東京大学 空間情報科学研究センター 八田達夫
2000年3月21日より、電力の部分自由化が始まる。この自由化は、使用済み燃料の処置、および(使用済み燃料を活用するための技術である)FBRの研究開発方針の転換をも迫る。本稿の目的は、このことを明らかにし、政策転換の方向を論ずることである。
T.電力自由化と原子力政策
A.電力自由化とはなにか
電力の自由化とはそもそも何だろうか。
発電には大きなダムの建設など非常に大きな投資が必要となるため、電力事業は、地域的な自然独占が成り立つ産業であった。このため、「独占は認めたうえで料金は規制する」という原則が、これまで当然のこととされてきた。しかし、最近では個々の発電所の発電量に比べて、市場のサイズが格段に大きくなった。さらに技術進歩の結果、小型発電機でも発電ができるようになってきた。特に米国で行われているような、天然ガスを使用した発電は小規模で安価に発電できるようになってきた。このため、発電には規模の経済があるとは言えなくなった。
つまるところ、規模の経済は送電線・配電線にのみあるということになる。確かに送電線が一つできれば、別の会社が重複して作成することは不経済である。送電・配電のサービスの供給会社は、自然独占にならざるを得ない。このため、電力会社の発電部門と送電部門を別の会社にして切り離し、送・配電会社のみに独占を認める。その一方で、発電には独占を認めず、どんな会社でも自由に参入できるという仕組みにすることが合理的になった。これを完全自由化と呼ぶ。
既に完全自由化が行われた国々では、電力会社を無理やり送配電会社と発電会社に分割させた。例えば、英国や北欧では、自由化にあたって、国営の電力会社から発電部門を分割して民営化した。また、カリフォルニアでは民間の電力会社の発電部門を分離独立させた。その上で、送配電会社には独占を認めるが、発電会社には独占を認めず、そのかわりに料金規制をしないことにしたのである。その結果、発電コストの安い発電会社が生き残り、高いところは淘汰されることとなり、また技術進歩も進んだ。これが海外の電力の価格を引き下げた。
日本では、2000年3月から、電力の小売部分自由化が始まることになった。小売の自由化とは、発電事業者から最終需要家への直接供給(つまり電力の産地直売)の自由化のことである。この制度の下では、直接供給で使用する送電線や配電線の使用料である送配電料金を直接供給の売り手が送電料金として電力会社に支払う。しかし、電力料金は、直接供給の売り手と買い手の間で自由に決定することになる。ただし今回の自由化は、特別高圧の需要家(使用電力2000kw以上、2万V以上受電)のみを対象として開始される。これが、今回の自由化が部分自由化であると言うことの意味である。
B.自由化の下での公益目的の達成
「自由化を行うと、競争にさらされた電力会社は、公益目的を無視するのではないか」と言われることがある。しかし、税・補助金を用いれば、電力事業者の選択を公益目的のために誘導することは可能である。
例えば炭素税を導入すれば、全ての電気事業者にCO2を排出する電源をなるべく使わないインセンティブを与える。その結果、炭素税は、原子力、自然エネルギー、天然ガスを、石油に比べて有利にする。
一方、エネルギーセキュリティーのために、過度に一つの電源に偏らないようにするためには、その電源の使用に対してエネルギーセキュリティ税をかければすむ。エネルギーセキュリティ対策という言葉を、OPECやメジャーの寡占的な石油価格決定戦略への対抗措置として用いるならば、この目的達成のためにエネルギーセキュリティ税は、原子力発電所の建設より遙かに有効である。寡占的な石油価格の値付けが行われた場合、仮に日本の電力が100%原子力で発電されていたとしても、現在石油の輸入の大半を占めている軽質油の輸入価格の高騰への対策にはまったく役にたたない。特に、自動車のエネルギー源が過度に石油に集中することへの対策とはならないであろう。一方、石油輸入全体に対するエネルギーセキュリティ税がかかっていれば、自動車のエネルギー源の分散化に役立つ。インドネシアやオーストラリアから輸入する天然ガスを原料とする燃料電池やその他の電気自動車の促進を強力に促すことになろう。
軽質油に関するエネルギーセキュリティ対策として、原子力発電所の新設は無意味である。原子力発電所の新設をエネルギーセキュリティの手段として提唱する人たちが、軽質油に関するセキュリティに関心を払わないことは、提唱の動機が日本のエネルギーセキュリティの保持にあるのではなく、原子力産業の既得権を維持することのみにあることを、見事に示している。
適格な公益目的税率を定めた上で、電力会社がどの発電を選択するかは、政府が決めるべきことではない。電力会社は費用の全体を考慮して自ら自由に決めればよい。そうすることによって公益目的を最も無駄なく効率的に達成することが出来る。政府がやるべきことは、競争のための環境作りであり、その税率を決めることである。
C.電力自由化と長計の役割の変化
従来は、電気料金の設定には総括原価主義という方法がとられていた。基本的には、発電や送電にかかった費用に適正な利潤を加えたものを、電気料金で回収できるように、料金を設定するという方法である。
日本は社会主義国でもないのに、従来、長期計画委員会が原子力発電所の新設計画まで作ってきたのは、料金が総括原価主義に基づいていたからである。すなわち、基本的にはもっとも安い生産費用の発電方式を採用しなくても、政府に押しつけられた発電方式の高コストを、規制料金に上乗せすることができた。
しかし、自由化によってすべての状況が変わった。部分自由化とはいえ、IPPと競争的に発電しなければならないということは、少しでも安い生産コストの発電方式を採用する動機があるということである。この状況のもとでは、国が原子力発電所の建設計画をたて、電力会社にそれに従わせるということはできなくなった。もしそれを無理矢理やらせるとすると、何らかの形で国に補償を求めざるを得なくなるだろう。
一方、総括原価主義の下では、公益目的達成のためのインセンティブを与えるための政策手段として、税や補助金などは、有効でなかった。税はすべて料金に上乗せできたからである。
しかし自由化が始まることによって、公益目的のための税が有効に機能する状況が出現した。電気事業者は、コストを節約するために、炭素税やセキュリティ税に反応して、公益目的を最も効率的に達成する電源を選ぶことになる。
長期計画委員会は、商業用原子力発電建築計画の策定をその目的から外し、基礎研究計画の策定に今後専念すべきであると考えられる。
U.競争条件の均等化
A.部分自由化と競争条件の均等化
部分自由化が行われると、需要量の3割を占める大口需要家に対しては、電力会社がTPPと競争して自由に設定する料金が適用させる。7割を占める一般需要家に対しては、総括原価主義に基づいた規制料金が適用される。
ここで当然わく疑問は、電力会社は大口に対しては料金を引き下げ、それで回収できないコストを大口の需要家のための発電コストであるとして、総括原価主義によって一般需要家に押しつける可能性である。このような押しつけを防ぐために、今回の自由化では縦横十文字の区分経理が行われている。
まず、縦割りの区分経理では、電力会社の経費を送電用と発電用に分離する。次に横割りの区分では、電力会社の経費を、大口需要家用と、一般需要家用とに分離する。この区分計理に基づいて算出された一般需要家用発電経費が、総括原価主義に基づいて一般向け発電料金を決める際のベースとして用いられる。こうやって基本的には、自由化部門のコストを他に転移できない仕組みになっている。
ということは、電力会社は、IPPと競争する大口向け発電では、そこにかかったコストを考慮に入れて価格付けをすることになる。従って大口向け発電においては、電力会社とIPPとの間で、競争条件を均等化しなければならなくなる。例えば、電力会社のみに何らかの補助金を与えたり、公益目的のために何らかのコストをかける、ということがあってはこの競争は対等にならない。
一方で、区分経理があるということは、大口部門で競争条件を均等にすることが、そのまま発電のコストの節約につながり、それは小口の発電コストの低下をももたらすというメカニズムが導入されたのである。
競争条件が対等になったときに、発電事業者が選ぶ発電方法は、社会的に見て最も効率的なものとなる。
B.ストランデッド・コスト
カリフォルニアで電力を完全自由化した時、大手の電力会社は、それまで政策的に押しつけられてきた原子力発電の高コスト分を公的負担が自由化の条件であると主張した。このため、自由化後は、新規発電事業者が発電する電力に対しても電気代に上乗せして高い料金を取って原子力コストをカバーしている。
日本では、当局が主張するように、原子力発電コストが他の電源に比べて安いのならば、いずれ電力の完全自由化を行う際にも、電力会社は、ストランデッド・コストの負担を要求しないかも知れない。しかし、日本でも実際に電力の完全自由化をすることになると、電力会社は、「本当は原子力発電のコストは高いのだ」と言う可能性がある。そうなると、電力会社がこれまで国の政策に協力して建設してきた原子力発電に関しては、ストランデッドコストとしてIPPの供給する電力を含めて電気料金の上乗せをしなければいけなくなる。
今後建設する原子力発電所の分については、電力会社に後からそのようなコストを要求されないような対策を立てておかなければならない。そのためには今後は原発を新設するか否かの決定を電力会社の完全な自主性にまかすことにし、その代わりに完全自由化した際にも新設原発分のコストに対してはストランデッド・コストとして将来認めないことを、今、明確にしておく必要がある。
その前提の上で、国ではなく電力事業者が原子力発電所の新設はペイするか否かを総合的に判断すれば良い。そうすることにより従来の電力事業者と新規事業者との競争は、イコールフッティングとなる。それが社会全体にとって最も効率的な選択をもたらす。
しかし現在のところ、電力会社とIPPの間での大口部門への競争は、完全に均等化されているわけではない。特に、電力会社が行っている原子力発電に対しては、国によるさまざまな間接補助が与えられている。その一方で原子力発電のために政策的なコスト負担も押しつけされている。
これらの不均衡条件は、今回の自由化対称が限定されていたために大きな問題にならなかったが、3年後の見直しによって部分自由化の範囲が拡大されたり、完全自由化が行われるようになると均等化が必要になる。
その際、電力会社は、これまで押しつけられてきた政策的なコスト負担のストランデッド・コストとしての電力料金の上乗せと補助の継続とを要求することになるだろう。国の政策に協力して、電力会社がこれまで建設してきた原子力発電に関しては、そのような補助の継続やストランデット・コストの上乗せをが正当化できるかもしれない。しかし、補助やストランデッド・コストの上乗せは小さければ小さいに越したことはない。今後建設される原子力発電に関しては、もし、自由化範囲の拡大があっても、そのような補助継続したり、ストランデッド・コストの上乗せ分を認めない、ということを今明確にしておくべきであろう。
V.使用済み燃料処理の費用負担の軽減策
国が電力会社に対して押しつけている原子力発電に関する政策的な費用負担の最たるものは、使用済み燃料の再処理の義務づけにともなうものである。それには再処理の費用、及び再処理施設の建設費用等が含まれる。この負担を除去し、自由化部門・規制部門双方の料金の低下をはかるべきである。
使用済み燃料の再処理の義務づけは、近い将来における安いFBRの実用化を前提にしている。この前提は、もはや成り立っていない。それにも関わらず、自由化以前の電力会社は、仮想的にこの前提が成り立つとして、再処理にまつわる諸々の費用を負担できた。電気料金へのつけ廻しが出来たからである。しかし、自由化以後は、この費用負担は、電力会社の競争条件を弱める。従って、自由化を機に、近い将来におけるFBRの実用化を公式にあきらめなければならない。
A.FBRの実用化モラトリアムを
1.FBR発電のコストが依然高すぎる
FBRは、もしそれが安く、しかも安全に運転出来るのであれば、夢のような技術である。燃料を再利用出来るから、限られた埋蔵量しかないウラン資源を非常に長期間用いることが出来る。もともと原子力発電は、FBRの技術開発の可能性があったからこそ、魅力のある発電方法だったと言えよう。FBRの技術がなければ、エネルギー換算したFBRの埋蔵量は、石油の1/4、天然ガスの1/3、石炭の1/20でしかない。
この観点からすると、日本を含めた各国がFBRの研究開発投資に金を注ぎこんだことは当然であった。しかし、実際に研究開発した結果、FBRを安いコストで建設する技術は見つからなかった。当初の目論見ははずれたのである。実際、「もんじゅ」の原子炉設置許可申請は、80年のことであるが、そこでは原子炉使用の目的は、高速増殖炉を我が国において1990年代に実用化するためとされていた。ところが、94年の長期計画によれば、「2030年頃までには実用が可能となるように、高速増殖炉の技術体系の確立を目指」すことになってしまった。約15年で、目標とされる実用化の時期は、30年以上も遠のいたのである。さらに現在のFBR技術では、軽水炉の発電に比べて、数倍の費用がかかると言われている。
2.核燃料サイクル論の評価
この高コストにも拘わらず、エネルギー資源を半永久的に持続させるためには、現在時点で核燃料サイクルを実現すべきであろうか。
実は、資源制約論は核燃料サイクルのに対する高額の研究投資を正当化しない。核燃料サイクルを行うことによって、エネルギー資源が非常に長期間維持できるから、この開発を急ぐべきだという議論がある。しかし、エネルギー資源の枯渇を今、問題にするのならば、他の資源の枯渇のほうが緊急な問題である。資源の耐用年数(確認埋蔵量の年間採掘量に対する比率)は、亜鉛(19年)、銅(33年)のほうが石油(46年)より短く、ニッケル(55年)、鉄(77年)のほうが、石炭(148年)より短い。エネルギーだけは、核燃料サイクルを用いていかなるコストを払っても半永久化しようとするのは、筋が通らない。
そもそも世界人口が数十年ごとに倍増していく現状を放っておけば、いかなる資源節約を行っても資源制約によって地球は持たなくなる。地球の資源制約に対する最終的な対策としては、資源制約を緩和する政策はバンソウコウでしかない。根本的な対策は、世界的規模の人口の抑制である。
3.「もんじゅ」は、廃炉に
今後50年間の技術進歩・資源開発が目白押しであるから、現在、開発されている「もんじゅ」のような、コスト高のFPRの実用化を急ぐ必要はまったくない。今後50年間、 以下のエネルギー分野ではさまざまな技術進歩の可能性がある。
@自然エネルギー A燃料電池 B需要抑制 Cガス D送電
現在、日本が開発している方向でのFBR研究は中止すべきであり、「もんじゅ」も廃炉にすべきである。今後FBRの研究開発は、遠い将来の実用化のための基礎的な実験室レベルの研究を、これまでとはまったく違った原理に基づいて行うべきであろう。
B.ワンススルーを選択肢に
1.再処理を急ぐ理由はない。
FBR研究開発に関する政策転換は、軽水炉発電の使用済み燃料再処理に関する政策変換をも余儀なくする。ということは、使用済み燃料の処置を、将来どうなるとも分からないFBRの実用化に結びつけられないからである。すなわち、今後は、使用済み燃料の再処理を義務づけるべきではない。
使用済み燃料の再処理を義務づけないということは、電力会社にワンススルーを強制するということではない。ワンススルーを選択肢に入れることを許すべきだということである。使用済み燃料を中間貯蔵した後では、将来開発される新FBRのために再処理することも、ワンススルーしてしまうことも、オープンな選択肢とすればよい。
現時点で、ワンススルーか再処理かを断定的に決めるべきでない理由は次の4つである。
(1)ワンススルーと再処理の技術進歩
今後、再処理の技術もワンススルーの技術も進歩するだろうから、最終的にどちらが安い地下埋設方法になるかは、今の段階では分からない。
(2)外国への移転
地震がなく、地質の良いところに埋めることは人類全体にとって恩恵である。国際関係が、50年後には変化しており、更に外国における地下埋設技術が進んでいれば、それを産業として受け入れてくれる可能性もある。
(3)日本国内の人口移動
これまでの50年のことを考えると、今後50年間に日本国内で起こる人口移動は現在では想像不可能である。広い無人地帯が現れる可能性がある。そのような、入手可能な土地の広さによって、ワンススルーを行う広い土地が得られるかも知れないし、或いは再処理してコンパクトにまとめなければならなくなるかも知れない。
(4)新しいFBR技術
最後に、まったく新しいFBR技術が現れ、安く安全に燃料の再使用が出来るようになっているかも知れない。
このような政策転換によって、電力会社はワンススルーも選択肢に入れることができるし、FPRの将来の技術進歩の程度によっては、再処理を行うという可能性を残すことができる。 再処理を急ぐ理由は全くない。
2.発電所内50年間地上中間貯蔵の道をひらけ。
再処理を義務づけない以上、発電所内で地上中間貯蔵を50年間できる選択肢を与えるべきだ。六ヶ所村の再処理場に、使用済み燃料を必ず集めなければならない理由がないからである。もちろん、発電所内にスペースがないところでは、それを中間貯蔵専用の施設にうつすことも考えられるだろう。
W.新しい使用済み燃料政策
A.不備な安全協定
上のような政策転換を行うためには、現在のFBR研究の転換を決断しなければならない。見込みがはずれた研究開発を止めることには、何ら恥ずべき理由はない。いかなる研究開発も、当初の目論見が当たることもあるし、はずれることもある。FBRの場合には、はずれたのである。
にもかかわらず、現在のところ、FBRの目論見がはずれたことを関係諸機関は認めていない。さらに、現在の原子力発電所の設置許可は、ピューレックス法に基づいたFBRの実用化を前提とした再処理を義務づけている。
FBRの失敗を認められない理由は3つある。
第1に、「FBRをやめる」と言えば、再処理工場建築予定地の青森県に対して、再処理工場を造るという約束を反故にすることになる。
第2に、再処理工場の建設が中止されれば、六ヶ所村における使用済み燃料の中間貯蔵を許している青森県と電事連との安全協定の前提が覆れてしまう。
第3に、各原発が当該県と結んでいる安全協定における、「使用済み燃料を最終的には再処理するために、発電所サイトから除去する」という約束の前提が崩れてしまう。
これらの協定は、FBR技術が、うまく成功すると言うことを前提とした上で作られた物であり、もし失敗した場合に使用済み燃料をどこに置くか、ということがまったく定められていない、はなはだ不備な協定であった。
この様な不備な契約を県と結んだ当事者は、電力会社であり、電事連であるが、その責任は、電気事業者にあるのか、国にあるのか、不明確である。不明確であるが故に、国も、電力会社も、現在のFBR技術に見込みがないことを前提とした使用済み燃料を始末する方法を決定する責任を自主的にはとらず、結果的に決定を先延ばしにし続けてきた。
一方で、各原発の使用済み燃料プールは、刻々といっぱいになりつつある。この状況で「もんじゅ」を廃炉にし、核燃料再処理施設の建設を中止すれば、6カ所村にはこれ以上使用済み燃料を運び入れることが出来なくなる。6カ所村への使用済み燃料搬入は、あくまでも再処理のためという前提があるからである。
原子力発電所がある県では、使用済み燃料の行き場がなくなるならば、県内に永久保存されることを危惧して、中間貯蔵施設の増設を許可しないであろう。こうして、原子炉の運転取りやめが必然になる。既に建築してしまった発電所を償却する以前に廃炉にしてしまうことは、膨大な電気料金負担を消費者に課すことになる。
さらには、これまで再処理を前提として中間貯蔵していた6カ所村の使用済み燃料に対して、青森県は域外退去を命ずることになるだろう。どこにも持って行き場がない以上、電事審は、膨大な違約金を県に払うことになるのだろうが、それも電気料金を引き上げてしまう。
B.50年間中間貯蔵後の使用済み燃料の政府による引き取りオプションの新設を。
結局、これまでの安全協定の不備を正すには、青森県や他の県が、自己の意志に反して、自県の施設が永久的な原子力使用済み燃料の廃棄場所にはならないことを保証し、安心させることである。
そのためには、県・国・電力会社は、50年間中間貯蔵に関して、以下のように責任分担する必要があるだろう。
(1)国は、電力会社が望むならば、50年中間貯蔵された後の燃料を、今定めた価格(物価調整は行う)で引き取り、その後の処置の全責任を負うことを今の時点で明確にする。政府はそれを埋設するなり、資源として活用するなりの決定をその段階で行う。ただし、引き取り価格以下で電力会社が50年以内にそれを処理する方策を見つけたなら、それは電力会社の自由である。すなわちオプションとして政府が対価と引き替えに引き取ることを明確にするわけである。
原則的には、政府が民間経済に干渉することは望ましいことではないが、何百年にもわたる埋蔵物を管理する役割は、永続的な組織が行わざるを得ないだろう。100年後にはもう存続していないかもしれない電力会社に任せるわけにはいかない。すでに先のあてなく原子力発電を始めてしまった責任の一旦が政府にもある以上、その後始末としてこのような措置が必要だろう。
アメリカでは、原子力発電所をでた使用済み燃料は、国が責任をもって埋設することに
なっており、しかもそのための費用を中間貯蔵している間、電力会社は政府に預託する仕組みがある。基本的には日本もこれと同様のシステムを採用すべきだろう。
50年間貯蔵された燃料は、定められた料金で政府が引き取る訳だから、政府は50年後は国内ないしは外国に最終埋設地を確定しなければならない。国内の場合は、これまで50年間の日本の地域的な人口移動を考えると、今後人口の殆どいない地域がどこにどうできるかは、現在予測不可能であるにしても、そのような地域が出来る可能性がある。また、国際情勢が変化して、外国に移転することもあり得る。外国での埋設の経験が進み、これが一つの産業として成立する可能性すらある。政府は、将来時点でそれらのいずれかで使用済み燃料を処分することを約束するのである。
ただし、引き取り価格には二段階の価格を設定する必要がある。これまでに建設されて原子力発電所は、政府に対して協力して建てられたものであるから、現在算定した高レベル廃棄物処理の費用の物価調整をしてものを使えばよいであろう。しかし、今後建設される発電所からでる廃棄物に関しては、将来埋蔵コストの予測の難しさを反映させて、それより高い値段でしか政府が引き取らないことを今、明確にしておくべきだろう。
(2)電力会社は、中間貯蔵施設の事故に対して、現在の保険金の倍の損害保険に加入する。中間処理施設の安全性を補償するために、現在の原子力保険法に定められている、半官半民的な保険以外に、民間の損保会社による保険を、少なくともそれに匹敵する額をかけさせることにし、保険料を電力会社に負担させることにする。これは、現行の保険のように機械的な料率設定が行われている半官半民的な保険と違い、いざというときに保険金を支払う主体が競争的に決める保険料率である。したがって中間貯蔵施設の安全性に関する客観的チェックとして役立ち、地元への安心感を与えよう。
(3)県は、現在ある原子力発電施設内での中間貯蔵施設新設を認めることとする。さらに、現在県内に既にある中間貯蔵施設における使用済み燃料の50年間の貯蔵を認めることにする。
以上の3つが本稿の政策提言である。
これまでは強い規制下にあった電力会社は、完全に独自の経営判断をすることを許されず、政府の政策決定に沿う形で意志決定を行ってきた。これが、結果的にはあらゆる状況を想定しない不備な安全協定を県と電力会社の間で結ばせる原因となり、責任が不明のまま再処理工場建設という膨大な無駄が進行し、かつ使用済み燃料の処置の不確実性と言う問題を生んだ。この問題を解決するには、自由化を機に関係者の責任分担を、これまでのいきさつから切り離して、明確に再定義する必要がある。以上の提案は、その目的に沿うものである。