2000年3月13日
長期計画策定会議第二分科会第7回
エネルギーとしての原子力と市場経済
佐和隆光(京都大学経済研究所)
- 原子力発電のコスト評価にまつわる問題点:何をコストに含めるべきか、含めざるべきかについての意見の一致が見られないのが現状である。合理的な企業の意思決定に当たっては、直接コスト(円/kWh)のみならず、様々な間接コストが加味される。ここでいう間接コストを評価するに際しては、パブリック・アクセプタンス、不確実性、リスクなどの要因が少なからぬ影響を及ぼす。
- 単位当たりの二酸化炭素排出削減コスト(円/Cトン)を、原子力発電所の新設と太陽光発電の普及促進について比較すると、前者が後者を大幅に下回る。そこで問われなければならないのは次の点である。「にもかかわらず、日本を除く先進各国政府が、原子力発電所の新増設を温室効果ガス排出削減対策の一つに数えようとしないのは、なにゆえのことなのか」。この設問に対するあり得べき答えの一つは「少なくとも当面、原子力発電所の新増設に要する間接コストが巨額に及ぶから」であろう。
- 原子力発電所の新増設なくしては、京都議定書に定められた目標が達成不可能であるかのように言うのは、いささかならず説得力を欠く。なぜなら、そうした言説の背景には、@今後とも伸び続ける電力需要に応えるためには、電力供給設備の拡充が必要不可欠である、A原子力発電をやめれば、それにかわる電源は火力発電所しかない」との暗黙(?)の前提が据えられているからである。
- 以上のように見てくると、原子力発電の経済性、温暖化抑止効果を盾にして、その必要性を云々することは、もはや時宜にかなわなくなったのではないだろうか。
- 電力自由化のもとで(電力供給を市場経済に委ねれば)、合理的な企業が原子力発電所を新増設することは、まずあり得ないと考えるのが道理である。なぜなら、原子力発電の発電単価がいかに安くとも、立地のために要する20年もの歳月とコスト、低位にとどまるパブリック・アクセプタンス、巨額の初期投資、事故のリスク、廃棄物の処理にまつわる困難などが、合理的な企業による原発の新増設を妨げるからである。炭素税制の導入などによって、化石燃料の価格を人為的に高くすることによって、原子力発電を優位にすることは望めない。
- 原子力発電が市場によって選択されることがあり得ないのは、次のような理由による。@市場の選択の根拠となるのは、広義の経済的コストに尽きる(企業は利潤極大化を目指す主体)。A短期と長期の最適性に差異があるとき、長期的視野に立っての選択を市場に求めるのは筋違いである。B環境(温暖化防止)という観点もまた、市場からは抜け落ちる。
- ただし、電力自由化のもとで再生可能電源(太陽、風力等)の「グリーン料金」(火力・原子力に比べての相対的に高い料金設定)が成り立ちうるのは、消費者行動の規範の一つとして、コミットメントや共感があるからこそのことである。1970年代までは、原子力が人々のコミットメントや共感を誘うことができたのではなかったろうか。
- 電力の完全自由化のもとで、原子力発電所の新増設が選択されないのだとすれば、原子力推進という「国策」と、電力自由化という世界の潮流は相容れないことになる。
- わが国のエネルギー政策が、一方で原子力推進を謳いつつ、他方で電力自由化を推進するのは、かの平重盛に「孝」と「忠」の両立を求めるに等しい(「孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝ならず」平重盛)。原子力発電比率が70%強のフランスが、残りの20数%について電力供給の自由化を推し進めるというフランス政府の方針は、政策のコンシステンシーという点からすれば、それなりの評価に値するであろう。
- イギリス、ドイツ等の欧州諸国が電力自由化を積極的に推し進めることの背景には、「原子力発電所の新増設はもはや不可能」との現状認識があるのではないか。タイなどの東南アジア諸国についても同様である。
- さて、そこで問われなければならないのは、次の2点である。@長期的な(30年乃至40年の)時間的視野のもとで、原子力発電は「絶対に」必要なのか否か。A原子力関連の研究開発のレベル、技術者、そして原子力の産業技術は、今後、数十年間、原子力発電所の新増設がなくても、維持することができるのか否か。
- @に対する答えが「イエス」であり、Aに対する答えが「ノー」であれば、電力の完全自由化について「見直し」を余儀なくされるであろう。すなわち、原子力に対する何らかの形での優遇策(市場競争からの隔離)が必要となってくる。ただし、原子力の電源構成比率に一定の上限を設けるなりして、他電源との市場競争を回避するような措置を併せ講じるべきであろう。
- 以上を要するに、先の設問@とAに対する答えを出した上で、電力産業の産業組織のあり方、電力自由化のあり方、政府の役割についての入念な検討なしには、原子力の長期計画の策定はままならないのではないだろうか。