資料第4−4号




講演メモ

Fast Breeder Reactor Development in Germany
-History and Outlook-
(仮訳)



ドイツ カールスルーエ研究所
中性子物理・原子炉工学研究所
ギュンター ケスラー所長



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SNR-300契約主体の設立

1965年 独・ベルギー・蘭の国立研究所における高速炉研究開発協力
1967年 政府間レベルのSNR-300建設協力に関する覚書の交換
       資 本 配 分
         独  70%
       ベルギー 15%
         蘭   15%
1968年  SNR-300開発・建設に関する協力合意
       ジーメンス/インターアトム(独)
       ベルゴニュークリア(ベルギー)
       ネラトム(蘭)
1969年  「SKB(高速増殖原子力発電所会社)」の設立、
      主要メンバー:RWE(独)
             Synatom(ベルギー)
             SEP(蘭)


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SNR-300プロジェクト関連組織

英国電力庁
ターンキー方式契約
建設契約
メーカ
ジーメンス/インターアトム
ベルゴニュークリア
ネラトム
研究所
カールスルーエ研究所
研究開発
SNR-300の立案と建設


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ドイツにおける原子力発電所設置許認可手続き

連邦環境大臣
許認可当局:州政府
公衆
州及び地方自治体当局
連邦放射線防護機関
その他連邦機関
申請者
原子炉安全委員会
技術的審査


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独の原子力発電所許認可手続き

(1) 原子炉安全性レポート(RSR)に基づく概念審査
(2) 部分建設工事許可TG7/1,TG7/2,TG7/3…に基づく「段階的」プラント建設
(3) 建設の完了に伴い、コールドテスト、ホットテストの許認可が発行される。
(4) 運転の予備的許可
(5) 運転の最終的許可


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基本設計研究からSNR-300へ

1965〜67年 SNR-300設計の基礎となるNa-2(ナトリウム)研究
       (ジーメンス社/インターアトム社との協力の下カールスルーエ研にて)
1969年12月 SNR組合(コンソーシアム)からSNR安全レポートが出された。
       技術的概念は炉規制委員会(RSK)及び運転者の要求により大幅に変更された。
      ―Weisweierの代わりにカルカールが立地点に
      ―Bethe-Tait事故(炉心損傷事故)も想定
      ―コアキャッチャー(炉心溶融時の受け皿)設置
      ―外部影響考慮
      ―長方形の外格納容器
      ―増殖用ブランケット無し、即ち転換比1以下
1971年中頃 安全レポート改訂版の発表
1972年5月 技術検査協会(州が指定)による総括的賛成意見
1972年6月 RSK(原子炉安全委員会)による最終賛成票決
1972年12月 第1回部分建設工事許可TG7/1の発給
1973年3月 建設開始


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連邦憲法裁判所(BVG)におけるSNR-300

1977年8月 TG7/1(第1回部分建設工事許可)は1972年2月以降行政裁判所における訴訟案件であった。
ミュンスター高等行政裁判所は、高速増殖炉に出される許可を有効にする原子力法第7条が独基本法に矛盾しないかどうか連邦憲法裁判所に判断を求めるとし、訴訟手続きを停止した。

1978年8月 連邦憲法裁判所は満場一致で「増殖炉は法的に原子力法に則っている。」と述べた。

1988年4月 深刻な政治的危機故に、連邦環境相はNRW州の許認可当局に指示文書を送付。州政府は連邦憲法裁判所における訴訟に持ち込んだ。

1990年5月 判決は極めて明快。結果をかいつまんで言えば、 NRW州による訴訟は全ての点で却下された。


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独連邦議会におけるSNR-300

1978年12月 連邦議会はSNR-300の建設続行に同意。しかし、重要な付帯条件をつけた。つまり、開始前に議会における政治的討論が求められた。
その決定のため、「将来の原子力政策に関する議会調査委員会」が設立した。

1980年6月 長期間の審議後、委員会は「研究目的の」高速増殖炉開発を受け入れた。これにはSNR-300の建設も含まれた。SNR-300の安全性レベルは最新のPWRより低くてはいけなかった。
さらに評価するために、二つの研究が開始された。
  ―「上限研究(Upper Bound Study)」つまり、高機械的エネルギー(370MW・秒(MJ)以上)放出を伴う炉心損傷事故に関する文献調査
  ―独原子力発電所リスク研究の方針に基づく「リスクからの安全解析」
両研究共にそれぞれ原子力発電に対して異なる立場の複数の科学者により行われた。


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独連邦議会におけるSNR-300(続)

1981年5月 委員会は次の議会において再び設置された。

1982年5月 (上記)二研究に基づき、委員会は以下の勧告を行った。
(1)原子力の長期的利用のためには増殖炉技術の実用化が不可欠。この点からSNR-300の開始が重要。
(2)原子力法におけるSNR-300の許認可手続きは正しくかつ注意深く行われた。
(3)SNR-300の運転によるリスクは運転中の軽水炉と同程度。
(4)SNR-300の開始にはいくつかの段階的手続きが求められた。これにより、議会の留保が必要となった。
委員会メンバー16人のうち11人がこの勧告に賛成。

1982年12月 議会における投票の結果、SNR-300の開始のための議会の留保を解くことが多数を占めた。


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転換期及び進捗(1982年〜1985年)

1982年9月 TG7/5(部分建設工事許可)が発行された。それは主に一次系、二次系、原子炉、炉内構造物、原子炉保護系、緊急ディーゼル、再循環(reventing) 系に関するもの。

1982年10月 連邦政府がSPDからCDU連立に変更、いわゆる「転機(Wende) 」を迎える。

1982年12月 SNR-300開始に関する連邦政府による肯定的な決定

1982年12月 新政府による交渉はSNR-300プロジェクトにおける財政的隔たりを埋めることに役立った。

建設サイトにおける活動:
1984年末 耐圧試験及び鋼製殻漏洩率試験が無事終了。炉容器は定位置に。

1983年〜1985年 33の全ての大型機器が建設サイトに到着し設置された。

1983年末 一次系耐圧試験無事終了。

1984年末 格納施設耐圧試験無事終了。

1984年央 第一期ナトリウムの搬入開始。引き続いて行われたコールド試験段階において、ナトリウム系は高温浄化段階で浄化された。


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SNR-300におけるナトリウム火災

1984年11月 およそ200kgのナトリウムが原子炉建屋の屋根上で発火した。偶発的にそれらは蒸気発生器建屋の地階部分から圧力放出管を通じて上方に運ばれた。
試験班及び消火班により火は迅速に消された。二次ナトリウム系の改造により事故の再発防止が図られた。


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遅延と終焉(その1)(1984 〜1986年)

1984年   現状、連邦議会で最大の反対勢力である社会民主党(SPD)は、核燃料再処理からの撤退と原子力発電の新設停止を決定。

1985年5月 NRW州議会選挙で再度SPDは絶対多数を占めたことにより、高速増殖炉に関する論争はより悪い状況に。SPD議会団のリーダーFarthmann氏は「この邪悪な火をつけるな。」と述べた。

1986年4月 チェルノヴィル事故

1986年8月 SPDは党代表者会議において、今後十年以内は原子力は必要なしと決めた。

1986年央  Jochimsen(SPD)相は申請者に伝える前に突然記者会見において「あらあゆる許可前に必要な包括的予備評価はもはやSNR-300に対しては出されない。」と述べた。
彼の言うところは、
(1)チェルノヴィル炉とSNR-300は似ている。
(2)従来の炉心損傷事故評価は信頼出来ない。
(3)コールド試験段階でプラントの信頼性に問題が生じている。


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遅延と終焉(その2)(1987 〜1991年)

1987年4月 Jochimsen(SPD)相は別の記者会見において次の部分建設許可であるTG7/6についても拒否する意向であることを表明。

1986年央  SNR-300の建設は95%完了。許認可当局は行き詰まり。 BMFT連邦研究相は「遅延」に伴う当座の資金を調達。

1988-89年 「待機」、「再待機」の状態が1991年末まで続いて、その間の資金(105百万独マルク/年)は連邦研究省、独電力、ジーメンス社がそれぞれ3分の1ずつ負担した。

1987年4月 連邦環境相からのNRW州への指示文書も効果はなかった。連邦環境相は「法に基づく文書によるkalkarization」による行動を続けた。

1991年3月 財源問題はますます深刻になってきた。しかし許認可手続きは完了しそうもなかった。
追加経費を避けることから、連邦研究相、電力、ジーメンス社は待機状態に関する定めに基づき、資金の提供を中止した。これはSNR-300プロジェクトの終焉を意味していた。

連邦研究相による記者会見では簡潔に以下のように述べられている。:電力、メーカ、連邦研究省が参加したカルカール(SNR-300)の終焉は明らかにNRW州に責任がある。


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独原子炉安全委員会RSKのコメント

1987年4月 原子炉安全委員会RSKは適切にRBMK-1000チェルノヴィル炉とSNR-300炉の比較を調査した。その結果、ほとんど全ての設計仕様において両者の大きな違いが判明した。
特に反応度挙動に関して顕著である。SNR-300は良好な炉心制御性を有しているが、RBMK-1000は不安定な挙動を示し、複雑な物理現象に基づいている。また、冗長性、多様性、自動化の程度、安全余裕、保護系、緊急停止系など全ての主な安全特性について、SNR-300が明らかに優れていることが判明した。

1987年9月 原子炉安全委員会RSKは国内外の専門家を集めて炉心損傷事故に関する特別会合を開催した。海外の専門家はSNR-300の議論されている型の炉心損傷事故は各国では残余(residual)リスクとされているとの同意に至った。
参加者はまた、初期過程を扱うSAS-3D計算コードの実験的検証を確証した。再臨界事故に関してはRSKの専門家は機械的放出エネルギーポテンシャルは設計レベルの370MW・秒(MJ)よりはるかに低いと述べた。


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経費の上昇

1969年    評価額    670百万独マルク
1972年11月 契約価格   1,535百万独マルク
              (プルトニウム分含まず)
1975年           3,200百万独マルク
              (1,100百万独マルク価格上昇)
1982年           6,050百万独マルク
              (2,100百万独マルク価格上昇)
1991年 プロジェクト終了 約7,000百万独マルク
              (約3,000百万独マルク価格上昇)


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結論

独において、原子力設備の許認可の責任は州の機関が有している。SNR-300の場合はNRW(北ライン・ヴェストファリア)州である。州政府は許認可手続き全体を進めている。
連邦機関はただ一般的指示しか出来ない。 SNR-300の場合は連邦の環境・原子炉安全省である。
SPD(社会民主党)及び同党が多数を占めるNRW州の政治的意図は、連邦機関及び連邦憲法裁判所の指示に従わないことであった。
政治的意図により、
 ―いわゆる、許認可に関する重大質問事項(critical licensing questions)のための解析・実験の要求の拡大
 ―いわゆる独立した(科学的に受入れられない)再評価者の採用
 ―設計者(ジーメンス社、インターアトム社)の科学的、技術的信頼性に関する質問
 ―行政裁判所への反対派の提訴による許認可手続きの遅れ
を通じて、プロジェクトの遂行停止並びに産業界への費用負担増加も引き起こした。


(16頁)
東西ドイツ統一後に中止となった原子力プロジェクト

THTR―300             1990年
SNR―300              1991年
グライフスヴァルト(都市名)       1990年
 4×440MWe VVER(ソ連型軽水炉)運転中
 4×440MWe VVER(ソ連型軽水炉)建設中
Stendal                  1990年
 2×900MWe VVER(ソ連型軽水炉)建設中
ハナウMOXプラント           1996年
 MOX:Mixed Oxide Fuel(プルトニウム・ウラン混合酸化物燃料)


(17頁)
高速増殖炉開発のねらい

1970年代央以前
概況:
 ―世界的な原子力発電の急速な導入
 ―ウラン燃料供給における限界の予測
結果として、次の高速炉の初期炉心用プルトニウム装荷のための高い増殖比の実現

1970年代央以降
概況:
 ―世界の原子力発電導入ペースのスローダウン
 ―軽水炉使用済燃料再処理からの多量のプルトニウム
結果として、高速増殖炉の実用化はかなり先に延期された。高速炉はプルトニウム燃焼炉としての利用が考えられている。


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高速増殖炉(FBR)の主目的

●FBRはウラン238あるいはトリウム232を燃やす。
 (炉内または燃料サイクルにおける多量のプルトニウム、ウラン233)
●FBRにおける余剰プルトニウム生産:80〜150kgPu/百万kWe・年
●FBRにおけるウラン消費:ウラン238 1.2トン〜1.4トン/百万kWe・年
●ほぼ無限の資源ということで、FBRはD―T核融合と競合。
 ―他の核分裂炉(軽水炉、ガス炉)は競合出来ず。


(19頁)
●高速炉は軽水炉で何回かリサイクルした(つまり核分裂性プルトニウム50%以下の)「汚い」プルトニウムを燃焼炉としても増殖炉としても使える。
●ブランケット無しでプルトニウム含有率が低い(薄められた)集合体を有する高速炉燃焼炉百万kWe/年当たり約600kgのプルトニウム、約140kgのNp(ネプツニウム)、約80kgのAm(アメリシウム)を燃やすことが出来る。
 (安全性の点を考慮しても、高速炉炉心にてさらに5%濃縮したNp(ネプツニウム)が可能。)


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最近の高速増殖炉における安全性

固有の安全性の大幅な改善
●制御棒接続部の膨張
 (温度上昇→負の反応度)
●以下のケースでの自己炉停止能力
 ―1次主冷却系ポンプ停止
 ―3次系除熱能力(熱交換器)の喪失


(21頁)
●3次系除熱能力の完全喪失後の炉停止  600〜650度で安定。
●1次冷却系外部電源喪失後の炉停止   600〜650度で安定。
上記2ケースでのナトリウム−空気熱交換器による大気への自然循環による崩壊熱除去


(22頁)
CAPRA(カプラ)計画Consommation accrue de Pu dans les Rapides)

目 的:高速炉におけるプルトニウム・マイナーアクチニド燃焼の成立性研究
参加者:CEA(仏原子力庁)
    AEA/BNFL
    EFRA(ノバトム、ジーメンス、NNC)
    超ウラン研
    カールスルーエ研
主なテーマ:燃料の研究
      炉物理、炉心設計
      炉心安全性
      照射試験


(23頁)
カプラ 第一期

計画は1993年に仏原子力庁により始められた。
第1段階: 成立性検討
要  求: プルトニウム及びマイナーアクチニドを高効率で燃やす高速炉
判断基準: プルトニウムを多く含む酸化物燃料
      高出力炉心(1500MW)
      従来の蒸気供給系との適合性
      リサイクルした(劣化した)プルトニウムの利用
      ウランなし燃料(オプション)


(24頁)
SNR-300終了後(1991年〜1997年)

カールスルーエ研究所は
カプラ計画
において仏原子力庁及び英AEAと協力
独電力は仏スーパーフェニックスに16%参加を継続


(25頁)
独における原子力エネルギー

独の政策:
 22Gwe(22百万kW)→PWR,BWRによる発電(発電全体の35%)
1994年の原子力エネルギー法の改定
 将来の原子炉では炉心溶融事故において発電所の外では住民の避難が不要。
欧州加圧水型炉(EPR)
 上記安全目標によるジーメンス/フラマトム社の設計
上記安全目標によるジーメンス社の改良BWR-1000設計


(26頁)
1994年における原子力法の改定
 ―再処理、廃棄物処分
 ―使用済燃料直接処分
は将来等価な方式。
使用済燃料(中間)貯蔵施設が利用可能(アーハウス、ゴアレーベン)
低・中レベル廃棄物処分サイト:コンラッド鉱山
再処理からの高レベル廃棄物及び使用済燃料直接処分:ゴアレーベン岩塩鉱
プルトニウム燃焼用MOX燃料:独のほとんどの軽水炉は炉心に50% までMOX燃料を装荷する許可を得ている。
MOX燃料はハナウMOX燃料加工工場中断後も仏MELOX工場から供給される予定。


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核拡散

―独は核不拡散条約(NPT)に1970年頃調印。
―INFCE(国際核燃料サイクル評価)作業に1978年〜1982年参加。
―全ての原子力施設は
  IAEA(国際原子力機関)の核査察を受ける。
  EURATOM(欧州原子力機関)の核査察を受ける。
  州の核査察を受ける。
―核拡散により下記プロジェクトを断念したわけではない。
  SNR-300中止
  再処理工場中止
  MOX燃料製造工場中止
―プルトニウムリサイクルは、直接処分によるプルトニウム(鉱山)の蓄積を避ける。


資料4―4号 終了