国民参加について

○氏名   :本田 佳世

○ご意見の内容:

第27回策定会議の資料第2号の「原子力の国民・社会との共生」(論点の整理)(案)は、情報公開、立地地域や国民とのリスクコミュニケーションの記述が詳細で、現在の社会のニーズである相互理解と共生を反映しているまとめになっていると思いました。ただ、1点気になりましたのは、国民参加の意義の書き込みがあまりないことです。内山委員も第26回長計でご発言されましたが、原子力は特に社会的インパクトの大きいリスクを前提としたエネルギーです。事故や不正の反省によって信頼を回復するための努力の誠意は伝わりますが、本来は、国民がこのリスクとベネフィットを比較して、原子力を選択するかどうかによって国策が位置づけられるべきだと考えます。そのためのリスクコミュニケーションであり、情報公開だと思います。「原子力をどう考えているのか、それはなぜなのか」という木元原子力委員のご意見によって、それに関連した書き込みはされましたが、その認識の背景として、民主主義の哲学があるのではないでしょうか。残念ながら原子力政策ではまだ、政策決定過程における国民参加の実践や枠組みの整備がそれほどなされてはいません。事実、原子力と放射線がこれだけ私たちの生活で広く利用され、それを支える法整備等も多々あり、国内に大きな影響力を持っているにも関わらずです。
  国会で審議し、チェックされているから間接民主主義は成立していると思われるかもしれませんが、私が委員会を傍聴した限りでは、大抵の場合、与党の議員は半分も来てないことが度々です。人数が足りなくて審議を中断し、呼びに行くこともしばしばですが、やって来ても携帯メールを読んでいたり、文庫本を読んでいる人もいます。採決の時だけ、全員揃います。ですから、野党から質疑があり、応答があってもそれを聞いて判断してくれる議員はとても少ないのが現状です。これはエネルギー基本法の審議の時も同じ状況でした。
  情報公開においても、専門家の方から見れば何でもないことであっても、普通の市民から見たら重要だと感じるギャップはあると思います。また情報の意味することがよく分からなくて混乱したり、「愚かなことと思われることまで公開している現状をどうするのか」とご発言された委員もいらっしゃいましたが、情報が多すぎて、どれが重要なのか分かり難くなることもあるかと思います。
例をあげると、今から5年も前になりますが、ある原子力発電所に学生メンバーを中心としたグループで行った時、帰りに退出モニタの警報が鳴った人がいました。どれくらい被ばくしたのか数値を教えてくださいとお願いしましたが、詳しく教えてもらえませんでした。そこで10分くらい交渉してようやく後日、FAXで送ってもらえることになりましたが、1ヶ月たっても来なくて、また電話で催促をして一枚紙だけで送られてきました。そこでもやはり具体的な数値は書いていませんでした。外に放射性物質を出さないために測っているから、と思われたのかもしれませんが、私たちにとっては一番心配なことが結局分からないままになりました。
 私は原子力を本当に国民と共生させるつもりがあるのなら、事業者や行政の方はもっと積極的に国民参加の仕組みを作るべきだと思います。複雑で詳細な情報の意味や責任主体を知りもせず、それが正しいかどうか国民が判断し、選択していくことは不可能です。ほとんどの人は仕事に忙しく、あるいは時間があっても説明が難しかったり、自分でHPを確認しなければならないなど、テレビや新聞くらいで情報を収集している大部分の国民には詳細が分からないはずです。コンセンサス会議のように、みんなで勉強する機会や資料が用意され、さらにその後、自分も専門家を交えた議論に参加できるという仕組みがあれば、関心はもっと高まると思いますし、議論によって問題点も明確になるので、それを見ている人は普通に書かれている文章を読むよりも、興味を持って見れると思います。TVなんかでもそういう番組がありますね。また、コンセンサス会議は賛成・中立・反対の人も意見を出す仕組みなので、国内の意見を集約したものと考えれば、国民の声を国政に反映しやすくなります。
 選挙で選ぶ権利がある以上、政治家や行政がどういう選択と判断をしているかを見極めるために、できる限り学ぶ義務が国民にはあるのではないかと考えます。それを下支えるために、現状の困難を克服していかに意見を吸い上げていくかという努力は誰もがしていかなければならないのではないでしょうか?関心の高い市民や原子力に厳しい意見をもつ第三者的専門家にどういうことを不安に思うか、公開が必要な情報かなどアドバイスを聴いて、彼らが気にかかる点を詳しく説明し、その内容を整理して公開していくなどの対応を安全性の確保や原子力政策の立案過程でもっと頻繁に、お考えになってはいかがでしょうか?原子力に対する厳しい評価や意見を大事にした、懇切丁寧な対応と対策をしているということが、信頼と相互理解に最もつながり、本当の共生に結びつくのではないかと考えます。新計画にそのような姿勢が表されると、日本の行政も高い志とポリシーをもっていると評価されると思います。
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「社会の究極的な力を安全に保存する場所として、民衆自身以上のものを私は知らない。もし、民衆が健全な思慮をもって自己統制を実践するにふさわしいだけの啓蒙を受けてないと考えたならば、それに対する最善の対策は統制権を剥奪することではなく、彼らの思慮分別の程度を知らせることである」 byトーマス・ジェファーソン