原子力損害賠償制度検討会報告書

 

平成14年3月

 



目次

原子力損害賠償制度検討会委員

1.はじめに−報告書の目的

2.国際的原子力損害賠償諸制度の沿革及び概要

3.アジア地域の原子力事情

4.わが国を含めたアジア地域原子力損害賠償制度の必要性
(1)制度構築のニーズ
(2)制度構築のための措置

5.条約と国内法との関係
(1)ウィーン条約改正議定書との関係
 1) 原子力損害の定義
 2) 免責事項
 3) 少額賠償措置
 4) 裁判管轄、単一法廷
 5) 除斥期間
 6) 賠償責任限度との関係について

(2)補完的補償条約との関係
 1) 補完基金

 2) その他

(3)まとめ


担当原子力委員会委員

 遠藤 哲也   原子力委員会委員長代理
 森嶌 昭夫   原子力委員会委員


原子力損害賠償制度検討会委員

 谷川  久  成蹊大学名誉教授(座長)
 大西 一之   日本原子力保険プール理事・事務局長
 下山 俊次   日本原子力発電株式会社顧問
 道垣内正人   東京大学大学院法学政治学研究科教授
 中所 克博   弁護士
 能見 善久   東京大学大学院法学政治学研究科教授
 廣部 和也   成蹊大学法学部教授
 藤田 友敬   東京大学大学院法学政治学研究科助教授
 武藤 栄   電気事業連合会原子力部長
 若林 利男   核燃料サイクル開発機構国際・核物質管理部長


1.はじめに−報告書の目的

 本報告書は、株式会社三菱総合研究所が原子力委員会からの委託を受け実施した「原子力損害賠償制度に関する調査」の成果をとりまとめたものである。
 
 近年、アジア地域では原子力開発利用が活発に進行し、日本、韓国、中国、台湾の4つの国と地域では、発電用原子炉が総計93基稼動し、20基が建設中である。また、北朝鮮も発電用原子炉2基の建設が始まったところである。他方、原子力開発利用推進のためには、万が一の原子力事故に備えて原子力損害賠償制度の整備が重要である。
原子力損害賠償制度は被害者の救済措置であると同時に原子力施設の運転等を行う原子力事業者に責任を集中させ第三者補償を明らかにすることによって、原子力事業を健全に発展させるためのものである。特に原子力事故は国境を超えて被害が広がる可能性があり、原子力損害賠償制度は国内の制度と同時に、越境損害に備えるために国際的な枠組み整備が必要となる側面もある。
 このような状況を踏まえ、今回の調査では、過去に原子力委員会において行われてきた損害賠償制度に関する調査結果の整理とまとめを行い、論点を整理・検討し、我が国が原子力損害賠償に関する国際的な枠組みに加盟することの是非について結論を取りまとめた。
 
 最後に、本検討にご協力いただき、貴重なご意見を賜った多数の関係者の皆様方に深く感謝の意を表すとともに、当成果が今後の条約締結に関する様々な検討に役立つことを願う次第である。

平成14年3月

株式会社 三菱総合研究所


2.国際的原子力損害賠償諸制度の沿革及び概要

(1)歴史的背景
国際的な原子力損害賠償制度は、各国の国内法とほぼ同時に整備されてきた。原子力損害賠償制度の確立に取り組む先進諸国は、越境損害の問題に対応するためには共通の国際的枠組みが必要であると考え、国際条約の整備についても原子力開発の初期の段階から着手した。この結果、1960年には経済協力開発機構(OECD)により、原子力の分野における第三者に対する責任に関する条約(以下「パリ条約」という。)が採択され、(発効は1968年)、1963年には国際原子力機関(IAEA)の下で、原子力損害の民事責任に関するウィーン条約(以下「ウィーン条約」という。)が採択された(発効は1977年)。
ところが、1986年に発生した旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所における事故は、国際的な原子力損害賠償制度のあり方について大きな問題を投げかけた。チェルノブイリの事故の際、旧ソ連政府は、越境損害に対する損害賠償を規定している国際条約に加盟していないことを理由に、国外で発生した損害に対しては、何らの賠償をも行わなかった(国内では2000年までに2,000億ルーブル以上を支払ったとされる。)。すなわち、それまで30数年をかけて整備されてきた国際的な原子力損害賠償制度は、チェルノブイリ事故に対して機能し得なかったのである。
このような事情の下、IAEAを中心として、損害賠償措置額の増額、条約締結国の拡大の必要性等について、活発な検討が開始された。その結果、パリ条約とウィーン条約との連携により被害者救済措置の地理的範囲の拡大を図ることを目的としたウィーン条約及びパリ条約の適用に関する共同議定書(ジョイント・プロトコール)がIAEAとOECDの原子力機関(NEA)との共同作業により1988年に作成され、また1997年にはウィーン条約の改正議定書及び原子力損害の補完的補償に関する条約(以下「補完的補償条約」という。)がIAEAにおいて採択された。

(2)現状の概観
パリ条約は、原子力開発を含めて、一定水準以上の国力を有するOECD加盟国をそもそもの締結国として想定したものである。そのため、損害賠償責任金額について一定範囲内の金額を確保することを締結国に求めるなど、水準の高い制度の構築を追求している。また、パリ条約を補足するブラッセル条約においては、損害賠償責任金額を大幅に引き上げるとともに、締結国間の相互扶助による賠償措置も取り入れている。これに対して、ウィーン条約は国連に加盟している世界のすべての国が締結できるように、締結国に求められる要件がパリ条約の場合に比べて緩やかなものとされている。例えば、損害賠償措置の義務について、その金額等については締結国が国内法の規定に基づき、一定範囲の中で任意に定めることを認められている。
パリ条約は、OECD加盟国のうち15ヵ国が締結している。これらの15ヵ国はすべてヨーロッパ大陸の諸国であるので、OECD加盟国の条約であるとはいえ、現在のところ、パリ条約は結果的にはヨーロッパ諸国の条約となっている。また、ウィーン条約は32ヵ国が締結しており、その締結国はアジア諸国から東欧、中南米諸国まで、パリ条約に比して地理的に大きな拡がりを見せている。
なお、世界の主要な原子力開発国のうち、英国、フランス、ドイツおよびスウェーデンはパリ条約に加盟しているが、米国、日本、カナダ、ロシア等はいずれの条約も締結していない。このため、原子力損害賠償に関する諸条約の下に置かれている原子力施設は、世界の原子力施設の範囲という観点からみると、限られたものとなっており、両条約ともにその適用範囲において普遍性を有しているとはいい難い状況である。

3.アジア地域の原子力事情
(1)アジア地域における原子力開発の状況

 アジア地域においては、近年の急速なエネルギー需要の拡大傾向を受け、原子力開発が積極的に進められている。
 日本原子力産業会議の「世界の原子力発電開発の動向」(2000年12月31日現在)によれば、2000年末現在、世界で運転中の原子力発電所は430基、建設中は43基、計画中は41基となっている。
 2000年に新たに営業運転を開始した原子力発電所は、インドのカイガ1、2号機(加圧重水炉:PWR、各22万kW)とラジャスタン3、4号機(同)、フランスのショーB1、2号機(加圧水型軽水炉:PWR、各151万6000kW)、スロバキアのモホフチェ2号機(ロシア型PWR=VVER、44万kW)、パキスタンのチャシュマ(PWR、32万5000kW)の、4か国計8基で、このうち5基がアジアに存在している。
 また、2000年に新たに着工した5基は、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO:Korean Peninsula Energy Development Organization)が北朝鮮で建設を進めている韓国標準型炉2基(PWR、各100万kW)、インドのタラプール3、4号機(PHWR、各50万kW)、中国の田湾2号機(PWR、106万kW)と、すべてアジアである。中国の田湾2号機は、前年の同1号機に続く着工で、これにより第9次5か年計画(1996年〜2000年)で予定されていた4サイト計8基のすべてが着手されたことになる。
 さらに、アジアで新たに計画入りしたのは、韓国の新古里1、2号機(PWR、各100万kW)と新月城1、2号機(同)、日本の島根3号機(ABWR、137万3000kW)と泊3号機(PWR、91万2000kW)の6基である。このように、アジア地域の原子力発電開発が順調に進んでいる。
 以下には、アジア地域の原子力発電所の状況を示す。

アジアの原子力発電所の運転経験(原子炉・年)
炉型別の原子力発電所設備容量(運転中)
炉型別の原子力発電設備容量(計画中)
アジア諸国の原子力発電所
アジア 地図
アジア地域における原子力損害賠償制度の状況

4.わが国を含めたアジア地域原子力損害賠償制度の必要性
(1)制度構築のニーズ
  原子力損害は、人身および財産に与える影響が甚大であることが予想されるとともに、その性質上、損害原因の特定および結果の予測が非常に困難である、という特殊性を有している。
 こうした特殊性を有する原子力損害の賠償処理を、従来の過失責任ルールの下で行おうとするならば、被害者は、非常に困難な加害者の特定及び過失の立証に直面することとなり、被害者の救済は実際問題として非常に困難となる。また、仮にこの問題が解決されたとしても、加害者である事業者に賠償資力が備わっていなければ、被害者の救済は画餅に帰すこととなる。
 したがって、被害者救済を迅速かつ十分に行うためには、まず第一に、1)無過失責任制度、2)原子力事業者への責任集中、3)この責任の履行を担保するための損害賠償措置の事業者への強制、を柱とする、原子力損害賠償制度を確立することが必要不可欠であるといえる。
 そして、原子力事故が越境損害に結びつく可能性があることを勘案するならば、原子力施設を有する国のみならずその周辺の国々においても、原子力損害賠償に関する適切な法制度が整備されることが重要である。このとき、大規模かつ複雑な賠償処理において、国家間での賠償の公平性が担保されるようにするために、その制度内容は国際的・地域的に統一されたものとすることが望ましい。
 このような原子力損害賠償に関する法制度を国際的に統一化しようとするものが、ウィーン条約及びパリ条約に代表される原子力損害賠償に関する国際条約である。現在、世界の中で原子力発電が盛んな地域のうち、西欧諸国の多くはパリ条約に、東欧諸国の多くはウィーン条約にそれぞれ加盟している。
 しかしながら、原子力発電が盛んであり、かつ多くの国が国境を接するような地域であるにもかかわらず、アジア地域においては原子力損害賠償に関する国際条約の枠組みがない。
 原子力越境損害発生時における国際的な原子力損害賠償制度の枠組みの欠如は、具体的には次のような形で、被害者の救済を阻害する。すなわち、1)どの国が裁判を行うか、という裁判管轄権の所在が明確ではないこと、2)どの国の法律が準拠法とされるかについて、実際に裁判手続が開始されるまで予見することが困難であること、3)損害発生国に原子力損害賠償制度が整備されていない場合には、従来の過失責任ルールが適用される可能性があること、等である。また、このことは同時に、加害者である事業者の賠償リスクを予測不能なものとする。
 それに対して、国際的な原子力損害賠償制度が確立されている場合には、1)事業者の無過失責任、2)原子力事業者に対する損害賠償責任の集中、3)裁判管轄国と準拠法の特定(原則事故発生地国)が担保されるため、上のような問題が回避される可能性が高い。
 加えて、原子力損害賠償に関する国際条約の下では、原子力事故が発生した場合に、賠償責任が原子力事業者に集中され、プラント機器の供給者は包括的に免責されるため、国際的な原子力産業の健全な発展にも寄与しうるとの利点もある。
 上に指摘した、事業者に対する責任集中制度の採用も含め、国際条約確立を通じた、国際間の損害賠償処理に係る不確実性の除去は、国際的な原子力開発・投資に関する各者間の協力・取引を促進することに繋がる。そして、こうした協力・取引の活性化は、国際協調の下での原子力産業の健全な発展の基盤を提供するのは勿論のこと、各事業者・プラント機器供給者相互間のチェックを可能とし、原子力開発利用における安全性向上に大きく寄与することにも繋がる。
 これらを総合的に勘案すると、アジア地域において国際条約の下に原子力損害賠償に関する国際的な枠組みを構築することは、特に原子力の平和利用に向けた今後のアジア諸国における展開を考慮に入れれば、喫緊の課題であると考えられる。

(2)制度構築のための措置
 パリ条約の締約国は地理的に離れているとともに、ウィーン条約の締約国は極めて少なかった。また、これら条約の賠償措置額の上限が低いという問題があり(パリ条約:1,500万特別引出権(SDR)、ウィーン条約:500万米ドル)、パリ条約及びウィーン条約は有限責任制度を前提としている等、国内法との整合性の問題があったとの理由から、我が国は、これまで原子力損害賠償に関する国際条約を締結してこなかった。
 しかしながら、近年に至り原子力損害賠償を巡る国際環境は急速に変化しつつある。具体的には、まず、東欧諸国を中心に多くの国がウィーン条約を締結するようになり、また原子力発電を行っていない国の間で、原子力損害賠償に関する条約について強い関心を持つ国が増えてきているという点である。また、米国、韓国といった原子力施設国であるがパリ条約、ウィーン条約ともに未締結である諸国の間で、原子力損害賠償関連条約の締結に向けた機運が高まりつつあると見られることも、注目すべき大きな変化の一つであるといえよう。
 こうした状況の変化に今後アジア地域(中国、韓国等)における原子力開発利用の著しい進展の見通し(KEDOを通じた北朝鮮への軽水炉の供与を含む)を加味すると、我が国として原子力損害賠償関連条約を締結する必要性が高まっているということができる。平成10年12月の原子力委員会原子力損害賠償制度専門部会報告書において、「健全な原子力開発利用の推進と万一の原子力事故による被害者の迅速かつ確実な救済のためには、我が国を含めた近隣諸国が、条約の締結等により原子力損害賠償制度にかかる国際的枠組みへの参加及び我が国周辺地域における枠組みの構築を検討していくことが望ましい。」と述べられているのは、このような背景を踏まえたものであると考えられる。
 特に、他のアジア諸国の条約締結へのインセンティブを高め、原子力賠償の枠組みのアジア地域全体への拡大に繋げていくためにも、我が国が他のアジア諸国に先んじて原子力賠償に関する枠組みの構築に向けたイニシアティブを示すことが非常に重要である。
 以上を踏まえ、我が国として原子力損害賠償に関する国際条約の締結を検討する場合には、当面は、次の理由から、ウィーン条約改正議定書を中心に、補完的補償条約の締結を含めた締結可能性を検討することが適当と考えられる。
 第一の理由は、無限責任制度を有する我が国としては、従来の有限責任制度を前提とする条約(パリ条約およびブラッセル補足条約並びにウィーン条約)については、締約にあたっての制度的阻害要因が現時点では大きいと考えられるが、ウィーン条約改正議定書及び補完的補償条約においては、無限責任制度を有する国であっても法的整合性の面で特段の問題が無いように改められ、また、賠償措置額も大幅に改善された、という点である。
 第二の理由は、ウィーン条約改正議定書については、国際的に開かれた形で採択された条約であるためアジア諸国の関心も高く、今後アジア地域への拡がりを期待できる、という点である。これに対して、パリ条約(及びブラッセル補足条約)はOECD諸国をその締約国として想定しており、今後アジア諸国等の途上国にその枠組みが拡がる可能性は極めて低いと予想される。
 第三の理由として、補完的補償条約については、原子力事業者による損害賠償の枠組みを締約国全体で補完するものであり、被害者救済の確保や信頼性の向上等の観点から利点があると考えられる点が指摘される。特に、ウィーン条約改正議定書が発効の日から最長15年間は賠償措置額を1億SDRを下回らない額に設定することを許容しているほか、補完的補償条約も署名開放の日から10年間については1億5千万SDRの賠償措置額とすることを許容しているが、このような場合でも、補完的補償条約では、さらに、最大約3億4千4百万SDRの補完基金を通じて、一層手厚い被害者の保護が図られることとなる。

5.条約と国内法との関係
 我が国が原子力損害賠償に関する条約の締結の妥当性を判断するに当たっては、国内法(原子力損害の賠償に関する法律(以下「原賠法」という。)等)との関係を整理し、国内法との関係で条約の締結が妥当か、また、締結するとすれば国内法についてどのような改正等が必要と見込まれるかについて、見極めをつける必要がある。
本報告では、その具体的な法的論点として、以下の事項について検討を行った。
 検討に当たっては、現行制度における被害者救済に関する水準の維持・向上、条約の基本的考え方(円滑な被害者救済の観点からの原子力事業者への原子力損害の賠償に関する無過失の責任集中、十分な賠償措置の事前確保、裁判管轄や適用法規の斉一化等)の尊重、原子力産業の健全な発展に資することを基本的視点としつつ、イ)条約締結に当たり法令改正等の制度整備が必ず必要となる事項、ロ)条約締結に当たり、また、イ)の制度整備と併せて、法律的、政策的観点から更なる検討が必要な事項(必要に応じて法令改正することを含む。)の抽出・整理を行った。

 (1) ウィーン条約改正議定書との関係
 1) 原子力損害の定義

 原賠法において、「原子力損害」については、
イ)核燃料物質の原子核分裂の過程の作用
ロ)核燃料物質等の放射線の作用
ハ)核燃料物質等の毒性的作用
により生じた損害
と定義されている(第2条第2項)。このように、原賠法では、損害の種類によって賠償の対象になるか否かを類型的に掲げておらず、放射線の作用等により生じた損害であれば、損害の種類を問わず、賠償の対象となる。
 ただし、ここで「作用により生じた」とは、「作用」と「損害」との間で相当因果関係を要求するものと解されることが通説であり、これにより、個別事例ごとに賠償の対象と範囲が画定されることとなる。
 一方、ウィーン条約改正議定書では、第1条(k)、(m)、(n)、(o)において、基本的には原子力施設内の放射線源等から放出される放射線との間に因果関係が必要であることは原賠法と同様であるものの、原子力損害の内容を種類毎に明示的に規定するという方式がとられており、原賠法における規定振りとは異なっている。したがって、我が国が同議定書を締結する場合には、原賠法における「原子力損害」の定義と同議定書の定義との関係についての整理が必要であり、検討を行った。
 まず、ウィーン条約改正議定書の定義のうち、「死亡又は身体の障害」及び「財産の滅失又は毀損」は原賠法の定義から除外されているものではなく、類型的には原子力損害として我が国においても当然認められるものである。 また、「死亡又は身体の障害」及び「財産の滅失又は毀損」以外の損害項目については、「管轄裁判所の法の決する限りにおいて」原子力損害に該当すると規定されており、「死亡又は身体の障害」及び「財産の滅失又は毀損」以外の損害項目に関しては、我が国不法行為法の判例準則(相当因果関係論)によって原子力損害の対象とすることが十分可能である。
 したがって、これらを勘案するならば、我が国がウィーン条約改正議定書を締結する場合には、定義規定を改正せずとも同議定書の締結は可能である。
 一方、ウィーン条約改正議定書において、原子力損害の定義が、ウィーン条約に比べ、より一層明確化・具体化された経緯にかんがみれば、その趣旨は、被害者救済の実効性を高めるとともに、締結国間での法の適用をなるべく統一し、被害者の公平な救済を確保しようとする意図の現れであると考えられる。また、定義の具体化は、裁判所等における法の適用に簡明な基準を与えることとなり、当該国における確実かつ円滑な被害者救済にも資するとも考えられる。
 このような観点に立てば、原子力委員会原子力損害賠償制度専門部会報告書における指摘をも踏まえ、ウィーン条約改正議定書における定義に合わせて原賠法の定義を改正し、「原子力損害」の定義の具体化を図ることの得失について、更に検討を行うことも意義あるものと考えられる。そのような検討に当たっては、例えば、以下の観点を考慮することが必要と考えられる。
  • 「防止措置費用」に関して、ウィーン条約改正議定書の定義によれば、実際には生じなかった場合であっても、原子力損害を引き起こす重大かつ明白なおそれがある出来事について執られた合理的措置であって、法律によって要求される権限ある当局により承認されたものについては、原子力損害に含まれることとなる。しかしながら、このような損害が原賠法に規定する原子力損害に含まれるか否かについては、必ずしも明確ではない。
  • 「回復措置費用」及び「防止措置費用」に関して、ウィーン条約改正議定書の定義によれば、国の権限ある当局によって承認された措置であり、かつ、同議定書に規定する基準を満たす「合理的措置」である場合に限って原子力損害に含まれるという制約がかかっている。しかしながら、原賠法においては、相当因果関係以外の制約はかかっておらず、両者の範囲が必ずしも同じになるとは限らないのではないか。
  • ウィーン条約改正議定書等の締結国における国内法の現状はどうか。
  • ウィーン条約改正議定書における損害の定義は、我が国の他法令における損害の定義、考え方(損害の種類について法律で個別具体的に限定列挙している例はほとんどない。)等との整合性の観点から妥当かどうか。
  • 原賠法の定義を改正し、「原子力損害」の定義を個別列挙することによって、救済できなくなる損害が生じる可能性がないかどうか。

 2) 免責事項
 原賠法においては、「異常に巨大な天災地変」又は「社会的動乱」による原子力損害について、原子力事業者は免責とされている。
 一方、ウィーン条約改正議定書においては、「武力紛争行為、敵対行為、内戦又は反乱」に直接起因する原子力損害について、運転者は免責とされている。したがって、我が国がウィーン条約改正議定書を締結する場合には、少なくとも「異常に巨大な天災地変」による原子力損害の扱いについて、何らかの調整を行う必要がある。
 条約を締結するに当たっては、原則として、条約の規定に過不足なく対応できるよう措置する必要があることから、ウィーン条約改正議定書締結についての対応策としては、「異常に巨大な天災地変」による原子力損害を、原賠法の免責に関する規定から削除することが必要になるものと考えられる。
 この対応をとる場合、従来、免責となっていた事項についてのリスクは、責任集中されている原子力事業者が負うこととなる。しかしながら、この点については、原子力事業者は、その結果、何らかの追加的負担が生じることに強く反対している。従って、その主張に従えば、原子力事業者に追加的な負担が生じないような仕組みが可能であるか否かを検討することが必要となる。
 また、原賠法に規定する「社会的動乱」とウィーン条約改正議定書に規定する「武力紛争行為、敵対行為、内戦又は反乱」との整合性について検討しておく必要がある。

 3)少額賠償措置
 原賠法では、同法第7条の規定に基づき、原子力損害の賠償に関する法律施行令(以下「原賠法施行令」という。)において、原子炉の運転等の種類に応じ、法定措置額(600億円)より少額(120億円又は20億円)の賠償措置(以下「少額賠償措置」という。)が規定されている(原賠法施行令第2条)。
 一方、ウィーン条約改正議定書においては、無限責任の場合には、
イ)施設国は、原則として、3億SDR(約487億円)を下回らない賠償措置額を設定できること、
ロ)ただし、原子力施設の性質等に鑑み、施設国は賠償措置額を3億SDRより少ない額を設定することもできるが、その額は5百万SDR(約8.1億円)を下回ってはならないこと、
ハ)ロのケースに関して設定した賠償措置額を上回る損害賠償責任が発生した場合には、施設国がイで設定した額まで資金を提供することにより支払いを確保しなければならないこと、
が規定されている。このため、我が国が同議定書を締結する場合には、少額賠償措置が講じられているケースにつき、その額と少なくとも3億SDRまでの損害分の差額について、何らかの資金的措置を講じる必要が生じることとなる。
 対応策の検討に当たっては、まず、現行の少額賠償措置を維持するかどうかがポイントとなる。
 少額賠償措置を維持する場合には、ウィーン条約改正議定書との関係において、3億SDRと少額賠償措置額との差額の部分について公的資金の提供を、あらかじめ施設国が確保しなければならない。
 原賠法では、賠償措置額を超える賠償責任が原子力事業者に生じた場合には、政府は、原賠法の目的を達成するため必要があると認めるときは、当該原子力事業者に対し、賠償に必要な援助を行うものとされている(第16条第1項)が、この援助はウィーン条約改正議定書上の公的資金の要件を満たしていない。
 従って、対応策としては、少額賠償措置を廃止し、賠償措置額を少なくとも3億SDRに設定することが必要であると考えられる。この場合、賠償措置額を確保する方法としては、従来と同様に民間との責任保険契約と政府との補償契約との2本立てで対応するか、又は、追加的な部分については政府との補償契約のみで対応するかの2つが考えられるが、いずれの場合も、その補償料については原子炉の運転等の種類に応じて、個別に定める等の方法により原子力事業者の追加的負担を軽減する措置を検討すべきである。

 4) 裁判管轄、単一法廷
 原賠法においては、裁判管轄に関する規定が、特に置かれていないことから、国際裁判管轄に関する判例法によれば、原子力損害賠償請求訴訟についての裁判管轄としては、被告の住所地(本拠地)国に加え、事故発生地国及び被害発生地国に認められることになる。
 一方、ウィーン条約改正議定書においては、裁判管轄について「その領域内で原子力事故が生じた締約国の裁判所のみに存する」と規定されるとともに、「自国の裁判所に裁判管轄権が存する締約国は、一の原子力事故に関して自国の裁判所のうち一の裁判所のみが裁判管轄権を有することを確保しなければならない」と規定されている。
 このため、同議定書を締結する場合には、我が国以外の締結国における原子力事故の被害が我が国に及んだ場合に当該事故発生国に裁判管轄権が特定されることに関して、問題点等の検討を行っておく必要がある。
 この場合、我が国国民は、外国で訴訟を行うこととなり、我が国において訴訟を行うことに比べ、言語の問題、旅費等の経済的負担、事故発生国と我が国との民事訴訟に関する裁判手続における法令の定めや慣習等の内容の差異等が生ずることが考えられる。
 しかしながら、同議定書締結により、
  • 同議定書に規定される原子力損害については、越境損害であっても確実に 合計3億SDRまでは賠償措置が講じられることとなることから、同議定 書を締結しない場合に比べ確実な被害者の救済が図られること、
  • 前述の被害者の訴訟に伴う負担等に関しても、同議定書に規定された被害 発生地国による代位請求や紛争処理手続により、かなりの程度、緩和され ることとなると考えられること、
等から、同議定書の締結は我が国にとり十分な利点を有していると考えられる。
 我が国が同議定書を締結する場合には、裁判管轄の一元化を実現するため、我が国が事故発生地国である場合に、裁判手続法上、一つの原子力事故による原子力損害について裁判管轄権を有する我が国の裁判所を一つに特定するための国内法上の措置を講ずる必要はある。

 5) 除斥期間
 原賠法においては、賠償請求権の除斥期間に関する規定は、特に置かれていないことから、一般法である民法第724条が適用されることとされ、「不法行為の時」より20年の除斥期間が適用される。除斥期間の起算点となる「不法行為の時」については、加害行為がなされた時であるとするのが一般的な見解であり、このため、現行法制下においては、原子力損害の原因たる加害行為の時から20年を経過すると賠償請求権が消滅することとなる。
 一方、ウィーン条約改正議定書では、除斥期間について、死亡又は身体の傷害に関しては、原子力事故の日から30年、その他の損害に関しては、原子力事故の日から10年と規定されている。
 死亡又は身体の傷害について30年という長期の除斥期間が設定されているのは、被害者保護の観点から、原子力損害の特性としての放射線被ばくによる晩発性の身体障害の存在等を踏まえたものであると考えられ、我が国においても同様の観点から原子力損害について通常の損害とは異なる除斥期間を設定することは国際的水準に照らしても妥当であると考えられる。
 このため、我が国が同議定書を締結する場合には、原賠法に除斥期間に関する特則(死亡又は身体の傷害については除斥期間を30年とする)を設ける必要があると考えられる。その際、除斥期間の起算点について、ウィーン条約改正議定書では「原子力事故」と規定されており、原賠法においても起算点の明確化が図られるよう措置する必要がある。
 他方、死亡又は身体の傷害以外の損害に関する除斥期間については、我が国においては現行では20年であるが、ウィーン条約改正議定書が原子力事故の越境損害から被害者を保護することを目的としていることから、同議定書の締結に当たって、現行の除斥期間が同議定書の要求する除斥期間(10年)を上回っている場合に、それを同議定書に定める除斥期間に合わせる特則を設けなくとも、同議定書の趣旨に反することとはならないと考えられる。仮に、同議定書の規定に合わせて、死亡又は身体の傷害以外の損害に関する除斥期間を10年とする特則を設ける場合には、国内的には現行に比べて除斥期間が短縮されるという問題が生じることとなる。

 6) 賠償責任限度との関係について
 条約は原子力事業者の賠償責任額を3億SDRを下回らない範囲で施設国が制限することを認めている。
 このため、仮に、賠償責任に関し有限責任を採用している締結国において原子力事故が発生し、我が国に被害が及んだ場合、我が国の被害者は、当該責任限度額までの救済しか受けられないが、我が国の原子力事業者が事故を起こし、賠償責任に関し有限責任を採用している締結国に被害が及んだ場合には、当該国の被害者は金額的に無制限の救済を受けることが可能となり、被害者救済の観点から国単位で見た場合、原子力事業者の賠償責任額を制限していない我が国にとって、不平等な状況が生じる場合がある。
 一方、我が国がウィーン条約改正議定書を締結する場合には、原子力事業者の賠償責任を少なくとも3億SDRとすれば十分である。
 このため、我が国がウィーン条約改正議定書を締結する場合には、諸外国における賠償責任額の動向を見極めた上で、原賠法において、我が国の領域外における原子力損害に関しては、原子力事業者の賠償責任額を制限する特則を原賠法に設けることの可能性について、他国の法令や国内の他の法令の例等を踏まえて、更に検討を行う必要があると考えられる。
 なお、ウィーン条約改正議定書では、賠償責任に関する締結国間の相互性を確保する観点から、第13条第2項において、同等額の賠償責任を認める相互性が認められない国の領域等において被った原子力損害に関して、施設国の国内法上、条約の規定とは異なる定めをすることができるとされており、領域の内外により、原子力事業者の賠償責任について異なる定めを置くことは許容されているところである。

 (2) 補完的補償条約との関係
 1) 補完基金
 補完的補償条約は、締結国に対して、当該締結国の原子力設備容量及び国連分担金割合に応じ、条約で定められた計算基準に従って、原子力損害が発生した場合の公的資金(いわゆる「補完基金」)の拠出を規定している。したがって、我が国が同条約を締結する場合には、補完基金を確保できるよう措置することが必要となる。
 この場合、我が国としては、新たな資金拠出義務を負うこととなるが、被害者の救済の確保の観点からは、可能な限り多額の損害賠償のための資金が損害発生時に支払われるように確保しておくことが望ましい。その意味において、こうした資金的措置を、締結国全体で分担、援助する補完基金の枠組み(IAEAの試算によれば、約3億4千4百万SDR(約558億円)の追加的な資金の確保が可能)に我が国が参画することは、多額の賠償資金の確保や原子力事業者による賠償負担のリスク分散等の点で意義があると考えられる。
 もっとも、我が国がこの枠組みに参加した場合には、仮に我が国が事故発生国や被害国に全くならない場合であっても、所用の拠出を行わなければならなくなり、不合理ではないか、という批判も考えられなくはない。しかしながら、万一の場合の我が国国民の被害救済の確保等のための制度的負担と考えれば、それは必要な支出であるという見方も当然成り立つと考えられる。
 また、補完基金の構築・拡充は、条約締結国の相互協力を通じた原子力損害賠償枠組みの強化であり、国際的な原子力損害賠償制度の有効性に対する各国民の信頼を大きく向上させることに寄与するとともに、世界的な原子力の健全な発展にも資するものである。その意味においても、補完基金の意義があると考えられる。実際、以上のような観点からウィーン条約改正議定書を署名又は批准している国のほとんどが同時に補完的補償条約を締結している。また、補完的補償条約は、国内制度との整合性の観点から他の原子力損害賠償に関する条約を締結していない米国も締結できる枠組みとなっており、実際、米国は同条約に署名している。このような状況の下、我が国が同条約を締結する利点があると考えられる。
 一方、我が国が同条約を締結する場合には、我が国が事故発生地国となった場合における補完基金の引出及び配分等について必要な規定の整備を行う必要がある。

 2) その他
 補完的補償条約を締結する場合の国内法との関係で整理すべき事項については、前述の補完基金に関する事項のほか、原子力損害の定義、少額賠償措置、裁判管轄、単一法廷、除斥期間、賠償責任限度との関係に関する事項が考えられるが、これらの点の検討については、基本的には(1)で行ったものと同様と考えられる。

 (3) まとめ
 以上の条約締結に関する法的論点の検討を整理すると以下のとおりとなる。
イ)条約締結に当たり法令改正等の制度整備が必ず必要となる事項
  • 「異常に巨大な天災地変」を原賠法の免責事項から削除すること。(ウィーン条約改正議定書を締結する場合のみ対応が必要。)
    少額賠償措置を廃止し、少なくとも3億SDRまでの賠償措置が可能となるよう原賠法施行令の改正を行うこと。
  • 我が国において原子力事故が発生した場合に、当該原子力事故による原子力損害について管轄権を有する裁判所を一つに特定するための規定を整備すること。
  • 死亡又は身体の障害に関する除斥期間については、原子力事故の日から30年とする特則を原賠法に規定すること。
  • 我が国が事故発生国となった場合における補完基金の引出及び配分等に関する規定を整備すること。(補完的補償条約を締結する場合のみ対応が必要。)
ロ)条約締結に当たり、また、イ)の制度整備に併せて、必要に応じて法令改正することを含め、法律的、政策的観点から更なる検討が必要な事項
  • 原賠法における原子力損害の定義について、条約の定義に合わせて類型的に記述すること。
  • 「異常に巨大な天災地変」を原賠法の免責事項から削除した場合における原子力事業者に対する追加的負担の回避の仕組みの可能性。(ウィーン条約改正議定書を締結する場合のみ対応が必要。)
  • 少額賠償措置を廃止し、少なくとも3億SDRの賠償措置が可能となるよう措置した場合において、原子炉の運転等の種類に応じた補償措置額確保のメカニズムの導入等の措置を設けること。
  • 死亡又は身体の障害以外の原子力損害に関する除斥期間について現行どおりとすること(条約に合わせて原子力事故の日から10年とする特則を設けない)。
  • 我が国の領域外における原子力損害に関しては原子力事業者の賠償責任額を制限する特則を原賠法に規定することの可能性。
 このように、法令改正その他の措置が必要となる事項があるが、国内制度の根幹との関係において、ウィーン条約改正議定書又は補完的補償条約を締結することが不可能となるような根本的問題点は見受けられなかった。
 もちろん、今回検討を実施した法的論点以外にも、消滅時効の開始時期等これらの条約の締結に当たり法的措置の要否について検討すべき事項はあると考えられる。このため、今回の検討における指摘事項も含め、これらの条約を締結する場合には更に法的側面からの検討を行い、条約の締結までに必要な法的措置を講じておく必要がある。
 他方、検討の結果、締結する条約によって解決すべき課題が異なることも明らかとなった。今後、ウィーン条約改正議定書と補完的補償条約について、両方を締結するのか、また、どちらか一方を締結するのかについては、条約を締結する政策目的が何かという点が基本となることは言うまでもないが、条約締結のために解決すべき課題とその対応方策や国際的動向等も含め、総合的に判断していく必要があると考えられる。