資料第4−3号




講演メモ

The UK and the Fast Breeder Reactor
(仮訳)



イギリス 原子力公社
デレク プーリ総裁





英国と高速増殖炉

デレク・プーリ
英国原子力公社(UKAEA) 総裁


英国における高速炉計画の歴史

英国政府は、1939年から1945年にかけての戦争中に協力関係のあったアメリカとカナダとは別に、1945年4月に自国で原子力エネルギー開発を行うことを決定した。高速炉の開発は、原子力を発電に用いることが決定されるより前の1951年には既に英国の原子力計画の一部に組み込まれていた。ヨーロッパの縁に位置し、自国の天然資源に恵まれていない英国にとって、適正価格でのウランの安定供給を図る手段を確保することが問題となり得ることを早くから認識していたからである。この懸念は、たぶん、米国、カナダでは小さいものである。

英国の高速炉計画は低出力炉のゼファーとゼウスを用いて急速に進められ、高速炉発電所を建設する決定が1954年になされた。当時は世界中のどこにおいても、高出力の高速炉炉心の安定性と制御上の特性に関する実践的な経験が乏しかったので、英国は新しい高速炉は人口の少ない地域に立地すべきとした。スコットランドの北部に位置するドンレーが選ばれた。それはスコットランド北部に新しい雇用を確保したい地元の強い誘致活動の結果でもある。熱出力60MW、電気出力14MWのドンレー高速炉(DFR)は1959年に稼動した。DFRは濃縮ウラン金属燃料とナトリウム・カリウム合金冷却材を用いた実験炉として用いられていたが、約18年間稼動した後、1977年に閉鎖された。

1960年代の半ばまでには、英国は複数の熱中性子炉を建設し、運転するようになった。英国原子力公社(UKAEA)は、次には高速炉の段階と確信していた。1966年、英国政府より新たに高速炉を建設することが認められた。それは、原型高速炉(PFR)と呼ばれ、同じくドンレーに立地された。この炉は高速炉技術の実用化のために必要となる設計により近いものであり、「もんじゅ」に類似するものである。

特筆すべき点は以下の通り。
○出力は増加して電気出力250MW
○将来の商業規模の高速炉にも利用できる燃料集合体設計の採用
○高熱効率、高燃焼度である酸化物燃料の採用
○ 高速炉による燃料サイクルを完結し、天然ウランをより効率良く利用できる高速炉を実現するため、濃縮ウランの替わりにプルトニウムを炉心燃料として使用
○ 燃料サイクルの完結を実証するため、炉心の周りにプルトニウム増殖領域を持ち、ドンレーの小型再処理プラントとつなぐ
○ナトリウム・カリウム合金ではなくナトリウムによる冷却

PFRは1974年3月に初臨界を迎え、1994年に運転を中止した。

その間平行して、英国政府の出資により、高速炉技術や炉及び燃料製造プラント設計のための研究開発が欧州統合高速炉(EFR)計画の一部として続けられていた。英国の多くの原子力機関が英国原子力公社とともに高速炉開発に参加していた。即ち、燃料部門ではBNFL、プラント設計部門ではNNC、許認可・安全性・経済性の点から関心のあるニュークリア・エレクトリックとスコティッシュ・ニュークリアが参加していた。政府出資による主な研究開発計画は、1993年に終了し、多数の細分化された計画に置き換えられた。この細分化された計画は、BNFLが投資、管理し、また、NNCとAEAテクノロジーにより援助されている。英国原子力公社の廃炉に関する最近の作業の一部として、DFRとPFRの廃炉に関する計画が含まれている。


英国プログラムの成果と技術の現状

1994年PFRが閉鎖されるまでに、英国は高速炉が発電のための現実的な技術のオプションの1つであることを実証しており、高速炉を使うかどうかは電力会社が決定すべきであるとしている。英国プログラムの主な成果は以下の通り。

○ 液体ナトリウムの大きなプール及び負の出力係数、負の温度係数を有することが、高い安全性を提供しており、PFRの高い安定性と扱い易さが実証された。
○ 1基しか建設されない炉ではあるが、熱源としてのPFRの寿命中平均稼動率は高いものであり、20年の運転期間において64%に至っている。
○ ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を開発し、17トンを主にセラフィールドのBNFLで製造した。プルトニウム濃度は最大32%であった。
○ PFRにおいては約93000本の燃料ピンが用いられが、損傷に至ったのはごく僅かであった。燃焼度の目標は本来5%(5万MWd/t)程度であったが、それをかなり上回ることができた。何千本ものピンが10%を越え、数百本のピンが20%を越え、世界でも記録的な数値だと思うが、損傷なしに23.5%まで到達するものもあった。
○ PFRから出る多くの使用済燃料と増殖用燃料集合体(18トン以上)は、ドンレーの英国原子力公社により、解体及び再処理が行われた。分離されたプルトニウムはセラフィールドにあるBNFLに送られ、新しい燃料を作ることにより、燃料サイクルの輪は完結した。
○ PFRにおける蒸気発生器(原子力特有の機器でない)の問題は、運転初期段階で発電を阻害するものであったが、徐々に解決された。発電所の負荷率は、新しい技術を用いた1基しか建設されない炉であるにも係わらず、最後の10年間では40%、最後の数ヶ月では93%にも引き上げられた。

仏国と独国のパートナーと協力して、高速炉技術において多くのことを改善し、商業規模の発電所のための設計を行ってきた。

これらの成果より、英国電力公社は英国の高速炉開発計画は成功したものであると確信している。英国電力公社は高速炉技術のすべてを現実的な規模で実証し、また、初期のシステムで生じた幾つかの困難(特に蒸気発生器の信頼性)を解決した。

英国電力公社は、原子炉での新燃料から超高燃焼度燃料そして再処理及びそのプルトニウムからの新燃料に至るまでのプルトニウムを用いた高速炉燃料サイクルの全体を実証した。英国の保守党政権の考えとしては、高速炉概念は産業規模で実証されたものであり、高速炉技術を市場に導入するかどうか、いつ導入するかは英国電力業界が決定すべきであるとした。現時点では、我々は英国がそれを最初に実施するとは考えていない。


英国における原子力発電に影響を与える外的要因

2大政党による英国政府は電力供給の多様性を評価している。また、過去40年以上にわたり、原子力発電の利用は、電力供給の多様性に対し重要な役割を果たすものと考えていた。1940年から1950年代の初めにおいて、主な懸念は供給が不安定な石炭に多く依存することであった。1960年代後半から1970年代にかけては、OECD諸国の殆ど(英国も)が、原子力発電が中東の石油依存度を下げるために重要になると見ていた。1980年代の初めには、石炭に過度に依存することが再び問題となった。

結果として、今では原子力発電は英国において重要な役割を担い、1980年頃には総電力量の約20%であったものが、現在では約30%を占めている。しかし、その発電量は、1970年代から1980年代初頭に起きたエネルギー不足の時と同程度には伸びなかった。近い将来、さらに需給が伸びるとは考えられない。英国において、需要の伸びが抑えられるには幾つかの理由がある。

○ 1975年から1985年に、石油生産による外貨を得た結果として、英国経済のバランスは供給側に大きく傾き、更なるエネルギー生産の必要が無くなった。他国同様、英国製造産業は、時には日本の援助を受け、その効率を改善してきた。結果として、初期の数十年に比べ最近20年間は総電力需要の伸びは低く抑えられた。
○ 1980年代、石炭と原子力による発電をベースに、必要により石油による発電を行うことにより、1984年の探鉱ストライキにもかかわらず、英国の電力生産量は需要を上回り余剰となった。新しい発電施設は殆ど建設されなかったため、電力供給のバランスも変化しなかった。さらに、1990年代には、北海からの安い天然ガスの豊富な供給とともに電力供給業界の規制緩和とあいまって、さらなる発電に投資する重要性が生じてきた。それは、コンバインド・サイクル・ガスタービン(CCGT)発電所への投資であった。1997年、ガス発電は原子力発電と同程度の総発電量の30%を占めるようになった。新しい発電所(現在の英国には必要ないということを強調しておく)という点では、ガス発電のCCGTは、商業的リスクと投資効果の観点から、新しい原子力発電所や石炭発電所より経済的にかなり魅力があった。勿論、それらは単純に競合できるとは言えない。即ち、CCGTは高い運転コストの古い石炭発電所に置き換えられるものの、既存の原子力発電所には置き換わる(優る)ものではない。
○ 英国保守党政権は、エネルギーも1つの「貿易材」と捉えており、次に投資すべき技術を決定するのは、エネルギー市場の業界であり、政府ではないと認識している。英国の電力生産業界の再編成と民営化により、昨年のブリティッシュ・エナジーの新しい発電所も含み、高い競争力を有する電力供給会社が創設された。これらの新しい会社は、既存の発電所の効率を向上することに精力を傾けた。その結果、劇的な成功を納め、経済的にも魅力があり環境にもやさしいCCGT発電所が建設されている。
○ 他のOECD諸国と同様、スリー・マイル島の事故と、特にチェルノブイル事故が、原子力発電は避けられない危険な技術であると考えている者らの考えをより強固にしてしまった。英国産業界は、ロシアのRBMK型の原子炉は本質的に安全でないと認識していたものの、その点を明言していなかった。それで英国国民が、英国或いは他の西側の原子炉は安全であることを受入難くしている。原子力発電のコスト、特に廃炉の費用の見積が政府と企業の間での交渉の一部になっている間に、電力生産の民営化の結果として、英国においては原子力発電に対する一般市民の支持も低下した。

要約すると、英国は多様なエネルギー供給システムを所有しており、そのうち、原子力は安定で重要な要素であると認識している。規制緩和市場において、安いガスと優れたCCGTが提供されているため、原子力発電に対する投資が阻害されている。チェルノブイル事故後、一般市民の懸念が、新しい原子力発電所の許可を得る過程を難しく且つ費用の掛かるものにしてしまった。


英国における高速炉利用の可能性

高速炉開発計画を中止に追い込んだ英国政府の決定は、詳細な技術的な評価によるものではなく、経済・産業政策からであることを強調しておきたい。また、この決定は、政府出資を抑えるための方策でもある。

結論をまとめると以下の通り。
○ 英国原子力公社は産業規模での高速炉の概念を実証してきた。それゆえ、政府は高速炉を電力供給のもう一つオプションを創造する主要な任務を完了した。
○ 高速炉は実現性があり、効率良くウランを利用するものであるが、現在のウラン価格では軽水炉より経済性が悪い。英国政府は近い将来、外的環境により今の状況が変わる可能性は無いと認識し、高速炉を導入するかどうか、いつ導入するかを決めるのは電力会社であるとしている。

次の高速炉へ進むために重要となる良く知られた幾つかの要因がある。英国或いは世界の他の国においても、高速炉は天然ウランを軽水炉より効率的に利用可能な手段であると見なしている。また、使った以上の核分裂性物質を生成する手段であることも認識している。それにより、高速炉所有者はウラン購入及びウラン235の濃縮のための支払いを節約することができる。しかし、今ではウランも濃縮費用も安価となり、これらの利点は、開発初期の数十年において期待されていた程重要なものではなくなった。

しかし、高速中性子炉は将来の原子力発電において有益となるもう一つの特徴も有している。それは、必要な場合には、軽水炉よりも早くプルトニウムを燃焼するための設計が容易にできることである。これは、プルトニウムの備蓄を管理するための最適の方法であると言われている。また、高速炉は質量数が奇数の原子に加えて偶数の重原子の同位体も核分裂させることができる。これは、高速炉燃料の高燃焼度化とあいまって、使用済燃料の地層処分や廃棄物分離において問題となる長寿命のアクチニドの多くを燃焼することが可能なことを意味する。減速をあまり行わない高速炉における中間エネルギー中性子を利用して、軽水炉発電所から生じる少量の超長寿命核分裂生成物を消滅させるために高速炉を使用する可能性がある。

結果として、英国を含む殆どのOECD諸国が現在、高速炉へ多くの投資を行うことに対して積極的でなくても、高速炉は忘れてはならない原子力発電の多くのオプションを生み出すものであると確信している。

個人的意見として、英国は必要になった時に高速増殖炉を導入するのに必要な主要な技術を活用できる手だてを維持していると考えている。ブリティッシュ・エナジーとマグノックス電力会社は、複数の異なる発電所の運転技術を維持している。米国や日本と同様、GEC/NNC、ロールス・ロイス、フラマトム、ジーメンス等のヨーロッパの工業会社は、高速炉の必要性が生じた場合に、設計や建設を行うことが可能であろう。BNFLとCogemaは、高速炉をオプションとして行使する際に重要となる使用済燃料の再処理とMOX燃料製造の経験を蓄積してきている。BNFLは軽水炉・高速炉のために設計された先進再処理の開発に投資している。UKAEAは、高燃焼度、高プルトニウム燃料の再処理の経験を有しており、高速炉の解体の実践的な経験を蓄積しているところである。

さらに、個人的意見であるが、日本も高速増殖炉が必要になった時に、オプションとして導入できるよう経験を蓄積することが重要であると考える。