原子力政策円卓会議(第2回)
議事録
日 時 : 1996年5月17日(金)
13:30-17:45
場 所 : 富国生命ビル28階会議室
出席者
モデレーター
- 茅 陽一 東京大学名誉教授(議事進行を担当)
- 佐和 隆光 京都大学経済研究所長
- 鳥井 弘之 日本経済新聞社論説委員
- 西野 文雄 埼玉大学大学院政策科学研究科長(議事進行を担当)
招へい者
- 芦田 甚之助 日本労働組合総連合会会長
- 今井 隆吉 杏林大学教授
- 岩崎 駿介 筑波大学助教授/市民フォーラム2001代表
- 江崎 玲於奈 筑波大学学長
- 加納 時男 東京電力常務取締役
- 河瀬 一治 全国原子力発電所所在市町村協議会会長(敦賀市長)
- 坂田 静子 脱原発北信濃ネットワーク代表
- 桜井 淳 技術評論家
- 人見 實徳 茨城県副知事
- 舛添 要一 国際政治学者
- 守友 裕一 福島大学教授
- 柳瀬 丈子 フリージャーナリスト
- 山地 憲治 東京大学教授
原子力委員会
- 中川 秀直 委員長(科学技術庁長官)
- 伊原 義徳 委員長代理
- 田畑 米穂 委員
- 藤家 洋一 委員
- 依田 直 委員
- (敬称略 五十音順)
- 【中川】 定刻を少し過ぎたかもしれませんが、ただいまから第2回の原子力政策円卓会議を始めさせていただくのでございます。
- 開会に当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。皆様方、まことにご多忙中にもかかわらず、各方面の第一線でご活躍をいただいております皆様に、本日、第2回目のこの円卓会議にご出席を得られたことに対しまして、心からまずもって感謝を申し上げます。ありがとうございました。
- この原子力政策円卓会議は、昨年12月に発生しました「もんじゅ」の事故を契機として、原子力に関する国民的な合意の形成に向けた国のより一層の努力を求める声が寄せられていることを真摯に受けとめまして、国民各界、各層の方々から原子力についての幅広いご意見を伺い、これを政策に的確に反映していくという考え方から、原子力委員会に設置したものでございます。
- 先般、4月25日に第1回目が開かれたわけでございますけれども、その節も各界の方々のご参加をいただき、この円卓会議の進め方、あるいはまた情報公開の問題、政策のあり方等々について活発な意見交換が行われました。各方面から、いろいろなご要望とともに、大きな期待が寄せられているところでございます。また、前回の会議において、若い方々や女性を含め、一般の方々のご参加も求めると、そういうご意見が出されたことにつきましては、原子力モニター制度の活用を含め、目下検討をさせていただいているところであり、また、この会議そのものの議論の模様を、テレビ等を通じて広く国民の皆様に伝えるという方策についても検討を行っているところでございます。
- 私としましては、この場での議論が、今、そして未来、そして日本のみならず世界も、安全と、環境と、エネルギーと、こういう広い様々な問題を、国民の一人一人が自らの問題として考えていただく、そういうきっかけになることを心から期待している次第でございます。
- 本日も、前回と同様に、ご列席の皆様の忌憚のないご意見を承り、活発な意見交換が行われ、実り多いものになることを心からお願い申し上げ、私のごあいさつとさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
- 【伊原】 私、委員長を補佐いたします委員長代理の伊原でございますが、私から本日のモデレーターをご紹介させていただきたいと思います。
- この円卓会議では、議論を効果的に進めるために、モデレーターの方々、非常に客観的なお立場でご判断いただける方々6名に、議事の進行、とりまとめということをお願いいたしております。本日は、その6名のうち4名の方にお見えいただいております。この4名の方々でご相談いただきました結果、本日は、東京大学名誉教授の茅さん、それから埼玉大学大学院政策科学研究科長の西野さんのお二人に中心になって議事を進めていただくと、こういうことにいたしております。なお、京都大学経済研究所の佐和さん、それから、日本経済新聞論説委員の鳥井さん、このお二方には、茅さん、西野さんのご支援をお願いすると、こういうことにさせていただきたいと思います。
- それでは、茅さん、西野さん、どうぞよろしくお願いいたします。
- 【西野】 それでは、モデレーターの最初の部分を、私、西野が進行のお手伝いをさせていただくことにいたします。
- 始めに当たりまして、少しごあいさつとご説明をさせていただきたいと思います。
- 原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的事項につきましては、お手元にお配りしてございます「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本事項」と題します資料を配布してございます。ご一読をいただき、会議の円滑な進行にご協力をいただきたいと思います。
- 全部読むということを省略させていただきまして、ポイントを少し申し上げますと、まず、会議は、原子力に関する国民各界、各層の様々な意見を原子力政策に反映することを目的としております。
- 招へい者の選考は、国民各界の幅広い意見が反映できるように、性別を問わず、幅広い年齢層にわたる様々な分野の方をお招きするつもりでございます。
- 私どもモデレーターは、参加者の意見を公平に取り上げ、円滑な議事の進行に努めるという役割をするつもりでございます。なお、そうは言いましても、モデレーターは会議におきまして必要と感じたときには個人的な意見を述べることもあるかと存じます。
- それから、毎回、発言者を明記いたしまして、会議を忠実に記録した議事録を作成し、公表いたします。また、その議事を簡単にまとめたもの、議事概要と呼んでおりますが、これも参加者の確認を得つつ作成、公表するほかに、次回の円卓会議の参考とさせていただきます。議事の模様はビデオテープに記録をしておりまして、これも公開いたします。
- 会議の中で、今後の原子力政策に反映すべき事項、あるいは検討すべき事項が明らかになった場合には、関係省庁等で具体的に検討していただきます。その検討結果については、理由とともに、後の円卓会議にフィードバックをするというように扱わせていただきたいと思います。
- この円卓会議は、単に原子力政策についてご意見をお伺いするということではありませんで、エネルギー確保の観点のみならず、世界的な視点、歴史的な視点を踏まえました様々な観点から、原子力をめぐる幅広い議論が行われるように運営していきたいと思っております。今回を含め、当初の数回は、特定の分野にとらわれない全般的な議論を行いたいと考えております。各界の議論の結果は、取りまとめて次回以降の会議において配付をし、議論を広げていきたいと思っております。回を重ねました後の進め方については、議論の進捗状況を見極めつつ、焦点を絞って議論を深めるということも検討したいと考えております。
- 本日は、2回目でございますが、できるだけ多くの分野の方々から意見を聞くということと、出席者の発言、対話の時間を十分に確保することという二つの要請を考慮いたしまして、13名の方のご出席をお願いしております。今後、論点の絞り込みを行う場合には、テーマに応じ、再度今日ご出席の方にご出席をお願いすることもあるかと存じます。その節はよろしくお願いしたいと思います。
- 私どもモデレーターとしましては、会議の議事運営を務めるだけではなく、論議の流れを十分踏まえて取りまとめていくつもりでございます。
- それでは、出席者の方々には、日ごろお考えになっている忌憚のない建設的な意見を戦わせていただくようにお願いしたいと思います。
- ご意見をいただく前に、本日おいでの方々をご紹介したいと思います。国民各界、各層の方々にご参加いただくという円卓会議の性格ということもございまして、敬称はすべてさんづけでお呼びさせていただきたいと思います。ご了解いただければ幸いでございます。
- 本日、これから議事に入るわけでございますけれども、まず前半は、皆さんより意見をお伺いした上で、後半では、皆さんの意見に対する原子力委員の総括的な見解を伺った上で、自由な交換をしたいと考えております。
- 【西野】 それでは早速でございますが、ご紹介させていただきたいと思います。あいうえお順でございますが、まず最初に、日本労働組合総連合会会長の芦田甚之助さん。
- 杏林大学教授の今井隆吉さん。
- 筑波大学助教授で、市民フォーラム2001の代表をされておられます岩崎駿介さん。
- 筑波大学学長の江崎玲於奈さん。
- 東京電力常務取締役の加納時男さん。
- 敦賀の市長さんでございまして、全国原子力発電所所在市町村協議会の会長をされておられます河瀬一治さん。
- 脱原発北信濃ネットワーク代表の坂田静子さん。
- 技術評論家の桜井淳さん。
- 茨城県副知事の人見實徳さん。
- 国際政治学者でおられます舛添要一さん。
- 福島大学教授の守友裕一さん。
- フリージャーナリストでおられます柳瀬丈子さん。
- 東京大学教授の山地憲治さん。
- どうもありがとうございました。
- それでは、芦田さんより順にご意見をまずいただきたいと思いますが、後の自由討議の時間をできるだけ多くとりたいということで、大変恐縮でございますが、6~7分をめどに、7分以内でお願いしたいと存じます。よろしくお願いいたします。
- 【芦田】 芦田です。初めにお断りしておきますが、もう一つ会議が重なっておりますので、その会議の方にも出席をしなければなりませんので、第1部のみ出席をさせていただきまして、休憩後の原子力委員の方々の総括意見の発表並びに自由討議のほうは参加できませんので、ご了承いただきたいと思います。できる限り7分以内におさめたいと思いますが、そういうこともありますので、若干延びるかもわかりませんが、お許しをいただきたいと思います。
- 連合といたしまして、原子力問題、また原子力発電問題について、どのように議論を今日まで進め、そしてまた合意形成に努めてきたか。そして、その合意できたものはどういうものなのか。まだまだラフなもので、不十分でありますが、そういうものにつきまして申し上げたいと思います。
- まず、連合は労働組合員800万名を擁する組織ですが、その中には、原子力発電の現場、研究開発や関連機器の製造に携わっている人達もおりますし、一方また、原子力発電には反対ないし懸念を持っている人達もいます。また、無関心な人などもいるわけでありますから、多様な組合員がいるわけです。また、47都道府県には地方連合会がありまして、原子力発電所の立地県にも多くの組合員がいるわけです。その中で、反対運動を行っている人達もおります。連合の中には、原子力発電に対する賛否様々な意見がありまして、いわば原子力発電をめぐる論議という点では、日本全体の縮図であると言ってもいいのではないかと思っているわけです。
- 労働界には、これまで原子力発電をめぐりまして、推進と反対の二つの潮流があったわけです。89年の連合の結成以来、いろいろな角度から論議や現地視察を重ねてまいりまして、今日、大方の合意を形成するところまで来ているわけです。
- それを一言で言えば、「何よりも日本の現実に立って、原子力発電を重要なエネルギー源として位置付ける。しかし、一層の安全性の確保がその前提である」ということです。これまで反対してきた組合でも、エネルギーの現実を直視するようになっておりますし、また推進する組合も、原子力発電に対する根強い危惧があることを正しく認識することで、双方共通の基盤に立った議論ができるようになりまして、合意形成が可能となったわけです。もちろん、個々にはまだ多様な意見がありまして、問題を残しているということは当然のことです。
- その一例としては、エネルギー政策で大方の合意があったといたしましても、原子力発電所を抱える地元には、また別の思いがあるわけです。第1回目の円卓会議で新潟県知事のご発言にもありましたように、「国の政策としては理解できても、では、なぜこの地域に原子力発電をつくるのか」という問題が残るわけです。これまでの電源三法交付金制度による地域振興策だけでよいのかという問題をはじめ、安全性の問題、自然環境、地域社会との調和という面を含めまして、いかに地域の理解と合意形成が得られるかということが、これから最も重要な課題だろうと思うわけです。
- とはいえ、これまで労働界は推進グループだけの議論、反対グループだけの議論になっていたわけでありますが、連合の結成によりまして、それぞれ入りまじって、共通の基盤に立って、真摯にできるようになってきたことが大きな労働界における変化だろうと思うわけです。
- このような論議を積み重ねまして、原子力発電についての一定の考え方といいますか、あるいは政策といいますか、それらを取りまとめることができたわけです。
- その基本は、原子力発電について、総合的エネルギー・ベストミックスの一環として位置付け、安全性の確保を第一義に国民や地元住民の理解を得つつ利用していく、ということです。なお、技術に「絶対安全」ということはあり得ないわけでありますから、原子力利用は、危険なものを扱っているということを大前提に、一層の安全性の確立を図ることが必要であるということは言うまでもないことです。
- 当然、原子力の平和利用の理念の堅持と国内外へのアピール、国際的な安全体制の強化に努める。さらに、省資源・省エネルギーの積極的な取り組み、太陽光等の新エネルギー開発の積極推進を同時に行うことが重要であるということは、言うを待たないところです。
- そういう基本的な立場に立ちまして、電力の安全・安定供給と原子力発電の安全性確保についての考え方でありますが、まず第一に、火力、水力、原子力、新エネルギー等、各電源の持つ環境特性や経済性、立地バランス等を考慮して、分散型電源の活用促進等の具体的な施策を行いつつ、最適かつ柔軟な電源構成(ベストミックス)の確立を目指すということであります。
- また、原子力発電については、電力の安定供給を確保する上で重要なエネルギー源として位置付ける。原子力利用に当たっては、より一層の安全性の向上を追求する。
- さらに、今度とも確実に増加していく放射性廃棄物の処理体制の確立を図る。
- そのため徹底した情報公開と地元住民の合意形成を図るというものです。
- 次に、核燃料サイクルと「もんじゅ」事故への対応の問題です。
- プルトニウム利用等の核燃料サイクル計画については、昨年、「安全性の確保を最優先に、先を急がす研究開発を進める」という内容で取りまとめました。しかし、その論議の過程で、様々な賛否両論の意見がありましたために、現在、連合の政策担当者レベルで、プルトニウム利用をはじめ、資源エネルギー・環境問題を含め幅広い観点から論議を深める研究会を持っているところです。
- その一環として、昨年12月に「もんじゅ」の視察を行ってまいりました。その際には、動燃事業団から「ナトリウム操作を含め技術面はクリアしている。今後はコスト面の問題である」という説明があったわけですが、その3日後にナトリウム漏洩事故が起こっているわけです。
- ここには、技術に対する過信があったと言わざるを得ません。また、事故への対応や「情報隠し」等、重大な過誤がありました。これまでの原子力行政の問題点、体質が健在化したと言えると思うわけです。これらが、より原子力政策・行政に対する不信感を増大させておりまして、一度失った信頼を回復するためには、これまで以上の努力が必要であると思います。そのため、連合は今回の「もんじゅ」事故を踏まえ、この問題について、以下のような内容で考え方の取りまとめを行っております。
- 核燃料サイクルの研究開発については、「もんじゅ」事故を厳しく受けとめ、先を急ぐことなく以下の具体的施策を実施し、国民合意のもとに、慎重に進めるべきであるということで、まず第一に、「もんじゅ」事故の徹底解明と万全な対策の実施、そして地元住民の合意形成を図ることが重要であるということであります。
- 次に、徹底した情報公開と国民の意見反映が可能なシステムを構築する必要があります。
- さらに、科学技術庁や動燃事業団の体質改善、原子力委員会のあり方等、国民に開かれた原子力行政への抜本的な見直しを進めることが必要であるということです。
- 最後になりますが、円卓会議のあり方について申し上げたいと思います。
- 今回の円卓会議の設置については、原子力政策に対する国民の意見反映ないし、開かれた原子力行政に向けた第一歩として評価をいたしております。
- しかし、「円卓会議」は、「もんじゅ」事故を契機に、国民や地元住民から原子力利用全般に対する強い不安感・不信感が生じ、大きな社会問題となっているため、その対応策として持たれたものであります。本来であれば、このような事故にかかわらず、以前より広く国民の声を反映させるシステムを作っておくべきではなかったかと思います。
- 今回の円卓会議は、「単に意見を聴取しただけ」に終わらせるものであってはならないと思います。これから具体的にどのような形で原子力政策に国民の意見が反映され、国民に開かれた原子力行政に脱皮できるかが問われていると思います。「円卓会議」が、真の意味で、国民の意見が反映できる場になることを望んでおきたいと思います。
- なお、原子力委員会、原子力安全委員会は、国民からは科学技術庁等の行政と一体のものとして受け取られておりますが、それらの役割や位置付けを明確にして、特に原子力安全委員会の独立性を一層はっきりさせるべきであると思います。
- 以上で私の意見開陳を終わります。ありがとうございました。
- 【西野】 どうもありがとうございました。
- 先ほどもちょっと申し上げましたが、実は、もうお一方、前半しか出られないという方がおられまして、議事の進行上、最初にご意見を述べていただきまして、ちょっとブレークをとって自由な討議をしたいと思っています。できるだけその時間を広くとりたいと考えております。芦田さんには、退席される前に、できれば発言のチャンスをつくりたいと思っておりますが、時間の関係で、どうなるか、ちょっとよくわかりません。一つ、そういうことでございますので、最初のご発言のときにお願いいたしました、6分ぐらいを目処にお考えいただいて、7分を超えないというところで、一つご協力をお願いしたいと思います。
- それでは、引き続きまして、今井さん、お願いいたします。
- 【今井】 ご紹介はいただいたんですけれども、少し自己紹介をつけ加えないと、私はいろいろなことを言うものですから、わからなくなるかもしれません。
- 昔、東海村で原研の実験炉の第1号のJRR-1と言った、もうなくなっちゃったんですけれども、あれを建設していたころ、私は朝日新聞の記者で、水戸支局から原研を取材しておりました。その後、何でだかよくわからないんですけど、原子力発電という会社へ入りまして、やめたときは技術部長です。ですから、私の学位は原子力工学でございます。やめましてから、これも理由はいろいろありますが、外務省に入って、クウェートとメキシコという産油国の大使をしておりました。その間に、ジュネーブの軍縮代表部の大使をしておりました。いろいろなことをやっていたということであります。それを前提にしまして、簡単に申し上げます。
- 私は原子力とのつき合いは非常に長くて、1954年だったと思いますけれども、第1回の調査団というので、日本から藤岡先生やなんかがMITへお見えになったころ、私はちょうどそのころハーバードにいましたものですから、その頃からのおつき合いであります。それからあと、いろいろなことに関与していたというのは、例えば動燃をつくるときに、大会議というのがありまして、高速増殖炉をどうしたらいいかというのを、みんなでああでもない、そうでもないという議論をしたときがあります。そのときに、私ども若い者は後ろに座っていて、ああでもない、そうでもないというメモを作って偉い人に回すというようなことをやっていたというようなことがあるので、動燃を作って高速増殖炉をやるに至ったいきさつというのは、くだらないことを含めて、かなり細かいことを知っております。そんな話でございます。
- ただし、ちょっと紙にも書きましたけれども、原子力平和利用というのが最初に鳴り物入りで出まして、これはよく言うんですけど、水戸に原子力ようかんという売り出しがあってと言うと、みんな笑うんだけど、本当にあったのです。そのくらい原子力というのは大変良いものだったということだったんですけれども、実際に原子力が使われたのは、70年代以降、オイルショック以後でありまして、ご存じのように、実際の戦後の復興開発は中東の石油がやったんだということであります。
- 昨年から、半年以上かかったんですけれども、日米欧の三極委員会(Trilateral Commission )というものがあって、これは日本は宮沢さんだそうで、アメリカがポール・フォーカーで、ヨーロッパがオットー・ラムスドルフという人なんですけれども、それがエネルギーに関する検討をやりたい。これは79年にやっただけで、以後やっていないからというので、始めて、半年かかって、この間バンクーバーで報告書を一応つくりました。これはドイツから、元のIEA(国際エネルギー機構)の事務局長をしていたヘルガ・シュティーグという、おばさんと言っては悪いんですけれども、女性、それから、もとのエネルギー庁の副長官をしていたウイリアム・マーチンというのと、私と、3人でいろいろな議論をいたしまして、簡単に申し上げますと、先進国に関する限りは、2010年まで石油とガスと足りるだろう。ただし、中東に大異変が起きない、政治的な安定が確保できるということが前提であります。
- それから、それだけでは足りないので、主として中央アジアのカスピ海の付近にある石油とガスというものに対する投資が行われて、次の世代の燃料資源に対する安心感ができるということが第2の条件であります。
- それから先になるとわからないのであって、特に炭酸ガスの温室効果の議論というのがどこへ落ちつくかわからないので、資源の問題よりも環境の問題のほうが優先するかもしれない。
- したがって、今の時点で言うと、西ヨーロッパは原子力発電をあまり必要としない。フランスがあれだけつくっちゃったので、もう当座要らないだろう。ロシアと東欧は、怖いからよくわからないということになっています。アメリカは、資源がたくさんあるので、今さら規制緩和のこのうるさいときに原子力をやるやつはいないだろう。問題はやはり中国である。東アジアのエネルギーの需要が、今後、中国の経済が本当にあの勢いで伸びたときに、中国は褐炭を一生懸命たいて日本に酸性雨を降らせるのか。あるいは、彼らの言うように、原子力発電を大いにやって、またチェルノブイルみたいなことをやるのか。どっちにするんだ。それは、トライラテラルの場で言いますと、日本が心配することであって、日本がよく考えなさいと。お金を出したり、燃料サイクルをいろいろしたりそういうことは、あの辺は日本が心配する責任範囲だという意見でございました。ですから、いい悪いの話ではなくて、そういう感じだったということでございます。
- もう一つ申し上げますと、旧ソ連というのは、ソ連が崩壊したときに核弾頭をほぼ3万発持っていました。そのうち1万5,000ぐらいが長距離の核弾頭で、1万数千が核地雷とか、大砲とか、小さいと言っても広島の30倍ぐらいの爆弾です。アメリカも同じぐらい持っておりまして、これを2003年までに3,000ないし3,500発まで減らすということがSTRT-Ⅱという条約であります。この条約はまだ批准されておりません。したがって、どのくらい本当に減らしているのかわかりません。
- 最近判ってきていることは、旧ソ連というか、特にロシアの核兵器の管理というのは非常にずさんであって、一番わかっている数字というのは、大体4%誤差があるそうであります。3万発の弾で4%誤差があると、これは1,200発ですから、ちょっとやそっとの数ではないので、旧ソ連の核兵器の後始末をどうするかというのは天下の一大事である。特に旧ソ連、核兵器を解体しますと、ソ連で150トン、アメリカので120トンぐらいだと思いますけれども、これは239の割合が93%ぐらいの立派の爆弾用のプルトニウムが出てきて、これをどう処理するかというのがわかっておりません。
- 昨年、一昨年とアメリカで、科学アカデミーというのと原子力学会と、両方がそのプルトニウムの処理に関する研究会をやって、シーボルトさんというプルトニウムを発見してノーベル賞をもらった先生が親方でやったんですけれども、結局、何とかして燃やしてしまうよりしょうがない。捨てちゃうという話があったんですけど、どこへ捨てたらいいかわからない。太陽へ向かって撃つというのがあったんですけど、これも、太陽までちゃんと行ってくれればいいけど、帰ってくると大変だという話になって、結局、燃料として燃やすよりしょうがないだろう。だから、それがいいことか悪いことかという議論にはなりませんで、ほかにしょうがないじゃないかという話がございました。
- これについては、6月の初めにヘルシンキでハーバードと、それからフィンランド政府と、スウェーデン政府と、私どもと四者共催で、ソ連のプルトニウムの後始末をどうするかというセミナーをして、セミナーをしたら解決があるとも思っていないんですけれども、とにかく、もっと原子力あるいはプルトニウムの問題を、普通に言われているだけではなくて、違う視野からも広く理解をしていただくことをしたほうがいいだろうということを言っております。
- 以上でございます。
- 【西野】 どうもありがとうございます。
- それでは、引き続きまして、岩崎さん、お願いいたします。
- 【岩崎】 私、配られておりますものを読み上げるのが短い時間の中で最も効果的に私の意をお伝えできるのではないかと思って……。ですから、ここにお座りの方はメモを持っていられると思うので、ご参照いただければと思います。
- 今、今井さんのお話も非常に楽しく聞いたんですけれども、結局、国家間の抗争が原子力を生むといいますか、そういうお話でもあろうかと思います。要するに、国家間のそういう障害をどうやって乗り越えるか、これが焦点だと私は考えております。私自身、市民フォーラム2001代表、及び学校の教師ということでここに出席させていただきましたが、市民フォーラム2001といいますのは、地球サミットで、世界NGOが参加したグローバルフォーラムに日本の環境問題に腐心する地域で活動する数多くの方が参加したわけですけれども、その連絡事務を担当したということと、それ以後、そういう地域と国際協力をしながら考えるNGOが今から3年前に、連絡会といいますか、市民フォーラム2001というNGOをつくりまして、その立場で今日は発言させていただければと考えています。
- 私の話は3点ありまして、円卓会議のあり方、情報公開、及び今後の原子力政策そのものです。端的な提言といたしましては、原子力委員会は、経済成長神話に基づく枠組み限定的な提言を行うのではなく、「持続可能性」と「総合性」を基礎する政策提言を行うべきである。そのため、原子力委員会は政府、企業、そして市民の三者の同数代表による委員会に改組するとともに、原子力発電所を抱える各自治体ごとに「原子力政策・地域円卓会議」を設置して自治体と地域住民の参加を促進すべきである。
- 1.円卓会議。これは4回開かれるそうですけれども、今後を含めまして、以下のように考えます。
- 地球サミットにおいて合意された「持続可能な開発」を実現するには、国家的利益の拡大よりも地球的利益の擁護、あるいは日本人として生きるよりも「地球人として生きる」ことが求められている。このような状況下にあっては、以下の3つの理由において、その政策決定に「市民参加」を実現すべきである。
- 第1に、地球的利益は「地球人として生きようとする市民」によって代弁できるが、国家利益擁護を主要な目的とする政府代表と経済利益を主要な目的とする企業代表によっては、これを十分に代弁できない。
- 第2に、かつて国家と企業の国際的拡張によって利益を享受してきた市民は、今や国家と企業に決定権を預けても、これ以上の利益拡大あるいは地球環境保全を期待できないので、よくも悪くも自分自身で納得した行動、つまり情報公開をもとにした自分の判断による行動を必要としている。したがって、他人の決定に従った盲目的な行動にはおのずと限界が生まれ、市民参加を踏まえない原子力政策には一般市民の協力を期待できない。
- 第3に、国家利益の拡張の時代にあっては、国家利益を拡大するという目的に沿って分業化された決定権限と実施、つまりこの場合、経済成長という国家的な目標を達成するためのエネルギー政策立案と、その一部を技術的に保証する原子力政策立案との縦割り的な機能分離が可能であったが、国家利益の拡張よりも世界的平等と地球環境保全が求められている今日にあっては、それぞれの部署における内容的「総合性」が求められており、その「総合性」を具体的な政策決定過程で体現できるのは、その機能を担当する省庁職員でもなければ企業代表でもなく、「市民」である。
- 以上の理由において、原子力委員会の民主化と地域円卓会議の開催は必要であり、そのための準備過程として政府、企業、そして市民の代表からなる真の円卓会議(ラウンド・テーブル)の開催とその継続性が求められる。
- 2.情報公開。
- 情報公開が必要なのは、一般的な民主化のプロセスとしてではなく、上記1でその必要性を強調した「市民参加」を具体化し、市民の建設的な提言と節度ある行動を確立するためである。情報は力である。しかし、現実においては国家的機密という名において原子力に関わる多くの情報が隠され、隠されることによって市民に多くの不信と怠惰を呼び起こす。情報を隠すことは、基本的には「人を信用しない」という国家の市民に対する侮蔑的な行為である。
- プルトニウムをはじめとする核物質輸送の隠ぺい、原子力による発電費用の算出根拠を隠ぺいすることによって実現できない建設的な経済競争、人体に対する放射能汚染を含めた安全性に対する諸事実が隠されること等、多くの事実が未だ公開されていない。
- 3.原子力政策。
- 原子力の商業利用は、その危険性に対する可能性と独占的性格によって、最終的には廃止されなければならないと考える。これを廃止するには、二つの段階の考察と実行が必要である。第一は、現在の枠組みにおいてもこの利用をいかに抑制していくかであり、その第二は、私たちの価値観、ライフスタイル、そして社会経済システムの変革を前提としてこれをいかに廃止していくかである。
- まず第一の段階、つまり未だ「日本国家の安定」を確保するには「安定した経済成長」が必要であり、その成長を支えるためには原子力の商業利用を含む「エネルギーの安定供給」が不可欠であると考えている現状にあっては、いわゆるDemand Side Managementを中心とした利用効率の促進、土地利用等々を含めて、多角的省エネ計画の実施、自然エネルギーの利用促進、それから電力料金体系の改善を含めた経済透明性の確保、機能独占と地域独占の現行供給体制をできるだけ分節した分散型エネルギーの導入等によってこれを実現したい。
- 第二の段階は、原子力の平和利用ないしは商業利用の完全廃止である。ここが私が最も主張したい点でもあるわけですけれども、人間にとっての「開発」、すなわち「経済成長」はいかなる時代でも必要であり、したがって増大するエネルギー需要にこたえるために原子力商業利用は不可欠と考えるか、あるいは地球環境保全のために人々の意識が変わり、「消費削減」は具体的政策として可能であり、したがってエネルギー需要の大幅削減と原子力商業利用の完全廃止は可能であると考えるかは、未だ決着していない。
- しかし、現在の時点ではっきりしているのは、国家間の過当な競争とそれに伴う国家の自己保身政策が、諸般の政策断面に一種の強攻策を生み出し、その結果、例えば多くの不確定要素にもかかわらず原子力の商業利用を進めるという、人々の理解と実態、あるいは心と体を切り離す諸政策が進行して、結果的に多くの社会病理(子供の自殺、オウム真理教、HIV訴訟、住専問題、肥満と糖尿病等)を生み出しているという事実である。
この意味で、おそらく原子力発電はその技術的不備によって限界に達するのではなく、原子力管理者の原子力発電そのものに対する「意味」の不確信、つまり国家からの要請としては理解できるが、市民支持を十分に得られないという状況の中で、その管理意欲を失い、結果的に事故につながる可能性が大きい。
- したがって、今必要なのは、第一に分離した我々の心と体、精神と物質のバランスを回復するため、自分の身体的条件である物質循環をもっと手前に引き寄せること。言いかえれば知覚をマヒさせる原子力発電のようなエネルギーの一元的供給システムではなく、人々の理解を促進し得る分散型供給システムの確立が必要である。そして第二に、国家の不必要な防衛策を除去するための、南北問題解決等を含めた国際協力を推進すること。
- 4.モラトリアム。
- 以上の状況を考えれば、新たな原子力発電所の建設やプルトニウム政策をひとまず休止して、自らの身体検査をすることは、将来の健康維持のために損をしない行為であるにとどまらず、さもなくばさらに病を深くすると理解して、これを早急に実施すべきである。
- 以上。ありがとうございました。
- 【西野】 どうもありがとうございました。私、あるいは私以外が間違った発言をしたのかなという心配をしております。4回ぐらいの円卓会議で問題を取り上げ、その後、個々の問題について、さらに円卓会議を進め、少なくとも10回ぐらいは開こうとモデレーターは考えております。大変ありがとうございました。
- それでは、50音順にお願いしておりますが、江崎さんは、後ほどの会議に出られないということで、ご自身の意見を述べられることと、全体に対する意見のコメントがあれば、それもつけ加えたいと言われておられますので、飛ばさせていただきまして、加納さんにお願いしたいと思います。
- 【加納】 それでは、7分間で3点申し上げたいと思います。加納でございます。
- 一つは、科学技術の光と陰をパッケージでとらえたいということでございます。
- 私どもは、これまでに多くの夢を見、それを次々と実現してきたわけでありますが、その夢を実現してきたものは、科学技術でありました。その科学技術には、実は光と陰がございます。そこで、その光だけを見て、陰を無視したり、あるいは陰だけにとらわれて、その科学技術の光を一切拒否していくという、この両極端はいかがなものかと思います。
- 科学技術の陰を技術システム、社会システムでコントロールしながら、その光を享受してきたのが私ども人類の知恵であったのではないかと思います。原子力も同様だと思います。原子力に光だけとは私は申しません。陰があります。潜在的危険性として、事故の可能性、廃棄物最終処分の不確実性、あるいは、先ほど来お話のありました核兵器拡散の危険性、いずれも潜在的な危険性でありますが、これを正面から見据え、この潜在的な危険性が顕在化しないように、技術的、社会的、国際的にコントロールしていきたいというのが基本であるかと思います。そのように陰を制御しながら、原子力の光の面もしっかりと見たいと思います。
- 現在、原子力発電は、石油に換算しますと世界で1日に1,000万バーレルを超えるエネルギーを発電しております。1日当たり1,000万バーレルというのは、世界最大の産油国、輸出国であるサウジアラビアをはるかに上回るものであります。したがって、原子力があったればこそ石油需給は安定し、湾岸戦争のときにも第3の石油危機を回避することができたわけであります。
- また、私は地球環境問題に深くインボルブしておりますけれども、実際に地球温暖化を防ぐ一つのものとして、CO2 の削減が大きなテーマになっております。来年のCopⅢを控えまして、現在、CO2 の削減についての政策及び措置について様々なワークショップが開かれており、私も先般、国連のワークショップに参加してまいりましたが、そこではっきり申し上げましたことの一つに、エネルギーの一つである電力の場合、CO2 をどのくらいカットしてきたのか。具体的に数字で申し上げますと、これまでにCO2を約54%カットしたわけでありますが、そのうち実際に一番貢献したのは何かといいますと、実は原子力であります。原子力、好き嫌いは別としまして、環境問題を考える場合に、CO2 をカットした、そのカットの70%が原子力であったということは、リアリティーとして見逃してはいけないかと思います。言いかえると、原子力あってCO2 の削減は現実化するわけでありまして、原子力を除いて環境問題を議論するというのは非常に不十分ではないかというのが第一であります。
- 第二は、その原子力をどう使うか。二つの選択があります。一つは燃料を使い捨てにする。もう一つはリサイクルするということであります。今、確かにウラン需給は安定しております。先ほど今井先生からもお話がございましたが、使い捨てでいっても当面は安心であり、それから、一部の国では原子力を一生懸命やっているけれども、他の国でやらなくてもとりあえずは大丈夫かもしれません。しかし、長期的にはアジア・太平洋を中心とする発展途上国における人口の激増、エネルギー需要の増大、生活水準の向上等から、エネルギーを賄うために原子力が選好されつつあります。最近も中国で、そしてASEANで、あるいは韓国で、様々な計画が発表されておりますけれども、これから非常にたくさんのウラン需要が出てくるということも確実視されております。
- その場合に、この原子燃料をリサイクルしていくことは長期的・世界的に見て不可欠な選択であると思います。なぜなら、エンジニアリング技術というのは、待っていては進歩しない。継続・積み重ねが必要であります。よくリサイクルは経済性がないんじゃないかという意見もあります。確かに短期的に見ると経済性ではまだ発展段階にあるところもございますけれども、リサイクルの経済性を実現するためにも、この継続・積み重ねの技術の開発が不可欠であるということを強調したいと思っております。
- このリサイクル技術の開発は、技術先進国としての日本の責務だと思います。18世紀から19世紀にかけてイギリスが、19から20世紀にかけてアメリカが果たしてきた世界に対する貢献を、今こそ21世紀にかけて日本がお手伝いするときではないだろうかと思います。こういった技術開発に関するコストは、リスクヘッジなりセキュリティーコストと考えることもできると思っております。
- また、使い捨て路線をとった場合には、問題は、まだ使える貴重なプルトニウム、ウランといった資源も廃棄物にしてしまうということであります。まだ使える資源を回収し、そしてお邪魔虫の高レベル廃棄物をコンパクト化して処理をしやすくするということが大事であります。
- このようなことから、使用済燃料の再処理、つまりリサイクル、そしてFBRの長期的な研究開発、そして当面のMOX燃料の軽水炉利用、これらによりまして長期リサイクル路線を推進すべきであると考えます。
- これに関連し、「もんじゅ」につき一言申し上げたいと思います。
- 「もんじゅ」の事故は、技術的にまことに遺憾な事故であったと思います。そして、設計・運営面での反省するところは非常に大きいと思います。原因分析と再発防止対策がこれから講じられるということで、専門家の方々が研究しておられますが、これは非常に重要な問題だと認識をしております。
- しかしながら、第二に、この事故は原子炉の、つまり高速増殖炉の本質的な安全性にかかわる事故であったのかというと、必ずしもそうではないということもまた同時に言わなければならないと思います。まして放射能事故でもございません。プルトニウムの利用、MOX燃料の安全性にかかわる事故ではなかったということであります。こう申しますと、いろいろ反論があるかもしれません。しかし、私ははっきりと、技術的に致命的な、あるいは路線を変えるような大事故ではないということだけは確信しているところでございます。これは原型炉で起こったトラブルであります。原型炉だからいいとは申しません。原型炉という二つ目のステップのトラブルは、次の第3番目の実証炉での設計・運転・保守に生かされますし、何よりもその前に、原型炉の運転再開に当たりまして、このトラブルが徹底的に教訓として生かされなければならないと思っております。
- 第3に、最大の問題は広報の不適切さだと思います。同じエネルギー産業に携わる、あるいは原子力に携わる人間として、まことにこれはつらい話でございますが、厳しく反省しなければいけないことだと思っております。特にビデオ隠し等から、情報公開の欠陥が社会の信頼を損なったということ。そして、原子力に対する信頼をも揺らぎかねないというような、いわば社会的な大事件になった。技術的に致命的な大事件でないものが、社会的に大事件になったということを厳しく受けとめているわけであります。ということで、関係者の一人として、これも自分の問題として痛烈に反省し、自戒してまいりたいと思っております。
- 結論として、ここでは原子力のリサイクル路線の修正を必要とするような、伴うような事故でないことだけはぜひご理解をいただきたいということが第2点の結論。
- 最後に、時間が間もなくなくなりますので、平和・安全な利用のための国際協力の枠組みについて、一言だけ申し上げて終わりたいと思います。
- 先ほど申し上げましたように、アメリカとか欧州では開発が一段落しておりますけれども、人口急増と経済成長の著しいアジア・太平洋地域を中心に、原子力発電を急速に普及させようという動きがございます。これを一国で進めていった場合に、私は問題があると思います。原子力には、もちろん光の面がございますが、同時に、もし1カ国で致命的な事故が起こった場合には、その影響は国境を越えます。それからまた、一つの国で進めていった場合に、核兵器の疑惑が生じた場合には、その脅威は世界に及ぶわけであります。そういう意味で、原子力の平和かつ安全な利用を促進するために、国際的な協力の枠組みを、第1回の円卓会議でも出たようでございますが、強調したいと思います。このことは既に、PECC/MEFのホーチミン会議、APECの大阪シンポジウム、去年、今年の原産大会等、世界中のいろいろな会議で今や大きな期待を持って叫ばれていることでありますので、ここでも日本は貢献していく必要があると思います。
- 結論でございますけれども、21世紀の地球環境を考えていった場合に、原子力だけが唯一の解決策だとは思いません。しかし、原子力を抜きにして考えることは極めて難しいということを申し上げ、冒頭陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。
- 【西野】 どうもありがとうございました。
- 引き続きまして、河瀬さん、お願いいたします。
- 【河瀬】 敦賀市長の河瀬でございます。「もんじゅ」が立地をいたしている市でございます。それと、今回は全国に原子力発電所を持っております自治体がございまして、その市町村長、並びに議会の議長を会員といたしまして構成をいたしております、略しますけど、全原協の代表者といたしましても出席をさせていただきました。
- 私たち全原協では原発立地地域の安全と地域振興を求めているわけでございますけど、発足以来、原子炉を設置されている立場から、今日の課題となっております多くの問題点や解決すべきことを協議し、意見を集約しながら、国に早い段階での解決を求めているところでございます。
- また、この敦賀市におきましては、このたび極めて遺憾であります「もんじゅ」の事故、そして全国に名が知られたわけでございまして、非常に悪いイメージの名が知れたところでございます。
- また、この事故につきましては、原子力政策の根幹にかかわるものでございまして、我々敦賀市民だけではなく、国民全般に国の政策や安全規制の行政のあり方につきまして、大きな疑問や不安を抱かせたところでございます。今回の事故は、原子力に携わる者すべてが一様に重大な問題として真摯に受けとめていかなければならない事態であります。私どもはそのように思っております。
- ところで、「もんじゅ」でございますけれども、「もんじゅ」の設置同意を求められました時、多くの敦賀市民がその安全性に不安を持っておりましたけれども、時の大臣をはじめ、国の強い協力要請がありました。そして、安全は研究開発段階の炉であるので、国が責任を持つことを市民に約束いたしました。そして、その設置に同意したところでございます。
- しかし、動燃事業団は言うまでもなく、このたびの国の事故の対応は極めて不十分でありますし、情報の非開示や操作は国の指導欠如の現れとも言えます。国が市民に約束をした安全は見事に裏切られたわけでございます。
- 中川長官は、「原子力の安全は安全委員会のものでも事業者のものでもなく、地域住民のもの」と敦賀市民に話をしていただきました。全く同感でございます。私は「もんじゅ」の立地市長といたしまして、また、全国の原発立地市町村とともに、国の対応を今後とも厳しく凝視していきたいと思っております。
- ところで、国の原子力政策の根幹でありますけど、いわゆる原子力長計でありますが、計画策定後わずか1年足らずでのATR実証炉断念や、核燃料リサイクルの根幹にかかわります「もんじゅ」事故の発生に、国民は国の原子力政策に信頼を今持てなくなっているんじゃないかと思います。
- 原子力の開発推進には、国民の理解と信頼が絶対条件であることは言うまでもございませんが、今、全く見通しが立たないバックエンド対策をはじめ、立地市町村から国の約束違反と言われております使用済燃料のサイト内貯蔵問題、国民の理解とはほど遠い軽水炉のプルサーマル計画と核燃料リサイクルを中心とした国の原子力政策が正しく国民の理解と信頼を得られ、計画どおりに遂行できるかどうかにつきましては、原子力関係者だけではなく、国民、各界、各層から極めて疑問視をされている現状であろうと言えます。
- したがいまして、今この時点で原点に立ち返り、専門家や知識人だけではなく、国民から広く取り入れました政策立案や計画決定を図るべきだと存じます。
- ところで、原源立地地区の振興と立地促進を目的に、昭和49年に電源三法が成立いたしております。いうまでもなく、立地市町村は原子力発電所を建設するときだけではなく、運転中も、一たび事故が発生しますと、大きな精神的負担を負わされます。また、膨大な労力で住民等に対応していかなければなりません。当然に、住民自身も有形無形の被害をこうむっていることは誰しもご理解いただけるものと存じます。
- 法が成立したとき、国自らが発電感謝税として位置付けられておりました地域のための制度が、現在、企業負担とも言うべき「原子力発電施設信頼性実証試験」等の財源として充当されておりますが、もともと地域に対して支出されるべきものが、そうした運用がされていない現状では、円滑なる電源立地が進まないのは当然であり、原子力への理解も得られるものではないと考えております。この際、電源三法の運用は根本から見直すべきと存じております。
- また、安全規制行政の信頼回復ということで、「もんじゅ」事故といいますのは、国民が最も懸念をし、指摘をしていたことの一つでありまして、いわば予見されていたとも言えるわけでございますけれども、この事故を未然に防げなかった安全規制行政の責任は極めて重いと言わなければなりません。さらに、軽水炉の知見も反映されておらず、また、行政指導も行き届いておらなかったことなどからも、国民は国の安全規制行政に重大な疑問を抱きました。
- 確かに原子力は高度の専門知識と情報を要するものですが、国民が求めているのは、いわゆる専門家の額面的・技術的安全ではなく、社会的安全、つまり安心であると思います。国がこのギャップと落差の程度を認識しなければ国民の理解と信頼は得られるものではないと思います。
- 原子力施設に関する安全規制行政は一元的に国の重い責任のもとにあることを、国は十分に再認識し、国民が理解し得る安全確保のあり方など、安全の審査基準や安全規制行政のあり方の見直しが必要だと思います。
- ところで、現在の原子力防災は「災害対策基本法」に基づき対応することとなっておりますが、この法律は洪水や地震など自然災害を想定して成立しているもので、特殊な性格を持つ原子力防災対応には極めて不適切であります。しかも、住民への対応はすべて地方自治体の負担となっているわけでございますが、緊急性を要する事故発生時に全く情報も権限もない地方自治体が、高度な専門知識や技術を要します原子力災害には、対応はできません。極めて実行性に乏しいことは明白でございます。無理に対策責任を押しつけられました自治体首長の精神的負担は、はかりしれないものがあると存じます。
- 「もんじゅ」の事故でおわかりのように、原子力の事故は国の安全規制の延長線上であります。安全規制の破綻が災害に結びついていくものでございます。防災は国の責任として明確に位置付けをいたしました「原子力災害対策特別措置法」を早急に制定しまして、国が直接に事故判断をし、そして直接に防災指揮がとれるよう、早急に抜本的な制度改善をすべきであると存じます。
- また、原発立地地域がなぜか肩身の狭い思いを感じ、イメージダウンとなり、地域の混乱を招いたりすることは、国民全体のエネルギーに対しての認識が不十分であることに起因するものであると言わなければなりません。国民への理解を求める国等の努力が不足していくことにほかならないと思います。
- まず、電力を享受している消費地に、立地地区の重い負荷は、本来、全国民が等しく負担すべきものであることを改めて全国民に再認識すべきと思いますし、国はもっと本質を見極めました広報を行うとともに、積極的に国民に説明するよう、情報の開示を含めまして、そのあり方を根本的に見直すべきだと存じます。
- 最後に、原子力を取り巻きます環境は厳しさを通り越し、極めて厳しいとさえ感じられる今日、「もんじゅ」事故をきっかけといたしまして、原発を地方の問題として放置していた国の責任を厳しくとがめることになっております。私たち地方自治体といたしましては、組織改革や公聴制度の充実を図りまして、早くから民意の集約を図ってまいりましたけど、国は国民とともにある原子力を訴えながらも、やはり国民不在の霞が関的論理であり、これが国の原子力行政の基礎になっていたことに問題があると存じます。
- 今日、国の大きな問題は、国と地方や国民との温度差、落差の大きさでございます。まず、国は民意の把握が必要であり、社会的に容認されるまでの期間、国民全般に徹底した合意形成の努力を払い、さらにその経過を国民の前につまびらかにし、国民が理解をし得るよう努力を払うべきであります。
- 今回の「もんじゅ」の事故は、国の原子力政策のあり方に厳しく危険信号を出しております。全国の原発所在市町村の会員や地域住民は、これまで国策に協力をすることによって苦悩や苦しみを背負い、様々な苦労をなめました。そして、耐え忍んできたところでございます。もう限界に来ているのではないかと感じております。
- 今ここで、国自らが反省をし、改善をしなければ、明日の原子力はないと思う次第でございます。この際、国は早急に日本の原子力政策の是非の再確認を行うとともに、おざなりでない国民の合意形成に努力し、国の安全規制行政の信頼回復や原発立地地域住民の福祉向上に特段の努力をすべきであると存じております。
- 以上であります。
- 【西野】 どうもありがとうございました。
- 私は大学の教員をしておりまして、大学で修士論文、博士論文の発表をいたしますと、時間を超過するたびに点数が下がっていくというシステムをとっておりますが、ここに招へいされておられる方々にそういうことを申し上げるのは大変失礼ですから、聞いておりますし、お話はそれぞれごもっともなことでございますが、やはり時間の関係がありまして、議論が大変でございますので、今後、ぜひ協力をお願いしたいと思います。
- 実は、今日招へいされておられる方々の発言の要旨は、この後ブレークをとりますときに一般の方に配布する予定となっておりますが、少しでも時間を節約するために、会場の方に今この場でお配りするようにしたいと思いますが、招へい者の方々のご理解がいただけますでしょうか。それから、招へい者の方々は前もって読んできておられると理解しておりますので、ぜひご発言の折には、時間と、前もって読んでおられるということの両方を、兼ね合いをとりましてご発言いただきたいと思います。
- それでは、大変ありがとうございました。現在から配布するように手配をしていただきます。
- それでは、引き続きまして、坂田さん、お願いいたします。
- 【坂田】 長野から参りました坂田と申します。このような立派な方々がおそろいの席に、一市民が出てくるのは大変戸惑ったんですけれども、日ごろ考えていることを聞いていただくいい機会だと思って、勇気を奮って出てまいりました。よろしくお願いいたします。
- あらかじめ提出したレジュメとは、短くしようと思いましたので、少し違いますが、大体原稿を読ませていただきます。
- 私が原発に関心を持った原点は、今から20年前、原発の危険性を肌で感じる出来事に直面したからです。以来、今日まで、原発のない長野の地で小さな反原発運動を続けております。発端は、英仏海峡の島に住んでいる娘からの1通の手紙でした。それは、対岸のラ・アーグ再処理工場で、日本の核燃料の再処理をするための拡張工事が始まり、日本とフランス政府に対する住民の大きな反対運動が起こっていること、これまでの操業で既に周辺の汚染が進んでいること、このことは日本で報道されているのだろうか、という内容でした。驚いて原子力発電のにわか勉強を始めたところ、原発というものは到底人間の幸福とは相容れないものだと確信するようになりました。
- その前年、娘があちらに行ってから生まれた第二子は、生まれる前から重度の障害が告げられ、私たちは言いようもない苦しみを味わいました。それが放射能の影響とは言い切れませんが、原発のようなものを進める現代社会が子供の未来を奪っているのだと、その手紙を読んで改めて痛感しました。私は今日この場に、生まれて間もなく死んだその子や、物言えない未来の子供たちに代わって、これ以上地球を放射能で汚染しないでください、と発言するつもりで参りました。そしてさらに、一人のキリスト者として、時代の問題、ことに核の問題に対して発言する責任を痛感しております。
- 今年は、あのチェルノブイル原発事故から10年目ですが、被害は予想以上に深刻さを増しております。今お配りした資料、一々説明しておられませんけれども、また後でご覧下さい。
- 先日、長野市で開いた講演会で、ウクライナの女性ジャーナリスト、リボフィー・コバレフスカヤさんが、「賢い人は他人の失敗に学ぶが、愚かな人はそれをしない、というロシアの格言があります。チェルノブイルを他人事のように思わないでください」と言われました。それはチェルノブイルの悲劇を全身で受けとめている彼女の日本への愛を込めたメッセージでした。日本に住む私たちは、このメッセージを本気で受けとめるべきではないでしょうか。軽水炉でさえ、一たび事故を起こせばチェルノブイルのような事態が起こり得るのに、日本では、欧米各国がその危険性と不経済性から既に撤退した高速増殖炉を、今なおエネルギー政策の根幹に据えています。
- そのことを心配して、2年前の臨界時にスタートした「もんじゅ」凍結署名が、今月初め、100万人を突破しました。去る14日、代表十数名が科学技術庁長官に面会して署名を提出しました。長官も、これを重く受けとめると答えられ、また、今日の円卓会議についても、初めに結論ありきということにはしないと言明されたと聞いております。地方自治体の「もんじゅ」凍結意見書も全国143自治体で可決され、そのうち長野県では、県を含めて43市町村が可決して、国に意見書を送りました。これをばねにして、今後、長野県での運動を広げたいと思っております。
- 今回の「もんじゅ」の事故から、情報公開の必要性が取り上げられておりますが、私たち一般市民にとって必要な情報公開とは、まず、原子力利用のプラス面とマイナス面を公平に知ることができ、自分で考え、自分で選択するための材料が用意されることだと思います。これまでの政府広報は推進一色でした。今後は、広報費用の半分を反対意見に提供する等が具体的なよい方法ではないでしょうか。
- 一方、来る8月4日に原発建設の可否を問う住民投票が行われる新潟県巻町で、資源エネルギー庁が盛んに原発推進のPR活動を始めているのは一体どういうわけでしょうか。自分たちの町のことは自分たちで決めようという、すばらしい民主主義の実験が行われようとしているのに、なぜ政府がこれまでに例がないような横やりを入れるのですか。これはぜひ納得のいくお返事を聞かせていただきたいと思います。そうでなければ、この円卓会議も推進のための形式的なポーズだと受け取られても仕方がないと思います。
- 今回送られてきた文書の中に、「国策としての位置付けの一層の明確化」という個所がありました。これでは国策として推進するという姿勢に変わりはなく、批判的な意見を取り入れる余地はないように思います。先ほどもお話がありましたように、原子力発電が始まった頃は、原子力洋かんができるほどのバラ色の夢が描かれていたのですが、今は、マイナス面も明らかになってきているんですから、国策というものは、もうすっかり状況が違っていると思うんです。それで、原子力基本法、つまり国策を見直すべきではないでしょうか。国策も誤ることがあります。私たちの年代は身を以てそれを経験しました。ドイツは、原子力法を変えて、再処理と高速増殖炉から撤退しました。これから以後のこういう円卓会議は、ぜひ国策としての原子力推進は是か非かというテーマでやっていただきたいと思います。
- 以上です。ありがとうございました。
- 【西野】 どうもありがとうございました。
- それでは、引き続きまして、桜井さん、お願いいたします。
- 【桜井】 桜井です。人のあいさつというのは短かければ短いほどいいと言いますけれども、先ほどモデレーターの方からも、短いほうが得点がいいということですので、私は、非常に簡単に、一般的なことを4点ほど問題提起したいと思います。
- 私は、この中では唯一、実際の国の原発の安全解析を行って、安全審査に関わったという立場にあるわけです。もちろんそれは過去の話ですけれども。
- それから、このことはまだ私は口にしたことがなかったわけですけれども、自分の過去とか、汚点といいますか、そういうことをできるだけ口にしたくないわけですけれども、私は、当時、業務命令で、ある原子力委員会の専門部会、あるいは原子力安全委員会の専門部会で、国のいわゆる行政に少なからず影響力を持つ原子力界の代表的人物の補佐役といいますか、ブレーン役を命じられたことがあるんです。1週間に一度打ち合わせをしまして、そこでいろいろ、産業界との関係、あるいはそういう研究機関との関係、政治家との関係等、かなり生々しい話がストレートに私の耳に入って、いうなれば、そういった今の原発の安全審査の問題にしろ、あるいは、今言った補佐役をやっていたときの人物の話にしろ、今の原子力界の問題点といいますか、もちろん日本の原子力体制のすぐれた面もあるでしょう。そうでない面もあるでしょう。私はそういった面を、ある意味では裏側を全部見てきた一人であるということです。
- その補佐役をやっていたころ、話を直接聞いて、私はだんだんそこから離れようというふうに感じた。今の原子力政策が、特定の人間、あるいはグループによって、非常に少数の人達の意見によって動かされている、本当のことを一般市民は知らない、国民は知らないんだということを痛感しまして、非常に厳しいやりとりをそのときに私はしたわけです。そのとき私は非常におしかりを受けましたけれども、そういう面では、今の原子力界の怖い側面も経験してきている。それが原因で、私は同じ世界には住めないと感じて、一年間で足を洗わせていただきましたけれども、そういう経緯がありまして、個々の問題について、安全問題とか行政問題については、私は数多く論文を出して世の中に問題提起してきましたから、行政側もそういった問題を十分把握しておられると思います。
- 今日は、限られた時間ですので、4点ばかり簡単に問題提起させていただきます。
- いわゆる政策決定にかかわる原子力委員会とか原子力安全委員会の専門部会、及び委員会の審議過程とか、議事録の公開化を要求したいと思います。今の専門部会にかかわっている人達というのは、過去何十年間の資料を調べてきますと、特定の大学研究機関とか、ごく一部の限られた人間しか関わっていない。ほんの一部の人間によって政策が決まっていく。しかも、こういった会合の過程というのは一切、議事録すらオープンになっていない。私自身は何度も科学技術庁とか通産省に議事録を見せてほしいとお願いしましたけれども、自由な討論を保証するために、そういうものは一切オープンにしないということですけれども、今、盛んに情報公開とかなんとか言っていますけれども、審議過程とかそういうことに対する透明性が今の行政の中では欠けているように思うわけです。
- 2番目は、もちろん今の続きで、一部の大学とか研究機関、専門家だけではなくて、原子力行政というのは、もっと広い範囲の人達、あるいは立場の異なる人達を入れて、少なくても原子力に直接かかわっていないような人間の意見を尊重するためにも、全体の委員の3分の1ぐらいは、原子力にかかわっていない人達を委員として入れるべきである。より多様な、慎重な議論を進めてもらいたいという気持ちが強いわけです。
- 2番目は、政策立案の客観的根拠の明確化ということです。今日、例えば原子力船がうまくいかないとか、新型転換炉がつまずくとか、「もんじゅ」でつまずくと言っていますけれども、今考えてみた場合に、特に原子力船や新型転換炉の問題というのは、政策を決めたころ、当時の社会の状況も考えて、本当に必要であったのかどうかということに疑問を感ずるわけです。やはり、専門的ないろいろな立場の人間、専門の異なる人間を多く入れて、政策レベルの話というのは、もう少し客観的な根拠をもとに、慎重に進めてほしいという気持ちが強いわけです。
- 3番目は、プロジェクト遂行時における責任関係の明確化ということです。「もんじゅ」でこれだけ大きな問題になっても、科学技術庁は一向に責任問題をはっきりしないわけです。もちろん、現在調査段階中ですから、あるいは明確な安全委員会の安全に関する勧告が出ていない段階ですから、責任問題を言うというのはいささか時期尚早かもしれませんけれども、それにしても、あまりにも他人事のような対応しか科学技術庁はしていない。
- それから、原子力委員会もそうですけれども、例えば過去におけるそういう「むつ」の問題とか、新型転換炉の問題等も含めて、あるいは今回の「もんじゅ」の問題も含めて、責任を明確にとった人間が一人も今までにいないということです。これらの問題ばかりではなくて、過去40年間にわたって、明確に責任をとった例というのを私は見たことがない。だから無責任に何度も同じことが繰り返されているわけです。
- 先ほど、「もんじゅ」は技術的には大したことじゃないということを言われましたけれども、専門的に言えば、確かにそのような面もなくはないですよ。それは確かにそうでしょう。だけど、炉心が溶けるとか、放射能が出なければ本質的な問題、致命的な問題じゃないとは私は思わないわけです。「もんじゅ」の問題には、原子力行政の矛盾、あるいは原子力安全行政の問題点、それから監督官庁のプロジェクト遂行における管理能力、こういうものの矛盾がすべて凝縮された、吹き出た形で「もんじゅ」の問題があるということであって、地元敦賀市長さんが非常に強い口調で先ほど説明されていましたけれども、あるいは福井県知事が非常に強い不信感を現わしていますけれども、そういった、言うなればすべての矛盾といいますか、問題点が凝縮された形で「もんじゅ」というのが出てきているわけです。単にあれはナトリウムが漏れて燃えたというだけの問題でもない。安全審査の問題を正して、問題部分を補修して運転を再開すればいいというほど単純な問題ではない。原子力行政、安全規制を根本的に見直していくということを確実にしない限り、運転再開というのは難しいだろうと私は思うわけです。
- 4番目は、国民の安全を最優先した事項の政策化ということです。今、原子力委員会の政策が先行していて、原子力安全規制とか技術基準というのが不十分なまま前へ進み過ぎるという嫌いがあるわけですけれども、「もんじゅ」の問題というのは、この典型的なあらわれじゃないかと私は思うわけです。やはり、国民が不安であるとか、もちろん科学技術庁の側からしますと、動燃の側からしますと、国民は知らないから必要以上に不安がるという認識を持っておられるようですけれども、私は必ずしもそうは思わない。今までの行政の姿勢が、必ずしも地元の一般市民、国民が安心できるような行政を進めてこなかった。それが「もんじゅ」によって非常に鮮明に見えてきたということが、地元、あるいは福井県民が非常に強く反発している要因であると思うんです。敦賀市、あるいは敦賀市議、あるいは福井県議で、過去に推進に努力した人達が、現在、「もんじゅ」の問題が起こって、凍結とか、反対とか、態度を180度変えているんです。この原因が何であるかということを原子力委員会は把握する必要があると思うんです。
- 以上です。
- 【西野】 どうもありがとうございました。時間を制限しておりまして恐縮しておりますが、いろいろなご意見を聞きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
- それでは次に、人見さん、お願いいたします。
- 【人見】 茨城県副知事の人見でございます。茨城県におきます原子力施設の現況とか、そして原子力安全行政に対する取り組み、そして最後に国への要望と、こういうふうな順序でお話ししたいと思います。
- 茨城県、ご承知のとおり、我が国の原子力の発祥の地でございます。昭和31年、日本原子力研究所が東海村に立地をいたしまして以来、我が国初の商業用原子力発電所でございます東海発電所や、核燃料製造施設、高速実験炉常陽、大学や民間の研究、技術開発施設が東海村、そして大洗町、那珂町に相次いで立地をしておりまして、現在では22の原子力関連研究所、事業所によりまして原子力センターを形成しているところでございます。また、核融合研究開発の拠点としまして、原研那珂研究所が設置されますとともに、最近では国際熱核融合実験炉のITERと言われているようですが、これの国際設計チームが活動しているわけでございます。
- こうしたことから、本県におきましては原子力の研究開発や利用が今日まで順調に進展しているわけでございますけれども、これもひとえに地元の理解と協力のたまものであると私どもは考えているわけでございます。
- しかし、茨城県における原子力の開発利用につきましても、必ずしもその道のりは平坦ではございません。動燃事業団東海再処理施設の建設とか、日本原子力発電東海第二発電所の立地に当たりましては、これは昭和40年から44~45年にかけてのことでございますが、議会の設置反対決議とか、行政訴訟が提起されまして、県としましてもその対応に苦慮していたところでございます。当時、原子力施設の安全確保や生活環境の整備は、国が一元的に措置をしておりまして、県や市町村が原子力安全行政に関与できるよりどころがなかった状況でございました。県民の安全と信頼を確保するための対策として、県としては、一つには第三者監視機構による環境放射線監視体制の確立、二つには使用済燃料の輸送の安全対策としての輸送協定の締結、三つには原子力施設の新増設の了解や事故、故障の報告などを義務付けました原子力安全協定の締結をいたします等、茨城県独自の安全対策を当時講じてまいりました。
- この結果、これまで20年近くに及びまして国が一元的、かつ画一的に行っておりました原子力安全行政を、地域の実情に即しまして、地元住民の安全確保というふうな見地から、県や市町村が関与できることとなったわけでございます。その後も原子力の研究開発の進展に即しまして安全協定を改定するなど、原子力施設の安全確保に努めているところでございます。
- このように、長年にわたりまして原子力に対する信頼関係を築いてまいりました茨城県といたしましては、先ほど来出ています「もんじゅ」の事故によりまして、国の原子力政策に対する不安感とか不信感が起きまして、信頼関係が揺らいでいるということは、まことに残念でなりません。一刻も早く修復されることを願うわけでございます。
- 次に、国に対する要望をいたしたいと思います。一つは原子力の安全確保対策でございます。原子力防災対策につきましては、地方自治体は、国の専門家の迅速かつ適切な指導・助言を受けまして、その対策を講ずるということになっていますが、原子力災害は一般災害とは異なった対応が必要でございまして、地方自治体の判断と責任において実施するということは、現実的にはなかなか難しい面がございます。原子力防災対策の充実につきましては、国の責任をより明確にするためにも、国の現地における原子力防災対策の機能強化を図るなど、より積極的な対策を講じていただきたいと思います。
- なお、この点につきましては、先般、原子力発電所立地県の知事の連名で国に対して要望したところでございます。
- 次に、我が国の原子力発電は、運転を開始しましてから30年経過して、総発電電力量の3分の1を賄っているところでございますが、再処理施設から発生する高レベル放射性廃棄物や、研究機関、燃料加工施設から発生する放射性廃棄物の処分の問題につきましては、未だに解決されておらず、年々累積保管量が増大する一方でございます。
- また、今後予想される商業用原子炉の廃止措置につきまして、解体に伴い、発生いたします放射性廃棄物の処理処分の見通しさえ現在示されていないのが現状でございます。
- さらに、使用済燃料につきましても、国内の再処理を基本としているために、発電所内の保管量が増大いたしまして、長期保管を余儀なくされているという状況にございます。放射性廃棄物対策のような原子力利用の基本的な問題につきましては、将来の見通しが明らかにされていないことに対して県民が不安を抱くというのは、理解できないことではございません。
- 本県では、これらの放射性廃棄物の処理処分対策の確立につきましては、昭和52年以来、国に対して要望してまいりましたが、国におかれましては、今こそ真剣に検討されまして、将来計画を早急にお示しいただき、実行に移されることを要望するものでございます。
- 次に、核燃料リサイクル政策につきましてですが、本県では、昭和40年からプルトニウム燃料の製造が開始されますとともに、再処理施設等のプルトニウムサイクル関連の技術開発施設が多数立地しています。国は、使用済燃料は再処理し、回収したプルトニウムやウランを再び利用するという核燃料リサイクルの推進を政策の基本としておりますが、その必要性について、もっとわかりやすく国民に説明するなど、理解を得られるよう、積極的な対応を要望したいと思います。
- 最後に、情報公開及びその提供でございます。原子力は、とかく難しくて理解できないと言われがちでございますが、知らないということからくる不安を取り除く工夫や努力がいささか足りないのではないかと感じております。住民の立場に立って、いかに理解していただくかということについてご努力いただきたいと思います。
- 県は、原子力施設等の安全性に関する情報の公開につきましては、事故、故障発生時に記者発表を行いますほか、資料の公開を求められました場合は、県の情報公開条例に照らしまして、即刻公開することを基本として対応してまいりました。さらに、県民からの申し入れなどに対しましては、文書や直接お会いして回答するということなどをいたしまして、ご理解をいただいているところでございます。
- どうか国におかれましては、原子力事業者に対しまして情報公開の促進について指導されることはもちろんのこと、自らも情報の公開や提供に一層努められまして、国民に開かれた原子力の研究、開発、利用となることを要望いたしまして、意見陳述を終えさせていただきます。
- 以上でございます。
- 【西野】 大変ありがとうございました。
- それでは、引き続きまして、舛添さん、お願いいたします。
- 【舛添】 私の専門に引っかけてお話しします。それぞれ皆様方も、原子力についていろいろなご意見が出ていますけれども、中川長官がおられて大変恐縮なんですけど、日本の政治がうまく機能していないというか、いろいろな意味でマイナスが出てきている。一つは対外関係です。もう一つは地方との関係において。中央と地方との関係。
- 外に向かっての問題は、要するにアジアの諸問題の中で、エネルギー問題というのを外交関係においてどこまで議論してきたのかということでありまして、70年代に2回の石油ショックを経験していますけれども、これは供給面、つまり生産者のほうの問題であった。第3次石油ショックがあるとすれば、おそらく今度は需要面だろうと思います。それは、アジアが極めて高い経済成長。お隣の中国、12億5,000万の民が10%を超える経済成長をやっていっているときに、民生用でも、工業用でも、大変なエネルギー消費をやるわけですから、そういう状況において、アジアの経済成長を減速させる必要が出てくるのではないか。
- それから、ODA大綱はありますけれども、その中にエネルギー政策とか環境問題がどこまで柱として入っているかというと、確かに、軍縮、つまり我々の援助を軍拡に使ってはいけないというような点はかなり明確に明示されていますけれども、エネルギー問題なんかについての言及が非常に少ない。住専の5,000円の使い道については、マスコミを含めて文句ばかり言っているわけです。我々は年間に1万2,000円ぐらい援助を出しているはずです。では、この使い道についてはどういうチェックをするのか。これはマスコミもやっていない。政治のレベルでもやっていない。ですから、例えば中国の環境問題をどうするのか、こういうことを含めて、今、非常に心配しておりますのは、例えばエネルギー需要のGNP弾性値という観点からいうと、やっぱり省エネとか効果的なエネルギー需要を行ってもらうためのいろいろな援助ができるはずなんですけど、そこにあまり注意がいっていないということでありまして、非常に心配していますのは原子力発電所の建設ラッシュです。
- 私の判断ですけれども、世界中の原子力発電所を見ても、「もんじゅ」の事故はありましたけど、日本の水準は、極めて安全性は高いし、よその国と比べて、それに携わっている人間の質もそれほどお粗末ではないと思っていますけれども、広東、フウチェン、それから韓国、フィリピン、台湾、いろいろなところでまさに建設ラッシュなんですけれども、その実態を見るとに、チェルノブイルと同じことが起こらない保証はない。こういうことに対する日本の援助ができないのかどうなのか。
- 私は、チェルノブイルというのは、ウクライナですから、遠く離れたヨーロッパの出来事です。10年前にあった。その反省から、原子力サミットが4月にモスクワで行われたばかりですけれども、アジアでもう一遍ああいうことが起こったときに、おそらく日本の原子力発電は全部止めざるを得ないと思います。とても国民感情が許さない。ですから、そういう意味で、パブリック・アクセプタンスの低下の危険性が極めて大きいですけれども、アジア・太平洋地域はバラ色である、アジア・太平洋は世界経済の中心になりつつある、この東南アジアの経済発展はどうだという、そういうバラ色の夢しか描いていないんですけど、エネルギー問題ということから見ると、経済成長を減速させる、ブレーキをかける、そしてこのエネルギー政策をどうするかということも、もうちょっと真剣に考えてもらわないと大変なことになるんじゃないかと思っています。
- それから、「もんじゅ」の事故が絡む問題として、今度は地方との関係ですけれども、これは、河瀬市長もおられますし、それから茨城県の副知事さんもおられるので非常に言いにくいことなんですけれども、坂田さんが先ほどおっしゃいましたような、巻町で住民投票を8月に行う。私も現実に巻町に行ってきましたけれども、要するに住民投票もいろいろな問題によっては結構だと思います。国民投票も結構かもしれない。例えば首相公選制なんていう話も出ている。しかしながら、その問題の持つネガティブなマイナスの面についても理解しておく必要があるだろうと思います。
- それは、例えば私の専門でありますヨーロッパの歴史を見ていると、長いヨーロッパの歴史の中で、いかにして独裁を生まないかということにみんな苦労してきた。代議制民主主義というのは一つのやり方であって、ナポレオンの甥のナポレオン3世というのがおります。これは独裁者です。この人に、「あなたの政治の基礎は何ですか」「毎日の住民投票だ」。ですから、ヒトラーにしても、ムッソリーニにしても、それが生んだわけです。
- だから、果たして代議制民主主義と住民投票との関係をどうするのかという議論が、たまたま今回は原発の建設云々という話ですけれども、あらゆるレベルの政策決定においてやられないといけないということと、中央と地方の関係をどうするのか。沖縄の問題です。国の安全保障政策、日米安保政策、それに伴う基地。いろいろ沖縄はご苦労なさっているので、気持ちは非常にわかりますけれども、知事の権限と総理大臣の権限をどうするのか。代理署名の問題で、今、新しい法案をどうするかということに国会でなっている。福井県の知事さんが異を唱える。国のエネルギー政策について異を唱える。人事政策について高知県の知事が異を唱える。これは地方公務員ですから若干状況は違います。
- そういう問題について、テーマが原子力政策だからということではなくて、あらゆるレベルにおいて、国の政策と地方の政策をどうするのか。地方自治と言ったらかっこいいんです。誰も反対しない。地方の自立というのは誰も反対しない。だけども、民主主義そのものの根源的な問題についての議論がなくて、個々のテーマについてアドホックに動かされたならば、それは民主主義の基礎を覆すということになりますから、その点においても、国会なんかでまともな議論がなされていない。中央と地方との関係ということも、もう少し真剣に考えないと、私の結論は、この国においては、今後、原子力発電所の建設は不可能だと思います。ですから、いくら需要が伸びて、年に何基かずつつくらないといけないと言ったって、今のような状況でできるわけないので、むしろ今から建設しない、できないということを基本にしてやったほうがいいんじゃないかというぐらいに、今の我が国の政治状況というか、民主主義の未成熟度を考えると、逆の面から皮肉を言っているんですけど、原子力政策はストップすると思っています。
- 以上です。
- 【西野】 大変ありがとうございました。進行がうまくいっておりまして、モデレーターとして喜んでおりますが、引き続きまして、守友さん、お願いいたします。
- 【守友】 福島大学の守友でございます。小さな大学でローカルな研究をやっております。地域振興という点から発言させていただきます。資料の24、25、26ページが発言要旨でございます。
- まず、地域づくり、地域開発というのは二つの型があります。これまで高度経済成長期以降とられてきた拠点開発とか、大規模開発はいわば外来型。それに対して、近年のまちづくり、むらづくりの中から出てきたのが内発型と言われます。内発型の特徴は、地元の技術・文化とか住民の学習、さらには環境保全・福祉、地域産業連関、住民参加、こういった点を重視しようということで、こういう地域づくりの流れが出てきたかと思います。
- そういたしますと、発電所の立地というのはどういうパターンになるのかというところでございますが、はっきり言えば、これは外来型であります。ところで、外来型を何とか自立発展サイクルにくっつけられないかという形でいろいろ議論がなされてきたわけでございます。それが26ページの表でございますが、これは資源エネルギー庁が日本立地センターに頼んで十数年前につくったパンフレットをコピーしたものでございますが、その中の資料に、「明日のまちづくり」、つまり原発立地による地域振興の概念というのを、図の左側にインパクトを与えて、次第に右のほうへ直接効果から間接効果、また下のほうへ早期から長期へという、こういう効果を書きまして、最初に、発電所の建設で雇用機会が増えるとか、建設工事の受注が増える等、右のほうへ行って就業構造の高度化、それから地元企業への技術移転、商業経営形態の高度化等々、こう行って、一番右の下に、四角く囲ってある自立的発展サイクル、つまりこれは外からのインパクトにより生活・産業の基盤整備、地場産業の創出、企業進出、一次産業の効率化、2次産業の高度化、3次産業の多様化、文化、生産、福祉水準の向上であるという、こういうようなことが原発立地による地域振興であるということが十数年前から言われたわけでございます。発電所立地地域に行きますと、このパンフレットが山のように積んでありまして、みんなに配っておりました。私も学生たちと一緒に読んでいたという、こういうものでございます。
- さて、現実にどうなったのかというところでございますが、結論を申しますと、この自立的発展サイクルに至ったところは極めて少ないということでございます。ですから、この外来型開発から自立的発展サイクルへという移行は、今のところほとんどできていないと思われます。
- その具体的な証拠といたしまして、福島県の浜通りの原発立地点のある町の例でございますが、原発が立地した後、工事がなくなりますので、定期点検等のほかに働く場が減るという、いわゆるポスト原発問題が起こる。これをどうするかといったときに、こういったパンフレットでは自立的発展サイクルと言うのですけれども、現実にはなかなかそうもいかないというところで、そのある町は結局、ポスト原発では何が必要かというと、やはり原発建設だというふうになるわけです。これがある町で誘致決議を再度やった結論でございます。
- ただ、それだけで地域は止まっているのかというと、必ずしもそうではございませんで、レジュメの24ページの下に書いてございますが、地元の青年とか東京電力さんの協力も仰ぎながら、勉強会もやってきたわけでございます。そういう中でどういったことが出てきたかということをちょっとご紹介いたしますと、「双葉地方まちづくりフォーラム」というのを行いました。ここでは4年ほど勉強会をやったのですが、中間的な報告で、1から5までの、こういった方向で新しい地域づくりを考えていこうではないかという提起をしたわけでございます。
- 1番目は、海を活用しよう。つまり、地域の個性を生かした産業の連関的な再構築が要るというのを、漁業と観光との結合などの中で考えようというものです。
- 2番目が、これまでの電源三法交付金による施設の見直し、検討ということで、ワンセント型を考え直そう、それから、広域的に相互補完主義を考えようという、こういった問題であります。
- 3番目が、生活水準の向上といいまして、ここに事例で書きましたように、耳鼻科も、眼科も、皮膚科もないという、こういったところでどうするのか。極めて細かい話でございますが、こういった現実からの積み重ねをしよう。さらに、高等教育機関の充実といっても、大学ではなくて、あえて短大。なぜ短大かというと、短大卒業生のほうが地元定着率がいいから、本当は大学なのだけれど、短大を要求しようという、地元にすれば非常にささやかな要求であります。こういったことを積み重ねていこうというものです。
- さらに、4番目で文化によるまちづくりですとか、5番目に交通体系整備で生活道路をどうループ状につないでいくか、こういうような地域づくりの提起を行ったわけでございます。
- 私もこれにちょっと助言者みたいな形で加わっておりましたので、やはりこの延長線上に新たな地域づくりを考えるべきではなかったかと考えております。
- ところが、残念ながら、その後地域で出されてきた大きい施設計画で、ご存じの方もあると思うのですが、サッカー・ナショナルトレーニングセンター(NTC)という大規模な施設でございます。これはこれとして、スポーツですからなかなかいいのでございますが、従来の開発のパターンから考えますと、どうも開発のイメージが、大きいものをどんと作って波及効果をとるというところから抜け出していないのではないか。
- またこの計画では新たに「交流人口」というキーワードを出しておりますが、「交流人口」をよぶことによって地域を活性化しようと言っておりますが、「交流人口」というのは、国土庁がこの間出している概念でございますが、その事例を見てみますと、大規模な施設をつくるというよりは、小さな過疎の山村あたりで、こつこつ積み重ねながら、多くの人と交わりながら地域の活力をつけていこうというので、大規模施設を作って、そこに人を呼んでという概念が「交流人口」ではないのです。そこに新たな提起と地域の受けとめ方が少し違うのではないかと思っているわけでございます。そうすると、おまえさんは批判ばかりしていて、じゃ、自分はどう考えるのだということになります。
- そこで26ページの下の図を見ていただきたいのですが、ご存じのように、農山漁村は非常に厳しい状況にございますが、新しい総合的な産業複合を考えながらいけば、ある程度の展望もまた出るだろうと考えております。それは、下の図で、真ん中に三つ四角がございますが、一番下の、仮に農林漁業が頑張っていくとすると、右側の上のほうに線が上がっておりますが、それにより地域の環境・資源が保全、創造される。それが最近のグリーンツーリズムとかルーラルツーリズムという形で、交流を活発化するであろう。
- 交流が活発化すると、農林漁業の持つ社会的意義ということが都市住民にもわかるだろう。つまり、都市住民、多くの納税者の合意を得て財政支出をし、農林漁業、もしくは交流を支えていくという、いわば公共性に基づく支援が必要だろう。と同時に、それだけですとおんぶに抱っこになりますので、交流と農業を結びつけるような総合的な産業複合化による、自助努力による活力原理という形で左側の線のようにまた循環させるという、こういったことが農山村の活性化にとっては必要ではないかと考えているのでございます。
- ここで発電所立地との関連を考えますと、地域環境・資源の保全と創造ということ、これに理解を示す都市住民と、原子力発電所に理解を示す住民というのはかなり分離しております。
- つまり、ここのところで、新しい地域づくりに対して、それなりの地域の個性、環境等を基礎にして考えていくという、こういうのを軸に地域振興を考えようとしても、発電所の立地というのはどうもなかなかうまくかみあわないのです。先ほど参考資料として配られた新聞を見ておりましたら、原発の写真が消えていたというようなことも出ておりますけれども、やっぱりイメージとして役に立たないということが現実にあるわけです。ここをどういうふうにしていくのかというのが、非常に難しい問題になっているのです。この両面をどう考えていくのか。
- つまり、最終的に結論を申し上げますと、一方で総論としてのいろいろなエネルギー政策があるということ。他方で、現実の地域における地域振興策があり、その両者の間に矛盾があるのだという、この二面があるわけです。ここをどのように考えていくかといった場合、つまり、前者のエネルギー政策を軸としてこれからの地域の社会・経済を考えていくのか、後者の地域からの提起によるこれからの地域の社会・経済を考えていくのか、まさにここが問われているわけでありまして、私は、地域経済論をやっている関係もございますが、まず後者のほうから再構築していく新しい社会・経済とは何なのか、その中のエネルギー政策はどう考えていくべきなのか、そういう順序が今必要ではないかと、かように思っているわけでございます。
- 以上でございます。
- 【西野】 ありがとうございました。
- それでは、引き続きまして、柳瀬さん、お願いいたします。
- 【柳瀬】 柳瀬でございます。テレビの番組で、生活情報番組や教育番組を手がけてまいりました。エネルギーの専門家ではありませんが、暮らしの根っこということで、今日のような会議や勉強会に出る機会が非常に多くなりまして、多分その延長上で今日も呼ばれたんだろうと思います。
- そういう会議に出ますと、今日いただいたような、資料をたくさんくださいまして、それには長期エネルギー需給見通しというのが大概ついております。数字に弱い人間は非常に苦労しながら読むんですが、その中で、日本のエネルギー政策の現状、ベストミックスは、原子力を抜きでは考えられないんだという、数字をボーンと示されてしまうわけです。
- 大消費地と言われる東京に暮らしておりますが、今は主人と二人暮らしで小さなマンションに居りますと、東京電力さんには大変申しわけないほど少ない電力使用量なので、エネルギーが足りなくなると言われても、個人としてはなかなかぴんとこないのです。それがあるかあらぬか、原子力の問題とかエネルギー問題というのはお茶の間の話題になかなかなりにくいです。
- でも、最近の「もんじゅ」の報道や、チェルノブイル10年後の記事は気になりました。自由化によるガソリンの値下げとか、今度、電力料金がまた上がるとか、そういう料金的なことはお茶の間の話題になるんですけれども、根本的なことや全体像は、なかなかふつうの暮らしの話題になりにくいということです。私なんか、一生懸命お茶の間の話題にしようとしては、うっとうしがられています。
- 正直云って原子力は気の重いテーマです。でも、気を取り直して自分達の現在位置を知りたい。この間、孫と一緒に「地球の歴史」という絵本を見ていると、渦巻き状に始まるビックバンが1月1日で、大みそかの鐘の鳴る直前に人間が登場するんです。それが、こんなに人間が増えてしまって、資源、環境という現代の問題点がわあっと出てくるんだなと。
- そういう中で人間は文明を築いた。また別の子供の絵本で火の使用の歴史をたどります。そういう中で、原子力はどういう位置付けになるのか。最初は武器という形で、非常に不幸な出会いでしたけれども、やっぱり人類が発見した技術であるなら、これをどういうふうに考えていったらいいのか。エネルギー源として利用していくのが国の施策だとおっしゃるのでしたら、国は今後どういう方針で進めていくのか、それをしっかり誠意のある肉声で聞かせていただきたいと思います。
- 現在ある発電所を止めてしまったら日本という国は成り立たないというのが現実でなのでしょう。日本のエネルギーの健康診断のカルテをもらったとしてみて、どういうふうにこれから原子力とつき合っていったらいいのか。
- 確かに今のような生活を支えてくれてきたということはよくわかります。夢を持って採用したということも、いろいろと伺っていました。それでもやっぱり気になるのは、高レベル放射性廃棄物の処理の目安は、現在どういうふうになっているのか。将来どんなふうな見通しがあるのか。それから、リサイクルはどの分野でも必要なことでしょうが、核燃料のリサイクルについて、国はどういうふうに考えているのか。将来の見通しがあるのか。現状ではみんな使い続けているわけですし、何とか始末する研究をしていただきたいと思います。
- また、物には寿命がある訳で、廃炉のことも気がかりです。立地点の方だけでなく、消費地のいろんな層の人達も、今後、この会議にぜひ呼んでいただいて、両方で問題点を考えていく必要があると思います。これはイデオロギーやいいとか悪いとかということではなくて、現実処理の仕事なのですから、冷静で的確な、生きている情報をいつも私たちにわかりやすく出していただきたいと思います。
- たまたま原子力既存サイトの地域振興にかかわる調査というのがございまして、これはまだ正式には報告書が提出されていないようですが、私はその中で、東海村の40年ということで、インタビューの部分を担当させてもらいました。それがたまたま「もんじゅ」の事故の前の日でした。そして「もんじゅ」の事故の後、年が明けてから、東海村の町長さんと、県会議員の方のお話を伺いました。お二人の話は非常に印象的でした。
- 東海村の町長さんは、あの日テレビを見ていらっしゃらなかったというんです。動燃の東海村の事務所からの連絡で事故を知ったそうです。そのときの町長さんと動燃のやりとりは、「事故が起こったのはどちらですか」「二次系だ」「二次系でよかったですね」というものだった。その冷静さ。私はびっくりしました。全体の技術の仕組みをしっかり押さえて事故の規模を判断していらっしゃる。それまで動燃の方も情報を常に出していた。そして、町長さんも自分で勉強していらした。私は、恥ずかしいけど、ナトリウムが漏れたというので、やっぱりどきっとしました。その部署を確認して、その事故の規模を自分なりに判断できたということはすごいなと思ったのです。
- どうしてそんなに冷静なのかと伺いましたら、情報公開ではなくて、いつも身近な情報の交流があったからというのです。どのようなこともすべて伝えてくれるように事業所にはお話をしてあるし、村長さんと今まで事業所もそうやってこたえてきてくれたと言うんです。これは県会議員の方も村長さんと同じようにその事故の規模を冷静に受けとめていらしたのが非常に印象的だった。ただ、その後の動燃の対応はナンセンスだとも云われました。そして、自分達のこのような視点は、原子力研究所を受け入れてきた40年の積み重ねの中で、少しずつ少しずつ築いてきたものだと言うんです。はじめは何だかやっぱりわからない。煙が見えたとか、何か異常があったのではないかというふうに、村では動揺します。そこですぐ事業所に問い合わせた。向こうは、汗をふきふき、所長さん以下全員が飛んできて、とことん説明してくれたと言うんです。そういう中で冷静な目も信頼も築かれたと言われました。それが、お二人とも、最近、情報伝達というのが非常に儀礼的になった。転勤や何かのときに名刺を置いていくとか、そういうふうな交流になってしまったのが寂しい。いろいろな情報機器が発達したので、文書でどーっと流れては来るけれども、生の声を伴った情報交流がだんだん減ってきたのは問題ですねとおっしゃっていたのが非常に印象的でした。
- とにかく、原子力というのは並み大抵のものではないのだ。非常に専門性の高い、また危険なものを制御しながら使っていく、そういう時代に私たちは生きているんだなと今更ながら思ったんですけれども、そのためには、心を開いた、本当の意味での交流というものが常にないと、相互に冷静さや信頼は保てない。対応が悪ければ今まで築いてきたものも一遍に崩れてしまうでしょう。ですから、情報公開も求められてからしぶしぶ出すような形ではなくて、いつも確かな交流があるようになってほしいと私は思います。
- 個人的には、エネルギー問題の中で原子力というのも選択の中の一つだと私は思っています。電源立地のいろいろな問題は、守友先生がおっしゃいましたけれども、東海村が非常にうまくいっていたというのは、その後人口が非常に増えて、ちゃんと定着しているからなんです。人の定着がとても少ない地域は、やはり厳しい評価であるし、今後も厳しいでしょう。それをどう解決していくのか、これからの問題だろうと思います。
- 一方、ヒートアイランドに住む都市の住民としては、高温から低温まで無駄なく使える都市のシステムを作ってほしい。多消費の都市といわれても、エネルギー問題には個人としての参加感が非常に少ないのです。結局、自分で選んで、自分でつくれる部分というのは非常に少ないですから。現在では、ごみ発電と、個人用のソーラーですか。ごみ発電には期待しています。都市はいやでもゴミを多量に出すわけですから、それを有効に使っていく分散型の発電所というのが大消費地ではこれから必要ではないか。
- それと、今現在の私たちのエネルギー・カルテを街の中に表示できないだろうか。以前、排気ガスが何ppm、と出ていたように‥‥。今、私たちが味わっている便利さ、快適さの背後にある数字をみんなが見られるようにしたら、もう少しみんな参加感を持ってエネルギー問題を考えられるんじゃないかと思います。
- 以上です。
- 【西野】 どうもありがとうございました。
- それでは、山地さん、お願いいたします。
- 【山地】 東京大学の山地でございます。皆さんの話を伺っていますと、いろいろ言いたいことがたまってくるんですが、それはここでは抑えまして、提出してありますメモに基づきまして、プルトニウム利用を中心に発言させていただきたいと思います。
- まず、プルトニウム利用の基本目標の再確認と書きましたけれども、これをやっぱりやってみたい。プルトニウム利用というのは、結局何のためにやるかというと、天然のウランの中に99.3%占めるウラン238をプルトニウムに変える。そのことによってウラン資源のエネルギー価値を飛躍的に高めるということにあるわけです。
- 皆さんご存じのように、現在の軽水炉では、もちろん軽水炉でも発電している軽水炉のエネルギーの3分の1ぐらいはプルトニウムなんですけれども、しかし、実は同時に、ウラン235というのも全部燃やしているかというと、そうではなくて、これはロスがある。結局、仕上がりでは、ウラン資源が潜在的に持っているエネルギー価値の0.5%しか実現していない。この軽水炉の中でプルトニウムを使うという、プルサーマルという計画が今あるわけですが、極限までいっても、たかだか1%しか使えない。これでは、エネルギーとしての原子力は石油並み、多分石油より少ない資源でしかない。それを21世紀の主要なエネルギーにするのは、どうしても増殖炉でプルトニウムを作って本格利用する必要がある。これが原子力の夢で、やっぱりロマンであって、私自身、これに非常に引かれたわけで、この基本目標は今でも私は支持しております。ただ、この基本的な目標を実現するための技術の経路というのは、では「もんじゅ」のパスしかないのかというと、そんなことは決してないわけです。途中にいろいろなパスがあり得るわけです。今日は時間がありませんから、そのことの内容は割愛します。だから、基本目標は支持しておりますが、このパスが単線で、これしかないとは決して考えていないということです。メモにちょっと余計なことを一つ書きましたけど、プルトニウムじゃなくても、トリウムからウラン233を作っても、技術的には同じことができるのです。やっぱりこれも考えるべきだと思っています。しかし、基本目標は支持するにしても、それをどうやって実現していくかというところがやっぱり大問題です。
- そこで、2番目に申し上げたいのは、原子力開発利用の長期計画の扱う時間範囲についてです。昭和42年に原子力開発利用長期計画というものが出されたときに、ここで動力炉開発の基本路線が決まっているんです。これは先ほど今井さんがおっしゃった件です。動力炉何とか問題懇談会ということで大変勉強されて、ここで動燃事業団が設立されているわけです。私はちょうどこの後ぐらいから原子力を大学で選んだものですから、実はこのときの資料を随分読みました。非常によく勉強もされているわけです。
- このときの長計は何が目標だったかというと、動力炉開発計画で約10年かけてFBRと、それから新型転換炉という日本語がついていますATR、この原型炉を2つ完成させると、これが計画の目標です。しかし、この基本路線というのが、結局、もう30年近くなってきましたが、昨年、ATR開発は中止になりましたけど、それまで、この基本路線で30年間来たわけです。スケジュールだけを先送りにして。FBRの実験炉、これは常陽です。それからATRの原型炉、これは「ふげん」ですけれども、これらは数年のおくれで実現しておりますけれども、今問題になっておりますFBR原型炉、これが「もんじゅ」なんですけれども、これは42年の長計から考えますと、約20年間おくれているわけです。42年の長計のときに、FBRを実用化する目途はどのあたりに立てたかと申しますと、実は1985年、昭和60年ごろと書かれてあるわけです。これは今や、FBRの実用化はいつかということは、議論するのもあんまり解のないことだと思われる状態になっているわけですから、非常に大きな変化がある。
- その30年間の間に何が変わったのかということをいろいろ考えてみると、過去30年間、原子力を選んでからの私の記憶ですが、世界の原子力発電規模見通しというのが、この42年長計後、一時大きく膨らむわけです。アメリカだけで2000年の原子力を10億キロワットにするという時代がありました。世界は20億から30億キロワットになるという話で、日本は1990年に1億キロワットで、2000年には2億キロワット。民間ではもう少しいくと言っていたわけです。
- そういう時代を経て、しかし今はどうなっているかというと、2000年に4億そこそこということになっているわけです。これは非常に大きな見通しの縮小なわけです。この中で、そういう大きな環境変化があったにも関わらず、政策担当者が自分のイニシアチブで、何でこの基本路線を変えられなかったのか。ATRを変えたのは、結局、電力側からの経済性があわないという申し入れによっているわけです。しかし、自らどうして変えられなかったのか。ATRがですね、必要か必要でないかは、経済性の問題が大きな問題ですけれども、プルトニウム利用という燃料サイクル上のATRの意義というのを考えてみても、その意義がいかに当初のもくろみから外れてきて、薄れてきているものかということは、専門家であれはよく分かることです。これもここでくどくど申し上げることはしません。にもかかわらず、これがどうして変えられなかったのか、それをやっぱり解明していただきたい、というのが一つ。
- もう一つは、やっぱり長計といえども10年以上議論するのは、無責任にならざるを得ないのではないのか。私は基本目標を支持しますから、非常に長期の目標ということに関しては方向を定めるべきだと思うんですけれども、計画は、やっぱりそれに責任を持てる時間範囲に抑えるべきだというふうに考えます。そうしますと、計画が単線で、それしかないというのでは困るわけです。3番目に計画の柔軟性ということを書いたわけですが、今やプルトニウム利用技術を完成させて使うということをすぐやらなきゃいけないという状況ではないわけです。これは皆さんもおっしゃっているとおり、つまり時間的な余裕はあるわけです。この時間を使って燃料の設計も、今はナトリウムで冷却して混合酸化物の燃料を使うとなっておりますし、再処理の方式もそれほど大きな変化はございませんけれども、燃料設計とか再処理方式等というのは、時間があれば革新的な方式を開発することができると思うんです。こういう中で、単線的な開発路線じゃなくて複数開発路線を持つことが重要です。もし日本が原子力の技術のリーダーになろうとすれば、やはり過去そういうことができた国を見るべきだと思うんですが、アメリカが1950年代に平和利用の原子力開発を始めたときに、どれぐらい複数の技術を並行して追いかけていったかということを考えるわけです。リーダーたるものはそういうことをやるべきです。当時のアメリカの経済力と今の日本の経済力を比べればそんなに劣っているわけでもないというわけですから、あとは技術の開発に関してどれぐらい革新性というのを重要視するかということだと、私は思っております。
- しかし、じゃ、技術開発を待っていればいいのかというと、私は、現実路線としてそうは思いません。今まで積み上げてきた基礎・基盤があるわけですから、このプルトニウムの利用技術、今まで積み上げてきたものを継続していくということは非常に重要なことだと思います。それにはプルサーマルというのが一番適切なものであると考えております。ただ、プルサーマルを、積極的にどんどん進めていくかというと、それはまた違うんではないでしょうか。だから、そのためには軽水炉の使用済燃料を貯蔵するということが、現実にも既に行われておりますけれども、その軽水炉の使用済燃料のもう少し長期の貯蔵というものに関して本格的な位置付けをきちんとすべきではないか。そうすることがプルトニウム利用技術開発に柔軟性を十分与える。そうでなければ、どんどん押しかけてくる使用済燃料に押し出されるような形でプルトニウムを使わなきゃいけない。これは最もまずいことであります。そうでないように、計画に柔軟性を与えるために貯蔵というものを本格的に位置付けていただきたい。
- 最後は、プルトニウム利用に関する最後なんですが、なぜ日本でFBRかというときに、原子力関係の人はよくエネルギー・セキュリティーだというんですね。資源のない日本が独自でエネルギーを持つ準国産エネルギーだというわけですが、しかし、我が国のエネルギー・セキュリティーのためにプルトニウムを使うという論理は、私は理解されないと思います。プルトニウムというのは非常にセンシティブ・マテリアルです。プルトニウムを我が国が自由に使えると考えるのは、多分幻想だと思うんです。あくまでプルトニウム利用の基本的な意義は、一番最初に申し上げたエネルギーとしての原子力を非常に大きいものにする、21世紀の主たるエネルギー源になり得るということであって、これは地球規模で位置付けるべき意義だと思います。そういう意味でちょっと妙な言葉を使いましたが、地球的公共財として開発すべきではないか。したがって、当然孤立して開発するのではだめであって、やはり国際的な協力が要る。そのときにITERを悪く言うわけではありませんが、ああいうふうに1本だけの開発じゃなくて、やはりもっとオプションを国際的に分担するような開発というのを考えていけばいいんではないか。これはちょっと余計なことを言い過ぎました。
- 最後に時間も大体きましたので最後に一言だけこの機会に申し上げたいと思ったのは、これはこうあるべきだというんじゃなくて、こういうのも考えたらいかがですかということで、放射性廃棄物処分なんですが、今、放射性廃棄物、特に高レベル廃棄物は、地層処分をしていずれ管理を離れるという全体のシナリオを、今、認めてもらおうと思って、多分関係者の方は非常に努力されていると思うんですが、しかし、廃棄物を人間環境から隔離して処分して、そしてあとは面倒を見ないということを言うのは、多分技術的にもかつ社会的にも非常に難しいことだと思うんです。むしろ責任の持てる時間範囲というのがある。それもかなり長い範囲を技術的に保証できるはずですが、それを保証して、これをまた繰り返していくという考えもあるんではないでしょうか。私はこの問題を、これはこうすべきだと言うつもりは毛頭ありませんけれども、こういう考えをもうちょっと真剣に議論していかれればどうかと思います。
- 最後ちょっと別のことを申し上げましたけれども、以上でございます。
- 【西野】 大変ありがとうございました。
- それでは、一番最後になりましたが、ここでご発言の後、退席されるということでございますので、ご意見と同時に全体に対するものがございましたどうぞ。江崎さん、お願いいたします。
- 【江崎】 ご要望にこたえられるかどうかわかりませんが、私もこの後、退席させていただいて、あと文部省関係の仕事もございまして、文部省から飯を食っている限りは欠席するわけにはいかないわけでございますから。
- 1945年、戦争が終わった年でございますが、二つの大きなノーベル賞が受賞されました。一つはフレミング、それからチェアー、フローリーという、この3人が抗生物質--ペニシリンを発見いたします。これは人類に非常に大きな影響を及ぼしたことは申すまでもありません。それが医学生理学賞、それから、化学賞にオットー・ハーン。これはウラニウムのヘビー・ニュークレアスが、分裂したときにものすごいエネルギーを出すということを発見したドイツの人でございます。実は1944年に与えるべきものが45年に与えられた。45年というのは戦争が全部終わりまして平和になったわけでございます。物理学者は、1930年代もろもろの発見をいたします。このオットー・ハーンの発見も1930年。ところが、原子爆弾ができる、それから、原子力の平和利用というようなことが出てきまして、戦後、いよいよ原子力というものと我々は切っても切れない関係になってまいったわけでございます。こういう会議が行われるということ自身、原子力とは切っても切れないいろいろな問題があるということを裏書きしているわけでございます。
- それから、先ほど皆さんの話を聞いておりまして、12人の方が話をされまして、私の判断をしますと、そのうちの4人は大変原子力に反対、そのうちの4人はかなり賛成、あとの4人はあんまりはっきり……、プラスマイナス・ゼロぐらいで、ちょうど賛成・反対がうまくバランスがとれ、これはどなたかがこういうアレンジをなさったんじゃないかと思われるほどでございます。
- 私はアメリカに住んでおりまして、アメリカの事情を若干申しますと、アメリカの非常に古い原子力発電所でインディアン・ポイントというのがございます。私の住んでおるところは、インディアン・ポイントから10マイルぐらい離れて、インディアン・ポイントのニュークレアスが危険か危険でないかというようなことが、これはもう20年ほど昔でございます。原子力はインディアン・ポイントに2つか3つあると思います。そのうちの一つはもう既に運転していないものもあるんじゃないかと思います。現在ならインディアン・ポイントなどに決して原子力発電所はつくられないだろう。と申しますのは、50マイル範囲内にニューヨーク・シティーがすっぽり入りまして、1,000万人ほどの人間がそこに住んでいるわけですから、先ほどからも問題になっておりまして、どこへつくるかと、立地ということが大きな問題になっている。皆さんもうこれはご存じだと思いますが、こういう論議がたしか20年ぐらい前にアメリカでやりました。アメリカは原子力発電所は当分やめようという、先ほど舛添さんが日本では開発するのは難しいだろうとおっしゃいましたが、アメリカでは既に20年ほど前にそれが難しくなっていて、舛添さんは日本は十分にデモクラティックでないからというような表現をされたようにしましたけど、アメリカはあまりにもデモクラティック過ぎたから原子力がとまったんじゃないかと私は思います。
- 原子力ということについてもう一つ、コスト、やはり経済性ということがございます。安全ということは必ずコスト、100%安全でものすごくコストをかけますと非常に安全なものができるわけですが、そんな原子力は使いものにならないというわけです。
- 実は私、アメリカからこちらに帰ってまいりまして、家内が銀行から帰ってきて、江崎さんのところは電気代をあまりに使い過ぎると銀行から文句を言われたと、こういうことを。何も銀行に文句を言われる筋合いは全くないんですが、電気代が銀行から引き落としされるんですが、ですから銀行の人はそれを知る機会、プライバシーを知る機会がありまして、幾ら使うと。ここで一つの問題は、日本の電気代というのは非常に高いんです。アメリカから比べると、多分私の記憶では倍ぐらいで、今日は電気のコストということがちっとも問題にならなかったように思いますが、やはりコストということはかなり重要な問題だと思います。ですから、うんと安全にしてくれという、もしそういうコンセンサスがあるんだったら、どれほどコスト、それに見合うかと。
- 先ほどから議論で12人の方、私は13人目というあまりいい番号じゃございませんが、13人目になるわけです。先ほど申しましたように、4人の方はかなり反対、4人の人はかなり賛成、あと4人はプラスマイナスというところでございます。というのは、この問題がそういうことになるということは、我々人間というのは仕方ないんですが、エモーショナル・マインドを持っているわけです。ですから、ラショナル・マインド、エモーショナル・マインドで、こういう問題はエモーショナル・マインドで論議する場合が非常に多いわけです。もう一つは、非常にポリティカル・マインドとテクニカル・マインド、そういうふうに分けれるかもしれません。
- ですから、先ほどからも言われていますようにコミュニケーション、要するに行政側とシチズンですか、そういうふうなコミュニケーションということが非常に重要です。「コミュニケーション」という言葉は、英語で申しましたけれども、正確には日本語に「コミュニケーション」というものを翻訳する日本語がないんです。「コミュニケーション」というのは、ただ「情報の伝達」だけじゃなしに、もともと「分かち合う」というラテン語から来ているわけです。ですから、例えば鳥がお互いにさえずっている、どこにえさがあるか、あるいは愛のささやきもあるかもしれません、ともかくそういう場合にはそれを共鳴しているわけです。「コミュニケーション」ということ自身が生活なんです。それはともしくとして、非常にトランスペアリンツなコミュニケーション、「コミュニケーション」はいろんな分かち合うといいますか、そういうことが非常に重要で、言いますとあまりにもエモーショナルにならず、原子力というものは好きだとか嫌いだとか、そういう問題じゃなしに一つのエネルギー源として。アメリカでは原子力発電所は74年以来はストップいたしましたが、それでもたしかアメリカの21%ぐらい原子炉を使っておりまして、その原子力なしには生活できないというのが現状じゃないか。