに今後は、エネルギー産業の構造が激変する時代となることが確実視されている。そのもとでは大手のエネルギー関連企業や、伝統ある大型の民間研究機関といえども、その経営方針や運営方針を、状況の変化に応じて柔軟に変えていかねば、将来にわたる存続は覚束なくなってくる。経営権の譲渡にともなう不採算事業の大胆な整理なども、日常的に行われるようになるかも知れない。このような時代において、政府が半強制的に、国家プロジェクトへの協力を民間機関に要請しつづけることは、時代錯誤である。それは民間機関にとって大きな負担となり、経営改革を大胆に行うことへの足かせとなり、経営権の移管に際しても、不良債務のようなものとして、敬遠されるおそれがある。
以上のような観点から、幅広く議論したい。〔テーマ10〕国民意見をどう反映させるか〔A~E以外の論点〕
全体会議と分科会との関係は、出発時点では曖昧であった。「本来は全体会議が、新しい原子力長期計画の全体としての基本理念を最初に示し、それを踏まえて各分科会がより詳細な方針を決める、という手続きが踏まれるべきであろう」と私は再三主張したが、それは採用されず、曖昧な形で出発した。
現在もなお曖昧であるが、各分科会報告の主要勧告を尊重しつつ(つまり明確に矛盾した勧告を出さないよう配慮し)、原子力全体に関わるテーマや、分科会での議論が欠落しているテーマについて結論を出し、それも包み込む形で全体をひとつのストーリーとして組み上げ、さらに国民との意見交換を行いひとつひとつの国民意見の採否について検討した上で、最終的な決定を行うのが全体会議の役割である、というのが大方の委員の共通認識となっているように思われる。
しかしパブリック・コメントに対して責任をもつのは全体会議である。分科会報告はパブリック・コメントを一切反映させない形で出される。したがってその結論はデュー・プロセスを経て導かれたものではない。全体会議が国民意見を採用することによって、各分科会の結論を実質的に棄却し、それとは異なる結論を出す可能性も存在する。
そのことを明確に表明した上で、パブリック・コメントに臨むべきである。なおもちろんパブリック・コメントの具体的な進め方についても、この全体会議で決めなければならない。
以上