原子力政策円卓会議(第2回)議事概要
- 日 時:平成8年5月17日(金)13時30分〜17時45分
- 場 所:富国生命ビル
- 出席者:
- モデレーター
- 茅 陽一 東京大学名誉教授(議事進行を担当)
- 佐和 隆光 京都大学経済研究所長
- 鳥井 弘之 日本経済新聞社論説委員
- 西野 文雄 埼玉大学大学院政策科学研究科長(議事進行を担当)
- 招へい者
- 芦田 甚之助 日本労働組合総連合会会長
- 今井 隆吉 杏林大学教授
- 岩崎 駿介 筑波大学助教授/市民フォーラム2001代表
- 江崎 玲於奈 筑波大学学長
- 加納 時男 東京電力常務取締役
- 河瀬 一治 全国原子力発電所所在市町村協議会会長(敦賀市長)
- 坂田 静子 脱原発北信濃ネットワーク代表
- 桜井 淳 技術評論家
- 人見 實徳 茨城県副知事
- 舛添 要一 国際政治学者
- 守友 裕一 福島大学教授
- 柳瀬 丈子 フリージャーナリスト
- 山地 憲治 東京大学教授
- 原子力委員会
- 中川 秀直 委員長(科学技術庁長官)
- 伊原 義徳 委員長代理
- 田畑 米穂 委員
- 藤家 洋一 委員
- 依田 直 委員
- (敬称略 五十音順)
- 議事概要
注:文章整理の関係から表現が必ずしも発言どおりではない場合がある。
- 参考別紙:「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」[別紙1]
- :「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」[別紙2]
《中川原子力委員長開会挨拶》
- この円卓会議は4月25日に第一回目が開かれ、本円卓会議の進め方、情報公開の問題等について意見交換が行われ、円卓会議には各方面からいろいろな要望とともに大きな期待が寄せられている。
- 円卓会議に若者や女性を含め一般の方々の参加を求める件やテレビ等により、広く国民に議論の模様を伝えることについて目下検討中。
- 円卓会議での議論が、安全、環境、エネルギー等様々な問題を、国民一人一人が自らの問題として考えるきっかけとなることを期待。
《モデレーター冒頭挨拶》
- 原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的事項等については、資料を配付。会議の円滑な進行に協力を期待。(参考別紙「原子力政策円卓会議開催に当たっての基本的事項」参照)
- 本円卓会議では、エネルギー確保の観点のみならず、様々な観点から、原子力をめぐる幅広い議論が行われるよう議事運営していきたい。
- 今回を含め、当初の数回は、特定の分野にとらわれない全般的な議論を行う。各回の結果は次回以降の会議において配布し、議論を広げていく予定。回を重ねた後の進め方については、議論の進捗状況を見極めつつ、焦点を絞った議論を行うことも含めて検討する。
- 忌憚のない建設的な意見交換を期待。また、今後、論点の絞り込みを行う場合に、テーマに応じ、再度出席を依頼する場合もある。
《招へい者の意見発表》
各招へい者は、別紙の発言要旨に基づき、順次意見表明を行ったが、その内容を項目別にまとめると以下のとおり(参考別紙「招へい者より事前に提出のあった発言要旨」参照)。
□エネルギー関係
- 連合内には賛否様々な意見があるが、「原子力発電は重要なエネルギー源と位置づける。しかし、一層の安全性の確保が前提である。」と言うことで大方の合意となっている。今後は、地域の理解と合意形成が最重要課題である。
- 原子力の平和利用の堅持、さらに省エネルギー、新エネルギーの積極的推進も重要。
- 今後のエネルギー安全保障に関して、アラブ湾岸の政治的安定が確保されるか、カスピ海付近の石油とガスの開発に投資が集まるか、資源よりも環境が優先されるか、東アジア、特に中国が原子力に依存するのか、といった点が鍵となる。
- 21世紀の地球環境を考えた場合、原子力を抜きに考えることは極めて難しい。
- アジアを論ずるに当たり、エネルギー問題についての言及がない。過去2回の石油危機は供給サイドの問題だったが、3回目があるとすればアジアのエネルギー需要の急増という需要サイドの問題によるものであろう。
- ODA大綱内にエネルギー問題に関する言及が少ない。住専の5000円については議論するのに、一人毎年12000円のODAの使途のチェックについては、マスコミも政治家も寡黙である。省エネ、効率的エネルギー利用を図ってもらうための援助がODAに占める比率はあまりにも少ない。
- 東南アジアの経済発展のバラ色の夢だけでなく、エネルギー問題から見ると、経済成長にブレーキをかけ、エネルギー制約をどうするかももっと真剣に考えてほしい。
- エネルギーに関係して、エンバイロメンタルな問題も避けて通れない。ラショナルでテクニカルなマインドで問題解決にあたるべき。また、これはテクニカルだけでなく、ソーシャルな面も有する問題。
□原子力一般
- 原子力委員会、原子力安全委員会、行政の位置づけを明確にすべき。
- 原子力の商業利用は、その危険性と独占的性格によって最終的には廃止されるべきである。その第一段階は、DSM(デマンド・サイド・マネージメント)を中心としたエネルギー利用効率の向上、省エネルギー、自然エネルギー利用、分散エネルギーシステム導入等による、原子力の商業利用の抑制。第二段階は、価値観、ライフスタイル、社会経済システムの変革による原子力商業利用の完全廃止である。
- 早急に、新規原子力発電所の建設やプルトニウム政策を休止し、モラトリアムを実施すべきである。
- 原子力を含む科学技術には光と陰があり、光だけを見て陰を無視したり、陰だけにとらわれて光を一切拒否していくというのは疑問。陰の部分を技術システム、社会システムでコントロールしながら、その光を享受してきたのが人類の知恵である。
- 原子力なしにはやっていけないとしたら、どう考えていけばよいのか。消費者に、国の方針について、誠意ある肉声で聞かせてほしい。
- 原子力を評価する際にはコストという側面を無視できない。日本の電気代は米国の倍ぐらい高い。非常に安全にするというコンセンサスがあるなら、どのくらいコストをかければよいのかを考えないといけない。
- 人間はエモーショナルマインドをもっており、原子力問題はエモーショナルマインドで論議されることが多い。好きか嫌いではなく一つのエネルギー源として原子力発電の割合がどのぐらいであるべきかといったことを論議するべき。
- チェルノブイルの警告を他人事と思わず、本気で受け止めて欲しい。
□リサイクル政策関係
- 核燃料サイクルの研究開発は、「もんじゅ」の事故を厳しく受け止め、先を急ぐことなく、国民合意のもとに、慎重に進めるべき。
- 長期的にはアジア・太平洋・途上国をはじめとしてエネルギー需要が激増。「リサイクル」は長期的、世界的に不可欠な選択。また、「使い捨て」路線は、まだ使える資源を高レベル廃棄物にしてしまい疑問。
- リサイクルの経済性を向上させるためにも継続と積み重ねが大切であり、使用済燃料の再処理、FBRの長期的なR&D、当面のMOX燃料の軽水炉利用を促進すべき。
- リサイクル技術の開発は技術先進国としての日本の責務。開発に関わるコストは、リスクヘッジ、セキュリティコストと認識すべき。
- プルトニウム利用技術開発には再処理等の革新的技術を基礎から開発するための時間的余裕があるので、様々な技術オプションを追求すべき。他方、既存のプルトニウム利用技術基盤を維持することは必要であり、それについてはプルサーマルが一番適切。
- プルサーマルの進め方については、まず、軽水炉の使用済燃料の長期貯蔵に関しきちんとした位置づけをし、プルトニウム利用計画に柔軟性を持たせるべき。
- プルトニウム利用は、わが国のエネルギーセキュリティという観点からだけでは理解が得られない。あくまで、原子力が世界の21世紀の主要エネルギーとなるという地球的観点から有意義であると位置づけるべき。そういう観点に立てば、プルトニウム利用技術を地球的公共財として開発するべきであり、国際的に協力して実施するべき。
□高速増殖炉及び「もんじゅ」関係
- 今回の事故は、動燃の技術への過信があった。また、「情報隠し」など、重大な過誤があり、これまでの原子力行政の問題点(体質)が顕在化した。
- 「もんじゅ」事故の徹底解明と万全な対策の実施、地元住民の合意形成を図るべき。
- 「もんじゅ」事故では設計面、運転面で反省すべきところが大。しかし技術的には必ずしも大事故ではない。最大の問題は広報面の不適切さであり、原子力のリサイクル路線の修正を不可避とする事故ではない。
- 「もんじゅ」事故で問題となった情報の非開示や操作は、国の指導が欠如しているため。
- 「もんじゅ」の事故は、原子力行政、安全規制行政にまつわる矛盾が噴出したもの。
- 現在の軽水炉ではウラン資源の潜在力の0.5%のみを利用。プルサーマルでも1%が限界。原子力を21世紀の主要エネルギー源にするためには、増殖炉でプルトニウムを利用することが不可欠であるとする基本目標は支援。しかし、この目標を実現するための技術的経路は必ずしも一本道ではない、また、プルトニウムではなくトリウムからウラン233への道も考えられる。
□バックエンド関係
- 放射性廃棄物の処理処分について真剣に検討し、将来計画を早急に提示し、実行すべき。
- 原子力とつきあっていくことを考えた際に気になるのは、高レベル放射性廃棄物の処理の目安や将来見通し、リサイクルに関する国の考え方や将来見通し、廃炉の見通し等である。
- 放射性廃棄物を人間環境から隔離して処分する考えもあるが、責任の持てる時間範囲を限定して、時限がくる度に改めて管理し直すという考えも議論してはどうか。
□安全関係
- 原子力施設に関する安全規制行政は一元的に国の重い責任のもとにあることを国は十分に再認識し、安全の審査基準や安全規制行政のあり方を見直すことが必要。
- 国民の安全、安心を最優先にした行政を望む。
- 原子力の安全確保については、国による一元的な安全規制のほか、自治体の立場から地域の実情に即し、第三者監視機構による環境放射能監視体制の確立、安全協定の締結等を通じて取り組んできた。
- 現地における原子力防災対策の機能強化などについて国に積極的な対策を望む。
□国際関係
- 旧ソ連の核弾頭は管理がずさん。それらの処分の仕方としては燃料として燃やすしかない。
- 重大事故は国境を越えること、核兵器疑惑は世界の脅威となることから「一国主義」ではなく「国際協力」の枠組みづくり、特にアジアでの協力のための日本の貢献が必要。
- 非常に心配しているのは、アジアにおける原子力発電所の建設ラッシュ。建設ラッシュの実態を見ると、チェルノブイルが起こらないという保証はない。アジアの近隣諸国でチェルノブイルのようなことが起こったら、国民感情として、日本の原子力発電所は全て止めざるを得まい。
□教育・理解増進関係
- プルトニウムの問題を違う視野から広く理解してもらう努力が必要であろう。
- 核燃料リサイクルの必要性について、もっと分かりやすく国民に説明し、理解を得られるよう積極的に対応をすべき。
- 都市の住民には、エネルギー問題への参加感が乏しい。積極的に参加できるものとしては、ゴミ発電とソーラー発電が考えられるが、コストも含めて考えるとゴミ発電しかない。今、エネルギーをどれだけ使っているのかを、昔のppm表示みたいに示せれば、もっとみんなが参加感をもってエネルギー問題を考えられるようになると思う。
□社会と原子力関係
- バックエンド対策、使用済燃料のサイト貯蔵、プルサーマル計画等、核燃料リサイクルを中心とした国の原子力政策は、計画どおり遂行できるか否か疑問。専門家や知識人だけでなく、国民の意見を広く取り入れた政策決定を図るべき。
- 防災を国の責任として明確に位置付けた「原子力災害対策特別措置法」を制定すべき。
- 原発は到底人間の幸福とは相容れない物であると確信している。これ以上地球を放射能で汚染しないでほしい。
- 茨城県において、原子力開発利用が順調に進展しているのは、地元の人々の理解と協力の賜物。
- 住民投票、国民投票も問題によっては結構だとは思うが、ヨーロッパの歴史からみると、代議制民主主義は独裁を防ぐための一つのやりかただった。代議制民主主義と住民投票との関係、中央と地方の関係をどうするかなど、民主主義の根源的な議論なしに、個々の議論をアドホックに進められると、民主主義の基盤が崩れるのではないか。
- 日本では、今後いくら必要であるにせよ、原子力発電所の建設はできないというくらい、日本の民主主義は未成熟なままである。
- 地域開発には外来型開発と、内発的発展とがあり、発電所立地は前者。外来型から自立的発展サイクルへの移行が議論されてきたが、現実に自立的発展サイクルへ移行した例は極めて数少ない。ポスト原発対策は再び原発建設という形になっているのが現実である。
- 「双葉地方まちづくりフォーラム」では、太平洋との共生、双葉地方を一つにした発想と実践による相互補完主義、医療、教育の充実による真の生活の向上、文化によるまちづくりの延長線上に地域づくりを考えるべきであると提起した。しかし、その後、サッカー・ナショナルトレーニングセンター(NTC)の建設が提起され、内発的地域づくりの考え方が希薄化してしまった。大規模設備の建設とその波及効果という在来型の開発パターンから抜け出せていない。NTC建設では「交流人口」の増加による地域振興という考えも出されているが、「交流人口」の概念は過疎農山漁村の内発的地域づくりの中から出されてきたものであり、大規模施設の建設とはズレがある。
- 国家としてのエネルギー政策を軸としてこれからの地域社会・経済を考えていくのか、現実の地域に目を向け、そこでの地域振興策を軸としてこれからのエネルギー政策を考えていくのかという選択の場合、後者から再構築し、その枠組みの中でエネルギー政策のあり方を考えるという手順の方が望ましいと思われる。
- ビッグバンを1月1日とすると、大晦日の暮れる頃になって人類が登場し、同時に人口、資源、環境という問題が一気に浮かび上がってくる。そうした中で人間は、火の使用から始め、文明を築き上げてきたが、人類文明全体の中での、現在の原子力利用の位置づけをしっかりと知りたい。
- この30年間に原子力開発の条件が大きく変化したのに、昭和40年代はじめに定めたATR原型炉開発、FBR原型炉開発という基本路線を、政策担当者自らが変更できなかったのが問題。そもそも10年以上の長期計画策定は無責任ではないか。
- 米国でも原子力を巡る論議が確か20年前ぐらいにあり、原子力発電所を当分はやめようと決めた。議論がデモクラティックであり過ぎたために原子力が止まったのだと思う。
- 行政側と市民側との透明性のあるコミュニケーションが重要。
- 現代社会は、科学と技術の基盤の上に成りたっていることは事実。生活水準向上の多くは科学技術によるものであるが、環境破壊が起こっているのも事実。原子力についても、人類の将来、日本の将来においてどう位置づけられるかをはっきりさせる時期に来ていると思う。その際、ラショナルかつテクニカルなマインドとコミュニケーションが重要である。
- 終戦の年、ウラン核分裂によるエネルギー発生に対し、ノーベル賞が与えられた後、人類は原子力と切っても切れない関係になった。この会議自体がこれを裏書きしている。
□立地地域と消費地関係
- 電源三法は地域の意に沿った方向で運用されておらず、根本から見直すべき。
- 立地地域の重い負荷は、消費地も含めた全国民が等しく負担するべきものである。そのことを国は改めて国民に再認識させる必要がある。そのためには、国は本質を見極めた広報を行うとともに、積極的に国民に説明するよう、情報の開示をも含め広報のあり方を見直すべき。
- 原発所在市町村は、これまで国策に協力してきたが、その苦労は、いまや限界に達している。国は、国民の合意形成に努力し、安全規制行政の信頼回復や原発立地地域住民の福祉向上に特段の努力をするべき。
- 東海村では、人が定着し、人口が増えており、原子力開発はうまくいっている。この点に留意すべき。
□円卓会議関係
- 「円卓会議」は単に意見聴取に終わらせず、真に国民の意見を反映できる場にしてもらいたい。
- 「持続可能な開発」のためには、地球人として生きることが求められ、そのためには、政策決定過程への市民参加の実現が必要である。
- 原子力委員会の民主化と地域円卓会議の開催が必要であり、このための準備過程として、政府、企業、市民による真の円卓会議の継続が求められる。
- 2年前に始めたもんじゅ凍結署名が、今月初め100万人を超えた。長官もこれを重く受け止め、「円卓会議を始めに結論ありきということにはしない」と言ったと聞いている。
- 「国策としての位置づけの一層の明確化」との記載のある文書があったが、これでは、国策として推進するという姿勢に変わりなく、批判意見を取り入れる余地がない。国策(原子力基本法)の見直しも必要である。国策も誤ることがある。
□情報公開関係
- 科学技術庁、動燃事業団、原子力委員会などを国民に開かれたものとするように抜本的に見直しするとともに、情報公開を促進し国民の意見を行政に反映できるシステムの構築が必要。
- 情報公開は「市民」の建設的な提言と節度ある行動を確立するために必要。
- 核物質輸送、発電コストの算出根拠、安全性など原子力に関する多くの事実が国家機密と言う名において公開されていない。
- 市民に必要な情報公開とは、原子力利用のプラス面とマイナス面とを公平に知ることができ、自分で考え自分で選択するための材料が用意されることである。
- これまでの政府広報は推進一色であった。今後は、広報費の半分を反対意見の方に提供するのが具体的な良い方法ではないか。
- 巻町で住民投票が行われるが、資源エネルギー庁が原発推進のPRを始めている。自分たちで原発の是非を決めようとしているのに、政府が横やりを入れていることに対し、納得のいく理由を聞かせてほしい。
- 政策立案の客観的根拠が明確でない。原子力委員会、原子力安全委員会等は透明性が欠如しており、審議過程と議事録の公開を行うべき。
- プロジェクト遂行時の責任を明確にすべき。
- 原子力行政は少数、特定の人達によって進められている。原子力に直接関わっていない人達の意見をも反映すべきであり、原子力委員会に原子力以外の分野の人も入れるべき。
- 国は、事業者を指導し、情報公開の促進を図るとともに、国自らも情報公開に一層の努力をするべき。
- 長期エネルギー見通しでは、あなた達はたくさん使うだろうから原子力が必要だといっているが、消費者はそこまで全体を考えていない。今後、この会議に消費者をもたくさん呼んで、エネルギー消費のあり方について考えないといけない。
- 善悪でなく、現実に処理をしていくために、冷静、的確な情報を提供してもらいたい。
- もんじゅ事故の情報に対する、東海村村長、県議会議員の冷静な反応の裏に、40年間の歴史の中で培った「情報交流」があったと聞いた。情報公開にあたっては、このような心を開いた交流があってほしい。
《原子力委員の総括的見解》
- 国際的な視点、政治的議論の必要性、地域振興に関するもの、また、原子力政策に対する厳しい意見等をいただき、今一度、原子力政策のあり方について考えてみたいという印象を受けた。
- 信頼を確保するためには、健全でダイナミックな市民社会を作っていく必要がある。そのための基礎には、説明する責任があり、一層わかりやすい説明を心掛ける必要がある。
- 廃棄物処理処分、防災対策については安全を最優先にし、責任をもって対処する。
- 将来の我が国、そして世界のエネルギー確保のあり方、その中での原子力の役割など様々な意見があった。また、現行の原子力政策に対して、多くの視点から改善点、問題点を伺えたことは極めて有意義。
- 前回、原子力長計を策定する際も、広く一般の意見を承る努力をしたが、さらに、本円卓会議を通じ、虚心坦懐に皆様の意見に耳を傾け、その結果、原子力政策に反映すべき事項は弾力的に反映する努力を行う。具体化する必要のあるものは、関係省庁にお願いし、結果を会議に報告してもらう。
- この議論の場については、結果について予断を持たず、広く忌憚なく意見を言って欲しい。円卓会議の運営についても意見があったが、必要に応じ改善し、本会議を実りのあるものとしたい。
- 原子力は幅広く、多くの面を持っているが、社会的にはこのうち「原子力発電」「プルトニウム利用」が注目されやすい。特に、「プルトニウム」「核燃料リサイクル」「廃棄物処理」等の関心が高い。
- 今後、原子力政策を考える際には、原子力発電、プルトニウム等のみならず、多層的、多次元的に関連した原子力の全体像を視野に入れ、幅広い議論を期待。
- いつも新鮮な気持ちで拝聴。要旨集の中にある原子力を自然との関連でとらえるという視点が重要との意見に共感。原子力は技術中心の側面で捕らえられがちだが、今一度サイエンスの側面に立ち返ることも必要。また、一方では、文明論から考えていくことも重要。自然と科学技術との関わりの視点から、今後議論の場が持てることを期待する。
- かつて、市川房枝さんに原子力のご説明をした際、「原子力を進める上で一番大事なのは、人間的な信頼関係」との意見であった。「人間的な信頼関係の上に科学技術、現代技術は花を開く」とのポリシーを持っておられたが、それは現代でも変わらず適用するものと認識。
- 従来、日本におけるエネルギー問題は、日本的視点が中心だったが、今後は「地球市民」として考えていくべき時代。さらに、現代に生きる我々だけでなく、人類として後々の世代まで考える長期の視点が必要。そうした観点から、原子力の必要性、正しい使い方、受け止め方をどうすべきかを議論してもらい、「国民とともに生きる原子力政策」を進めたい。
《モデレーター後半挨拶》
- 後半は、前半表明された意見をベースに率直な意見交換をしたい。様々なポイントからの貴重な意見を分析すれば、主要な論点は次の5点と考える。
- 「情報公開、政策決定過程の公開」の問題。これには、政策決定過程において、一般の参加についてどう考えるかも含まれる。
- 「エネルギー、環境の中の原子力の位置づけ」の問題。これには、プルトニウム利用も含まれる。
- 「立地点の負担をどう考えるか」の問題。
- 国際的な側面。特に、アジア地域で開発されようとしている原子力に対し、どう考え、どう対応するかといった問題。
- 「人間の文明の中で原子力をどう考えるか」という問題。つまり、これは原子力開発当初からの問いかけである「核を本来人間がコントロールできるか、また、すべき問題か」という視点。
このうち、今回はまず「情報公開、政策決定過程の公開」の問題を議論することとしたい。拙速にいくつもの点を議論するのでなく、一つの点がある程度収束すれば、次に移る進行とする。
《自由討議》
□情報公開(政策決定過程の公開も含む)関係
- 〔情報公開の意義〕
- 情報公開、政策決定の過程への参加については、これまで、国レベルでは多少議論されていても、地域レベルでは議論されていないのが現実。このことが、事故などあった時に、立地点の対応が原発などの対して厳しい方向に激変する要因の一つである。今後は、ローカルな面での参加のあり方、情報公開のあり方などを考えなければ、立地は円滑に進まないと考える。
- 情報公開の焦点は「目に見える原子力」だと思う。つまり、「情報・設備・人が見える」ということ。そのためには、人間の目に見える信頼関係、つまり、パートナーシップが最も重要と認識。
- 様々な政府の懇談会などに参加しているが、いずれも極力公開するとの姿勢と認識。ただし、「ノウハウ、プライバシー、核物質防護」の情報は公開できない場合もあり得る。原則としては、目に見える形の情報公開が前提と認識。
- 茨城県の情報公開条例によりこれまでに公開を求められた情報の件数は、輸送計画の情報が多く、次にプルトニウム管理の情報であり、事故、故障に関するものは非常に少ない。
- (モデレーター意見)
- 政府の委員会、審議会などの公開が最近議論されており、政府の審議会等は公開していく方針との認識。例えば、高レベル廃棄物処分懇談会等も議事録、傍聴とも公開と聞いている。公開はかなり進んでいるとの認識。
- (事務局説明)
- 円卓会議については、議事及び議事録を公開している。また、高レベル放射性廃棄物処分懇談会については、全体の公開はしていないが、終了直後、座長が詳細にプレス発表する他、議事要旨をとりまとめ公開することを決定した。通常の懇談会は、自由な討議を確保するためにも全体の公開でなく、こうした形での公開にできるだけ努めていく所存。
- 〔情報公開の手法〕
- プライバシー、ノウハウは守るべきであるが、地域の人々の疑問に対して、マニュアル通り答えるのではなく、きちんと答えてくれる人がちゃんと顔を持って行う「情報交流」が大切。
- (原子力委員意見)
- わからないことに対してはいつでも答える準備があるので、積極的に意見を言い、質問をしてもらいたい。
- (モデレーター意見)
- 情報の透明性をあげると、生データに近くなり、市民にはよくわからない。専門的な情報と市民とを結ぶ情報コーディネーターのような人が必要。
- 専門情報と市民を結ぶコーディネーターは、本来はマスコミにその役割が期待されている。
- 〔市民参加の意義〕
- 政策決定過程に政府、企業、市民の三者が参加するのは、地球サミット以降、今や世界では一般化しているが、日本はそうした市民参加が遅れている。これは、政府、企業のみが権限を独占し、独占的な力を発揮していることが理由。今後、それらの権限を市民に譲り渡し、三者による平等な意見交換、意思決定を行っていくべき。
- 皆が参加する開かれた議論と一口に言うが、情報公開といった場合、原子力の様々な背景を考慮しなければならないことをどう考えるかも大切。
- 国民が国、地域の行政に参加することは、民主主義では当然。ただし、政策決定課程への参加は、円卓会議への参加、代表制による議員を通じての参加、各種懇談会への参加など、いろいろな形がある。一つの方法に固執するのでなく、大きな方向性の中の柔軟な考え方に基づき、民主主義の原点である参加、公開を議論していくことが必要。
- 地方でもこういう会議をという意見があったが、立地地点では自由な発言ができない人が多いのではないか。
- 〔市民参加の手法〕
- 中央とともに、地域でも市民参加の円卓会議を開催すべき。その際、参加する市民は、個人的意見をいう立場でなく、市民代表として複数の意見を聴取し代表した立場で発言することにより、できるだけ多くの声を反映できると考える。
- 政策の決定過程に「市民」が参加するということは重要と考えられるが、現段階では「市民」の意味がはっきりしない。とりあえず「市民枠」という漠然とした枠を作り、そこに参加することにより「市民」が育ってくるのではないか。
- (モデレーター意見)
- 市民参加の重要性を強調しているが、具体的イメージを提示してもらいたい。
- 地方、立地点で円卓会議を開催すべきとの意見については、重要と認識。
- 前回の議論でも、若年層、女性を含めた一般市民の方をこの円卓会議においても参加させてもらいたいという意見があり、その方向で現在努力している。
- 今まで政策決定過程に市民が参加していない理由として、政府・企業に権限が集中していたということも一つの考え方ではあるが、日本において市民社会が未成熟というのも一つの考え方としてある。そこで、市民の参加枠というのを漠然と設けることにより市民意識が育っていくと考えられる。
- 政策決定のプロセスにおける市民の参加の重要性について今日認識の一致を見たと考えられる。本会議も市民参加の一形態であり、また、そのような方向に進むように努力したい。
□教育・理解増進関係
- 今までの国の広報は推進だけで、公平ではない。国民の多くが原発について心配しているのだから、原発の危険な面についても、広報費用の半分を割いて、わかりやすく知らせて、国民が議論できる基盤を作ってもらいたい。
- 東海村で原子力の研究機関を建設する時にも、当然心配している人も多く、真剣に質問し、話し合いを重ねた。最後は理論的に同じレベルで理解したということではないが、「専門家がそこまで言うのなら、その誠意と英知に信頼しよう」ということであった。そのような時間と熱意が重要。さらに、その信頼関係を続けていくために常に努力が必要。
- 全国的に見れば、原子力に興味を持っていない国民も多く、そういう人は何か事故が起これば、発電所のある地域は危ない地域と誤解する。電力・エネルギーは人間生活、文明社会に絶対必要なもの。そのような重要なものを生産している地域として立地地域が胸を張れるよう、国として国民全体に原子力をもっと理解してもらう施策を行ってもらいたい。そのためには政策決定過程でそれを織り込むことや、情報公開などが重要。
- 原子力発電所に反対していない地元の人でも、ある程度の不安感を持っていることは事実。しかし不安感が悪いというわけではなく、何が不安であるかを共有し、情報を明確化していくことで信頼関係が得られる。
- 茨城県では、県の行政、議会、関係団体、専門家を入れて監視委員会を作り四半期に一回議論をする。例えば、原子力そのものに関係ない事故であっても原子力施設での事故となれば、一般の人々は大変なことと認識するので、そのような事故でも積極的に公開している。そのようなことが安心感に寄与しているのではないか。
□立地地域と消費地関係
- 地域開発、過疎地での産業おこし等の場合、公と民のパートナーシップが重要。原子力発電所立地点以外のまちおこしなどでは、近年、それらの良い事例が見られるが、原子力発電所立地点では、それらの議論も十分にされていない上に、システムや組織形成の上でパートナーシップも弱いという二重の問題がある。
- 地域振興については、電源三法などがあり、多少は良いようなこともあった。しかし、福井県に原子力発電所が15基あるが、大して良いことはなかったと言う意見も現実にある。
- 環境問題の点でも、開発ということが、結局、力の弱い、声の小さい地域にしわ寄せがいっている。地域で協力して地域自らの声を発していくことが重要。
- 地元の人と話すと、かつては事故を心配し反対していたが、現実に建ってみると放射能を漏らすような事故も起こっていないし、一番欲しかった子供が働ける場所が出来たと感謝している人も多い。
- 原発を今すぐ持って帰ってもらうというのも無理であることはわかっている。立地地域の市民が世話になっているのも事実。安全にそして安心して原子力発電所と共存共栄できるようにしてもらいたい。
□国際関係
- 今日の議論はほとんどが国内問題であったが、国際的な視野における原子力の中で日本がどうしていくかという視点も重要。円卓会議でそういう問題も是非取り上げてもらいたい。
- アジアの原発の安全性確保に協力を進めるべきと言う意見があったが、アジアから見れば日本の原発に不安を持っているところもあり、日本が主導して安全を守るための技術移転、指導ということではなく、相互に安全文化を高めるという方向での協力にしないと意味がない。
- (モデレーター意見)
- 当初数回はテーマを決めないが、その後はテーマを絞って議論する中で国際問題を取り上げることも考えたい。
□その他
- 核分裂は天体の現象。また、放射能は人間の五感では感知できず、科学技術をもってしても無毒化できない。人為的に核分裂を起こして利用し放射能を作り出すことは人間の分を越えているのではないか。
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