第65回原子力委員会
資 料 第 1 号
「ご意見をきく会」の結果について
平成12年10月20日(金)
原子力局原子力調査室
- 1.開催日時
第1回(東京) 9月27日(水) 13:30〜17:00 品川インターシティホール
第2回(青森) 10月2日(月) 15:00〜18:40 青森グランドホテル
第3回(福井) 10月7日(土) 13:30〜17:35 繊協ビル
- 2.意見発表者(発表順)
第1回 東京 第2回 青森 第3回 福井
西尾 漠 (原子力資料情報室共同代表)
大山 のぶ代 (女優)
長島 彬 (会社員 神奈川県)
中島 尚正 (東京大学大学院工学系研究科教授)
斉藤 史郎 (会社員 東京島)
ふじおか こうたろ (無職 愛知県)
松浦 辰男 (放射線教育フォーラム代表総務幹事)
平野 弘康 (自営業 群馬県)
大間知 倫 (無職 神奈川県)
飯田 哲也 (日本総合研究所主任研究員)
福澤 定岳 (僧侶 青森県)
小田切 明和 (青森県生活協同組合連合会会長理事)
益田 恭尚 (無職 神奈川県)
井上 浩 (団体職員 青森県)
阿部 由直 (弘前大学医学部教授)
稲田 勝彦 (無職 滋賀県)
平野 良一 (核燃情報連絡会代表世話人))
岩谷 昭子 (青森県交通安全母の会連合会副会長)
蒔田 弘一 (木村青森県知事代理、青森県むつ小川原開発・エネルギー対策室長)
豊嶋 美代子 (福井市くらしの会会長)
吉村 清 (高速増殖炉など建設に反対する敦賀市民の会代表委員)
粟野 明雄 (自営業 福井県)
中村 融 (無職 兵庫県)
北條 正 (敦賀市議会議員 福井県)
萩原 冨士男 (会社員 福井県)
渡辺 三郎 (原発問題住民運動福井県連絡会代表委員)
菅野 幸雄 (元公立高校理科教員 福島県)
小木曽 美和子 (原子力発電に反対する福井県民会議事務局長)
石黒 順二 (福井県原子力平和利用協議会事務局長)
児嶋 眞平 (福井大学長) 10名 10名 11名
- 3.参加者数
一般傍聴者 報道関係者 9月27日(東京) 162人 20人 10月2日(青森) 62人 7人 10月7日(福井) 151人 35人
- 4.意見の概要(長計案の構成に従い主な意見を整理したもの)
- 【エネルギー供給を考えるに当たって】
- 天然ガスをサハリンから日本へのパイプラインで運ぶという構想もあり、さまざまなエネルギー源のベストミックスを考える必要がある。
- 2007年以降、日本の人口は減少する。人口減少こそ21世紀の先進国であり、これはエネルギーの消費が減少していくという影響を与えるだろう。原発一辺倒から目線を転じていくべきである。
- 周囲を海に囲まれた日本はパイプラインと送電網で結ばれたEU諸国間のように、石炭・天然ガス資源の活用や、電気が足りなければ隣の国から輸入という訳にはいかない。
- 【省エネルギー】
- 電気を作る人と、電気を使う人が双方歩み寄るべきで、使う側ももっと電気の大切さを感謝しながら使うべきである。
- 私達が生活していく上でエネルギーは必要不可欠であり、省エネルギー的生活を習慣化する様に努めるとともに、新しいエネルギーの開発を行っていく必要がある。
- 電力の自由化がはじまり、発電所も拠点型から地域への散在化に向かう。
- ごみの固形燃料化による熱源も視野に入れ、無限にある生ごみの熱源としてのリサイクルは環境美化と循環型社会の構築にも寄与する。
- 【再生可能エネルギー】
- 燃料電池や太陽光発電等の再生・新エネルギーの開発状況を見ながら、原子力開発路線の変更も必要ではないか。
- 原子力発電のデメリットを明らかにし、原発依存から真剣に撤退を考える時期ではないか。自然エネルギーや水素発電等の技術開発を進めるべきである。
- 再生可能エネルギーのポテンシャルは、全発電量の1/4を超えるものがあるため、この研究開発を誘導していく政策をとるべきである。
- 再生可能エネルギーの活用をもっと拡充すべきであり、原発・プルトニウム利用への重点資金計画を改めるべきである。
- 石油は使いやすいが有限な資源であり、21世紀中には石油の需給関係が著しく悪化し、大気中の炭酸ガス濃度が許容される限度を超えていく事態が招来すると想定される。そのときの石油代替エネルギーに何を選べばよいのであろうか。自然エネルギーで賄えればそれに越したことはないが、それは困難である。
- 太陽光にしろ風力にしろ、エネルギー密度と安定性の点からみて、あくまでも補完的なものであり、大量発電には適さない。
- 原子力発電については、いろいろ問題があるから止めようという事ではなく、如何にうまく運転し、次のクリーンな自然エネルギーにどうつなげていくかが課題である。
- 【供給安定性】
- 長計案には、ウラン235の資源量に関する記述が全く見当たらない。ウラン235がいつ頃尽きてしまうのか、本案には現時点での最も確かと思われる数値を当然示すべきである。
- 【経済性】
- 日本の電力市場も自由化に向かうことは不可避であり、今後は一般電気事業者の「回収不能費用」負担の問題を始めとする原子力の「経済リスク」の責任の所在を明確にすべき。
- 新設原子力発電所の経済的な費用責任を明示すべき。また、再処理プラントも、今後経済的に破綻していくのではないか。
- 自由化が進展すれば、IPP等が先に経営が苦しくなる。電力が売れなくなった場合、卸売電気事業者はどう責任をとるのか。
- 46頁に発電原価の表があるが大間や東通原子力発電所の申請書類に記述された金額とは異なっている。いつも結論に近い資料のみが出されており、国民への配慮が非常に欠けた形で議論が進められている。
- コスト削減ばかりを訴えると、環境や安全を軽視することにならないか。
- 【我が国のエネルギー供給における原子力発電の位置付け】
- 日本のエネルギーの現状を考えると、少なくとも現状を維持した原子力発電への依存は続くであろうが、国民の不安を軽減しなければならない。
- エネルギー資源の少ない日本では、地球環境問題、また経済性や技術開発からも安定的に品質の良いエネルギーを確実に取り入れていける原子力エネルギーは、今後とも必要と思う。
- 原子力は総発電電力量の40%近い比率を占めており、今後も電気文明を享受するのであれば、発電コスト、二酸化炭素の削減という観点から原子力発電にたよらざるを得ない。
- 防衛、食料、エネルギーは国が当然責任を持って実施していくべきである。小資源国かつ島国という日本の条件を考えると、原子力という純国産のエネルギーを使うのは当然である。
- 今の原子力利用は核拡散と表裏一体でもあり危険性がゼロでなく、コスト的にもCOP3の要請にも応えられないのであるからやはり「脱原子力」を政策化して対応すべきである。
- 長計案では、原発は段階を踏んで廃止する、新エネルギーの開発に力を注ぐ、現存の原発の安全性を確保する、原子力防災についてはっきりと計画を立てることを記すべきである。
- 発電電力量の約3割を原子力が供給しているから基幹電源に位置付けるという議論ではなく、大間、もんじゅ、JCO事故等を踏まえ、原子力政策の方向性を変更する話を入れるべき。
- 【政策決定への国民参加】(長計策定手続きについての意見を含む)
- 長期計画案については、放射性廃棄物問題の場合に比べて、広く国民の意見を聴く機会が少なく、その意味では扱いが軽いのではないか。
- 国民の意見をどうやって受け止めて反映するのかをよく検討してほしい。
- 今回のような会も一度限りでなく、いろんな立場の人たちの意見を出し合う場を設けて全国的な議論を盛り上げて欲しい。それが原子力政策への不信感を解消する第一歩である。
- 意見を募集する前に、長計案について説明する場を設けるべきではないか。その後、国民からの意見を聞き、それを持ち帰って再度討論するべきではないか。
- 長計案の策定のために、賛成派、反対派も入って公開の場で議論をし、国の責務等を示したこと、また、今後のあり方について方向性を取りまとめ、核燃料サイクル政策に変わりがないことを確認したことは評価できる。
- 【国と民間の役割の基本】
- 民間の活動を誘導する施策については、少なくとも国会の議決を要件とすべき。
- 原発、六ヶ所核燃料サイクル施設、高レベル放射性廃棄物の最終処分計画などは、民間事業者の責任をはっきりさせることが必要である。
- 国の役割としては、原子力の軍事利用の防止及び放射能災害・放射線災害の防止があるが、それらの責任の所在があいまい。
- 【安全確保と防災】
- 原子力発電所内部からの破壊活動やミサイル攻撃に対するゼロに等しい安全性や、すべての原子炉で応力腐食割れが進行している現実により震度4の地震にさえ耐えられぬ現在の原子炉状態を、国民は恐れる。
- 日本の原子力発電所では地震、海辺では特に津波などの影響が非常に大きい。
- 現行の耐震設計は、阪神大震災のレベルに照らし合わせれば落第点となる。
- 原子力発電への不安は、目に見えない放射線に対する不安である。しかし、同様に目に見えない電気・電波と同じように必要以上に怖がる必要はないことを知ってもらう必要がある。
- 原子力発電所の立地から30年、これまでいくつものトラブルが起こってはいるが、多重防護による安全対策が機能し、外部の環境に著しい影響は一度も与えてきていない。いわゆる「止める、冷やす、閉じ込める」が大枠で実証されてきたと考えている。
- 「はっと」、「ひやり」報告のように、現場の事故を隠さず報告する体質を作らなければならない。
- 原子力の利用には、安全性と経済性は特に必須条件である。
- 原子力施設では、マニュアル無視等の予想外の事態が発生した場合に備えて防災を検討しておくべき。
- 原子力発電所等で放射能洩れ事故が発生し、環境中に影響が及べば、風速毎秒2mでも風下では1時間以内に7.2kmまで放射能は拡散されるので、防災エリアはもっと拡大が必要である。
- 東海村臨界事故を踏まえ、事業所は自治体、国に事故発生と同時に通知するシステムが必要である。
- 法改正により原子力安全のための防災専門官、保安検査官の配置があったが、24時間対応が可能か極めて不安である。
- 防災情報の共有化、指揮系統の一本化がされなければ被害は拡大の可能性が高い。防災一元化システムが必要である。
- 六ヶ所村でもJCOのような事故が生じた場合、どのような対応がとられて、責任は誰がとるのか。
- JCO東海臨界事故を契機に、ある種の「原子力安全神話」は放棄されたが、「安全文化」と名前を変えて「原子力神話」が隠れ蓑のまま存在している。
- 原子力への不信、不安を改善するためには、国、自治体、事業者がそれぞれ自分の果たすべき責任を果たさなければならない。また、安全対策、防災対応、情報公開・提供、透明性の向上、教育の充実が必要であり、国民・県民が判断できる環境を作ることが大切である。
- オフサイトセンター設置を目玉とした「原子力防災特別措置法」等安全対策に期待していた矢先、建設の大幅な遅れが発表された。また既に設置された5ヵ所の中には、最も多く原発を抱える福井県が入っていない。
- 行政や技術者が事故処理をコントロールできる体制と、現場に精通した専門的知識をもったスタッフが遠慮なくものが言える体制を整えることも長計案に盛りこんで頂きたい。
- また、地元を最優先した危機管理体制の構築を徹底してほしい。
- 【情報公開と情報提供】
- 5年前の「もんじゅ」事故は、隠蔽主義から虚偽の事故発表が次々と暴露され、事業者の動燃が揶揄的川柳で皮肉られたのは残念であり、決してこの愚を繰り返してはならない。
- 行政は「情報を公開する」ことだけで満足しているのではないか。その中身について十分吟味しなければならない。
- 国民への情報公開については、長計案にあるように迅速かつ正確に行って欲しい。
- 社会教育におけるマスメディアの役割が大きいので、発信側・受信側両方の知識レベルの向上を図るべき。
- 国民はセンセーショナルな報道に左右されず、冷静かつ客観的に様々な情報を判断できるようにならなければならない。
- これまでは徹底した情報公開とは言えず、虚偽の情報や、情報への不信感が極めて強かった。また公正な報道が行われなかったため、風評被害を呼んだこともある。徹底した改善が必要である。
- 地域の中で、疑問に思っている事を気軽に答えてくれる場、知りたい事を十分に得られる学習の場や、的確な分かりやすい情報公開等、信頼に応えるきちんとした姿勢を示すPR、PAの機会を希望する。
- 【原子力に関する教育】
- 文部省が先頭に立って、小・中・高校の理科教育において、原子力・エネルギー・放射線などの基礎的知識を深く学習できるようにしてほしい。
- 環境問題やエネルギーの重要性を若い世代に伝えていく事も大きな課題であり学校教育、家庭教育、地域活動の場を生かすよう長計案の中に入れて頂きたい。
- 長計案の教育に関する記述は不十分である。教育の現場では、臨界事故の際に高校3年生に「臨界」について問うと、ほとんど誰も「臨界」の意味を知らなかった。文部省等とも連絡をとって、化学も物理も勉強しないで卒業できる現状を改めるべきである。
- 総合的学習では、現場の教師は環境問題に比べ、エネルギー問題への関心は低い。また原子力の問題は避けてとおる風潮がある。
- 【立地地域との共生】
- 青森県六ヶ所村に核燃料サイクル施設の立地がすすめられて15年余を経過したが、依然として県民のなかには原子力行政への不信感、原子力施設の安全性への不安、放射性廃棄物最終処分場化への懸念が根強い。
- 口では安全重視を最優先として住民理解を求めつつ進めるといいながら、一貫して必要とする情報提供も、肝心な説明もないまま、施設操業という既成事実をおしつけてきたことへの反発の現れである。
- 立地の前後では敦賀市を除いて各市町村とも人口が減少しており、原発は地域振興に寄与していない。
- 地域振興は、バラまきである。電源三法交付金にさらに上乗せして一般会計からも金を出すのでは、事業者、一般国民は納得できるのか。
- 過疎化の緩和、農業・工業の整備、CATVの整備、総合公園の整備などが行われ、地域との共生について一定の成果を遂げてきた好事例である。
- 現在の延長線上に我が町の繁栄を望むのは困難であり、地域経済の構造転換に向けた支援策の充実を要望する。地域社会との共生のための費用と電力事業者のコスト削減努力との両立を図る方策を考慮すべきである。
- 他地域との交流なしにこの地域の発展はありえないので、公共交通網の整備をお願いする。優先的かつ継続的な投資をお願いする。
- 既設の立地地域が魅力ある場所であれば、新規立地の可能性が高まるのではないか。
- 【核燃料サイクル事業】
- ウラン供給に余裕がある現在では、核燃料サイクルの意義はなく、すでに核燃料サイクルが破綻しているにもかかわらず、従来路線を堅持する方針が維持されているのは、残念かつ疑問である。
- 青森県民は国策の失敗によって大きな被害を受けてきた。県民の圧倒的多数は、核燃料サイクルの実施を望んでいない。
- 日本の電力は欧米に比べて価格が高いと言われるが、再処理によりこれ以上高くなる電力を、国際競争力の低下という犠牲を払ってまで日本の企業が利用するとは考えられない。
- 資源的、環境的な制約のある我が国が、今後も発展していくためには、国策として核燃料サイクル事業を円滑に進めていく必要がある。
- 今回の策定方針として理念と政策を示すことは理解できるが、核燃料サイクルについて目標数値が記載されなかったことにより、政策が変更されたりしないか。国の毅然たる姿勢での原子力政策推進を望む。
- 長計案は「利用目的のないプルトニウムは持たないという原則をふまえて」としているが、これが守られるかが懸念される。
- 再処理工場については、再処理するからプルトニウムが出るのであって、「余剰プルトニウムは持たない」という理由からプルサーマルを実施するのはおかしい。
- プルトニウムの需給バランスはどのようにとるのか。余剰のプルトニウムを持たない、という原則に対して、研究開発でも使い道があまりないのに、再処理が始まるとどうなるのか。
- プルトニウムの需給バランスの記述がないなど、プルトニウム利用について透明性がない。
- プルサーマルのメリットは、唯一、余剰プルトニウムを持たないことだけであるはずだが、すでにイギリスなど国外に10トンもの余剰プルトニウムが生じており、これからプルサーマルを進めても無駄である。また、プルサーマルは安全余裕を切り詰めることにつながる危険性があることから、中止すべきである。
- 原子炉級プルトニウムはMOX製造過程での被ばくの防護が困難なことからも資源とは考えず廃棄がのぞましい。
- 長計案において、プルサーマルの意義・必要性として、余剰プルトニウムを持たないこと、ウラン燃料、プルトニウム燃料の有効利用、再生利用等が挙げられており、現行の長計と、何ら変わっていないと認識している。
- プルサーマルの実施については今後、安全性が高く質のよい国産MOX燃料が最善と考えており、青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設の完成を期待している。
- プルサーマルは国策として実施することになっているのに、事業者任せになっているのは不満である。
- 高浜発電所のプルサーマルに対して、安全性は当然基本であり、データ改ざんなどは起こらないようにするべきであるが、具体的にどのように実施していくのか、方向を早く出されることを希望する。
- 使用済燃料の中間貯蔵について、国民に対して具体的かつわかりやすく説明するというが、どう行うのか。
- 【放射性廃棄物の処理及び処分】
- 高レベル放射性廃棄物が人類史上最悪の負の遺産であるかのように語られるが、他の有害廃棄物、炭酸ガス等も同様に負の遺産であり、負の遺産を残さないというよりも、後世に残す負の遺産をできるだけ最小化することが必要である。
- 高レベル放射性廃棄物の地層処分に伴うリスク、放射性物質が他の有害物質と異なり半減期を有することを科学的に考慮すべき。
- 高レベル放射性廃棄物だけを特別視するのではなく、国として公平な立場で広く有害廃棄物のリスクを評価し、対策を講じるべきではないか。
- 原子力をなくしても廃棄物は残る。六ヶ所村は核のごみ捨て場ではない。
- 「一般のごみに比べて放射性廃棄物の量は一人あたりの排出量がとても少ない」というが、青森県には低レベル・高レベルの放射性廃棄物が大量に集められることになる。しかしながらこれらの状況について何の説明もない。
- 放射性廃棄物の地層処分は外国でも計画の段階である。目の届く地表で管理すべきではないか。技術的に確立されていないので、保留にすべきである。
- 長計案の記述として放射性廃棄物の処分に関し、同一の処分場に処分することも検討することが必要としている。その合理性は理解するが、国民が応分の負担をすべきである。県民には六ヶ所村に埋設されるのではとの不安がある。
- 低レベル放射性廃棄物は性状が多様でわかりにくいので、放射性廃棄物シンポジウムを青森県で行うことを提案する。
- 地層処分について賛否の意見があったが、国民の意見を求めていく途中に法律が先にできてしまうのは、結論をだしてしまっているのに意見を求めているようで、とても不信感が先立つ。
- 廃炉も盛り込んで欲しい。
- 【高速増殖炉サイクル技術の研究開発の在り方と将来展開】
- 軽水炉技術はすべて外国から輸入した技術であるのに、高速炉については日本独自技術のみで進めていけるのか。技術と市場のトレンドへの逆行などから、限られた研究資源の投入を正当化し得る理由は見当たらず、廃炉が妥当である。
- 高速増殖炉の計画は遅れる一方であり、柔軟な対応としての廃止を求める。
- 欧米でのFBR開発からの撤退は、経済的、政治的理由以外に、技術的な問題もある。
- FBR開発においてセラミック燃料とナトリウム冷却で実用化は不可能であることは原子力先進国の社会的認識である。
- 長計案では核燃料サイクルを堅持すると述べているが、高速増殖炉について、先進諸国では撤退が主流である。わが国においても「もんじゅ」の事故により商業用高速増殖炉の完成の見通しは明るいとは言えない。
- 「もんじゅ事故」を契機に情報は公開されるようになったが、一番知りたい内容については隠されたままである。
- 「もんじゅ」は地震に弱いといわれているが耐震基準を引き上げ、その耐震性を見直すべきである。
- 現行の長計ではFBR(高速増殖炉)とATR(新型転換炉)が中心だったが、ATRの実証炉計画はその後すぐに開発断念に追いこまれた。「もんじゅ」もATRの二の舞になるのではないか。
- 核燃料サイクルはプルサーマル利用が中心のように書かれているが、核燃料サイクルの要はプルトニウムを増殖する高速増殖炉のはずである。
- 「もんじゅ」型の炉はFBR実用炉につながらないとすると、「もんじゅ」とは何なのか、位置付けをはっきりしてもらいたい。曖昧な形での運転再開は許されない。
- 「もんじゅ」再開の理由についてナトリウムの取扱技術を所期の目的としているが、違うのではないのか。
- 「もんじゅ」はプルトニウムの専焼炉になる可能性があるのか。
- 諸外国で起きた高速増殖炉の安全解析上の問題で解明されていないものもある。「もんじゅ」再開の結論は早期に出すべきではない。
- 「もんじゅ」再開に関し、福井県民の立場として、実証実験の場として欲しくない。高速増殖炉が有効であるということは認めるが、実現の見込みがなく、そんなものを実物実験してもらっては困る。
- 高速増殖炉は、プルトニウムを燃やして、燃やした以上にプルトニウムを生成するものであるが、核兵器からの解体プルトニウムがたくさん出てきているいま、そのような必要があるのか。また、「もんじゅ」でそんなことをする必要があるのか。
- FBRには様々な可能性があり、情報提供により世界に貢献することも可能である。将来FBRが必要となる時がやってくる。
- 「もんじゅ」の事故も、環境には影響がなかった。ただし、情報隠しについては、国民に不安、不信を与えた。
- 「ふげん」の問題では、一方的に運転が取りやめになり、地元に大きな影響を与えた。「もんじゅ」については、敦賀の地で研究開発の実績を積み重ねてもらいたい。
- 将来に備えて高速増殖炉の研究開発を進めるのは必要なことである。
- 長計案には曖昧、婉曲な表現が多く、計画の意図がわかりにくい。なぜ高速増殖炉が将来必要になるか、具体的な数値がなく、説明がはなはだ不十分である。ウラン235が尽きた21世紀後半からは、人類が高度な文明を維持していくためには、ウラン238から転換したプルトニウムを、高速増殖炉で燃料として最大限に利用することが、どうしても必要になる。
- 高速増殖炉「もんじゅ」の安全総点検が平成10年に終了していることに触れることが、「もんじゅ」再開の裏づけとなるであろう。また、今後「もんじゅ」の再起動に向けて取組むべき課題についても詳しく記述することが必要である。
- 「もんじゅ」の再開は、もっと早くすべきであると思うが、国民にきちっと説明が必要であり、その再開のステップを案の中に明確に記述して欲しい。そうしないと説得力がない。
- 仮想事故のシミュレーションにはきりがない。すみやかに安全審査に入るべきである。
- 【原子力科学技術の多様な展望】
- 理想的なエネルギー源は核融合エネルギーであるが、実現は21世紀の中頃の予定であるため、中継ぎとしての核分裂炉が必要である。
- 大型原子炉をつくようなことはやめて、中小型炉の方向で検討して欲しい。
- 100万kwの加圧水型原子炉に天然ガス燃焼を組み合わせたサイクルの出力は270万kwという試算があり、この分野の研究を進めて欲しい。
- 【国民生活に貢献する放射線利用】
- 大学においても放射線教育の場は少なく、地域における教育の機会はもっと少ない。地域に根付いた放射線教育の拡充と整備などが必須である。
- 高度な放射線診断治療装置の設置がうたわれているが、現有の高度医療施設とのマッチングを含め、すべての国民に平等に機会が与えられなければならない。
- 放射線障害および治療法に関する研究の促進が案には盛られている。放射線医学に従事する人材確保、人材育成について具体策が必要である。
- 短寿命の放射性同位元素のみを使用している一般病院では医療放射性廃棄物の処置に苦労している。短時間でバックグラウンドレベルになるものは、いつまでも放射性廃棄物とするのではなく、必要であれば法改正も含め減量化を実施し、過剰管理を改めて欲しい。
- 【国際社会と原子力の調和】
(各国の原子力開発の動向を含む)
- 欧米では、自由化による大型プロジェクトの経済性、チェルノブイル事故以降の政治的配慮によって原子力への投資が停滞している。
- 台湾は廃棄物及び経済的理由から撤退している。このように他のアジア諸国も取りやめとしているのに、なぜ日本だけ取りやめられないのか。
- 連立政権成立後のドイツは原子力発電を廃止という方向にしているが廃止時期は明確ではない。
- 日本は、東アジアの地政学的な位置付けやこれまでの歴史、安全保障なども考慮した骨太のエネルギー政策の中で、原子力の位置付けを明確にすべきである。
- エネルギー事情が最も厳しい日本が率先して原子力問題を深耕し、「世界がやらないからこそ日本がやらなければならない」のではないだろうか。
- プルトニウムは核兵器の材料になりやすいため、世界的に神経質になる。
- 余剰プルトニウムの管理、削減について具体的なイメージが記述されていない。
- 【人材確保】
- 原子力関係者全体の信頼の回復が、今回の長期計画において重要な課題であり、この観点から原子力分野全体の人材育成や確保の方策を具体化することが重要である。
- 安全管理、危機管理、高い倫理観の維持等に関するマネジメントや技術は、高いレベルを保つことが大切であり、分野横断型の職務に関する資格制度の検討が必要である。
- 大学の原子力分野への専門分化は大学院から行うべき。
- 大学の原子力関連教育施設は、安全管理や危機管理のための人手と経費が高負担になっていることからも、早急に検討を行うことが必要である。
- 責任者から作業員に至るまでのすべての人々に安全に関する意識の徹底、信頼性の高い操作を行うためにも、安全を担う人材育成の強化を望む。
- 再処理事業などは、民間、事業者の取組みだけでは衰退していき、人材が減っていく。実際、技術者が減っている。国による計画策定、支援が必要である。
- 【その他】
- そもそも「原子力長期計画」は不要。仮に作るとしても、国の施策についてのみ計画をまとめ、民間の計画に言及する必要はない。
- 長計案のキーワードは「柔軟な対応」であると思われる。
- 今度の長計には具体的な数値が書き込まれていない。具体的な数値を書き込まない、書き込めない事情や、解決できない問題があちこちにあるのではないか。
- これまでの長計は、原子力発電の安定供給により石油問題などのエネルギー危機の回避、技術開発、産業の発展などに大きな影響を与えてきた。今回の長計案を見ると原子力長期計画の意味合いが薄れてきたことを痛切に感じさせられた。
- 今回の長計案では、これまでを反省し、専門家だけでなく、多様な意見が集まった反面、骨太の政策と実現に対する情熱が失われ、また欧米の動向を参考にするといった「調整型」の案になっており、分かりにくく、明確な戦略性は読み取れない。
- 長計案では、原子力発電を「基幹電源として最大限活用する」という基本姿勢を示しているが、なぜ自信をもって計画が描けないのか。国民感情や世論を意識しすぎるあまり中途半端なわかりにくい長計案ではないか。
- 初期の原子力長計は戦略的であったと思うが、今の長計案には戦略性がない。原子力委員会は原子力政策のアクセル、安全委員会はブレーキの役割を担っているがアクセルの視点が欠けているのではないか。
- ATR実証炉は原子力委員会では推進する立場であったものの、事業者の方で中止することになった。この点について十分反省し、長計案に盛り込んで欲しい。
- 原子力をよりよくするために長期計画は必要であり、また長期的視点が必要となる。
- 今回の長計案で、国民の原子力への理解のための環境整備が要求されているのは評価できる。
- 国として方向性や時期を明確にすること、選択肢の明記などが必要ではないか。
- 適宜、適切な間隔で評価を行い、柔軟性をもって、長計を見直していくことが必要ではないか。また、国会で議論をしながらその方向性を定めていくことも必要ではないか。
- 安全性、エネルギーとしての原子力の位置付け、プルトニウム利用、放射性廃棄物問題、JCO事故等について長計案の記述には苦労の跡がみられるが、この方針を国民にいかに納得してもらえるかが重要である。
- 長計案は、原産会議の意向を強く反映されたメンバーによって作成されており、委員の選定についても各界・各層から広く選ばれているとは思えない。