1.検討の趣旨
原子力損害に係る賠償請求権の除斥期間について、前回平成元年の原賠法改正以降の原子力損害賠償関連条約等原子力損害賠償に関する最近の国際的動向を含む諸情勢の変化に鑑みた見直しの必要性等について検討を行うこととする。
2.現状
従来、原賠法では賠償請求権の除斥期間に関する規定は特に置かれていないため、一般法である民法第724条が適用されることとされ、「不法行為の時」より20年間の除斥期間が適用される。これは、長期にわたって権利を行使しないと、権利関係の証明が困難になることから、権利を行使し得る期間を権利関係の証明が期待し得る合理的な範囲に制限することにより、法的関係の安定と明確化を図ったものである。
除斥期間の起算点となる、「不法行為の時」が何時に当たるかについては争いがあり、これを (α) 加害行為が為された時とする見解と、(β) 不法行為の成立要件充足時(実際上は損害の発生時となる)とする見解が対立しているが、(β)説を明示的に採用する判例が無いこと、及び除斥期間の起算点を損害の発生時に変更する規定を置く具体的立法例(鉱業法、水質汚濁防止法、大気汚染防止法、製造物責任法)があることから、現行法制は(α)説に立つものとして考えざるを得ない。
このため、現行法制下においては、原子力損害の原因たる加害行為(原子力事故)から20年を経過すると賠償請求権が消滅することとなる。
(民法第724条) 不法行為に因る損害賠償の請求権は被害者又は其法定代理人が損害及び加害者を知 りたる時より三年間之を行わざるときは時効に因りて消滅す。不法行為の時より二十 年を経過したるとき亦同じ。 |
3.国際的な動向
除斥期間についての国際的な枠組の変化としては、従来、ウィーン条約においては賠償請求権の除斥期間の最短期間を原子力事故の日から10年としていたところ、昨年採択されたウィーン条約改正議定書においては、死亡又は身体障害の賠償請求権の除斥期間の最短期間を30年、その他の損害の賠償請求権の除斥期間の最短期間を10年と変更している。今回、身体障害等について30年という長期の除斥期間が設定されたのは、被害者保護の観点から、原子力損害の特性としての放射能被ばくによる身体障害の晩発性の存在等を踏まえたものと考えられる。
但し、パリ条約は依然、除斥期間の最短期間を10年間としている。
なお、各国の原子力損害賠償制度における除斥期間の現状は以下のとおりである。
(ウィーン条約改正議定書第Ⅵ条 [仮訳])
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(ウィーン条約第Ⅵ条 [仮訳])
1. この条約に基づく賠償請求権は、原子力事故の日から10年以内に訴訟が提起されないときは、消滅する。ただし、施設国の法律に基づき運転者の責任が10年を超える期間について保険その他の資金的保証又は国家の基金により填補されるときは、管轄裁判所の法律は、運営者に対する賠償請求権が 、10年をこえ、施設国の法律に基づき運営者の責任期間とされるものをこえない期間の後に消滅する旨を規定することができる。この消滅期間の延長は、いかなる場合にも、前記の10年の期間の経過前に運営者に対し死亡又は身体の傷害について訴訟を提起した者のこの条約に基づく賠償請求権に影響を及ぼすものではない。
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4.原子力損害における身体の晩発性の障害について
現在、放射能被ばくによる晩発性の身体障害として一般的に認められているものには、白血病、ガン、白内障がある。これらの身体障害は、放射線被ばく以外の原因によっても生じ得るものであり、また、被ばくした者全てについて障害が発生するのでなく、また、これらの障害は被ばくが無い場合も発生し得るものであるため、個別のケースについて、放射線被ばくにより発生したものを科学的に特定するのは非常に困難である。
なお、晩発的障害に類似する問題として、被ばくによる遺伝的影響の発生が考えられるが、現在、これは人間では確認されてはおらず、マウスやサルを用いた実験に基づいた重い遺伝的障害の推定発生確率は極めて低いものであるとされている。
5.除斥期間の変更等の検討について
我が国の原子力損害賠償制度における除斥期間を、ウィーン条約改正議定書の内容等の国際的な水準に合わせて変更するとした場合、諸外国の規定等を踏まえると、除斥期間を少なくとも30年に延長する必要があると考えられる。
そこで、除斥期間の延長のために具体的に想定し得る方法を検討することとし、既に製造物責任法等において採用例のある、①除斥期間の起算点の規定の変更、及び当面の国際的な標準として考えられる改正ウィーン条約等に合わせた、②除斥期間の30年への延長、の2案について問題点を検討することとする。
①除斥期間の起算点の規定の変更
製造物責任法においては、除斥期間の起算点について、「身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害」や「一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害」については、製造物の引き渡しの時ではなく、損害の生じた時としている。また、大気汚染防止法、水質汚濁防止法、鉱業法においては、「損害の発生の時」を除斥期間の起算点としている。
これらは、損害が現実化、顕在化した時点を起算点とすることにより、損害の原因行為等がなされた時点から一定の期間をおいて発生する被害が除斥期間が適用されずに救済の対象となり得るべく意図したものである。
原賠法において、民法の特則としてこうした規定が設けられれば、原子力事故発生後の経過期間にかかわらず、後から当該事故に起因する損害が発生した場合には損害賠償請求権を有することとなり、30年の除斥期間を定めた場合よりも被害救済にあつくなる。立法技術的には、従来から用いられている手法であり、大きな困難は無いといえる。
しかし、前述のとおり、被ばくによる晩発的障害の発生は確率的なものであり、個別の事例についての原因特定の難しさの程度は他の場合と大きく異なる。加えて、除斥期間の起算点を損害発生時とすると、事実上、除斥期間としての意義が希薄となり、無過失責任を負う原子力事業者を過度に長期にわたり不確定な権利関係下に置くこととなり、望ましい方法ではない。
②除斥期間の30年間への延長
ウィーン条約改正議定書の他、英国、ドイツ、スイスにおいて除斥期間が30年とされていることを踏まえ、これを制度の見直しとして踏まえるべき国際的動向と位置付け、原賠法に民法の特則としての規定を設け、原子力損害については除斥期間を30年とするものである。
損害賠償請求を事故発生後30年に限ることで、無過失責任を負う原子力事業者の権利関係に一定の安定を確保しつつ、従来の除斥期間よりも晩発性の身体障害等に対する救済を拡大することを可能にしたものであり、国際的動向を踏まえた改正として、必要なものであると考えられる。
以上から、除斥期間についての改正を行うとすれば、今後の国際的動向等にも留意しつつ、原子力損害については除斥期間を30年とする規定を民法の特則として、原賠法中に規定する方向で検討すべきである。
6.留意すべき事項
今般の原賠法改正における取扱については、主に以下の事項を踏まえる必要がある。
①除斥期間の変更は、他の法制度にも影響を及ぼし得るものであること。
②除斥期間の変更については、除斥期間経過前であれば、原因たる事実の発生後に措置することも考えられることから、条約加入時における法改正によって手当てすることも可能ではあること。
③今後の国際的動向等も踏まえ、30年という除斥期間の具体的論拠を検討するべきこと。
(製造物責任法第5条) 第三条に規定する損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び賠償義務者を知った時から三年間行わないときは、時効によって消滅する。その製造業者等が当該製造物を引き渡した時から十年を経過したときも、同様とする。
第2項
(水質汚濁防止法第20条の3)
(大気汚染防止法第25条の4)
(鉱業法第115条)
第2項
(水洗炭業に関する法律第二十条)
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