原子力発電に関する一素人の覚書

平成11年10月6日
西部 邁   

 はじめに:東海村におけるJCOの大失態について
    ・・・世間で指摘されていない、いくつかの論点

国策的事業に関しては公務員あるいは準公務員が直接的に介入すべし。なぜなら公益に奉仕する、という勤労のモラルが必要と思われるから。民間活力の導入は、短期的利益にとっての効率性のみが重んじられるため、長期的視野を要する公益事業には適さない(場面が多い)。

勤労のモラルのためには、慣習的規制、(政府の)介入的規制及び法律的規制の optimalmix が秩序として与えられている必要がある。またその regulation-complex が実行に移されているかどうかを moniter する必要もある。

危機とは管理し難き状況のことであり、それゆえ十全の危機管理は本質的に不可能である。そのことを危機の被害者(住民)にあらかじめ承知させるとともに、危機が現実になった場合の対処法を表示しておくべき。

危機とは非常事態のことであるから、基本的には、軍隊の参加を必要とする。特に、放射性物質は一種の凶器でもあるので軍隊と発電所と協力するのが有効ではないか。

1.−「文明の被害」−
 「安全な技術」は神話である。しかし原発の被害は他の文明の被害と比べたら著しく小さい。
例えば motorization の被害(死者)、一万人×54年=54万人、回復不能の負傷者を含めば、多分100万人(日本だけで)。それに食品、薬品etc.の文明の被害を入れると、この半世紀間、世界で何千万人 or 一億人?

2.−「制度的遺伝」−
 放射能が主として遺伝子への悪影響を通じて子孫にも被害を及ぼすという意味で「特殊」だというのは誇張にすぎない。文明の被害は motorization に典型的にみられるように、「制度」の下での確率現象として起きる。残る論点は、放射能汚染の場合、「自分」の子孫に被害が及ぶという点のみ。それはegoismに被害の類別にすぎない。ついでいうと、「放射能は眼に見えぬから特別に恐ろしい」というのも誇張、ウイルスもバクテリアも眼には見えない。

3.−原発推進と原発反対とは思想的に同じ穴の狢−
 前者は「電力による物質的福祉」を、後者は「安全による物質的福祉」をそれぞれ究極目的としており、「物質文明」を追求している点では大差なし。差があるとしたら、文明という必然的に「環境」を破壊する人間の営みにおける radicalism(急進主義)と gradulisum(漸進主義)の違い。原発反対は人命尊重という humanism に立っているため、「人間存在そのものが環境破壊であること」を直視しえない。必要なのは、「文明の必然的滅亡」の速度を遅らせるという漸進主義を人類の commonsense にすることではないのか。

4.−電気事業法第一条改正の必要−
 「事業者は国民の電力需要に応える義務がある」というのを「国民は事業者の電力供給スケジュールに応える義務がある」という風に変える。「資源の有限性」とは、現在世代のエネルギー消費の増大が将来世代のそれの減少をもたらすということ。また公益に関わる事業体は将来世代のことも考慮に入れなければならない。なぜなら「公」は歴史的持続性の上に打ち立てられる概念であるから。

5.−原発立地を過疎地に限定することの不当性−
 事故の危険は電力消費者が負担すべし。過密地(東京など)に立地する計画に着手すべし。危険が大きいほど勤労のモラルも向上するに違いない。

6.−「住民投票」の不当性−
 inhabitant(住民)とは習慣(habit)の中に入る(in)人々のことであるが、今のような人口移動の激しい状況では、「住民」は姿を消しつつある。つまり、束の間の居住者が当該コミュニティの将来をも限定してしまう不合理。また今の住民投票はveto(拒否権)にすぎないが、vetoは専制的抑圧がある場合のみ正当化される、そんな抑圧はどこにもみられない。したがって住民投票は公共的代案を、例えば原発の東京立地の提案を含むものでなければならない。

7.−「直接民主制」の危険−
 parliamental democracy は民衆への半ば信頼(適切な代表者を選ぶことができる)と半ば不信(適切な政策については判断不能)の上に成り立つ。「世論の専制」(A.deTocqueville)は、「知性に適用される平等主義」という曖昧の結果。またそこにおける primarypower(主要権力)は press(新聞)である(A.deTocqueville)。

8.−国民主権主義か人民主権主義か−
 nationalpeople(国民)とは、当該の nation の history からもたらされる wisdom とそれによって示される国柄(nationalidentity)、国益(nationalinterest)そして国策(nationalpolicy)を引き受ける人々のこと。戦後民主主義は non-national-people(非国民)の democracy(民衆政治)。

9.−globalism(世界主義)の不合理−
 環境問題も、京都会議が見せつけたように、international dispute(国際紛争、口喧嘩)を通じてしか解決されていない Globalism=Americanism=Vulgarism の三位一体に普遍性を見いだす(エコノミストをはじめとする)現代知識人の愚劣。見渡す限り、世界はhighly advanced international society(高度国際社会)でしかない。global と international は互いに似て非なるもの。資源、エネルギー、環境etc.の問題で globalism に巻き込まれないこと。

10.−interlocalism の意義−
 centralism(集権)か、localism(分権)かの二者択一は不毛。
Interlocalism(地際主義)の在り方について initiative を発揮するのは、あるいは adjustment を引き受けるのはやはり中央政府でしかありえない。

以上