原子力政策円卓会議(第3回)議事概要
- 日 時:5月31日(金) 午後1時30分〜午後5時40分
- 場 所:京都国際会館
- 出席者:
- モデレーター
- 五代 利矢子 評論家(議事進行を担当)
- 鳥井 弘之 日本経済新聞社論説委員
- 西野 文雄 埼玉大学大学院政策科学研究科長(議事進行を担当)
- 招へい者
- 石井 澄夫 新潟産業大学講師 福島大学名誉教授
- 大島 正光 日本人間工学会名誉会長
- 尾崎 正直 科学技術ジャーナリスト
- 栗田 幸雄 福井県知事
- 小松 左京 作家
- 近藤 駿介 東京大学教授
- 佐藤 栄佐久 福島県知事
- 妹島 和世 妹島和世建設設計事務所主宰
- 伊達 宗行 大阪大学名誉教授 日本原子力研究所先端基礎研究センター長
- 楢崎 正博 関西電力株式会社取締役副社長
- 新實 美代子 「若狭の原発を案じる京都府民」世話人
- 松井 孝典 東京大学助教授
- 原子力委員
- 中川 秀直 委員長(科学技術庁長官)
- 伊原 義徳 委員長代理
- 田畑 米穂 委員
- 藤家 洋一 委員
- 依田 直 委員
- (敬称略 五十音順)
- 議事概要
注:文章整理の関係から表現が必ずしも発言通りではない場合がある。
- 参考別紙:「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」[別紙1]
- :「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」[別紙2]
- :「事務局からの配付資料」[別紙3](インターネットでの公開及び通信衛星放送のお知らせ)
《伊原原子力委員長代理挨拶》
- 円卓会議は、今後の原子力政策に関して、様々な分野の方とともに議論を深めることにより、国民的な共通認識を形成しようという場。原子力に関し、日頃の皆様の考えをお話しいただくとともに、活発かつ建設的な議論を期待。
- 過去2回の会議では、情報公開、円卓会議の進め方、政策決定への参加、透明性の確保等の意見が出された。本円卓会議は、議事を全面公開し、参加者から幅広い意見をいただいており、意見の趣旨に沿うよう努力。また、今後とも本会議を実りあるものにしていく所存。
- なお、今回の会議の模様は、通信衛星放送でも放映する。
《モデレーター冒頭挨拶》
- モデレーターは、会議の進行を円滑かつ公平に行うことが使命と認識。
- 原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的事項については、資料を配付。(参考別紙「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」参照)
- 本円卓会議では、原子力政策の観点のみならず、エネルギー確保、世界的な観点等、様々な視点から、原子力をめぐる幅広い議論が行われるよう議事運営していきたい。
- 今回を含め、当初の数回は、特定の分野にとらわれない全般的な議論を行う。各回の結果は次回以降の会議において配布し、議論の幅を広げていく予定。
モデレーターとしては、議事運営をするだけでなく、議論の流れを十分踏まえつつ、とりまとめを行っていく所存。
《招へい者の意見発表》
各招へい者は、別紙の発言要旨に基づき、順次意見表明を行ったが、その内容を項目別にまとめると以下の通り(参考別紙「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」参照)
□エネルギー関係
- 原子力政策はエネルギー総合政策の一部であり、エネルギー政策は国によって独自のものを持つべき。しかし原子力、石油ともに今や一国だけの都合だけでできるものではなくなった。
- 現在、エネルギー供給にしめる原子力の率は伸びて世界の発電電力量の17%となっているが、エネルギーの王様は石油であり、国際石油資本(メジャー)が弱くなったとはいえかなりの部分を占めている。こういった力関係において、これからのエネルギー、国際情勢の変化を見ていく必要がある。
- アジア各国に原子力発電所が集中するのは、各国の急速な経済成長を求める心と人口増により、エネルギー需要が増加しているからである。
- 英紙「エコノミスト」は巻頭論文で「アジアのエネルギーへの誘惑」と題する記事を掲載。
- 米国では1974年から新規原発の発注はない。そのかわりに、天然ガスへ移行している。
- 我が国は原子力を放棄しても自然エネルギーを使って生きていけると考えている。そのための研究開発を一層進めるべき。原子力の研究開発費に比べて、自然エネルギーの開発に対する国の研究費の割り振りが少ない。
- エネルギーについてIAEAとIEAの21世紀にかけての長期ビジョンを日本としてリードするつもりで取り組むべき。
- 経済的貧困による強い成長願望が原因で、今後、世界のエネルギー需要の増大は必至。「持続する成長」を目指す共同事業としてわが国も参加・応援すべき。
- エネルギー利用効率の高い社会システムの追求、高効率エネルギー利用技術及び非在来エネルギー技術開発を進め、「持続する成長」を目指す共同事業の一環として、これらの技術・成果を国際社会に移転するべき。
- 非在来エネルギー供給技術(太陽、地熱、原子力)の特徴を生かしつつ、開発利用を促進することによりエネルギー源のベストミックスの追求を図るべき。
- 原子力は、深層防護(厚い守り)の哲学のもとで、環境負荷が小さく、安全性に優れ、他のエネルギー源に匹敵する経済性を有するエネルギー源である。
- 原子力について考えるにあたってエネルギーの問題を切り離して考えるのは無理。
- 化石燃料は人類にとってどの程度のものかというと、暗夜におけるマッチ一本程度のものである。
- 来世紀に困難が予見される一例に、ヘリウムガスがあるが、やがて空気中のものを採取せざるを得ない状況にある。空気中のヘリウム濃度が少ないので採取コストがかさみ、ある経済学者の評価では来世紀の途中にはコストが10倍以上になる。
- 今後、年率2%で電力消費が伸びると、全国で毎年400万キロワットの新規電源が必要となる。アジアの経済成長、次の世代、地球全体のことを考えてどうしたらよいのかを真剣に考えていかなければならない。
- 地球システムの中に人間圏というものが生まれたというのが現代の特徴である。
- 地球システムの中で安定した人間圏とはどのようなものかを考える必要がある。
- 原子力は宇宙の究極のエネルギー源であり、星は核融合、惑星は核分裂である。
- 原子力は人間圏のエネルギー源であり、これを必要としている以上、原子力かその他かという選択の問題がある。その場合、資源・エネルギー問題、核廃棄物処理、巨大な技術システムをどう考えるか、が問題である。
- エネルギー問題という枠で言うと、原子力が必要なのは都市化が起こっているためであり、都市化が起こらなければ、別のいわゆるクリーンなエネルギー源を現在の社会システムの中に取り入れていくのは可能。
- 個別的な問題としては、都市がエネルギーを必要としているのに、都市以外の所にエネルギー供給源を作るのが問題である。例えば、都市の地下空間を開発して原子力発電システムを作ったらどうかという発想をしてもいいのでは。エネルギー問題を、既存の枠の中で問題を考えるのではなく、発想を変えて考える必要がある。
□原子力一般
- 技術力の集約と規模の利益に関しては、原発は135万キロワット級以上の発電所を8基ないし10基、総出力1,200万kW以上を標準として企画すべきである。今後日本の原子力発電所建設は全日本的な規模で資本力、技術力を結集して建設すべきである。
- 専門家だけ5人の原子力委員会で原子力政策の最高意志決定をするということの是非を含め、原子力政策決定のプロセスを見直す時期に来ている。
- 基礎研究で原理的な発見がされ、実用になるまでには非常に長い時間がかかるが、原子力の場合、原爆という巨大で不幸な実用でデビューした。
- 原子力の不幸は、社会的重圧により基礎研究をスキップして今日に至ったことにある。その社会的重圧とは、水爆として利用されたこと、原子炉としての早期実用化の要請によるものである。
- 現在は「間氷期」であり、この間に基礎的研究を見直すべき。2050年くらいになると、第二の社会的重圧とも言うべき化石燃料問題、地球環境問題、人口爆発問題によって非常に困難な問題に直面することが予想される。
- 原子力分野ではウラン、プルトニウムの実用化に走ったあまり、その周辺の基礎研究や放射線応用の研究も大変遅れている。
- 生体中の水を見ることができるなどの優れた性質を持つ中性子は、来世紀には現在のX線と同じくらいの実用性が出てくるだろう。
- 人工放射性物質は自然界の生態系の外にあるものであり、地球上で人類と共存できない。
□リサイクル政策関係
- もんじゅ事故からプルトニウムの研究開発を中止した方がよいとの意見もあり得るが、逆に積極的に推進すべきであると強調したい。加えて国民の健康の安全保障の確立の視点からも、研究を進めるべきとの強い要請もある。
- 3県知事提言は、核燃料リサイクルについて国民合意が不十分であるとの認識から、核燃料リサイクルを中心とする原子力政策の基本方向について国民の合意を確認してもらいたいと考え、行った。
- プルサーマルの本格実施については、国民の合意形成が未解決である現在において、検討する考えはない。
- 高速増殖炉により増殖されるプルトニウム及び冷戦終了に伴う核兵器解体により生じるプルトニウムをどうするのかは重要な問題。
- 核燃料リサイクル技術を実用化できれば、人類が長期にわたって利用できる有力なエネルギー供給源となる。
- 原子力を人類が等しく安心して使えるエネルギーに成熟させるとともに、その性能を十分発揮させることのできる核燃料リサイクル技術の開発利用を着実に進めていくべき。
- プルトニウム利用に係わる情報管理のあり方に関して、自治体と国との間に議論があると承知しているが、この問題は関係自治体の判断も十分に尊重すべき。
- 軽水炉にプルトニウム含有燃料を装荷することが決定されていると思うが、これは現状の原子力技術のレベルからは何ら飛躍したものではない。
- バックエンド、使用済燃料の問題については、国が前面に出て真剣に考えて、方向付けをはっきりさせることが必要である。
□高速増殖炉及び「もんじゅ」関係
- もんじゅの事故における「隠し」は、もんじゅだけの問題ではなく、日本の原子力全体に対する不信感を増幅した。
- もんじゅ事故への国等の対応が切迫感に欠けたのは、安全、安心に対する中央と地元住民の感覚に大きな隔たりがあることの結果である。「国家的事業の推進には国民理解が不可欠で、積極的な情報開示が重要」との認識が国や動燃に欠けていたのは遺憾である。
- 温度検出器の損傷原因の究明と再発防止策だけでは、国民、県民の理解は得られない。想定事故範囲、設計思想、安全審査方法、内容等について徹底的な再検討をし、それをふまえて、あらゆる角度から設備、システムの総点検をする必要がある。
- 原子力開発利用長期計画にある「高速増殖炉はウラン資源の利用効率を飛躍的に高めることが出来る」との視点だけでなく、いろいろな視点から国民的な議論を行うべき。
- 「もんじゅ」事故調査グループにはかつて安全審査を行った人物も加わっており、公正さに問題がある。別途公正な第三者機関を作るべき。
- 「もんじゅ」の温度計設計はなぜ「常陽」と変わったのか、また組織上チェック体制に不備がなかったのか疑問。
□バックエンド関係
- 放射性廃棄物も未利用エネルギー資源として考えることができるかもしれない。
□安全関係
- 我が国の原子力発電がこれまでに経験した事故は、何れもが40年前の技術水準で予防し得るものであり、この事故の内容から人事管理上の欠陥が指摘できる。
- 人事管理に関しては、原子力発電所の技術者が、原子力発電技術を通して人類文化に貢献するのだという誇りと使命感をもって業務を遂行でき、安全管理に徹底し得る人事管理を要望したい。
- 国際的核ハイジャックに備えて万全の対策をするために、小規模原発を各地に散在させて建設するのは、警備上不利なので、立地条件の良い所に集中立地した方が警備保安上有利である。
- 原子力発電は放射能に対しては十分な対策がされているが、人間とシステムとの関係ではその対策は十分とは言えない。
- 人間工学的事故対策として、
- Inputしやすい情報を与えること
- Outputにはfeedbackを与えて確認のサインを認めさせること
- System Matchingをはかること
- 人間に予測を与えること
- Fail safeを考えること
- Lock system(フール・プルーフ)を考えること
- 錯覚−誤りの原因をなくすこと
- 不適応状態が起こらないようにすること
- Double Systemを考えること
- 適当な警報システムを考えること
- 緊急対応システムを考えること
- チェックリストを活用すること
が重要。
- 原子力の基本は、「人は誤り、機械は故障することあるべし」の認識に立って、深層防護の確保に努めることである。
- 死者の数からすれば、社会の安全確保のためには地震や交通事故の安全対策にもっと優先的に資源を投入すべきだと考えられるが必ずしもそうはなっていない。これを心理学では、「選択的不注意(Selective inattention)という。これを訂正するのは議会であり、様々な立場、ビューポイントがここで議論されて適正な資源配分にたどり着くのが我々の社会の原理。原子力の安全問題も他の安全問題と比較しながら、同時に国会で議論することが必要。
□教育・理解増進関係
- 現在、原子力に対する魅力が薄れているため、大学ばかりでなく産業界や、研究機関の人材確保に困難を生じている。
- 円卓会議の出席について最初自分には場違いと思ったが、場違いと一人一人が思うことに問題があると考え直し、出席することとした。
- 現在はエネルギーの供給側と消費側が別れており、消費側は自分達がどれぐらいエネルギーを使っており、そのエネルギーはどこから来て、どのように捨てられているのか分からないことが不安。分かっていれば自分達の問題として認識することができる。まず消費側が自分達のエネルギー消費の状態を知ることから始めるべき。
- 我々が受けている技術の恩恵、またその技術のために背負っているリスク等を人々に伝えることが重要。
□社会と原子力
- 原子力全体に対する不信感の中で、原子力立地地域の地方自治体の役割は非常に大きく、住民との信頼関係をかろうじてつなぎ止める存在となっている。
- 福井には15基の原子炉があり、日本の原子力発電の3割を占めている。25年
余が経過し、県民の原子力問題に対する意識が変化してきており、原子力行政を巡る様々な問題が表面化してきている。
- 福島県は水力発電所に始まって電力の供給県である。電力供給地域の多くは過疎化が進んでいる。
- 原子力発電所の立地地域は所得等も増加している。20年たった今、エネルギー確保ということを考える場合、国は恒久的な地域振興策をどう考えるかを決めていかなければならない。
- 原子力発電所は巨大技術であるので、安全性は地元にとっては信用せざるを得ないものであり、その信頼関係は本当に細い糸で結ばれている。技術的な観点からの判断で住民の考えと違う世界の話になると難しいことになる。
- 使用済燃料のプールの拡張工事の際に、使用済燃料の搬出時期を国に約束してもらったが、1年もたたないうちに約束が反故になった。こういうことで国と立地地域との信頼関係が崩れるのは非常に残念である。
- 国のバックエンド対策がはっきりしない限り、これからの立地地域と国との間の信頼関係は難しくなると考える。
- 原子力発電所の見学に関しては、原子力発電所に毎年20万人が訪れており、放射線管理区域を普段着のまま見ることができるシースルー設備や美浜事故の蒸気発生器の展示、大阪南港発電所のPR館での美浜発電所疑似体験コーナーの設置など努力している。
- 発電所が動いているのは地元の協力によるもの。これに応える意味で、事業者も地域の一員として役立つ努力をしている。例えば、若狭支社では、地元の小声まで聴いて、これに対応するように努力している。このために役員を常駐させ、発電所や営業所にコミュニケーショングループを設置している。
- 現代は経済中心の社会であるが、将来は環境のことを考慮せずして人類は生き延びることはできない。
- どれくらい本当にエネルギーが必要かを考えるべき。現在は欲しいから必要ということが大前提。またエネルギー問題を考えるに当たって必要な情報はオープンに。
□立地地域と消費地関係
- 電力経済構造上の変則的属地主義に基づく相剋性や阻止的矛盾を増幅することなく、相互促進的な経済発展を形成しうる、原子力の総合政策の確立を図るべき。
- 発電に適した自然条件を有するが故に経済的に劣勢になり苦労している地域がある。例えば、新潟県、福島県が、発電所建設に協力するほど東京は豊富低廉な電力を使用できるのに対し、新潟県、福島県はより高い電気料金負担の状態が続いている。
- 新潟県、福島県の歪みの解決のためには、県内における給電一元化を行えばよい。しかし、至難なので当面の問題として、原子力発電所に付随した原子力電力コンビナート、すなわち原子力発電所近隣に工業団地を作り、非常に廉価な電力を利用できる企業誘致が必要である。これは産業空洞化防止策になろう。
- 生産地と消費地との共感については、エネルギー消費地である大都市ではエネルギー確保の重要性をともすると忘れがちである。関西の電力の46%が福井県で発電されていることを大都市の人々にわかってもらいたい。
- 新幹線、高速道路などを求める地元の声についても、消費地に伝えるようにしたい。
□円卓会議関係
- この円卓会議は、3県知事提言を真摯に受けとめ設置されたものであると認識している。
- 円卓会議を地元や反対派などの意見を聞き置く場にすることなく、円卓会議に取り上げられた意見を国の原子力政策に確実に反映し、必要があれば次の改定時期にこだわらず長期計画の見直しも行っていただきたい。
- 円卓会議等でもっと一般の、若い人達や女性の意見を聞くべき。
□情報公開関係
- 福島第二原子力発電所3号機の事故後、小さな故障についても速やかに通報しようとしている事業者の姿勢は事故・故障に対処するノウハウを得たと理解していたが、その後、他社の事故で、この姿勢が生かされなかったことは、何か体質的な欠陥があるのではないかと感じた。
- 情報公開は広報活動の原点である。不都合が起こっても正しく速やかに公開することが重要だと考えている。美浜事故の経験により、24時間体制の通報体制やプレス発表の積み重ねを行っている。
- 福井県庁には技術者集団がおり、県民への客観情報の提供ができる点は心強い。事故は事故として、社会的事件にしないようにしないといけない。
- 放射性廃棄物はどれくらいか、これからどうなるのか、事故が起こった場合どうなるのかが人々に知らされていない。
《モデレーター後半冒頭挨拶》
- 女性や若い人が少ないとの意見があったが、それについては、既に検討している。
- エネルギー利用と供給、環境問題、これに対する国、地方、企業、個人の役割といった大きなテーマを討論のテーマとして提起したい。
《自由討論》
□エネルギー関係
- 電力会社は夏のピーク時にあわせて設備を準備しているが、それが大きな問題。その解決には、需要側で供給を考える、つまり巨大集中型から太陽光などの分散型、地域型の電力供給に移行することが必要。国は、そうしたことへのインセンティブ、援助の努力をすべき。
- WHOの予測では世界の人口は、2050年には倍増するといわれており、エネルギー消費も増大が必至。この人類全体の問題の解決のために、我々は長期的になにをすべきかを考えた場合、今後、日本では、エネルギー利用の効率の向上と、非在来エネルギー、つまり自然エネルギー、原子力利用の拡大、に力を注ぎ、その成果を積極的に移転していくべきと考える。
- 関係者や専門家は原子力のメリットの説明しかしないが、万一何かあったら人類は終わりというデメリットもきちんと説明すべき。
- デメリット論は大事だが、デメリットそのものというのは、生活の上での様々な分野にあるので、我々の安全を考えるには、リスクをトータルとして議論することが必要。
- 都市で自然エネルギーを導入しようとするとコストが高くなるが、高くても導入するといった選択もありうる。そうした際には、専門家がいろいろな視点から、こうなったら、どうなるということを知らせてくれれば、非常にフランクに話すことが可能。現状は、エネルギー等について知る側も、知らせる側も努力が少ないと考える。
- 効率の良いエネルギーを目指すということはわかるが、「何が効率がよいか」や「メリット、デメリット」も複雑に変わってきている。そのため、単に「効率が良い」ということと「トータルで考えてみる」ということは、バッティングしているとも感じる。
- 様々な国際協定があること等から、原子力を特別なものとし、腫れ物に触るようにしてきたかつての時代と現在とではエネルギー政策に関する見方が変わってきていることを、政策を考える原子力委員会には、ぜひ認識していただきたい。
- 戦後50年の歴史の中で、質が良くてコストの安い電力供給に努めてきた電力会社の苦心と、需用者が享受してきたメリットの大きさも見逃すことができない。
- 最近は、アメリカ等、自然エネルギーの方向に向かっていっている国もある。そういう方向に日本も向かうことは出来ないかといった議論を望む。
- 電力会社も自然エネルギーに取り組んでいるが、商品として扱うとなると、現時点では、太陽光はエネルギー密度が希薄であること、風力は常に風が吹いているわけでないこと等でもあり、コスト的に難しい。
- 自然エネルギーは、エネルギー密度が希薄ということもあり、都市のエネルギーとして利用することは、不可能に近い。たとえば、都市と都市でないところを分けて、地域にあった発電システムを考えれば現状よりは活用できる。だが、エネルギー問題といった場合、都市のエネルギー問題に限られているのが現状で、アメリカで自然エネルギーに取り組んでいるといっても、ほとんどが天然ガス等である。将来、例えば、地球の周りに人工衛星を配置して、太陽エネルギーを使って発電するようなシステムを構築していくような場合でもない限り、都市のエネルギー源として自然エネルギーを考えるのは、絵に描いた餅のようなものと思う。
- 自然エネルギーの開発利用の努力は現在でも行われているが、電力需要を自然エネルギーのみで賄おうとした場合、その生産に見合うまで生活水準を下げることは不可能である。
- 現代の生活は、空調の利きすぎ等、無駄が多い。そうした不必要な部分を削っていくことで、生活水準を下げることなく、エネルギー需要を抑えることは可能。
- 日本では、自然エネルギーへの投資が少ないのが事実であり、今後考えてほしい。
- 環境問題に対する事実認識は、「環境問題があるからエネルギーを減らし、原子力もやめていく」、「環境問題があるから原子力発電が必要不可欠である」いうふうに二種類あると思われるが、後者の考えが重要である。
- 迫りくる環境危機の至上命令として、先進国は化石燃料を電源とすることはやめて、化石燃料の火力発電は発展途上国に譲るべきという考えもあり、そういう意味から原子力の開発は差し迫った課題と考えている。
- 原子力は、事故が起こったら人類は何もできなくなるという状況に陥る可能性もある。そのようなエネルギーを使うべきではない。
- 原子力を前提としてその政策を議論するよりも前に、何故原子力を使うことが必要なのか、本当に必要なのかを考えるべき。
- 人間圏が生まれたときからその内部システムの物質循環を駆動させるのにエネルギーを必要としており、木を燃やす、石炭を燃やすというふうに、人間圏が大きくなる度にエネルギー源を大きくしてきてた。そして、今は原子力に頼らざる得ない状況となっている。もちろん、原子力を使わないで、せいぜい地球上に1000万人規模の人口で生活をするという選択肢もあるが、大多数の人は、100億人の人がいるならその全員が豊かな生活を送れるように考えるのではないか。
- 地球システムは100億人ぐらいしか人口を維持できない。ただし、これは現状では化石燃料に大きく依存しているから、そのシステムは100年くらいしか維持できない。そのときにエネルギーをどうするかという問題がでてくる。そういう大きな枠を押さえるべき。
- 中国は、エネルギーのかなりの部分を石炭に頼っており、それが生活を悪くしている。それを変えるためには、原子力に頼らざるを得ない。
- 原子力の推進は必要だと思うが、ただし一定の条件がある。
- 議論がエネルギー源の話に限られるのでは不十分。問題は、エネルギー変換の効率であり、それが核心にあるべきで、そのことについて十分な議論が必要。
- 火については、人類はかなり使い込んでおり、モンゴルで火事が起きていても火を使うのはやめようということにはならないが、原子力はまだまだ50年の歴史しかないから、何かあるとやめようと言うことになってしまう。その辺を肝に銘じ基本的なところから行っていくべき。
- 米ソの核弾頭がすべて爆発したらどうなるかということを調べた「核の冬」という研究では、人類は放射能よりもむしろ気候変動のために滅びていく。放射能も人類に影響を与えるが、悪いのは放射能だけでない。だから、あらゆることを考えた上でトータルで判断するべきであり、個別的に判断していたら全部よくないことになってしまう。
- 地球の環境というものは、人間とは関係なしに大きく変化することもある。自然に優しくというキャッチフレーズがあるが、そういう意味で自然は必ずしも人間に優しくなく、今ある自然を私たちは利用してきたというのも確かである。そういうことも踏まえて議論する必要がある。
- 事故が起こらないように努力しており、原子力発電を行ったからといって環境放射能が何桁も増えているようなことはない。事故が起こったらどうなるかという議論は必要だが、その恐れがあるからダメだという議論をしても、建設的な議論にはならない。
- メリット、デメリットを考えるには、広い視野からトータルに考えることが必要。
- (モデレーター意見)
- エネルギー論について、いずれデータをもとに議論をしなければならない。
□原子力一般
- 原子力はメリットとデメリットがあり、今後どこまでやるかを考えていかねばならないが、30〜40年にわたり原子力の平和利用に徹してきた日本が、今後、人類が原子力をどこまでやるかについてのビジョンの形成の呼びかけを、国際的にしていくべき。
- 人工の放射能が増えてもいいし、高レベル放射性廃棄物も増えても何ともないという判断をすればいいのか。それは疑問。
- (原子力委員意見)
- 科学技術の目指す世界が、「利用から調和へ」と変わってきていることを認識すべき。原子力についても、利用に先立って、自然環境、人類社会、社会環境などと調和できるかを考えるべき。また、かつては、原子力が地方に情報を発信していたが、近年は、地方が原子力を見る時代であると考えており、今後、原子力が地域社会に適合し、調和していくためには何を考えていけばよいのか、といった視点でも議論を行いたい。
- 人工放射能と人類との共存という話があったが、放射能には人工も天然も関係なく、人体への影響も同じである。また、プルトニウムも天然の原子炉により自然界に存在していたが、半減期が短いため、今は存在していないだけ。
- 現在、医学分野では数百種類の放射性物質が利用されており、なくてはならないものになっている。原子力にはそのようなメリットもある。
□リサイクル関係
- 新型転換炉実証炉計画を長期計画策定一年後に中止し、「ふげん」の運転目的を変更したことや、「もんじゅ」の事故によりプルトニウム利用を中心とする原子力政策の進め方について国民の間に不信感がある。プルトニウム利用については、ウラン資源の有効利用という視点からだけでは国民の危惧や不安を払拭できない。国内外で幅広く議論し、プルトニウム利用計画について国民のコンセンサスを得つつ、方向づけ、その中でプルサーマル計画を位置づけるべき。
□バックエンド関係
- バックエンド対策は、四半世紀を経過しても不明確であるが、原子力エネルギーを等しく享受している国民全体、とりわけ大量消費地の問題として、考えるべきであり、国の責任における真剣な取り組みが必要。
- (原子力委員意見)
- バックエンド対策については、「この問題が解決しない限り、原子力の未来はない」と関係者一同、肝に銘じ真剣に取り組んでいる。
□安全関係
- 国民から支持される原子力行政を進め、関係者が一体となり「事故ゼロ」に近づける取り組みを強化するなどの積極的な努力が必要。
- 石油を使うと二酸化炭素が出るなどのデメリットがあるが、原発の事故に対しては、飛行機の事故と違って、我々はそれを回避する選択ができない。そういう観点でも環境問題を考えるべき。
- 原子力発電所で事故が起こった時に、どのようにしてその事故の影響を避けることができるのか。
- 原子炉の事故はヒューマンエラーが多いといわれているが、そのような事故を防ぐ方法はないのか。次世代軽水炉として、本質的に安全な軽水炉の研究開発の話もあるが、どうか。
- ヒューマンエラーは教育や訓練ではカバーできない。最先端の技術で人間をカバーするか、支援できるかという視点が重要。
- 自分たちが避けられないリスクは受け入れられないという観点は重要であるが、そういうリスクは原子力だけではなく、道を歩いて交通事故に遭う、都市に飛行機が落ちる、というようにたくさんある。それに対して、我々は保険制度や、防災制度という社会システムの整備により対応してきた。いわば社会は、そういうリスクを、そういう生活の知恵でカバーしてきたわけであり、原子力についてもそのような考え方のもとで何をどこまでなすべきかという議論をするべき。
- どのような説明を聞いていも、現実に大きな事故が起これば恐ろしいと思うし、また、事故が起こらなくても通常運転でも放射性物質を放出しておりガンになるのではないかということもある。そういう不安は拭いきれない。
□社会と原子力
- 原子力災害は、放射線の影響が五感に感じられないこと、対策に専門知識を有することなど、特殊な災害であり、一般災害とは違った対応が必要。原子力の安全、安心を考える上で防災面での配慮は重要であり、国の責任を明確化した「原子力防災特別措置法」を制定すべきである。国、電力などの積極的な取り組みを期待。
□立地地域と消費地関係
- 立地地域が、原子力を立地したため、地域のイメージを悪くし、地元が肩身の狭い思いをしている現実は遺憾。国において地元の声を吸い上げ、「安全で安心できる」県民の生活を守るよう、一層の努力を望む。
- 原発立地県として肩身が狭いという意見があったが、意外である。福井県では交付金がかなり支払われていると思うが、それが入りながら地域振興ができてないのは理解できない。
- 大都市の人が、原発の電力を消費しながら、「原発のような危険なものの立地をよく許した」とか「福井県は気の毒である」という見方をしていること自体が、我が国の原子力政策の縮図であり、それでいいのかと感じる。
- 原子力発電所がよかったという様になるには、原発のある地域に企業を誘致し、そこで人が根づき地域社会を形成していく原子力の総合政策が必要である。
□その他
- 現代は、例えば若い人や女性の声を聞くことが重要な時代。現在の国の政策は、変化しつつある時代に適合していないことが問題であり、今後変化にマッチした政策が必要。
- 若い人は、これから原子力が本当に必要かを討論したいと考えていると思う。
- トータルに考えるというのはそうだと思うが、専門家でない人がトータルに考えることは難しい、また、今までもトータルに考えてやってきているはずであると思う。ただ、そのトータルというのもいろんな視点があるはずだから、それをすべて示してもらうことが必要。
- トータルで考えるべきというのはその通りであるが、最後には選択がある。その際に、選択からもれた提案に関して、人々に理解が得られるような理由が提示されることが前提。そのため、各提案のトータル像が様々な問題意識を持っている人に伝わり、また、人々の問題意識を反映したトータルな議論ができることが重要であり、それが、今、原子力委員会に求められている。
- デメリット、メリットを含めてトータルで考えるという議論の方向性は結構であるが、専門的な人で議論するだけでなく、一般の国民の方にもわかるようにし、科学的知識を底辺からあげるべき。
- 学者の人の議論だけで決まったことは受け入れられない。もっと女性も含め普通の人の声を聞き、どうして不安かということを聞くべき。
- (モデレーター意見)
- 女性や一般の人の意見を聞くと言うことについては、努力する
《中川原子力委員会委員長来場時挨拶》
- 会議の模様については、レジメを読んだり、事務局から聞いたりして理解しており、いずれも極めて重要かつ有益な意見をいただいていると認識。
- 本円卓会議は何ら前提を置かず、この場のご意見を長期計画も含めて原子力政策に的確に、そして柔軟に反映させるという趣旨で行っており、その点について理解を得たい。
《中川原子力委員会委員長退場時挨拶》
- 地域での課題をいろいろといただいたが、いずれも重要であり真摯に受け止めていきたい。
- 地球システム、地球と人類、エネルギーと原子力、安全人間工学の視点からの議論などがあったが、いずれにせよ幅広い観点からいろいろと議論を尽くすべきである。
- エネルギーだけでなく、生活水準、安全・環境ということも含め、今のみならず未来も、また日本のみならず世界、地球全体をどう考えるかという議論をして、正しい合意を目指していかなければならない。
- プルトニウム問題について提言があった。またそれに関連して、使用済燃料、バックエンドの議論があることは理解している。他方、原子力燃料資源そのものも43年でなくなるという統計も無視できない。いずれにしても、議論を尽くし、それを適切に反映させていくということが原子力政策の正しいあり方と考えている。
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