新計画策定会議への意見具申

○職 業   :団体職員

○年 齢   :56歳~60歳

○性 別   :男性

○御意見の内容:

 10月7日の第9回新計画策定会議の終了後、木元教子原子力委員と事務方の数名、傍聴者数名でパブリックコメントについて話し合いが持たれました。「核燃料サイクル政策について何らかの結論を出す前にパブリックコメントを」という傍聴者の要望に対し、原子力委員会側のご説明は「パブリックコメントだと、案ができてからしか実施できない。意見は随時受け付けている」というものでした。そこで、「随時受け付けている」という積極的な広報をお願いするとともに、私自身も広報にご協力する意味で意見を出すこととしました。
 というわけで、以下の意見を申し述べさせていただきます。

  1. 第9回策定会議資料第1号「経済性について」に関して
    1. すでに何度か各委員の意見が表明されながら決着のついていない政策変更コストの扱いについては、シナリオごとのコストに加えるべきでないと考えます。経済性の評価は、総合評価の一部です。他の評価の視点と合わせて総合的に評価し、現行の政策に沿った事業シナリオが最も望ましいということになれば、そもそも政策変更コストは考慮する必要がないものだからです。
       総合的に評価した結果、現行の政策に沿ったシナリオとは別の事業シナリオが望ましいという結論が得られたとき、そこで初めて別のシナリオを選ぶ場合の政策変更コストが問題になります。この場合は、現行の政策や事業計画が誤りであった、あるいはそれらを定めた時点では無理がなかった、といった形で国や事業者の責任が問われます。それによって、コストを誰が負担するかが違ってくるのです。単純に金額がいくらかということではありません。
       ちなみに、この考え方に立てば、コスト負担を最小にするべく、いま提示されているより少額の政策変更コストが試算されると思います。
       なお、仮に百歩譲って責任やコスト負担の方法を問わない考え方に立つとしても、シナリオごとの核燃料サイクルコストと政策変更コストは、コストの性格が異なります。政策変更コストは、核燃料サイクルコストとは別の評価の視点として総合評価の判断材料とされるべきものでしょう。
    2. 「代替火力関連」の政策変更コストは吉岡委員、和気委員が監査をされていますが、監査報告が付されていないのには奇異の念を抱きます。第9回会議での口頭での意見表明では、このようなコストを試算すること自体への疑問やコスト算出の方法への批判が述べられていました。監査報告を載せないのは、結果が「不合格」となるのを避けたのだと邪推されても仕方がないような扱いだと思います。きちんと監査報告を付すべきです。
    3. 参考①として示された負担の表示については、総額も併記すべきです。また、参考②は何の意味もない表であり、削除すべきです。参考③については、総額での比較、バックエンドコストだけの比較も併記すべきですが、他方、表の作り方としては簡略化して比較しやすいものとするのがよいと思います。

  2. その他の資料に関して
     その他の資料に関しても意見なしとしませんが、「御発言メモ」中の伴委員の意見書の「シナリオ間総合評価についてのコメント」とほぼ共通するので割愛します。 気になっているのは、意見書の意見が無視されつづけているのではないかという点です。各資料の「策定会議等でこれまでにいただいたご意見」は発言されたものばかりで、意見書に述べられたものは取り上げられていないように見受けられます。意見書に述べられたものも、当然、加えられるべきです。

  3. シナリオ1「全量再処理」が望ましいとする意見表明に関して
     毎回の会議において、本来の議題と関わりなくシナリオ1の「全量再処理」が望ましいという性急な結論のみを繰り返される委員の方がいらっしゃいます。そうした委員の方々からすると、シナリオ4の「当面貯蔵」は問題の先送りであるとして不評のようです。しかし実はシナリオ1こそが実質的な問題先送りのシナリオとなっていることを見ておくべきではないでしょうか。
     現行政策の維持に基づくシナリオである「全量再処理」は、即ち「これまで通りうまくいかないシナリオ」です。硬直した一本道でありながら、うまくいかないのでずるずると先送りされています。その上、高い事業の失敗がいよいよ明らかになって軌道修正しようとしても、硬直した政策のために準備ができていないことになるのです。シナリオ1こそ「最悪のシナリオ」と言ってよいでしょう。
     しかし、ここで「問題先送りのシナリオ」と呼ぶのは、単に現実に先送りされているという理由からではありません。吉岡委員が再三指摘されているように、このシナリオは事業シナリオです。委員の方々は「望ましい」とか「期待する」と言うことはできますが、自ら事業主体として実行できるわけではないのです。
     シナリオ1が仮に望ましいとしても、肝心の事業の成立性について、その前提となる「国策民営」の見直しの具体化等をふくめて、議論されるべき問題がいくつもあります。シナリオ1を望ましいとするためには、それらの問題についてきちんと議論し結論を出す必要があるのです。(勝俣委員ですら、「シナリオ1がよいということは第二再処理工場を建設するということか」と渡辺委員に問われて返答ができませんでした)
     「現行通りで何の問題もない」としてシナリオ1の優位性を主張することは、けっきょく問題を先送りすることです。しかもたちまち問題は顕在化して、上に見たような「最悪のシナリオ」が現実のものとなる蓋然性がきわめて高いのです。
     同じことは、シナリオ2の「部分再処理」についても言えます。「ここまでできているのだから」と安易に六ヶ所再処理工場の運転に入ろうとすれば、問題先送りのツケはすぐにもまわってくることが予想されます。

  4. どのシナリオも「望ましくない」ということに関して
     誤解のないように付言すれば、私は何もシナリオ1や2だけが悪いと言っているわけではありません。
     「経済性について」では直接処分のもつ不確実性を「留意点」としてことさらに説明していますが、今回の総合評価の前提である発電電力量と使用済燃料発生量の設定こそ最も不確実だということに留意すべきでしょう。伴委員がたびたび指摘してきたように、いずれにせよこのような発電電力量維持=使用済燃料増大等を前提とする限り大きな困難を抱えることが、今回のシナリオ評価からいっそう鮮明になったと言えます。
     脱原発に向けた政策転換を真剣に検討すべきではないでしょうか。