(1)開会について
○那須座長より本日の審議事項などについて、説明があった。
- 本日は、「エネルギーとしての原子力」というテーマで審議を行う。最初に、文明論的視点から秋元委員よりプレゼンテーションをいただき、次に、第二分科会座長である近藤委員より、第二分科会における「エネルギーとしての原子力利用のあり方」に関する議論について、説明をいただく。
- また、本日は、原子力政策円卓会議のモデレーターである木村先生、及び茅先生にご出席をいただき、2月25日に原子力委員会に提出された「原子力政策円卓会議提言」について、説明をいただく。
- 前回の「国民・社会と原子力」の審議に関連して、書面でいただいた意見については、第一分科会に送付し、審議の参考にしていただいている。
○事務局より、本日の配布資料の確認があった。
(2)エネルギーとしての原子力について
○那須座長より発言があった。
- 原子力、特にエネルギーとしての原子力の意義、役割について、人類文明や地球環境といった長期的あるいはグローバルな視点から、どのように位置づけるかは、21世紀の原子力開発利用の理念を考える上で重要と考える。
- 秋元委員より、文明論的視点にて「人類の生存や将来の文明といった視点に立って、原子力がどのような役割を果たしうるのか」との観点から、プレゼンテーションをいただく。
○秋元委員より、資料2に基づきプレゼンテーションがあった。
「生成流転する地球:ガイアの世界」
- 地球は、太陽からエネルギーを受けるエネルギー解放系であると同時に、マテリアルを循環させる物質閉鎖系である。すなわち、生態系は「エネルギー」を取り入れ、「マテリアル」を循環させて、地球上にダイナミックな平衡を創り上げる、いわゆるガイア(注)とみなすことができる。その物質を循環させるサイクルの代表が、炭素サイクルである。また、人類は限られた地表の約1/3を、農地や牧草地として占有しており、文明社会が生態系を蝕んでいるように見える。
(注)ガイア:地球環境とそこに生きる生命体は、一体化した自己調整システムを形成しており、これをガイアと呼ぶことがある。
「文明社会の軌跡:自己組織化する文明」
- Y2K問題からも、文明社会は、安定供給、高品質性、無謬性を要求する社会であることがわかる。また、人間の生態系における適正な生息密度を1として、文明社会である日本では230であり、また、消費エネルギーは、筋肉社会を1として、世界では175、日本では600である。今後、中国をはじめとする発展途上国の生活水準の向上により、エネルギーの消費は飛躍的に増大するであろう。以上からも、文明社会が、もはや生態系に埋没することはできないことがうかがえる。
- こうした文明社会を支える三要素は、情報、マテリアル及びエネルギーである。エネルギーの利用は、受動的な火の利用から能動へ、やがては能動から創出へと推移してきた。動力は、人力、家畜、水車と進化し、19世紀の蒸気機関から急速にエネルギーが増大した。動力が筋力に置きかわることによってはじめて、奴隷制度は崩壊し、女性は家事から解放された。動力の開発は、大きく文明を進歩させ、文化を育ててきたといえる。
- ここにきて、地球が物質閉鎖系であることを忘れたつけが現れており、生態系破壊、廃棄物処分問題、地球温暖化現象等が発生している。
「収奪する文明から共生する文明へ:文明社会サバイバルのために」
- こうした状況を踏まえて、我々の文明も、収奪する文明から共生する文明への変化が必要である。そのための、第1の視点が、文明社会のミニ地球化である。その場合、ゼロエミッション化は可能かというと、リサイクルとエネルギー消費のトレードオフ関係を考えると、それは困難であり、資源収奪と廃棄物投棄の最小化「ミニマムエミッション」を目指すべきであろう。
- 第2の視点が、江戸時代型の文明社会であり、文明活動を抑制し、自然環境を活性化するとの両面から、文明社会間の物質交換速度をガイアの物質循環速度に近づけていく、この際「永遠」志向の文明から「滅び」を生かす文明を目指すことが重要である。
- 第3の視点は、植相型文明社会であり、太陽のエネルギーを取り入れる植物に学ぶことである。ただ、太陽エネルギーは密度が低く、主系統電力用には不適当であり、分散電源としての将来性を伸ばすべきであろう。
- 第4の視点は、原子力であり、宇宙原理のエネルギーを、文明社会の中で創出して、独立のエネルギー源を確保するものである。原子力の現時点の課題は、循環型社会のエネルギーとしてのトータル・システムの完結である。天然に存在するウランの大部分を占めるウラン238がエネルギーとなっていないのが大きな問題である。緊急課題としては、軽水炉が生み出すプルトニウム、TRUのエネルギー化が挙げられ、軽水炉サイクルを補完する高速炉が必要であり、中期的課題は、デファクト軽水炉を超える高速増殖炉の開発であろう。整合性を持つ国策としての位置づけが求められる。原子力は、主系統基盤エネルギーの本命ではあるが、未完の大器・原子力との認識を持つことが求められる。
「原子力はパラダイム技術たりうるか:反作用の克服」
- 原子力がパラダイム技術たりうるためには、数々の反作用を克服する必要があるであろう。
- NIMBYや先送り症候群、モラトリアムなど、ポピュリズム政治あるいは行政の克服として、ステーツマンシップの確立が必要である。三重県の選択は国のレベルでは不完全であり、住民投票は地域で完結する課題以外にはなじまないであろう。地方分権化に伴う公益空間の矮小化も生じており、責任権限の共有分担のメカニズムが求められる。また、市場メカニズムに任せての公共空間のエアポケットも生じており、JCO事故やMOX燃料のデータ改ざんもこれにあたるのではないか。
- 安全風化とサボタージュの脅威の狭間では、業際、国際的な安全ネットワーク、地域と一体化した開かれた安全対策が必要である。さらに、放射能環境の正当な理解も必要で、ICRP議論の見直し、低線量効果の解明、しきい値の確立、教育の充実が求められる。廃棄物処理処分では、放射線を発することで自身が消滅する能力の積極的な活用を検討するべきであろう。
- 原爆禁止運動の成果として、原爆はもはや使えなくなった究極兵器といえる。その反面、核抑止力神話がゆすり屋国家を作り出している。また、米国核兵器独占政策の犠牲にされた核燃料サイクル、核兵器解体のジレンマ、北朝鮮への原発供与で露呈したPu兵器神話の虚構なども、課題として挙げられる。原子力の軍事セクターの桎梏(しっこく)からの解放を目指し、平和利用に徹する意志の継続的実証と表明を行っていかなければならない。
- 災害をもたらした原子力を報復ではなく建設的に利用するという、被曝国日本が発する原子力平和利用メッセージの重みは大きい。目には目をといった疑惑、対立のパラダイムから、信頼、連携のパラダイムへと変化させていくことが求められている。
- 今後、世界全体が水平的なネットワークに組み込まれる中で、自分と他者とを対立させるのではなく、お互いが包摂されていくとの方向で、世界が移り変わりつつある。いずれ、他者を人間的な共感で受け入れられるような公共文化が確立されるであろうことを信じたい。そのためにも、愚直といわれようとも、原子力という新しいエネルギーを建設的に創出していくというメッセージを、世界に発していくことに努めたい。
○委員より以下の議論があった。
(河瀬委員)
- 原子力災害対策特別措置法の成立については、原子力発電所立地地域として評価させていただきたい。内容的には十分充実しているとは言い難い面もあるが、初期対応が重要であり、関係省庁には適切な対応をお願いいたしたい。
- 先日、敦賀市と福井県は、日本原電敦賀3、4号機の増設計画を受理した。奇しくも同じ日に、三重県では芦浜での発電所建設計画を白紙撤回した。全国原子力発電所所在市町村協議会は基本的に国のエネルギー政策に協力しようという立場であるが、敦賀市は40年間原子力とのつきあいがあり、福井県と三重県では事情が大きく異なるであろう。原子力エネルギーの活用についての国民合意や、原子力に対する理解が、いまだ確立されておらず、教育の問題を含めて長期計画において国として、しっかりとした議論をいただきたい。
- また、地域振興も重要な課題であり、自民党電源立地調査会で検討されている電源地域振興特別措置法が早期に成立されることを期待したい。
- もんじゅの運転再開について、現時点では、議論する段階ではないと考える。今の時点では、できるところから安全面の改善を行うべきであろう。円卓会議の提言においては、3つの選択肢が提示され、運転再開に言及しているが、立地自治体としては、安全面が非常に重要であり幅広く検討する必要がある。
- 円卓会議の提言では、廃炉にも言及している。敦賀市ではふげんの廃炉が決定したが、地元で働いている方やその家族になど、地域に大きな影響が及ぶため、十分に慎重な検討を期待したい。
- 様々な課題については、国の意見、それにも増して地域住民の意見を取り入れながら、対処していきたいと考える。策定会議に対しては、すばらしい計画の作成と、適切な助言を望みたい。
(太田委員)
- 芦浜での発電所建設計画の断念について、秋元委員はNIMBYは良くない、三重県知事の選択は適切でないと述べられたが、知事は、原子力発電の重要性と必要性を認めておられ、また同県内の立地について、一般論としては反対されていない。ただ、37年間にわたり立地が難航してきた、2町にまたがる従来の計画だけは白紙としていただきたいとのご判断であることを指摘しておきたい。南島町と紀勢町にまたがる地域では、賛成側と反対側の対立が深刻であり、町民の生活の安定が保てないため、ここだけの立地は止めていただきたいとの意味である。新たな立地については、近いうちに計画を作成し、立ち上げることとしたい。
○木村モデレーター座長より、資料3に基づき説明があった。
- 平成10年7月に原子力委員会から依頼を受け、2年間にわたり円卓会議を開催した。本提言は、平成10、11年度の議論を総括、反映し、5人のモデレーターが作成したものである。
- また、本提言は、国民の声を反映した政策を実現するための提言であり、原子力委員会をはじめとする政府に対してのみならず、国民全てに対するメッセージとして作成した。
- 以下の7項目からなる提言を提出するので、ご検討いただきたい。
- 第1点目として、エネルギー供給の中での原子力の位置づけは、今回の円卓会議での最も中心的な論点であった。そこでは、「今後のエネルギー需要の伸びをどのようにみるか」、「供給源の中で何を推進していくか」が、しばしば問題となった。
- これらについての一つの議論の集約として、政府は従来エネルギー需給見通しを作成しているが、原子力への依存のより少ないシナリオについて国民に示すべきである、との提案が出された。
- 我々は、こうしたシナリオは国民が原子力の位置づけを考える場合に大きな役割を果たすと考え、具体的なエネルギー需要と供給構成のシナリオを含め様々なシナリオを作成し、その前提を含めてそれらのシナリオを広く国民に公開することを提言とした。なお、我々モデレーターの中には、政府のみならず、国民が自らこうしたシナリオを作成する努力を行うべきとの意見もあったことを付け加える。
- 第2点目は、JCO事故を踏まえた安全確保のあり方である。我々も事故直後に原子力施設の安全確保に関する緊急声明を発表したが、事故以降の3回の会議のみでは、安全体制について具体的な提言を行うだけの議論はほとんど不可能であった。
- 我々はJCO事故が国民に与えた不安を極めて重大な問題と受け止め、緊急声明を踏まえ、今後、国と原子力関連事業者が全施設を通じての安全確保へ向けて、徹底した努力と責任の明確化を行うことについて要請が必須と判断し、提言とした。
- 第3点目は、国会議員に対する提言であるが、会議全体を通じて、国会議員は国会内外の様々な場で、原子力やエネルギー全般について国民に見える形で議論を深めその成果を原子力政策に反映してほしいとの意見が多く、提言とした。
- 第4点目は、電源立地地域の振興のあり方であるが、交付金の使途の見直し等により、交付金が立地地域の振興により役立つようにすべき、地域振興の前提はまずは地域の自主的努力であり、交付金はそのような努力が生かされた形で交付すべきとの意見などがあり、この2点を提言とした。
- 第5点目は、国民が原子力問題を判断するにあたっては、まずエネルギーと原子力に関する正確な知識を持つことが前提であり、学校教育、社会教育の場でエネルギー・原子力教育を推進すべきであるとの意見が多く出され、提言とした。
- 第6点目は、核燃料サイクルについてであり、その必要性をはじめ、高速増殖炉開発、プルサーマル、「もんじゅ」の取り扱い、高レベル放射性廃棄物処分等について議論した結果、ウラン資源の有効利用の立場から、核燃料サイクルを今後の一つの選択肢として研究開発することには肯定的意見が多く、我々も研究開発をサポートすることで一致し、これが提言の基盤となった。
- 「もんじゅ」の扱いについては、一刻も早くその措置を決定すべきとの点では意見がほとんど一致したが、具体的措置については再開から廃炉まで大きく意見が分かれた。我々は、研究開発を進めるとの立場から、安全に関して万全を期した上で運転再開をし、その後の処置としては幾つかの選択肢を残すとの提言を行った。
- 第7点目は、現在のモデレーターによる円卓会議は今年度で終了するが、原子力について広い範囲で国民の声を集め提言する場が必要であると考え、提言とした。
○茅円卓会議モデレーターより、補足説明があった。
- 円卓会議の提言とは、賛成派から反対派まで多くの招へい者に議論いただき、そこでの意見を基盤として、モデレーターの意見を取りまとめたものである。
- 第1の提言である将来のエネルギーシナリオについて、エネルギー全体の中での原子力の位置づけを明確化すべきとの意見が圧倒的であったが、原子力を推進あるいは現状維持とすべきとした意見が大部分であり、また、原子力が3割以上の電力を供給している現状から、全廃とするシナリオは非現実的であると判断し、現状維持を下限として提言を行った。
- 第3の提言について、国民の意見を反映する際に、直接的な方法を採るのは困難であり、間接的方法を採らざるを得ず、国民の代表である国会議員に期待するところは大きい。具体的な議論の方法は数多く考えられるため、国会内外で、かつ、国民に議論が見える形で議論いただきたいとの提言とした。
- 第6の提言について、核燃料サイクルを今後の一つの選択肢として研究開発することには大方の賛成が得られ、もんじゅについても研究開発の一つとして考えれば、早期再開すべきとの点で意見が一致した。もちろん、安全確保に万全を期するとの条件を付するのは言うまでもない。我々も研究開発をサポートすることで一致し、これが提言の基盤となった。
- 第7の提言については、今後の円卓会議にあたるものとして、情報の収集、配布を行い、国民の意見を広く聴取し議論・提言を行う場が必要との点で意見が一致した。名称は仮称であり、よい名称があれば、ご教授いただきたい。その具体的イメージについては、明確化することにより狭い範囲での提案となりかねないため、あえて一般的な表現とした。
○円卓会議提言に関して、主な質疑応答及び関連する意見は以下のとおりである。
(吉岡委員)
- 第1の提言について、10年後の想定であればゼロオプションまでを考慮すれば十分であり、削減を伴うマイナスオプションを考慮する必要はないが、30年後であれば状況は異なり、マイナスオプションをも含めて検討することは重要である。なお、様々なオプションについての具体的なシナリオの作成については、第二分科会の議論で取り扱われるよう検討を願いたい。
- 第2の提言について、JCO事故は、国民の原子力に関する理解に水を差したのではなく、むしろ、理解を深めたのではないかと考える。
- 第4の提言については、この策定会議の場で以前にも申し上げたように、立地地域にとって最も迷惑な電源である原子力に、国民の税金から巨額の交付金を出して立地を助けるべきではなく、電源三法は廃止するべきである。
- 第5の提言については、私の学生にも、まるで刷り込まれたかのように、将来のエネルギー源について、化石燃料は有限であるから将来において原子力は必要とのレポートを提出する例が少なくない。その意味で適切な教育は必要である。なお、教育は中立的であるべきであり、PRセンターに行くのが教育ではないことを理解いただきたい。
- 第6の提言について、これは真摯に受け止め、第三分科会で議論するよう努めたい。もんじゅについては、幅広い選択肢を示したことは評価するものの、核燃料サイクルの研究開発を推進することと、もんじゅの廃炉の両立は、論理的にあり得るのではないか。例えば宇宙開発は、H-2計画やM-5計画をやめても、推進することはできる。
(石橋委員)
- 第6の提言について、もんじゅを一定期間運転とあるが、一定期間とはどの程度を考えているのか。また、もんじゅは現実に事故を起こし、ナトリウムを安全に取り扱えるか否か疑問もある。安全性に疑問がある、あるいは、重大な事故を起こしたといった場合の措置について、もう一つの選択肢を考えられているのか。
(茅円卓会議モデレーター)
- 第6の提言について、核燃料サイクルの研究開発において、もんじゅ以外の選択肢があることは承知しているが、現在までにかかった研究開発費用なども勘案した結果、運転再開が論理的と判断した。
- 一定期間運転の一定期間の長さについては、モデレーターの間で具体的に一致するまでには至らなかった。
- もんじゅの安全性への疑問については、確かに事故を起こしたものの、運転再開にあたっては、従来までのトラブルの経験を生かし、安全確保のための処置を講じられるであろうし、またそれをぜひ図っていただくよう要請するものである。そうした観点から、安全確保に万全を期するとの表現に、論理的に誤りはないものと確信している。
○秋元委員のプレゼンテーションに対する、主な質疑応答及び関連する意見は以下のとおりである。
(佐和委員)
- 資料2-1の3頁の記述について、公共空間の矮小化が進むので地方分権は進めるべきではない、また、無責任空間が発生するので市場メカニズムに任せるべきではないと解釈すればよいのか。アダムスミス以来、個人が私利私欲を追求するのに任せせば、自ずと公益が達成されるとの市場原理が、経済学の主流として唱えられてきたが、近年には、自分の欲望を満足させるのみならず、コミットメントや共感の情が人の行動を決めるのだとの、従来の狭い意味での経済学を越えたような学説も発表されていることを指摘したい。
- 「汝疑え」との教えが根底にある西欧文明においては、契約や超越神が必要とされてきた。逆に、日本は本来、「汝信じよ」という信頼と連携のパラダイムであった。しかし近年、日本においても、内部告発などが多発し、市場経済化、自由化が進み、アメリカ的な社会へと移行しつつある。また、それを良しとする意見も多く、まさに、信頼と連携のパラダイムから疑惑と対立のパラダイムへと向かいつつある。そうすると、原子力を取り巻く情勢も、悪化をたどっているとの認識でよろしいのかうかがえいたい。
- 市民社会について、日本人は、公共空間に属する市民であるとの意識は小さく、もちろん地球市民であるとの意識もほとんどないということを、付け加えておきたい。
(吉岡委員)
- 文明論の課題は、我々の固定観念を揺るがして、目から鱗を落とすところにある。そのような観点からは、秋元委員のプレゼンテーションは政策論に偏っており、文明論としてソフィスティケートされていない。政策論として組直してはどうかと感じる。その個々の政策論的な論点については、疑問も多い。例えば、三重県知事の判断については、37年間決着が付かない、いわばストーカー的につきまとわれていた状態であったものを、断ち切ったという意義のあるものであり、評価したい。また、それを直ちに受け入れた太田社長の判断も英断であると考える。これからは立地に関して地元の合意が得られにくい場合は、早めに立地計画を撤回するようにしてはどうか。
(秋元委員)
- 公益と私権のバランスについては、地方分権化や市場メカニズム化も時代の要請でありそれを否定はしないが、それらに伴い、公益空間の矮小化、公共空間のエアポケット化や無責任空間の発生といった問題の発生が懸念されるので、責任権限の共有分担メカニズムをはじめ、それを補完するような何らかのメカニズムを検討する必要があるとの意味で申し上げた。
- 核不拡散なども、疑うことに発する論理のみに基づき、それを越える視点が皆無であることに、索漠たる思いを禁じ得ない。原子力に限らず、文明の中に浸って文明を呪うような後向きの姿勢が、相互信頼をさらに害しているのが現状であろう。ただ、世界全体の理解の基礎が、疑惑、対立のパラダイムから、少しずつ、信頼、連携のパラダイムへ向かいつつあるのではないかとの認識を持っている。
- 西欧ではデカルト以来の対立的概念の下に自然科学が大きな成功を収めたため、それを政治や社会科学に応用しようとしたことが、多くのドグマを生み、20世紀の様々な悲劇の一因となったのではないか。それに対し、日本には、自己と他者を互いに影響を及ぼし合う不可分の関係ととらえ、人と自然を包摂的に一体と見るような世界観があったが、従来は科学的な考え方には取り入れられなかった。それが近年、ガイア理論や複雑系の科学に見られるように、科学の基礎概念としての市民権を得つつある。これが社会の価値観にまで影響を及ぼすようになれば、市場原理も弱肉強食の同義語ではなくなり、信頼、連携のパラダイムにつながる市場活動へと進化するのではないかと考えている。
- 本プレゼンテーションについては、象牙の塔で議論される文明論とは異なり、我々がいかに行動すべきかとの観点から、より実践的なものとして作成したものである。
- 三重県知事の判断については、太田委員の説明によりよく理解できたが、COP3の公約や国のエネルギー政策の観点からは、個々の地域の事情を考慮に入れつつ、全体としてエネルギー政策の整合性を求めることに問題が残るとの懸念を指摘をさせていただきたい。
○那須座長より、発言があった。
- これまで、第二分科会では、新エネルギー、省エネルギーの可能性やエネルギーセキュリティ等の観点から「エネルギーとしての原子力」について、審議いただいている。近藤委員より、第二分科会における議論について説明をいただく。
○第二分科会座長である近藤委員より、第二分科会における議論について、資料4に基づき説明があった。
○主な質疑応答及び関連する意見は以下のとおりである。
(太田委員)
- 電気事業の自由化については、部分的自由化は決まっているものの、全面自由化については全くの未定の状態である。私は、以下のような理由から、全面自由化は不可能であると考える。
- 今回の部分自由化の範囲は、販売電力量の約3割であるが、これは特別高圧で受電している需要家が対象であり、系統安定上給電所の管理の行き届く範囲内として、1年半の議論の末に定められたものである。こうした状況は3年後でも変わらないであろう。
- また、全面自由化とすれば、安易に化石燃料に頼ることとなり、原子力のようなタイムスパンの非常に長いものは省みられないであろう。原子力は、エネルギーの安定供給、経済性や環境問題の観点で、最も優れていると考える。石油の最新の可採埋蔵量は42年、天然ガスは64年、石炭は230年である。ウランは、0.7%しか含まれないウラン235の利用のみでは72年であるが、ウランの99.3%を占めるウラン238を燃やせば、1千年や2千年もの間のエネルギーを確保できる。資源論的観点からも、ウランを利用するのが最も好ましい。
- ウラン238を燃やす手段の一つがFBRであり、もんじゅはその原型炉であるが、計画開始からもんじゅの建設までに30年、当初の計画で2030年の商業炉まで60年かかることになる。完全自由化してしまうと、このような長期にわたる研究開発は不可能となる。現実に、アメリカ等自由化が進んだ国では、販売電力売り上げに対する研究開発費の割合は非常に小さくなってしまっている。当面は軽水炉でのウラン235の利用が主流となるが、可能な限りウラン238も利用するのが適切であり、その一方法であるプルサーマルも並行して推進すべきである。
- 第一次石油危機の際には、原油価格が4倍になったことに伴い、電気料金が7割増となった。昨年には、原油価格が3倍に上昇したが、ほとんど国内の動揺はなかった。これは、石油危機以降、原子力をはじめとする石油代替エネルギーの利用を推進してきたからである。また、原子力はエネルギー密度が高く、運搬等に便利であり、炉内で約4年間燃えるため備蓄の意味合いもある。また、取り出した燃料の約95%を占めるウラン238は、エネルギー資源として利用でき、準国産エネルギーとみなせる。
- 資源の有効利用の観点から、ウラン238を利用するため、再処理事業は推進すべきである。一般に誤解があるようだが、FBRがあるから再処理を行うのではない。FBRもウラン238を燃やす手段の一つに過ぎない。
- もんじゅは、原型炉という実験装置なのだから、経済性がないことは当然である。30年後などに商業炉ができた時点で、軽水炉やその他のエネルギー源と経済性を比較するべきである。もんじゅを土台として、さらにプルトニウムのパフォーマンスを追求することが求められる。
- 原子力は、国策民営との言葉もあるが、民間の電気事業者も、原子力の重要性は認めており、その意味では国策イコール民策でもあり、我々の立場からみると、商業ベースに乗る原子力関連事業については、民策民営として、信念を持ってこの事業を進めていることをご理解いただきたい。
(石橋委員)
- 原子力はナショナルセキュリティの観点から優位性を持つとの意見だと考えるが、電力市場の自由化を目前としてその位置づけは下がりつつあり、セキュリティは経済性などと同様のレベルあるいはこれとの関連で議論を行うべきではないか。
- 核燃料サイクルについても、六ヶ所村の再処理工場の建設費が7千億円から2兆1千4百億円と3倍に跳ね上がり、再処理料金も海外と比較して1.5~2倍となっている。それに伴い、電気事業が再処理に払う費用は、民間ビジネスとしては到底認められないほど膨大となり、電力自由化で値下げが求められる状況の中で、原子力はその優位性を失ってしまうのではないか。
- また、昨年の総務庁の報告書によると、もんじゅに費やした費用が1兆5百億円であり、報道では毎日のメンテナンス費用が2千万円というが、一般的な感覚からすればあまりに巨額であり、国民的な理解の観点からは疑問が生じるのではないか。
(竹内委員)
- 六ヶ所村の再処理工場は、年間800トンの処理能力をもって、日本で現在稼働中の51基の原子炉の燃料を全て処理することを目指している。建設費等が高額であるが、なるべく電気料金を上昇させないようコスト削減の努力を進めている。金額をいえば、軽水炉は3基分で1兆円であり、金額が大きいだけで問題と決めつけることなく、再処理を通じてエネルギーセキュリティに貢献するとの気概をもって事業にあたっていることを理解いただきたい。
(鳥井委員)
- 国策と民間利益との整合性をいかに両立させるかが大きな課題である。日本の技術開発は、ウラン探鉱、新型転換炉や再処理等電力会社がほとんど担ってくれていないのが現状である。第3分科会の議論においては、高速増殖炉などの革新的技術は、現行の原子炉の代替時期である2030~2050年までは必要ないとの意見が多い。すなわち、電力会社は当面は新しい技術のユーザーとはなり得ないことを意味している。誰をユーザーとして想定して、技術開発を行うのかという視点が、従来の長期計画とは大きく異なる。そこをきちんと議論して、挑戦的な技術開発に関してエネルギーの中での原子力を位置づけていただきたい。
(永宮第四分科会座長)
- 資料4で、近藤委員は、研究課題としての核融合や小型炉の評価に言及しているが、どの程度の議論がなされたのか教えていただきたい。
(近藤第二分科会座長)
- 今回の長期計画の議論は従来のものと大きく異なり、今回のプレゼンテーションに際しては、手法として、様々な意見の相違を丁寧に紹介し、例え少数意見であっても、論点として対照的な構成要素となり得れば、なるべく取り上げることした。
- 太田委員の発言については、第二分科会の電力関係に所属する委員からも同様の意見をいただいており、それらの方にとっては心強いものであろう。
- セキュリティについては、ナショナルパワーとして、国際競争力などの経済性をもその構成要素に含め得るので、経済性と対立的に考えるべきものではないが、自給率はセキュリティの比較的わかりやすい構成要素であり、実際に太田委員が指摘されたような意味で相応の意義を有している。自給率が将来社会で果たす役割は、日本の有する国力の変化にも依存するため、予測の世界のこととなるが、アジアの状況やアメリカ自身が自由化を通じて自給率を向上させていることも踏まえて、気配り、目配りを忘れてはいけないとの意味で強調させていただいた。
- 永宮委員のご質問については、研究開発の候補を上げたというより、検討の方向性を示したと考えていただきたい。
(吉岡委員)
- 近藤委員の資料は、両論併記の形で柔軟な立場から整理されており、評価に値すると思う。第二分科会の報告書についても、そのような形式としていただきたい。
- 原子力における政府の役割は、できるだけ過大なものとならないようにし、規制と誘導的な政策にとどめるべきと考える。
- 原子力発電の将来については、もし具体的なシナリオの作成と評価を行わないならば、増やすべきか、あるいは現状維持にとどめるべきかといった大枠としての方向性は示してもよいが、それ以上踏み込んだ議論は必要ではないと考える。
- 核燃料サイクル問題は、高速炉開発と密接な係わり(リンゲージ)があり、第二分科会及び第三分科会で、場合によっては策定会議委員を交えて、合同分科会を開催することを提案したい。今回配布した私の資料については、ぜひ第二分科会の場で紹介し、検討していただきたい。
(神田委員)
- COP6に向けた動きを、ぜひ紹介していただきたい。日本にとって、また原子力にとって、非常に不利であり、危機的な状況にあるということを認識していただきたい。
- 通商産業省から、負荷変動を考慮しない場合の原子力の発電コストが1kWhあたり6円であるとの試算が出されたが、今度は太陽光発電の発電コストを含め、負荷変動を考慮に入れた形での試算を示していただきたい。
(近藤第二分科会座長)
- 合同分科会のご提案については、議論の流れの中では、今の時点で開催するのは適当ではなく、今少し枠組みの議論が煮詰まった段階で検討することを考えたい。
- COP6に向けた動きについては、神田委員は第二分科会委員でもあられるので、ぜひ発言や資料の提供をお願いしたい。
○審議を受けて、那須座長より、発言があった。
- 本日の議論を踏まえ、第二分科会で、より議論を深めていただきたい。また、本日の議論に関して、時間の都合上十分にご発言できなかった委員におかれては、書面にて事務局までご意見をお送りいただきたい。
(橋田委員)
- 私は全くの素人であり、本会議の議論についても、よく理解できない。一般の国民も同様であると思う。原子力は電気の供給の約37%も担っているといった事実を、わかりやすく国民に知らせるようにすべきである。従って、原子力がいやな人はそれだけ電気を節約して下さいといった、厳しい言い方をしないと、いつまでも住民エゴによる反対が続くのではないか。こんなに議論をしていることについても、国民には伝わっていないのではないか。もっと、日常生活において原子力の恩恵を受けていることなどをPRすることが必要であろう。
(3)閉会について
○ | 事務局より、次回の審議の進め方について、松浦委員より「総合科学技術としての原子力」をテーマにプレゼンテーションをいただくとともに、第四、第五分科会における議論についてご説明をいただく予定としている旨の説明があった。また、次回の会合について、以下のとおり開催したい旨説明があった。 |