○冒頭、木元座長より、前回の補足ということで、本懇談会企画メンバーについて説明があった。
(木元座長)
- 本懇談会の企画メンバーがどのような基準で選ばれたのか、と疑問をお持ちの方もいらっしゃると思う。通常は、有識者という表現なのかもしれないが、今回は「市民」ということを大前提とした。様々な立場や肩書をお持ちだとしても、自分の意見とそれを主張できる場所のある方であって、自分の視点をしっかり持ってご発言いただける方、ということで選ばせていただいた。
- 原子力に対して賛成・反対、と色分けできるのかもしれないが、賛成や推進という立場であっても、だけど、が付くという人、つまりイエスであってもバットという人や、ノーだけれどもバットがある、というような立場もあり、問題は複雑だと思う。
- 皆さんそれぞれの立場で発言の場所を持っておられるから、いろいろなシンポジウムや講演に行かれると思う。その主催者が、例えば、経済産業省や原子力委員会であるとか、企業であったとしても、その主催者の色ではなく、自分の立場で発言されている方にご列席いただいている、と私は認識している。「市民」という立場で、ご発言いただければうれしい。
(1)原子力政策における「対話・懇談の場」の意義について
○事務局より、資料市懇第2-1号説明。
(木元座長)
- 前回の会合終了後、次は11月ごろと考えていたが、急いでやった方がいいというご意見があり、このような形で資料をまとめてみた。これで視覚的にとらえることができるのではないかと思うが、ご意見をいただきたい。
(吉岡委員)
- 資料市懇第2-6号に、私の意見をまとめてある。上から5行目「1.「原子力政策における・・・」はミスプリントなので、削除してほしい。
- 資料市懇第2-1号の1頁目に、「原子力委員会・関係行政機関による原子力政策の検討」とあるが、原子力委員会と関係行政機関の関係はどうあるべきかということについて、討議してもいいのではないか。並列表記はよくない。私は、今回の中央省庁等再編で、原子力委員会は原子力開発利用の司令部ではなくなったという認識を持っている。各省庁の利害にとらわれず、第三者的な大所高所から、政策評価・認証を行うべきである。権限はあるのだから、評価をきちんと行い、それが国家政策に反映されるということが必要だと思うが、そのあたりを明確にしておいた方がいいのではないか。
- 本懇談会の位置付けが出ていないので、我々自身のアイデンティティをどこに求めるのか、ということをはっきりさせておく必要がある。政策の検討結果を国民に説明するという役割と、国民の意見をフィードバックするという役割を、それぞれ誰かがやらなければならない。検討結果の説明よりも、むしろフィードバックが重要であり、そうした意味での市民参加をいかに促進するのか、というのが私たちの目標であるべき。どのくらい市民参加を促進し、その結果を政策に反映させられるかによって、我々の存在意義が決まってくると思うので、フィードバックに重点を置きたい。
- 本懇談会は、責任ある政策勧告を行い得る立場である。それを最終的に採用するかどうかは原子力委員会の権限だが、勧告を行うという権限があるのだから、それに伴う責任があるので、責任ある交渉者であることを自覚して、きちんと市民との対話に臨むべき。
- ただし、原子力のテクニカルなことには不向きな人が多いようなので、それについては専門部会等にお願いするのが妥当。むしろ制度のあり方やその運用の仕方などは、我々のほうが得意である。また、幸いなことに、このメンバーは大部分が第三者である。第三者とは、原子力推進機関から資金を継続的に供給される関係がないということ。全員と言えないのは残念だが、そのような立場で原子力政策に参加するという点で、原子力委員会の他の専門部会とは大きく性格が異なる。そういう立場で、提言機能を果たすべき。
- 図で「国民理解」という表現は不要。それ以外の項目は、人あるいは組織の行為に関わるものだが、「国民理解」という概念は違う。同じ平面に置くのは、図として美しくない。作用と反作用という観点からまとめれば、すっきりしていいのではないか。「国民理解」は、別の表現で説明すればいいのではないか。
- 外部評価とは、行政、立法、その他民間機関などあらゆるところが不断に行うものであって、例えばジャーナリズムによる評価も非常に重要なものであり、外部評価の1つの形態である。「市民参加の一類型としての外部評価」という表現は、今ひとつ熟していない。逆に、「外部評価の一類型としての市民参加型評価」とすべき。
- 「小異を捨て大同につく」というのが普通の言い方だが、「大異を捨て小同につく」ことも必要。立場は違っても、個別具体的な点で一致できる場合が非常に多いと思う。したがって、4頁目の図においては、「立場」でなく、「改革意見」とすべき。それを容れるか容れないか、というような形で議論した方が建設的である。つまり、実務的な議論をしましょう、ということである。
(木元座長)
- そうすると、4頁目の「立場A、B、C」は、「改革意見A、B、C」とした方がいいということか。
- 外部評価についてはそのとおりだと思うし、「大異を捨て小同につく」とは、言うべくして出た言葉だという気がする。小同という形で、コンセンサスが得られる部分がたくさんあると思うし、現実として、世の中はそのように動いているのではないか。
- 原子力委員会における本懇談会の位置付けが不明という点については、前回配布した図(資料市懇第1-1号「今後の検討体制のあり方」)で、本懇談会は総合企画・評価部会とパラレルに置かれており、その趣旨は、専門部会等に対しても、本懇談会が提言していこうということ。専門部会等と全く同等の政策勧告の権限を持てるのかという課題はあるが、いずれにしろ、ここから専門部会等にも提言し、そこからそれぞれ政策勧告をしてはどうかということ。
(吉岡委員)
- それも必要な機能の1つだと思うが、必ずしも専門部会でカバーできない領域もある。したがって、本懇談会独自の領域もあると思う。
(木元座長)
- あくまでも皆さんの意見をまとめた段階で、柔軟に対応していきたいと考えている。また、大所高所から、各省庁の利害にとらわれないで意見を言う、政策評価・認証機能を担う、という点については、そういう認識でいたい。
(碧海委員)
- 「市民参加」と「国民理解」という表現があるが、「市民」と「国民」とは、どのように使い分けられているのか。
- 私も、「国民理解」という言葉には非常に抵抗がある。これは「国民が理解する」ということか。対話あるいは双方向のコミュニケーションのためには、「国民を理解する」ということが必要ではないのか。
(木元座長)
- 国民に理解していただくという立場よりも、国民が考えていることをまず理解することが先決だ、ということを強調した方がいい、と解釈してよろしいか。
- 「市民」と「国民」の問題だが、私たちもあまりはっきり線引きはしていない。ただ、対話や懇談をする場合、「国民」とするとあまりにも大きすぎてしまうので、もっときめ細かく、1対1で対話をしたい、という思いを込めて、「市民」という表現を使った。
(中村委員)
- 1頁目と2頁目の図では、本懇談会の機関的な位置付けが見えない。事務局の説明から、「国民からの意見・提言 立場A、B、C」にわざわざ色をつけてあるのは、ここに内包される機関として我々があるのだろう、と想像はできるが、個人的には、機関として独立して明記してほしい。私のイメージでは、これは線で引っ張るのではなく、全体にまたがる形ではないか。
(木元座長)
- 「市民参加」と上に書いてあるが、これは全部にまたがっている、傘をかけているというイメージでつくった。私も、これだけでは立場というかポジションが明確でないので、前回配布した図が必要だと思う。
(中村委員)
- この最初のプロセスと、外部評価のところでも、本懇談会の機関的位置付けが明示されなければおかしいのではないか。あるいは、どこかで本懇談会を枠囲いして、棒でつなぐとしたら、全部とつなぐということ。しかも矢印は双方向だと思う。
(木元座長)
- そのとおり。ただ、コアとして具体的に行動するのは、この色づけした部分ですよ、というイメージがある。
(中村委員)
- そのことと、機関としての位置付けが不明確であるということは別の問題。4頁目でも、最後に「原子力委員会における討議」があって、フィードバックで戻ってきている。そこの「立場」、私も「意見」の方がいいと思うが、「意見A、B、C」のところへ戻っていく。それと同時に、委員会における討議から、企画メンバー会合へ戻る矢印がもう1本ないとおかしい。つまり、常に矢印は両方向でなければいけないということ。そうでないと、機関的位置付けが明確にならない。
- ぐるっと回るフィードバックのサイクルがあるのは構わないが、それよりももっと短距離のサイクルがあってしかるべきだと思う。それがここではっきり出てこないので、前頁でも、本懇談会の機関的位置付けが明確でない。そこがはっきりすると、吉岡委員のご意見の相当部分をカバーできると思う。
(木元座長)
- 皆さんのお知恵を拝借し、また、労力もご提供いただく場面が多くなってしまうかもしれないが、鋭意そういう形で進めていきたいというのが私どもの考え方なので、今のご意見もそのとおり承らせていただく。
(碧海委員)
- 三次元の図にしてはいけないのか。平面図になっているから難しくなってしまうのだが、三次元で考えれば、もう少し書けるかなという気がする。
(中村委員)
- 吉岡委員が最初に言われたことも、三次元で表現するとカバーできる。
(吉岡委員)
- ある程度可能だと思う。実際に絵をつくる人は相当大変な作業だが。
(木元座長)
- とてもいいご意見を聞かせていただいてうれしく思う。こうやってみんなでつくって、積み上げて、いい方向へ行けばいいと思う。
(井上委員)
- 私の勝手な思い込みで、一市民として、前回参加した。話が進んでいくうちに、自分の役割なり、もしくはやってきたことなりが、どうなるのだろうかと思ったが、今日の説明で、一市民でいいということなので、そうした目で見ていきたいと思う。
- 1頁目の「原子力政策における「対話・懇談の場」の意義」に関して、私は、この中には対話・懇談の場はないと思った。私たちが地域で行政関係者から意見を伺いたいと言われ、話してもそれっきり、ということがよくある。どのような最終決定がなされるのか見えないまま、ある日突然ペーパーが出てくる。もし、既に決まった政策があって、皆さんこれをよく理解してください、ご意見があったら伺いましょう、という趣旨で、ひととおり説明した、聞いたという関係で終わるのならいいのかもしれないが、「対話・懇談」というのは、そこから始まるのではないかと思う。どこに違いがあって、あるいは誤解があって、というお互いの立場が明確になって初めて、そこからが「対話・懇談」である。だから、もう一つフィードバックがなければ、つまりそれをもって「対話・懇談」と言わなければ、この問題に関して議論をしてきて、今だに次のステップに進めないという現状は変わらないと思う。
- 「対話・懇談の場」とは、どういう形でつくられるのか。私たち企画メンバーが「中立的立場」であると言うなら、「中立」というのは相対する二者の中に立つという意味で「中立」だと思う。「改革意見」でも、「立場」でも、そういう人たちと私たちが相対して話をするのであれば、「中立的立場」という表現は使わないと思う。それは、片方に相対する意見、もしくは異とする意見があって、そしてトライアングルであると私は思う。この問題に関しては、いろいろな立場があるが、非常に関係の強い人、第三者的な人、政策を推進していかなければいけない人と、大きく3つに分けられる。トライアングルの1つは、私など素人のいる位置、もしくは自分の意見はこうだ、と言える位置。そういう意味で「中立的」というのならば、「意見A、B、C」、本懇談会のメンバー、そしてもう一つ、国家政策・原子力委員会というトライアングルの形をきちんとした上で、そこに出てくる意見をさらに深める、整合化していくということが必要。そうでないと、この図を見たときに、かなりメッセンジャー的な色合いを見てしまう。本当に聞きたいところの意見を言うのは誰なのか、この政策をきちんと国家政策としてやるのだ、という責任あるポジションにいるのは誰なのか、ということ。
- 柏崎の女性たちが、いろいろな意見をたくさん聞いたし、シンポジウムもいっぱい聞いたけれども、そこには自分たちの共生という考え方はない、と言っていた。地域で、皆同じ目線で、意見を異にしても、議論しながら、最終的には互いを認め合い、譲り合うという共生はなかった、という意見が非常に印象的だった。トライアングルを形として提示しなければ、そこに参加する住民・市民とか、私自身も誰かのかわりに立つべきではないし、それぞれの立場は、それぞれの責任において、きちんとポジショニングする、ということが見えたときに初めて、「対話・懇談」が形になると思う。
(木元座長)
- 井上委員は、関西で、NPOとして、ずっとエネルギーや食料のことに関わっていらして、企業に対しても、国に対しても、いろいろシビアなご意見を出していらした。そのまとめとして、今日のご発言があると思う。現場のサイトの方たちの本当の気持ちを伝えていただいたのではないか、と思い、素直に聞かせていただいた。
- 具体的には、「トライアングル」との意見が出たが、まずこの図を書いたイメージは、例えば、どこに行くにしても、それぞれいろいろな意見をお持ちの市民・町民・村民がいらっしゃるだろう。そのご意見を、まず広く企画メンバーが聞くことが先決、ということだった。それでこういう形にしたのだが、ご意見を伺うときに、一方的に聞いてどこかにご報告するということではなく、自分たち一人一人がそれぞれ意見を持っているわけだから、「あなたはどうしてそういう意見をお持ちになったのですか」、ということぐらいまでは、質疑応答の中で把握してみようと思う。それで、我々企画メンバーは、先方のサイトのいろいろな立場の方のご意見を、自分たちなりにまとめる、例えば、刈羽村が住民投票でこういう結論を出したのは、こういうバックグラウンドで、こういう気持ちがそこに存在していたのではないか、ということを国や原子力委員会に報告しようということ。その上で、国サイドの検討結果をフィードバックして、また皆さん方に聞こう、という単純な図式だったのだが、そうではなく、もう最初から「トライアングル」にした方がいい、ということか。
- コーディネーターとか総合司会はまた別にいて、三者三様の立場で存在する。それ以外に、原子力委員なり、国家の何らかの政策担当者がいる。最初からそういう形で行こうではないか、ということか。
(井上委員)
- そういう立場でなければ、自分は椅子に座ることができないということ。
(木元座長)
- つまりいろいろ言っても、聞きっぱなしのような形では、自分たちも言いっぱなしで終わってしまうではないか、ということになるから、こういう人がきちんと受けますよ、ということを見せるということでもある。
(井上委員)
- 本懇談会が立ち上がった意味を、次の何か新しい形を地域に持っていくこととしたときに、今までとの違いをどこで表現するのか。今までのやり方、今までの方法論とどこに違いがあるのか、ということ。
(木元座長)
- 広聴が第一ということだから、あくまでも市民側の意見を最初に広く伺わなければならない。「トライアングル」だとすると、ここで討議してしまうということにもなりかねないのではないか。
(井上委員)
- 重ねればいいのではないかと思う。そこからいろいろな意見が出てきて、練り合わせていき、次のステップに行くのではないか。
(木元座長)
- もし「トライアングル」だとすると、今までやってきたことと似通ってしまうのではないか。今までも、シンポジウムなどに、国が出て、一般市民が出て、消費者団体が出て、みたいなものがあったが、国が出ていても反映されないということがある。
(碧海委員)
- 一般の国民は、別に原子力にそんなに関心を持っているわけではなく、原子力について意見を求められた場合に、どちらかといえば建前的な意見になったりしやすい。実際の対話や懇談のときには、例えば、日常生活におけるエネルギー問題とか、もっと違った話題に広げていかないと、なかなか本音の意見は出てこないと思う。原子力委員会と国民というのは、そういう意味では決して対等な立場にはなっていない。一方は原子力を専門的に考えている立場だし、国民には別にそんなことを必要としていない部分がたくさんある。一般国民というレベルだったら、直接原子力委員会に戻るという形ではなくて、もう一段階考えないといけないのではないか。
(木元座長)
- とてもよくわかる。言葉は悪いが、一般の方々を対象にした対話・懇談の場ではなく、例えば、刈羽村、福島県、福井県といったような問題を抱えている地域だと、このやり方が生きると思う。一般的に広げた場合には、ご意見のとおりだと思う。
(碧海委員)
- 立地問題を抱えたところですら、原子力に対して意見が言える人たちは、やはり偏っていると思う。
(木元座長)
- 開催する場合、こちらもそれに心して、広くエネルギー問題や暮らしをどうするのか、といったあたりの問題から論じていく。前回、露木委員のご意見もあったが、いわゆる基本的なことからやっていかないと、話ができないよ、ということと重なる部分がある。重要なことである。
(高木委員)
- 「中立的」という表現は、意見を言わない、ということになってしまうのではないか。NHKは中立的だ、というのは、自分の意見を言わないから中立的なのだ。そうではなく、例えば、実際に対話や質疑応答をすると、どうしても自分の意見を言ってしまうはず。この中には、ある意味で非常に広報的な人もいるし、そうでない反対の意見の人もいる。そういうのを中和して「中立的」と言っているのか。「中立的立場」とあると、自分の意見を言わないメンバーということになってしまうから、そうではなく、いろいろな立場の人がいるということを踏まえた上で、ある意味でのコンセンサスを持ったメンバーです、という書き方をすべきである。
(木元座長)
- 確かにそのとおりである。何かいい言葉はないだろうか。最初から、私は反対です、私は賛成です、という色をつけて、ぬえと言われたこともあるけれど。
(高木委員)
- 色をつけないというより、色があるとはっきり言った方が、色がつかないと思う。
(木元座長)
- それぞれを紹介するときには、私は原子力委員だし、客観的に見ればもう色がついているのだけれども、主体は広聴だから、広く聴くという意味で、今高木委員がおっしゃった表現になると思う。中立でも、中立という色があると言えるわけで、自分はどうだこうだ、と言って構わない。
(高木委員)
- 言っていいと思うし、そうでないと質疑応答なんてできない。
(木元座長)
(高木委員)
- いろいろな立場のメンバーがいますよ、ということを逆に書いてほしい。
(露木委員)
- 「中立的立場」という表現は、自由な立場で、ということを意味しているのだと思う。それよりも、本懇談会がどういう役割を果たすべきなのか、ということが重要。今までは行政側からの説明が不足していた、ということを認め、国民に理解不足がある、ということを痛感したから、この組織を立ち上げよう、ということだったと思う。こういうフィードバックのサイクルをつくっていくことは大変結構だが、そこで今後問題となるのは、どのくらいの頻度で、きめ細かく、大勢の人に説明をし、意見を吸い上げていけるのかということ。時系列的にも地理的にも、どのくらいきめ細かくできるのかということだと思う。頻度というものが、これから非常にポイントとなる。
- 木元座長が「コーディネート」という言葉を先ほど使ったが、コーディネーターでいいのだろうか。いろいろなところへ行き、いろいろな意見を聞いてくる。聞いてきたものは、きちっと集約して、行政に反映されます、ということでないと意味がない。ただ単にコーディネーターや司会者役をやるのであれば、NPOの皆さんと一緒にお手伝いさせていただいたりしてもできることである。それとは違う役割が期待されているだろうし、それを果たせないと、この懇談会の意味がないという気がする。
(木元座長)
- コーディネートというのは、先ほどの「トライアングル」の中で、例えば、コーディネーターが要るか要らないか、ということと関連してしまったから、一緒になっているかもしれないが、仮に「トライアングル」なり、2つのポジションなりがあった場合、司会進行は本当に司会進行の役で進むだろう。そしてご討議いただいたことは、そのとおり報告して、またフィードバックして、というようにやりたい。それが重要である。
(遠藤原子力委員長代理)
- 本懇談会の役割は、原子力委員会の市民参加懇談会なのだから、最終的には、原子力委員会にその意見が伝えられ、原子力委員会がそれを行政に伝えるということである。したがって、集約された意見は原子力委員会に行く。そのために、木元原子力委員が座長をされ、他の原子力委員も、このような会合があれば、必ず出席するということになっていると思う。
- 今まで、確かに広報はあったが、広聴は少なかったと思う。したがって、国民がどのように思っているのかということをお聞きしたい、という広聴の方にウエイトがある。しかし、広聴だけではしようがないわけで、そこからの対話、双方向の対話だと思う。
- 私は、吉岡委員のご意見に賛成するところが多い。ただ、小同につくのは賛成だが、大異を捨てる必要はないと思う。それを踏まえながら、コンセンサスを見つけていく作業ではないかと思う。
(吉岡委員)
- 遠藤さんとは、大異の扱いに関する実質的な意見はあまり変わらなくて、表現の違いだと思う。私が大異を留保するのは本懇談会の場だけである。
(小沢委員)
- 初歩的なことを聞くが、総合企画・評価部会は現実に存在しているのか。
(遠藤原子力委員長代理)
(小沢委員)
(木元座長)
- 少し違う。総合企画・評価部会は、原子力委員会が決定した原子力長期計画が着実に具体化及び推進されているか、といったことを中心に、各分野で検討されたことの評価を行う。私は、実は本懇談会が、原子力委員会の真下に、屋根のようにあるべきだと思った。なぜかというと、国民全体が原子力というものをどう理解するのかというようなことがあって初めて、長期計画の遂行状況が見えてくるだろうと思ったから。しかし、形として、現実に長期計画があるのだから、ということで、総合企画・評価部会ができた。一方では、今まで原子力委員会は、市民と直接会って真摯に話を聞く場を持っていなかった。だから独善的な部分もあった。しかし、なぜ原子力なのか、なぜ私たちはこういう暮らしをして原子力を使っているのか、ということをもう少し吸い上げたり、お話しし合ったりということも必要ではないか、という意味合いを込めて、本懇談会を立ち上げた。だから、パラレルの位置にあるが、それぞれが交流し合うということ。
(小沢委員)
- 総合企画・評価部会というのは、専門部会とは関係のない人たちの集まりなのか。
(遠藤原子力委員長代理)
(小沢委員)
(遠藤原子力委員長代理)
(小沢委員)
- パラレルだというけれど、この図を見ると、この並べ方はおかしいのではないか。原子力委員会というのは、専門部会を抱えてやっていたわけで、これを新しくつくって屋上屋を重ねた、という気もしなくもない。こんなにいっぱいいろいろなものが必要なのか。
(木元座長)
- 本懇談会で吸い上げていけば、長期計画に対する意見なども出てくるはず。それを私たちが幅広く意見を集約しようではないか、という意気込みがある。それにはいろいろな声も必要だろうということで、本懇談会からも連絡をとり合って、ご意見をお持ちするということ。今年1月に新しい原子力委員会ができたとき、新規スタートだからということで、一生懸命考えてみた結果である。外からわかりにくかったら、いろいろとご意見を言っていただいた方がいい。
(小沢委員)
(木元座長)
- 言葉としては非常に曖昧模糊としているし、逆にせせこましいイメージを与えてしまうということは反省材料だ。
(小沢委員)
- 反省する必要は全然ないと思う。こういった新しいものをつくると、今までとどういう関係だとか、ここで意見を言うとどこに集約されるのか、ということも考える。ただ、私は、原子力委員会の方が出席してくださっているから、大分違うだろうと思う。
(木元座長)
- 原子力委員にはアイウエオ順で各委員の間に座っていただいた。今までこのような会合では、助言者的な立場で座っていて、意見を聞きましょう、という感じだった。そうではなくて、一市民というか、一人の委員として意見を言っていただきたい、という気持ちがあるので、間に座っていただいた。発言もしていただいたりしてよかったと思う。
(竹内原子力委員)
- 恐らく、これからどうやっていくのかという話になると思うが、先ほど露木委員が言われたように、ある問題があったときに1回だけというのでは、対話にならない。対話とは、かなりサイクリックにやらなければいけない。ところが、今、日本で対話しなければならない母集団は、大げさに言うと約1億人である。ところが、原子力の話をするためには、関心のレベルが上がったところ、かなり関心の強い自治体なり何なり、ホットなところへ行かないと議論できないということで、刈羽村を選ぶのは悪くないと思う。ただ、そこでサイクリックにやるだけでも非常に大変。一旦旗揚げして行動してから立ち消えになったのでは、だめ。こういう場で、よく議論しておかないといけない。
(屋山委員)
- 私も、「中立」という表現はすごく気になる。私も記者になったとき、記者というのは中立なのだ、とたたき込まれたが、記事にするかしないかということから始まり、既に選択である。デスクにでもなれば、人が送ってきた原稿を大体10のうち3つか4つ捨ててしまう。それは私にとっては意味がないから捨てるのだが、書いた人は非常に意味があると思って書いている。自分は、原子力は必要だという意識を持っている。スイスの反原発運動などを見て、彼らが、原発がなくなって電気が来なくなったらカンテラを点けるし、電気冷蔵庫などはいらない、と言っていたのを聞いて、非常に感銘を受けた。彼らは本気でそう思っている。ところが、日本の原発反対論者は、そこまで考えてはいない。私はそう思っているが、他にいいエネルギーの供給の方法があるかもしれないし、勉強していきたいと思っている。もし、原発がなくても大丈夫という人がいるなら、そういう人の話を納得できるように聞きたい、と思っている。
(中村委員)
- 「立場」という言葉を使ったことが根本的な間違いである。「立場A、B、C」ではなく、単に「市民A、B、C」でいいわけで、企画メンバーについても、立場の説明をする必要は全くない。もし括弧書きするとしたら、例えば、「市民各層から参加」というようなことでいい。
(木元座長)
(中村委員)
- 「立場」という言葉が余計。企画メンバーの下の(注)も、「このほか、必要に応じ、専門家が参加」となっている。だから、企画メンバーには市民が参加しているということさえ言えばいいので、「市民各層からの参加」ということでいいと思う。あまり「中立的立場」という言葉が一人歩きしても意味ない。それより、我々が何をやるかということが大事。井上委員のトライアングル理論は、「立場A、B、C」から出てきたと思うので、もう一つ、対立する立場という、つまり行政であったり事業者であったり、というのは要らないと思う。我々は、「市民」という立場で、いろいろな意見を持っている人の話を聞き、それらをフィードバックさせるということが一番重要。
(木元座長)
(中村委員)
- だから、「トライアングル」にしてしまって、市民もいろいろな意見の方がいるわけだが、それで国の政策であるとか、執行機関であるとか、事業者と我々、という「トライアングル」だったら、それは違うと思う。
(木元座長)
- 多分同じことなのだが、井上委員がおっしゃるのは、私たちがご意見を聞いたりすると、それがどうフィードバックされて、どういう責任の人が対処してくれるのかということに関心が集まる、なぜならそういうことが今まであまりなかった、そもそも聞いてもらえなかった、という思いが強いということであり、そこからトライアングル理論が出てきたのだと思う。
(井上委員)
- 「トライアングル」を1つの平面に同時に置くという発想ではなく、「立場A、B、C」と「中立的立場」がトライアングルの1つの軸だと思う。もう1つは、企画メンバーとこの懇談会が同じ軸。そして、政策そのものと住民との関係がもう1つの軸である。3つの軸が同時進行でなくとも、絶えず絡み合い、その相違として出てきたものを原子力委員会へ持っていく、というようにしないと、この図だけでは1本の軸しかない。
(中村委員)
- 井上委員のご意見は、コンセプトの軸の話だと思う。ここに書いてあるのは、具体的にやるときのマトリックスなので、ここにもう1本軸を入れるのはおかしい。
(木元座長)
- それはいろいろな意味でのフィードバックであり、我々の検討会なりの中で解決していく形である。
(井上委員)
- それを含めて、3つの軸をもって「対話・懇談」と言わなければいけない。
(木元座長)
- そういう意味で、それは1つ加えておく必要があるかもしれない。
(中村委員)
- 具体的な方法論について、4頁目で言うと、これでよい。ただし、「立場」と書いてあると混乱すると思うので、「立場」はやめて「市民」でいいと思う。結局いろいろなご意見や思いがあるのだが、はっきり言って、行政の人にも言わない、原子力委員が原子力委員でございと言っても言わない、事業者なんか顔も見たくない、という中で、どうフィードバックするのか。その機能が求められる。
(木元座長)
- 今までは、見えていても、しなかった、という部分があった。
(中村委員)
- 最初から、機関的なポジションを明記すべき、というのはそういう意味。
(小沢委員)
- 広聴の役割ではないか、と先ほど遠藤委員がおっしゃっていたが、しかし、現実に問題が起こっているところで、こういう、何か間に1枚入っているような感じの人に話をしてくれるだろうか。原子力委員が直接来てくれたら、原子力委員と話をしたいと思うのが本当ではないか。
(竹内原子力委員)
- そういう場で、原子力委員として話をするようなシチュエーションもあるが、今回、木元座長にお願いしているのは、広聴の場をつくるということだったから、原子力委員は行くけれども、一個人として参加させてもらえないか、ということ。刈羽村へは、住民投票以降、私は行っていない。もちろん話は聞いているが。今いろいろな議論が出ているが、表現的なことをあまりやっていても、という気がする。確かに、中立の立場の人、まさしくそんな人はいないと思う、十人十色だから。私の提案は、とにかくいい場をつくっていただいて、広聴するのであれば、1回目に結論をもっていくなどという会ではだめだと思う。
- サイクリックにやるのはいいのだが、短冊的にいろいろな意見の人を入れて、私は当然のことながら原子力推進であるし、プルサーマルを推進しなければいけないと信念として思っているから、そういう人間も入れて、1回やってみたらどうか。
(木元座長)
- 今まで、国や事業者が開催する懇談会とか、シンポジウムであるとか、対話集会みたいなものは、落としどころがある程度見えていた。それはよくない。だから、この懇談会は、結論も落としどころもない。とにかくご意見をまず聞いてみようではないか、ということがスタートである。
(小沢委員)
- 私は、今の竹内委員の意見とは正反対の意見である。市民というけれど、例えば、刈羽村に行くとき、市民です、と言って行くのは違うと思う。小泉首相が、石原行革担当大臣に、サンドバックのつもりになってやれと言ったように、待ち構えているところへ原子力委員がちゃんと行くべき。袋叩きにあうだろうが、そういう覚悟であれば、一緒に私たちが行って、彼らも意見を吸い上げようとしている、といったことを言ってあげることができる。しかし、最初から、市民です、と私たちにまぎれて行くのなら、私は同席したくない。
(木元座長)
- 小沢委員のご意見もよくわかるし、私だって、もしその立場だったらそうなるだろうと思うが、まず今回の場合は、あちらのお話を聞きたい、というのが最初にある。初めに言ったように、それぞれのお立場、原子力委員だとか、大学の先生だとか、マスメディアの方、評論家、消費者団体、NPOとかいろいろあるけれど、基本的には市民である、ということが念頭にある。しかし、行った以上は、私も竹内委員も原子力委員である。それなりの討論はしなければならないし、あちらが「あんたに聞きたいよ」と言ったら、もちろん答える。
(高木委員)
- 私も小沢委員と同じ意見だが、どういう立場で話をしているのか、なぜ来たのか、というところで、市民として来ました、ということでは始まらないと思う。原子力委員はやはり原子力委員として行かないと、私たちは一緒に行けないという感じがある。曖昧模糊とした形では行ってほしくない。
(竹内原子力委員)
- 原子力委員であることは間違いないので、ぬえのように行きたいとは思っていない。推進しなければいけない責任を持っている人も入らないと、議論にならないだろう。そういう議論のためには、私なんかが特に行かなければならないと思っている。サンドバックになりたくはないが。
(小沢委員)
- 中和しても中立にはならない話だと思う。この問題は、国家の政策に反対する人たちがいて、それをどうしようかという話でもあるわけだから、賛成か反対かということはもういいと思う。自分は中立だとは思っていない。しかし、迷いはすごくある。例えば、今、テロなんかが起こっていると、石油が買えなくなってしまうのかな、と思ったり、だけど、うちの隣へ来るのは嫌だという人の気持ちもわからなくはないし、いろいろな問題が考えられる。だから、それで賛成か、反対か、と言われると、ものすごく自分がぬえ的になっているとわかるが、せめて、反対しているところに行くときには、推進する人ははっきり「推進」と言ってほしい。
(木元座長)
- 最初に申し上げたように、原子力に私は賛成ですよ、というイエスの人もバットの部分を持っている。ノーと言っている人も、だけどやっぱりね、という部分もある。だから、みんなバットを抱えながらやっているわけで、ぬえ的になったり、見方によってはそうならざるを得ない。
- 小沢委員のご意見はとてもよく理解している。いざ実行する場合になったら、そういう形にしたいと思っている。
(2)地域における「対話・懇談の場」について(資料市懇第2-2号参照)
(木元座長)
- 今の議論を踏まえながら、議題2についてご審議いただきたい。刈羽村というのが出てきてしまっているが、前回も申し上げたとおり、今私たちが問題にしなければならないというか、現実に原子力についてホットな課題を抱えているということで、刈羽村が頭に浮かぶ。福島県もあるし、「もんじゅ」の福井県もあるが、まず刈羽村に行ったらどうかという思いがある。
○事務局より資料市懇第2-2号説明。
(吉岡委員)
- 「企画メンバー2〜3名が参加」という部分が、この資料で一番気になる。企画メンバーがまず質疑応答に出掛け、その結果をこの懇談会に報告するという二段構えになっているのは、いかにも最初に出て行くのは少数である、というイメージを抱かせるが、これはまずいのではないか。意見をフィードバックさせるのがこの懇談会の目的なのだから、できるだけ過半数が行かなければ失礼である。もちろん自分の信念をいくら言ってもいいが、目的は信念を闘わせることではなくて、フィードバックだということを明確に認識しておくべき。そのためには、原子力開発利用に対する第三者がいいだろう。それが、フィードバックする者の資格である。スポット的なお金ならいいだろうが、常勤的にお金を出してもらっている者が出掛けるということになると、この懇談会の独自性が出せないので、基本的には、対話は第三者にお任せするというのがいいのではないか。その上で、できるだけ多くの参加者を確保する必要があるのではないか。
- 「国民」と「市民」の表現の違いということで言えば、一番の違いというのは、「国民」には「国」があるということ。例えば、10月3日に、イギリスの環境省と保健省が、セラフィールドのMOXプラント運転の認可をする方針を出したが、9,000件のパブリックコメントが通算5回にわたって実施され、私も2回ほど出した。ところで、刈羽村の問題は、このBNFLあるいは英国国民の利益と非常に深く関わっている。だから、外国に対しても開かれた場というのは、問題に応じて考慮する必要がある。だから国民参加、国民理解よりもむしろ、市民参加、市民理解が必要なのではないだろうか。
(小沢委員)
(吉岡委員)
- コメントの前半はそのような意味である。木元座長はどうなのかよくわからないが、非常勤なので利害関係はうすいと思う。
(小沢委員)
(木元座長)
- 私が原子力委員をやっていることすら知らない人もいる。どちらかというと、私はテレビに出ているおばさんである。刈羽村に行きたいという理由の1つは、前回も申し上げたが、品田村長にお会いしたとき、6割の人には話が通じていなかった、だからもう1回、非常に平易なレベルで対話形式の集会があるといい、とおっしゃっていたこと。
- 事務局の嶋野企画官が、先日、柏崎市議会と刈羽村議会に行ってきた。それについて話していただきたい。それで、また私も勇気づけられた。
(嶋野企画官)
- 経済産業省が中心となっている「プルサーマル連絡協議会」という、各省庁の局長クラスによる政府内部の実務的な集まりがあるが、そこで8月8日に中間的な取りまとめを行った。前回会合でお配りした冊子がそれ。10月1日に、午前中は刈羽村議会、午後は柏崎市議会に、それをご説明する会があり、私ども内閣府も含め、関係省庁が随行した。その際、国は、自分たちの声を十分聞いていないのではないか、という声が相当強くあった。プルサーマルの推進派、反対派どちらにも、そういう声があったように感じた。特に、住民投票の推進派の方が、7月上旬、立場を問わず議論をする場を設けたが、そこに国側の人間が誰も来なかった、ということについて、やや批判に近い質問があったりした。
(木元座長)
- 住民投票の実行推進派が、7月7日に東京で開催したものについては、私にもご案内が来た。それに関して、ご不満がおありだったということか。
(嶋野企画官)
- どうして誰も来てくれなかったのか、ということで、主に経済産業省からの参加者に向かって質問がなされていた。
(木元座長)
- そうすると、刈羽村の批判的な方にしても、もう1回来てちゃんと話を聞いてもらいたい、という声が大きいということか。
(嶋野企画官)
(碧海委員)
- 地域において、実際に参加する人をどのように選出するのか。また、「必要に応じ、地域住民と共催で行う」とあるが、地域住民と共催といっても、住民に何かメリットがなければ、なかなか積極的には動いてくれないだろう。メリットとは一体何なのか、ということがよくわからない。地域住民全体を考えた場合、そういうことをやりたいという要望がどれくらいあるのか。
- 開催地域に、「原発」という言葉があるが、これは「原子力発電所」とちゃんと書いていただきたい。
(木元座長)
- 例えば、7月7日の集会のときに、ご案内をいただいて、私は絶対行きたかったのだが、行けなかった。そこで先方に手紙を書かせていただいたのは、賛成・反対の立場の違いはあるにしても、真摯に話し合う場がほしいと。あちらもそうおっしゃっている。私もそういうことは意味があるだろうと思い、原子力委員会なり国ということになるかもしれないが、プルトニウムというものを使う、リサイクルして上手に使っていく意味でのプルサーマル、MOX燃料の使用ということは重要な課題だろう、それをテーマにして、あちらの方も話をしたいというお申し出があるならば、やろうではないかということ。まだはっきりとは話していないが、共催という形にしたいというのは、例えば、市民参加懇談会と刈羽村にあるいろいろなグループの方たちと、最初から、こういうのをやりたいが、どうしたらいいだろうか、場所であるとか、日時であるとか、そこで発言してくださる方もあちら側のご推薦、村長も含めて、全部話合いで決めていこうということ。
- 吉岡委員がご心配になった、企画メンバー2〜3名というのは、最低2〜3名とご解釈いただきたい。もちろん、できればたくさん行っていただきたいが、ご都合もあるから、最低2〜3名ぐらいは行っていただきたい、ということ。すべて話合いで進めていきたいと思っている。だから主催○○○ではなくて、共催○○○という形でやったらどうかと考えている。
(小沢委員)
- 村は主催する気がないのか。村が主催したら一番いいのではないか。
(木元座長)
- これから話をしてみたい。村が主催となるのもいいかもしれない。
(屋山委員)
- 話はちょっと違うが、能登半島に行ってきた。私は知らなかったのだが、珠洲市が原発を誘致したいとのこと。市の財政は18億だが、誘致をすると300億来る。外部には、金で何だ、と言う人もいるらしいが、それで生活が決定的に違うのだ、と言っていた。そんなに危ないのかというと、どうも聞いたところ大したことはないとのこと。ただ、JCO事故以来、ちょっと様子がおかしくなった。少数の反対派の勢いが増してしまったらしい。
(木元座長)
- 原子力の賛成・反対というのは、それほど危ういものだということ。ちょっとした事故があっても、パッとウェイトが傾いてしまう。私だって不安を感じないとは言わない。しかし、いわゆる凶器の部分と利器になる部分を比較し、凶器を抑える能力があるなら、利器として使えるのではないか、ということ。主催は村がいいというご意見には賛成か。
(屋山委員)
(中村委員)
- ちょうど手元に電気新聞の増刊号があるので引用させてもらうと、なぜ品田村長が住民投票を決断したのかというと、これが非常に大事なところで、それにより村内の対立関係の深刻化を避けようというのが目的であった、とのこと。結果はどうあれ、それが達成できたというのが、村長の判断である。村の調和というのを重視して行ったのがあの住民投票である、とはっきり言っているので、我々がイメージしている懇談会は、村との共催が一番いいと思う。
(木元座長)
- 村の主催の下に我々が呼ばれるという形ではなくて、村との共催か。村の幾つかの、異論を唱えていらっしゃる方たちを含めての共催でもいいかな、と思ったが、村との共催にした方がいいか。
(中村委員)
- 村の責任において、村の調和を重視して住民投票を行ったという背景があるのだとしたら、やはりそれは村長に行政責任があると思う。村に責任があるし、逆に権限もあると思う。しかるべき人選というのも、地元ははっきりわかっている。村内の対立関係を深刻化させないために村長が決断したのだから、あちらの主催に我々がゲストとして招かれるというのも一向に構わないが、本懇談会の趣旨を考えると、共催の方がいい。
(小沢委員)
- 共催はまずいと思う。鎮静化させようとして住民投票をやって、その結果どうなったのかというのを、半年経って考えてみよう、という形での村の主催なら、誰がのってもいいと思う。共催だと、それはなかなか難しいのではないか。村にぜひお願いした方がいい。
(中村委員)
- 私が気にしているのは、この懇談会のレーゾンデートルの問題だけ。
(小沢委員)
(中村委員)
- そういう姿勢で考えるなら、この懇談会についての考え方を根本的に考え直さなければいけないということになってくる。
(小沢委員)
(木元座長)
- 村長に聞いてみていいか。刈羽村で、どういう条件になるかはわからないが、第1回目の対話・懇談の会をやらせていただくということでよろしいか。
(小沢委員)
- ここは多数決をしたりしないところだから、そういうご意見が出て、やってみたい人がいて、行きたい人がいるということには、私は反対しない。
(木元座長)
- 本日ご欠席の方からも、いろいろなご意見が出ているので、事務局から説明してほしい。
(嶋野企画官)
- 小川委員については、ペーパーを配布させていただいている。刈羽村でやることについては、前向きでいらっしゃるように思う。
- 松田委員は、前回の会合において、何のために対話が必要なのかというあたりを非常に活発に議論した結果が、議事録として世の中に出て行くのであれば、我々がどういう思いで議論をしているのか、何をしようとしているのか、といったことがわかっていただけるだろうから、そういう前提であれば、どんどんやったらどうだろうか、というご意見だった。
- 吉川委員からは、地域開催以外の点については、先ほどの市民参加・国民理解の全体的な枠組みに関して、とにかく政策を実施する前の双方向のコミュニケーション、実行する前に相互協議を行うことが大切だ、というコメントがあった。それから、対話・懇談の場一般については、うまく話のできない方も大勢いらっしゃるだろうから、そういう方のお話をよく聞くことが肝要ではないか、とのコメントがあった。地域開催については、刈羽村でやるのは難しいのではないか、と思うが、これは新しい試みだからうまくやっていきたい、うまくいってほしい、というコメントがあった。
(露木委員)
- 私の経験というか、感想を言わせていただきたい。10月5日に、東京会館において、東京商工会議所と柏崎商工会議所の共催で、「エネルギーを考えるシンポジウム」が開かれた。会場は超満員で、柏崎市長さんも来ていた。4時間ぐらいにわたって、いろいろな議論が行われた。当然ながら、商工会議所主催なので、いずれも原子力推進。柏崎市の場合には、税制優遇措置もあるので、企業はどんどん柏崎に進出してください、という企業誘致の姿勢のようなものも垣間見えた。そこで感じたことは、どういう人選で議論するのか、ということの難しさ。私は、刈羽村主催というのは大変結構だと思う。
- 10月5日の会場では、柏崎のFMコミュニティ放送が、全部生中継をしていた。終わってから、インタビューを受けたが、私は、我々電力の消費者は謙虚にならなければいけないし、生産地のことにもっと思いを致さなければいけないという点で言うと、このシンポジウムについては、柏崎で聞いていた方々は、恐らくがっかりしたのではないか、ということを感想として言った。村主催でやった場合にも、何かコミュニティ放送のようなものを生かすことができないかと思った。そうすれば、参加できない人にも、放送を通じて、議論が広く伝わっていくと思う。
- 資料第2-2号で、「プルサーマル」という言葉が2行目に出てきてしまうが、私がそのシンポジウムを聞いていた感じでは、柏崎や刈羽の方たちを説得するなんていうことは、もちろん間違っていると思う。消費者はあちらの皆さんよりも原子力発電に関してはるかに無知である、ということを痛感した。むしろ今後の問題として、電気を使っている消費者への教育というか、啓蒙というか、理解を求めるといったことも、併せてやっていかなければいけないと思った。
(木元座長)
- それは基本的に押さえておかなければいけない部分であると思う。今日は、ある程度ご賛同をいただけたということで、村長にご相談してみる。その結果については、皆さんにフィードバックして、ご意見を伺うことにしたい。FAXなり何なりでその結果をお知らせし、あちらのご意見を踏まえた上で、共催とか、いろいろな選択肢を含めて、ご意見を伺うことになると思うが、お任せいただきたい。
(異議なしの声)
(3)その他
○本日予定されていた3番目の議題、「原子力に関する情報の受信・発信のあり方及び学習のあり方について」については、次回審議することとなった。資料市懇第2-4号「第1回市民参加懇談会議事録(案)」については、そのまま公開することで了承された。
以 上