(1)開会について
○那須座長より、本日は前回に引き続き、長期計画の骨子作成に向けた審議を行う旨の説明があった。
○事務局より、本日の配布資料の確認があった。
(2)原子力長期計画の策定について
○那須座長より発言があった。
- 前回の策定会議では、森嶌座長代理に準備いただいた「新たな原子力長期計画の構成案」を基に審議を行い、構成案の項目について概ね了承いただけたものと考えている。
- 本日は、前回の審議及び各委員から提出された意見を踏まえ、森嶌座長代理に長期計画の骨子作成のための議論用資料を準備いただいている。
- 森嶌座長代理より資料のポイントを中心に説明いただいた後、審議を行う。
○森嶌座長代理より、資料2に基づき説明があった。
- 前回に長期計画の構成案について概ね了承いただいたと思うが、確認のため、資料2の8頁に参考として全体の論理展開を示した。
- 長期計画は、その名の通り原子力の研究開発及び利用の長期的計画を示すものであるが、それと同時に、国民に対してわかりやすく国の政策を伝える役割を有している。
- 原子力は光と影の両面を有している。20世紀において、原子力は人類社会に多大な貢献を果たしてきた。特に我が国は資源が少なく、原子力はエネルギー資源として重要であり、同時に科学技術開発の基礎となる科学技術資源といえる。他方で、影の部分として、事故、不祥事や、特に国際社会からの核拡散の懸念などが指摘される。
- これらを前提に、21世紀においては原子力の有する影の部分を適切に管理しつつ、原子力の研究開発を進めるため、その前提として、安全確保や情報提供、国民参加を中心とした「国民社会との調和」や、国際社会からの懸念を払拭するため情報発信を行い、平和利用の堅持や透明性の確保について理解を求めるという「国際社会との調和」が必要となる。
- 以上が総論部分であり、本文7頁までに論点として示している。
- 各論として各分科会で議論いただいている部分については、最終的な報告が提出された時点で議論いただきたい。
- 前回の審議及び各委員から提出された意見を踏まえ、項目の構成を整理した。参考資料2に、新たな原子力長期計画の構成案(2000/4/7)と新たな原子力長期計画骨子作成のための議論用資料(2000/4/24)の項目の対比を示したので参照いただきたい。大項目として、20世紀の原子力の研究開発利用の成果と課題、21世紀社会の潮流+原子力研究開発利用の意義・役割、国民・社会と原子力政策の新たな関係、国際社会と我が国の原子力政策の関わりを設けた。最後の大項目、原子力開発利用の将来展開については、各分科会の報告書を踏まえた上で作成するため、本日の議論用資料には記載していない。
- 資料2の本文は、事務局により各分科会での論点を抽出し、項目毎にまとめたものである。「ではないか」など疑問形で結んでいる項目については、各分科会において必ずしも十分に議論が集約されておらず、その取り扱いについては、各分科会での議論を待ち、その上で策定会議で検討いただきたいと考えている。
○ | 事務局より、20世紀の原子力の研究開発利用の成果と課題に関連して、資料3-1~3に基づき簡単な説明があった。
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○那須座長より、発言があった。
- 森嶌座長代理の説明において、各項目毎に具体的な論点が示されており、大項目毎に議論いただきたい。
- 各分科会の座長におかれては、疑問形で提示されている項目に対して、審議状況を踏まえ、この場で議論することが適切か否かを含めて、その取り扱いについて発言をお願いしたい。また、分科会で未だ審議がなされていない部分については、今後の分科会での審議を踏まえた上で議論する旨を積極的に発言していただきたい。
○主な質疑応答及び関連する意見は以下のとおりである。
(石橋委員)
- 原子力の光と影について、資料3-2で影の部分として提示されているのは、事故に限られているが、それ以外にも、配管の溶接データ改ざん、使用済燃料の輸送容器のデータ改ざん、BNFLのMOX燃料のデータ改ざんなどの問題が相次いでおり、国民の間に原子力事業者は何か隠しているのではとの疑念が存在している。資料2に事故・不祥事とあるのは適切であり、資料3-2にも不祥事について記述すべきである。
(鳥井委員)
- 全体構成について、市場や産業という視点が抜けており、そういった視点なしに技術開発を考えるのは意味がない。従来の長期計画では、技術は技術として単独で開発すればよい、記述があるものには国の予算が配分され、記述がないものは排除すればよいとの姿勢が見受けられた。それに対する反省にたって、技術開発の在るべき姿について検討を行い、前提として冒頭に記述がなされるべきではないか。第三分科会の議論でも、研究開発における柔軟な手法や多数による競争環境の重要性が指摘されており、そうした議論を踏まえて検討していただきたい。
(西澤委員)
- 光と影では究極的なことについて述べているが、現在影が差しているのは、本質的な危険以前の問題としてプラントで発生している事故やトラブルである。その様な認識の下で、原子力は危険なものであるから十分に注意して取り扱うべきといった記述が必要であろう。原子力が持つ本質的な影の部分から問題が生じたのではなく、不適切な手法によりトラブルが発生したのであり、それらに対する原因分析や、反省と対策を記述するべきである。
(吉岡委員)
- 基本的な意見が森嶌座長代理と異なっている。21世紀の原子力政策を考える上では、ダイナミックな歴史的認識を共有する必要があり、光と影という形で平板にまとめてしまうのではなく、従来の原子力の歴史と将来展望を記述するべきではないか。
- 資料2の8頁には、20世紀において原子力が人類社会に多大な貢献を果たしてきたとあるがそれは誤りである。1940年代に原子力革命が起こり、兵器や戦争に革命的な変化が起こったが、冷戦終了後には、脱原子力革命が進んでいる。民生利用についても、それが固有の魅力に乏しかったため、欧米の動きにもあらわれているように、原子力は現在苦境に立たされている。原子力は、解体核兵器をはじめとする膨大な負の遺産を残したというのが、私の歴史認識であり、そうした前提の上に立って議論すべきである。
- 科学技術の発展をそれ自体として価値づけるべきでない。そうした含蓄のある用語も使うべきでない。科学技術創造立国との言葉は、目的と手段を取り違えており、いかなる立国を目指すのかが明らかでない。科学技術は目的ではなく手段のはずである。同様にテクノロジーセキュリティという用語も、本来生活の手段である科学技術を、それ自体価値あるものとみなし、国としてあらゆる先端的な科学技術を全て保有し、守り育てるべきという結論に導くという点で、目的と手段を取り違えた概念である。科学技術は手段に過ぎず、国際分業の原則の下で、外国に優れた科学技術があればそれを購入すればよく、科学技術それ自体を価値あるものとして位置付けるような議論はおかしい。
- 原子力の促進・拡大を前提にして、影の部分をどうコントロールするかとの枠組みの論理展開が、構成案においてとられているが、それは適切ではない。我々の必要とするエネルギーの中の、原子力はひとつの選択肢であり、エネルギー全体としての総合的な評価を行い、そうした観点より原子力の位置づけを検討すべきである。
(妻木委員)
- 資料2において、原子力はやはり必要であるとの結論であれば、まず3頁の原子力の意義・役割があって、次に2頁の原子力の可能性との順序とすべきではないか。
- 原子力に関する教育の重要性については、策定会議でも議論がされており、総論で記述すべきである。
- 前回の策定会議においても、国民合意とは何かとの問題提起がなされているが、総論であるからやむを得ないのかもしれないが、合意形成について具体的な記述が十分ではないのではないか。第一分科会では活発な議論がなされていると伺っているが、現場の人間として何を成すべきかとの観点から、どのような論旨であるか要点だけでも披露いただければ有り難い。
- 立地地域との共生について、地域の発展のためには地域が主体的に取り組むとの記述は言葉としては理解できるものの、現地の第一線で従事する我々は何を求めて働けばよいのか全く示されていない。少なくとも分科会報告においては、何を目指すのかとの方向性を明確に示していただきたい。それがなされなければ、計画はできても機能しない長期計画に終わりかねない。
(村上委員)
- 本計画の表題は何か、また副題はつくのか教えていただきたい。
(森嶌座長代理)
- 表題は長期計画となるが、副題は今後の議論の中で、必要となればつけられることとなろう。
(太田委員)
- 教育については、第一分科会において、
- 原子力立国を選択する以上、エネルギー全般の教育の中で、長期的視点に立ち、基礎教育の段階から原子力の重要性について取り上げる必要がある。
- 総合的な原子力教育の在り方については、基礎的な事項として、文明の発展や原子力の可能性などについてどう捉えるかなどを検討し、エネルギー教育自体を充実させるべきである。
- 教員が直接アプローチして、エネルギーや原子力の問題について容易に情報が入手できるようなシステムや機関を設置するべきである。
といった議論がなされており、これらを踏まえて、何らかの記述がなされるべきであろう。
- 教育と並んで、マスメディアの果たすべき役割や報道の在り方についても、記述されるべきではないか。
(石橋委員)
- 科学技術について、数年来多くの議論がなされているが、それらを踏まえ、科学技術の在り方や原子力の在り方について、国民社会や国際社会との関係から捉え直して、長期計画の基本理念を位置づけるとの姿勢は評価したい。
- 国と民間との役割にも関連して、資料4の金井委員のコメントの中に、長期計画では具体的な計画を示す必要があるとの記述がある。これは従来の長期計画の手法であって、民間がいつまでも国との係わりに基づいて、事業を進めていくことは改めるべきである。新たに国民社会との関係という大きな視点をおいたのであるから、もっと別の観点から検討を行う必要があろう。
(金井委員)
- 科学技術基本計画の検討の中で、原子力の項目があり、そこでは長期計画を踏まえて見直すとある。科学技術の側面については、例えば医療の分野であれば様々な選択肢の中で原子力があるというように、産業との繋がりから、全体の中での原子力の役割を示していくべきである。
- 長期計画は国として政策と意思を表すものであり、エネルギーに関しては原子力のみでは議論できないものの、エネルギーの中の原子力の役割を議論し、その中で研究開発の在り方を考えていくべきである。原子力のように大規模な研究開発では、ある程度の長期的な目標がないと原子力産業が衰退する一方となろう。国がエネルギーを長期的に考えるには、やはり一定の方向性を示すことが必要である。
(桂委員)
- 国の役割と民間の役割の問題については、安全性と経済性の両立の項目など随所に見られるが、長期計画はどういう立場で国の政策を具現化するのかに関連してくる。従来は、国の役割として先導性が求められてきたが、最近の規制緩和、民間主導の流れの中で、従来通りでよいのか、国の抑止力、チェック機能を最大限生かさないと問題が生じるのではないか、新たな手法を開発すべきではないかといった検討がなされるべきである。また、国と民間は単なる連携・協力でよいのか、相互監視的な役割が基本的に必要なのかについても、議論を行うべきではないか。
(近藤委員)
- 国と民間の役割については、第二分科会でも積極的な議論がなされてきたが、エネルギーとして、場合によっては技術としての原子力の持つ公益性に着目して、これを国民が享受していくためには、民間の自主的な利益追求活動に任せるのみでは不十分であり、国がいかなる役割を果たすべきか検討する必要があるとの論旨であった。
- また、科学技術の持つ潜在的な危険性の管理は、第一義的には当該事業者が社会的存在として適切に行うべきであるが、国としてもそれが適切に実施されることを、特に原子力に関しては許可という形で確認しており、それに伴って、国民に対する説明責任を果たすための監視の必要性が指摘されている。昨年のJCO事故ではそれが十分であったか否かが問われることとなった。
- 特に議論が集中したのは、公益追求という光の部分に属する行為において、エネルギーセキュリティを享受するために国が何をなすべきかとの点であった。
- 戦後においては、原子力の持つ独自性に着目して、国が先導して開発を推進してきたが、産業化が進んだ段階に至っても、なお強い誘導策を講ずべきか否かは、最近の規制緩和を踏まえて、論点となるところである。
- こうした議論については、資料2の4頁に「・世界的自由化の風潮の下~国の重要な責務ではないか。」とまとめられているとおりである。現在各委員の議論を集約する段階であるが、基本的には、なるべく市場のメカニズムに委ねるべく、今後ルールを作成することは重要であるものの、一方で、技術の種を用意することは民間で良くなし得るものではなく、長期的観点からの技術開発は国の役割であるとの意見が大勢である。
- テクノロジーセキュリティとの言葉はやや誤解を招きやすいが、国力や国の福祉の確保に、技術が重要な役割を果たすことは事実であり、過去の歴史が示すように、国が研究開発投資を行い、民間がそれを有効活用してきたとの実績が存在する。原子力がその唯一独自のものであるとの論調に反発されるのはもっともであるが、そのポテンシャルを有していることについては、多くの方が同意されるであろう。分科会の議論においても、チェックアンドレビューが適切に実施される限り、原子力に研究開発投資を行うことが、技術を通じたセキュリティ確保につながることを否定される方はいなかったと認識している。
(永宮第四分科会座長)
- 科学技術基本計画の検討においては、科学技術に関して国が支えるべきものとしては、一般的には知的財産の創造であるが、国内的には安心安全な生活環境と国民生活を保障すること、国際的には競争力のある科学技術の確保を2本の柱として位置づけている。分科会においても、それに近い考え方で議論が進められている。
- 外国から技術を買えばよいとの指摘もあったが、資料2の4頁にあるように、原子力科学技術のフロントランナーとして役割を果たすとの意識を強く持っており、そのためにはリーダーの育成や適切な評価方法の開発などの課題が多くある。
- 国と民間の役割分担について、従来は国と産業界は住み分けるべきとの考え方であったが、現在は21世紀はむしろ相互乗り入れを推進すべきではないかとの観点で議論を進めている。
- 教育や人材の育成の問題は重要な今後の課題であり、触れられていないのは残念である。
(下山委員)
- 国民へのメッセージとして長期計画は重要なものである。その観点から、原子力をめぐる国際情勢を、正しく国民に伝えるべきと考えている。残念ながら、核拡散問題をめぐる情勢は益々厳しさを増している。
- 資料2の8頁の参考は全体構想、いわばサマリーとして、長期計画の冒頭に記載される総論のように思えるが。
(森嶌座長代理)
- 参考はあくまで全体の構成を示したものである。長期計画が完成した段階では、冒頭あるいは末尾に、長期計画とは何をしようとしているものかとの説明が付けられることとなろう。
(下山委員)
- 現在、核兵器の不拡散に関する条約(NPT)再検討会議が行われているが、インドやパキスタンの核実験などに見られるように、核をめぐる国際情勢は前回の長期計画の時よりはるかに厳しくなっている。第六分科会としては、そうした認識を国民に対するメッセージとして示しておきたいと考えている。
(神田委員)
- 資料3-3について、我が国の状況をどのように認識しているのか、各国と並んで日本の記述も加えていただきたい。欧州統合の最大の成果は、通貨の統合ではなく、膨大な労力を費やしつつも電圧と周波数を統一したことであると述べる技術者もいる。それを前提として電力の自由化などの政策が採られているのである。それに対して、我が国は外部から電力が供給されない孤立した国であり、欧米とは事情が大きく異なる。また1国で2種類の周波数を持つ国は、私の知る限り他に存在しない。その様な特殊な国が、世界の議論に顔を出すのはおこがましいのではないか、と指摘する欧州の人間もいる。我が国の特徴も資料に記載すれば、比較を行う上でわかりやすいのではないか。
- 原子力には、エネルギー源としての側面と、様々な産業に貢献してきたとの側面がある。それらは随所に見られるが、互いに入り混じっておりわかりにくい。エネルギー論は一箇所で十分に書き込み、完結させてしまい、それ以外の貢献を示す方が理解しやすいのではないか。
(森嶌座長代理)
- 資料3-3については、事務局にて日本の記述も加えるようにしたい。
- 資料2の8頁に示した論理展開について、基本的な意見が私と異なるとの吉岡委員の指摘に対して申し上げたい。策定会議及び各分科会の議論では、原子力にはプラスの面とマイナスの面が存在し、マイナスの面をいかに克服するか検討することが長期計画の前提であり、各論でどのよう研究開発などの個別の課題を政策として進めて行くのかが課題とされている。ここに記述されている内容は、私の個人的な考えではなく、策定会議や分科会の議論を踏まえたものである。また、始めに原子力ありきで、無批判に原子力を推進するものでもない。あくまで、全体の議論の流れを踏まえて、それに沿って記述したものである。
- 最初から、原子力の未来はないとの前提に立つべきとの意見は、皆無ではなかったが、全体の考えではない。そもそも、そういう前提であれば、長期計画そのものが論理的に成り立たないであろう。
- 各分科会での議論を踏まえて記述したのは、マイナスの面をどのように克服するのか、そのための前提は何か、原子力がこのような理由で必要とされている、また、このような理由で原子力科学技術を展開していかなければならないといったことである。8頁に示した論理構成で進めて良いかどうか、概ね承知いただいたと理解してよろしいか、この場で明らかにしていただきたい。
(吉岡委員)
- 原子力については国の内外で様々な議論があり、またこの策定会議の場でも様々な意見がある。そうした多様な見解を全体として幅広く紹介し、それらの見解について策定会議としてどのような判断を下すのか、またどのような理由でそうした判断を下すのかについて、国民や国際社会に対して高い説得力をもつ論理を呈示していかなければならない。こうした手続きが適切に行われなければ、また推進節をいっているとみなされてしまう。私の意見を含める形で、そうした裁判の判決のようなバランスのとれた記述がなされるのであれば、構成には同意する。
(森嶌座長代理)
- 法律家として、十分に皆様の意見を伺った上でバランスのとれた記述とすることこそ、私の役割として期待されていることであろう。様々な議論が存在し、それらを集約していくのならばよいが、ある見解を通してくれとの御趣旨であれば、今後の作業にさしつかえるため受け入れかねると思い、確認させていただいた。今伺ったような御趣旨であれば、結構である。
(那須座長)
- 吉岡委員には、前回の策定会議においても、反対の意見を述べているのではなく、こういう考え方があることも知っていただきたいと申されていたと思う。
(鳥井委員)
- 影の部分を減らすとの論理展開であるが、そうではないということを申し上げたい。科学技術においては、社会のパラダイムの変化の中で、従来は光であったものも光を失うことがある。科学技術はそれ自体に価値があるのではなく、我々の目指す社会像があり、それに合わせた科学技術を創造していくのが、今回の長期計画のあるべき姿である。21世紀の潮流についても、科学技術は大切であって、こういうよい社会ができますとの記述ではなく、我々はこうした社会を目指します、それにかなうような原子力を含めた科学技術を創っていきましょうとの構成であるべきである。
(森嶌座長代理)
- 私としては鳥井委員の御指摘に沿った発想をしていると認識している。前提として20世紀の原子力について光と影を示し、21世紀の社会の在るべき姿を示した上で、原子力がいかなる意味を持つのかを明らかにしようとしている。原子力ありきではなく、21世紀に新たに展開されるであろう社会状況の中で、原子力の位置づけを示すべきであろう。
(鳥井委員)
- 原子力技術がどういうことを要求されているかを明確にするべきである。
(森嶌座長代理)
(久保寺第五分科会座長)
- 全体の流れとして論理性のある表現がなされていて結構であるが、教育や人材育成が言葉として提示されていないことが問題であろう。
- 細部になって恐縮であるが、原子力には事業者と国以外にも、大変多くの放射線や原子力に係わる仕事をする方々がおり、技術を動かすのはロボットではなくそうした人間であるという観点も入れていただきたい。適切な言葉であるかは分からないが、セーフティーカルチャーやラーニングカルチャーという言葉が最近多用されている。これらを安全文化ではなく安全倫理あるいは学習倫理と呼ぶこととし、また、そうした自覚を持っていただけるよう、原子力や放射線を扱う個人に対するメッセージを、可能であれば長期計画に盛り込んでいただきたい。
(住田委員)
- 資料2の8頁の参考の部分で、エネルギーとしての原子力を選択するときには、消極的側面と積極的側面の2つの側面がある。消極的側面としては、我が国の資源が少なく地理的制約を受けるとの条件から、原子力を選択することはやむをえないとの論理であるが、それ以外にも、科学技術としての重要性や、エネルギーセキュリティや地球環境保全に貢献するためとの理由から、積極的に選択する必要があるのだと論理が存在する。これらの両方の側面を盛り込むことにより、3頁の我が国にとっての意義・役割の記述も、他の国とは違う地理的資源的状況や原子力科学技術のフロントランナーたるべきとの主張が書き分けられ、整理されると考える。それによって、我が国の特殊な地理的、資源状況が、国際的な動向とは異なる特別な意義・役割につながるとの位置づけが明確となるであろう。
(佐々木第五分科会座長)
- 4頁ページの放射線利用の重要性の高まりに関連して、放射線利用に関する第五分科会の議論について申し上げたい。
- 放射線の利用の分野は多岐にわたっているが、放射線を利用しない技術でより効率がよく、かつ安全性に優れてた技術があれば、必ずしも放射線の利用にこだわる必要はない。しかし、現状でも、近い将来においても、放射線利用に完全に置き換わる技術が存在する、あるいは現れるとは考えられないので、放射線利用の重要性は益々高まるであろう。
- 原子力の利用としては受け入れられるとしても、狭い意味での放射線、すなわち電離放射線の利用と、医療の分野で広く利用されている核磁気共鳴やレーザーを、放射線利用との言葉の中でどう扱うかが1つの課題である。
- 放射線利用は多岐にわたり、様々な分野で利用されているため、管轄する省庁も非常に多く、重なる部分も多い。現状では、省庁間の連携が十分でないため、技術が十分活用できていない面や、規制が不必要に複雑あるいは煩雑である面が存在することが指摘されている。さらに、将来に新しい技術が開発された場合にも、合理的でわかりやすい規制が実現し難いのではないか、ひいては利用の促進にブレーキがかかるのではないかとの懸念が持たれる。分科会の議論では、省庁間の横断的な連携と協調の重要性が述べられており、そうした視点も必要である。
(西澤委員)
- 長距離送電を行えば水力発電もまだ十分活用できる可能性があると述べたが、全く反映されていない。これは原子力の長期計画であるが、エネルギーは鎖国的であってはならず、それ以外のエネルギー源の選択肢が存在することについても記述がなされるべきであろう。
(佐和委員)
- 資料2の1頁の21世紀文明の展望に関して、20世紀は科学技術の世紀であったが、21世紀における科学技術は重要性は否定しないが、求められる科学技術像は異なっていくであろう。21世紀の科学技術像を明確にした上で、そのコンテクストの中に原子力をどう位置つけるかといった、芸の細かい記述が必要である。
- 資料2の1頁の④「人間を価値の中心に据えた」という表現は全く理解できない。物質的豊かさの追求も人間を中心にしたものであり、物質的な豊かさを手に入れたからこそ、環境など次なる価値が出てきたのである。
- 資料2の4頁の「フロントランナーとして指導的役割を果たす」との記述について、一体誰が期待するのかが明らかではない。原子力技術をパブリックグッズとして捕らえる考えが随所に見られるが、そうであれば、世界が期待するのか、それとも国として期待するのか、明確にすべきである。
- 資料2の4頁の「日本の科学技術力の裾野をひろげる」との記述について、なぜ裾野をひろげることにつながるのか、素人にも分かるように説明していただきたい。
(吉岡委員)
- 4頁の大項目「我が国にとっての意義・役割」の末尾2項目は政策に関する議論であり、次の大項目「国民・社会と原子力政策の新たな関係」に移動すべきである。
- 資料2の1頁の最後の①~④は次のように訂正するよう提案する。科学技術の更なる進歩は手段であるので、①を削除する。②の国際的視点を①に繰り上げ、新しい②は「すべての人間の健康で文化的な生活にとって十分な財の安定的供給」とする。③は地球との共生のままでよい。④の「人間を価値の中心」という項目は理解できないため削除する。その代わりに新しい④として、民主的社会の形成などとする。科学技術の推進についてあえて記述するのであれば、⑤とすればよい。科学技術を崇拝するような記述が見受けられるが、科学技術は手段にすぎないことを認識すべきである。
- 資料2の2頁の原子力の将来の可能性については、期待や貢献が記述されているが、過去及び現在の反省をまず最初に述べた後に、将来の可能性を考えなければならない。今までの歴史をどう評価するかを、ここに記述すべきである。
- 循環型社会だから核燃料サイクルを開発すべきとあるが、環境先進国と世界からみなされている北欧諸国やドイツなどでは、プルトニウム利用をしていないか、あるいは既に撤退している。プルトニウムの利用が循環型社会の理念にかなうとの議論は、世界的には通用しないであろう。通常のゴミについては循環型社会を追求することも大いに結構である。しかし、原子力の場合は、リサイクルすることが本当に適切かとの議論が世界的になされており、その結果消極的な態度をとる国が大勢であることを指摘しておきたい。
(鳥井委員)
- 吉岡委員の資料2の1頁の最後の①~④を訂正するとの提案には賛成であり、さらに「文明の発展が見通される」との箇所は、「文明の発展に努める」とすべきであろう。
- 資料2の2頁について、一般に使われる「持続可能な発展」との言葉も意味不明であるが、「持続的発展」ではさらに意味が分からない。
- 資料2の2項について、「産業の活性化」であるが、産業の活性化とはエネルギーを大量に消費できるようになって様々な産業活動が活発になるということを意味するのか、一般論ではなく具体的に記述するべきである。
- 資料2の3項について、国民の信頼・安心の確保とあるが、安心、信頼は確保するものなのか、用語としてなじまないのではないか。
- 資料2の3項について、高速増殖炉の開発については、高速増殖炉と限定して書く必要があるのであろうか、高速炉という記述も考えられる。さらに「すぐれた」という表現は、様々な意味に解釈できるため、その裏にある価値観を明確に整理すべきである。
(那須座長)
- 用語については未だ不十分なところがあり、今後適切なものとしたい。
(草間委員)
- 原子力や原子力に関する科学技術の可能性は高く、放射線利用まで含めると、産業の活性化に関しては非常に貢献していると考えられる。長期計画の中では、放射線も含めた科学技術として取り上げるべきである。
- 国際協力の面では、原子力の負の側面の事故等を考えた場合、国際協調や調和のみならず、国際協力は重要であるという書き方をすべきである。
(近藤委員)
- 吉岡委員の指摘について、北欧各国がプルトニウム利用を止めたから、循環型社会にプルトニウムリサイクルはなじまないとの議論は適切でない。循環型社会とは、それぞれの国がそれぞれの国のコンセプトで定義すれば十分であり、関係者の間で了解があれば用語として使ってさしつかえないであろう。またプルトニウム利用の問題は、第三分科会からの報告として、前回の策定会議で取り上げられたが、議事録によれば適切な議論がなされたと見受けられ、そのことについての座長代理の資料2の記述には何ら問題はないと考える。
(長見委員)
- 国民へのメッセージというのであれば、書き方や視点について指摘申し上げたい。国民において、そのリスクなどを勘案しても、原子力が一番適切な技術なのかについて、疑問を持っている方は非常に多い。原子力は必要とされている技術なのかがわかるような記述を、原子力の可能性や意義・役割の部分に書き込んでいただきたい。コスト、条件などいろいろなこと考え合わせて、国民に知らせていただきたい。
(太田委員)
- 字句を含めての細かい議論が行われているが、今後項目毎に肉付けを行っていけば、同様の議論が再び引き起こされるであろう。今回そこまで議論するということであれば、それは分科会の結論等を踏まえて肉付けした後でないと不可能であり、議論の出戻りが多くなって時間を無駄に費やしてしまう。
- 教育の話もあったが、例えばマスメディアの役割などは、第一分科会の報告書案では、役割のみならず、そのあり方、効果まで、国民の安心などと関連して、詳細な記述を行っている。合意形成の部分についても同様であり、細部まで議論するのであれば、次回からはもう少し書き込んだものを用意していただきたい。
- 資料2の21世紀社会の潮流の中では、化石エネルギーが枯渇する時代がやってきた場合、社会はどうなるのか、考証的に書き込んだ方がよい。2頁では、「地球との共生」と柔らかい表現となっているが、実際は資源論の観点からみると、数十年後には石油も天然ガスもない世界がくることが想定される。資源の有限性も明確に記述した上で、原子力エネルギーの必要性を強調すべきである。
- 資料2の2頁の人口爆発と途上国の生活レベル向上については、特に東南アジアや中国、インドなどの経済の発展の伸びと、それと平行したエネルギー需要の伸びは著しいものと予想される。そうした状況と、資源の有限性とを関連づけ、今ある数値的資料を使って可能な限り具体的に書き込んでいただきたい。
(那須座長)
- 各論として各分科会で記入いただく部分についても、本日の議論を十分に踏まえて、今後各分科会で議論していただきたい。
(村上委員)
- 資料2の5頁ページに国民の信頼と安心の確保に関する記述があるが、これらは重要性を理解するだけでなく、実際にどう実践していくかが重要である。従来原子力は科学者と技術者による物的な研究開発で進められてきたが、この問題に関しては、視点を変えて、社会科学的、人文科学的に具体化された形で追求することが必要である。表題として掲げることはできても、具体的にどのように解決するか、国民の信頼をどうやって得ていくかが本当の課題である。安全の確保は明確であるが、安心・信頼という人の心の中身の問題を確保するのは難しい。安心感の醸成に向けて、具体的にどのように進めるのかを政府として議論すべきである。
(神田委員)
- 議事の進め方について、この種の会議のルールとしては、通常一人当たりの発言は2回程度まで、一回の発言は3分、長くても5分までとすべきである。
(佐和委員)
- 資料2の5頁の危機管理体制に関しては、国と事業体の役割分担の問題となるが、主語が明確でない。
- 資料2の5頁に「安全性を軽視した経済性は存在し得ない」とあるが、電力自由化の中で、民間企業としてマーケットでの競争にさらされれば、事情は変わるのではないか。原子力推進の立場で、立地のために数十年を要しつつ、人的資本を含めて大量の資本を投入してきたのは、使命感があったからであろう。自由化でIPPと競争するようになれば、そうした使命感を維持していくのは困難である。その場合、経済性を追求するあまり、安全性を軽視することも起こりうるのではないか。安全性を軽視した経済性は存在し得ないのではなく、存在しないように国が何をなすべきかを検討しなければならないと考える。
- 資料2の5頁の政策決定の在り方については、どういうレベルの政策なのか理解しがたい。高速増殖炉を推進するか否かといった高いレベルの政策なのか、もっと細かな政策決定すべてについてなのかが、明確になるよう、書き方に工夫が必要である。
(那須座長)
- 官と民の役割分担については、従来の官は公で民は私でという議論はやめて、民はもっと公のことをやらなけれは、民の仕事にならないという自覚が必要である。民は、公の仕事もお客様の仕事も両方やらなければならない場合が多くなるとの認識を持つべきだと考える。
(佐々木第五分科会座長)
- 資料2の5頁の事故発生時の対応と補償問題について、人々の最大の関心は健康影響であり、健康影響での実害に対して、また実害はなくても不安に対する対応についても、十分に備えるべきであることを明記していただきたい。
(太田委員)
- 国のエネルギーセキュリティの確保こそが、大きな課題である。民間も公のつもりでやれといっても、収支が破綻すれば会社は潰れてしまうのだから、それが可能となるような枠組みを設けていただく必要がある。原子力が国のエネルギーの根幹で必要というのであれば、それが確保できる体制を作っていただきたい。そういう意味では、電力の自由化は、今回の部分自由化程度が最大限の範囲であると考えている。
- 資料2の5頁の国民の安心と信頼の確保の項では、防災について項目を立てて記述していただきたい。事故が起きても自分たちに被害がおよばないようにしてくれること、すなわち防災こそが安心の基本である。また、それと並んで、損害賠償についても項目を立てて述べていただきたい。
(神田委員)
- アメリカでは、電力自由化にともない過剰な利益性の追求が起こり、予備電力をとらなくなって、停電が増加してきた。電気事業者も自治体も何も対策をとらないため、国において自由化をやめて、改めて公営化に戻そうとの論議が起こっていることを指摘しておきたい。
- 安心と防災については、第一分科会で議論が行われているが、分科会の議論はそのまま各論につけられるのか、それとも重要な部分は総論に上がってくるのか教えていただきたい。
(森嶌座長代理)
- 分科会の報告書が提出した段階で、各論はもちろん総論についても再度検討するため、ここでの策定会議の役割として分科会の議論を集約することとなろう。ただし、それは分科会での議論全てについて総括するものではないことは承知おきいただきたい。
(藤家原子力委員長代理)
- 策定会議での報告書は、国民の皆様に隅々まで読んでいただくことを大前提としており、あまり大部なものとはしたくない。各分科会では有意義な議論が行われているが、その全てを取り入れることはできないため、分科会報告書は個別にまとめていただき、少なくとも分冊にはしたい。
- 分科会の議論のエッセンスは長期計画に取り入れるものの、分科会の議論の全てを取り込むことは考えていない。
(太田委員)
- 今回は本報告で落ちている項目などを指摘していただければよいのではないか。内容については報告書案の段階で議論すればよい。
(森嶌座長代理)
- 今日は、全体の方向性と論点に抜けがないかについて議論していただきたいと冒頭で繰り返し申し上げた。内容については、今後分科会報告などを前提として肉付けすることとしている。
(河瀬委員)
- 立地地域との共生や、防災は重要な課題と考えている。長期計画は立地地域のよりどころとなっているが、現在の原子力に対する逆風は、立地地域への偏見につながっていることを認識していただきたい。
- 原子力災害対策特別措置法の制定に次いで、議員立法による立地地域振興特別措置法の制定に向けて準備が進んでおり、関係する皆様にはぜひ応援をいただきたい。また、長期計画においても、ぜひ地域振興を取り上げていただくよう強くお願いしたい。
(草間委員)
- 資料2の6頁について、低線量の放射線の人体影響に加え、安全性研究を含めての基礎研究の推進を盛り込んでいただきたい。
(下山委員)
- 資料2の7頁について、第六分科会の報告では、世界各国で行われている努力へ具体的に日本が参画していく課題を挙げており、今後の日本の積極的姿勢を示していくこととしたい。
(竹内委員)
- 特定放射性廃棄物、すなわち高レベル放射性廃棄物をはじめ、その他の放射性廃棄物の処分についても、国が主体的に取り組むことを長期計画に示すべきではないか。国民は負の遺産を後に残すことを心配しており、総論に記述するかは別として、ある程度記述していただきたい。
(吉岡委員)
- 資料2の4頁の国民・社会と原子力政策の新たな関係については、安全確保の考え方といった各論にいきなり入っているのはおかしい。各論に入る前に総論が必要である。そこでは長期計画は何を目標として何を対象とすべきかについて、また過去の長期計画の反省について、記述すべきである。
○審議を受けて、那須座長より、発言があった。
- 本日の議論に関して、時間の都合上十分に御発言できなかった委員におかれては、書面にて事務局までご意見を提出いただきたい。
○ | 事務局より、意見の提出について、4月28日(金)を締切とさせていただく旨の補足説明があった。
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(3)閉会について
○事務局より、次回の会合について、以下のとおり開催したい旨説明があった。