それからもう一つ。ここで参考資料の17ページを見ますと、地層処分をするという話しについて、この地下水の問題をどのように位置づけているのかが非常に疑問なところがあります。地下水に漏れ出さないように緩衝材などを使って移行を抑制します、というような形でバリアにすると言いながら、天然バリアのところでは地下水が放射性物質を分散・希釈します、というように、まだ地下水自体がバリアなんだというような表現も見受けられて、これは地層処分というものについて、地下水はどのような位置づけになっているのか、どうも疑問だ、というところがあります。地層処分というものは、今までもすでに30年以上も前から検討がなされていて、しかしながら現実にまだ技術的に確立されていないというところがあります。そういうような状況を見ますと、今後研究開発がなされる、ということではありますけれども、地層処分を絶対的な前提としていくということになると、科学的根拠が不十分なままの、見切り発車というものが行われてしまうのではないかという心配があります。
それからもう一つ。その立地の選定にいたしましても、科学的にここが妥当だということではなくして、社会的、経済的要因で立地が選定されていくという危惧を私自身は持っております。そういう意味では、私自身は地層処分というものをその絶対的な前提にするのではなくして、むしろゴミをゴミに蓋をして見えなくするということではなくして、ゴミと向き合うという覚悟を皆さんが、我々が、持っていく必要があるんじゃないかというふうに思います。その上で地層処分の研究をしていって、仮にそれが技術的に大丈夫だというふうになった時には、それは本当にめっけものだったというような考えでやっていかなければいけない。自分達が本当にゴミに向き合って、今後1,000年、1,500年と生きていくんだっていう覚悟なしに地層処分ということを考えていくのであれば、それは世代への倫理の話しではなくて、むしろ自分自身がそういったものから逃れたいというような、いわば逃げの論理にしか使われないんじゃないか、というふうに思っております。私の意見は以上です。
(木元)
ありがとうございました。向き合うという意味ですけれども、具体的に私達がそこにそういうものがあるんだぞ、ということを認識し続けるということですか?報告書の中には、埋めてしまってそれでいいよ、というのではなくて、あくまでもそこは私達が関知していかなきゃいけない、というようなニュアンスは書かれているような気はするんですが、「向き合う」の具体的な意味とは?
(松澤)
ですから、地層処分を絶対化しないということです。むしろ、最初に私達がともかく全部管理をしなければいけないんだということをまず覚悟をした上で、地層処分ができればめっけもの、という考え方でやっていかないと、地層処分というものを最初から目的にして今後進められていくと、実際にエネルギー政策をどのようにするのかとかいう時に、結局地層処分があるからどんどん原子力を進めていいんだ、という形でもって使われかねない。そういう形で、いわば倫理に真正面から向き合うんじゃなくて逃げをもって、要するに、逃げるために地層処分をするんだ、それがあるんだというようなふうに、地層処分というものを絶対的前提にするっていうことが間違いではないか、そういうのが私の考えです。
(木元)
分かりました。地層処分だけが絶対であるという考えではいけないと。そして、その地層処分があるから原子力行政をどんどん進めると、そういう考えではいけないと。そういうご意見ととってよろしいですね。
(松澤)
はい、そうですね。
(木元)
それから、もう一つ先ほど私がさっきご紹介した報告書案ではなくて、参考資料の案の方の17ページ。高レベル放射性廃棄物は何重ものバリアで保護されています、ということをご指摘いただいたのですが、今おっしゃったことを私も理解できない部分もありますので、小島先生、今、ご質問というか、ご指摘があった部分、ちょっとご説明いただけますか?地下水の件。バリアで保護されているし、吸収するというか、吸着するということが書いてあるという、そこの整理。これは、本当は後半にやってもいいんですけれども、疑問はその時にはっきりさせておかないと物事が分からなくなるので、今、お答えというか、ご説明いただいた方が納得できると思いますので、お願いさせていただきました。
(小島)
では、簡単に日本の地下水ということに対して多少誤解があると思いますので、現実はこんなもんだという話しをちょっとさせてもらって、もしご議論があれば後半にまたもっていただきたいということです。2、3枚の絵をご覧にいれます。まず、日本では地下水が動かないところがない、水が非常に多い、ということについてですが、これは、日本とスウェーデンの岩を同じような状況で写真を比べたものです。北欧の岩の方が、地下水の浸み込み方についての問題があるのです。いうなれば、上にスポンジみたいな水を吸収する土壌や地層がないから早く下に落ちてしまいます。日本の場合には、吸収する余地があります。これには、いろんな問題がありますが、認識としてこういう違いを知っておいて下さい。その次は、日本とスウェーデンの花崗岩です。スウェーデンにも日本にも、もちろん、もっといい石切り場で石を取るような岩もあります。一番どこが見てもらいたいかと言うと、スウェーデンにも悪いところがあるということです。
(木元)
先生、ポインターを使っていただけますか?
(小島)
スウェーデンでも割れ目が多い岩があることです。それから日本でも、このように割れ目が多くてくちゃくちゃしています。ここで、一番違うのは、スウェーデンの割れ目はそこに何も中に入っていないので水が通りやすいんです。日本の場合では、割れ目そのものは一般に温泉水等々で変質され、そこに粘土が入ってます。まずここに大きな違いがあります。日本がいいとは言いません。確かに、日本の方が割れ目が多くて問題もありますが、スウェーデンの普通のところと日本のいいところを比べると、感覚で見ていただければいいですが、割れ目とか、これ地下数百mのところですが、そんなに変わらない場所もあります。日本と北欧の地域でいろいろ違いがあるけど、日本が地下水が多い、スウェーデンは少ないという問題とは別で、それぞれに悩みがある、ということを理解していただきたい。スウェーデンの場合には、割れ目があって粘土が入っていないから水が通ってしまうんです。ですから、こういう割れ目があるところは、遠くまで水がすーっと通ってしまうんですね。そこにスウェーデンとしての悩みがあります。それから日本の場合には、すーっと行かないで、むしろ、核種などだと吸着してくれるからいいんですが、これが大きな断層になりますと、断層沿いにはやはり割れ目があって水が通るなどの問題もあって、日本はどこを掘っても水が多いとか、そういう話しになってます。地層処分の場所でどういうふうにこの岩を使うかというのは、それぞれの特徴を活かした使い方があるんだということです。ご質問があれば詳しい話しはまた後でしますが、こういうことを認識していただいた上で、日本も地下水に対して必ずしも水が多くてダメだ、それからスウェーデンは水が少ないからよいという問題じゃなくて、逆にスウェーデンにもどうしようもないところもあって苦労している。日本には幸い、花崗岩の他にもう一つ堆積岩もあるわけですね。その両方を我々は研究しておりますが、堆積岩というのは割れ目がないですから、普通の粒が集まったような形で、粒が細かい泥岩などは、むしろ水が動きにくい、そういうことも勘案しながら、日本でこれからどういうところに処分場を設けられるかというのを考えていくということです。つまり、それぞれの国の特質がそれぞれあるんだということです。それを理解した上で、あの国でこれをやっているからこっちの国でできる、いや向こうと全然違うからできない、というこういう話しじゃない、というところぐらいをちょっと認識していただくために、一つの事例としてお話しさせてもらいました。
(木元)
ありがとうございました。また後でご質問があれば、小島先生にご説明いただきます。私もスウェーデンに見学に行きましたが、スウェーデンも結構水がたまっているんですよね。それも飲めるというので飲んできました。まさにミネラルウォーターでした。さっき申し上げたように、釜石では仙人水という水を売っていますが結構高い。
それではお待たせいたしました、三善さん。よろしくお願いいたします。
(三善)
新潟県からまいりました。新潟県消費者協会におります三善と申します。私は、より豊かな暮らしを求めて活動をしております消費者団体の事務局で、消費者への情報提供、消費者の意見を業界や行政へ伝えていくという仕事をしております。暮らしに関わる全ての問題がテーマとなっています。電気、エネルギーにつきましても、私達の現在の暮らしは、電気やエネルギーなしで生活することはできないわけですので、暮らしを支える、最も基本的な根底に位置する問題であるというふうに捉えております。原子力委員会で、高レベル放射性廃棄物処分について、広く国民の意見を聞き、理解を得ながら進めようとしていることを大変嬉しく思っております。そして、これに応えられるように、私達消費者自身が勉強をして、自分の問題として議論に参加できるようにしていかなければいけない、ということを感じております。そのためには、情報が必要になるわけですけれども、この情報につきましては、『高レベル放射性廃棄物処分に向けての基本的な考え方案』の中に、あらゆる角度から検討がなされておりまして、私が思いつくようなことはほとんど載っておりましたので、申し上げることがないようなんですけれども、あえて申し上げるとすると、まず、専門家の方々が考える関心、興味のあり方と、一般の我々素人が考える関心の持ち方、興味の持ち方、不安の持ち方というのは違う場合が多いということですね。それから、廃棄物処理というのはデメリット表示になると思うんですけれども、消費者に分かりにくい問題ほどデメリットの情報というものを一緒に流していただくことによって、おざなりな説明でないと感じ、消費者は信頼感を持つということがございます。それからもう一つは、エネルギーとか電気というのは、私達が生活する上で、いろいろな商品、サービスを使うわけですけれども、その中で特殊な面を持っているということです。まず一つは、目に見えないということで、実感として捉えにくいところがございます。それからもう一つは、選択の権利がないということです。そして、特別な震災のような場合を除きまして、常に安定供給されているということです。選ぶ権利がなく常に安定供給されて問題がないということは、消費者が自ら進んで情報を手に入れたり、勉強する必要性というものをあまり感じません。自分の問題として勉強したり、あるいは情報を得たりという意識が育ちにくいということが言えると思います。そして、情報提供するにあたっては、専門家の方にとっては常識と思えることも、私達素人には常識でない、非常に難しい面というのもあるわけですので、私達消費者レベルの視点と立場で、チェックしてから与えていただくということが大切になると思います。そして、今日のような参加型の会をいろいろなところで、いろいろな角度から、いろいろな人を巻き込んでやっていただく。例えば関心のある消費者、地域のリーダー層の消費者を巻き込んでやっていただきますと、必要に迫られて勉強することになります。そして、地域に戻ってそのことを地域の他の消費者に伝えていくということで、より効果的に情報が伝わっていくということがあるかと思います。また、百聞は一見にしかず、という言葉がございますが、先ほどモニターの方が、関係施設を見に行って、質問したけれども的を得た回答が得られないということもあったようですけれども、私は、やはり関係施設を見せていただいて、その場で説明をしていただくということが、分かりやすく、効果的であろうというふうに思います。
それから今度は、いただきました資料から、今問題になっております廃棄物の処分について、いただいた資料を完全に理解できたとはとても言えませんが、私の理解できた範囲で意見を申し上げさせていただきたいと思います。まず、私達が快適で便利な生活をすることによって、発生したわけですので、この処分については私達の責任として考え、その費用を負担しなければいけないのではないかというふうに考えます。そして、その費用の負担の方法ですけれども、先ほどから出ておりますように、電気料金に加算するという方法がよいのではないかと思います。また、処分地の問題なんですけれども、私はつい最近、新潟県の出雲崎で建設しております、産業廃棄物の処分場の建設現場を見せてもらう機会がございました。148億円という膨大な予算と、それから、確か5年くらいかかると思いましたが、長い年月をかけて、今建設をしております。もはや、この高レベル廃棄物に限らず、産業廃棄物、一般廃棄物にしましても、長い年月と大きなお金をかけて、危険なものが出ないようにきちんと安全な処理をして行かなければならない段階になって来ていると思います。そして、住民投票したらどこでも否定されるようなこういった問題は、社会的に必要だけれども、私達にはどちらかと言うと身近に持って来てもらいたくない、いわゆる社会的なリスクのようなものの一つではないかと思います。私達の生活は地球規模で影響し合い、日本の社会全体で支え合って成り立っているわけですから、もし私達の地域にこういったものを、条件があって立地する白羽の矢が立った時に、どういうふうに地域の中で取り入れていくのか。地域の生き方として、どういう形で取り込んでいくのかということは、これから一人一人がきちんと考えていかなければならないようなところに来ているのではないかなあと思います。そして、一つ一つで考えるんではなくって、いろいろある地域が担う役割の問題の一つとして、考えることが良いのではないかと思っております。そして、引き受けたくれた地域に対して感謝の気持ちを忘れないことが社会ルールの最も大切なことの一つにならなければいけないように、弘前の芦野さんと柏崎の内藤さんのお話しを聞いて思いました。
(木元)