日本原子力研究所
飛岡 利明
- 1.はじめに
- わが国におけるエネルギー確保の手段として原子力を利用するか否かはひとえに国民の選択にかかっているが、原子力が受容されるための大前提は、十分な安全が確保され続けることと、それが十分国民に理解されることであろう。後者は「安心」確保の大前提である。
これまで原子力関係者は、原子力の安全性は安全評価においても安全実績で見ても十分高いことが示されており、問題は、それが十分には国民に理解されず、安心感の醸成にまでつながっていないことであると認識していたと思う。しかしながら、JCOの事故では、原子力全体についてみれば、必ずしも安全確保そのものが完全でなかったことが明らかになったといえよう。こういう状況下では安心感など得られるはずもなく、まずは今後どう原子力施設の安全を確保するのか、そのためには事業者の安全確保責任に加えて規制当局はどうあるべきかを再考する必要があろう。その上で、原子力関係者の安全確保の努力とその結果としての安全の継続が国民に正しく理解され、結果として国民の安心感が醸成されるに至る方策も併せて考える必要があろう。
- 2.安全の確保
- 原子力利用において安全の確保は最優先の前提である。そして、安全確保の第一の責任は設置者にあるが、規制者もまた、公衆を保護する立場から、安全を確認することが必要である。
どうすれば安全が確保できるかについては、必ずしも決まった方式があるわけではない。国情や時代によって、あるいは対象とする施設によって、最善の安全確保の方式は異なるであろう。しかしながら、その基本は、「セイフティカルチャー」という言葉で代表される、何が何でも安全を確保するという強い意思と、それを具現化した安全対策であろう。即ち、常に緊張感を持って安全確保を図ること、観念的でなく実際的な安全確保策を実施すること等である。原子力発電所は、施設の中に大量の放射性物質を有することと、それを閉じ込める障壁を破壊する熱エネルギーも有することから、潜在的危険が大きな施設であると考えられ、従来から安全確保の主たる対象となってきた。実際、過去には、米国のスリーマイル島原子力発電所や旧ソ連のチェルノブィル原子力発電所において重大な事故を経験し、安全性に疑問が呈せられた時期があった。
しかしながら、現在では、設計・建設・運転の各局面において安全確保の手だてが講じられたこと等により、世界的に見ても安全のレベルははるかに向上し、特にわが国では、十分高い安全性が運転実績等によって示されている。
ただ、将来を見通せば必ずしもこうした安定した運転が継続されるとは言い切れない部分がある。昨今のトラブルからも、今後以下のような事項が課題となるであろうことが示されている。
- 新規プラントが少ないことから、設計・建設の現場を中心に若い人の参入が少なく、技術の継承が困難になりつつある。
- 装置のブラックボックス化や、単にマニュアルに従うだけの行為が増え、運転員による判断能力・予測能力が低下しつつある。
- 社会を通じて、安全文化や技術者の倫理が薄れつつある。こうしたことから、現場作業や職人気質を軽視する風潮が見られつつある。
- 技術分野の細分化が進んだ結果、それを全体として集約し・管理につなげることが困難になりつつある。
- 今後はこうした課題にあらかじめ対処する方策を考えておく必要がある。
現在の最大の課題は、JCOの事故で顕在化したが、サイクル全体の施設について適切な安全確保体制を整備することであると思われる。
これらの施設は、原子力発電所と違って、多くが一品生産ものであり、また、バラエティに富んでいる。検討すべき課題は以下のようなものとなろう。
- 過去に経験の少ない施設について、関連技術の経験をうまく援用して安全確保を図ること。
- 施設の特徴と潜在的な危険性のレベルに応じた安全確保策を講じること。
- 特に、小規模の企業においても、教育・訓練を含めて、十分な安全確保策を講じること。
- 以上示したように、様々な施設についてそれぞれ異なる安全上の課題がある。これらの課題は、設置者の対応や規制上の対応で解決しなければならないが、そのための十分な技術的知見が蓄積されていない場合もある。こうした安全上の課題の解決のためにも、施設の安全性の向上のためにも、また、万一重大な事故が発生したときにそれを適切に終息させる技術基盤を失わないためにも、安全性研究を推進し、安全上の知見の蓄積と技術レベルの維持を図ることが必要である。
現在原子力安全委員会では、平成13年から17年までの安全研究年次計画の策定過程にあるが、JCOの事故で得られている教訓への対応を含め、安全研究の課題を正確に同定し、それらの優先度も明らかにした上で、従来以上に積極的に安全研究を展開していくことが必要と考える。
- 3.規制のあり方
- 原子力規制の目的は、あらゆる原子力関係活動において十分高い安全レベルが達成・維持され、その結果として、放射線によって生じる危険から公衆及び環境が防護されることである。規制が有効である一般的な条件は、IAEAによれば以下の通りである。
- 許容レベルの安全性が運転組織によって維持されていることを確認すること。
- 安全性の低下を防止し、安全性の向上を促進するために、適切な措置をとること。
- 規制活動を実施するにあたって、タイムリーかつ効率的で、運転組織、一般公衆、政府にも信頼される手法を用いること。
- 自らの活動の有効性の向上に継続的に努力すること。
- しかしながら、安全確保の方式と同様、最善の規制方式は国情その他によって異なるであろう。米国NRCとの比較がしばしばなされるが、わが国は、わが国における電力会社やメーカーの技術能力や大きさ、政府組織の形態や大きさ、原子力関連研究者・技術者の層の厚さ等を考慮して、わが国に適した規制の枠組みを目指すべきであろう。以下、そういう観点で、規制に係る幾つかの問題について、今後検討すべき項目を挙げる。
規制組織については、原子力の推進と規制の完全な独立が、国際的にも強く要請されている問題である。これについては、例えば、原子力安全委員会の機能の強化や、規制や安全性研究の計画や予算の独立性の確保等を検討する必要があろう。
ただし、規制の独立と二重規制は別問題である。原子力安全委員会に細目に至る規制まで要求すれば、むしろ規制の形骸化を招くおそれがある。形式的に規制体制を整えるのではなく、より実質的な規制を可能にするために、原子力安全委員会を頂点とし、規制行政機関、民間の検査機関等の第三者機関、個々の設置者に至るまでの各階層の間で、役割分担を図り、各機関の責任分担を明確にすべきである。
規制行政当局に必ずしも十分な専門家がいないこともしばしば問題となっている。確かに現状以上の規制担当者が必要ではあろうが、それ以上に、規制担当者の質の向上、即ち、専門家の採用が必要である。顧問会や安全審査会はあくまでコンサルタントであり、それらの判断は重要な一要素ではあろうが、最終的には規制行政当局がすべての責任を負う体制が必要である。特に、指針や基準類については、策定や改定の必要性に関するイニシャティブや、総合的な行政上の観点からの検討を含めて、専門家として判断できる能力を有することが必要である。規制官に対する資格制度の導入や、外部からのスペシャリストの採用等も検討すべきである。種々の施設に対する規制のバランスも重要な検討課題である。事故の後にはとかく規制の強化や事故を起こした施設と類似施設についてだけの重点規制がなされるが、こういう時期こそ、合理的規制の確立を図るべきである。
まずは、現在の規制について、それがサイクル中の個々の施設のリスクレベルに応じたものであるかについて再検討が必要であろう。現在の規制体系は、まず原子力発電所を対象として整備され、それが他の施設の規制体系の整備にも参考とされてきたが、その結果、一方でJCOの施設のように規制の注意が不十分である施設があることが明らかになるとともに、他方で潜在的リスクの小さい施設への過剰規制も指摘されている。各施設において、確保すべき安全レベルの整合性を図る必要がある。国際的に「リスク情報を参考にしての規制」が進められている折り、わが国としても、確率論的安全目標の検討を進めるとともに、より積極的にリスク情報を利用して、包括的でかつ合理的な規制体系の確立を目指すべきである。
また、規制当局による規制と設置者によるの自主保安の適切なバランスについても検討が必要である。わが国では、少なくとも原子力発電所は規制当局よりもはるかに大きな人材・情報を有している。産業界が十分成熟している場合には、規制上の要求は最小限にとどめ、設置者の自主努力によって安全の維持・向上が図られる方が望ましい。ただし、設置者においては厳しい自己責任が伴わねばならないのは言うまでもなく、規制側は、そうした設置者側の対応を随時監督するとともに、抑止効果を目指して違反に対しては厳しい罰則を用意しておくことも必要であろう。一方で、JCOの事故では、原子力施設の設置者としては十分な人材も教育・訓練計画も備えていない(あるいは備えきれない)組織があることも判明した。こうした組織には、その実態に即した規制を実施する必要がある。なお、規制体制を変更するにはそれに伴う様々な悪影響を併せて検討する必要がある。事故の後はとかく性急に思いつきの施策を取り入れがちであるが、過去の大きな事故後の施策を振り返ってみれば、必ずしも適切でなかったものもある。性急にことを運ばない限り問題そのものが忘れられてしまうということもあるが、規制体制は社会の実状を反映しない限り空疎なものになりがちであり、実状の中には、人材養成等、時間をかけなければ達成できないものもある。十分時間をかけて検討し、規制が達成すべき目標を明確にし、また、それに向けて不断の努力をすべきである。また、社会の状況も時代とともに変化することを忘れず、常にその時代において最適な規制体制を求め続ける必要もある。
- 4.原子力施設に対する安心感
- 安心とは気がかりになることがない状態を言う。実際の物が十分安全であり、それが正確に公衆に伝われば、誰も安心できる。
実際の物が安全であっても、それが不正確に伝われば、いわれのない不安感が生じる。この状態は公衆への直接的な危険はないが、公衆が自らの生活の維持・向上に不適切な判断をすることにつながるので、長期的には社会の損失をもたらすものであり、避けるべき不健全状態である。
一方で、実際の物が危険な状態にあってもそれが公衆に伝わらない場合もある。これは、公衆が気づかぬまま危険にさらされる最悪の状態である。人間のあらゆる活動には多かれ少なかれリスクが付随するから、危険が全くない状態はない。公衆は、リスクについて正確な知識を与えられた上で、ベネフィットと比べてのリスクが十分小さいことをもってその活動を許容するか否かを判断することになる。
原子力事業者は、まずはともかく、自らの有する施設において十分高い安全性を確保することが重要である。安全性そのものが維持できれば、時間はかかるであろうが、やがては公衆の十分な安心感につながるであろう。
原子力技術は難解なものであるから、原子力の安全性について公衆に説明するには、第三者の専門家も必要であろう。しかし、残念ながら現在は、専門家が信頼されない時代であり、それは専門家側の犯してきた誤りによるところもある。
専門家と公衆のコミュニケーションにとって、もっとも大事なのは正直さであると思うが、推進派も反対派も含めて、自らの主張にとって都合の悪い事項には触れないで説明するとか、めんどうになると専門用語を用いて煙に巻いてしまうといった態度が多すぎたのではないだろうか。実際のものの実際の状態を、相手の言葉を用いて正確に伝えることが、専門家に対する信頼を回復する道であり、そうすることによってのみ、安全な施設に対する安心感の醸成につながるのではないかと思われる。
各種の評価や意思決定に国民の参加の度合いが高まる方向にあるが、こうした流れを加速して、国民からみて公平性があると感じられるような意思決定メカニズムが確立されることを期待する。