原子力政策円卓会議(第4回)

議 事 録


日 時 : 1996年6月10日(月)

      13:30−17:30

場 所 : KKR HOTEL TOKYO


出席者


開  会

【中川】  それでは、科学技術庁長官を命ぜられております中川でございますが、円卓会議のお時間になりましたので、お始めいただきたいと存じますが、その前に私から一言ごあいさつを申し上げさせていただきます。一々立ったりしないのが円卓でございますので、このままごあいさつをさせていただきます。
 今日、第4回の原子力円卓会議が開かれるに当たり、ご多忙中にもかかわらず、本当に各方面で、しかも第一線でご活躍の皆様方のご出席をこのように得ることができまして、心から皆様に御礼をまず申し上げる次第でございます。ありがとうございました。
 この原子力政策円卓会議は、今後の原子力政策に関しまして、さまざまな分野の方々からご意見を伺い、議論を深めることによりまして、国民的な共通認識、あるいは合意というものを目指していこうというものでございまして、一定の結論を先に設けて、段取りや手順としてやっているものでもございません。本当に真摯に、これからのことを考えたいという趣旨で設けたものでございます。
 4月25日の第1回以来、本日でちょうど第4回目ということになりますが、これまでの会議におきましては、円卓会議の、この会議自体の進め方の問題に始まりまして、情報公開の問題、政策決定への市民の参加、あるいはまた、その透明性の確保を求めるご意見、立地地域と原子力のかかわり方の問題、あわせて、立地地域のみならず、消費地の皆さんにも、この問題を真剣に考えていただかなければならないというご議論を含めたご意見、あるいはエネルギー全体の中での原子力の位置づけといった点等々、非常にさまざまな観点からのご意見が出されてまいりました。それぞれについて、また活発なご議論もいただいてきた次第でございます。
 これまでにご出席いただいた方々、また傍聴の方々からも、この会議そのもののテレビの放映等を望むご意見もございましたので、前回及び今回の会議の模様は、通信衛星放送−−CS放送で録画・放映をいたします。具体的には、昨日、第3回の円卓会議の前半の模様が「朝日ニュースター」で放映されましたが、今回の会議の様子も2回に分けて、6月23日、6月30日、「朝日ニュースター」で放映の予定でございます。ちょっと時刻は、私、今手元に持っておりませんが、23日と6月30日でございます。
 また、この会議へ女性の参加が少ないというご意見もございましたが、今回は、モデレーターをお務めいただきます岩男先生を初め、女性の参加者が過半数を超える7名ということで、幅広い立場からのご議論を賜りたい、このように願っておるところでございます。
 今日もこれまでと同様に、忌憚のない皆さんのご意見を承ると同時に、建設的なご議論をお願い申し上げ、実り多いものになることを心からお願いをし、ご期待をして、私のごあいさつといたします。どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
【伊原】  それでは、私、委員長代理の伊原でございますが、会議の進め方につきましてご説明申し上げます。
 円卓会議では、議論を効果的に行うために、モデレーターの方々6名に議事の進行、取りまとめなどをお願いいたしております。本日は、そのうち4名の方がお見えになっておりますが、皆様方のお話し合いによりまして、慶応義塾大学の岩男さん、日本経済新聞論説委員の鳥井さんのお二人に、中心になって議事を進めていただく予定でございます。なお、京都大学経済研究所長の佐和さん、それから埼玉大学大学院政策科学科長の西野さん、このお二方には、モデレーターとしての岩男さん、鳥井さんに対してのご支援をお願いいたしたいと思います。
 それでは、岩男さん、鳥井さん、どうぞよろしくお願いいたします。
【岩男】  岩男でございます。どうぞよろしくお願いをいたします。
 前半は私が進行役を務めまして、後半は鳥井さんにバトンタッチをさせていただきたいと思います。
 まず、原子力政策円卓会議の趣旨や運営についてでございますけれども、基本的な事項についてはお手元に資料を配布してございます。ご一読いただいて、会議の円滑な進行にご協力いただきたいと思います。私からは、ここでポイントだけ簡単にお話をしておきたいと思います。
 まずこの円卓会議は、原子力に関する国民、各界、各層のさまざまな意見を原子力政策に反映することを目的としております。招へい者の選考につきましては、国民各界の幅広い意見が反映されるよう、性別を問わず、幅広い年齢層にわたるさまざまな分野の方を招へいするように心がけております。モデレーターは、参加者の意見を公平に取り上げて、円滑な議事進行に務めることをその役目として心得ております。なおモデレーターは、会議の途中で個人的な意見を述べることもございますので、その点、ご了承いただきたいと思います。
 会議の内容につきましては、発言者を明記して、忠実に記録した議事録を作成いたしまして公表してまいります。また議事を簡潔にまとめたもの、これを議事概要と呼んでおりますけれども、これも参加者の確認を得た上で、作成して公表してまいりますほか、次回以降の会議の参考にしてまいります。先ほど、大臣からお話がございましたように、議事の模様は録画をいたしまして、CS放送で公開してまいります。会議の中で、今後の原子力政策に反映すべき事項、または検討すべき事項が明らかになった場合、関係省庁等で具体的に検討いたします。そしてその検討の結果については、理由とともに会議にフィードバックしていくつもりでございます。
 本円卓会議では、単に原子力政策についてご意見をお伺いするということではなく、エネルギー確保の観点のみならず、世界的な視点、歴史的な視点をも踏まえた、さまざまな観点から原子力をめぐる幅広い議論が行われるよう議事運営をしていくように心がけてまいります。
 今回は4回目でございますけれども、今回を含めまして、4回までは特定の分野にとらわれない全般的な議論を行いたいと思っております。今回の議論の結果は、取りまとめて次回以降の会議において配布し、議論を深めるために使いたいと思います。なお次回以降は、これまでの議論を踏まえて、焦点を絞った上で議論を行ってまいります。本日は、できるだけ多くの分野の方々から意見を聞くということと、それから出席者の発言、対話の時間を十分に確保するという、この2つの要請を考慮して、女性7名を含む13名のご出席となりました。なお、今後論点の絞り込みを行う場合には、テーマに応じ、再度ご出席をお願いすることもあるかとも思いますので、よろしくお願いをいたします。
 私ども、モデレーターといたしましては、会議の議事運営に努めるだけではなくて、議論の流れを十分に踏まえて取りまとめをしていきたいと思っております。ご出席の方々には、日ごろ、お考えになっているところを忌憚なくご発言いただければ幸いに存じます。

招へい者の意見発表

【岩男】 初めに、本日ご意見をいただく招へい者の方々をご紹介させていただきます。なお、この円卓会議は、国民各層、各界の方々にご参加をいただくということが趣旨でございますので、敬称はすべてさんづけにさせていただきます。
 五十音順で、東海大学教授の秋山仁さん。そのお隣は、ストップ・ザ・もんじゅ事務局代表の池島芙紀子さん。そのお隣が、上智大学教授の猪口邦子さんです。そのお隣が、津田塾大学教授で地球環境・女性連絡会代表の江尻美穂子さんです。そのお隣が、全国地域婦人連絡協議会理事の加藤郁子さんでございます。そのお隣が、京都大学教授の神田啓治さんです。そのお隣が、社団法人ソフト化経済センター理事長の日下公人さんです。そのお隣が、経済評論家の河野光雄さんです、よろしくお願いします。そのお隣が、株式会社生活科学研究所所長、今野由梨さんです。次が、財団法人体質研究会理事長、菅原努さんでございます。そのお隣が、生命誌研究館副館長の中村桂子さんでございます。そのお隣が、政治評論家の屋山太郎さんです。最後になりましたけれども、音楽評論家、作詞家の湯川れい子さんです。よろしくお願いをいたします。
 それでは、本日の議事運営について若干ご説明をいたします。
 まず前半は、皆様より順にご意見を伺うことに当てたいと思います。後半では、前半のご意見を踏まえた上で、論点を絞って自由な意見交換を行うつもりにしております。皆様へいろいろ伺いたいこともございますし、またおっしゃりたいこともあると思いますけれども、ご発言に当たりましては、後半の自由討議の時間を十分に確保するために、大変恐縮でございますけれども、お一人7分をぜひ厳守してお願いしたいと思います。6分を経過しましたところでお知らせの合図が鳴ります。7分を経過した時点で、再度お知らせの合図をいたしますので、よろしくご協力のほど、お願いをいたします。
 なお皆様からいただいた要旨集は、既に会場の方々に配布されておりますので、そのことを踏まえた上で、簡潔に発表していただくようにお願いいたします。また、ご発言の冒頭、ご発言なさりたいポイントを簡潔にお述べいただいて、残りの時間を補足に当てていただければ、大変幸いに存じます。
 それでは早速、五十音順ということで、秋山さんからご発言をお願いしたいと思います。秋山さん、よろしくお願いいたします。
【秋山】  東海大学の秋山です。
 私は、普段、数学の研究に携わる者ですけれども、原子力はあまり専門ではありません。そういう関係で、今まで1回目から3回目の議事録を読ませていただきまして、エネルギー教育の観点から意見を述べさせていただきたいと思います。6分で鐘が鳴るというのは、何となく学会のときと同じで緊張します。
 原子力の発電に関して、今もんじゅがこういう大問題を引き起こしたので、怖い、怖いという国民が圧倒的に多いんだと思うんですけれども、まず、どのぐらい国民は原子力に関して関心や知識があるのだろうかというのを少し調べてみました。それで、私の資料は後で出しましたので、レジュメに綴じ込んであるもののほかに、資料と書いてある「環境問題に関心の高いこどもたち」、「三人に一人、核に危機感」とか、新聞の朝日とか沖縄タイムズだとか、こういう5、6枚の……。これに沿って解説させていただきたいと思います。
 まず、女子大生に、次の原子力に関する、原発に関するクイズをしたら、何%が答えられたかというデータがあるんです。これはどういう問題かというと、3題ありまして、原子力発電の燃料は何か、ウランであると言ったのは56%。それから、原発事故は旧ソ連のどこで起きたのか、チェルノブイルと答えられたのが74%。IAEAは何の略称、これに答えられたのが6%と、女子大生だからなんて言ったらここでしかられるかもしれないけれども、あまり知識はない。
 そして、先ほどのレジュメの資料は、子供たちが結構エネルギー問題に関心があるという裏づけなんです。その資料1−1)−Aのところで、21世紀に必要な科学技術は何かを問うアンケートに対して、一番関心の高いのはクリーンエネルギー。それから資源のリサイクル、それから難病を治す医学の進歩なんて言っている。子供たちは非常にこういうクリーンエネルギーに関心を持っている。一方、高校生の意識についての調査結果が隣にありますけれども、三人に一人が核に危機感を感じているということなんです。それで、原子力発電に関しては、高校生でも非常に盛んにディベートのトピックになるんです。テーマになって、大体高校生を納得させるための論調が1−1)−Bに示してあります。これは「徹底討論 原発、是か非か」、杉浦正和先生が書いた本なんですけれども、ここに書いてあることは、今は時間がないので読みませんけれども、大体こういうことを言うと説得しやすいらしいんです。これによってだまされるというと推進派の人にしかられてしまいますけれども、この程度で大体高校生は説得できるよというデータなんです。
 それから次のページにいきたいんですけれども、レジュメの1−2)−Aというところです。今度はエネルギー問題について、小中高校生でどのぐらいのことを勉強しているかというデータですけれども、まず1−2)−Aというのは中学生なんです。中学生が左の方の1−2)−Aというので、中学新・旧教育課程における理科、特にエネルギーのところに注目して下さい。まず理科の授業数は圧倒的に少なくなっています。昔、94時間あったのが今では82時間になっているんです。理科がどんどん少なくなっていく。それから右の表は、これはちょっと見にくいんです。どうしてかというと、新・旧課程で、新課程の方は物理1Aとか1Bとか2とか、いろいろな科目が出てきて、どれが必修でどれが選択かというのが、なかなか専門家以外にはわからないんです。エネルギー問題に関しては、旧課程では13時間しかやっていなかったんだけれども、新課程の1Bというところでは20時間、それから1Aというところでは18時間だから増えているんです。だから、エネルギー問題に関しては、高校生は結構勉強している。
 それから、その同じページの後半の1−2)−Bというデータですが、原子と原子核というのが物理の教科書の単元にあるんですけれども、それがどのぐらい大学入試で出題されているか。これ、きのう、大学入試の物理の出題を全部調べました。93年以前と94年、95年、96年と、原子核、原子のところは出題率が2%ぐらいです。そして、教科書の内容はかなり高度です。かなり高度で、結構いろいろなことをやるはずなのです。にもかかわらず、教科書の一番最後で、高校の物理の先生、二、三人に聞きましたら、もうあそこはやらない、なぜならば出題率が低い。だからもう力学と電気と、そこら辺をやっておいたほうが大学に受かって、最後の原子と原子核は捨てることが大学に入るための必要条件である。こういう感じなんです。それだから、実際には余り勉強されていないということなんです。
 それから次のページの資料を見て下さい。ここには、フランスの教科書やイギリスの教科書で扱っているエネルギーの項目が示されています。フランスは小学校のときから徹底してエネルギー問題をやっている。イギリスも結構多い。それに比べて日本の小学校では1−4)−Aのデータにあるように、理科系離れがじゃんじゃん進んでしまっている。こういう状況でありまして、その結果、オカルトを信じるだとか、麻原彰晃の空中浮揚を信じるとか、そういう高校生がだんだん多くなってきてしまっているということです。
 これらの現状を踏まえ、人類にとってエネルギー問題を避けて通ることはできません。そのために、国民一人一人が正しい知識と判断力を持って、積極的かつ多角的にこの問題を捉えていかなければなりません。そこで、重要になるのは事故の時だけ大騒ぎするのではなく、恒常的な教育を行うことです。後の自由討論のところで、実際どのようにエネルギー教育を実践すべきかの具体案を提言させていただきたいと思います。
【岩男】  ありがとうございました。7分があっという間に過ぎたようでございまして、また後ほど、後半でお願いをいたします。
 それでは、池島さん、よろしくお願いいたします。
【池島】  はい。大阪のストップ・ザ・もんじゅ事務局という市民グループの代表をしております池島と申します。
 私が、14年前にこの原子力問題について疑問を持ち始めてから、いろいろと本を読んだり、現地へ行ったり、考え、勉強してきた中で、次第、次第にこれは大変なことだと、今を生きる大人として、未来に、子供たちに、本当に責任を持つためには、自分は何をしなくてはいけないのかということをずっと考え続けてまいりました。そして、今回のこの円卓会議についても随分迷ったんですけれども、やはり自分の考えていること、疑問なこと、具体的な提案を込めて出席して、ぜひ聞いていただけたらと思ってまいりました。
 この持ち方については、随分私も意見はあるんですけれども、それは後の討議の時間に言わせていただくことにしまして、まず、国民、国民と、私の発言の中にも出てくると思うんですが、国民というときに、私自身は、日本に住んでいる住民であるという意味をしておりますので、そういうふうにご理解ください。
 私自身、勉強してきた中で、本当にこの原子力長計、プルトニウムを利用することがどんなに大変恐ろしいことなのかということは、つくづくとわかってきたわけなんです。以下にまとめております6点ほどの理由によりまして、これはもはや追求すべきではない政策、エネルギーはこれでは解決できない、新たに本当にみんなで真剣にどうやっていくかということを、新しい方向を模索し、転換すべき時期であるというふうに確信しております。
 なぜそう思うようになったか、まず1点目ですけれども、朝日新聞の世論調査によりまして、原発の大事故に対する不安が73%である。もんじゅを中心とする核燃サイクル計画には61%が再検討を求めている。推進側がおっしゃる、エネルギー小国だからこの計画が必要なんだという理由に対しては、支持したのはわずか17%であったという、こういう、以前に比べましたら随分変化してきていると思います。特にこれは、関西でもしこれを調査した場合には、もっと大きな違う数字になるであろうと私は思います。福井県ならさらに大きいだろうと思います。私自身が2年前から全国に呼びかけて、まず一旦もんじゅを凍結して、みんなで考えませんかという、こういう署名は、既に今年の5月で104万、現在106万になっておりますけれども、先日、中川長官にお渡しした次第です。
 さらに、事故以後、148の地方議会で、もんじゅについて、安全が確認されるまでは一旦止めるべきではないかという意見書が続々と上がっている。今後もさらに増えるであろうというふうに思います。特に多いのは、福井県、長野県、京都府、滋賀県、続いて大阪、兵庫などもありますけれども、とりわけ、立地県の県民の原子力に対する不信というものは非常に大きなものがあるというふうに思います。
 2番目に、このプルトニウム利用の長計の大きな柱の一つであるFBR高速増殖炉計画についてですけれども、これは本当に、進めてきた各国がナトリウムを制御しきれない、もしそれをしようと思うと、どんどん経費がかかっていく、この悪循環の中で、次々とあきらめて撤退していっている。もんじゅについても、先般のナトリウム火災事故で、少なくとも2、3年はおくれるであろうと言われていますけれども、本当にこれを制御できるのかどうか、徹底的な検証が必要だろうと思います。慌てて、急いで運転再開などとんでもない話ではないかというふうに思います。その他にも、ナトリウム以外に非常に暴走しやすいものであり、燃料にプルトニウムを使い、それから他の軽水炉に比べて地震に弱いとか、イギリスのPFRの細管破断事故にしても、私たちには本当に詳しい情報が知らされていないと思います。
 そのほか、本当に計画どおりに進めたとして、燃料が2倍になるのが90年もかかるということとか、本当に実用化のめどがあるのかどうか、7日にも日経の新聞に載っていましたけれども、次の実証炉について、まずは通産省から凍結をというのが出されていますけれども、本当に問題だらけだと思います。
 3番目、ATRにしても、既にこれは建設費コストの高騰から電事連が拒否しています。
 4番目のプルサーマル計画についても、立地県は非常に怒っておりますから、これは実現が難しいのではないかと思います。
 5番目の再処理に伴う……、本当にこれも地球規模での大惨事を引き起こしかねない重大問題だと思いますので、またこれは、後の論議で皆さんと一緒に深めたいと思います。
 さらに、あり余るプルトニウムについて、あるいは海外から返ってくる高レベルや返還プルトニウムについての強い批判、懸念があると思います。これらを踏まえて、私たちは本当に今、新しい道を追求すべきときにきておると思います。ではどうしたらいいかということについては、時間がありませんので、また後で言わせていただきたいと思います。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは続いて、猪口さん、お願いいたします。
【猪口】  はい、ありがとうございます。
 私は上智大学で国際政治学を担当しておりまして、専門が国際政治ですので、この問題と国際政治の接点に焦点を当てて意見を述べさせていただきたいと思います。
 私たちの国が、ございます、このアジア太平洋地域の、おそらく最大の特徴というのは、非常にダイナミックな経済成長なんです。それ自体がいいかどうかという議論は私は十分にあり得ると思います。がしかし、日本としては、他国の経済成長が非常にダイナミックであるということについて、何かを言う立場にはあり得ないということです。これは、各国が自由な主権的な選択の結果、高い成長率を目指すという選択をしたならば、日本も、例えばこの会議も、空調のきいた、こういう先進的な空間でやっているわけで、お宅の国ではそれをしてはいけないという権利が国際的にはございません。ですから、アジアの成長率の高さというものを所与のものと考えまして議論を述べますと、それによって、当然ながら、エネルギー需給問題、エネルギー需要の伸びがクローズアップされてくるわけです。
 ご存じの方も多いのであまり詳しく述べませんけれども、例えば1992年から2000年までのエネルギー需要の伸び率というのは、インドネシアにおいて1.9倍とか、マレーシア1.8倍とか、タイ1.8倍とか、中国でも1.4倍で、我が国においては1.2倍という、いずれも非常に、世界中の水準と比べますと、かなり高い伸び率を示してございます。これにどう対応するのかという現実でございますけれども、ご存じのとおり、アジアの地域では、原子力発電の導入がかなり急速に進んでいまして、既に運転中のものが20基を超えまして、建設中の原子力発電所が7基と計画中のものが20基以上あるというのが現実でございます。この背景にありますのは、今申し上げたエネルギー需要の急速な拡大、それからやはり化石燃料への極端な依存がどうかという、これも自立的に主権的に考えたエネルギー政策というものが各国にございます。それから、化石燃料の産出地と消費地が離れているとか、あるいはそういうことへのアクセスがうまくいかない危険性があるとかという不安を抱えている国が、やはり原発の導入に積極的です。昨今の環境問題との関係で、CO2 とかSOx とかNox とかの排出規制の議論が出てきますと、そういうことを予見して、そういう原発導入の動きが非常に活発になるという現実もまたございます。これが背景です。
 この結果、じゃあ、この地域ではどういうふうに原発が導入されているかのかと見ますと、まずフランスです。中国、韓国、台湾、インドネシアにかなりの供給力を持っています。次にアメリカ。といいますか、アメリカとフランスは同じぐらいですが、カナダ、ドイツとロシアも、最近、後発供給国として非常に活発でありますし、韓国も供給国として活発になっているところがあります。日本はもちろん供給はしておりませんが、私たちのこの地域の現状がこのようなものであります。
 これに対して、たくさんの問題がございます。つまり、まず供給国が、消費国、つまり原発を導入する国から地理的に遠いわけですから、万が一の事故のときも、直接自分が影響を受けないということから、メンテナンスとか管理に非常にずさんなところがございます。現実、今のところは、幸い大きな事故もなく推移しておりますが、まだ導入の初期の段階ですので、今後、楽観することは私はなかなかできないと思います。供給国にメンテナンスと安全保障を最大限努力するようにという要求を出すべきではあると思いますが、これも各国の基準にのっとって、それぞれの国の、例えばアメリカで言えばウエスチングハウスとか、ゼネラルエレクトリックとか、やっておるときに、日本からそれに対して強く介入するということが、今のところ、非常に難しいということです。
 国際的な枠組みとしては、事故防止であるとか、あるいは法的な整備によって日常的にルーチンでメンテナンスを検討するとか、調査をきちっと行うとか、そのようなことを取り決める段階にあるわけです、一部いろいろな規制がなされてはいます。例えば大きく分けると、NPT系とNSG系があると思いますが、核不拡散系の管理の仕方で、IAEAを中心に管理をするという流れと、NSG(ニュークリア・サプライヤーズ・グループ)、これは原子力供給国の合同会議のようなものですが、これも輸出品目、ロンドンガイドライン等の対象になる品目について、資材供給の面で管理するという、こういうある種の国際的なレジーム形成が進んできてはいます。
 IAEAのフルスコープを受け入れているといいますか、その査察等を受け入れている国に対しては、供給国は保障措置を受け入れているのであれば提供できるという状況でありますので、各国が非常にダイナミックに成長しているアジア地域に原発を売り込んで、大きな収益を上げるという状況をストップさせたい気持ちは私にございますのですが、しかし、それをさせる方法論は、今の国際法の現状ではございません。その場合の次善の策として、やはり考えなければならないことは、いかにこのような安全管理のレジーム形成に日本がかかわれるかということだと思います。日本の高い技術水準によって、また地域の国ですから、ここの地域で事故が万が一起こるということであれば、これはもう、日本が十分に安全面での管理を指導したり協力したりしなかったという責任が、場合によっては問われることになるかもしれないし、もちろん日本にも大きな被害が及ぶかもしれない。それでなくても、やはり人道的な観点から、やはり日本がこのようなエネルギー供給における安全保障のレジーム形成において、何らかの積極的な役割が果たせることが必要であると考えます。
 私もレジュメがちょっと綴じ込まれていなくて恐縮なんですが、ここまでが3番目で、あと4、5、6と一般的なことですが、やはり安全性について他者に解くからには、みずからのところで完璧になされていなければならず、そのための情報公開と危機管理の体制が不十分であるという問題指摘をしたいと思いますし、これからの国際政治においてはヒューマンセキュリティー、人間一人一人が安全かという、この点にいろいろな観点からアプローチしなければならないのです。ですから、エネルギーの供給が安全であるという考え方とあわせて、そこで働く人、周辺の住民、すべてそこにかかわる人が本当に安全であるかという観点から、政策をきめ細かく再点検しなければならないと申し上げたいと思います。
 以上です。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、江尻さん、お願いいたします。
【江尻】  私は、原子力の専門家でも何でもございませんので、一人の女性が原子力政策に対してどういう考えを持っているかということを率直に述べさせていただきたいと思います。既に3回の円卓会議が開かれておりまして、多くの専門家の方が専門的な立場から意見を述べておられますので、私は素人の意見を聞いていただいて、普通、一般市民は素人なわけですが、その人たちが納得できるような政策を立てていただけたらと考えております。
 私自身が、どういうふうにしてこの原子力問題にかかわってきたかということなんですが、私は学生時代より日本キリスト教女子青年会(YWCA)の会員として、その活動に深くかかわってまいりました。YWCAは、過去の戦争に反対できなかった、その反省に立ちまして、戦後、平和を追求する、それも単に戦争がないというだけではなくて、正義に基づく平和を追求していこう、それから、すべての人の人権が平等に尊重される社会の実現を目指そうというふうに考えております。そのため、社会のさまざまな問題につきまして、学び、志を同じくする会員同士が、ほんの小さいことでも力を合わせて、その目的実現のために実践したいというふうに考えて努力を続けてまいりました。
 環境の保全ということは、YWCAの目指すところを実現するためには、非常に重要なことは言うまでもございません。後でもう少し詳しく述べますけれども、日本YWCAは、世界YWCAが原子力の平和利用に関しては肯定的な態度をとっていたころから、その危険性について発言を続けてまいりまして、多くの先進工業国のYWCAの会員たちから非難されたこともあると聞いております。でも結局は、その後、日本YWCAの主張が認められて、現在は世界YWCAも原子力の平和利用が危険を伴うものであるということに気づいて、原子力政策については、その推進に反対の立場をとることが多くなっております。また私は、約30年間、大学で健康教育あるいは健康論、健康に関する授業を担当しておりますので、その中で、いろいろな角度から環境の問題を取り上げております。
 ちょっと余談ですが、私は四日市の出身でございまして、この四日市の公害の問題等から環境の問題に特に関心を持ったわけです。
 こういう状況のもとで、1991年の秋にマイアミで開催されました「女性のための世界環境会議」に出席したんですが、そこで堂本参議院議員と出会いまして、環境問題に関心を持ち、実践活動をしている日本女性のネットワークをつくる必要があるのではないかということを痛感いたしました。というのは、この会議に日本の女性の出席が、本当に少なかったんです。世界から1,500人ぐらい集まったのに、日本からはほんの数人という感じだったんです。結局、ネットワークがないために、通知がちゃんと届かなかったということがあるということがわかったわけです。それで帰国後、有志の何人かと計りまして、そこにいらっしゃる湯川さんもそのお一人なんですけれども、そのほかにもたくさんいらっしゃるのですが、1992年2月に「地球環境・女性連絡会」を発足させました。このネットワークは、特定の政党や宗教に所属することはしないで、情報交換を中心に勉強を続けて、世界の同じ志を持つ女性たちと連帯する場合の窓口としての役割を果たし、男性も賛助会員として受け入れ、協力して活動するものであります。発足以来、この会の代表として責任を負いつつ母体であるYWCAで環境問題にかかわってきております。環境問題の中で、特に注意を払うべき大きな問題が原子力問題だと思うんですが、と申しますのは、原子力には長期間にわたって人間の健康に悪影響を及ぼす放射能という厄介な問題がつきまとっているわけで、それを阻止する完全な対策が未だ立てられていないからです。また、その悪影響は単にその放射能を浴びた本人だけではなくて、生殖細胞の染色体が損なわれて、子孫にまで悪影響が及ぶということから、体内に新しい命を宿す女性たちにとっては、大きな不安を抱かざるを得ない問題なのです。実際に原子力発電所の周辺のがんの発生率とか、発生数ではなくて発生率ですが、流早産率とか、先天異常児の発生率などを、あまりそこの人たちが不安を覚えないような形で、何らかの形で情報公開をしてほしいというふうに思います。
 それから、日本YWCAのことについてもう少し申させていただきますと、1970年の全国総会で、強調点の一つとして、核否定の思想に立つということを決めたわけです。ずっとその後、この問題を引き継いできておりまして、途中で核に括弧をつけまして、括弧つきの「核」ということで象徴される、現代文明そのものについても疑問を呈していく決意をしたわけです。科学の進歩を無条件に肯定して、次々に物質的な欲望を満たす生活を続けるならば、地球の汚染は進んで、次世代にツケを残すことになるということを考えるわけです。我慢をするということに対して批判もございますけれども、やっぱりそれはしていかなければいけないのではないか、ただ、我慢の仕方は楽しくやるという、いろいろ工夫をしていく必要があると思います。
 YWCAは世界的な団体で、世界のメンバーたちと連帯を持っているのですが、アジア太平洋地域のYの人たちから、日本はいろいろと批判をされているわけですが、このことについてはまた後で申し上げたいと思います。
 それから、エネルギー不足についての危機感を非常にあおられているような気がするんですけれども、何か急に、私たちの生活が原始時代に帰るようなことを言われますけれども、そういうことはないわけですから、過去のオイルショックのときなんかも随分省エネがされたわけですから、もう少しそういうことをしていきたいというふうに考えております。原子力発電所を設置するために必要なエネルギー量も大変大きいわけですし、それから、完成した発電所がフル稼働していないということもありますし、もっともっと代替エネルギー源から得られる発電量とか、省エネ器具とか、設備を使用する、そういうことを考え合わせた上で、必要な発電量を計算して、そしてそんなに原子力発電に頼らなくてもいいということを前提に計算をしていただけたらというふうに思います。
 ちょっと円卓会議のことについて、最後に一言だけ。何かこれを開いたことで、それが免罪符みたいになって、もうそれで意見を聞いたからというふうではなくて、やはり非常に危惧の念を呈している専門家たちもいらっしゃるわけですから、ぜひこの安全性の問題ということについて、もう少し検討していただけたらと思います。あとでまた、いろいろと補足させていただきたいと思います。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは続けて、加藤さんにお願いをしたいと思います。
【加藤】  はい、失礼いたします。
 私は岐阜県から参りまして、婦人会の方で大変お世話になっている者でございますが、8ページが私はきのうファックスでこちらへ送らせていただいたのがございますが、本当に私も不勉強でございますから申しわけないんですが、先ほど、秋山先生が三人に一人という、高校生のをお出しいただきましたが、私も新聞の投稿欄に出ておりました18歳の予備校生が、ちょっといい文章を書いているなと思いましたものですから、このまま出させていただきました。これはまた後でお読みいただきたいと思います。
 私、一番、チェルノブイルの原発事故のことを、後からもまた申し上げたいのですが、昭和63年の10月から11月にかけまして、私ども、女性ばかり12人でスウェーデン、西ドイツ、フランス、イギリスなどへ、ちょっとチェルノブイルのことで行ってまいりましたものですから、後ほどお話をいたしますのですが、これは四国電力の原子力発電所の出力調整試験を契機といたしまして、大変原子力のことがいろいろと唱えられるようになりましたものですから、私どもは中部電力さんの方に所属するわけでございますが、一度、皆さんでお願いできないかということで出かけたわけでございます。私、このときに、市場に参りましたのは、いわゆる大きなマーケットとか、農家とか、それから一般家庭とかに行ってまいりまして、子供さんのことについては全然触れてきませんでした。だものですから、今になりまして、10年たって、このごろ、ずっと前から新聞に子供さんの病気のことなどが相当出てまいりまして、私の町から10キロ離れましたところへ、やはり病気の治療にいらしたお子さんを、5、6人を1軒のおうちのご夫婦が預かられて、ボランティアでいろいろとお世話をしていらしたということも、私も知っているのでございますが、一番この問題が大変なことだなと思い、また私たちもそれについては一言も聞きもしなかったし、また向こうも触れてくださらなかったから、これはどういうことだったかなと思ったんですが、行くところ行くところで、とにかくいいことだらけで、全然自分たちが困った困ったということを言われなかったわけです。もうとにかく、テレビやラジオで言っていることを正直に私ども受けとめて、そのように生活して食べておれば何にも心配はないというような話ばっかりだったものですから、今になりまして、10年たって、新聞にいろいろ出てくることが、やっぱりなあ、私たちももう少し追求すべきだったかなということを、また感じたわけでございます。
 電力会社の方といたしましては、ここにも下の方に書いておきました。大体30%近くの原子力を今出ているということなんですが、結局それは水力にいたしましても、石炭にいたしましても、何にいたしましても、使えるものは使って、値段的なこともあるから、いろいろと工夫はしていらっしゃると思うんですが、この下に、きのうの読売新聞に出ておりました石炭ガス化で発電というのを、これも随分研究していらしたようでございまして、私は主人にこれを「こんな記事が出ているよ」と言ったら、これはずっとずっと前から、これについての研究はしておるということを主人も言っておりまして、電力会社の方もいろいろな面からご研究なさっているから大変ご苦労さまなことでございます。今の私どもの家庭で、1軒のうちに冷蔵庫が2つぐらいは当たり前。それから、各部屋にいろいろと冷暖房がついている。いろいろ考えますと、ここで今、それじゃあ少し節約をしてくださいと言ったって、なかなかできる問題ではないということを考えまして、そうなって、いろいろ詰めて詰めてまいりますと、これは原子力のこともということになるかなということを感じておるわけでございますが、また後ほど、視察のことについてはご報告をさせていただきます。
 以上でございます。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは続いて、神田さん、お願いをいたします。
【神田】  はい。京都大学の神田と申します。
 大学ではエネルギー政策学を担当しております。それからもう一つ、研究所のほうでは核物質管理学という学問をやっております。
 発言要旨に書いてありますように、私たちはまず省エネルギーとか節電とかということに関して、十分認識をして、それを実行していくということを大前提としてお話をしたいと思います。そういう前提があったとしても、エネルギー、特に電力に対する必要性について異議を唱える人はまずいないと思います。来世紀のエネルギーを考えるときに、環境、資源、経済、人口、食糧、それからインフレなどを含めた国の格差の問題、文化、歴史、伝統などの問題と、非常に深い関係がありますので、これらの問題を無視しては議論ができない。ほかの代替エネルギーとして何か適当なものがあるかというと、現在のところ、有効なものが考えられない。その間は、電力に関して言えば、原子力というのはどうしてもやっていかなければいけない不可避のものであるという感があります。
 ところが、私たちが原子力にかかわっている問題で気になるのは、次の世代へ負の遺産を残さないためにはどうしたらいいかということです。これは原子力だけではなくて、私、エネルギー政策論担当ですので、あらゆるエネルギー源の比較検討というのをやっているわけですが、やはり炭酸ガスとか酸性雨とか、いろいろな環境にかかわるようなものを次世代に残してはいけない。特に炭酸ガスは長い間残りますから、この問題は真剣にやるべきであろう。
 それから、放射性廃棄物のうち、高レベルで長寿命のもの、ウランよりも重いような、トランスウラニウムという言い方をしますが、そういう非常に長期に残る廃棄物については、それを消滅するための研究というのがあるわけですから、それに関してもっと積極的に取り組んでいく。要するに、原子力というのは、何か次の世代に悪いものを残すのではないかというふうな感情というのが、いろいろな点でまずいことになっている。
 それからもう一つは、核兵器にかかわって、原子力というのはよく議論されますので、核兵器の解体問題ということについて、これまで日本は知らぬ存ぜぬで通してきておりますけれども、やはりそれに対して何らかの国際的な貢献をしながら次世代に核兵器を残さないための努力を積極的にやるべきではないかというふうに思います。
 それから、今日は報道機関の方がいらっしゃいますので、ちょっと八つ当たり的な意見で恐縮ですが、新聞報道とかテレビ報道とかというのを見ておりますと、あまり詳しい背景を勉強しないで表面的な報道が多い。例えば、ドイツやアメリカが石炭をなぜ勧めているのか、なぜ原子力は勧められないかというのは、国内事情として、非常に大変な石炭問題というのを抱えているわけです。そのことが全然触れられないとか、スウェーデンとかデンマークの意見がよく取り上げられますけれども、彼らの国が一体どんな国なのかというのは、一体ご存じだろうか。彼らが新しい先物取りをやるためにどんなことをやっていて、実態はどうなっているかということの報道が違う。それから、グリーンピースにしても、フランスの核実験にしても、報道されるのは全く表面的な、操作をされている情報しか日本の新聞にあらわれてこないという部分については、非常にいつも悲しく思っております。
 続いて、原子力政策について、ぜひとも推進していただきたいというふうに考えている問題は、第一に教育の問題があります。科学技術庁というのは、先ほどの秋山先生の話ではありませんが、国民の科学離れというものを埋めるために、文部省任せでいいのだろうかということを考えます。先日、日本原子力学会から文部省に初等・中等教育におけるエネルギーの取り扱いについて、「高等学校学習指導要領に関する要望書」というのを提出しました。まことに無残な反応のご回答をいただきまして、そういうことに携わっている先生方は、高等学校に出かけていって積極的に教育することにしなさいというふうなご回答を文部省からいただきました。私は受けて立ちまして、今年の8月の「全国理科教育大会」に行ってお話をさせていただくことにしました。自分で動くのが一番だというふうに最近思い始めているところです。
 それから、先ほどの正しい教育ということからいきますと、例えば原子力のエネルギーが核分裂によっているということを知っているかどうかという高校生の調査です。それによると、ドイツやスイスは85%から90%。それからフランス、イギリスで60%、日本は調査した国の中で最低で、わずか38%であった。これは原子や原子核のことを高校であまりやらないということもありますけれども、原子力そのものについて、全く国民に教えられていないという、最初からそこに来る前にふたをしているという典型的なものだろうというふうに思います。
 それから、情報に関する公開について、核不拡散、特にその中でも核防護に関するもの以外は、できるだけ情報の公開というのをすることに、みんなで努力すべきだと思います。
 それから3番目につきましては、オメガ計画というのは、これは長寿命の放射性廃棄物を原子力によって消滅させていくという、日本が提案した国際的な大プロジェクトですが、これが今、尻切れトンボになっている。オメガ計画というのは、ぜひとも、こういうことを一生懸命日本がやれば、本当にやっているという感じがうかがえると思うんですけれども、とにかく次の世代にツケを残さないということに関して、現在、お金があるときというのはおかしいですが、そのときにどんどんやってもらいたい。
 それからプルトニウム。この物理的な性質、科学的、生物的、医学的性質というのが、ほとんど知られていない。それのための研究費も十分使われていない。あらわれてくる情報は、私の知る限りでは、ほとんど間違いだらけの情報が流れているというのが気になるところです。
 あと、5番目、6番目に、より経済的な動力炉、あるいはより安全な動力炉の開発というのは、あいかわらず続けるべきですし、原子力の輸出産業としての育成ということも努力していただきたい。
 先日、中国へ原子力損害賠償の講義に行きました。損害賠償法という概念そのもの、要するに、保険という概念のない国とこれからつき合っていくのは、いかに大変かというのがよくわかりましたけれども、そういう努力を日本はやっていくべきだと思います。
 最後の検討すべきものというのは、少し先走ったことを書いておりますので、後でもし議論になるようでしたらお話しさせていただきます。
 以上でございます。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、日下さん、よろしくお願いをいたします。
【日下】  はい。私の申し上げたいことは、原子力政策に当たる方はもっと元気を出していただきたい。それからもっとアイデアを出していただきたい。そのアイデアをどんどん国民に発表して、大いに物議をかもしていただきたい。それを逃げているのが問題の始まりではないかなと、私は原子力の大々的利用に賛成でございます。
 国民の不安は、プルトニウムそのものよりも原子力政策の方に不安がある。そう思っております。政策の基本が確定していないので、原子力利用は各種の圧力の間を漂流していると思います。海外からの圧力があり、マスコミの圧力があり、業界の圧力があり、住民の圧力があり、あるいは電気のユーザーからの圧力がありまして、声が大きい方に押されると反対側へ動きますので、漂流するものは信用されません。余計、不安になります。つまり、政策不信がプルトニウム不安の方へ私はつながっていると思います。
 その一つの例ですけれども、故障と事故と災害の区別をちゃんとなさっていないと思います。私の目で見れば単なる故障であるというのも、マスコミの方が事故だとか災害だと言えば、そのようにお使い、そのようにご説明になり、謝り、それで後であれは事故ではない、事象であるなどと言って、しかられるとまた謝って訂正をする。災害は一つも発生していないにもかかわらずでございます。こういうところは、もっとご自分ではっきり認識なされてはいかがかと思います。
 それから、国益、省益、庁益というのがありまして、その区別をちゃんとなさっていらっしゃるのですかと。原子力基本法があるとか、原子力委員会があってこう決まっているというお話をなさいまして、大変立派だと思いますので、ぜひそのとおりを真っすぐに主張なさったらどうですかというと、「いや、国民の理解が得られません」とか、もうすぐ、相手の理解が得られないといってあきらめてしまわれます。これは判断基準を相手に置くことでありまして、自分が持たないということは、我々国民からすれば頼りない。税金を払っているかいがない。ご自分が判断したことは堂々と主張なさって、理解が得られなくても主張なさって、理解していただくように努力をしていただければ、応援団もあらわれるのではないかと、当然のことを言っております。
 国益から言えば、やっぱりエネルギー政策はどうあるべきかです。あるいはエネルギー自立ということを真剣に考えればどうなるのかであります。例えば、原子力発電所はこれから新しく、あと20カ所つくらなければ日本経済は立ち行かないところがある。国民生活は立ち行かないところがある。その20カ所をつくるためには、何兆円は出してもよい、出すべきであるというようなことを国民に理解を求める。根拠は幾らでも説明をする。これが国家というもののあるべき姿であります。国家というのは、国民の財産を税金という形で取ることもありますし、徴兵制のある国では命まで取ってしまいます。国益のためには、国民に犠牲を強いるのは当然のことでありまして、国家公務員は全体の奉仕者でありますから、一部の利益のために漂流してはいけないんだと、そういうふうに思います。省益、庁益、こちらのほうはやめましょう、時間がないから。
 ほかの危険物がたくさんあるわけでありまして、例えば、ガソリンスタンドとか火薬とか航空機とか自動車。これはもう十分危険であります。あるいはディーゼル自動車も危険であります。みんな知っておりますが、別に問題が起こっていないのはなぜかであります。これは、それぞれの省庁が割り切って責任をとっているからだと思います。ガソリンスタンドも大都市の真ん中にありますし、かつ、その上にビルディングを建てることは厳しく規制されておりましたが、いつの間にか、今はいいことになっています。ガソリンスタンドの上にビルディングが建って、その上で人が働いております。火薬も十分危険でありますけれども、これは民間が扱っております。ただ、扱っている人は、もしも事故を起こせば自分の会社がつぶれる。花火屋さんは、自分が死ぬという危険においてやっている。それに任せているということを、国民が信用しております。航空機も機体検査はいたしますが運行は民間任せです。自動車に至っては十分危険でありまして、毎年1万人ずつ現に死んでおります。毎年1万人ずつ死んでおりますが、運輸省は自動車を禁止いたしません。国民も何も言いません。運転している自分が悪いと思っております。もしも、自動車をすべて国有にして、運転手は全部国家公務員にして、1万人殺したらどんなことになるかというようなことがありまして、危険だから全部やめるということにはなっていないわけであります。不信があれば不安が増えるわけであります。不信でなければ不安も消えるといいますか、それぞれ民間、あるいは国民それぞれが個人において引き受けるということになろうかと思います。ですから、私は原子力ももっと自由化すればいいと思っております。
 そこで、チェルノブイルにつきまして、笹川財団は15万人の子供を現地で5年間調査いたしまして、これはWHOでも大変評価されておりますが、白血病は2人しか出ていない。これを国連でも発表しております。こういうことをもう少しマスコミでも考え、科学技術庁も、このデータは信用できるかできないかをおっしゃっていただきたい。原子力は危険であるともおっしゃらないし、危険でないともおっしゃらない。その中間のどの辺であるかもおっしゃらない。だから、国民に不安と不信があるんだと思います。
 発電県は大都市の犠牲か国策の犠牲かというような言い方が多いわけでありますが、アイデアを出せば、補助金を先決いたしまして、一カ所につき何千億円をあげますと金額を先決いたしまして、立候補を募集いたしまして、20カ所というならば、先着順に20カ所まであげます。それは村営、町営、発電株式会社。ご自分のリスクでなさいませと。あるいは、大都市もまたみずから地下1,000メートルに発電所をつくってはどうですか。フランスの原子爆弾は爆破させても表面にはさざ波が立っただけですから、爆発はしないのですから、大都市の地下発電所を数カ所つくれば、発電県が自分だけ損をしていると思うこともないと思います。
 それで、なぜこういうふうにこじれてきたかがわかったのでありますが、レジュメを提出せよと何度もおっしゃいまして、その理由を聞きますと、7分間ですから、くっきりしゃべってください。新聞記者の便宜のためです、科学技術庁の記録のためですとおっしゃいますから、私は7分でちゃんとしゃべりますよ、失礼じゃありませんか。新聞記者の方は聞き書きはちゃんとできますよ、失礼じゃありませんか。それをまた、私に負担を押しつけるというのはおかしいではありませんか。科学技術庁の記録のためなら自分でおやりなさいと申し上げましたら、「はい、わかりました」とは言わないで、「あなたがお忙しいのなら撤回いたします」と私のせいにいたしました。これでは、だんだん話がこじれるはずだと思いました。
 以上でございます。
【岩男】  最後の部分のお気持ちは大変よくわかります。
 それでは、河野さん、続けてお願いをいたします。
【河野】  私、新聞社のOBなものですから、直截簡明に問題点を2つに絞って、7分間であらかた自分の考えを話してみたいと思います。
 一つは、これは大臣が冒頭に言われたけれども、国民的合意が必要だということを、3県知事も要請もし、総理大臣はそれを受けて、今、原子力委員会はこういう円卓会議を開いている。国民的合意という言葉ぐらい、実際難しくて、どこまでいったら合意ができたかと認定できるのかということは、政治家がどこかで判断する以外ないような、実は難しい話なんです。いずれにしても、そのテーマについて一言しゃべりたい。
 もう一つは、今まで30何人の方がここで意見を述べられていって、それも一応バラバラと見させてもらったんですが、その中であんまり言われていないことを、なるべくはっきり言おうと思って、後半の部分でそれを申し上げたいと思います。。
 第一の国民的な合意ということについて言えば、この円卓会議がスタートして、今日4回目なんですけど、これは従来の科学技術庁並びに原子力委員会の姿勢から見れば、大変、一皮むけた大胆な試みで結構だと思うんです。さっき、冒頭に岩男先生がおっしゃったけれども、自由討論は本日までで、次回からはテーマを絞っておやりになるとおっしゃったので、それなら私も注文をつけることはなくて、そのとおりおやりになってください。大体今までの、今日の意見もそうですけれども、40何人しゃべれば、大体いろいろな角度から、否定論から積極論に至るまで、あらかた全部テーブルに乗ったわけですよね。そのロジックもわかってきた。感情もわかってきた。それならそれを整理した上で、今度は具体的な選択の話ですから、結局国民の合意ということは。そこに話を移して、議論をつめてやっていただければ一番ありがたいなと思うんです。
 2番目に、国会には代議士がいて、これ国民の付託を受けて国会議員になっているんだけれども、もんじゅ事故が起こってから、国会でもんじゅ絡みの話を若干あったんでしょう。大したことにならなかった。しかしその後、エネルギー政策全般のあり方、原子力政策の安定性をどう再構築するかというようなテーマについて、ほとんど議論をやっていない、国会は。これはもう国民の代表としては、国民の合意を求めるなら、あの人たちがまず中心に行動を起こすべきなんだけれどもやっていない。極めて怠慢だと思います。様子を見ているのでしょう、行政府のやり方を。それはそれで一つの態度だと思うけれども、これからはそれでは済まないということ。
 3番目は、今、神田さんと日下さんからマスコミに対する辛口の意見があったんだけれども、私はこういう言い方で物を言いたい、マスコミに対して。平常時、原子力発電の運営、事故、その他の関係の記事、解説については、それは国民を代表して原子力発電がより安全に効率的に運営されるように、注文をつける立場で常時監視をするということは、だからこそ、各電力会社は安全により一層慎重になって、今日までの実績を積み重ねてきたと思っているんです。だから、平時において原子力発電のネガティブな側面をどんどん書くのは、それはいろいろな含みがあって申し上げるけれども、結構私はこれからも続けてもらいたい。しかし今回は、国民的な合意を求めるというテーマ設定になっているわけです。とすれば、原子力について、例えて言えば、プラス・マイナスいろいろありますよ、しかし、なおかつ全体のエネルギー政策の中で原子力政策をどう位置づけるかということについて、トータルの意見を、各新聞社は社説を持っているんだから、社論があるんだから堂々と物を言うべきだ。そこをあいまいもこにしていて、何か特定の分野の特定の事象について誇大に報道することは、この機会では責任を果たしたことにならない。だから、論点を明確にすると同時に、我が社はこう考える、原子炉はいろいろなものがあるけれども50年はしようがないとか、いろいろ考え方はあるんです。エネルギー源だという設定もあり得るわけだから。それは、この機会に国民的合意を求めるということが必要だと、そのことに賛同しているならば、各新聞社は自分の社論は堂々と言うべきだ。
 2番目に、もっと新聞より影響力がでかいのはテレビなんです。言いたいことは山ほどあるけれども、しかし最低でのお願いは、ここで出ている論点を整理して、どういう議論があって、反対のはどういうロジックで反対したのか、賛成のはどうだとかということを明快に流してもらいたい。一方的に印象論で物を言わないで、キャスターは。しかし、テレビは新聞と違って社説を持っていませんから、報道機関であるけれども、言論機関ではないそうだから、別にTBSは、4チャンネルは、我が社はこう思っているということは言う必要はないと思いますよ。そういうのを要求する必要もないと思っているんだけれども、せめて、公平なバランスのとれた、プラス・マイナス全部わかった上での報道というのをこの機会にやってもらわないと、国民の合意形成が歪んでしまうと思うんです。
 2番目は、そういう議論の上で、私自身はどう考えるかということを簡単に述べたいんですけれども。結局、今の2、3の方がおっしゃったけれども、需要をどう抑制できるかということは、本当は100年、50年先のことを考えてみれば、決定的に重要なことなんです。過去3回の議論の中でも、需要抑制論がまじめに説かれたということは、この円卓会議の最大の収穫の一つだと思っているんです。大変立派なんです。しかし、そこから先がイエス・バットで、しかし現実的に1億1,000万の国民に対して、今の電気の使い方の状態をベースにおいて、欲望をベースにおいてみると、価格政策か何かで大きなことを打ち出さない限りは、道義的な説得その他では動かないんですよ、日本の国民は。まず事実がそうなんだ。そうあるべきだという議論は幾らあっても構わないけれども。私は電力の需要を抑えるために、最大の努力をすべきだと思うけれども、それはなかなか難しい話だと。まず確認することが必要だ。
 2番目に、一般庶民、これは技術者もそうだと思いますけれども、夢は太陽光発電なんです。圧倒的なんだ。至るところ、世論調査をやっても。これさえあれば、原子力はおろか石炭火力も要らないぐらいの議論が天下に横行しているわけです。これはまことに事実に基づかない希望的観測みたいな話ですよね。それをつめていく。それこそ、これからここで円卓会議を続けるのなら、そのテーマで一回やってもらいたいぐらいの話です。本当にとことん、専門家に集まってもらってね。その上で、もう時間がないんでしょう。あとで、討論のときに言いますけれども、やっぱり選択すべき幅というのは極めて狭いんです、我々は。与えられた選択の幅は、現実的に。それは、核燃リサイクルをやめてしまうか。フランス領に持っていくか。そういう議論もありますから、有効な議論の一つでしょう。それから、従来どおりの方針を進めるけれども、テンポは少し緩めるか。
 3番目は、いや、今までの長計の路線に相当修正を加えてしかるべきではないかと、今回は。僕はその最後の3番目の議論をチャンスがあったらやりたいと思っています。
 以上です。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、今野さん、続けてお願いをいたします。
【今野】  レジュメに従ってお話しいたします。
 これまで、原子力について、国や専門家、企業からもさまざまな情報が発信されてきましたが、私たち国民はそれにちょっと振り回された感があったと思うんです。例えば、経済の活性化や生活の利便性を確保するために、エネルギーの需要、特に電力需要、そして中でも原子力需要が増加の一途をたどっている。2010年には、原子力発電の構成費が42%にもなる。だからそのために、といったような論理に、です。一見、説得力があるようにも思えますが、その前に自分に問うべき大切な検討や選択のステップをカットした短絡した論理ではないかと思います。また先ほど、秋山さんからも出されておりましたけれども、酸性雨を初め、環境問題に絡んだああいう論調、こういう話に対しても反論する適切な情報を持っていない国民としては、何となく事実確認の裏付けもとれないままに振り回されてきたわけなんです。そこで、この機会にそうした原子力に関する議論を思い切って出発点に戻してみてはどうかと思います。その上で一つ一つ国民みんなの問題として地道に、ファクトをもう一回確認し合いながら議論を進めていきたいと思っています。
 2番目は、原子力へのニーズについても、もう一度、再確認できたらと思います。本当にこれからも、私たちは原子力に依存する以外にもう道はないのでしょうか。
 例えば、省エネルギーで、どこまで需要が抑制できるのか、そんな試みや、予測数値でもあれば教えて頂きたいと思います。今私たちは使い放題の生活をしているように思いますけれども、もしかして、その気になれば、ある程度の無理のない禁欲だったらばできるのではないか。例えば、科技庁からいただきました『もっと知りたい、もっと考えたい原子力のこと』というパンフレットの9ページを開いてみますと、我が国の電源構成の推移というグラフが出ておりまして、原子力利用は70年ぐらいから始まっており、年々の需要増に合わせた電源構成の変化が極めてドラマティックに描かれております。日本の高度経済発展と生活の豊かさが生んだ結果とはいえ、この電力需要の急激な伸び方を見ると、原子力を導入しようとしまいと、いずれの道にも早晩行き詰まることは目に見えているわけです。そして、ここからはどうしてもこの国の意志とか選択といったものが全く読みとれないんですね。好き勝手に使っていたらこうなっちゃった、というグラフですね。そこでこの表から、大変乱暴だと思いますけれども、一番新しい94年度の原子力の部分をばっさりとカットしてみて、そのカットした残りの量でまかなうとすると、一体私たちの生活は何年前に戻ることになるのでしょうか。もしこの表が正しければ、12年前の1984年前後(その年の原子力も入れた数値の)に戻ることになるわけです。85年がつくば博で盛り上がった年でしたから、そんなに昔のことではないし、結構豊かな年だったと思うんです。それくらいのレベルにだったらば、国民があれこれ少しずつ禁欲をしてみることで何とかなるのではないか。それから代替エネルギー、新エネルギーや自然エネルギーの開発の可能性、国を挙げてその開発に取り組もうとした場合、そうした様々な方面での努力の成果を持ち寄ったらどうなるのか。その上での2010年の需要予測というのは、やっぱり42%ということになるのかどうか。そして、万一、それでもなお原子力を必要とするにしても、そんなに大々的に増やさないでも済むのではないかといったような、ニーズの真摯な姿を確認したいというとです。
 3番目は、技術大国日本の役割ということで、世界の技術先進国である日本としては、新しい時代に対応したよりエンバイロメント・フレンドリーで、ホロニックなエネルギー開発の先進国でもぜひありたいと思うんですが。例えば、リサイクル技術とか、安全性確保の技術、放射性廃棄物の処理の技術、ソフトエネルギー、新エネルギーの開発と利用に関する技術。そういうことにもっと国として思い切った、人、物、金、情報の投資ができないものなのでしょうかということです。
 次、4番目は、これまでは、とかく生活者はちょっと脇に置かれていた感じがあるんですけれども、生活者こそ、この問題の主役であるはずですから、もっと生活者に呼びかけて、その意識やライフスタイルを新しい時代背景にあわせて総合的にデザインし直す。そういう動きをしてみてはどうなのでしょうか。豊かさを享受することで、私たちはいつのまにかエネルギー多消費型の社会をつくり出してきてしまったわけですけれども、その利便性を得ると同時に、トレードオフの大きな対価もまたいろいろと支払わなければならないわけで、そうしたイメージを正しく理解して、選択する機会を国民ははっきりした形で与えられるべきだと思います。そのためにも、あらゆる段階においてのエネルギー教育の徹底ということを提案したいと思っております。
 次に5番目、アクションプログラムへの提言です。これまで時代の変化に合わせて、時にはエネルギーの危機感を訴えて節電を、また、その次にはもっと利用しなさいよと利用促進を、国や企業からのメッセージは、何のヴィジョンもルールもないように思えました。そういう信頼性を回復するためにも、国民が参加できる行動プログラムというものを実施してはどうでしょうか。その一つは省エネの日、または省エネ週間のようなものを設定して、もしかしたらもうあるのかもしれませんが、よくわかっていませんでした。この日とかこの週間、国民は自分の身の周りのすべてのことに気を配って、可能な限り節電を心がけ実行してみる。国や企業、地方自治体も同様の努力をしてみる。省エネの論文募集なども行ってみる。その結果、一体どれぐらいの成果があったのか、国は責任をもって、具体的な数値を挙げて情報を公開する。お聞きしたら、日々刻々のデータは出ているとのことですから、それはできるわけです。そうすれば、自分一人が頑張ってみてもどうにもならないという、これまでのような無気力感に陥ることなく、一人一人の暮らしの中の意識や、自分たちの行動が将来のエネルギーのキャスティングボードを握っているんだなという認識を持てるようになると思います。時間なので、その後は、また後ほどお話しさせていただきます。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、菅原さん、お願いをいたします。
【菅原】  私もレジュメに従って、若干補足しながらお話しいたします。
 私自身は、放射線の研究をしてきましたが、がんをつくるががんを治すという、そういう立場です。その意味は、がんを治す立場の治療というのは、非常に結果がはっきりしないとだめなんです。結論がないといかんのですが、がんができるというほうは、どうも一般に非常に簡単に結論が下されているような気がする。そこのところを一つ考えたいと思うんです。
 それから、その次には、今までの記録を見まして、何となく皆さん、放射線の人体影響は重要だということをどこかに書いておられるんですが、あまり表に出てきておりません。それで、今日の話にもちらちらございましたけれども、結局、先ほども話があったように、危険物もたくさんあるのに、原子力がなぜ特別扱いされるかというと、やはり放射線は怖いという、そこに問題があると思うんです。だから、本当にどこまで怖いのかということをはっきりしないで、いたずらに怖がっているのではないかというところです。
 それで、そういうことをやるために、原子力発電ということをやりますと、どうしても放射能の人体被曝という問題が出てきます。そこで今言いましたような不安ができるわけですけれども、それをはっきりさせるためには、放射線生物学という学問をやらなければいけませんが、その放射線生物学は原子力発電の推進をするとか、推進しないとかいう形であるのではなくて、放射線自身は、今まで申しましたように、医療をはじめいろいろなところで使われておりますし、現に、自然の放射線というものがあるわけです。こうやってみんなおりましても、この部屋にも放射線は盛んに走っております。そういう状況に対して、人々はどういうふうに生きているのかということを根本から研究する必要があるというふうに思うわけです。
 一番大事な点は、4番の、それでは放射線の影響がわかっているのかというところですが、この辺が一番問題でありまして、私たち専門家には、どこがわかっていて、どこがわからないかということはわかっているんですけれども、一般の方はそれを逆に、悪い方に何でもわかっているようにとられるわけです。そこのところが非常に大事であります。
 それをなくするためにはどうしたらいいかということですが、5番に書きましたように、まず研究をしなければいけないということです。わからない部分を減らして、できるだけ不確実性を減らして、できるだけ確かな、はっきりしたことを言おうと。そのためには、もし原子力を一生懸命開発されるなら、その予算の一定の割合を人体の影響に使うぐらいの覚悟がほしいと思うわけです。
 このことに関係いたしまして、例えば、数年前に文部省は、文部省の研究費の中の放射線生物学という枠をなくしました。我々は猛反対をして、何とか小さい枠の中で残ったんですけれども、そのときに私が考えたのは、国は原子力政策をやめたのかと思ったんです。それならいいんですが、文部省は文部省でやめたような形でいくし、科学技術庁さんの報告書を読みますと、まだまだこれからやると言っておられる。その辺の省庁の壁というものはぜひ取ってほしいと思います。
 それからもう一つは、そういう立場で、私も原子力安全委員会のお手伝いをして、いろいろ必要な研究プロジェクトを出しますが、伺うと、原子力委員会と原子力安全委員会の関係がどうも私たちにははっきりしない。せっかくいろいろなプランをつくっても、これができるかどうかは原子力委員会の方でお決めになるんですと。それじゃ、何で原子力安全委員の先生方と我々が一緒に議論したのかということになるわけです。そういう意味では、この機会をつかまえて、ぜひそのことを、要するに、原子力安全委員会を本当にしっかりしたものにするように努力していただきたい。
 それから、科学者の立場で言いますと、6番ですが、不確実なところがあるけれども、実際には放射線は使われているわけですから、わからないながら何とかやらなければいかんという問題があるわけです。そのときに、日本ではどうしても個人プレーが動きます。衆知を絞った上でのコンセンサスということがなかなかできていない。今日のこの会議自身も、国民のコンセンサスを求めると言われるが、どうやって求めるんだという話が今ございましたけれども、我々も随分前からそういうコンセンサスをつくろうと。少なくとも、専門家の間でわからない部分については、どういうふうに考えるんだということについてコンセンサスをつくりたいと思いましたけれども、なかなかそれができていない。
 最近問題になっていますエイズの問題とその委員会の状況などを見ると、日本ではこういうことが非常になじみにくいということがはっきりわかります。アメリカでは、科学アカデミーに放射線影響に関する委員会というのがありますし、そこでは反対意見も含めてコンセンサス報告をしております。それから、放射線防護について、実際にどういうふうに防護すべきかということにつきましては、科学者が協力をして、勧告を出している放射線防護委員会というのがある。そういうものは、いずれも民間の活動なわけです。我が国でもこのようなものをぜひつくりたい思っていろいろ努力するんですが、最後のところでうまくいかなくなる。その辺がどうも私にもよくわからないんですけれども、この機会をつかまえて、さらに一層その点で努力をしたいと思います。
 7番目に、今一番の問題は、非常に少ない放射線、微量な放射線でもがんができるかどうかという問題です。これについては、科学的な証拠はございません。これが一番未知な問題なわけですが、これを解決するためには、やはり非常に突っ込んだがんのメカニズムというものが本当にわからないとできないというふうに考えております。この点は、今や世界で非常に競争している状況でありまして、ぜひ日本がこの点でリーダーシップをとってやることによって、科学者に対する社会の信頼を取り戻して、本当に怖いか怖くないか、この辺は大丈夫だと言えば安心していただける、そういうことをつくっていけるのではないかと思います。
 まとめを8番に書きましたが、放射線生物学を軽視した原子力政策は、人間の健康という基本が欠けていると言わざるを得ません。ぜひこの点は十分に考えていただきたいと思います。
 それから、放射線はもろ刃の剣という立場で研究するべきであります。これは何も放射線に限らず原子力もそうですが、必ず何か、こちらが描いているのと反対のリスクがあるわけです。殊にこのことを申しますのは、実は最近、フランスが国際放射線防護委員会に対して異論を唱えております。核実験をしているとかそういうことは別としまして、その一番大事なところは、フランスの会議には私たちの同僚の医者が入っているんです。医者で、しかもがんの治療をしている専門家が入っております。その立場と、ほかの委員会は大体、物理学者か生物学でも全く基礎だけの人が主にやっている。要するに、患者を本当に治したことのない人が、本当の意味のリスクがわかるかという、その辺の問題がありまして、その辺は十分考慮していただける問題だと思います。
 そういう意味で、私、ほかのことについてもいろいろ言いたいことがございますけれども、今日は、できるだけ放射線の健康リスクの問題に絞って議論に参加させていただきたいと思います。
 以上でございます。
【岩男】  ありがとうございました。
 中村さん、お願いいたします。
【中村】  私は、生物の科学研究をしておりますので、そういう立場からお話ししたいと思います。
 ここに5点ほど挙げましたけれども、まず、科学技術庁からお話しいただいたときにも、原子力だけでなく、もう少し広く見たいというお話でした。私は、今明らかに時代は動いており、エネルギーだけでなく、資源、人口、環境などの問題から見ても、進歩を基本にした大量生産・大量消費の時代は変わるというのは、多くの人の認識になっていると思います。ですから、原子力を考える場合にも、こういう議論をするときはそこから考える。私自身は、我田引水ですが、生物を基本にして、エネルギーや技術というのも、生物の持っている姿から学んでやっていこう、そういう社会をつくりたいというので仕事をしておりますけれども、いろいろな立場の方たちがそういう提案をして、新しく、私たちはどんな生活を選択するのかというところからまず出発するのが、こういう議論をするためにこれから必要なのではないかと思っています。
 2番目に、エネルギーを取り出すという科学技術ですけれども、実際、現代は、大きく分ければ、石炭、石油を燃す、それから、いわゆる代替エネルギー(ここには古くからの木、水なども含めて)、それから原子力があると思います。生物の立場から申しますと、石炭、石油というのは、炭素がたくさんつながった非常に高級な物質なんです。それをばんと燃してCO2 にしてしまうというのは、生き物から見ると非常にもったいない。生き物はそれを巧みに少しずつ切ってはエネルギーと物質とをつくっているのですが、そこから見ると、実はこの技術は、野蛮と言ったら変ですけれども、もったいない技術。しかも、出てきたCO2 は、もう一度私たちの力では大きな化合物に戻せないので、考えてみると、そうでないエネルギーの取り方というのはぜひしなければいけないと思います。そこで代替エネルギーというのがあるわけですけれども、これは今いろいろ技術も開発されています。ただ、この技術を使っていくためには、これは集中型で使うのには非常に向かない技術だと思いますので、一方で、分散型のエネルギーの利用というシステムと並行してやらなければ成り立たないだろうと思いますが、これは、ぜひ科学技術としては開発すべきものだと思っています。
 そして、原子力なんですが、原子力は核の中に閉じ込められた大きなエネルギーを見事に取り出すわけですから、やはり私も科学技術者の一人としては、これはチャレンジすべき技術。こんなに見事に閉じ込められた大きなエネルギーを人間がコントロールして取り出すというのは、科学技術としてはチャレンジすべきエネルギー技術だと思います。ただ、ここで問題なのは、やはり技術をどう考えるかということで、この場合、取り出すところだけが技術になっている。本当の技術というのは、終わりまで、それは廃棄物のところまで見て、初めて技術が完成するんだと思うんです。私は専門家じゃありませんけれども、これはその最後のところまで完成した技術とはちょっと言いがたい。これは必ずしも原子力だけではなくて、現代の技術というのは、いつもつくる側、取り出す側、先ほど申しましたように、石油でも、燃すところはいいけれども、CO2 のことは今まで放り出していたわけです。それが今問題になっているわけで、私たちが今、技術をどう考えるかということと結びつくと思いますけれども、その中で原子力技術も、そこまで含めて完成したんだという、そういう技術の考え方の中で使っていきたいと思っています。
 それから、時間がないといけませんので、政策のところはちょっと飛ばします。
 4番の、科学技術のレベル、安全性というふうに書かせていただきましたのは、こういうことです。今回の会議のきっかけというのは、多分、「もんじゅ」の事故というのがあったと思うんです。その事故について、大したことはないんだとか、これは大変なんだとかいろいろなご意見があるんですけれども、私はそういう見方ではなくて、この事故があった後で、これと直接関係があるかどうかは別として、テレビを見ていて非常に気になったことがあるんです。それは、非常に複雑な技術の部品を下請けの工場に出している。その人がその部品をつくるわけですけれども、コンピュータでなされた設計が親会社からファクスで届く。それをつくっている人は、長い間の経験から、これはもうちょっとここに遊びを持った方がいいとか、いろいろ思うんですけれども、それを言っても、これはちゃんとコンピュータで計算したんだからいいと、それがファクスで来る。あまり文句を言うと切られてしまいますから、それ以上言えない。で、最後の最後まで、とうとうファクスだけで注文があったというんですね。もしそのときに会っていれば、これはこういう遊びがあればというようなことを言ったときに、私は、それは聞いたんじゃないかとに思うのです。
 何が言いたいかというと、技術の現場の問題です。今、原子力に限らず、そういう現場でのモラルというんでしょうか、本当にこういう複雑な問題を、熱意を持って、そして、経験を生かしてみんなでつくっていこうというようなことではなくて、ファクスでやりとりするというようなことになっているとすると、こんなに複雑な技術が使いこなせるのか、宇宙ですとか原子力に限りません。これから私たちの社会の中でたくさん複雑な技術を使いこなしていかなければならないのに、こんなことでは信用できないと思いました。それで、これは大きな問題だと思います。あの事故も、単に原子力が危険か、危険でないかということではなくて、私たちは今、こういう技術をコントロールするモラルがあるのかないのか。それだけの熱意というか、そういうものを持っているか。で、子供の理科離れということが言われますけど、私は、理科離れなどというやわい問題ではなく、本当の現場の問題として、ちょっとゆゆしきことが起きているように思います。
 それから、5番目の政策決定なんですけれども、これは情報公開とか、みんなが参加とか、コンセンサスとかということがあるのですけれども、政策決定のプロセスというのが日本の中にきちっとできていない。私は、自分がこういう技術の専門のところにいる人間としてみると、こんなふうにやっていただきたいということがあります。一つは、やはり専門性というのを生かしたい。ですから、最初にきちっと、これがどういう意味があるかということは専門家がやる。もちろん、最終的には専門家だけでは決定できないので、それから広く意見を聞く。ここで言いたいことは、専門性の尊重と、専門家の意見だからといって、それに対して外からものが言えないのではなくて、専門家にもどんどんものが言えるようにする。そういう形で専門を生かし、しかも広い視野を持つというやり方をして、政策決定、政策のプロセスを明確にする。それを透明にしていくという方法をぜひ日本の中に確立していただきたいと思います。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、屋山さん、お願いをいたします。
【屋山】  私も、どなたかがおっしゃったように科学の知識が非常に乏しいわけでありまして、30年ほど政治記者をやっておりました。この原子力については、秋山先生がご紹介になった、高校生が納得しやすい論調、こういうレベルでございます。しかし、一般の国民の平均値ではないかというふうに思っておるんですが、原子力の問題について二つのことを申し上げたいと思うんです。一つは、原発はない方がいい。これは一切地球上にない方がいいんだ、そういう問題と、もう一つは、仕方がない、あるのは必要なんだけれども、我が町にない方がいいという地域の問題というふうに、二つに分けて考えなきゃいけないんじゃないかというふうに思います。
 それで、最初の問題ですけれども、ない方がいいということをだれがやるかというと、国家の手でそれを排除するということになるんですが、その国家は何によって成っているかというと、選挙によって政治家を送り込んで成っているわけでありますが、政治家は、原発をゼロにする、そのかわり皆さんの生活は相当下がりますよというような約束はできないのでありまして、世界中、どこの先進国でも、緑の党とか、グリンピースとか、そういうものが政権に近づいたというのはないのでありますから、私は、原発反対運動というのは、技術に対する警告だというふうに受けとめるべきことで、実際問題として、政治が原発を全部否定するという場面はないのではないかというふうに思います。
 そこで、最初に、なぜ政治家がそうなのか、つまり原発否定の立場に立ち得ないかというのは、やっぱり高校生の論理かもしれませんが、私、この間も東欧に行ってきたんですけれども、惨たんたる山河と湖沼。沼の8割が魚がいないというようなことになっちゃったわけです。これは、従来型の燃料を無制限に予防措置なしにむちゃくちゃに使ったということだったろうと思うんです。ですから、従来型の燃料がよくて原子力は悪いというのは、私は今の現状を知る限り逆なんじゃないか。むしろ、原子力を制御しながらこっちを使う方が、よほど公害というか、マイナスの、負の影響がないのではなかろうかというふうに思っております。
 いつも太陽熱とか風車とか地熱発電を使ったらどうかというのも、それは一つのアイデアではありますが、私の友人がこの間、屋根を500万円でふきかえてソーラーエネルギーをやったと。君のところはそれで電力料はタダになるのかと言ったら、やっぱり払わなきゃならないんだそうです。500万円かけて、これは結局もとが取れないんだと。しかし、いささか社会に貢献しようと思っておれは投資しているんだという程度のことでは、これは国論になり得ないというふうに思います。
 それから、私、前、スイスに駐在しておりまして、そのときに緑の運動というのを取材したことがあるんですが、この緑の運動の指導者というのは、原発を一切認めちゃいかんという論者ですけれども、そこのうちには電気が一切ない。冷蔵庫もない。ランプで生活している。それだけ徹底していると、私も頭が下がる気がしましたが、電気冷蔵庫とか、いろいろ近代文明をフルに使って、原発をやめろというのには、いささか抵抗があるというのが私の考え方です。
 それからもう一つ、地域にあっちゃ困るという問題ですが、これは、一つは、安保条約と似ておりまして、沖縄の問題が起こって私も非常に憂慮しているわけですが、そうかといって、安保条約なしでいいという人はいないので、どこかがそれを引き受けなきゃならないということになったときに、引き受ける損といいますか、不安の代価といいますか、これは物質的で日本人の神経にはさわることなんですけれども、結局、代価を支払うしかないのではないか。それともちろん、不安感の除去ということですが、そういうことをやる必要があるんじゃないか。前回の円卓会議の議事録を見てましたら、例えば、福井県に新幹線を早く敷いてやれとか、原発を持った市町村の地域の電気を安くして、それでそこに企業が張りつくようにしたらどうかという意見がありましたけれども、これは一つのアイデアだなというふうに思います。
 それから、私は、そういう意味でこの「もんじゅ」の事故というのは残念だったですけれども、これでこれをやめるというようなことじゃなくて、やはりこれを日本が世界のために開発して、その技術を世界に与えるというのは日本の使命ではないかというふうに思っております。
 以上です。
【岩男】  ありがとうございました。
 湯川さん、大変お待たせをいたしました。よろしくお願いいたします。
【湯川】  いつも最後まで待たされるんです。あいうえお順で行っても、アルファベットで行っても湯川は最後なんですが、最後はもう少しましなことを話さなければいけないかなというプレッシャーもありますが、私は本当に、それこそド素人というか、音楽を仕事としてきた、いわゆる感性、感覚の世界の人間ですから、科学的な知識というのは悲しいぐらいなくて、一生懸命いろいろな環境運動なんかにも首を突っ込んだりしていることもありまして、たくさん自分なりに情報を集めて、そういったものをいろいろと読んだりしてみております。例えば、今日もご出席の「ストップ・ザ・もんじゅ」、私も一生懸命署名運動をしたりした方なんですが、あまり皆様には信用がなそさそうなグリンピース、でも、ここはロシアの核廃棄物の海洋投棄というのを教えてくれた唯一の団体でした。そして、財団法人の、今、私、手元に持っておりますけれども、これは、原子力発電技術機構からも広報ニュースレターなどをいただいております。こういったものをそれぞれに読んだり、見たりしながら、本当に大丈夫なんだろうかと思いながらいる、それこそごく一般の国民の一人です。
 なぜ、今日、こういう円卓会議が開かれているのかということを考えましたが、それは事故が起きたから。つまり、それまで49カ所あった原子力発電所に関してはこのような円卓会議は行われなかったわけで、なぜ今回それがこうやって行われているかと言いますと、災害ではないけれども事故が起きたからということで、それも今までは、動燃とか、科学技術庁とか、さまざまなそういうニュースを見ておりますと、あるいは討論会を見ておりますと、例えば神戸の震災が起きた後もそういう討論が行われているんですが、そのときも、絶対に安全だ、事故は絶対に起きないというふうに答えられておられますが、それが起きたからということに対して、ものすごい不信感が今うずまいている。これは大変まずいなと、作っていかなきゃならない人たちは考えているわけだし、そういうものがあっては本当に困る、もう無くしてほしいと考える人間との間に大きなギャップが起きたからです。
 そして、その作ってほしいというか、作らなければいけないと思っている人たちにも、今、さまざまな方々のご意見の中にありましたように、これから先を見越して、石油もあと39年で底を尽くということは、20年ぐらいの間には、最後の一滴がガソリンとして日本の車の中に入るとは思えませんから、そうすると、大変なエネルギー戦争が起きてくる。そのためにも、今から絶対に高性能な原子力発電は必要なんだということは、国のレベルとして、経済のレベルとして、政治のレベルとして、あると思います。
 一方、もう一つ、私なんかの不信感が寄って立つところは、そこにビジネスが絡んでくるということです。例えば最近の一つの例で言いますと、原子力発電所の立地の是非を争点に、93年に行われました石川県珠洲市の市長選挙をめぐって、選挙の管理執行に落度があったということで、この間、最高裁が上告を棄却しました。これは能登半島にある珠洲市で、1993年の4月に関西電力、中部電力、北陸電力の三電力会社が計画した原子力発電所の立地を争点として争われたことなんですけれども、いろいろなビジネスがそこに絡んでくることで、純粋にエネルギー政策としての原子力発電が必要なんだというところとはまた別の不明瞭な部分が起きてくるわけです。そして、国としての姿勢というのも、白紙の上で本当にニュートラルに考えていただいているのかどうなのか、という問題も出てくるわけです。例えば、原子力発電技術機構からいただいている広報誌の中には、『もんじゅ』のナトリウム漏れの事故が起きた後のいろいろなミーティングというか、講演会で、「基調講演を受けて行われたパネルディスカッションではさまざまさな議論がなされましたが、共通していたのは、情報の透明性と速やかな提供という点でした。事故時の報道のあり方についても、冷静さと正確さが必要とのコメントがありました。ただその後に、高速増殖炉の位置づけとしては、重要なエネルギー源であり、核拡散防止・高レベル放射性廃棄物の削減にも有効であり、引き続き、利用を推進すべきだとの意見が大勢だったようです」ということで、やはり作る方向、持っていく方向というふうに見て間違いないのではないか。となると、そこの間のギャップ、なくしてほしい、怖いという感覚と、持っていかなければならない方向ということの間のギャップをどう埋めるかということが大変大切で、今、この円卓会議が行われているんだと思います。
 私などは、動物的な感覚で、まあ、それが今まで私が五十数年生きてきた中で一番正しかったというふうに認識しているから始末に悪いんですけれども、例えば、さっきも言いましたように、エネルギーがなくなったときに、本当にこの日本に高性能なエネルギーがあって、先ほどもおっしゃいましたように、ほかの国々に対して、一つのモデルケースとして、安全性も指導していけるようにするためにはどうすればいいか、ということも一つのテーマだとは思います。
 それから、例えば、軍隊を持つか持たないかといったことと似た論議ですけれども、そんなものはもともとない方がいい、本当に不完全なものであったらない方がいいということも考えられるでしょう。本当に放射能消滅技術が確立されない限り、核の平和利用なんてことは絶対にあり得ないのだという論点に立てば、この地震大国である狭い日本で核廃棄物をどうするのか。今、ダイオキシンが大変問題になっておりますが、焼却炉の残灰一つ捨てられないで大阪の埋め立てに使っております。そうしますと、水俣とか、HIVとか、そして今抱えているダイオキシンの排出の問題など、実害が出なければ限りなくビジネスが優先していく体質であるというこの日本の中で、本当に公正なチェック機関というのが何よりも必要だと思いますし、また、今日こうやって皆様のお話を伺っておりましても、女性の発言者、今までの方々のを見ても、大変感覚的で、またフレキシブルで、議論としてはややこしくなるかもしれませんけれども、そういう一般的な人々の、ド素人も含めてのチェック機関というものもどこかにちゃんと置いていただいて情報を公開していっていただくというのが、今後とても大切なことになるのではないかと思います。
 私の個人的な立場では、今までの総合的な情報を分析した結果、今のままでは、例えば、「もんじゅ」のような形の高速増殖炉は絶対に持ちたくないというのが私の感覚であり、見解です。
【岩男】  ありがとうございました。
 皆様に7分間という、いささか失礼な、また、厳しいお願いをいたしましたのに、大変皆様ご協力をいただきまして、そして、内容の濃い、また、非常に広範なご意見を述べていただきましたことに対しまして、心より御礼を申し上げます。
 大体2時間が経過いたしましたので、ここで休憩にしたいと思いますけれども、前半の終わりに当たりまして、先ほどから大変熱心にメモを取っておられました大臣に一言ごあいさつをお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【中川】  ごあいさつというほどでもないんでありますが、今日は本当に幅広いさまざまな観点から貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございました。少なくとも、原稿も用意され、あるいはまた、質疑通告が行われる国会の本会議や委員会の質疑よりはよっぽど熱心に、私は今日は皆さんのご意見を素直に、スムーズに伺うことができたんじゃないかと思っております。
 しかし、ご意見の幅は相当広いものがございますし、また、ご発言のご趣旨のことも理解しているつもりですが、7分という時間の中で、その深みや厚さというものも、ご発言者ご自身も時間の制約で十分お出しになれないという部分もあろうと思いますから、この議論の幅は、まだまだ深みも厚さも、合意は難しいというご意見がございましたけれども、あるのだということをまた痛感もいたしております。
 いろいろそれぞれに感じた点を、いただいたレジュメに記載しながら申し上げようかと思いましたが、私がそんなことをまとめて申し上げる立場でもないし、むしろ後半のところで、また忌憚のないご意見を交流していただくことの方がもっと大切かと思っております。
 ただ、これからのモデレーターの先生方にお願いを申し上げたいと思いますのは、いろいろ省エネ、あるいはソフトエネルギー、代替エネルギーといった問題についても、現実問題として、現実の国民生活の中でどの程度までできるかというような問題、これは共通の疑問も、批判派の方も、あるいは、推進すべきだというお立場の方も、やはり共通の問題として、そういうご議論があるんだという感じがいたしました。そういったことについても、また、テーマを絞ってご議論をいただくべきだというご意見もございましたが、当然だろうかなと思っております。そういう意味で、例えば社会と原子力といったものを幾つかテーマを絞りまして、今後またご検討をいただくような機会を与えていただいたらと、このように考えた次第でございます。
 まことに恐縮なんですが、公務の都合で、私、後半の部分は、本当に失礼ながら、また、私自身残念ながら、参加することができませんが、必ずこうしたご意見を、湯川さんから、単なる通過儀礼でやっておられるんじゃないかというご疑問も含んだようなご意見もあったような気がいたしますが、現実がございますから、34%も依存している現実の中で、じゃあ、すぐやめるという結論がないじゃないのというのはまたちょっと現実離れしたご議論だと思います。しかし、今後の方向について、やはりいろいろなお立場のいろいろなご意見をどう柔軟に反映しながら、みんなで少しでも幅広く納得しながら進めていけるかという意味では、白紙という立場で議論したいと考えているのが私の思いでございまして、そういう意味で反映をさせてまいりたいと考えておりますので、ひとつ後半の分、よろしくお願いをいたします。ありがとうございました。どうかよろしくお願いいたします。
【岩男】  ありがとうございました。
 それでは、休憩に入りますけれども、後半では、前半の皆様のご意見を踏まえた上で、論点を絞って、出席者全員による討議を行いたいと思います。
 それで、後半の開始時刻でございますけれども、15時40分ジャストには始めたいと思いますので、恐れ入りますが、その少し前までにはご着席願いたいと思います。どうぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。
 それでは、コーヒーブレイクに入りたいと思います。
── 休  憩 ──

自由討議

【鳥井】  日本経済新聞社の鳥井と申します。今日、先ほど皆さんからいただきましたご議論を聞いていましたところ、非常に問題が多岐にわたっていたような気がいたします。
 順不同ですが、まず、エネルギー教育の問題、マスコミの役割の問題、事故の定義の問題、ライフスタイルの問題、環境と原子力のかかわりの問題、省エネの問題、リスクというのは原子力だけじゃないよという議論、自然エネルギーへの期待の問題、放射線のリスクの問題、専門性と社会とのかかわりの問題、それから先進国としての日本の役割、そういったような問題が出てきたように思います。これ全部議論をすれば大変いいわけですが、何せ5時半ごろまでというふうに限られた時間でございますので、若干、司会の方から焦点を絞らせていただいて、それは非常に緩い縛りだというふうにお考えをいただいて、それで議論を進めたいと思います。
 一つは、安全の問題についていろいろなご議論があったかに思いますので、まず、安全の問題を取り上げさせていただきたいと思います。二番目が、私、マスコミでして、先ほど聞いていて、大変耳の痛い話もたくさんあったわけですが、たまたま私が今日、司会を務めているという関係もありまして、マスコミの問題と教育の問題、これをあわせてご議論をいただけたらと思います。最初、半分ぐらい安全の問題をご議論いただいて、その後、教育、マスコミ問題をご議論いただきたいというふうに考えております。
 それでは、いかがでございますか、まず安全の問題で、どなたからでも結構でございます、お手を挙げてご発言をいただけますでしょうか。
 池島さん、後でご議論があるというようなことをおっしゃっていたんですが、まず口切りに池島さんにひとつ。
【池島】  先ほども一点例を挙げましたけれども、FBRの中で、例えば、イギリスのPFRの蒸気発生器細管の破断事故という非常に重要な事故があると思うんですね。日本の「もんじゅ」の場合の安全審査では、細管破断は4本ということの設定しかなされていない。ところが、現実にはイギリスで瞬時に40本の破断が起こっている。そういうことを踏まえて、私たちは何度も聞いてきたんですけれども、動燃にも聞きましたし、科技庁の方にも聞きましたけれども、明快なお答えがいただけていないので、今日は委員の先生方もいらっしゃいますし、それについて本当に見直す必要があると私は思うんですけれども、ほんの一例として、それについてはどのようにお考えなんでしょうか。
【伊原】  イギリスの原子炉で非常に大きな事故があったと。過熱機の細管40本破断、70本に影響が及んだというのは事実でございます。ただ、技術というのはどんどん進歩しておるわけでございまして、動力炉・核燃料開発事業団の技術は世界でもかなり高いものと、私ども信頼しておるわけであります。今日はあまり詳細にわたるわけにいかないと思いますが、藤家先生が一番お詳しいので、ちょっとそこをご説明いただけますか。
【藤家】  高速炉の安全につきましては、先ほどの湯川さんのお話の中にも、暴走爆発事故という表現とか、あるいは蒸気発生器細管の破断事故という表現がございました。原子力の安全をどう確保するか、今、「もんじゅ」以降問われている問題は、むしろ我々が従来対応してきた技術的な安全の外側の世界をもう少しちゃんとするべきであるという、社会的な安全の観点、あるいは情報公開の観点からおっしゃられているところがありました。これは確かに時代が変わったということを十分認識して、今後、安全委員会がその辺には十分対処なさるものと私ども期待しているところであります。
 高速増殖炉はご承知のように軽水炉とは違った性質のものでありますし、まだ完全に実用化段階を迎えているわけではありません。軽水炉の安全につきましては、これまで日本が安全最優先という観点からやってまいりまして、それは実績として十分皆さんに評価していただける段階にきていると思います。このような安全を評価する上に当たりまして、重要なポイントはいかにして原子炉を止め、かつ冷やすかという、この二つが大変重要でございます。その二つを確実にやることによって、放射性物質が環境に漏れ出すことを抑えるんだ、これが安全の基本的な考えでありますし、また本旨であります。さらに神ならぬ身という観点を入れまして、安全の厚みを増やすということから、最終壁に格納容器を設置していることはご承知のとおりでありまして、それによって安全が確保できると。このような全体の中で安全を考えていただくことが大事であります。
 蒸気発生器細管の破断につきましては、これはナトリウムと水が接触するということでありますから、動燃もかなり長い間スワットという実験設備で研究をやり、これに対して相当の安全上の成果を上げてきて、これによってこのナトリウム水反応による問題が解決できる。
 これを実際の安全審査上の事故評価にどう持ち込むかという話でありますが、これを何本想定にすれば十分かというのは、そういった一連の中での議論がございまして、その中で認められた話であります。したがいまして、事故の想定とそれに対する評価という一連の枠組みの中での話であります。
 もう一つ暴走実験の話がございました。原子力の安全研究は、先ほど、止める、冷やすという話を申しましたけれども、いかに核的暴走から遠ざけるかということが、これは安全研究の第一のポイントでありまして、軽水炉は明らかにそれに関しては十分、それから遠いことが言われている、実績としても見られているわけです。高速炉につきましても、これをいかに遠いものにするかということで、相当の議論もあります。実際に原子炉をそのために使ってということまでいきませんので、いろいろな知見を重ねながら、今、その安全評価がなされているところでありまして、私の見るところ、核暴走から見れば、相当遠いところまで話は来ている。
 ただ、これを易しく説明するという段階に至っていないのは残念ながら事実でありまして、今、私ども考えておりますのは、いかにこれを易しく説明するか、そういった原子炉を将来的につくっていく。ここはまさに安全最優先という、しかもわかりやすい原子炉ということであります。
 その中で直接安全に関係しませんが、少し湯川さんの話に敷衍させていただきますと、放射性物質の消滅処理というのは我々にとっても大変大事な問題でありまして、私は3月まで大学におりましたけれども、そのときの研究テーマの一環でございました。そのときの将来目標は、エネルギーがつくり出せて、燃料がつくり出せて、放射性物質が消滅できて、安全が確保できる。この四つの目的を同時に達成できるような、整合性ある原子力システムの可能性についての研究でございました。神田さんがオメガ計画に多少お触れになりましたけれども、それは科学的に可能性は証明されているわけです。これを実際にどう技術がフォローしていくか、これはこれから少し時間がかかる話でありまして、この技術開発の途中に必ず高速炉というものの存在を我々仮定しなければ、その最終の整合性のある炉にはたどりつかないというのも一つの事実でございます。
 以上でございます。
【鳥井】  いかがでございましょうか。神田先生、どうぞ。
【神田】  安全性という言葉で、非常に通じる安全性と通じない安全性というのがあると思うのです。私は今はエネルギー政策学を担当しておりますが、数年前までは原子炉設計学と原子力安全工学というのを教えておりましたので、安全性といった場合に、さっきおっしゃったみたいに放射性物質の放出を伴うような安全性という問題と、そうじゃない安全性という問題がなかなか区別して理解できない。原子核工学科の学生に対しては、それは明確に区別できるのですが‥‥。もう一つ、京都大学は原子炉を持っておりまして、大学が持っている原子炉で一番大きい原子炉なものですから、地元説明というのに年中のように引っ張り出されているわけです。特に、この間の地震の後に、サイトから一番近い原子力施設であったというので、その後の講演会で引っ張り出された回数というのは大変なもの、あっちこっちで説明して回らなきゃいけないという事態がありました。
 そのときに非常によくわかることは、一般の人に放射能が流出するようなものに対する安全性というのと、そうじゃない安全性との区別というのがつかない。今回のナトリウムの場合でも、ナトリウムが漏れたということは、これは先ほどおっしゃったみたいに原子炉が暴走するとか、そういう種類のものとは全く違う次元のものであっても、ほら、ナトリウムが漏れたじゃないかという話になる。
 もう一つ、ちょっと話を飛躍させて話させていただきたいんですけど、私たちはナトリウムが漏れるということは十分予測していた。ナトリウムが漏れるぞということを何度も科学技術庁にも動燃にも警告を発している。それで、しかもさや管だということもはっきり言っている。なぜかというと、京都大学の原子炉は二度ほどトラブルを起こし止められましたが、二度ともさや管です。しかも温度計です。温度計を取りつけたところのさや管が破れて、そこから漏洩するという事故を我々は経験しておりますので、そのことについて再三、そういうことが起こるんだから、「もんじゅ」が臨界になるときの臨界の式典では、これはナトリウムの漏洩試験機ですというぐらいのことを言ってしまえという意見を言ったんですが、ついにそういう意見を取り上げていただけなかった。それはナトリウムが漏れるということと、それから高速炉の安全性ということは全然別次元ですが、技術としてはナトリウムという新しいものを使わなきゃいけないんだから、そこで二次系は特にいろいろなものがくっついていましたので、そこはいろいろ弱点を持っている。だから、そこのところはしっかり言ってしまえというのを言っていたんですけれども、まとめて安全だと言ってしまったために、どこかちょっとちょんぼがあると、ほら、原子炉が危ないじゃないかという話になってしまう。
 ですから、もう一回まとめますと、前半のほうは原子炉のいわゆる放射性物質を伴うような安全性とそうじゃないものが、国民というか、一般の住民は区別してくれないということ。二番目、そうならば、原子炉側の立場で物を言うのではなくて、こういうところがこうだと分かりやすく言う必要がある。むしろ原子力屋の方が一般社会に近づくための訓練というか、教育というか、むしろトレーニングが足らないのは我々側のほう、すなわち、説明する側の方にあるんではないかというのを最近痛感している。特に地震の後の説明会では、もう徹底的に地元にやられましたから、よくわかっております。
【鳥井】  いかがでございますか。はい、湯川さん。
【湯川】  それで、例えばそれだけ神田先生の方がナトリウム漏れが起きることもわかっていらして一生懸命注意をなさったことに対して、すぐに対応がなかったというのは、どういうことなんだと思われますか。
【神田】  それは私の同僚といいますか、部下といいますか、ある人が『もんじゅ』という本を書いて、そのあたりを一生懸命非難していますけれども、あれは我々が徹底的に議論した一部分のわけです。だからといって、私は「もんじゅ」そのものが計画はおかしいとか何とかって言っているんじゃないんですが、ナトリウムに関してだけは私は非常に疑問を持っているわけです。なおかつ、そのときに動燃大洗のその施設へ行って見てきてくれと言われたので、見に行きましたけれども、あまりにも現場が自信を持ち過ぎている。科学技術なんて自信を持った途端に失敗するんだから、確信を持ってナトリウムのトラブルを起こすというのを言い続けたということです。
【鳥井】  どうぞ、湯川さん。
【湯川】  今の関連なんですけれども、いろいろ申し上げましたように、素人でいろいろな情報を見ながら、大変不安になるのは、今も現場が自信を持ち過ぎているというふうにおっしゃいましたけれども、素人は黙ってほしいというような、おまえら判んないんだから黙ってろ、みたいなところがすごく感じられることと、神ならぬ身とおっしゃいましたが、神ならぬ身が大変なものを動かしているんだということに対する姿勢が伝わってくるかどうかということが一番、このギャップを埋める重要なかぎではないかと思うんです。例えば、ナトリウムは漏れるけれども、それは決して危険なことではない、それを素人に説明するのは大変なことだということなんですが、例えば一方の情報では、ナトリウムというのは水と混ざり合うと爆発してしまう。例えば今回のことも床ライナーというんですか、床表面を覆う鉄板は配管から漏れたナトリウムによってもう溶けていて、その下のコンクリートが焼け焦げていたと。コンクリートとナトリウムの反応によって水素が発生して爆発する一歩手前であったと考えられる。この爆発が原子炉側の壁を破壊すれば、プルトニウム燃料溶解、そして核爆発という最悪の事態に及んだだろうというようなリポートも出ているわけですし、今までドイツとかフランスとかイギリスとか、既に随分進歩したとおっしゃいましたが、そういう人間の手に負えない、これ以上やっていると危険だというようなことでやめたのではないかという情報もあるわけで、そんな中で大変簡単なレベルでの事故だったというふうに言われております。ナトリウム漏れの原因は、配管内に差し込まれた温度計がナトリウムの流れによって振動して、温度計を包んでいたさやが折れたという、これはその安全解析をしなかったという、設計も振動解析も業者任せだったという、そのずさんさと今おっしゃったような自信過剰にあったんではないか。そういった点を私たち素人が安心できるようなレベルに情報を提供していただくというようなことが、今後本当にとても必要だというふうに思うんです。
【鳥井】  藤家さん、海外からもいろいろな情報が入ってきてというんで、必ずしもどの情報が正確に入ってきているかというのは、なかなか我々にわかりにくいところがあるわけです。ちょっと一言、短くコメントをいただけますでしょうか。
【藤家】  ドイツのSNR300が中止になりましたのは、連邦政府が安全に対する判断をして、オーケーを出したんですが、州政府が燃料装荷を拒否したということで、これは動けなくなったわけです。それから、フランスのスーパーフェニックスは現在、出力アップをして、60%出力状態でいたんですが、今、定期的にとめているという現状であります。イギリスは、原子炉がほとんど民営化に近づいておりまして、その線から高速炉計画はないと聞いております。
【鳥井】  先ほど江尻さん、お手を挙げ……。
【江尻】  湯川さんがおっしゃったこととかなり似ているんですけど、そういう非常に専門家と言われる人たちの方から、かなり危険だというのが出ていることについての疑問が一つと、それから廃棄物の問題がまだ完全に解決されていないのではないかということもよく言われるところですね。それで、今、放射性物質を伴うことに関する安全性と、伴わない場合の安全性ということを神田先生はおっしゃいましたけれども、伴う方の安全性についてもう少し伺いたいということ。それから、三つ目のことは、事故が起こったときに、そこの場の事故だけで終わらない、遺伝的な問題とか、放射能の汚染による将来の世代にわたる問題があるんじゃないかということで、普通の交通事故で人が死ぬとかいうのとは少し違うんじゃないかという気がしております。
【鳥井】  じゃあ、伊原さんの方からお答えいただいて。
【伊原】  まず、原子力施設の安全で地元の方が一番気になさるのは、敷地の外にどういう影響があるのか、こういうことだと思います。ですから、敷地の外に影響があるかないか、それがまず一番重要であって、そういう意味では、原子力施設の安全確保のために、まず敷地の中でどんなひどいことが起こっても、敷地の外は影響がない、あるいはほとんど影響がない、そういうことをご理解いただくことが必要なわけです。原子力関係者は今までは必要最低条件として、敷地の外に影響がない、放射性物質は漏れない、ナトリウムは漏れていない、そうすればいいのではないかと思っていた。しかし、今回、これは非常な間違いであったということを自覚されたわけでございます。敷地の外に影響がなくても、敷地の中で何が起こっているかについて、一般の方々が十分中を見て、理解できるという状態になっていなければ、敷地の中で大変なことが起こっているだろう。だから、それが敷地の外に、今日ではなくても、明日、明後日は出てくるかもしれん。こういう不安をお持ちになるわけです。ですから、今回の間違えはまさに敷地の中に起こっていることについて、それを十分ご説明できなかった。
 例えば「もんじゅ」の事故報告の中にございます。事故の現場の映像が刺激的であり、説明なしの公開は不安をあおる。こういうふうに所長、副所長が判断をしてビデオを一部カットした。これは大変な間違えであった。つまり、その説明なしだと不安をあおるなら、なぜ説明しなかったか。1回でわからなければ、2回でも3回でも徹底的に説明をして、現場を見ていただいて、敷地の中ではこんなにひどいことが起こっておりますと、ダクトには大穴があいておりますという説明をして、しかし、外には影響がありませんというご説明をすれば、もう少し信用していただけたんじゃないかと思うんです。
 ですから、これは現場において非常な混乱状態でありましょうから、現場の人だけに責任を負わせるわけにはいかない、危機管理の不備とか、いろいろな問題がありますけれども、まず敷地の外に影響があったかなかったか、それが原子力施設安全の一番のスタートであると私は思うわけでございます。それだけで十分だと言っているわけじゃございません。今度はそれで不十分だということがよくわかった。だから、十分情報公開、透明性ということをこれからも確保しなければいけない、こう思っております。
【鳥井】  今野さん、どうぞ。
【今野】  今までの議論の中で、二つ問題があるんではないかと思います。一つは、知識と経験を踏まえての事前の警告があったにもかかわらず、それを聞き入れられなかったということがもし事実であるならば、それはどのような理由によるものなのかということが一つ。それからもう一つは、それはさや管の問題であって、プルトニウムや原子炉の問題ではなかったということなんですが、この問題を部分でとらえることでよいのかということですね。例えば、それがもし飛行機だった場合、これはただ単なる尾翼の欠損であって、主翼にもエンジンにも何の問題もございませんと言っても、総合した結果として事故が起きれば乗客の人命はすべて失われるわけですから、これは本来そういう部分で議論をすべきことではないのではないかと思いました。それは神ならぬ身の技術の限界とか、人間のモラルの問題とか、そういうものをすべてひっくるめたトータルな問題としてとらえる姿勢がないと、今後への問題解決にならないのではないかと思いました。
【鳥井】  はい、池島さん、どうぞ。
【池島】  私がなぜイギリスの蒸気発生器細管の破断を問題にしているかといいますと、ご存じのように、美浜の軽水炉での蒸気発生器細管破断の事故を経験しておりますし、そしてFBRにおいて、「もんじゅ」において、この細管破断というのは、場合によっては、次は中間熱交換器、ひいては最悪の場合は炉心にまで至るという、そういう性格があるということを考えているわけなんです。さっきも聞きましたが、全然、私は納得できていないんです。動燃が長い間研究しているから、それで解決できるとおっしゃられても、ああ、そうですかとは、なかなか思えません。現実にイギリスでそうやって起こっていて、じゃあ、再開して、日本で4本しか考えられていないものが実際に外国では40本瞬時に起こったじゃないか。そんな甘い審査で大丈夫なのかということが、ものすごく強い疑問としてあるわけなんです。それには、あんまりお答えいただけなくて残念なんですけれども、そこはやっぱり、もっと本当に真摯に諸外国の経験を学ぶという姿勢が大事じゃないかなというふうに思います。
【鳥井】  私も、敷地内で大丈夫ならいいねという、安全の第一の視点としてなら、それはわかるんですが、敷地内で起こっているだけで済んでいるのか、後で外にまで影響がくるのかの判定が我々にできないという。つまり、例えば二次系だけで起こっていることが炉心には影響しないのか、するのかというのが、我々には判断できないこと、外国で起こったことが日本で起こるのか起こらないのかということが判断できないこと、この辺に大きな問題があるような気がするわけです。
 池島さん、一つ私の方からご質問申し上げてよろしゅうございますか。これは、お互いに議論をし合って、理解をし合うことがとっても大事なことだと思うんですが、原子力をおやりになっていらっしゃる方と我々とは相当バックグラウンドの違いがあるわけですね。その辺、我々はどんな説明を求めているのかということを、ちょっと我々側からも歩み寄らないと、専門家の方もどういう説明をしていいのかわからないというところがあります。あんまり技術的な説明をされても我々はわからないだろうと思うんですね。その辺、どんな説明をお求めに、池島さんとしては、個人のお立場で結構なんですが。
【池島】  私は、今までにも何度もこういった対等な場での討論会というのを経験してきておりますし、このような質問もしてきているんですけれども、はっきり言って、各国が研究してきて、そして行き詰まって撤退していったさまざまな事故の原因だとか、理由というものが、それじゃあ日本では克服できますという、はっきりとした根拠が示されない、そこを問題にしているわけなんです。納得のいく根拠というものが。
【鳥井】  それは技術的な説明でいいんでしょうか。例えば、こうこうこうなって、こういうふうに設計を変えたから起こりませんというような説明でいいんでしょうか。技術者の方も困っちゃうところがあるような気がするんです。納得できる根拠というのは、納得する側に価値観がありまして。
【池島】  撤退していった理由にはいろいろあると思うんですね。危険性、安全性の問題。ナトリウムを制御できるのかとか、それからやはり経済的にコスト的に見合わないという。
【鳥井】  コストの問題、ちょっと後にしましょう。安全の問題に限って、克服できるかできないかということについて。
【池島】  今日聞きました具体例で言えば、最低、日本の安全審査の基準でよいとお考えなのかというのが私にはわからないわけです。それを4本で大丈夫だと決めて以降にイギリスで起こっている現実に、相変わらず4本の破断で想定されたまま見直しもされないという、それが納得できないと言っているわけです。
【鳥井】  原子力委員会側で何かご発言ありませんでしょうか。
【藤家】  事故想定と評価という問題についてお話ししてまいったわけですが、確かに美浜の事故のときに破断が起こって、何本想定するんだという議論がありました。安全評価は保守的に評価するものですから、1本破断した場合も、それが複数本破断した場合と相当な評価をしていることがままあることである。それと同時にやはり通常の点検・検査、そういったものとの関連もあって、一遍に40本も壊れるまで放っておくのかという、むしろそういった検査の体制というものは相当大事でありまして、そういうことまで含めて4本と、だから保守性の問題とインスペクション、それから、もしそういう事態が起こったときに、どういう対応をして安全にしているのか、そこまで含めて安全審査会は判断して許可を出しているはずです。
【西野】  モデレーターはできるだけ発言を避けるというつもりですが、私は、今の議論を聞いておりまして、食い違っていると判断をせざるを得ないのです。つまり、イギリスで40本切れる前に4本でやったということと、今の藤家さんのお答えはインスペクションが関係していると。それじゃあインスペクションはどこが違うという説明までいかないと、つまりイギリスのインスペクションはこうなっています、日本はこうなっています、そうすると、40本と4本の違いはカバーされています、こういうふうに言わないと、私は多少、科学的な素養はございますが、やはり食い違っていると判断をせざるを得ない。よろしくお願いします。
【鳥井】  河野さん。
【河野】  今日は女性が中心ですから、我々、刺し身のつまみたいに座っているんだけどね、今、池島さんが言われたことは、二十数年間か30年間ぐらいかな、至るところで原子力の安全性問題をやりとりするときの原点は全く変わってないんですね、基本的に。西野先生が解説されたけども、そういうことを含めて、基本的にかみ合わないまま、水かけ論で今日まできているんです。おそらく専門家の人たちは、おれたちしゃべり方が悪かったなと反省はしているかもしれないけれども、基本的に間違ってないよと判断して、委員会のメンバーになっていらっしゃるわけだから、片一方はとことん納得したくないという観点で聞いているわけだから、納得したくないんですよ、要するに科学的な話は頭に入らないということを含めて。だけども、なおかつ科学的に問題がありだと、真剣にハイレベルの知識を持って議論している人もいらっしゃるわけだ、反対の中には。だから、そこのところをどうつなぐか。
 つまり、何がいいたいかというと、後であんた、マスコミの議論をやりたいとおっしゃっていたから、そこで言おうと思ったけれども、ちょっと繰り上げて言ってしまうと、共通の理解、ここまでは共通の理解ですね、そこから次、価値観で分かれるねということは、世の中、いくらでもあるんですよ。プルトニウムのある世界は嫌な世界なんだという哲学は明快にあるわけだ、世の中には。本当はそこに至るいろいろな説明しなきゃとにかくだめという話になるんだ。これはまた立派な哲学ですよ。だけれども、そこに至る前だったら、例えば科学的な知見の問題、今の二つの話を聞いていながら、ここまではお互いにわかる話ですね、ここから先は議論が分かれますねということがないと、いつまでたっても建設的な、現実的議論にならないわけだ。これは新エネルギーの話をやれば、必ず出てくる話ですよ。これはもっと単純にわかりやすい話ですね。例えば、太陽光発電をどれだけ我々は使えるかということは、技術的に、コスト的にかなり明解になっているわけだから、それさえも共通の基盤がないんですね、今、残念ながら。それさえもないんだから、ましてや、高度の技術論が入った話になれば、これを本当に絶望的な話だと思って、さっきから聞いていたんですよ。しかし、絶望しちゃぐあい悪いから。少なくとも最低限、原子力委員会の方でいろいろな工夫をしなくちゃならない。
 さっき聞いていて、これは全然変わってないなと思ったのは、やっぱり人間のやることだから、設計にしろ、運転にしろ、誤りなんてあるわけだ。あるから、いろいろな多重防護でやっているわけだから。安全委員さんの言うことは全然間違っているわけだ、そもそも。役所なり原子力委員のメンバーがそんな言い方をするならば、ですよ。何しろそういう言い方をしているという印象を与えておるわけだから、それが根本的に間違っているわけです、スタートから。事故、大いにあり得べし。だからこんなことやっていますよということを言って、その技術論も大体わからないんだけど、一般の聞いている人は。僕らもわかりませんよ、ジャーナリストなんていうのは。しかし、とにかくそこのところの歩み寄りというか、反対から歩み寄るというのはなかなか難しいから、せめてこちら、実際、運用の責任を負っている人たちが責任を果たすという意味合いで、社会的な認知を得るために今までのことを全部反省した上で努力することがないと、今と同じような説明の仕方をやってたんじゃ、いつまでたっても水かけ論だと思います。
【伊原】  大変誤解されている点があるかと思うんです。原子力施設をつくりますときに、法律に基づいて許可をする。そのときに、許可の基準の四つのうちの一つが災害防止上支障がないと、それを確認するということがあります。これはそのための安全審査ということをやるんです。その安全審査というのは、人間は間違うことはあるべし、機械装置は故障し、壊れることあるべし、こういう大前提のもとに始めるわけです。そういう大前提で審査をしていきまして、これが壊れても次の備えがあるから大丈夫、それが壊れても次の備えがあるから大丈夫、こういう審査をしていくわけでございます。ですから、安全の関係者はすべて人間は間違う、機械は壊れるという大前提でやっておる。ただ、それを一般の方に十分説明しておったかどうかということになりますと、あるいはつい、もう大丈夫ですと言いがち、言わされがちになる、それは反省しなきゃいけないと思っております。
【河野】  それは質問する側で、絶対に安全ですかって問われて、それ、わなみたいな話で、絶対に安全なんかないわけです、世の中に。車だって毎日毎日そうですよ。ここに我々、車に乗ってきたけれども、帰りにどこで死ぬかわからないぐらいの危険性をはらんでいる世界で我々生きているわけです、現実には。だから、危険性はいつでもあるんですよ、こんなものは。ただ、どの程度かという話と、そのことをどうお互いに理解し合うかということについて、共通の基盤をもうちょっとつくるように努力を今せっせとやらなければ、いつまでたっても何回こんな討議やったって物別れ。
【伊原】  おっしゃるとおりだと思います。それから、いまひとつ、敷地の外に影響があるかないかという、まあ、それだけじゃいけないんですけれども、その最低限の条件が世界各国の原子力活動でどの程度であったかと申しますと、日本では全然ありません、敷地の外に影響があるようなことは。外国の場合、軍事利用は別としまして、平和利用の場合は、スリーマイル島の事故というのがありまして、環境に少し放射性物質が出た。しかし、格納容器があったために、非常に大きな被害を与えることはなかった。こういう実績があるわけですね。ですから、日本で40年、諸外国で50年以上、敷地の外に影響があるということがほとんどなかったという実績はあるわけです。今まで実績でそういうことはなかったかもしれんが、明日あるかもしれんと言われれば、これは説明のしようはないんですけれども、実績がそうである。ほかの人類の産業活動に比べて非常に高い実績があるということだけは、ご説明申しておきたいと思います。
【鳥井】  菅原さん、どうぞ。
【菅原】  今の安全に関して二つのことを申し上げたい。一つは、いくらか神田さんの話などにもありましたが、多分、原子力委員会は厳重に審査されているんでしょうが、やっている方が自信があり過ぎたと思うんですね。私も行きまして、そういう印象を非常に受けました。その辺がやはり問題で、我々も科学者ですから、自分で実験もいたしますが、実験していろいろ開発する段階というのは、思いがけないことが起こるかもしれないということを注意してやらないかんのに、私も「もんじゅ」を見学に行きまして、ナトリウムのことを心配して何度も聞いたんですが、「いや、これは絶対大丈夫です」と言われてしまって、こんな自信でいいのかなという、そういう気がいたしました。
 それからもう一つは、今、外に漏れる、漏れんか、これは私の方の専門外になるんですが、漏れてきたときの影響はどうかという、その問題ですが、これは単に日本だけの問題ではなくて、今、これから、いよいよ国際的に一つの大きな問題になると思うんです。といいますのは、放射線防護というのは、本来はそこの中の従業員のことをまず考えてやったんですね。だから、放射線を取り扱う人が病気になっては困る。従業員に注意をさせるためには、これは危ないものだ、危ないものだという方がよく注意してくれるわけです。プルトニウムなんかはその代表でありまして、プルトニウムのことをスタナードという人が、こんな1,000ページの本を書いておりますが、プルトニウムを始めるときに、とにかくこれは危ないものだと言って、非常に厳重な装置をつくった。そのために、おかげで大した実際の障害は起きなかった。だから、その前提としてはとにかく、本当にそれが危ないかどうかはまたこれからの問題だというふうに書いているわけですね。
 ですから、危ないと思って注意することは、大変重要ですが、じゃあ、それをそのまま一般の公衆に当てるとどうなるか。この辺が非常にまずいところであって、例えばチェルノブイルの事故のときには放射線を浴びたよりも、放射線恐怖症になった人の方がずっと多いわけです。そういう問題をもう少し真剣に考える必要があるし、逆に言えば、それじゃあ、どこまでどうだということをきちんとやるためには、やっぱり生物学が現在、未知のところをきちっと詰めなければいけない。やっぱりその辺が非常に大事で、それがきちっとすれば、一般の方にもう少し安心していただけるレベルというものが見つかるんではないというふう思っております。
【鳥井】  ちょっとお待ちください。先ほどお手が挙がった湯川さん。
【湯川】  先ほどちょっと河野さんのご発言にあったんですけれども、絶対に原子力発電を認めたくないとか、もんじゅを認めたくないとか、解りたくないとかということじゃないし、今日は女の人を中心にした会だからとおっしゃられたのですけれども、その辺の感覚論でものを言ってしまうというところが、いつも女性が参加すると批判されるのですけれども、その感覚論でものを言うということが実は今までなかったために、大変重要だからと認めていただいて、こういう形になっているのではないかと思うのです。
 その辺は、ぜひ女が参加することがなぜ重要なのかということをもう一回お考えいただけると、不信感の論点というのもおわかりいただけるのではないかなと思うのですが、先ほども廃棄物の問題が江尻さんの方からも出ておりましたが、私もちょっと触れたように、水俣とかHIVとか、今までの体質というのでしょうか、物事が行われてきた組織の体質というものが、不信感の一つの大きな原因になっているのですが、その廃棄物、今、例えばペットボトル一つどうにもならないというような状況の中で、そして焼却炉の残灰の捨て方一つどうにもならないというような日本の中で、高レベルの核廃棄物というのは一体どういうふうにしていくのか。一体捨てるところがあるのか。そういうリサイクルも含めて、どういうふうに考えていらっしゃるかということもすごくぜひ知りたいことだし、自然エネルギーを含めて、クリーンエネルギーの可能性についても、さっき河野さんもおっしゃっていらっしゃいましたけれども、民間とか個人とかの研究家も含めたもっと広大なプロジェクトで、本当に今、原子力発電以外にないんだよということをわからせてもいただきたい。さもないかぎり、その理想論は消えません。
【鳥井】  三つほど論点があったわけですが、あんまりたくさん申しますとあれなもので、なるべく絞っていきたいかなと思いますが、神田さん、前にお手を挙げて……。
【神田】  さきほどご質問のあった中で、原子力をやっている人はやましいところがあるのです。やっていていいのだろうかと思っているということが解明されないと、なかなか自信を持ってやれない。
 その一つが、交通事故と違って、被害を受けた人は、次の世代に情報を流すかという問題があります。
 その次は、廃棄物というのを次の世代に残すだろうか。それ以外にも、幾つかやましいというか、自信がないというものを持ってやっている人がいるからというか、そういう状態が原子力を非常に難しくしているわけです。
 科学技術庁に非常に強く要求した私のテーマというのは、本日の出席予定者リストに菅原先生の名前があったから生物学のことは書かなかったのですけれども、例えば、高レベル廃棄物とかというのは、さっき藤家原子力委員が言われたみたいに、自分自身で消すことができる。それを一生懸命やればできるのに、どうしてそこを第一にやらないのか。だから、原子力関係の人がやましいと思っている二つの点は徹底的にやる。そうすると、自信を持って説明ができる。
 その生物学的な方ですけれども、私は原子炉からの中性子を使ったがんの治療ということでは、一番実績がある人間だと思っていますが、日本では、既に二百何十人という治療をやっております。その関係で動物実験というのは、数千匹の動物に死んでもらいながら、いろいろな実験をしていったわけです。その後、死ぬぐらいまで放射能が当たった動物の遺伝子たちがどういうふうに次につながっていくかということに対して、私自身は否定的です。仲間のうちにただ一人、大阪大学の教授をしている人で、次の世代に渡るという人がいるのですけれども、ほとんどの実験は次の世代に行かない。ですが、それを確信を持って、その実験を推進するために、国家は幾ら金を使ったのかと言うと、菅原先生が言われるみたいに、文部省の科学研究費をとっても、非常に苦労しながら、ちょっとずつもらって頑張っているという状況です。しかし、本当に原子力は必要であるということを百も承知である人間の集団であるならば、その二つの問題というのは第一にやるべきじゃないかというふうに思っております。
【鳥井】  ありがとうございました。秋山さん。
【秋山】  お話を伺っていると、推進派と反対派の溝はどんどん深まるばかりという感じです。絶対ということは当然証明できないわけで、これは、推進派が、絶対安全だと言った途端、その命題は間違いになるし、反対派が、事故が起こるであろうと予言しても、それは立証できないわけです。そうすると、絶対ということが証明できない以上、これは確率的に考えていくしかない。そして、そこの中で、例えば今の議論ですと、危険の可能性の大きさ、被害の大きさ、それから、例えば原発のメリット、こういうものがどういうふうに作用するかを考えなければなりません。イメージ的に述べると、危険の可能性と被害の大きさを掛け合わせて、それを原発によるメリットで割る。この値がなるべく小さくなればいい。どのぐらい小さくなれば双方が歩み寄れるのか、またはどうしても歩み寄れないときに、ほかの諸国がやっているように国民投票などをして、多数決にゆだねるしかない。でも、その多数決だって必ずしも真とは限らない。
 いろいろな書物を読みあさると、専門家の方は、どちらかというと、原発推進派の方が多い。地元の方とか、一般の方に反対派が多い。そうすると、これは、単に知識がないから我々一般人は反対するのか、すなわち、専門家の説明が下手なのか、あるいは、専門家が過信しているのか。いろいろな可能性があると思うのですけれども、同じ土俵で議論しないと、永遠に双方が物別れになることは、間違いなく事実である。
【伊原】  伊原です。危険の可能性、それは当然あるわけですが、おのずから上限があると私は考えます。池島さんの先ほどのお話で、地球規模の大惨事が再処理に伴って発生する可能性がある。レジュメでは、北半球壊滅というふうなことが書かれておりますけれども、そういうことはありません。これは明確に言えるわけでありまして、池島さんのように真面目に活動しておられる方に、このような質の悪い情報を流される方がおられたとすれば、これは大変残念だと私は思うわけであります。情報公開で一番重要なことは、情報の質がよいものであるということでありまして、そういうことを我々は今後とも努力しなければいけないと思っております。
【屋山】  屋山でございます。安全か安全じゃないかという問題ですが、在来型でも、非常に今、地球温暖化とか、この前、西沢潤一先生のお話を伺いましたが、帰りに暗たんたる気分になるほどの状況になっている。これはただ予測できる。それから、今までだんだん悪くなってきて、それをみんなが情報を得て、ある程度予測できるということで、驚愕というほどのことにならないわけですけれども、原子力の場合は、情報が積み重なってきているというよりも、ある危険なことがこれから起こるのだよという、そういう何か情報の積み重ねがないところに問題がある、こういうふうに思うのです。
 私は、反対の方が幾ら言っても、国民は、やはり緑の党に政権をとらせようということにならないと思うのです。そうすると、やはり政治というのは、その中で進めていくしかない。つまり、今までの生活レベルを落とさない。しかし、地球はきれいにしていく。それから、原発を制御していく技術を開発していく。こっちの方から、現実政治としては、それをとらざるを得ないと思うのです。世界中の先進国はそうだと思うのです。そういうふうに考えた場合に、技術開発の段階では、いろいろなトラブルが起こるのは当たり前なので、一発で最終的なものがうまくいったなんていうケースはないと思うのです。この前のもんじゅのあれでも、素人から見ても、何だか随分お粗末だなと思いましたが、しかし、実験段階の不具合とか、そういう程度の話ではなかろうか。それが隠しちゃったおかげで、何か故障だか事件になっちゃったというのが、これからのやはり科学技術行政を進めていく中の一番の問題ではなかろうか。そういう意味で、情報公開というのは不可欠だと思うのです。私も7年ほど外国で生活したことがありますけれども、日本ほど情報公開がない国というのは珍しいのですね。
 例えば、今、行革委で情報公開法というのをやっていますけれども、こんなものは、先進国では、アメリカが大体30年前、そのほかの国でも20年ぐらい前には、ほとんど全部できている話で、ですから、日本というのは、そういう意味で、民主主義が非常に未熟である。要するに、お上が、みんな余計なこと知らなくていいんだ、おれに任せておいてくれと。こういう精神でずっときて、日本のお上って、あんまり悪いことしなかったのです、今まで。最近、悪いですけれども。そういう意味で、例えば外国人と話をしていると、善政なんていう訳語はないのです。概念を説明すると、そんなことがあるわけないじゃないか、そのぐらいお上を疑っているわけです、古来。ですから、日本人というのは、ここのところが基本的に違うのです。
 今度の特にこういう科学技術の問題でも、情報公開、これはもう本当に正直にいつでもやる。いつでも説明する。地元の人の方がむしろ知っていて、都会の人がわりと知らない面があるのですが、私ももんじゅ、一遍どういうものだろうと思って、2年ぐらい前に行きましたが、科学者がいろいろ説明してくださるのですけれども、専門用語が多くて、まるで符牒で言っているみたいなんです。符牒の連続でわからないです。私はずうずうしいから一々聞くのですけれども、一般の人はあんまりわからないと思うのです。ですから、そういうことからして改めて、それから行政文書に専門用語をなるべく使わないとか、とにかく人に理解させる。化石燃料、ずっとみんながいろいろ構造を理解してきたような歴史がある。それを繰り返すしかないと思うのです。そういうことを通じて、信頼行政があり、不安感がなくなる、そういう道しかないんじゃないでしょうか。以上です。
【鳥井】  中村さん、どうぞ。
【中村】  私も、科学の世界にいまして、例えばDNA研究などで、安全論議にかかわり合った体験から思うのですけれども、安全という非常に物理的な問題と、安心という非常に人間的な問題とは、ここで二つ絡み合っていると思うのです。
 例えば医療などもまさにそうなのですけれども、医療ですと、やはり人間の面が必ず伴って出てくると皆が認識しているわけです。どういう技術かだけでなく、どういうお医者様かということ。けれども、原子力のように、こういう大きな技術ですと、なかなか裏にいらっしゃる人間がどういう人かというのが見えません。一方、こういう分野の方たちは、人間として出ていくという体験が、今まであまりおありにならないんだと思うのです。けれども、今、お話を伺っていると、皆さん、本当に真剣に考えていらっしゃるので、そのことをそのままお出しになるとよい。情報公開というのは、データをインターネットに乗せるというような話ではなくて、ご本人たちが顕在化するというのでしょうか、見えてくる。そういうことが、一つ大事なのではないかと思いました。
 専門家はものすごく自信があると、今、言われているのですけれども、そうとも限りません。実は私の世代は、大学を卒業するころが、最も夢のある技術が原子力だったのです。ですから、私の同級生の多くは原子力に行っているのです。今、クラス会なんかしますと、いろいろな会社に入ったりしているのだけれども、そこの原子力を担当しているという人が多いのです。そうしますと、みんな悩んでいます。実を言うと。それは、決して自分たちのつくっている技術が、技術的に低いとかそんなことで悩んでいるのではなくて、社会とのかかわりの中で悩んでいます。
 その理由が、今日、神田先生が非常に明快に言ってくださったので、なるほどと思ったのですが、やはり一つは廃棄物ということがきちっとできていないということ、それから、人間への影響がきちっとできていないということがやはりあるんじゃないか。今、それをちゃんとやればいいんだとおっしゃってくださったので、私も本当にそうだと思ったのです。この面は、ここは科学でできるところなのですから、そこはきちっとやる。専門家も本当に技術として納得しながらやっていけるんだとしたら、そこをやっていただきたいと思いました。そこに安全が生まれ、安心が生まれると思います。
【鳥井】  田畑さん、どうぞ。
【田畑】  原子力委員の田畑です。今、廃棄物についてのお話が出たわけですが、やはり高レベルの廃棄物は、現在は地層処分ということで努力しているわけですが、この技術が確立しませんと、原子力技術はでき上がったとはもちろん言えないわけです。しかし、一方、長期的な、基礎的な研究ということで、高レベルの廃棄物は、先ほどからも話は出ていますけれども、消滅とか群分離ということで、消滅処理は環境に対する負荷、ボリュームを減らせますし、それから放射能を減らせる。一方、群分離をしますと、有効にいろいろな成分が使えるというふうなことで、これは少し基礎的で、ロングランの仕事になるかと思いますけれども、これは非常に重要ではないかと思います。
 皆さん、ご存じか、一般の産業の中で、銅の精錬は、過去に大変公害を生んで問題になったことがありました。銅はたくさんの硫黄が出たり、それから砒素が出たり、いろいろな化合物がたくさん出るわけです。現在は、すべてのそういう成分をきちんときれいに分離して、砒素その他1%以下、10種類もあるような成分をほとんど100%回収して、全部有効に使っているというふうなことで、群分離や何かに対応できると思いますけれども、そういったような前例もあるわけですし、高レベルの廃棄物も、将来はそんなような方向もあり得るわけで、努力すべきかと思います。
 一般の産業は、廃棄物は最初から捨てていたのをだんだん問題になって、それを集めるようになった。原子力は、最初のスタートに、とにかく何かすべきである、きちんとしなきゃいけない、そういうスタートに立っているわけで、それで原子力のエネルギーが、先ほどもちょっとお話がありましたが、100万倍のコンデンスされた、濃縮されたエネルギーです。別の言葉で言いますと、廃棄物は大体それの逆数、100万分の1か10万分の1ぐらいのボリュームになるわけです。ですから、それをきちんと閉じ込めるという技術は十分やり得るわけですし、いろいろなアプローチがある。特に最終的には、先ほどの群分離、あるいは消滅処理、そういうふうな遠い将来には、その線があるかと思います。
【鳥井】  河野さん、お願いいたします。
【河野】  軽水炉の安全性の話ともんじゅ、その延長線上でのいろいろな技術開発の話をまず区別しなくちゃいけないということがあると思うのです。ごく真面目にこの問題を20年、30年、僕は新聞記者ですけれども、フォローした経験から言えば、もはや安全性論議というのは、これからは水掛け論だとあきらめているけれども、どうにかしなくちゃいかんけど、あきらめていますよ。それがほとんど実績において、軽水炉ですよ、相当高いレベルの実績があるわけだ。言葉で言うよりも何よりも、実績があるわけです。それをこれからさらに加えておこうとしているわけですから、そのことは、実は僕らはあんまり問題にしたくないのです。
 それよりも、原子力に携わっている技術者の方を含めて、何しろそれを推進する立場に立つ人間を含めて、何が頭が痛いかと言うと、廃棄物の処理について、世界中、どこの国も、場所が決まって、方法が決まった国はないということです。日本ももちろんそうです。これは、民主主義国家というのは仕方がないということでもあるけれども、仕方がないでは済まない話です。この解決が二、三年で出るわけないのです、我が国で。この民主主義の世の中で、地域社会の声を聞けば。これは本当に宿命的なものを負っていると思います。この方が大問題なんです。軽水炉路線をこれから100年やるにしても、答えはないのですから、目下のところは。技術的な答えがあるとおっしゃったけれども、社会的な答えがないわけです。まさにそれは大問題。安全論議をやるにしても、いろいろなレベルの安全論議があるということです。一言で安全性という言葉だけでくくらないで、いろいろな角度で、だれかがどこかを問題にしているんです。頭から全部お任せします、どうぞやってくださいなんていう人は一人もいませんよ、と思いますね。
【鳥井】  おっしゃるとおりだと思います。今後の議論の中で、もうちょっと中身に立ち入った安全の議論をすると思います。加藤さん、どうぞ。
【加藤】  田畑先生にちょっとお尋ねします。池島さんのお出しになった5番の中に、ラ・アーグの事故続出というのが書いてございますが、私、8年前にラ・アーグに行きましたときに、いわゆるアメリカは、廃棄物は100%廃棄物にするということで、それで結局それに比べて3%だけを保管することは環境を守る上にも再処理は必要だということ、向こうでご返事してくださったのですが、ちょっとその100%と九十何%というのは、何か意味合いがありますか。
【田畑】  ワンススルー、とにかく燃やして、燃やした後、燃料をそのまま廃棄物としてしまうという場合と、それからリサイクルでプルサーマルなり、プルトニウムを分離して高速炉で使うなり、そういう繰り返し抽出して使った場合との比較で差が出てくるわけで。
【加藤】  1%は、新燃料としてよみがえり、有効利用ができることで、経済性を強調しているということになるんですか。
【田端】  プルトニウムが1%で、FPが3%になるわけです。
【鳥井】  核分裂生成物。
【田端】  そうですね。符牒で言って申しわけございません。
【加藤】  それにしても、そこに勤めている人が7,000人いまして、それで、その家族はその辺で農業をやったりなんかしているのですけれども、1年に1回、工場の中を全部見学させるのだそうです、工場を家族に。それで行ったときは、ごちそうもしたりするそうですが、だから、安全ということについては、皆さんの家族の頭の中には、本当に安全である、安全であるということが焼きついているわけです。
【田畑】  私、ラ・アーグに3年ほど前に見学をいたしまして、それで環境モニタリング、周辺に幾つかのステーションをつくりまして、どなたでも見られるように、現在、バックラウンドはどうなっているか。そういうモニタリングシステムがきちんとできておりまして、過去10年ぐらいのデータで値がずっと下がってきている。そういったような実績を申していました。
 それからラ・アーグは、最近、最も力を入れている一つは、やはり廃棄物の減容である。容量を減らして、なるべく廃棄物の量を少なくする、そういったようなことに努力しております。
【加藤】  そうですか。何かちょうど私が行きました前の日に、六ヶ所村の村長さんやら、それから周辺の町長さんなんかも大勢おいでになったようでして、いろいろ見学されたようですけれども、向こうの方が、町長、町長とおっしゃるものだから、私はまた飛ぶチョウチョウだと思って、そう思ったら、村長さんと町長さんだったのですけれども、本当にこれが日本から来て処理するのだというのがありまして、それはテントをかぶっていましたけれども、うちは、軽水炉のあれとしては、絶対優秀であるなんてことを聞いてまいりましたが、8年も前のことですから、随分いろいろと変わってきていると思いまして、今日のお話を聞きましても、私はもっと勉強しないと、全然ここへ出る資格はないわと思って、本当に恐縮しております。どうもありがとうございました。
【鳥井】  ご意見、まだたくさんあると思うのですが、少し焦点をずらしまして、教育の問題、マスコミの問題というようなところでどうあるべきかというご議論をいただけたらと思います。猪口さん、どうぞ。
【猪口】  橋渡しのような形で、ご意見をいろいろお伺いしていまして、感じましたことを、一、二述べながら、教育の方の議論に移っていきたいと思うのですけれども、安全の問題は非常に重大で、かつ今後、さらに情報公開の重要性が議論されたわけですが、いろいろなレベルでの安全の問題も議論されましたが、私が最初に申し上げたことの関連では、日本の中での安全ということに、私たちはかなり限って議論をしている面もあります。一国安全主義といいますか、今後は、このアジア地域全体で猛烈なピッチで原発が導入されているということを考えますときに、日本として、どういうふうにこの地域全体の安全管理を強化できるかということをもあわせてご検討いただきたいというふうに思うのです。
 日本は、この地域から技術者を呼んで、安全管理についての研修とかかなり積極的にやっているのですけれども、しかし、例えばそういう高い知識を持った技術者が本国に帰りますと、いろいろなことから、例えばほかの地域、ほかの国に就業機会を求めて、より高賃金を求めて出ていくようなブレーンドレイン現象というのは、アジア地域でかなり見られまして、実際にアジア地域での原子力の安全に、どの程度今後、日本としても寄与できるかという問題の設定の仕方というのもあるかと思うのです。そのためにも、ここで十分に今後、議論していただきたい、日本自身が、安全管理のモデルケースとして、この地域に手本を示すことができるか。
 それから、パブリックリレーションズといいますか、民主主義社会において、どういうふうにこの巨大技術というものが了解され、また問題点は、市民との対話の中で改善されていくかということのモデルケースとして、日本が今後、改善できるかということを考えてもらいたい。ですから、この課題にしっかりと立ち向かうことは、日本一国の課題だけでなく、アジア地域全体において、今後、どういう水準でこういう議論がされるのかということにかかわる重大な問題である。つまり、日本はこの地域の主要国で、ここで何がなされるかは、かなり地域全体に対する影響があるということをまず一つ思いました。
 それから二つ目は、先ほど伊原委員長代理の説明は、非常にいろいろな意味で私は納得がいったのですが、その中で敷地の内外のお話がありましたときに、そうなんだ、やはり日本では、敷地の内外という感じで分けて考えていらしたんだということがわかるのですが、しかし、その考え方の本質に、では、敷地の内部の人たちの安全をどうとらえていたのかということの大きな問題があるような気がするのです。もちろん、内部で働く人たちの放射線防護が基本的に大きな課題だったということを、どなたか委員が指摘されていましたけれども、そこにおける何か本質的な、なにか人間について、人間それぞれの安全保障を最大限考えるというよりは、内部で起こることは、ある程度リスクがあるので、しかし、外部にさえそれが出なければいいだろうという、そのお考えの中に、要するに内部で最も本質的なところに携わる人たちが、あるいは軽視されていたのではないかという疑念といいますか、それを少し感じました。今後は、内外問わず、すべての人間が非常に重要で、最も重視しなければならないのは直接にそこで仕事をしている人たちであって、その人たちの安全が100%管理されていない限り、境界線を引くことはできないだろうということです。
 先ほど私は最初の冒頭発言での中村先生のご意見に大変感銘を受けたのですが、やはりその中でも指摘されまして、下請といいますか、現場に対する高圧的な態度がもしあったとするならば、そこがそもそも事故の原因の発火点ではなかったか。ファックスだけで済ますような、そういうやり方で現場を管理していたのではないか。あるいはそこで本当に仕事をする人たちが、かなり権威主義的なシステムの中で、どういう思いをされていたかがよくわからないというような感じがいたしますので、今後は、人間一人一人、ヒューマンセキュリティーという観点から、しっかりとそのシステムを再点検していただきたいと思います。
 それから、3番目、4番目は合わさっているのですけれども、そのパブリックリレーションズをもうちょっと重視していただきたいし、その際に、説明内容として、先ほど屋山さんは、専門性が高過ぎて、よく理解できないような言葉をたくさん使っているということを言われましたけれども、私は、この問題にあまり関心のない人に、どういう情報を提供するかということも重要だけれども、それなりに非常に誠実にこの問題をフォローしている人が、ある程度の専門性のレベルで理解できる回答があるということもすごく重要だと思うのです。
 このいただきました『もっと知りたい、もっと考えたい原子力のこと』という、こういう冊子というのは、かなり実際に社会にあると思うのです。また、情報提供もこのレベルではされていると思うのですけれども、これを超える、かなり疑問を持つ側にも科学者はいると思うのです。それから、かなりの勉強をして専門的に議論できる人もいると思うのですが、そういう非常に高い専門性で市民サイドで情報提供を求めている人に、納得いくような水準の専門的な答えが出ていないということが問題ではないか。つまり、日本における啓発、啓蒙作業というのが、実は一般市民の水準を非常に見下しているような水準になっていないかということを今後、この原子力の分野だけでなく、科学技術全般についてなのですけれども、お考えいただきたいと思うのです。
 アメリカとかヨーロッパで行われることがすべていいということでは全くないのですけれども、あちらでは、そういう市民層もまた育っていて、情報提供について、かなり本格的な、技術的な、専門的なレベルでないと納得してもらえないということもあるので、ただ、わかりやすくかみ砕けば、庶民は理解できるというような発想は捨てていただきたいというふうに思うのです。
 それとの関連で、そういう専門のレベルと一般のレベルを橋渡しするのがやはりジャーナリストの役割だと思うのですが、ジャーナリストもわからないというようなことはおっしゃっていただきたくないと思うのです。科学技術の記者たちは、やはり専門をしっかり理解して、その専門のレベルで対応できるようにちゃんと記事を書いてもらいたいし、あるいは新聞という一般的なメディアでは無理だとしても、求めればその水準の知識を科学記者がブリッジしてくれるというような発展の仕方をお願いしたいと思うのです。ですから、こういうことについての役割はいろいろな人にあるわけで、それを総合して初めて専門的なやりとりができるようになるのではないかということを感じましたので、一言申し添えます。
【鳥井】  ありがとうございました。じゃ、ちょっと伊原さんの方から。
【伊原】  先ほどの猪口さんのお話の中で、敷地の中はどうかというのは私の説明不十分でございましたが、当然、従事者にとっても、放射線による障害はないということが大前提でございまして、そのためのいろいろな訓練をやる、それからシステムも整えておる。ただ、機械装置が壊れるということについては、これは残念ながら、金銭的、財産的損失であるので、国の計画でやっておりますときは、納税者に対して申しわけない。民間事業の場合は、株主に対して申しわけないわけでありますけれども、これは何とかご勘弁いただきたい。従事者には影響がないようにとういことをやっております。
 今まで、敷地内で働いている人、20万人前後の一人一人に、過去にどれだけ放射線を受けたかという履歴を完全に掌握しておりまして、最近その人たちが、どういうふうに放射線の影響を受けたかという疫学的調査をやっております。その結果も、ほかの原子力に関係のない人たちの集団と比べて、特にその放射線従事者ががんが多いとか、そういうことはないということが、調査の結果が出ております。ですから、私の説明不十分であったと思いますけれども、実績としてはそういうふうなことであることをご報告いたします。
【猪口】  わかりました。今後もお願いします。
【鳥井】  どうぞ、秋山さん。
【秋山】  猪口先生がおっしゃったように、今の濃密な議論というのが、とても大切だというのはわかります。しかし、今、原子力委員会や科学技術庁が一生懸命、こういう討論会を開いたり、シンポジウムやったところで、これは100年、 200年続く議論であります。なぜなら、人類がどういうふうな道をたどるかということを決定しなくちゃいけない、極めて重大な問題だからです。ということは、科学技術庁や原子力委員会だけの範疇にとどまらず、文部省が本気になって、先ほど中村さんから、そんなやわな問題ではないと言われてしまいましたけれども、もっとエネルギー教育というものを徹底して、算数や理科、または保健体育と同様に、エネルギーと環境の問題を一つの科目として導入しなければいけないんじゃないかと私は思っています。
 例えばスウェーデンではエネルギー科目をどのぐらい濃密にやっているかというのを見たことがあります。そこでは、夏休みに10日間ぐらいエネルギーを自分たちでつくり出して、それで生活してみたり、風力発電やソーラー発電の実験、更にエネルギーのない暮らしなど、体験授業的なことをかなり真剣にやっていました。スウェーデンでは、2010年に原発をやめることを国民投票で決めた。だけど、今、将来に展望が開けず困った。もう一回国民投票し直そうかという意見も当然出てきている。
 もんじゅの事故があったから今、みんな真剣ですが、またしばらくすると忘れてしまう。これではだめだ。もっと計画的にエネルギー教育に取り組むべきです。例えば、予算措置などは、文部省がきちっと確保して、教員養成ということもやらなくちゃいけないのです。
 これは東京新聞の記事ですが、エネルギー教育は必要だけど、余裕がないと多くの先生たちは言っています。それで、実際には授業をやっていないわけです。それから、核燃PR費で副読本を青森県の小学校4年生用につくったけれども、偏向しているという理由で実際にはあまり使われていないらしい。また、先生の方も、能力的に一時間程度なら生徒たちに伝える内容はあっても、エネルギー問題に関して一年間通しの授業をやる、それだけの知識を持っていないのです。だから、まず、きちっと教員養成をしていかなければいけない。
 3番目に提案させていただきたいのは、モラルの問題です。特に、科学者の責任やモラルというのは、ほとんど今まで日本では議論されていない。ちょうど今から 100年前に、レントゲンが放射線を発見した。その3年後ぐらいだったか、ピエール・キュリーが、「ラジウムが犯罪者の手に落ちれば大変危険なものになるが、私は、人類がこの新しい発見から悪よりも善を引き出すことを信じている」と述べている。科学者は次々に新しいものを発見していくのだけれども、それは使い方によっては非常に危険なことになるわけです。今の日本の教育では、博士号を出すあたりで、悪いやつには学位審査の時に博士号を出さないぐらいの厳しさが必要です。そんなことは、荒唐無稽な話と言われそうだけれども、サリンをばらまいたり、非加熱製剤の黙認をする者が出てくると、何かの歯止めをしなければならない。日本の科学者のモラルの低下は、突き詰めると、教育における過当意志等や学力偏重の点数主義の横行に起因していると思います。その結果、他人の迷惑をかえりみないエゴイスティックな人間ができてしまう。全般的に見ると、科学技術の進歩とモラルというのは、バランスをとってやっていかなければいけない。
 最後にマスコミ、特に先ほどどなたかが、河野さんだったか、新聞よりもテレビの方が影響があるとおっしゃった。それはテレビがなかなかこういう問題を扱ってくれないからなのです。何か事故が起こればやってくれるんですけれども、教育テレビでエネルギー講座を中学生や高校生、また一般市民に対して日常的に放送して欲しい。しかも、予算をかけた面白く、濃密な番組を作って欲しい。そうすると、だんだん国民の意識が高まるんじゃないかと思います。マスコミの方にはぜひそういうことをお願いしたいと思っております。
【河野】  教育の話は、原子力発電所を今申し込んだからできるわけではない、できるようになるには20年以上かかるんですから。今生まれた赤ん坊が二十歳になったころに、やっとできるかできないかという長いのでやっているんですよ。火力発電はそんなにかからないけれども。だから、教育の話は極めて迂遠のようだけれども、極めて有効な話なんですね、実は。特に中学校から高等学校レベルでの話ですよ。受験科目に出ないから教員が教えないなんていうのは、怠慢極まりない話です、そんなことは。これは文部省の連中の頭が悪いわけですよ。しかし、それとは別に、さっき私、冒頭に申し上げたけれども、今の国民的合意を10年がかりでつくるわけではありませんから、我々の仕事は。時間の制約の中で、しかし、慌てずにと、これは実に難しいんですね。慌てずにゆっくりやりながら急ごうというところもあるんですよ。そこが難しいわけですね、政治的決定のプロセスにおいては。
 そうすると、さっき申し上げたマスコミの問題をどう整理して、石炭火力を燃やす場合にはこういうプラス・マイナスがありますよ、原子力は、それに比べてこういうプラス・マイナスがありますよと。原子力も随分野蛮な技術かもしれないけれども、石炭に比べればまだおもしろいかもしれないねというふうな、これはカワイ先生が言っている話ですが、今日は見えてないけれども、ここにデータとしてはある。いろいろな比較の仕方があるわけだ、率直に言えば。それを全部並べてみて、今の我々の選択として、何がいいんですかと、与えられた条件の中でということを国民に問うには、ここでの議論がオープンになっているんだけれども、キャリーされなければ、実は議論が存在しなかったこととほとんど日本の社会では同じことなんだね、キャリーされなければ。
 冒頭、岩男先生が、次回からはテーマを決めるとおっしゃっていたでしょう。そうなれば、聞いている諸君も、ああ、今日は、新エネルギーの話だなと。それなら、賛否両論こうあったねと、技術的なものを含めて。それだったら報道しやすいんですよね。今みたいに、AからCまで全部並んだのでは、いつもやっているような議論があって、各論さまざまだったねでおしまいになっちゃうんですよ、これ。報道のしようがないと思うんだ。だからなおさらのこと、問題を整理して、専門家と素人が集まって議論をやれば、なるほど論点はこうかということが新聞やテレビで幾らか今よりもキャリーされる。そうするとオープンした値打ちは十分あるんですよ、効果はあるわけだ。それをねらいたんですね。
【菅原】  教育のことを、秋山先生は初めから教育のことを大変重要視されますが、そのくせ、先ほど確率論をさっと出されたんです。これが一番難しい。我々の今の健康問題は、例えば放射能に当たって、あとでがんできるかどうかというのは、これは確率の問題なんですね。ところが、皆さん方はそう思わないで、例えばチェルノブイルで、新聞記者もそうですが、当たったらがんが出ると聞いたから、さあ、がんの人を探し回って、ここにあるんじゃないかと、こういうやり方をやられるんですけれども、実は、これは大きな集団の中でどのくらいの確率で増えて、その確率が増えているかどうかということになるわけですが、そこのところを理解してもらわないと、最近は、何も原子力に限りません。例えばこれを食べていればがんになりませんよとか、長生きしますよというのは、未来の確率に賭けているわけです。我々は、みんなそうやって未来の確率に賭けながら、今、生きているんですが、あんまりそれはぴんとはきてないんで、それを食べていれば、自分は絶対にがんにならないと思っているけれども、実際は、ある研究があっても、がんになる確率が減るだけなんですね。あるいは放射能が当たれば増える。そこら辺に非常に誤解があります。
 ここにおられる委員の方も、例えばがんの発生率を調べて公表しろとおっしゃいますが、がんの発生率を調べることは極めて難しいんです。これはがん登録のシステムといいまして、日本ではまだ10カ所ぐらいの県と市ぐらいしかできておりません。というのは、お医者さんが診断したら、ちょうど伝染病のように、全部届けてくれればいいんですが、そういう制度を敷かなければできない。殊に先天異常になったら、もっと難しいです。今、現に何とかできているところは、神奈川県の一部だけであります。そのくらい、やっぱりこれはプライバシーの問題とか、いろいろほかの問題が全部が絡んでくるわけですね。したがって、物事は簡単そうで、非常に難しいです。
 私たちは、中国のハイバックランドといいまして、日本より3倍か4倍放射能の高いところの死亡率を調べておりますが、これには膨大なお金が要っているわけですね。そうでなければ調査はできない。だから、そういう教育の、秋山先生のご専門の確率のことをどうして教えるか。私は、天気予報が30%雨とか、ああいう言葉が出たときには大変歓迎したんですけれども、ぼつぼつあの意味を、例えば30%というのはどういうことなんだと。この時間の中に、どこで降れば30%なのか、あるところで30%なのか、ちょっとその辺の定義がはっきりしないですね。だから、ぼつぼつその辺から、少しずつああいうものを改良しながら、皆さんに確率の概念を教えていただく。そういうことをぜひやっていただきたい。それがこういう安全問題を正しく理解する一つのかぎになるんじゃないかと思います。
【神田】  最初にも、教育のことについて少しお話ししましたけれども、例えばエネルギーに限って、一つだけお話ししたいと思います。
 エネルギーという学科が今まで日本にあったのだろうか。それからいきますと、例えば原子力は原子力工学科とか原子核工学科はあったけれども、エネルギーという学部はなかった。それが今年の4月から、京都大学にエネルギー科学研究科という大学院ができまして、大学院大学で4専攻、その先生方は、特に私が専攻に属しているエネルギー社会・環境科学専攻というところなんかは、まあ、文系、理系、農学部からとか、先生方は全部寄せ集めなんですが、そこで今、何を教えるかというのを一生懸命やっているわけですね。
 私たちは何が期待されているかというと、エネルギーに関して、通産省の報告書というのがたくさん出ておりまして、それは大変参考になるんですけれども、それを学生に教えるようにするにはどうするか。特に私の研究室なんかは法学部の卒業生が入ってきたりしておりますし、そのゼミのすさまじさというのは、今までは理系の生徒を教えていたゼミの中に文系の生徒が入ってきましたために、単語を全部解説しなければいけない。文系の発表のときには理系の人たちが非常に困る。だから、学生たちが、今までのゼミの時間の一つのテーマが一時間半でいっていたのが、4時間近くかかる。それでも今、トレーニングだといってやっているんですけれども、こういう種類のことというのは、今までの教育というか、エネルギー教育というのは基盤ができていなかったということがあると思います。
 原子力に限って言いますと、先ほど言いましたように、現在の高校の、あるいは中学の社会科と理科で原子力がどういうふうに書かれているかというのを、日本原子力学会で調査をしたことによりますと、間違いの記述が非常に多い。それについて、文部省の方にお願いしたところです。
 もう一方では、我々の方で、社会科の先生のための教科書、原子力副読本というのを書き、現在校正に回っているところです。このときでも、なかなか我々の単語は通じない。要するに今まで日本は文系とか理系とか、そういうふうな区別をしておりましたが、お互いが会話が非常にしにくいというのがあると思うんですね。この京都大学の試みというのは、文系と理系の先生も一緒になり、学生もぐじゃぐじゃになり、しかも研究室がぐじゃぐじゃになる。だから、理系の先生のところに文系が入ってくる。文系の大学院に理系の生徒が入っていくという、こういう試みをやっている。これは一つのものになっていくかもしれない。私は原子力に長い間いて、この世界に移って、今日もかなり無責任なことを言っているような気がしているんですが、それは原子力の人から見れば、あいつはいつから原子力から足を洗ったんだというぐらい、いいかげんなことを言っているかもしれませんが、専攻を移ることによって、いろいろな人と接することが一気に増えた、ものすごいつき合いが増えた。
 それからもう一つは、原子力の安全性というのは原子力だけではないとわかり始めた。これはどういうことかといいますと、過去の化学プラントの事故とか、先ほど一つ銅山のことを言われましたけれども、いろいろなプラントの安全性の問題とかというのを知っている専門家が、同じ学科にたくさんいた。原子力は自分たちだけが大変なことをやっているような錯覚をしているんじゃなかろうかと、最近、反省しているんですね。というのは、別の分野の人たちも、別の産業も、みんなそういうことを苦しみながら、産業を確立していった。そこに原子力というのだけがやたらと目立っちゃって、ちょっとしたことでも大騒ぎになるものですから、原子力だけが固有の安全性の問題に苦しんでいるように見えますが、実はそうではないということがわかった。今、もう一度まとめます。
 エネルギーというのが今まで難しかったのは、そういう専門の大学とか大学院とか人材を育成する機関がなかったという問題、それから、文系と理系というのを別々に教育していたのを、我々が今、文系のための教科書を書くというような努力をし始めた。それからもう一つ、まとめとして、原子力だけがひとり悲しんだり、苦しんだりすることはないんだ、仲間はいっぱいいるぞということを、今度の学科に入ってよくわかったということです。以上です。
【鳥井】  ありがとうございました。今野さん、どうぞ。
【今野】  先ほど壁の内と外ということがありましたが、この問題も環境問題と同じように、もっとグローバルにボーダレスに考えるべきではないかと思います。10年ぐらい前ですが、チベットに行きました。そのときのテーマは、遊牧民族を中心にしたチベットの人たちの文盲率、そして未就学児童の問題を情報化でどう解決できるかという問題だったんですが、そのとき案内してくれた人が突然に、チベットに原子力発電所をつくりたいのだが、日本から技術指導やアドバイスをしてくれないか、というような話が持ちかけられて、一行みんなぎょっとしたんです。つまり、チベットほど地熱とか風力、太陽、水力、あらゆる自然エネルギーの宝庫と思われるようなところで、しかも日本に比べてそれほどのニーズがあるとは思えない、そのチベットで、いきなり原子力というのですから。風土と技術のマッチングというか、バランスというのがこういう巨大技術には大変大切なことではないかと思うんですが。そのとき、みんなが思ったことは、これまで日本が積み上げたいろいろな経験や、ノウハウ、そういうものを教育のODAというんでしょうか、どんな形でもいいですから、もっともっと日本は発信し、そうした役割を積極的に荷うことで国際社会に貢献できるのではないかと。教育と言っても、ボーダーレスにもっと考えていけたらと思います。
【佐和】  さっき菅原先生から、確率の問題というのが提起されたわけですが、私もそういうことにいささかかわかっているものですから申し上げたいんですが、確率とは何ぞやということは、古来、答えの出ない問題なんですね。通常、確率を客観確率というふうに考えるか、つまり、サイコロを投げて、1の目が出る確率は幾らかと言うと、だれでも6分の1と言いますね。じゃ、どういう意味ですかというと、6,000回ぐらい投げれば、そのうち約1,000回前後1の目が出るでしょう、そういう意味ですと言いますね。それが客観確率ですね。
 ところが、例えば飛行機の事故というものを考えるとき、飛行機が落ちる確率というのは、これは過去、無数に飛行機が飛んでいるわけですから、そういう客観確率というものを推定することができるわけですね。ところが、それが仮に1万分の1だったとしますね。そのとき、さっき秋山さんがおっしゃったように、一種の期待ロスみたいなものを計算する、あるいは期待ゲインみたいなものを計算するわけですね、だれも。そして飛行機に乗るか乗らないかという意志決定(デシジョンメーキング)をすると仮にいたしますと、落ちれば必ず死ぬとしますね。そのとき、ロスはほとんど無限大に近いほど大きいはずですね。ただし、十数時間でアメリカまで行けるといったら、それは確かにゲインはあるかもしれない。しかし、それはロスに比べれば微々たるものですね。
 じゃ、何で乗るのか。ですから、そのときに、その人の期待ロスみたいのようなものを計算すれば、ゲインがプラスだとすると、明らかにマイナスですね。じゃ、みんな乗らないかというと、みんな乗るんですね。なぜかといったら、1万分の1の確率というのは、それはゼロだというふうにみなすんですね、自分にとっては。つまり、客観的にはそうかもしれないけれども、1万回に1回ぐらい事故はあるかもしれないけれども、自分にとってはゼロだというふうにみなすわけですね。それで乗るわけです。絶対に自分が今度アメリカへ行くときに、飛行機が落ちることはあり得ないというふうに考える。このあり得ないと考えるというのはどういうことかというと、主観確率なんですね。つまり、自分の今度のフライトが落ちるということについて、自分なりに主観的に判断して、ゼロだというふうに判断して乗っているということですね。
 そこで、原子力発電に関して問題なのは、まず、客観的確率というものがないということですね。つまり、確かに過去何十年間か、何十基の原子力発電が運転されてきて、そして一度も事故がないじゃないか、少なくとも国内では。事故と言いましても、さっきおっしゃった、敷地外に影響が及ぶような事故はなかったというふうに言われても、ああ、そうですか、じゃ、客観確率はゼロですねと言うわけにはいかないということです。ですから、これから10年からたとうが、20年たとうが、あるいは原子力発電の数が幾ら増えても、客観確率がゼロだとだれも思わない。しかし、主観確率というものをみんな持つわけですね。例えばチェルノブイルとか、あるいはスリーマイルアイランドという事故があったということが、例えば日本国内においても事故が起こるということに対する、人の主観確率をゼロから、つまり大きい方向に振れさせているわけですね。しかし、それがどこまで振れるかというのは主観的なものですからね、あくまで。人によってまちまちである。ですから、多分、原子力委員の先生方は、それは殆どオールモスト・ゼロだというふうにお考えでしょうし、反対派の方は、いや、それは有意にゼロと隔たっているというのかな。そうすると、事故が起こったときのロスというのは、さっき伊原さんが、上限があるというふうにおっしゃいましたけれども、やっぱり上限はないと、そのロス自体の評価がこれまた主観的なんですね。ですから、ロスに対する評価も、例えば事故が起これば、これこれのロスが生じますよというふうなことを客観的に定めることはできないというようなことで、評価が人によってまちまちになるというのが、これはある意味でいた仕方がないということなんです。
 それからもう一つ言いたいのは、これも確率に関することですけれども、歴史というものは一回は正規的なんですね。その一回しか起こらないわけですね。我々は、過去、例えば日本という国は何年の歴史があるかはとにかくとして、例えば戦後50年という。戦後50年というのは一回しか起こらないわけですね。それからさらに、今後50年というのもある一つの道をたどっていくわけですね。ですから、そういう問題を考えるときに、繰り返し実験というものを前提とした、通常の意味での確率というのを安易に使うことはできないというふうなことで、大変問題は難しいというふうなことを一言申し上げておきます。
【中村】  教育が今テーマになっているんですけれども、私は実を言うと、このテーマで一体何を教育するのかということがあまりよくわからないのです。
 よく原子力の方が、パンフレットをつくって、原子力とはこういうものですよというようなことを教えてくださる。そういう教育を、そういう形でなさるのは、まあ、それはそれとして大事なんですけれども。私は、今求められているのはそういうことではなくて、ここで議論しているような、例えば原子力をどう考えるかというようなことが判断できる人が教育されなければいけないんだと思うのです。そうだとすると、やはり日本は、例えば科学技術の全体像とか、科学技術の歴史だとか、そういう中でエネルギーがどう技術的に開発され、使われてきたのかとか、そういう中で原子力とはどうなのかとか、そういう教育がほとんどないんです。非常に技術的な教育しかないんですね。むしろ、原子力に限って、原子力パンフレット的な、原子力とはこういうものですという教育が必要なのではなくて、このことについてきちっと考えられる人をつくる教育という意味の教育を考えていただきたいなと。それは別に原子力の方に考えていただきたいというよりは、日本として、日本の科学技術を育てていくという意味でも、とても大事なことだと思っているものですから。
【猪口】  そのこととの関係なんですが、もう一歩進めて、私は、この問題についての教育の面で一番重要なことは、民主主義教育じゃないかと実は思うんですね。科学技術教育というよりも、本当の意味での民主主義教育です。つまり、民主主義の社会を担う一員として、責任ある判断とか、考える力とか、そして専門家に育ち上がるときには、本質的に科学技術者である前に、民主主義社会を支える一人の人間としての良心、こういうものをあわせ持てるような、そういう教育ですよ。
 そして、民主主義教育というときには、疑問があったときにはしっかりと批判を表明することができる、そういう批判精神の育ち方であるとか、また、それを提示するときも、何でも壊していくということではなく、建設的批判ということをどう展開できるかという、こういう能力とか、こういうことは、批判することが許されない教育の中からはやはり生まれないわけですよね。
 ですから、ここで問われているのは、科学技術教育が少ないという課題ではなく、むしろ文系の本質である批判精神であるとか、客観的に物事をどう分析するのかというような考え方であるとか、そして、社会に対して一人の人間として、その責任と良心をあわせて持つということがどういうことなのかということとか、そういう民主主義をどう支えていくのかということの何か根本的な教育、それと、それを深める教育現場での意見表明の機会であるとか、議論をたたかわせるという体験であるとか、そして、どういう場合でも、自分が疑問を持ったときには、その職業の立場を越えてきちっと疑問を表明する責任であるとか、そういう人間の尊厳とか責任とかに目覚めさせていく教育というのが実は本質的に必要で、それを20年かけても育てることができれば、原子力の問題だけでなく、これから私たちが選択していかなければならない巨大技術の問題について、国民合意をより形成しやすくなると思うんですけれども、そういうところが希薄ですと、賛成派対反対派で歩み寄れるところはないという、民主主義のある種の空洞化現象を、科学技術の重要な分野において生むことになるであろうと思います。
【河野】  安全性の話は、つくづく聞いていて、まだ相当程度、相互に理解しようという意思さえあれば、かなり歩み寄れる余地はあると今日も思って聞いていましたよ。相互の努力ですよ。こっちは聞く耳を持たない、こちらは説明するのも嫌だというなら、これはこれでおしまいの話ですから。しかし、その可能性は残っていると私は思います。
 今の目先の選択の話は、二つあるんですよ。とりあえず共通の基盤をつくらなければ、どんな議論でも空論になってしまうから、そこから先、共通の土俵を持たないと。どういうことかというと、エネルギー、特に電力の日本における、世界ではない特に家庭における消費がこれからどうなるか、それをドラマチックに抑えることが、道徳的な説教から税制論を入れて可能ならば、それも一つの方法ならば議論しましょうと。それが一般大衆を相手にして、今のようなエネルギーがだぶだぶ余っている状況の中で、どこまでできるかというのは、これはリアルな話ですよ。つまり、消費をどれだけ抑えられるかということについて徹底的な議論をやりましょうと。これは共通の基盤が相当程度できるはずなんですよ、この話は、安全論と違って。
 もう一つは、新エネルギーの可能性はたくさんありますよね。特に太陽の光が圧倒的な人気者なんだ。それが一体どれだけの基盤があるのか、今の最高の技術者が研究して、熱効率を上げて、コストを下げて、これは幾らでも議論できますよ。ここの議論は、原子力の反対論者であろうが、賛成論者であろうが、共通の基盤があるはずなんだ、これは。それをまずつくれば、そこから先、議論は分かれると思います、相変わらず、安全論では分かれると思うけれども、しかし、少なくとも荒唐無稽の議論にならないで済む、最後の選択は。それをぜひ、岩男先生が最初におっしゃったけれども、そういう議論を本当にここでだれかさんにやってもらいたいですね、次回からは。
【鳥井】  これからの議論の中でさせていただきたい。
【湯川】  今のことすべてにも関係するんですけれども、反対派という位置づけをされてしまうということに対して、心の中で、いや、そんな単純なことではないんだけれども、それはなぜなんだろうというふうに考えましたときに、エネルギーということだけ、それが例えば電力とか、火力とか、石油とか、石炭とかというエネルギーだけの問題ではなくて、もっと非常にグローバルな立場でのいろいろな危惧というんでしょうか、不安感というものがその後ろにあるんだなと。これは体で言うと、例えば最近、がんの告知なんかで、インフォームドコンセントなんていうことがしきりと言われるようになったように、部分的に局地的に見ていては解決しないエネルギーの問題なんだなと。大変大きなバランスを要求されていることではないか、他国に対しても、自国の中でのごみの廃棄にしても、今の教育論を伺っていても、環境問題なんかをやっているときに、例えば缶のポイ捨て一つにしても、最終的に行きつくところは、我々がどういう価値観を持っているかということになってしまうわけで、物質的に豊かなことがいいのか、一時間1万円になることがいいのかと、いろいろな基本的な問題になってきて、教育論を考えてしまうわけですけれども、このエネルギーの問題もそうなんですね。
 そして、例えば本当にそのエネルギーが枯渇してきたときに、私たちが今、こういう原子力発電というものに一生懸命全力を集中しているけれども、一方で、大変大きなバランスを欠いた生活感覚を持っているのではないか、政治感覚を持っているのではないかということも、やっぱり議論の向こうに見えてくるんですけれども、例えば、じゃ、日本の場合は、フランスとか中国のように、核を持っている国に比べますと、食糧の需給力なんていうのは、わずか30%しかない。そんなところでエネルギーという問題だけをこういうふうに考えていていいのだろうかと、そういうような不安もいろいろな形で引きずっているんだなという自分の気持ちが見えてくるわけです。それもちょっと一言つけ加えたかったことです。
【池島】  河野さんですか、私の発言に対して非常に誤解されたように思いますので、訂正しておきたいんですけれども、私は、わかりたくないなどとは少しも思っておりません。それならば、わざわざ一日つぶして大阪から参りません。大阪でも私は反対派の仲間から対話派と言われている。一生懸命理解しよう、そして私たちの疑問や批判を理解してほしい、そういう思いでやっているわけなんです。そこは誤解していただきたくないと思います。
【河野】  私が申し上げたのは、池島さんみたいな方もいらっしゃるけれども、まるっきりもう聞きたくない、全くこれはノーなんだという立場で議論する人もいるんですよ。それが一緒になっているわけですね。
【池島】  それはわかっています。ただ、今日、そういう一般論ではなく、私の発言をそうおっしゃったので、私は違いますと言っているんです。
【河野】  それはわかります。それは訂正します、私がそういう印象を与えたならば。
【池島】  結構です。それからもう一点、そのことに関連しては時間をとりますので、ぜひ藤家さんに、私はわかりたいので、さっきおっしゃったことについては、お互いに宿題にしていただけませんか。今でなくて結構です。ちゃんと詳しくお聞かせいただきたいということをお願いしておきたいと思います。
 それからもう一点は、伊原さんが再処理工場の事故について、地球レベルではないというふうにおっしゃったので、そのことについて、私の理解が間違っているのか、では、再処理工場というのは、普通の軽水炉に比べて非常に大量の放射能を持っております。これは共通認識できると思うんです。ラ・アーグでの危機一髪の事故もありましたね。それから、ウインズケールでは、事故はなくても、まあ、事故もありましたけれども、ふだんから大量にアイリッシュ海にプルトニウムが流れ出て、人間が立ち入り禁止になるくらい、本当に広範囲の汚染と、周辺の子供たちへの被害が出ていると聞きましたけれども、その認識は間違っているんでしょうか。
【伊原】  イギリス、フランスの再処理工場で、工場の外に、私の言い方で言えば、敷地の外にそういうものがある程度出ているというのは事実です。特にイギリスの場合は、軍事利用のときに、非常に急いで仕事をしたものですから、アイリッシュ海に、今で言えば、考えられないぐらい高いレベルの放射性物質を流しております。イギリスは今や、過去に比べれば2けた以上少なくなったと言っておりますが、過去には数百倍出していたというのは事実です。
 ただ、私が申し上げておりますのは、大量に核分裂生成物がありますけれども、それを世界にばらまくエネルギーは持ってないんですね。これは原子炉よりも、ずっとその中に内在するエネルギーが少ないわけです。持っているのは事実です。ばらまく力がないと、こういうことを申し上げているわけです。
【鳥井】  そろそろ時間があれなので……。
【江尻】  一言だけ。いろいろな方がおっしゃっているのを聞きまして、その人の持っている価値観がものすごくこういう問題に影響してくるということを感じるんですね。価値観のことでは、なかなかディスカッションというのはできないと思うんですけれども、やはりそれぞれの価値観、その人の持っている価値観を尊重しながら、さっき河野さんもおっしゃいましたけれども、お互い本当にわかり合おうという努力で私たちはやっていかなければいけないんじゃないか。
 それから、今日はコストの問題とか経済の問題はあまり出ませんでしたけれども、そういうところも、経済優先で果たしていいのか、自分たちはそれをエンジョイしていて、そんなことを言うのはけしからんと言われるかもしれませんけれども、やっぱり世界の人たちと一緒に、本当に地球レベルでこの問題を考えなくちゃいけないんじゃないかということを思いましたので、ちょっと一言言わせていただきました。
【鳥井】  日下さん、どうでしょう。最後にお一言、何かございますでしょうか。
【日下】  国家がしょい込み過ぎていると思いますね。これだけ時間がたちましたから、もっと民間に任せて、民間が自分の責任と自分の利害においてやる方が、もっと自由に融通ができて、それから、ちゃんと説明もするんじゃないか、そう思っております。
【鳥井】  藤家さん、先ほどちょっと手をお挙げになりましたが、お約束いただけますか、さっきの宿題は。
【藤家】  私も30年、安全の対話をやってきたものですから、喜んで、個人的にでも結構ですから、お時間をとっていただければと思います。
【池島】  最後に一言だけ。今後についてですけれども、教育の問題がいろいろ論じられましたけれども、私は、今、この本当に重要な問題については時間をかけて、全国各地で討論をしていく必要があると思います。そのためには、政策は一時、モラトリアムというんですか、猶予をしてでも、それが非常に大事だと思うんですね。そのことをぜひ提案したいと思います。
【鳥井】  わかりました。その辺はまた原子力委員会の方でご判断いただくことになるだろうと思います。
 いろいろな立場から、いろいろな視点についてご議論をいただいてきたわけでございますが、そろそろ時間でございます。皆様のご協力に大変感謝を申し上げたいと思います。特に今日、教育の問題ということが出てきまして、果たして科学技術庁が文部省に対してどれだけの力があるのか、私も疑わしいところがあるわけですが、それでも、科学技術庁の原子力委員会より多少文部省に申し入れていただくというようなことをお願いしたいと思っております。

閉  会

【鳥井】  それでは、閉会に当たりまして、原子力委員長代理の伊原さんの方から、一言ごあいさつをいただきたいと思います。
【伊原】  本日は、大変ご多忙な中をご参加いただきまして、非常に活発なご議論をいただきました。大変ありがとうございます。まことに有意義であったと思いますし、この議論は次々と第1回から持ち越してきて第4回、ここまで一般的なご議論をいただきましたので、5回目以降はテーマを絞って、さらに検討を深めるわけであります。今日のご議論の成果が十分に反映されますことを期待するといいますか、私どもとしてはお約束をすると、こういうことでございます。大変ありがとうございました。
【鳥井】  私どもモデレーターといたしましても、今後の議論に、今日あったご意見、それから、今まであったご意見を的確に伝えて議論を発展させていくように努力をいたすつもりでございます。ひとつよろしくお願いいたします。
 どうもそれでは皆さん、ありがとうございました。
── 了 ──

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