資料市懇第4-2号

平成13年度の活動について

平成14年6月3日

1.活動の経緯

平成13年
7月 3日市民参加懇談会を設置
9月18日市民参加懇談会の構成員(企画メンバー)を任命
9月20日第1回企画メンバー会合
(1)市民参加懇談会の今後の運営について
   (市民参加懇談会の果たすべき役割)
(2)市民参加懇談会の平成13年度の活動のポイント
10月29日第2回企画メンバー会合
(1)原子力政策における「対話・懇談の場」の意義について
(2)地域における「対話・懇談の場」について
12月13日刈羽村・市民参加懇談会「対話・懇談の場」事前打ち合わせ
(於:ラピカ)
  • 刈羽村における「対話・懇談の場」の開催について
  • 「明日の刈羽を語る会」との共催について

平成14年
1月15日「市民参加懇談会inかりわ」(於:刈羽村老人福祉センター)
  • わたし達がエネルギーを大切に使うためには、どういう暮らし方がいいか。
  • エネルギー供給のあり方は、どうあったらよいか。
  • いま、原子力発電に求められるものは何か。
2月 1日「市民参加懇談会in柏崎」(仮称)趣旨説明会
  • 市民参加懇談会の趣旨説明
  • 「市民参加懇談会in柏崎」(仮称)の3月8日開催について
2月12日第3回企画メンバー会合
(1)「市民参加懇談会inかりわ」の結果について
(2)市民参加懇談会の果たすべき役割について(再確認)
(3)今後の地方開催のあり方について
3月29日木元座長、碧海委員が柏崎市を訪問
 原子力・プルサーマルに対して立場(推進および反対)を表明している5団体と個別に懇談

2.市民参加懇談会の課題

 (1)問題意識

 原子力政策策定への市民参加の拡大を図り、原子力政策に対する国民との信頼関係を確立するには、全国レベルで、相当の頻度で「市民との懇談会」を開催し、多様な意見の広聴を行う必要がある。
 その背景には、多くの世論調査の結果で明らかなように、原子力発電の必要性は認めるものの安全性に対する不安があるために、国民の意識は否定的に捉えている方が多いという事実がある。

 (2)課題(平成13年度活動を踏まえて)
 「市民との懇談会」を全国レベル(全県、全立地地域)であまり時間的間隔を置かずに開催するには困難な課題もある。
  • 地域社会においては「原子力委員会」「市民参加懇談会」についての認知が低い、もしくはその目的について誤解がある。
    (原子力推進のためのPAもしくは広報機関という認識)
  • 開催の準備に要する時間的要因による制約がある。
    (開催のあり方(主催・共催)に関する協議などに時間を要する)
  • 刈羽村、柏崎市での開催にむけての準備で、「反原発・脱原発」の活動をしている組織からの参加・意見陳述者の出席要請において、国への不信感が存在しているため、ご理解いただくことに時間を要する。

 「市民との懇談会」は、意見陳述される方を公募にするなど、機関、組織に依頼しないやり方を検討する必要がある。また、意見は個人(市民としての声)のものとする。
  • 懇談会で発言するのは、地域での原子力推進もしくは反対の立場を鮮明にしている人が中心になる傾向があり、必ずしも市民の声を代表しているとは言えない。
  • 刈羽村で、意見陳述者の1人から会議の公開性、プライバシーの取扱いについての問題提起があったことを考えると、参加要請、意見陳述依頼をする場合にはより十分な説明が必要である。
  • 市民参加懇談会の目的は、様々な意見を聴くことであり、一部の参加拒否をされる方の説得に固執することで、懇談会そのものの円滑な運営・開催に支障を来たすのは望ましくない。
 原子力委員会は自らの役割について、国民の意見に耳を傾け、改善すべきことは速やかに対応することが望まれる。国民の多くは、「原子力委員会」「原子力安全委員会」「原子力安全・保安院」の機能・役割を理解しているとは思えない。
  • 前述のとおり、原子力委員会・市民参加懇談会を原子力推進のための広報・PA活動の一環と捉えている感が強い。
  • 本来、「平和利用の番人」であるはずの原子力委員会に対し、このような認識が浸透している現実を真摯に受け止め、「原子力安全委員会」「原子力安全・保安院」と並んで、その機能・役割を明確に国民に伝える努力が必要である。
  • ちなみに、中学の社会科「公民」、高校の「政治経済」で多く使用されている教科書には2000年1月以降に発刊されたものには、国の原子力行政に関する記載はない。教科書にも記載が無いのであれば、国民に「役割・使命・責任」を原子力委員会自らが明示しなければ、国民の信頼と協力を得ることは至難のことと思われる。


別紙-1

平成13年度の活動を通じて得られた意見(1)
- 企画メンバー会合 -

1.市民参加懇談会の役割・あり方

「広聴」に主眼。今までの広報活動にはリスクマネジメントがなかった。「理解してほしい、わかってほしい」ではなく、原子力・プルサーマルについてどう思っているか、なぜ反対なのか、相手に配慮して意見を聴くことで初めて対話が成り立つ。
これまでの「対話集会」と呼ばれるものは、「対話」という形になっていなかった。もっと少人数(20~30人規模)で膝を交えて懇談する場が必要。
国民理解は「(政策を)国民が理解すること」ではなく、「(国が)国民を理解すること」。
推進・反対という立場に関わらず、共通の意識・認識である点、例えば「私たちのくらしをどうするか?」というところから始める。
市民参加懇談会は、プルサーマル推進別働部隊ではない。
省庁の利害にとらわれず、大所高所から物を言い、政策評価・認証機能を担う。
市民参加懇談会の機関的な位置づけを明確にする必要がある。そのためには、常に委員会と企画メンバー会合との関係は、矢印が双方向でなければならない。
市民の意見を「立場」として捉えるべきではない。
原子力委員は立場を明確にして、サンドバッグになる覚悟が必要。そこで初めて、企画メンバーとして、原子力委員会が市民の意見を汲み取ろうとしている姿勢を説明できる。

2.刈羽村での開催について(※開催前)

対話集会も住民投票もやった刈羽村で、その上、市民参加懇談会をやる必要があるのか。村民には「なぜ私たちばかりが原子力のことを考えなければいけないのか?」という思いもあるのでは?
(刈羽村以外で開催して)、外側ではどのように考えられているかといった情報を提供してやるほうがいいのでは?
テーマがある地域で日本のエネルギーについて話す意味はある。
すでにある程度議論されており、ゼロからの議論ではないというメリットがある一方で、とことん付き合っていく覚悟も必要。
地域住民と共催で行う場合、地域住民にとってメリットがなければ、なかなか向こうは積極的にやってくれないと思う。

3.刈羽村での開催について(※開催後)

なぜプルサーマルが拒否されたのかということをきちんとうかがいたかったが、拒否した中心勢力が全然出てこなくて、空振りになってしまった。
反対の意見を持っている方は、それこそ我々にそれを聞かせるという意味ではなく、村の方たちが集まる中でその意見を言うことに意味があるのだから、出られなかったというのは残念だった。
期待していたレベルになれなかった。我々市民参加懇談会のポジションがなかなか伝わらなかった。そういう場を共有できるだけの信頼感を我々に対して持っていただけなかったというところでは、この懇談会のあり方というか、存在をもっともっと知っていただかないといけない。
女性の意見を聞きたいと思っていたが、あの大勢の雰囲気ではなかなか難しい。やはり大人数になってしまうと、井戸端会議のような感じで、気楽に発言することができない。
例えば村会議員の方とか、そういう場合に声が大きい人たちが結局発言してしまって、生活者というか、女性というか、そういう立場の発言が非常に少なかった。
テーマとして「私たちがエネルギーを大切に使うにはどういう暮らしがいいか」とあったにもかかわらず、始めから交付金や事業者などの話になってしまい、テーマからかけ離れてしまったのが残念だった。
マスコミが入ることの意味をどうしたらいいのか。だれにでも公開するというのはいいが、特にこぢんまりした会合で、そういうものを積み重ねていこうと考えている時、ああいう形での報道は、確かにニュース効果はあったかもしれないが、多少偏っているというか、最初から意図されているといったところがある。せっかくの会合に、ああいう報道がされてしまうと、きめ細かい会の評価とか反省というのは消えてしまうのではないか。

4.今後の開催のあり方

開催地としては、立地地域とやはり大消費地。いちばんエネルギーに対する意識を共有してもらわなければいけないところは大消費地の一般市民の方。
首都圏と京阪神は外せないと思うが、本当のところは、そういうのが首都圏だけではなく、地方の都市へ行けば行くほどその印象が強いと思う。
地元からのご要望があるところは優先順位が高いが、一緒に参加して対話できる場所を、独自に探していかなければならない。
真ん中の人だけでなく、周りも話しやすい雰囲気にするには、心理的なことを考えても、小さいほうがいい。
地域の社会があるので、本音を聞くとすると、本当に小さいのを幾つもやるというのでないとだめだし、ただ、両方の意見を同じ場で聞くということで、反対の立場の人にも出てもらうとしたら、逆に大きくしてしまっていいと思う。もちろんメディアに公開で、場合によっては新聞載録まで考える、というように、理想的には二段構えなのかなと思う。
途中で分科会を置く。時間がかかってしまうが、そうすれば、本当に一般の人たちと話し合うことができる。
行く場所によって、やり方は変えていい。主催、共催のやり方、実行の仕方、サイズなどは、ケース・バイ・ケースでいい。全部が、あるスタンダードをクリアしないとできない、とは考えないほうがいい。
地方の場合も、中核都市の市民の意識は、ほとんど大都市の首都圏の消費者と変わらないから、逆に委員会が主催して、公募して、賛成・反対関係なしに来てもらうやり方がいいという場所もあるかもしれない。しかし、こことぜひ共催でやってくれ、という話が出てくるということもある。
批判的な市民の参加を得るためには実績を早く上げる必要がある。批判グループの集会に我々が積極的にオブザーバー参加をする、というのも一つのやり方。出席の条件を聞くのも一つ。
批判的な市民をどうやって参加させるかだけを考えなくもいい。
地元の方かどうかわからないのは問題。よその人が入ってきたり、特定の団体の代表が入ったりという形でゆがめられてしまうのは、避けなければいけないこと。
テーマは設定したほうがいい。地元との相談だが、何を話そうというのは聞いたほうがいい。聞いて道筋をつけたほうが彼らが話し合いやすい。


別紙-2

平成13年度の活動を通じて得られた意見(2)
- 新潟県刈羽村での懇談会 -

1.12月13日 事前打ち合わせ
何かの宣伝のためにこういう会を使われるんじゃないかという危惧がある。だから、不信感というのは拭われない。
「明日の刈羽を語る会」は、刈羽村に住んでいる人たちが集まって、刈羽村の将来を話し合う会であり、市民参加懇談会との共催(協賛)は納得できない。
結局、我々を納得させよう、説得しようという話し合いの場を持つだけであって、どこまで国の政策を変えることができるか、というところが見えない。
まずは刈羽村の人たちと、なぜいいと思うか、なぜ反対なのか、という議論を重ねて、この点はわからない、専門の人に聞こう、という形で進んでいくものだと思っていた。

2.1月15日 「市民参加懇談会inかりわ」
どういう会なのか、きちんと説明を聞いていなかった。はっきり言うと、だまされたという心境。
挨拶と自己紹介で時間を使っている。発言の内容を聞いていても、我々の刈羽村よりも懇談会メンバーの発言の時間が圧倒的に多い。刈羽村の意見を聴きたいと言うが、反原発の皆さんがセレモニーだと言うとおり。
(資源エネルギー庁に関する村民からの意見について)きちんと原子力委員として、このことを経済産業省に申し出願いたい。
争点がボケすぎていてよくわからない。ある程度、具体的にしぼって話すべき。
刈羽村が全国の原子力の立地点の中の1つだということでは、きっともっと掘り下げた具体的な話というのは、物理的に無理。反対派の人たちの、ストーカー行為だとか、あるいは、実績作りじゃないか、というようなものに対しても、本気でやるのであれば、刈羽でシリーズでやるべき。たぶん、今日1回やって、また1年後にもう1回やりましょう、ではきっとそういう議論はできない。
住民の中にある感情というものをつかむということになれば、こういうフリースタイルのものはだめ。5000人の村で、4000人の有権者がいて、90何パーセントの投票率を持つような選挙が行われている村であり、発言してる皆さんが、それぞれ政治的な背景を持っている。ここの村でこういうことを繰り返したって、本当のことは出ない。
原子力がどうして必要なのかというものが議題だと思って来たが、そうじゃなくて、聞いていると、給料の話とか、何のために私は参加したのかが心残り。
議会の中での反対派と賛成派のやりとりをこんなところでやってもらっちゃ困る。だから、まわりの者はしゃべれない。