原子力政策円卓会議(第4回)議事概要
- 日 時
6月10日(月)午後1時30分〜午後5時30分
- 場 所
KKR HOTEL TOKYO(東京都千代田区大手町1−4−1)
- 出席者
- モデレーター
- 岩男 壽美子 慶応大学新聞研究所教授
- 佐和 隆光 京都大学経済研究所所長
- 鳥井 弘之 日本経済新聞社論説委員
- 西野 文雄 埼玉大学大学院政策科学研究科長
- 招へい者
- 秋山 仁 東海大学教育研究所教授
- 池島 芙紀子 ストップ・ザ・もんじゅ事務局代表
- 猪口 邦子 上智大学教授
- 江尻 美穂子 津田塾大学教授、地球環境・女性連絡会代表
- 加藤 郁子 全国地域婦人連絡協議会理事
- 神田 啓治 京都大学教授
- 日下 公人 社団法人 ソフト化経済センター理事長
- 河野 光雄 経済評論家
- 今野 由梨 株式会社 生活科学研究所所長
- 菅原 努 財団法人 体質研究会理事長
- 中村 桂子 生命誌研究館副館長
- 屋山 太郎 政治評論家
- 湯川 れい子 音楽評論家、作詞家
- 原子力委員
- 中川 秀直 委員長(科学技術庁長官)
- 伊原 義徳 委員長代理
- 田畑 米穂 委員
- 藤家 洋一 委員
- 依田 直 委員
- (敬称略 五十音順)
- 議事概要
- 注:文章整理の関係から表現が必ずしも発言通りではない場合がある。
- 参考別紙:
- 「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」[別紙1]
- 「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」[別紙2]
《中川原子力委員会委員長挨拶》
- この円卓会議は様々な分野の意見を伺い議論を深めることで、国民的な共通認識や合意を形成しようとするもの。
- 一定の結論を先に設け、段取りや手順としてやっているのではなく、これからのことを考えるという趣旨で行っている。
- これまでの会議では、円卓会議の進め方、情報公開、政策決定への市民の参加と透明性の確保、立地地域と原子力の関わり等の観点からの意見が出され、議論がなされた。
- 要望の多かったテレビ放映については、前回会議から通信衛星放送で録画放映されている。
- 今回は女性の参加者が7名ということで、幅広い立場からの議論がなされるのではないかと期待。
《モデレーター冒頭挨拶》
- モデレーターは、会議の進行を円滑かつ公平に行うことが使命と認識。
- 原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的事項については、資料を配付。(参考別紙「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」参照)
- 本円卓会議では、原子力政策の観点のみならず、エネルギー確保、世界的な観点、歴史的な視点等、様々な視点から、原子力をめぐる幅広い議論が行われるよう議事運営していきたい。
- 今回までは、特定の分野にとらわれない全般的な議論を行う。次回以降は、これまでの議論を踏まえ焦点を絞った上で、議論を行っていく予定。なお各回の結果は次回以降の会議において配布し、議論の幅を広げていくこととしている。
- モデレーターとしては、議事運営をするだけでなく、議論の流れを十分踏まえつつ、とりまとめを行っていく所存。
《招へい者の意見発表》
各招へい者は、別紙の発言要旨に基づき、順次意見表明を行ったが、その内容を項目別にまとめると以下の通り(参考別紙「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」参照)
- □エネルギー関係
- エネルギー不足についての危機感を煽られている気がする。別に原始時代に帰るわけではなく、過去の石油ショック時にも省エネはされたわけで、これをもう少ししていきたい。代替エネルギー源から得られる発電量、省エネ器具や設備の使用を考え合わせた上で必要な電力量を計算し、それほど原子力発電に頼らなくてもいいという前提で計算してほしい。
- 電力会社は原子力で30%ぐらい発電しているということであるが、水力、石炭、その他にしても、使えるものは使ってコストのことも考慮して様々な工夫をしていると思う。石炭ガス化による発電もかなり前から研究していると聞いた。電力会社も様々な面から研究していることに敬意を表する。
- 一軒に2台の冷蔵庫は当たり前、各部屋に冷暖房も付いている。様々なことを考慮すると、ここで節約してくれと言われてもなかなかできるものではない。突き詰めていくと、原子力も必要かもしれないと感じている。
- 省エネルギーと節電を前提とする、エネルギー、特に電力の必要性について異議を唱える人はいない。
- 来世紀のエネルギー問題を考えるときには、環境、資源、経済、人口、食糧、国の格差、文化、歴史、伝統などの問題と非常に深い関係があるため、これらの問題を無視して議論はできない。
- 炭酸ガスや酸性雨等環境に影響を与えるようなものを次世代に残してはいけない。特に炭酸ガスについては真剣に検討を行うべき。
- 需要の抑制は50年、100年先を考えると決定的に重要。しかし道義的説得その他では日本の国民は動かず、困難であることをまず確認することが必要。
- 一般国民、技術者も含めて、太陽光発電さえあれば原子力はおろか石炭火力も不必要という議論が天下に横行しているが、これは事実に基づかない希望的観測。
- これから、私たちは原子力に依存する以外に本当にもう道はないのか。省エネルギーでどこまで需要が抑制できるのか。無理のない禁欲ならできるのではないか。
- 国を挙げて代替エネルギー、新エネルギーの開発の方向を打ち出した場合、それでも2010年の原子力の需要予測というのはやはり42%ということになるのか明らかにしてほしい。
- 世界の技術先進国である日本としては、新しい時代に対応した、よりエンバイロンメント・フレンドリーで、ホロニックなエネルギー開発の先進国でもありたい。
- リサイクル技術、安全性確保の技術、放射性廃棄物の処理の技術、ソフトエネルギー、新エネルギーの開発と利用の技術に、もっと国として人、物、金の投資ができないのか。
- 生活者こそエネルギー問題の主役であるため、もっと生活者に呼びかけて、その意識やライフスタイルを総合的にデザインし直すという運動を行ってみてはどうか。
- エネルギー、資源、人口、様々な問題から見て、大量生産、大量消費の時代が変わるということは多くの人が認識。我々はどんな生活を選択するのか、議論する場合もまずそこから考えるべき。
- 生物に関わる者の立場から言うと、炭素がたくさんつながった非常に高級な物質である石炭、石油を燃やすことは非常にもったいない。しかも発生した二酸化炭素は元に戻せない。そうでないエネルギーの取り方を是非やらなければいけない。
- 代替エネルギーは技術も開発されているが、集中型で使うのには非常に不向き。分散型エネルギーの利用というシステムと並行していくべき。
- 太陽熱、風車、地熱発電を使うのは一つのアイデアだが、投資だけで実益がないものでは国論になり得ない。
- 反原発論者が電気冷蔵庫等の近代文明をフルに使って、原子力発電所をやめろと言うのにはいささか抵抗がある。
- エネルギーがなくなった時に、日本に高性能なエネルギーがあって、他の国々に対してモデルケースとして、安全性も指導していけるようにするにはどうしたらいいか、ということも一つのテーマだと思う。放射能消滅技術が確立しない限り、核の平和利用はあり得ないという論点に立てば、そんな不完全なものは持たない方がいいということも考えられる。
- □原子力一般
- 朝日新聞世論調査によると「大事故への不安」が73%、「核燃料サイクル計画を再検討すべき」が61%、「エネルギー小国が故に計画続行すべき」17%、これらの数字は関西、特に福井ではもっと違うであろう。また「もんじゅ」凍結要求署名106万人、148地方議会での「もんじゅ」への意見書は国民の、とりわけ立地県県民の原子力に対する不信の大きさの表れ。
- 原子力長期計画の路線であるプルトニウム利用はもはや追求すべきではない。新しい道を追求すべき時期が来ている。
- 原子力発電の安全性について、他者に説くためには、自らのところで完璧になされていなければならないが、そのための情報公開と危機管理体制は不十分である。
- YWCAは核否定の思想に立っており、「核」で象徴される現代文明そのものについても疑問を呈している。科学の進歩を無条件に肯定して次々に物質的な欲望を満たす生活を続けるなら、地球の汚染が進み次世代にツケを残す。我慢をすることに対しては批判もあるが、我慢していかなければならない。
- 他の有効な代替エネルギーが開発されるまでの間、原子力は不可避。
- プルトニウムの特性(物理、化学、生物、医学的性質など)の周知、研究の推進をすべき。
- より安全で経済的な動力炉の開発を推進すべき。
- 原子力を輸出産業として育成すべき。
- 原子力の大々的利用に賛成。原子力政策担当者はもっと元気にアイディアを出し、それを国民に発表して物議を醸してほしい。このことから逃げているのが問題の始まり。
- 国民の不安はプルトニウムそのものよりも、原子力政策にある。政策の基本が確定していないので、原子力利用は海外、マスコミ、業界、電力ユーザーの圧力によりその間を「漂流」する。各種の圧力によって変わるような政策は信用されない。
- 「漂流」の一つの例が「故障」と「事故」と「災害」の区別をきちんとしていないこと。単なる「故障」であっても、マスコミが「事故」だといえば「事故」だと説明する。この点を自分ではっきり認識すべき。
- 立派な考えがあっても、国民の理解が得られないといって、あきらめてしまう。これは判断基準を相手に置くことであり、頼りない。自分が判断したことについては、たとえ相手の理解が得られなくても主張し、理解してもらうように努力すべき。そうすれば、応援団も現れる。
- 「国益のためにはエネルギー政策はどうあるべきか」から出発して、例えば新規原子力発電所がないと経済、生活が立ち行かないとか、費用がいくら必要といったことに対し、根拠を示して国民の理解を求めていくこと、これが国家のあるべき姿である。
- チェルノブイル事故に関して笹川財団が15万人の子供を5年間調査し、白血病は2人しか出ていないと報告している。マスコミにはこういうことを考えてほしい。科技庁もこのことをどう考えるのかを明確に打ち出さないため、国民に不安と不信が生じる。
- これまで原子力について国、専門家、企業から様々な情報が出されて、国民はこれに振り回された感があるが、そうした原子力に関する議論を一度出発点に戻してみたい。その上で一つ一つ国民の問題として地道にファクトを確認し合いながら進めていきたい。
- 原子力を必要とするにしても、小さな地道な試みを積み上げることで、計画を縮小できるのではないか。ニーズの本当の姿を真摯に確認する姿勢を怠ってはいけない。
- 文部省で放射線生物学の分野を削る一方で、科学技術庁で原子力を引き続き進めるといった省庁間の壁は是非なくしてほしい。また、原子力安全委員会と協力してプランを作っても、実施については、原子力委員会の方で決めるといわれる。原子力安全委員会をしっかりしたものするように努力してほしい。
- 放射線取り扱いのための安全基準を、個人プレイではなくコンセンサスによって作成すべき。それにはアメリカのようにコンセンサス報告を行う委員会を作るべき。
- 放射線生物学を軽視した原子力政策には、人の健康という基本が欠けているように思える。
- 放射線は癌を作るがまた癌を直す両刃の剣。この立場に立って研究を進めるべき。
- 原子力は核の中に閉じこめられた大きなエネルギーを取り出すという点でチャレンジすべき技術。問題なのは終わりまで、つまり廃棄物のところまで含めて技術が完成するということ。現在の原子力は完成しているとは言い難い。
- 「もんじゅ」に限らず複雑な技術を要する部品の製造において、発注側と受注側の間で直接相談することなくファックスのやりとりに終始したと聞いた。複雑な技術を使いこなす上でモラルがあるのか疑問。
- 原子力の問題は、原子力発電所はない方がいいという存在そのものに対する問題と、原子力発電所は必要だが、我が町に原子力発電所があっては困るという地域の問題の2つに分けて考えるべき。
- 政治家は、原子力発電所をゼロにする代わりに、国民生活のレベルを相当下げるという約束を国民に対してすることはできない。
- 環境への影響を考えると、従来型の燃料が良くて、原子力が悪いという考えは、全くの逆なのではないか。原子力を使う方がマイナスの影響が少ないのではないか。
- 先を見ると、石油もなくなるのだから、20年ぐらい先にはエネルギー戦争が起きてくる。今から高性能な原子力発電は必要なんだということは国、経済、政治のレベルではあると思う。不信感を持つのは、そこにビジネスが絡んで、不明瞭な部分がでてくるため。
- この地震大国で核廃棄物をどうするのか。水俣とかHIVとかダイオキシンのように、実害が現れなければ限りなくビジネスが優先する日本では、公正なチェック機関がなによりも必要だと思う。女性の発言者は感覚的だが、そういう一般の人々のチェック機関も置いて、情報を公開していくことが今後重要となる。
- □リサイクル政策関係
- ATRについてはすでに建設コストの高騰から実証炉を電事連が拒否。
- プルサーマル計画について立地県は怒りを表しており、実現は困難。
- 核燃料リサイクル路線は放棄して、ワンススルー路線にするべき。
- 現実的な選択肢としては
- 核燃料リサイクルの放棄、ワンススルー路線
- 核燃料リサイクル路線を進める、しかしテンポは少し緩め。
- 今までの長計の路線に相当の修正を加える。
個人的には三番目について議論したい。
- □高速増殖炉及び「もんじゅ」関係
- 世界各国はナトリウムを制御できず、しようと思うと経費がかさむという悪循環の中でFBR計画から撤退。「もんじゅ」についてもナトリウムを制御できるのか徹底的検証必要。
- FBRは、ナトリウムの制御以外にも暴走しやすい、プルトニウムを利用する、軽水炉に比べて地震に弱いなどの問題がある。また英国PFR細管破断事故についても詳しい情報が知らされていない。計画通りやったとしても燃料が2倍になるのに90年かかること等問題ばかりである。
- 「もんじゅ」のような高速増殖炉は、絶対に持ちたくない、と言うのが個人的な感覚であり見解。
- もんじゅ事故は残念なことだが、これで高速増殖炉の開発を中止するというのではなく、世界のために開発し、その技術を世界に与えるということが日本の使命ではないだろうか。
- □バックエンド関係
- 余剰プルトニウム、海外からの返還プルトニウム、高レベル放射性廃棄物について強い批判、懸念がある。
- 放射性廃棄物のうち、高レベル、長寿命のTRU核種のような長期に残る廃棄物について、それを消滅させるための研究に積極的に取り組むべき。
- 次の世代にツケを残さないためにオメガ計画を積極的に推進すべき。
- □安全関係
- 原子力発電所の周辺の癌の発生率、流早産率、先天異常児の発生率などを、そこの人たちが不安を覚えない形で公開してほしい。
- 昭和63年にチェルノブイルに関連してスウェーデン、西独、仏、英国等のマーケット、農家、一般家庭等に行った。10年が経過した現在、新聞等で子供たちの病気のことが相当取りざたされているが、その当時は子供たちのことについて全く触れて来なかった。聞いた話はいいことばかりで困ったということを言われなかった。テレビ、ラジオで言っていることを正直に受け止めてそのように生活して食べていれば何も心配がないという話ばかりだった。今になってみると当時私たちももっとこの問題を追求すべきだったかと思う。
- 原子力以外にも、ガソリンスタンド、火薬、航空機、自動車、といった危険物がいろいろある。これらに問題が生じていないのはそれぞれの担当省庁や当事者が責任をとっているからである。例えば自動車では毎年1万人が死亡しているが、国民は何も言わない。運転している自分が悪いと思っている。不信がなければ不安もそれぞれが引き受けることになる。この観点から原子力も自由化すべきと考える。
- 原子力が特別扱いされるのは、放射線はこわいという点に問題がある。どこまで怖いのかをはっきりさせずに、いたずらに怖がっている。これをはっきりさせるには、放射線生物学が必要。放射線は原子力発電だけでなく、自然にもあるもので、このなかで人がどう生きているのかということを、根本から研究する必要がある。
- 放射線の影響について、専門家はどこが解って、どこが解らないかを知っている。少しでも不明確な部分を減らす為には、研究が必要。人体への影響の解明のために原子力開発予算の一定割合をここに投ずるぐらいの考えを持ってほしい。
- 今一番未知な問題は、微量な放射線による発がんの有無である。この研究で、日本が世界のリーダーシップを取り、科学者に対する社会の信頼を取り戻したい。
- □教育・理解増進関係
- 国民は原子力に関して、どの程度、関心や知識があるのか疑問。即ち、女子大生に対する原子力に関するクイズの結果では、原子力発電の燃料がウランと答えられたのは56%、原発事故は旧ソ連のどこで起きたのかでは74%、IAEAが何の略称かがわかったのは6%であった。あまり知識はない。
- 一方、子供たちはエネルギー問題に結構関心を持っており、21世紀に必要な科学技術として一番関心が高いのがクリーンエネルギーとなっている。高校生の3人に1人が核に危機感を持っている。
- エネルギー問題について小、中、高校でどのぐらいのことを勉強しているかが問題。具体的には、中学の理科の時間数は非常に減ってきている。高校の教科書ではエネルギー問題については高度な内容を扱っているが、原子と原子核に関する分野での大学入試出題率が2%と低く、この分野は受験勉強では切り捨てられている。
- エネルギー関係の教育は、フランスでは非常に徹底しており、イギリスでも多い。一方日本では、理科離れが進んでしまっており、オカルト関係を信じる高校生が増えてきてしまった。
- エネルギー教育をより充実させることが課題であり、これからどうやってエネルギー教育をし、正しい議論をするための知識を若者に持たせるかが問題。そうしないと、人類生き残りのための重大時を単に怖いとか必要だとかの狭い視野で賛成、反対を判断してしまう。
- 生活の利便性を得るときは、それと同時にトレードオフの代価を支払わなければならないというイメージを国民に正しく理解してもらい、選択する機会を与えるべき。そのためにはエネルギー教育の徹底が必要。
- □社会と原子力
- 新聞やテレビの報道関係者は詳しい背景についてあまり勉強しないため、表面的な報道が多い。
- 原子力の教育の問題として、国民の科学離れを止めるために科学技術庁は文部省任せでいいのか疑問。日本では、原子力そのものについて国民にほとんど教えられていない。
- どこまでいけば「国民的合意」ができたと認定できるのかということは、政治家がどこかで判断する他ない難しい問題。
- 国民的合意を求めるためには、国会がまずエネルギー政策全般のあり方、原子力政策の安定性の再構築について議論すべき。
- 電力会社が今日まで安全実績を積み重ねてきたのも、平常時は原子力安全の監視者であるマスコミのおかげであるが、国民的合意が求められる現在、新聞は原子力のプラス、マイナス、エネルギー政策における原子力の位置づけについて社説で述べるべき。TVは論点を整理し、印象論でなく、反対派、賛成派のロジックを明快に、公平に報道すべき。
- 原発反対運動は、技術に対する警告であると受けとめるべき。
- 地域に原子力発電所があっては困るという問題で、引き受ける「損」、「不安」には、それに見合う代価を支払うということと、不安感の除去が必要。
- □立地地域と消費地関係
- 発電所の立地地域は大都市の犠牲者か国策の犠牲者かと言われるが、アイディア次第でそうではなくなる。補助金先決公募方式で先着順で地点を募集し、村営、町営発電株式会社を自己リスクで行う。大都市の地下発電所などの考え方もある。
- □円卓会議関係
- これまで多くの専門家が専門家の立場で意見を言っているが、素人の意見を聞いて、一般市民が納得できる政策を立ててほしい。
- 環境問題の中でも特に注意を払うべきは原子力問題である。原子力には長期間にわたって人間の健康に悪影響を与える放射能問題があり、特に女性は子孫にまで影響が残ることに不安を覚える。
- 円卓会議を開いたことを免罪符にせず、危惧の念を呈している専門家もいるのだから、安全性の問題について検討していただきたい。
- これまでの円卓会議で、否定論から積極論に至るまであらかた議論に上り、ロジック、感情も分かってきた。今度はそれを整理した上で具体的な選択の話に移して議論を詰めるべき。
- 今、円卓会議が開かれているのは事故が起きたからだ。討論会などで「絶対に安全だ」と応えていたのに、事故が起きたことで不信感が渦巻いている。これは、原子力発電所を作っていかなければいけないと考えている人たちは、マズイなと考えている訳だし、なくしてほしいと考える人間との間に大きなギャップが生じたから。
- 「なくしてほしい、こわい」という感覚と「何としてでも持っていかなければならない」という方向とのギャップをどう埋められるのか、ということが大切。
- □情報公開関係
- 核不拡散(特に核防護)に関わるものを除く情報の徹底公開に努力すべき。
- エネルギー政策で、国民の信頼性を回復するためにも、国民が参加できる行動プログラム(省エネ週間の設定と実施など)を実施してはどうか。そして、その成果について国は責任を持って具体的な数値をあげて情報公開をし、自分達の行動が将来のエネルギーのキャスティングボードを握っているという認識を持たせることが必要。
- 専門家の知識を生かし、なおかつ他の人が専門家に対して遠慮なくものが言えるという二つの面を生かすべきで、そのような方法での政策決定プロセスを開発し、プロセスを透明にしていく方法を確立するべき。
- □国際関係
- アジア地域で原子力発電の導入が急速に進んでいる背景には、エネルギー需要の急速な拡大、化石燃料に極端に依存していることに対する、各国のエネルギー政策、化石燃料の産出地と消費地が離れていること、環境の問題等がある。
- 原子力発電導入の問題について、供給国が消費国から地理的に遠いため、万が一の事故がおきても自分が影響を受けないことからメンテナンス、管理が非常にずさんになっている。現在はまだ事故は起こっていないが、今後楽観することはできない。
- 原子力発電を導入する消費国は供給国に対し、原子力発電所のメンテナンス
- 安全保障に最大限努力するように、各国の基準に則って要求を出すべきである。
- 国際的な枠組みとして、事故防止、あるいは法的な整備によってルーチンで原子力発電所のメンテナンスを検討する、調査を確実に行うといったことを取り決める段階にある。
- 供給国がアジア地域に原子力発電所を売り込んで収益をあげるという状況をストップさせたいが、現状の国際法ではできない。これに対する次善の策として考えなければならないことは、安全管理のレジーム形成に日本が関わることである。
- 日本はエネルギー供給における安全保障のレジーム形成において、何らかの積極的な役割を果たすことが必要。
- これからの国際政治においては、human security:(人間一人一人が安全か)という点にいろいろな観点からアプローチし、すべての政策が見直さなければならない。
- 核兵器の解体問題について、日本は知らぬ存ぜぬで通しているが、やはり何らかの国際的貢献をしながら、次世代に核兵器を残さないための努力を積極的にすべき。
《中川原子力委員長前半終了時挨拶》
- 7分間の時間制約のため十分に深い発表ができない部分もあり、発表内容以上に議論の幅、深みがあるのだと痛感している。
- 省エネ、ソフトエネルギー、代替エネルギーについて、現実問題として国民生活の中でどの程度できるかといったことは、批判の方にも推進の方にも共通の問題として議論があるという感じがした。
- 社会と原子力といったテーマをいくつか絞って、今後、検討していくこととしたい。
- 円卓会議が単なる通過儀礼ではないかという疑問を含んだ意見があったが、現実離れした議論は別として、少しでも幅広く納得しながら進めるという意味で、白紙という立場で今後議論したいと考えている。
《モデレーター後半冒頭挨拶》
- 前半の意見発表では、エネルギー教育、マスコミの役割、ライフスタイル、事故の定義、環境、省エネ、リスクは原子力だけではないという点、放射線のリスク、自然エネルギー、専門性と社会との関わり、技術先進国としての日本の役割等、多岐に亘る分野があった。
- このうち、後半の自由討論では、大きく「安全の問題」と「マスコミ、教育の問題」の観点から議論を行いたいと考える。
《自由討論》
- □原子力一般
- 原子力関係者にはやましいと感じていることが二つある。一つは、「廃棄物を次世代に残すのか」という問題、もう一つは、「放射線の影響は次世代に残るのか」といった問題。高レベル廃棄物の消滅技術開発や放射線の遺伝的影響等、これら二つの問題の対応を国家は第一にやるべき。また、既にわかっていることは早く公開すべき。
- 在来型のエネルギー源は、環境汚染等の情報の積み重ねにより、ある程度予測できるが、原子力は情報の積み重ねがないことが問題。
- 原子力で解決されていない問題である「廃棄物の処理」、「放射線の人間への影響」がきちんとわからないと、技術者も自信を持ってやっていけない。この2つの問題にもっと力を注ぐべき。
- 原子力の問題については、時間をかけて全国各地で討論するべき。そのため、政策は一時猶予(モラトリアム)するべきである。
- (モデレーター意見)
- モラトリアムについては、また原子力委員会で判断すること。
- □エネルギー関係
- エネルギー問題を考える場合に、重要なのは共通の基盤を持つことであり、まず、「日本において電力の消費をどこまで抑えられるか」、「新エネルギーの現状はどうなのか」という点について議論を徹底的に行い、共通基盤をまず作るべき。そうすれば、最後の選択が荒唐無稽の議論にはならない。
- エネルギーだけでの問題でなく、もっとグローバルな不安がある。局地的に見るのではなく、他国との経済関係など、大きなバランスの中で議論をするべき。例えば、食糧自給率が30%と低い中で、エネルギー問題だけを議論していても良いのかと思う。
- □高速増殖炉及び「もんじゅ」関係
- 我々は、大学での研究経験から「もんじゅ」のさや管からのナトリウム漏れを十分予測しており、科学技術庁、動燃にも警告してきた。ただし、ナトリウム漏れと「もんじゅ」の安全性は全く別次元で、「もんじゅ」そのものに疑問を持っているわけではなく、ナトリウムという弱点があるので、それをきちんと対外的にも言うべきという警告である。また、関係者が自信を持ちすぎていたのも、気がかりであった。結果的には、それが聞き入れられず、安全性の区別のつかない一般の人に大きなインパクトを与えることとなった。
- ナトリウム漏れを予測、警告していたのに、その対応が無かったのは何故か疑問。
- 高速増殖炉については、各国が研究して行き詰まって撤退しているのに、日本が何故進めていくことができるのかについて、納得できる根拠が示されないことが問題。
- 「もんじゅ」については、研究開発段階であったにも拘わらず、関係者が自信を持ち過ぎていたことに問題があったと感じている。
- □バックエンド関係
- 軽水炉自体は高い安全の実績を収めている。原子力で一番問題なのは、廃棄物処理。技術的な問題はともかく、社会的な問題は答えが出ない。これが大問題。
- (原子力委員意見)
- 高レベルの廃棄物対策は、現在、地層処分に関する研究開発が進められているが、この技術が確立しないと、原子力は完成したといえない。
- 消滅処理による廃棄物の環境の負荷の低減、群分離による廃棄物の有効利用が長期的な基礎研究として重要。銅の精錬は、硫黄、砒素等が出るため、過去は問題となっていたが、今では、それを回収し有効利用している。
- 一般産業で発生するゴミは、最初から捨てていたが、だんだんと問題となって集めるようになっている。原子力は、最初のスタートから、廃棄物の処分をきちんとしないといけないとしてやってきた。
- 原子力は、凝縮されたエネルギーであるため、廃棄物はその逆に100万分の1から10万分の1になる。それを閉じこめるのは十分可能。
- □安全関係
- 高速増殖炉の中で、イギリスのPFRでは、蒸気発生器細管が瞬時に40本破断する事故が起こっているが、「もんじゅ」の安全審査では、4本の破断しか設定されていない。これについて見直す必要があると考える。諸外国の経験を学ぶ姿勢が大事。
- 放射性物質の放出を伴う安全性とそうでない安全性との区別が、原子力関係の人はできるが、一般の人にはつかない。そのため、原子力側の立場で物を言うのでは駄目であり、これまで原子力側が一般社会に近づく努力が足りないのではないかとを痛感している。
- 原子力は、「廃棄物の問題が解決されていないこと」が問題。また、事故が起これば、遺伝により放射能の影響が将来に亘り受け継がれると言った危惧もある。そうした点では、交通事故などの危険性と異なるものと認識。
- 「もんじゅ」事故について、さや管の問題であり、プルトニウムや原子炉に関わる事故でなかったという主張もあるが、そのように部分でとらえるのは疑問。神ならぬ身としての技術の限界、人間のモラルの問題などを含めたトータルな問題としてとらえていかないと、もっと問題が発生すると感じる。
- 原子力に関する安全性の議論は、20〜30年変わらず、すれ違ったまま現在に至っている。世の中の他のものと同様に、ある程度のところまで共通の理解を持ち、そこから先は、価値観により選択、議論が分かれるという方向に向かうよう努力しなければ変わっていかない。これまでのことを反省し、共通認識を作るよう歩み寄る努力が重要。
- 放射線取扱者に放射線の危険を訴えて防護に万全を期することは理解できるが、これをそのまま一般公衆に当てはめることは問題である。例えばチェルノブイリ事故でも、実際に放射能が人体に与えた影響より、放射能恐怖症の影響の方が大きいと言われている。今後、放射線生物学をもっと進め、放射能の影響に関する未知の部分を解明していくことが、人々の安心につながっていくと考える。
- 「安全」という非常に物理的な問題と、「安心」という非常に人間的な問題が絡み合っている。医療と違い、原子力のような大きな技術だと、裏にいる人間が見えないし、技術者も出ていくという経験もない。インターネットなどで情報公開するのも良いが、そこにいる人間が顕在化することが大事。
- ラ・アーグでは、7000人もの人が働いており、その家族は周辺で農業をしている。そしてその人達に1年に1回工場の見学を実施している。そういうことにより、安全性が焼き付いている。
- 安全問題の議論を日本の中での安全の議論だけでなく、アジア地域全体で猛ピッチで原子力発電所を作っており、日本としてこの地域全体の安全管理の強化も検討するべき。
- 日本の原子力の安全の議論は、民主主義社会において、どういうふうにこの巨大技術が了解され、問題点が対話の中で改善されるかという、アジアにおけるモデルケースとして考えるべき。こういう観点から、この問題は、日本一国だけの問題ではなくアジア地域全体に影響がある問題。
- 敷地の外の安全を確保することが前提という話があったが、内外を問わず全てに人間が非常に重要で、最も重視するべきなのが、そこで直接働いている人の安全。そこが100%管理されることがまず必要。
- 安全性について苦労しているのは原子力だけではなく、他の産業でも同じようなことが起きているということを認識すべき。
- 安全については、相互に理解する意志があれば、理解できると思う。
- 再処理工場の危険性が地球レベルにはならないということであるが、再処理工場は軽水炉に比較して大量の放射能を有しているし、仏における事故、英国における放射性物質の垂れ流しというのもあった。これは認識が間違っているのか。
- 原子力の安全性に関する議論では、個人の価値観の影響が大きい。その人の価値観を尊重しつつ、分かり合うという姿勢が大切。
- (モデレーター意見)
- 飛行機事故は、過去の実績から事故の客観確率というのが推定できる。事故のロスと飛行機に乗ることによるゲインを比べて、人は飛行機に乗るか乗らないか決めている。しかし、その時自分の乗っている飛行機は落ちない、確率は0と考えてしまっている。それが主観確率。そうでないと、ロスが大きすぎて飛行機には乗れない。
- 原子力発電には国内においては、事故がなく、客観確率がない。しかし、主観確率は0から有為に隔たっている。チェルノブイル、スリーマイルのようなことが日本でも起きるのではないかと思われている。事故によるロスの評価も客観的に定められない。このため、人により評価が変わってしまう。
- (原子力委員意見)
- イギリスの高速増殖炉の事故は事実。しかし、技術は日々進歩しており、動燃の技術は世界でもかなり高いものと信頼している。
- もんじゅ以降、問われている問題は、技術的安全の外側にある社会的安全、情報公開といった観点の問題である。これは、時代の変化、要請を十分認識して、原子力安全委員会が対処していくもの。
- 原子力の安全の基本的考え方は、いかに止め、冷やしていくか。これを行うことで、放射性物質の放出を防げるし、さらに、神ならぬ身という観点から、格納容器を設置し安全の厚みを増やしている。こうした全体の中で安全を考えることが重要。
- 高速増殖炉の蒸気発生器の細管破断については、動燃のスワットという実験設備で長期にわたり、実験を行ってきている。これを踏まえ、安全審査では、これをどう事故評価に持ち込むか、何本相当にすれば十分かは、そうした議論の一連の流れの中で定めている。
- 核暴走については、軽水炉は既に核暴走から遠いものであるということは実績が示しており、高速増殖炉も知見を重ねつつ、安全評価しているが、かなり遠くにあることが、わかっている。ただし、これをやさしく説明するという段階に至っていない。今後は、安全優先で、しかもわかりやすい原子炉を造っていくことも課題の一つ。
- 地域の人の安全への関心は、まず第一に「敷地の外に影響があるかないか」ということ。そのため、まず原子力の安全については、「敷地内でどんなことが起ころうと、敷地外に影響がないこと」をご理解いただくことが重要であり、今までは、必要最低条件として、敷地外に影響がないことをお知らせすればいいのではないかと思っていた。しかし、一般の方は、たとえ敷地外に影響無くても、敷地内で何が起こっているかを十分見て理解できる状況になっていなければ、不安が残るのが現実。「もんじゅ」事故ではそうした認識に欠け、十分説明できず、対応に大きな間違いがあったことは遺憾。そうしたことを反省し、今後、十分な情報公開、透明性の確保に努めていきたい。
- 将来的には、エネルギーを作り、燃料を作り、放射性物質を消滅させ、安全を確保できるという4つの目的を同時に達成できる整合性のある原子力システムを構築することが目標。科学的な可能性は証明されており、今後、技術がいかにフォローするかであるが、その研究開発過程において、高速増殖炉は不可欠。
- 細管破断の想定に関しては、例えば、日本の安全評価は、保守的に行っており、一本破断した場合を評価する場合、かなりの裕度を見て、複数破断した場合と同じレベルで評価している。また、通常の点検、検査での関連もあり、1度に40本も壊れるまで放っておくような検査の体制になっているのかという点、さらに、それが起こったときにどういう体制で対応するかといった点等も総合的に考慮している。
- 安全審査は、人間が間違うことはあり得べし、機械・装置は故障すべしといったことが大前提で始める。それでもこうした対策がなされているから安全は確保されるといった考え方で、行っている。そうしたことを、一般の人に十分説明してきたかどうかは、反省すべき点もあると思う、今後一層努力したい。
- 原子力は日本で40年、世界で50年の歴史があるが、原子力発電所の敷地の外に影響のあった例は、日本では一件もなく、海外では軍事利用を除くとスリーマイルがあったが、格納容器があったため、大きな被害を与えることがなかったという実績がある。他の人類の産業活動に比べ、高い実績があると考えている。
- 原子力に危険の可能性はあるが、自ずから上限はある。再処理施設で大事故が起こったら、北半球が壊滅するとの意見があったが、そういうことはあり得ない。そうした質の悪い情報が提供されていることは残念。情報公開は質のよい情報の提供が重要。
- ラ・アーグでは、環境モニタリングシステムが完成しており、誰でも見られるようになっている。そして過去十年間のデータでその値が減ってきているのという実績がある。
- 敷地内の従業者へ放射線の障害がないことも当然大前提。そのため、訓練
も実施しているし、システムも整えている。また、従事者20万人の1人1人について過去にどのくらい放射線を受けているかを掌握しており、また、最近その人達の疫学的な影響について調査したが、特段変化はないという結果を得ている。
- 英・仏で工場の外で放射性物質がある程度出ているのは事実であり、また、再処理工場は放射性物質を大量に有しているが、それを地球(北半球)全体にばらまく力を有していない。
- □社会と原子力
- 女性の意見は感情的と批判される傾向があるが、これまでエネルギー、原子力等を考える際に、感覚論を軽視し、女性の声をあまり聞いてこなかった事実がある。それも重要と認識されたことで、この円卓会議の場は設けられたと考えている。女性の感覚も考慮に入れていくことで、我々の感じている不信感の論点をわかっていただけるのではないかと期待している。
- 完璧な納得を追ってはいけないと思う。「絶対安全」の証明は不可能であるし、「絶対事故が起こる」の証明も不可能。それなら、確率で期待値を計算し、ある基準まで歩み寄るとするのか、それとも、国民投票でも行うのか。また、専門家は原発推進が多く、地元や一般の方は反対が多い。それは一般の知識の問題なのか、専門家の説明が悪いのか、あるいは過信しているのか。いろいろな可能性があろうが、同じ土俵で議論していかなければ、推進と反対の溝は深まるばかりと考えられる。
- □情報公開
- 現在の生活レベルを落とさず、環境を考慮しつつ、原子力を制御する技術を開発していくのが、現実的な選択。しかし、その際には、「情報公開」が課題。欧米各国が20、30年前から情報公開法が制定されているのに対し、日本は現在検討中と、非常に遅れている。いつでも、情報を公開するという姿勢と、専門用語をなるべく使わない工夫によってこそ、信頼醸成や、不安感を取り除くことができる。
- □教育・理解増進
- 専門性が高くて理解できないという話もあったが、関心のない人にどういう情報を提供するかということも重要であるが、誠実に考えている人にある程度の専門的なレベルで理解できる回答があることがもっと重要。
- 専門のレベルと一般のレベルをつなぐのはジャーナリスト。ジャーナリストがわからないなど言わないで、専門を理解して記事を書いてもらいたいし、また、求めればその水準の知識を記者が橋渡しをしてくれるという発展の仕方が重要。
- 原子力委員会、科学技術庁だけの範疇で留まらず、文部省も含めて、例えば、「エネルギーと環境」を独立した1つの科目にするなど教育上の措置が必要。
- 定常的な教育を続けていくことが必要であるし、また、先生も一年間通して教える知識がなく、教員の養成も必要。
- 科学者のモラルという問題もあり、いろいろ新しい発見がされているが、使い方によっては大変危険なことになる。例えば博士号を与えるときに、知識だけでなく、人の審査も必要ではないかと思う。科学技術の進歩とモラルはバランスをとってやって行くべき。
- 新聞よりテレビの方が影響力があるが、事故時はともかく、こういう問題はテレビではなかなか日常的には取り上げてくれないのが現状。
- 教育の話は極めて有効な話。受験科目でないから、生徒に教えないと言うのは教育の怠慢。
- この会議の議事は公開されているが、記事にならなければ会議をしていないのと同じ。モデレーターの方は、次回からは論点を絞るといっていたが、そうなれば、報道しやすい。今のように全て議論していては、記事にしにくい。
- 放射線によりガンになるかならないかは確率の問題。その場合、大きな集団の中でみてガンの発生率がどうかという議論をするべきである。また、確率というものを一般の人々に理解させていくことが安全を正しく理解させるということにつながる。
- ガン発生率や先天異常のデータなどを公表しろという意見があるが、これはプライバシーや経費その他解決すべき問題がたくさんあり、いわれるほど簡単ではなく、データそのものが殆どないのが実状である。
- これまでエネルギーに関する学科がなかったが、今年の四月から、京都大学の大学院にエネルギー科学研究科が出来た。そこでは、文系の教官・学生も混じって議論をしている。今までは、理系と文系の会話が少なかったのではないか。
- 10年くらい前にチベットに行ったが、自然エネルギーの宝庫のような所なのに、突然、「原子力発電所を作りたいので日本にもっと協力してもらいたい」と言われてびっくりした。日本の経験、ノウハウ、そして原子力への考え方なども教育ODAみたいな形で発信していくことにもっと取り組むべき。原子力こそ、ボーダレスに捉えないと意味がない。
- 教育といった時に、一般の人達へのパンフレット等を作成することだけでなく、原子力をどう考えるか判断できる人を作るための教育が重要。そのため、技術論だけでなく、科学技術の全体像、科学技術の歴史その中でのエネルギー、原子力をどうとらえていくかという言う教育が必要。
- 教育の面で重要なのは、科学技術教育というよりも、民主主義教育。つまり、民主主義社会を支える一員として責任のある判断や考える力を持つようになる、専門家である前に一人の人間としての良心が持てる、批判的な精神を持ち、建設的批判が展開出来る、といった能力を身につけさせる教育が重要である。これが20年にわたって育てられれば、原子力だけでなくいろいろな巨大技術の問題について、国民的合意は形成しやすくなる。
- (モデレータ意見)
- 教育については、原子力委員会、科学技術庁でどこまで出来るかわからないが、科技庁、原子力委員会で多少文部省に申し入れていただくというようなことをお願いしたい。
- □その他
- 今回は経済性の話はなかったが、これも経済優先で良いのかということも是非議論してもらいたい。
- 原子力については、国家が背負い込み過ぎ。民間にもっと任せて、民間が自分の責任と自分の利害においてやる方が自由に出来、ちゃんと説明もするのではないかと思う。
- 《伊原原子力委員会委員長代理閉会挨拶》
- ここまで一般的な議論をしてきたが、5回目からはテーマを絞って議論を深めていく。
- 今日の議論の成果が十分に反映されるよう約束する。
- 《モデレーター閉会挨拶》
- モデレータとしても今日あったご意見、これまであったご意見を的確に伝え、議論を発展させるよう努力する。
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