<資料5−1>
「円卓会議」はこのままでよいのか
原子力資料情報室 西尾 漢
- 「円卓会議」では、「国民各層の間の原子力に関する議論を徹底して行う」とされているが、それはそもそも遙か以前に行うべきだったことである。JCO臨界事故の調査委員会報告では「いわゆる原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」とし、「『絶対安全』から『リスクを基準とする安全の評価』への意識の転回を求め」ている。安全神話のもとに原発建設を進めてきて、事故が起きたらリスクを前提に受け入れよと言うのでは筋が通らない。そのことをどれだけ考えているのか。
- 「国民各層」と言いながら、原発の地元の住民の議論への参加は皆無に等しい。地元住民のなかには、「円卓会議」にそもそも批判的ないし懐疑的な考えが根強くある。であればなおのこと、その声をきちんと受け止める努力をするべきなのではないか。
- 「原子力委員会に原子力政策の方向について積極的な提言を行うことを目指している」という。しかし、原子力委員会の側の姿勢はどうか。中曽根弘文科学技術庁長官=原子力委員長は1月13日、福井県を訪れて、原子力開発利用長期計画の改定を待たずに「もんじゅ」の運転再開手続きをすすめる考えを示した。長期計画策定会議すらないがしろにされていることからするなら、「円卓会議」の提言に現実的な意味は期待できない。提言の有効性をどう担保できるのか。
- 以上に例示したような問題をそのままに「今後のエネルギー問題と原子力の位置づけ」を議論しても、井戸端会議の域を出ないのではないか。