原子力政策円卓会議(第5回)議事概要
- 日 時
6月24日(月) 午後1時30分〜午後5時35分
- 場 所
富国生命ビル(東京都千代田区内幸町2−2−2)
- テーマ
- 「原子力は安全か?安心か?」
- − 原子力と社会:安全と安心 −
- (1)人間文化・社会と原子力
- (2)原子力の安全確保
- (3)安全と安心
- 出席者
- モデレーター
- 五代 利矢子 評論家
- 佐和 隆光 京都大学経済研究所長
- 招へい者
- 石川 弘義 成城大学文芸学部教授
- 石川 迪夫 北海道大学工学部教授
- 板倉 哲郎 日本原子力発電株式会社技術顧問
- 岩崎 民子 財団法人放射線影響協会
- 放射線疫学調査センター長
- 黒田 勲 早稲田大学人間科学部教授
- アイリーン・美緒子・スミス
- 環境ジャーナリスト、
- グリーン・アクション代表
- 田中 靖政 学習院大学法学部教授
- 飛岡 利明 日本原子力研究所 大洗研究所長
- 中村 融 核勉強会講師
- 吉村 清 高速増殖炉など建設に反対する敦賀市民の会
- 代表委員
- 原子力委員
- 中川 秀直 委員長(科学技術庁長官)
- 伊原 義徳 委員長代理
- 田畑 米穂 委員
- 藤家 洋一 委員
- 依田 直 委員
- (敬称略 五十音順)
- 議事概要
- 注1:本議事概要は、次回以降の会議の参考の用に供するとともに、公表するため、議事を簡潔にとりまとめたものです。
- 注2:文章整理の関係から表現が必ずしも発言通りではない場合があります。
- 注3:本議事概要の作成に当たっては、吉村清氏より、議事録のみでよいとの意見が表明されました。また、アイリーン・美緒子・スミス氏からは、本概要中の《自由討議》のとりまとめ方については認められないとの意見が表明されました。
- 注4:正式には別途公表されている議事録をご参照ください。
- 参考別紙:
- 「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」[別紙1]
- 「基調発言要旨」[別紙2]
- 「基調発言者以外の方から提出のあった資料等」[別紙3]
《中川原子力委員会委員長冒頭挨拶》
- 第1回から第4回の原子力政策円卓会議においては、特段のテーマを定めずに幅広い観点から議論を行ってきたところ。今後は、これまでの議論で出された課題や問題点等を踏まえ、より深い議論を行っていきたい。
- 今回の原子力政策円卓会議は国民の方の関心も高く、ご意見も多い「原子力と社会の関係」、特に「安全と安心」の観点からの議論を行いたい。
- 原子力委員会は、今後、今回も含め6回の円卓会議を実施することにしているが、そのうち2回は、一般公募により、一般の方にも参加をしていただくことにした。
- 本円卓会議の中でいただいた意見に対しては、できる限り対応するよう努める。
《モデレーター冒頭挨拶》
- これまで4回の円卓会議において特定のテーマにとらわれない自由闊達な議論が展開され、原子力を巡る大方の論点はその4回の中で抽出されたのではないかと思う。
- 抽出された論点は、具体的には「原子力と社会(特に安全、安心に関する事項)の問題」、「エネルギーと原子力に関する事項」、「原子力と核燃料リサイクルに関する事項」、「原子力と社会との関わりに関する事項」の4分野に要約できる。
- 限られた時間で議論を効果的に行うため、4分野を回を追う毎に順次取り上げることで議論を深めたい。
- 今後の第8回と第10回の円卓会議では、広く、一般公募による参加や原子力モニターの方々からの参加を得て、議論の幅を広げたい。
- 本日お集まりの皆様からも、一人でも多くの方に、一般公募が行われていることを伝えてほしい。
- 本日は、原子力と社会、特に安全と安心に関する話題を取り上げ、集中的に議論を深めたい。本テーマに関しては、「人間文化・社会と原子力の関わり」、「原子力の安全確保」、「安全と安心の関係」などの項目が議論のヒントになると考える。
《基調発言》
□原子力一般
- 基本的に、原子力発電からは逐次撤退していき、特に高速増殖炉開発は断念すべき。
□安全と安心
- 一般に不安感は、知らないこと、理解できないことに対する一種の警戒心であり、感情の現れ。安全性は、災害、危険の発生の確率的な指標であり、どちらが安全かの判断の根拠となるもの。いわば理性、智の世界。智と情の争いは相克性を持ち、これが社会を進歩させる。
- 原子力関係者は安全の確保に努めてきたが、これはたぶん安心感につながると考えたからであろうが、ここに錯覚があった。安全が確保されても不安感は一掃できない。しかし、国民的合意に向けて考えていけば、望みはあると思っている。
- もんじゅについては、技術的にはナトリウム漏洩事故であり、人間の感じ方の問題と科学技術的な問題とでは取り上げ方を変えてほしい。
- 原子力発電所は、リスク評価では安全であるが、1990年に科学技術庁が実施した世論調査によると原子力発電所の事故は怖いという結果がでている。これは、社会的に考えた場合の安心の感情と、エンジニアリングとしての確率論的な安全性は全く違うということを物語っている。
- 原子力発電の安全感・危険感について、科学技術庁の調査の結果、原子力を安全と感じていても原子力は怖いという人が多数いる。これからはこういう謎を解いていかないと原子力発電所を受け入れてもらえるかどうかの問題の端緒をつかめない。
- 主婦を対象とした調査によると、危険で役に立たないものには食品添加物、フロンガス、喫煙があり、危険だけれども役に立つものは自動車、原子力発電所、飛行機、火力発電所、危険でなくて役に立つというものはビタミン剤、漢方薬というように評価されている。
- 原子力の専門家はプルトニウム、放射線治療を危険だけれども役に立つと考えている。
- 原子力に関しては、素人が危険だと考えていても、専門家は比較的安全だと考えている。
- 推進派側からは、原子力はクリーンで環境に優しいと常にいわれているが、原発は運転に伴って希ガス、液体(放射性)廃棄物、トリチウムという放射能が放出される。放出管理目標値以下だからいいというが、放出すること自体に問題がある。放射能、例えばコバルト60はいったん放出されるとなかなか0にならない。
- 美浜の燃料棒折損事故などのこれまでの事故に共通するのが、事故隠しと通報遅れ。大事故になればなるほど事故隠しや通報遅れが行われてきたため、不信感が醸成された。
- 原子力発電所の立地時には放射能は一滴も漏らさないといっていたのに、今では国も電力も基準値以下であるので安全だと開き直る。低線量の放射能に対する疫学調査はやっていないのに、安心だ、安全だといわれても根拠がない。
□リスク
- 原子力発電の実績は、他の産業に比べて格段の安全性を示している。これまでの10000炉年近い経験の中で、原子力発電について原子力による死者はチェルノブイル以外にはない。
- 人災による死亡の頻度についても、ラスムッセン報告書によると、原子炉100基のリスクは火災や航空機事故などに比べ1000倍も小さい。自然災害と比べても、隕石落下に近く、地震などより格段に安全に出来ているのは事実。こういうデータは原子力に批判的な立場をとる日本科学者会議のメンバーが書いた本の中でも使用している。こういうことは、一般の人に知らされていない。
- 日本だけではなく、世界全体がゼロリスクの原理に向かいつつあるのではないかという議論を1975年に展開。当時は「むつ」などで、ごくわずかでもマイナス面がある科学技術は社会が受け入れられなくなる兆候が見え始めた時代。
- ゼロリスクが現実の問題となり、政府、業界、学会において取り組まなければならない状況。
- 原子力に対する日本の世論は、ほぼ安定しており、賛成、当分現状維持、反対が1:1:1の割合。
- アメリカでは、イニシアティブの制度により、住民投票によって原子力の是非を決定している例がある。唯一否定された例は、危険だとか事故があったということではなく、建設に金がかかるということから否定されたもの。
- 物事がどれくらい安全なのかという判断は「リスク評価」という言葉で呼ばれる。これは確率論をベースに、ある物事のリスク・安全性を計算によって出すもの。
- 1974年に出されたラスムセン報告によると、個人が急死する危険の確率は自動車が一番高い。これに比べて原子力の事故は危険度が極めて少ないと考えられていた。
- 雑多な危険の中で生きていくために、科学と技術の問題だけでなく、政府や行政が危険の問題を先取りし、円卓会議などを通じて、いろいろな種類の危険をあきらかにし、重要な問題については、今のうちから手を打っていく必要がある。これは、将来の日本の問題のみならず、世界全体の安全性を高めることになる。
- 本当に怖いのは、地球温暖化、オゾン層破壊等の二次的、三次的な原因により将来起こりうる地球的規模の天候・気候の変化とその影響である。
□その他安全関係(組織論など)
- 原子力界の体質については、やはり改めるべきものがあると思う。
- もんじゅ事故は高速増殖炉の根幹に関わる事故であり、安全審査のあり方を抜本的に改めるべき。
- 原子力安全委員会は事務局を含めて独立な組織とすべき。科学技術庁については、内部に推進と規制の両者が同居する組織は見直し、通産省の分を含めて安全に徹した行政組織にしてはどうか。動燃事業団については、既に信頼が失われており、解体して、日本原子力研究所に統合すべき。
□教育・理解増進関係
- 原子力の安全度が確実に伝わっていくような情報が伝達されていけば、不安感も氷解していくものと考えている。
- 情報伝達には、伝達側の公表の3原則が最大の責務であるのは言うまでもない。また、提供者だけでなく、媒体(通訳)としてのマスコミ、受け手の能力の3者が必要。
- 媒体としてのマスコミは、原子力という難解な科学技術を一般の人向けに説明するという通訳の役割を果たすが、通訳が事実を曲げて伝えることがあると、正常な情報伝達にならない。こういう点で問題ないようにしていかねばならない。
- マスコミは原子力に関しセンセーショナルな「情」に流されがちである。個々の記事には「情」に流された話が極めて多い。体制批判を行うのが健全なマスコミの姿勢との言い分もあるが、姿勢のために科学技術を歪曲した記事を流すのはやはり問題である。
- 「情」に流された記事の例としては、「原発事故のこわさ一目で〜中学生用の副読本が完成〜」がある。この副読本の内容は事実を歪曲しているが、記者がこの内容をチェックして記事を書いたなら、科学技術について歪曲した情報を流したことになる。このような例を数多く見受けるが、よく考えてほしい。
- 受け手の能力に関しては、フランスが、原子力発電を始めたときに学校で放射線の教育を始め、これにより、冷静な受け入れ方が得られている。原子力の不安感の大部分は放射線という訳の分からないものによるものである。是非、文部省とも話をしてもらって、義務教育で教育を実施してほしい。
□原子力防災
- 福井県の防災訓練では、企業と自治体の間の通信訓練のみが実施されており、住民参加の訓練は行われていない。「国が安全を保障しているから」とか「事故時には、一自治体に被害はとどまらないから」というのが理由。
- ヨウ素剤の配布については、国の指針では発電所から10キロ以内としているが、その外側の自治体が独自に保管を行い始めている。県と自治体、国との関係で、科技庁もこの問題を検討してほしい。
- 災害対策基本法の範疇には放射能災害は入りにくく、放射能災害はパニックにもなりやすい。原子力防災には特別立法で対応すべき。
□情報公開関係
- 原子力発電所が安全だというなら、放射性物質の放出量に関して、排気筒からの放出や温排水に混ぜて放出するものについて、リアルタイムでデータを公表してほしい。これが情報公開の第一歩。
- 事故の自治体への通報義務は少なくとも法律で担保すべき。
- 事故時の運転員の処置がわかるよう、中央制御室にテレビカメラなどを置いて、リアルタイムで様子が分かるようにし、後に内容を公開すべき。
《これまでの円卓会議の議論のポイントの説明》
- モデレーターより第1回から第4回までの円卓会議の議論の中から今回のテーマである安全と安心の問題に関するポイントを説明。
《他の招へい者の所感》
- 2人の招へい者の考えが対立するところが印象的。なぜこうなるか説明してくれるのが例えば原子力委員会ではないのか。
- 社会心理学の立場からリスクとベネフィットの考え方をどうつないでいくかが問題と認識。
- 小学校時代からの放射線、エネルギー教育が必要。
- 事象が複雑であるため、一般に分かるように翻訳、媒介することが重要でマスコミの役割に期待。
- 専門家と一般の間にギャップがある。マスコミの役割は重要。
- 低線量域での放射線の人体への影響も非常に大切なテーマ。
- 技術的リスクによる説得では、社会的リスク感覚を納得させられない。
- なぜ社会を納得させられないのか、これからどうすべきかについて、安全、安心という面から議論すべき。
- リスクを受ける人と、ベネフィットを受ける人が異なる場合、リスクベネフィット分析というのは意味がないと同時に倫理に反する。
- 大変怖いもの−多いときには広島で降った死の灰の1000倍−が原子炉の中にあり、そこから出る可能性があるということを語ることが重要。
- 工学的、技術的、論理的にリスクゼロは不可能。あらゆるリスクを定量化して大きなリスクを排除、より小さなリスクをどうやって選択するのか考えるべき。
- 専門家は情報についてもっときっちり説明し、できることからやっていくべき。反対派、一般公衆に分かるような形で、同じ土俵で議論ができることが安心につながる。
- 原子力は飛行機事故等に比較し安全であるというデータを日本科学者会議のメンバーもいっているという意見があったが、それはよく存じないが、その方は、そういう意味でおっしゃったのではないと思う。
- 低線量被ばくがどういう影響をもたらすかということは非常に大きな問題。まだ未解決の問題があり、謙虚に研究していくべき。
- リスクを受ける者とベネフィットを受ける者が異なる場合にリスク分析は生きてこない。そこに倫理的な問題がある。
《原子力委員の意見》
- 原子力施設の安全というものがどういうことであるか、もし漏れないという説明をしていたとしたらこの人は失格というべき。安全審査時には放射性物質は漏れるということが前提。それでも敷地外、一般公衆に影響がないという法律上非常に明確な安全に対する定義・要求がある。
《中川原子力委員長前半終了時挨拶》
- 今日、いろいろな意見が出たが、その中で非常に残念に思うことは、共通の土俵で議論していないのではないかということである。
- 例えば、スリーマイルアイランド事故の情報について、十分だという立場と、十分でないという立場があり、両者がどう歩み寄ったら議論ができるのかと思う。
- 共通した土俵がないままにいくのは不幸なことである。後半の自由討論では、自由闊達に議論していただいて、正しい方向へ行くように協力を願いたい。
《自由討議》
モデレーターの提案により、議論を「リスクとベネフィット」、「専門家と一般人の意識の違い」、「安全と安心」の3つに絞って実施。3つの論点ごとの議論を整理すると以下の通り。
□リスクとベネフィット
(1)リスクとその選択
┌─────────────────────────────────┐
1│・社会的な活動の中には様々なリスクがあり、これをどう捉えるべきかと│
│ いう点について、リスクを客観的に把握した上での選択の問題として考│
│ えていかなければならないとの考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- リスクに関しては、例えば、平常時に放出している廃棄物にしても、高レベルの廃棄物についても、どのような管理のもとに実績はどうなっているかをきちんと確認した上で、原子力だけでなく、他のものと比べてどうかということを基礎に議論すべき。放射線の影響については過大評価される傾向がある。
- 個人のリスクで言えば、原子力発電所周辺が、他のエネルギー産業に比して何よりも低いと自信をもっていえる。実際、火力発電所周辺の方が、原子力周辺よりリスクが高いことは、反対の立場の人も認めているところ。リスクについて考える際は、他の代替するものと比べるというアプローチをするべき。
- リスク及び放射能については、専門家を含めた徹底的な議論が必要。
- リスク論について、ある時期に専門家が徹底的に議論するのはよいと思うが、その際は、学会で認められた議論であるかどうかを確認しつつ、行うことが重要。
┌─────────────────────────────────┐
2│・リスクを考える場合の問題点として、技術的にリスク評価による議論と│
│ 社会的なリスクに対する感覚にはギャップがあり、両者をどう関連づけ│
│ ていくかについて問題提起がなされた。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 昔から技術的リスク論と社会的リスク感覚が混同されているため、議論にならないままきている。円卓会議は、現在の社会において社会的リスク感覚が高まったことにより、開催されたものであると考えている。そうした意味からは、社会的リスク感覚がどうして持ち上がってきたかに焦点を絞った議論をすべき。20世紀後半には、原子核、遺伝子操作などエコロジーの中で触れてはいけない部分に、人類が踏み込みつつあることから来る科学技術への不安が高まっていることがその一因かと考えている。
┌─────────────────────────────────┐
3│・リスクに関係し、「原子力発電所を過疎地に建てるのは、これは原子力│
│ の立地自体がリスクを背負っていることを意味していると考えざるを得│
│ ない」という認識については、原子力委員より、「東京に何故原子力発│
│ 電所を建てないかは、様々な要素がある。まず、土地代の問題。また、│
│ 原子力施設の大きな事故の確率は0でないため、受ける人口集団の線量│
│ を少しでも小さくという観点が一つ、そのためには、かなりの離隔距離│
│ が必要で、広い敷地が望ましいといった問題。さらに、冷却水の確保の│
│ 問題や岩盤立地が基本の原子力にとって東京は地盤が悪いとの問題もあ│
│ る。」との認識が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力発電所を過疎地に建てるのは、これは原子力の立地自体がリスクを背負っていることを意味していると考えざるを得ない。
- 東京に何故原子力発電所を建てないかは、様々な要素がある。まず、土地代の問題。また、原子力施設の大きな事故の確率は0でないため、受ける人口集団の線量を少しでも小さくという観点が一つ、そのためには、かなりの離隔距離が必要で、広い敷地が望ましいといった問題。さらに、冷却水の確保の問題や岩盤立地が基本の原子力にとって東京は地盤が悪いとの問題もある。
(2)リスクとベネフィット
┌─────────────────────────────────┐
1│・リスク分析は、リスクを受ける人とベネフィットを受ける人の異なる場│
│ 合、意味がなく倫理に反するとの問題提起に対しては、リスクとベネフ│
│ ィットのバランスを考える際には心理的な面と経済的な面とを区別して│
│ 議論するべきで、心理的なアプローチに対しては、この分析方法は十分│
│ 意味があるものであり、また、経済的なリスクを考える場合にも、総合│
│ 的に社会活動を捉えれば十分意義があることが指摘された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- (リスク分析は、リスクを受ける人とベネフィットを受ける人の異なる場合、意味がなく倫理に反するとの指摘(本概要《他の招へい者の所感》)があったことに関し、)リスクとベネフィットのバランスといった場合、心理学的に考えるものと経済学的に考えるものがあり、その二つは明確に区別すべき。経済学的には、その人の住んでいる場所などの条件によりそのバランスにかなりばらつきがあるが、心理学的には、そうしたものを捨象してしまい、個人がどう感じているかという問題になる。私が提起したのは、心理学的なアプローチである。
- 経済学的なリスクを考えた場合、リスクを受ける人と、ベネフィットを受ける人の間に距離があり、差別があるという考えは成り立ちうるが、その際も、リスクを受ける発電所に近い人もエネルギーの一消費者としてベネフィットを享受しているということ、さらに、例えば、工業災害の確率で言えば、原子力発電所よりも石油工場等の方がリスクが高いかもしれない、等の点も考慮することが必要。
[《他の招へい者の所感》における関連意見]
《他の招へい者の所感》:9番目意見、15番目意見
┌─────────────────────────────────┐
2│・リスクとベネフィットの客体が異なる例として、高レベル廃棄物の問題│
│ つまり「今の世代と次の世代」の観点があると指摘されたが、それにつ│
│ いて原子力委員より、廃棄物の問題を考える際には、「世代内の負担の│
│ 公平」に加え、「世代間の公平」を十分確保できるようにというのが、│
│ OECDなどでも確認されている共通見解であることが示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「リスクとベネフィット」を受ける側が異なるという問題について、原子力の分野の中で特にその差が大きいのは、「今の世代と次の世代間」という観点、つまり「高レベル放射性廃棄物」問題、そして、「日本と全く利益を受けていない輸送ルートの国々との関係」の観点からである。
- 廃棄物の問題は、その解決なくして原子力の未来はないと考えており、委員会としても、長計でうたっている他、高レベル廃棄物準備会等で着々と取り組んでいるが、長期的な問題でもある。また、それを考える際には、世代内の負担の公平に加え、世代間の公平を十分確保できるようにというのが、OECDなどでも確認されている共通見解。さらに、高レベル放射性廃棄物の地層処分については、技術的には十分出来るということが国際的な専門家の一致した意見であるが、社会的に受け入れられるのが難しく、今後、それをどうするかが課題。ただし、再処理により発生する高レベル放射性廃棄物の対策も大変な問題であるが、ワンススルーによる使用済燃料の直接処分はより大変な問題である。
- 廃棄物問題は長期的な問題と言うが、今の問題でもある。現実に現在も原子力発電所は稼働し、毎日広島の死の灰の120倍という膨大な量の放射性物質を作り出している。それをどうするかを解決せずに進めてきて、さらに増やそうとしていることは問題。また、電気のベネフィットを享受している消費者は、自分だけよければいいというのでなく、そうした現実をもっと自覚すべき。
- 原子力発電から生み出される放射性物質の量は膨大との話があったが、確かに発電した分、放射能のキュリー数は増えるが、体積的には非常に少ないのが現実。だから安全に隔離できると考えている。
- 広島の原爆の120倍という話があったが、放射性物質には、一秒の間に減衰するものなど多くの種類があり、その値は、刻々と変わるものであるから、そうした比較は、非科学的である。
- 高レベル廃棄物の地層処分について、国際的に安全は確認されているというが、科学技術庁でこの点を研究していたある専門家は、100年はたたないと学問的に見て安全は確認できないといっている。この点については発言を撤回してもらいたい。
- 地層処分について、100年立たないと安全性確認できないという説は、安全性の許容限度の幅の問題が関係すると推察するが、実際の意見を直接聞いていないので、宿題としたい。
(3)低線量放射線の人体影響
┌─────────────────────────────────┐
│・低線量被ばくの影響について未解決の問題があり研究を進めていくべき│
│ という指摘に対して、放射線防護の立場では、安全側にたってその影響│
│ を考慮しているが、今後とも十分に研究をするべきテーマであるとの考│
│ え方が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 放射線については、人類が先祖代々受けて、今の我々がある。しかし、現状、放射線防護的にいうと、放射線は高ければ害があることはわかるが、低いものが与える影響については不明な部分があるため、これをどう扱うべきかという問題がある。もし、リスクに敏感になり、低いものも拒否するのであれば、次世代にエネルギーが不足するリスクが生じることも考慮して考えるべき。
- 低レベル放射線の影響について、専門家の意見が一致しないとの意見もあったが、放射線防護の立場では、安全サイドの立場から一定の仮説を立てており、一方、放射線生物学の立場からは、メカニズム的には高レベルの影響から考えて直線であると考えられるが、人間を考えた場合、そう簡単でなくいろいろな説があるというのが事実。例えば、原爆のデータをもとにしても、低レベルでどういう直線、曲線が引けるかは、様々なモデルがある。
- 低レベル放射線の人体影響については、がんなどしきい値が定かでない確率的影響のものについては、安全側に立って、直線的に比例的な影響があると考慮していると認識。ただし、直線的であるか、しきい値があるのかどうかは今後、十分研究を進めるべき、というのが専門家の一致した意見と認識している。
- 平成2年度から放射線従事者の疫学調査を行っている。また、過去には、厚生省のデータを使い、原子力のある市町村とそうでない市町村の悪性疾患を検討し、学会などで報告している。
- 低レベル放射線の影響については、これからの課題であり、人類的に大変な問題。日本全体の力を結集して取り組むべき。また、若狭地域の疫学調査を実施すべき。
[《他の招へい者の所感》における関連意見]
《他の招へい者の所感》:6番目意見、14番目意見
□専門家と一般人との違い
┌─────────────────────────────────┐
│専門家と一般の受けとり方の違いは、提供者、媒体(マスコミ)、受け手│
│にそれぞれ問題があるという点に関して、 │
│・提供者については、一層の情報公開の促進することが重要であるとの考│
│ え方が示されるとともに、広報のまずさや、国民的な議論の重要性が指│
│ 摘された。 │
│・媒体については、もっと技術を勉強し一般の人への通訳機能を果たすべ│
│ き、受け手については原子力・エネルギーに関する教育をもっと充実さ│
│ れるべきという考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 提供者の問題
- 関係官庁のPR政策、広報のまずさが徹底的に追及されるべき。「むつ」の事故から二十数年ちっとも変わっていない。
- 国民の間に大きな議論の渦を巻き起こすことが重要。朝日ニュースターで放映したとのことであるが、普通の新聞に予告も載らないため、いつ何をするかわからず、お金の割には効果は薄い。それに対して、ラジオは全国190局あり、わりあい安くできるので、是非ラジオを使って流してもらいたい。
- 情報公開してもらいたい文献をリストで提出したが、それは84年までの文献。それ以降は文献名すらわからない。動燃に対して原子力学会でも情報公開が充分出来てないという非難があったように、専門家にすら情報がスムーズに流れていない。これを改善しないと事態は変わらない。その上で専門家に徹底して議論をしてもらい、一致した点について、国民に広報していくべき。
- 情報公開されていないものがたくさんあるので、それを早く公開する事が優先順位が高い。
- 安全の面で議論するときは、重要な情報を全部を公開した上で、時間を充分おいて、徹底的に議論することが重要。
- 安全と安心のもとは情報公開。一方通行の情報公開ではなく、双方向の情報公開というのが重要。今、公開されているのは、一方通行かつ選択されている情報。生の情報を出して欲しい。
- 情報の問題について、隠すつもりはなくても、出すまでにもたもたしていると隠していると思われる。可及的速やかに公開するべき。情報がそろわなければ、「今、集めているところであり、集まりしだい出します」という情報を発信することも重要。
- 情報が入ってきて、責任もって発表できるようになるには時間がかかる。生データを出して、その2、3日くらいは、間違ったことを言ってもかまわないというような文化が出来ればいいと思う。
- 日本のジャーナリストの特徴として、途中でカットしたり、要約したりして情報を作ってしまう。かいつまんで報道するのではなくて、なるべく全文を出すべき。将来、情報公開法の作られる時のことも考えて、そういう制度を確立しておくべき。
- 情報公開はもっと進めるべきであるが、情報公開の問題は、原子力だけでなく、日本的な共通するものだと思われる。
- 久米三四郎さんを委員長とした委員会から情報公開の要求が出されており是非対処してもらいたい。また、原子力資料情報室でも委員会をつくっており、そこからも今後要求があれば同様に対応してもらいたい。
- 再現実験の温度計は、事前にわかっていることのはず。それが、地元への資料では抜けていて、その後の資料には入っているというのは少し不親切だと思う。他にもいろいろあるが、双方向の情報公開を求めている。
- 敦賀市の原子力発電所懇談会で出した資料について、その場で出された意見を、後の原子力委員会、安全委員会にはそれを反映した資料とした。地元説明当時から追加資料があったわけではない。
- 公開を求めても、出てくるのは、白抜き、黒抜きされたもの。ほとんどタイトルと結論だけ。信じられないような状態。
- 「もんじゅ」についても事故の前に起こったいろんなことは、何も答がない。ベローズの話も、蒸気発生器の細管を調べるプローブや、三次元振動の話も情報公開していない。蒸気発生器はスワット(SWAT:Na−水反応試験装置)で実験しているから大丈夫といっても、そのスワットについては教えてくれない。暴走がなぜ起こらないかについても、米独よりやっているならば生データを出してもらいたい。今回の「もんじゅ」の事故もまだまだ隠されている。MOX燃料利用の調査も隠されたままであるし、地震に対しても大丈夫といってもデータは出さない。燃料加工工場のMUF量も隠したままである。
- 情報公開について、原子力開発で不幸だったのは、軍事利用から始まったこと。このため、核兵器国は情報非公開で始まった。日本は平和利用に徹しているのでその必要はなかったが、諸外国のその影響を受けて、情報公開に積極的でなかった。平和利用に徹している国の情報公開をこれから進めるべき。
- 公開の制度は、先進国に比べて遅れているのは事実。それは原子力だけでなく、いろいろな分野でそうである。そういう公開が前向きに進みつつあるということに期待したい。
- 素人に専門家が説明する時、素人から学ぶことが重要。それによって双方向の情報公開ができる。
- 媒体(マスコミ)の問題
- 新聞にも東海原子力発電所の廃炉の話があったが、読んでよくわからない。発表原稿をそのまま使っているのではないか。新聞の通訳機能に期待したい。
- 何か記事があるがよくわからないときには、反対派の人と賛成派の人と並べておけばいいという、比較的安易な記事の書き方もするということを新聞記者の方から聴いた。それが、学会などできちんと論文を出した方々同士であればいいのだが、そうでなければ非常に大きな問題。
- マスコミの方々も技術に対して十分勉強してもらいたいし、科学技術庁の人もよく説明する努力をしなければならない。
- 受け手側の問題
- 専門家はもっと一般の人に分かりやすく説明する努力をするべきである。また、小さい頃からの教育、小、中と教育を受ければ理解されやすくなる。
[《基調講演》、《他の招へい者の所感》における関連意見]
《基調講演》:□教育・理解増進関係:2番目意見
□安全と安心
(1)安全と安心の違い
┌─────────────────────────────────┐
│・調査の結果、原子力発電は安全だけど怖いという人がたくさんいるとい│
│ う点に関し、安心感を得るには、情報公開や安全の歴史・哲学の積み重│
│ ねにより、信頼感を得ることが必要との考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 不安の問題には、情報が少なすぎることからくる不安と、情報が多すぎることからくる不安の二つのタイプがあると思う。中途半端な情報が多くある状態は非常に問題があり、不安が不満や恐怖になったりする。
- マスコミのmagnifying effect(拡大寄与的効果)とよく言われているが、マスコミが何日も取り上げたり、各社がいっぺんに取り上げたりすると、些細なことでも大きくなってしまうということがある。これは原子力だけの問題ではないが、原子力の場合は頻度が多い。それは、国内外でのちょっとした技術的な問題まで報道されるからである。一度報道されると、それだけで終わらなくなり、また、事故隠しなどから不信が生まれる。情報を透明なものにし、それで信頼を回復していくべき。
- 情報公開とは別に、工学的な安全性の向上もきちんとやってもらいたい。
- 原子力発電は、1年、2年の問題ではなく、人類の将来を目指したエネルギー源としてやっているのだから、じっくり時間をかけてやるべき。その間に日本的な情報公開も確立されると思う。マスコミもそう簡単に体質が変わるものではないので、その間は、科学技術庁のほうから間違った報道に対しては、きちんと直していくべき。
- 発生確率が低くても、事故結果の大きいものに新幹線や、飛行機があるが、それらは安心感を持って乗られている。これは、例えば天候が悪ければ迷惑をかけるかもしれないが止めて安全を確保するなど、歴史と文化に裏打ちされた時間がある。報道のあり方よりも、そういう安全の歴史を続けていくことが重要
[《基調講演》における関連意見]
《基調講演》:□安全と安心:5番目意見
(2)原子力の行政組織
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│・原子力の行政組織に関して、原子力委員会及び原子力安全委員会を独立│
│ な機関にするべきなどの意見があり、原子力委員から、現在の体制は │
│ 昭和50年代前半に国会でも十分議論を経た上でなっており、 │
│ 特に安全委員会は構成員やこれまでの実績を見ても十分な第三者機関で│
│ あると認めてもらうことが重要。しかし批判があることも事実であり │
│ それについては、十分説明していくことが重要との認識が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 一般の人に不信を抱かせている要因に原子力行政組織の問題がある。原子力委員会にも立場の違った人、他の分野の人を入れるべきである。また、科学技術庁長官が原子力委員長になるのをやめ、事務局も科技庁から独立させて、完全に独立した組織にするべき。安全委員会も同じ。
- 両委員会については、昭和50年代に原子力行政懇談会の指摘を受け、その後国会でのかなりの議論を経て、現状の規制と推進を分けた体制となっている。特に安全委員会については、高い見識と専門的知識を備えた先生方から構成されており、国会同意人事でもある。立派な第三者機関であり、今まで活動の歴史もそれを充分裏付けている。しかし批判があることも事実であり、それについては、十分説明していくことが重要。
(3)もんじゅ事故
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│もんじゅ事故の捉え方について、 │
│・技術的には想定内の事故であるという意見と、地元としては高速増殖炉│
│ の根幹に関わる事故であるという意見が出された。 │
│・また、国際尺度では0+(注)であるのに大問題になったのは、 │
│ 期待感への反動と組織の事故対応に対する失望であると意見が │
│ 出された。 │
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(議事の概要)
- 「もんじゅ」の事故は、国際的な基準では、0+(注)であるのに、それがチェルノブイルと同じくらい社会的反応を起こした理由は、国民は「もんじゅ」に対し期待していたが事故を起こしてその反動が起きたということと、事故の起きた時に組織がどういう行動をとったかを見て、その裏にある安全への価値観に社会が失望したことが原因だと思う。
- (注):事業者の暫定判断
- 「もんじゅ」の事故の時も、当初、動燃事業団は事象といっていたが、さんざん追求されて事故ということになった。そういうところに現地と中央の受けとりかたとの落差が大きいということを考えてもらいたい。
- 学問的にこうだといっても、地元ではそれだけでは納得できないものもある。今度のことは、これまでの事故隠し、通報の遅れなどの集大成が爆発したということを理解し、そこを原点にしてもらいたい。
- 「もんじゅ」の事故は、地元では感覚的には大事故だったかもしれないが、科学技術的には安全審査でも検討された範囲であり、事象と言っても責めるべきではない。科学技術的な話と、感覚的な話とは区別するべき。
- もんじゅの事故は想定内という見方もあるが、県は高速増殖炉の根幹に関わる事故と認識している。技術的に細かいことはよくわからないが、地元としては、根幹に関わる事故という認識は譲れない。
- 事象を事故と言い改めること自体が不信を生む。
- 不信がなければ、言葉遣いぐらいで問題にはならない。
□その他
(1)原子力発電所からの放射能
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│・原子力は環境に優しいといわれているが、管理目標以下といっても運転│
│ に伴って放射能が放出されるので問題であるという意見に対して、原子│
│ 力委員から、放射線は宇宙に満ちているものであるが、原子力発電所を│
│ 起源とするものは0.0数%と極めて低いという見解が示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 放射線は、ビッグバン以来、宇宙に満ち満ちているものである。我々の通常受ける放射線は、3/4が自然放射線、2割が医療によるもの、残り5%のほとんどは大気圏核爆発のフォールアウト、原子力によるものは、割当値で、0.数%であるが、実際は0.0数%と極めて低いのが実状。
[《基調講演》、《他の招へい者の所感》における関連意見]
《基調講演》:□安全と安心:9番目意見
《他の招へい者の所感》:14番目意見
(2)円卓会議について
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1│・円卓会議を聞き置く場にならないようにするべきという意見に対して、│
│ 原子力委員より、きちんと検討しフィードバックするとの考えが示され│
│ た。更にモデレーターより、議論の成果を的確に政策に反映させていく│
│ よう要請するとの考えが示された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議は、「問題を誰が、どう摘出するか」それを「どういう形で検討するか」さらに、「フィードバックした時点でどう議論するか」をはっきりし、聞き置く場にならないようにすべき。
- 委員長をはじめ、会議でも何度も言っているとおり、円卓会議は聞き置く場でなく、きちんと検討し、フィードバックする。
- モデレーターとしても、聞き置く場とすることなく、議論の成果を的確に政策に反映させていくよう要請していく。
┌─────────────────────────────────┐
2│・国会をベースに立法的な改革等についても検討するべきという意見に対│
│ し、原子力委員より国会で原子力政策が議論されることは歓迎すると認│
│ 識が示された。 │
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(議事の概要)
- 原子力委員会が設置した円卓会議で、行政的な面はカバーできると考える。ただし、円卓会議とは別に国会をベースに立法的な改革、改善の方法についても検討していくべき。
- 国会で原子力政策が議論、検討されることは、歓迎。
(3)原子力問題の捉え方について
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│・原子力の問題についてじっくりと考えていくべきという意見が出された│
│ のに対し、長い視野は必要だがあまりのんびりしていられず、まず教育│
│ が必要との意見が出された。 │
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(議事の概要)
- 「17歳で非行が発生したらそれを直すのに17年かけよう」という言葉がある。原子力の世界でも二十数年かけてこのような状態になっているが、やはり二十数年かけて方向を修正するつもりでやってもらいたい。
- エネルギー問題は長い視野で考えるべきであるが、世論というものが形成されるとそれを変えるは難しいので、あまりのんびりしてもいられない。やはり、教育ということをきちんとやってもらって、そういう人たちがプレスや地元にいると理解してもらいやすくなる。
(4)その他意見等
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│上記の議論の他に次の意見が出された。 │
│1.高速増殖炉の安全性、開発路線、開発体制は疑問。 │
│2.原子力防災について、事故が起きたときに避難体制がとれないのでは│
│ ないか。 │
│3.原子力の問題を議論する際に、もっと幅広い国際的視野や、 │
│ これまでと逆の視点が必要。 │
│4.原子力発電所はもう建たないことを認めて、その上で │
│ エネルギー政策をきちんと考えるべき。 │
│5.プルトニウム政策について、2050年においてもエネルギーの │
│ 1%も作れないようなものをエネルギーの根幹にすることは重大。 │
│なお、5の意見については、全く認識が違うが、また別の機会に議論して│
│いただきたいとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 高速増殖炉は一つ間違えれば、大きな事故につながると考えている。そのいい例が「もんじゅ」事故であったと思う。
- 高速増殖炉の開発路線は非科学的。原型炉から実証炉に行く路線が間違っているのではないか。
- 動燃事業団を解体してもらいたい。動燃事業団の体質は骨がらみであり、社会的、歴史的、政治的に作られたもので直る見込みはない。高速増殖炉の開発は事業団ではなく、少なくても原型炉までは、日本原子力研究所でやるべき。
- チェルノブイリ事故では、大量に人を避難させたが、日本であのような大量避難させる体制が防災上とれているか疑問。事故が起これば、地元は遮断されてしまうのでは、というのが率直な地元の不安。
- 科学技術、原子力の分野でもマーケティングの研究におけるディマーケティング的なこれまでの逆の視点があってもいいのではないか。
- 原子力の話を日本ですると、10年くらい前の国際的な議論にタイムスリップしたような感じを受ける。これだけ海外との関係があってもまだ日本は鎖国を乗り越えていない。もっと幅広い国際的視野でものを考えるべき。
- 原発は現実的に社会的に建たないということを認めて対策を立てるべき。
- 高速増殖炉の商業炉5基が順調に、2050年に動いていると仮定し、なおかつ日本のエネルギー需要が現在と同じだとした場合、日本の必要とするエネルギーの1%しか作れない。そうしたものを日本のエネルギーの根幹にすることは社会的安全の面から見て重大。
- 何年たっても1%と言うのは、全く我々の認識と違う。これはまた別の機会に十分議論していただきたい。
《原子力政策円卓会議から原子力委員会への要請》
- 1回から5回の円卓会議の中で、「情報公開」と「政策の決定過程への国民の参加」の二点が、議論をされてきており、またいろんな問題の根幹にあるものと考えられる。具体的には、
- 国民的な合意形成のためには、様々な情報を分かりやすく幅広く国民に伝えるべき。
- 国民との確かな信頼関係を築くためには、情報公開の一層の促進が重要。
- 原子力政策の決定過程に国民の声を反映させるべき。
という意見が出ている。
- これらを踏まえて、「原子力に関する情報公開及び政策決定過程への国民参加の促進」について、今後、原子力委員会として必要な措置を執るよう要請する。
- 必要な措置を執り、後日、その結果を円卓会議にご報告願いたい。
<原子力委員会>
《伊原原子力委員会委員長代理閉会挨拶》
- 色々な立場から議論が深まっているが、まだ議論が一致していない面はたくさんある。しかし、これは日本の原子力が将来健全な発展をしていくための必要なステップと認識。
- 「安全と安心」について、人間の文化、社会、歴史と深く関わりがあり、人々の心理的な反応まで含めて原子力委員会としても勉強していきたい。
- 民主主義がだんだん成熟するということも期待しつつ、人間心理の側面があまり不安を強調しない将来社会が期待されていると考えている。
- 今日の議論をしっかり受け止めて原子力政策に反映していきたい。
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