原子力政策円卓会議(第5回)
議 事 録


日 時: 1996年6月24日(月)
     13:30−17:35

場 所: 富国生命ビル28階会議室


出 席 者


開  会

【中川】 それでは時間がまいりましたので、第5回原子力政策円卓会議を始めさせていただきます。
 科学技術庁長官を命じられております中川でございます。
 皆様方、まことにご多忙中にもかかわらず、本日のこの第5回の円卓会議にご出席をいただき、特に各方面の第一線でご活躍の方々のご出席をいただくことができまして、心からまず御礼を申し上げる次第でございます。ありがとうございました。
 この原子力政策円卓会議は、今後の原子力政策に関しまして、国民的な合意、共通認識、そういったものの形成を目指していっそう努力すべきであると、こういう声を真摯に受けとめまして、各界各層の方々とよりいっそう積極的な対話を行うべく設置したものでございまして、4月25日の第1回以来、本日で第5回目になる次第でございます。
 第1回から第4回までの会議においては、特段のテーマを定めませんで、幅広い観点から議論を行ってまいりました。まさに多方面の分野の方々のご参加を得て、さまざまな視点からのご議論が自由闊達に行われたという印象をもっているわけでございます。今回以降は、これまでの議論や、あるいはまたその議論から出されてまいりました課題、問題点等を踏まえまして、より深い議論を行っていきたいと、このように考える次第でございます。具体的な分野の設定については、モデレーターの方々と原子力委員の間で議論をしていただきました。その考え方につきましては後ほどモデレーターの五代さんからご説明をいただきたいと存じますが、今回は国民の方の関心も高く、ご意見も多い原子力と社会の関係、特に安全と安心という観点からの議論を行いたいと、このように思う次第でございます。
 原子力委員会は過日、当面8月末までに、今回を含め6回の円卓会議を開催することとしておりますが、そのうち2回は、一般公募によりまして一般の方々にもご参加をいただくことにいたしました。これはこれまでの会議で、一般の方のご参加をという声が強かったことから実施する運びとなったものでございます。
 またこれまでにも明らかにしてまいりましたとおり、会議の議論の結果、今後の原子力政策に反映すべき事柄というものは、またさらに検討を深めるべき事項、そういったものが明らかになった場合は、そうした事柄に応じて、原子力委員会の専門部会のみならず、関係省庁にも具体的な検討を求める、こういうことにいたしております。このように、本会議でいただくご意見に対しては、できる限りの対応をするよう努めてまいりますので、よろしくお願いを申し上げたいと存じます。
 本日も、これまでと同様に皆様方の忌憚のないご意見を承ると同時に、建設的なご議論をお願い申し上げ、会が実り多いものになることを心から祈りまして、私のごあいさつとさせていただきます。
 それでは伊原委員長代理にお願いを申し上げます。
 ありがとうございました。
【伊原】 委員長代理、伊原でございます。
 この円卓会議では、議論を効率的に行うと。こういう目的のために、モデレーターの方々6名に議事の進行をお願いすることにいたしております。進行とりまとめでございます。6名の方々皆様方が毎回おいでいただけると大変ありがたいわけでございますが、それぞれお忙しい立場でございます。本日は評論家の五代さん、それから京都大学経済研究所長の佐和さんのお二人にお越しをいただいております。
 それでは五代さん、佐和さん、どうぞよろしくお願いいたします。
【五代】 五代でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 今ご紹介いただきましたように、私と佐和さんで担当させていただきます。 前半は私五代が議事進行をさせていただきまして、後半は佐和さんに進行をバトンタッチしたいと思っております。
 まず最初に、原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的な事項につきましては、お手元に資料を配付しております。別紙7でございます。ぜひこれをご一読いただき、会議の円滑な進行にご協力いただきたいと思います。
 なお、全部のことは時間の関係で申し上げませんが、いくつかのポイントだけ急いで申し上げたいと思います。
 まずこの会議は、原子力に関する国民各界各層のさまざまな意見を原子力政策に反映することを目的としております。招へい者の選考は、先ほど大臣もおっしゃいましたように、国民各界の幅広い意見が反映するように、性別を問わず幅広い年齢層にわたるさまざまな分野の方をお招きしております。
 それからモデレーターは参加者の意見を公平に取り上げて、透明で円滑な議事進行を努めてまいりたいと思っております。なおモデレーターは、会議の中におきまして、個人的に意見を述べることもありますので、お含みおきいただきたいと思います。
 それから多少とばしまして、会議の中で今後の原子力政策に反映すべき事項、または検討すべき事項が明らかになった場合は、これを関係省庁で具体的に検討するように要請するということを申し添えたいと思います。
 また円卓会議では、単に狭い意味での原子力政策についてのご意見をお伺いするということではございませんで、原子力をめぐる幅広い議論が行われるよう議事を運営してまいりたいと思っております。
 なお、この後も会議の進め方についていくつか論点を申し上げたいと思いますが、その前に、今日お集まりの方々をまず先にご紹介させていただきたいと思っておりますので、お名前を申し上げますので、どうぞご会釈を賜りたいと思います。
 それではアイウエオ順に申し上げます。招へい者のお名前でございます。
 成城大学文芸学部教授、石川弘義さんです。よろしくお願いいたします。
 そのお隣が、北海道大学工学部教授、石川迪夫さんでございます。よろしくお願いいたします。
 そのお隣でございますが、日本原子力発電株式会社技術顧問、板倉哲郎さんでございます。よろしくお願いいたします。
 それから財団法人放射線影響協会放射線疫学調査センター長、岩崎民子さんでございます。よろしくお願いいたします。
 次は、早稲田大学人間科学部教授、黒田勲さんでございます。よろしくお願いいたします。
 それから環境ジャーナリスト、グリーン・アクション代表のアイリーン・美緒子・スミスさんでございます。よろしくお願いいたします。
 次に、学習院大学法学部教授、田中靖政さんでございます。よろしくお願いいたします。
 さて、日本原子力研究所大洗研究所長、飛岡利明さんでございます。よろしくお願いいたします。
 次に、核勉強会講師、中村融さんでございます。よろしくお願いいたします。
 最後になりましたが、高速増殖炉など建設に反対する敦賀市民の会の代表委員、吉村清さんでございます。よろしくお願いいたします。
 この後、この円卓会議について多少のコメントをさせていただきたいと思います。
 この円卓会議は、これまで4回、さまざまな分野の多くの方々においでいただきまして開催してまいりました。そしてこれまでの会議では特定の分野にとらわれない自由闊達な議論というのが展開されたわけでございますが、その原子力をめぐる大方の論点は、その4回の中で抽出されたのではないかと思っております。そしてこれまでの議論は、それぞれの会ごとに議事概要として整理されておりますが、改めてそれを眺めてみますと、具体的には以下の4分野に要約できるかと思います。
 お手元の資料「原子力政策円卓会議の当面の開催について」をごらんいただければ幸いでございます。その中に、まず(1)として「原子力と社会、特に安全・安心に関する事項」という−−一つの大きなくくりでございますが−−問題。それから (2)として「エネルギーと原子力に関する事項」。 (3)として「原子力と核燃料リサイクルに関する事項」。 (4)として「原子力と社会との関りに関する事項」。小さな小見出しはそれぞれにつけてございますので、資料の方でお読みいただければ幸いかと思います。できるだけ自由討議の時間をつくるためにも、大変はしょって恐縮ですが、先に進ませていただきます。
 そして私どもモデレーターは、以上のような原子力に関する多岐にわたる話題を、今後の円卓会議において順次議論を深めていくことが重要ではないかと考えております。なお、これまで招へいされた方々も、一つのテーマに絞ってもっと議論を深めるべきだというようなご意見もたくさんいただいております。もちろん今申し上げました分類が絶対的なものではございませんが、また相互に密接に関連しているものもございまして、毎回限られた時間で議論を効果的に実施するために、今申し上げました4分野を、回を追うごとに順次取り上げることで議論を深めてまいりたいと思っております。
 円卓会議の当面のスケジュールにつきましては、お手元の資料をごらんいただきたいと思います。なお、第8回と第10回の会議では、広く一般公募による参加や、あるいは原子力モニターの方々からの参加を得て、議論の幅を広げたいと思っております。本日お集まりの皆様にも、一人でも多くの方にこの一般公募が行われていることをお伝えいただければ幸いでございます。
 このようなことで、大変前置きが長くなりまして恐縮でございますが、本日は原子力と社会、特に安全・安心に関する話題を取り上げ、集中的に議論を深めたいと思っております。私どもといたしましては、 (1)として「人間文化・社会と原子力の関り」、 (2)「原子力の安全確保」、 (3)「安全と安心の関係」。この三つの項目がとりえあず議論のヒントになるのではないかと思いますが、その点についても皆様の自由なご意見がおありでございましょうから、後ほどいろいろとご意見をお伺いしたいと思っております。
 さて、今日のこれからの進め方でございますが、本日は以下のような議事運営をしてまいりたいと思っております。
 まず最初に、石川さん、田中さん、吉村さんの3名の方から、議論の基礎となる事実関係、視点、ご意見について、基調発言を五十音順にいただきたいと思っております。それ以外の方は、大変恐縮でございますが、ご自身のご意見等は自由討議の中でお述べいただければ幸いでございます。これまで4回の会議の経験を踏まえまして、少しでも自由討議の時間を多くしたいとの観点から、この運営方法をとりました。ご理解、ご協力をお願いしたいと思います。
 さて、自由討議にあたりまして私どもモデレーターは、先ほども申しましたように、できるだけ公平に皆様方にご発言いただけるよう努力してまいるつもりでございます。
 さて、これまでの基調発言に対しまして、ご質問、ご意見などがある場合もありましょうが、議事進行の都合上、ご質問などは後の自由討議の時に適宜行っていただければ幸いと思っております。

基 調 発 言

【五代】 それでは基調発言に移りたいと思います。本日のテーマは、繰り返しますが、「原子力は安全か?安心か? −原子力と社会:安全と安心−」というのがテーマでございます。
 五十音順ということでございまして、石川さんから基調発言をお願いしたいと思います。石川さん、よろしくお願いいたします。
【石川(迪夫)】 はい、どうもありがとうございます。北海道大学の石川でございます。
 このテーマを受けて今日の基調講演をやれというふうにいただきましたのが約1週間ほど前でございまして、ずいぶん大きなテーマに短い時間だなと思ったのでございますが、いたし方ございませんのでお話をさせていただきたいと思います。
 またこのようなものを、短い時間で全部をすることはできないかと思います。一般的に日本的なお話でございますと、まあまあというふうにマイルドにやるのがいいのかとも思いますけれども、こういうチャンスでございますので、あえて一つでも二つでもいい、そのかわり明確に、きちんとお話をさせていただければと、浮き彫りができるようにお話ができればというふうなつもりで準備をさせていただいたわけでございます。
 「原子力は安全か? 安心か?」という資料と、それから今一つ、原子力の安全審査についての資料がございますが、これはこれまでの議事を読んでおりまして、安全審査というものにずいぶん誤解もあり、また違っている点もありますので、これにつきましては、もし次の自由討論の時間に時間でもあれば簡単に触れさせていただきたい。本題となりますこの「原子力は安全か? 安心?」という点につきまして、6点書いてあることについてお話をさせていただければというふうに考えております。
 さて、まず一番初めでございますが、「安心か? 安全か?」、「人間の社会と文化」というところでは、原子力から離れて一般的なお話をさせていただければというふうに考えております。
 まず不安という問題ですけれども、不安感といいますのは、これは何も原子力だけにあるのではございません。近いところですと神戸で地震がありますと、神戸の方々はやはり地震に対して非常に不安感を持つわけでございます。また都市に住んでおりますと、ガス爆発、いっぱいガス管が埋め込んでありますので、こういったものに不安感をもつ方も多うございます。また、我が子の将来について不安感をもつのは、親として当然ですし、また死後の世界に対して不安をもつ方もいらっしゃるわけでございまして、早い話がハルマゲドンにおびえて麻原さんに帰依するといったような話もあるわけです。人間、自分の知らないこと、理解できないこと、もしくは手慣れないこと、こういったものに対しまして、人間の抱く一種の警戒心とでも申しましょうか、これが不安感となってあらわれるものでございます。不安というのは人間の情感、感情のあらわれの一つだろうというふうに思っております。
 これに対しまして、今一つの問題点の安全性ですけれども、これは災害とか危険を発生させる可能性まで含めて、そういったものの科学的な指標、インデックス、こういったものを示しているものでございます。ある程度合理的といえるものでございまして、一つの利用方法としては、それと他とを比較してどちらが安全であるとか安全でないとか、こういうふうに人間が判断をする材料として使うものです。簡単に言いますと保険などに使われておりますし、例えば原子力発電と他産業とでどのように安全度が違うかというのを事故の数で比較をしたり、死者の数で比較をしたりといったようなことをやるわけです。いわば先ほどの感情の世界とは違いまして、理性の世界、知の世界とでも申しましょうか、そういったものになるわけでございます。
 ところがこの知性の世界と情の世界というのは、昔からこれはなかなか難しい関係にあるものでございまして、夏目漱石も、「草枕」の中で、「山を登りながら、知に働けば角がたつ。情にさおさせば流される。とかく人の世は住みにくい」というふうな文章を残しておりますが、全くだというふうに思います。
 ところで、この知と情との世界の相剋が社会の進歩を促していることもまた事実でございまして、例えばそちらに書いてあります種痘、これはジェンナーはたしか我が子に種痘をいたしまして、そうして一般の不安感を除き、現在の疱瘡のない世の中ができたということは皆さんよくご存じだろうと思います。
 次の「黄変米」と書いてありますのは、これは私たち戦後の食料難に育った人間は、タイから輸入したお米が黄変色しておりまして、これはかびが生えていたのですけれども、こういったものがあったのですが、私たちはおなかが減っていましたから、あのころは不安も感じずに食べたものでございます。ところが2年前の米騒動の時、お米がなくなったと言って、タイから緊急輸入したお米にかびが生えているというので、これはまあ捨て去られてしまったわけです。この黄変米のようなものを不安なしに食べた社会というのもこれは悲しいものですが、また多少のかびが生えているからというので、わざわざタイから送ってもらったお米を捨ててしまう社会というのもこれまた悲しい社会だというふうに、私自身は思うわけでございます。
 ということで、安心と安全と言うことについての一般的な話の結論は、知と情の争いというのは、人間の、昔から、古来の社会からあるわけでして、この相克によりまして、私たちが社会を進展していくかというところに役立っていくのであろうというふうに考えているわけでございます。
 ところが原子力ということになりますと、この不安感と安全性というものが比較的同一の線に沿って存在しているわけです。ですので私たち原子力関係者が昔からやってきた安全確保の状態、それがどのような結果になっているかというところから申し上げたいと思います。まずこういうことを言いますと驚かれるかもわかりませんけれども、原子力発電の実績というものは、他産業に比べて格段に高い安全性を示しているということ、これは申し上げてはばかることはないと思うのです。現在世界で約四百何十基かの原子炉が平均大体20年か二十数年運転されつづけていると思いますので、大体1万炉年近い経験があるのではないかと思いますけれども、原子力発電について、原子力による死者が出たというのは、チェルノブイル事故以外にはないわけでございます。チェルノブイルの発電所というのは、私たち自由世界で使っているものではなくて、ソビエト製のきわめて安全性の低い原子炉であったということは、もう今さら私が改めて申し上げる必要もないことですけれども、この事故を除くと死者ゼロでございます。これをもう一度ご確認願いたいと思います。

───OHP───

 各種の産業における死亡者数を比較した図ですが−−先ほど私は安全性は一つの指標であるというふうに申し上げましたけれども、一番死亡者の出る頻度が低いのが原子力発電所でございます。ちょっとスライドの字が小さく私も見えませんけれども、「火災」とか「航空機事故」とかいうのが書いてありますが、目盛が対数目盛でございます、一つ、二つ、三つの目盛ですから、死亡事故等につきましては原子力発電が大体1000倍ぐらいいいということを示しています。これはラスムッセンという方が20年ぐらい前に計算したものでして、こちらにみえておられます飛岡さんがこの方の専門家でございますが、原子炉 100基当たりの計算で他産業に較べて1000倍ぐらいいいというデータが出ているわけです。

───OHP───

 これをもう少し私たちの見やすい自然災害と比べます。原子力発電所の災害というのは、100基で、隕石が落っこちてきた時にそれにあたって人が死ぬという確率ぐらいのところにまで安全につくられていると。これが数値上完全に正しいかどうかということはさておきまして、先ほど言いました指標ですから、いろんな見方があるわけですけれども、ほかの災害、例えば地震とか、そういったものと比べますと格段に安全にできているということはいえるのでございます。
 ただ、こういうふうなデータを原子力関係者が話しますと、原子力屋は安全だ安全だとしか言わないというふうにやゆされるわけですが、原子力に批判的な方も実はこの事実をデータの上では認めておられるわけです。その例を示します。

───OHP───

 これは「日本の原発は安全か」、「科学全書」でございまして、これは日本科学者会議というとおわかりになると思いますけれども、原子力に批判的な方々のつくられた本ですが、赤塚先生が書かれたものでございます。これは大きくしてきたのですが、それではちょっとデータが見えにくいかと思いますが。
 データがございます。一番上が原子力、その次が航空機、それからボイラーの事故です。航空機、ボイラーのデータにつきましては、 100件のものを精選して赤塚先生は選ばれております。それから原子力のデータにつきましては、約 200個の件数を挙げられまして、これを分類して、原子力の問題点を拾っておられるわけですが、この表のおもしろさは、ボイラーについては死傷事故、飛行機については墜落、いずれも人身事故ですね。ところが原子炉についての 200件はスクラムですから、原子炉がとまった時ですね。違ったデータですから、本当はこういう同じ表に挙げられないのですけれども、赤塚先生もお困りになったのでしょう。そのほかのものは死亡事故ですけれども、これについてはスクラムと、原子炉がとまった時しかデータがないというわけで、こういうふうに原子力発電の安全性は、反対派の方も認めておられるわけでございます。
 さて、こういうふうなデータが一般の人に知らされていくと非常によろしいわけですけれども、実はこれがあまり知らされていないようでございます。
 その間に、なぜそのような格段に高い安全が構築されたかということですが、これは、今ちょっと時計を見ますと時間がございませんので省略させていただきますが、原子力関係者の安全確保について努力の結果であります。
 これはたぶん安全を向上させれば、人々の安心感につながるというふうに考えたからだと思いますが、ここに大きな錯覚があったようです。安全をいかに確保していっても、不安感の一掃というふうにはどうやら今のところつながっていないわけです。
 では原子力発電の安心感というのは、これは得られないものであろうかというわけですが、国民合意というものへ向けて考えていくのであれば、私は決して望みなきにあらずであろうというふうに思っております。それは、先ほど申しました原子力の安全性というものが確実に伝わっていく、情報というのが正常に伝達されていけばこれは自然に氷解していくものであろうというふうに考えております。
 ただ情報の伝達のプロセスというのを考えてみますと、情報のたくさんあるところからたくさんないところに伝達していくわけでして、これは技術移転という問題と非常によく似ているわけでございます。技術移転ですと、技術をつくった方が、例えば開発途上国のようなところに技術を流すわけですが、これが成立する要件としては、技術の提供者の方から非常に懇切なデータを渡すとともに、それから受け取る側も、それを消化する能力というのが、また実現させる状態というのが必要になるわけでございます。例えて言いますと、中国に新幹線をというふうなことがありますけれども、新幹線をもっていきましても、新幹線を動かす電気が十分にありませんから、これは動きませんね。こういったような受け取る側のインフラが必要になってくるわけでして、知識的なものにつきましても、受け取る側にある程度の準備の状態がないといけないわけでございます。
 技術移転も情報の伝達ですから、これを外国に対して行うとなると、これは言葉の上の障害等がございます。となりますと、同じ言葉でも、後になってよく笑い話になるのですが、おれはあの時おまえが言ったのをこう考えていたんだ、いや、こういう意味だったんだといって、これは技術移転のような時には笑い話になるわけですが、原子力のような場合になりますと、この知識の落差を媒体をしているマスコミの方々に十二分な通訳をお願いせざるを得ないわけでございます。と申しますと、情報の正常な伝達には伝達側の責務が一つ、それから媒体の役割が一つ、それから受け取る側の能力というもの、三つ揃って必要になってくるわけでございます。
 このうち伝達側の責任、公表の三原則とよくいわれておりますけれども、これが最大の責務であるということは、私も否定いたしません。そういった意味で原子力界の体質とでも申しましょうか、そういったところに問題があることは事実でございますし、これまでもいろんな方々から指摘されている点があると思います。だからこれにつきましてはちょっとスキップをさせていただきまして、後の後者の媒体の役割、受け取る側の能力、これについてお話をさせていただきたいと思います。
 特に媒体の役割ですが、原子力という難解な科学技術を一般の人向けに説明をしていただくということですから、非常に大切な通訳の役割をやっていただくわけですが、この通訳が、ひょっとするとある意志をもってまともなことを曲げて伝えるというようなことがありますと、これは正常な情報伝達にはなりません。情報の正しい伝達にはならないわけです。こういった点で問題がなかったかどうか。今、国民の合意に向けてというふうな重要な時でございますので、仮に今まであったとしてもこれは問いませんが、今後はこういった点を注意していくべきではないだろうかというふうに私は思っております。これについては今少し、後ほど具体的な事例でお話をさせていただきたいと思っております。
 正直に申しますと、どうやらこれは世界的な状況ですけれども、原子力とマスコミというのはどうも相性が悪い。特にマスコミの方は、原子力ということになりますと、比較的センセーショナルな情の情報に流されがちです。また一方原子力の方は、角の立つ科学的な正確さを主張するといったような面がございまして、なかなか折り合いがつかないようです。こういったところをマスコミの方に聞いてみますと、マスコミの態度は原子力に対し「イエス・バット」なんだよと、だから反対じゃないんだよと言われるのです。そしてまた私に親切に、これまでのマスコミの社説を一式送ってくれました。マスコミのイエスという態度は社説によって示されているのだというふうなお話をいただいているのです。社説は確かに「イエス・バット」でございます。ところが一般的な個々の記事について見てみますと、原子力については、先ほど申しましたように、情に流された話が多いわけです。大体ややこしい話というのはなかなかうまく伝わらない、理屈よりも情に絡んで伝えるというのが日本的な風習ですけれども、こういった面がきわめて強いように考えております。
 それから二つ目の点ですが、マスコミの方々がよく言われるのは、体制批判というのが健全なマスコミのあり方であると。原子力のように国家が推進し、電力という大きな企業がやっている原子力に対しては、これは批判するのが当然である、それは健全なのだとおっしゃいます。私はその姿勢は認めたいと思うのですが、少しその姿勢が強すぎる。健全な姿勢を貫かんがために、仮に科学技術について間違ったり歪曲した記事というのを流すということがあった場合には、これは少し問題が違ってくるのではないかというふうに思います。河瀬市長の「地域がいじめられるような状態になっている」というふうな言葉がこれをあらわしているのではないだろうかと思います。現代の社会というのは科学技術によって成り立っているということを考えますと、この科学技術を歪曲したり、もしくは曲げたりすることが仮にあるとすれば、これは私たちが住んでいる自然環境を汚したり、ゴミを捨てたり、これと同じ行為と私は考えております。
 それではOHPで少し、どのような状況にあるのか、どんなことがあるかというのをお見せしましょう。

───OHP───

 これはもう6、7年前になりますが、ある一つの新聞に出ましたものです。ずいぶん大きな記事だということがおわかりになると思いますが、「原発事故の怖さ一目で−中学生用副読本が完成」でございます。「現場教師2年がかり」と。原子力反対の記事、それ自体は私悪くない、反対しないわけでございますけれども、この「原発の本当の話」の内容です。

───OHP───

 わざと黒くしてありますのは名前を隠してあるわけですけれども、「のんちゃんの原発の本当の話」という漫画が中学生用副読本です。こちらに持ってきているわけでございますが、その中身をちょっとごらんになっていただきたいと思います。
 「被爆労働者の実態」というところで、原子炉建屋というのがあり、そこで「濃縮タンクというところに人間が落ちて死んでしまうと、出てこないので、コンクリートに詰めてそのまま放り出してしまうんだ」と。これが副読本の内容でございます。言っておきますが、原子炉建屋というのに濃縮タンクなんていう妙なものはありません。

───OHP───

 更にこの漫画でございますが、トラックエアーロックという、トラックで物を搬出入する出入口がありますね。ここで放射能に汚れた工具を、監視をせずにこっそりと出しているんだという漫画です。これは事実歪曲もはなはだしいのですが、こういうのが先ほどのように新聞に大きく、「教科書の副読本『本当の話』」というもので出されている。このような記事を、数多く目にするわけでございます。これは後の証拠として、私が持っているのをお貸ししたいというふうに思っております。
 さて、これを書かれた記者の方は自分の書いた記事の内容をチェックされたのかどうなのか。もしチェックをされてこれを書かれたのだとすると、これはゆゆしい問題であります。先ほど私が申し上げましたように、科学技術を歪曲をしたり、歪曲をしているような情報を流しておられるというふうに思うのです。こういう点は国民合意の形成に向けて、マスコミの方々、ジャーナリズムの方々に、もう少し反省をしていただければ−−反省をしていただくというとちょっと言葉が過ぎるといけませんが、今後もう少しお考えをいただければというふうに考えている次第でございます。
 さて最後に、時間もほとんどいっぱいになっておりますので、受け取る側の能力についてお話をさせていただきたいと思います。
 フランスは原子力発電をやりました時に、学校で放射性物質、放射線について教育を始めたようです。これによって非常に冷静な原子力の受け入れ方が進んでいるというふうに聞いております。過日の討論の中でも、エネルギー問題について義務教育からやるべきではないだろうかというお話もございましたが、私原子力の不安感をかきたてているのは何といっても放射線、放射能という一般の人にとって、わけのわからないものが活躍をするというところにあると思いますので、これもあわせてぜひ義務教育でやっていただきたい。特にこれは言っていてもしようがないんですね、大臣。いらっしゃいますので、ぜひ文部省とも話をしていただきまして−−天然自然にも放射能というのはあるわけでございますから−−これの人体に対する影響がどういったものか、これを中学校教育でやっていただきたい。私原子力の安全性について講義をやってくれなんていうことは一言も申し上げません。だが、放射能については国民に十二分にわかっていただきたいと思います。
 さて最後のしめくくりで、もんじゅの事故について簡単にお話をさせていただきたいと思います。
【五代】 お話中大変申しわけありませんが、最後の時間は非常に圧縮してお願いしたいと思います。
【石川(迪夫)】 わかりました。
 もんじゅの事故自身は、技術的にはこれはナトリウムの漏洩、温度計の破損による漏洩ということでございます。大事故かどうかという問題でございますが、これは人間の感情で述べるか、科学技術というところで述べるかでは、はっきり区別して取り上げていただきたいと思います。
 それから今一つですが、私今日は、昔原子力の安全をやっていたというところでたぶんこういう基調講演をやれというお話だったのだろうと思いますが、実は私第4回目にエントリーをしていたわけです。その折出席していれば、先ほど申し上げました原子力界の改めるべき体質というものについて、私はお話をしたいなというふうに思っていたのですが、どうやらそれには不適当というふうに思われたのか、今回出席ということになったわけでございます。本日は安全性について述べましたが、原子力界の体質:こういった点が私問題がないと言っているわけではありません。先ほどの伝える側、データを伝える側の中にある体質の改善−−ま、これは必要でありましたら次回の時にでももう一番呼んでいただければ、お話をしたいと思っておりますが、−−それがあるという前提に立って、伝達をする媒体の役割、それから受け取る側の役割について、国民合意を得る上でどうあるべきか、十二分に討論をやっていただきたいというふうに思う次第でございます。
 ちょっと時間を超過したので、失礼いたしました。
【五代】 ありがとうございました。
 後ほど皆様からのご質問があるかと思いますけれども、またその時によろしくお願いいたします。
 それでは先を急いで恐縮でございますが、田中靖政さん、お願いいたします。時間は大体20分ということでよろしくお願いいたします。
【田中】 はい。わかりました。どうもありがとうございます。
 私も、ちょうど今、石川先生がおっしゃいましたように、1週間ちょっと前にこのお話がありまして、さてどういうことを申し上げたらいいかなということをいささか悩みました。
 その時に、一番最初に実は私の頭に浮かびましたのは、私自身が書いたこんな小さな本があります。これは中公新書で、1975年に出ておりまして、かなり昔のことですが、「知識社会の構想」という本でございます。そこで、そこの最後の方にこういう一節がございます。「非科学の極に振り子は揺れる」という小見出しがついておりまして、「1974年11月27日付の読売新聞は、“今日の断片”という欄に“狂う最先端の科学技術”と題する論評を掲載し、自然科学分野では大学院でドクターコースを終えた失業者がふえていること、巨大科学、科学技術が安全対策の技術の壁に突き当たっているということ、そしてさらに科学不信の念が国民に広がりつつあることなどを指摘している」と。こういう書き出しでこの節は始まっております。
 私は、20年以上前の話なのですが、日本だけではなくて世界全体がいわゆる「ゼロリスク」という原理の方向に向かいつつあるのではないかという議論を展開したわけです。かつての科学技術の世界、あるいはかつての社会では、例えば10万人のうちの99%が益を得るならば、1%の人が仮に何かの不利益をこうむろうとも、その科学技術というのは社会に普及、社会的に認知されるということだったのですけれども、1975年というその時点は、ちょうど日本では、ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、サリドマイドとかチクロのそういうような薬害が出ております。それから原子力関係ではいわゆる「原子力船むつ」の問題が、この直前に起こっております。ですから何かそういうマイナス面がごくわずかでもあると、そういう科学技術というのは待ったをかけられるどころか社会に受け入れられなくなってしまうという徴候が、日本のみならず、むしろアメリカでも、あるいはヨーロッパでも起こり始めているという、そういう兆しがあらわれてきた時期だったと私は記憶しております。
 本日のこういう会議も、それからまたこういう場をつくっていただいて、私は大変幸運だったと思っておりますけれども、ちょうど20年前に私が書いたそのことが実は現実になって、政府も、業界も、学界も、市民も、みんなこの問題について何とか取り組まないと、これはにっちもさっちもいかないという状態がまさに現実になったと。日本だけではなくて世界中で現実になったのだという現実判断から、私は思います。あと15分ばかりで、「安全」と「安心」というのはどこがどう違うのかということを少し皆さんと一緒に考えてみたいと、思ったわけでございます。
 今日私が簡単に申し上げたいと思いますのは、第1に原子力と世論の問題、第2にリスク評価、いわゆる科学の分野におけるリスク評価と、それから人間の心理であるところの怖さ、あるいは不安と、それからベネフィット、有用感というようなものとが、どこでどういうふうに接点をもつのか、第3にその結果我々はどういうものの選択をするということをやっているのか、この3点を少しお話をしたいと思っております。

───OHP───

 約10年ぐらいのスパンをとってみますと、日本の世論は、例えばチェルノブイルが起こりますと上下するのですが、まずかなり安定している。どういうふうに安定しているかと申しますと、レジェクション、つまり日本はもう原子力は不要だという世論はパーセントとしては大体30%ぐらいです。これはTMI以来かなり安定したパーセントでございます。それからほとんど無条件で原子力は要るが30%。それからこの真ん中のクリティカル・アクセプタンス、あるいはコンディショナル・アクセプタンス、条件づきの承認が30%。ですから容認という部分も含めると大体60%の人たちは原子力の現状維持、あるいは今後もそれを続けていかざるを得ないなと思っている。もうやめてしまった方がいい、即時やめてしまった方がいいというふうに考えている人がやはり30%ぐらいいる。これが現実だということからスタートしないといけないのではないかと思います。

───OHP───

 原子力をやめるかやめないかということを住民投票で決めている国がございます。それはご承知のようにアメリカでして、アメリカは州単位で原子力の是非を、いわゆる「イニシアチブ」という制度により、州の住民投票によって決めるということをやっております。
 ここで唯一住民投票によって原子力発電所が否決されたのが、最後から2番目のサクラメント郡です。89年の6月の住民投票では、47%対53%で否決されております。ただしこれは、アメリカ人の政治学者やアメリカの原子力関係の方々に聞いてみますと、非常に特殊な例でして、サクラメント郡がこの原子力発電所を経営するということと、建設があまりうまくいきませんで、非常に税がかかる、金がかかるということもあって、最終的には住民投票でもうやめようということになったという話です。別にそこに事故があったからとか、あるいは非常に危険だという意識があったからやめたというよりは、むしろ金がかかってしょうがないということでやめたというふうに私は聞いております。しかし住民投票でもって原子力発電所の設置の是非を決めるというのは今始まったことではなくて、アメリカではかなり前から、1976年から、いわゆるイニシアチブという制度のもとで行われているということですので、ちょっと追加いたしました。

───OHP───

 先ほど来問題になっておりました、原子力はどのぐらい安全なのか、あるいは危険なのかという判断は、最近ではいわゆる「リスク評価」と呼ばれることが多いというふうに考えられます。あるいは「危険評価」という言葉はちょっとごろが悪いから、「安全評価」にしたらというような考え方もあります。確率論というものをベースにおいて、物事のリスクないしは安全というものを計算によってはじき出す、計算するということが行われております。
 これが先ほどお話にも出ましたいわゆるラスムッセン報告のもとになっているものでございまして、例えば一番上、これは自動車ですが、これはアメリカの場合ですけれども、自動車が個人が急死する危険の確率が、1年当たりですが、何といっても一番高い。
 それから落下事故。これは階段から落っこちるというのもありますし、建物から落っこちるというものもありますが、アメリカではこの落下による事故が非常に多いと。
 それに比べますと、ちょうど真ん中辺にございますけれども、飛行機の事故。最近日本でも事故がございましたけれども、飛行機の旅行による事故というのはこの辺にあると思いますけれども、これは自動車の事故に比べれば非常に少ない。
 ましてや汽車とかそうそうものの事故も少ないですし、それから例えば落雷とか竜巻とか暴風とかそういう自然災害によるリスクはさらに低い。
 そして一番最後に、原子炉の事故。1974年にこのラスムッセン報告が出ておりますので、実はTMIもチェルノブイルもございませんから、ここにあるように10−9という、ほとんどゼロに近いように危険性は少ないものというふうに考えられておりました。
 リスクを評価するという時のもとになるものは、大体こういう形で表現もされるし、こういう考え方でそのリスクを計算するというのが一種のしきたりになっております。しかしこれは人間の心とは全く無関係な、いわゆる計算の世界、つまり先ほどのお話では理性の世界の話というふうに表現されましたけれども、これと人間の心とは全然違ったシステムですので、これをどういうふうに人間の心に反映するかというのはまた違った話になってしまいます。

───OHP───

 これも非常に読みにくいのですが、お手元にたぶんこれのプリントがあると思います。そちらをごらんいただきたいと思いますが。
 ラスムッセン報告では、原子炉の事故は先ほども申しましたように3×10−9、ほとんどなきに等しいのですから、これは安全ということの証拠でございます。けれども、一方で科学技術庁が1990年に行いました世論調査、これは総理府の世論調査の中に入っている質問項目で、科学技術庁の方でなさったものですが、そこでは人間の心の方は、リスク評価の結果いかんにかかわらず、97.7%の人たちは原子力発電所は怖いと考えていて、怖くないという人はわずか 2.1%しかおりませんでした。ですからここら辺はずれというよりは、「不安」とか、あるいは「怖い」ということと、それから「安全」、「危険」ということとは全然別個のことであって、私どもが社会科学者として扱う場合に問題にするのは、人間がこういう感情をもつという事実から出発して、ではその人たちはどういう行動をとるのか。そしてその人たちは、例えばある技術体系、原子力でも何でもよろしいのですが、そういう技術体系を社会からシャットアウトするように動いていくのか、あるいは何らかの理由で、危険ではあるけれども受け入れようというふうに選択するのか、ということであります。ですから社会的に考えた場合の感情部分と、計算されたエンジニアリングの概念としての確率論的な安全性とは、二つの全然別なものだということを、これは物語っていると思います。

───OHP───

 原子力ばかりではございません。つまり人が「怖い」と思うのは原子力ばかりではございませんで、例えば飛行機事故についても、飛行機事故の確率は、ラスムッセン報告によると9×10−6 、つまりその当時の原子力発電所の事故に比べれば1000倍ぐらい危険なのですが、にもかかわらず人間の心の方は、ほとんど同じように飛行機事故を怖い、あるいは不安と思っているということがわかります。つまり怖いものは怖いと感ずるのです。我々の頭はそんなに細かく計算いたしませんで、「怖いものは怖い」と考えるのが人間の頭のコンピューターだというふうに考えてよろしかろうと思います。

───OHP───

 それでは1枚とばしまして、「原子力発電の安全性・危険性」というところにとんでいきましょう。これも実は科学技術庁の調査の結果ですが、怖いか怖くないかということではなくて、人が考えた時に、「原子力発電は安全と思いますか危険と思いますか」ということに対する回答分布です。先ほどは、「怖いか怖くないか」という問いに対しては、98%ぐらいの人たちが「怖い」と答えておりました。ところが今度は、「安全だ」というふうに答えている人たちが41%もいる。「安全だと思うけれども、でもやっぱり怖いね」という人たちが、この調査の回答者の中にはいるということです。ですからこれは矛盾といえば矛盾なのかもしれませんけれども、当然あり得ることで、「安全なんだ」と思うけれども「何となく怖いな」と感ずるのも、これまたきわめて人間的な自然でございます。それを必ずしも矛盾とは心理学者は考えないということでございます。実際には、原子力発電所を「安全」と思うかというと、41%の人は「安全」と思うし、53%の人は「危険」と思う。しかし、全体としては98%ぐらいの人はそれを「怖い」と思っている。つまりこういうなぞをこれからは解いていかないと、原子力発電所を受け入れてもらえるかどうかというようなことのそもそも問題の端緒がつかめないというようなことも起こり得るのではないかと思います。
 それからもう一つご注意いただきたいのですが、怖いものは原子力発電所だけでは決してないわけで、ほかのものも怖い。先ほど申しましたように、原子力発電所のほかに飛行機も結構怖いというものの一つでございます。

───OHP───

 これも小さくてごらんになりにくいかと思いますので、お手元のコピーをごらんいただきたい。これは1990年に私が東京都内に住んでいる昭和生まれの主婦を対象にした調査の結果ですが、横軸に「危険」の回答をした者をとり、縦軸に「必要」と回答した者のパーセントとりまして、どんなものがどのぐらいのパーセントかということをプロットしたものです。
 ここにあるこの三つのものは、「危険」というふうに感ずる女性が非常に多くて、「役に立つ」と思っている女性が少ないものがこの三つです。
 何かというと、まずこれは食品添加物。
 それからこれはフロンガスです。ちょうどその時分、フロンガスがオゾン層を破壊するというようなことが問題になりまして、一時はいろんなスプレー缶が回収されたということもございます。
 それからここにあるのは、「非常に危険だ」というもので答えられた方が非常に多くて、そして「有用だ」というふうに答えられた方が少ないもの。つまり百害あって一利なしと。これは何かというと喫煙、スモーキングです。
 それからここにあるのが、多くの人が「危険である」と思いながら、と同時に多くの人が「役に立つ」と思っているものです。これが自動車になります。
 そしてここら辺に、原子力発電所。
 それからこれが飛行機による旅行。
 それからここにあるのが、火力発電所。
 ですからこの3つは、危険と感ずるよりも、もっと多くの人が役に立つと感じているということになります。
 さらに、ここでは「安全」であって、そしてしかも「役に立つ」と感ずる者が多いものがあります。何かといいますと、これがビタミン剤で、これが漢方薬ということになります。
 ですから主婦の頭の中では、危険で役に立たないもの、危険であるが役に立つもの、役に立って危険でないもの、この三つが分かれているということがこれでわかります。
【五代】 ご発言中ですけれども、そろそろ時間も迫ってまいりましたので、結論の方にお進みいただけますでしょうか。

───OHP───

【田中】 それでは2枚ばかりとばしまして、「30事象に対するリスクとベネフィットのトレードオフ」。これが我々の頭の中のいろいろなものに対する図だと思ってくださって結構だと思います。つまり一方の方に「怖い」、「怖くない」、「危険」という感じ、それから「安全」という感じ、こちらが「役に立つ」という感じ、これが「役に立たない」という感じです。ですから危険で役に立たないものの筆頭は戦争、それから核兵器などがあります。
 それからここのところが非常に微妙なのですが、ここが原子力にとっては最大の問題点になると思うのですが、この三角形の下の方は、危険ではあるけれども役に立つから、まぁしょうがないだろうと、使い続けていかざるを得ないなというようなものがこの中に入っています。ここにはプルトニウム、放射線による治療などが入っています。
 で、原子力発電というのはどこかといいますと、この辺です。原子炉がこの辺にあって、日本の原子力発電所はこの辺にある。それから日本の濃縮施設がここにある。ここにプルトニウムがあります。プルトニウムというのは、危険だけれども役に立つというふうに考えられているものの一つです。
 これは心理学的に測った結果をプロットしているのですが、たぶんごらんになっている方の頭の中でこれは少し偏っていない? というふうにお考えになる方が多いのではないでしょうか。確かにそうなのです。実はこれは原子力に何らかの関係のある方々の頭の中の絵をここへ投射したものなのです。
 時間があれば、素人の方々はどういうふうな絵をもっているのかということをここでご紹介できるのですが、実際には大差はありません。大差はありませんが、原子力に関する限りは原子力に関係するものが上の方へ少し動く。つまり素人と原子力の専門家の方々の頭の中はどこが違うかというと、殊に原子力に関しては、素人が危険と思っているものを専門家の方は比較的安全だと考えている、そのところがちょっと違うということです。
 しかし、私が先ほど申し上げたことの繰り返しになりますけれども、人間というのは怖いものに取り囲まれているわけでして、原子力だけが怖いものでは決してありません。もっと怖いものというのは、例えば地球の温暖化とか、先ほどチラッと出てまいりましたけれども、皮膚ガンのもとになるといわれるオゾン層の破壊であるとか、つまり二次的、三次的な原因で、あるいは将来、25年以内に起こってくるかもしれないような地球的な規模での天候あるいは気候の変化というようなもの、こういうものもまた、我々は今はそれほど気がついておりませんけれども、将来は怖くなるものの一つです。ちょうど私が25年前に書いた本の中で「原子力むつ」を例にとって、「これは将来問題になるかもしれない」というふうに書いたのと同じように、今は我々は直接にはそれほど驚異を感じておりませんけれども、殊に温暖現象であるとか、あるいはオゾン層の破壊であるとか、そういうものの危険もあります。
 こういう種類の雑多な危険の中で我々はどうやって生きていくのか。一つ一つについてどう手を打っていくのか。これがいわゆる科学と技術だけの問題ではなくて、政治や行政というものが問題を先取りしていくというところの一番重要な問題ではないかと思います。今回のようにこういう円卓会議を通じていろいろな種類の危険をとにかく暴き出して、その一つ一つについて、今のうちから手を打っておくということが、将来の日本のみならず世界全体の安全性を高めるために大変重要なことではないかと思います。
【五代】 どうもありがとうございました。
 それでは最後になりましたけれども、吉村清さん、どうぞよろしくお願いいたします。
 やはり時間は20分ということで、申しわけありませんが、よろしくお願いいたします。
【吉村】 福井県の敦賀からまいりました。原発立地のところで生活をしています吉村でございます。
 今日は板倉さんもお見えですが、私は1962年、敦賀発電所立地以来敦賀の市会議員で、この原発問題に初めてかかわってから今日まで、原発の問題と切っても切れない関係でやってまいりました。
 私は逐次原子力発電から撤退をしていくべきだという基本的な考え方をもっております。特に高速増殖炉については開発は断念した方がいいのではないかというのが私の基本的な考え方です。また後ほど討論の中でこの点についてはさらに具体的に触れていきたいと考えています。
 推進の側から常に言われておりますのは、原子力発電はクリーンなエネルギーである、だから原発は環境にやさしいエネルギーだ、こういう言われ方をするのです。果してそうだろうか。
 その具体的な例として参考資料1−1から1−4まで出したわけですが、これは昨年の10月に、その前の年までの福井県の環境報告の集大成をしたものの中の抜粋です。各発電所の放射能、放射性廃棄物の放出量がベクレルで出ているわけですが、ベクレルでいいますと、実に10の15乗とか14乗とか13乗とか11乗、10乗という大きな数字になります。
 もっとわかりやすい数字がないものかと思って昨日見ておりましたら、84年1月に発行した「福井県の原子力」という冊子があるのですが、これでは前の単位−−前の単位、今の単位というのもおかしいのですが、キューリー単位で出ているのがありました。皆さんのお手元には配布していませんが、それで見ますと、一番最初に敦賀発電所が放出した例えていうと希ガスについては13万キューリーが出されているわけです。放出管理目標値はその年は4万5000キューリーです。だから放出管理目標値の3倍の量の放射能を放出しているのです。県も、それからその後起こってまいりました地域の反対運動、また全国的な反対運動で、逐次電力企業も放出を抑えまして、その後大体82年度以降はほぼ横ばいではないかなと私は見るわけです。しかし、この液体廃棄物についてもそうですが、当初は管理目標値の倍近く放出しているわけです。
 変わらないのがトリチウムです。トリチウムについては1−4を見ていただくとおわかりだと思うのですが、かえって年度がたつに従ってトリチウムの放出量はふえていっているわけです。けたにして1けたから2けたふえてきている。これはトリチウムについてはどうしようもない。放出をしていくものについては抑えることができません。専門家に言わせますと、それは管理目標値以内だからご心配はいりませんと、こういう言い方をされるわけですが、実際現地にいて、発電所があって、そして運転をしておれば、必ず放出をしなければその発電所の運転が維持できないというところに私はまず第一の問題点があるのではないか。
 それからこの後の事故隠しのところでも触れますが、敦賀1号機が一般排水炉へ放射能を漏らしました。この事故で一たん出た放射能は、参考資料の一番最後につけておきましたが、未だに敦賀湾の中の浦底湾の海底での放射能というのは、特に原子力発電所から出るものとして明らかになっているのはコバルト60ですが、このコバルト60が未だにごく微量であっても消えていかない。これは県の安管協の中でも問題にされるわけですが、前の敦賀市長あたりは、もういい加減にゼロにならんのか、何とかならないのかということを言うぐらい、一たん環境に放出された放射能は、その半減期に基づいて、半減期を過ぎていかなければ減っていかないという宿命をもっている。 これを一番最初に指摘をしたいと思うのです。
 2番目の問題は、今日まで運転をしてきて、ここに書いた事項はそのうちの特筆すべき事項ですが、一番最初美浜1号機、これは73年3月に発生しているわけですが、3年間隠されて、76年12月に国会で追求されて初めて明らかにされたわけです。燃料棒の折損事故でありますが、これも事故隠し、それから自治体に対する通報すらなかった。県は当時関西電力に対して何だということで大変開き直ったということを私も覚えております。
 それから次が敦賀1号機、一般排水炉への放射能の垂れ流し事故。これについても、一切報告がない。敦賀湾の中の浦底湾の 800mほど離れたところで県の衛生研究所が採取をしたホンダワラから通常値の10倍の放射能が検出された。これは大騒ぎになりました。
 それから3番目が美浜2号機の蒸気発生器の細管破断事故です。これはまさに、私が聞きましたら、必ずLBBの原則というものが働くから大きな事故には至りませんと言ってきたのが、この事故でもって完全に覆った。LBBというのは leak before breakです。大きな事故の前に小さな兆候があるから、その段階でとめるので、大きな事故には至りません。特に細管については小漏洩でその中身がわかりますので、その時に手当てをするので、大きな事故には至りませんと、こう言って宣伝をしてきた。このリーク・ビフォア・ブレークという考え方が、この美浜2号の事故で完全に覆されたと私は考えておるわけです。
 その考え方でいくならば、その教訓を生かすならば、今回のもんじゅの事故についても、はっきり言って起こるはずがないのです。ところが今回のナトリウムの漏洩火災事故、これはもう美浜の事故を全然生かしていない、その経験を踏まえていないというのが今回のナトリウム漏洩火災事故だと思うのです。
 これらの事故に共通することは、常に情報隠しが行われてきた。非常に遺憾なことですが、たび重なる情報の隠し、それから通報の遅れ。常に大事故の時になればなるほど、この通報の遅れや事故隠しが行われてきたところに、地元にとって不信といいますか、そういうものが醸成をされてきているという点が指摘できると思うのです。
 それと、私も一時市会議員で、企業や、それから当時の原子力については科学技術庁が全部統括をしていましたから、説明を聞いた時に、放射能はただの一滴も漏らしませんと、こういう説明でした。ところが実際運転を始めると、先ほど言ったような状態で、外へ放射能を出さなければ運転ができないということが明らかになってきたのです。そうすると今度は国も、それから電力企業も開き直りです。出していても、それは基準値以下だから安全ですと。
 それでは低線量の放射能に対する疫学調査をやってきたのかといいますと、そういうものは今日までやられてきていません。そうなると、安心だ、安全だと言われても、何を根拠にして安全だと言われるのか。少なくとも私に言わせれば、低線量の放射能が人体に与える影響についてはまだ解明をされていないと私は聞いております。そうなると、この放射能の問題については、一番最初から今日まで、立地をしてほしさに言ってきた電力企業側の推進の宣伝から言いますと、まさに地元と企業、国側との間にボタンのかけ違いがあった、そのかけ違いがそのまま今日まできているのが現実ではないかなと、このように思うのです。
 そこで、次の防災の問題にもその点が出ているわけです。端的に言って、福井県で敦賀から舞鶴の一つ手前の高浜町までの間に今15基の原子力発電所が集中しているのですが、その中にある市町で県と一緒になって防災訓練はやっていますが、単なる通信訓練だけです。企業と自治体との間の通信訓練。 住民が参加をするようないわゆる防災訓練というのはただの一度も実施されていない。
 なぜ実施されないかといいますと、ここにちょっと書き出しておきましたが、町によって二つに大別できるのですが、国が安全を保証しているのだからやる必要はないというのが一つです。2番目は、一自治体にその災害がとどまるものではない。他の地域まで及ぶのだから、一自治体でやっても意味がない、だからやる必要はないと。極端な例を言うと、ちょうど戦争中のB29の爆撃に対して、竹やりやらほうきで立ち向かうようなものだ、やる必要ないよという言い方までする町もあったということを指摘しておきます。
 それが今回のもんじゅの事故で、今国の方は指針として原子力発電所から10キロの範囲に対して防災に対する補助とかいろいろなものを出しているわけです。ところが福井県内の30キロ、40キロ、50キロと離れたような地域の自治体が、この事故を契機にヨウ素剤を独自に購入して、それを町内会にまで配布して、町内会で保管をさせる。今、福井県がやっていることは、敦賀の県の保健所と小浜の保健所に嶺南地域の住民の1日か2日分ぐらいのものを保管しているわけです。まさかの時に住民にまで配布できるのかという問題があるのです。ところが30キロ、40キロ離れたところの自治体が今回の事故を契機にしてそういうものの配備をしているということになりますと、その整合性の問題、県とそれぞれの自治体の関係、さらに国との関係で、今後科技庁の方も、ヨウ素剤の保管・管理の方法についても、問題点としてぜひ一つ検討してもらいたいということを申し上げておきたいと思います。
 そこで、私は次のページでいくつか提言をまとめておりますが、一つは、私は県の原子力安全管理協議会に20年近くずっと出席しておりますが、その中で私は前から言ってきているのですが、原子力発電所が安全であるというならば、実際に放出をしている放射能は、今現在は国の方が認めて出しているのは3カ月ごとのまとまった数量を報告しているのです。1四半期に一回ずつです。何月何日に出したというものではないのです。3カ月に一回なのです。私は少なくともこれについては、前から主張いていますし、今度福井県もこのもんじゅの事故を契機にして国に要求をしていますが、少なくとも排気筒の放射能、それから液体廃棄物として温排水にまぜて出す分については、やはりリアルタイムでこれを発表する、公表していく、これが情報公開の第一歩ではないかという点を第一に申し上げたいと思うのです。
 それから先ほど言いましたように、大きな事故ほど自治体に対する通報が遅れているのです。まさかの時、いわゆる環境に放射能が放出された時には、これはもう間に合わないわけです。半日も遅れたり、1時間も遅れたり、2時間も遅れるようなことでは間に合わないわけですから、少なくとも自治体に対する通報義務については法律でもって規制をしてもらいたい。それによって全部直るかどうかわかりませんが、少なくとも私は法律によって担保をすべきであると、このように提言したいと思います。
 それから3番目は、先ほど原子力災害の問題で防災対策のことを申し上げましたが、少なくとも現在の災害対策基本法の範疇にはこの原子力災害というのは入りにくいのではないか。というのは、放射能災害というのは人間の五感には関知できないのです。それだけに一たん放射能が出たということになりますと、これはパニックになりやすいわけです。ですから常日ごろからこれに対する災害に対してどのような防災をし、また住民にどのようにパニックにならないように知らしていくかという体制づくりを進めていくためには、やっぱりこの原子力防災については特別立法でやるべきではないかなと。 今までの私の経験からいって、これは自然災害対策の範疇に入れるべきではないというのが私の基本的な考え方です。この点についていろいろ意見がありましたらお聞かせを願いたいと、このように考えております。
 それから今回のもんじゅのナトリウム火災事故です。これはもうまさに日本の原子力政策と、それから安全のあり方について根本的に問われていると私は思うのです。先ほど石川先生の話では、まあまあこれは想定内の範囲の事故であったと、こういう解釈です。ところが私たちは、福井県もそうですが、これは高速増殖炉の根幹にかかわる事故である、という考え方をもっているわけです。この点についてはいろいろ論争のあるところだと思うのですが、少なくとも高速増殖炉の生命線はナトリウムをどう制御するかというところだと思うのです。だから温度計に欠陥があった、設計ミスだといっても、そこから漏れたということは、何といってもやはりこの根幹にかかわるところで漏らしているのですから、安全審査のあり方についてもやはり抜本的にやる必要がある。
 そのためには、今の原子力安全委員会のあり方、事務局が科学技術庁の安全局の中にあるような現状では国民から完全に信頼されるということはない。 日本の原子力発電所の安全施策については、現在の軽水炉も含めて、すべて安全委員会が独立をして、事務局も独立して、ちょうどアメリカのNRCのような格好で安全対処をやるのが望ましいのではないかというのが私の意見であります。
 それから科学技術庁の組織のあり方ですが、これは私は長官にも率直に申し上げたいのですが、今の推進をする原子力局と規制をする安全局が混在するような行政庁のあり方でいいのだろうか。少なくとも科学技術庁の立場としては、安全なら安全をやるならば今の通産の方の安全サイドの仕事といいますかそれも全部合わせて、安全に徹した行政組織にしたらどうですかということを申し上げたいと思うのです。これが2番目の問題です。
 それから3番目の問題は、あれだけの事故を起こして事件にしたのは今回の動燃の不始末です。私は前から言っているのですが、一度うそをついた者は二度と信用されないということわざがあります。ですから私はこの際動燃は解体をすべきではないか。そしてもう一度原点に返って研究から始めるならば、日本原研と一緒になってやったらどうですかということを私は言いたいのです。だから動燃は解体をすべきであるというのが3番目です。
 それから、今までああいう大きい事故が軽水炉も含めて起こっておりますが、そういう場合に果して運転員はどういう処置をしてきたのか。今回もそのことが問われているのです。そういう点を考えると、航空機にはボイスレコーダーとかフライトレコーダーを積んでいます。同じように中央制御室にテレビカメラを置いて、そういう事故の時に中央制御室では何があったかということをリアルタイムにできるような体制にしておく、そしてそれを後に公開していく、こういう体制が必要ではないかということを、私は4番目に提案をしたいと思うのです。
 そして最後に、ここに書いてありますが、各国が高速増殖炉の問題でつまずいて撤退をしていっているわけです。日本だけは大丈夫だといって豪語してやってきたのですが、やはり常陽でうまくいったから大丈夫だという自信過剰といいますか、このあり方が今回のもんじゅの事故につながっていったと、こう私は見るのです。ですからそういう点から言いますと、この際日本も、もう一度謙虚に振り返って、そして原点に返って、この高速増殖炉開発を突っ走っていくということはやめていただきたい。特に新型転換炉のふげんを原子力委員会がおやめになりました。あれはまさに英断だと私は思うのです。実証炉の問題についてちっとも決まらない。そのことを考えますと、このもんじゅの問題についても、高速増殖炉路線についてはもう一度立ちどまって考えるという立場から、撤退をしてもらいたいということを強く要求しておきます。

他の招へい者の所感

【五代】 ありがとうございました。
 お三方のご発言を伺っておりますと、一つ一つ本当に考えさせられる重い問題が随所に散見されまして、時間のたつのを忘れる思いでございました。
 ところで、この後皆様方に議論を深めていただくわけですが、先ほど申しましたようにこの会は前半と後半に分かれまして、後半の方では徹底的に議論をしていただくということでございます。前半の方で、これはちょっと説明になって恐縮でございますが、実は第1回から第4回までに出されました議論のポイントというのがありまして、この中でも随所に今日のテーマの安全・安心の問題がこれまでご出席された方々から幅広く出されております。
 念のため一、二だけご紹介させていただきすと、例えば文明の中での原子力という問題では、「原子力は事故が起こったら人類は何もできなくなる可能性がある。そのようなエネルギーは使うべきでない」というようなご意見。 あるいは安全確保の点で、「安全の基本というのは、『人は誤り、機械は故障することあるべし』という認識に立っての深層防護の確保に努めるべきである」ということ。また先ほどからの話題に出ておりますナトリウムに関しては、もんじゅの事故は原子力の安全に抵触するものではないが、今後ナトリウム技術の開発に力を入れるべきである」というご提言。あるいは「もんじゅの事故についてプルトニウムや原子炉にかかわる事故でなかったという主張もあるが、そのような考え方は疑問」というご発言。さらに、「もんじゅの事故調査に対する公正な第三者機関をつくるべき」というご意見、さらに今度はリスクの問題では、「飛行機の事故は過去の実績から客観的な確率が計算できるが、乗る時は主観的な事故確率をゼロと考えている。原子力の事故は客観的な確率がなく、評価が人によって変わってしまう」というようなご意見。時間がありませんので割愛しますが、さまざまな具体的なご意見が出ております。
 実はこの後、ご議論を深めていただく前に、今お三人の方々の基調発言がございましたところですので、せっかくでございますので、このお三人のご発言について、まずどんなご感想をおもちになったか、時間を区切って恐縮ですが、後半2時間ございますので、前半の締めといたしまして、お一人できれば3分から5分の間でご感想をお願いできないでしょうか。
 それではアイウエオ順で恐縮ですが、石川先生からお願いいたします。
 【石川(弘義)】 お三方のお話の中で、石川迪夫先生と、それから吉村さんのお話は、文系の私には、技術的なことが多すぎてよくわからないところが正直言って多かったと思います。吉村さんが最後にお話しになったように、石川先生のお考えとかなり対立してくる部分が非常に印象的だったのですが、一体なぜこういうことになるのか。両方とも伺っていると両方とも正しいなという感じがするわけですが、そこら辺がわからないんですね、正直言って。これについて説明してくれるのが、例えば原子力委員会の先生方の仕事かなというふうな感じもあるわけです。
 それから田中さんのご発表については、社会心理学が専攻ということもあって、全くそのとおりだと思います。ですけれども、二つの概念をどうつなげていくのかという部分についてもう少し具体的な提案を、後半の方でできたら伺いたいというふうに思いました。
 以上です。
【五代】 大変要約していただきまして、ありがとうございました。それでは板倉さん、お願いいたします。
【板倉】 初めに、そのものを十分科学的にまず認識するということが非常に大事だと 思います。お二人の話はだいぶ話が違っていたということから見てね。そういう点では、どなたかもおっしゃっていたように、やはり放射線というようなものの、本当にまだ自分がこっちがいいこっちがいいと決める前の時に、やはり小学校時代から放射線とはどんなものかと、あるいはエネルギーはどんなものかと、こういう教育が必要だということと、それからもう一つは、やはり事象がいろいろ込み入っていますから、これをそのままパブリックに流してもある程度ご理解できないとすると、それを翻訳する、媒介すると、そういうところの方々に非常に深く将来を考えていただければなという、失礼なことを言って申しわけございません。
【五代】 翻訳はどういう……
【板倉】 翻訳というのは解説するという意味です。
【五代】 どういう立場の方に期待をしていらっしゃるのでしょう。マスコミでしょうか。
【板倉】 今でいうとやはりマスコミが一番国民に接触する機会が多いわけですから、各々がしなくちゃいけないけれども、結果としてはやはりマスコミさんがどうしても一番強い力を発揮されているのではないかと、そう思います。
【五代】 はい、ありがとうございました。それでは岩崎さん、お願いいたします。
【岩崎】 私もこういう場面に初めて出させていただきましたのですけれども、お三方のご説明を伺っておりまして、それぞれに非常に勉強するところが多うございました。石川先生に関しましては、前から私も思っておりますけれども、専門家−−私が専門家というふうな立場にしますと一般の方々との間に非常にギャップがあるということ、それは常々思っております。やはりそこには、今、板倉さんもおっしゃいましたように、マスコミの役割というものを非常に重要に思っております。
 それからまた田中先生のお話は、私も前から感じておりましたけれども、ゼロリスクというようなこと。ゼロということは生物学にも非常にあり得ないことでございまして、そういうことと絡めて、吉村さんのご発言にもございました人体との関係という、非常に低い線量のところでの人体への影響ということも非常に大切なテーマではないかと考えております。
【五代】 ありがとうございました。それでは黒田さん、お願いいたします。
【黒田】 説得と納得というのは大変違うんだなということを、お話から感じました。 技術的リスクをもって説得をするということと、社会がリスク感覚に関していかに納得しないかということの事実が、今度の円卓会議を開く理由になったんだろうと思うんですね。
 なぜこういうような反応が起き、これからどうするかということは、後からのいろんなディスカッションのところでお話が出てくるのだろうと思いますが、そこのこれからどうしていくのかというようなところを、ぜひとも安全なり安心なりというところからディスカスの中でさわっていただきたいなという感じがいたします。以上であります。
【五代】 ありがとうございました。
 それではアイリーン・スミスさんにお願いしたいのですが、実はスミスさんの方からこちらの方にメモをいただいておりまして、私も拝見いたしました。ご主張としては、できれば15分ぐらいきちんと時間を欲しいと、その中で自分のご主張を述べたいというご意見でございましたが、今は一通り皆様に感想を伺いますので、後半の方でまたご主張を述べていただくとして、今、前半の最後のところでは、できればお三方の基調発言に対するご感想をいただきたくということでよろしゅうございましょうか。
【スミス】 はい、結構です。
【五代】 それではよろしくお願いいたします。
【スミス】 皆様3人からお話を伺いまして、一生懸命考えていたのですけれども、次のことを思いました。
 私たちこの今の社会、世の中というのは非常に残酷な世の中でありまして、例えば毎日4万人の子供が、食べ物が足りなくて、か、食べ物が足りないための栄養失調で死ぬわけですね。昨日も4万人死んだわけです。今日も4万人死ぬんです。これは何なのかと。食べ物が足りないのかということで思うと、もちろん内乱とかいろんな問題が、事情がありますけれども、でも大きく言って、「やはり私がよければいい、ほかの人はどうでもいい」というその発想がそういうことを起こしていると思うのです。例えば食べ物で言いますと、アメリカで肉を1割減らして、それで開放される穀物を配布できたら一人も死なないわけですから。でもそんなんじゃなくて、自分が食べたいということでこういうことが起きるわけです。
 それで今の話を聞いていまして、エネルギーを確保するのも、これは原子力だけでなくすべての今のエネルギーの確保の仕方だと思うのですけれども、あまりにも「私がよければいい、ほかの人は遠くにいて目の前に見えないからいいんだ」と。それが今の3人の話でどういうふうに思って関係しているかというと、リスク・ベネフィットという話がずいぶんあったのですけれども、リスクを受ける人とベネフィットを受ける人が違う場合、リスク・ベネフィット分析というのは意味がない。意味がないだけでなく、これは私は倫理に反すると思うのです。
 私は3年間水俣で水俣病の被害者の写真を撮ったのですけれども、これはどの技術、科学、テクノロジーでもいえると思うのですけれども、被害者の立場からものを見ると全体像が見えます。これは被害者の世の中だけが見えるのでなくて、その技術すべての全体像が見えてくるのです。今この話を聞いていると、その世界からが見えてきていないというふうな感じがします。ぜひその世界からものを見て、例えばこの原子力を考えていくというのが非常に重要だというふうに思います。
 じゃ原子力はどのぐらい人を殺しているのか殺していないのかという話がありましたけれども、やはり原子炉というものはできるだけ安全に運転するけれども、万一の場合怖いと。なぜかというとものすごく怖いものが中に入っているからだということですね。一番多い場合は、素人的な言い方かもしれませんけれども、広島で降った死の灰の1000倍が入っているわけですね。それの一部でも出たら怖いという気持ちです。それがもう率直な気持ちですよね。もし例えば新橋の駅に原子炉があって、今ここの扉があいてだれかが飛び込んできて、新橋の駅で大事故が起きたと、様子はよくわからないけれどもすごく大きい事故らしいと言ったら、この会議は続かないと思うんですね。
 私はスリーマイル島に行きまして、 220人の人の家に行きまして、事故の当時の話を聞きました。それで一番印象的なのは、事故が起こった時はもう推進も反対も何もないです。何もないです。みんな逃げます。要するにものすごくとてつもない怖いものが中から出るのではないか、出る可能性があるのではないかと。実際にあるわけですから。そこのことを語るということが重要だと思います。
 それと、長くなってしまうのでまとめますけれども、それに関係する防災、それと、そういうふうにとてつもなく多くたまっていく廃棄物、核分裂の生成物質、フィションプロダクツ(Fission products)、それをどうするかという、それの安全性の問題、そのようなことを話さなければいけないと思います。
 そして石川さんも板倉さんも、皆様報道のことを言いましたね。媒介、伝える媒介。そのことについても、それとか情報公開とかもんじゅのことについても、今の話とも関係しますけれども、長くなるので今はこれだけで。
【五代】 ありがとうございます。ご協力ありがとうございました。それでは続いて飛岡さん、お願いいたします。
【飛岡】 基本的にはやっぱり我々はリスクゼロの世界には生きてないのだと。それをゼロにすることは工学的にも、また倫理的にも、技術的にも不可能であると。それにはやはりあらゆるリスクを定量化して、大きなリスクを排除して、より小さなリスクをどうやって選択するかということをきっちり考えなければいけないということを、私は真剣に思います。
 それから非常に難しいと思うのは、今までは専門家が安全であるという言い方でずいぶんご信頼いただいた時代から、もう一つ踏み込んだやり方、要するに安心というのは、これは受け取る側のスタンスですから、専門家だけではどうしようもないところがあると。私はその通訳というのはあまり好きではないのですけれども、一つどうしてもやらなければいけないのは、もう少しその情報がうまく流通し、あるいは情報がそろってみんながごらんになる。例えば吉村さんがおっしゃっているスタックのアクティビティーなんていうのは、やろうと思ったらいつでも公開することができるし、ちっとも難しい問題ではない。ただ水のアクティビティーについては、分析するためにえらく時間がかかりますので、吉村さんがおっしゃったように、オンラインでというのはたぶん無理だろう。そういうことは専門家はもっときっちり説明し、できるものからやっていく。あるいはいろんな事故情報についても、しかるべき時期にしかるべき報告書がきっちりと反対派の方、あるいは一般公衆にわかるような格好で、同じ土俵でディスカッションができるようなことが、もっともっと安心につながる大きな役目になるのではないかというふうに考えます。
【五代】 ありがとうございました。それでは中村さん、お願いいたします。
【中村】 失礼します。まず石川先生のお話については、1万炉年の間にチェルノブイルしか事故がなかったというようにおっしゃったと思うのですが、これは違いますね。ウインズケールもありましたしTMIもありましたし、SL1の事故もありましたし、そのほかいろいろあります。これは訂正をしていただきたいと。
 それから赤塚さんの点につきましては、これはきっと、私よく存じませんけれども、赤塚さんはそういう石川先生がおっしゃったような意味でおっしゃっていたのではないということは申し上げておきたいと思います。
 それから3番目の問題ですけれども、専門家と素人の間が違うと、このギャップをどう埋めるかということにつきましては非常に大きな問題があると思うのです。この点については後半で何か話をさせていただきたいと思います。
 それから4番目の問題は、低線量の被曝がどういう影響をもたらすかということについては、これは非常に大きな問題でして、まだ未解明な問題があるということについては、岩崎先生の方からきっと後ほどお話があるだろうと私は思っているのですけれども、この点について謙虚に研究をしていくということをぜひお願いしたいと思っています。
 それから5番目については、私は化学をやっておりまして、非常に率直にものを言うくせがついておりますのでご容赦いただきたいのですけれども、石川先生のお話を聞いておりまして私が感じましたのは、やはり安全神話は生きてるなというように思うのです。専門家として安全神話に生きていらっしゃるのは困るということを申し上げたいと思っております。
 それから田中先生の点では、アイリーン・スミスさんがおっしゃいましたリスクを受ける者とベネフィットを受けるものとが違う場合に、その点についてのリスクの分析は、これは生きてこないと、倫理的な問題がここにはあるのだという点は非常に大事な問題でありまして、この点を中心にして考えていくということが、この円卓会議としてはぜひお願いしたいというように思います。
 それで吉村先生の点については、非常に具体的なデータが出てまいりまして、これは低線量の問題にかかわってくるのですけれども、事故がなしに原発が運転しているという状態でも、バックグラウンドの放射能であっても、人体に影響がないということはないというのが私の心得ている理解なのですけれども、その点からしても、敦賀地方でそういうことについての疫学的な調査が行われるべきであるということを感じました。
【五代】 どうもありがとうございます。
 後半の議論の中での核となるべきことがずいぶんお話で出たと思いますので……。
 石川先生からお手が挙がっておりますので、じゃ今。
【石川(迪夫)】 今ご質問がありましたので、よろしゅうございますでしょうか。
【五代】 はい。お願いいたします。
【石川(迪夫)】 中村先生が誤解しておられるようでございますが、ウインズケール、SL1、TMI、こういうふうな原子炉の事故、故障、そういったものは非常にたくさんあります。私が申し上げたのは、ボイラーにしろ飛行機にしろ、人身事故につながるものはと申し上げたのでありまして、TMIは一人も死んでおりません。SL1、これは原子力発電の事故ではございません。それからウインズケール、これも死んでいない。原子力による死亡災害はないと。放射性物質の放出というのはありましたですよ。だが事故によって死んだということはないと。この点一つ誤解ないように申し上げたいと思います。
【中村】 了解します。
【五代】 はい、アイリーン・スミスさん。
【スミス】 ちょっとスリーマイルが出たので、つけ加えたいことがあるのですけれども。4回目の円卓会議でも、ページ13、まとめに当たるのですけれども、スリーマイルの話が出ましたけれども、格納容器はちゃんとしていたと。大事故だったのですけれども、外に何も出なかったと。出る量がゼロに等しいというような−−詳しくは書いてないんですけどね。実は格納容器はなぜ持ったかというのをご存じですか。スリーマイル島の発電所を建設する時、住民が非常に心配したことは、近くに飛行場があると。あの格納容器は特別に頑丈にできていたんです。で、分析されていますか、あの格納容器がもとどおりの設計でしたら。それ詳しいことがあったら後で知りたいのですけれども。
 で、一人も死ななかったということの話というのは、非常に長くなってしまうのでやりません、今は。けれども、結局どのぐらいのノーブルガス、希ガスが出たかというのはわからないんですよね。わからないんです。わからないんです。スリーマイルの疫学についてもゆっくり話したいですけれども、こういうふうに1分、2分ということだとちゃんとまとめられないので、これだけにしますけれども。
【五代】 ありがとうございました。
 この今の件について、もし原子力委員会の方で何かお答えをするものがございましたら、伺っておきたいと思いますが、伊原さん、いかがでございましょうか。
【伊原】 原子力施設の安全というものがどういうことであるかということについて、十分一般の方々にご説明する努力が足りなかったという反省は非常にあるわけでございます。これはいずれ石川先生、板倉先生からもご説明があると思いますが。例えば吉村さんがおっしゃった立地の時の説明として、放射能は一滴も漏らさない、ナトリウムは絶対漏らさないともし言ったとすれば、その説明者はおよそ失格でありまして、これは安全審査をやる時に、放射性物質は漏れるということを前提でやっているわけですね。平常運転の時はこれだけ漏れる。それは規制値の範囲内に十分入っておる。ナトリウムが漏れるという前提でいろんな審査をやって、それでも大丈夫だと、敷地の外には影響がない、一般公衆には影響がない、これが法律で定めておる安全基準−−つまり許可の四つの基準の一つは、災害防止上支障がないと、そういう法律上非常に明確な安全というものに対する定義、要求があるわけでございます。
 そのほかいろいろ吉村さんがおっしゃったことなどについて、後ほどまたお答えしたいと思います。とりあえずそれだけ申し上げておきます。
【五代】 はい、ありがとうございます。
 ほかの委員の方々はいかがでございますか。よろしゅうございますか。
 それでは、後半の時間をなるべくたくさんとりたいと思っておりますので、一応一通りお三方のご発言を伺った、これをちょうどその切り目といたしまして、むしろ余った時間は後半の方に回すという気持ちで、ちょっとお休みをいただきたいと思います。休憩は大体15分ぐらいいただきまして、その後ここでまた討論に入りたいと思いますが。
 その前に、中川原子力委員長は所用によりご退席なさいますので、ここで一言ご意見をいただきたいと思いますし、また長官にお名指しでのご発言もありましたので、そのあたりも踏まえてお願いいたします。
【中川】 私にとりましても大変参考になる、また考えさせられるご意見をお三方から賜りました。
 私最初に社会人になりました時は、アイリーン・スミスさんも同じジャーナリストというお立場をお持ちなのでしょうが、私自身もマスコミの世界におりまして、今日いろいろなご意見が出ましたが、最初が公害担当の記者でした。水俣の話が出ましたが、私が引き継いだ時はもう被害がどんどん拡大している時でして、しかし政府見解が出ましたり、また阿賀野川の政府見解も出たり、四日市のぜんそくもあったり、そんな体験をいたしておりまして、一たん被害が出た時のその立場から物事を考えなきゃならんというご指摘も、私なりに共有するところもございます。がしかし、現状を非常に残念に思いますことは、先ほどもご意見がございましたけれども、共通の土俵で議論しているのかということが、どうも私自身納得できないんですね、まだ。そこがこの円卓会議のまたお願いしなければならんと思った理由でもございます。
 アイリーンさんの方からも、先ほどスリーマイルのことについて、そんないいかげんな情報じゃ困るよというお話もあったように思いますが。また低線量の疫学調査などということも、正直に言いまして、私もいろいろ伺っている範囲で、まだ十分でないところが私自身にもありますし、おそらく十分だというお立場と十分でないというお立場と、そこら辺がどうも、もっと歩み寄って議論ができるのかなという感じは確かにあるんですね。ですからマスコミのいろいろ伝え方もよほどちゃんとしなければいけないというご意見もありましたが、これはマスコミばかり責められないというところもあるような気がいたします。何かこう共通した、確認した土俵というものがないままにずっといくということは非常に不幸なことのような気がいたしますので、まことに私残念ですが、後半のご議論は必ずペーパーで読ませていただきますので、ぜひぜひ、あまり波風立てまいなんて思わずに、おおいに立てて議論を、結論を出した方が確かな結論でございますので、一つ大いに自由闊達にご議論いただいて、一つ正しい方向へいくようにご協力をお願いしたいと。これが私の正直な感想でございます。
 よろしくお願いを申し上げます。
【五代】 どうもありがとうございました。
 今、長官もおっしゃいましたように、本当にすっきりと切れよくいかない、いろいろと口ごもりながら、波風も立ちながら議論をしていくというのがこの会ではないかなと思っております。
 先ほど申し上げましたように、休憩を15分ほどいただきまして、もう一度このテーブルに皆さんとご一緒につきまして、スタートさせていただきたいと思います。時間を正確に申しますと、40分からスタートいたしますので、よろしくお願いいたします。
 それでは前半をこれにて終わりたいと思います。ありがとうございました。

───休憩───


自由討議

【佐和】 それでは40分という予定の時間も数分超過いたしましたので、ただいまから後半を始めさせていただきます。
 私佐和が議事の進行役を務めますので、どうぞよろしくお願いいたします。 前半に引き続きまして活発な討議、意見交換を行いたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 まずいくつかの論点があるわけですが、その論点をご紹介する前に、中村さんから、円卓会議のあり方について少し発言したいという要請がモデレーターにございましたので、一応3分という時間に限って要点をお話しいただきたいと思います。
【中村】 では失礼します。
 この円卓会議につきましては、結局ここで出た問題点を摘出するということが一つございますね。それをだれがどう摘出するかという問題が一つと。それからそれを行政官庁にもっていって検討してもらうということですね。 その点について、どういう形で検討してもらえるのかと。これが一つと。 それからもう一つ、それがこちらにフィードバックされてくるということですが、フィードバックされてきた時点でどういう論議が保証されるのかということですね。要するに、私ご意見を聞く会に出たことがあるのですけれども、聞きおくだけで終わったというのが私の印象でありまして、そういうことにならないようにしてもらいたいということが一つあるんです。
 それから、この円卓会議は原子力委員会が主催者でいるわけですけれども、私の理解が間違っておれば訂正していただきたいのですが、円卓会議を主催しておられます原子力委員会というのは、行政関係でいえばほぼオールマイティーの力をもっているのではないかというのが私の理解なのですけれども、しかし立法関係については、少なくとも原子力委員会はタッチできないんじゃないかというように理解しております。ここでの論議は、私の理解では、立法的な関係で改革をしなければいけないという論点がかなり出ているように思いますので、その点については、私は国会をベースにして、科学技術委員会なんかが適当かと思うのですけれども、公聴会を、テレビ公開しながら、3年程度、時間に縛られない、核になる人を中心にしてずっと続けていただきたいと。立法的な関係での改革・改善をそっちで図ってもらいたいと。ここではこういう論議を続けながら、原子力委員会を中心にした国民的理解を促進していくと。そういうことでお願いをしたいなというように思っております。
【佐和】 原子力委員長の長官がいらっしゃればちょうどよかったのですけれども、退席なさいましたので、伊原さんの方から、ただいまのご意見に対して何かお答えになられることは……
【伊原】 これは委員長、大臣も常に言っておられますが、フィードバックは必ず何らかの形であるわけでありまして、聞きおくだけではないということは、委員長は何回も言っておられるわけでございます。具体化につきましては、この円卓会議の進行を見ながら、さらにその具体化を図りたいと思います。
 それから原子力委員会が立法権に関与しないというのはおっしゃるとおりでございます。国会での意志決定というのは非常に重要でございます。国会で原子力問題についての意識、議論が深まるということは、私どもとしても大変歓迎する次第でございます。
 以上でございます。
【佐和】 私どもモデレーターといたしましても、ここを単に議論するだけの場とするのではなくて、皆様方のご意見を集約した形で、それを原子力委員会に対して提案なり、あるいは要請なりを行っていきたいというふうに思っております。
 それでは、先ほど皆様方から、全員の方からご意見を伺った上で、まず最初にリスクとベネフィットの問題ですね。これはスミスさんと中村さんがご指摘なさっているのですが、結局リスクをテイクする人とベネフィットをテイクする人が全然別人なわけですね。全く別人と言っていいかどうかわかりませんが、まあ別人に近いということになると、通常の意味でのリスク・ベネフィット分析と、リスク・ベネフィット・アナリシスというものは有効でないばかりか、むしろ倫理的に問題があるんじゃないかというご指摘がございました。ですからまず最初のテーマとしてリスク・ベネフィットということを取り上げたいと思います。
 それから次に専門家と一般人ですね。私自身は、結局原子力発電をどうするかということについて意志決定をするのは一般人であると。それに対して専門家と一般人の意識は、田中さんがお見せいただいた先ほどのOHPにございましたように、原子力の専門家と、それから一般の大学生にいわゆる意識調査をしたら、その他のもろもろのリスクに対してはほぼ同じような態度といいますかアティチュードである。ところが原子力発電に関しては、原子力の専門家と一般の大学生の間には大変なギャップがあると。第1象限と第4象限のずれがある。これは一体なぜなのかと。そしてそのずれを、ギャップを埋めるためにはどうすればいいのかということについて議論したい。
 三つ目の論点として、安全と安心ですね。これも田中さんに提出していただいたデータの中にあったわけですが、とにかく安全であることは認めると。 しかし怖いという人が九十何パーセントもいると。一体このずれ、きわめてはっきりしたこういうずれをどう説明するのか、どう理解すればいいのかということについて議論したいと思います。
 それとの関連で、さっき石川さんが残された安全審査の問題ということについても、その時ご発言いただければと思います。
 それではまずリスクとベネフィットの問題について、まず皮切りに田中さんからいかがでございましょうか、スミスさんの提起された問題について。
【田中】 それでは一言だけ申し上げたいのですが。経済学的に考えたリスクとベネフィットという点では、さっきスミスさんがおっしゃったように、リスクに近いところにいる人と、ベネフィットに近いところにいる人との間には、差別があるではないかという考え方が成り立つんですね。それはおっしゃるとおりです。
 ですが、ただそれはそう簡単ではないんですね。例えば火力でも原子力でも何でもいいのですけれども、発電所のそばにいる人は、そうでない人よりも発電に関するさまざまなネガティブな効果を得るという意味ではリスクの高いところに住んでいることは事実です。しかし、今度ベネフィットの方から言えば、サラリーマンとして働いているか、あるいは付近にある町工場で従業員として働いているかは別にして、エネルギーの消費者として、つまり職業上の利益を得ている。つまり生計を得ているという意味では全く同じなんですね、そういう意味では。ですからリスクが高いところにいて、ベネフィットは享受してないというわけではないわけです。エネルギー消費地からエネルギーの生産地が何のベネフィットも受けていないわけでもないのです。だから残るのは、リスクに近いところにいるところのいわば心理的な不平等をどうやって是正してもらえるかという社会的な仕組みがあるかどうか、こういうことになりますね。ですから例えば、発電所だけを問題にするのは、社会全体から見る時わめて片手落ちの点がありまして、それじゃ発電所よりも、工業災害の確率論的なリスクが高いものがないかというと、例えば石油化学に関係のあるさまざまな工場、これはリスクの発生からいうと、普通の火力発電所ないしは原子力発電所よりも規制が緩いだけ、ある意味では高いかもしれないですね。ですからもしリスクに近いか遠いかということを経済学的に問題にするのならそこまで言わないと、本当の議論は完結しないだろうというのがまず第一点。
 それから私が提起したのは、そういう経済学上のリスクとベネフィットのバランスではなくて、心理学的な意味でのリスクとベネフィットのバランスなんです。ですからこれは、自分がどういうところで何をしていようとも、個人の頭の中で起こる主観もしくは「感じ」、例えば自動車を運転することでも構いません、あるいは原子力発電でも構いません、それに対してどういうベネフィットを感じますかという主観的なことを聞いているわけです。それから同じようにリスクに対しては安心感、安全感をもっているかということを聞いているわけです。ですからそれは不平等とか何とかいうことではなくて、あなたは主観的にどういうことを感じていますかということを聞いているわけです。先ほどたまたま時間がないので、専門家の頭の中にあるリスクと有用性のトレードオフだけを見ていただいたわけですが、条件としては学生の場合も全く同様なんですね。ですからそこは全く二つを区別していただかないといけない。
【佐和】 ちょっと申し遅れたのですが、発言する時は名前を最初におっしゃっていただきたいということと、それからできるだけ3分以内で発言していただきたい。
 ではスミスさん、どうぞ。
【スミス】 今のリスク・ベネフィットの話で、まず初めにAという技術、例えば原子力に比べてほかがどういうふうに比べられるかという話もしなければいけないと思うのですけれども、それは例えばエネルギー問題を話す時に、次回−−今はその辺に触れませんけれども−−大きく原子力でリスク・ベネフィットが全く異なっているというのはいくつもあるんですけれども、今二つ申し上げます。それは、今の世代と次の世代という関係で、これはもうみんな認めている非常に大きな問題ですけれども、廃棄物の問題です。私が非常に印象的だったのは、若い人にこの話をした時に、どのぐらいが残るのかと聞いた時に、それを知った時に、ものすごくびっくりしたと。で、「大人よ、ばかやろう」、というふうに思ったと言っています。
 廃棄物の問題で、この4回、いろんなものがいろんなふうに取り上げられたのですけれども、まず初めに2回目の円卓会議の時に、その廃棄物問題の視点からいろいろ考えていかなければいけないという発言が9ページにあるんですけれども、それともう一つ、同じ2回目の円卓会議の時に、原子力委員の方が、廃棄物処分・処理に責任をもって対処するというふうに言われていました。それと廃棄物問題が確立しなければ原子力の完成というものはないということが、第3回目の円卓でも申し上げられていました。これはもう前から前から前から言われているのですけれども、私は実はびっくりしています。この何年間でどういう状態になっているかと。
 例えばあかつき丸とパシフィックピンテールの時に科学技術庁に行きまして、私たちが知っていることすら知らないんです。どのぐらいの高レベル廃棄物がヨーロッパから戻ってくるか、その体積ですら科学技術庁は知らなかったのです。これは2年前か3年前です。そのぐらい廃棄物問題のことを考えていないと。情報公開の関係でだんだんこの審議会等が公開されていくというふうに言いましたけれども、ぜひこの廃棄物問題をまず優先順位トップの−−重大なことはいくつもありますけれども、トップの部分に入れていただいて考えてほしいということです。
 もう3分を過ぎましたけれども、あとは全く利益を受けていない輸送ルートの国々とかが何十カ国も、日本の原子力にかかわる問題から出てくる安全性についてもうヒシヒシと訴えています。環境アセスメントがない、怖い、嫌だ。時間がオーバーしましたから、今はそれは申し上げませんけれども、私のこの再生紙の方で出している資料ですけれども、こちらにも少しは述べましたけれども、この何倍も何十倍もあります、抗議が。これにぜひ応えていかなければ、国際的に日本の原子力というのは認められるものではないと思います。安全面から見て。
【板倉】 今リスクの論議がいろいろ出ておりますけれども、そのリスクとは一体ほかのものに比べてかなり大きなリスクなのか、そうでなくて−−といいますのは、先ほども平常時といいますか事故の大きな話を別にして、吉村さんからもあるいはスミスさんからもご指摘がありましたから、一つは平常時に出ている廃棄物、あるいは今の再処理廃棄物、いずれにしましてもそういうものを現在どのような管理のもとに、実績はどうなっているかというリスクの大きさ−−これはまた飛岡さんが専門家ですけれども−−ほかの事象と比べて。我々はいろんなリスクをもっているわけです。そういうものの上で、何かベネフィットを受けるのと違うとか違わないとか、そういうご議論をしないと、片方の人と片方の人ではずいぶん人権的に違うというのは、私ちょっと納得できないので、それだけ。
 それからもう一つ申したいのは、殊に放射線というものについては、我々人類が昔から先祖代々受けて今の人間ができているんだよと。確かに、隣に放射線の専門家の方がいらっしゃいますけれども、私も8年間国の放射線審議会のメンバーをやらせていただきまして、耳学問かもしれませんけれども、ずいぶん勉強したつもりでございます。若いころはよく勉強しましたので。そういう点から見まして、実は一番残念なのは、いわゆる放射線の防護委員会なるものが、放射線が高ければ害があるよ。ではゼロまで結んでリニアで考えたらどうだと。これは防護屋さんの、おれのところの責任しかわしゃ知らんよというのに近いのです。もしそんな低い放射線まで皆が拒否したなら、そうすると我々は場合によると今の原子力よりももっともっと大きなリスクをいつの世代か負う可能性があることを、アイリーンさんが言われたように、子ども・孫にエネルギーがなくていいんですかということまで考えることも必要であると思います。今、現実のものだけ、ほんのわずかなリスクがあるからリスクリスクとおっしゃることに、私はちょっとコメントをさせていただきます。以上です。
【吉村】 私はリスクとベネフィットの問題については、もう少し視点を変えて考えてみると、原子力発電所の立地について、なぜ過疎地に立地をしなければいけないのか。一番最初に書いてあるんですから。人口の希薄−−少ない所へ立地をすると。だから私は正直言って東京のど真ん中に原子力発電所ができる、安全ですよと言うのなら私は原子力発電に賛成しますよ、はっきり申し上げて。それができないところに、最初からその地域について、もうリスクをしょっているのではないのかと。ですから、そういうバランス上にあるのかどうかというよりも、もうそこへ立地をするということ自体が最初からリスクをしょっている、こういう理解を私はまずすべきではないかなと考えているのです。それだけです。
【飛岡】 私が原子力を始めたころにはちょうどアメリカ・ニューヨーク州のニューヨークのすぐそばのレーベンスウッドという所に原子力発電所をつくると。まさに今おっしゃったように、工学的な道具によっていかに安全を防護するかというその極致としてそういう原子力を考えられた時代があります。それはたぶん技術的には可能であったろうと私は思います。個人のリスクというのは、今、板倉さんがおっしゃったように、周辺に住んでいらっしゃる方はほかのどんなものに比べてもはるかにはるかに低いということは自信をもって言えます。反対派の方々も、例えば原子力発電所のリスクと火力発電所のリスクと比べて、例えばあるファクターであるということはお認めになっているんですね。賛成側だとファクター700ぐらい、反対派だと30対1.5とか、これはUnionof concerned Scientists、UCSの分析からいくとそんな格好になると。だから十分低くなっていれば当然そこで話はつくのだろうと私は思うのです。もともとリスクに関しては、ノット・イン・マイ・バックヤードとかノット・イン・マイ・オフィスタームとかいういろんな難しい問題があってなかなか解決しませんけれども、やはりほかの代替するものと比べるというアプローチをもう少しきっちり考えてほしいなと思います。
【中村】 リスクの点については、私は一つお願いしたいのですけれども、この会議でいつの日か、専門家を集めていただいて、リスク論議を徹底してやっていただきたいというように思います。放射能についても同様です。私たちは素人ですからその点についての議論は深まりません。
 それからもう一つは、エネルギーの問題にひっかけて板倉さんがおっしゃったことですけれども、エネルギー論はまた別の問題だと思いますので、ここでは外して、リスクの問題としては一般的に言って原子力発電所のリスクはそう低いものではないというように一般には受け取られているということは、私は言いたいと思っております。
【佐和】 今何人かの方にご意見を伺ったわけですが、伊原さんにこれからちょっとお伺いしたいのですが。一つは、スミスさんのおっしゃった廃棄物問題にやはりファーストプライオリティーを与えるべきであるという点について、委員会としてどうお考えかと、それが1点。
 それから2点目は、さっき岩崎さんの発言の中にもあったかと思うのですが、低レベルの放射線の、いわば人体に及ぼす影響について、私は素人ですけれども、どうも専門家の間でもまだ確たる意見が−−つまり単に専門家と一般人との間で意見が割れているだけではなくて、専門家の間でも確固たる見解というものはないんじゃないかと思うのです。ですからその辺について、その危険性についてどういうふうな観点をおもちなのか。
 それからもう一つは、なぜ過疎地に立地するのかということ。それから4番目が、今、中村さんがおっしゃったのですが、やっぱり専門家によるリスク論議をちゃんとやれと。このことは、私の理解ではやはり専門家の中でも意見はかなり幅があるということではないかと思うのですが、その4点について、大変難問かもしれませんがお答えいただければと思います。
【伊原】 最初のアイリーン・スミスさんのご指摘はそのとおりでございます。廃棄物問題が解決しなければ原子力の未来はないわけでありまして、原子力委員会としても一昨年の長期計画でその問題を非常に大きな問題として取り上げておりますし、高レベル廃棄物処分の準備会も着々仕事を進めております。ただ非常に長期的な問題でして、2030年代後半から40年代と、その辺に実際に処分が始まると。ただし、これにつきましては世代内での負担の公平および世代間の負担の公平、この二つについて十分にそれが確保できるようにと。
 これはOECDの原子力機関の報告書で国際的な専門家が集まっての報告書にもはっきり出ております。その時に地層処分というのは技術的にはもう十分できるということが国際的な専門家の一致した意見ですが、社会的にはなかなかすぐ受け入れられないであろうと。したがって世界各国ともそれは非常に苦労して、いかにして社会的にこれを受け入れてもらえるかと。その時に、ちょっと余分でありますけれども、再処理をして出てきた高レベル廃棄物の処分は大変な問題ですが、再処理をしないでワンス・スルーの使用済み燃料をそのまま捨てようという場合にはもっと大変な問題になるわけです。
 例えばある試算によりますと、地中から掘ってきたウランを地上で発電所の燃料として利用して廃棄物を地中に戻す、その危険性が、元来あるウラン、それに含まれるラジウムなどの危険、毒物性と同じぐらいになるまでに何年かかるか。高レベル廃棄物の場合は4万年という試算があります。使用済み燃料の場合は70万年と、毒性が減るまでにそれだけ長くかかるというデータもあります。いずれにいたしましても、技術的にできても社会的に受け入れられるのに大変な時間がかかるというのは事実です。それも含めて私どもは必死の努力をしなければいけないと思っております。
 それから2番目の低レベル放射線の人体影響につきまして、これはどういうことかと申しますと、放射線の影響についてはご承知のとおり確定的な影響、例えば身体影響−−放射線を受けて毛が抜けるなどというのはある線量以下だとそこでしきい値があって影響はなくなると言われております。ところががんが発生するような確率的な影響についてはわからないんですね。非常に低線量のところ、そこでしきい値があるかないかはわからない。わからないからとりあえず安全側で、直線的にいかなる少ない線量でも比例的にそれなりの影響があるという前提で今は原子力の仕事がやられているわけです。今は、前回も話題に出ましたけれども、結局低レベルの放射線の影響が直線的であるのか、あるいはそこにしきい値があるのかどうかということについて十分疫学的な調査も含めてさらに十分研究を進めるべきであるというのが、放射線関係の専門家の、これはたぶん一致した意見だろうと思います。はっきりしないというのは、何がわかっておって何がわかっていないかということがわかっているということを、菅原先生も前回おっしゃっていましたけれども、これは岩崎さんから後で補足いただけるかと思いますけれども。そこのところを安全サイドで直線的な仮定をおいている。
 ただ、ちょっと別の観点から申しまして、宇宙はビッグバン以来放射線に満ち満ちているということは松井先生が前々回おっしゃったとおりでございまして、自然放射線というのを我々は受けているわけです。我々が受けております身体における放射線というのは4分の3が自然放射線、それから2割が医療被爆、医療による被爆です。残りの5%の大部分は大気圏核爆発のフォールアウトの影響です。原子力施設から出てくる放射線の影響というのは0.数パーセントでして、しかもそれは割り当て値でして、実際は0.0何パーセントという非常に微量なものしか影響されていないということが一つございます。
 それから今一つは、疫学的調査で、放射線のバックグラウンドの非常に高い地域でかえってがんの発生率が低いというふうな調査が、中国でも、インドでもその他でいろいろ行われております。日本でも三朝温泉の周辺で行われております。これは確定的にそうだというふうに完全に同意されていないわけですけれども、そういう研究はいろいろ行われているということをご報告いたします。
 それからなぜ過疎地に原子力発電所がいくのか?、東京になぜできないのか?と。これは私は一言で言うと土地代が高いからだろうと思っております。東京に原子力発電所を置くと、これはもうとんでもない電力料金を払ってもらわなければいかんと、たぶんこういうことが主要原因だろうと思っております。
 それから専門家によるリスク論、これはある時期にそれをやっていただくのは意味があると思いますが、ただ私、大変申しわけないのですが、専門家という定義の場合に、いろんなことをおっしゃる方は本当にそれが学界で認められたご議論であるかということをまず確認させていただければ大変ありがたいと思うのです。例えば天然放射線よりも人工放射線の方が危ないんだとおっしゃる専門家と称する方がおられますけれども、そういう方は学界にペーパーをぜひ出していただきたい。科学的な論文として、それで学界の査読を受けて、なるほどそうだということをお認めいただければ専門家なのですけれども、これはあるいはしかられるかもしれませんけれども、そこのところはぜひはっきりと専門家というものを定義づけていただけるとありがたいと思っております。
 以上でございます。
【佐和】 ただいまの点について、どうしましょう。じゃスミスさん。
【スミス】 廃棄物問題について、プライオリティーということはなるほどそうだという確認をいまいただきました。で、非常に長期的な問題だというふうに言われましたけれども、ここでちょっと違うというか、「今」の問題というふうに私は把握しております。それはなぜかといいますと、毎日膨大な廃棄物がつくられているということです。核分裂生成物質で言えば、広島に降った死の灰の120倍を毎日つくっているわけです。これはばらまいていないからいいのではないかという話があるかもしれませんけれども、このとてつもない量をどうやっていくかという、それを解決せずに続けている、なお続けているだけでなくて足していこうと、新たに原子力をもっとつくろうという、そこがプライオリティーとして問題だというふうに思っています。
 前々回の会議で福島の知事が申し上げた、都市の下に空洞をつくって、そこで廃棄物処分場をつくれないだろうかと。これは面積とかいうことでは十分に可能だということでもあると思いますけれども、原理としては、やはりベネフィットを受けた側がそれを背負うと。やはり先ほど申しましたようにエネルギーという問題は、原子力に限らずすべてのエネルギーに対して、自分だけいい思いをしてしわ寄せはどこか違うところに置けばいいという、それをいち早く変えていかなければいけないと。これは温暖化のことでも同じだと思います。ですから、自分が電気を使っている時には自分が死の灰をつくっていると、その責任をもたなければいけないという、そういうことだというふうに思います。
【石川(迪夫)】 スミスさんのご了解に非常に間違ったご了解がありますので、ちょっと訂正をしたいなと思いましてね。今、原子力発電で「膨大な量の」という「量」というお話が出ましたけれども、これは放射能のキューリー数という意味では確かに発電した量だけはつくっていますけれども、それがボリューム、何立米とか何リットルとか、そういう意味では原子力発電の作る廃棄物というのは本当に少ないんですね。ですから……
【スミス】 量は、すみません、体積の意味ではないです。
【石川(迪夫)】 ですから、少ないからうんとお金をかけて−−ま、もうしばらく聞いてください−−安全にすることが技術的に可能であるとういふうに私たちは考えているわけです。それがどのレベルだったらいいか悪いかというのはまた別に専門家でやっていただいていいかと思いますが。これが一つです。
 それからスミスさんの発言がもう一つ正しくないのは、広島の120倍というのはいつのことを言っておられるのか。放射能というのは1秒もたたない間にサーッと減衰してしまうように、かげろうの命のように非常にはかないものもあれば、半減期12億年と長いものもございまして、地球ができてからあまり減っていない放射能もある。それを一緒くたにして120倍というのきわめて非科学的です。スミスさんらしくないと思いますよ。ですから、何時間ぐらいたった時がそうなのか、そういうようなことをきちんと議論しないで、簡単に「120倍だ、広島の」と言われるのはちょっとね、これはいけませんね。
【佐和】 反論されますか。
【スミス】 では一言。2分とか3分の発言というのは全部非常に乱暴な発言にもなると思うのです。量というのは体積のことを意味していませんでした。キューリー数です。
 それから、その瞬間と、半減期が短いものと、いろいろありますけれども、でもとにかくすごい量−−また量という言葉を使いましたけれども−−です。どのぐらいつくっているのかということをまた廃棄物のところで話し合う時に、「このぐらいです」という話をすればいいと思うのですけれども、とにかく膨大なキューリー数です。時間がないからそれしか言えません。
【佐和】 ちょっと待ってください。廃棄物に関連するご意見ですか。
【石川(迪夫】 いや、そうじゃないです。
【佐和】 そうじゃなかったら、さっきほとんど全員の方が手を挙げられたので、さっきの順序からして、2番目に、低線量の放射線の話があったので、それについて岩崎さん。
【岩崎】 先ほど委員長代理がご説明なされましたけれども、ちょっと補足させていただきます。それともう一つ、さっきチェアマンから、専門家として一致した意見がないのではないかというようなご発言がありました。確かに低線量の放射線という「低線量」という受け取り方ですけれども、学会によっても低線量という定義がかなり違っておりますということをちょっと申し上げておきたいと思います。放射線防護の立場の方の低線量と、それから放射線生物学者の集まりである放射線影響学会の低線量ということは、ひどい時には一けた二けた違います。放射線防護をやっていらっしゃる保健物理学会では非常に低いところの低線量を指しておられます。そういうふうに学者の間でも受け取り方というのは非常に違っておりますけれども、一応、国連科学委員会、あるいはICRPでは大体200ミリシーベルト以下を低線量というふうに申しております。それを一つちょっと補足させていただきます。
 意見が違うとか違わないとかいうのは、さっき板倉さんもおっしゃいましたように、一応防護の立場から、安全サイドをとるために直線を言っているのでありまして、放射線生物学の方からは、学問的にはいろいろ意見がございます。発がんということからすれば、メカニズムからいうと確かに直線であろうと。ただそればっかりではありませんので、人間ということを考えた時には、すべてがそういうふうな簡単な現象であるかどうかということは非常に問題です。そこが意見の別れるところでして−−。
 もう1分くらいよろしいですか。ちょっとOHPを。

───OHP───

 上が、丸い点が四つほど書いてありますけれども、それは原爆データから得られた点です。それを低線量に外挿するのにどういうふうに引いたらいいか。みんなフィットするんですけれども、直線で引くのがいいのか下にしきい値があるような−−ちょっとしきい値があまりはっきりしておりませんけれども−−いろいろな直線なり曲線が引けるわけです。ごくごく低線量の、この辺のところを放射線防護では言っております。下の、五つほどカーブがありますが、これが直線で引いたりこういうふうにしきい値があるように−−」しきい値があるのはこれですけれども−−こういうふうにかける場合もあります。
 それからいろいろなモデルがあるわけです。これはあくまでもモデルです。
 今、原爆の細かいところを見ますと、ちょっとこういうふうに下がっておりますが、これを皆さん低線量ではいい影響があるというような言い方をなさるのですけれども、この研究をしている広島の研究所の先生方は、これはあくまでも統計的な幅の中にあるので、必ずしもホルミシス、低線量がいい影響だというふうには言っていらっしゃいません。それをつけ加えさせていただきたいと思います。
 それから、先ほどもちょっと出ました疫学調査に関しましては、私の所属がここに書いてございますけれども、私どものところで放射線業務従事者に関して平成2年度から調査させていただいております。
 それともう一つ、私自身がデータを出したことですけれども、原発のある市町村とない市町村についての調査も、厚生省のデータを使って検討しております。これについては一応学会で報告したり論文にさせていただいておりますので、もしご興味のおありの方はご覧いただければ幸いかと思います。
 一応ちょっと、簡単ですが。
【佐和】 どうもありがとうございました。今の低レベル放射線の問題について何かご意見がおありの方。
【中村】 私、若狭の方での疫学調査をぜひしていただきたいという問題提起をしているんですけれども。やっぱり低線量については、今の岩崎先生のお話をお聞きしても、これからの課題だという点がたくさんあると思います。これは人類的に大変な問題だと思いますので、ここで専門家で論議をしてもらうのが発端になって、日本全体の力を結集して、予算も組んで、系統的に研究を続けていくということをぜひお願いしたいなと思います。
 それから今一点ですけれども、委員長代理がおっしゃいました、地層処分については、国際的にも安全だということが確定しているんだ、というようなお話ですけれども、私の理解では、科学技術庁でこの点について研究をなさっておりました専門家自体が、100年たたないと安全性は確保できないと。学問的に確認できないということをおっしゃっておりますので、その点についてはぜひ意見を撤回していただきたいと思います。
【佐和】 特に今の点について、伊原さん、ございますか。
【伊原】 どなたがどういうご意見だったか、いま存じませんけれども、100年たたないと技術が確立しないということなのでしょうか。
【中村】 確認できないということです、学問的に。
【佐和】 がんの発症なんかがということじゃないでしょうか。
【岩崎】 よろしいですか。
 今のお話は、要するに疫学調査というのは非常に長い時間がかかると。それで、その結果を待つには100年を要するというようなお話ではございませんか。
【中村】 そうではなくて、地質学の学問のレベルでは、地層処分が安全だということは確認できないと。地質学が発展して、100年たたないとそういう確認はできないんだということをおっしゃっていたように、私は思っております。
【伊原】 それは結局安全性の許容限度の幅の問題で、どれだけ精密性を要求するかということにも関係するかと思います。私はその方のご意見は直接聞いていないので今すぐ的確なお答えができないのは残念でございますけれども、宿題として承らせていただきます。
【佐和】 次に、「なぜ過疎地に立地するのか」について、吉村さんから反論が何か。
【吉村】 先ほど伊原先生から、東京は土地代が高いので過疎地に行くんじゃないのという話だったですが、こういう人を食ったような発言は私はぜひ撤回をしてほしい。では立地はどうなのか。安いから来るのか。これはもう明確に、立地の指針の中に「人口の希薄地帯」と、一番最初に明記してあるわけです。
 だから今の伊原委員長代理の発言ですと、東京は土地が高いから東京にできないのだと。 ではそれならば立地指針の一番最初に書いてある、「原子力発電所の立地は過疎地」といったような項目は抜いたらどうですか。これがあるということは、それだけのリスクがあるからそういう項目が最初に入ってきていると思うんですよ。だから原子力委員会の方がそんな考え方で立地を考えておるとするならば、これは私は大変な問題だと思うのです。
【伊原】 私は先ほど簡単のために申し上げたので、それがすべてではありません。 おっしゃるとおりです。まず原子力施設が大きな事故を起こす可能性はゼロではないわけですから。その時に受ける人口集団の線量をできるだけ低くすると……
【吉村】 そういうことです。そのとおりです。
【伊原】 これが一番重要なポイントであります。ですからそういう意味で人口密集地を避けるというのが一つです。
 それから、そのためにはかなり広い離隔距離、長い離隔距離とりたいということもあります。それもありますので、広大な土地が望ましいと。
 それから、東京の場合、冷却水を、これは隅田川からとれるかどうか知りませんが、あるいは海からとるにしても、なかなか冷却水を大量に消費するという工場ですから、そういう意味で一つ問題がある。
 それと今一つは、特に東京でいえば、地盤が非常に悪いわけです。原子力施設は岩盤立地が基本ですから、東京は隅田川、荒川の土砂がずうっと長年かかって堆積した場所ですから、地盤が非常に悪い。そういういろんな要素があります。そういうことをいろいろ考えると、東京立地というのは問題が山ほどあるということでございます。
 大変時間をはしょって申し上げて失礼いたしました。以上でございます。
【板倉】今の件に関連しまして。今、事故、地震の確率はゼロではないと。そこまで考えているんだというんですけど。もう一つはやはり人口密度の高い所であれば、十分な手当てができないわけです。たとえ放射線が、放射能が、汚染されたものを食べてもいいようなレベルであっても、やはりそういう時によそから新しい生鮮食料をもってきて、この水は全く汚れてないですというような手当てができるのは、人口の少ない方がより十分な手当てができるというようなことが、この立地指針の低人口地域という考え方にあるということです。若いころそういう仕事をだいぶお手伝いしてまいりましたので。以上です。
【吉村】 私は、特にチェルノブイルの場合の、3日後になりましたが、大量に避難をさせましたね。果たして日本の国内で、あれだけのバスを調達して、そうして非難をできるような体制というものが、防災上とれているだろうかと。結局はその立地の所の住民は、そこで遮断をされて、汚染をされた人は外に出るなということはなりはせんかという心配といいますか不安を常にもっておるというのが、立地に住んでおる人々の気持ちですよ。率直に申し上げます。
 だから、それだけの防災対策がないところに次々に立地をして事故の確率を大きくしていくというやり方がいいのかどうか。特に、先ほどから言っているように、高速増殖炉は一つ間違えばとんでもない大きな事故につながる、そのいい例が今回のナトリウム漏れ火災事故だったという理解をやっぱり地元はもっておるということですよ。
【佐和】 また後で「安全と怖い」の問題という別のテーマとも関連するので、リスク・ベネフィットはこのあたりで打ち切りたいと思うのですが、黒田さん何か一言、ご専門のお立場からあるようでしたら、簡単にご発言願います。
【黒田】 これはいつも昔からですが、技術的リスク論と社会的なリスク感覚というのがごっちゃになってずっと続いているんですね。その辺の話をはっきり分けてアプローチしないと、ずっと続いてきたディスカッションと同じになるんじゃないかという感じがするんですね。要するに今度の円卓会議がもたれた最大の理由というのは、社会的なリスク感覚が大きくもち上がってきたということだろうと思うんですね。ですから、技術的リスク論をまたここで繰り返す必要はないので、社会的なリスク感覚とういものがどうしてこういうふうに上がってきたのかというところに一つの焦点を当てて考えていく必要があるだろうという気がするのです。
 社会的な問題として、20世紀の後半に、地球の一つのエコロジーの中で手をかけてはいけないところに手をかけ始めてきたんですね。それは原子核のいろんな問題であり遺伝子の操作であり、そういう科学というものに対する何となく不安感がずうっとあるところに起こってきた一つの問題であろうという気がするんですね。それで原子力のいろんな話をしていると、人間でいいますと血液を流していく方の動脈系の研究はすごく一生懸命やっているんですね。静脈系に関するエネルギーというものがどうも社会の中に見えてこないというところに一つ大きな問題があると思うんですね。ですからその辺をこれからどうしていくのかということが、この次の「安全と安心」のところでもぜひとも論じていただきたいという感じがいたします。
【佐和】 今、技術的リスクと社会的リスク、リスク感覚ということをお話しになったわけですが、次のテーマとして、専門家と一般人の意識がなぜこうもずれているのかということに移りたいと思うのですが。おそらく今の話のコンテキストからしますと、専門家は技術的リスクをもってリスクと言う、一般人は社会的リスクといいますかあるいは主観的なリスクをもってリスクと言うと。そういうところが一つのギャップを広げる要因かと思うのですが、この問題について。つまり専門家と一般人との意識がなぜこんなに大きなずれがあるのか、そしてもし専門家の言っていることが正しいのだとすれば、それを一般人に伝えるための媒体としてのメディアの役割は何なのかと、あるいはメディアのあり方とか、そういったことについて、議論を移したいと思います。
【石川(弘義)】 今の問題と関連して、とにかく関係官庁のPR政策−あるいは広報といってもいいと思うのですが−のまずさというのが徹底的に追求されなければいけないと思うのです。この問題を考えますと、私はまずむつの時に何か御飯粒をくっつけて直ったという妙な話を思い出すんです。 あの御飯粒から、この間のナトリウムまで何年たっているのでしょうか。二十何年。二十何年ちっとも変わっていないんじゃないかということですね、はっきり言って。これは本当に考えてもらわなければ困るということがまずあります。
 時間があれですから、具体的に、提案を含めて申しますけれども、今、日本全国でラジオが190局あるんです。ラジオというステーション、これは経済的なことでいいます割合に安く使えるわけです。ラジオをうんと使って、最近はファックスとラジオをつなげるということもよくありますし、国民の間に大きな議論のうずを巻き起こすと。今一番やりやすいのはラジオだと思うのです。テレビで、この間伺ったところでは、朝日ニュースターですか、おやりになったそうですけれども、やっぱりあれはケーブルテレビの内容というのは普通の新聞に予告が載りませんから、一体いつどういうことをやるのかということがさっぱりわからない。お金を使うわりには効果がないんです、あれは。ラジオの方が安いからぜひこれを使ってもらいたい。
 それから新聞にも、おとといかな、東海原発を廃炉かというニュースが載っていましたけれども、これは正直言って読んでもわからないですね。何か発表原稿をそのまま使ったんじゃないかというような感じで、これについての解説が、たまたま東京新聞は若干やっていましたけれども、ぼくが調べた限りでは朝日は何もなかったですね。発表原稿みたいなものを載せただけで。この新聞の、さっき通訳とうい言葉が出ましたけれども、通訳機能というものをこれから大いに期待したいということです。
 それからもう一つ最後に、さっき二十何年か変わっていないということを申しましたけれども、非行少年・非行少女の行動についての定説ですが、例えば17歳で非行が発生したと、それを直すには17年間かけようよという合い言葉があるんです、非行論では。この問題で言うと、二十何年かかって変になっちゃったと。おそらくこれから二十何年間かけて方向を修正するようなつもりでやってもらわないと困ると。これが最後です。
【中村】 今の素人・玄人の問題ですけれども、これは私は、一つは専門家の間でも、先ほどから議論がありますように、一致していない点があるということが一つの問題だと思うんです。で、その点については、資料としてお配りしておりますけれども、私の方で、公開してほしい文献というもののリストを配らせていただいております。これは84年までの文献でして、それ以後の文献については、文献の名前さえもわからないという実態なんです。動燃に対して、原子力学会でも、情報公開が十分できていないということにごうこうたる非難があったということ、これは新聞報道でもあったわけですね。そういう点で言いまして、専門家の間でさえも情報がスムースに流れていないという実態があるということを指摘させていただきたいと思います。これを改善してもらわないと、絶対に事態は変わらないと思います。そのことを一つお願いしたいと思います。とりあえず私が出しましたリストにつきましては、原子力委員会の方で責任をもって公開をしていただきたいということをお願いしたいと思います。
 それからもう一つの点は、専門家の間での討議を、そういう情報公開があった上で徹底的にやってもらいたい。それで専門家の間で一致した点について、国民の間に広報していくということでなければ国民は納得しないだろうと思います。そういう点を一つお願いしたいと思います。今は、片方はこう言う、片方はこう言うと、専門家自体が違う、このことが非常に大きな問題だと思うんです。
 もう一つは、今、国民が不安に思っておりますのは、原子力関係の組織がなっていないのではないかと、率直に言わせていただきますけれども、思うんです。原子力委員会自体が、やっぱり立場の違う人も入れていただきたい。 それから原子力村だけではなくて、ほかの分野の方も入れていただきたい。そういうことで、原子力委員会自体を改革していただきたいとういことが一つあります。
 それから安全委員会を、これは委員長代理ということですけれども、これはいけないと思うんです。科技庁の長官が原子力委員長であるということはやめていただきたいと思います。これはもう独立した組織になっていただきたい。科学技術庁が原子力委員会の事務局をもつと、これはやめていただきたい。独立していただきたい。安全委員会についても同様でございます。そういう点について不信をもっているということを言いたい。
 それから動燃は解体をしていただきたい。先ほどそういう話が出ましたけれども、一遍ついたうそは直らないということ、そういうことが言われたわけですけれども、それだけではなくて、動燃の体質というものはこれはもう骨がらみであるというように私は思っております。社会的に、歴史的に、政治的につくられてきたものです。これは直りません。私はこう言いたい。
 それからもう一つは、開発を担うのは、事業団ではいけないと思うんです。 原子力委員会の方でどうお考えになっているか知りませんけれども、私としては、FBRの開発については、日本原研がやっていたという歴史があるわけです。これでやっていくべきであったと、事業団方式はやめるべきだということを言いたいのです。研究的な、少なくとも原形炉までは、研究所がやるべきだというように思います。
 それから開発路線を見てみますと、私は非常に非科学的だと思っております。原形炉から実証炉へいくその路線が間違っているのではないかというように思っております。そういう点を含めて、動燃に対しては、絶対に国民は信頼しておりません。これは解体するべきです。
【スミス】 やはり原子力に対する不信というのは、いろんな意味で、いろんな理由であるんですけれども、やはり情報公開のなさというのがものすごく大きいと思います。今の中村さんの指摘にもあったと思いますけれども、公開されていないものがものすごくたくさんある。今、申し上げられませんけれども、リストで提出することはできると思います。それをいち早くどんどん公開していくということが、優先順位としてものすごく高い仕事だというふうに思っています。
 具体的に、石川迪夫さんからも、それからほかの方、板倉さんからも発言があったと思いますけれども、報道の役割−−マスコミが全部責任があるというわけではないのですけれども、報道の役割というのは大きいですね。
 で、実際に科学技術庁でどのように報道しているかというと、私の経験から申します。住民とか批判的な学者とかが科学技術庁を訪れて、お会いする時に、科学技術庁は報道をシャットアウトします。頭撮りだけで、あとは出ていってもらうということです。そこに立ち会えないんですね。それはものすごく大きい問題です。1、まずそれから直していただきたいと。
 私の経験では、例えばその後記者会見をした時、この前はどういう状況かというと、科学技術庁の官僚の方が後ろで隠れてメモをとっていました。それで中に入っていただいたのですけれども、その後隠し撮りテープまでありました。そのような方法でなされると、情報公開はしない、それとこちらが言おうとしていることをそのまま報道陣に目撃させない、そういう姿勢から問題が生じているのではないかというふうに思います。
 それともう一つ、安全をきちんと議論するというのが、ギャップ、一般の人は怖いと言っている、なぜ怖いと言っているんだろうかと。全部を出して議論をするという、そこがものすごく重要で、この円卓会議は、「安全」を今回のテーマにしていますけれども、ちょうどほかの方の発言もありましたけれども、私も1週間前に知りました。こういうバタバタッとした方法ですることと、それとお互いの資料をその場でその日に見るということは、どうしても議論が乱暴になります。相手のことをちゃんと読んでいなくてワーッと発言するわけですから。ですから非常に重要なことは、ぜひ今回の円卓でも、それと包括的に、政策の中で、方法として組み込んでいただきたいのは、安全の面で議論とか政策とかを考える時には、まず初めに情報公開をする。批判的な立場の人が、このような情報が必要だと、それを前もって出されて、そして十分な時間を間に置いて、それから徹底的に議論をすると。
 今回の円卓会議でももう一回安全というテーマは絶対に−−今の感じだと、「安全」というテーマは絶対に済みません。そのような形で行っていただきたいと。重要な資料を公開した上で安全を議論いたしましょう。
【吉村】 私は「安全と安心」のもとになるのはやっぱり情報公開だと思うのです。その情報公開も、一方通行の情報公開ではなしに、双方向の情報公開、これが必要だと思うんです。どちらかというと今、出されている情報は、ひがみかもわかりませんが、我々が見ているところでは、一方通行の、そして選択をされた情報である。もっと生の情報を出してほしい。
 例えて言うと、ごく最近の例ですが、この間6月12日でしたか、敦賀市の原子力懇談会、それから福井県の安全管理協議会があったのですが、この敦賀市の原子力懇談会で、ある委員の質問で、再現実験のデータを出してくれと。出てきたんですね。ところがその後では動燃から原子力委員会の方に出された、インターネットで流れた情報、これの方が実に詳しいんです。温度計の最高温度を計るやつから、どの温度計が何度まではかれるとか、それから備考欄で「破損」と書いてあるが、破損の中には温度計が破損したのもあればもう振り切れてはかれなかったものも破損に入れてあるとか、細かく書いてあるんです。なぜその時に、敦賀市の原子力懇談会とか県の安管協の時にこれだけの情報があるのならば、それらをなぜ出さないのか。その時に選択された情報で、そしてその時には1050度まではかれますと。ところが資料を見ると950度なんですよ。950度までしかはかれない温度計ということが、インターネットで流れた情報で出ているわけです。そういう選択された情報ではなしに、やっぱり生の情報を、皆さんに論議をしてもらうためには、そういう情報の出し方をやっぱりやっていただきたいということを申し上げておきます。
【田中】 情報の問題ですが、皆さんのお話を伺っていて、情報の問題に関しては皆さんのおっしゃるとおりだと思います。要するにできるだけ、つまり隠す意図がなくても、しかしモタモタしていると、時機を逸してしまうとあたかも隠しているような、これまた印象ですけれども、人はそういう印象をもつんです、どうしても。これは自然の心理ですから、やはりこれは可及的速やかに出す。もしその情報がそろわなければ、今集めている最中だから出すよという「予告的」コミュニケーションを発信する、そのくらいのことはできるはずです。これからはますますそういうキメの細かい情報提供。つまり出すということの予告というのも情報ですから、そこまでやっぱり気を配らなければいけないということが一つ。
 それから、これは日本のジャーナリズムの一つの特徴なのかなと思うのですけれども、もとの情報を要約したり、カットしたりして、真ん中に入ったメディアが情報をつくってしまうんですね。これもいいのですけれども、できればそうではなくて、例えば談話なら談話をかいつまんで報道するのではなくて、全文を出してしまう。
 例えばさっき吉村さんがインターネットの話を出されましたけれども、私はホワイトハウスで出しているすべての文書が全部私のところに自動的に入ってくるのですが、これは大統領の声明・談話であろうと補佐官・報道官の記者会見のものであろうと、咳払いまで全部入っているんですね。むしろそういうものを流すといい。新聞紙上、あるいはテレビは紙面とか時間の制限があるので難しいかもしれませんが、インターネットでは全文を出すことができます。そういうものをやはり工夫してつくっていかれる方がいい。これは何も原子力ばかりのことではありませんけれども、殊に近い将来情報公開法というものが国の法律としてできるようになってくる時のことを考えますと、そういうことをやはり制度的に確立しておく必要があると思いますね。
【黒田】 もんじゅの事故というのは国際評価基準からいうとゼロか1というようなレベルだと思うんですね。それがチェルノブイルの事故の後と全く同じ社会的反応を起こした最大の理由は、いくつかあると思うのですが、やはりもんじゅに対して日本人というのはすごい期待をもっていたと思うんですね。それがああいうトラブルを起こしたということに対する反動的な意見が一つ。第2番目は、原子力専門の方々のもっておられる安全の文化といいますか、そういうものに対する失望だと思うんです。情報は大事なことを皆さんおっしゃるけれども、情報よりももっと大事なことは、そういう組織がどういう行動をとったかということに関することがもっと重大だという気が私はするんですね。その行動の後ろにある安全の価値観というものに対して社会がディスアポイントしたんだというような感じが私はすごくいたします。それが大きな今の社会の反応というものにつながっていったのではないだろうかという気がいたします。
【石川(迪夫)】 ただいまの情報の点につきましては、私も田中さんと全くご一緒でございまして、公開についてはもっとやっていくべきであろうと。先ほど私もんじゅの講演の時に時間不足で十分言えなかったのですが、マスコミの役割、それから受け手の役割、それから最も大切なのは発信者の役割で、そこには原子力界の体質的なものもあるので、そういったことを私は言いたいんだが、今日はそちらの方に入るとぐちゃぐちゃになりますのでいたしませんが、そういったものがあるということは認めなくてはいけないだろうと思っています。
 ただこの体質的な問題が原子力だけかというと原子力だけではなくて、情報公開についてもきわめて日本的なものであろうと思います。私は新聞社の方とよくつき合っているのですけれども、話を聞くのですが、何か科学記事がある時には、自分もよくわからないと。その時にはどうするかというと賛成派の人と反対派の人の意見を並べておけばいいんだと。こういう比較的安易な取り上げ方をなさっている。これは新聞記者の方がおっしゃったんだからうそではないでしょう。事実でございましょうね。それが、先ほど伊原さんもおっしゃったように、学会か何かできちんと論文を出した、学問的に評価され、間違いのない方々の発言であれば結構なのですが、仮にそうでないとしますと、これまた非常な問題点であるというところを、私指摘をしておきたいのでございます。
 それから二つ目ですが、マスコミの方々も、技術に対してもう少し十二分な勉強をしておいてもらいたい。これは前回ですが猪口さんかだれかから、マスコミの方が知らないというのやめてほしいというご発言がございましたが、これもあります。簡単に言いますと美浜2号の時には、3月の初めにいろんな事故の推移についてのデータが出ましたが、3月いっぱいはとんでもない間違った記事がたくさん出ました。私北海道大学に行く直前に、とうとう記者の方々のリクエストがありまして、原研で夕方の5時から7時までという約束でそのデータについて解説をしたのですが、夜の2時まで、とっつかまってしまったことが、質疑に答えたことがございますが、その程度勉強不足であるということも事実でございます。また逆に言えば、そういう現状を認識して、官庁の方の方は十二分な説明をしてあげなくてはいけない。この点はお互いに足りないところだと思っております。
 ただ一つ、吉村さんなんかがお話しになったことですか、あまりにも情報を求め、説明を求めるのに性急すぎますよね、皆さん方。情報が入ってきますと、それを正しい、ある程度責任もった形にして発表するには時間が要ります。特にちょっとでも間違ったらいかんと思い込んでいる官僚の方は、もうこれは大変なんですな。間違ったって私構わないと思うんですがね、後で訂正すれば。ところが日本のお役人というのはちょっとでも間違うと後で怖いんでしょうな。こういう悪い日本的なところがありまして、訂正できません。ですから、生の情報を出して、初めの二日や三日間違ったことを言われるのは、マスコミも構わないし官庁も構わないというふうな文化ができればいいと、私は思うんです。
 早い話が、神戸の地震の時、マスコミの方は大体一月ぐらいの間、被害者はかわいそう、かわいそう、かわいそうというのがございました。私も神戸の出で、ちょうどあの地震のところで住んだ経験がありますのでニュースを注意しておりましたが、タイムズの第一報は日本と同じ騒ぎでしたが、2週間目にはもう神戸のリカバリーを冷静に報道しているんですね。こういったところは日本のマスコミもぜひ学んでもらいたいと思っております。
【中村】 情報のことでちょっと一言お願いしたいんですが。
 ここだったと思うんですけれども、中川長官の方で第三者機関ができればそれを尊重して対処するというような意味のことをおっしゃっていたと思うんですね。それで今、皆さんご存じのように、こういう冊子が、原子力発電に反対する福井県民会議−もんじゅ火災事故調査検討委員会」というのが、委員長が久米三四郎で、できております。それから原子力資料情報室の方では、総合評価委員会というのをつくっております。これはいずれも第三者機関ということになるのだと思いますけれども、この冊子を見ますと、いっぱい情報公開についての要求が出ているわけですね。これはぜひ原子力委員会の方で責任もって対応していただきたいということをお願いしたい。それから総合評価委員会についてもいずれこういうものが出てくると思いますので、やはり同じように対処していただきたいと。これは国民の信頼をつくっていく上で非常に大事なことだと思いますので、お願いをしたいと思います。
【佐和】 次の議題に移りたいと思うのですが、その前にずいぶん手厳しい意見が出されたかと思うのですが、委員会の方から何か。
【伊原】 情報につきまして、原子力開発で非常に不幸であったのは、軍事利用から始まったと。したがって核兵器国はすべて情報非公開でスタートしたわけです。我が国は平和利用に徹しておりますからそういう必要は全くないにもかかかわらず、諸外国の影響を受けて、情報公開に非常に積極的でなかったのは今までの事実であります。しかし、何も核兵器国に影響される必要は全くないわけです。ですから、原子力基本法でも情報公開というのは三原則の一つでもありますし、外国に影響されない平和利用に徹した国の情報公開をこれから進めてまいることが必要だと思います。
 それから原子力委員会、安全委員会の見直しお話、中村さん、あるいは吉村さんからもご指摘がありました。私自身は委員の一人ですので、立場上少し言いにくいわけですけれども、原子力委員会、安全委員会それぞれ歴史がありまして、これができましたのが昭和51年に、原子力行政懇談会のご意見を受けて規制と推進の機能を分けたということからスタートしております。で、国会において十分な議論を経て、大変な苦労をして現在の制度ができておるわけでありまして、特に原子力安全委員会につきましては、高い識見と専門的知識を有する先生方から構成されている。これは国会同意人事でもありますし、立派な独立した第三者機関であると。そのもとに延べ400人にも及ぶ各分野の専門家が協力をしているわけです。したがいまして、これを第三者機関としてお認めいただくということが非常に重要であり、かつ今までの活動の歴史はそれを十分裏付けるものでものと、私自身は思っております。
 ただ、今、批判があるのもまた事実であります。したがいまして、そのご批判に対して原子力委員会なり安全委員会がいかなる機能を果たしているかということをこれからさらに十分ご説明しなければいかんと思っております。
 とりあえず以上です。
【佐和】 さっき吉村さんのご意見で、県の原子力対策課か何かが提供する情報とインターネットのデータで……
【吉村】 県というよりも科技庁が出した情報と、それから後インターネットで出た情報とで差があった。ですから、もうその時の段階でわかっている情報ですから、その時になぜそれを同じものを出せなかったのかというような問題もあるわけです。
【佐和】 これは問題がきわめて具体的ですので、何か……。
【吉村】 いや、これは原子力委員会の方ではわからんでしょう。おそらく行政との関係ですから。
【事務局】 原子力安全局の原子炉規制課長でございますが、吉村さんが先ほど言われましたのは、私が当日説明をいたしましたので、ちょっとご説明をさせていただきます。
吉村さんが言われましたのは、敦賀市の原子力発電所懇談会のこととその後の原子力委員会の資料のことだと思いますが、当日突然温度計の性能について、ほかの委員の方からご質問がございました。そのあたりを含めまして、当然公表する資料にはそういうことが抜けているのは非常に不十分だと考えましたので、後日原子力委員会および安全委員会に提出資料につきましては、そういうところを入れてご説明するようにということをいたしまして、私どもといたしましては、そのような現地でのいろんなご指摘を踏まえてその辺を訂正させていただきましたので、当時そのような資料がすでにあったということではございません。
 このように、私どもといたしましては、そういう一つ一つの意見について誠意をもってやろうとしておりますので、そのあたりぜひご理解をいただきたいと思います。
【吉村】 ここでああでもないこうでもないという言い方はしたくないのですが、ただ、再現実験といわれるような実験をした時に使う、各箇所に配置をする温度計なんかは、事前にわかっておるはずなんですよ、事前にね。それがその後のインターネットでは入ってくるし、我々に示されたその時のファックスをした資料では全部抜けておった。備考欄も何も書いてなかったといったようなことは少し不親切ではないかと。それでは情報公開そのものも一方通行の情報公開ではないかなと、こういう気がしたということです。
 これはこれだけの問題に限らず、今までにもあるわけですから、単なる情報公開は、こちらから一方的に出すものが情報公開だということではなしに、双方向の情報公開を私たちは求めておるのだと、こういうご理解を、やはり科技庁側もしていただきたいと、こう思うんです。
【佐和】 とにかく吉村さんのサイドから、情報がほしいと言ったら何かファックスが送られてきたと。しかしそのファックスには、どういう情報をくれということを必ずしも最初から明記されたわけではなかったわけですね。そしてとにかく情報がきたと。しかしそれには、後から見ると、インターネットで数日後に流れるような情報が実は全く記載されていなかったということで、やっぱりですから双方向で、資料をもらったけれどもこういう資料が入っていないじゃないかと、これもくださいと、じゃそれに対してまた、というようなことがこれから望まれるというふうに理解してよろしいわけですね。
【吉村】 まあまあ今ここで細かい論議はしたくありません。
【佐和】 簡単にお願いします。
【スミス】 簡単に。ちょっと情報公開と抽象的に言うと何か具体的に語ってないような感じがしまして、ちょっと一言申し上げたいのが、情報公開を求めても、黒塗りとか白抜きとか、もうタイトルと最後の結論だけですよ。すごいですよ。信じられないような状態です。例えばもんじゅ一つ言いましても、事故の前に起こったいろんなものが内部告発でわかって、その結果どうやって直したのかとか、どういうふうに普遍的に中で問題があるのかも何にも答えがないんですね。ベローズのことでも、蒸気発生器の細管を調べるプローブでも、それとか事故のしばらく前に起こった三次系の振動の問題でも、情報公開しません。「蒸気発生器だいじょうぶです。スワットをやってます」と言っても(SWAT)スワットの中身を伝えていただけません。それとか、これが一番の大きな問題ですが、暴走がなぜ絶対に起こらないのかというか、そこの調査をもっとドイツとアメリカ以上にされているのかとか、そうだったらもうそれを生データを出して議論をするという、そういう重要性。それと今回のもんじゅの事故についても、もうありとあらゆることがまだ隠れています。
 長くなっちゃうので、例えばこれから軽水炉のMOX利用を、それの重要な調査があるわけです。それも公開しない。地震のことでも、「大丈夫」だと、発電所はと言っても、それのデータをください。データは出さない。国際的な面でも、プルトニウムの管理で、例えば長崎の市長も、動燃のプルトニウムの管理はきわめてずさんだということを言ったりしても、そのMUFの不明量も公開しないと。これはIAEAが憂慮しているからとおっしゃるけれども、私はIAEAのトップの核査察の人に実際に直接聞いたら、そんなことはない、IAEAは言ってないと、日本は公開できるんだと。こういうことで、例えば国際的にもプルトニウム政策なども進めて、情報公開しない状態では、国際社会でも認めていただけないというふうに思います。
【佐和】 今までの日本の政府が、先進諸国の中で情報公開ということについてきわめて遅れていたことはまぎれもない事実で、これはこの原子力に限らず、金融問題等々でもきわめて不透明感を我々は味わっているわけで、そういう公開というのが今まあ前向きに進みつつあるということに期待したいと思います。
 とりあえずこのテーマはここまでとして、次に田中さんのご報告の中にあった、原子力発電所の事故の確率というのが、この根拠そのものについてはいろいろ疑義があろうかと思うのですが、少なくとも確率そのものはきわめて小さい。にもかかわらず、「原子力発電が怖いですか」と聞くと、「何となく怖い」も含めて「怖い」と答える人が97.7%だと。つまり百人中二人しか「怖くない」と言う人はいないと。そのいわば一見矛盾したこの二つのデータというものをどう解釈するかということ、そういうことについて議論を進めたいと思うのですが。どなたからでも結構です。
【中村】 一番最初に、私がお渡ししております資料で重大な間違いがありますので、2カ所訂正させてください。この文献のリストの2ページ目の上から6行目に、5として「プラント軌道」というのがありますが、これは「起動」という、字が間違っておりますので。
 それからもう一つは、私の方の円卓会議用の資料としてつくりました資料の3ページの2行目に「浦野」と書いておりますけれども、これを「中川」と訂正させてください。
 それから今の点ですけれども、情報公開は非常に問題があるということはこれでわかっていただいたのですけれども、まだ田中先生なんかのお考えではまだ不十分で、私ども原子力関係での情報公開のひどさというのは言語に絶するものであるということを申し上げておきます。
 それからもう一つは、素人に対して専門家が説明をしていくということについての問題ですけれども、この場合に、変な例を挙げますけれども、例えば将棋で升田幸三とか谷川浩司とか、あるいは羽生善治とかいう人がおりますが、あの連中の将棋は非常に特徴がありまして、どういうことかといいますと、素人の手を使うんですね。素人の手を使ってそれを専門家の手にしていっているわけです。そういう点が私は非常に大きいと思うんです。専門家が素人に対して説明をしていく時に必要なことは、私は専門家であってあなたたちは素人だということで説明をしていくということではだめだと思うんです。
【佐和】 ちょっと論点をですね……
【中村】 素人から学んでいくということが絶対必要だと思いますね。
【佐和】 素人から学ぶということですね、専門家がね。
【中村】 はい。学んでいくことによって双方向の通信ができるんだということを指摘しておきたい。これができるのは非常に専門的な素養がないとできないんだということを指摘しておきたいと思います。
【石川(弘義)】 不安の問題というのは基本的に二つのタイプがあると思うんですね。情報が足りない、少ないところからくる不安と、もう一つが、情報がむしろ逆に多いことからくる不安と。この場合は、両方あると思いますけれども、特にたちの悪いのが、中途半端な情報の量が多い状態ですね。そういうところでは不安はむしろ時には不満になったり、それから恐怖にさえなったりというふうに転化していく危険性が非常に濃いんじゃないか、強いんじゃないかというふうに思います。だから結局はもう一度情報の問題に返ってきちゃう、そういう問題だと思います。
【佐和】 ほかにご意見ございませんでしょうか。
【田中】 マスコミの「マグニファイング・エフェクト」とよく言うのですけれども、拡大強化的効果とでも申しましょうか。元来は小さな出来事なんですけれども、マスコミが何回かそれを繰り返して取り上げる、あるいはテレビで取り上げ、週刊誌も新聞も取り上げるというようなことがありますと、比較的小さな出来事でも大事件になってしまって、世の中の注目を集めることがあります。これは別に原子力に限らなくて、政治家の汚職でも、あるいは薬の副作用でも、みんなそういうことになりかねないんですね。そういうようなことは、普通の場合には、一過性ですから、それが過ぎてしまうと、半年ぐらいたつと消えてしまって、かすかに痕跡として残るぐらいになってしまうのでしょうけれども、私原子力について考えますと、ほかの問題に比べると頻度が多いですね。殊にTMI以降多いですね。これはTMI、チェルノブイルが最大だったのかもしれませんが、先ほどご発言にありましたように、ある程度原子力の安全文化というものに対してTMIまでは日本人は非常に信用していた部分があるんですね。ところがそれがだんだん裏切られていって、国外でも起こったし、それから国内でも小さな異常や事故がある。
 技術的な問題がそれだけで終わらないで、何か事故隠しみたいなものが裏にチラチラ見え始めてきている。そうしますと、情報そのものの信憑性というものがむしろ非常に疑わしくなってくる。つまり全体がモヤモヤッとした不信という形で包まれてきているということがあると思うのです。
 ですから私はやはり、先ほど石川さんが、問題を情報に帰して考えると言われたのはそのとおりだと思うので、我々は何かが外界で起こったということは情報で知るしかないわけですから、その情報をやはりできるだけ透明なものにしていく。都合の悪いことであろうともやっぱり正直にそれをピシッと出すということで信頼を回復していく。先ほどの話の蒸し返しになりますけれども、17年かかって何か現象が起こった場合にはやっぱり17年かからないと回復ができないということも、また規則性の一つですので、そのくらい長い気持ちで情報をきちっと出していきながら信頼を回復する。と同時に今度は物理的な意味での、工学的な意味での安全性というものもとことんまで追求していただかないといけない。安全は技術だけの問題でも、情報だけの問題でもないだろうという感じがいたします。
【石川 (迪夫)】 原子力発電というのは、ここ1年や2年の話ではなくて、人類の将来を目指したエネルギー源というふうにしてやっておられるわけですから、今、田中さんがおっしゃられた17年ぐらいかけるぐらいでゆっくりとやっていけばいいし、その間に日本人的な情報公開というのも、世界的なといいますか、よりベターなものにしていけばいいと思うのです。その間のプロセスとして一つ発言がありますのは−−私今日は何かマスコミ批判のようなことばかりやっているような感じなのですが、決してそうではないつもりでございますけれども−−マスコミも同様に日本的で今の体質がそう簡単に改まるとは思いません。17年かかると思います。となりますと、その間科学技術の歪曲、その間にあらわれる科学技術報道の非常に大きな間違い、これはきちんきちんと、科学技術庁ですから、これはこうこうこういうふうな理由で間違いである、間違いであったということを、相手がマスコミといえども、指摘するような態勢をととのえられればいいと思うんです。これは単に原子力だけではなくて、科学技術全般というところでやりなさいといいますのは、実はそういったことをおっしゃっている工科系の先生というのが、原子力だけでなくてきわめて多い。科学技術の間違いが極端に喧伝されるという、いま田中さんがおっしゃられたマグニファイド・エフェクトですか、そうなっている面が多いので、それを防止するためにもぜひやっていかれるように、という点を一つ具体的な提案としてつけ加えさせていただきます。
【黒田】 リスクの感覚が違うというのは、科学的には、発生確率がいかに低くても出てきた結果が非常に大きければリスクというのは高くなる。しかし同じようなことは社会にもっとたくさんあるわけですね。例えば航空機がそうですし、新幹線がそうですし、確率は少ないかもしれないけれども結果が大きくなる。それはもう同じような状態なのですが、どうして新幹線とかあれが安心感をもって乗られるかというのはやはり歴史だと思うんですね。それと同時にその間に、39年からやった一つの哲学、天候が悪ければしっかりとめて、ご迷惑はかけるかもしれないけれども安全は保っているというような、そういう歴史と文化ですか、そういうものに裏打ちされた時間というものがすごく大切だろうと思うんです。マグニファイド・ファクターとしての中にはマスコミだとか何かがありましょうけれども、もっと大事なことはその安全の歴史をずっといかに続けているかということが私はすごく大切だという気がいたします。
【吉村】 私はやっぱり福井県とか地元の方が不安に思うということは、具体的な例で申し上げると、あの事故が12月8日に起こった。で12月11日にたまたま設定しておった敦賀市の原子力懇談会、敦賀市議会での説明、翌日の県議会での説明。この時に科学技術庁の責任者の方は、これは事象でございます、事故ではございません、国際的な尺度から言うとこれはまあゼロプラスだと、こういう言い方なんですね。そこでさんざん追求をされて、動燃事業団もしゃっぽを脱いで「事故でございます」と、サッと変わったわけですね。そこにやっぱり現地での受け取り方と、それから中央といいますか消費地の方の受け取り方、この落差の大きさというものを私はやっぱり考えていただきたい。ただ単に学問的に考えてこうだと言っても、今までずっと原子力発電所を受け入れている地域については、それだけではいかないモヤモヤとしたものをずっと今までもってきた。それが先ほど私が指摘をした大きな事故について、事故隠しもあった、通報の遅れもあった、そういうもろもろの集大成が今回爆発をしてきたと、こういう理解をぜひやっぱりしていただきたい。そうでなかったら、そこのところを原点にしてもらわないと、これからどうするかというところの話は進まないと私は思うんです。だからそこのところをぜひひとつ、この円卓会議においても、その基本をやっぱり考えていただきたいなということを今日も力説したいと思うのです。
【黒田】 マーケティングの研究で、デマーケティングというのがあるんですね。失敗マーケティングの研究です。それと同じようにやはり科学技術の問題あるいは原子力の問題も含めて、デマーケティング的な視点というのがそろそろあってもいいんじゃないかと。もっとはっきり言えば間違い白書を公刊してくれということですね。それを科学技術庁の長官の名前においてぼくは公刊するべきだと思うんですね。
【佐和】 そろそろ時間が押し迫りましたが、何かぜひこれだけはという……。では板倉さん、どうぞ。
【板倉】 私、初めの時にも少し申したかもしれませんけれども、今、現在いろいろ国民あるいは市民の皆さんが、やはり将来のことを思って、短い距離ではなくて、エネルギー問題というのは非常に長いんですから、そういうものをもって十分にお考えいただかないと。わりに身近なものは何かあるとすぐどっちだこっちだということを言いやすいんですけれども、長時間にかかる将来の問題については、そのためにはやはり教育といいますか、自分が方向を決める前の段階で本当に基礎的な−−原子力は必要だなどという必要はありません、自然の放射線はどういうものである、それが大きくなるとどんな害があるんだということで、何もそれに仮定や推測を入れなくて事実だけをよく小さなころから教育される。それからエネルギーというものと文化との関連も言っていくというバックグラウンドが必要だと思います。エネルギー問題というのは17年間待ってそれからやればいいというのなら我々も気楽でございますけれども、殊に世の中の世論というものがいつの間にか形成されて、これが世論だとなってしまうと−−まあ今なりつつあるかもしれませんので、17年間や20年間の問題ではありませんので、私は教育ということをぜひ考えていただきたいと思います。
 そういう教育を受けられた方々がプレスでも報道なさる、あるいは市の何とか会にもお出になれば、いろんな情報でもそれなりの判断ができ、またはスミスさんも十分、我々が何を考えているかということがご理解いただけると思います。
 以上でございます。
【佐和】 それでは石川さん、スミスさん、岩崎さんという順で、お三方とも極力短くお願いします。
【石川(迪夫)】 私はただ単に明確な事実を、吉村さんのお話の中で、また一緒くたにしておられるので、ちょっと明確にしておきたい。確かに信頼していたもんじゅからナトリウムが漏れたということで、地元では感覚的に大事故だったのかもしれませんね。しかし、科学技術的には、先ほど黒田さんもおっしゃったように、私は0か1かそこまでは知りませんけれども、その程度のものであり、かつ安全審査の中で十二分に検討された範囲であったということは言えると思います。そういうふうに科学技術庁の方がおっしゃったのかおっしゃらないのか、私その現場におりませんから知りませんけれども、おっしゃったとしても、それを責めるべきではない。
 それは科学技術的に言っているのか、地元の気分で言っているのか、その取り上げ方によって違うわけですからね。こういうところはやはりきちんとしていきながら発言しないと、片や科学技術的にきちんといっている、片やおれは気分で言ってるんだ、というのは、ちょっとね、これはいけないと思いますね。
 事故が事件になったというのが今回の特徴のようでございますけれども、そこは区別してやはりおっしゃっていただきたいと、その点ちょっと明確にしておきたいと思います。
【吉村】 それについてはちょっと……。
【佐和】 では簡単に。
【吉村】 私は、石川さんがおっしゃったような見方もある、しかし福井県も高速増殖炉の根幹にかかわる事故である、こういう認識をしておるわけですよ。福井県自体が。やっぱりそこには二十何年やってきた専門家もおるわけです、原子力安全対策課には。そこがやっぱり高速増殖炉の根幹にかかわる事故であるということを福井県はきちっと明示をして、そして政府に対しても提言として福井県知事、三県知事の連盟の提言の中でも「根幹にかかわる事故である」ということを明言しておるわけです。ですから、あれはもう安全審査でやってきた事故だとおっしゃっていますが、これは安全審査でやったことの中身についても実は問題があるわけです。完全にあれは安全審査をやっておったのか。再現実験でもって穴があいた。一回目やってみてもうまくいかなかった。こういう点を考えると、私は決して予定をされたような範囲の事故ではなかったと、このように見ています、現実の問題として。その辺のところは技術論ですから、私も学者ではありませんから、あまり細かいことまではわかりませんが、我々地元におって感覚的に考えても、今回の事故というのはやっぱり高速増殖炉の根幹にかかわる事故であったと、この認識は絶対に変えることはできないということだけは申し上げておきます。
【中村】 すみません、一言だけ、今の点。
【佐和】 はい。
【中村】 石川先生がおっしゃったとおりだと思うんです。私は科学技術庁の説明なさった方がゼロプラスですとおっしゃって、事象だとおっしゃるのなら、あくまでそれをいい続けるべきなんです。それを改めるということが、不信を生むということを指摘しておきたいと思います。
【飛岡】 専門家ではこれはLER、Licensing Event Report というのがアメリカの事故故障報告書なんです。それをそのまま訳すと事象、むしろ我々は事象の方が言葉としては幅が広いという解釈をもっていたことも事実なんです。だからこれはいかに、先ほど言った専門家と個人とが意見が違うか、あるいはパブリックが受け取っているあれとが違うかということをご認識いただければと思うんです。これは専門家としては確かに間違えたらごめんなさいと言わなければいけません。ただし、「イベント」という方がむしろ幅が広いんだという解釈はあったと。
 それからゼロプラスと言っているのは、これは事業団が、あるいは動燃が暫定的な評価をしたというだけであって、あれを事故評価委員会はまだ何とも判断しておりませんので、それだけは念のため。
【佐和】 そのとおりですね。
 イベントという言葉の訳ということですね。しかし、日本の文脈の中では「事象」という言葉はなかなかそうなじまないことは事実かと思います。
 ではスミスさん、どうぞ。簡単にお願いします。
【スミス】 今の話で思うのは、不信がなければ、言葉の使い方というのはみんな差があるので、「そんな言葉を使うのか、あなたたちは」ぐらいで済むと思うのですけれども、不信があるから問題が生じると思います。
 たぶん最後の発言になるので、申し上げたいのは、原子力の話を日本ですると、何かタイムスリップして、10年前の国際議論に入っているような感じがします。で、やはり歴史というのは大変なもので、日本の鎖国を乗り越えるというのは、これだけ海外と関係があってもまだなかなかできていないという。それは日本の中で真剣に受け止めるというのは、本当に幅広い国際的視野から見てものを考えなければいけない。いま原子力は日本の中でその時機にきているというふうに思います。それは例えば、私は日ごろNGOの世界にいますけれども、NGO同士だけで話していたら、その世界しか見えない。本当に外のいろんなほかの社会に触れるというのはものすごく重要なことだと思います。今回もそれを感じています。ですからこのニュークリア・ファミリーも、本当にどんどん、日本の中、それから外の違う社会ということの重要性−−これは今日は原子炉の物理的な安全性のことをずいぶん議論しましたけれども、社会的な安全面から見ても、エネルギー政策を本当にちゃんとやっていくということは、重大に社会の安全、環境の安全、それこそエネルギー戦争をこれから避けていく中で重要ですから、本当に考えていかなければいけないと思います。
 そこの中で、今日はほとんど触れることができなかった例えばプルトニウム政策、これはもう本当に深刻な問題だと思います。2050年になっても日本のエネルギーの1%もつくれないものを日本のエネルギーの根幹にするというのは、これは社会的安全の面から見てものすごく重大なことだと思います。
 それについてもし反論があったら、そのままにしておきたくないという気持ちなのですけれども。
 あともう一つは、ここの国内で原子力はもう立たないということの現実も見ていくという必要もあると思います。それは軽水炉の方ですね。それも政策の中で、もう実質上建たないと、社会的には建たないということで、早急にエネルギー政策の中でそれをまず認めて、そして対策を立てていかなければいけないというふうに思います。
【佐和】 岩崎さん、何かあれば簡単にお願いします。
【岩崎】 もう時間も迫って思いますので、これが最後の発言だと思いますから一言言わせていただきたいと思います。私も研究者、学者の端くれで、非常に偏ったといいますか専門ばか的なところもあるかと思うのですけれども、我々も責任がございますので、もっと一般の方かにわかりやすいような努力をしていくことが非常に大事かと思います。一つにはやっぱり、先ほどおっしゃいましたように、小さい時から教育をして、中学・高校から取り入れてくれれば、かなりそういう点もぬぐわれるかと思っておりますので、ぜひそうしていただきたいと思います。
 それから最後に一言、こう見ておりますと、真っ黒けの洋服の方ばっかりで、もうちょっと女性を入れて……
【佐和】 前回は過半数が女性だったんです。
【岩崎】 あ、そうだったんですか。
【佐和】 何かでも前回でそれを処理されちゃったような気分がしますね。よろしくお願いします。
【岩崎】 このテーブルだけではなくて、周りに座っておられる方とかも……。
【佐和】 それはそうですね、確かに。なぜでしょうか。
【岩崎】 何かずいぶん抵抗を感じてここでしゃべっておりました。(笑い)
【佐和】 では板倉さん、簡単にお願いします。
【板倉】 今プルトニウム問題、今日はここのディスカスはございませんけれども、何年たってもわずか1%というのは、やはり全く我々認識と違いますので、これはまた別の機会に十分論議していただきたいと思います。以上です。
【佐和】 次回が「エネルギーと原子力」ということなので。
【スミス】 わかりました。高速増殖炉の商業炉が5基順調に2050年に動いて、今の需要と同じだったら、日本のエネルギーの1%をつくります。以上。 それはたぶん不可能な話でしょう。
【佐和】 それではこれにて議論は終わりにして、最後に一言モデレーターとして何か言わないといけないので。「歴史の終わり」という本で大変有名になったフランシス・フクヤマが、最近「トラスト」という本を書きましてね。それは日本語では「信なくば立たず」とかいうわけのわからんタイトルになっていますが、要するに信頼というわけですね。で、彼が言うのはドイツと日本の資本主義は、例えばアメリカと比べて非常に特殊であると。そのいわば社会の原理になっているのがトラストであると、つまり信頼だというようなことを言ったわけですね。そのことの当否はとにかくとして、仮に日本が信頼社会であったとすれば、そこで今回の問題のようにいろんな不信が生じてきたというのは、これはもう社会的に大変な危機に陥ったと。それはもう単に原子力の問題だけではなくて、HIVウイルスの問題にせよ,あるいはいろんな金融関係の問題にせよ、トラスト社会においていわば信が失われたということがやはり一番問題ではないかというように思います。
 これまで、今回が5回目になったわけですが、本日も含めてこれまでの円卓会議におきましても、何が問題にされたかというと、一つはやっぱり情報公開なんですね。もう一つが、さっきスミスさんがおっしゃったようにエネルギー政策といいますか特に原子力政策の決定過程に、国民参加というものをどのようにしてかなえるかとういうこの2点が、絶えず一番議論されている問題ではないか、あるいはいろんな問題の根幹にある問題ではないかというふうに思います。
 具体的に言いますと、国民的な合意形成のためにさまざまな情報をわかりやすく、幅広く、国民にやはり伝えていくべきである。そして国民との確かなトラスト、信頼関係を築くためには情報公開を一層促進しなければならない。そして原子力政策の決定過程に、今までは国民の声を反映させることが全くと言っていいほどなかったわけだけれども、何らかのやり方で反影させるべきであると。そういうふうな意見が毎度のように出ているわけです。
 これらを踏まえまして、モデレーターといたしまして、原子力委員会に次のような要請を行いたいと思います。
 すなわち原子力政策円卓会議は、円卓会議においてこれまでに出された原子力政策に関する意見等を十分政策に反映させると、これは当然のことだと私は思っておりますが、そういう観点から、原子力に関する情報公開および政策決定過程への国民参加の促進について、今後原子力委員会として必要な措置をとられるよう要請申し上げます。
【伊原】 はい。しっかり承りました。ぜひその線で十分な対応をいたします。これは大臣ご自身も常々おっしゃっておられることでありますので、しっかり受けとめたいと思います。ありがとうございます。
【佐和】 これは要請の続きになるわけですが、原子力委員会におきましては、この点につきまして、つまり情報公開と政策決定への国民参加ということについて必要な措置をご審議の上、必要な措置をおとりいただきまして、その結果を後日円卓会議にご報告いただきたいというふうに思っております。
 皆様方の意見もここで伺うべきかもしれませんが、ちょっと時間が押しておりますので、原子力委員会の側はもう今おっしゃったということでよろしゅうございますね。

閉 会

【佐和】 それでは閉会にあたりまして、委員長代理の伊原さんより一言ごあいさつをお願いいたします。
【伊原】 本日は大変長時間にわたりましていろいろな観点から大変貴重なご意見をいただきまして、大変ありがとうございました。しかもいろいろな立場から非常に議論が深まった。もちろんその意見が一致したわけではない面が山ほどあるわけでございますけれども、これはやはり日本の原子力の将来が健全な発展をするために必要な一つのステップであるだろうと私は思っております。特に今日のテーマが、安全と安心、それがどういうふうに違うのか、どうすればその距離が縮まり得るのか。特にこれは人間の文化、社会、歴史、そういったものと非常に深い関連があるわけでございましょうから、人々のの心理的な反応というものまで含めて、原子力委員会としてもこれからさらに勉強していかなければいけないと思っております。民主主義というものがだんだん成熟していくというのが日本の今の社会の発展の状況であろうと思いますので、そういう将来の成熟ということも期待しながら、人間の心理的側面があまり不安定にならないような将来社会が期待されると私自身は思っております。
 今日の議論をしっかり受けとめまして、これからの原子力政策に十分反映してまいりたい。最後の佐和先生のモデレーターとしてのご要望も十分承りました。
 今日は本当にありがとうございました。
【佐和】 それではこれにて閉会いたします。長時間どうもありがとうございました。

───閉会───

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