1999年12月13日
長期計画策定会議第二分科会
エネルギー政策としての原子力を考える
佐和隆光(京都大学経済研究所)
T.今,何が問題なのか
- 経済成長とは何だろうか:生活水準の質的向上のために,今後とも高い(3%以上の)経済成長は必要なのか可能なのか.経済の発展段階に応じた経済成長.
- 経済が成長すれば,エネルギー消費は必ず増えるのか.経済成長とエネルギー消費のアイアン・リンクは断ち切れるのか.
- 炭素税等の温暖化防止対策は,経済成長率の低下という犠牲を要求するのだろうか.
- 温暖化防止の諸対策(規制,税制,補助金,原子力推進,自然エネルギー)の優先度は何に応じて決めるべきなのか.
- 原子力のパブリック・アクセプタンス(PA)の今後.
- エネルギー政策と市場経済:効率性と安全性の両立.電力自由化と原子力推進は両立可能なのか.電力自由化のもとでの原子力の運命.
U.エネルギー問題を考える:原子力を中心として
[1]エネルギー需給を巡る従来の議論を概観してみると,意見の対立・相違は,以下の7点に関する見解の相違に由来する.
- 今後10年先,20年先,あるいはもっと先の日本経済と世界経済の成長・発展をどのように展望するか.
- 今後の産業構造の変化をどう見込むのか:GDPに占める製造業の付加価値の比率(85年度29.5%が97年度24.3%まで低下)は,向こう10年で,どの程度まで低下するのか.製造業の中でも素材型から加工組立型へ.サービス化の進展.
- エネルギー消費の所得弾性値と価格弾性値をどのように評価するのか:過去におけるそれらの推移.所得弾性値は限りなくゼロに近づく可能性ありや否や.価格弾性値は大なりや小なりや.たとえば今後10年の経済成長率を平均年率3%,エネルギー消費の所得弾性値を0.6と見込めば,10年後のエネルギー消費は約20%増になる.ところが経済成長率を2.5%,所得弾性値を0.4と見込めば,エネルギー消費は約11%増となる.
- 原子力発電の将来,とくにそのパブリック・アクセプタンスをどう見込むか.動燃もんじゅの事故,JCOの事故等が意味するもの.
- 省エネルギーと新エネルギー供給(太陽光,地熱,風力等)の今後の実現可能性をどう見込むか.
- 1997年12月の京都会議において,地球温暖化防止のために,先進各国に対し二酸化炭素の排出削減を義務づけたが,その義務を達成するために,電源構成をどう改変するべきなのか:原子力の優先度は?
- 中国をはじめとする東アジアの経済成長とエネルギー需要の伸びをどう見積もるべきなのか.
- 時間的視野の長短と空間的視野の広狭.
[2]原子力政策円卓会議(97年4月から9月にかけて11回開催)において反対派と推進派の意見に耳を傾けつつ考えたことは以下の通りである.
A.推進派の論点
- 将来のエネルギー需要は,過去のトレンドに沿って伸びる.
- 遅くとも21世紀半ばに石油は枯渇する.
- 省エネルギーと新エネルギーの可能性については悲観的に見通す.
- 原子力発電の安全性については論をまたないとする.
- 地球温暖化防止のためには,原子力発電の推進が唯一無二かつ最も有効な手段である.
- エネルギー政策は「国策」と認識すべきである.
- 反対派の議論は「理解」が足りない,「今後,国民のご理解を得るよう努力することが必要」との認識.
- 中国をはじめとする東アジア諸国の経済発展が,エネルギー需要の急増を招き,さほど遠くない将来,化石燃料の価格を急騰させるであろう.また,これら諸国の原子力発電への依存度が高まることは確実である.
- 核燃料サイクルの確立,とくに高速増殖炉の実用化は不可欠の課題である.最近になって,見解は大きく二分されつつある.
B.反対派の論点
- 将来のエネルギー需要の伸びを極力抑制すべきだし,また抑制は可能である.
- 原子力行政は,情報非公開,非民主的,不透明に過ぎる.
- 原発を”inmybackyards”に作ることを容認するか否かは,地域住民の選択することである.
- 省エネルギーと新エネルギーの可能性について楽観的に見通す.
- なぜ過疎地にのみ原発を作るのか.
- 安全と安心の欠如が問題:「安心の欠如」は行政に対する「信頼の欠如」に由来する.
- バックエンド対策について国民的合意を図ることが先決であり,それまではモラトリアムとすべきである(今すぐ全ての原子力発電所を止めるべきだと言う論者はまずいない).
- 欧米先進諸国の大部分が,高速増殖炉はもとより原子力全般から撤退しつつあるのに,なぜ日本だけが原子力を「基軸エネルギー」として位置づけ続けるのか.
- 高速増殖炉の研究開発は今すぐやめるべきである.
[3]今後の原子力政策はどうあるべきかについての私見.
- 21世紀の経済成長率とそれに伴うエネルギー需要の伸び率を,一義的に予測することはできない.したがって,あたかも一義的な「予測」があるかのようにしてする議論は説得力を欠く.一般に,予測Aと予測Bの当否について事前に「科学的」な判断を下すわけにはゆかない.
- 省エネルギーと新エネルギーの供給可能性についても同じことがいえる.要するに,何事につけ将来は「不確実」であることをわきまえるべきである.
- このまま為す術もなく手をこまねいていたのでは,原発の新規立地は望みえない.電源交付金の増額その他の経済的ベネフィットを立地地域に供与することが,PAを勝ち得るための<十分条件>ではなくなった.また,"notinmybackyards"心理は万人が共有する心理なのだから,「地域エゴが国益を踏みにじる」というたぐいの議論は通用しにくい.したがって,地域住民の「安心」と「信頼」を勝ち得ること,そのために原子力行政の「透明性」を高めることが必要にして不可欠である.
- くわえて,省エネルギーと新エネルギー導入を可能な限り最大限にまで推進した上で,いかほどの原子力発電が必要なのかを明らかにしなければならない.また,地球温暖化防止を原子力発電の必要性に短絡させるのではなく,省エネルギーと新エネルギー導入による二酸化炭素の削減を徹底させた上で,所定の削減目標を達成するには,原子力にいかほど頼らねばならないのかを,誰にも分かるように明示する必要がある.要するに,結論に至るまでに,しかるべき手順を踏む必要がある.
- 国民に「ご理解」いただければ,立地問題の片が付くかのようにいわれるが,ここでいう「ご理解」とは何なのか.もしそれが「科学的知識の理解」を意味するのなら,「理解」しているはずの科学者の間にも反対派が少なからずいることを,どう<理解>すればよいのか.もしそれが「今後のエネルギー需給や経済成長に関する知識」を意味するのなら,政府の「経済見通し」や「長期エネルギー見通し」が誤りを繰り返すのを,どう<理解>すればよいのか.必要なのは「理解」ではなく「安心」,したがって行政への「信頼」ではないか.
- 「民主主義のコスト」はとてつもなく高価ではある.しかし,いかなる施策であれ,そのコストを支払うことなしには,遂行することができなくなった,という現状をよろしく認識すべきである.民主主義のコストは,社会の成熟化に伴い,次第に安くなるはずである.これまでコストを支払ってこなかったがために,社会の成熟化が遅れ,その分,民主主義が高コストになっている.
- 国際的な動向についての両派の見解は,いずれも事実誤認ではない.そこで注意を喚起すべきなのは,次の点である.アメリカをはじめとする欧米諸国のモラトリアム政策と,東アジア諸国の原子力への傾斜・後退のいずれもが,経済合理性に基づく選択にほかならない(中国,韓国,台湾は推進;タイ,マレーシア,インドネシア等は後退).また,「経済合理性」という場合,時間的かつ空間的な視野の相違により,その導くところが多岐多様とならざるを得ない.
- 時間的視野を長期化し,空間的視野をグローバル化すれば,地球環境の保全は最優先されるべきであり,化石燃料の枯渇は疑いを入れないし,ゆえに原子力発電は不可欠である,というのが「常識」と目されている.しかし,アメリカの保守派エコノミストがいうように,エネルギーや環境の問題を近視眼的に考えることを正当化する理屈もありうる.すなわち,30年後,50年後には,化石燃料の高騰などの情勢変化を受けて,予期せぬ技術革新がもたらされるはずだから,いま高い費用を支払って成し得る環境対策やエネルギー対策のもたらす効果を,もっと安い費用で達成できるはずである.したがって,いますぐあわてて「対策」を講じるのは拙速である,と.こうした議論を耳にして思うのは,きわめて逆説的ではあるが,アメリカの保守派エコノミストの言説と日本の反原発派の言説との間に相通じるものがあり,他方,欧米の環境保全派の言説と日本の原発推進派の言説との間に相通じるものがあるのは,皮肉なこととはいえ,興味深い.
- 林知己夫統計数理研究所名誉教授が最近行った世論調査によると,次の二つの航空会社のちどちらが好ましいかを尋ねたところ,5%がA社,95%がB社と答えたそうである(96年9月8日開催の96年度日本統計学会大会のシンポジウムでの報告).A社:わが社の飛行機はこれまで墜落等の大きな事故を起こしたことはありません.この実績が物語るように,わが社の飛行機は絶対に安全です.B社:飛行機事故がひとたび起これば,大変なことを承知しています.わが社では,絶対事故が起きないよう細心の注意を払い,万全の努力をしています.
- 東海村のJCO事件について思うこと:原子力関連の事業を現状のような形で民間企業に委ねることには,少なからぬ問題がある.民間企業に委ねるとするならば,その前提として,中立的な監視機関(アメリカのNRCのような機関)を設けるべきである.そのための予算・人員を節約すべきではない.
- 電力自由化のもとでの原子力発電のあり方:電力会社が,立地難にも関わらず,原子力発電を推し進め,安全性を維持することができたのは,九電力会社に与えられた地域独占体制ゆえのことであった.今後,更なる電力自由化が進み,電力会社が送電,配電,発電に分割され,IPPの小売りが自由化(地域独占が解除)されれば,利潤動機で行動する民間の発電会社が,原子力発電所を自主的に増設することはあり得ないだろうし,また仮に増設されても,その安全性は保証の限りであるまい.
- 以上のような認識を踏まえれば,今後の原子力発電のあり方について,次のような提案をしたい:少なくとの近未来の電力供給に関する限り,原子力発電所の新増設なしですむはずである.原子力発電が必要か否かは,30年,40年先までを見越した長期的視野に立って,はじめて答えの出る問題である.これは温暖化対策の是非を議論するときに,30年先,40年先を見越すのと同じである.
- 一般に,市場の時間的視野は高々10年である.したがって,30年先のことを視野に入れて経営計画を建てることを,また次世代のことを配慮して経営計画を建てることを,純然たる民間企業に求めるわけにはゆかない.
- したがって,原子力発電の必要性についての国民的議論を積み重ね,もしその必要性について国民的合意が形成されるのなら,電力自由化を経て後の原子力発電所の運営・建設に,何らかの形で国が関与せざるを得まい.とくに既述のとおり,原子力発電関連産業(発電,燃料に関わる産業)を市場競争にさらすことが不可避であれば,個々の企業は経済効率を至上とせざるを得なくなり,安全性の確保が犠牲に供されかねない.仮に有効に機能する日本版NRCの創設が不可能である(中立的な監視機関の設置はわが国では見送られがちである)とすれば,ますます国の関与が必要となってくる.
- その際,原子力発電関連産業の産業組織のあり方について,入念かつ周到な設計がなされなければならない.これは最も重要な今後の課題とわきまえるべきである.