原子力政策円卓会議(第1回)

議 事 録

日 時 : 1996年4月25日(金)

      13:30−17:50

場 所 : 日本海運倶楽部 2階国際会議場

原子力政策円卓会議(第1回)出席者

モデレーター
茅  陽一      東京大学名誉教授
佐和 隆光      京都大学経済研究所長

招へい者
池田 こみち     株式会社環境総合研究所常務取締役副所長
岸田 純之助     財団法人日本総合研究所名誉会長
ケント・ギルバート  カリフォルニア州弁護士
笹森 清       全国電力関連産業労働組合総連合会長
庄田 武       静岡県副知事(原子力発電関係団体協議会会長代理)
鈴木 篤之      東京大学教授
鷲見 禎彦      関西電力株式会社取締役副社長
高木 仁三郎     原子力資料情報室代表
ばば こういち    放送ジャーナリスト
樋口 恵子      東京家政大学教授
平山 征夫      新潟県知事
藤目 和哉      財団法人日本エネルギー経済研究所常務理事

原子力委員会
伊原 義徳      委員長代理
田畑 米穂      委員
藤家 洋一      委員
依田 直       委員

             (敬称略 五十音順)
※中川科学技術庁長官(原子力委員会委員長)は、国会審議終了後に来場。

開   会

【伊原】  皆様、おそろいのようでございますので、私、原子力委員会委員長代理の伊原でございますが、原子力政策円卓会議を開催させていただきます。
 本来ならば、中川秀直原子力委員長、科学技術庁長官が出席されてごあいさつを申し上げるべきところでありますが、また、ぜひ出席したいという強いご意向でありましたけれども、残念ながら国会審議ということのためにやむを得ず欠席ということになったわけでございます。どうかご了承いただきたいと思います。つきましては、中川委員長からこの会議開催に当たりましてのメッセージを託されておりますので、私がかわってご披露申し上げさせていただきたいと思います。 「本日、第1回の原子力政策円卓会議が開催されるに当たり、ご多忙中にもかかわらず各界の第一線でご活躍の皆様方のご出席を得ることができたことに対し、心から感謝を申し上げます。
 昨年12月に発生した『もんじゅ』のナトリウム漏洩事故は地元の方々はもとより、国民の皆様に大きな不安感、不信感を与える結果となりました。原子力行政を預かる者として、この場をお借りいたしまして、まず国民の皆様に心からお詫びを申し上げたいと思います。この事故によって国民の皆様の理解と信頼をなくしては原子力の開発利用は進められないということを改めて痛感させられました。この事故を契機として福井、福島、新潟の3県の知事から、今後の原子力政策の進め方について国民的合意の形成に向けて、国がより一層努力すべきである旨の提言が出されました。総理からのご指示を受け、これまでの反省の上に立って関係者で具体策を検討した結果、原子力委員会に原子力政策円卓会議を設置するとともに、シンポジウム、地域フォーラムなどを開催することによって、国民各界各層の方々から幅広いご意見を伺い、これを原子力政策に的確に反映させるべく、従来とは異なる新しい試みに踏み出すことといたしました。
 この円卓会議においては会議の運営を6名のモデレーターにお願いする、議事を全面公開するなどにより、公開性・透明性の確保に最大限の配慮を払うことにしています。このような開かれた場において、我が国のエネルギー確保の観点のみならず、地球環境問題への対応、豊かで潤いのある社会の実現などに関し、多角的な議論が行われることを通じて、国民一人一人が原子力について自らの問題として考えていただくためのきっかけとなることを期待いたします。この円卓会議における根本に立ち返った議論の中で、今後の原子力政策に反映すべき事項を摘出するとともに、さらに検討すべき事項が明らかになれば、原子力委員会、関係省庁等において検討を深めていただきたいと考えます。
 本日の会議を嚆矢として、この円卓会議において忌憚のない活発な意見交換が行われ、実り多き成果が得られることを祈念して私のあいさつとさせていただきます」
 以上でございます。
 今の委員長のごあいさつに私から少し敷衍、補足をさせていただきたいと思います。
 原子力開発は技術論にとどまらず、社会的な問題、国際政治にもつながる問題として複雑で幅の広い論点を含んでいることは皆様もご承知のとおりであります。高度な文明を築き上げた私たちが科学技術をどのようなものとしてとらえ、それがもたらす豊かな文化をどのような形で後世に引き継いでいくのか。こういう基本的な問題を提起しておるわけであります。原子力は過去50年にわたり、時代の最先端領域を形成してきており、現在も重要なエネルギー源を提供するにとどまらず、21世紀の基盤となる総合科学技術として基礎基盤はもとより、医療、工業、農業のみならず生活に密着した分野において幅広く応用されております。しかし、原子力利用が十分、社会的合意を得て進められているかということについては議論の余地がありましょう。特に原子力安全については単なる技術論にとどまらないで、社会的受容という幅の広い議論が必要であります。
 原子力委員会では原子力の研究開発利用の基本方針につきまして、在来から長期計画というのを定めておりますが、平成6年6月に新しい長期計画、すなわち「21世紀に向けて環境調和型経済社会の形成のために国民とともにある原子力」という立場での長期計画を取りまとめました。これに沿って仕事を進めてまいったわけでありますが、残念ながら昨年12月の「もんじゅ」のナトリウム漏れを契機といたしまして、原子力に対する不安感と不信感とをもたらした。「国民とともにある原子力」という立場からまことに残念な状況になっております。先ほどの中川委員長からのメッセージのとおり、私といたしましては、この円卓会議における国民各界各層の方々との議論を通じまして、原子力の持つさまざまな意味について改めて共通の認識を形成し、今後、どのような努力を行っていくか。そういうような点について深く考えたいと思っております。
 そこで円卓会議の議論を今後の原子力政策に適切に反映させていくためには、あらかじめ結論ありき、という議論を行うことはしない。議論をするプロセスが重要である。これを重視していきたいと。また、その結果については真摯に対応していく。こういうことであります。ぜひ忌憚のない建設的なご議論をお願いいたしたいと思います。
 円卓会議では議論を効果的に行うためにモデレーターの方々6人に議事の進行と取りまとめをお願いいたすことになっております。また、今後の運営についてもいろいろご相談をしていくことになっております。本日はモデレーターのうち、茅東京大学名誉教授、それから佐和京都大学教授にお願いしておるわけでございます。
 それではまず、茅教授、どうぞよろしくお願いいたします。
【茅】  ご紹介いただきました茅でございます。
 この円卓会議のモデレーターというのは大変な役割でございまして、これをお引き受けするには大分ちゅうちょしたんですけれども、問題の趣旨が非常に重要であるということでお引き受けをしたわけです。
 最初にちょっと、このモデレーターの役割と具体的な議論の仕方ということについて私の考え方をご説明したいと思います。
 最初にモデレーターの役割ですが、私は参加者の方々のご意見を聞きまして、それを整理して、できるだけ議論がかみ合うようにするということがモデレーターの役目だと思います。したがいまして、どのような立場から出たご意見であっても、それをできるだけ公平に扱って、何とかうまく議論がかみ合うようにするというのが私の、あるいはここにおられる佐和さんの役目だと思います。そういう意味では中立の立場ということになるわけですが、ただ、当然のことですけれども、私にしても、ここにおられる佐和さんにしても個人としての意見は持っておりまして、当然、それを捨象して考えることはできません。したがいまして、モデレーターの役割としては今のように公平に、どのような意見も取り上げ、かみ合うようにしたいと思いますけれども、時に応じて個人としての意見を申し上げることはさせていただきたいと思いますので、その点はご了解をお願いいたします。
 この会議は、ご承知のように、4時間という大変な長丁場でございます。途中に15分ほどの休みを入れます。したがいまして、これを一人のモデレーターで全部やるというのは正直言って、特に私みたいに年を取ってまいりますと大変つらいものですから、二人で役割分担をしようということになっております。今回に関しましては、前半を私が大体、司会をさせていただいて、後半は佐和さんにお願いするという形にしたいと思っております。
 休みの前の前半におきましては、参加者の方々、今日は12人お出でになりますけれども、12人の方々にそれぞれご意見をまず出していただく。これに対してはそのたびごとに仮に質問があったとしても答えをお願いするということはいたしません。一度、皆さんに全部話をしていただきまして、そこで休憩にしたいと思います。そして休憩の間に、出た意見をベースにして、その後、どのような議論の進め方をしたらいいかをモデレーター二人で考えまして、その考え方で後半を議論を進める。そういった形でやりたいと思います。その場合に、ここに原子力委員会の委員の方が4人おられますけれども、この方々には休憩の後、最初に12人の参加者の方々のご意見に対して総括的な反応をしていただこうかと思っております。また、その後のご意見の中では当然、ある程度、問題を絞ってやらざるを得ませんのでそのようになりますけれども、その場合、ご質問あるいはやはり原子力委員会の委員あるいは関係者に何かを意見を言ってもらったほうがいいと私どもが判断した場合は、そのように反応を求めることにしたいと考えております。
 なお、ここにはいろいろな立場の方がいらっしゃいますけれども、やはり、こういう場でございますので、すべて呼称は「さん」で統一させていただきます。したがいまして、私も実は大学の先生の端くれなんですけれども、しばしば「先生」と呼ばれることには慣れておりますけれども、どうか「さん」で呼んでいただきたいと思っております。
 それが基本でございますが、始める前にもう少し説明をさせていただきます。こういった円卓会議を4時間やった後、それをどうまとめるかという問題が次にございます。このまとめというのは当然のことですが、何か合意形成をしてその結果を外に発表するということがもちろんできればそれに越したことはありません。そういうことが望ましいんですけれども、正直言って私個人としてはそう簡単に合意形成ができるものではないと思っております。したがいまして、そういう場合には意見の相違があれば、どういう点に意見の相違があるかということを明確にした上でまとめるようにしたいと思っております。
 そして、議事録は当然、作成いたします。これはそれぞれ参加者の、あるいは発言者の個人のお名前がついた形での議事録でございますが、これを作るのには多少、時間がかかります。したがいまして、個人の名前が載らない、つまり、どういうことが議論されたかという全体の4時間のまとめのようなものを事務局側でできるだけ早く作成をしてもらおうと思います。そして、その作成した内容につきましては公表する前に、やはり参加者の方々に一応、チェックしていただきます。そして、チェックをしていただいて、その修正を行った上で、もちろん最終的にはモデレーターの私と佐和さんで、こういうふうにするという責任を取らせていただきますが、その上で公開をしたいと思います。公開と申しますのは、その後の円卓会議あるいはご希望の方々にはすべて配付する。また、インターネットにも載せたいと考えております。そういうやり方をまとめとしては考えております。
 次に、ちょっと説明の順番が後先になりましたが、今回の参加をお願いした方々でございますけれども、一体、どういう基準で誰を呼んだのかというご疑問がおありかと思います。これに関しましては次のようなことでございます。今回の円卓会議が国民のできるだけ各層から幅広い意見を求めるという趣旨でございますので、やはり、候補者を事務局側、さらにはモデレーター側でわかる範囲で出して、その上でとにかくご都合のつく方を選んで出ていただきました。今回は大変なショート・ノーティスであったんですけれども、ここにお出でになった方々はみんな喜んでお出でになっていただいて、私どもも大変、その点では満足しております。ただ、ここにお出でになった方は今申し上げましたように、モデレーターと事務局が、言葉は悪いんですが、選んだ方々でございます。しかし当然、一般の方々からも参加をお願いするのが筋だと思っております。ただ、一般的に参加を公募をいたしますと、これは実は大変手間がかかるのと同時にお金もかかります。また時間もかかるということがございますので、やむを得ませんので、現在、たまたま科学技術庁が募集しております原子力モニター、現在既に1万人以上の応募があると聞いております。この中から1,000人を選択するんだそうですけれども、このモニターの方々に参加をしていただくということにしたいと思います。ただ、今申し上げましたように、このモニターの応募の締切りが4月26日、つまり明日でございます。したがいまして、参加をお願いするのをちょっと先になりまして、多分、6月ないしは7月ごろになるかと思います。それまでは今のような形の方々、つまり我々でお願いする方々のみの参加になりますので、この点はご了解をいただきたいと思います。
 このような会議をどういうふうにするかということなんですが、参加者は今申し上げましたように毎回、一応、新しい方をお願いしようかと思っております。ただ、今回お願いした方々には未来永劫お願いしないというわけではございませんので、議論の進行状況によっては当然、またお願いするということは出てまいります。この点は留保させていただきたいと思っております。
 「いつまで何回ぐらいやるつもりかね」というご意見が当然、おありかと思いますが、正直言いますと今、本当にいつまで何回というのは決めておりません。とりあえず、今決めましたのは6月までの4回ぐらいでございます。4回ぐらいやってみますと大体、どういう形で意見が出、どのぐらいの議論のかみ合いができるかというのがわかってまいりますので、その段階でモデレーターと事務局が相談をいたしまして、その後の予定を設定する。そんな予定でやるつもりでおります。当然、最初のほうは一般的な議題になるかと思いますが、4回目以降はかなり議論を一定の範囲に絞ってやることになるのではないかと想像しております。しかし、これは今後4回の議論の成り行き次第でございまして、今ここで、こうなるということを予測することはなかなか難しゅうございます。「いつまで」という点でございますが、これも先ほど申し上げましたように正確には決まっておりませんけれども、何事でもめちゃくちゃ長くやっても意味がございませんし、また現実に進行しております原子力の動きを考えますと、いつまでもやるわけにはまいりません。ほぼ1年程度というふうに私は考えております。その上で、その結果をどのような形で原子力政策に反映していくかということについて具体的に検討していくことになるかと考えております。
 大体、以上のような筋でやろうと思っております。なお、今申しましたような円卓会議自身の運営の仕方、これについても当然、ご意見がおありかと思います。これを本当は今、この場で議論するのが筋でございますけれども、参加者の方が毎回同じであれば今、ここでやるのが筋なんですが、さっき申し上げましたように変わるものですから、ここでそれを議論してしまいますと毎回、それをやらなければいけない。となりますと、やはり本質論が失われる恐れがございますので、私としては次のようにさせていただきたいと思います。先ほども申し上げましたように、とにかくこれから12人の方のご意見を伺います。その後で休憩を取りますが、休憩の後、そして原子力委員会の方の反応を伺った後で、今申し上げましたような円卓会議のやり方あるいは趣旨についてご意見があれば伺いたい。そして、それを一定時間やった後、その次の議題に移ると。そういう筋で全体を進めたいと思います。このようなやり方を取ることをぜひご了解いただきたいと思います。よろしゅうございましょうか。やや押しつけがましくて申しわけないんですが、それではそういう形で話を進めさせていただきます。
 今、2時10分前でございますが、先ほども申し上げましたように、大体5時半まで、今から3時間40分、休憩時間が15分ございますから引くと3時間25分ぐらいの時間ということになります。後の議論をできるだけ活発にやりたいということから考えますと、皆様方のご意見というのはせいぜい、その半分ぐらいにしたい。つまり、大体100分以内ぐらいにしたいというのが我々の希望でございます。としますと、それを12で割れば皆さんもお答えはおわかりだと思いますが、長くて8分ということになります。実は我々は学会でよく発表というのをやりますが、それは8分ぐらいというのはよくあるんですけれども、ここにいらっしゃる方々はあるいはそういうのに慣れていらっしゃらないかもしれません。しかし、今も申しましたように、時間の制約というのは、これはどうにもならないものでございますので、敢えてお願いをしたいんですけれども、お一人7、8分でどうかお話を終えていただきたい。私のほうで別にベルを鳴らすことはいたしませんけれども、あまり長くなる場合は、こちらのほうでご注意申し上げますので、ぜひ、それに従ってやっていただきたいと思います。そして先ほども申し上げましたように、私は呼称はすべて「さん」で申し上げますので、皆様方もそのようにお願いできればと思います。
 そういう運営の仕方でよろしゅうございましょうか。それではよろしくどうぞお願いいたします。
 それでは早速、参加者の方々・・・・・・。失礼しました。その前に同じモデレーターの佐和さんに一言、ごあいさつだけお願いします。
【佐和】  京都大学の佐和でございます。
 先ほど茅先生からご紹介がございましたとおりですね、後半の意見交換といいますか討論の司会役を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

招へい者の意見発表

【茅】  それでは早速お願いしたいと思います。大体、参加者の方々は50音順に座っていただいておりますので、50音順にお願いしたいと思います。いつも、そうなると最初になられるので恐縮なんですが、池田さんからお願いできますでしょうか。
【池田】  環境総合研究所の池田と申します。それではアイウエオ順の一番最初ですので、口火を切らせていただきます。
 今、茅先生からもお話がありましたように、今回のような会議というのはまだあまりいろいろなところでやられていないと思いますので、こういった公開の場での議論なり、意見の交換というのが決して形ですとか、見せかけですとか、証拠としての参加にならないで、本当の意味での実質的なものとして意思決定の中に反映されたり、後々、こういうことがほかの分野でも一つの例として有効に生かされるようなものになっていただきたいというふうにまず最初に申し上げておきます。
 私なんですけれども、長い間、環境政策に携わってまいりまして、環境分野の計画づくりをずっとやってまいりましたので、その観点から幾つか申し上げたいと思います。
 まず最初に、原子力エネルギーについてなんですけれども、地球環境問題が騒がれるようになりまして、原子力エネルギーは二酸化炭素を排出しないし、排気汚染物質も化石燃料を燃やすものに比べればずっと少ないわけですから、ある意味では環境に優しいエネルギー源であるというような主張がなされたことがありました。けれども、今、ISOで議論されていますように、環境に優しいという言葉の使い方を非常に厳密に今後されるようになってまいりますので、エネルギーについても環境に優しい部分も確かにあるかもしれないけれども、LCA的な発想でトータルに考えてみたときに、どれだけ費用がかかり、どれだけの負担を後世に残すのかという全体的な中での原子力のエネルギー源としての位置づけなり意味を考えてみる必要があるというふうに思います。やはり、日本国内で見てみましても地域格差の問題ですとか、立地する地域と需要する都会との差の問題ですとか、地域の中でもリスクの負担ですとか費用の負担、また精神的な負担、社会的な負担というのはいろいろと違うわけでございます。そういった面の幅広い議論がない中で一部分だけをフィーチャーしたものの言い方というのは非常に危ないんではないかと。そういう意味で原子力にこれ以上、日本のエネルギー政策として依存を深めていくことがどうなのかということについては十分な議論がなされていないのではないかと思います。どちらかといいますと、産業振興論ですとか一部地域の振興論というようなところに議論がいきがちになっていて、今後、日本のエネルギー、世界の中でのエネルギーをどういうふうにしていくのかというのはもっと幅広い視点から、いろいろな立場の違う方たちが集まった中で議論を進めていって初めて、どのシステムを選んでいくかというのが決定されるべきだというふうに思っておりますので、その辺のところがまず第1点でございます。
 次に、私どもは環境政策を長年やってまいりまして、一つの大きな問題は自動車公害対策であり、廃棄物対策です。いずれも長年、もとの部分、自動車でいえば単体の規制を強めていって一台一台の排出ガスの規制を強化してくる。廃棄物でいえば出てきたものをどうやって処理していくかというようなことで議論が進めてこられたわけですけれども、最近になってやっと需要の抑制が必要だと。これ以上、単体を幾ら強めていってもだめで、自動車が増えることをこれから抑えていくためには需要を抑制していく。どのように車の交通需要を抑制していくか。または廃棄物の出る量を減らしていくか。もとを断たなければ、いくら最後のところで適正なものを選ぼうと思ってもできないわけですので、その意味から言いますと、エネルギーについても、ピーク時のエネルギーが足りないからということで原子力に依存を高めていくのではなくて、どうすればピーク時の平準化ができるのか、エネルギー需要をこれ以上増やさないで、ほかの代替エネルギーでもいけるのか、そういう代替案を提示した中での政策の決定といいますか、システムの選択というのが今のところはなされていなくて、ともすれば、足りないから作るというようなところで決定がなされているようなきらいが強いのではないかというふうに思います。もう少し、エネルギーは国民全体が使うものですので、先に供給ありきではなくて、どう需要を一人一人の国民生活の中で抑えていけるのか、産業活動の中で抑えていけるのかということも考えながら、システムの選択というのがなされるべきだというふうに思っております。やはり、今までのように需要が足りないから、夏場の甲子園の高校野球があるころのピーク時が耐えられないからということだけで原子力への依存を強めていくというのでは、十分な議論がされた中での政策やシステムの選択ではない。もう少し幅広くいろいろな選択肢の政策を議論した中で、最終的にどれがいいかというのを選択すべきであると思います。そういうことで言うと、政策の視点がまだ、今までは狭過ぎたのではないかというような感じがしているわけです。昨今、ようやく、自然エネルギーですとか、代替エネルギー、未利用エネルギーについての環境の観点からの議論が進んできまして、通産省での補助制度などもかなり進んでおりますけれども、もう少し、原子力エネルギーへの依存を高めない中での自然エネルギーですとか、ほかの代替エネルギーの利用の促進ということはどういうふうにあり得るのだろうかということの議論が必要で、省エネルギーを何も地球温暖化のためのことからだけではなくて、エネルギー源をどういうふうに今後選んでいくのかという観点からも進めていく必要があるというふうに思っております。
 そのためには、そういう幅広い国民的な政策決定、意思決定をしていく上で議論が必要なんですけれども、手持ちに議論の材料がなければなかなか公平な議論ができないわけですので、行政なり一部企業、そういうところがそれに関連する情報を徹底的に開示していかなければ、思い込みで議論をしても始まらないわけですので、まず情報をみんなが公平に持つということからスタートするんだと思います。その意味で、現在、「もんじゅ」の事故もさることながら、いろいろな他の分野でも問題がありまして、行政機関ですとか、大学研究機関、専門家に対する信頼性というのが非常に薄れておりまして、技術そのものが非常にヒューマンスケールでなく、ブラックボックス化しているところがあってわかりにくい上に、それを扱う人間の側の不信感というのが高まっているわけで、二重に信頼感が損なわれている面があると思いますので、まず日本の場合、情報を公開する、情報の一般開示の原則がない中での、こういう政策議論というのがまず難しいと思うんですけれども、まず、現在、審議が進められておりますけれども、一般的な行政情報の公開の原則というのもきちんと打ち立てた中で、情報をみんなが公平に持った中で、同じ土俵の上で議論ができるような枠組みをつくっていくことも重要だと思います。
 私どもも環境政策の中でよく話すんですけれども、政策づくりにはハード、ソフトともう一つ、心のハートというのが必要だというふうによく言っております。今はどうもハード先行になっている。技術が非常に肥大化して先端的であり、確かに高度なものなので一般にはわからない部分が多いわけですけれども、それは一部、信頼性も高いのかもしれませんけれども、幾らハード部分だけが進んでも、それを扱うソフトの側、それをどうやって使っていくかというソフト面の手続きですとか、参加の仕方、制度、法律とか計画ですとか条例とか、いろいろなもののハードを動かすための枠組みづくりのところでの公開性が十分でない、透明性が十分でないというソフト面の不備がとても指摘できると思います。それに加えて枠組みをつくったら、その枠組みをみんなで共有しなければいけないわけですけれども、それを十分に情報公開しないためにコミュニケーションがとれていない。ということで、ハード、ソフト、ハートの3点がかみ合っていないということが指摘できると思うんです。幾らハードが進んでも、ソフト的にその条例をつくったり、法律をつくったり、計画をつくっても、その内容、どういうふうにつくられたかという手順などがきちんと公開されない限り、ハートの部分でどうもいつまでも信頼感が持てない、不安が残るというようなことが続くと政策としてうまくないのではないかということが言えると思います。
 ということからしますと、一部分だけで議論をするのではなくて、より総合的な観点からエネルギー問題を議論していくということが必要であり、そのためには国民的な、こういう場も含めてですけれども、原子力エネルギーに依存しない日本の生活のあり方なり、今後のエネルギーの選択のあり方というのはどういうふうにしたらあり得るのかというシナリオづくりを国民参加でやっていくことがいいのかで、いろいろなシナリオがあり得ると思うんですけれども、そういうシナリオづくりに少し時間をかけてやってみると、いろいろなアイデアも出てくるでしょうし、そこでまた別の新しい視点というのが開けてくるかもしれない。そんなところからもう一度、ちょっと逆戻りするかもしれませんけれども、そのぐらいの手順を踏まなければ、一部分の進んだ部分だけで引っ張っていこうとすると逆にかえって、先にいって問題が大きくなることもあり得るのではないかということが感じられましたので、ぜひ、そのためには情報をわかりやすい形で提供する、アクセスしやすい形で提供するということをまず皮切りに、こういった開かれた議論をどんどん継続していくのが重要ではないかというふうに思います。
 ということで終わらせていただきます。
【茅】  ありがとうございました。それでは次に岸田さん、お願いします。
【岸田】  私は「もんじゅ」の事故が提起している日本の原子力技術開発の課題とでもいうような視点で三つ、お話をしたいと思います。
 まず第一は、「もんじゅ」の事故の原因は相当細かくわかってきておりますけれども、簡単に言いますと、設計の不良に基づく二次冷却系配管内の振動による金属疲労で温度計部分が壊れたと。そして、そこからナトリウムが漏れたということです。この設計不良ということと振動による事故という点で考えますと、これまで原子力発電所で起こった事故は全部そうだったと言っていいんじゃないかと思います。いや、全部というと少し言い過ぎなんで、私たちがよく覚えております89年1月に起きた東京電力福島第二原子力発電所の3号機の再循環ポンプの水中軸受けの脱落事故というのがありますが、それは設計不良に基づく振動による事故でした。したがって、その前後、アメリカでは既に設計が変わっており、そして東電も設計変更を行っております。91年2月の関西電力美浜原子力発電所の二号機での蒸気発生器の細管の破損による一次冷却水の流出事故も、これもまた設計不良による振動というのが、私の整理の仕方だと、そういう整理になると思います。要するに、私は原因が全部同じだと思える点に注目したいと思っております。そして関電のほうもその直後、加圧水型の当該部分の設計変更を行っております。つまり、私の感じで言うと振動による事故を起こさないということが、実は動く部分を持っている装置の場合には極めて重要なんだということをもう一度また確認しなければならないような事故が起こったんだというふうに私は思っております。動く部分というのはつまり冷却水が動くということで、今、動いている東電、関電でもそうでしたし、今度のナトリウムもそうなのであります。この振動による事故を起こさないというふうにすることは設計者にとっては非常に重要な、最大限の注意を払わなければならないテーマなんだ、命題なんだと私は思っています。
 私は第二次大戦のときに3年間、海軍航空技術敞で、非常に短い年数ですが、技術の現場で勉強しました。そのときも実はゼロ式艦上戦闘機の2回のフラッター事故というのがあって、それで非常にいろいろな角度から鍛えられた振動の専門家が育った。そして、戦後、その専門家たちが一つは新幹線の振動対策を行った。鉄道技術研究所に入ったわけです。それからもう一つが建築研究所で、戦後、30メートル以上の建物を建ててもよくなったという段階で、高層建築の振動対策、耐震設計に寄与したということを改めて思い出すのです。今度の場合、「常陽」が極めてと言ってもいいぐらいに順調にこれまで運転が続けられて、そして実績を重ねてきたわけです。この「常陽」の実績を「もんじゅ」がちゃんと反映しているのだろうか、そうではないのかということがまず点検の第一に行われなければならないことだと私は思っています。新聞に載った写真で見る限り、温度計の形が違うわけです。どうして変えたのか。つまり、振動が起こる可能性があるところというのは一番すぐに気がつくのは温度計のところなんですけれども、それをどう考えて「もんじゅ」では設計したのかということに私は疑問を持っております。そういうわけで、この「もんじゅ」の失敗からできるだけ多くを学んで、原型炉としての開発研究を最後まで完遂されるというふうにしていただきたいと思っております。
 高速炉が必要だということについて、あるいはその不必要性についてきっとこの後、また議論が出るかと思うんですが、私は日本にとってはウランの資源を全部利用する原子炉を日本が平和利用の側面から完成するという役割を担っていると思っているものですから、ぜひ、この失敗から学んで、その後、原型炉、実証炉というこれまでの計画を進めていただきたいと思っております。
 ところで、第2点なんですけれども、そうは言いましたけれども、実はある程度の時間がかかるということもこれは避けられません。したがいまして、時間がかかって遅れている間に、第二の私の提案は、「もんじゅ」の設計改善から相当の時間がかかるということを前提にして、おととしの6月に原子力委員会で決定しました長期計画がございますが、あの長期計画で初めてプログラムの中に入った「先進的核燃料リサイクル技術の研究開発」というテーマがあります。その先進的核燃料リサイクル技術の研究開発をもっと優先度を高めて、その研究開発を加速してほしいと思っております。
 どうしてそう考えるのかということなんですけれども、それは現在、世界的に行われている高速炉関連の技術、つまり再処理、高速炉、高レベル廃棄物処分というのは、私の勝手な言い方をすれば、原子力が核兵器の開発からスタートしたということによるゆがみを持っていると思います。どうしてゆがみを持っていると考えるのかというと、まず使用済燃料の中身を考えます。そうしますと、例えば1トンの燃料の中でプルトニウムはおおよそ10キログラム出てくるわけです。しかし、そのほかに核分裂性のアクチニド、超ウラン元素のネプツニウム、アメリシウム、キュリウムといったようなものもある。それはちょうどプルトニウムの10分の1ぐらいあります。これも実は核分裂性なわけです。だから、それらも燃料にしたものを平和利用で使うことを当然考えるべきだったと思うのですが、現実にはそうなっておりません。なぜそうなっていないかというと、核兵器を早く作るために純粋なプルトニウム239を早く取り出そうとしたからあとのものは全部要らないんだというふうに考えたことが、そのスタートになっている。ですから、再処理はそういう形の再処理に今はなっているわけです。しかし、再処理というのはできるだけ使えるものは使うふうに取り出すというのが平和利用の再処理でなければならないんでして、今お話ししたようなマイナーアクチニドも燃料として使う方に取り出す。それ以外に例えばロジウムとかルテニウムとかパラジウムとかいった白金属元素も使える方の側に取り出すべきである。要するに、使えるものは使う方の側に取り出すような再処理に、平和利用の技術として最初から開発されていたら、きっとそうなったはずだと私は思っています。
 そこでそういったことを入れた・・・・・・。
【茅】  岸田さん、申しわけありませんが、あと1、2分でまとめていただけますか。
【岸田】  わかりました。
 新しい計画が先進的核燃料リサイクル技術の研究開発ということであって、それは既に94年の終わりに専門部会ができまして、そこで既に検討が始まっておるわけですから、その研究開発計画を具体化することを急いでほしいというのが第2番目の私の感想です。あるいは提案です。
 それから第3番目なんですけれども、私は原子力全体を見ますと前半部分の技術は大体完成した。しかし、後半部分は全く手がついていないと言ってもいいくらいの状況だと思います。そうしますと、その間をつなぐつなぎの方法が必要になるはずだと思います。MOX燃料を使って、熱中性子炉でMOX燃料を使うというやり方はもちろんありますけれども、しかし、それにしても加圧水型あるいは沸騰水型などのような熱中性子炉と後のほうの高速炉の間をつなぐのは時間的にとても難しい。つまり、余分なプルトニウムは持たないということを厳守しながら続けることはとても難しいと私は思います。したがいまして、第三としては、その途中に中間貯蔵についての本格的な準備を進めるべきであると思っております。原子力発電所には使用済燃料を入れるプールはあるわけですが、それだけでは足りなくなることが当然予想されるわけでして、中間貯蔵という技術の準備をぜひ、このあたりで始めていただきたいと思っております。以上でございます。
【茅】  ありがとうございました。それではケント・ギルバートさん、お願いします。
【ギルバート】  小学校2年生のときにグランド・キャニオンに家族で行きました。そのとき、ちょうどそこにウランの鉱山がありますが、かなりグランド・キャニオンの下にあるんですけれども、そこへ潜って壁が光っているのをもの珍しそうに見て、実際に鉱石ももらって持って帰って、長年、私のたんすの上に飾っていたんです。それでおかしくなったんだと言われることがあります。別に危ないとも何とも思わなかったです。あの時代のアメリカというのはやはり原子力の技術をほぼ条件なしに信じていたわけです。あるいは技術を崇拝しているみたいな雰囲気だったんですが、大分、今は変わりました。最近、アメリカでは全然、新しい原子力発電所は建ちません。建てることはほぼ無理だと私は思っていますが、それが非常に残念だなと思います。これはもっと国民が話し合って必要性を理解すればできるのかというと、それが多分、当分の間、無理だろうと思います。それがアメリカなんですけれども、それとは逆にフランスはどんどんつくって輸出しているくらいですから、自分たちの発電所でつくった電気を輸出しているくらいですから、この違いは何かと考えたときに、やはり民主主義のあり方かなと思いました。というのは、全体を通して初期に技術を崇拝してたくさんつくった部分を除いておけば、今、中央集権が非常に強いところが原子力発電所をつくっていて、国民の声がきちんと政府機関まで届くようなところはつくってないんですね。これはつまり、国民が原子力について十分に理解していないか、あるいは十分に理解していて、うまく阻止しているかのどっちかなんですね。
 私は理科関係が実は弱いもので、原子力発電がそんなに危ないものかどうか。危なくないと信じたいんです。長い間、そう信じていました。今でも信じようとしているんですけれども、その信頼が長年を通して少しずつ薄くなってきた理由は数回にわたって私の信頼が裏切られたからです。裏切られたというのはつまり事故があったということです。事故があったということは私はちっとも不思議だとは思わないんで、チェルノブイルを除けば、逆にそれぞれの事故は大したことはないと私は思っています。大したことはないとは思ってはいますけれども、それが結果の話であって、実際、そのときの対処の仕方を見ていると、原子力行政を行っている人たちというよりは、あるいは現場の人たちの話かもしれませんけれども、あるいは体制を作る人たちの話かもしれませんが、その人たちをあまり信頼できなくなってしまったということですよね。「もんじゅ」のときでも、即時全部、情報を開示しろとは言いませんが、間違った情報ですとか、あるいは事実を隠したような情報というか、あれは非常にまずいんですよね。そういう人たちを信じろと言われても信じたいという気持ちにならないわけですよね。だから、技術はまだ私は信じようとしていますから、その技術は何とか、私は技術論者なんで技術を通して世界中のほとんどの問題は解決できると思っていますが、その技術を扱っている人たちですね。この体制についてはもうちょっときちんと考えていただかないと国民の信頼は得られないんじゃないかなという気がします。
 あまり時間を取ってもしょうがないんですけれども・・・・・・。
【茅】  ありがとうございました。それでは笹森さん、お願いします。
【笹森】  電力総連の笹森です。
 電力総連は電力関連の組合が218、約26万名の組合員で組織しておりまして、連合に加盟しております。私自身は連合の副会長もやっておりまして、その中で資源エネルギー部門の部門長という仕事をやっております。そういう背景がありますので、現場の声ということになりますか、ちょっと実践的な話過ぎるのかもしれませんが、そういう意味でお話をさせていただきたいと思います。
 電力総連の原子力関係のスタンスは以前より原子力推進という立場を取ってきました。これは現状の中で無資源国日本は原子力のほかに代案が見出せないというのが大きな理由なんですが、もちろんウラン資源も限られたものだということですのでプルトニウム利用を含めた核燃料リサイクル路線も現状支持をして推進をしております。
 そういった意味で連合の中で労働組合がいろいろな意見を持っておりますので、1982年に今の連合の前身の民間だけの労働組合が集まったときに日本のエネルギー政策の論議をしました。このときには大変、右から左まで一緒に集まったものですから、原子力発電というものについては触れない、書かない、しゃべらないと。何とかの三原則みたいな扱いをした3年間があります。その中で最終的には平和利用に限定をする。安全性の確立を第一義とする。その上に立って国民的合意の形成を労働組合として目指していこう。この共通認識を一つ土俵にしまして、それから10年間、原子力発電についての論議を連合の中で進めてきました。昨年、やっと各項目の中にプルトニウムという言葉も入れられるところまできたというのが現在の連合の政策決定に至る経過になっています。そうは言っても、かなり感情的な部分もありまして、感情的なレトリックだとか、言葉の揚げ足取りだとかいろいろなこともあるのですが、現状の中では、かなり、そこは淘汰をされてきているんじゃないかというふうに思っております。
 そこで、働く立場ということからいえば、今のケントさんのお話を伺っていると、そこに従事している人たちが何か信頼できないと。こういうようなこともわからなくはない部分もあるんですが、現実に職場で本当のことを知るという立場からいえば唯一の証言者なのかなということですので、労働組合としての責務としてはみずからの安全ですとか、健康を守るために、安全性の向上を怠らずに現在、努力を積み重ねてきているのではないかということは、私は言えると思います。ただ、危険な環境で働かすということは、これは許されるわけではありませんので、そういった意味ではチェルノブイルのような状況の中で労働をさせるということは私どもは断じて反対をしたいというふうに思っております。
 先月、チェルノブイルの原発に関係する中の労働組合も含めまして、世界の労働組合が原子力安全サミットの前に現地に集まりまして、キエフで国際会議を行いました。そこの中では私どもの組織も参加をしましたけれども、チェルノブイルのような危険な原子炉は一切認めないという発言をさせていただきまして、確実に早期廃炉を実現するべきだという主張を現地でしてきたところです。そこで採択された共同宣言の内容は、原子力安全サミットに向けて外務省あるいは総理大臣に労働組合の立場から、行く前に、社会労働面に配慮して廃炉を確実に進めるように、という要請も行ってきた。そういう経過もございます。
 ちょっと懸念をされますのは、これからのエネルギー事情を考えたときに、世界のエネルギー事情が相当急騰をすると。こういう中で特にアジアのエネルギー事情が大変に伸びていくという状況があるわけです。発展途上国の幾つかも原子力を持ちたいと、あるいは持つという状況になってきているわけですが、危険な原子炉は認めないと言いながら、彼らに新しい技術の恩恵を受けるなと。こういうことも言えないわけでして、したがって、技術的な支援を我々がするとともに、働く人たちがリスクと安全を十分理解をしてしっかりした安全管理システムを持つことによって危険を回避するんだと。こういうことが必要ではないかというふうに思っております。労働組合の立場からも、そういった国際連携、国際提携を図っていきたいということで、現在、展開をしております。
 具体的な内容としては幾つかございますが、時間の関係もありますので、ペーパーで出してありますので内容的にはごくかいつまんで箇条的に申し上げさせてもらいます。
 一つは、原子力政策における社会的側面の重視ということであります。国民、地域の方々の理解と信頼を得るというのがどうやったらば社会的安全を確保していくのかという、この社会的側面は絶対に無視できないと思うんですね。そういう意味では、私はまず、社会的信頼を得なければ原子力の未来はないと。こういうふうに言っても過言ではないというふうに思っていることを1点目に申し上げておきたいと思います。
 それから二つ目には、国の強力なリーダーシップをどう発揮するか。規制緩和の時代に国の強力なリーダーシップというとちょっと逆行するのかなということもあるのですが、国にプレッシャーをかけていろいろな業界に枠をかけろという意味で言っているんじゃなくて、科技庁あるいは原子力委員会の存在感、存在価値というものが、一体、原子力行政の中でどうあらわれているのかということから見ると、やや薄いのかなと。あるいはフットワークが少し重過ぎるのではないかというようなことがちょっと感じられております。したがって、この辺については政策運営をどうやっていくのかという、失った信頼回復のために十分な国のリーダーシップの発揮が必要になるというふうに申し上げておきたいと思います。
 それから、日本の一番遅れている部分、これはエネルギー政策に対する教育の問題です。これは国民理解をいろいろな地域だとか各層に送っていく中で、外国のいろいろな教科書等を散見をいたしましても、日本の場合一番遅れている。特に教育の現場の中で日本のエネルギー事情について正確な教えがされていないというところにエネルギーに対する無理解がかなり増えていくんじゃないかと。やっぱり現実は現実としてどうなっているのかということをはっきり示す必要がある。そのことを国の機関あるいはそれぞれの行政の中で教育とどう連携を取っていくのかということを強く求めておきたいと思います。
 それから、「もんじゅ」に関する事故の関係で要望を幾つかしておきたいと思うんです。私どもはこの事故は決して起こってはならない事故であったと。そういう意味ではまことに残念だというふうに思っています。しかし、もっと残念で遺憾だったのは、その後の事後対応のまずさ。これは極めて遺憾と言わざるを得ないということです。その後に、これは断腸の極みでありますが、非常にお気の毒な犠牲者まで生じてしまった。これは痛恨の極みというふうに申し上げたいと思うんです。そういう観点の中で、従来はスタンスがやや別々でありました政労連系の当該の動燃、電力、さらにはメーカーである電機、造船、こういうところと連携を取りまして、エネルギーの原子力関係労組連絡会というのを設置しました。つい過日も科技庁長官以下に「もんじゅ」の対応についての改善策を申し入れをしたという経過になっております。そこで項目だけを申し上げますと、一つは情報公開、情報連絡。これは現場の判断に任せて、あまりいろいろな段階でフィルターをかけるなというのが一つです。それから二つ目は、情報公開にはわかりやすさが大切だと。大変難しい技術用語を使いますので一般国民の方々には何を言っているんだかがわからないというようなことでは幾ら情報公開をしても意味がないということになりますので、わかりやすさを求めたい。それから、動燃の事業推進については国民の参加をする場をどう設置してもらうか。このことに十分、意を尽くしてほしい。それから四つ目は、技術過信に陥り過ぎていないかと。この技術過信に陥ることにあってはならないということを厳に戒めてほしいということです。最後に、先ほどちょっと触れましたが、原子力安全委員会の機能強化。動きの見えやすい組織にしていただきたいと。以上を申し上げておきたいと思います。
【茅】  ありがとうございました。それでは庄田さん、お願いします。
【庄田】  静岡県の副知事の庄田でございます。
 本県は全国の原子力発電にかかわる道県の集まりであります原子力発電関係団体協議会の会長県を引き受けているところから会員道県の代表として参加をさせていただいていると考えております。その立場で発言をさせていただきます。
 本日は原子力発電関係団体協議会が国へ要望しております内容あるいは会員道県の皆さんの声などをまとめまして、時間の都合がありますので、その中から2点に絞ってお話をさせていただきたいと思います。
 まず第1点目は国の地方対策であります。従来から地方自治体といたしましては、国のエネルギー政策に協力するという考え方から、我が国における重要エネルギーと位置づけられております原子力発電につきましても、その施設の立地に関連する諸問題に対応してきたところでございます。具体的には実際に原子力発電施設を建設する地域の住民の方々の理解を得るため、広報活動などを行ったり、また地域住民の生命財産を守るという地方自治体の立場から電気事業者と安全協定を提携いたしまして、周辺環境の安全性の確保に努めるなどの対応を図ってきているところであります。しかしながら、基本的にはエネルギー施策は国の事務であります。原子力発電所を設置している自治体の立場からいたしますと、実際にはどうも地方の現場における国の役割が少な過ぎるんじゃないかというふうな感じを持っております。広報活動一つにいたしましても、原子力は大変技術的な要素が多く、地方の職員が理解し、咀嚼し、地域住民の方々に説得力ある説明をしながら、これの理解を求めていくということは相当な困難を伴うものであります。国が原子力発電を推進するという立場を堅持する以上、国が地方へお出でになって、太陽光発電などの新エネルギーも研究開発しているけれども、それらはまだ原子力や火力発電のような大規模なエネルギー源になるほどの水準に至っていないんだというようなことや、日本のエネルギー事情、石油や石炭といった化石燃料の将来、あるいは地球環境問題からのエネルギー政策のあり方等々、きちんとした説明を地道に、そして積極的に地方でやっていただきたいと思うわけでございます。例えば、今、地方に設置されております科学技術庁の原子力連絡調整官事務所と通産省の運転管理専門官事務所の有機的な機能結合を図り、原子力広報専門官を置くなど、地方における広報活動の拠点づくりを行い、積極的な国よる広報活動の推進を図るというようなものも一つの方法ではないかと思うわけでございます。
 もう一つ、地方と申しておりますけれども、原子力の問題はこれは単に立地道県の問題だけではなく、それを消費する側の問題でもあります。したがいまして、原子力発電の置かれている状況につきまして都市部の方々を含めた全国的な理解を得るための努力が必要であると強く感じているところでございます。
 次に第2点目でございますけれども、原子力施設の安全性の確保などについてであります。先の阪神淡路大震災による原子力発電所等の地震対策に対する国民の不安感や我が国の原子力政策の基本となる核燃料リサイクル、プルトニウム利用に対する国民的な関心、さらに最も基本となる放射能に対する不安など、近年の原子力に対する情勢は非常に厳しく、自治体ではその対応に苦慮しております。地方自治体といたしましては、従来から原子力発電所についてはその安全性の確保が第一であり、すべてに優先するものであるという考え方でやってまいりました。たとえ、交付金制度が拡充され、地方の財政が豊かになったといたしましても、事故や故障が頻繁に起こるような状況では地域住民は安心して生活することができませんし、原子力に対する不信感や不安感は増すのみであります。原子力施設の安全性、信頼性のより一層の向上を図るためには安全審査、検査体制の充実強化が何よりも肝要であると考えております。
 また、原子力の中で最も不安を持たれております放射線や放射能について、地域住民はもとより国民全体の方々に正しく理解をしていただくための努力が必要であるということについてであります。国民の間には原子力アレルギーがあり、放射線や放射能は怖くて恐ろしいものだという漠然とした印象が持たれているということは否めない事実でございます。専門外の人が放射線のことを正しく理解することは非常に難しいことでありますし、この国民の不安を取り除く工夫、努力は今こそ従来以上に重要な時期になっていると思うわけでございます。いずれにいたしても、これだけの繁栄を極めている日本国民の生活を守るため、食料が必要だ、水が必要だ、そしてエネルギーも必要だと。そのエネルギーとして我が国の場合は原子力が必要なんだというような議論を経て、その内容をわかりやすく国民に伝える工夫が必要であると思うわけであります。
 以上、2点についてお話をさせていただきました。
【茅】  ありがとうございました。それでは鈴木さん、お願いいたします。
【鈴木】  ありがとうございます。それではお手元にメモを用意させていただいておりますので、それに基づいてご説明させていただきたいと思います。
 原子力についてはいろいろの意見があるわけでございますが、私が感じているところでは、結局は、原子力は必要なのかどうかというところに、その議論の根っこがあるという気がいたしますので、まずは原子力の必要性というところからお話をさせていただきたいと思います。
 ここに書きましたように、途上国における増大するエネルギー需要、二酸化炭素問題を中心とする地球的規模の環境問題、国内的には依然として脆弱なエネルギー供給構造と、ますます重視されつつあるエネルギー分野への経済性の向上、これらの課題を解決していくためには多様な選択肢を適切に組み合わせること、特に省エネルギーと新エネルギーのより積極的な導入と合わせて原子力の継続的かつ着実な利用の拡大が不可欠だというふうに思います。なお、原子力につきましても、これまでは他の電源に比べまして経済的な意味での比較優位性を持っていたと思いますが、今後は天然ガスをはじめとする化石燃料の世界的な市場価格が非常に低位で安定的であるという見通しもあるようでございますので、そういう意味では原子力についても一層の経済性の向上が望まれているということではないかと思います。
 原子力の利用を進めていくに当たりまして今最も大きな課題は、いわゆる高レベル放射性廃棄物の処分の問題です。この高レベル放射性廃棄物は原子力発電に伴って必然的に発生するものでございまして、原子力安全問題のいわばもともとの原因になっているものだというふうに私は理解しております。地下深部にその廃棄物を埋設するという技術的な処分方法につきましては世界的に共通しておりますが、それを社会的にいかに実現していくかというアプローチの点では各国がそれぞれに異なった方法を取りつつある。日本は例えば地震の影響を模擬した実験を行うなどして計画の進展や処分技術の内容がもっと外からもわかるように進めていくことが肝要ではないかというふうに感じております。
 第3点目は、リサイクル政策の是非でございます。日本はフランスと並んで原子力発電所の使用済の燃料は再処理してリサイクル利用するという方針を取っているわけですが、原子力開発の当初はいずれの国もこの方針を取っていたわけでございますけれども、主として経済性が理由でリサイクルはしないという方針を取りつつある国が増えてきている。要は使用済燃料のまま、廃棄物にすべきかどうかということに帰着するかと思いますが、リサイクルの本来の目的は資源の保護とそれによる環境の保全だというふうに私は考えております。そのためにはある程度のコストはかかるのではないかと。リサイクルのコストは原子力発電の一種の環境保全コストだという視点も重要なのではないかというふうに感じております。
 第4点目は、プルトニウムの問題でございます。使用済燃料をリサイクル利用する場合には再処理によって回収されるプルトニウムをウランに混ぜまして、混合酸化物燃料、これをMOX燃料と呼んでおりますが、このMOX燃料を利用するわけでございます。軽水炉でこのMOX燃料を利用することをプル・サーマルと言っておりますが、こういう方法はヨーロッパを中心に大分前からかなりの実績がございまして、そういう点では既に実用化段階に至っていると思います。MOX燃料を最も効率的に利用するためには将来的には高速炉を必要とするということで、高速炉の実用化にはなお長期の研究開発を要するのではないか。また、プルトニウムは軍事的に機微な技術でありますから、その在庫量や存在状態などをできるだけ定期的に−−定期的というのは、できるだけ頻繁に公表し、計画の透明性に留意することが重要だというふうに思います。
 5点目は、高速炉の開発でございます。原子力安全の基本は放射能や放射線の影響が外部に及ばないようにすることというふうに私どもは考えておるわけです。この点では「もんじゅ」の事故は原子力の安全性に抵触するものではなかったわけです。しかしながら、同事故は実用化の観点からナトリウム技術に関する習熟化の重要性を示唆するものでございまして、今後の高速炉の研究開発に当たってはナトリウム技術の開発に特化した新しいアプローチが必要ではないかというふうに考えます。また高速炉技術は将来を目指した技術でございますから、環境への影響などを最初から考慮した新しい燃料リサイクル技術を合わせて新しく構想していくことが重要ではないかというふうに思います。
 最後に、国際的視野の重要性でございます。日本の原子力計画に対する国際的な関心が高まってきておりまして、情報公開や市場開放に一層努め、より開かれた計画にしていくことが大切ではないかと思います。「もんじゅ」や「ふげん」を国際的な協力にも供し、MOX燃料の利用に関する理解を国内的ばかりではなく、国際的に得る場として活用していくことも考えられるのではないかと。一方、原子力の利用を国際的に安全かつ安定的に円滑に進めていく上で、日本のより一層の国際的貢献が求められているのではないかと思います。東アジアにおける原子力計画が相互に安心して進められるような仕組みを新たに考え、また対ロ支援をより確実に、かつ実効的に進めていく上で日本の役割は非常に大きいのではないかというふうに思います。
 以上でございます。
【茅】  ありがとうございました。それでは次に鷲見さん、お願いいたします。
【鷲見】  今の鈴木先生と同じような意見でございますが、私といたしましては、世界のエネルギー需給というものを考えますと、大半は先進国がエネルギーを使っておるというのが現状でございます。発展途上国は一人当たりで見ますと先進国の10分の1でしかないというのが現状ではなかろうかと思います。しかし、人間は等しく、どの国の人でも豊かな生活−−豊かな生活というのは豊かな文化とかいろいろございますでしょうが−−をする権利があると考えられます。この観点から見てみますと、アジアの途上国というのは最近、非常に経済発展をされております。しかしながら、その反面というとおかしいですが、エネルギー需要、中でも電力需要の伸びというのは非常に大きゅうございます。このように考えてまいりますと、化石燃料だけに頼って、石油、石炭、天然ガス、そういうもののみに頼ってやっていくことができるのであろうかと。いわゆる資源は有限であるというところから考えますと、やはり、この意味合いからいきますと大量のエネルギーを発生する原子力エネルギーが必要ではないかと考えられる次第でございます。
 もう一つは、いわゆる二酸化炭素による温暖化問題、SOx、NOxによる酸性雨なんかの問題がございます。そういう環境問題を考えましても、やはり二酸化炭素を出さない原子力が必要ではないかと考える次第でございますし、特に資源が少ない日本の現状を考えますと、将来のエネルギーとしてぜひとも原子力が必要ではないかと考えておるところでございます。
 その次に、燃料サイクルの必要性でございます。今、先ほど、化石燃料は有限であるということを申し上げましたが、ウランもやはり有限であろうと考えられております。現在、私どもが利用しておりますウランは、ご存じのとおりのウラン235でございまして、ウラン鉱の中には99.3%のウラン238というのがございます。使えるウラン235というのは0.7%のみでございます。その意味からいきまして、使用済燃料をリサイクルをして、そのウラン238を何とかプルトニウムに変えて使っていこうと。そうすることによって将来のエネルギー供給が万全とはいかないかもわかりませんが、21世紀のエネルギー供給ができるのではなかろうかと考えられるわけでございます。しかしながら、プルトニウムは、先ほど鈴木先生のお話にもございましたように、戦略物質でございます。したがって透明性が必要でございますし、国際原子力機関の保障措置を十分に受け入れて、余剰プルトニウムを持たないという原則を貫くことが必要であろうと考える次第でございます。また、先ほど鈴木先生のお話にございましたように、リサイクルにより廃棄物を高レベル、低レベル、合理的に処分が可能になろうと考えておるところでございます。高速増殖炉及びMOXにつきましては、先ほど鈴木さんのお話にあったようでございますので、省略をさせていただきます。
 しかしながら、これらのように原子力が必要だと申し上げましても、これを実行するに当たりましては、安全性、それから地域との共生、経済性、こういうものを度外視してやるわけにはまいりません。安全性でございますけれども、私ども原子力に従事する人間といたしまして常に安全を第一にしてやっていくということに日夜努力をしておるところでございます。この結果、ちょっとしたトラブルでとめる回数も含めまして年間一台当たり0.2、0.3回でございます。これらにつきましては外国と比べるのはあまりよくないことでございますが、世界のほかの先進国の10分の1ぐらいである。利用率も昨年は80%にも及んでおります。したがいまして、このあたりを十分にご理解をいただきたいと考える次第でございます。しかしながら、アンケートを取りますと、不安に感じている人が70%。原子力が必要だなと思われる方は5割以上おられるわけでございますが、不安に感じておられる人が7割おられます。したがいまして、原子力はいいけれども、自分のすぐ近くには困るよというようなお話が多分にあります。したがいまして、これらにつきましては原子力発電所が来てよかったなという町づくりをぜひとも、これからは目指す必要があろうと思います。そういう意味におきましては、やはり生活基盤の整備が必要であろうと思いますし、したがいまして政府のほうでも、これを挙げてやっていただきたいと存ずる次第でございますし、もちろん私ども電力会社も重要な責務を果たす必要があろうと努力をいたす所存でございます。
 さらに経済性でございますけれども、経済性を考えますと、現在の化石燃料と同等程度の値段でございます。それからもう一つは、私どもとして考える必要があるなというのは、しかしながら、いわゆる環境問題も含めた将来のエネルギーセキュリティーということを考えて、それらに配慮して十分考える必要があるんではなかろうかと考えておるわけでございます。
 以上を申し上げますと、原子力一本やりだと。こういうことでございますが、やはり自然エネルギーというのは大切でございます。風力、太陽光、そういうものにつきまして現在、私ども電力会社といたしましても一生懸命に国の補助をいただきながら研究をしておるところでございますが、残念ながら天候に左右されますし、それからエネルギー密度が低いために非常に膨大な土地が必要でございます。したがって、現在のところ残念ながらコストとしては非常に高いということが言えるのではなかろうかと思いますし、将来といたしましても、これに大きく期待をすることは無理ではなかろうかと考えておるところでございます。
 しかしながら、私ども原子力に従事する者といたしましては一人よがりはいかんと。謙虚でなければならないというのが私の実は考えでございます。したがいまして、今の原子力の必要性、リサイクルの必要性、これらをすべてディスカッションをして、将来の日本のエネルギーを十分に考えていただいて国民的コンセンサスを得ていただくことが非常に重要であろうと思います。そういう意味合いにおきまして、こういうラウンドテーブル・ミーティングというのを開催していただいたのはまことに時宜を得たことだと考えておるところでございます。
 以上でございます。
【茅】  ありがとうございました。それでは高木さん、お願いします。
【高木】  高木でございます。
 私は今日は原子力は是か非かの本論には入らないつもりで参りました。鈴木さんや鷲見さんの意見を聞くと、つい反応したくもなるのですけれども。鈴木さんとはいろいろなところで、先ほども話していたんですけれども、飽きるほど議論をしたというところもありまして・・・・・・。
 なぜ本論に入らないかということを実は説明したい。というのは、この円卓会議というのはいかなるものであり得るかということが非常に不明でありまして、そのことが一番重要だと思うんです。つまり、正直に言いまして、かなり長い間の政府、原子力委員会がやってきたこと、あるいは原子力産業等がやってきたことについての非常に大きな不信感が原発反対運動をやってきた人間たちの中にはあるわけです。それは十分な議論が尽くされていないと。私たちの意見が反映するような場が一つもないではないかということについての、かなり長い間の不信感がある。そこで「もんじゅ」の事故ということが起こり、いわば不信感、不安感ということを一つの媒介にして、新しい枠組みとして議論をしたいということが提案された。先ほど伊原さんが代読された原子力委員長のあいさつの言葉でも、新しい枠組みということがありましたし、国民が自らの問題として考えるような場をつくりたいということがあったと思います。自らの問題というふうにおっしゃるならば、それは、国民一人一人の自らの問題になるというためには、国民一人一人の自らの意思によってある種の決定に参加できるということが前提にならなくてはならないわけです。そういう意味では何らかの形でいろいろな意見が反映されるし、いろいろな形の意見が汲み取られるということが基本的な条件だと思うんです。その条件が果たして、この円卓会議で満たされるかどうかということが今日はスタートなので、これが大変大きな問題で、ここが原子力は是か非かの本論以上に実は死命を決する大変重大な問題と思うわけです。
 そういう意味では、この場に出て来てもまだちょっと不透明なところがあるというのが正直なところです。というのは、先ほど茅さんからちょっと今日のメンバーが選ばれた過程についての話がありましたけれども、それでもどういう形でどんな人が本当に選ばれたのかということは必ずしも明確ではありません。今日、ここに出たかったけれども出られなかったというような人も大勢、例えば地域の人なんかにいるかもしれない。それは後の方でまたその人たちの発言も保証しますよということなのかもしれないけれども、今日、出られなかった人については後で保証されているという保証もはっきりしませんから。しかも、私が知る限り、極めて短い時間に電話かなんかで都合のいい人がたまたまやってきたというような側面もあるような気がして・・・・・・。しょうがない面もあるでしょうけれども、こういうのはスタートが大変大事なので、スタートにおいてちょっと非常に何か適当に人が選ばれてやって来たということになると非常にまずいと思うんですね。私自身もそういう意味では、この場が形づくりの場に終わらないかどうかということについては随分不安もあったし、実は私に対しても多くの人たちが政府がやる形づくりの場になんかは出ないほうがいいんではないかという意見があったことも確かです。正直に申し上げます。なおかつ、私はそういう意見があったということも含めて、ここに来て言わないとしょうがないと思うから出て来たわけで、はっきりとそういうことを言わせていただきます。そういう議論は私は非常に大切だと思っているわけです。だからこそなんですけれども、多くの人たちがちゃんと参加できるような議論の場というのをどうつくっていくかということが、先ほど茅さんが後のほうで円卓会議の進め方について議論をしたいという話がありましたけれども、私自身はこの問題を抜きでは先に議論が進まないというふうに思っておりますので、ここでちょっと述べさせていただきました。
 そういう観点に立って、あえてちょっと辛口で言わせてもらいますけれども、いろいろな形で送られてきた文書を読みますと、国民的合意形成のためにということを盛んに言われるわけですけれども、あまり頭ごなしに国民的合意形成と言われると困るわけです。そうすると、また形をつくって何か、ここで意見を聞きましたと。そういうふうに皆さんの意見を聞いた結果、原子力委員会はこういうふうに決めましたといって、これは合意形成ですと言われると、これこそやっぱり形づくりではないかというふうに思わざるを得ないわけです。そうではない、やっぱり新しい枠組みとして本当に国民全体が納得いくまで議論をするような、その上に日本の原子力政策があるんだということを明らかにするような場のスタートだとするならば、この点は特に言っておきたい。そうであるならば、私は原子力長期計画というものの全面的な見直しということからやらなくてはいけないんではないかと。それをかなり幅広い国民の意見がくみ上げられるようなシステムの中でやるべきで、そのことについてまず何回かけてもいいですから、円卓会議はどうやったら、その意見を汲み取られる場が形成され得るのかということについての議論をやるべきだという気が私はします。そのことが一番中心的な課題だという気がいたします。ここで是非論をやることもできますけれども、それはそれで例えば幾らでもいろいろなところで、本に書いたりなんだりしてあることだと思うんですね。今、新しいことがあるとすれば新しい議論の枠組みだと思うんです。そのことについて本当に知恵を絞らなければいけないし、多くの人の意見を聞かなくてはいけないと思うんです。
 私がくどくど、こんなことを言うのは、私にとってはご意見を聞く会というのは原子力委員会がやった長期計画の時−−一昨年になりますか−−にやったときに、ご意見を聞く会ということで呼ばれて出るようになったのが、原子力委員会の主催するような場に呼ばれたり、議論する最初だと思いますけれども、あのときにも、あれは形づくりになるから、あんなものには出ないほうがいいという意見も実は私の周りにも非常に多かったわけですね。しかし、私は原則としてはあらゆる議論の場に出て行って議論をしたい。それを形づくりの場にさせないことにしたいというふうに思っているわけですけれども、はっきり申しまして、ご意見を聞く会はちょっと形づくりの場にされたという印象は私は持っております。というのは、あそこの場では国のプルトニウム政策に関してはかなり反対意見が強かったというふうに思っておりますし、そういう反対ないしは批判的な意見が大変強かったと思うんですね。原子力全体より、特にプルトニウム政策の問題ですけれども。私もそういう意見を言いました。私は非常に意見が分かれるから、ここは単に私は反対論を提起するんではなくて、少しどういう問題があって何が問題なのかということをきちんと議論をし合うような枠組みを作る必要があるのではないかということを提案して、そのために5年間という−−それが適当かどうかは知りませんが−−モラトリアムにして、その間に総合的な議論をやったらどうかという提案をしました。実はこの提案は、−−ここにありますけれど、それを引用している時間がありませんので、引用はしませんけれど−−それをやると国のプルトニウム開発が停滞してしまうから受け入れられないという一言で原子力委員会によって切られてしまったのです。というふうに私は思っているのです。だけれども、それに対する私の反論を言う場もまた与えられなかったわけです。そういう意味では聞きおく場に終わってしまった。しかし、実際問題として「もんじゅ」の事故が起こってみると、実際にはモラトリアムが敷かれて、またこういう議論になっているような気がしないでもないわけです。
 つまり、どうせそんなことになるんだったら、ちゃんと50年、100年の計でしょうから、5年間やそこら、計画を止めてきちんと議論をするというようなことは何でもないことというか、できないことではないと思います。実は、私がそこで言ったようなことについて、この間、1月23日に、ここに平山さんもいらっしゃいますけれども、3県知事の提案の中では、そういうことを言っておられると思うんですね。日本のプルトニウム計画ないしプルサーマル計画に関する、そこから派生するような全ての問題について総合的に問題を国が各自治体に提起して議論をすると。そういう場をいろいろつくれというようなことを言っているわけです。だから、「もんじゅ」の事故の後で初めて3県知事が言っているんですけれども、あの場は既に、94年の場でそういうことの必要性を言っていたし、かなりの多くの人が私はそれに賛成してくれたと思っているわけです。今からでも遅くないですから、少し計画を進行させることに急にならないで、きちんとした議論をあらゆる問題点を掘り出して議論をする。合意を得るためということじゃなくてですね。そこから始めなくてはいけないというふうに思います。
 最後になりますけれども、情報公開の問題について一言だけ。情報公開の必要性というのは言うまでもないんですけれども、どうも長期計画の場でも申し上げて、多少、その点は上がってきたかなという気もするんですけれども、国の政策ないし電力会社の方針というのは国民の理解と協力を得るための情報公開という側面が多いと思うんです。それは間違いだと思うんです。はっきりと間違いだと思うんです。それから、原子力基本法にある成果の公開というのも私はこれは不十分だと思う。今求められているのは、これは薬害エイズの問題とかいろいろなことで問題になっていますけれども、プロセスが公開されるということが透明感を高めるわけです。あらゆるプロセスがきちんと公開されて、これは理解を得る、ご理解を得るという言葉がよく使われますが、そういうためではなくて国民がみずから判断して決定に参加するためには必須のものとして情報公開する姿勢がなければいけない。そこのところを確認していただきたいということを申し上げて、時間のようです。
【茅】  ありがとうございました。
 実は今の高木さんのお話の中にモデレーターの私も事務局側も反応しなければいけないポイントがあるんですが、先ほど申し上げましたように、それは皆さんの話が全部終わってからさせていただきますのでお願いいたします。
 それから実は次に、ばばさんにお願いしたいところなんですが、新潟県の平山知事が途中で退出されたいということがあるものですから、たまたまアイウエオ順で後ろの順番になりましたので、恐縮ですが、ばばさんの前にお願いしたいと思います。じゃ、平山さん、お願いいたします。
【平山】  申し訳ございません。後の都合がありまして。そういう意味で今日、都合がつく人だけが来たわけじゃなくて、私も急遽、どうしても3県知事のうち一人くらい出ないのかということだろうと思うんですけれども、こうして何とか出席させていただきました。
 私は、先ほど来、個人なのか知事なのかはわかりませんが、一応、知事という地域の首長という立場でこの問題、特に新潟県の場合には、現在、巻町での住民投票という問題を抱えておりますので、そういう中での発言ということが中心になろうかと思います。地方自治体の立場ということで、先ほど静岡の副知事さんの発言もありましたので、若干、そういう点でだぶるかもしれませんが、そういう前提でお話しさせていただくということ、後の議論に参加できませんので、若干、持ち時間をオーバーするかもしれませんが、その点は後の発言分を流用させていただいたということで、どこかのテレビ局の朝まで番組でもやったほうがいいぐらいのテーマだと私は思っておりますけれども、そんなことで少しオーバーするかもしれませんがお許しいただきたいと思います。
 3県知事で幾つかの点をお願いに急きょ、参りました。その中で今、高木さんからもご指摘がありましたけれども、私どもは今までのこうした「もんじゅ」、そして巻の動き等、いろいろなものを見ていると、限定された地域の問題にどうもなりかかっている原子力発電の問題を中心とした日本のエネルギー政策はこれまでの枠組みだけではうまくいかないんではないかという危機感のもとに、国において責任を持ってもうちょっと仕切っていただきたいと言いましょうか、対応していただくと。そのときには多くの国民の声を聞いていただきたい。それは単に賛成という人だけじゃなくて反対している人の声も、なぜ反対かということもきちんと聞いていただきたい。特に立地地域におけるなぜ立地に反対なのかと。そして、これをどうやってこなしていくのか。これは相当、時代の流れの中では枠組みをもう少し見直さないと無理なんじゃないでしょうかというような気持ちを持って申し上げに行ったわけであります。こうした円卓会議が一つの我々の提言の中から早速実行されたことについては深く感謝を申し上げたいと思います。
 まず、新潟県における原子力発電の状況について簡単に申し上げたいと思います。柏崎刈羽原子力発電所と巻原子力発電所、この二つがございます。そして柏崎刈羽原子力発電所、ここは私の生まれ育ったところでありまして、私がこの柏崎刈羽の発電所の立地問題が起こっていたときには既に社会人として日銀のサラリーマンをやっておりましたので、地元での議論にはほとんど参加いたしませんでしたが、その後、順調に事故もなく5号機まで来ております。出力550万キロワットで運転されております。残り2基が現在、建設中。来年7月には7基すべて運転。そして、これは総出力821万2,000キロワットと世界最大規模の原子力発電所になります。このことは東京の方もあまり知らない方が多いようでありまして、東京はかなりの電気が柏崎から来ておるということをお知りいただければ大変ありがたいというふうに思います。
 そしてもう一つの巻原発でございますけれども、この1号機の計画は昭和56年11月に電源開発調整審議会に上程されまして、国の電源開発基本計画に組み入れられた後、昭和57年1月に原子炉設置許可の申請がなされたという意味で、現在、住民投票等で停滞しているほかの原子力発電所計画がありますが、それとはそういう意味では進んでいる度合いとしてはちょっと違っておりまして、国の電源開発基本計画において認定されたものであります。そして、用地問題が解決しないということで安全審査の途中で中断し、そして現在に至ったわけであります。現在も今年の東北電力さんの供給計画で見ますと、平成11年度着工、平成17年度運転開始という予定になっておりまして、当初の計画から見れば大幅に遅れているわけでございます。この遅れている原因は町有地が炉心計画地域の中にありまして、この町有地を売却するかどうかということをめぐって住民投票条例が制定されたわけであります。その意味において巻町の住民投票条例というのは原子力発電の賛否を地元で問うというだけのものではなくて、原子力発電のためにどうしても必要な町有地を電力会社に売却することはいかがかと。これが住民投票条例によってそのことの賛否を問うというふうに条例では定められているというものでありますので、その点については申し上げておいたほうがいいかなというふうに思います。
 私は知事の立場でエネルギー政策に対する基本的な考え方というのは、エネルギー資源の乏しい日本でありますし、同時に県民に安定した電力エネルギーを供給するというのも知事の一つの役割でもありますから、基本的には国のエネルギー政策を推進する、政策に協力していくという立場を当然取るわけであります。その前提としては、地域住民、県民の安全性が図られるということが一つの前提でありますので、そのことと同時に環境の保全を加えていただきたいと思います。同時に地元の理解と協力が得られるということが、その前提の二つに置いているわけであります。
 しかしながら、原子力発電所が立地している県としてここまでやってまいりまして、いろいろな問題が今あると思います。
 1点目として、現在の原子力立地政策についてお話ししたいと思います。巻の原子力発電所1号機については用地問題が、今申し上げましたように、解決しないという中で未解決用地の中に町有地の売却の有無ということを条例で定めている。こういうことになっております。そして、8月4日に日本で最初の住民投票が今、実施されようというところまで来ているわけであります。このことも一つの地元においては混乱を生じております。なぜかと申しますと、地方自治の意思決定の一つの仕組みとして住民投票制度というのは法的に根拠を持っておりません。したがって、もし結果が出たといたしましても、新たな法的拘束力を持たないという扱いの中で、しかしながら一つの住民意思の決定のあり方として、これを全く否定するものでもまたないという非常に困った部分があるわけであります。今、地方分権の問題の中で住民投票というものをどういうテーマにおいてどういう法的拘束力を与えるかということは議論されるのかどうかはよくわかりませんけれども、そういう中で法的拘束力を持たないという住民投票によって一つの意思が出ようとしている。したがって、地元においてはそれ以前に議会で決議した推進決議の扱いはどうなのかといった議論とがぶつかっている状態に今あるわけであります。
 そして原子力発電所の立地につきましては、その必要性について国民全体の理解が不十分なまま、立地自治体固有の問題として進められ過ぎているんではないかということを申し上げましたけれども、これは特に町長とか市長とかいった一番立地に当たっている最小単位の自治体の長においては大変な問題であります。そして同時に私も3年半前に知事に日本銀行をやめてなったんですけれども、すぐに聞かれたのは、「あなたは原子力は推進ですか、反対ですか」と。これは政治家の立場として最初に聞かれる「右か、左か」ということの一つの色分けのテーマになっているわけでありまして、正直言いまして知事になって3年半の中で一番苦労している問題はまさにこの問題であるわけであります。逆に言いますと、今まで立地が進んだのはむしろイデオロギーがはっきりして、議会等において対決していたからむしろ進んだのであって、そのことが進みにくくなったということはむしろイデオロギーの対決はなくなってきて、住民の意思、地元の理解ということをどうやって判断するかということの難しさが出てきてしまったからではないかなというふうに私は今思っております。そういう意味でエネルギーの必要性と立地地域の関係をどうやるか。その意味で、まず私はそれ以前の問題として立地地域だけでの問題ではなくて消費地域を含めた国民的な合意形成をどうやって図るか。このこと自体がまだ図られていないということをまず気がついていただきたい。そして、このことをもって3県知事でお願いに来たわけであります。どうか、原子力発電に対する必要性、そして安全性等について本当に国民の合意形成を期待しているわけであります。
 さらに難しいのは、国民的合意形成が得られたとしても、その上で、なぜ、ではこの地域に立地しなければならないのかという立地地域における合意形成は従来にも増して大変難しくなっているんではないかと。そういう意味において例えば立地地域と消費地域の負担のあり方、あるいは地域の方々において安全性を含めたこのことの合意というのは本当にどうやったら得られるのかと。安全ですと言われても実際にはよくわからないという方が大半なのではないかなと。あるいは場合によっては、あの人が安全だと言っているから、そうなのかなという部分というのはどうしてもあるわけであります。最大限安全性等を含めて納得のいく情報公開をしながら説明をしていくということは当然必要ですけれども、今申し上げましたように、なぜ、この地域に立地しなければならないかという国民的合意形成の次の立地地域の合意形成の難しさを問題提起としてさせておいていただきたいと思います。そのために原子力発電に対して国民的な合意形成を進めていくためには、徹底した情報公開、いろいろな情報をわかりやすく公開していただきたいということはどうしても申し上げたいと思います。
 それから2点目、このこととちょっと離れるかもしれませんが、今までにも少し出てますプルサーマル計画についても、少し議論が地元にはございます。プルサーマル計画につきましては、平成6年6月に改定されました「原子力の研究開発、そして利用に関する長期計画」、あるいは、「総合エネルギー調査会原子力部会中間報告」によりますと、「1990年代後半に少数基で開始して、2000年ごろに10基程度の規模で」というふうに「計画的かつ弾力的に拡大していく」というふうにされているわけでありますが、福井県、福島県及び新潟県で先行的にプルサーマル計画が実施されるのではないかというふうに新聞等では報道されております。新潟県といたしましてもエネルギー資源の乏しい我が国でありますので資源の有効利用を図るという観点からプルサーマル計画を進めていく必要性はあるものというふうに基本的に認識しているところであります。しかしながら、プルサーマル計画を実施していくことに対する必要性について国レベルにおける議論がなされないまま事業者と地元自治体の問題として取り扱われている、あるいは取り扱われようとしているのが現状でありまして、地元自治体としては今の状態では納得いたしかねるというのが正直な気持ちであります。このため、プルサーマル計画をこれから実施していくためには国が責任を持って、このプルサーマル計画の必要性、安全性についても国民的な合意形成を図るということは不可欠であるということを申し上げたい思います。
 3点目は、バックエンド対策についてであります。バックエンド対策のうち、使用済燃料の再処理につきましては民間第二次再処理工場の建設計画が不明確でありますので、これに伴う使用済燃料の将来的な貯蔵保管のあり方もはっきりしないというのは国民、県民に漠然とした不安を与えております。また高レベル放射性廃棄物の処理、処分につきましても大まかなスケジュールが決められておりますけれども、国民の間には本当にそのスケジュールどおり進むのかという懸念がかなり広がっております。このためバックエンド対策につきましても原子力関係施設が立地している地域だけの問題では私はないと思いますので、原子力発電によるエネルギー等を等しく享受している国民全体でどうするかを考えるべき課題であるのではないかというふうに思いますので、この点についても国の真剣な取り組みを要望しますと同時に、早急にこの問題についての将来見通しが示されることを期待しているわけであります。
 4点目は、立地県あるいは立地地域の問題として若干小さな問題と言われるかもしれませんが、あえて指摘させていただきたいと思います。電源三法交付金制度についてであります。この制度によります地域振興策、これは確かにかつてはそれが大きなプラスでありましたし、魅力でもあったのだと思いますが、住民の理解を求める原発の立地を進めていくことについて、この地域振興策のみでは困難ではないかなというふうに感じている次第であります。一方では原発立地自治体の恒久的な地域振興策を図るということも重要であると考えておりまして、一応、この期限が切れるというようなことが想定されています柏崎においては、この議論がかなり出ております。しかしながら、現在の電源三法交付金制度には例えば建設終了後の地域振興策は不十分であります。そして交付金の使途にも一定の使用制限があります。何でも使えるというお金ではないわけでありますので、そんなことを考えますと、この制度の改善に向けての検討ということも一つのテーマではないかなというふうに思っています。
 以上は3県知事で合同に陳情したことを中心に巻と柏崎のことを含めて申し上げたのですが、最後に日本海側に面している新潟という地理的条件の中で追加的に一つだけ申し上げたいと思います。
 今、ペレストロイカ後の日本海が大きく変わって、対立と緊張の海だった日本海に船が大分行き交いまして、交流と平和の海に変わりつつあります。そして、その向こうには経済的に急成長する中国という国があります。私も年に1回くらい行くんですけれども、行くたびに、あの成長ぶりには大変びっくりするわけであります。そして、冬の特に西風が吹くときには大陸側から酸性雨が新潟にたくさん降ってくるわけであります。雪と一緒に降ります。そうすると雪が積もると一緒に、この下に積もって、一番下にたまって春先の雪解け時に一番高い数値になって流れ出るというのがこの酸性雨を抱えている雪国の問題であります。そして、これはやはり地球規模のエネルギー問題という指摘がありましたが、まさにそのとおりだと思います。私はこの問題についてもどうこうという私見はまだ全くございませんけれども、日本という一つの国で国民の経済単位の中でエネルギー政策を考えることは当然、国の責任として重要でありますけれども、同時に中国の状況を見ていますと、地球規模でエネルギーの利用ということをシミュレーション的に最適利用というのはどうあるのかということを考えないと大変大きな問題として今後、この問題が出てくるのではないかなと。確かに酸性雨という問題は私どもにとって大きいんですが、同時にコストあるいは技術的な管理能力というようなことを考えますと、中国に幾ら、今、こういうものを使ったらどうかと言っても、すぐそばに大量にある一番安い石炭を使って発電するのは中国の経済情勢からいけば当分終わらないだろう、変わらないだろうというふうに見ざるを得ないわけであります。こういうことと管理能力において地球規模で人類が知恵を使って、みんなが共存共栄するためにエネルギーという問題と技術の進歩をどう考えるのかということを、やはり日本は先進国の責任において少し考えて提言していく。その中で一国のエネルギー政策とが整合性を持てるのかどうか。この辺は一つの問題提起として将来的に考えるべき課題として私は中国に行くたびに感じながら帰ってきているということを申し上げたいと思います。
 ちょっと時間を取りまして申し訳ありません。以上であります。
【茅】  ありがとうございました。それではもとに戻りまして、ばばさんにお願いしたいんですが、一応、7、8分というルールはまだ存在しておりますので、よろしくお願いいたします。
【ばば】  私はメディアの世界にちょうど40年おりましたのでメディアの立場から申し上げたいと思います。
 よく今日の方々もみんな、情報公開ということをおっしゃいますけれども、情報公開ということはもっと具体的に言うとどういうことなのかということを考えなきゃいけないんじゃないか。それは、やはり、同時に情報を知るということと情報を知ったときに自分の意見をどういう形で参加できるかということだろうと思います。このことについては後で茅さんがおっしゃったんですが、実は高木さんが指摘されたように、この問題をどうしていくかということは実はこの円卓会議をやるならば、かなり重要なファクターだと。つまり、それだけに3時間を取っても僕はいいというくらい大事な問題。つまり、国民の合意ということの大前提というのは、そういう情報公開という問題をどういうふうにやるかということにある意味では尽きるんじゃないかと。私はあえて、ここで提言したいと思うんですが、広報という概念をやめたほうがいい。これは国も電力会社も含めた広報番組とか広報するとかという考え方はやめたほうがいいと思います。これは広報ということで済むことではない。つまり、全員が参加して意見が述べられ、そして、そこで情報が取れるということならば・・・・・・。
 例えば、この円卓会議もそうですが、何回かやって、何か月か後に出されても臨場感がない。そうじゃなくて生放送でやればいいわけです。これははっきり言うと、エネルギー生テレビみたいなものをつくればいい。つまり、毎週毎週、仮に6時間をある局でやったとしましょう。52回できます。2年間なら2年間ということを時限で考えたっていい。つまり、6時間を2年間やった場合、104回できます。104回でどのぐらいの人がそこに参加できるか。あるいは意見が言えるか。そこで討論できるか。これは相当のことができるはずです。それでも例えばファクシミリなり電話なりで意見を寄せられることができるとしても、せいぜい数万人です。1億2,000万人という日本人の中で、そこで参加して議論ができる、あるいはそれぞれのことを代表して言える人たちが丁々発止やったとしても、そこへ参加できる人というのは多分、数万人でしかないでしょう。それでも私は生放送の中でやっていくということで、皆さん方がエネルギー問題についてさまざまな角度からQ&Aもできると思うし、いろいろな疑問についてわかりやすく、そのことを知ることもできるし、意見を言うこともできます。
 今日、お話を伺っても岸田さんのお話も、あるいは鈴木さんのお話も、鷲見さんのお話もある程度専門的になると素人にはわかりにくくなります。これはどうしても高度な技術革新の問題というのはわかりにくいという問題をどう突破するか。それと国民が参加し、国民が知るという問題をどう整合化するかというのは非常に難しい問題だと思います。ですから、自分が意見を言うにしても、意見を言うもとになることの理解がなければいけない。その理解というのはQ&Aというのを何度も何度も重ねていくことからしかできないし、いろいろな専門的な分野の人が、そこで討論し合って、相手の足りない部分を切り込んでいくことの中で理解していける。つまり、そういうことから言えば、この20世紀の中の最大の発明と言われているのは核とテレビジョンだと言われています。原子力とテレビジョン、この二つ、これを人間の知恵の中でどう生かしていけるのかというのは、もっと原子力に対してテレビジョンというものが相互交流があっていいはずだと思うんですね。ここでテレビを写していらっしゃる方がいっぱいいますけれども、この人たちだって専門的なことはどれだけわかっているか。つまり、ほとんどわかっていないと言ったら失礼ですけれども、だろうと思います。つまり、そういう中で国民的な参加とか合意とかというのをしていかなければいけない難しさを考えたときに、もう少し開かれた場とは何なのか。開かれた場をどうするのかということを国も電力会社も、あるいは有識者の人たちも考えなければいけない。私はそう思います。
 それから第2点で、原子力エネルギーというのは安全が先に立っています。安全性、安全性とおっしゃるんだけれども、まず原点として、これは危険なエネルギーだということを私は前提に出すべきだと思います。危険なんだと。だから、逆に言うと安全というのがいかに大切かということになるわけです。それが今までの、いわゆる広報番組の中では、どちらかといえば、安全だということが強調されるあまりに危険ということについてできるだけ避けようとしてきた。私はそういう意味では謙虚じゃなきゃいけない、傲慢であってはならないと鷲見さんがおっしゃったとおりでありまして、それは謙虚であるということはまず第一に危険だということを認めるということですね。認めた上でどう安全というものに対して我々はそこにアクセスしていくかということを、それこそ、国民全体で考えなければいけないという気がするんです。
 それは同時に国の姿勢。例えば安全について考えるということだけじゃなくて、同時にクリーンエネルギーについてもコストの問題やなんかで難しいでしょう。しかし、クリーンエネルギーも同時に開発できて、それがコストパフォーマンスからいってもできることは、どれだけ我々一人一人の国民にとっていいかはわからないんですから、それを同時並行するという意思をはっきりと出さなきゃいけない。それが安全に対しても本当に考えているということを示すことになるんだろうと私は思います。それから、例えば開発途上国の次々に生まれてくる原発に対しての安全問題について、どんどん積極的に力を貸していくとか、一番今、問題になっている核爆弾をどう解消していくかとか、核ミサイルを全部、安全なようにしていくかということについても日本の技術を挙げて、経済的にも、それから技術的にも協力するという姿勢をはっきり出していく。それから、唯一の被爆国であるということを絶対に忘れてはならないとすれば、核実験の反対、あるいは核戦争への断固たる姿勢を官民を挙げて運動としてやっていくということも日本の原子力というものに対する不退転の決意ということを出すことができるだろうと。僕はそういう意味で今までのやり方というのはどうもどこかで中途半端であり、反対が起こらないようにするためにはどうするかという姑息な姿勢で行われていたような気がするので、こういう円卓会議のような公開の場が出ることをきっかけにして、明らかにこれからの日本の原子力のあり方、進め方というものを変えていくんだという姿勢で取り組む必要があるんではないか。そんなふうに思います。以上です。
【茅】  ありがとうございました。それでは樋口さん、お願いします。
【樋口】  樋口でございます。私は恐らく、この原発の問題に関して公式に発言するのは今日が初めてだと思っておりますし、今日、お集まりの先生方の中からさっきほとんどわからないなんていうお言葉が出ましたけれども、ほとんどどころか、全く技術的な問題に関しては一番わからない人間だと思います。
 にもかかわらず、なぜお声をかけられたのか、その辺りはよくわかりませんですけれど、今日は出て参りました。先ほどから皆様もおっしゃっていますように、何もわからない人間として私は今まで発言を慎んできました理由は、「あれはどうも女で革新的なことを言っているから、恐らく原発反対論者だろうよ」という先入観で受け取られるのではないかということ、そして、やはり、わからない人間が直感的・感情的に言ってはいけないんじゃないかという恐れと、あまり、そういうことに発言を求められなかったというのが一番大きな理由かもしれません。それと同時に、やはり現在、原子力発電で現在の電力の3割が賄われているというくらいの事実から、原発反対なんて言う人間はクーラーに当たる資格はないんじゃないかなんて言う当時の保守党の議員のおっしゃりようにも、半ば、確かに私も電力の恩恵に浴しているしな、なんていう「ごもっともさま」という思いがあったということも発言しにくかった理由の一つだと思います。
 しかし、この機会に、少し、1970年代からの新聞記事などもひっくり返してみました。実はもうそのころから、ある意味では、高速増殖炉の安全性ということに関しては、かなり問題点が出されていたということを知りまして、私は一人の消費者として大変恥ずかしく思いました。活断層なんて阪神淡路大震災で私は初めて広がった言葉だと思っておりましたら、もう、その時点で既に活断層の多い地形であるということが一般の新聞に報道されております。私自身、日々、電力を使いながら、そのような問題に関してあえて目をつぶってきてしまったことを今日、改めて恥ずかしく思っております。そして一方で、反対派、賛成派を問わず、このように大変わかりにくい問題、難しい問題であるだけに素人の発言について、素人が何を言うか、非科学的だ、などと決めつける傾向のあることに対しての反発も一つあって出てまいりました。
 確かに非科学的であり、感情的、感覚的な反発であるかもしれませんけれども、例えば今日、円卓会議のメンバーも取材なさる方々もほとんどが男性の方々でございます。私は女性がこのような科学的な問題、技術的な問題に関して全体として弱いということはよくわかっておりますし、そういう人材が少ないということもわかっておりますけれども、しかし、それは例えば科学技術庁の問題ではないにせよ、平成5年まで中学におきまして技術・家庭科という技術や科学について学ぶ機会というものを、文部行政の中で女性は疎外されてきていたというような歴史もまた、この際、申しておきたいと思います。教育の重要性を先ほど、どなたかがおっしゃいました。特に自分の体の中に次の世代をいやおうなくはぐくむという立場にいる女性が科学、技術についてしっかりと教育という場において情報公開され、きちんとした同じ土俵で語れるようなありようというものが今までなかったということもまた申し上げておきたいし、こうした問題について専門家ばかりでなく、女性たち住民の声がはっきりと届くような場を用意していただきたいと思っております。
 何はともあれ、危険は起こったわけでございます。当時の新聞をひっくり返しただけでも70年に「もんじゅ」建設候補地が敦賀の白木というところでございますか、そこに決まったころから、特に80年5月、原子力安全委員会が「安全ですから」ということでゴーサインを出した。こうした責任が一体、誰が問われるのでしょうか。今度の「もんじゅ」の事故だけの責任で済むのか。国民感情としては私は「安全です」とおっしゃった側の責任も問われなければならないと思っております。しかし、これらのことは皆様もおっしゃったことでございますし、特に問題が起こってからの情報開示という点では非常に大きな疑問がございます。
 私はやはり、それにしてもこの原子力発電を含めて、今の電力需要を拡大していく、あるいはこれからの需要に応えるということにもう一つ−−これは池田さんがおっしゃっておりましたけれども、私もそのとおりと思いまして、オルタナティブと言いましょうか、もう一つの選択肢が加わっていいのではないかと思います。今の人口とか、途上国の問題から見て、日本の出生率低下の問題なども政財官を挙げて大騒ぎをしていらっしゃいましたけれど、私は94年の人口開発会議にNGOから政府代表団に初めて加わらせていただいて、そういう国際会議の場には初めて出て討論に加わる機会を得ました。日本の中にいるからこそ、人口が減っていく、大変だ、大変だと言っておりますけれど、エネルギー需要一つを申しましても、世界の先進国がエネルギーの大半を使っている。そして、人口爆発が環境を悪化すると仮に言ったとしても、そんなことを言ったら、あなた方先進国の消費爆発のほうをどうするのかと反論されるでしょう。日本だって1868年、明治維新を迎えたときにわずか3,300万人だった人口を今、ここまで4倍に爆発させているのではないかと。もし仮に途上国からそういう論理で対抗されたら、私たちは返す言葉がないのではないかと思った次第でございます。
 したがって、私はやはり原子力発電というものが果たして絶対に必要なんだろうかというところにもう一度立ち返りたいと思います。するとどうなる、というシナリオというか姿が見えないから大変不安になるのでありまして、私など素人考えではこう思っております。例えば朝日新聞に長年連載された「サザエさん」という漫画がございます。あの漫画は1974年、石油ショックをもって終わっております。1946年の漫画の開始から見ますと、その25年の中に本当にすさまじいほど生活は向上いたしております。そして、その生活向上の、例えば1970年の時点で切って絵柄から生活水準を見直し、私たちが一体、どのぐらいの不自由をするかというと、そして、その不自由の限度というものを私たち消費者としても、生活者としても受忍すべきかどうか。70年代のレベルまで具体的な電力の消費量というものを減らしていったときに、私たちがすぐさま、原始の昔に戻るのではなく、それなりに高度経済成長後の生活を享受し得るのではないかというようなデザインも描いていいのではないかと思っております。日常生活のライフスタイルから言えば、例えばドイツにおいて行われておりますような省エネへの取り組みも学ぶべきではないでしょうか。日本のようにいつも温かいものは温かく、冷たいものは冷たく自動販売機で出てくる国というのは、それほどあるものではございませんし、そのためにどれだけの電力が使われているでしょうか。それは私は返上してもいいのではないかと思っております。
 そして、ここには専門の学会の先生方もお出ででございますが、私は21世紀は後始末の世紀だと思っております。この原発の問題も含めて後始末の工学、後始末の政治学、後始末の経済学というものの興隆を図ってほしいと思っておりますし、子々孫々に恥じない国家百年の計というものが今、本当に求められるとしたら、この時期ではないかと申し上げて、終わらせていただきます。ありがとうございました。
【茅】  ありがとうございました。
 一つだけ、誤解を避けるために。たまたま、今日、モデレーターは私と佐和さんの男性二人ですが、6人のモデレーターの二人は女性でございます。たまたま、今日はお出でになれなかっただけですので、念のため。
 それでは藤目さん、お願いいたします。
【藤目】  日本エネルギー経済研究所の藤目と申します。
 今日、私がなぜ選ばれたかというのはちょっとわからないんですけれども、私の研究所には私より原子力にもっと詳しい、うちの生田理事長をはじめ、おられますけれども、私としてはエネルギーの専門家ということで発言したいと思います。
 今回の「もんじゅ」のナトリウム事故の問題は今までも随分語られてきましたので、あまり触れたくありませんが、今、エネルギー問題と原子力問題というより、むしろ社会問題化しているということで、日本の社会構造そのものの問題かもしれませんので、これはなかなか解決するのは難しいと思いますけれども、しかし、これは社会問題としても対策は取っていかなきゃいけないんじゃないかということが一つです。
 それから、原子力の安全性についてと必要性については両方バランスを取らなければいけないんですけれども、むしろ安全性がまず重要であって、そこで失格ならば必要性は考える必要はないという考え方もあるんですけれども、事実の問題としてそれはなかなか難しい。これについては最初に池田さんが発言されましたけれども、いろいろシナリオを書いても、原子力がないシナリオというのはなかなか難しいだろうということをちょっと説明したいと思います。
 原子力自体の安全性については私も個人的には非常に不安を持っておりますし、今はいわば、言葉はちょっと悪いんですけれども、保護観察下にある。特に高速増殖炉については保護観察下にあって、これは国民の監視のもとに置かれて、情報は一切、正確に透明に公開すべきであるという意見を持っておりまして、必ずしも安全性については、いわゆる推進派と言われるほど楽観はしておりません。しかし、軽水炉についてはご存じだと思いますけれども、30年の経験があるわけですが、大体、家族などと話もして、やっぱりチェルノブイルは特別だという感じがあるわけですね。チェルノブイルの事故の映像がテレビで毎日のように流されている。あれを見れば原子力に対して不安を持たない人はまずいないだろうと。普通の感情の人は。そういう意味でチェルノブイルの事故と一般的な日本が取っている軽水炉、それから将来、高速増殖炉ということですけれども、それと炉型も違うし、安全管理運営の違いなどがあるということを一般の国民は意外と知らない面がある。これについてはもっと理解を求めるということも必要かと思いますけれども、やはりチェルノブイル事故というのは再び起こしてはならないわけですし、あれがよいという人はまずいないと思います。そういう意味でチェルノブイルの事故というのをまず基本的に違う事故なのだということを理解してもらうというのが、まず、そこが突破口ではないかと思います。そうでないといつまでもチェルノブイルの事故が毎日のようにテレビで放映されておれば原子炉に対する不安というのは決して消えないのではないかと思います。それは理解を求めるというのは難しいですし、先ほどの社会問題でもあるわけですから、その辺の理解を求めるのは難しいというのは高木さんがおっしゃるように確かに非常に難しい問題ですけれども、それは突破しなきゃいけないだろうということだと思います。
 それから、エネルギーのシナリオについて、OHPはなかなか会場が大き過ぎて見えないので、後で説明しますけれども、最初は口で申します。ご存じのように、原子力は現在、既に総発電力の3割を超えて、私どもの研究所の予測では2015年ぐらいまで、大体、電源の3分の1程度は占める必要があると。これはもちろん、省エネルギーの取り方とか、経済成長の見通しとかによるわけですけれども、3分の1程度がいいところではないかと。それ以上、頼るのもある意味では過大な期待を持ち過ぎるというぐらいに思っております。もちろん、政府の見通しは40何%ということはありますけれども、現実的に考えると3分の1ぐらいを頼っていくのがほどほどのところではないだろうかと。それに3分の1の原子力に代わるようなものがあるかどうかということです。これは省エネも含めてあるかどうかということですけれども、既存の化石燃料以外のエネルギーは太陽エネルギーも含めて、残念ながらないと。これは21世紀全体を考えてもなかなか難しい。もちろん、100年後のことはわかりませんけれども、少なくとも2050年ごろを考えても、なかなか3分の1の電源を占めるというのは難しいということです。これはちょっと後で図表等で説明したいと思います。もちろん、原子力に石炭、天然ガス、石油で完全に代替するというのは不可能ではないわけです。原子力を全部とめて、石炭、天然ガス、石油火力でやるというのも不可能ではないわけです。可能なわけですけれども、ただ、この場合には国民が負担するコストは莫大なものになる。これはそれこそ消費税3%どころじゃなくて物すごい負担になるわけで、それに国民が納得できるかどうかということも大きな問題ではないかと思います。
 それからもう一つ、地球環境問題で地球温暖化の問題というのは原子力を正当化するとかなんとかと言われておりますけれども、必ずしも正当化するとか、そういうことではなくて、CO2の排出量がどうなるかというのは地球環境問題として、これを抜きには考えられなくなってきているわけです。したがって、原子力は要らない、しかも温暖化は防止すべきだという二つのことを同時に言うことはなかなか難しいというのが現実であるということじゃないかと思います。もし原子力を石油、天然ガス、石炭に代替しますと、現在、日本の原子力開発計画は2010年で7,050万キロワットというのを計画しております。その分を石炭でカバーしますと1億5,500万トンが必要になる。天然ガスでカバーすると7,750万トンが必要になる。石油でカバーすると9,870万トンが必要になるということです。これは今、日本の政府が国際公約のもとに進めている一人当たりのCO2の排出量を炭素換算2.6トンに抑えるというのに対して、もし原子力をこれらの化石燃料に変えたとしますと一人当たり0.5から1トンが増えてしまうということです。これは2.6トンの20〜40%のCO2を多くします。したがいまして、原子力がなくてもいいというのはこのCO2の排出量を抑制するというものを放棄しない限り、なかなか難しいというのが現実であるということです。その現実から離れたいろいろなシナリオというのはなかなか書けないということです。それをちょっと私としては知っていただくということが一つの論点でございます。
 それから、もちろん高速増殖炉の戦略については、これはウランも今のところでは寿命が40数年しかないということで、それから、その他いろいろなことを考えれば高速増殖炉路線というのは取っていく必要があるのではないかと思っておりますけれども、ただ、諸外国は経済性の点でかなり放棄しているということです。これは逆に言えば、日本だけ続けるというのもそれなりに意味があると思いますし、電力会社の方からは経済性の問題は非常に深刻だと思いますけれども、こういった日本だけ続けることが悪いということは必ずしもないと。
 それから、先ほどちょっと新潟県知事の方から出ましたけれども、中国をはじめ、東アジア、これは韓国、台湾、インドネシア、タイ等が含まれるわけですけれども、ここの原子力開発計画というのは2010年までにちょうど日本と同じぐらいの7,000万キロワットが計画されております。これについてはいろいろな見方があるわけですけれども、もちろん大気汚染対策という点もありますし、電源確保という点でもあるわけですけれども、日本としては特にこういった途上国の原子力の計画について安全性の確保とか核不拡散というために積極的に協力すべきではないかと。つまり、日本が仮に反対しても途上国では原子力の開発が、特に東アジアを中心として7,000万キロワットが予定されているということで、それに対して日本の中のことだけではなくて、東アジアのことも考えていかなければならないということが必要なのではないかと思います。
 あと簡単にちょっと図表を説明して終わりたいと思います。
 最初にこの図表がありまして、緑の線が真ん中に引いております。これは、原子力の計画で、現在原子力は全国に49基ありまして、4,000万キロワットあります。100万キロワットが40基に相当します。これは、2000年に4,500万、2005年に5,000万、これはほぼ確実です。もう建設期間等を入れても5,000万まではまずいくでしょう。ただ、その後、2010年までは、ここではエネルギー経済研究所の見通しでは5,800万とかなり厳しく見ております。これは先ほど話しましたように、政府では7,050万キロワットというふうに見ていますけれども、こういった「もんじゅ」の事故等、いろいろなことから考えますと、もちろんそれはいろいろこれから対策を立てていくということになるんでしょうけれども、このぐらいだと。2015年に6,400万キロワットということですね。これを入れないとエネルギー需給のバランスは取れないということです。ここでは経済成長2%ちょっと、それから経済成長に対するエネルギーの需要の弾性値を0.6と置いておりますが・・・・・・。
【茅】  藤目さん、恐縮ですが、大分、時間を過ぎておりますので簡単にお願いします。
【藤目】  はい。
 あと、次に図がありまして、これは先ほども申しましたように、2015年に33.3%くらい頼らざるを得ないという図でございます。
 その次に超長期、これは2100年までの世界の需給展望ですけれども、これはエドモンド・ライリーモデルでやりました。これはCO2の抑制を考えない場合には固体燃料、石炭が資源的にも経済的にも増えるということでございます。ところが、次のあれはCO2の抑制を世界全体で1990年並みのCO2の排出量に2100年も安定するということになりますと化石燃料があまり使えないと。したがいまして原子力にかなり頼らざるを得ないと。しかも、不足が出てしまうと。この不足分はおそらく省エネルギーとか太陽エネルギーでカバーするというシナリオがあり得るはずですけれども、これはなかなか難しいということでございます。
 最後の図は、先ほども申しましたように、東アジアで7,000万キロワットの原子力の計画があるということです。
 以上、どうも。
【茅】  ありがとうございました。
 これで一応、参加をいただいた方々のお話は全員終わりになりました。したがいまして、最初にお約束いたしましたように、ここで休憩を15分ほど取らせていただきます。その後で原子力委員会側からのお話を少しいただいた後で、具体的に討論に入りたいと思います。
 それでは15分、休憩いたします。
(休憩)


原子力委員の総括的見解

【茅】  それでは再開させていただきます。
 今、4時10分でございますので、あと1時間20分ほどやらせていただきたいと思います。大分、長丁場でございますがよろしくお願いいたします。
 それでは最初にお約束いたしましたように、今、皆さんのご発言に対しまして、やはり原子力委員会側として反応していただくべきものも幾つかあると思いますので、まず伊原原子力委員会委員長代理にお話をいただきます。
【伊原】  先ほど、茅先生からこの円卓会議はとりあえず1年程度を予定しているというお話がございました。私どもとしてはさらに常設的にご議論いただくことも当然あり得るかと思っておりますが、ただ、いろいろな話題の中で論点が比較的早く明らかになるようなものがございましたら、それは途中の段階でお教えいただけますと、原子力委員会としては、さらに委員会自体あるいは専門部会等の場で鋭意詰めることができると思われますので、そういうふうにお取り計らいいただければ大変ありがたいと思っております。
 それから、先ほどから大変幅広い貴重なご意見をいただきまして、世界のエネルギー全体のあり方、その中での原子力の役割、そういったものまでも含めまして、大変有意義なご意見をいただいたわけであります。
 この円卓会議のあり方について、これはこの後、いろいろご議論いただくことになるかと思うわけでありますが、原子力委員会といたしましては、現在の長期計画の策定の際にも国民の皆様のご意見をいただいたわけでありますけれども、まだまだ不足であったということを痛感しておるわけであります。したがいまして、この円卓会議でさらにいろいろな問題が摘出される。それに十分に対応していかなければいかんと思っております。原子力委員会みずからが十分弾力的に対応し、真摯にこの提案されたご意見をこなす−−こなすという言葉が適当かどうか、一生懸命、政策に反映させる努力をいたします。また、行政省庁である科学技術庁、通産省にもいろいろな検討をしていただくということを考えるわけでございます。
 先ほど高木さんからお話がございました前回の5年間のモラトリアム提案について十分、納得のいく説明がなかったというふうな趣旨のご発言があったと思うわけでございます。それについてちょっとご説明申し上げます。
 平成6年6月22日付で「長期計画改定に関するご意見への対応」という資料を公表しております。その中の4ページ目に、この5年間モラトリアム提案への対応といたしまして、「原子力技術のような巨大科学技術の開発は柔軟性を持ちつつ、計画的に持続して行うことが重要であり、モラトリアムにより開発を中断することは単にその開発の一時的な停滞にとどまらず、蓄積された技術、人材の散逸等により技術発展を阻害し、技術レベルを維持することが困難になること。凍結期間により技術体系の確立が遅れ、将来のエネルギー確保に支障を来す恐れがあること。中断以前の技術レベルまでに戻すまでに持続して行った場合に比べると多大の努力が必要となり、投資を効率的に運用できないことなど、マイナスとなる要素が極めて大きいことから開発計画の凍結は適切でないと考えます」と。その前後もいろいろ説明がございますが、一番ポイントのところはそういうふうになっております。そんなに急ぐことはない、100年のスケールの問題だからというご意見も承りましたけれども、原子力委員会としてはこういう考え方で整理をさせていただいたということをご報告させていただきます。
 それから、政策決定のプロセスの透明化というのは非常に必要だと思いますし、それはまた別の意味では情報公開ということに関係するかと思います。情報公開につきましては、これも大変多くのご意見をいただきまして、一々、ごもっともと考えられます。私どもはわかりやすい情報をできるだけ的確に、一方通行ではなくて、皆様方のご理解を得るためにはどうすればという工夫をしながら、これからも努力をしてまいらなければいけないと思っているわけでございます。たまたま、情報公開に関する特別の法律を制定しようという動きがあるようでございまして、今日、その素案みたいなものも見たわけでございますが、政府全体といたしまして、この行政における情報公開ということを的確にやろうと。こういう動きもあるわけでございます。したがいまして、その政府全体の動きの中で行政情報の公開について基本的な考え方を十分踏まえながら、特に原子力はその中でも優等生であると思われるぐらいのことをぜひやらなければいけないと思っております。
 以上でございます。
【茅】  ありがとうございました。
 今のお答えに対してまた高木さんから反論があるかもしれませんが、これは過去の問題でございまして、こういった円卓会議のあり方というのを今、これから議論いたしますから、その中でむしろ、それをどう反映させるかというところでご意見があれば言っていただきたいと思います。
 それから、ほかの原子力委員の方、何か、今の皆さんのご発言に対しまして補足するご意見はございますか。よろしいですか。じゃ、藤家さん、どうぞ。
【藤家】  私は3月までは実は大学におりまして、大学から原子力をずっと眺めて、あるいは自分の研究のテーマとしてやってまいったわけでございます。
 今日、この円卓会議にお出になった方々のご意見を新鮮にとらえさせていただいたんですが、一つ、私は欠けている部分があるのではないかと思いましたのは、原子力を科学技術としてとらえる視点というのが抜けておりまして、原子力をエネルギー論を中心とした見方が支配的であったかという感じがいたします。原子力開発が半世紀を迎え、しかも来世紀を見込んでいる段階で、やはり原子力を総合科学技術としてとらえる視点というのは大変大事だろうと思っております。しかも、今後の科学技術においては従来の、ともすれば利用という観点から、より重要視されるのは調和という観点でございますので、そういう面から原子力をとらえ直すということが大事だという感じを受けました。
【茅】  ありがとうございました。

自由討議

【茅】  それでは、最初にお約束いたしましたように、今のご議論を踏まえまして、一番最初に円卓会議の今後のあり方、つまり、どういうふうにやるべきか。それから、それをどのようにして今後の政策に反映すべきかという点について、まず議論をしたらいかがかと思っております。この点については何人かの方からご指摘がありました。
 モデレーターとして、ちょっと私が反応すべき点が多少ございますので、それを先に申し上げさせていただきたいのです。
 まず、ちょっと私が最初に申し上げたところの中に、1年という話を確かに申し上げたような気がいたします。これは私は、どんな会議でも無限に続けては意味がないということから、たまたま1年と申し上げたんですが、皆様方のご意見の中に、やはり、これがむしろ情報公開の一つの場であるというご意見もございました。事務局側に聞きますと、これはある程度長くやることも可能であるというご意見もありました。したがいまして、私としては何ら1年に固執するものではありませんので、一応、その1年という話は撤回といいますか、やめさせていただきます。ただし、当然のことですが、モデレーターも人間でございますので、長い間、ずっとやっているということはできませんから、それは別な問題ですけれども、会議としてはどれだけやるかということについては、むしろ、皆様方のご意見をいただいて、その上で考えたほうがよろしいのではないかと思います。ただ、最初に申し上げましたように、ただやるだけでは全く意味がないわけですから、当然のことながら、こういった会議をいたしまして、そこではっきりとした意見が明確になったものにつきましては原子力委員会側でできるだけ早期に検討していただくということをモデレーターとしてはお願いしようと思っております。
 これは当然のことですけれども、ここで出た意見がすべて全く同じになるということはあり得ません。当然、意見というのは違う意見がございます。私自身としてはそれを政策に反映するという意味は採用した場合にはどういう理由で採用したか、どういうフィロソフィーのもとでなぜ採用したか。逆に採用できなかったものは、どういう理由でどうであるのかということを明確にしてもらうということが一番大事だと思っております。それをやはり円卓会議にフィードバックしてもらうという形でやっていきたいと思います。私自身としてはそういうやり方がこの円卓会議の持つの一つの姿勢であると思っております。
 これがとりあえず、この円卓会議のやり方についての私のモデレーターとしての反応でございます。
 さて、この後は1時間ちょっとございますけれども、最初にこれもお約束いたしましたように、モデレーターは今日は二人おりますので、佐和さんに司会をお願いしたいと思います。じゃ、よろしくお願いします。
【佐和】  それではただいまから私が茅先生にかわって議事進行役を務めさせていただきます。よろしくお願いします。自由討議ということですので、どうぞ皆さん方、ご自由にといいますか忌憚のないご意見をお聞かせいただきたいと思っております。
 時間の都合もございますので、今日の12人の皆様方から伺った問題点を整理するといういとまはございませんので、やや勝手ではございますが、次の三つの問題を中心に順々に議論をしていきたいというふうに思っております。一つは円卓会議の運営に関する問題。二つ目が情報公開に関する問題。それから三つ目がエネルギー需給等のエネルギー需給全般に関する議論と、その中での原子力という問題です。つまり、エネルギー需給あるいはエネルギー問題の中に占める原子力の問題。この三つの問題に今日の議論を絞りたいというふうに思っております。それでよろしゅうございますでしょうか。
 それでは早速、今から1時間10分でございますが、多少、5分か10分程度の超過は構わないというふうに事務局から聞いておりますので、まず最初に約20分ぐらいの時間をめどに円卓会議の運営に関する問題について皆様方のご意見をお伺いしたいと思います。
 既に高木さんからは、さっき一言で言いますと、この会議は形づくりの場にはするなというふうなご意見が寄せられておりますが、さらにもっと、それを議論を発展させたいとお考えでしたら、どうぞ。
【高木】  先ほど、伊原さんが私の意見に対するあれがありましたので、それに対するまた私側のレスポンスをちょっとしたいと思います。今日は少しはっきりものを言わせてもらいますけれども、個人的な感情に基づいたものではありませんので、ちょっと言葉に差しさわりがあったらご了解いただきたいのですけれども。
 はっきり言いますけれども、今の伊原さんのような反応だと一体、この会議をやるに当たったの危機感というのが大体、どこにあるのかというのをはっきり疑わざるを得ないです。つまり、先ほど、私が言ったことに対して、つまり、モラトリアム提案そのものはどうでもいいというか、私の意見がどうしても通らなければ、これは民主的ではないとか、そんなことを言っているわけでは私はないわけです。私はモラトリアム提案ということをした・・・・・・。モラトリアムというのは一つの提案という以上にもっと議論を尽くそうということを提案して、それでモラトリアムと言ったわけですね。それについて今、伊原さんが読み上げられましたけれども、そんなことは私も持っていますし、わかっているわけです。わかっている上で言っているのは、つまり、そういうふうにだれでもそうですけれども、みんなが意見を言ったことに対して、それを聞きおいて、原子力委員会の見解はこうですというようにレスポンスするんだったら、ここで何か言うことの意味はほとんどないんですよ。ここで言ったことが深刻に受け取られて、その中身が反映されたようなレスポンスが返ってこない限り、原子力委員会の意見はこうですというような反応をここで一対一でやり取りするような場だったら、この場は意味がないと思うんです。今のような反応が返ってくるような場だったら、私はこの場はこれ以上遠慮したいとはっきり、そのくらい言いたいです。だから、もっと突っ込んだ議論が行われないようだったら、やっぱり聞きおく場になってしまう。
 さらに言えば、情報公開の問題についても伊原さんは、わかりやすい情報をご理解を得るために、とおしゃったけれども、こういう発想では情報公開はもうだめだと私は思う。こういう情報公開ではなくて、先ほどばばさんも言いましたけれども、情報の公開とか透明感というのは相互交通的なものなんですね。だから、国側も立場をわかってもらいたいというか原子力委員会の立場を説明するかもしれないけれども、例えばそれに対する批判的な意見を持つ人たちも、そのことも国側が理解するというか、わかるというような相互交通がなければ、本当の意味の情報公開にならないし、透明感も出ないわけなので、わかりやすい言葉で国のことを理解する、わかりやすさに今まで欠けていたんだというような認識では、もちろんそれもありますけれども、そんな認識ではとてもじゃないけれども困る。
 今のお話を聞く限りは一体、何で今、この円卓会議を始めなくちゃならないというふうに認識しているのかということについていうと、私はかなり納得できないということをはっきり言っておきたいと思います。円卓会議を今後、どう進めるかということの議論もやるべきでしょうけれども、長くなりますから、とりあえずは。
【佐和】  要点は、要するに相互討論の場をつくれということですね。
【高木】  そうですね。相互討論をちゃんと保証しないとですね。やっぱり、聞きおく場ではないかという印象を持ったということですね。
【佐和】  その点について。
【伊原】  ただいまのご意見に対して、私どもも今までのようなやり方だけでは十分でないということは反省をいたしております。したがいまして、例えば前回のように原子力委員会としてはこういう理由でこのご意見は採用をどうもいたしかねるということを申し上げて、さらにそちら側の反論があり得るような、そういうやり方をしなければいけないのかなと。こう思っております。
 それから、情報公開につきましては、端的に申しまして、この円卓会議の場が双方向情報公開の場として非常に役に立つものではなかろうかと。そういう機能も期待をいたしております。
【高木】  一言だけ。
【佐和】  ご発言いただくわけですが、私は先ほど一言、言うことを忘れたんです。後日、テープに基づき議事録を作成する都合上、ご発言の際には冒頭にお名前をおっしゃってください。
【高木】  高木でございます。もう一言。私ばっかりに偏るのはよくないことだと思っておりますけれども。
 先ほど、私がちょっと問題を投げかけたものについてまだお答えを聞きたい部分があるのは、どういう人選を行ったかということなんですね。茅さんがちょっとお答えになるようなことも予告されていたと思いますので。今後のこともありますので。私としては原子力委員会と違う意見の人というの意見こそが貴重だと実は思っているんです。原子力委員会と同じような意見をサポートするような意見を幾ら聞いてもしょうがないと言ったらおかしいですけれども、それはもうわかったことなのです。今日もかなり、基本においてはむしろ、そういう人のほうが多く選ばれているような印象を受けますけれども、今後のことがありますので、どういうふうに批判的な意見の人の参加を保証していくのかということについては納得のいく説明を聞きたいと思います。
【茅】  私のほうから申し上げます。
 まずちょっとその前に、今の長計に関する議論のことなんですが、私が伊原さんにお願いをしたのは、過去においてどうであったかという説明を求めたのであって、この円卓会議の中でそのことの反省を踏まえてどうするかというのは別な問題なんです。ですから、円卓会議の中で例えばこういう議論があったときに、それはどういうふうにすべきだというふうに意見を言っていただきたいというのが私のお願いなんです。つまり、過去においての説明を今求めているんではなくて、今後の円卓会議のやり方について、そのときに例えば問題があるというならば、どういうふうに改善したらいいかというふうに言っていただくと我々としては大変ありがたいというのが第1点です。
 つまり、過去においてこうであったというだけでは説明だけになってしまいますので、それを我々が今、やろうとしているこの円卓会議の中にプラスの面で反映させたい。だから、そういう提案をしていただくほうが私にとってはありがたいと。そういう意味です。
【佐和】  そういう意味ではさっき高木さんがおっしゃった、要するに原子力委員会と意見の違う人の参加を保証せよというのは一つのご意見というふうに伺ってよろしいわけですね。
【高木】  そこから先の議論も私はあるんですけれども、先ほどの意見は過去のいきさつのような形を仮に説明しますという意見よりは、原子力委員会の私の意見に対する反応として返ったきたというふうに理解しましたから、この円卓会議の場としてはそれだとちょと違うということを申し上げたのです。過去のいきさつについての単なる説明というふうに取れなかったです。
【茅】  そうですか。それは私のほうでむしろお願いの仕方が悪かったんだと思います。
【高木】  反応とおっしゃったんですね。
【茅】  私はさっき、高木さんが話をされたときに対して、その内容についての反応を後でしなければいけないということでお願いをしたわけです。ですから、そういった意味で私がお願いした内容と高木さんが期待した内容とがちょっと違ったというところにあるんだと思います。
 いずれにいたしましても、ここでやろうとしているのは円卓会議をどう持っていくかということであって、過去においてのいきさつを細かく議論しているとそれだけで終わっちゃうものですから・・・・・・。
【高木】  過去のいきさつを言っているわけではない。単なる過去のいきさつにこだわっているわけではないんです。そうではなくて、これからどういうふうにスタートしなくちゃならないかということに当たって、私は今までのように聞きおくだけでは困ると。過去のようでは困るという話をしたつもりでいるんですね。それに対して、私の印象では、今までと同じような答えが返ってきたので、これだとこれからどう進めるべきかというふうに前向きに、もちろん私自身も考えがありますけれども、議論がしにくいということを申し上げたのです。
【茅】  はい。いずれにいたしましても、私の了解ではこちらの参加者側のご意見に対して、だだ聞きおくだけではなくてフィードバックがあるということが非常に大事なことなので、そのように今後の円卓会議の運営をしたいということを先ほども申し上げましたし、今後もそういう形になるようにモデレーターとしては努力したいと思います。
【高木】  モデレーターとしてはね。とりあえず、こういうふうになるといけないから、私は・・・・・・。
【茅】  それから2番目には参加者の問題なんですが、これは逆に言うと、参加者としてどういう人を選ぶべきかというのも、この円卓会議で会議で議論していただいたほうがいいんですよね。ただ、第1回目は当然のことですけれども、それでやるわけにはいきませんでしたから、一応、事務局側と相談して、できるだけいろいろな人を呼ぼうということでお願いをしたわけで、何らかの形で選択をしなければいけないから、それをやったというのが現実です。今後の場合、例えばこういう人たちを呼ぶべきであるとか、そういうご意見があれば、ここで積極的に出していただいて、それを2回以降に反映したいというのが私の考えていることなんです。
【佐和】  樋口さん、どうぞ。
【樋口】  まだ結論が出ていないときにほかの話にいってしまうと申し訳ないんですが、だれを呼ぶべきかということについてでしたら私はちょっと意見があります。
 先ほどちょっと申し上げましたけれども、地域で反原発運動をしている人も含めた女性の意見をもっと聞いてほしいということが一つあります。
 それからもう一つ、私はこれはどういう立場であろうと若い世代の意見を聞くような場をぜひ持っていただきたいと思います。今日はこの中で、私はちょうど中くらいぐらいの年齢じゃないかなと思っておりますけれども、いずれにせよ、今日はもっと大きな事件があって取材が少ないんじゃないかと思って残念に思っておりますが、オウム世代の人たちの嘆きというのが私はちょっと私は何かわかるんです。オウムの弁護をしているわけじゃ全くありませんから誤解しないでいただきたいんですけれども、私はオウムの信者ではなくても本当にそれこそ、こんな言い方も嫌だけれども、善良健全なるその世代の青年たちから、「あるところまでは私たちの考えていることとオウムの人たちとわりに同じなんですよね」と言うんです。つまり、このままいったら地球は破滅するというと言い過ぎですけれども、このままいったらだめになる。だけど、オウムの言うことなんかのほうがもっともっとおかしいから、そこへ行かないだけで、何か未来に対して絶望的な思いは、あの世代以下がある意味では共有していることなんですね。私などは高度経済成長の中で豊かになることを一方で喜びながらきた世代ですから、こういうことをメディアの場で言うと「あなたはオウムの味方をしているのか」と言われるものですから、なかなか言いにくいことです。つくづく、ここにいる方々は私を含めてわりといい時代、豊かになった時代の逃げ切り勝ちができる世代の人です。逃げ切れない若い世代の人たちの意見をしっかりと聞いていただきたい。それをお願いしたいと思います。
 もう一つ申し上げますと、私は高木さんのご意見も、それから鈴木さんのご意見も、そういう対立する二つの意見があるということは若干知っていたつもりです。しかし、いざ私が先ほど申し上げましたオルタナティブな生活のモデルをつくろうとなると、どちらのご意見も十分に知っていないことに気づきました。ぜひ、科学技術庁ないし電力会社ないし全部にお願いしたいのは、単なる広報番組に使うお金をどうぞ年に一度回して、しっかりとこういう対論といいましょうか、そういう場を提供してみんなの前に公開していただきたいと思っております。以上です。
【佐和】  次は笹森さん、ギルバートさんの順番で。
【笹森】  円卓会議の運営ということだけで意見を言わせてもらいます。
 今、高木さんや樋口さんのほうから出た意見と、ちょっと控室のほうでもやっておりまして、そんなには違ってないんじゃないかと思うんですが、要は受けとめ方の問題が一つあります。場を提供して形だけ整えるのか。そう言われてしまえば身もふたもないんであって、こういうことをまず始めたということを私は一つ、評価をしてあげるべきだと思うんですね。
 それから、人選の問題。これは4回に分けておやりになるというふうに聞いていますが、その4回のメンバーが全部出ていれば、初めに賛成ありきなのか、反対ありきだけを呼んだのかということは一目瞭然でわかると思うのですが、かなりいろいろ公平に選んでいるんじゃないかというふうに私自身は思っているんです。今日の集まったメンバーも先ほどの最初のご意見を聞いていると、何となくうまい人選じゃないように聞こえるんだけれども、それぞれの日程の中で今日を選んだというのであれば、私はそういう日程しかなかったのものですから、今日出てきています。
 それから、運営の仕方なんですが、問題はこの意見のやり取りが一つはどうやったら政策に反映してもらえるのか。これは先ほどお答えがあったんで、政策にある程度は、全部取り入れなければ自分の言った意見が入らないからけしからんということじゃなくて、ある部分の中では合意ができる部分については政策的な反映もしてもらえるんじゃないかと。
 それから二つ目は、こういったやり取りが今の樋口さんの意見じゃないですけれども、高木さんと鈴木さんが今までさんざん論争してきた内容が正直言って私もわかりません。どの程度のことかは。これは一般国民の人にとっては全くわからないわけです。だから、こういう開かれた運営をしていくとなれば、最大の眼目は何かといったら、どうしたら国民の目に触れるのかと。触れさせることができるのかということだと思うんです。それには最初にちょっと触れましたけれども、学校教育の人たちの目にもどう触れるのかね。それから、樋口さんが言われるように、世代の違う人たちにこういうものがどう映るのか。これは文字を通じてだと非常に薄いので、先ほどばばさんが指摘をされていたような目に映る部分、例えばテレビをどう利用するか。その場合の費用負担になれば、当然、国民全体のものだとなれば国民全体に負担を強いるのか、そうでなくてある一定のところでカバーをしてあげるのかね。こういうものを含めていろいろやる必要があるんじゃないかと。
 結論から言えば、こういう開かれた場を作るということは非常に結構なんだけれども、いいか悪いか、是か非かということが、ここにいる人たちだけがわかり合ったんでは何の意味もないだろうということなので、どうやったら政策に反映してもらえるか、国民全体の人たちにある部分を見てもらえることができるのか。こういう工夫をぜひお願いをしたいと思います。
【佐和】  それではギルバートさん。
【ギルバート】  何も知らない人を呼んでも、たまにはいいかもしれないけれども、あまり何回もやる意味はないと思いますので、ある程度詳しい人がいいと思うんですね。そうなりますと若い人はだめだということになるかもしれないんですけれども、そうじゃなくて、若い人で社会問題に関心のある人、そのような選び方なんですけれども・・・・・・。
 今日ずっとやっていて思ったことなんですが、テーマが完全に広過ぎちゃって議論しようがないんです。「朝生」をよく見ていただくとわかるように、あれは4時間か5時間の番組なんですけれども、そこで議論するポイントは二、三しかないんです。大体、三つあっても三つ目まではいかないと。ですから、モラトリアムなら、それに5時間を使ってモラトリアムだけを話し合ってもいいと思いますね。そういうふうにテーマを絞れば、だれを呼べばいいかがわかりやすくなってきます。モラトリアムについてちゃんとわかっている人たちはそれほどたくさんいるわけではないでしょうし。そういうふうにすればもっと選びやすいんじゃないかなという気がします。
【佐和】  これは私個人の意見かもしれませんが、先ほどの茅さんが4回とおっしゃったのは4回はこういった感じでやって、そしてその中で論点を幾つか絞り出して、それから先は重要だと思われる論点について、例えばモラトリアムならモラトリアムという論点に絞って、そして、それまで過去4回に参加していただいた方で、そのテーマにふさわしい方、あるいはそれ以外の方からもその問題を論じるのに適切な人を選んで、この会議を続けていきたいというふうに私個人では思っております。
 はい、ばばさん。
【ばば】  その4回をやることについては非常に評価しますけれども、その4回が次へ向かう一つの、今、佐和さんがおっしゃったようなベースになるようにどうしてもしてほしいんですね。この3時間とか4時間というのは非常に実は短いんですね。これは長時間とおっしゃるんですけれども、長時間じゃなくて物すごい短い時間です。つまり、一人一人の意見を言う時間としては大変短くなるわけです。ですから、そういう意味から言うと常設が必要なんです。つまり、いつでもそこに参加し、いつでもそれが見れて、それでそこにいろいろなQ&Aもできるんだという常設へ向かってのベースになる。そうしないと今日のことでも、テレビでこうやって写していますけれども生中継されているわけではない。これが生中継されているだけでどういう議論がここで交わされたり、先ほど高木さんと伊原さんの間のやり取りや、茅さんとのやり取りが全部知られますね。そうすると、そこからどういうことについて自分は考えるかという反応が当然出てきます。それはファクシミリなり電話なりでどんどん参加できるわけです。生中継されているか、されていないかで随分違う。例えば、こういうものをやるときに次に常設になったり、それが生でいろいろな人たちが参加できる方向へ向かってやることが情報公開について積極的に考える姿勢なんですね。ですから、この円卓会議だけをやるということで完結しちゃうと私はどうしても情報公開に向かっての積極的な姿勢だというふうには思えないんですね。ですから、そういう前提で考えるかどうかということが大事なんです。
【佐和】  ちょっとよくわからないんですけれども、その常設という意味なんですけれども、それはQ&Aのための場ということですか。
【ばば】  Q&Aだけじゃないです。そこに討論も含まれます。
【佐和】  討論も含まれるわけですね。
【ばば】  つまり、Q&Aというのはどういうことかというと、技術的な高度技術が推進されればされるほど一般の人というのはわかりにくいという発言がどうしても出てきますね。ケント・ギルバートさんのように、わからないんじゃ困るんじゃ困るんですね。わからなくても参加する権利とか義務を持たなきゃいけないんですよ。だから、国民がいろいろな意味で学ぶことも必要だと思うんですよね。だから、それを排除してしまうというんじゃなくて、あるいはわからない人を避けるんじゃなくて、そういう者が参加しやすいような状況をどうやって作るかということが情報公開であり、それから円卓会議の基本的な考え方のベースにならなきゃいけないというふうに思うんですね。そうすると、この4回あるというんじゃ少な過ぎるし、この時間は少な過ぎるし、そういう意味からいえば、それが将来に向かってもっと開かれたものに常設化していくようにしましょうという前提をベースにすることが大事じゃないかなという気がいたします。
【佐和】  わかりました。はい、池田さん。
【池田】  ばばさんのご意見には大変賛成なんですけれども、人選のことについて一つ申し上げたいのは、今日の人選を見ますと、簡単に言うと学識経験者のたぐいのものだと思うんですね。一部業界の方もいらっしゃいますけれども。そういう中に高木さんだけがNGO的な性格の団体から来ていらっしゃる。今後は環境問題のNGOもたくさんありますし、消費者団体もありますので、そういう背後にたくさんの声を持っている、そこへのフィードバックができる、そういったNGOにもぜひお声をかけていただけたらいいんではないかと思います。そうするとチャンネルがあります。私のところでもパソコン通信のホストをやっていますので、今日の会合の模様などは私が帰って、そこに上げると、それなりの人が見るということができるわけです。そういうふうにその人個人が来たときに、その後、持ちかえったものがどういうふうにどういうチャンネルで流れるかということもある程度考えながら、何百人も一堂に呼んで議論するということは当然できないわけですから、そういった中で日本にはNGOがない、ないとかって言う方もいらっしゃいますけれども、確実に着実な活動をしていらっしゃる団体もたくさんあるので、必ずしもエネルギー関係のNGOだけじゃなくて環境問題のNGO、地域でいろいろなボランティア活動をなさっているNGO、消費者団体もとても重要だと思います。そういうところにもぜひ、お声をかけていただきたいと思います。
【佐和】  池田さんもNGOかと思ったら常務取締役なんですね。
【池田】  一応、株式会社をやっております。
【佐和】  まあ、それは冗談ですけれども、確かに消費者団体とか環境関係のNGOの代表というのをぜひ参加していただくように事務局にもお願いしたいと思っております。
 ほかにご意見がございませんでしょうか。はい、鷲見さん。
【鷲見】  先ほどからいろいろとご意見がございますが、まず第1回目でございますので、非常にこういうチャンスを与えていただいたのは誠にありがたいと思います。先ほど控室でも、実は私事で失礼ですが、高木さんと横におりまして、いろいろと高木さんとお話をできるというようなこういうチャンスは非常に結構なチャンスでございますので、これからもどんどんこういうところに出させていただいてお話をさせていただければ・・・・・・。今、おっしゃっていますNGOの方とかですね。私ども原子力をやっている人間というのはどうしても自分の中にこもりがちでございます。閉鎖的になりがちでございますので、そういう意味ではいろいろな方のご意見を聞いて、自戒をしていくということは非常に重要であろうと思いますので、今後ともこういうことをに続けていただきますようにお願いをしたいと存ずる次第でございます。
【佐和】  はい、どうぞ高木さん。
【高木】  あまり私ばかり発言してもいけないかと思うんですが、先ほど、少し建設的に言えという意見がありましたので。この円卓会議はちょっとまだ人選等々で不透明なところもあるような気がしますけれども、それは置いて、一応、建設的というんですか・・・・・・。
 私は既に私が出したレジュメの中で、どうあるべきかということは自分としては建設的に言ったつもりでいます。つまり、円卓会議がすべてではないわけですけれども、私もかなり常設のものとして、しかもある程度は例えばここで議論されたり、真剣に討論された、あるいは意見が出されたようなことが何らかの形で政策に、聞きおくだけじゃなくて、反映されるようになるためには、それをチェックするようなある程度常設の委員会なり、そういうものが必要なのではないかと私は思うんですね。その場に例えば原子力委員会としてはこういう反応をしたとか、そういうことがまた議論できて、いや、それはちょっと不十分じゃないかというようなことがちゃんと議論できるような常設の場でないと、やっぱり、聞きおくということの不安感が残るということで、そういう常設の委員会みたいなものを作る必要があるし、そのときにかなり、そこに反対の意見があるような人も積極的に含めるようなことを考えるべきではないかと。これが一つ。
 もう一つは、円卓会議がすべての場ではないので、さっきは口頭では言いませんでしたけれども、私が提案したことの一つは、政府がいろいろなプロジェクトをやるときは、モラトリアムということと関係するんですけれども、やっぱり、政府の立場なりは、あるいは産業界、事業者の立場というのと批判的な意見を持つような人たちにも対抗的なアセスメントを必ずさせて。ある程度予算措置を講じてですね。私たちは今、全く手弁当でやっているわけですけれども、そういうことをやっているつもりでいますけれども。それはどうしても必要だと思うんです。大きなビッグプロジェクト、巨大科学技術のプロジェクトになればメリット、デメリットは当然出てくるわけですから、やっぱり批判的な側にもちゃんと政策評価をやらせて、その両方を国民の前に提示して、そこで判断してもらうというプロセスをどうしても踏む必要がある。そういうシステムをぜひ確立すべきだということを私は提案したいと思うんですね。そういうことを積み重ねることによって、いろいろな意見の交流が行われるし、仮に合意形成というならば合意の形成もできてくるんではないかという気がします。
【佐和】  どうもありがとうございました。はい、庄田さん。
【庄田】  この会議の持ち方についてのご意見はそれぞれ皆さん方のおっしゃることは皆、私自身としてはよくわかるんです。したがって、意見の対立する立場の人も呼んで、自由にディスカッションするということは非常に有意義だと思うんです。ただ、私のほうで、その中で何もわからない人は出てもあまり意味がないんじゃないかというケント・ギルバートさんのお話もございましたけれども、行政の立場におりますと、相手にする人たちは大抵の人がほとんど何も知らない人なんです。それで、こういうところへ出てこれる人は、やはり推進する立場の人が出てこれますし、当然、そうしたことをここで主張されますし、それから反対の立場にある方も主張できると思うんです。池田さんがおっしゃったように、消費者団体とか、いろいろな団体に属している人たちもきちんとした考え方を持っていらっしゃる方が多いんですね。しかし、自分は何が正しいのかわからないと。それでいろいろな人の意見も聞きながら、だけど、生活者の感覚で、私はこうじゃないかしらというふうに思っている人も随分いると思うんです。ですから、そういう人たちを締め出すような会議にはならないようにですね。そうした側面があるということもご理解いただいて、できれば、それこそいろいろな全然わけのわからない、名もなき人でも一つ、対象に含んでお考えいただきたいなというふうに思うわけです。
【佐和】  じゃ、ギルバートさん。
【ギルバート】  私はどうしても抵抗を感じます。というのは、きちんとしゃべれない人をしゃべらせる仕事をさせてはいけないんですよね。ある程度、自己表現力がついていて、しかも表現する内容も持っていて初めて呼ぶべきだと思います。それでしたら、要するに一般の方々にも参加させたいということですから、たとえば参加したい人の募集をして、そのとき言いたい要点だけを例えば200字でまとめてもらって、その中から、まずは書類審査をして、ある程度基準を超えている人だったら、残りは抽選でやるとかという方法を取れば、一般の方々の意見というのも結構おもしろいですよね。わからないからこそ、おもしろいのであって、新鮮なものが出ますけれども、だれでもいいというふうになると進まないんですよ、会議が。
【佐和】  茅さんから何か発言があるようです。
【茅】  一番最初の時に、一般の方々の参加の問題についてちょっと申し上げたはずなんですが、再度ちょっと繰り返させていただきますと、私もこの会議を始めるという話のときに、最初から一般の方々が参加しなければ意味がないということを非常に強く言ったわけです。本当は、ですから、一般の方々に広く公募をして、その中から今おっしゃっるように抽選とか何とかしたいんですが、実はコストと時間とかを考えますと、ちょっとすぐにできる方法ではないという話になりまして、たまたま今、一般に公募している原子力モニターがあるので、それを利用しようという話になったわけです。したがって、この方々は一般の方々なんですが、しかし、関心はあるわけですね。関心があるからこそ、モニターになろうと言っているわけです。したがって、こういうところに出て来られても、ある程度、ご自分の意見を言えるのではないかと私は期待しています。そういう方々を入れたものを何とか六、七月ごろからやりたい。これは時間的な問題、やや物理的な問題なのでいつということは正確に申せませんが、そういう形で今後、やっていくつもりでございます。
【佐和】  今のモデレーターの茅さんのお話は庄田さんとギルバートさんに対するお答えになっていたかと思うんですが、時間の関係もございますので、情報公開の問題も含めて議論を続けたいと思います。ご意見はございませんか。
【ギルバート】  じゃ、だれも言わないんだったら私が言いますけれど。
 やっていることは代表者による民主主義なんですよね、さもなければ、何でもかんでも国民投票になってしまう。これは無理だと。なぜ無理かというと、国民はすべての問題について十分な知識を一度には持てないと。これはあり得ない話だと。そうしますと、原子力に関しても、すべての国民が一度に十分な情報を知ることも、いつまでたっても不可能かもしれませんね。私もある程度は勉強していますけれども十分には詳しくないんで、しかし、これ以上、詳しくなろうとも、そんなに思ってないんですね。もっともっとずっと詳しい人がいるもんだから、だれが一番詳しくて、だれが本当のことを言っているのかを僕が判断して、その人を僕の代表として立てたいわけですよ。もし隠している情報があるんだったら、その人を信用できないんですよね。正体がわからないから。だから、私が思うには代表による民主主義に必要不可欠なものは情報公開。情報を十分知り得た上で信頼関係ができ上がって、それで本当の代表として安心して認めることができるわけですよね。
 ところが、その代表者になっている人はどうしても情報公開に抵抗があるわけですよね。ずさんさがばれるとか、あるいはずさんさじゃないんだけれども、素人の目にはずさんさに見えるかもしれない。あるいはそれについていろいろ言う人がいるから面倒くさいんだと。それで隠すと。だから、それが今までの日本なんですよね。いつ、どこで、だれが、どういうつもりで決定したのかがわからない。とにかく信じろと国民が言われるわけですよね。これ以上、あまり信じたくないんで、何で信じなければいけないのかを説明してもらいたい。それが情報公開です。
【佐和】  そういう今までのシステムのあり方が今、大きく崩れつつあることもまた事実ですね。高木さん、どうぞ。
【高木】  モニターの話なんですけれども、モニターを代表するというのは原子力モニターなんていうのはそんなに知られていないですよ、国民の間に。
【佐和】  募集しているということをですか。
【高木】  ええ。で、もう締切りなんでしょう。
【茅】  ただ、数は今、1万4千人なんだそうです。
【高木】  でも、円卓会議というのとはやっぱり違いますよ。円卓会議というのはかなり注目されると思います。それなりに。モニターというのはやっぱりかなり科技庁がまたやっていることかぐらいの方が、そういっては何だけれども、多いかと思います。
 原子力モニターでコストがかかるという話がありましたけれども、これは原子力というのはそもそもコストがかかるんですから、こんなところのコストで言ってもらっては困りますよ。基本的な政策を議論するという一番基本的なことですから、コストがかかるといったって原発に比べてコストがかかるという話では全然ないと思いますから、これはそういうところで手抜きをしないでほしいです。そういうことが不信感を増大しますよ。
【佐和】  つまり、この円卓会議への参加者を公募して募ったらどうかということですね。
【高木】  ちゃんと公募しないといけないと思います。ちゃんと公募して、そういうことが開かれた場にする最低の条件だと私は思いますね。何かで代表するというのは反対です。とりあえず、それだけをちょっと言っておきたいと思います。
【佐和】  これにつきましてはどうでしょうか。
【伊原】  ご意見を承りましたが、モニターを公募するときに円卓会議に出席するということもあるということをお知らせしているということが一つございます。
【佐和】  多少、PR不足というのは確かにあるんでしょうが。あるいはまた、そのモニターから人選して出席をいただくということのほかに、また、このための公募ということも考えていいんじゃないかというふうに思います。
【高木】  私は、そのモニターを募集したときに、その円卓会議に出席するということがあるということで募集しているということは知りませんでしたから。だけど、私が知らないというのはほとんどの人が知らないということですよ。そう言っては失礼かもしれないけれども。これだけこういうことにいろいろと情報を集めている立場にいる人間がその部分を知らなかったと。モニターということは知っていましたけれどもね。
 それから、円卓会議そのものの趣旨からいえば、もうちょっと円卓会議というのはこういうものでということを明らかにしながら、それから、ここでこういうことが行われたというようなことも踏まえながら、これからちゃんと公募していかないとやっぱり、それはいけないですよ。それはかなり手間ひまがかかることであっても基本的な原則としてやっていただきたい。やるべきだというふうに思いますね。
【茅】  わかりました。実は最初は私は一番最初から一般公募で取れないかと思ったんですが、そうすると時間的にとても無理であるという話になって、それならば一番手近なのが今言ったモニターで、さっき伊原さんが言われたように、円卓会議の参加の話もあると言ってあるということでしたので、とりあえず、それでやろうかと思ったんです。ですから、今のようなご意見は私も意味がよくわかるし、ただ非常に単純なことを言いますと、官庁の予算が非常に使いにくいというのは私も大学にいてよく知っているものですから、そういったことでそういう便法を取ったんですが、それはちょっと再度検討させていただきます。
【佐和】  はい、鷲見さん。
【鷲見】  情報公開というのが非常に問題になっているようでございますけれども、私どもは非常にオープンにガラス張りでやっておるつもりでございますけれども、しかしながら、いつも情報公開しておらんとしかれているのが現状でございます。わかりにくいという話で、私どももできるだけわかりやすいようになるようにやっておるんですけれども、時々、あまりわかりやすいように訳しますと本質がわからなくなってしまう。かえってわからなくなってしまうというような問題が一つございます。
 それから、先ほどから一般の方々にこういうところに出ていただくという話が盛んにございますのですが、私が思いますのですが、日本の方々、先ほど、樋口さんもおっしゃいましたけれども、本当にエネルギー問題を真剣に学校で討論をしていただいて、ベースになる基礎知識というのは日本の国民が非常に将来のエネルギーの問題は重大な問題ですから、そういうものを教育するというのがまず第一番じゃないかなと。そういう具合いに、ある程度の基礎知識のベースのもとにエネルギー問題−−これは原子力も含めましてでしょうが−−をディスカッションしていただくというのが本当の正論ではないかと思います。しかしながら、今すぐにそういっても無理だということからいきますと、先ほどケントさんがおっしゃった、いわゆる、そういうことがわかっている代表者による民主主義ということが一つの妥当な線ではなかろうかと考える次第でございます。
【佐和】  要するに、せっかく情報を公開しても必ずしも理解されないということですね。はい、池田さん、どうぞ。
【池田】  情報公開に関連してなんですが、今日、原子力委員の方が4人ほどお見えになっていらっしゃって、原子力委員会と原子力安全委員会というのが二つの首相の諮問機関として重要な役割をこれまでも果たしてこられて、これからもそうだと思うんです。そういう組織があって、こういう方たちが入っていて、今日はまた別に円卓会議でこういうメンバーが集まっている。先ほどから人への信頼性というのが非常に重要だということが言われているわけですから、最低限、プライバシーにかかわらない範囲で原子力委員の方たちはどういうバックグラウンドの方がやってらしっゃるのか。また、今日、ここに出ているみんなはどういうバックグラウンドの仕事をしている人たちが出ているのかということぐらいはわかるようなシステムにするのが当然ではないかなというふうに・・・・・・。私ども環境問題でアセスメントなんかにしょっちゅう、かかわるわけですけれども、自治体のアセスメントの審査委員という方たちがどういうふうに選ばれて、どういう背景の学術的な功績を挙げられた方なのか、業績を持っていらっしゃる方なのかというのはなかなか公表されないんですね。そうしないと、どういう方たちが最終的なゴーか、だめかという判断をなさる方たちなのかというのがわからない中での最終判断をそこに任せるというのは、なかなか不安なものもあると思いますので、少なくとも最低限のバックグラウンドは公表するような方式でいっていただければいいんじゃないかと思います。
【伊原】  私どものバックグラウンドは全く公表されております。ただ、お知らせしてなかったとすれば申し訳ありませんが、国会同意人事でもありますし、あらゆるところで私ども、例えば任命されたときに新聞にはいろいろ載るとか、そういうことまで含めてでございます。それから、ほかのご参加の方々についても全く秘密にする理由は何もございません。ただ、そういうことを気がつかなかったがために、十分親切に−−親切にといいますか、皆様方にお届けしてなかったとすれば大変申し訳ございません。伊原でございますが、そういうことをちゃんとやりたいと思います。
【高木】  今の件なんですけれども、そのことについてはそれでそうだと思いますけれども、伊原さんについて情報は隠されているということはないと思います。しかし、原子力委員がどうやって選ばれるのかということに関してはかなり透明感がないんですね。国会同意ということは知っておりますけれども、それは最終的な同意であって、どういう形で原子力委員会の委員が選ばれるのかということについていうと非常に透明感がないと思います。
 それから、今日の人選ということもありましたけれども、そういう部分の透明感がないというのは、かなり・・・・・・。つまり、官庁が基本的にすべて、結局・・・・・・。つまり、情報公開でもそうなんですけれども、結局、この情報は公開できるか、できないかということは結局、科学技術庁とか通産省とか担当官庁の担当官の方が判断していることになっちゃっていると思うんです。我々に言わせると、そのプロセスが非常に透明感がないですね。そこのところを例えば情報公開の法律ができないまでも、これは情報公開できるか、できないかということをどこかで議論できる場が−−限られた場でもいいんですけれども−−ないと、そういうシステムがないと、最終的に精神論に終わってしまって、「もっと情報公開してください」と官庁とか電力会社にお願いするという形にしかならないと思うんですね。そういうこともこういう場で、どういう情報公開のシステムがあり得るのかということについて議論してほしいと思います。
 それから、情報公開というのは、先ほど私は相互討論だと、相互交通だと言いましたけれど、情報というのはある程度つくっていくものなわけだと思うわけです。ですから、わかりやすい情報みたいなことに関して言っても。先ほど、鷲見さんとちょっとお話を控室でしたというのは何か内緒話をしたように聞こえると困るのですけれども、内緒の話ではなくてですね。つまり、こういう場だけではなくて、例えば私たちがいろいろやるような場に電力会社の人も出てくるとか。電力会社の人たちが議論するような場に我々も出ていくというようなことをやって、そういうところできちんと議論を相互的にもやって、そういうものがオープンにされるというようなプロセスが大切なんではないかと。何か一つ、円卓会議の場で決着がつくという話ではないということをお話ししていたので、そういうプロセスをかなり民主化していくと。そこのところを公開していくという姿勢がないといけないのではないかと思います。
 一言言わせてもらえば、先ほど、鷲見さんが言われたように、いろいろと情報公開してもなかなか、という話がありましたけれども、それは私に言わせれば、電力会社の情報の公開というのはPA(パブリック・アクセプタンス)という、あるいはばばさんが言われた言葉で言えば広報という発想での情報公開になっているんではないかと。そこのところに基本的に問題があるんではないかということを言わせていただきます。
【佐和】  それに何か、鷲見さん、ご反論がございますか。
【鷲見】  今、高木さんがおっしゃった、確かに広報ラインは−−広報ラインはと言うとあれですけれども、そういう広報的なところもございます。しかし、私どもが原子力発電所を運転しておってトラブルなんかにつきましては、これは全然、広報というような話ではございませんで、本当に真実を全部さらけ出して見ていただこうと。こういうことでやっております。そのプロセスがないじゃないかというお話がございましたですけれども、そのプロセスも全部、出しておるというのが現状でございます。
【佐和】  ばばさん。
【ばば】  時代はどんどん代議制民主主義から直接民主主義の空気というものが強くなってくるだろうと思います。これは憲法を変えられないと国民投票を法的な拘束力を持つというわけにはいかないだろうと思いますけれども、その声はここ数年の間にもっと強まってくる。そういう中で、住民投票条例みたいものが生まれて、住民投票というものがどんどん行われてくるような時代的な趨勢というのはある意味で、素人で知らなかった人たちがそういうことに関して、より参加して政策決定にも自分の意見を反映させたいという気持ちの表れだろうというふうに思うんですね。と同時に、従来の代表者による民主主義というものに対する不信感がそこに現れている結果ではないかと思うんです。
 そういう意味からいうと、やはり、こういう円卓会議をやり、また円卓会議の延長線のような形の常設のテレビ番組を持つみたいな形というのは、どんなにお金がかかっても積極的にやっていって、そこに出てくる人間がたどたどしかろうと何しようと、そういうことに対する疑問をどんどん出していきながら、それに答えていくという姿勢が国全体で必要だろうと。それにかかるコストというのは私は巨大技術の中のほんのわずかをそこへ投入しても、それは可能だろうし。それが直接民主主義的傾向がどんどん出てくる中で、いろいろなことを知らずに決定をしてしまうことを少なくともやわらげる方向にいくだろうと。つまり、過激な形での決定をある意味では今まではやってきちゃったと思うんですね。つまり、皆さんが非常にマイルドな形で一歩一歩進むのではなしに、ある種、これが必要なんだという過激な方向で決まってしまったことが今度は過激な方向で全否定されていくということはまた別な意味で悲劇だろうと。つまり、それをどうマイルドに自分たち自身に持ち帰り、自分たちも参加して決めていくか。この方法論をどうやって考え出していくかということが今一番、情報公開の中で求められるんじゃないかというが気がいたします。それに対して直接民主主義的な方向に対する認識が私は国にも、電力会社にもかなり足りないのではないかという気がいたします。ですから、円卓会議がそういう方向の中で考えられていかないとこれはやっぱりそれだけで終わってしまうという危惧を感じます。
【佐和】  インターネットに公開する程度ではまだ不十分だと。
【ばば】  インターネットというのはまだまだ、これから爆発的に進んでいくだろうと思いますが、どうしてもコンピューターをいじれる層というのは年代的にも限られてくると思いますから、インターネットとテレビションというのを併用していくやり方で、そういうものを作っていかないと私は本当の意味でみんなが参加して、知識も得て・・・・・・。
 しかも、もう一つ申し上げておくと、テレビジョンというのは非常に今、TBS問題でも問題になっているように、ある種、独特の要素がございまして、おもしろくなければなかなか見にくいとか、そこに一種の恐怖がなければ見にくいという要素が実はあります。この原子力問題の中にはある種のおもしろさということでいえば、例えば鈴木さんと高木さんが丁々発止やり合うということの中で、皆さんがひかれていって学ぶ姿勢が生まれてくるということがあり得るわけです。それからもう一つは、恐怖はあるかというと、安全の問題というのは当然あります。危険の中にはこれとこれとこういうものがあるんだと。しかし、この原子力というのはこれだけ大事なんだという部分は我々の生活がこのまま便利なものを求めていこうとすれば当然、需要というのは増えるわけですから、その需要というものが増えていく中で我々はこういう危険と対峙していかなければいけないというようなことは一般の人たちの今度は生活態度、生活理念あるいはそういうものを全部にかかわってくると思うんですね。ですから、その辺で言うと、この円卓会議のようなある種、これは閉鎖空間だと思いませんが、もっと開かれた空間であるテレビジョンのような場で、そういうことが論議されていくということが経常的に必要なんじゃないかということを繰り返し提案しておきたいと思います。
【佐和】  池田さん。
【池田】  情報公開に関してなんですけれども、私自身も言っているんですけれども、情報はできるだけわかりやすく加工する。それは確かに重要なんですけれども、同時に生データにアクセスできることが保障されていないと情報を持っている側が加工して出しているというのは一抹の不安も残るわけです。同時に、情報を持たない側が生データに常にアクセスできて、持たない側の立場での情報の加工ができ得るという道を確保しておく必要があると思うんです。そうしないと加工してわかりやすくなったのはいいけれども、果たして、それがどの程度信頼できるのか。再現性はあるのか。別の形でやったら別の結果が出るんじゃないかということもあると思います。
 それともう一つはタイミングですね。モニタリングなんかしてらっしゃると思いますが、そういうもののデータをその時点で見なければ意味がない情報というのがあるわけですから、幾ら情報公開をしても1年後に終わったものを出すということではなくて、リアルタイムにアクセスできるものはできる限り、そういうふうにしていただく。たまたま、そこにデータの間違いとか、いろいろ機械は高度なものを使っていますから何らかの過誤があるかもしれないけれども、それがわかった時点で、このデータのここがこういう問題で間違いがありました、ということをまたアナウンスすればいいわけですから、リアルタイムでアクセスできるものは、そういうルートを確実に確保していただきたいというのがあります。
【佐和】  生データとリアルタイムということですね。
【池田】  そうです。
【佐和】  樋口さん。
【樋口】  ちょっと違う観点かもしれませんけれども、情報公開というと企業や政府の側が公開するということは、皆様がおっしゃるとおりだと思うんですが、経営者の方がいらっしゃいますので、一言言わせていただきますと、むしろ市民側の声や情報が届いていないんじゃないかと思うことがございます。これは企業も行政側ももっと聞き上手になる。その情報を相互通行で入れていくということが必要です。
 これは全然、原子力の問題とは関係ないことですけれども、私どもの団体が、あるとき、いろいろな各層のリーダーの方にアンケート調査をしたことがあるんです。これは高齢者の問題についてなんですけれども。一番、どこからお答えが来なかったかといいますと−−学者研究者は個人のレベルの方が多いのでたくさんお答えくださいました。労働組合の方もくださいましたね。政治家が結構くださいました。一番来なかったのは、何と大企業の経営陣なんです。一通も来なかった。それで、そのすぐ後にちょうど私は大企業の秘書さんたちの講習に招かれましたものですから、その話をいたしましたら、みんなが、「それはそうでしょう」と。私たち秘書はまず第一にすることは、わんさとあるものからあるものを経営者の目に入れるかどうか−−秘書学の中にスクリーニングという言葉があるんだそうでございまして、そのスクリーニングをするのが秘書の第一であって、そういうくだらないアンケート調査なんていうものをいかに経営者に見せない。見せるとものすごくどやされることもあるし、それが秘書学の第一歩、と言われて、日本の経営者は・・・・・・。ですから、その少し前に電気機器の会社が事故がなかなか上まで行ってなくて対応が遅れちゃったなんていうことがありましたけれども、金魚ばちの中に泳いでらっしゃる琉球金魚みたいなのが日本の経営者かな、なんて思ったりしたこともあったわけでございます。
 民主主義は聞き上手から始まると思っておりますので、情報公開するということと同時に、市民、消費者、一般の人々からの情報にスクリーニングされないようにするのが経営者の第一の努力ではないかと思うので一言言わせていただきました。
【鷲見】  樋口さんがおっしゃることで、そういう会社は非常に結構だなと私は感じておるんですけれどもね。私のところは秘書がそのスクリーニングしませんので、山のように来ますね。それから、原子力の情報につきましては、これは非常に社会的な存在ですから、どんな細かいことでも全部言ってこいと。私どもの会長にも毎日報告しているんです。そういうことですから、そういう会社の役員はいいなと今、非常に羨望の眼で見ておった次第でございます。私どもはそういうことでございます。
【佐和】  まあ、それはちょっと本論からそれておりますので。じゃ、ギルバートさん。
【ギルバート】  テレビという媒体と生でということで、ずっと聞いていて、どうしても思ったんですが、日本版Cスパンがどうしても必要だなと思いました。たまにアメリカに行きますと、Cスパンという専門のチャンネルがあるんです。これは有線のテレビになるんですが、24時間、このような会議をそのまま生で流しているわけです。だから、しばらくO・J・シンプソンの裁判ばかりやっていましたけれども、あれがもう終わりましたので・・・・・・。もしも日本版のそれが今日、あれば多分、麻原裁判になって、これは放送されないだろうけれども、でも、麻原裁判は放送できないとなるんだったら、これになってしまうでしょうね。だから、そういうのが早くできるといいなと思いますね。
【佐和】  どうもありがとうございました。笹森さん。
【笹森】  情報提供の関係で、どこが情報提供者なのかというのは明確にしておく必要があると思うんです。
 という例が、たまたま、先ほど労働組合の政策の話をしましたけれども、1982年から約15年をかけて、何となく原子力政策というところまで、それぞれの陣営があるのに持ってきたわけですね。それで去年の12月初めに反対をしている労働組合、例えば自治労だとか、日教組だとか、そういうところの役員を連れて「もんじゅ」に行ったんです。そこの中では、いろいろな方が出てきてくれたんですが、「ナトリウム漏れなんて絶対ないよ」と言い切った。その2日後にあの事故が起きた。これはちょっと行き違いがあったのかもしれませんが。それで終わった後、そうは言ってもどんな状況になっているか、そのメンバーで行ってみようと。こういうふうに言いましたら、現地に入って情報をいただこうと思ったんですが、その翌日、公表する内容についてもやっぱり現地の担当官は言えなかったんですよ。我々も聞けなかった。だから、ある部分の中で本部があったり、そこの発電所があったり、一番、監督官庁があったりという中で、どこかで押さえられてしまうというところが出るんじゃないかと。だから、そこをもっとスムーズにつなげてもらって、例えば現地サイトでそういう人たちが来た場合、それから中央で発表する人たち、これが同時連携で必ずこのセクションの人がこういうことを発表するんだよと。それはどういうレベルの人に対してもそうだよというのを明確化をしていただきたいと。一つだけお願いをしておきます。
【佐和】  ほかに。どうぞ、高木さん。
【高木】  鷲見さんの先ほどの発言に多少、こだわっているんですけれども、電力会社がすべての情報を出しているなんていうふうに私は認識してもらっては困ると思うんですね。やっぱり、圧倒的に情報が公開されていないと国民の多くはそう思っていると思うんですよ。新聞等々がスクープして初めて知るというようなことが大変多い。例えば、あまり細かい問題は今日はやりたくないんですけれども、具体的に言わないといけないかと思いますので、昨日も東京電力に行ってMOXの話を聞いてきたんですけれども、MOXの加工契約、軽水炉でプルトニウムを燃やすことについての加工の契約を東京電力と東芝、関西電力と三菱が結んでいるということについては、契約が去年の段階で両者とも行われたにもかかわらず、今年2月二十何日かの読売新聞のスクープによって初めて明らかになった。読売新聞がかぎつけたので発表したのかどうかは知りませんけれども、どうして例えば東京電力であれば昨年4月でこういう契約を結んだ時点で、こういうことをやったということを公表して、契約の内容はこうだということを・・・・・・。そんなことは公表したって、企業の機密にかかわることでも何でもない。むしろ、そういうことで、こういう計画を持っているということを明らかにするということから議論を始めなくちゃいけないわけで、そういうところはやっぱり非常に情報公開というのは足らないですよ。そこのところは認めた上で議論をしてもらわないと私はちょっと・・・・・・。現状で足りているという話では困ると思いますね。
【佐和】  だから、どこまでが企業として守るべき、いわゆる守秘であるか。あるいは、それが公開するほうが受け手にとってどれだけレレバントかということに対する評価のずれがあるんじゃないでしょうかね。
【高木】  それはかなりあるんだと思いますけれども、それはだから、私は広報という立場に立ってやっているからというふうにしか感じられないから、そのずれが非常に大きくなるということを聞いておいてくださいというふうに言っているんです。
【伊原】  今の高木さんのご意見に対しては佐和先生がお答えがいただきましたが、その前の笹森さんのお話でございます。これは二日前に行ったとき、「絶対、漏れない」と言った、あるいはそういう印象を与えたというのは、これはまさに技術者としては最もあってはならないおごりと申しますか、そういうことであるということは私どもは非常に深刻に反省いたしております。むしろ、機械装置というのは不具合がある、場合によっては壊れることがある。しかし、それが壊れても大丈夫なように、一般の方にはご迷惑をかけないようになっておりますと。こういう説明をすべきだと思うんです。それは私どもは深刻に反省を関係者一同しております。
 それから今一つは、現場の担当者の判断でいろいろなことができなかったと。これも非常に大きな反省点でございます。現在、これは原子力安全委員会のほうで、事故時の情報伝達、公開についてどういうふうにやるべきかというのを大変具体的に変えていこうという検討をしております。それから、動燃事業団自身も今までのやり方はまずかったということで体制をやり直すという本部まで設けてやり直しを一生懸命やっております。したがいまして、そういう痛切な反省のもとにちゃんとした体制ができつつあると。こういうことをご報告いたしたいと思います。
【佐和】  鷲見さん。
【鷲見】  細かい話であれでございますが、今、高木さんがおっしゃったやつは、1月か2月というのはちょっとあれでございますが、たしか三菱重工と私どもの今の契約は、12月にやったことは確かなんですが、この三菱重工がBNFLとやらないことには、この契約をしていましても、実際、実行されないわけでございます。実際、BNFLがMOXを作るわけでございますので。そういう意味でたしか、BNFLと契約できたのが、いつだったかちょっと覚えておりませんが、また、高木さん、それはよく調べて・・・・・・。これは域外のことかもわかりませんが、そういう話でございます。
【はば】  「もんじゅ」の時に一番問題になった隠したということがありましたけれども、これは情報の中心というふうに言われているTBSでさえも隠したということがあったわけです。なぜ隠すのかということを考えますと、やはり、その後の波紋というのはものすごく大きくなるわけです。情報公開の中で隠す論理といいますか、それは特に現場でそういうことが起こりがちな状態をどうやって改めるか。一つは、これだけ安全問題が厳しい原子力の問題について隠すということがあった場合には犯罪とすら認定してもいいんじゃないかというふうに私は思います。そのくらいの厳しさということがないと、どうしても組織の論理とか、一つの大きな巨大技術の組織の中では上司の顔色を見るというサラリーマンの論理が先行していきますから、それがいろいろな意味で大ごとになっていくということはあり得るわけです。やはり、原子力問題について情報公開を語るときに抽象論的な情報公開じゃなくて、隠したときにどれだけそれが重大なことなのかということの認識を関係者は全部持つようなシステムというか形にしないといけないんじゃないかと。そんなふうに思います。
【佐和】  ほかにご意見がございませんでしょうか。鈴木さん、何か。
【鈴木】  情報公開について、ちょっと私が感じているところを申し上げたいんですが。
 確かに、私自身も、原子力に関連しては、情報を提供する側がかなり慎重なられていて、そのために、比較的限定された情報しか出にくいような状況がもともとあるような気がするんです。これは、しかし、今は昔に比べますと随分よくなってきたと。例えばひとつの例として、私のメモにも書きましたが、プルトニウムの日本における在庫量があります。これは、私は随分前からそういうデータは公表したほうがいいというふうにお願いしてきたんですが、2年半ぐらい前からでしょうか、公表されるようになっています。これは実際、多分、作業は大変なんだろうと思うんです。プルトニウムの化学的形態はいろいろと変わりますし、工場で処理している状況をリアルタイムで追いかけるのは非常に難しい。しかし、関係者のご努力で公表するという方針を取られるようになったことは、非常にいいことだと思います。外国でも同じような状況が見られます。日本がやり始めたころは公表していませんでしたので、いわば日本が先んじてやったことだと思います。したがって、この分野の外国の人は日本のそういうアプローチを非常に評価しています。私はこれは一つの例だと思うんです。そもそも、そういうデータを公表するのは作業が大変だということもあるし、公表した場合にどういうリアクションがあるかわからないということもあって、関係者はわりと躊躇されることが多い−−多いといいますか、そういう傾向があると思うんですね。しかし、そうであっても、これだけ情報公開が求められる時代になってきているわけですから、私はぜひ、関係者の方々にさらに思い切って情報を出していただく方向を考えていただけたらと思います。これが一つのコメントですね。
 それから2番目なんですが、こういう円卓会議は確かに大変難しいと思うんですね。しかもモデレーターのお二人にとっては、急にここで各パネリストが、いろいろな意見をいきなり出しているわけですから、これをまとめるのは大変です。私が思いますには、今日に限っては、円卓会議の進め方、情報公開のあり方、エネルギー需給の問題−−これは今日の内にできるかどうかはわかりませんけれども、そういうテーマをここでご議論いただくことは賛成なんですが、ただ、平山知事などはお帰りになりましたけれども、知事をはじめいろいろな方々が他の面でも非常に重要なコメントをされていると思うんですね。それらのコメントが今日、この円卓会議で取り上げられないままに終わったらどうなるのかというのも私は非常に気になりますね。それらの中は一つの非常に貴重なご意見が含まれていると思うのです。
 もう一つ、メンバーのこと等についてもご意見があるようなので私なりにちょっとコメントさせていただきます。私は、実は、高木さんとは多分、10年近く前から何度か議論をさせていただいて来ました。しかも、それはいろいろな場面がございました。新聞での討論であったこともございますし、公開の場であったこともありますし、テレビでのほぼ生番組に近い形のものもありましたし、いろいろなものがございました。しかし、高木さんも私も同じ感じを持ってらっしゃるようなんですが、結局、これは何回やっても平行線だと。いつも同じことを言っているんだということなんじゃないかと思うんです。したがって、この円卓会議に出席しないかとのお誘いをいただいたときに、私はまず、私みたいなロートルは出ないほうがいいと思うよ、というふうに申し上げたんですが、私自身は率直に今でもそう思います。つまり、議論は随分すべて行ってきたという意味でですね。むしろ、高木さんのほうもいろいろな方がいらっしゃるので、もっと新鮮な方を出していただく。私どもは出る必要がないんじゃないかと。同じことを議論をしている。そういう意味では若い人をぜひ、というのは私も大賛成なんです。ただ、私は円卓会議というのは何か結論を出す場ではないと思うのです。しかし、円卓会議を何回かやっていただくということには賛成なんです。ただ、そのやり方についてちょっとコメントさせていただきたいのですが、その前に、一つ、ばばさんに伺いたい点がございます。一例をあげますと、日本におけるプルトニウム利用計画ということについて、我々がこうやって一生懸命に議論していますが、私なりにちょっと時々感じるのは、しかし、よく考えてみるともっと世の中では大事なことがいっぱいあるんじゃないのかと。ですから、例えばテレビの番組を毎週6時間やるという案では、その分野に関わっている者からすれば、むしろ、そういう機会があれば大喜びなんですが、しかし、よく考えてみますと、この日本のプルトニウム利用計画に毎週6時間も電波を占領していいのかということを私自身は時々感じるんですね。いろいろな大事な問題がほかにもいっぱいあると思うんです。そういうことをも考えた上で、おそらく、ご関係の方は判断されないといけないと思いますので、むしろ、後で、そういうことについてどういうふうに考えたらよろしいのかということをお教えいただきたい。
 そこで、円卓会議についてですが、円卓会議については私はむしろ、今日のメンバーの中で考えますと、ケント・ギルバートさんとか、池田さんとか、樋口さんとか、ばばさんとか、私が思いますには、原子力についてはそんなに今まで関心をお持ちでなかった方々が今後、どういうふうに思ってくださるかが非常に重要じゃないかと思うんですね。そういう意味で、しかし、このたった1回の円卓会議でそういう方々が、やっぱり原子力はいいとか、やっぱり原子力はだめだとかというふうに多分、お決めになるわけでもないと思うんですね。むしろ、せっかくこういうパネリストとしてご参加くださった方々には今後とも継続して、いろいろ資料も提供していただきたいし、さらには例えば、いずれ、この円卓会議でも議論になるんじゃないかと思いますのは、省エネルギーというのは本当にどこまでできるのかとか、新エネルギーというのはどこまで本当に期待していいいのかという各論にどうしてもある程度入ると思うんですね。それは議論だけではなかなか私はそれぞれの方々は納得されないと思うんですね。ですから、できれば、日本では、もはや地熱発電所も風力発電所も太陽光も利用した設備も立派なものがあるわけですから、これを実際に見ていただくチャンスを提供していただくとか、そういうことももし可能であれば、ぜひやっていただきたいと。そんなふうに思います。
【佐和】  一つ、ばばさんに対して、問題はプライオリティーの問題ですね。その他、いろいろ問題があると・・・・・・。
【ばば】  今の鈴木さんのご意見に対してお答えというのはおかしいんですけれども、私の提案に対してのあれだと思うんですが。
 プルトニウムだけで1日6時間やるということを申し上げているわけじゃありませんので。エネルギー問題って物すごくいろいろな多様な側面があると思うんですね。つまり、エネルギーを使っていく我々の生活自身の考え方の問題もあるでしょうし、それから安全ということも、都会地の消費地と実際に原発を持っているところの問題、住民自身の問題もあるでしょうし、それからベストミックスとよく言われるエネルギー・ミックスの問題もあるでしょう。私は例えば52回あるとすると、たちどころにとは言いませんが、52回分ぐらいのことは2日ぐらいあればテーマが出てくると思っています。つまり、そのぐらいエネルギーの問題というのは多様な我々の生き方とか、生活とか、政治とか、あるいは住民の問題とか、そういう問題とかかわる問題がたくさん、そこから抽出できると思っていますので、プルトニウムだけでも3回ぐらいやっても私はいいと思いますが、それで52週やるということで提案しているわけではございませんということです。
【佐和】  岸田さん、どうぞ。
【岸田】  こういう会議に出てくるときに、いつも終わって、何といいますか、共通して抱く感想があります。それはある種の無力感なんです。つまり、今日はいろいろなことをしゃべったと。しかし、それはどこか空に消えていくというような感じを私は常に持つんです。いや、今日はどうかというのはわかりませんけれども。どうしてそうなのかということなんです。それで、これは1年ぐらい続けるというふうに言われた。そうすると1回目と2回目とでは1回目の上に2回目が積み上げられるんだと。2回目の上に3回目が積み上げられるというような工夫をしていただけないかということです。たくさんの人が勝手なことをしゃべりましたから、それを絞っていくというのはなかなか難しいかもしれませんけれども、しかし、とにかく1年たったら何か共通の認識と共通の結論が出てきたというようなものにしていただくような工夫をやっていただけないだろうかというお願いなんです。私は、私だけじゃなくて今日出てこられた方は多分、1回で次の円卓会議には出てこられない人が大部分だと思うんですが、私の抱くような感想を持つのは一人だけではないと私は思います。以上です。
【佐和】  ほかにぜひという方がいらっしゃれば・・・・・・。藤目さん。
【藤目】  私も一言だけ。
 確かにこういうところで最後に無力感というのはあるのかもしれませんけれども、ただ、正直に言いまして、円卓会議ということを考えること自体がかなり前進じゃないかなと思っているんです。こういうところでいろいろな人とお話をして、どういうところが問題なのか、あるいはエネルギーを全然知らない人ももちろん意見があるわけでしょうし、どの辺に疑問点があるだろうかということがわかるところから始めないと具体的に政策まで結びつけるというのははるかにプロセスが長いんじゃないかと思います。
 今日はちょっとエネルギー需給についてまでは時間がなかったんですけれども、例えば先日、どこかの市長さんが、電力を1%節約すれば原子力はなくてもできる、と言ったそうなんですけれども、おそらく一般の国民はそれを信じる人もかなりいると思うんですよね。だから、そういうレベルの話からでも着実にやるしか方法はないんじゃないかなと思っております。以上です。
【佐和】  ほかに。どうぞ。
【樋口】  大変申し訳ございませんけれども、これで失礼させていただきますので。
 円卓会議が単なるガス抜きではないというような印象は私も持つことができ、今回はやっていただいてよかったと思っております。少なくとも私は発言の機会を得て、これがどう生かされるかということに対して不安は一方ではありますけれども、皆様のお話を伺えたことを含め御礼申し上げます。
 最後に申し上げたいことは、さっき岸田さんがおっしゃった、積み上げてということがどこまで生かされるかどうかは別として論点整理はぜひしていただきたいと思っております。
 今日、私が一番、印象に残っていることですが、私自身には結論なんかはなくて、これからいろいろ考えていこうと思うんですけれども、新潟県知事、そしてばばさんもおっしゃいました、今は直接請求権や住民投票など直接民主主義がクローズアップされる時代である、という認識です。つい最近出ました地方制度調査会の意見書でしょうか、中間報告では両論併記になっております。やはり、直接請求権が出すぎると代議制というものを崩す危険もあるという意見も出ています。私は基本的に、直接民主主義を大いに進めるべきだ、もっとやりやすくするべきだということで、ばばさんとほぼ同じような意見を持っております。そんなときに原発という全国の電力需給を賄う問題は一体、地方と国との関係をどういうふうにしていくのかと。これは結論は出ませんけれども、もしかしたら原子力委員会なのか、あるいは安全委員会なのか、科学技術庁なのか、あるいは内閣直属かはわかりませんけれども、地方分権がこれだけクローズアップされているときに一体、どういうスタンスでこの問題を見ていったらいいか、私は大変大きな宿題というか、大きな問題を伺って私自身にとっては大変有益な会議でございました。どうもありがとうございました。
【佐和】  今、事務局からメモが私の手元にまいりました。中川科学技術庁長官が、原子力委員会の委員長でもいらっしゃるわけですが、5時45分ごろに国会を出て、こちらに向かわれるというご意向なので、そして短時間でも皆様方にごあいさつを申し上げたいと。ということは、歩いても来れるぐらいの距離ですから、50分ぐらいにはこちらにお見えなんで、この会議を延長してもよろしいでしょうか。それではあと少々まだ時間が残っておりますので、ご意見を承りたいと思います。それでは、池田さん。
【池田】  ちょっとエネルギー需給に関する話を一言申し上げたいんです。
 私どもは環境関連の調査をやっておりまして、消費者の意向とか、住民の意向調査とかをするわけですが、そうしますと環境問題に関する関心が高まっている中で、生活のライフスタイルを10年ぐらい前に戻しても構わないという意見の方がかなり多い。その次が5年ぐらい前と。アンケートの結果などからいくと、そういう結果が得られているわけです。そういうふうに一般の消費者なり住民の意識というのは省エネルギーとか環境問題に対してかなり関心もあって何か自分もやらなくちゃと思っている。ところが、都市に生活していますと、どうしてもエネルギーを使わなくちゃならないような都市の構造になっているし、町づくりになっている。本当はそんなに依存したくないんだけれども、どうしてもクーラーを入れなければ暑くて死んでしまいそうだとか、そういうことから考えると、エネルギー問題を考えるときにもっと町づくりそのものを日本の昔からの風を利用するとか、冬は太陽の光がちゃんと当たるとか、そういうような最低限のエネルギーのことを考えた都市づくり、町づくりというものがない中でエネルギーのことを言っていても、なかなか始まらない。そうすると、どうしても「バターを切るのに電気のこぎりを持ってきて切るような」という比喩をよく私どもは使うんですけれども、そういうふうにしたくないのに、そうせざるを得なくなってしまう。そこまで一般の人のやる気というのをそぐような都市のつくり方というのはまずくて、自然にそういう意識が行動につながるような都市づくり、町づくりというのを全体的に考えていかないとエネルギーの政策だけからでは難しいんではないかというふうに思います。
【佐和】  本日、本来はエネルギー問題全般についても議論する予定だったんですが、とてもその時間は・・・・・・。何か関連して。
【高木】  エネルギー問題は多分、やれないだろうと思いますし、中途半端にやるのもよくないと思うんですね。これは大問題ですから。私はちょっとやめておきたいと。そういう提案ですね。
【佐和】  それはとてもやれません。やりません。
【高木】  もう一つは、先ほどの岸田さんのご意見なんかも踏まえて、私も最初からちょっと疑問・・・・・・。今回、どういう意見が出たみたいな取りまとめをなるべく速やかにという最初、茅さんのお話がありましたけれども、やっぱりある程度、目処の期日を明らかにしてもらって。つまり、次回の円卓会議にある程度でも、ここで何が話されたかというのが反映できるような仕組みになっていないとやっぱりだめだと思うんですよ。それから、全体の議事録もある程度目処をつけて早めに出さないとだめだと思うので、その辺をちょっと少し具体的な話を聞きたい。
【佐和】  それでは、今のご質問も含めて、最後に茅さんに・・・・・・。
【笹森】  先ほど、藤目さんのほうからちょっとお話になった1%の市長発言ですが、これはたまたま、私も住んでいる埼玉県川越市の市長であります。本人は1%節約すれば原子力は要らないと。こう言ったのは全く、そのことを言っているわけじゃないんで、間違って受け取られたんでということで関係機関には謝罪をしておりますので、一言言っておきます。

閉  会

【佐和】  それでは茅先生、おまとめをお願いします。
【茅】  私はモデレーターであって実際にやる人間じゃないものですから、正確にいつということはその辺は難しいんですが、まとめをできるだけ早くつくれという高木さんのご意見は私も同感で、最初からそういう議論はしていたわけです。ただ、例の長い議事録は速記者の問題があってどうしても時間がかかる。特に連休に入っちゃうものですからね。ということで、時間が少し遅くなる。ただ、多分、1カ月以内にはできるだろうというのが、そのいわゆる全体の速記録の話ですね。まとめのほうは、私が聞いたのは間違いでなければ−−間違いだったら事務局で訂正してもらいますが−−連休中ぐらいという話です。ただ、連休中というのは大変気の毒なんですけれども、私が聞いたのはそうですが、いいですか。連休明けですか。もちろん、先ほどのお話のように次回が5月17日になっていますが、それには間に合うようにはやります。その前に皆さんにチェックしていただいて、そのときには配れるようにするというのが前提条件です。
 それからもう一つですが、参加者の問題ですが、参加者について幾つかのご意見があって、若い人をというご意見、それから地域の特に女性をというご意見、それから一般からできるだけの参加をというご意見。私はいずれも大変もっともなご意見だと思います。したがって、モデレーターとしてはそういうご意見をできるだけ取り入れるように努力をいたします。「モデレーターとしては」と言っておりますが、私も妙な立場なんですけれども、実際にこれを執行するのはやはり科学技術庁でして、私はモデレーターとして、この会議の意見をそこへ伝えて、それをやってもらうという立場ですので、言い方としては常に「努力いたします」ということになりますが、その点はご理解をいただきたいと思います。
【佐和】  それではただいま、大臣がご到着なさってきてますので。
 (中川科学技術庁長官に)ちょうど今、議論が締めくくられたところですので、一言、ごあいさつをよろしくお願い申し上げます。
【中川】  中川でございます。
 今日はまことにご多用にもかかわらず長時間にわたりまして、お二人のモデレーターのご進行のもとでご出席をいただき、またご協議、ご意見を各分野にわたってお出しをいただきましてまことにありがとうございます。予算委員会がずっとただいままでございました。間に合わないのかなとも思いましたが、大事な会議でございますので慌てて飛んで来た次第でございます。
 ご案内のとおり、まさに透明性、公開性をしっかり確保して、皆さんのいろいろなご意見を賜り、それをこれからの政策に適切に反映してまいりたいと。かように考えている次第でございます。
 今日は大変長時間にわたりまして、いろいろなご意見をお出しいただいて、内容は直ちに私が今晩から明日にかけて担当の者から伺わせていただき、また、それをしっかり受けとめてまいりたいと存じます。今後ともこうした作業をずっと続けてまいりますので、何とぞよろしくお願いをいたしまして、ごあいさつといたします。まことに長時間、ありがとうございます。
【佐和】  どうもありがとうございました。
 それでは以上をもちまして第1回原子力政策円卓会議を閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。

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