原子力政策円卓会議(第11回)
議 事 録


日時: 1996年9月18日(水)
    13:30-17:30

場所: 東條会館

  • 出席者

  • 開  会

    【伊原】 定刻になりましたので、始めさせていただきたいと思います。 実は、原子力委員長中川科学技術庁長官が、ぜひ出席をしたいということでございましたが、国際原子力機関総会ご出席の後、今朝成田にお戻りになったということで、いろいろ政務上のご予定がありますので、少し遅れておいでになります。したがいまして、私、原子力委員会委員長代理の伊原でございますが、大臣にかわってごあいさつを申し上げさせていただきます。
    第11回原子力政策円卓会議が開催されるに当たりまして、大変ご多忙中のところ、各界の第一線にご活躍の皆様方にご出席をいただきましたことに対しまして、心から御礼を申し上げます。この原子力政策円卓会議も、今回で11回を迎えるわけでありますけれども、第10回までに各界各層を代表される方々、延べ119名にご出席をいただいておりまして、大変活発な討議を行っていただいたわけでございます。その内容といたしましては、エネルギー、原子力はもとより、それらを取り巻く世界情勢、社会構造、地域の問題、そういった非常に多岐にわたった問題点について、話題が広がったわけでありますが、本日はその中でさらに議論を深める必要があると思われる点について焦点を当てていただきたいと思うわけであります。
    まず、エネルギー問題と原子力、この問題を取り上げたいと思います。これは、現代社会において、人類の生活に必要不可欠なエネルギーを、いかに確保していくかという大命題に対しまして、その中で原子力の果たす役割、こういったご議論になろうかと思います。
    またいまひとつ、核燃料リサイクルの問題につきましては、第7回、第9回と、今まで2回にわたりまして議論を行ってまいりました。資源に乏しい我が国では、原子力発電の使用済燃料をリサイクルしていく、いわゆる核燃料リサイクル、その確立を政策の中心としておりますが、本日はいま一度、その個別的な課題を中心に、真剣にご議論をいただきたいと考えております。
    具体的には、高速増殖炉、プルトニウム軽水炉利用(いわゆるプルサーマル)、高レベル放射性廃棄物などの個別的な課題に集中的なご議論をお願いいたしたいと思うわけであります。皆様方の忌憚のないご意見とご討論によりまして、本日の会議が実り多いものになることを期待いたしまして、ごあいさつとさせていただきます。
    そこで、この会議の進行についてでございますが、円卓会議の議論を効率的に行うために、モデレーターの方々6名をお願いいたしまして、議事の進行、取りまとめをお願いしてきております。本日は、東京大学名誉教授の茅さん、評論家の五代さん、京都大学経済研究所長の佐和さん、日本経済新聞社論説委員の鳥井さんの4名にお越しいただきまして、議事の進行をお願いいたすことになっております。4人のご相談によりまして、前半を佐和さん、後半を鳥井さんの進行でお願いをいたしまして、茅さんと五代さんにはお二人のご支援をお願いすると、こういうことにいたしたいと思います。それでは佐和さん、どうぞよろしくお願いいたします。
    【佐和】 ご紹介にあずかりました佐和でございます。
    それでは、前半を私が議事進行させていただきまして、後半は鳥井さんに進行をバトンタッチいたしたいと思っております。
    まず最初に、原子力政策円卓会議の趣旨や運営に関する基本的事項等につきましては、お手元の資料1をご一読いただきたいと思います。
    それでは、まず最初に、本日出席をいただいている皆様方のご紹介をさせていただきます。国民各界各層の方々にご参加いただく円卓会議ということで、敬称はすべて○○さんというふうにお呼びいたします。それでは五十音順に紹介させていただきます。
    まず内山洋司さん。
    【内山】 電力中央研究所の内山でございます。よろしくお願いいたします。今日は、一専門家として客観的な立場から、私のエネルギー問題に対する考えを述べさせていただきます。よろしくお願いします。
    【佐和】 環境問題ジェネラリストの小沢徳太郎さん。
    【小沢】 小沢と申します。私は、今日の中では、環境の論点からエネルギーを考えるということで、楽しい明るい議論をやろうと思うわけです。どうぞよろしくお願いいたします。
    【佐和】 東京大学工学部教授の近藤駿介さん。東京大学工学部教授の鈴木篤之さん。日本エネルギー経済研究所理事の十市勉さん。東北大学文学部助教授の長谷川公一さん。
    【長谷川】 私は環境社会学をやっておりまして、社会学の観点からお話をいたしたいと思います。
    【佐和】 核燃をとめよう浪岡会代表の平野良一さん。日本原子力研究所副理事長の松浦祥次郎さん。以上の8名の方でございます。
    続きまして、原子力委員の皆様方をご紹介いたします。まず、原子力委員長代理の伊原義徳さん。原子力委員の田畑米穂さん。藤家洋一さん。依田直さん。以上です。
    本日は、これらの方々に、先ほどご紹介いただきました我々モデレーター4人を含めて、議論を行ってまいりたいと思っております。
    本日は、これまで10回の円卓会議において行われました議論の中、さらに議論が必要と思われる事項について、議論を進めたいと思っております。具体的には、エネルギー問題と原子力というテーマのもとに、大きく分けて……。
    今、原子力委員長の中川秀直科学技術庁長官がお見えになりました。それでは早速でございますが、一言、よろしくお願いいたします。
    【中川】 遅れましたことをお詫びをいたします。
    今日の原子力政策円卓会議に、まことにご多忙の中にもかかわらず、各界の第一線でご活躍の皆様方にご出席いただきましたことに対し、心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
    もう委員長代理からごあいさつをいただいたそうでございますが、過去、10回までに各界各層を代表される方々、延べ119名の方々にご出席をいただいて、活発な討議を行ってまいりました。議論の内容としては、いろいろなエネルギー、原子力はもとより、それを取り巻くいろいろな世界情勢、社会構造、地域の問題、まことに多岐にわたるものでございましたが、本日は、その中でさらに議論を深める必要があると思われる点について、ご議論を賜るということをお願い申し上げているようでございます。
    もう代理からごあいさつがございましたので、改めて繰り返しませんが、どうぞ忌憚のないご意見をいただきまして、我々としてはそうしたご意見を、過去10回、今日の11回を含めまして、きちんと取りまとめてそれなりの答えをきちんと出していただいて、またご議論願うということにいたしたいと考えております。どうぞよろしく活発なご討議をお願いをして、ごあいさつにかえる次第でございます。ありがとうございました。
    【佐和】 どうもありがとうございました。
    それでは、私のテーマ紹介を続けさせていただきます。本日のテーマは、先ほどちょっと申しかけましたとおり、エネルギー問題と原子力ということでございます。このテーマをさらに二つのサブテーマに分けました。一つは世界的、歴史的な視点に立ったエネルギー問題と原子力の役割、そしてもう一つが、核燃料リサイクルの意義でございます。順を追って議論を進めてまいりたいと思いますが、途中で中休みを3時15分ないし3時半ごろとりますので、その中休みまでを最初のサブテーマでございます世界的、歴史的な視点に立ったエネルギー問題と原子力の役割というテーマに当てたいと思っております。そして後半を核燃料リサイクルの意義に当てたいと思っております。
    私ども、モデレーターといたしましては、皆様方に十分ご発言いただけるよう、会議の維持運営に努めるだけでなく、議論の中では十分に踏まえつつ、取りまとめをしてまいりますので、皆様方には日ごろお考えになっておられる忌憚のないご意見をお願いいたしたいと思っております。

    自由討議

    【佐和】 それでは、議事に移らせていただきます。
    本日は、初めから自由な討議を行いたいと思いますが、テーマが大きく二つに分かれていることから、先ほど申し上げましたとおり、前半ではエネルギー問題と原子力の役割について議論を進めたいと思っております。そこで、議論を進めていく上での手がかりといたしまして、これまで円卓会議における議論を踏まえ、私が議論の視点といった趣旨の簡単な資料を用意いたしました。資料2をごらんいただきたいと思います。
    エネルギー供給をめぐるこれまでの議論を概観してみますと、つまるところ意見の対立なり相違なりは、以下の六つの点に関する見解の相違に由来するのではないでしょうか。 ①今後10年、20年先、あるいはもっと先の日本経済と世界経済の動向をどのように展望するか。 ②エネルギー消費の所得弾性値と価格弾性値をどのように評価するか。 ③原子力発電の将来、特にそのパブリック・アクセプタンスをどう見込むか。 ④省エネルギーと新エネルギー供給の今後の実現可能性をどう見込むか。 ⑤地球環境保全のために、今後の二酸化炭素の排出量を、そして化石燃料の消費を、どういう水準にとどめるべきなのか。 ⑥中国をはじめとする東南アジアの経済成長と、エネルギー需要の伸びをどう見積もるか。
    そして例えば、今後10年の経済成長率、これは日本の経済成長率のつもりでお聞きいただきたいのですが、経済成長率を平均年率3%、エネルギー消費の所得弾性値を0.6と見込めば、10年後のエネルギー消費は、約20%増になります。ところが経済成長率を2.5%、所得弾性値を0.4というふうに見込みますと、エネルギー消費は約11%増ということで、伸び率は半減するわけでございます。ですからこれは、想定する数値によって、10年後、20年後のエネルギー消費の水準というものが大きく違ってくるということの一つの例でございます。
    さて、私がこの円卓会議におきまして、反対派と推進派の意見に耳を傾けつつ考えたことは以下のとおりでございます。
    まず、推進派の論点は、次の8点に要約されるのではないでしょうか。
    1. 将来のエネルギー需要は、過去のトレンドに沿って伸びる。
    2. 遅くとも21世紀半ばに石油は枯渇する。
    3. 省エネルギーと新エネルギーの可能性については悲観的に見通す。
    4. 原子力発電の安全性については、論をまたないとする。
    5. 地球温暖化防止のためには、原子力発電の推進が唯一無二、かつ最も有効な手段であるとする。
    6. エネルギー政策は、「国策」と認識すべきである。
    7. 反対派の議論は「理解」が足りない、「今後国民のご理解を得るよう努力することが必要」との認識。
    8. 中国をはじめとする東アジア諸国の経済発展が、エネルギー需要の急増を招き、化石燃料の価格を急騰させるであろう。またこれら諸国の原子力発電への依存度が高まることは確実である。
    他方、反対派の論点は、以下の8点に要約することができるのではないでしょうか。
    1. 将来のエネルギー需要の伸びを極力抑制すべきであるし、また抑制は可能である。
    2. 原子力行政は情報非公開、非民主的、不透明に過ぎる。
    3. 原子力発電所を“in my backyard”に作ることを容認するか否かは、地域住民の選択するところである。
    4. 省エネルギーと新エネルギーの可能性について楽観的に見通す。
    5. なぜ過疎地にのみ原発をつくるのか。
    6. 安全と安心の欠如が問題である。安心の欠如は行政に対する信頼の欠如に由来する。
    7. バックエンド対策について、国民的合意を図ることが先決であり、それまではモラトリアムとすべきである。
    8. 欧米先進諸国の大部分が、高速増殖炉はもとより、原子力全般から撤退しつつあるのに、なぜ日本だけが原子力を機軸エネルギーとして位置づけ続けるのか。
    以上の推進派と反対派の論点を踏まえた上で、次のような4つの点について、順を追って議論を進めたいと思っております。
    1. 将来のエネルギー需要と、供給のあり方について。
      それに関連いたしまして、経済発展とエネルギー消費の関係、省エネルギーと新エネルギーの可能性、等々について皆様方のご意見を承りたいと思っております。
    2. 原子力発電所の立地について。
    3. 原子力をめぐる国際情勢について。先ほどのアジアの問題、そしてまたヨーロッパ、主として先進諸国の原子力政策についてでございます。
    4. 原子力行政のあり方について。
    以上でございます。
    なお、いわゆるバックエンドに関わる問題は、後半のテーマでございますので、とりあえず前半におきましては、その問題については特に触れないということにさせていただきます。
    今から時間は3時半までといたしますと、1時間45分ございますので、これは大ざっぱでよろしいですが、さっきの四つの論点について、100分として、それぞれ25分ぐらいずつをめどに、議論を進めたいと思います。よろしゅうございましょうか。
    それでは、将来のエネルギー需要と供給のあり方について、皆様方のご意見を伺いたいわけですが、どなたからでも結構です、手を挙げてご発言いただきたいのですが、なるべくお一人の発言は3分程度にとどめていただきたいと思います。長過ぎると私が思ったときに、これを鳴らさせていただきます。それではどなたからでも結構でございます。近藤さん。
    【近藤】 私は、お手もとの第11回の資料-4の27ページになっておりますけれども、そこにメモを書いておきました。佐和先生が今、文章を手際よく読まれたので、私もこれを全部読む気はありませんが、これでご説明いたします。
    ここに書いてございますポイントは5点ありまして、エネルギー問題と原子力というタイトルのもとですが、第一の認識は、つまり今後エネルギー需要は増加するであろうということが書いてあります。細かいことは省略いたします。
    第二が計画期間の問題です。佐和先生は、今、20年、10年の話をされましたけれども、前にモデレーターの方が100年ぐらいで考えようかということをご発言された記憶がありまして、私は計画期間というのは非常に重要な問題だと思います。経済学者は一般に短いのですが、環境問題等を考えるともう少し長く考えるべきだし、技術の問題を考えますときには、技術が実用化するのに20年以上かかるのは常識でありますから、そういう意味で私は、やはり長い計画期間を考えるべきであると思います。ここでは例えば100年ぐらいかとしています。
    そういうことで3に行きます。3は、しからば2100年についてのイメージを考えてみると、人口は大体120億ぐらいで静定しているだろうと。エネルギーは利用効率等の向上を考えて、100年後の世界で、世界の一人一人が、大体現在の日本のエネルギーの消費水準の半分、大体2KW/年ぐらいの数字かなというふうに考えております。そうすると、世界の総需要は24TW/年ということになります。これは現在の約2倍の水準です。
    したがって問題は、この程度の水準で、いわゆる持続的に成長している。社会はどういうエネルギー供給源によっているかですが、これが、化石燃料、太陽・地熱、あるいは原子力、この三つが中心だということは、およそ異論のないところだろうと。しかし、考えてみるに、それぞれ課題を抱えている、これもそこに書いてあるので詳細は省略いたしますがね。で、大事なことは、したがって現在我々が何をすべきかということを考えるときに、この三つのどれかが選択的に優位性を持っているというふうに結論してしまうのは間違っていて、この三つがそれぞれに十分な供給力を持てるように研究開発を促進し、さまざまな制度を整えるべきと考えるのが大事ではないか。少なくともそれぞれが全体の2分の1、つまり、それぞれのエネルギー技術が現在の化石燃料の供給水準程度を供給できるように考えることが、世界全体として重要であるというのが、3に書いてあることでございます。
    そこで、原子力をその候補から外すか外さないかということが一つの選択になるわけですけれども、私は現在、既に原子力が果たしている役割、それからそれの持つさまざまな特徴からすると、これを外す理由は何もないというふうに考える。そういう判断が3番の後半に書いてあることでございます。
    そこで今度は日本のとるべきふるまいということになりますが、アジアにおける2100年の日本というのは何だろうか。これはどこかでだれかが書いていましたが、大体、ヨーロッパのスイスぐらいの感じではないかと考える。そうしますと、いかにそれまでに我々がさまざまなストックを日本という地に持っているか、その蓄えで世界で尊敬される国民となっているかということが重要で、そのためには、技術開発を進めて、特に原子力なり太陽という、化石燃料を含めてもいいと思いますけれども、エネルギー技術の技術開発に投資をしていくことが極めて重要と考えるわけです。そういう意味で、私は、原子力をそういう将来の主力供給力の一つとして認識し、これについて、これから2100年に至る世界において、さまざまな人々が自由に使える技術となるように努めていくのが、我々日本のとるべき立場というふうに考えます。
    【佐和】 ちょっと、この27ページの最後の3行ないし4行のところに書いてある、太陽への投資が原子力に比べて小さいのは、ということですが、これをもを少しご説明いただきたいと思います。
    【近藤】 この点は、しばしば議論されることなのですが、三つのエネルギーのどれにもいつも同じ金額を投資しなければというのはあまり意味がない。それぞれの技術の発展段階に応じた投資がなされるべきと思います。特に太陽の場合には、何がキーテクノロジーかというと、変換効率の高い素子が手に入るということが非常に重要なので、その開発は、いわゆる半導体のチップの開発です。一方、原子力は巨大なシステム開発、つまりシステムインテグレーションがかぎを握っているので、そこに投資規模の違いが出てくると。効率が悪い変換素子を使って大きな太陽発電所をいまお金をかけて作っても意味はないわけです。ですから、そういう意味で、投資すべき対象課題が限定されて、それにふさわしい投資がなされているとすればで、金額の大小でもって力の入れぐあいを判定するのは短絡的だということが書いてあります。
    【佐和】 どうもありがとうございました。
    それでは、小沢さん、内山さんという順序で。
    【小沢】 じゃ、お先にいいですか。
    私は実は、近藤さんの発言メモを見まして、たくさんクエスチョンマークをつけたわけであります。私の視点とかなり違います。どこが違うかということを簡単に図表を使って説明をしたいと思います。
    この、第11回の円卓会議資料の18ページをまず見ていただきたいわけです。18ページの真ん中あたりに、2050年、世界のマクロ指標と書いてあります。これは、内山さんの電中研の資料をたまたま持ってきただけの話ですけれども、人口が1985年から2050年にこれだけ増える、エネルギーも増える、経済も増える、CO2が増えて、環境が悪化すると、こういう数字があるわけであります。しかし私は、ここにあらわされているようなことが現実に起きる可能性はないと思うわけです。なぜかといいますとその理由は、その四角の下に六つほど項目を挙げました。つまり、こういう理由から、こういうようなことはあり得ないだろうと、まず第一に思うわけであります。それから次に見ていただきたいことは、25ページであります。25ページの図3というのがあります。この図3は、おそらく技術関係の人だったらすぐわかる話ですけれども、物を生産するのにどういう要素が必要かということが書いてあるわけであります。物をつくるのですから、生産工程には原料とエネルギーとそれから水と、実際には労働力もありますけれども、それは省きますけれども、それを投入すると製品が出る、それとともに廃棄物が出る、これは私は物理学の原則だろうと思うわけであります。
    つまり、持続可能な生産というようなことが行われるとすれば、こういう条件が満たされないと、このうちのどれかが欠落しても多分だめになるのではないか、私はそんな気がするわけであります。
    【佐和】 ちょっと、今どの図を言っていらっしゃるのか、ページ数を。
    【小沢】 25ページの図の3です。大ざっぱな図の3であります。この図の3を考えますと、原料とかエネルギーとか、供給すべきもの、あるいは出てくるものを適切に処分できないと、専門家のほかの方はわかりませんけれども、私が思うには生産活動は多分続けられないだろうと、こういうふうに思うわけであります。そうしたときにどういう制約があるかというと、既に、例えば下に表の2だとか、表の3、それから新聞記事があるように、どれを見ても、かなり近未来、つまり2050年以前あたりに、どれもが問題を起こしそうな気がする。特に2010年に水が不足するなんていうのが国連の報告であります。こういうことを考えますと、果たして、今、近藤さんが言ったような2100年だとか、つまり現代をベースとしてフォーカーストで予想するようなことが可能であるのかどうかということです。私はこういうときに考えなければいけないことは、人間が動物であって、人間の体の機能は人類の誕生ちっとも以来変わっていないという大原則を忘れては、私はいけないと思うわけであります。したがいまして、いろいろな制約があって、多分2050年ぐらいでいろいろな問題が起きるだろうと思います。
    そこで私が言いたいことは、2050年ぐらいの社会を真剣にイメージするべきである。つまり私たちが安心して生きていかれるための、私たちや私たちの子どもたちが人間として生きていける、活動の制約が今と同じぐらい自由にあるにはどうあるべきかという社会を描いて、その社会に必要なエネルギー体系というものを新たに考え直すべきである、こういうのが私の認識であります。したがってその際に、原子力は、これを読んでいただくとわかりますけれども、基本的には私は、現状にまず凍結をする、これ以上増やさないという視点をしっかり打ち立てるということが必要だろうと思います。
    後でまた議論します。
    【佐和】 成長の限界ということですね、結局。
    【小沢】 そういう表現でいいと思います。
    【佐和】 では、内山さん。
    【内山】 まさに今日の問題が、成長の限界をこれからどうやって解決するかというのが一番の課題でありまして、そのために今回の円卓会議も開かれているのだと思います。ですから、今、小沢さんが指摘した問題というのを、もう少しきちんと分析して、その可能性を探っていくことが、今回の円卓会議の趣旨でもありますし、そこに皆さんの理解が得られることが大切だと思います。
    ただ、やはり、何と言っても、今日57億もの人口を養っていくためには、エネルギーが必要だということは、だれも否定できない、ましてそういう社会に今日至ってしまったということなんです。これを支えていくためには、どうやってエネルギーを確保するかというのが非常に大事だと思います。将来のビジョンというのも、ある程度それを基盤に物事を考えないと、空論に終わってしまう、理想論で終わってしまうのです。ですから、やはり、現実をよく踏まえて、将来の展望を図らなければいけない。
    佐和さんからご指摘がありましたが、やはり将来のエネルギーの展望がどうなるのか、それをまず最初にはっきり認識することが大事だと思います。中・長期は確かに非常に不確実性があります。ただ短期的に見まして、今、ご指摘のあった2010年、あるいは2000年ぐらいまで見てもどうなるのかと。先ほどの最初のご指摘の紙に、先進国が少なくとも10%ぐらい10年後にはエネルギー消費が増えると。日本の今、年間のエネルギー消費というのは石油換算で3.6億Klです。もし10%増えると、3,600万Klです。これは、タイの一年間のエネルギー消費に相当しているのです。ですから、もうここまでエネルギー消費が増えて、先進国がわずか10%増えても、これは大変な増加なんです。ですから、まず先進国がエネルギー消費を減らせと言っても、割合でわずか増えても、これは大変なエネルギー消費になっているということをまず自覚しなければいけないと思います。
    それからもう一つ大事なことは、途上国がやはり、先進国と同じような生活を求めているのです。より豊かになろうと。これはだれも否定できないわけです。そういう人たちが、今、経済活動を活発にやっているわけです。特にアジアを中心としまして。アジアのいろいろな国の、今後の2000年までの見通しを見てみますと、経済成長率が大体7%から9%ぐらいに予測を立てております。これは皆さん統計資料を見ていただければすぐわかります。
    それによってエネルギー消費が大体4.5%から、多いところですと8%、年間の増加率になっているわけです。これもおそらく、もう避けられない事実だと思います。そういうことから、アジアは、過去の日本が高度成長をなしてきたと同じ事態が今、あるわけです。この問題をどうやって解決するのかというのが、やはり、そしてまたそのエネルギーをどうやって確保するのかと、そういうことが、我々が考えていかなければならない問題だと思います。
    そういうことから、結論で言いますと、将来はいくら理想を言ったって、現実にエネルギー消費がどんどん増えていく。ましてや、アジアの人口爆発を目のあたりにして、それに加速してエネルギーが増えるわけです。これをどうやってアジアの先進国である日本が考えていくのかということをやはり基本に、これから判断していきたいと思っております。
    【佐和】 それでは十市さん。その前に近藤さん、何か。
    【近藤】 一言だけ。私の説明がトレンドベースの2100年の絵を描いて、原子力の位置づけを議論したと思われると、ちょっと心外なので、私はむしろノーマティブ(規範的)という言葉を使ってよろしいかと思いますけれども、要するに2100年にかくあるべしと、やはりエネルギーの利用効率が十分高くならなければならない。それを前提にして、しかし、世界の人々が、現在の日本の実質程度、数字でいえば現在の日本人一人あたり消費量の半分程度のエネルギーを消費する世界というものが一応静態的、持続的に成長する社会の一つのイメージではないかと。それを前提にすると、それにもかかわらず、現在の2倍のエネルギー需要になりますね。それを埋めるにはどうしたらいいかということで、今考えられる主要供給力をそれぞれに伸ばしていくことを考えるのが現在我々がとるべき選択ではないか。当然、同時平行して効率向上にも十分の力を注ぐことは前提にしているわけで当然であります。
    【佐和】 それでは、十市さん。
    ちょっと待ってください。内山さん、何か。
    【内山】 先生は今、若干間違っていると思うんです。もし途上国が先進国の半分だったら、これは大変なことになります。途上国の一人当たりのエネルギー消費が、先進国の半分になったら、とてつもないエネルギー消費になります。ですから、5分の1で大体同じぐらいになるということなんです、そのぐらいの割合です、その辺の認識を。
    【佐和】 十市さん。
    【十市】 私はエネルギーと原子力という問題が将来どうなるかというのは、いろいろな議論があり得ると思うのですけれども、私はこのエネルギーと原子力という問題を二つに大きく分けて考えたほうがいいと思います。今、議論されているのはグローバルな問題、しかもかなり長期的な50年、100年とか、そういう中でどう位置づけるかという問題と、それじゃ日本としてこの原子力をエネルギー全体の中にどう位置づけるか、これを分けて議論しないと、相当混乱すると思います。
    私も、せっかくですからメモを用意してあります、31ページのところに簡単なレジュメがありますので、それによって簡単にポイントだけご説明をさせていただきたいと思います。
    まず、全般な、グローバルなエネルギーの問題という観点から言うと、先ほど来議論が出ていますけれども、将来は相当増える、これが2倍になるのか3倍になるのか、あるいは50%増になるのか、これはいろいろな議論があり得る、前提条件にもよるでしょう。ただ、例えば過去を見てみますと、過去80年、1920年から2000年という期間で考えてみますと、人口は大体年率1.5%で増えています、現在も大体9,000万人ぐらい増えているということは、人口増加率が1.5%ですね。これはそんなに急激に変わらない。多分1%、経済成長が高くなって、生活が豊かになれば、人口増加率も減ってくると思いますから、この辺は若干減るかもしれない、それでも1%ぐらいで将来伸びるという前提で大きく違わないと思います。
    エネルギー消費は、過去の実績、商業用のエネルギーを見ますと、年率2.6%平均ですね。最近で見るともうちょっと高いと思いますけれども、人口の増加率よりも高いということは、一人当たりのエネルギー消費量は地球全体を見れば、やっぱり増えていかざるを得ない。これは先ほど来議論が出ている途上国の生活水準の上昇ということを考えれば、当然そういうことは期待できる、予想されるということであります。
    片やエネルギーの供給の面では、現在、ここにも書いてございますように、世界全体で、化石燃料が9割、石油が40%で、石炭が27%、天然ガスが23%ということで、原子力は、一次エネルギー源として7%、水力が3%ということですから、圧倒的に化石燃料依存ということですね。私もこれから40から50年というスケールで考えた場合、これは前回のときも申し上げたのですが、これが大きく急激に変わることはあまりないだろうと思います。経済性の問題、技術の問題、あるいは資源の賦存状況、いろいろなことを考えた場合には、やはり、21世紀の前半を考えると、相当量化石燃料に依存していかざるを得ない。ただ、これが環境問題、あるいは安全保障の問題、あるいは長期的には100年ぐらいのスケールで考えると、資源的な枯渇といいますか、制約が出る可能性もあり得る、特に石油についてですね。そういう問題が出てくるかもしれませんから、そういうことを念頭に置きつつ考えないといけないだろうという気がします。
    そういう中で、供給サイドという問題では、当然、新エネルギー、あるいは需要の面では省エネをもっとやろうということ、これは世界的に今後もっと取り組むべきだと思います。ただ、今、申し上げたように将来、増加していくエネルギーの需要ということを考えた場合に、新エネルギーと省エネルギーだけで、増加していくエネルギーの需要に対応するというのは、私は基本的には難しいだろうと思います。かなりの部分、これはでき得るかもしれませんけれども、それだけに依存するというのは極めて難しいだろう。そういうことを考えますと、原子力の役割という意味では、長期的な持続可能な社会、この持続可能というのは、どういう考え方で持続可能というかということによりますけれども、少なくとも私は、需要にマッチする、資源の供給面でそれに対応できるという意味、あるいは今、問題になっているCO2を含めてグローバルな環境問題、あるいはSOxの問題、こういう問題を解決できるという意味では、原子力の役割というのは、十分正当に評価されてしかるべきではないか、そういうふうに考えております。日本の問題はまた後ほどお話しします。
    【佐和】 それでは、松浦さん。
    【松浦】 私も今日の会合でレジュメをということなので、46ページでございますけれども、極めて簡潔にまとめさせていただきました。今まで何人かがお話しになったこととほとんど重なると思いますけれども、端的に申しますと、まず、現代の様子、それから原子力の役割を考えますときに、まず、現代的社会の特徴として、高品質エネルギー、特に電気エネルギーへの依存が大きい、それから歴史的な進展を見ますと、地球的規模で人口が増加する傾向と同時に、現代的な社会が広がっているということ、特にアジア地域でこの傾向が見えるということ、それから日本の現在、未来を考えると、まず、現在既に膨大なエネルギー資源を輸入して、生活を保っているし、さらに、この現代的な生活を維持、発展させようという、そういう気持ちが日本の中に当然、かなり強くある。そして一方、エネルギーを使うときに、世界的な環境変化への懸念として、エネルギー単位当たりの環境影響物質を放出することを決定的に削減する必要がある。こういう条件で考えますと、現在、世界の中で既に原子力が相当の役割を果たしているということからも考えて、原子力を地球的な規模での、それからまた地域的な規模でのエネルギーベストミックスを考える上での、主要な構成要素の一つとして選択するべきではないか、それが合理的ではないかというふうに考えるわけです。もちろんこの選択の上では、安全性の確保と核拡散の防止が絶対的に必要である。ただ、この選択をする場合に、こういう選択をする場合と選択をしない場合との比較をかなりきちんとやらなくてはいけない。これは、それによって得られる利益とコストとリスクを、技術、あるいは産業の現状、それから発展の可能性というのを考えて、冷静に判断しないといけない。
    ここで、一つ指摘して置きたいのは、原子力科学技術というのは、現在はいわば軽水炉とそれからようやく原型炉段階に達した高速炉で代表されるように考えられておりますけれども、それは確かにそうでありますけれども、まだ原子力というのは、発展の可能性が十分広いものでありますので、この可能性に対して、適正、着実な努力をするということで可能性が広げられる。そういうことによって需要に応ずる可能性はまだまだある、そのことは指摘しておきたいと思います。
    【佐和】 それでは長谷川さん。
    【長谷川】 原子力をめぐる国際情勢というところにちょっと話が移っちゃうのかもしれないのですけれども、21世紀の原子力の必要性を何人かの方がおっしゃったわけですけれども、今、ヨーロッパは、ご承知のようにフランスを除くヨーロッパ各国、それからアメリカ、カナダも含めまして、いわばOECD諸国といいますか、西ヨーロッパ、北米で、建設中の原子力発電所というのは、もはやフランスの4基と日本の3基、7基のみとなっているわけです。原子力復活ということは、アメリカで1980年代、大分言われましたけれども、現実にエネルギー省そのものが、2010年代には、大体今の3分の2ぐらいになるということを認めているわけです。そういう、今日、3、4人の方がおっしゃったようなこととは、ヨーロッパ、アメリカの選択は違うのですけれども、それは彼らは将来のエネルギー問題を非常に楽観視しているがゆえにそういう選択肢になっているのでしょうか。そういうヨーロッパのあり方と、皆さんの考えとの間に、非常に不整合があると思うのですけれども、そのあたりはどういうふうにご説明なさるのでしょうか。
    【佐和】 どなたにお伺いしましょうか。内山さん、どうぞ。
    【内山】 それでは、先ほどの資料4の9ページを開けていただきたいのですが、一つの理由をまず述べさせていただきます。表1に、これは先ほど十市さんのお話にもありましたように、今、世界で、9割が化石燃料に依存している。将来、この化石燃料がどうなるかという一つの目安なのですが、資源の埋蔵量を調べてみますと、地域別に見ますと、そこにありますように、アジア・オーストラリア、北アメリカ、西欧、旧ソ連・東欧、中南米、中東、アフリカに分けております。これを見て、特徴がはっきりしておりますのは、石油、天然ガス、石炭、その一人当たりの資源量というのは、石油・天然ガスが、まあ石炭もそうですが、極めてアジアは少ないんです。これは、北アメリカが、石油を見ますと303バレル/人ですね。それに対してアジア・オーストラリアは13バレル、ヨーロッパでも46バレルである。それから天然ガスになりますと、アジアは大体3,000立米、それに対して、北アメリカが3万、西欧が1万4,000。石炭を見ますと、一人当たり9トン、北アメリカが87トン、それからヨーロッパが40トン、これから見ましても、アジアというのは、エネルギー資源が、石炭を見ますと全体の三割ぐらいあるのですけれども、一人当たりにすると極めて少ない。ですから、非常に脆弱な立場にあるのです。ですから、エネルギー危機というのは、極めてアジアは受けやすい。それに対して、ヨーロッパやアメリカは、エネルギー資源がまだまだ豊富で、いろいろ選択の幅が非常にあるわけです。その辺が、まずアジアと欧米の基本的な違いにあらわれているわけです。
    それからもう一点、大事な点は、最近、アメリカを中心とする規制緩和の流れがある。これは、非常に短期政策なんです。ある意味でコスト削減ということですから、今、石油価格が非常に安いわけです。エネルギー価格そのものが安いわけですから、その安いエネルギー価格を利用して、経済を活性化しようということがねらいにありまして、ますます化石燃料依存度を高める、そういう流れが今あるわけです。まさに、短期政策としか見ていない。それはなぜかというと、資源が、欧米はある意味で豊富である、かつ、価格が安い。そうすると、ある意味でエネルギー問題はないわけです。ですから、非常に短期的な物の見方で経済活動をやっている。ですから、化石燃料依存度は全然下がらないわけです。その流れが今、日本にも来ているわけです。ですから、その辺が長期的な政策が、なかなかエネルギー問題に入ってきていないというところに、将来の危機に対する不安要因があると考えられます。
    【佐和】 では、十市さん。
    【十市】 私は、若干違う視点から述べてみたいと思います。
    まず、エネルギーのミックスがどうなるかというのは、国によって全部違ってくるし、当然それは違って当たり前だと思います。各国のエネルギー供給の形態をそれぞれ規定しているのは、今、一つ内山さんがおっしゃったように、資源の賦存状況、国内に安い資源があるのかどうかという問題、それがしかも経済的に供給できるかどうかという問題が非常に大きな要素だと思います。それと、日本のように海外にエネルギーを非常に依存している国であれば、当然安全保障、安定供給というような視点から、エネルギーの供給のミックスを考えないといけない。あるいは、ある新しい技術に対する国民のパブリックアクセプタンスと言っていいかもしれません、あるいは立地のやりやすさの問題、例えばフランスですと原子力が発電の75%を占めているというのは、フランスはほかのヨーロッパの国とはまた、原子力のような新しい技術に対する考え方が違うということでもあると思うんです。また国内に資源がないということです。かつ、発電という観点から、アメリカとかヨーロッパの国を見ますと、アメリカでもドイツでもイギリスでも、発電の5割以上は石炭なんですね。国内の石炭を大量に使って、これはさまざまな環境問題を引き起こしているわけでありまして、アメリカは特にこれから石炭は依然として国内で安いわけですから、もっと使っていこうということ、それとヨーロッパが比較的原子力をこれから増やさなくても対応できるというのは、やっぱり天然ガスが域内、あるいは近隣諸国で大量にあるからです。ロシアのガス、北海のガス、アフリカのガス、こういうものをパイプラインでみんな持ってきて、技術の面でも大変、コンバインド・サイクル発電ということで、環境的にもかなりいいし、効率もいい。こういうものがかなり出てきたということで、原子力よりも経済性の面でもガスを導入することがメリットがある。こういう面が私はかなりあると思うんです。ですから、国によってそれぞれ、今、置かれたいろいろな条件によって違ってくるわけで、日本ではそれではどういう選択がいいのか、そういう点から私はもっと議論すべきだと思います。
    【佐和】 どうぞ、小沢さん。
    【小沢】 今、お二人がおっしゃったのは、それなりの理由は僕はあると思います。
    しかし、実は僕はそうじゃないんじゃないかという気がするわけですね。さっき十市さんがおっしゃったように、持続可能な社会をどう理解するかという点が、私なんかとは基本的に違うわけです。つまり、経済活動がどう持続するかという認識のように私には思えるわけです。その観点に、将来の持続可能な社会というのが、経済の今までの延長上にあるんだという視点に立つのであれば、これは皆さんのおっしゃるとおりであります。私も全く異論はないし、皆さんと全く同じデータを持って、同じ議論をやっているわけです。
    しかし、私が思うに、あるいは、たまたま私が勤めていたスウェーデンという国を取り上げれば、その国が考えていることは私はそうじゃないと思うわけです。つまり、今後あと50年、100年、これはわかりませんけど、そのときにどう我々が生きるためにエネルギーを調達するべきかという、持続可能な社会という概念を彼らは徹底的に議論をしているわけです。私は、日本ではこの議論が全くないと思う。
    したがって、その議論をすることが実は重要であって、そして、持続可能な社会という概念がイメージできれば、どうやってそれを支えるエネルギー体系をつくるかという、その視点が多分、私はアメリカにもあると思うし、ヨーロッパの幾つかの国にもあります。その点が決定的に僕は違うんだろうという気がいたします。
    【佐和】  それでは、鈴木さん。
    【鈴木】 小沢さんの指摘されている点というのは、おそらく原子力に不安感をお持ちの人たちが多くの場合抱いていらっしゃる感じじゃないかと思うんですね。
    それで、小沢さんの資料、先ほど小沢さん自身が引用された18ページですね。これは電中研の資料から引用されたということですが、真ん中の1985年、48億人でエネルギー消費が80億トンだと。これは過去の事実なので、これは事実だと思うんですが、これから先行きをどう見るかというのは、何年後がどうだという話になるとなかなか難しいと思うんですけれども、ただ、仮に85年で50億人、このうち先進国と途上国、この人たちがどのくらいの割合でいて、それぞれがどのくらいエネルギーを使っていたのか、あるいは現在ほとんど変わっていないのか、どうなのか。それを将来どう思うか。
    おっしゃるように、先進国はもうぜいたくしすぎだと。このままで持続可能というコンセプトそのものがおかしいので、そういう外挿をするのはおかしいんだという考え方はあると思う。私もある程度そういう考え方に賛成なんですね。
    問題は、内山さんのご指摘もそうだし、十市さんのご指摘もそうだと思いますが、途上国の人をどう見るかだと思うんですね。これは途上国の人自身が考えることかもしれません。しかし、単純な算術として、この50億人の人のうち、大ざっぱに言うと、30%ぐらい先進国です。70%ぐらいが途上国でいいですかね、人間の数は。どうでしょう。
    【小沢】 まあ、それは正確な統計らしきものは世界的にあるわけです。だけど、大ざっぱでいいんじゃないですか。
    【鈴木】 いいですか。それに対して、エネルギー消費水準というのは、大ざっぱに言うと1対10ぐらいですね。途上国が1に対して、先進国が10ぐらいですね。そうすると、単純に相対値で足しますと、15億人×10=150に35×1=35を足して、185ということですね、現在の状況は。
    その現状に対して私は、将来、先進国の人口は基本的にほとんど変わらないと。それはどうでしょう。まあ、仮の話ですけどね。ほとんど変わらない。むしろエネルギーは使いすぎなんだと。したがって、今の10の水準を半分の5にしろと。みんなでそういう努力をしたと。こうしてもいいと思うんですよ。
    そうすると、50のうち15、今、15億人ですね。15億人の人が今まで10使っていたのを5に減らすわけですから、これは75に減りますよね。しかし、50億人のうちの35億人の人は途上国ですね。この人たちが、どなたが考えても、いろいろな説はあるかもしれません。しかし、大体今の2倍ぐらいの人がいずれ地球上に暮らさなきゃいけないだろうというふうにふうに思っていると思うんですよ、これは途上国の人ですからね。ですから、35億人が70億人ぐらいになるんですかね。
    【佐和】 2050年で100億人ですから、トータルが。
    【鈴木】 いや、私が言っているのは、要するに、人口が途上国の人が倍ぐらい増える状況の中で、その人たちがエネルギーを今の2倍ぐらい使う。今は1ですからね。将来、2にしますよね。そうすると、それだけで140だと。140+75ですから、215ですよね。現在185ですから、こういう状況を考えても、エネルギーというのは私は増えるんだと思います、消費は。つまり、世界全体、地球全体で見たとき、途上国の人のことをどのぐらい今我々が考えるかということが、地球規模でいうと問題になっているのであって、そういう認識が共有できるのかどうかというのが、私はこういう議論の出発点じゃないかなと思います。
    【佐和】  では、長谷川さん。
    【長谷川】 今、鈴木さんから、地球規模の問題を考えること、特に第三世界のエネルギー問題を考えることが出発点だと。大変私は的確な指摘だと思うんですが、それでは、じゃあ、ヨーロッパやアフリカが地球規模の問題を考えていないのか。彼らは非常にエゴイスティックに自国のエネルギー状況だけを考えているんでしょうか。
    今年、1996年に日本では原子力政策円卓会議が開かれましたけど、実は、こういう国民的な規模でエネルギーについてのコンセンサスを再定義しようという動きは、ヨーロッパ各国にあるわけです。ドイツの場合には、形は違いますけど、エナジー・コンセンサスという形で、コール政権の与党対社民党との間で、それからイギリスの場合にも、ブリティッシュ・エナジーの民営化をめぐってコンセンサスの確立の動きがありましたし、フランスでももう一度原子力についてのコンセンサスを再定義しようという動きがあります。それから、小沢さんが詳しいわけですけど、スウェーデンの場合も、1991年ぐらいからずっと2010年の原発全廃の問題をどうするのかということをめぐってのナショナル・コンセンサスをつくろうという動きがあったと思うんですね。
    それじゃあ、ヨーロッパで、原子力についてナショナル・コンセンサスを確立しようという動きは成功したのでしょうか。それは、フランスがかろうじて原子力推進ということが続いているわけでありまして、ドイツで社会民主党とコール政権の与党の間でコンセンサスは成立しなかった。こういうドイツ、イギリス、スウェーデンで、なぜコンセンサスが成立しなかったのか。
    今日の議論は、エナジー・セキュリティといいますか、エネルギーの需給バランスという観点から議論するということの一面性がある。この原子力政策円卓会議を通じて、社会科学者が一体何人呼ばれているんだろうか。私もあまり大それたことは言えませんけれども、例えば経済学者、佐和先生は経済学者ですけれども、政治学とか経済学とか社会学とか、そういう政治過程といいますか、社会過程の中でエネルギーがあるという視点があまりにも日本の中の議論では弱いのではないだろうか。
    そして、そういう意味で、原子力がいわば事故、それから放射性廃棄物の処理問題という、この原子力に対する不信というものが解決できなかったということにこそ、ヨーロッパやアメリカの選択の根本があると思うんですね。単にエネルギー状況に規定されているわけじゃない。それが非常に重要な変数の一つであることは確かですか。
    そういう意味で、私は、原子力を最後の選択肢と考えるというのは、単にそれはヨーロッパのエゴではない。それから、ヨーロッパの事情を考えるとき、そういうEUの進展とともに、従来の冷戦構造の時代のような一国レベルでエネルギーの需給バランスを考えるのではない、一国レベルでエネルギーのセキュリティを考えるのではなくて、EUは域内で考える。こういう視点を、やはり日本も地球レベルでエネルギーのセキュリティを考えたときに持たなければいけない。そのとき、じゃあ、本当に原子力が最初に来るんだろうか。
    アジアの原子力が大事だということを言います。しかし、私の資料の中にもありますように、昨年のAPECの資料をもとに算定いたしますと、2010年には日本を含む韓国、中国、台湾、三国一地域の原子力発電所は、1992年の2.8倍になるわけです。そうすると、単純にいえば、放射性廃棄物も2.8倍に増える。これを一体どうするんでしょう。これはバックエンドのときに議論するんでしょうけど。
    それから、事故の確率というものを、例えば、IAEAが出しております既存の原子力発電所の1万炉年に1回、シビア・アクシデントということですね。このIAEAのデータを使います。ですから、三国一地域の原子力発電所がすべて同じような安全性にある、1万炉年に1回の確率でシビア・アクシデントととると、私の資料にありますけれども、たしか10年間運転すれば、14.7%ぐらいの確率になる。
    いわば、新潟県それから福井県の原子力政策円卓会議を提起された知事さんたちというのは、大変熱心に環日本海構想というのをうたわれています。それから、新潟県の知事さんは酸性雨問題を指摘しておられます。確かに中国が石炭をたけば、中国による日本の酸性雨問題の深刻化というのがございますけれども、日本を含むアジアの三国一地域の原子力発電所の量が2.8倍に増えれば、それだけ事故の確率が増え、そして、例えば、ウラジオストックの旧ソビエトの放射性廃棄物の問題等々が絡むと、実は環日本海構想というのが、我々はそれの風下にあるわけですから、いわば環原子力災害構想になりかねない。私はそういう危険性があると思います。
    【佐和】 次、平野さんにご発言願いたいと思うんですが、ちょっとお待ちください。その前に、大臣が所要のためご退席なさいますので。
    【中川】 大変いろいろなそれぞれのお立場からエネルギーと原子力といった問題について、かんかんのご議論をいただいております最中、まことに恐縮でございますが、退席をせねばならん時間でございまして、一言、非常に深まりのあるご議論を今いただいている最中だと存じます。後半の核燃料リサイクルの問題についても、長らくお取り組みをいただいたご地元の平野さんもいらっしゃいますし、また、それぞれのお立場でご意見があろうと存じます。
    いずれにしても、私、今日は外遊から朝着いたばかりでございますが、今日のご議論はしっかりまた議事録で拝見して、これからの原子力政策にしっかりと受けとめていく決意でございますので、よろしくお願いを申し上げます。途中で退席をし、おくれてまいりまして、まことに申しわけございませんが、よろしくお願いをいたします。ありがとうございました。
    【佐和】 どうもありがとうございました。
    それでは、議論を続けたいと思います。平野さん、どうぞ。
    【平野】 佐和さんのほうから、何かバックエンド関係はこの後の議論ということで、ある意味では、こちらが口出しができないような雰囲気を感じたわけですが、そうではなくて、まず、この前も多少9回の際にも議論になったわけですが、なぜこういう形で円卓会議が開かれたのか。残念ながら、今日の会合の中では皆さん学問的にいろいろ研究されている方々ばっかりで、そういう議論がなされているわけですが、原子力の施設を立地されている地域の方々が今までのようなやり方でいいのかどうかという疑問を率直に述べたことが、まずこの円卓会議が始まったそもそもの出発点だったのではないのか。
    そうだとするならば、将来のエネルギー問題を議論する場合に、まず現況のエネルギーの利用状況のままでいいのかどうかということがまず議論されて、しかる後に将来展望としてどうこう言う形になるのでなければ、私ども施設を中で同居されている人としては何だか、一体我々をどう考えているのかという、無責任極まる話を聞かされているという感じ以外の何物でもなくなっちゃうわけです。
    そうではなくて、もうちょっと議論するにしても、やっぱり現況の状況、例えば、アジアの場合にこれからエネルギー需要が伸びるだろうという話が出ているわけですが、これと同じような形で、かつて日本も高度成長ということで、いわゆる水俣なり、あるいは川崎病なり、いろいろな産業病を排出してでも高度成長を続けてきたという、そういう反省が今求められているのではないのか。そういうことを、やはり原子力委員会なり、あるいはモデレーターの方々はそうそうたる各界の名が通っている方々ですので、そういう議論の進め方をリードするような形でこういう会議を持っていただけるのでなければ、なぜここへ私が引っ張り出されたのかというのはいまだに理解ができないでいる。間違ったところへ出てきちゃったのかなという感じしかないわけです。
    【佐和】 次、第二の論点が、原子力発電所の立地についてということでございますので、今の平野さんのご発言を受けて、また時間も押しておりますので、またエネルギー需給の問題についてはまた後ほど戻っていただいても結構ですので、次に、今の発言を受けて、原子力発電所の立地について議論を進めたいと思います。当然、住民投票の問題とか、そういったことも絡んでまいります。どうぞ、長谷川さん。
    【長谷川】 やはり巻原子力発電所をめぐる住民投票というのが大変重要な意味を持っておりまして、第9回の議事録を拝見しまして、20分程度議論をされたようですけれども、むしろ私はこの原子力政策円卓会議が巻原発の問題を集中的に、例えば1回ぐらい持つぐらいの大きな価値があるのではないか。
    それから、9月6日に資源エネルギー庁長官が巻町長に会わなかったという事件がございましたけど、あれは本当に日本の原子力政策のいわば本質といいますか、立地点というものを政府がどんなふうに見ているのか、ある意味ではマイナスのパブリック・アクセプタンスとして、立地点というものを霞が関の官僚たちがどう見ているのかということを大変象徴的にあらわしている出来事だったと思います。
    巻原発が提起している問題というのは、従来のような地域間格差を前提として、そして、電源三法交付金であるとか、そういう経済的な恩恵でもって穴埋めをする。それから、また地域有力者を切り崩しをするという、そういうような従来の立地の手法が通用しなくなったということの端的なあらわれではないかと思います。
    それからまた、自己決定権を求める住民たちの声、これは世界的に大きな流れだと思うんですけれども、自分の町の運命を自分たちでつくりたい。第1回でしたでしょうか、この原子力政策円卓会議で、廃炉になった地域で、その後また原子力発電所をそこにつくるんだということがこの円卓会議の場で明らかになったと思うんですけれども、一旦原子力発電所を立地したら、それはある意味で、多分今日のお話の枠組みでいいますと、いわば21世紀を通じて、その町は原子力とそれから使用済燃料から逃れられない。これをその町がノーと言うのは当然ではないでしょうか。
    【佐和】 必ずしも巻町の件にかかわらず、何でも結構ですから、ご発言いただきたいと思います。立地の問題でございます。松浦さん、どうぞ。
    【松浦】 私は、この立地問題は自分で仕事としてやったことはないんですけれども、感想でありますけれども、いつもこの立地問題で私が非常に違和感というとおかしいですけど、そういう感じを覚えますのは、東海村と、それからその他の立地、全部じゃないでしょうけれども、東海村と、立地問題がいろいろ議論されているところとの雰囲気の違いといいますか、そういうのを非常に強く感じることがございます。
    東海村に私自身は16年ほど住みましたけれども、今もそれほど雰囲気は変わっていないと思うんですが、東海に原子力施設ができたから今年で40年になりますけれども、どちらかというと、全体的に原子力に対してのアクセプタンスは非常に高いところだと思います。一体その違いがどうしてできたのか。ほかのところでリジェクトされて、そして東海ではむしろアクセプトされる。そういう状況がどういうところから、どういう経緯から出てきたのかということを、私どもはもう一遍勉強し直してみてはどうかという気がいたします。
    よく東海の方々とお話しすることがありますが、どちらかというと東海の方々は、かなり多くの人が原子力発電所がある、あるいは原子力研究施設がある、原子力事業所があるということを決してリジェクトの対象とせずに、むしろ逆に誇りとしているという感じさえあると思います。そういうところが何か根本的にどこか違っていたんじゃないかという気がいたします。
    【佐和】 何かいかがでしょうか。じゃあ、十市さん、どうぞ。
    【十市】 私はあまり原子力に実は直接全くかかわったことはなくて、エネルギーを研究している立場からちょっと感想的な意見を述べさせていただきたいと思います。
    原子力については過去何十年も大論争がずっと続いていて、今もそういう延長線上にあるわけですけれども、原子力の必要性という面では、過半の人が原子力は日本にとっては必要だという意見、ただ、自分の住んでいる近くにとなると当然、反対がある。「ノット・イン・マイ・バックヤード(NIMBY)」というのは日本だけじゃなくて、アメリカを含む世界的にそういう傾向がある。これはある意味では、都市ごみ焼却場あるいはごみ処理場の問題とかなり似た面があって、ごみを出すほうはいいけれども、自分の近くにそういうのが来てほしくない。これはかなり人間の本性に近い面があるんじゃないかという気がします。
    そういう点で、先ほど平野さんがおっしゃったように、今のエネルギー、特に電力の使い方をもっときちっと議論すべきだということは全く同意見でありまして、特に最近、電力の消費というのは相当な勢いで伸びているわけですね。過去10年の平均を見ましても、GDPが年率3.2%ぐらいで、電力は4%ぐらい伸びているんですね。家庭・業務用を含めて、そういうところのみが高いわけですね。それを野放しにすれば当然、これは供給をつけないといけないということで、いろいろなエネルギーを総動員してやらなくちゃいかんということになるわけですから、省電力、省エネルギー、これをどうやるかということ。
    これはある意味では、日本は自由社会ですから、当然、市場メカニズムを原則にして、個人の自由というのは規制しちゃいけないと思うんですけれども、問題がこれだけ公共的な問題になってきている以上は、最低限、どの程度の公的な規制、社会的な規制というのが合意できるかというようなところまで踏み込んでいかないと、社会システムのあり方、あるいはライフスタイルとよく言われますけれども、そういう問題を含めてやっていかないと、小手先のことだけでは、私はそんなに大幅に減らすのは難しいと思うんですね。
    そういう意味で、原子力が要るか、要らないかという社会的なコンセンサスづくりということは、裏を返せば、使い方についても相当社会的なコンセンサスをつくるようなところまでやっていかないと対応できない、そんな印象を持っております。
    【佐和】 それじゃあ、内山さん、近藤さんの順で。
    【内山】 今、十市さんの意見とちょっと似ていますけど、今日のような工業化社会を営む場合には、どうしても廃棄物、ごみ、そういったものは避けて通れないわけですね。現在、日本全体でも年間23億トンの資源を使っていまして、ごみでも一人年間1トンぐらいのごみを出しているわけです。そういう現実があって、それをどうやって営んでいくかということが、我々に課せられている非常に大事なテーマでありまして、そういう点から、当然のことながら、原子力の問題もそういう点があります。
    もう一つ、リスクに関して、非常に客観性がまだないのではないかという感じがするんですね。現実に、こういう工業文明を維持していきますと、いろいろなところに人間のリスクがありまして、端的に言えば、毎年1万2,000人もの交通事故で死んでいる方がいるわけですし、数千人の人が落下事故とか、あるいは火災事故等で死んでいるわけですね。そういうことが至るところに工業化社会の中には危険がつきまとっているわけですけど、そういうものをどうやって安全に管理するかというのが、我々に課せられているわけですね。そうでないと、一番のリスクは、エネルギーをストップすることが一番のリスクだと思うんです。安定な社会が今日維持できているのは、目に見えないエネルギーを大量に消費しているから、これだけ豊かで我々がそういう恩恵をこうむっているわけです。これをとめたら、これは最大のリスクになるんですね。ですから、そういうものを含めて、社会的リスクあるいは技術的リスクというものを含めて、リスクというものをもう一度みんなで公共的な立場で理解し合って、今の工業化社会をどういう方向へ持っていったらいいのか、あるいはそういうのをどういうふうに管理したらいいのかという形で、やはり議論していくべき問題だと思っています。
    【佐和】 それは立地の問題での関連で言うと……。
    【内山】 はい。ですから、立地も当然、それにかかわる問題です。
    【佐和】 リスクの分散とか負担とか。
    【内山】 はい。そういうことですね。
    【佐和】 じゃあ、近藤さん、どうぞ。
    【近藤】 一つは、さっき長谷川さんがおっしゃったアジアの原子力という話、ちょっと私は論旨がよくわからなかったんです。つまり、アジアは原子力がどんどん増えて事故が起こるかもしれない、だからけしからんとおっしゃたとすれば、ご自身のおっしゃっている論理が一貫していないなと。つまり、巻町の場合は、自主性を重んじろと言いながら、アジアはけしからんというのはおかしいわけで、アジアで原子力を使いたい国があって、増やすことに関して、何をおっしゃりたいか、お話の目的が私にはよくわからなかった。
    それで、今の問題ですね。つまり、エネルギーの供給、電力供給のシステムをどう整備するか、これは一種の社会基盤整備と私は理解しているわけですけれども、こういうものは、市場経済とおっしゃられたけれども、基本的には計画的アプローチでなされるべきなんですけれども、おっしゃるように、まさに消費社会においては市場経済が必要で、かつ有効であることはいろいろな意味で示されている。
    その中で、これを整備していくとすれば、つまり自由な消費活動を前提とする社会経済の中で、計画的な要素をどうやって取り込んでいくかということになると、それが社会的信頼を得る以外にないわけでして、ある種の無私の心と申しましょうか、それから責任感とか、次世代のためにそういう物の考え方で行動する主体があって初めて、それが現代の世代を説得して、次世代の健康的な生活を保障するという、そういう社会的行動をとるようなことを説得する。そういう説得の主体というものが、まず信頼される主体でなければならない、そういう構造になっていると思うんですね。
    それが国であるのか、電力会社というものなのか、そこが今、両方いろいろな意味で議論になっているんですけれども、私はやはり国も電力会社もそういう社会的使命を持った存在として等しく我が国民の永続的安全を提供する、そのための長期的利益の観点から行動していただくことをお願いする、納得いただく、こういうようなこと以外に、この立地問題を解決する方策は私はないと思います。
    【佐和】 長谷川さん、何かお答えは……。
    【長谷川】 はい。私が先ほど言いましたのは、例えば、中国とか韓国が原子力発電所を建設することを批判しているわけではありませんで、それはもちろん中国や韓国がそれぞれの国の事情で当然おやりになればいいことでしょう。
    しかし、中国や韓国や台湾の原子力発電所が増えるということが持っている非常に大きなリスクがあるわけですね。それは日本だけじゃない、いわば太平洋の東側、さっき私は環日本海ということを言いましたけれども、非常に大きな使用済燃料が蓄積され、そして、例えば2010年代に朝鮮半島の情勢ですとか、中国と台湾との関係がどうなっているかわかりませんけれども、例えば、韓国に再処理工場をつくるということについて、アメリカは非常に消極的ですね。そういう原子力という技術にかかわっているセキュリティと申しますか、軍事上のセキュリティとか、それから事故の問題等々と含めて、いわばアジアの原子力発電所が、日本周辺三国一地域の原子力発電所が2.8倍に仮に増えたとすると、それは結局、さまざまなリスクもまた日本周辺で2.8倍に増えることなんですと。
    私の議論は小沢さんとわりと近いわけであって、そういう大きな障害が来る、そういうある種の技術楽観論、テクノフィックスといいますか、技術が解決できるのではないかという楽観論は、アジアのエネルギー需要の増大、そしてアジアの原子力発電所の増大ということにかかわって、非常に鋭く日本周辺で問題が出てくる。
    逆に言うと、日本が率先して、中国や韓国はいわば日本を見習っているわけですね、彼らの原子力政策というのは。ですから、日本が原子力発電所を新設しないという、原子力発電所の建設をこれ以上増やさないという選択肢をとる、そして、十市さんなんかもおっしゃっているように、省電力、省エネルギーということについて国が、国民が本格的に取り組むといったようなことでもって、アジアのエネルギー政策を日本がリーダーシップをとって転換するという以外に、この問題から逃れる方策はないのではないかと思います。
    【佐和】 中国、韓国がそれほど日本に追随していると思われますか。逆に言えば、もし日本が原子力発電を仮にやめれば、それに追随して韓国や中国もやめるというふうにお考えなわけですか。
    【長谷川】 長期的にはそういう方向を目指すと思います。
    【佐和】 もう一点、何かあるわけですか。
    【長谷川】 はい。それからあと、立地の問題についてですけれども、内山さんは、いわば自動車事故の問題をお話ししました。それから、近藤さんは無私の心ということを言われましたけれども、じゃあ、原子力発電所の立地点の人たちが、無私の心でもって原子力発電所を立地しなければいけないのか。あるいは、青森県の六ヶ所村の人々、あるいは青森県の人々が、無私の心でもって日本中の放射性廃棄物を21世紀、22世紀と持ち続けなければならないのでしょうか。
    自動車事故だとか航空機事故と大きく違うのは、そのリスクと、そのリスクを負担するもの、そして、それによる受益を受けるものとの間に非常に大きなギャップがある。例えば、青森県の六ヶ所村の一部の地域は、電力はたしか昭和30年代ぐらいに初めて電気を使っている。そういう地域なわけですね。そして、産業もそれほどありませんから、トータルな意味での電力消費は少ない。私たち都市でもって大量の電気を使っている人が、リスクだけを無私の心でもって過疎地域に押しつけることができるのでしょうか。
    【佐和】 何人か手が挙がっていたかと思うんですが、じゃあ、近藤さん。
    【近藤】 無私の心を持て、無私の心を強制せよということを申し上げたわけじゃない。無私の心というのは、いわゆる公共政策的な立場でお願いするという、お願いする側の持つべき心のことを言っているので、受け取る側が無私の心であるかどうか、そこは私どもは了解すべからずところであると思いますので、そこはちょっと誤解がある。
    それから、いろいろなお話をされたのでどれを取り上げたらいいか悩みますが、リスクについて、先ほどのリスクが何倍かになるというお話ですが、我々はリスクを議論する場合、それはある種の意思決定をするために数字を出すわけですね。で、いまの問題は、当該エネルギー供給を確保するべく原子力を使うか、あるいはほかのものを使うかというときに、どちらがリスクが大きいか。それは当事者は真剣に悩むはずですね。
    そこで、じゃあ、例えば、石炭を使うのと原子力を使うのと、どちらがリスクが大きいかという判断が当然あってしかるべきなんですけれども、それについてはさまざまなデータが示すように、明らかに原子力のほうが少ないということはいろいろな機会に言われているわけです。もともと先ほどおっしゃった10のマイナス4乗という数字も、そもそも原子力発電がキロワット・アワー当たりの公衆のリスクを他の発電方式と比べて等しいか、それより低いという目標を十分に達成するための中間的な指標、中間的という意味は、本来は安全問題ですから、放射性物質が出て被害が起こる、その被害の大きさで議論すべきなんですけれども、設計上便利ですから、炉心損傷という被害が起きる途中の段階の確率、そういう数字を使って保守的に用意しているもので、石炭火力と同じようなリスク水準とすれば、おそらく10のマイナス2乗ぐらいの炉心損傷頻度でもいいのかなという計算も、計算上はできるわけです。しかし、先進的技術でありますから、より安全性が高い、リスク水準が低い技術にしようということで、そういう目標が定まっている経緯がある。
    ですから、確かにおっしゃるように、技術選択はリスクで議論しなければならない、そのリスクを相対で比較した上で議論しないといけない。当然、活動が増えるから、それに伴ってリスクが増えるのはおっしゃるとおりですけれども、問題は、どういう技術を選択すれば、どれだけリスクが変わるかというところの判断です。
    なおかつ、さらにもう一言だけ言えば、一般的に言いますと、現在から将来にかけて、技術のリスク水準というのは基本的には下がっていくんですね。それはある意味では当然だと思います。ですから、将来に向かって活動が増加するとリスクがそれに比例して絶対値として増えるかどうかについては異論なしとしないんですが、とりあえず申し上げたいことは、同じエネルギー供給をエンジョイするのに、それが原子力による増分だけでなくて、相対的に見て議論しないと、意思決定を間違うことがあるということだけはご理解いただきたいということです。
    それから、あともう一つ、自動車の話ですが、受益者云々の話をされる、自動車は乗っている人が自分で死ぬんだからとか、そういう話をよくされるんだけど、本当にどれだけデータを調べてそうおっしゃっているか。自動車に乗っていない人も随分被害を受けていますよね。日本で1万人死んでいる方の中で、どれだけの方が乗っていない人か。全くとんでもないところで自動車事故に遭う方もいらっしゃるわけで、そこは一概にそういうふうに言って片づけてしまうことは、非常に間違っていると思います。
    よく言われる議論はむしろそうじゃなくて、例えば、一瞬に5,000人の方が亡くなる、今度の震災がそうですけれども、そういう場合と比べると、毎日何人かずつ亡くなって、年間に1万人死ぬという方はいわゆる人間のさがだと思うんですけれども、我々のある種の心理的な結果として、サイコロジカル・ナミングと言いますけれども、しょっちゅう人が死んでいる方が何となく気にならなくなるという、そういう心理状態になってしまうということをこう心理学者が言っていますが、そういう状態になっているのかと。
    とにかくそういうさまざまな心理学的な要因の結果として、そういう選択、リスクの大小について見れば、つまりデス/イヤーという数字で比べてみると、ひどくバランスを失した関心の集中が起こるということが現実にあるわけです。そのことを私は否定しないんですけど、じゃあ、我々専門家として、社会学者として、それがあるべき選択と考えるのか、それが社会というものだと我々に教えていただくのも結構だけれども、やはり我々専門家は、いかに社会の安全水準を向上するかという観点から見ると、やはりこうしたほうがいいよと言う責任があると思うんですね。
    そういう意味で、自動車の問題をないがしろにしちゃいかん。ここで議論している最中でも、この10回の円卓会議の間にだって7,000人くらいの人が死んでいるわけですね。一方で人が一人も死んでいない原子力問題を議論している、何かおかしいというふうに思うのが普通だと思うんです。それも思えないような非人間的存在では我々はないと思うんですね。もちろん原子力問題は非常に重要です。平野さんがるるおっしゃるように、地元の方はいろいろご苦労されている。そのことについて我々は当然、誠心誠意こたえていますが、同時に、これからあと1年間のうちに死ぬに違いない一万人の方について思いを致すのも我々の責任じゃないかと私は思いますね。
    【佐和】 それじゃあ、内山さん。
    【内山】 先ほど長谷川さんから私について、車について比較を言っていると言われましたけど、私の主張したいのは、やはりリスクというのをもう少し広くとらえていくことが大事だと考えています。
    結局、一つは、アジアが原子力発電所をつくっていくということは、これは抑えようがないような方向にあるわけですけれども、じゃあ、そのリスクを下げるためにはどうするかというと、これはある意味でアジアにおける先進国である日本がその責任があると思うんですね。そういう技術をきちんと信頼性の高いものにしていく。この技術というのは、信頼性を得るために非常に時間がかかるんです。これは日本の火力発電所もそうですが、最初は事故のしっ放し。それを効率を改善しながら、信頼性を高めながら、非常に多くの方が苦労して技術を育て上げてきているわけです。
    ですから、そういうたゆまない人間の努力のもとに、技術というのは社会に定着し得るものなんですね。その努力を私たちは捨ててはまずいわけです。将来を考えて、私たちは絶えずそれに対する努力を今も続けていかなきゃならない。そういうことから、原子力発電というものが将来的に、おそらく多くの方もそう思っていると思いますが、21世紀の貴重なエネルギーになっていく。その中で、その技術をどうやって今から安全なものにしていくのか。
    現に日本の中で、これだけ安全にある程度動いているわけですから、その基盤をどうやって今後も維持し続けいき、それを世界にある意味で寄与していくか、その辺を考えていくことが非常に大事な問題だと認識しております。
    【佐和】 小沢さん、どうぞ。
    【小沢】 私、内山さんの論理は非常にそうだと思うけれども、技術論はそうなんですよ。ただ、内山さんがおっしゃた中で、今、十分にエネルギーで支えられた生活をストップするのがこれこそ混乱だとおっしゃるけれども、それもそのとおりだと思うわけです。
    しかし、大切なことは、じゃあ、そういう混乱を避けるために、ずっとそれを続けて、拡大していくことが可能かどうかという議論が、実は世界であるわけです。それで私自体は可能ではなさそうだと。これは期限を切らなくちゃいけないけれども、少なくとも50年とか100年先を考えたときに、このまま維持できないだろうと思うから、そうしたときには、維持していく、拡大していく方向自体が、実は大変な問題を引き起こす可能性があるんだということを私は指摘しているわけです。
    これは供給の話だけしていれば、ちっとも皆さんの言うのはおかしくないけれども、供給をするということは、何のためにエネルギーを供給するかといったら、経済活動をするためです。経済活動をすれば、さっきの図によって当然、廃棄物が出てきて、廃棄物の量が増えちゃって、今でも四苦八苦しているのに、それがどうなるかという話であってね。ですから、ストップするのは確かに危険だけれども、じゃあ、それを維持するために拡大できるかというと、それはできそうもないというのが、基本的には我々の科学の知識からわかった限界じゃないかと僕は思うわけです。
    そこをどういうふうにうまく限界に達しないようにするかというのも、科学者をはじめ、それから社会学者等が議論しなきゃいけない。そういう議論をして初めて、じゃあ、エネルギーをどうするかという議論をしないと、原子力をつくるんだという話になれば、当然、立地をどうにかしなきゃいけないという話になるわけだけれども、果たしてそれが望ましいかどうかというのが、最もこの円卓会議で重要な根本の議論だと思うわけです。
    【佐和】 小沢さんのその成長の限界論は、古くさい言い方をすれば、ザインか、ゾルレンか、どっちなんですか。
    【小沢】 私は別にメドウズが言っているような、あれをもとにしている言っている話じゃないんですよ。
    【佐和】 ですから、そういう成長の限界という言葉を使うのは不適切かもしれませんけれどもね。だけど、要するに、つまり、成長はやろうと思っても、いろいろな制約のもとでそれが不可能であるということなのか、あるいは、成長すると、資源のものすごく消費とか環境の汚染を伴うから、成長は押しとどめるべきであると。
    【小沢】 いや、それは両方そういうことになるわけです。自然に、例えば、廃棄物が増えすぎて、それで動きがとれなくなるという制約もあるわけですね。だから、いずれにしても、どちらの理由でもいいんですけれども、拡大はここ20年ぐらいはできると思います。2020年ぐらいはおそらく今のエネルギー体系と変わりっこないと思うわけです。だけれども、それより先は成長がいろいろな理由によってできないだろうと僕自体は思うわけです。だから、それをほかの人が、いや、できるんだというそれなりの論理を展開してくれれば、それは皆さんの言うことも理解はできると思うんだけど、その辺がちょっと明快じゃないわけです。
    【佐和】 どうぞ、鳥井さん。
    【鳥井】 個人としてちょっと小沢さんに申し上げたいんですが、私は小沢さんが展開されている議論はほとんど賛成なんですね。2050年ごろに、まあ、2050年かどうかわかりません、2100年かもしれないという感じはしますけれども、そういう状態にならざるを得ないだろうという、これは私は賛成なんですね。
    だけど、現状があるわけですね。こっちとこっちだけを議論したのではだめでして、そういう状況へどういうプロセスを通っていくかということを議論するべきであって、下手をしますと、最後まで頑張っていって、カタストロフィックに落ちてだめになるよという議論もあり得るわけですね。
    そこで、私はある意味では原子力について、これをなだらかしてくれる、非常に悲惨な状況を起こさないで、望ましい、人口が少なくてサステーナブルということしか成り立たないんだと思うんですね、人口がかなり減ってきて、それでサステーナブルな状況に入っていくプロセスをなだらかにするためには、ある程度のエネルギー源というのを確保する必要があるのではないかという感じがしているわけです。
    そこのプロセスをどういうふうに持っていくのかという議論であって、そこで戦争して取り合いをして、そういう状態に持っていくのか。飢饉が起こって、餓死をして持っていくのか。それとも、だんだんみんなが生活が豊かになって、子供が要らなくなって、そういう状態へ持っていくのか。そこの選択の議論のような気がしているんです。
    【小沢】 よろしいですか。おっしゃるとおりで、私はそういう意味では鳥井さんと全く同じなわけです。つまり、我々は人間ですから、生きる条件というのはもう決まっているわけですよ。我々の子供たちも同じなわけですよ。だから、そういう基本的なこととか、幾つかの経済活動とかを考慮に入れてイメージするという、それがあって初めて、そこへどうやって到達するかという議論を、それこそ人間の英知を傾けて議論をするということが実は必要なのであって、その手段なんていうのは今、私自身は持っていないし、世界がそれを今やろうとしていることなんです。
    この発想というのは、私はフォーカーストじゃなくて、バックカーストという発想だと思うわけです。つまり、目標を定めて、現時点の技術・知識を総動員して、その目標にどうやって迫るかということを、私は世界が真剣にやっていると思うわけです。ところが、フォーカーストでこう行くという話になっちゃうと、これはちょっと僕は意味が違うんだろうと思う。
    【佐和】 ちょっと、議論があまりにも立地問題から遠ざかり過ぎていますので。
    長谷川さん、どうぞ。
    【長谷川】 原子力、このリスクの問題を、やっぱり立地の問題に即して議論する必要があると思うんです。そうすると、私は近藤さんに再反論したいのは、自動車事故というのは、確かに運転する側はリスクを承知で運転している。それで、その自動車事故に、いわば車を運転しているわけではないけど巻き込まれる人というのはいるわけですけど、これはあくまでも個人なんです。もちろんその地域的に、例えば信号機がどうのとか、道路の構造がどうのという、そういう地域構造とのかかわりである道路が事故が多いという問題はありますけれども、ところが、基本的に個人の問題として考えていいような問題、そしてそれは地域の将来や何かとかかわっていない問題である、そういう自動車事故と、原子力発電所を引き受ける、そしてその原子力発電所に使用済燃料が蓄積されていくという問題は、やっぱり根本的に違うわけです。
    それは、10キロとか20キロの範囲の地域の運命というものが、100年ぐらいにわたって原子力の町として固定されてしまう。そして、よく議論されているように、交付金依存的な地域構造になってしまうとか、例えば東海村のお話がありましたけれども、一種の原子力城下町のような町になってしまうとか、この70年代後半以降、日本全体で非常に内発的な地域おこしの動き、それから、地域づくりというのは結局人づくりなんだというさまざまな動きがあるわけですけれども、原子力施設の立地点で、そういう内発的な地域おこしの試みというのはほとんどないわけですね。そういう意味でも、地域の内発的な発展も阻害する、いわば地域の問題であるもの、そして自動車事故と原子力の違いは、それがやっぱり100年、さらに地域が固定されるという問題をどうお考えになるのか。そういう世代的な、地域的な不公平というものが原子力には根本的にあるのだという問題を、どういうふうに立地に即して議論されるのかということが私たちに問われているのではないでしょうか。この議論の後ろには、立地点の人々の問いかけがあるわけです。
    【佐和】 この立地の問題についていろいろご意見をいただいたわけですが、今、とりあえず4点に整理して申し上げて、そしてあと5分か10分ぐらい突っ込んだ議論をしたいと思います。
    一つは、最初に長谷川さんのおっしゃったことですが、どうも、いわゆる電源交付金とか、そういった在来型の手法というのは通用しにくくなった。これは、日本が豊かになったということで、つまり電源交付金というものがそれほど魅力的なものではなくなったということですね。それが一点です。
    それからもう一点は、これは松浦さんが、必ずしも具体的にはおっしゃらなかったわけですけれども、やっぱり東海村というのはパブリックアクセプタンスが非常に高い。ですから、その他の地域とはどうも東海村はどこか違う。そこのところを少し突き詰めてみる必要があるんじゃないか。やや抽象的な言い方だけれども、東海村の村民は、原子炉のあることにある種の誇りを感じているようにも見受けられるというご指摘もございました。
    三番目は、十市さんのご発言なんですが、原子力発電の必要性を認めつつも、しかしノット・イン・マイ・バックヤードというんでしょうか、すぐ自分の裏庭につくられるのは困るという人が多いというご指摘ですね。これは人間の心理としてやむを得ない面があると同時に、やはりそういう立地の問題を考えるに当たって、これは近藤さんのご意見の中にもあったわけですが、何か公共性みたいなものを取り込んだ発想を展開する必要があるんじゃないかということです。ですから、さっきの公共性ということを、やや過激な表現かと思いますが、近藤さんは「無私の心」という表現をなさいましたけど、いわゆる私と公共ということの折り合いをどうつけるかということですね。
    それから四番目が、今、長谷川さんのおっしゃったことですが、自動車事故と原発事故というものを対比させて、近藤さん及び長谷川さんからご発言があったわけですが、やはり自動車事故の場合は個人だけれども、これは地域の問題だということです。つまり、もし何かが起これば被害を受けるのは地域だし、あるいは地域が、原子力発電所があるために、例えば公金依存体質が育まれるとか、あるいは今後何十年にもわたって固定化するとか、そういった問題点が指摘されたわけです。
    以上四点ぐらいが、この立地をめぐって皆様方からいただいた論点ではないかと思うんですが、これを前提にしてもう少し具体的に、じゃあ今後、立地をどういうふうに考えていけばいいのか、あるいはさっきの公と私の問題ですね、どういうふうに折り合いをつければいいかということについて、何かご意見があれば。
    松浦さん、さっき手を挙げていましたね。
    【松浦】 先ほど内山さんからエネルギー、特に電気エネルギーが重要なものだと思いますけれども、エネルギーは基本的に非常に重要なものだと言われました。私は、東海村の人々は、どちらかというと、原子力を受け入れて、そして育ててきたことに誇りを持っていると言いました。変な例で恐縮ですけれども、それぞれの地域がある特産品を持っているというのは、今まで歴史上いっぱいあるわけです。焼物の町であるとか、織物の町であるとか、果物のおいしいものを出している町であるとか。それぞれの地域がそれぞれの特産品を出しているというのは、それぞれの地域にとっては非常に誇りであるわけです。今でもそうだと思います。そのことに100年固定されるのかというお話が今ありましたけれども、焼物の町が300年続いても、それに固定されているという抵抗感は僕はないと思うんです。
    じゃ、原子力発電所の製品は何だといったら、電気ですね。電気は、それこそ現代社会における非常に重要な生産物なわけです。その重要な生産物が、地域の特産品としてなぜ誇れないのか。それはやっぱり、どうもそういう観点で電気というものを考えたことが皆さんないのではないか。これから、一つとしては、地域の原子力発電所、あるいは原子力発電所に限らないかもわかりませんが、そういうエネルギー立地のところが、エネルギー源を我々が出している拠点であるという誇りが持てるような仕組みを、しかもそれが長期間にわたってできるような仕組みを考える必要があるのではないか。それは、いろいろな方式があるでしょうけれども、やっぱりそこの地域の人がその中で働くということを仕組みとして考えることが一番重要じゃないか。
    東海村の場合、たしか原子力が来る前までは人口が1万1,000人ぐらいだったと思います。現在は3万6,000人になっています。そして、その3分の1以上ぐらいは原子力事業者と関係がかなり深い、実際に働いているとか、親戚があるとか。そういうことで、非常によく理解もあるんでしょうけれども、それ以上に、やっぱり原子力を受け入れて初めての拠点になった、そして我々はそれをずっと育ててきたという中で、そういう誇りが育まれたのではないか。
    したがって、これからも地域に原子力発電所をつくるときには、その原子力発電所が一つのそこでの誇りのもとになるような形で人々が働けるような、そういう工夫を一生懸命するというのがポイントの一つとしてあるのではないか、そういうふうに思います。
    【小沢】 じゃあ私、松浦さんにちょっとストレートな質問をしたいと思うんですが、今までご説明あったことはそのとおりだと僕は思うわけです。そして、原子力を進めるに当たって、とにかく原発をつくらなければいけない。いろいろなところが嫌だ嫌だと言っているわけですね。そうしたときに、改めてこの時点で、東海村に、じゃあ原子力発電所の新しいのを1基とか2基つくりましょうと、こういう具体的な提案をされたときに、松浦さんが今まで東海村を観察してきたようなことがそのまま、やっぱり通じるような感じなんでしょうか。
    【松浦】 そういう問題に私が直接答えていいかどうかは別として、私の個人的な感じとして申し上げてよろしければ、比較的簡単にというか、比較的理解よく受け入れていただけると思います。
    【小沢】 そうですか、ありがとうございました。
    【佐和】 近藤さん。
    【近藤】 今、長谷川さんからリスクの問題で私にご質問というか、ご意見をいただいたと思うんですが、交通事故と全く違うんだということで--全くとはおっしゃらなかった。私の議論は、交通事故の問題については現実に1万人からの人が毎日--毎日とは言わない、毎日は100人ぐらいですが、死んでいるという事実に、もう少し我々は心の痛みを感じつつ議論をしたほうが、あれは全く関係ないと、そういう発言をしないほうがよろしいんじゃないでしょうかというのがまず第一に申し上げたいことです。
    それで、問題はリスク論なんですが、私は長谷川さんのおっしゃることはよくわかるので、原子力発電所を立地するということは、そのリスクが大きいか小さいかとは別に、そういう原子力発電所にかかわるリスクをともどもそこへ立地するということになるということは事実です。で、問題は、我々の生活空間にはさまざまなリスク要因があるわけですから、そのリスクがその中で那辺の位置を占めるかということ。これは、当然に十分小さくあるべしということについては、どなたも異論ないわけですが、問題は、原子力発電のリスクがどのぐらいのリスクというふうにお互いが納得、理解をしているかということ思うんですね。
    実は、ここが、いわゆる情報公開とかそういうことにつながってくるわけです。発電所を立地することで、その地域に一体どれだけの原子力固有のリスクが生ずるかということについては、さまざまな解析があり、私どもの理解、計算では、それが、極めて小さく日常生活におけるリスクの中でおよそ無視できる小ささになるように設計し、運転するようにしてあるということです。それは、例えば日本全体で5~600炉年ぐらいですか、そのぐらいの運転経験も、そういう振る舞いをしているという傍証として取り上げて説明できるかなと思っています。
    ですけど、問題は、立地の問題に戻るわけですが、いかに小さくても原子力と名のつくリスクは嫌だと言うのは、そういう自由は当然おありなわけでして、そこが私の申し上げたかったことでして、我々工学者は、安全を説明できるわけじゃないわけです。リスクの大きさを説明できるわけですね。リスクはこれだけ小さいですよということを言えるだけで、これは安全だという看板をつけるわけにはいかん。安全というのは、最終的には個人が、これは安全だと思っていただかないことにはしようがない。思っていただくことについては、我々はデータは提供できるし、若干のエビデンスは提供できる。ですけど、それを思っていただくかどうかは別問題だということは当然なんです。
    したがって、私の立場では、原子力のリスクはおよそ皆さんが生活していく上でさまざまに経験されるであろうリスクの水準からしたら十分低い水準になっていると考える。もしご要求があればもっと低くすることもできましょうと、そういう技術要素を立地することについては、そういう可能性も含めて受け入れ方についてご判断をくださいという以外にないわけです。しかし、それが、さっき言ったある種の社会計画性から考えて、そうしたものがどこかに置かれることが必要であるとすれば、ぜひに日本全国、あるいはその後世のために引き受けていただけませんかという交渉をするのだと私は思います。
    【佐和】 長谷川さん。
    【長谷川】 松浦さんが、瀬戸物と原子力とはどこが違うんだろうかと。原子力を、いわばその地域の一村一品運動みたいな、我が町の一つの個性として原子力をということをおっしゃったんですけど、私は、今日集まっておられるパネリストの方々が、一体、立地点というのをご自分の足でどれだけお歩きになったことがあるのかどうか。平野さんは多分あきれておっしゃらないんじゃないかと思うんですけれども、単に事故のリスクだけではなくて、例えば巻町の場合27年間、私は女川町から60キロの仙台市から今日参りましたけれども、女川町の場合も二十数年、三十年近い、原子力の誘致が持ち上がったときからの、兄弟だとか親族を巻き込んだ、地域を二つに分けるような、そういうさまざまな葛藤があるわけです。そういう立地点の重苦しさ、そして私は、日本の場合、原子力の問題というのは、いたるところでエネルギー問題を論ずるとき、常に原子力について賛成か反対か、いわば踏み絵を踏まされるわけですけれども、立地点では、どういう思いで原子力に接するかということを、みんなが踏み絵を踏まされている。兄弟や親子の間で意見の対立がある。そういう重苦しさを何とか打破しようという動きがあの巻町の、自分たちで住民投票しようという動きなんですね。
    そういう、いわばその地域の抱えている重さというものを私たちが受けとめないで、何かのん気に自動車事故とあれするとか、電力を特産品として考えたらどうですかと。電力というのは、いわば普遍的な技術なわけでありまして、原子力というのはある種の普遍性があるわけでありまして、地域の外側から外在的に持ってこられた技術なわけです。地域の内在的な、例えばどういう地質になっているとか、木がどんな木だとか、そういう地域の個性なんかと全く結びつかないような、外から巨大技術が来る。私たちは、そういう地域の実情に即してこの立地の問題を論じない限り、今日の円卓会議は、立地点の市町村長の方々とか住民の方々に、こういう議論では私は恥ずかしいと思いますよ。
    【佐和】 平野さん、何かございますか。
    【平野】 ある意味で長谷川さんと同じような感じを持っているわけですが、一番の問題は、今まで30年近い形で原子力政策を国が進めてきたわけですね。そのことについての反省というものを、やっぱり率直にすべきではないのか。今までの延長線上でただ交付金を、制約があったから、今度は制約をある程度取り外して、もうちょっと期間も延長してというような形での対応ではなくて、なぜ25年なり30年なりやってきた中で、なおかつ立地地域の市長さん方が今、改めて、原子力政策が従来のままでいいのかどうかを議論してほしいという要請をしたのかということを、もうちょっと率直に、国なり、あるいはここに並んでおられる近藤さんにしても鈴木さんにしても、今まで立地を進めてきた中での技術的な、ある意味ではリードをされてきたり、あるいは安全審査の過程の中でご意見を出されてきた方々、内山さんの場合には、それを進めてきた電力の立場でエネルギー問題を取り上げてきた方々、この方々が、今までのやり方の中では、こういう面を率直に反省をしております、これを今後はこういう形でやりますというものが打ち出されてこない限りは、私は、立地地域でこれ以上の原子力との共存はごめんだということで、巻町と同じような動きがまだまだ出てくると思います。
    【佐和】 近藤さん、どうぞ。
    【近藤】 父親にまた叱られているような。つい最近もしかられたばかりなので。(笑)
    お叱りいただくのは結構なんですが、対案がいつもモラトリアムであり、凍結です。凍結というのは、凍結のための凍結にしか聞こえないんですね。その総ざんげせよという議論は、学生紛争のときによくあったんだけど、それもまたあまり生産的でない議論だと思うんです。今、例えば佐和さんが総括をされて、そういう利益誘導型の立地方式は限界であると。そのときに、じゃあどういう方式で進めるか。したがって、もう原子力をやめろという、それも一つの提案だと思いますけど、それから10年モラトリアムしてというのは、つまり、新しい方式を考えるために10年間頭を冷やしましょうという提案だと、そういうことをおっしゃるならそれでも構いません。その辺の具体的なご提案をいただくことが僕は大事だと思うんです。
    しかし私は、先ほどから申し上げているように、やはり世の中というのは個々具体的な拠点拠点で、それぞれの方が誠心誠意努力をして、お互いに共通できるところを見出していくという個別具体的な努力なくしては、変わっていかない、そう信じていますので、モラトリアムには必ずしも賛成ではない。やはり個々具体的に、問題を抱えているところが新しい考え方を世の中に提起をしていく格好で努力をしていただくのが最善ではないかと思っているものですから、モラトリアムや凍結論には賛成いたしませんが、私の立地問題に対する理解、立場はそういうことなんです。
    【佐和】 何か対案ということで。
    【長谷川】 今日の討議メモの34ページに、私の提案をしているんですけれども、日本では、今、建設中の原発が3基あるんですが、柏崎刈羽6号機は試運転中でもう完成しているわけですね。残り2基が完成間近でありまして、それから一週間前に女川原発の3号機の工事計画が認可されまして、形式的には着工ということになったわけですけれども、本格的な着工はまだなされていない。ですから、今、私は、原子力発電所が建設、3基ですね、完成にほぼ近づいていて、新しい原子力発電所がない今の状態というのは、私は原子力発電所の建設をモラトリアムするのに非常にいいタイミングではないかと思うんです。逆に言うと、だからこそ今どんどん原発をつくらなきゃ困るという議論ももちろんあるんでしょうけれども。
    近藤さんがおっしゃったことに対する私の意見なんですけれども、つまり原子力政策をめぐって、あるいは原発の立地をめぐってコンセンサスをつくるということは、私は幻想じゃないかと思うんですね。つまり、フランスのことはあまりよくわかりませんが、イギリス、ドイツ、スウェーデンで、原子力を新しくつくる、あるいは--スウェーデンはちょっと事情が違いますけれども、例えばドイツで原発についてコンセンサスをやっぱり得られなかった。
    私は、先ほど言いましたように、地域間の非常に大きな不公正、不公平、それから放射性廃棄物に象徴されるように、世代間の不公平という問題を掲げた原子力発電所について、いかにパブリックアクセプタンスをはかろうとも、いかに電源開発交付金を運転が終わるまで続けるという新しい交付金の制度にしたとしても、原発立地地点において、特に新設の原発立地地点において、そして仮に例えば国民投票をやったら、国民的な規模で原子力発電所を今とめるということについて、もちろん社会的な合意は困難でしょうけれども、原子力発電所を間もなく完成する3基までにして、ですから、軽水炉レベルで言うと51基ですか、東海1号機をとめれば50基ですかね。軽水炉50基体制でもって、日本はこれ以上モラトリアムすると。
    それについて、例えば内山さんとか近藤さん、あるいは十市さんのように、エネルギー問題について非常に心配だという方がいらっしゃるでしょうから、私は、例えば5年とか10年間、今、近藤さんが頭を冷やしてとおっしゃいましたけれども、5年間なり10年間なり、年限を区切って新規の原発着工はやめるという、こういうモラトリアムの提案というのは、私はかなりの国民が社会的に合意可能なのではないか。そして、そのことでもって何をすればいいかというと、今、私は本当に必要なのは、原子力発電に関する社会的合意ではなくて、エネルギー政策についての社会的合意だと思うんですね。二酸化炭素、CO2の問題、それから省電力、省エネルギーについての社会的合意が必要なんです。
    ところが、この原子力発電の問題というのが、過度に政治的な問題であるために、いわば原発推進か反対かという、一種の踏み絵的な役割を果たしているために、エネルギーが足りないんです、電力をどうしますかというアピールが、あ、これは原発を増やしたいために、あるいは核燃料サイクルをやりたいための議論なんだなという形で、それが過度に政治性を帯びている。この円卓会議の中で、しきりと学校教育の現場で原発の問題を取り上げましょうと、それからもうちょっと何とかマスメディアが公正な報道をしてくれという議論があるわけですが、マスメディアは一体どういう態度をとれば公正な報道になるんでしょうか。それから、この原子力発電の問題やエネルギー問題になぜ社会科学者がコミットしがたいのかといいますと、それはやっぱりこの原発賛成なのか反対なのかという踏み絵を踏まないと議論ができないというところにあるわけですね。
    そういう意味で、原発建設モラトリアムということについては、年限を区切ったモラトリアムであれば、かなりの社会的な合意が得られるであろう。そうすれば、省電力について国家的に対応することが可能になるのではないかと思います。
    【佐和】 ちょっと確認しておきたいんですけれども、ここでおっしゃるモラトリアムというのは、さっきおっしゃったように、エネルギー政策に関する国民的合意が形成されるまでモラトリアムするというのではなくて、最初から、さっきおっしゃったように、5年とか10年とか期間を決めて、その間に徹底的に議論するということなんですね、合意形成に向けてと。
    【長谷川】 はい。ですから、例えば省電力なら省電力の効果、やっぱり夏の最大ピークをいかに抑えるかということだと思うんですが、そういうことが、現状で抑えるというような、細かくは私のこの34ページ、35ページに書いておきましたけれども、そういう形で、省電力政策との絡みでもって、10年間なら10年間モラトリアムをやるということはいかがでしょうか。
    【佐和】 内山さん、どうぞ。
    【内山】 今の長谷川さんの意見なんですが、盛んに世代間とか地域間の不公平さというのを、原子力について言っているんですが、私は、そういった問題というのは原子力だけじゃないと思います。今、原子力をやめれば、結局、世代間に対しての不公平さは、将来の子孫にその安全性のつけを回すわけです。まずそれが第一点ですね。それで、今ここで原子力をやめるということは、当然、火力発電所をつくることになります。そうすると、火力発電所をどこにつくるんですか。今度はそのつくった人たちにつけを回すことになるわけです。
    ですから、そういう点から言いまして、これは、今、我々はどうしたって痛みを分かちあわなきゃならない立場にあるわけです、いろいろな形で。これは、今の社会を営むためには、将来の子孫のためには、あるいは地域間といっても途上国の問題等を考えれば、私たちだけが痛みを受けないで、今、いいエネルギーだけ使ってしまいましょう、将来の子孫には悪いエネルギーだけ残しましょう、不安のある原子力を将来に残しましょうと。だって、今、石油、天然ガスを先に使ってしまえば、経済原則からそうなるのは決まっているわけです。そうなると、結局、子孫へのつけ回しなんですね。ですから、そういう問題も含めて、世代間とか地域間という問題を話し合わなきゃいけない問題なんですね。原子力だけにそれを特化していくというのは、非常に狭い範囲の見方だと私は思います。
    【佐和】 十市さん。
    【十市】 私のメモの32ページに、若干今の関係した私なりの考え方が書いてありますが、それをちょっと見ながら簡単に意見を述べてみたいと思います。
    この問題というのは、従来から随分議論がなされてきている問題だと思うんですけれども、私自身は、モラトリアムを今すること自体にはあまり賛成じゃないんです。ただ、これから将来の日本のエネルギー供給、あるいは電力供給はどうあるべきかということについては、いろいろなオプションといいますか、選択肢があり得ると思うんですね。それをもう少しきちっと、ここにありますように、複数のシナリオを提示して検討して、そこで、例えばモラトリアムということをやった場合には、どういうエネルギーで供給できるのか、あるいはそれが経済的にどうなるのか、環境面でどうかと、いろいろな総合評価をしなくちゃいけませんし、そういうことを複数のシナリオを比較検討した上でどうあるべきかという議論をもっときちっと詰めるべきだと思うんです。
    例えばスウェーデンが今まさにそういう議論をやっていると思うんです。2010年までに原子力を段階的に廃止するというプログラムに基づいて、いろいろな複数のシナリオをつくって、それぞれのケースでどういう問題が起きるか。CO2問題がどうなるか、あるいはコストの面では非常に高くなるじゃないかと、今いろいろな議論がなされていますね。そういうことを含めて、もう少し幅広く検討すべきではないか。ある特定の考え方でモラトリアムをやるんだ、あるいは今までやってきた路線をそのまま継続するんだということをアプリオリに決めるのではなくて、複数のシナオリを含めて、もう少し議論を詰めた上で、供給、需要サイドも含めてやるべき。それをやらないと、この議論は何十年もやっておりますし、もちろんこの間、環境は変わってきているとは思うんですけれども、なかなか最終的に一つのある程度の考え方、コンセンサスといいますか、そこに到達しないんじゃないかなと、そんな印象を受けております。
    【佐和】 ちょっと時間の関係で、また後半ご発言いただきます。
    今、十市さん、何となく全体をしめくくるようなご発言だったので、これをしめくくりの言葉にさせていただいて前半を終わりたいと思うんですが、原子力をめぐる国際情勢とか、行政のあり方については、そこまで議論が及びませんでしたけれども、また後半に、折りに触れてこういった問題についてもご発言いただきたいと思っております。
    それでは、これで前半は終了いたしまして、後半は3時45分に再開するということにさせていただきます。どうもありがとうございました。

    (休 憩)


    【鳥井】 それでは、後半の議論に入りたいと思います。後半は、私、鳥井が議事進行役を務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。引き続き活発なご議論をいただきたいと思います。
    後半は、もう一つのテーマであります核燃料リサイクルの意味について議論を行いたいと思います。議論の前に、お手元の資料3というのをごらんいただけますでしょうか。これは、私なりに、今までの議論を踏まえて、先ほど佐和さんがお出しになったのと似たような論点を整理したものでございます。これまで、7回目と9回目に核燃料リサイクルの議論があったわけですが、その中で、議論の対立点といたしまして、リサイクルの資源、環境、核拡散の視点からの評価、二番目がリサイクルのコストパフォーマンスの評価、三番目がプルサーマルのコストパフォーマンス、四番目がFBRの安全性の評価、5番目がFBRの評価、6番目がバックエンド問題に対する評価と、こういうことでございます。
    それぞれ賛成というような方からどういう議論があったか、反対というご意見の中からどういう議論があったかというのを挙げてみますと、1番に関しましては、資源的に100倍程度になり、廃棄物の量を減らせるし、直接処分よりも核拡散の危険が少ないんだ。こんなご議論があったように思います。それに対するご議論としては、資源論だけで論ずるべきではない。廃棄物は減少しないし、気体放射能が放出されて環境に悪い。これは再処理の工程のことだと思います。それから、プルトニウムは戦略物質であり、輸送の問題もある。こういうご議論でした。
    二番目の、リサイクルのコストパフォーマンスにつきましては、一方は、長期的な視点に立てばリサイクルこそ有利だ。逆のお立場からは、国際関係から見ると、トータルとしてのエネルギーセキュリティーは悪化するんじゃないか。総合判断をすると、有利ではなく、人的資源や環境資源、その他のコストがかかり、コスト高になる。こういうご議論でした。
    さらに三番目のプルサーマルのコストパフォーマンスにつきましては、再処理で得られたプルトニウムを軽水炉で燃やすことが、核拡散上も適切である。プルトニウム利用の基盤技術を維持するには、プルサーマルが最適である。プルサーマルには諸外国で十分な実績がある。燃料の有効利用につながる。こういうご議論がありました。反対の立場からは、燃料の利用効率は2倍ぐらいにしか上がらないのに、処理しにくいアクチノイドができてしまうし、燃料輸送、核拡散、情報公開など、社会的な課題を複雑にしてしまう。こういうご議論でした。
    それから四番目のFBRの安全性の問題について、これも相当のご議論があったわけですが、賛成の立場からは、諸外国はナトリウム事故を起こしているが、その後、技術は進歩している。「もんじゅ」の事故は技術的には大事故ではない。反対の方は、ナトリウムというのは制御できないんだ。地震に弱い。高速増殖炉自体が地震に弱い。世界はナトリウム事故を起こして撤退している。暴走しやすいため、一つ間違うと大きな事故につながる。「もんじゅ」の安全審査は甘かった。高速炉は50年やってもまだできていないじゃないかと、こういうお話でした。
    さらに、5番目のFBRの評価に関しては、平和利用という側面から、FBRを完成する役割を日本が負っている。資源の有効利用という観点から、増殖炉でプルトニウムを利用することは不可欠だ。反対論の方は、2050年にFBRが5基動いたとしても、日本中の1%ぐらいだ。メリットに比べコストが大き過ぎると、こういうお話でした。中間的なご議論として、プルトニウム利用の技術の選択肢並びに資源の選択肢の一つでない、今の形と別な利用法があるのではないかというご議論がありました。
    さらに6番目のバックエンドの問題に関しましては、これは議論が対立というよりは、現実に使用済みの燃料が発生しており、世代責任として処分を真剣に考える必要があるという点では合意があったように思います。対立点としては、将来的に原子力を増やすことを前提に考えるか、将来の原子力利用と切り離して世代責任の議論をするか、こういうところは対立だったように思います。さらにバックエンドの見通しが立たないなら、原子力をやめるべきだという視点も対立があったように思います。問題点としては、バックエンドの将来計画が見えてこない。技術的にはともかく、社会的に答えが出ないのではないか。技術は確立しているのか。さらに、なぜ青森だけだと、こういうご議論もあったように思います。
    これらの論点を考えた上で、四つぐらいの視点のご議論をいただければいいのではないかと感じております。リサイクル路線の利害得失はどうだろう。現在の使用済燃料、放っておけばどんどんサイト内にたまる可能性があるわけですが、そういったことを含めてご議論をいただきたい。二番目は、プルサーマルの意義と問題点、三番目がFBRの安全性と意義、四番目がバックエンドを考える場合、何を考えなくちゃいけないのか、そういった問題をご議論いただければいいと思います。
    特にこの四点に関してご異議がなければ、こんな問題を取り上げさせていただきたいと思います。どれから議論をするというようなことを決めずに、議論の自然な流れに沿って、この四つのあれをカバーするような議論をしたいと思いますが。
    どうぞ、小沢さん。
    【小沢】 簡単なことを一つ、どなたでもいいんですが、私、質問したいんです。
    私は、実はこの原子力の話は5年間ぐらいちょっと見ていませんでして、たまたまこの話が私のところに来て、そして科学技術庁から1キロばかりの資料がどーんと来たわけです。そのときに、私も一生懸命見ました。こういうパンフレットを見たわけです。ところが、私は一瞬、これは誤字脱字のたぐいじゃないかなと思ったのは、この中に「核燃料サイクル」という言葉と「核燃料リサイクル」という言葉が出てくるわけです。核燃料サイクルというのは、これはもう私の知っているずっと昔からこの言葉はあったので、ところがよく見たらリサイクルなんて書いてあって、これはリが余計なんじゃないかと思って見たら、原子力白書にもリサイクルと書いてあるし、結構書いてあるわけですね。だけど、私の理解では、これは比較的最近こういう言葉を使いだしたんじゃないかなという気がするんですけれども、どうなんでしょうか。
    【鳥井】 どなたか、どうでしょう、原子力委員の方にお答えいただきましょうか。
    【小沢】 だれでも結構です、わかっている方に。そして、もし新しい言葉だとしたら、何でこんな言葉が出てきたのかという理由を聞きたいと思います。
    【伊原】 新しい言葉でございます、数年前に。それは、考え方としましては……。
    【小沢】 済みません、何年前ぐらいですか。
    【伊原】 原子力白書では、前回の長期計画でも使っていますかね。そうすると、六、七年……。核燃料サイクルという考え方は、ウラン鉱石を掘って、それを精錬・加工して、原子炉に入れて、再処理をして、また燃料として使って、放射性廃棄物を最終処分する全部を今まで核燃料サイクルと考えておって、現在でもそれはそれでいいと思います。その中で、特にプルトニウムを燃料として再使用すること、つまり全体の核燃料サイクルのいわば一部といいますか、それを特に核燃料リサイクルと呼ぶようになったと私は理解しております。鈴木先生、そんなことでよろしゅうございますか。鈴木先生のほうがお詳しいので。
    【鈴木】 私の理解している範囲というか、理解を申し上げますと、今の伊原委員長代理がおっしゃったことと同じことなんじゃないかと想像いたしますけど、私もちょっと資料を用意しましたので、後でそれに基づいてご説明いたしますので、そのときまたわかっていただけるんじゃないかと期待しますが、核燃料サイクルというのは、おそらくアップストリームからダウンストリーム、さらにはリサイクルして回す部分、すべてを言う場合に核燃料サイクルと言って、リサイクルという場合は、そのサイクルの中で、リサイクルする部分を強調しているときにそういう言い方になっていると思います。
    【小沢】 もう一つそれに関連してお聞きしたいんですが、これは国際的にもそういう言葉になっているんですか、それとも日本国内だけでそういうことになっているんですか。
    【鈴木】 資源のリサイクルという言葉は、別にそういう一つの……。
    【小沢】 資源はそうですけど、この核燃料リサイクル、これも……。
    【鈴木】 核燃料サイクルも、リサイクルという言葉は……。
    【小沢】 つまり原発の関連で、例えばIAEAだとか、そういうところでもこういう言葉を使っているんですか。それとも日本だけなんですか。
    【鈴木】 いや、使っているところは使っていると思います。そんなにその言葉が大きなコンセプトの違いを言っているのではないと思います。
    【小沢】 しかし、私が思うには、この核燃料サイクルという言葉自体は、これは国際的にも、日本でも、大分前から当然のこととして使われていた話ですけれども、これは比較的僕は新しいような気がするんですね。
    【鈴木】 ですから、実際リサイクルという……。
    【鳥井】 済みません、記録の関係で、発言の前にちょっとお名前を言っていただかないと、後でどなたの発言かわからなくなっちゃうことがありますので。
    【小沢】 あんまり私、詳しいことは必要ないけれども、ただ、なぜこういうことが、比較的新しく出てきたんじゃないかなという疑問があっただけで、お聞きしたわけです。ですから、これ以上別に議論は必要ないと思います。
    【鳥井】 それでは、先ほど四つテーマを、論点をあれしたわけですが、ご議論いただければと思います。どなたか。
    鈴木先生、どうぞ。
    【鈴木】 それでは、せっかくですので、私、今日鳥井さんのほうから問題提起をしていただいた件、これは今見せていただきましたので、必ずしもこのとおり、これに即して意見をまとめてみた資料ではないんですが、お手元に資料4の次に4枚つづりですか、4ページものの資料が配られていて、実は、私が準備させていただきました資料は最初の1ページ目だけでございまして、2、3、4については東北大学の長谷川さんの資料ですので、おそらく論点といいますか、かなり内容的に違うものだと思いますので、混同されないようにしていただけたらと。いや、これは私はどちらでもいい--どちらでもいいという言い方はおかしいですけど。(笑)私の資料の一部はこうだとか、あるいはその逆だったりすると、少なくとも長谷川さんにご迷惑をかけては申しわけないので。
    私が一枚その資料について、ちょっと順番に簡単にご紹介させていただきたいと思います。
    まず、日本の原子力開発利用政策、特に核燃料サイクル政策、ここは核燃料サイクルということは、私は要するにサイクル全体を見ているという意味なんですが、原子力の必要性については、先ほどちょっと議論にございましたが、安全性に対する不安感などから、積極的ではないにしても、国民の大多数の人は依然として認めている。必要性については、比較的おわかりいただけているんじゃないか。しかし、その進め方は、私個人の意見ですが、新しい時代や情勢の変化に即して変革していかなければならない。
    軽水炉サイクルから高速炉サイクル--これが要するにサイクル、こういう場合にサイクルという言葉を私は使うんですが-に向かうという技術的選択は、資源保護と環境保全という長期的視点から見て妥当なものと考えられる。諸外国において高速炉サイクルへの熱が冷めているように見受けられるのは、社会的に長期的視点をとりにくくなっていたり、軽水炉サイクル自体も順調でなかったりするためである。これはなぜかというのは、先ほど、私は十市さんのご説明が一番適切じゃないかと思いますけれども、私もほとんどそのような認識でございます。
    そこで、まず高速炉サイクルの進め方なんですが、長期的に高速炉サイクルを目指すとしても、高速炉の増殖性や、炉開発の連続性にこだわったりするのはいかがなものか。高速炉の特徴は、増殖性以上にサイクルの柔軟性にある。また、「もんじゅ」の事故で明らかなように、その実用化へのかぎは、放射能や放射線に基づく安全性というよりも、より安心できるナトリウム技術の習得にある。高速炉の開発計画は、「もんじゅ」の事故の教訓を生かすとともに、核拡散に関する国際的懸念の増大にも配慮しつつ、新たに再構築すべき時期に来ているのではないか。
    若干補足させていただきますと、炉開発の連続性というのは、これは連続性という言葉が適当かどうか私はあまり自信がないんですが、いわゆる原型炉、実証炉、実用炉という段階を経て、初めて実用化が成立するという考え方、これは古典的といいますか、これまではそういう考え方で各国とも進められてきているんですが、これまでのいろいろな研究開発の経過、成果等々を生かすならば、むしろそういう図式にとらわれずに、新しい考え方を打ち出すべき時期に来ているんじゃないかと、そういう意味でございます。
    次に、第三点目は、軽水炉サイクルの実施ということで、海外に委託・再処理されて回収されたプルトニウムが現実に存在することを考えると、それを海外でMOX燃料に加工して日本の軽水炉で再利用、これを俗にプルサーマル利用と言っているわけですが、再利用できるようにすることは、国内的ばかりでなく、国際的にも緊要の課題だ。また、青森県の六ケ所村に建設中の再処理工場については、将来的に日本の核燃料サイクル計画の中心的役割を担うもので、これを着実に進めていくことが肝要だ。他方、プルサーマル利用をした場合の使用済燃料の取り扱いについては、発電所敷地内に貯蔵してからの計画が明らかになっていない。使用済みMOX燃料の再処理技術に関する技術開発の場として、東海村の再処理工場を活用する方策を具体的に検討すべきではないか。
    後半につきまして、これは既に、東海村の再処理工場は、六ケ所村の再処理工場が操業開始するころになれば、その研究開発といいますか、技術開発といいますか、そういうことを主たる目的に考えるというふうに計画ではなっていると思いますが、そういうことをもっとはっきりと、使用済みMOX燃料の再処理技術に関する技術開発の場として位置づけるべきじゃないかと、こういう趣旨でございます。
    四番目が、高レベル廃棄物処分の開発。原子力を利用すれば、高レベル廃棄物が必ず発生する。これは、再処理リサイクル--この場合はリサイクルを強調しているんですが、再処理リサイクル政策か、使用済燃料の直接処分政策かの選択のいかんにかかわらず、高レベル廃棄物処分の実施に向けて着実に計画を進めていくことが、原子力関係者の責務だ。廃棄物問題は、社会的に最も難しい問題の一つとされており、なかんずく高レベル廃棄物の問題は世界各国がそれぞれに困難を抱えつつ、その解決に向けて努力が続けられている。欧米においては、地下研究施設を国際的に活用するなどの国際協力が、社会的理解の増進に寄与しており、アジア地域において、日本が中心になって同様の国際協力プロジェクトを進めることも考えてよいのではないか。
    これは、純粋に地下研究施設という研究施設であって、国際協力で何か処分の方法を考えるということでは全くございませんで、純粋に地下の研究施設を国際的にみんなで使って、その成果を共有していくということは、これはヨーロッパ、あるいはアメリカ、カナダでは、これまでもかなりいろいろやられているわけですから、そういうことを日本を中心にアジアで考えていくのがいいのではないか、そういう意味でございます。
    最後に、原子力開発主要政策の透明性ということで、これは核燃料サイクル問題に限らないかもしれませんが、ちょっと補足させていただければと思うんですが、つけ足しをさせていただけたらと思いますが、この原子力開発利用についてはさまざまな意見があり、また原子力委員会が国民に開かれた委員会になるべく率先して努力されていることが明らかになっているという意味で、円卓会議が果たしている役割は大きい。今後とも、このような開かれた議論の場が提供されることを望みたい。大切なことは、正確な知識や情報が提供されるとともに、政策決定のプロセスがよりわかりやすくなることではないか。具体的議論になればなるほど専門的になるので、一般の人に直接その議論に参加してもらうことは難しくなるかもしれませんが、議論の内容が公開されることにより、政策決定のプロセスが国民にわかりやすくなるのではないか。例えば、原子力委員会の各種の専門部会や懇談会の議論を原則的に公開するような措置はとられてもよい。
    これは、最近はインターネットその他、いろいろ情報伝達の手段というのが高度化していますので、そういう手段を駆使して、広くいろいろな方々に議論の内容が伝わるようにぜひしていただきたい。これは私の個人的なお願いでございます。以上、ありがとうございました。
    【鳥井】 ありがとうございました。
    平野さん、どうぞ。
    【平野】 鈴木さんのほうから、原子力政策の透明性の話が出たので、変わったなという感じはしているわけですが。
    ただ、一生懸命、いわゆる宣伝活動だけは熱心なんです。ところが、実際問題としてやられるのは、ウイークデーだけなんですね。青森でも、いろいろ努力はされているわけですが。ところが、一般の人たちは出席ができかねる。土、日なり祭日なり、あるいは夜間なり、どなたでもが参加できるような時間の設定というのがなされないで、平日の勤務時間内でできるだけ終わりたいという主催側の都合があるんでしょうが、そういう形でやられるものですから、私みたいに年金生活に入っている者は毎日が土、日ですから、多少出ていけるわけですけれども、出ていって周りを見ますと、やる以上は何人か入っていなきゃ困るということで、動員をさせられて、否応なしに出席をしている人たちばっかりという形で、同じような顔触れが、会場が移っても同じような状態でやられている。そういう形でのあれではなしに、どこへ行っても資料が見られるような、それも時間にとらわれないで、土、日あたりでも十分閲覧なりコピーなりができるような形というものでの透明性というのを、やっぱり確保してほしいというのが、同じやるんでしたら、そういうことをやってほしいと思います。
    それからもう一つは、青森自体でも、今、知事さんが青森県自体の対応を考えるために意見を参考にしたいということで、青森県人会議という、この円卓会議に似たような形の会合を設定して、今まで4遍ほど会合が持たれているんですが、その中で、青森県内で、比較的、社会的にそれ相応の立場におられる方々で、メンバーの大半も何らかの形で今までこういう原子力政策なりというものには、県内では水準以上の知識を持っていられる方々が参加をされているはずなんですが、つい最近の4回目の会議で、なぜ青森なのかというのをもう一遍原点に返って議論し合おうではないかというのは、座長さんから提案がなされるという事態が起きている。これは何かと言えば、青森で立地を受け入れて、もう既に10年以上経過して、なおかつそういう事態にあるということです。主管官庁である科技庁さんなり、あるいは原子力委員会の方々にしても、電力が直接出資をした形で事業者の日本原燃を設立しているわけですから、それらももう一遍率直に考えてほしいと思うわけです。
    その辺が、9回目の際も申し上げたわけですが、エネルギー需要ありきということで、廃棄物問題についてはどちらかというと、そのうちに何とか解決できるだろうということだけで先送りをされてきた。今、現に、青森には、海外で再処理をして出てきた高レベル廃棄物を固化した固化体が既に28本入っておりますし、年が明けるとまた40本入るということで、それについての概要もこの前、発表されたわけですが、28本に比べるとさらに数段含有されている放射能レベルの高いものが返ってくるようです。
    前回のものは、平均して一本当たりの発熱量が1.4キロワット以下という形でなっていたものが、今度の場合は、少ないほうで1.5、多いほうは1.7キロという形で出てきているわけですが、青森が最終処分場にならないという書きつけをもらったと言いますが、それらが一体どういう状況になれば出ていくのか。30年から50年という幅は非常に長いわけです。人間の一生に比べてみても、20年というのは、ある意味で3分の1ぐらいの寿命に近いような状態にあるものが、一体30年で出ていくものと、50年で出ていくものと、どうやって、どう決められているのかということさえ、青森では議論されずに、30年から50年たてば、地面の下へ埋め込むことになっていて、今、その準備段階ですから、2030年までには十分それが可能ですからということだけが議論されている。
    じゃ、その間、本当に安全なのか。30年、50年たつと、今持ってきたものがどういう形になっているのかという説明すら十分なされていない。そういう透明性をまずやることから始めてほしいと思う。
    【鳥井】 ありがとうございました。
    情報公開の問題に関しましては、円卓会議のほうから原子力委員会に申し入れをしておりまして、多分、皆さんのご意見を受けたような形での原子力委員会からの対応が、いずれご返事がこちらにあるんだろうと考えております。
    【近藤】 情報公開の問題、私、原子力委員会からそのうち出てくるという話を毎回聞かされていて。ちょっと私自身の考えを申し上げてよろしゅうございますか。
    今のお話に関係するんですが、要するに情報公開の問題には審議の過程を公開するという透明性の問題と、技術情報公開という問題の二つがあると思うんです。
    後者について若干申し上げますと、基本的に世の中で情報は非公開の故に財産なのですから、公開されないのは我々の社会の原則、財産権の問題だと思うんですね。ただし、ご承知のように、公共福祉にかかわることに関しては、法律によって財産権は制限できるということで、安全にかかわる情報は公開される、あるいは行政に使われる情報は公開されるべしと、これは大原則になっている。そういう中で、問題は、商業機密にかかわる情報がどこまで公開され得るかということなんです。そこについて、実は何ら取り決めがないままに何となくずるずる墨をつけて出したりする実態、それが非常に問題を起こしています。ここは、私は非常に単純明快に、公共安全にかかわる判断に使った行政情報、あるいは専門的情報に関しては、これは公開する。ただし、これを使って不当な利益を上げたものは厳罰に処すと、これを決めればいいんです。これはもう当然のことなのであって、公共安全のために公開された情報を使って私的利益を上げたものは死刑に処すぐらいのことを決めていいわけですね。そういう制度を含めないままにいたずらに公開を要求する、その議論がおかしい。そこの制度的手当てをすることを、ぜひこの原子力委員会の中でもお決めいただかないと、これはいつまでたっても水掛け論に終わると思います。
    【鳥井】 わかりました。
    情報公開の議論はこの辺で打ち切りたいと思うんですが、約束ばかり、空手形ばかり出されているという近藤さんのお話で、大体いつごろご返事をいただけるんでしょうか。めどで結構でございますが。
    【伊原】 今月中なり来月初めぐらいには具体的なことが決められると思います。
    【鳥井】 ということです。情報公開の問題はこの辺で打ち切りたいと思いますが。
    【長谷川】 情報公開について、一言よろしいですか。
    【鳥井】 結構でございます。
    【長谷川】 簡単にやりますが、私の今日の追加メモにあるんですけれども、今、近藤さんがおっしゃった、そういう企業機密という形でバリアーを閉ざさないでぜひ公開すべきだということに対して、私、大賛成でございまして、特に私は、日本で原子炉ごとの発電コストが公開されていない。kw/h当たり9円という、いわば見積もり値は出されておりまして、それは86年度以来変わっていないんですね。柏崎刈羽の6、7号機については12円という試算が出されているようですけれども、これが本当に9円なのかということについて、例えば内山さんあたり、あるいは十市さんとか松浦さんあたりはどんなお考えをもっていらっしゃるのか、ちょっと伺いたいんですが。
    私、大分これについて疑問があると思うんです。そういう意味で、例えばアメリカの場合……。
    【鳥井】 短くお願いできますか。
    【長谷川】 はい。
    資料6にあるように、原子力と石炭火力との間の比較がかなり詳しくなされている。それから、資料7として挙げましたように、原子力発電所、プラントごとのデータが毎年実績値が出されていく。そういう意味で、私は、原子力発電所の発電コストを公開するということが極めて重要だと思います。
    【鳥井】 では、内山さん、一言。
    【内山】 質問があったものですからお答えしたいんですが、現在、原子力発電所の経済性、コストに関しましては、建設費に関しては全部公開しています。ご存じのように黒本ですね、通産省から出ている資料です。それを見ていただければ、どの発電プラントが幾らというのはすべておわかりになります。それは過去からずっと公表しております。
    もう一つは運転費なんですが、これは青本のほうに原子力の、いわゆる勘定項目というのがありまして、それを見ていただければ、大体、年間費用としてどれだけかかっているかというのがわかるようになっております。そういう点では、基本的には公開されております。ただ、プラントごとにはまだなっておりません。それで、プラントは、どうしてかといいますと、一つは、その都度運転状況が変わりますので、かなり変動があるということも含めて、データ整理とかさまざまな点で時間がかかるといった問題がございます。そういう点で、全体として公開はしております。
    【鳥井】 情報公開の議論はここで打ち切らせていただきます。
    核燃料リサイクルの議論に入っていただきたいと思います。ご意見ありませんか。
    松浦さん、どうぞ。
    【松浦】 私もメモを書いておきましたので、そのメモで説明させていただきたいと思いますが、46ページであります。内容的には鈴木先生のおっしゃったこととあまり変わりませんけれども、少しつけ加えさせていただきたいと思います。
    まず、核燃料サイクルに関しましては、これは一番ベースに考えなければいけないことは、現代社会の進展の明確な一つの方向として、高度のリサイクル社会を実現していくということが流れとしてあるのではないかと思います。これは、環境について議論される方も、いろいろとこういう点で議論を展開しておられると思います。基本的には、とにかく自然環境から採取する材料は極小にして、そして取った資源は最高度に利用して、そして自然環境へ排出するものは、これはどうしてもゼロにはできませんので、出さざるを得ないけれども、それを極小化する。こういう基本的な流れというのが、高度リサイクル社会ということで実現しなくてはいけないのではないか。
    原子力利用におきましても、基本的には、原子力に使った全資材のリサイクル利用というのを目指していくべきではないか。ただし、一遍にそれはできるというわけではありませんけれども、これはこれから原子炉の解体とか何かが進んできますと、そういうことが当然問題になってくるのではないかと思います。核燃料サイクルというのは、こういう点では、その原子力に使います核資源についてのこういう方向を実現していくものだと考えます。また、原子力の利用の可能性という点でいいますと、核資源としてのウラン、トリウムの高度の利用が実現されませんと、原子力利用の長期的な展望というのは非常に限られたものになるのではないか。それがまず全体的なベースであります。
    それから、今日の議論のうちの、プルサーマルと高速炉についてちょっと簡単にまとめたんですが、プルサーマル利用、これは再処理で回収したプルトニウムを熱中性子炉で使うということでありますけれども、このプルサーマルのきっかけは、前回も申し上げたと思いますけど、1960年代に軽水発電所がどんどん建設が広がり始めて、一時的にウラン濃縮能力が不足するんじゃないかと懸念されたことがありまして、それでアメリカが言い出しまして、このプルトニウムの軽水炉利用という研究開発が進んだ。そして、大体1960年代から70年代ぐらいにかけまして、こういう研究開発が精力的に推進されまして、そしてその後、相当量のMOX燃料が燃焼されている。これは試験というよりむしろ実用として燃焼されているのがございます。ちなみに、主としてヨーロッパでありますけれども、これは軽水炉での燃焼の実績が大体1,500体以上ありますし、日本でも動燃さんの「ふげん」炉で600体以上の燃焼の実績がある。そういうことで、技術的にはかなり実績のあるものだと理解していいと思います。
    当然のことながら、MOX燃料を使いますときに安全上の問題が議論になるわけでありますけれども、ウラン235と、それからMOXを使いますときに当然問題となるプルトニウム239、241。これは核的な性質が多少違います。しかし、その違いに関しましては、技術的な対応が十分に可能なものだと。すなわち、まとめますと、軽水炉においてUO2燃料と大差なくMOX燃料を利用できるということであります。もちろんUO2燃料でも燃焼の途中でプルトニウムができますので、平衡炉心になりますと30%ぐらいはプルトニウムの核分裂でリアクターが動いているということであります。それから、今までのMOXの利用の実績からいって、MOXの利用が原因となったような特異な事故というのはありません。先年、原子力安全委員会は軽水炉に3分の1程度まではMOXを使っても安全上に特段の問題は生じないという判断を示しておられます。
    こういうことで、プルサーマルの役割を簡単に考えますと、一つはウランの資源の有効利用という点では、現行の方法でそのままでやりまして、これは大きくありませんが、それでも20%ないし30%。これも大きくはないといっても、ある考え方ではそれは当然かなりの量とも言えると思います。技術開発の次第では1.5倍から2倍程度までは資源の有効利用ができる。
    これは、実はプルサーマルでの資源の有効利用に対して、あまり大きくないのではないかという意見もあるかもわかりませんが、ここ数年、ウランの採鉱はどんどん減っておりますし、それから利用が増えておりますので、今、蓄積量といいますか、在庫は減っている。そういう点から考えますと、2010年以降にはこういう節約というのは非常に重要になってくるのではないかという予測も立てられます。そして、このプルサーマルをやることでプルトニウム利用技術の確立ができるのではないか。これはFBR利用時代までのプルトニウム産業の基盤を確立しておくということ。
    それから、核拡散の懸念に対して、プルトニウムがなるべく分離された形でないほうが望ましいというのは当然でありまして、プルトニウムのバランスを保持するという意味で、軽水炉が主流の期間も、あるいはFBRが導入される期間も、それからFBRに対して、軽水炉が補完的になるといった期間においても、軽水炉でのMOX利用は、プルトニウムの量のバランスをとるということに役割をかなり果たしています。それから燃焼方式についても、現在技術をベースにして幾つかの方式がありますので、これはフレキシブルな対応が必要ではないかと、こんなふうに思います。
    高速炉の話、また後で議論が出たときに……。
    【鳥井】 いかがでございましょうか。平野さん。
    【平野】 まず、休憩前に関連するみたいな感じになるんですが、核燃料サイクルという名前にせよ、リサイクルという名前にせよ、取り出したものをプルサーマルなり、あるいはFBRなりで利用できるというコンセンサスがない限りには、再処理はやっぱり行われないということになると思うんです。そうなった場合に、使用済燃料の取り扱いをどうするのか、そのことがやっぱり、一番最初にはっきりした形で、それぞれの原発を抱えている地域での合意を得る形で議論がまず行われるということが必要なのではないか。使用済燃料がいつまでも原発の敷地内にあるのは困るので、早く持っていってほしいという意見がこの場でもいろいろ出ているわけですが、だとするならば、持ち出してやるのは、今の原子力政策では、再処理をして、それからプルトニウムを取り出し、あるいはウランを回収するということになっているわけですね。そうすれば、FBRをやるか、あるいはプルサーマルをやるという以外にない。
    だとすれば、使用済燃料を発生したそれぞれの原子炉サイドで、全部がプルサーマルなり、FBRなりで合意を得る必要が出てくる。今の原子力政策で、使用済燃料は再処理をするという方針がこのまま続くのだとすれば、そういう形になる。それをやれるのかどうかという形の議論がまず先行しなきゃならない。それがなされないままに、国の方針が再処理路線であるから、再処理は2003年の1月から六ケ所で動きますから、それに先行して、従来は再処理をやる二、三年前に使用済燃料の搬入をやるという計画だったものが、今度は一挙に六、七年前から搬入の必要が出てきたということになれば、青森の感じとしては、早く原子炉サイトの中にある使用済燃料を持っていってほしいという要請にこたえるために、六ケ所が引き受けざるを得ない形になっていく。その辺のことが頭にあるので、私どものほうの木村知事も、国策としてその辺のことをはっきりしてほしいという強い要望を、ここで第7回ですか、されている。
    でなければ、うっかりすれば、とりあえず再処理をされるまで預かってほしいということが続き、今のガラス固化体と同じように、最終処分で持ち出されるにしても、ガラス固化体が生まれる間は、いつまでもガラス固化体の中間施設ということであれば、最終処分施設と中間処理施設の年限というものは、ほぼ同じ形で続く。中間貯蔵という最終的な施設を青森がやっているという形にしかならないということにもなっちゃうわけですね。そこら辺について懸念があるので、まず合意を得られるのでしたら、全発電所がプルサーマルをやりますと。そのために、使用済燃料を再処理して、取り出したプルトニウム燃料を、MOX燃料という形であれ、こちらへ持ってきてくださいという形にならなければ、これはやっぱり無理がある。
    そういう無理を棚上げしたままでやっていることが、何かカムフラージュと言えば語弊があるのかもわかりませんが、エネルギーの必要があるのでということで、国民的な合意としてエネルギー需要があり、エネルギー需要にこたえるためには、基幹的な方式として原子力利用が一番可能性が強いし、安全性もあるということで、地域のエゴを出さないようにということで、巻の答えに対して、全国的にながめた場合に、巻単独の地域エゴみたいなのがまかり通っていいのかという議論を片方でする人もある。そうではなくて、やっぱり全部がリサイクルという形でやるのだったら、リサイクルに応ずるという形の合意がなければ、これはやるべきではないというのが、私どもの率直な感じなんです。
    【鳥井】 ありがとうございました。
    今の平野さんのご意見に対して、ご意見は。
    【鈴木】 ある意味で平野さんのおっしゃるとおりで、そこが非常に重要なポイントだと思うんです。ですから、まずプルサーマル利用ということが可能になるように地元の方々にもご了解をいただかなきゃいけないし、そういうことをより積極的に進めていくということが非常に重要だと思うんですが、その場合に、一つは、今のは六ケ所村の再処理工場に関連してご指摘があったわけですけど、タイミングは、むしろ海外に委託している再処理の結果、回収されるプルトニウムの利用のほうが早いわけで、したがって、それを日本の軽水炉の原子力発電所にリサイクル利用するということを先行して進める。このことが実績になって、より広く日本の原子力発電所でそういうことをすることについて、多くの方々に安心していただけるようになるんじゃないかというのが私なんかのイメージですね。
    ただ、そこで、この場でも原子力発電所の地元の首長さん達がご指摘になられたのは、プルサーマルの利用をした後の使用済燃料はどうなるんですかという、そのことについての懸念を表明されているわけです。ですから、これはしっかり、そういうことについてどういう考え方があるのかを、口だけじゃなくて、実際行動として示していく必要があると、私も思うんです。それについては、このメモにも書きましたが、ウランの使用済燃料とMOXの使用済燃料というのは、そんなに本質的な差があるとは思いませんけれども、しかし、やはりそれを再処理するについては、できるだけいろいろ試験をして、安全性に特段問題がないかを確認しながらやったほうがいいと思いますので、その点については東海村の再処理工場をできるだけ早く活用するようにしていくべきじゃないか。
    しかし、いずれにしても、これは今、プルサーマルというふうに問題提起がありましたのでそういうふうに私は思うんですが、しかし、プルサーマルに限らず、これも前の円卓会議の場でたしかそのように申し上げたような気がいたしますが、プルサーマルに限らず、使用済燃料は、これは大事な資源ですので、これを適切な量を適切な時期に再処理する一方において、これは計画的にきちんと備蓄的に貯蔵していく。これは決して廃棄物として処分しない。そういう考え方もあわせて取り入れていくことが、これも大事なことではないかと思います。
    【鳥井】 ありがとうございました。
    平野さん、どうぞ。
    【平野】 近藤さんのところで議論されているみたいですが、仮に六ケ所の再処理工場が動いたとしても、今の状況が続くのであれば、2030年ころには6,000トンほどの使用済燃料の扱いが問題になるということで、幾つか、三つでしたかの選択肢を挙げて今後議論を進めるという形がなされているわけです。さらにそれに、仮に海外で再処理をしたプルトニウムが、MOX燃料なりで入ってきた場合に、それの再処理も、鈴木さんが今おっしゃったように、仮に東海でやられるとしても、東海の今の施設でやるのだとしたならば、そこから生まれてくる使用済燃料の対応が全部可能になるとは、現実的には思えないわけです。
    それからもう一つは、将来の資源として残しておくんだとするならば、今、燃焼度をさかんに上げて、使用済燃料の発生量を抑えるという形で燃焼度を上げているみたいですが、そうなるとすれば、将来に資源的に残しておくんだとすれば、燃焼度を上げることのほうがむしろ危険なのではないか。いわゆるアイソトープの問題なんかがあるわけでしょう。例えば抽出をするプルトニウムにしても、核分裂性の純粋なものが、燃焼度が上がれば上がるほどそれの比率というのは少なくなってくるというのは、近藤さんや鈴木さんも言われてきていたと思うんですが。
    【鳥井】 鈴木さん、どうぞ。
    【鈴木】 まず計画的に備蓄をするということであるならば、燃焼度を上げることは、むしろ安全上問題を大きくするんじゃないかというご指摘だと思うんですけれども、そういうことはあまり心配しなくてもいいんじゃないかと思うんです。燃焼度が増えますと、確かに含まれている放射能が増えることはたしかです、もちろん。ただ、これはいずれにしても、どういう燃焼度の使用済燃料であっても、これはそこの放射能、あるいはそこから出てくる放射線によって、安全上問題がないように手だてを施すのが大前提であって、これは燃焼度の大小にほとんどよらないと思いますので、そのことはそんなに大きな問題ではないような気がいたします。ですから、使用済燃料の物理的な量が少ないほうがいいのか、あるいは若干多くてもいいのかというのは、これはやはり、一つ大きなファクターは、発電コストで考えたときに、それがどちらが適切かということによるんじゃないかと思います。
    それで、その前に、東海村の再処理工場でいくらやってみても量的に足りないのではないかというご指摘だったと思いますけれども、それはそのとおりだと思います。ですから、これは技術開発の場としてそれを活用する。つまり、MOX燃料の使用済燃料が発生して、それを再処理する必要が生じた場合には、これは技術的にできるんだということを確認することが大事だということを申し上げているんです。実際にどのくらいの量を再処理するべきかというのは、結局、使用済みのMOX燃料に限って言うならば、これは高速炉の必要性との関連において決めるべきことではないかと、こう思います。したがって、非常に長期的に考えていくことが重要であると思います。
    【鳥井】 平野さん、どうぞ。
    【平野】 原子力政策の透明性という以上は、ただ単にこれまで非公開にしてきたものを公開していくというだけではなしに、やっぱりトータルとして、こういうふうに考えていきますということまで全部含めた形で透明性をやるべきだと思うわけです。したがって、具体的に、今の状況でいけばこれだけの使用済燃料が発生いたしますと。このうち、この分は当面、こういう形で海外へさらに再処理をするならするなり、あるいはそれを抽出したものをどう使うなりということと同時に、それから発生した廃棄物についても、こういう処分をきっちりやります、処理をしますということまで全部含めた形でオープンになっていかないことには、片方だけが先行しちゃっている。
    例えば、鈴木さんが先ほど説明されたのでも、ほとんどが、これから検討すべき課題という形で述べられていて、現実にはすぐにでも、将来にわたって検討していかなきゃいけないみたいな、先送りをした形で、まず使用済燃料だけは発生し続ける、あるいは再処理でプルトニウムなりウランを回収することをやっていっているという、その辺のことがどうしても腑に落ちないんですよね。
    今、問題になっているHIVの問題と同じに何かしら、そういう面でいくと、今まで安全に運転されてきたから、この先はもうちょっと経済性を考えて、燃焼度を上げてみてもいいやとか、現実に原子炉軽水炉の中でプルトニウムを燃やしてきたのに問題が起きなかったから、新たにプルトニウムを突っ込んで原子炉を動かしても問題はないんだとかという、何か綱渡りをさせられて、もし万が一、なければいいわけですが、事故が発生した場合に、一体だれがその責任をとるのか。私どもは、それは計算外であったということでは済まないわけです。その辺についてまで、はっきりした納得を得られるような形でやっていかないことには、やっぱり立地点では了解が得られない。
    その辺のことがあるので、「使用済燃料の搬出は、約束だから早く出してくれ。そのかわり、プルトニウム、MOXの利用については、うちのほうではちょっと考えさせてくれ」というのが現状だろうと思うわけです。片方で早く持っていってくれと言っているから、青森のほうでは、立地を引き受けたんだから、使用済燃料を引き取ってくれと言われても、それがその先どうなるのかというのが明確でなければ、これまた、何で青森だけが全部背負い込まなきゃならないのかということで、ますます腹ばっかりふくれるということになっちゃうわけですね。
    【鳥井】 近藤さん、どうぞ。
    【近藤】 平野さんのお話のプルサーマルの安全性に疑問ありというのは一貫しておっしゃっていてずっと同じ議論なんです。松浦さんは、それについて実績並びに原子炉の設計のあり方、つまり、原子炉というのは、通常時には十分燃料破損に余裕を持つべしと。それから、異常、故障が万一発生した場合であっても、それが燃料破損に至らないようなことを確認する。そういう手続を経て設置許可という行為がなされるとすれば、そういう枠組みの中で燃料がMOXであるかウランであるかによっては、当然原子炉の特性は違うわけですけど、一番簡単に言えばウランとプルトニウムでは遅発中性子の発生割合が違うというこということがあるわけですけれども、にもかかわらず、その違いは第一にはさほど大きな差ではないということ。
    第二は、そういう差を考慮して、同じ安全基準を満足するような炉心が設計できて、実際にそれで設計された燃料、1,500体というお話があったけど、そういう設計に基づいて照射された多数の燃料体があって、それが破損しているかしていないかがわかっている。破損はしていないとすればそれ以上のエビデンスとして何が必要か、私にはよくわからない。もちろんすべてのデータが目の前に積んでいないとおっしゃられれば、それは交渉事になると思いますけれども、私は、少なくともおよそ専門家がさまざまな国際学会等で議論してきた結果としては問題ないという認識を持っていますし、安全委員会もそのような結論になっていると理解しています。
    ただ、そのことが地域社会、受け入れられる側に伝わっていないとすれば、リスクの内容が適切に伝わっていないとすれば、それは情報公開の問題として議論されなければならない。
    それから、第二は、使用済燃料の問題ですが、これは私のメモ、28ページにやや過激に書いてあるつもりなんですけれども、これをお読みの上でお話しされているようですから繰り返しませんが、私は、日本の現在の核燃料サイクルの考え方というのは、説明の前段省略ですが、資源の消費最小化とか廃棄物発生量の最小化ということを大事にしたいという立場から、核燃料リサイクルという考え方をとる。しかし、それを一挙に実現できるわけではないですから、現在、ただいまの断面で言えば、再処理について言えば経済的に成立する最小限の規模の再処理能力を自前でつくって用意して、これでプルトニウム等を回収して、これを軽水炉にリサイクルする、あるいは高速増殖炉の研究開発の断面で使っていくという形で……。
    要するに、一言で言えば、このリサイクルの技術体系を、開発と事業を並行して進めつつ確立していく内容になっている。そうすると、当然のことながら、その間、発生する使用済燃料は、全量即時再処理と、かつてはそんな表現もありましたけれども、そういうことにはならないわけで、貯蔵される。これをどこにするかということが議論のポイントだと思うんですが、これについては、先ほど平野さんが私のところでと、これは通産省の原子力部会のことをおっしゃっているんだと思いますけれども、そこで幾つかの選択肢を提示して、これについて検討を深めていくべしという問題提起が事務局からなされたと、そういうことかと思いますけれども。
    ただこれは、およそ歴史を振り返ってもしようがないんですが、昭和62年の長計に既に書いてあることでして、ここで使用済燃料は再処理をされる間適切に貯蔵管理するということを書いてある、決めているにもかかわらず、その後、そのことを具体的に実施するということが、一部で、ご承知のようにキャスク貯蔵まがい--まがいと言ったらおかしいかもしれませんが、なされてはいるわけですけど、そのぐらいで、なお切迫感を持って当事者の間で議論なされていなかったと、平野さんご指摘のところはそこがポイントだと思うんです。それが、切迫感が迫ってきたので、さまざまなアクションがとられようとしていることに関して、説明不足、透明性がないと。これは、私どももこの62年の長計でも議論をさせていただいている。そういう意味では責任を感じるわけですが、同時に、これは原子力委員会が決めたことなのに、これについてこれまであまりアクションがとられなかったことについては問題だと思っています。ですから、これは早急に関係者の理解を得る活動をするべきと。あるいは、原子力委員会は各省庁に勧告することができるわけですから、関係省庁にその旨のことを勧告するということが必要かなというふうにも思っております。
    その場合に、私の個人的な意見とすれば、当然サイトで貯蔵するのが一番合理的だと思うんです。それは何といっても、スペースはあり、さまざまな関連、付帯設備がありますから、これはごく常識だと思うんです。もちろんサイトの状況によって、歴史的な経緯から不十分であるところは、サイト間で融通するというようなこともあっていいのかなと思いますし、あるいは、敷地外貯蔵施設を特につくるということもあっていいかなというふうには思いますが。
    ご議論を伺っていて、ちょっと気になるのは、原子炉が廃止された後も、使用済燃料だけそこに残るんじゃないかというご心配もされている風があることです。これはルール上廃止という行為は、使用済燃料があるということでは廃止ということにはならないのではないかと思うんですが、そういうご心配があることを踏まえるとすれば、どうするか。例えば、荒っぽい言い方をしてしまえば、原子炉がなくなったのに使用済燃料が残るということはないねと。それをお約束することはどうか。いろいろ考えてみると、もう原子力を日本全体でやめたということでも決めれば、これから新たな投資をするのはみんな嫌だからというので、やっぱりサイトに、原子炉はとまっていても、とにかくお願いしますよということになる可能性はないではないなと。ですから全くそういうことが起こることはないとは言えないんで、そういうときにはまた別に考えるという理解、了解をいただけるとすれば、廃止措置とともに使用済燃料は去るということを取り決めるということも含めて、長期的なコミットメントをするということもあっていいかなというふうに思う。で、この間の部会は、私の理解ではそういうことをきちんと検討する、今ごろすると言うと、平野さんにまた怒られてしまうと思うんですけれども、まさに公開の場でそういう議論を始めたというふうにご理解いただけたらと思っています。
    【平野】 今直ちに原発をやめろとかということを言っているわけではないわけです。ただ、100年なり、先まで見越したエネルギーの問題を議論するんであれば、仮に100年なら100年という、トータルで見て、これから発生する廃棄物はこうなります、使用済燃料も含めてですね。それを処理するのは、100年の間にこういう形になりますという、全体像のバランスシートみたいなものはきっちり出した上で議論をされるというのが必要だろうということを再三申し上げているわけです。
    それと同時に、原発を立地したところは、日本全体の中で一番原子炉についての理解が進んでいる地域であろうと思うわけです。ですから、新たなところで、松浦さんがおっしゃったように、プルサーマルなり、MOXの燃焼なりというものは安全ですよという議論をしていくよりは、今まで原子炉を抱えている地域で、まず理解が得られるのかどうか。現在50基ほど動いているそれぞれの原子炉の立地地点で、まずプルサーマルについての半数以上の合意を得るということを当面やっぱり考えないことには、プルサーマルはやるべきではないんではないか。
    もうちょっと現実的にそういう面でやって、その間に、じゃ、このままで、立地点も含めて、日本全体で原子力利用というものを続けていくという合意が得られるのか、あるいは、エネルギーをどうしても使っていかなきゃならないのであれば、原子力以外の選択肢は考えられないとすれば、そのリスクをだれがどういう形で背負うのかとか、あるいは、そうではなくて、エネルギーの伸びそのものを抑制できる方策があるとかという議論を含めた、100年なりのバランスシートというものをもう一遍考え直してみるという期間を、5年、必要なら5年、5年が無理だったら、3年なりという形ででもやっていくということをやらないで、今までと同じことを続けていったんでは、またぞろどっかでふくれがきちゃうということになりかねないんではないのか。
    【近藤】 おっしゃる趣旨は、私、さっきからうなずきっぱなしであるようにわかるんですが、さまざまなサイトが個別具体的にプルサーマルを受け入れることに合意し、それがある種のコンセンサスになったところで、大部分とおっしゃったけど、賛成したところで始めるべしという、そういう議論は、いつもそうなんだけども、ある種の多数による制度選択という議論で非常にわかりやすいんですけれども、具体的にはやはり個別の地域についてそれぞれ実施される方が再三再四足を運び、いろいろ議論をし、データを示した結果として決まっていくのがこの世の姿であって、それが多数決とか、何でもいいんですけれども、80%とか、そういうことでないと進まないということにしてしまわなきゃならないというのは、私にはよくわからない。  我々の社会は既に「ふげん」で10年もプルサーマルをやってきたわけです。ですからそのことについて社会的な経験もあるわけです。それぞれの地方自治体について言えば、プルトニウム燃料が輸送された地域もありましょうし、茨城県のように、それを発送してきたところもありましょうし、福井県、あるいは、敦賀市のようにこれを受け入れてきたところもある。それがおっしゃられるように、具体的にどういう問題があったのか。私の理解だと、この円卓会議ではプルサーマルの具体的なことについて問題があったと。もう「ふげん」の燃料を受け入れるのは嫌だと、そういうお話があったわけではない。そこのところは10年の経験に基づく、もうちょっと個別具体的なデータや経験を参考にしながら、それぞれの地域社会に、電気事業者が説明していくのが大事ではないでしょうか。
    さらにまた、海外再処理をやっているということは、これは一事業者の問題でないわけで、日本の国としてのコミットメントもあるわけです。ですから、これはまた原子力委員会へのお願いになりますけれども、国がその辺のことについて、やはり表に出て、立地地域と対話を進めて、積極的にこれを受け入れていただくべく努力をする。にもかかわらず、平野さんおっしゃるように、ふくれてしまうということになったら、そのときそのときまた考えればいいと、そういうつもりではないんですけれども、これまでの経緯からして、そういうことについて、順々と計画を進めてきた部分もあるわけですから、そのことを評価いただいて、一歩でも二歩でも前に進めるべくの努力をするのが、今の時点でとるべき道というふうに思います。
    【鳥井】 ほかの方で、プルサーマルに関して、ご議論があれば……。
    【長谷川】 関連して、角度を変えてちょっと伺いたいことがあるんですが、一つは、プルサーマルと通常の軽水炉とで発電コストというのはどれぐらい違うのかということが第一点です。第二点として、このバックエンド技術というのは、この10年ぐらいにどれだけ技術の進展があったのか。例えば、情報・通信に関して、1986から1996年の10年間という非常に大きな変化があったと思うんです。
    それから、例えば、太陽電池についても、最近ではいろいろな……
    【鳥井】 わかりますんで、例え話は要らないと思います。
    【長谷川】 この二つについて、どの方でも結構ですから伺いたいと思います。
    【鳥井】 バックエンドの技術といいますと、結構幅が広いんですが、具体的には?
    【長谷川】 プルサーマルとか使用済燃料の処理をめぐる技術がどれぐらい進展したのかと。
    【鳥井】 わかりました。
    どなたかデータをお持ちの方はいらっしゃいますか。
    鈴木さん、どうぞ。
    【鈴木】 まず、プルサーマルと普通のウラン燃料を使ったやり方の発電コストはどのぐらい違うか。これは同じ発電所を使うわけですから、ですから燃料をつくるのにどのぐらいコストがかかるのか、そういうことでよろしいんですかね。その場合に、リサイクルする。プルサーマルというのはリサイクルですよね。一遍出た燃料を再処理して、加工して、リサイクルしますね。そうすると、再処理して、再加工に要するコストがかかりますね。しかしリサイクルしますから、リサイクルする分だけ資源の節約になりますね。それはどの程度か。
    コストはどのぐらいかというのは、ウラン燃料だけ使っている場合、ウラン燃料が例えば100要る。使用済燃料もほとんど100ですけどね。ほんとは物理法則に反しているみたいですけれども、実はほとんど100出ると思うんですけれどもね。出てきた使用済燃料のままでそれはいいんだと。つまりそこからかかるコストは勘定しなくていいよというお考えであれば、まずウラン燃料を100つくるのにどのぐらいお金がかかるかというのが一方ですね。他方は、リサイクルしますから。再処理するし、再加工する、そのコストがかかりますね。かかって、100のうち、先ほど松浦さんの資料にあったと思いますけれども、普通は20%ぐらいの節約にしましょうか。20%の節約にすると、100のところ80でいいわけですね。80ウランを使って、20はリサイクル燃料と。ですから、20の節約に対して、それはどのぐらいか。
    これはいろんなケースがあって、ケースという意味は、例えば、東海村の再処理を使う。海外で再処理した。今後できる六ヶ所村はどうだとか、いろんなことがありますから一概に、先ほどもっといろいろデータがあってもいいはずだというお話がありましたが、データを詳しく調べれば調べるほど、条件を決めなきゃいけませんから、一言でどっちがどうだというのは大変難しいと思いますが、私の個人的なエスティメート的なものを申し上げれば、おそらく現時点では、ウラン燃料の場合は、加工は、キロワットアワー0.5円ぐらいという感じがしますね。それのうちの20%しか節約しませんので、それが0.4円になるんですかね。0.1円分だけがこれになりますが、0.1円の節約になりますが、こちらのほうは、おそらくそのまま勘定すると1.5円ぐらいになりましょうかね。
    ですから1円ぐらいはリサイクルのほうは高いんじゃないでしょうか、今は。ただ、その場合に、ウラン燃料をそのまま、ただ置いてありますから、それは将来的には何かしなきゃいけないわけですから。そういうことも含めて考えると、今では若干リサイクルのほうが高いというのが、国際的には大体共通した認識になっていると思います。というのは、例えば、天然ウランの価格も比較的低位に推移していますし、それから、ウラン濃縮のサービスにかかる費用も、これはほとんど海外から資料ですけれども、そういうことを比べるとそうなんです。
    【鳥井】 バックエンド技術の進歩という、今の……。
    【内山】 平野さんの資料にちょっと誤りがありますので。45ページになりますが、3行目から、電力中央研究所の報告によれば「在来型の商用軽水炉でプルトニウムをリサイクルする戦略は現実的でないことが確認された」と書いてございますが、この報告書、私の記憶では、こんな指摘は全然書いてありません。これはむしろプルトニウムを転換していく、炉型ですね。そうしますと、プルトニウムを何回も使えるということで、非常に合理的であるということを最終的に結論づけている報告で、現在のプルトニウムのプルサーマルをこういうふうに否定しているところは全然ないものです。この資料、電力中央研究所はほとんどの資料が公開資料なもんですから、お送りしますので、それを見て、もう一度確認していただきたいと思っております。
    【鳥井】 バックエンド技術の進歩というところになんか……
    【平野】 これはたしか電気新聞にこういう形で出ていました。
    【鳥井】 平野さん、発言は……
    【内山】 資料をお送りしますので。
    【鳥井】 バックエンド技術の進歩については、鈴木さん、何かコメントありますか。
    【鈴木】 バックエンド技術がここ10年ぐらいどのぐらい進歩したかというようなご質問だったかと思います。これも非常にお答えしにくいご質問ではないかと思いますが、おそらくバックエンド技術で、一番中心的なものは再処理技術だといってよろしいかと思いますが、再処理については、ここ10年で際立った変化といえば、フランスの再処理工場が新しいものができまして、そこのこれまでの実績を見る限りは、過去にも再処理工場というのはアメリカ、ロシア、イギリス、フランスにあるんですけれども、そういうものの実績に比べますと、特に環境安全性の面で非常に際立った成果が出ているのではないか。つまり非常に進んだ技術になっていると思います。廃棄物の発生量も非常に減っています。減っているというのは、運転そのものが非常にスムーズに行われているというのが一番大きな理由だと思いますけれど。
    これは大きな工場で一遍ごらんになると、すぐおわかりいただけると思いますけれども、いわゆるイメージとしてお持ちの、いろんな要素技術でお考えいただくのはちょっと難しいかと思うんですけどね。非常に大きな工場ですから。
    【鳥井】 できれば、あと30分ほどしかないので、FBRのほうの議論をしていただかないとまずいんですが、いかがなもんでございましょうか。十市さん、どうぞ。
    【十市】 私、原子力技術の専門家ではないんですけれども、いろんなお話を伺っていて、若干、FBRの問題を含めて私見を述べさせていただきたいと思います。
    核燃料サイクルの問題は、もともと既にご説明ありましたけれども、ウラン資源の有効利用とか放射性廃棄物の環境負荷を下げるという、こういうことからずっとやられてきているわけですけれども、やはりこの間、過去を見ましても、相当客観情勢は変わってきた、というのは、既にウランの値段が下がっているというのは、これは相当供給過剰になっているということもございますし、あるいは、プルトニウムをめぐる国際環境も相当変わっている。
    そういう中で、日本としてどうあるべきかという議論が今なされていると思うんです。先ほど来いろんな議論があったんですけれども、一応、基本的には、リサイクル路線というものと、それと、直接処分、ワンスルー、こういう二つのやり方があると思いますが、この二つを共存させてしばらくやるべきではないか。そういうことを前提にして将来の問題を考えるのがいいんじゃないかという、これは私の個人的な意見でございます。
    そういう中で、FBRの問題、今度「もんじゅ」の問題がかなりきっかけになったわけでありますけれども、ウラン資源の枯渇という観点から見ると、これまで考えられたよりは、ウラン資源については相当、そんなにすぐになくなるという心配はないのではないか。これまでよりは資源的な面での余裕、時間的な余裕はあるのではないかということ、それと経済性ということから見ましても、FBRについては、新しい技術ですから非常に難しいですけれども、そんなに、今の軽水炉に比べてかなり安くなるということは、必ずしも今の時点では、あまり予想し得ない面もある。そういう観点から、FBRの開発自体、私自身はもう少しゆっくりと、相当スローダウンしてもいいのではないかという、そんなふうな印象を受けておりまして、研究開発、そういうところにもっと力を入れるというようなことを考えるのが現実的ではないか、そういう印象を持っております。
    【内山】 私はちょっと十市さんと違う視点を持っておりまして、やはり原子力技術というのは開発に非常に時間がかかるという基本的な問題がありまして、特に、信頼性を得るまでには50年ぐらいの期間はどうしても必要なわけです。それで一つの技術を確立するのにやはり60年というのを考えますと、これから50年後の世の中を考えますと、原子力の中でプルトニウム利用というのが非常に大事になってくる、その考え方が出てきますので、そうしますと、そのときからスタートするということは、かなりリスクが高くなるということがあると思います。それを考えますと、確かに十市さんのご指摘のとおり、現在の経済性で見れば、まさに経済的には高い技術なのは間違いないと思いますが、やはり長期的に技術の基盤を確保していくためにはそういう面での着実な技術開発というのは継続をしていかざるを得ないと考えます。特に基礎技術というのが将来のFBRの技術に継続しますので、少なくともMOX燃料の技術を今、基本的に燃料技術として、やはり信頼性を高めていくということも大事な問題だと思っております。
    【近藤】 お二人はなんか同じことを言っているみたいだと思うんですけれども、つまり研究開発をしっかりやりましょうということをおっしゃっていると思うんですけれど、私も基本的にはそういうことだと思うんです。そこまでは多分そんなに異論はないでしょう。ただ、研究開発を一生懸命やりましょうとおっしゃったときに、じゃあ具体的にどうするか。「もんじゅ」はもう研究開発の外だから、やめるのか、やめないのか、というところが不安です。私は「もんじゅ」というのは非常に重要な研究開発手段と思うんです。ですから、昨年末の事故がもたらした、いや、明らかにしたと言うべきか、さまざまな問題、これについて丁寧に解きほぐして、改めるべきを改めて、この「もんじゅ」を起動運転することが研究開発を進めるということの一番大事なことだと思うんです。
    しかる後、それではそのもんじゅを、例えばどう使うか。これは発電炉の原型炉という名にふさわしく、一定出力できちんと発電することが、研究開発の目的なのかということになると、それは多分におっしゃるような意味では従来的発想でしょう。そうではなくて、高速増殖炉の持つさまざまな特性を、研究開発をする場として、これを使うべきだという選択、これは研究開発重視型の使い方だと思います。そういうやや具体的な研究開発のありよう、あるいは、研究開発の目的、そういうものについてきちんとした議論をすべきと。資源面から生まれた時間的余裕をいかに使うかという意味での、そうした議論をちゃんとするということが重要ということはさまざまに指摘されてきたんです。これについて私も異論はないんですが、ところが、これに対する反対論は、今日のメモでうまくまとまっているのか。鳥井さんのメモにコメントするわけじゃなく、そういう研究開発のあり方論についての問題についてあまり踏み込んだ反対提案がない、イシューが……
    【鳥井】 議論、終わりませんでしたね。
    【近藤】 問題は、そもそも論、そもそもプルトニウムを使うことは、そもそもいかんという、そもそも論ばかりが議論されているわけですね。そこのところをここでもう一度やりますかね。長谷川さんから既にセキュリティーというか、もっといろいろ社会的な観点からこうした問題を考えろということをご指摘があったから、今日もそういう面のご指摘があったと言えばあったんですが、私はそういうことを踏まえつつも、なお、一番最初に申し上げたように、エネルギー問題、なかんずく、技術の問題を考えるときには、計画期間を、プランニングホライズンをなるべく長くとるのが大事で、必要だと思います。で、そういうコンテクストで言うと、今言われているさまざまなセキュリティー絡みの問題というのは極めて短期的です。現在の世界情勢にかかわるさまざまな問題からセキュリティーの問題が指摘されているところ、長期的に、なおこの混迷……
    【鳥井】 近藤先生、あまり時間がありませんので。皆さんに発言していただいたほうがいいと思います。
    【近藤】 わかりました。で、そういう混迷状態が長く続くかどうかですが、私は将来社会について、もう少し別の社会を想定して技術開発を進めてもよいと思っています。
    【鳥井】 長谷川さん、どうぞ。
    【長谷川】 研究開発というときに、その言葉がどういうレベルの研究開発かというふうになると思うんです。私やはりセキュリティーといいいますか、例えば、高速増殖炉の技術、それから、プルトニウムリサイクルなり、プルトニウム利用というものの持っている、高度な政治性といいますか、それから、アメリカが核不拡散政策を推し進めているわけでありまして、そして、例えば2010年なら2010年に日米安保条約がどうなっているのか、我々日本社会の側からの意味づけとは別に、アメリカから見れば、日米安保条約というのは、結局日本の核武装の抑止になっている、歯どめになっているという、そういう側面は否定できないと思うんです。特に今年の大統領選挙で、ブキャナン陣営が2月ごろでしょうか、韓国とか日本の核武装はやむを得ないんだというような議論をしたかと思うんですけれども、ですから、日本が高速増殖炉技術で国際的に突出する、あるいは、プルトニウム利用で突出するということは、やはり政治的なセキュリティーの上で大変危険なのではないか。いわば21世紀のエネルギーは原子力の時代なのであって、そしてその原子力技術で日本はリードするというのが、どうも近藤さんとか鈴木さんの青写真のようなんですけれども、ヨーロッパやアメリカがそういう脱原子力といいますか、非原子力路線を歩んでいる中で、私はそれは非常に、一種の第二のジャパンバッシングといいますか、それから、国際的な環境団体から見れば、一種の第二の鯨というような問題になるのではないか。そういう意味で、例えば、戦後50年、あるいは、明治維新以来約130年間、日本が何かある事柄で、残念ながら国際社会をリードしてきたことがない。そういう意味では、そういうことについてあまり得意でない日本が、そういう高速増殖炉技術で世界をリードするなんていうのは、大変私はリスクマネジメントとしても危険なのじゃないかと思います。
    【鈴木】 今のご指摘の点にもちょっとお答えしなきゃいけないかもしれませんけれども、その前に、高速炉についてなのですが、私も多くの方々が原子力開発そのものに非常に、お金が大変かかって、これはもう大変なんじゃないかという印象、かなり与えてしまっているんじゃないかという気がありまして、ある意味で、そういうことは事実としてあるのではないかと思うんです。高速炉の開発、これから進めていったほうがいいというのが私個人の意見ですが、しかしその進め方についてはもっと工夫しないと、諸外国で高速炉は、確かにあまりもう開発がされなくなってきているんですが、その大きな理由の一つが、経済的な負担が過大になり過ぎたということだと思うんです。このことをやはり、日本で高速炉を今後とも続けていくに当たっては十分に内容を吟味し、その経験を生かすということが大事ではないかと思います。
    もう一つ、忘れないうちに、先ほど私が長谷川さんからのご質問に答えて、ワンススルーといいますか、それとウランの燃料サイクルと、MOXといいますか、リサイクルの比較をするときに、たしかワンススルーというか、ウラン燃料の場合は0.5円ぐらいから、ちょっと簡単に申し上げましたが、私の間違いだと思います。おそらくそれは全部ウラン濃縮、天然ウラン、ウラン燃料の加工コストを全部入れますと、おそらく1.5から2円近いかもしれません。ですからそのうちの20から30%の節約というと、0.3円とか0.4円とかそのぐらいあるんじゃないかと思います。それとの兼ね合いで決まると。ちょっと先ほどの訂正をさせていただきます。
    最後にご指摘のあった、日本が高速炉の分野で世界をリードするなんていう、その考え方はとんでもないと。また日本があらぬ憶測を世界の国々に与えてよくないというような意味のご指摘があったと思うんですが、そういう懸念を表明される方もいらっしゃるし、新聞等でもそういうような意味合いのことが書かれたりすることもあると思うんですが、しかし私自身がいろんな議論の場、諸外国の人たちと一緒になった議論の場で議論して感じていますのは、むしろ日本の計画そのものが、例えば非常に透明になっていくことのほうがよっぽど安心しているんじゃないかと思うんです。例えばプルトニウムの利用についてはどうするかということを非常に、日本では丁寧に説明もしているし、また、在庫量についても、キログラム単位で公表しているというのは日本だけなんですね。そういう姿勢が非常にむしろ諸外国には実は評価されているというか、安心してもらっているのではないかと思います。ですからむしろ高速炉を進めるか進めないかで日本に対する外国の評価はどうなるかということではなくて、いずれにしても原子力の利用を進めていくとするならば、その進め方が対外的にも非常に透き通ったものになっているという、そういうことが大事ではないかと思います。
    【内山】 先ほどのジャパンバッシングの話ですが、私はマスコミというのはよく変わるんではないかと思うんです。といいますのは、最近湾岸にかなり、石油に依存しているエネルギー情勢になっていますけれども、湾岸のほうがちょっと危うい状況になってきていまして、つい先日開かれました三極委員会では、日本からは宮沢元首相が出席しておりますけれども、湾岸諸国への過度の依存は安全保障上も好ましくないとし、その回避のために日本が原子力発電に関する一層の技術開発に貢献することが重要だと訴えているんですね。日米欧で開かれている会議で、そういうふうなものが出てきているわけです。
    やはりそういうことを考えていきますと、社会情勢の変化に応じて、いろいろマスコミの考えというのは変わってくると。その中で大事なのは、やはり社会の中でのエネルギーの安定供給なんですね。それを考えて、技術開発も長い目で検討していかなきゃいけないと考えていますので、そういうジャパンバッシング、むしろ日本が積極的にこれから安全性の高い原子炉に貢献するんだと、また信頼性を高めるんだということを強調してもいいのではないかと考えています。
    【松浦】 核拡散の懸念について言われましたけれども、現在のセーフガードのシステムと、さらに今後それを強化するという技術的な対応、それを使えば、通常に使っているコマーシャルなシステムから核拡散をするというのはものすごい難しいシナリオになるだろうと思います。ただし国家が自分で決心して、拡散するよと言ってしまえば、これはもうおしまいですけれども、国家が不拡散を決定しながら、かつセーフガードのシステムをちゃんと機能させれば、その懸念はほとんどないのではないか。国際的に全部が目を見張っているわけですから、そこから取りこぼしということはほとんどできないのではないかと思います。
    それからちょっとFBRに対する考え方ですが、先ほどからも話が出ておりますけれども、FBRを使うというのは、しょせん核資源を高度利用するわけですが、核資源の高度利用というのはウラン238か、トリウムの232を使うしかないわけですが、トリウムの232を使おうと思いますと、プルトニウムを除いてやろうと思いますと、ウラン235の非常にピュアな高濃縮ウランとトリウムの組み合わせで、高速炉じゃなくて熱中性子炉でやるという方法がありますが、これは現代の要素からいって、高濃縮ウランを使うというのは非常に、それこそ核拡散の懸念がありますし、それから、コスト的にも問題だしということで、これはオプションとしてとれない。プルトニウムは十分あるわけですから、その点ではやはりプルトニウムをつくるといいますか、むしろウラン238が自動的にプルトニウムになり、そしてプルトニウムを高速中性子で分裂させて回すという、そういう組み合わせが技術的には一番可能性が高いものではないかと思います。
    そういう体系の中では、やはり現行技術で考えますとナトリウムの冷却を使うのがいいのではないかというので、今ナトリウム冷却炉が開発されているわけですが、これはもんじゅが問題になっておりますが、当然この問題はクリアされるべきでありますが、高速炉技術全体として見ましたときに、高速炉技術というのはナトリウムの冷却以外に、原子炉物理の問題であるとか、材料の問題であるとか、燃料の問題であるとか、いろいろありますが、今問題になりましたのは、そのうちの冷却の部分について問題になったわけでありまして、他の部分については特段の問題が起こっているというわけでもありませんし、これまでのいろいろな技術開発の実績から見ますとそれほど大きい懸念があるわけでもない。したがって、そこのところ、もんじゅの問題から、ナトリウムがだめで、高速炉全体がだめだというのはあまりにも短絡的な考え方ではないかというふうに思います。
    ただし、私のメモにも書きましたが、ナトリウムとかリシウムとかいうような、アルカリ金属が、融点が低いということから、非常に冷却材としてすぐれた性能を持っているということは認められているんですが、しかしそれだけアルカリ金属は反応性が高いということのために工学的な取り扱いが難しい。しかし、こういう非常に高温で、高密度の冷却技術というのは、原子力でも、高速炉以外に、今後問題になります非常に大出力の加速器の冷却であるとか、将来、核融合であるとか、そういう場合に非常に重要な技術でありますので、ナトリウム技術を含めて、こういう非常に高温・高密度の冷却技術については今後の研究開発の重点の一つにしないといけないのではないか。もんじゅの問題はむしろこういう点からも考え直しておくべきではないかと思います。
    【近藤】 今、長谷川さんのおっしゃった、セキュリティーの問題ですけれども、非常に大事なことをおっしゃっていると思うんですが、鈴木先生おっしゃるように、国際社会における透明性ということが、そのことに対して非常に有効な効果を持っているということも事実だと思います。
    それと同時に、なぜ我々は高速炉を研究開発するかというと、これは私は最初に申し上げたわけですけれども、結局これは100年のスパンで考えるに、人類として持つべき技術という、そういう問題意識でこれに着手しているわけです。ですから、もちろんそれぞれの国は、内山さんが明快に解説されたような固有の事情でそれぞれのプランニングホライズン、つまり計画期間を持っていることは、これはいたし方ないわけですし、他方で極めて明らかに、ごく数年前までは日米は高速増殖炉の開発に手を組んでいたわけですから。それはまた5年後に変わらないとも限らないことも想定の内にあってよいのですが、我が国としては、国際公共財として高速炉を開発していくという姿勢を維持していくことが重要で、そのためには、志を同じようにする国があれば喜んでそれを受け入れて、なるべく共同開発、共同作業としてこれを進めていくということが、長谷川さんご心配のセンシティビティーを、センシティブな存在たるところを緩和していくことができることでもあるし、それは結局、我々の日本という社会が今後の世界に生きていくに際してのあるべき姿と思っています。
    【長谷川】 私はやはり国際社会というのは、国際政治というのは極めて懐疑的なんだと思うんです。そういう意味では技術者サイドの一種の楽観論になっていないだろうか。塩野七生さんのカエサルについて書いている言葉で、「多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」という言葉がありますけれども、私は日本の原子力を推進する体制というのは、やはりこの一言に象徴されているような側面がなかっただろうか。
    結局、余剰プルトニウムを持たないというこの国際公約、極めて重要な国際公約だと思うんですけれど、しかしこの国際公約によって非常に日本は、余剰プルトニウム問題について極めて硬直的に縛られるわけですね。その結果、プルサーマルがなかなか進まない。プルトニウムが余ってしまうということになりますと、六ヶ所村の再処理工場はオープンできない。平野さんが今日最初から強調されておられるように、六ヶ所村は結局放射性ごみ処理場になってしまうのではないか。この問題に対して私たちはどういうふうにこたえることができるのか。
    私の提案は37ページにあるんですが、青森県六ヶ所村に、結局、首都機能を移転するというような形しか、私たちが青森県六ヶ所村に対してこたえる方策はないのではないかと思います。どういう意味で青森県六ヶ所村が首都機能の移転候補地として適地なのかということは、37ページと40ページに首都機能移転候補地選定基準9項目を指摘しておりまして、それがクリアできるという趣旨のことを37ページは述べております。
    【小沢】 そろそろ終わる時間ですので、最後に言いたいことは、ずっとこういう議論を繰り返していても、技術論をやっている範囲ではそんなに問題はないわけです。これ、全然変わらないわけです。一番の議論は、何といっても、将来をどう見るかという基本的な視点があるかないか。つまり、おそらく原子力を推進する方々は、このままいけるんだよと、経済拡大が。そういう前提にもし私も立つのだったら、私も、原子力と化石燃料しかないと思うわけであります。しかし、もしそうであれば、やはり原子力を推進する方は--ここにエネ研がやったものがあります。これを見ると、プルトニウムを使うにしても、どういう前提をしているかよくわかりませんけれども、もう明らかにエネルギーは不足するという下のものがあります。石炭を使えば、うまくどうにか必要な分だけおさまるよと。ところが地球温暖化というような話を考えて、二酸化炭素を増やさないように、石炭の量を一定にしちゃうと。100年間一定にすると、もう追いつかないよというこういう話なわけであります。そういうことを考えますと、少なくとも2050年の絵をかいてみようということと、それから、原子力を進めようという方たちは、それでも結構だけども、その場合には、プルトニウム社会の経済がどうなるかという絵をやっぱりかいていただきたい。それを比較すると我々は、どういうのが望ましいかということがわかると思うのであります。
    私自身の原子力に対する考え方は、たとえ原発が100%安全であっても、そして原発の廃棄物が100%処理できる、つまり日本の原子力の議論の、私はその2つで90%ぐらいは占めると思いますけれども、それが仮に完成されたとしても原子力は無理なんじゃないかなと、個人的にはそう思うわけであります。
    【鳥井】 先ほど小沢さんからご指摘があったように、そろそろ時間になっております。まだご議論が続くか、続けたいようなご議論が、結構中身の濃いご議論があったというふう考えておりますが、討論のほうはこの辺で終了させていただきたいと思います。
    前回も申し上げましたとおり、本日まで11回にわたる円卓会議でさまざまな議論をしてまいりました。モデレーターとしましては、本日を一区切りとして、これまでの議論を整理して、円卓会議というか、円卓会議のモデレーターとしてというか、その辺はまだはっきりはしていないわけですが、原子力委員会に対して提言を行うことを考えております。その議論の整理の中で、円卓会議という名前を使うかどうかはわかりませんが、今後ともこういう形での、議論の場といいますか、国政に対する市民の意見を述べる場という、そういったもののあり方についても検討をしていきたいと考えております。
    閉会に当たりまして、モデレーターの茅さんのほうから一言、発言をしたいというふうに伺っておりますので、では、お願いをいたします。
    【茅】 私もモデレーターをやりまして、実はこういう4時間の会議というのはあまりないんですが、4時間何も口をきかないで座っていたというのは多分ここ10年で初めてじゃないかと思うんですけれども、その意味で大変欲求不満がたまりましたが、最後ちょっとだけ言わせていただきます。
    といっても、別に中身について言うというよりは、今、鳥井さんのおっしゃいました点でございまして、11回いたしましたが、この先どうするかということにつきましては、今盛んに検討いたしております。いろいろ実は問題がございまして、ここにおいでになった方何人かは、私が発言したときにお聞きになったかと思いますが、現在のこの円卓会議のやり方、それについてはやはり問題がかなりあるように思っております。円卓会議そのものは、今鳥井さんがおっしゃいましたように、いろいろな方々の声を聞く。そしてそれを原子力行政に反映する場としてはやはり非常に重要である。こういうことは私も思いますし、またそういう意見が大多数であると思っているのですけれども、ただ、現実にこの形のものをただ続けていくということは物理的にも非常に難しい。例えば事務局がつぶれてしまうということがございますし、そのほかいろんな問題点がございます。そこで、この点を少し、やはり我々としてはいろいろ検討いたしまして、こういうふうに新しく組織直しをしたらどうかという提案を出したいということで、その辺を今、盛んに議論をモデレーターの間でしております。
    私、特に申し上げたかった一つのポイントは、今までいろんな方からご意見を伺ったんですが、中にはある程度詰まった議論もあるんですが、残念ながら議論か最後まで詰め切れなかった。論点が結局十分見えなかったというものが幾つかあります。今日も最後にたまたま小沢さんがおっしゃったことはかなりそれに近いのですけれども、つまり将来をどう見るか。その中に原子力をどういうふうな姿としてとらえるのかということなんですが、今日も実はそのために前半があったはずなんですけれども、途中で方向が変わっちゃいましてその議論は途中になってしまった。前にもこれ2回ほどやったことがあるんですが、結局そのときも同じになってしまったんですね。こういうふうに途中で終わってしまうというのはまことに残念なんで、やはりその先をやって、今のような問題についてはきちんとした議論をしたい。プルトニウムの社会というのをどういうふうに考えるのかという小沢さんのご指摘がありましたが、同じように、今度逆に原子力が全くない社会のときには、じゃあどう考えるのかということもやらなきゃいけない。そういった議論が始まって、ぶつかり合って、初めて論点が明確になると思うんですが、ぜひ次回以降の新しい、名前はわかりませんけれども、円卓会議の続きでは、そういうことができるように何とかしたいとは考えております。
    そんなことで、我々モデレーターはこのままやることには多分、少なくとも全員はそうならないと全く思っておりますけれども、いずれにいたしましても、今まで皆様方、ここには何人か何遍もおいでいただいた方もありますが、大変ご苦労をおかけいたしました。我々としては、できるだけ皆様方の声を分析いたしまして、少しでも前向きの提言を今回はしたいと思っております。ただ、当然のことですけれども、この中には原子力そのものに対して反対の方も賛成の方もおられますし、その意見を変えるということをこのままでおやりになる方は、まずおられない。その中で何らかの意味で前向きの提言をするというのは、正直言って非常に難しいんです。その意味では、我々としても大変苦労はしているんですけれども、それこそ文殊の知恵で、これはいい意味にとっていただきたいんですが何とか我々としては努力をしたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

    閉  会

    【鳥井】 それでは、閉会に当たりまして、委員長代理の伊原さんのほうから一言ごあいさつをお願いします。
    【伊原】 本日は長時間にわたりまして貴重なご意見、ご議論をいただきましてほんとにありがとうございました。これまでに議論が十分尽くされなかった点を今日はテーマにさせていただいたわけでございますけれども、たくさんの示唆に富んだご意見をいただきまして、かなり深い議論にまでいけたと思っているわけでございます。
    ただいま、モデレーターの鳥井さんと茅さんからご紹介がありましたとおり、この円卓会議も本日で、まず一区切りになると。これまでの議論をモデレーターの方々が整理してくださるということになっております。また、その中には、会議を今後どういう形に持っていくかと、そういうことについてのご検討もいただくわけでございます。
    我々原子力委員会といたしましては、これまでご参加いただいた数多くの招へい者の皆様方に改めて感謝を申し上げますとともに、モデレーターの皆様方にも大変お世話になったわけでございますが、この議論をさらに整理をしていただきまして、その会議の議論の反映された、そのご提言の内容を、これからの原子力政策に的確に反映してまいると、こういうことを約束いたしたいと思います。
    本日はまことにありがとうございました。
    【鳥井】 それでは、11回並びにこの形の円卓会議をこれで終了させていただきます。
    どうも皆さん、ありがとうございました。
    --了--