6.議事の概要
(1)開会
| ○ | 座長より、小野田委員から相互交流・機関連携についてのプレゼンテーションをいただき、引き続き、第五分科会の取りまとめに向けた議論を行う旨の発言があった。 |
○事務局より、配布資料の確認があった。
(2)相互交流・機関連携
○小野田委員より、資料3に基づき、プレゼンテーションがあった。要旨は以下のとおり。
- 放射線の利用や原子力の利用は、あくまで目的達成のための手段であり、技術という視点からは、選択肢の1つである。従って、常に注意深く、他の技術との相対比較を行う必要があると思う。
- 放射線利用の科学技術、いわゆる放射線の科学や技術とその利用はかなり特異性があるため、極めて求心力の強いコミュニティーが構築されている。これは、多分、行政の影響もあるのではないかと思うが、放射線利用分野は、比較的容易に、かつ効率的にCOE(センター・オブ・エクセレンス)を形成できると感じた。
- 一方、放射線利用の代替技術は常に存在するとすると、放射線利用と同じ目的の分野や同じ目標に焦点を当てた分野の関連コミュニティーとの交流は、分野により相当に温度差が大きく、一部はそれが原因で、原子力や放射線のコミュニティーを孤立させ、また、技術の発展を阻害する要因になっていると思う。
- 3ページの「次期科学技術基本計画」の策定は最終段階になっている。「産学官の力を結集していこう」を謳い文句に、科学技術会議の政策委員会のもとに4つのワーキンググループが設置され、いろいろな議論がなされてきたが、これは、産業界からも強い要望があって、産業競争力会議などの場で、産業技術にかなりウェイトをかけて次期計画をつくっていこうということになったためである。
- 関係省庁、経済界、学界が集まって組織された国家産業技術戦略検討会では、産業分野からいくつか代表的なものを選んで分野別に技術戦略を並行的に検討してきた。その各論の議論を踏まえながら、科学技術会議の政策委員会に対して、かなり膨大なデータ(意見書)を提出した。
- 私はワーキンググループ及び国家産業技術戦略検討会のメンバーでもあり、バイオテクノロジー、化学、材料という3つの産業分野を担当したが、全作業を通じて「原子力」又は「放射線」という言葉が出てくるのは、唯一、エネルギー分野の端にある「原子力発電」というところだけである。最終段階では当然、議論に入ってくるが、原子力・放射線コミュニティーの価値観だけで入ってくるのではないかと思う。その点で、原子力や放射線は、大きな流れに対して特異性があり、孤立している。
- 4ページにコミュニティー間の相関図を示している。太線で真ん中に1つの放射線のコミュニティーを、また、その外に、医療、エネルギー、あるいは食糧、環境、工業的利用、基盤的な計測利用といった派生する大きな領域を示している。実線で囲んだコミュニティーはある程度、交流、位置付けがみえて進められている分野を示している。一方、薄い線や破線で描いた分野は、放射線を他の代替技術と相対的に捉え、どういう形で進めるのがより効率的で有効かという議論が不足している分野、すなわち、もっと検討の余地がある分野を示している。枠の中に代表的な技術のキーワードと所管されるであろう省庁を示してある。
- 結論としては、放射線技術は非常に広がりをもっており、求心力はあるが、この広がりを存分に活かすだけの体制がまだできていないのではないかということである。
- 5ページに、どうすれば体制ができていないのを改善できるかを示した。その1つに「連携強化」があるが、それには行政サイドでしっかりとした連携システムが必要であり、(1)省庁間連携の定常的なパイプ組織をつくること、(2)放射線や原子力を中核とする学会において異分野と交流する仕組みを構築すること、(3)異分野のキーパーソンを様々な段階で取り込んで放射線の科学と技術を理解してもらうことは、たいへん効果があると思う。
- 所感としては、連携強化を図るとたいへん効率的で、大きな効果が期待できると思う。今後、環境や健康は大きな問題となってくるだろうが、そのリスク評価がどれだけ技術として確立し、かつ、PA(パブリックアクセプタンス)が得られるかということは、国家的にも重要な問題である。原子力や放射線の分野は、その点で非常に進んでおり、他の分野よりもある意味で求心力が進んでいるものもある。しかし、共通で議論した方が、世の中に対してよいアプローチができるのではないかと感じた。工業技術分野に含まれる材料開発における放射線利用については孤立しており、よい手段ではあるが、もっと努力の余地があると感じる。
| ○ | 小野田委員のプレゼンテーションについて、説明者への質問を中心に議論が行われ、主な発言は以下のとおり。
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- 放射線コミュニティーの外からみた重要な指摘と思う。中にいる立場で、このようなコミュニティーに関連していうと、4ページのコミュニティー間の潜在相関図は、放射線以外の手段を含めた、例えば、医療のような大きな枠と放射線とのつながりを意味すると考えられ、放射線でつながっている部分、例えば、滅菌・医療・工業利用といった分野を貫く部分は、求心力があると述べられているが、個人的印象としては、あまりに放射線利用の分野が広がってしまい、互いの間の連携が十分とれていないのではないかと思う。それぞれの分野の中は、小さくではあるが、求心力でつながっている。更に、実線で描かれている各分野の枠を越えた部分も強化しなければならないと思う。
- 他の分野と交流を進めるべきという指摘は重要と思う。しかし、一方で、原子力分野以外の一般産業の人たちは、放射線と呼ばないとか、放射線と呼ぶことを躊躇するという面があるのではないか。ぜひ、密接な関係を築き上げることが大切と思う。
- 国家産業技術戦略検討会で選択された16分野の中で、原子力や放射線は1箇所しか出てこなかった。しかし、医療分野では病院の放射線科は一般的であり、放射性物質の利用は、基礎研究を含めて、一般的なものではないか。極端にいえば、基礎的に普及している手段である。
- 原子力や放射線は完成されたものというイメージが植え付けられ、原子力の、ある意味で未完成な部分と混同しているところがあると思う。私が今後、検討すべき問題として指摘しているが、いくつかの有名国立大学が原子力工学科を廃止したということは、1つには、原子力は完成していて、新しい研究テーマがないのではないかという錯覚と誤解に基づいており、それがJCO事故(ウラン加工工場臨界事故)の遠因になったと思う。原子力は完成しているという錯覚と誤解は、放射線被ばく事故を引き起こす可能性があるという認識をもってもらうことが絶対に必要である。
- 資料5には大学の固有名詞を挙げて書かれており、その当事者として原子力工学科の名称を変更した理由を簡単にいうと、1つは原子力の技術あるいは研究が周辺分野に広がっており、原子力という、その中のコア(核)だけを表す名称が本当に我々の全体のアクティビティーを表しているのかという議論があった。もう1つは、これが批判の対象となっていると思うが、次の世代を担う若い学生を集めなければならないという問題があり、妥協点として名称を変えなければならなかったのは、苦渋の選択という面があった。
- これは教育の問題と関連が深いと思う。
- 私も小野田委員同様、原子力分野の外で仕事をしており、小野田委員と同じ感じをもっている。私は食品照射についてプレゼンテーションしたが、国民の立場からみると、なぜ食品照射、つまり食の衛生化又はそれに役立つものを、原子力委員会が表に立って進めなければならないのか、非常にわかりがたい。普通の人は、必要であれば、その技術を受けいれるものであり、そのニーズを担当する当局からの働きかけであれば理解しやすい。しかし、技術を提供する側からの働きかけであると、理解しにくいことがある。資料3の4ページにある相関図の点線部分を強化することが大切ではないか。
- 資料3の5ページにある連携強化のための異分野キーパーソンの積極的取り込みの具体例はあるのか。
(小野田委員)
- 端的な例では、私自身がこの席にいることがそうであり、この分科会でたいへんな量の勉強をした。自分のホームグランドに帰れば、放射線という知識が必ず浮かび上がってくると思う。それだけでもたいへんな影響力があると思う。
- 放射線や原子力の分野において、委員会やワーキンググループなど様々な会合があると思うが、その場合、ぜひ、積極的に分野の外の人たちをメンバーに入れ、理解してもらい、意見をもらうことが大切である。分野の中の人だけで議論することは、科学や技術の世界では、1つの宿命かと思うが、意識して、開かれた方向にしてみてはどうか。
- 原子力産業の発展に伴い、原子力なしに人間の生活はあり得ないと思うが、「原子力」あるいは「放射線」という言葉を聞くだけで、みんな不安に思う。大学の学科の名称を変えて人を集めるという話には、「原子力」という言葉に学生が躊躇するということがあるのではないかと思う。というのは、医学の場合においても、「Radiology(放射線医学)」あるいは「放射線」という名前を削ろうかという議論があったことがある。それは、原子力あるいは放射線におけるネガティブなイメージが強いことによる。これに対して、国は、原子力や放射線とはどういうものであるかということを国民がよく理解できるよう、努力すべきではないか。それが根本である。
- 例えば、JCOの事故でもそうだったが、放射線と放射能の区別もつかないのが実態であり、放射線は全てネガティブにしか生体に作用しないのかという問題もある。このため、未知の分野は別として、放射線の光と影の部分を教科書できちんと取り上げて、それを理解させることが第一歩である。教科書で取り上げることから始めないと、いつまでたっても、原子力に対する正しい理解が得られない。従って、日本の中学、高校の教科書に原子力あるいは放射線に関する記載がどうなっているかを調べ、正しい知識が得られるよう文部省に申し入れる必要がある。
- 科学技術会議や自民党の部会に出席して驚いたのは、重点化されているのがバイオテクノロジーと情報、環境、材料だけで、エネルギーは資料には書かれているが、話題にならないことである。エネルギー問題については、未解決であるが、皆が興味を失っており、重点分野になっていない。
- バイオテクノロジーやIT(情報通信)革命などでは科学技術に対する夢が語られるが、原子力や放射線に関してはそのような夢やビジョンが見えてこない。国家戦略として、原子力や放射線を使うとこのような夢があるということを打ち出す必要がある。そのようなブレークスルーがない限り、若い人はこの分野から消えていく。食品照射の分野からは、実際に研究者が消えている。食品照射は、いつまでも実用化されないために、ニューテクノロジーといっているが、技術的にはオールドテクノロジーである。原子力や放射線の分野においてもそのようになると、実際に産業や技術はあるが、専門家がいない、若い人が育たないという事態が起こるのではないか。何か夢が欲しい。
- 最近、科学技術庁より、原子力文化振興財団に教育や原子力広報について資料をまとめるよう要請があった際に、その取りまとめを行ったが、その報告書は役所で何度も訂正された。我々の意見は初等中等教育で原子力や放射線のことが書かれていないのではないかということだったが、そのような教育はきちんとされているということでの訂正がされた。教育が最大のネックではないかと思う。
- この分科会での議論を聞いていても、放射線安全や放射線の生物影響に関しては、混乱がある。放射線の生物影響の議論なのか、あるいは放射線の安全の考え方の議論なのか、生物影響を基礎として社会に対して法令を適用する段階を議論しているのか、混乱している。専門家の間でも混乱している状況では、一般の人々への理解促進をいっても無理だということになる。こういった点を含め、教科書教育から議論をしなければならない。
- 原子力は我々にとって役立ったから、原子力は普及している。放射線が発見されてから、命が助かった人はたくさんいる。しかし、教科書には、チェルノブイリではこれくらいの人が亡くなったとかしか書かれていない。大人がきちんと交通整理して明示しない限り、どんな議論をしても若い人たちが正しい理解をすることはできないと思う。教育の問題については、この分科会か他の分科会はわからないが、こういうことをきちんと書いて欲しいし、それが将来の基礎となると思う。
- 放射線コミュニティーと原子力コミュニティーは必ずしも一致していない。医学や食品照射は放射線コミュニティーであろうが、医療に携わる者は健康への影響を最終的に考えているし、世の中の人たちの放射線への不安も最終的には健康影響によるものと思う。医療に携わる者からみると、原子力コミュニティーにはそのような視点が欠けていると思う。策定会議でもそれを感じており、原子力コミュニティーにそのようなことを考えて欲しいと述べている。
- 原子力コミュニティーと放射線コミュニティーが一致するのがよいかどうかわからないが、現実には放射線コミュニティーのメンバーが原子力コミュニティーの一員であるとどこまで思っているか疑問である。
- 資料3の4ページに各省庁の名称が出ており、また、次のページには学会の問題あるいは学術研究が取り上げられているように、文部省を欠くことはできないと思う。
- 厚生省も欠くことはできない。
- 医療もそうだが、特に食品照射の分野の人から繰り返していわれているが、実際に食品照射を実施させるのは厚生省である。厚生省抜きに食品照射の問題は話し合えない。個人的には厚生省をいかにして議論に巻き込むかに関心がある。
- 原子力コミュニティーと放射線コミュニティーは明らかに異なっている。その例として、放射線プロセスの国際会議を日本で開催した際に、原子力とは材料の問題などで密接なつながりがあるので、原子力を放射線プロセスの中に取り込んだが、海外の人から反対が強く、全体のイメージダウンにつながるということで、その後、原子力は切り離されてしまった。
- 第二分科会の中で、原子力産業の在り方について議論しているが、その中の原子力産業を代表する人の報告で、放射線利用は他の産業分野であるという書き方があった。私は、当然、原子力産業に入っているものと理解していると述べたが、放射線コミュニティーは原子力コミュニティーと一線を画しており、原子力産業からも放射線利用は別であると思われているようである。ぜひ、連携を強化する必要があろう。
(小野田委員)
- 行政改革を含めて、省庁における原子力や放射線の所管の問題で、心配している。原子力発電は産業であるため経済産業省所管になるが、その産業に係るパーツの技術開発は科学技術庁の所管に残っており、股さき現象が起こりうる。このような事情を考慮して各省庁間にしかるべきパイプ組織をつくっておかなければ、目的は同じでありながら、別の方向に走っていくことも起こりうるであろう。
- 機構上の問題もあろうが、原子力委員が毎回熱心にこの分科会に出席されているが、なぜ、原子力安全委員は出席しないのか疑問に思う。JCO事故の議論などを聞いていると、むしろ原子力安全委員に聞いてもらいたい。私の理解では省庁も原子力委員会と原子力安全委員会で管轄が違っており、そのような縦割りをしていては、今、議論されている様々な問題点は現状のまま解決されないのではないかと思う。オブザーバーでもよいから、原子力安全委員にも、ぜひ、出席願いたい。
(原子力局長)
- なぜ原子力サイドから利用の問題の話が出てくるのかということについて述べる。原子力の研究開発利用を進めるに当たり、利用については社会的意義があるが、昭和30年代の初期には利用サイドでその環境が整っていなかった。その経緯のもとで原子力基本法ができ、原子力委員会が発足して、国が原子力開発を積極的に進めていこうということになった。例えば、国立試験研究機関で研究を進めていくために、科学技術庁が一括して予算を獲得して各省庁の試験研究を進めるという形態になった。また、原子力委員会が国の原子力行政全体を束ねる形で、実質的な総合調整や予算全体の一括計上といった施策を行ってきた。その中で、原子力委員会が食品照射を原子力特定総合研究に選定し、馬鈴薯や玉ねぎなどの7品目について研究を進めてきたが、現実に実用化されたのは馬鈴薯の1品目だけである。その後、原子力特定総合研究は終了し、各省庁で推進するようお願いしている。しかし、各省庁それぞれの考えがあり、照射されたかどうかを検知することが難しく、また、最近では食品照射に懸念をもつグループもあり、なかなか行政サイドが進められないのが現状である。しかし、状況が変われば、原子力をどう利用していくか、ユーザーサイドからの推進があってしかるべきと思う。現状ではそのような状況にはないが、厚生省の医薬関係、例えば注射針の滅菌などは、ユーザーサイドからの要求で始まったものである。
- 原子力の夢の問題については、次期の科学技術基本計画の策定次第である。科学技術会議などで、原子力やエネルギーが注目に値しないという指摘については、確かに材料、ライフサイエンス、情報通信における取組みには注目するところがあるが、今後、飛躍的な資金投入が必要な分野として、当該分野は注目されていると我々は理解している。当然のことながら、エネルギー問題、環境、食糧などセキュリティーに関連する分野は国家投資が必要であろうと承知している。しかし、指摘があったとおり、夢やビジョンという意味での切り口は十分でない。原子力長期計画が政府や科学技術基本計画への働きかけになると思う。
- 教育の問題についてどこで議論するかは、長期計画策定会議の6つの分科会それぞれの枠の中で考えられる問題を議論して欲しい。各分科会で指摘された問題は、座長を通して、策定会議で反映されると思われるし、必要であれば、関連の分科会との共同審議もあり得る。本分科会として必要と判断されるならば十分に議論して欲しい。
- 行政改革との関連で懸念されていた、原子力委員会や、原子力のエネルギー利用と科学技術利用などの科学技術的側面との関係について述べる。原子力委員会は来年1月6日以降は内閣府に置かれ、原子力安全委員会も同様であるが、各省庁より一段高い立場で国全体の行政を総覧するような立場になるので、原子力の切り口で、原子力政策をどう進めていくか遺漏がないような対応措置をとる立場になると思う。その観点から、経済産業省、文部科学省などの各省庁とも原子力行政が適切に、かつ、円滑に進められるように、努力すべきと思う。現在の事務局は主として科学技術庁原子力局が担当しているが、内閣府においても、原子力委員会の事務局があり、その意を受ける形で各省庁が対応することになる。原子力安全委員会との意志疎通については、原子力委員は、原子力安全委員と適宜連携をとっており、問題はないはず。また、原子力委員会は基本的には原子力政策の全てを所掌しており、原子力安全委員会は原子力の安全の確保のうちの規制に関して所掌している。
- 各省庁は放射線利用に興味を失っているのではないか。この分科会における議論やプレゼンテーションでは、放射線が役に立つことはわかるが、その先が見えない気がする。この会合への各省庁の出席者をみても、1省庁1人くらいで、非常にまばらな感じがする。ほとんどの人は原子力関係であろう。各省庁の各局から出席して聞いておかなければ、後で困るので、来なければならないという状況が必要ではないか。各省庁からの出席者が少ないことは問題で、増やす努力が必要であろう。
(3)議論の取りまとめ及び分科会で議論すべき事項について
(座長)
- これまで、各委員から、議論の取りまとめについての意見や、更に分科会で議論すべき事項についての提案をもらっている。議論の取りまとめについての意見では、報告書骨子案について議論すべきとの意見が多かった。このため、本日の段階で、文章を出すことは時期尚早と思い、座長の素案として骨子案を提出した。(資料4)また、更に分科会で議論すべき事項について各委員から提案のあったものを事務局でまとめた。(資料5)
○遠藤原子力委員より、第五分科会の取りまとめに向けた要望について、以下のとおり発言があった。
- 分科会報告書は策定会議に報告され、策定会議で原子力長期計画をつくる。原子力長期計画は原子力委員会から発信される政策文書である。よって、第五分科会報告書も政策を中心に願いしたい。つまり、事実から更に一歩踏み込んで、「こうすべき、こうあるべき」を念頭に置いて欲しい。
- 報告書は誰に対して向けられているか、受取る人は誰なのかということをぜひ考えて欲しい。日本語は受身で書けば、主語をぼかすことができるが、誰にいいたいのかをはっきりしたい。それは、国民に対する呼びかけ、関係する民間への希望、関係省庁に対する指示、提言であろう。国民、民間、行政庁は厳密に分けられず、時々は乗り入れがあるのは当然であるが、累計的に分ければ、その3者であろう。
- 提言であっても、夢ばかりでは困る。夢は夢でよいが、実行につながる提言をお願いする。関連する行政庁は科学技術庁、文部省、厚生省、農林水産省、外務省などであり、他の分科会より遥かに多いのではないかと思う。その省庁の人がこの議論を聞きに来ているかどうかは不明であるが、来る原子力長期計画を執行するのは新しい立場での原子力委員会であり、大所高所から各省庁へ要望することになろう。この場に関係省庁が出席していなくとも、事務局を通じて、議論の経緯及び結果を十分に伝えて欲しい。従って、原子力委員会としては、それが実行可能なものは、ぜひとも実行に移したいと思っているので、それを念頭に置いて文章を作成して欲しい。
- 受取る人は国民の場合もあり、言葉はやさしく、中身はしっかりとお願いしたい。分科会として、夢がある、役に立つ報告書にして欲しい。
| ○ | 事務局より、資料5に基づき、第五分科会で議論すべき事項で各委員から提案があったものについての説明があった。
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○座長より、議事の進め方について、以下のとおり説明があった。
- まず、更に議論すべき事項について議論するが、最初に、提案のあった各委員から補足説明を願う。その上で意見を伺い、資料5にない事項についても意見を伺う。
- 放射線、特に低線量放射線の影響について、なぜしきい値のない直線理論なのか答えが出るかどうかわからないが、議論することが重要ではないか。
- 原子力災害に対して国がどう取り組んでいくかを国民にわかりやすい形で出すことが、原子力とその利用にとって大事ではないかと思う。
- 原子力局長の発言にもあったように、現在は国が放射線利用を推進しているが、その原点は原子力の立ち上がり時期に原子力利用の環境整備ができていないので国が積極的に推進していったことがその経緯であろう。それから30、40年経って、ある程度いろいろな環境整備が進んだ。例えば、放射線の工業利用はほとんど民間ベースで進んでおり、その成果も民間ベースで上がっている。それでもなお、国は放射線利用を推進するというのであれば、なぜ国が推進する必要があるのかをきちんと議論しておく必要があろう。食品照射の議論でも、最初に放射線照射ありきであって、なぜ放射線照射なのかといった原点に返った議論が欠けている。碧海委員などからもそのことが問いかけられており、食品照射だけに限らず、放射線利用全体においても同様のことがいえるのではないか。
- 最初に気になったのは、この取りまとめを誰に報告するかで、これについては遠藤原子力委員より発言があった。私は、策定会議に対してであって、専門家が専門家に報告するようなものでよいかと思っていた。しかし、国民とか民間に対してとなると、難しくない内容や表現に心がけるべきであると思う。emotional(感情的)な部分は極力切り捨て、
fact(事実)に基づき問題点を考え、それに対する対策を提案するという、ドライタッチでよいと考える。
(座長)
- 分科会報告書について説明する。第五分科会の報告書は、6月5日に策定会議に報告することになっている。策定会議は、その報告をもとに策定会議の立場で、原子力長期計画をつくることになる。従って、第五分科会の報告書は、ある意味で、独立したものとなる。各分科会の報告書は、それぞれ印刷して公表される。
- 私の意見は、遠藤原子力委員の発言と同様である。報告書でいろいろなことを散文的に書くより、こんなことをやって欲しいということを提案型で書く方が重要ではないか。そうでなければ、これまでの長い議論が実らないのではないかと思う。ただ、具体的に行政庁に対してとなると、とても実現できないことを提案しても混乱するだけではないか。
- 資料4にも書かれている、ICRP(国際放射線防護委員会)に対する批判について述べる。放射線影響の議論は、生物影響の議論か、安全の考え方の議論なのか、具体的に法律として適用された場合にどうなるのかを分ける必要がある。具体的に事項についても、例えば、生物影響を議論するときに、基礎的な生物影響を議論しているのか、疫学的なグロスなものとした議論なのかを明確にする必要がある。ICRPは、生物影響の議論では必ずしも、しきい値のない直線仮説をとっている訳ではない。通常よく知られているのは、被ばく線量と影響の発生率の関係は、二次曲線と直線の組合せで表現できるというのが生物影響の立場である。ICRPは、それを具体的に安全の考え方として現場に適用する場合、防護の考え方として、しきい値のない直線を仮定している。更に、それを具体的に法律に適用することは別の問題である。
- 放射性物質の場合、ものをつくろうとすると通商産業省が絡み、放射線物質自身は科学技術庁が絡み、輸送すると運輸省、安全を考えると労働省、厚生省が関係するという仕組みになっている。この点ははっきり分けて議論しないと、今の議論の混乱の原因がどこにあるかわからなくなる。放射線利用の歴史的な経緯を経た現在、法律はわかりがたいものとなっている。核燃料物質であれば原子炉等規制法(核原料物質・核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律)で規制されるが、少量であれば、つまり、ウランの場合300g以下、トリウムであれば900g以下であれば、規制が免除され、少量国規物(「国際規制物質の使用に関する規則」で規定された少量のウランやトリウムなどの略称)という別の枠組みとなる。アイソトープはまた別の枠組みがあり、X線装置などはそれぞれ異なる法律が適用されている。生物影響にしても、疫学になるとまた異なる議論となる。それぞれはっきり分けて書かないと、混乱するだろう。
- 放射性医薬品などの厚生省関係では、国際協調がよくいわれており、食品についてもそのような問題が提起されないかという懸念があり、意見を述べた。そのような懸念がなければ、議論の必要はない。
- 私の意見で、具体的に2つの大学の名前が出てきているのは不謹慎という意見もあろう。これはJCO事故の2、3週間後に福井県敦賀市で研究者の集まりがあった際に、激しい議論があり、そのときの意見をこの場で述べることは私の義務であり、書かざるを得ないと感じたためである。同時に、こうしないと抽象論ではうまくいかないと思う。現在、私は、小さな原子炉をもっている近畿大学に勤務しているが、我々のところに東南アジアや中国、韓国から勉強したいという要望がある。それに対して、日本はトップレベルの大学が原子力工学科を廃止しているというのは、国際的にも大きなマイナスである。日本は、例えば、石油・石炭だけでエネルギー供給ができるかもしれないが、中国は現在の3基の原子炉を、今後、60基にすることと公言している。日本は、それを制止できないし、また、北朝鮮に原子炉をつくるのを公的に支援している。そうなると、日本だけで安全を確保していても、中国で1基でもチェルノブイリ事故のようなものが起これば、極端に言えば、日本全体が汚染することになる。その意味で、日本はアジア全体として、原子力研究の指導的立場を絶対に守り、同時に、アジアからぜひ日本で学びたいという実績をつくり、JCO事故を克服し、更に、それを教訓として活かしていることを見せるためにも、大学教育を守らなければならない。このような危機のときこそ、大学の関連学部を増設する意気込みが必要であると確信している。その意味で、原子力発電所設置県の福井大学も茨城大学もいずれも原子力工学科がないことに驚いた。そういうことではいけないと思う。
- 放射線の光の部分に相当する、放射線利用分野でも、国際協力や国際貢献ができ、議論が不足していると思う。放射線利用技術は、アジアなどにおける技術の普及に非常に貢献できると思う。既に放射線を利用した製品や食品照射をしたものなどが国際的に普及されつつある中で、安全、安心にそれらを利用していくため、国際的な環境と調和した形で放射線利用の枠組みを整備していくことに関しても日本は貢献できる。資料5に書いた種々の基準や、放射線利用にかかる基礎技術の品質保証などについても、成果を発信することで日本は貢献できると思う。
- 様々な研究活動について放射能や放射線が使われているが、その中で、例えば、プルトニウムを用いた生体影響の研究などがある。それについては、十分な議論をしていなかったと思う。
- 基準化のことが先に述べられたが、医療利用においても同様である。
- 医師のライセンスには放射線の取扱いの資格があり、それは内科でも外科でも放射線科でも同様である。医師の国家試験の内容は範囲が広く、医師は非常に広範囲の勉強をしなければならないが、放射線関連の問題は出題されにくい。これは薬学でも看護学でも同じである。実際に放射線を取り扱う医師や薬剤師、看護婦などには、別途、もう少しグレードアップした教育をもとに、資格を与えるべきではないか。そのようなことが可能かどうか議論したい。
- 放射線利用の基礎研究や基盤研究は並行してなされ、縁の下の力持ちのように支えながらいろいろな放射線利用が進むものと思う。その基礎研究を支えている大学の放射線関連の予算が、小野田委員のプレゼンテーションでもあったように全くみえてこない。基礎研究についても、研究のファウンデイション(財政基盤)が原子力委員会の中で確立され、省庁縦割りに関係なく、横糸の織れた環境の中でバランスよく進めていける環境をつくることについて議論したい。
(座長)
- 各委員からの提案についての補足説明をもらったが、これに対する意見があると思う。また、ここに取り上げられていない事項についても意見をもらいたい。先に、研究活動における現状と問題点を議論したい。
- 今、選択できる方法の1つとして、基盤的なものを固める必要があるという方針が決まれば、これに対する基礎研究や健康影響をきちんと並行して研究すべきであろう。私の研究室でも研究をやろうとしたことがあったが、法的規制に阻まれ、思うように基礎研究ができなかった。このようなことを含め、法律の中でも、同一省庁でありながら、できることとできないことがあり、見直しが必要と感じている。研究活動には放射能自身の研究もあれば、放射能や放射線を手段として利用した研究もある。この中で何がなんでも放射能利用でなければならないということはなく、研究分野の中でも、例えば、radioimmunoassay(放射免疫測定法:抗原や抗体を測定するために、ホルモンなどの微量物質を放射性同位元素で標識する方法)という超微量の測定方法が、これは法規制の煩雑さが最大の原因であったと思うが、EIA(enzyme immunoassay酵素免疫測定法:抗原や抗体を酵素で標識して測定する方法)に変わってきている。このように放射線が必要不可欠ということではなく、試行錯誤の中でよい方向に研究は進んでいると思う。その中で、放射線利用分野は、放射線でなければならない理由がある。その論点を踏まえた上で、放射線・放射能の利用という研究活動に、もっとしっかりとした基盤がもてるような、放射線や放射能が使いにくくない場を醸成していくことも大事ではないか。
- 問題は、一般国民の大多数が、法律に定めるため、あるいは安全基準を策定するために考えられているICRP理論をもって健康影響理論と思いこんでいることである。今後、法律が更に厳しくなるが、行政側はなぜそのように変更されるのかについて、健康影響は実学的にはこういう意見もあるということを併記しながら、国民の中に放射線への理解を浸透させることも、放射線や原子力を理解する、特に健康影響を理解する上で、重要な鍵であろう。安全基準を決める上ではこのような考え方だが、健康の実学的影響については現段階ではこういうことがわかっている。これについては広島・長崎の原爆被災者の、膨大で、世界に発信できるデータがあると思う。そういったことをもっとわかりやい表現で、国民になるほどと思わせるような、例えば、基準に関しても、JCO事故で1mSv被ばくしたからたいへんだという思いが残らないように国民に理解できるような発信をして欲しい。
(座長)
- 分科会報告書に含めるべき事項について議論したい。場合によっては、議論していない事項もあるかもしれないが、それについては、ここで議論をして報告書に含めたい。
- 放射線教育の推進について、食品照射のプレゼンテーションで、PAではなく、コミュニケーションが必要であると述べた。教育だけではなく、放射線利用についてのコミュニケーションをどのように展開するかを教育のところでもよいが触れてもらいたい。
- 報告書骨子(案)の「生活への安心と社会への活力を与える放射線利用」の中の「生活への安心」というのは、国民の側の問題であり、安心をこちらが与えるということではないはず。安全を確保することや安全文化を確立することはよいが、安心は相手が選ぶ、又は感じるものであり、この表現は傲慢ではないか。
(木元原子力委員)
- 原子力委員になる前から放射線利用推進専門部会のメンバーであった。その立場からいうと、安心と感じるのは受け手の問題であって、こちらが安心と感じる安全性についてどこまで語れるかが重要というのは、全く同意見である。
- なぜ放射線利用かを最初に語らなければ、一般国民に読んでもらうという立場からいえば、理解されにくい。そのことを考える場合、例えば、「放射線利用の普及の現状」という項があるが、その中に日本だけのことでなく、海外のことも含めるべきであろう。PAを考えると、原子力発電にウェイトを置きがちであるが、発電をしていない国々、特にアジアに多いが、そこでは必ず放射線利用が主体である。そのような視点が、日本では欠けており、それを痛感している。その点を「放射線利用の普及の現状」のところで、日本における利用の現状、諸外国における放射線利用がわかるように書いて欲しい。原子力長期計画では放射線にウェイトを置くというのは共通の認識であり、ぜひ取り入れて欲しい。
- 最初の光と影で、影の部分の語られ方が、安心させればよいとつながったのではないか。放射線の光と影は利器と凶器であり、その2つの面を比較衡量しながら、利器でも、凶器でもあることを明確にしながら利用してきたと思う。利器である部分、凶器である部分をはっきり押さえて、このような影響があるときちんと書けば、一般の人も理解しやすいと思う。また、専門用語が多く出てくるとわかりにくいものとなる。策定会議でまとめるときは、そのような専門用語は使わないと思うが、分科会報告書を書くときも、うまい方法で語って欲しい。
- 基礎研究は、第四分科会やその他の分科会でも出てくるが、基礎研究は国民からみれば投資である。なぜ投資が必要か、その投資にどのようなメリットがあるのか、わかりやすく語られていれば、その重要性が理解される。従って、重要性の強調だけでなく、なぜ必要かという視点を含めてもらいたい。
- この席で集中的な議論はなかったが、技術基盤や研究手段としての放射線の利用をまとめると、それが膨大なものであることがわかる。しかし、それが完成技術かという問題がある。そこにはもっとブレイクスルーをしたり、また、向上するだけの可能性やニーズがあるのかをまとめてはどうか。具体的にいえば、分析・解析・測定、同位体元素の利用などが多い。
- 原子力や放射線・放射能にはネガティブなイメージが伴う。これまでにいろいろ議論されたが、低線量の影響の研究やしきい値の問題などがあり、議論は尽きないと思う。両論併記でこれらの議論がわかるような報告書にしてもらいたい。放射線・放射能の利用はごく一般に行われているが、一般の人にはわかってもらっていない。光と影の議論でもそうであるが、安全だということを押しつけるべきではない。しかし、正しく理解してもらう努力はこれからも必要で、それが教育である。いろいろなレベルの教育やコミュニケーションがあるが、理科教育から一般の人へのPAまで、より一層、積極的に実施していくべきである。
- 基礎研究の推進に関連して、従来は先端的な基礎技術として何をすべきかという、わかりやすい議論があった。今回の原子力長期計画では、第五分科会は先端技術とは切り離されており、そのかわり、生活に密着したというキーワードがついているのだと思う。その意味で、この分科会のミッションはわかりにくいのではないか。今回、生活に密着した形で何が提言できるか、例えば、資料4の最初の第U、V、W章は現状把握又は事実の整理であり、ここではアクションにつながる部分はあまり多くないと思う。第X、Y章あたりがそうなるかと思うが、これまでまとめて議論されたことはないと思う。このあたりをはっきりさせないと何を問われているかわかりがたい。
- しきい値の話は前々回も議論になり、常に議論になっている。例えば、原爆医療審議会でもいつも問題になるものである。被爆者の立場からすると、原爆資料館にあるようなもの、またJCO事故で移植を受けた2人の患者さんの例が念頭にあって、その延長線でものを考えており、その何万分の一は自分のことであるという意識があり、大丈夫といわれても、やはりその延長線上のものと同じだと考えてしまう。現実には、人間には治癒能力があって修復するわけで、全てが疾患に結びつくわけではないが、そのことがわかっているようでわかっていない。JCO事故後の健康調査の仕方に関する委員会でも、専門家の間ですら3つの意見にわかれた。少しでも被ばくの疑いのある人は、今後全て検診すべき、全くする必要はない、多少するという意見である。放射線の生体影響の部分はブラックボックスである。この点は、何かの形でエビデンスを出して示すべきで、場合によっては再度議論してもよいのではないかとも思う。
- 教育の点では、一般国民の教育もさることながら、放射線・原子力の研究者が減ることは大きな問題である。研究者は予算がなくなり、研究対象がなくなると急速に減り、他の分野に移っていく。これは、以前、結核の研究者が全てがんの研究に移ったと同じである。決して元に戻ってこない。従って、この点ははっきり提言すべきではないかと思っている。
- 日本にもかつて、原子力は明るい時代があった。昭和30年代に「新聞は民主日本の原子力」という新聞週間の標語があったことからもわかる。それくらい明るいものであったものがなぜ暗くなったのか。このことを歴史的にどこかではっきり認識して述べ、その原因についても究明すべきである。専門家はわかっているが、一般の人はわかっておらず、感情的に反対している、事故のせいなどというのでは説得力がないと思う。日本だけでなく、アジアなど世界も含めて考えるべきであろう。スウェーデンやドイツが原子力を不要というのは、個人的にはまともな意見とは思っていない。スウェーデンは原発を廃止した後は、隣りの国から電力を買うだけのことであり、隣のフィンランドは人口の割合からいえば、日本より原子力依存度は高い。これらの国々では、原子力発電だけでなく火力発電を含め、発電所をつくることに国民が賛成しないため、ヨーロッパは地続きで隣から簡単に電力を買えるという現実が背景にある。ドイツでも緑の党は反対しているが、社民党はそれに反対するより、むしろ現状の原発の寿命をどう延ばすかを考えており、それは週刊誌「デアシュピーゲル」に大きく取り上げられている。そのような現実の中で、日本、更に日本だけでなく、アジアを含む世界の中で、原子力の将来をどう位置付けるかを考えるべきである。私は、原子力が100%安全などとは思っていない。危険であることは明白であるが、危険であるからこそ研究し、国が努力して原子力委員会や原子力安全委員会を設け、国として事故が起きないように、また、事故が起きても最小限の被害で済むように努力をするという姿勢をはっきり示すといった基本姿勢をもつべきである。従って、この分科会がふさわしいかどうかは別として、この報告書の前半にウェイトを置いた、全体として歴史的認識を明確に判断した報告書ができることが必要と思う。
- 資料4の大きな項目立ては結構と思うが、第W章では、(1)放射線の生体への影響では、ぜひ生物影響のための基礎研究と疫学的研究をはっきり分けて書いて欲しい。(2)健康リスクと安全の確保について、例えば、以前は、原子力発電所は絶対に事故は起きないという議論があったが、最近は、我々がどのあたりのリスクまで容認できるかという考え方にかわってきている。ぜひ、そのような安全の考え方がみえるようにしてもらいたい。放射線分野について、ICRPは実は1928年(昭和3年)から国際基準において、かつ、国際整合性をもってこの議論をしている。最初は、しきい値がある議論をしていたが、いろいろなデータが出るたびに合理的に変遷してきた。そして、基礎的研究と疫学的研究、それに社会的判断を組み合わせ、国際整合性をとって72年間、安全の議論をしてきた。これは、化学リスクや放射性廃棄物でない一般の廃棄物の議論をするときにも必ず参照される。これほど完璧なリスク論、安全を議論してきた仕組みは世の中には存在しない。このことは、我々は大きな自信をもって語ればよいが、それが語れていないから混乱している。ぜひ、これがみえるようにしたい。
- 第W章第4項の「放射線被ばく事故に対する取組み」の後に、第5項を追加し、そこで安全と安心を確保するための法律の在り方、法律の枠組みということを議論してもらいたい。次の章に法的規制の合理化があるが、放射線や核燃料の利用が進むうちに、法律は極めて複雑化してきている。例えば、アイソトープの場合、その使用は科学技術庁の放射線障害防止法、労働者の安全は労働省の電離則、核燃料については原子炉等規制法であり、労働者の安全は保安規定で担保している。少量国際規制物資であるわずかな核燃料については国家公務員の場合、労働省ではなく人事院の規則でやる。X線はまた異なっているなど、理解することが難しい。安全・安心をいう割には、法律自身が相当複雑であり、どういう考えで安全・安心を担保していくか、あるところで整理して考えなければならない。
- 第X章第2項に「人材育成」があり、この点は、武部委員から高等教育の人材育成についての発言があったが、高等教育と初等中等教育に分けて書いて欲しい。なぜ理解が進まないか。小学校の1年生、2年生でも5kmの道のりを歩いて通うのはたいへんだと知っているし、あるいは、1.5Vの乾電池で感電して死ぬ人間がいないことは、小学校の4年生や5年生では知っている。しかし、高等学校の3年生に何Sv被ばくすると死ぬかは、誰も答えられないと思う。ぜひ、初等・中等・高等教育において、原子力や放射線の基礎を教え込む仕組みをつくって欲しい。これだけ原子力や放射線について大きな議論がされているにもかかわらず、教育の中で放射線の単位も一切わからないという状態は普通ではないと思う。
- この報告書は、策定会議に対するメッセージであり、提言が大事であるということは当然のことと思う。原子力長期計画を策定する会議が公開の場で行われたことは、おそらく初めてではないかと思うので、その政策提言に至った過程を国民に理解してもらうように説明する努力も重要であろう。従って、第X、Y章だけでなく、第T章から始まる部分についても、わかりやすくきちんと書くことが重要であろう。
| ○ | 座長より、既に報告書骨子(案)についても議論が進んでいるので、資料4について簡単に説明し、これを含めて報告書に含めるべき事項について、引き続き議論したい旨発言があった。 |
○座長より、資料4「原子力長期計画策定会議第五分科会報告書骨子(案)」について説明があった。
(座長)
- 今後の進め方について座長の考えを説明したい。骨子(案)に対する意見を伺い、ほぼ了解がもらえれば、委員の方にそれぞれ書いていただく方法もあるが、負担をかけることを避け、また、全体のトーンを合わせたいということから、事務局において報告書のたたき台を作成し、それを委員に送ってチェック、加筆修正をしてもらい、更に、修正文をつくるという方法をとりたい。まだ十分議論、レビューしていない項目もあるが、第五分科会の報告書は、6月5日の策定会議に提出するように求められており、時間的余裕がない。従って、報告書のドラフトの内容を議論する中で、いろいろ意見をもらいたいと思う。分科会委員の専門外の分野については、外から人を呼んでレビューしてもらう時間はないと思う。まだ議論していない項目に関しては、報告書の検討の中で議論したいと思う。第1稿は5月の連休明け過ぎくらいに送って各委員の意見を伺い、次の会合で、その意見を踏まえた第1次修正案について議論したい。このような進め方についてを含めて議論して欲しい。
- 報告書は本文のみか、それとも参考資料をつけるのか。もし、参考資料をつけるのであれば、本文は非常に簡潔にできる。
(座長)
- 原子力長期計画の報告書には3つのものがある。1つは策定会議のつくる報告書であり、それはできるだけ短いものとしたい意向である。もう1つは、各分科会の報告書であり、それは策定会議報告書と同様、印刷され、公開されるが、その分量に制限はない。更にそれらとは別にもう1つ、ここで議論された様々な重要事項を多く盛り込んだ、しかも一般の人にわかりやすい市販の出版物などである。それを企画するのは自由であり、座長としては考えてみたいと思う。質問のあった点については、参考資料を添付するより、報告書の中に、図や表やポンチ絵などを全て入れてしまいたいと考えている。
(事務局)
- 一般の人にも分科会報告書を読んでもらえるように、わかりやすい図や表を報告書に適宜入れながら、必要に応じて参考資料を入れたい。
- ホームページへの掲載は、最終的にどういう部分が掲載になるか。また、ホームページでは、リンクが可能となるが、キーワードでリンクすると、それについての、更に詳しい資料を持つ機関のホームページにつなげるようなことを考えているのか。
(事務局)
- 報告書については、これまでと同様にホームページへ掲載する。リンクによって、当該内容について更にわかりやすいところにいくことは、技術的には可能であり、どのようにするか、その方法については更に検討していきたい。
(座長)
- 策定会議のまとめる原子力長期計画は国民の意見を伺うが、分科会の報告書作成には、そのプロセスはない。
- 資料4の第X章「放射線利用の促進に向けた課題」は重要であるが、単にこれまでの議論で出てきたものが並んでいる形になっている。
- 第1項に情報公開とあるが、原子力基本法では昭和30年代に既に自主・民主・公開を謳っているので、まず、それを謳い、その後に行うべきことを分野毎に書いてはどうか。
- (1)政府が行うべきこと、(2)産業界が行うべきこと、(3)研究や教育の面で行うべきことといった組立ての方がわかりやすくないか。
- 様々な分野へのメッセージについて、(1)放射線利用の理解促進のために公衆に何を提言するのか、(2)放射線利用などを教育の中でどう扱うのか、(3)放射線利用を肉付けするための研究をどうやって支えていくのか、(4)放射線利用を含めて産業育成をどう図っていくか、(5)放射線利用などをすっきり理解してもらうための法体制、法規制、つまり法律や政府が行うことの合理性をどうやって確保するのかなどといった並びにするとか、若干工夫すると順番に理解できるのではないかと思う。
- 分科会報告書の前半部分は、かなり一般的な放射線についての国民に対するメッセージと理解してよいと思う。そうであれば、相当膨大な報告書の量となるのではないかと思う。国民の意見を伺うプロセスを踏むとすれば、少なくとも、それに意見を出す方は読まれると考えてよいが、そのプロセスがないのであれば、膨大な報告書を出しても読んでもらえないのではないかと心配する。従って、出版物を出すとすれば、出版物はできるだけコンパクトにする必要があるのではないかと思う。
(座長)
- 分科会報告書は、原子力長期計画とその添付資料のような形で公開されることになるが、それが果たして、どこまで届くのかということに関しては、心配な点である。恐らく、一般の方にはなかなか届かないかもしれない。放射線コミュニティーにさえ、なかなか伝わらないのではないかという懸念がある。多くの人に読んでもらえるようにすることは重要な点と思う。その点を踏まえ、可能であれば、一般の人々にも読んでもらえる、できるだけわかりやすい小さな本のようなものを出版できればよいという要望をもっている。しかし、具体的にどうするかという案はまだない。その点も詰めて提案し、賛同が得られれば、その方向で進めたい。分科会自体は、原則として報告書を提出した時点で終了するため、それ以後の第3段階のことは、いわば分科会を中心としたボランタリーな活動ということになろう。
- 政策提言や課題は本来の主旨であるので、きちんとしなければならないが、資料4の3ページの「廃棄物処理・処分」について指摘したい。確かに放射線を利用すれば廃棄物が出る。しかし、この問題はエネルギー利用ではもっと大量に出てくるものであって、廃棄物処理・処分を放射線利用の促進上の大きな課題として取り上げることには疑問がある。もちろん、課題の1つとは思うが、ここで、きちんと議論し、報告書に載せるべきであれば載せ、又は、他の分科会でも議論されているのであれば、時間的余裕がないことも考えれば、そちらに任せて第五分科会の報告書からは省くのも一案ではないか。
(座長)
- このことは、座長と事務局との打ち合わせでも同様の議論があった。
- 廃棄物処理・処分は含めるべきと考える。今、国会で循環型社会に関する法律が出ており、21世紀のキーワードには環境などいくつかのキーワードがあり、廃棄物など社会の中で出てくるものをどう考えるかは、原子力分野以外のところでも急激に進んでいるため、ここでも述べておくことは重要ではないか。但し、骨子案では座りが悪いので、場合によっては法律的な枠組みで述べるなど、記述する位置と扱い方を工夫する必要があろう。
- 現在、RIなどの廃棄物をどう処理・処分するかは原子力委員会と更には原子力安全委員会などでいろいろと議論されている。廃棄物として出てきたものをただ処理・処分すればよいというのではなく、発生の抑制、すなわち利用の過程の中で最初から最後まで考えた形での提言が、これからの循環型社会を考えた場合、重要である。RIユーザーにも協力してもらわないと、この問題は破綻を来すことになるのではないか。更に、今後、費用負担の問題が出てくる。処分実施の段階で、現在はまだ立地ができていないのでよくわからないが、費用負担が過重なものとなるのであれば、それが放射線利用の足かせになることもある。また、実際に処分ができることが重要である。その場合、国がある程度、側面的な支援をしないと実施しにくいということもあろう。その意味で、立地の問題は別であろうが、処理・処分の問題はぜひ入れて欲しい。
- 研究利用の場合は廃棄物の放射能は非常に量が少ない。汚染した放射性廃棄物は永久に汚染したままであるという考え方と、固体廃棄物には裾切りがないという点は、循環型社会を構築する上で必要かどうか議論すべきであろう。固体廃棄物の裾切りの問題が、隠れた点としてあるのではないかと思う。
- 固体廃棄物の裾きりの問題はクリアランスレベルの問題である。これについては、既にバックエンド対策専門部会で、クリアランスレベルを設定することが必要であると提言し、既に原子力発電所の解体に伴う廃棄物に関しては、クリアランスレベルの値が原子力安全委員会で、ある程度提示されている。今、RIなどの廃棄物に関しては、核種が多少違うが、原子力安全委員会で議論が進んでいるので、やがて値が出てくると思う。問題はむしろ、その値が出た後、それをどう確認するかというプロセスを制度化することが重要であり、ユーザーにどう関与してもらうかというプロセスが非常に重要である。その意味でも、ぜひ、この問題は入れて欲しい。
- 資料4の章立ては、第W章までが現状分析と将来展望であり、第X章は政策提言と思うが、そうすると第Y章も政策提言と思う。第Y章は、国際的視点と国際貢献の立場から整理されているが、これは各現状分析の段階で国際的視点と国際貢献の関係を分析しておかなければ、第Y章での政策提言に結びつかないのではないか。できれば、この国際社会との調和の部分を分けてそれぞれの項目に入れ、例えば、法的規制の合理性ならば、そこに、それぞれの段階で国際的規制はどうなっているのか、我が国がどうのように貢献できるのかを示せば、第Y章はいらない。どうしても必要であれば、国際的に行うべき大きなこと、特記すべきことだけに限ってはどうかと思う。
- 放射線と原子力を分けて利用を促進するということが初めてよく理解できた。原子力を前提にして話を聞いていると、放射線利用は極めて不都合な感じをもつが、これまでの議論で随分、勉強させられた。国際社会との調和に関しては、現在行っているチェルノブイリとセミパラチンスクなどの支援についてプレゼンテーションしたが、これは現状分析で捉えた方がよいかと思う。これらの活動はある意味で影の部分であり、その影の部分が緊急被ばく者医療の対策や災害医療、そして突き詰めていくとそれは守りの科学となる。積極的な医療を施すのではなく、何かあった場合にどういう対応をするかをあらかじめ先取りして対応するシステムを提言するに当たっては、現在我々が行っていることをどこかで現状としてまとめたい。
- 放射線の影部分は、第U章「放射線について」ということで、「放射線の利用の歴史」の中に含まれる。当然、軍事利用や平和利用を具体的に述べることはできないが、一般の人々の最大の不安は、すり込み現象としてあるのではないか。毎年、長崎・広島の原爆の平和式典があり、原子力産業の原点が核兵器の開発や実験とリンクしているという意識をもたせることが、教育を飛び越え、すり込み現象として、我が国にあるのではないかと、特に広島・長崎では、強く感じる。その点についての現状の解析がないと、いくら最後の提案で述べてもまとめにくいのではないか。
- 資料4の第X章第5項「廃棄物処理・処分」の「廃棄物処理・処分に対する理解の促進」は、むしろ放射線に対する理解の促進に深くかかわっている。大部分は第4項の「法的規制の合理化」に入れてよいと思うが、第1項の「情報公開と共有」とか理解促進に絡んでくるのではないかとも思う。ぜひ、入れて欲しい項目である。
- 廃棄物処理・処分の問題が放射線利用の促進に他の問題と比べて大きな障害になっているのかという点から発言した。循環型社会では、放射線を利用するに当たって処理・処分まで考えることは重要である。その意味で、課題として取り上げるのではなく、放射線利用を進める前提条件として配慮すべき事項として触れることは大事だと思う。
- なぜ廃棄物の処理ではなく処分に公衆という言葉が出てくるかについて述べたい。普通の放射線とか原子力産業は、ある限られた区域で作業していればよく、放射線作業者が主体であり、公衆については特に害がなければ議論にならない。しかし、放射性廃棄物の処分となると、放射能レベルの減衰を待って、ある時期にこれを切り離して、公衆のもとに返すことになる。廃棄物処分は、従来我々がかかわっているところと、この点が大きく違う。主役が公衆になるということであり、公衆の理解促進をきちんとしなければ、高レベル廃棄物などの処分はできない。ここで強調すべきことは、公衆とのかかわりの中で、公衆が決めるというプロセスが必ず存在するため、公衆に対する放射線利用の理解促進をきちんと書き込まないと、原子力産業や放射線利用は成り立たないのではないのかという点である。
(座長)
- 資料4の第Y章第1項の4番目の「国外(特にアジア)での放射線被ばく事故に対しての援助・支援」についてはあまり議論されていない。しかし、最近、タイで放射線被ばく事故があった際に、IAEAを通じて、また、その後タイからも直接、日本に支援の要請が来たが、こういうことは今後も起こりうることであり、地域で協力して事故などに対応することも必要であろうと思って盛り込んだ。
○座長より、今後の報告書のドラフトの作成や議論の進め方について、以下のとおり発言があった。
- いろいろな意見をもらったので、これに基づきドラフト案を作成する。
- ドラフト案をみて、章立ての項目などを含めて、検討して欲しい。
- 骨子について、言い残した点や更に気づいた点があれば、来週中に事務局に送って欲しい。その上で、それらの意見を盛り込んでドラフト案の作成に着手したい。
- 策定会議への報告は6月5日であり、それまでに会合を開催できるのは最大でも2回であり、その間、意見があれば文書で出して欲しい。
(4)閉会
○座長より、次回(第8回)の会合について、以下のとおり開催する旨の説明があった。