原子力損害(予防措置費用)について
1.問題意識
ウィーン条約改正議定書においては、これまで取り扱いが不明確であった避難費用等の予防措置費用について、「管轄裁判所の法が決する限り」とされてはいるが、原子力損害に該当するものとして整理されたところ。
一方、我が国原賠法においては、放射線等の「作用」による損害を「原子力損害」と規定しているところ、予防措置費用についての位置づけを整理する必要がある。
2.予防措置費用の分類
予防措置とは、被害の拡大を防止するために原子力事故(原子力損害を引き起こす重大かつ明白なおそれを生む出来事)の発生の前又は後に講じられる措置と捉えられるが、以下のとおり分類することができると考えられる。
このうち、(1)については、事故発生の事前対策まで検討の対象に含める場合には、範囲の限定が極めて困難となるものであること、ウィーン条約改正議定書においても「原子力事故の発生した後」と限定していること、から検討の対象から除外することが適切だと考えられる。
なお、原子力事業者自身が予防措置費用を支出することも考えられるが、このような費用については、賠償責任としての問題ではないので検討から除外することとする。
(1)原子力事故の事前対策~原子力事故発生前に講じられるもの
- 原子力事故が発生した際を想定した連絡体制の整備費用
- 平常時からの放射線モニタリング費用
- 個人による核シェルターの設置費用 等
(2)原子力事故の事後対策~原子力事故の発生後に講じられるもの
①避難費用~避難に直接要した費用
- ②避難に伴う派生的な費用
避難に伴う費用であり、以下のようなものが考えられる。
- a.避難したことにより通常より余分に要した費用
- 避難先での宿泊費
- 避難先からの通勤費用であって自宅からの通勤費用を超える分
- b.避難したことによる損失
- 住居等に残してきたペット、家畜等の死亡
- 栽培植物の枯死 等
- c.逸失利益
- ③避難費用以外の被害拡大防止費用
- 原子力事故の発生後に、被害の拡大を防止あるいは最小化するために地 方公共団体や住民等が講じる費用であり、例えば、外部被ばくを防止する ための以下の措置等が考えられる。(「避難費用」についても人的損害の 発生を防止するという意味では被害拡大防止費用として整理することが可 能であるが、ここでは別のものとして整理した。)
-
- ヨウ素剤の購入、頒布
- 除染に係る費用(衣服の毀損、建設物の外部の除染、塗装、客土、アスファルト舗装等)
- 私有地を利用した被害拡大防止のための何らかの工作物等の設置
3.原賠法における「原子力損害」の範囲
(1)原賠法においては、第2条第2項において以下のとおり原子力損害を定義。
法 律 の 規 定 | 具 体 的 内 容 |
- a)
- 核燃料物質の原子核分裂の過程の作用により生じた損害
|
- 原子核分裂の連鎖反応に際して発生する放射線による損害
- 原子核分裂の連鎖反応に際して発生する熱的エネルギー又は機械的エネルギーによる損害
|
- b)
- 核燃料物質等の放射線の作用により生じた損害
|
- 核燃料物質の原子核分裂の連鎖反応に際して放射化された物の放射線による損害
- 原子核分裂生成物の放射線による損害
- 核燃料物質の放射線による損害
|
- c)
- 核燃料物質等の毒性的作用により生じた損害
|
- 核燃料物質等を吸入摂取することにより発生した中毒及び続発症による損害
|
(2)「作用」について
法律上、原子核分裂の過程等の「作用」という用語が使用されていることから、「原子力損害」に該当するには、核分裂によるエネルギーや放射線が、何らかの影響を外部に対して与えることが要件となる。何らかの影響を外部に与えるとは、放射線が現実に放出される場合だけではなく、放射線の有する固有の特性(人、物に対する有害性等)に起因する場合も含まれるものと考えられる。「放射線の作用」や「毒性的作用」についても同様に、現実に人や物を被ばくさせたり、化学的影響を与える場合だけではなく、被ばく等を受けるというおそれを与えることも含まれると考えられる。
なお、昭和35年の原子力委員会決定において「本制度の対象となる原子力損害は、原子力事業側の偶発的事故であると否とをとわず、核燃料物質等の特性により生じた第三者に対する損害とし、一般災害を含まないものとする。」とあり、立法当初は「核燃料物質の特性」に起因する損害を広く対象とすることを予定していたと考えられる。
また、「作用により生じた損害」とあるため、「作用」と「損害」との間には相当因果関係の存在が必要とされる。
4.避難費用について
(1)原賠法上の原子力損害に該当する場合
上記3.のとおり捉えた場合、たとえば、適切に管理された施設に放射性物質が存在する場合に、放射線の放出のおそれがあるとして避難するような場合には、放射線の作用と損害(避難のための交通費等を出費したこと)との間には相当因果関係は認められないであろうが、当該施設が爆発して放射性物質が拡散するようなおそれがある緊急時に避難するような場合には、相当因果関係は認められ、「原子力損害」に該当するものと考えられる。
相当因果関係の有無は、ケースバイケースで判断せざるを得ないであろうが、例えば地方公共団体の長によって避難勧告が出された場合などは認められよう。ただし、当該避難勧告が合理的な判断によってなされることが必要とされると考えられる。
- (2)災害対策基本法等による救済
- ①
- なお、我が国においては、原子力災害は災害対策基本法(以下「災対法」とよぶ。)上の「災害」であり、本法が適用される。
災対法における「災害」とは、「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害(第2条第1号)」とされており、政令においては、「放射性物質の大量の放出、多数の者の遭難を伴う船舶の沈没その他の大規模な事故」が定められている。
- ②
- 原子力施設の存在する都道府県、市町村等においては、災対法第40条、42条に基づき原子力防災計画を策定しており、仮に原子力施設において異常事態が発生した場合には、次のような流れで住民等の避難がなされることとなっている。
・原子力施設における異常事態の発生
↓
・原子力事業者から市町村、都道府県、国への通報連絡
↓
・原子力災害対策本部の設置(都道府県及び市町村)
↓
・市町村長による住民等に対する避難勧告又は指示(第60条)
↓
・住民等の避難
- 原子力防災計画の下では、災害時の住民避難のために以下のような対策を用意している。
- 避難のための輸送手段(バス、トラック等)の確保
- 避難住民の避難場所の確保
- 食料等必要物資の調達
- 災害時の交通規制等避難誘導マニュアルの整備
これらの費用については、災対法第91条によって、原則として都道府県及び市町村が負担することとなっているほか、災害救助法第36条により災害応急対策のうち各種の救助に要する費用が百万円以上の場合には国もその費用の額に応じて負担することとなっている。
- ③
- ここで、災対法第50条においては、「災害応急対策は、・・・・・災害が発生し、又は発生するおそれがある場合に災害の発生を防御し、又は応急的救助を行う等災害の拡大を防止するために行うものとする」とされており、現実に放射性物質の放出がなされた場合のみならず、そのおそれがある場合をも対象としている。
- 5.被害拡大防止費用について
上記3.に基づいて考えると、被害拡大防止費用についても、「作用」と「損害」との間に相当因果関係がある場合には、原子力損害となるであろう。
この点については避難費用と同様に考えることができるが、現実には国、地方公共団体以外の主体が被害拡大防止措置を講じることはあまり考えにくい。
なお、災対法においては、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、市町村区域内の他人の土地、建物その他の工作物等を一時使用することができ(第64条)、当該費用については、国又は地方公共団体が損失補償を行うこととなっている(第82条)。
- 6.今後の検討課題
(1)以上のとおり、避難費用及び被害拡大防止費用については、概ね現行の 法体系によって救済されるものと考えられる。また、ウィーン条約改正議定書上も「管轄裁判所の法が決する限り」とされて各国の法体系の相違を考慮に入れていることから、国際条約との比較を行った場合でも、当面現行の法 体系において被害者救済の上で支障が生ずるものとは考えにくい。
(2)しかしながら、避難費用等を原賠法上の「原子力損害」として規定すべきか否かについては、現行法体系でカバーされるかどうかとは別のアプローチからの検討が必要である。現在の原賠法は、放射線等の作用と相当因果関係がある限りにおいて幅広く救済するという意味で評価できる制度であるが、ある種の損害について確実に救済するためには、法文上明確に規定する工夫が必要であると考えられる。このためには、原賠法の無限責任制度の原則を踏まえつつ、法の対象となる損害についての再検討が必要となろう。
(参 考)諸外国における予防措置費用の規定の例
スイス原賠法
「第2条1.「原子力損害」とは以下を意味する。
- a. (略)
- b.即時的な核の危険の脅威を回避あるいは軽減するために当局が命令あるいは勧告した措置の結果生じた損失、ただし利益の損失はこれに当たらない。
- 第4条
- 即時的な核の危険の脅威を回避あるいは軽減するために所管当局が講じる措置の費用は、原子力施設の事業者あるいは輸送免許保持者に負わせられるべきである。」
- アメリカ プライス・アンダーソン法
- 「第11条gg.
- 「予防的避難」とは、原子力施設に近接している特定の区域内における公衆の避難、または生産施設若しくは利用施設へあるいは生産施設若しくは利用施設からの原料物質、特定核物質、副産物質、高レベル放射性廃棄物、使用済核燃料若しくは超ウラン元素廃棄物の輸送に関連する事故の場合には、当該輸送経路内における公衆の避難であって、当該避難が次の各号に該当する場合をいう。
- (1)原子力事故には分類されないが、原料物質、特定核物質、副産物質、高レベル放射性廃棄物、使用済核燃料若しくは超ウラン元素廃棄物の放射能により身体に係る権利侵害又は財産損害の急迫した危険がありかつ避難の原因となった事故の結果である場合で、かつ
- (2)当該避難が州法により避難を開始する権限を与えられた州の官吏又は州の行政区画の官吏により開始された場合であって、かつ公衆の健康と安全を保護するためにかかる避難が必要であるとの当該官吏の決定が合理的であった場合」