平成11年度 第7回原子力政策円卓会議 議事録

平成11年度 第7回原子力政策円卓会議

1.開催日時:2000年2月7日(月) 13:30~17:00

2.開催場所:品川インターシティホール

3.議題:今後のエネルギー問題と原子力の位置づけ

4.出席者(敬称略,順不同):

 オブザーバー

 お招きした方々

(敬称略,順不同)

5.議事録
【事務局】それでは大変お待たせいたしました。定刻を過ぎましたので,ただいまより平成11年度第7回原子力政策円卓会議を始めさせていただきたいと思います。本日はご多忙の中,傍聴の方々を初め多数ご参加いただきまして,大変ありがとうございます。事務局より御礼を申し上げます。
 なお,開会に先立ちましてお願いでございますが,傍聴の皆様方におかれましては,円卓での円滑な会議の運営にご協力賜りますよう,よろしくお願い申し上げます。
それでは早速,本日の議事進行を担当されます慶應義塾大学教授,茅陽一先生に議事進行の方をお願いしたいと思います。なお本日は,モデレーターの木村孟先生が急なご用事でどうしてもご出席できなくなりましたので,事務局よりお詫びかたがたご報告申し上げます。それでは茅先生,よろしくお願いいたします。

【茅(慶應義塾大学教授)】茅でございます。いま司会の方から話がありましたように,このモデレーターの座長である木村孟さんが,本日はやむを得ない用でご欠席ということで,私,茅が代行して最初の部分をさせていただきます。
 最初の部分というと,ちょっと話がわかりにくいのですが,要するにこの円卓会議のごく簡単な経緯と,これに関しましての傍聴者,あるいは公募のご意見の紹介,そして出席者の方々のご紹介という段取りです。実は本日ご出席いただいた招へい者の方々は,この円卓会議に前におでになった方々がほとんどで,東海村の村上村長さんだけが初めてでいらっしゃいます。その意味では,円卓会議の経緯について詳しくご紹介する必要はないかと思いますけれども,傍聴の方もおられますので,ごく簡単に紹介させていただきます。
 この原子力政策円卓会議は平成10年,つまり昨年度に原子力委員会の要請に基づきまして作られたものであります。この会合は原子力に関しての行政の評価,提言を行うという条件で,いわゆる第三者的立場から会議を開くということで作っておりまして,その中ではモデレーター5人が選任され,モデレーターが依頼側の原子力委員会とは独立に運営をするということで,任された形で行っております。昨年5回会議をいたしました。本年平成11年度は7回を予定しており,実は本日がその7回目ということで,最終回に当たります。平成10年の終わりには中間的な提言を出しましたが,本日の会議を最後にいたしまして,一応我々モデレーターは提言をまとめるということにしておりますので,よろしくお願いしたいと思います。
 したがいまして,本日のテーマはやや広めに取りまして「今後のエネルギー問題と原子力の位置づけ」と考えています。ただやり方といたしましては,一般的にまず皆さんからコメントをいただくという従来の方法を,今回だけはやめさせていただきまして,たまたま東海村の村上村長さんにおいでいただいておりますので,まず村上さんの方から問題提起を15分ぐらいお願いして,それを基盤に皆様方からコメントをいただくという方式を取りたいと思います。皆さん方のコメントというのは,5分から7分ぐらいで,村上さんのおっしゃったことに対して直接のものでもけっこうですし,あるいはそれを含めて原子力全般にわたるものでもけっこうです。その点はお任せしたいと思います。
 そして,私の心づもりとしては,その後若干の議論を経て,15時にいったん休憩を取りたい。そして20分ほど休ませていただきまして,15時20分からあと1時間40分ほど,今度はその前半の討議を参考にして,いくつかテーマを挙げまして,ご自由に議論をいただく。そのような形でやりたいと考えております。よろしくお願いいたします。
 それから,第6回円卓会議,これは1月13日に行われましたが,それ以降の傍聴者の方からのご意見,あるいは公募のご意見というものをごく簡単にご紹介いたします。この間では,傍聴者の方から10通のご意見,公募の意見が2通,合計12通の意見が来ております。ほとんどは男性の方でして,60歳以上の方が半数を占めておられます。そして職業別には会社員の方が多く,地域的には首都圏を中心とした電力の大規模消費地が多かったということです。
 内容としては,1つは前回国会議員の方をお招きして議論をしたのですが,そういった関連では,今後も国会議員の方に原子力問題について積極的に議論をして明るい日本の未来を示してほしいという意見,それから議論だけをするのではなくて,立法化に結びつけるようなシステムづくりを考えるべきだという意見などがありました。また,本日のテーマの今後のエネルギー問題と原子力の位置づけという関連では,新エネルギーは信頼性,経済性が劣っていて,原子力の代替にはなり得ないことを国民に知らせるべきであるという意見,原子力には反対だが,そのために自分としても節電に心がけるなど,自分でできることを考えていきたいという意見などがありました。その他円卓会議の運営関連では,会議での論点内容について,一般の人向けに積極的に報道すべきという意見,円卓会議では原子力問題のみを扱うのではなくて,エネルギー問題全体を対象にするべきという意見などがありました。
 それでは本日の出席者をご紹介させていただきます。まずモデレーターの側を先に紹介させていただきます。先ほど申しあげましたように,5人のモデレータでこの会議を運営しております。座長は現在学位授与機構の機構長をしておられます木村さんですが,本日は欠席であります。まず,左側から,原子力発電技術機構特別顧問の石川迪夫さん。社会評論家の小沢遼子さん。慶應義塾大学の私,茅です。それから元中央大学教授の中島篤之助さん。以上です。それから,オブザーバーとして原子力委員会から原子力委員の木元教子さんにおいでいただいております。
 それでは後になりましたが,お招きした方々をご紹介申しあげます。初めは東京大学大学院工学系研究科システム量子工学専攻の近藤駿介さん。次が日本経済新聞社論説委員の鳥井弘之さん。科学ジャーナリストの中村政雄さん。原子力資料情報室共同代表の西尾漠さん。東海村村長の村上達也さん。東京大学大学院新領域創成科学研究科教授の山地憲治さん。以上の6人の方でいらっしゃいます。
 それから,この会議ではモデレーターの中の2人が,その度ごとに議長,副議長となって議事を進行させ,残りのモデレーターはこの会議で自由に発言するという方式をとっています。本日は議長が私,茅,副議長に中島篤之助さんをお願いしております。そのような形で運営いたしますので,よろしくお願いしたいと思います。
それでは早速会議を始めさせていただきたいと思いますが,先ほどお願いいたしましたように,まず最初に東海村村長の村上達也さんからお話をいただき,その後皆様方から順番にコメントをいただくという方式をとりたいと思います。では,村上さんよろしくお願いいたします。

【村上(東海村村長)】改めまして,東海村村長の村上でございます。初めて出席させていたただきます。どうかよろしくお願いしたいと思います。
 初めに,昨年9月30日,東海村は史上最悪の災難に遭遇しました。言うまでもなく世界史上では第3番目,日本史上最悪の原子力事故に見舞われたわけです。それまで東海村は,日本における原子力発祥の地,あるいは原子力の村として一面誇るところがありました。それは97年3月の動燃の火災爆発事故,これはレベル3ということでしたが,その後であっても変わるところはありませんでした。このため東海村は,日本における原子力推進のモデル地区と見なされることが多かったわけです。このような村の中でJCOの臨界事故というものが起こりましたので,そこの村長職である私としましては,この事故について,村民を代表して,全国民の皆さんに対して説明責任があるという理由から,今日はお招きに応じて参加させていただきました。
 つきましては,JCO事故発生の社会的背景と,それによって東海村はどのように変わったのか,そして3番目に東海村の抱えている問題は何かについて,全国に向けましてこの場を借りて訴えていきたいと思います。
 JCO事故の発生の背景についてですが,私は1997年3月動燃の火災爆発事故から半年後の97年9月,4期16年東海村長を勤められました須藤前村長の後を受け継いで東海村長になりました。
 村長になった当時,すでに動燃の改革検討委員会は発足していました。また原子力界においては,2010年までに20基の原子力発電所を新設する目標を掲げて前進していた時期でした。そのような中で,一方では86年のチェルノブイリの発電所の事故の後,ヨーロッパ諸国で始まったいわゆる逆風が日本にも押し寄せ始め,95年の新潟県巻町の住民投票条例の成立,95年12月の「もんじゅ」の事故,そして97年3月のわが東海村での動燃再処理工場での火災爆発事故により,この日本国内にも逆風は強まっていた時期でした。
 そこで私が出会った業界の人たちは,科学者や技術者というものに限りませんが,事務方の人も含めて,私が耳にしたのは「原子力施設は多重防護の思想に基づき安全確保対策が講じられているから絶対安全だ」と,安全性を強調されているのが多かったと思っています。私は「これはドグマかな」と,あるいは「神話ではないかな」とその当時もすでに感じていたわけです。
 村長就任から3~4か月たった当時,茨城県原子力協議会というのがありますが,その時の機関誌の新年号に,私はやはり「逆風が吹いているのは確かだけれども,逆風に立ち向かうのには安全神話のようなことばかり言っていてはたして有効か」というような問題提起をした覚えがあります。「それよりは,逆風はどこを原因として発生しているのか,その逆風の背景や本質をしっかりと認識していくことが大事ではないか。いわゆるただ単に安全だという結論を押しつけるということは,問題ではないか」という問題提起をしていました。当時,日本の原子力の発展段階はいわゆる第1期の草創期,それから第2期の発展期ということでいけば,私は,第3期は「いまちょうどこれから未来に向けての発展期に入るのか,あるいは衰退期に入るのか,踊り場ではないのかということで考えている」という,そのような見方をしていましたので,そのようなことを言ったわけです。
 しかし,この私の発言に対して,私の周りの人たちからは,むしろ発言自体を問題にすることはあっても,私の発言を真摯に受けとめようとする雰囲気ををあまり感じたことはなかったのです。それで私はそのような業界体質では危ないなと,このままでは将来大きな失敗を引き起こしかねないのではないかという懸念をしていました。
 率直に言いまして,今回のJCOの事故は,安全神話を唱えて逆風に対抗するという,そのことに勢力が集中され,むしろそのことによって内側の仲間に甘くなって,業界の内部でモラルが低下したり,あるいはモラルの風化が進行していたのではないかと感ずるわけです。
 第2は,業界全体が逆風の中で護送船団的な体質を強めたのではないかとも思っています。原子力は未来の火であり,新エネルギーともてはやされ,積極的に誘致するところが多かったわけです。ところが,チェルノブイリの事故以後,相次ぐ事故の中で,一番大事にしなければならなかったことは,私は安全規制行政の強化ではなかったかと思っているわけです。
 国民の原子力への信頼感を醸成するその源は,私は原子力安全委員会にあるのだろうと思っています。それだけ原子力安全委員会に対しての国民の期待は大きいわけです。ところが安全委員会というものは,国民から見て国民の目には映らない。その顔をも姿も見えないわけで,これではどうしようもないのではないかと思っています。
 今回のJCOの事故原因やまた事故対応についても,一次規制庁である科学技術庁の規制行政が問われました。また同時に,安全委員会の役割と存在も問われたのはご承知の通りです。原子力の安全性について国民の信用を得るためには,推進と規制の分化,規制行政の独立,一次,二次規制の撤廃以外はないのではないかというのが私の結論です。
 第3は危機管理,防災対策が,あってなきがごとくであったと言えるのではないかと思っています。それは今回の事故発生後言われた「想定外」という言葉と,原子力災害対策計画,一般的に原子力防災マニュアルですが,それで使われている「仮想事故」という言葉が,私ははどうもすべてを言い尽くしてような気がしてなりません。
 JCOのような燃料の加工工場では,臨界が起こることを意識しないで事業認可を与えていたとしか思えないわけですが,それは国道6号線,それから県道に近接した場所にあのような燃料加工工場,しかもまた住宅地から70~80mしか離れていない所に工場建設を認可したということからいっても,やはりウラン燃料加工工場での臨界というものは「想定外」という判断があったのではないかと思います。
 それから,仮想事故という「仮想事故」という言葉,これにも私は驚いています。茨城県の原子力防災計画,防災マニュアルの中の言葉ですが「原子力の事故は大量の放射性物質が放出される事故は考えられない」これが前提で,前もって発生した場合を覚悟し防災計画を立てているとなっていますが,あくまでも「原子力施設は安全であり,事故は起きない」というのが前提です。「したがって,仮想事故であるから,住民に対して屋内待避や避難等をこうずる必要はない」。そして,原子力発電所再処理工場等の事故を仮想し,その例示をし,結論は「いずれのケースでも具体的な対応は必要はない」と,このように防災計画はなっているわけです。「対応を必要としない」という防災計画は,理解できないことであります。
 2番目に,このJCOの事故で東海村民はいまどうなっているか,どのような意識を持っているかということですが,東海村民は昭和31年の日本原子力研究所の誘致以来,原子力と共存共栄し,原子力の村の村民として誇りにさえ思ってきたわけです。そのような村民の気持ちはいまどうなっているのか。私たちは昨年12月,電中研のご協力の下でアンケート調査を行ったのですが,その結果につきまして,皆さん方も興味がおありでしょうから,一部をお手元の資料の方で紹介します。
 なお,これについては2月中,村内においてJCO事故村民説明会を予定し,その中で詳しく説明をしていきたいと思っています。これは科学技術庁の,また安全委員会における事故調査の結論も出ていますので,村民に向けて報告していきたいと思っています。
 最初の「原子力の安全性」についてですが,これは同一人に同じ質問をしたものでして,事故前と事故後どのように変化したかを探ったものです。事故の前は,原子力については村民はあまり危険性については意識しておらず,原子力は空気のごとしという感じであったと思います。だが,事故後は,その危険性とともに原子力の存在を意識し始めたということがはっきりと読みとれると思います。
 2番目の「原子力推進について」,これも前問と同じ,同一人に同一の質問をしたわけですが,これもその前までは積極・慎重という推進が半数を超えていたわけですが,それがむしろ廃止の方に向けて大きく崩れ出しているということもおわかりいただけると思います。
 それと3番目に今後の村づくりをどうするのかということですが,住民の回答は私は冷静な回答であると思っています。原子力と村との歴史的な,あるいは社会的な関係をきちんとわきまえた上で,現実的な判断をしていると思います。しかしながら,かつての推進から,安全を重視した村づくりへと方向を変えていることにも注目しています。
 東海村は原子力平和利用推進を宣言している村ですが,これまでの姿勢そのままでよいかどうか,村の行政をあずかるものとしては村民の意識の変化を汲み,村政の座標軸を今後変えていくというか,考え直していかなければならないとも思っています。
 住民はいまでも屋内待避時の苦痛とか不安とか恐怖を忘れてはいないわけですし,村に対する悪いイメージ,風評による打撃にもじっと耐えているところです。このような住民の真意,心情にいかに適切に,同じ土俵に立って対応していくかというのが,これからの村政の大きな課題であろうと思っています。
3番目になりますが,「東海村からの発信」ということです。JCOの臨界事故に遭遇して,原子力の村,東海村を考えてみますと,45年間日本の原子力と共存共栄の名の下に歩んできて,日本の原子力の発展に貢献してきました。臨界事故に遭遇し,日本の原子力が直面している問題を,改めて気づかされたということです。人口密度約 1,000人,わずか面積として37平方㎞という狭い地域に,東海村はたくさんの原子力事業所を抱えています。ここにいろいろとまた問題もあるかなという気がしています。
東海村の抱えている大きな問題としては,1つは最前から触れた通り,原子力安全規制問題と原子力防災問題です。東海村には,14の事業所を村内に抱えていますし,JCOの事故以降,村民は,原子力安全性に不安を持つようになってきています。したがって,これからの村政の課題の中心に「安心して住み生活できる村」を掲げねばなりません。それは村単独でできる話ではないと思っています。
 また政府におきまして,原子炉等規制法の改正や,原子力安全委員会の総理府への移転,事務局の拡充等,充実策が示されました。私たち村民としましては,今後の安全規制行政の強化に期待しているところです。しかしながら,先ほど申しましたように,原子力安全委員会が,その程度の改革ではたして我々の期待にこたえてくれるかどうかということにつきまして,まだまだ不安というか疑問に思っているところです。どうか,東海村民,私たちの目に見えるような原子力安全委員会,それから原子力安全規制行政をやっていただきたいと思います。また我々の防災体制整備についても,政府の方から資金面はもちろん,人的な面,あるいは設備の面,そういう面でもご支援をいただきたいということを期待しています。
 それから第2は,やはり放射性廃棄物の問題です。原子力施設誘致以来,東海村には年々核廃棄物が蓄積されています。この処理処分問題を,どうしても声を大にして言わねばならないと思っています。現在東海村では低レベル廃棄物では全国の3分の1近い,ドラム缶にして33万本が蓄積されています。当然全国一の保有数であります。また高レベル廃棄物も液体のままで 480立米以上,またガラス固化体では62本も保有しています。その他,原子力発電所から発生している使用済み核燃料も,原電のサイトナイト,それからサイクル機構内にも保有しています。
 この廃棄物の問題については,問題点が3つあります。すべては本来最終処分方法,処分地が決まるまでの一時保管のものであった。これが何ら解決策もなく,今日まで永久保全の体をなしつつあるということに危惧をしています。東海村は自前発生のものに限らず,アイソトープ協会の廃棄物,それから敦賀市の方で発生する「ふげん」や「もんじゅ」で発生した使用済み燃料,そしてサイクル機構の再処理の役務契約により,他の地域の原子力発電所から発生した使用済み核燃料も東海村は引き受けてきています。この点は,他の原子力発電所在市町村と比べて,正反対の立場に立っているということであります。
 それから,高レベル廃棄物が不安定な液体のまま溜め置かれているということです。茨城県内の中心部に位置している東海村でありますし,30㎞周辺には約 100万人の人がいるわけですので,非常に政府をはじめ,事業者の方の努力が足りないのではないかと思っています。
 第3番目の東海村が抱える問題としては,日本原電の東海1号炉が現在廃炉に向けての準備が進められていますが,その廃棄物の処理処分の方法です。今後これについては,検討されていますので,明らかにされるものと思っていますが,我々の地域のみに負荷を負わせるということではなくて,やはり全国的な課題として取り組んでいただきたいと思っています。
 以上主要な問題点を提起いたしましたが,これらの問題を考えますと,東海村はすでに日本の2030年代の原子力問題の次元に達していると思います。原子力発祥の地として大事にしてくれるのであれば,すべておろそかにできない問題であろうと思います。政府のみならず原子力界を挙げて,全力を持って地元負担の軽減,解決に向けて努力願いたいと思います。
 最後になりますが,本日のテーマにつきましては私はまさに素人ですし,専門家ではありませんので,多くは語ることはできませんが,ただ私の方からは,原子力の推進をしていくという意味からも5つの点を問題提起してありますが,これらについても,国民あるいは住民が感じていることですし,今後適切に説明し,原子力の安定的な推進をするためにも国民の理解を求めることが必要かなということで挙げたわけです。
 原子力の村の村長としましては,当然新エネルギーにも興味を持っています。ある面では東海村の抱えている問題が,原子力から生じた問題というのもありますが,あまりにも大きすぎる,巨大であるからです。これは一地方自治体の能力を超えるものでありますし,東海村が今日まで原子力推進に果たしてきた役割を思いますと,逆説的に聞こえるかもしれませんが,新エネルギー開発にも貢献してよいはずであるとさえ思っています。要は公平な議論,検討の場を作り出す必要はないかということです。それでこそ,原子力業界のいまの閉塞状況の打破が望めるのではないかと思っています。
 新エネルギー開発が,先ほどは効率性とか安定性とか経済性とか,その点では劣るというような聴視者からのお便りがあったということですが,一方では新エネルギー開発がもう声を上げて成長し始めている今日の世界を見ますと,これを無視することは不可能であろうと思いますし,無視することも,原子力にとっては得策ではないと直感しています。そこで,原子力エネルギーが日本にとって地球環境にとって必要だという立場,いわゆる推進派が取るべき今後の姿勢として掲げたのは,何度も言いますが,次の5つのポイントということです。
 1つは日本人は白か黒か,正か反かを決めつける民族的な性癖を持つと言われていますが,原子力推進か,あるいは反原子力かの不毛の論,私が聞いていても不毛の論ですが,これはもうやめようと,大局的なあるいは国家的民族的な観点に立った議論をもう始めてもよいのではないかと思っています。
 エネルギー庁や科学技術庁の人たちに話を聞きますと,判を押したように「小資源国日本のエネルギーの確保と,COP3によるCO2 削減の義務」,この2点を強調してきます。私はこのことを何万回言われても,国民はそれで原子力が必要だというようにはならないと思っています。国民はそんなに単純ではないのではないかと思います。やはりこの説得性は欠け,一面的だと私は思っているわけですが,国民の方はもう大量生産とか大量消費とか大量廃棄とか,電気多消費とか,そのような経済社会システムに対して疑問を持ち始めていますし,未来の人類にとっては反省すべき時に来たと考えているのではないかと思っています。その点では,政府あるいは事業者の方の意識と,国民との意識の乖離が私は拡大しつつあるのではないかと思っていますので,その点は注意すべきではないかと思います。
 2つは,原子力は生み出すエネルギーが巨大であるだけに,潜在的な危険性を秘めているのは言うまでもないわけですが,また生み出す廃棄物の処理処分の科学技術ももう現在の時点ではまだ完全ではないようですし,人類の未来に負の遺産を残さないとは言えないという危惧もあります。そういうことを考えると,日本の国内の事情ばかりでなく,偏西風下の風下にある地勢学的な意味や,技術上,軍事上から世界に拡散していってよいのかどうか,先進国である日本の役割は大きいのではないかと思います。
 3番目は「ドイツの仮説」ですが,日本と同じ大国のドイツのシュレーダー内閣は,原子力全廃の仮説を立てて,エネルギー政策を再構築しようとしているのはご承知の通りです。科学技術の進歩は,仮説によって進歩してきたと私は聞いています。技術立国日本であれば,その民族的性格上,ドイツほど断固たる仮説を立てられないかもしれませんが,技術の進歩のためには参考にすべき点ではないかと思います。
 4番目は,今日のエネルギー政策は中央を中心した,基本的には一国主義の観点から論じられていると思います。この点から原子力発電所在地側から,地方の側からの視点を取り入れていく必要があるのではないかと思っています。単純なことを言って,間違いがあれば後で教えてもらいたいのですが,例えば東海村は1万 1,000世帯ありますが,この年間電気量をまかなうとすれば,熱効率25%と言われるいわゆる風力発電を使うということであれば,たぶん20基程度もあれば十分間に合うのではないかという気がするわけです。そうなると地方だけを取れば,私は電力の需給はかなりできると。ただ,日本全国,一国をとればそうはいかない。特に大都市が問題で,そのような観点も,今後の新エネルギーについては必要ではないかという気がします。
 5番目の「原子力の推進には国民的合意形成を」とかねがね言われていますが,全国の原子力発電所在市町村はこれを言ってきています。その中の1つに,原子力政策は国策と言っているが,現実の問題に原子力所在市町村の首長はいろいろな面で苦しんでおり,直面しているわけでありますが,どうも国策,国策と言いながら,私もそうですが,国民的議論が真になされて国策になっているのかどうかという疑問が感じられるわけです。昨年末,衆参両議院による新エネルギー促進議員連盟が誕生したと聞いていますが,エネルギー問題全般について国会の場で議論することは,原子力について国民的な理解を得るためにどうしても必要ではないかと思っていますし,その点については今後の活動に期待しています。
大変長い時間話をしてまいりましたが,終わりにJCO臨界事故によって,日本史上初めて体験を強いられた原子力の村の村長といたしまして,原子力政策円卓会議の主旨に則り,私が疑問に感じていたことも含めて,思いの丈を述べさせていただきました。しょせんは素人のこと,専門家の皆様から見たら誤解や思い違いはたくさんあったと思います。そのことについては,今後ご教示やご指導を賜りたく思います。長時間ご静聴いただきまして,大変ありがとうございました。

【茅】ありがとうございました。予定よりはだいぶ長くなってしまったのですけれども,日本の原子力のスタートであった東海村の責任者という立場で,いろいろな側面からお話をいただいたかと思います。
 それでは先ほどお願いいたしましたように,あと5人の招へい者の方々に5~6分ずつコメントをお願いしたいと思います。内容的にはいまのお話を基盤にして,それに直接関係ないというとおかしいてですが,やや広めに,原子力全般にわたってもけっこうですので,その辺はよろしくお願いいたします。
いつも結局アイウエオ順になって恐縮なのですけれども,近藤さんからお願いいたします。

【近藤(東京大学教授)】近藤でございます。私どもの属しています東京大学も東海村にいくつか施設を持っていまして,日頃お世話になっている村長さんからいろいろな感懐を述べられたところ,私どもも事業者として心しなければならないこと,ならびに地域社会の発展に我々が何ができるかということを考えなければならないと,これは常日頃考えていることでありますが,改めてそういう思いを深くした次第です。
 さて,村長さんからは大変幅広く,しかも本質的な問題を指摘されました。これについて私がコメントとしてつけ加えることはないわけですが,今日はこの会議の7回目ということで,何か成果を取りまとめることになるのだろうと思いますところ,円卓会議の役割というものを今後どうするか,あるいはこの7回の成果を,どう国民に問いかけるのかということについていささか関心を持っているわけです。そういう観点で,1つ2つ申しあげます。
 1つは,前回国会議員の方にお越しいただいてご議論があったと伺っています。今日議事録を拝見させていただきました。これまで原子力委員会,長期計画策定会議,あるいは総合エネルギー調査会原子力部会等でエネルギー政策に関する国会の役割について議論がなされてきたわけですが,前回の議論を伺いますと,この会議に前にも出席した際に申しあげた国会の役割について,それなりの見識を持った方がいらっしゃるということについては心強くしたわけです。しかし,日本のエネルギー政策をどういう形で決定していくかということについては,さまざまな機会に注文なり意見が出され,批判がなされているということ,これについてこれだけ長く議論をしてきたわけですから,この円卓会議としてはこれらを踏まえてそのあり方について問題提起をしなければならないのではないかという感想を持ちます。
 その場合何が言えるのかということですが,これはもちろん後半の議論の大きなテーマになると思いますけれども,第一はいかにして国民の参加を担保するかということ,特に国民の関心の深い省エネとか,先ほどお話しのあった各種エネルギー源の比較とか,将来社会のあり方,成長を志向するのか,はたまた違う社会像を描くのか,この辺についてもエネルギー政策との関連において十分な議論がなされていないという印象をお持ちだ,そこは何としても解消していかなければならない。その策についてモデレーターの方の見識あるアウトプットを期待したいと考えるところです。
 第2は,原子力安全行政について,いま村長からご指摘がありました。これは国としては,おそらく1つには原子力災害特別措置法と原子炉等規制法の改正を持って緊急避難的な処置をなしたという理解かと思いますけれども,これまた21世紀を迎えるにあたって,これだけでよいかとなると,もちろんJCO事故調査委員会の報告があり,これには多くの提言が含まれているわけですけれども,それを消化していくことでよいのかと。私としてはそれでは不十分で,もう少し組織論的な検討をする必要があると考えています。
例えばしばしば問題提起されるのは,アメリカ型の単一の独立規制官庁の方がよいのではないかと。これはアメリカの固有の事情,アメリカというのは大臣というか長官というのは大統領の任命ですから,大統領の意向を受けてシングルイシューで長になる。しかし,粗利には安定性が大事だからそういう行政システムの中に置かないという主旨で,それと離れた組織としての存在している面が強いわけですが,日本の場合はそういう主旨である金融監督庁も担当大臣は1,2年で変わるわけです。だから,やはり個々の文化なり社会制度の中で適切なものを選んでいくことが必要なわけですが,そういう観点からは,私は公安委員会とか公取委員会と同じような意味の原子力安全委員会というものについては,いまよりもむしろ透明性は落ちるかもしれない。あるいは事務当局の力が強くなるかもしれない。それよりは,内部での専門家と行政官との意見の相違が,透明な表から見えるが,いまのシステムはそう悪くもないのかなという気がするのです。この辺については,しかし十分な議論をしてみる必要があるので,その辺の基本的な議論をするということもまた提言されてよいのかと,そういう原理的な問題提起がなされたことについて,受けとめないのは少し問題かなと。勿論,この会でのそういう議論を通じて,やはり制度論よりはマネージメント論で詰めた方がよいという判断をお持ちならば,そういうご提案でもよろしいのかなと思うわけですが。時間の関係で,以上2点についてコメントさせていただきました。
【茅】ありがとうございました。それでは次に鳥井さんお願いします。

【鳥井(日本経済新聞社論説委員)】1つ感想として申し上げたいこと,おっしゃっている中身は非常にもっともなことであって,やっていかなければいけないことをたくさんおっしゃっていただいたと思うのですが,1つ「合意」という問題なのです。
 「国民的合意を」ということをずい分言われて,第1回目の円卓会議が開かれた時にも三県知事から「国民的合意を」という話をされて,第1回が開かれたわけですけれども,どうも合意が取れたのか取れないのかが,いつまでたってもよくわからないのです。合意ができた状態というのはどういうことなのかというのを,少し地方自治体の方から提案を,合意を形成しろとおっしゃる時には例えばこういうことでもよいと思うのですけれども,「こんなことがあると合意ができたね」というようなことを付け加えてものを言っていただくと,いろいろなところで整理ができるかなという感じがします。
 2番目で,これは本日の本題の話なのですが,新エネルギーがよいとか,原子力がよいとか,いや原子力は危ないとか,新エネルギーは役にたたないとかいろいろな議論をしているわけです。その中でベストミックスなどという言葉ができているわけです。まってくれよと,何をどういう指標で考えてベストという,ベストミックスなのだろうという感じがするわけです。何か都合よくベストミックスと言っているに過ぎないような感じもするわけです。
そうするとエネルギー源というものを評価するために,いまは非常に経済性が重視されていますが,いろいろな評価軸があるはずという感じがするわけです。例えば経済性というのが1つです。それから,ライフサイクルを通して自然界との物質のやり取りの量,例えば施設を造ったり,資源を掘ってきたり,いろいろな意味で,そのようなものもあるかなと。それから持続可能性です。これはいわゆる資源論のようなものです。それから投入したエネルギーに対してどれだけのプレイバックがあるかというような問題だとか,それからほしい時にいつでも使えるような安定性ということも視点に入るでしょうし,それから世界中のどこでもあるエネルギーとどこかに偏在しているエネルギーもあるわけです。そういう,これは例えばの話で申しあげたのですけれども,いろいろな側面があるので,そのどういう側面を我々は目指していくべきなのかということをきちんと議論をして,その軸に合わせて「ああ,なるほど新エネルギーの方がいいね」とか「いや,原子力も捨てたものではないね」とか,そういう議論を少しした方がよいような気がしまして,そのような評価軸がないとどうしてもお互いに感情的な議論をしたり,思い込みで議論をしたりということになるので,何かどこかでそういう研究をきちんとして,どうい評価軸をつくるというようなことを,思いつきでなくてきちんとやるということをどこかでやってほしいなという感じがしている次第です。以上です。
【茅】ありがとうございました。では,次に中村さんお願いします。

【中村(科学ジャーナリスト)】村上村長さんから,原子力安全規制行政の弱体というご指摘がありましたので,この点について私の意見を申し上げたいと思います。
 いまの安全委員会を中心とする安全対策は,国民の期待にこたえているかどうか私は疑問だと思っています。例えば今度の事故が起きた時に,政府が対策本部を設けましたのは発生から10時間後です。なぜ10時間もかかったか。安全委員は専門的な判断を下す能力に不足があったのではないか。あるいは行政的に責任がないからそうなったのか。この辺はよく追究すべき点だと思います。
 それから,だいたい安全委員会が許可をした施設で,臨界事故が起こったということが,そもそも私には理解できない。臨界が起きないという判断をつけた施設で臨界が起きたというのは,安全審査のやり方が悪かったのだと思うのです。事故調の報告書を見ましても,この辺については原因究明の対象となっていない。いったい何だという気がするのです。こういう状態では,私たちは原子力安全行政に十分な信頼を置くことができないと思います。
 なぜ安全委員会はそうなるのか。原子力の実用的な面から見ると,安全委員会の審査というのは,二次審査になるのです。ですから,存在が二次的な存在になっている。あってもなくてもよいような行政的な位置づけがなされるのではないかと思うのですが,しかし,私たち普通の人間から見ると,二度に分けて念を入れてやるのだから,二度やればなお安全だろうと思うのですが,実際は,なかなか安全委員会というのも自由闊達な議論がなく,やりにくいような雰囲気があったように感じています。
 ですから,私は安全委員会の中身を改革する必要があると思うのです。専門的な立場から議論をするのでしょうけれども,普通の人間から見ると,安全委員会がそこで議論をして安全だと判断をしてくれたから,私たちは安全を信じてよいと思う拠り所になるわけです。ですから,そのように思える存在であるためには,いまのように一次,二次と,二次を受け持つのがよいのか,1つの安全審査体制だけの方がよいのか,よく検討してもらいたいと思います。その議論の結果は,1つでよいとなるのではないかという気はしていますけれども。
安全委員会がなぜあるか,それはあった方が安全だと普通の人が思い,信用しやすいために,あの原子力船「むつ」の漂流の時にできたわけです。その期待に十分こたえる存在になっていないということで,反省材料にしていただきたい。事故調の報告書はその点に触れていない。私は不満であります。村長さんのお話を伺いまして,そのことを申しあげたい。

【茅】ありがとうございました。では次に西尾さんお願いします。

【西尾(原子力資料情報室共同代表)】原子力資料情報室の西尾と言います。今日は資料の中に発言要旨というのを入れているのですが,その話ではなくて,少し別の話をしたいと思います。発言要旨の中には,要するに円卓会議をこのまま続けて本当に役にたつのかという疑問のようなことを書きましたので,そうすると,では何を言ったらよいのかということにもなるのですけれども,その上で,もし本当に役にたつものにするとすれば,いま村長の方からありましたような,きちんとした議論をつくる,そのための設定がここではできるのではないか。あるいは鳥井さんが言われたような,議論をするための場の設定,そういったことぐらいはできてもよいのかなと思っています。
 今日のテーマは今後のエネルギー問題と原子力の位置づけとなっていて,先ほどの公募意見で「原子力のみではなく」という話がありました。あるいはモデレーターの中間提言の中にも似たようなことが書かれていたと思うのですが,原子力だけではなくて,エネルギー問題全体をきちんと考えていく,ではそれをどのように議論ができるような形ができるのかということを考えられたらよいと1つは思っています。
 その上で,しかし,そうのんびりもしていられないこともやはりあって,原子力について,原子力だけを特別扱いしているのはおかしいという側面が一方にあると同時に,もう一方でやはり特別扱いするべき事柄というのがいくつかあると思うのです。1つはいま村長の方からありましたような,防災という言葉が使われましたけれども,現実に原子力発電所,あるいは関連の施設が動いている以上,そこから放射能災害・放射線災害を起こさせないためにはどうしたらよいかということは,やはりこれはきちんとしなければいけない。それから,今回のJCOの事故の時に,あれだけの濃縮度のウランが非常にずさんに扱われていたということからすると,改めてその核拡散ということに対して,核物質防護と保証措置と両方合わせてかもしれませんけれども,本当にこのままやっていて大丈夫なのかどうかということはきちんと検証する必要があるだろうし,そういうことがないようにしないといけないと思います。
それからもう1点,やはり村長の方から話がありました,高レベル廃棄物を中心とした放射性廃棄物の後始末についてどうするのかということを,やはりきちんと考えておかないといけない。これらはやはり原子力にかなり特有な問題で,しかも現実に原子力発電所や関連施設が動いている以上,きちんと考えておかなければいけない問題だろうと思います。それをどのようにしたらよいかという枠組みのようなものがここで出せるのかどうか,その辺の議論ができればと思っています。

【茅】ありがとうございました。では,最後になりましたが,山地さん。

【山地(東京大学教授)】山地でございます。村上村長初め,招待された皆さんの話を伺って,私は3点申し上げたいと思います。
 一番目は法律ですが,法律と言っても村上村長が最後の方でおっしゃった愛知和男議員が中心になってやられている,あれは多分「新エネルギー」ではなくて「自然エネルギー」だったと思います。「自然エネルギー促進法議員連盟」だと思うのですが,私は基本的に言うと,この自然エネルギー促進法に対しては,反対です。
 というのは,私はここでも申しあげていますが,いま西尾さんも言われたことですが,原子力の問題もエネルギー全体の中で原子力を議論する,新エネルギーや自然エネルギーもエネルギー全体の中で議論をする,そういうことが大切であって,原子力も原子力だけを取り上げて進めてきてこういう状態になって問題だということが指摘される。自然エネルギーもしかりだと思うのです。
 選挙民の方は自然エネルギーはアンケートを取ると人気がありますから,議員さんがやりたくなるというのはよくわかるのですが,しかしやはりエネルギーは全体で議論をする必要がある。
 ですから,私はむしろ必要なのは,エネルギー基本法とか総合エネルギー政策法とか,そういうものであるべきだと思います。その中で,例えばエネルギー税,石油とか電気にかかっている税から特別会計があるわけですが,その使い方を,この時点でもう少し全般的に見直すとか,そういうことがまさに国会の政治家の先生方がやるべきことではないかと考えています。いまのが1点目です。
 2点目は安全規制の組織です。これは近藤先生,中村さんが取り上げられました。村長がおっしゃったと思うのですが,私もやはり独立した安全規制の組織が望ましいと思っているのです。しかし,NRCがよいかというと,私はNRCのパフォーマンスは決してよいとは思わない。では何がよいかというとちょっとこんがらかりますが,基本的には実力のある有効な安全規制組織は,推進側と切り離して,しかし一段階でよいと私は考えています。
 中村さんもおっしゃったように,私は以前から申しあげているのですが,原子力安全委員会は二段目なのです。ダブルチェックと称しているわけで,ダブルチェックというと聞こえはよいけれども,やはり二度手間をやっているということなのです。それは何というか建て前がずっと生きているわけでして,それよりは有効な一段チェックをやる。ただし,やはりその時に推進と一緒になっているというのは,どうしても問題だろうと思います。ここを切り離す。そういう意味です。
 もう1つこれに関して言えば,JCOの事故以降,安全規制の強化ということが言われているわけです。人も大勢受け付けるというのです。JCOの事故は事業者の怠慢,規則違反があって処分されたわけですが,同時に,これも中村さんがおっしゃったのですが,安全規制側にも責任があるという声は十分にあったわけです。にもかかわらず,安全行政側の責任というのはいったいどうなっているのか,議論されないまま安全規制を強化するというのはちょっとおかしいと考えます。
 もう1つこれに関して言いますと,独立した実力のある安全規制組織がほしいということですが,この時も政府組織がすべてを見る,お上がすべてをチェックすれば安心だという意識がともすれば出てくるわけです。つまり,人をたくさん雇ってきちんと見なさいというわけですけれども,現実はどうかというと,必要のない規制をされると結局守られなくなるわけです。それでデータ改ざんであるとかいう話が出てきて,結果として世間の中では安全に対する信頼が失われる。そういう矛盾が露呈してくるわけです。そのためには有効な規制が必要だ。そのためには業界の自主規制というのがまずベースにあるべきで,それをきちんと生かした上でチェックする。そういうことがないとだめです。やはり上から全部見ようというのは,これは非現実の話だと思うのです。これが2点目です。
 3点目はそれと関係しますが,リスクに関してです。村上村長は「金太郎飴のごとく原子力安全が議論されていて,安全神話があった。それがおかしいなと思ったら,やはりおかしかった」という話で,私もその話はよく理解できます。私は近藤先生から原子力安全を教わったわけですが,「絶対安全はない」というのが,我々エンジニアはものすごく最初から教わることなわけです。携わっている人は絶対安全はないということを十分に理解しているはずなのです。ところが対社会的に原子力の安全を語る時に,どうしても絶対安全に近いことを言ってしまうのです。
 これは結局何が原因かというと,どの程度安全が安全なのか,つまりリスク,危険性というのは必ずあるのだけれども,どこまでその危険性を受け入れられるのか,程度の問題というのは,社会的に議論をするとものすごく難しいわけです。これはリスクの問題でして,私はこれに関しては一朝一夕には片づかないと思うのですが,原子力に限らず遺伝子工学とか化学物質とかインターネットとか,いまの現代社会は技術に基づくリスクが山ほどあるわけでして,こういうリスクをやはり評価し,データを集め,対社会的に発表していく。その中で原子力というのはどういうリスクかということを,世の中の共通の知識として定着させていく。こういう組織が必要だろうと思うのです。
これは世の中に対する広報ということを考えると,単に研究ではだめで,研究はリスク学会的なものがいくつかあって,研究者はいるわけですが,それをきちんと世の中に知らせるような組織,そのようなものがないと,やはりどうしても我々原子力に対して絶対安全をつい言わないとどうにもならないような状況に追い込まれてしまう。やはり世の中がリスクというのはどういうもので,我々はどのようなリスクにさらされて,これは受け入れている,原子力はどうだと,そのような社会としてリスクについて議論ができる素地が必要だと考えます。この3点を申しあげたいと思います。

【茅】ありがとうございました。これで,招へい者の方々のお話が一応終わったのですが,今回のお話をずっと見てみますと,わりと焦点が絞られているような気がするわけです。
 1つはいま最後に出てきました,安全をどのような体制で確保するかという問題がありまして,具体的には安全委員会という現在の体制をどうするかというのが1つのポイントだろうと思います。
 それから2番目には,原子力というよりエネルギーの中の原子力というものを考えろというお話が多かったわけですが,そういった意味で,エネルギー全体をどういう評価で考えるか,これは鳥井さんのお話にあったようないろいろな評価の視点がありうると思うのですが,こういった形で今後のエネルギー,原子力のエネルギーも1つという意味で,それをどういう視点で評価すべきかというのが2番目のポイントであったと思います。
 3番目のポイントは,この円卓会議,実は円卓会議自身は私はこれで終わりだと思っていますけれども,ただ円卓会議以降,こういった会合にどのような役割を期待するかという問題です。これについて,やはりいくつかのご意見がありました。
 このような3点が,特に村上村長のお話のあとの皆さんのご意見の中心であったという気がいたします。
 実はこの後少し議論をと申しましたが,もう3時10分前ですので少し早めですが,ここで20分ほど休みを取らせていただきます。そして,その後に議論をお願いしたいのですが,私としては,いま3つのポイントを挙げましたが,こういった点に皆さんのご意見が集中していますので,この辺を順番に議論をしていただくという方式を取ったらと思いますので,休み時間の間に少しどういうことを言われるかちょっと考えておいていただければありがたいと思います。
それでは,これで休憩に入ります。

【事務局】それではこの辺で休憩に入らせていただきたいと思います。円卓の先生方がご退場になる間に事務局よりお知らせがありますので,恐れ入りますが傍聴の皆様方はそのままご着席下さい。
初めに会議の再開ですが,15時10分とさせていただきます。3時10分とさせていただきます。それまでにご着席いただきたいと思います。トイレの方は会場,奥側のドアを出られてロビーにあります。また出られて,ロビーの奥の方にドリンクサービスのカウンターを用意してありますので,そちらの方でお飲み物等召し上がっていただければと思います。また,会場内に入る際にお渡ししたバッジですが,再入場の場合にご確認をさせていただくことがありますので,必ず胸の方にご着用をいただければ幸いです。また会場内は禁煙となっていますので,喫煙の方はロビーの方でよろしくお願いいたします。それでは3時10分まで休憩に入らせていただきます。

--休憩--


【事務局】それでは円卓の先生方もご着席になられましたので,本日の原子力政策円卓会議,後半の議論に向けて再開させていただきたいと思います。茅先生よろしくお願いいたします。

【茅】それでは再開いたしますが,まず議論を始める前に,先ほど村上さんのお話の後で5人の方のコメントがあったのですが,それに対して,もし村上さん何かいまおっしゃりたいということがあれば,どうぞお願いいたします。

【村上】そうですか。ありがとうございます。最後の山地先生からの話で,リスク管理についてお話がありました。科学者の間では,当然ながら絶対安全ということはないということは厳しく言われた中で研究されているというわけでありますが,それで「リスクを議論できるような社会を」というご提言がありました。
 私も今回の事故を契機にしまして,いままで住民に避難をさせるとか,あるいはヨウ素を配付するとか,そういうことをすることはいわゆる原子力に対しての不安を煽ることになると,ありもしないことに対して,起こり得ないことに対して不安を煽るというような話がありまして,非常にわれわれとしてもその点について臆病であったわけです。それで今回の事故を契機として話を聞いたところ,愛媛県の伊方町とか北海道の泊村のほうでは,住民参加の防災訓練をやっているという話をお聞きしました。そのことによって,原子力に対しての反対とかそういうものが起きているわけではないということもありました。
 今後やはり原子力の持っている危険性というものを,われわれとしては防災計画の中で十分に明示しながら,それに対してはこのような対応をしているということが必要かと思っています。
いままでやはり国民を子供扱いしてきたのが,私は原子力業界だろうという感じがしてなりません。やはり,国民は,だんだん原子力がこれだけエネルギーとして利用されていることもわかっていると同時に,やはりそういうものに対しての理解も示されてきていると思いますので,できるのではないかと思います。

【茅】ありがとうございました。それでは,皆さんのほうからご議論をいただきたいのですが,いまの最後のリスクの問題というのは,実は後半に予定していたトピックの1つに入るものですから,そこで少しやらしていただきたいと思います。
 もう一度繰り返しになるのですが,皆さんのほうから出たご議論の中のポイントというのは,先ほど申しあげましたように,3つが特に大きくて,1つはいまのリスクの問題を含めた安全の問題。これはどのようにリスクを考えるかという問題と同時に,現在の安全委員会を中心とする体制をどう考えるかという問題が1つです。
 2番目はエネルギーの評価の軸をどうするか。要する原子力はやはりエネルギーの全体の中で考えるべきであり,その中で一体どういう位置づけをするのかといった時に,必ず評価の問題が出てきますが,そういった評価の軸をどのように取るかという議論が当然皆さんのほうからだいぶ出てきました。これが次だろうと思います。
 そして最後に,今回が円卓会議の最終回なのですが,円卓会議その後と言いますか,こういうタイプのものを今後どのように皆さんがお考えになるか,これはいろいろ問題提起がありましたので,この議論をお願いできればと思います。
 いま3時16分ぐらいですので,1時間40分以上ありますので,3つぐらいできるのではないかと私は期待をしているのですが。
そういうことで,最初は安全の問題から入らせていただきたいと思うのです。近藤さん,手を挙げておられましたが,多分この問題だろうと思いますので,最初に発言をしていただくということでよろしいですか。

【近藤】手を挙げた主旨は,防災対策の問題について村長が言及されましたので,これについて少し現在の日本の仕掛けについて,解説したかったからです。その点でよろしいですか。
 村長さんには若干申しわけないこともあるのですが,日本の防災の基本的な考え方は,防災活動を計画的に運用するのは住民の安全ということで,地方自治体の権能になっているということがあるのです。いままでの原子力防災は,災害対策基本法の枠組みの中ではそういう位置づけになっていて,自治体が防災計画を立てる。それについて,国は助言するという立場だったのです。ですから,どうぞ立派な防災計画をお立て下さいというのが基本だったのです。
 ただ問題は,そう言ったって,火事,水害ならともかく地方自治体にはそういう専門的な能力もないではないか,それなのに立てろというのはけしからんという議論があって,そこをどうするかということが長く議論されてきたわけです。阪神・淡路の大震災の後,そう言っていてもらちが明かないので,むしろ国と地方自治体は協調して実動性ある仕組みを考えましょうということになった。これが先手の原子力安全委員会防災対策専門部会の提言だったわけです。それと併行して,茨城県等が積極的にそういう方向で案を作り動き始めた。そこで今回の事故が起こったというのが現状なのです。
 そこで先程述べた特別措置法ができたわけですが,これは,とにかく最初の状況認識と行動の基本的なところを決めるのは国だと,最近の,内閣は危機管理を重視していますから,国がそれをやるのだということで,いわば従来の立場に対して,私の好む表現だと,コペルニクス的転回が起こったわけです。しかし,国が第一発の責任を取るのだといつでも依然として,具体的な防災計画は自治体の責任です。自治体は自らの考えで設計してよいという,設計しなければならないという,地方自治の原則,住民安全の責任は自治体の持っているという意味でそういうことになっているのです。
 そこのところが重要で,しからばそれは県なのか市町村のレベルなのかという問題がまたそこに出てくるわけです。ですから,自治体という言葉を使いながらも非常に複雑な問題があるのですけれども,そこをいま議論する気はないのですけれども,しかしそういう構造になっているわけです。
アメリカでは,そういう計画も事業者が立てて,それを地方自治体が認可することによって原子炉の運転が可能になるという制度を取っています。これまた国によってさまざまなのですが日本の場合はそういう格好になっていなかったのですが,今度の法律では事業者も防災事業計画を立てる,地方自治体も防災計画,国も三者がそれぞれの立場で役割を分担しましょうということで,迅速に行動できるようにすると,過去自治体の方がおっしゃっていた希望もかなり入ったと私は思うのです。しかし魂を入れるのはこれからで,村長がおっしゃるような主旨で,自治体の方が,例えばヨウ素を剤配る練習もしたほうがよいのだとお考えならばそれは十分できると,すでにやっているところもあるわけですけれども,そういうことも含めて知恵を出していきたいと,いくべきだと考えいてます。これは提言ではなくて,現実の解説なのですけれども。

【茅】わかりました。ただ,いまのような方法は,先ほどの例えば山地さんのご意見とはむしろ逆方向のような気がするのですが,この辺はいかがですか。

【山地】防災というのは,起こった後どうするかということですね。リスクというのは,起こる前にどう評価するか,どう理解するかというところで,そこは違いますので,そう対立するとは私は受けとめませんでした。
 むしろちょっと余計なことを言ってしまうと,リスクという点から言うと,先ほど村上村長が日本で最悪,世界で3番目ということで,チェルノブイリ,TMIと並べてJCOの臨界事故を多分言われるのでしょうけれども,それは社会的インパクト,新聞報道の量,そういう意味だとそうかもしれないのですが,実際のまさにリスク評価という点から言ったら,本当にそうなのでしょうか。私はそうではないと思っているわけですが,そういうことをやはり言わなければいけないのではないだろうか。
 ただ,安全だという人に安全管理を任すなというのはそのとおりで,これはまたわかるわけです。予防保全が大事ですから事前には慎重であるべきですが,起こったものをどう評価するかということに関しては,きちんと評価しなければいけなくて,それを単に新聞で多く報道された,社会的影響が大きかったから大事故だというのは,私はやはりおかしいと思う。これはこの程度のリスクの事故だったのですよというきちんとした評価がされるべきだと考えます。
その点から考えて,防災上も10㎞圏内の屋内待避とか,あるいは常磐線とか高速道路を止めたとか,やはりそこに問題があると思います。当時の事情はわかりますから,あの時これしか手がなかったのだということは私は理解しているつもりですが,しかしやはり望ましい対応ということから考えると,非常に問題である。タイミングの問題もあると思います。リスク評価というのはいかにタイムリーに行えるか,それからいかにタイムリーに責任ある決断ができるかという,そんなところがあるのですが。

【茅】私も多少混乱しているのですが,この間のような事故が起きた,つまり災害が起きた後の対応の体制というのと,災害を防ぐための防災の体制と,それを全体ひっくるめた安全体制と,この3つの側面があるわけです。近藤さんがおっしゃったのは,災害が起きた後の体制でしょうか。近藤さんはどれを言ってらっしゃるのですか。

【近藤】防災計画です。これは災害が起きた時に,災害が起きることが明らかになりつつある時に,いかに被害を最少にするかという活動をあらかじめ決めておくものです。ですから,防災という言葉も実は災害の原因が起きている世界の言葉なのです。防災対策というのはその場合の危機管理活動を言うのです。
 で,本題の全体をひっくるめたリスク管理とわれわれが一般的に言う安全の話は,こういったらよいでしょうか。また教科書的で申しわけなのですけれども,何らかの潜在的危険を有する行為については,わが国の法律は一般的にこれを禁止して,適切な設備と適切な技術的能力を持った者にのみ許可することにしています。許可という行為で規制をしているわけです。その時に,どういう設備,どういう人に許可するかというところで,この設備ならばリスクが十分小さい,社会的に容認されるリスク水準だからよいということで許可する。その許可の判断,あるいは引き続き能力、機能が維持されているか調べる検査とか監査とかそういうものをいかに適切に行うか,これは全部リスク管理の問題なのです。
 で,山地さんが言ったのは,そこのリスク管理である規制が過剰規制では困る,そういう規制は効果が薄いこととがわかってくると空洞化が起こるというか,効率的でなくなる恐れがあるということかと思います。
 そこはやや細かい議論になっていると思うので,それよりは,ここではまずリスク管理のあり方ということで議論をするのがよいと思うのですが,その点で私がまずお話ししたいことは,3つの責任と私は言っているのですけれども,規制行動に伴って3つの責任が生じると言うことです。第一は,いま申しあげたような原理ですから,明らかに国にはかくなるもののリスクが十分社会的に容認できるほど小さいということを判断する責任があるはずです。ですからそれが十分まっとうできるような行政組織を持たなくてはいけないところ,ここにいまの行政組織がそういう意味で十分かという議論が生じます。
 それから第2の責任というのは,許可した以上,許可された条件がずっと維持されているかどうかをチェックする,監査責任と私は言っているのですけれども,それがある。今回わかったことは,日本の規制法ではその監査責任の規制が非常に弱いというか,設備検査でそれを担保しているのですけれども,およそ安全性というのは設備のみならず人の関わる技術的能力もあって始めて担保されるのですから,機械のみならず組織の監査も必要です。だから,そういうことも含めて,検査というより手段よりは,監査という使命概念がきちんと確立しなければならない。ここの責任の立て方が少し弱い。
 国際社会では原子力発電施設については,だんだんそういう方向になっていますから,現実には行政指導の世界では,そういう面をかなり実態的には取り入れているのですけれども,法律上はやや弱い。
 それから第3の責任は,これは設置者の責任なのです。設置者は許可された技術的能力,許可の前提になっている技術的能力を維持する責任があるはずなのです。皆さんが車の免許をもらった後は,その後は何をしてもよいわけではなくて,正しい作法で運転するという責任を負託されているわけです。その負託された,ちゃんとした運転ができ,ちゃんと設備をメインテナンスするという責任,これがあるはずなのです。
 これについて原子力発電所では,保安規定,自分たちはこの設備はこういう考え方で,こういうことについて検査をして,こうこう云々のことをやりますということの約束事としての保安規定を作って,それを国に出して,認可を受けてその通りやるという格好になっているのです。ですから,事業者は安全確保に第一義的責任があるとか,自主保安が重要とかそういう言葉説があるのですが,私は責任はパラレルに存在する。規制も独立に責任があるし,設置者というか,運転者も自らまっとうな運転をして,まっとうな設備を維持する責任があり,このこつの保安規定を介してきちんと担保されなければならないと考えています。しかし,この保安規定,今度のJCOの保安規定は確か報告書に入っていますからご覧になっていただければよいのですが,きわめて曖昧な文章と言ったら言い過ぎかもしれませんけれども,何をどうするのかという意味の規範として,監査の根拠としての十分としない部分があって,この辺もまた行政の有り様として検討されるべきと,このように考えています。
 最後に3つの責任と言ったのですが,実はもう1つ責任があるのです。それが先程申しあげましたように,許可という行為には必ず残留リスクが伴うわけです。この程度のリスクだからOKという形で,つまり逆に言うとある小さなリスクが残っていますよということを前提にして,許可をしているのです。
 問題は,それは小さいから,では何もしなくてよいかですが,災害対策基本法は例えば,堤防もこれは何㎝までの高さにしておけばよいと,1000年洪水で設計しておけばよいということでいられるのだけれども,しかしそれを越えることはあるわけでして,残留リスクがある。したがって堤防が決壊することに備えて防災対策を用意することにしているわけです。それと同じような意味で,残留リスクの顕在化に備える第4番目の責任として防災責任がある,防災計画はこのような整理で検討すべきだということを申しあげているのです。
ただ,従来は,防災というのは安全規制の外だということで整理されてきたのですが,今回の法律で一応これに近い考え方で原子力防災対策が用意位置付けられたと理解しています。ここの点については,このような論理的役割分担的な関係が一度きちんと整理されて,国民に提示されるのが非常に重要だと考えています。

【茅】西尾さん。
【西尾】何だか話がどんどん横へ行ってしまって,どこから話をしてよいのか実はわからなくなっているところがあります。山地さんが言われたこと,あるいは近藤さんが言われたことについて,ちょっと違うのではないかという部分があったりするのですが,この話をするとまたますます離れそうな気がするので,どうしましょうか。

【茅】私は,先ほど申しあげましたように,この問題として国全体で原子力の安全のシステムをどのように作っていくか,現在安全委員会があるわけですけれども,これについて皆さんのほうからいろいろな意見,これを議論するというのがまず1つあるわけです。ところが,その前にというか,いま言ったように災害の前後の具体的な防災体制についていろいろな問題があるというご意見があったので,それを取り上げたということなのですが,もし防災の問題が,皆さんのほうでご意見があまり出なければそこで打ちきって,本来の安全体制全体の議論をしたいと思っていたのですが,西尾さんのご意見は。

【西尾】それでは,その防災の問題について一言だけ。1つはいまの近藤さんの話とも絡むのですけれども,いまの日本の防災の考え方というのは,事故が起きるまでは事業者の責任で,事故が起きてしまったらあとは国や自治体の責任のようにやはりどうしてもなっている。その辺がそれがよいのかどうかというのが非常に大きな問題であろうということが1つです。
それからついでにですが,今回新しく作られた,近藤さんがいま説明されたような法律の体系の下で,国が責任を持つというけれども,本当に,実際にそれで役にたつのかどうかということについては,むしろそれこそ今回のJCOの事故の時の国の対応が遅れたということも含めて,かえってまずいことになるのではないかという心配もかなり多いと思うのです。その辺はどうするのかということもあると思います。

【茅】どうぞ,小沢さん。

【小沢(社会評論家)】村上さんに伺いたいのですが,いま第3の責任と近藤さんがおっしゃいましたね。防災は地元に責任があると。
村にこれだけ大きな原子力関係の設備があるのだから,消防の人たちには当然半鐘が鳴ってワラ小屋が燃えるというのではない特別の消防隊がいるべきだとか,それから警察官だったら問題が起こったらしいという時に飛び込んでいけるような態勢の警察官がいるとか,その態勢はいままではなかったのでしょうか。もしそれが必要だとしたら,そのお金はどこから出るとお考えですか。

【村上】いま小沢先生から話がありましたが,そういう組織あるいは装備というものは,現実にありませんでした。一応の,例えば紙でできた防災服,α線あたりは防げるようなものは消防にはありますし,役場にもあります。それから警察にもありました。それから一方では,ポケット線量計も現実にはありましたが,警察も実際には持っていない。それと,ガイガーカウンターのようなものも,そういうものは現実にありませんでした。これからそういうことについて装備していこう,準備していこうということですが,これについては,国のほうに予算の要求をしています。

【小沢】なぜそういうことを伺ったかというと,立地ということで,この円卓会議で討論してきたのですが,発電所がある所,原発のある所には整備費とかお金が出ていて,電源三法を変えろとかいろいろな声が出ているのですが,先ほどおっしゃった防災そのものは「対応する必要はない」という考え方で,いままで防災のためには全くお金の裏づけがなかったということなのでしょうか。

【村上】東海村は電源三法などでそんなに要求しているわけでもありませんし,また原子力発電所中心ではありませんから,そんなに東海村には電源三法は下りていません。われわれのところが財政が豊かであるというのは,基本的には固定資産税です。原子力関連施設の固定資産税から入ってくるのが大部分でして,決して立地促進のための電源三法交付金でわれわれは潤っているわけではありませんし,われわれとしてもそんなに余裕のある自治体ではありません。そこをまずご理解いただきたいと思います。
 その電源三法をどのように資金を使ってきたかということにつきましては,いままではいろいろと通産省のほうの縛りがあったということがあります。決して使いやすい制度でもなかったと思っています。その中でもやはり防災関係については,われわれとしての判断としては,例えば防災無線を全戸に受信機を配置するとか,そういったことで態勢は整えてきました。
しかしながら,その点につきましては,小沢先生がおっしゃる通り,では防災面に全部金をつぎ込めば,例えば核シェルターもできます。それから避難所の空調関係もできます。避難道路もできます。現実に避難道路というような形のものは,電源三法を使って実際は造ってきたわけです。では,それで東海村は原子力発電所とかそういう危険なものを受け入れて,すべて防災だけに使うということならば,われわれとしては何のメリットもなくなってしまいます。
ただ私どもが考えるのは,ではすべて電源三法のようなものは防災で金を使えというのならば魅力はないものでもありますし,それ以上に原子力については,安全なのだと皆言ってきたわけです。そういうものに使う必要はないと。もっと地域の振興のために使いなさいというのが基本でありました。そこに私は,原子力は安全だからそういうことはいらないのだというものが,私は日本の社会に,原子力を推進するための基本のところにあったと思いますので,そこが私は問題だと思います。

【茅】鳥井さん,どうぞ。
【鳥井】先ほど山地さんが言われたことに絡んでいるのですが,日本というのは何か事があると,そのどさくさに紛れていろいろなことを決めるのです。今度の原子炉規制法のように何とかとか,それはそれで仕方のない面があるのだと思うのですけれども,やはりどさくさの時に緊急対策として決めたことが本当によかったのかどうかというのを,5年とか,何か歴史を振り返られるようになった時に,きちんと評価をするべきだろうという感じがするのです。
こんなことを言うと大変申しわけないのですが,東海村の場合,JCOという貴重な経験をされて,いろいろな措置が取られていろいろなことがされたのですが,それがどうだったのかといま言うとそれぞれいろいろ問題が起こるかもしれないのですが,何年かたった後にきちんと振り返って,それを日本の防災体制にフィードバックするようにメカニズムというのを作っておく必要があるだろうなという感じがします。防災という意味では,私はそれが大事なことだと思います。

【中島(元中央大学教授)】実はいまの防災対策で,原子力災害対策特別措置法ですか,私は参議院に参考人として出ましたので,アメリカの例ですけれども,スリーマイルの事故があって有名なケメニー委員会報告というのが出されたわけです。10年たつと見直しをするのです。そこでケメニー委員会で勧告したことが,どう実行されているかということを点検しているわけです。そのことを参議院の方にご紹介しました。
 鳥井さんがおっしゃったように,日本は1回できてしまうとそれっきりである。10年というのは気が長いようですけれども,原子力のようなものでは10年でもよいから,やはり後で見直しをするというシステムが必要だろう。
それからもう1つは,災害対策特別措置法は本当にどさくさの感じがしまして,私はあまり賛成ではないのです。なぜかというと,原子力防災専門官というのを作ることになったのですが,どうも今度の事故ではっきりしたことは,本当に科技庁のほうに防災専門官になる方がいるのだろうかと。はっきり申しあげてです。それでないと,絵に描いた餅になってしまうわけです。ですから,国が責任を持つということを決めたことは,確かに近藤さんがおっしゃるように一歩前進なのですけれども,問題は魂を入れる時に,その魂が少し頼りないのではないかということを私は率直に懸念を申しあげてきたのです。ただこれは今後どれだけおやりになるかにかかっているわけですから,そこはポイントだということを申しあげておきたい。今日はあまり発言できない立場ですが。

【鳥井】いまのお話に関連してなのですけれども,私はどうも安全というのは国が与えてくれるものだという意識が非常に強いのが,日本の特色だという感じがするのです。ですから,私たちマスコミも何かあるたびに,政府は何をやっているのだと書くわけです。そうしますと,規制がどんどん増えて,何とか官が必要だと言って,人をたくさん雇って,だんだんだんだん大きな行政になってきて,その結果がいまの政府ということなのだろうと思います。
私は今度の法律の話も聞いた時に,最初に感じたのは「なんだまた焼け太りか」という感じがしたわけです。やはり,例えば原子力のことについて一番よくわかっていらっしゃるのは,自分で現場を持ってらっしゃる方たちなのです。先ほど山地さんが言われたのですけれども,そういった人たちが相互にちゃんと自主保安をやれる仕組みを作る。それを行政がどのようにバックアップするかというか,仕組み作りを手伝うかというところが実は行政の仕事なのだと思うのです。国が施設を全部回って人を配置しなければいけないということになると,そんなに専門知識のある,行政の場合は大体2年ぐらいすると替わってしまう,勉強し終わった頃にはまた替わってしまうという話だと,本当のことなどわかりはしないだろうという気がするので,やはり当事者の相互チェックのようなものをしっかりと仕組みを作る必要があると私は思っています。

【茅】近藤さん。

【近藤】私はそれにはわりと賛成していません。繰り返しになるわけですけれども,私は先ほど申しあげました原理に則れば,許可を受けた者がそういう責任を持つのは当然なのですけれども,それはそれだけでない。つまり,許可をした行政には責任,許可をした行為がきちんとなされていることを監査する責任がある。
 運転免許の場合は罰金かなんかを取って,反則点数切符を切って,あれも一種の事後監査をしているわけですが,そういう状態監理というか監査は必要だと思います。そういう責任がちゃんとあるのだということを確認して,次にそれぞれの世界でそれがいかに効果的かつ効率的になされるかということで,当事者は当事者同士で相互をチェックするのがよいと国は第三者間に伝言もするのがよいとか議論すればよいと思うのです。
 つづけて座長が期待していると推察する話題,つまり国がその責任を効果的,効率的にとれる仕組みを持っているかという問題提起についての議論をしますと,私はいくつかの機会に,NRC的な独立規制官庁を設けることが望ましいという提案に対して,日本の場合それがはたして本当によいかどうかについては疑問なしとしないと。例えば,国家公安委員会もまさしくそうでありますし,国家公安委員会の設置法を読みますと,警察庁長官の人事権まで持っている。委員会の権限はすごく高いのですが,それがよい姿か。公正取引委員会もそうです。そのような仕組みにするのが本当によいのか,と言っています。
 いまの仕組みで,行政庁というものに対してやや上に置かれた中立的専門性のある方がそれを総覧をして,注文をつけていくという制度は,それが十分なされているかどうかは問題があるのだけれどもこれはスタッフの能力の問題なのであって解決可能だ,で,そういう制度のほうが行政組織の中に緊張関係があり続けて,行政事務の適切な規制がされるのではないかと。だからこれをむしろうまく運用することについて注文をつけるのがいま果たすべきことであって,組織をいじることではないと思うです。
山地さんは違う意見を持っていると思うのですが,少し議論をして,多分決着はつかないのだと思うけれども,それなら,そういうことを議論すべきだということを提案いただくのが私としてはありがたいなという感じは持っています。

【中島】申しわけないのですけれども,東海村には実は動燃の事故が起きて,管理官が置かれたのですね。村上さん,そうするとそれが役にたちましたか。

【村上】いや,たっていなかったから,こういうことになったのです。

【中島】そうなのです。原子力発電所に事故が起きると,各原子力発電所ごとに管理官が置かれる。これは,私はお役人の立場はわからないではないのです。これは国会で必ず「お前たち何をやったか」と追及されると「いや,今度管理官を置きまして云々」というのが答弁になるわけです。たいていそれで収まってきていたのです。
 今度の場合も,そこまでは追及されていませんが,せっかく置いた管理官が,村上さんが一生懸命どうするのだと聞いても,返事をしないというような管理官では役にたたないわけです。
ですから,私が言った,防災管理専門官というのが置かれた時に,問題は魂だと思うのです。魂というか,その人の中身である。それが今度,ですから,近藤先生の言われる監査義務を果たせるような専門家のスタッフをどれだけ揃えられるかということが,今後の国民の目からみた場合には非常に重大なことになる。制度のシステムそのものよりも,私は中身が非常に大事だと思うのです。

【茅】鳥井さん。

【鳥井】許可をした責任を取るということは,何も現場に人を置くということではなくて,それが取れるような仕組みを作るということなのです。ですから,業界の方々が相互チェックしたチェックシートをもらってそれを点検するのでも,本当は責任が取れるかもしれないのです。どうして大きな政府を目指さなければいけないのかというのは,私はそこの責任を取るために大きな政府を目指すというのは,私は安易という感じがするわけです。多分事業者の中には,いま中島先生がおっしゃったようなそういう人というのはけっこういるのですね。そこをいかに利用するということだろうと思うのです。

【茅】いままでのお話を伺っていますと,確かに具体的にこういった防災の体制を国がやるかどうするかという問題はあるのですが,要するにできた体制がいかにうまく機能しているかということをチェックすることが大事だと。そのチェックが従来非常に足りなかったと。中島さん流に言えば「魂が入っていなかった」ということなのではないかと思います。これについてはおそらくどなたも反論されることもないと思いますので,これは私は大変大事なポイントだと思いますが,一応そういうことで,この問題に関しての議論はそこで切らせていただいてよろしいでしょうか。

【山地】1つだけ。先ほど近藤先生が少し投げかけられているものがありますから。原子力の安全規制について近藤先生と議論するというつもりはあまりないのですけれども,折角ですから。先ほどの3つの責任とプラスαの責任というのはまことにごもっともで,私は非常にすばらしい整理だと思います。残留リスクに対する責任として防災があるという位置づけも,まさにその通りだと思うのです。
 ただ,先生がおっしゃった三条委員会にしても透明性がないとか,有効ではないのではないかというのは,その辺りについては私はオープンなのです。三条委員会にしなければいけないとも言っていない。むしろ,推進側とは切り離したほうがよい。これが1つポイントなのです。大事なことはきちんと3つの責任の中の,規制側の責任がきちんと取れて,実効性があって,かつ効率的でなければ私はいけないと思う。この責任と実効と効率が保たれればそれでよいと思っています。
その点から言えば,私が一番問題だと思うのはダブルチェックというものです。ダブルチェックはこの責任と実効性,効率,いずれにも反するのです。せめてそこぐらいは合意できるのだとすれば,ご提言いただければ非常に大きなことではないかと思うのです。

【茅】またこの議論を続けると元に戻ってしまうのですが。

【小沢】いや1つは,先ほどこの事故はたいしたことはないとおっしゃいませんでしたか。山地さんは3番目ではないと。では,東海村の事故をもし理想的に,できるかどうかではなくてあらまほしき対応をしたとしたら,どんなものだったとお考えになったのか,参考のために聞かせていただけますか。例えば,汽車は止めないとか。

【山地】汽車を止める必要はなく,ただ情報がどれだけ対応をとる人に,どんな情報が入っていたかにもちろんよると思うのですが,ですから,あとから考えればという話になって……。

【小沢】それでも何でもいいのです。理想的なかたちを。

【山地】そうですね。ガンマ線と中性子線は出ていたのでしょうから,いわゆる放射線被曝は敷地外でもあったでしょうから,敷地周辺の待避は必要だったでしょうね。だけど,いわゆる放射能が出ているということは,まったくゼロとは申しあげませんが,揮発性とかガスとかは換気もしていたようですから多少出たでしょうが,でもこれは全くリスクのないレベルですから,少なくとも10㎞圏待避とか列車を止めるとか,常磐線を止めるとか,高速道路を止める,これは不要だったと思うのです。

【小沢】それだけですか。例えばだれかがいま言った管理官だとか何とかでもよいのですが,それがこういうふうに動いて,こうこうこうだったらこれはこうであっただろうというような,絵に描いた餅でもいいから,あるべき形がこうだったらよかったのではないかというものはないのですか。

【山地】それにお答えするには,私はちょっと情報量が少なすぎます。つまり,実際どういうプロセスでどんなことが起こったのか,私よりも多分ここにおられる他の方,石川さん,近藤先生とかははるかに私よりご存じなはずですので。ちょっと私の知識ではそれは申し上げられない。

【小沢】ただ10㎞圏内のことだけですか。

【山地】そうですね。常磐線とか高速道路は必要がなかった。

【小沢】何かとても過剰反応だったので,それに対してはこの程度でよかったのではないかと,案外おありだったのかと思って伺ったのですが。

【山地】ですから,私は敷地境界外でいわゆる規制値以上の被曝を受ける可能性の,放射線被曝があったということですから,周辺の待避は必要だったと,そこまでです。それだけで済んだのではないかと思います。

【石川(原子力発電技術機構特別顧問)】 350m(避難)は東海村長が決心されたわけですね。あれは非常に適切だったと思いますよ。それで,山地さんのおっしゃっておられるのは,それ以上の10㎞までは必要があったかどうか,自分はそうは思わないのだけれども,それをきちんと説明するデータをお持ちではないと,こうおっしゃっておられるのだと思います。

【小沢】いやいや,よくわかりました。何か特別きちんとした考えがおありなのかと思って伺ったのです。

【茅】よろしいですか。ちょっとこの問題は具体的なその場の問題ですので,もちろん全体には絡みますけれども。

【村上】いまのはまさに,最初に事態の認識が東京という場所で十分に正確に認識できなかったということです。もちろん現地には科学技術庁の水戸事務所もありましたし,いたわけですが,そこからの情報を送っても,東京という場所ではやはり十分に事態の認識ができなかった。そのために,いわゆる一番専門知識を持っている人たちが,現場に駆けつけるということが非常に遅れた。それは一番知識を持っているのと,権限を持っている人たちです。もちろん知識を持っているのは,私どもの村には原子力研究所とかサイクル機構とか,その他たくさんの技術者がいましたので,その人たちは正確に事態は認識していました。
 それが東京という官庁に送ると,うまく伝わらなかった。いわゆる情報の伝達がうまくいかなかった。そのためにああいうちぐはぐな対応になったと私は思っていますし,それはいわゆる通信手段をたくさん揃え,優秀な通信手段をと言っても,たぶん私は難しいのだろうなと思っています。それはその現地のほうに,事故の対応に当たる人たちが同一場所に同席しなければ,私は情報の伝達というのは正確にはいかないのだろうという感じは持ちました。
 われわれの 350m,これも結果オーライの話でありまして,そういう判断が正しかったどうかというのは別ですが,あの時分から,それから夜中にかけては,私どもと政府の現地対策本部,科学技術庁からも来ていましたし,原子力研究所からも研究者が来て,一緒にすべて事態の状況の推移を見ていました。その点では,われわれのほうはきっちりと,10㎞圏ではなくて,範囲を絞った対応をしていたと思います。
 ところが,県のほうに対しては,そのような情報がうまく伝わっていなかったということはありまして,ただ空間放射線量がほうぼうでパッパッと10倍,20倍と上がりましたので,それを見て10㎞と判断されたのであろうと思っています。
どうしてもやはり同一場所に責任のある人たちが集まって,状況の認識をするということが一番大事だったのではないかと思っています。

【西尾】ここで10㎞がよいかどうかという議論をしてしまうとたぶんまたますます話がそれてしまいそうなので,それはやめておきますけれども,いずれにしても,そういうことも含めて,先ほど国の責任と言われたけれども,国の責任と言っているだけではとても間に合わないだろうということは,もう一度言っておきたいと思います。

【茅】いまの問題は,全体の安全体制についても,いまの体制,あるいは独立にNRCとは言いませんけれども,何らかのものを作る体制,あるいは最初に山地さんが言われたような形で,もう少し違う体制を作るという考え方もあるでしょうし,いずれにしてももう少し広い意味での原子力安全の体制をどう考えるかという問題だと思いますので,今度はその面について少し皆さんのご意見を伺いたいと思います。どうぞ,西尾さん。

【西尾】いま安全委員会をどうするかという話をされているわけですが,その前に科学技術庁なり通産省なりで推進と規制がどうなっているか,科学技術庁のほうは曲がりなりにも規制と推進と一応分かれているわけですけれども,通産省のほうは全くそれは分かれていない。むしろ推進のほうが上位にあるのではないかと見えるので,今度行政改革になると,通産省のほうにかなりのところが移っていってしまうことを考えると,本当に推進と規制を分けるということをいまきちんとしておかないと,ますますそこがおかしくなってしまうのではないかという気がしているのが1つです。
 科学技術庁のほうは,一応曲がりなりにも分けてあると言いましたけれども,例えば安全局の人が地元の自治体に行って「安全だということが確認されましたから,運転再開を要請します」などのようなことをされている。これは安全局の仕事では本来ないだろうと思いますが,そのようなことがやはり行われている。そういうことをむしろいまきちんとチェックしておかないと,ますますそこが,推進と分けると言いながら,実際には分かれていかないのではないか。
安全委員会についても,たぶん似たようなことがあると思いますので,安全委員会のそもそもの法律上からすれば,まさにダブルチェックではなくて,もっとやることはたくさんあるはずだと思うのですけれども,そういうことがきちんとしていない。三条委員会がよいか八条委員会かという以前の問題として,そこはきちんと議論する必要があるだろうと思いますし,そもそも原子力安全委員会というものの位置づけが,結局原子力委員会のおまけみたいなことにしかなっていない。むしろはっきり原子力安全委員会の設置法を別に作るべきだと思いますし,せめて原子力基本法の中に安全を確保するとか,核拡散を防ぐとかということを,きちんと明記するべきだと思うのです。安全委員会の役割というのと原子力委員会の役割がわからない形で一緒になって書かれているので,そういうところをきちんとしないといけないのではないかと思います。

【茅】いまのご発言でちょっと伺っておきたいのですが,後半は大変よくわかるのですが,前半で通産省の中で安全とそうでないところが分かれていない,それが問題だと言われましたが,それは今回ご承知のように全体の体制が変わるわけですが,安全委員会というものも,いまの段階では安全委員会も原子力委員会もあるわけです。ですから,その意味で言うと,いままでと,安全というものが安全委員会に託され,通産省はそういう責任はないという形がそのまま続くのですが,それが問題だと言われるのでしょうか。ちょっとそこのところがよくわからなかったのです。

【西尾】ごめんなさい。科学技術庁のほうは原子力局と原子力安全局という分かれ方をしているわけですね。通産省のほうは公益事業部に基本的にはあって,その中にいわば推進規制両方入っているわけですし,また公益事業部のいわば上に,長官官房に原子力産業課というのがあって,そこが全体を統括しているわけですから,そうすると,どうも形の上からは規制行政よりも長官官房の原子力産業課のほうが上位になっている。それから新しく今度変わろうとしている安全保安院というのが作られるわけですけれども,その上に資源エネルギー庁があるわけですから,その辺のところが本当にこれで規制と開発と推進とが分かれていると言えるのかどうかというと,とてもそうは見えないということを申しあげたかったのです。

【石川】ちょっとよろしいですか。その議論はこの4月の国際安全条約でもずい分出まして,規制の法的な独立ということもずい分議論されました。そのような意味でアメリカのNRCも,これも大統領までいってしまえば,別に独立はしていないのです。アメリカのNRCというのはきわめて特異な存在でして,ヨーロッパの諸国などでも推進と規制が同一の所が有ります。例えばある国の例ですと大臣が2つか3つの省庁を兼任している。その下に,安全規制局とが有ると言った形をとっている所もあります。組織の形体は皆,国によって成り立ちによって違うのです。
言わば通産大臣の下に電力の推進と規制のものがあるか,それが総理大臣のところに結びつくかといったような相違でして,いまの日本のシステムは,安全委員会というのはむしろ総理大臣に対して直接コメントできる立場ですから,むしろ形態的には比較的分離しているとも言えます。規制と推進の分離,おっしゃっておられることはよくわかりますが,程度問題なのですけれども,いまのところ規制は実際的に推進から独立している状態にあるということは,どの国でも認めている,世界的にも,日本だけではありません。世界のいろいろな現状が認められているということは,この間の安全条約の中で実効的な分離と言われていますが,これが成り立っているという格好にはなっています。

【小沢】近藤先生に伺いたいのですけれども,公安委員会とか公正取引委員会とかという例をお挙げになりましたね。あれがまずいというか,ああいうものではないほうがよいとお考えなのですか。
 私が体験したところでは,公安委員会というのはちょっと話が面倒になってくると,県警本部長がほとんど対応してしまって,いるだけなのですね。教育委員長というのもいるけれども,教育長が全部出て来たりして,機関の中ではもうほとんどお飾り的になっていて,機能を果たしていないような気がしているのです。
 今度の安全委員会の場合も,安全委員会という名前はもうやめて,原子力規制監視委員会とか,性格がはっきりわかるようなものに変える。それから片手間にやるのではなくて,専門家が常駐するようにしたらどうかという意見もあるようなのですけれども,その辺のことはどのようにお考えですか。
つまり,公安委員会的なものは作っても無駄だというお考えなのか,それとも,安全委員会を強化すればよいとお考えなのか。私はもっときちんとした,名は体を表すということがあるので,監視委員会とか,独立せざるを得ないような形にして,規制を受けないような形の組織を作ってやるしかないのではないかという気がするのですけれども,その辺どうでしょう。

【近藤】教育委員会とか公安委員会は三条機関です。それにしたほうがよいとおっしゃっる性格の委員会です。勿論委員会であるかどうかについては,長をどうするか,長を単一行政官ではなくて,専門性・中立の観点から何人かの委員の合議制を取る,大臣の替わりに合議制の仕組みを持つとすれば委員会になるのですけれども,教育委員会とか公安委員会はそのような趣旨では設置されているわけです。私の繰り返し申しているのはその運用がいまおっしゃったようになるというのが日本の行政の姿だから,それよりはいまのように委員会と行政事務組織がはっきりと分かれていて,原子力安全委員会は設置上は原子力安全にかかわる基本方針を自ら定め監査する機能を持っているわけですから,方針を定めて,行政がきちんと中立性,効率性,比例性,そういうさまざまな行政原則に則ってきちんとやっているかを監視する,そういう明示的な役割を持った存在であったほうがよいと思っています。
ただ,山地さん,あるいは他の方が機能していないではないかという指摘をされている。この機能させてない理由は何かというとご承知のように行政法定主義というのがあって,設置法で書いてあることだけではだめなのだと規制法に書いていないとだめなのだと。そうするとダブルチェックは実は唯一規制法に書いてあることなので,そこだからそれは真面目にやりますと。あとの基本方針の定めというような,設置法の定めをどううまく運用するのかとなると,委員会の行政能力にかかってくる,そこがうまく動いていないのが原因だと思うのです。これを三条機関にすればうまく動くかというと,今度はおっしゃられたように事務当局にのみこまれてしまうのが目に見えている。こう考えてみると,ここは八条機関の特質をいかに生かすかに知恵を出せと。だからおっしゃるように名前を原子力安全監視委員会とか監査委員会に変えた方が責任内容を表してよいかもしれません。とにかく,今はそのようなことで,これがきちんと機能するようなことを考える絶好の機会だと思っています。

【茅】山地さん。

【山地】議論が少し混乱しているところがあるのです。省庁再編成というのは法律が通っているのでいまさら言っても仕方がないというのがあってもう1つなのですが,このままいくと原子力は一元化されて安全規制されるわけです。それを担当するのは経済産業省の原子力安全保安院が一次チェックをやり,それから内閣府に置かれる原子力安全委員会がダブルチェックをやる。
 私が申しあげているのは,そもそもこのダブルチェックというシステムが効率的でないと思っています。それと,もう1点は,その一義的に行う,一元化して行う安全規制官庁は,やはり推進規制官庁とは独立したほうがよいと申し上げたい。いずれも,どうも来年の1月から実施される体制があるから何かもう1つなのですが,とにかく議論はそういうことなのです。
ですから,いまのままで安全保安院を生かしてかつ安全委員会をあまりふくらましてしまうというのは,私の本意では全然ないわけです。本来これを1つにして,推進側と独立した実効で責任が持てて効率的な機関にする。これだけ申しあげているので,ちょっと安全保安院の話と安全委員会の,安全保安院を生かしたまま安全委員会の話をしていると,少なくとも私の申しあげているのとはずれてくる。安全委員会を生かす次善の策としては,監査をするという機能がありうるかなという気がするのです。ですから,そういうことに特化して明瞭にすれば,ある種妥協ではありますが,存在理由が見いだせるのではないかと思います。

【茅】いまのポイントは,実は先ほど西尾さんに質問したのはその点なので,つまり,西尾さんの言われる形だと,従来のダブルチェックをそのまま残せと言っておられることになるので,そういう意味なのかなと,その辺がちょっとよくわからなかったので伺ったのです。

【西尾】ダブルチェックについては,いまのダブルチェックというのは役にたっているとはあまり思っていないので,それを残せと言っているつもりはないのです。

【茅】とすると,どういう形を望ましい形と思ってらっしゃるのですか。この安全体制についてです。

【石川】それはちょっと急に西尾さんに言っても気の毒だと思いますね。例えば私のほうから替わりに……。

【茅】ちょっと石川さん待って下さい。いまご返事いただけないならそれでもけっこうなのですが,一応いま思っていらっしゃるのなら何か言っていただくし,また後ででもけっこうです。

【西尾】1つはいまの決められた形からすると,もうすでに形が決まってしまっているわけですから,その中でどうしたらよいかというと,いま山地さんが言われたようなことになるのかもしれないということが1つです。その上で,やはり……。

【茅】ちょっと妙な言い方なのですが,いま省庁が改編になって,原子力委員会,原子力安全委員会,そして経済産業省が実際の発電所の建設関係をするというものに対して,一切何も言えないから議論をしないということであれば,もうこの議論は全部終わってしまうわけです。ですから,それは,円卓会議ですので,そういうことをギブンの条件にしないでもう少しフレキシブルに議論していただいてやっていこうというのが私どもの姿勢ですので,そのことはあまり強く考え過ぎないでいただきたいと思います。

【西尾】その上で言わせていただけるとすれば,やはり仮に経済産業省の中に置かれるとしても,推進行政を行う資源エネルギー庁と安全保安院というものをもっときちんと分けるべきだということが1つです。その上で,原子力安全委員会がチェックをするダブルチェックというのは,いまのような何か同じことを2度繰り返すようなチェックではなくて,保安院がやった行政についていわばもう1つ上からきちんとチェックをするという,上からというのは具体的に何をするのかということはありますけれども,いまのいわゆるダブルチェックというのは同じものを同じやり方で繰り返しているだけという気がしますので,それではないやり方があるのではないかと思っています。
それと先ほど説明が足りなかったことで言いますと,原子力安全委員会で基本法にきちんと安全の確保と入れるべきだと言ったのですが,いま現在は第二条の基本方針の中に確かに安全確保というのはあるのですけれども,そもそも第一条の原子力基本法の目的の中には安全の確保も入っていなければ,核拡散防止も入っていないので,むしろそこはきちんと明記をすべきだということを言いたかったのですが,ちょっと言葉が足りなかったのです。補足します。

【茅】わかりました。はい,中村さん。

【中村】私は先ほど山地さんがおっしゃったご意見に 100%賛成です。つまり,いまのダブルチェックはやめたほうがよい。なぜかというと,原子力という産業はいまや年間売り上げ1兆円で,建設業の60兆円とか他の産業に比べると非常に小さな産業になっていますから,人がそんなにいないのです。ですから,2つに分けてそれぞれ 100人ぐらいの人間を抱えて審査するほど,もはや十分な人を抱えられる分野ではなくなってきています。ですから,1つにしたほうがよいということが1つです。
 それから2つに分けてやっても,同じようなことをやるわけで,後からやるほうの人は面白くもないし,あってもなくてもどうでもよいというようなことになりかねない。それでは,ダブルチェックをやってくれただろうと期待をしている人の信頼を裏切るわけです。
 ですから,両方から考えて一本化したほうがよいのですが,法律上いまはやりにくいということであれば,西尾さんもおっしゃったように,二次審査というのはやり方を変えなければいけない。つまり,一次審査は技術的,専門的にやるわけですが,往々にして技術者というのは視野が狭くて,大局的に見るということが抜けているかもしれない。ですから,構成メンバーを全く変えるということです。素人が入ることになってもよいですから,違う目でやっていただきたいと思います。
つまり,先ほど中島さんがおっしゃったように,ケメニー委員会は10年後に評価を見直しているとか,例えばそういう視野です。あるいは,一般の人はこれで安心するのだろうかとか,それから一次審査で現場を見ないで安全だなどという評価を仮にやっていたとすれば,現場を見に行くとか。そういうことをやっていただきたい。

【茅】はい,鳥井さん。

【鳥井】一般論から考えますと,やはり,あいつも俺と同じ審査をしてくれるとなると,無責任になる原因なのです。ですから,ダブルチェックシステムを取りますよということは,無責任の勧めなのです。そういう意味で,ですからいままでの原子力のいろいろな状況の中で,どうも本当に責任がどこにあるのかがはっきりしたことはあまりないのです。ですから,やはりそういう意味ではダブルチェックというのはやめるか,いままで出ているように全く違った視点でチェックが行われるか。違った視点でチェックをするならば,ダブルチェックは大変意味がある。

【茅】村上さん,どうぞ。

【村上】国民のほうというか,村民のほうから見た場合,先ほども申しましたが,姿が見えない,顔が見えない,存在感がない。その安全委員会が安全宣言をよくやります。安全委員会というのは存在感がないわけですから,どうせ科学技術庁がやっているのだろうとこちらは思っていますので,ダブルチェックは完璧に私も反対です。必要なかろうと思っています。
やはりそれよりは,1つの安全委員会がそれだけの,ただいま中村先生が言っておられましたが,実行部隊を持って,やはりすべて書類審査ではなくて,疑問があれば現地に出ていって組織をして専門家を集めてチェックをしてというような,そのように見えるような安全審査というのは,私は絶対に必要だと思っていますので,その点では私はいまの一次,二次規制,ダブルチェックなどというのは,本当に信用を損なう原点だろうと思っています。

【茅】ありがとうございました。大体この問題については,皆さんのご意見はかなり集約されたような気がいたします。
 それでは,時間がだいぶたちましたので,次に話題に移ってよろしいでしょうか。次の話は,先ほど申しあげましたように,エネルギーの評価軸という問題です。原子力もエネルギー全体の中の1つとして考えるべきであるということは,皆さんほとんど同意されておられるので,その問題はまずないかと思いますが,そうした場合,どういう評価軸でものを考えるべきかという点については,やはり非常に大事な問題だと思いますので,この考え方,あるいはそういうものについての国の決め方,こういった問題について,皆様のご意見があれば伺いたいと思いますが,どなたからでもけっこうです。
では,鳥井さん。

【鳥井】これも大変どさくさでありまして,京都会議でものが決まると,原子力しかないよという話になったり,どさくさにものが進むわけですが,やはり少し専門家を集めてじっくりと議論をする場を新たに作るべきだろうという感じがするのです。
どういう評価視点で評価するべきかというのは,やはり相当専門知識の必要なものですから,いろいろなエネルギーをやっていらっしゃる方で,これとこれとこれぐらいは評価軸が必要だという話を,すこし落ち着いて1年ぐらいかけてどこかでやってもらうといいなという感じがします。いまここで思いつきであれとあれとあれと言っても始まらないと思います。それで日本のエネルギーというのはどういう方向へ,どの評価軸を大事にしていくのか,どの評価軸は二番手にするのかというようなことを議論できる材料を,どこかで作ってほしい。

【茅】はい,中村さん。

【中村】私はエネルギーの評価軸の第1に挙げるべきものは,自給率だろうと思います。つまり,日本国としては,いったいどのぐらいの自給率を持つべきかということです。
 農林水産省は食糧の自給率についてある考え方を持っています。現在カロリーベースで41~42%ですけれども,2010年にはそれを50%にしたいと言っています。それはいろいろな根拠があるわけです。やはり国の安全として食糧,情報,エネルギーというのは非常に重大なわけであります。
 なぜ自給率が重要かと言いますと,いまはお金がある。つまりドルがあるから石炭でも石油でも何でもほしいだけ買えるわけですが,このドルが今後の日本経済の動きによってはいつも十分あるとは限らないのです。石油はあるけれども,買う金がないという事態は30年前まではあったわけですから,これから将来来ないという保証は絶対にない。
 それからいま,例えばサウジアラビアとアラビア石油の交渉をやっています。この権利を延長するに当たって,サウジアラビアは20億ドルで鉄道を 1,400㎞を建設しろと,年間維持費に1億ドル出せと言っているわけです。 1,400㎞の鉄道を砂漠の中にひいたら,朝行ってみたら鉄道は見えたけれども夕方はもう消えてなくなっている,そのぐらい砂が動くわけですから,年間1億ドルの維持費ではとても足りないと思います。どこまで金を吸い取られるかわからない。というような場面が現実にあるわけです。
 ですから,そういう交渉をする時に,やはり日本のエネルギーの自給率を高めておけば,交渉が有利になります。それから将来石油が値上がりをして第三次オイルショックが起きる,あるいは起きる状態に近づいていくということは当然予想されるわけですけれども,この時でもやはり相手と交渉をする場合に,自給率というのは必要なわけです。第一次オイルショックの時に三木総理大臣は中東に油乞い外交に行ったわけですが,その時に産油国の大使で交渉の現場に立ち会った方のお話によれば,とても人前では話せないぐらい屈辱的な外交であったというわけです。そのような屈辱的な外交をやらざるを得ないというのは,やはり自給率が低いということです。
国内のエネルギーとしてはいまのところ水力発電ぐらいしかないのです。ですから,自然エネルギーの利用というのも,どこまで可能かわかりませんけれども,可能であればそれはないよりはあるほうがずっとよいと思います。どれぐらい現実的に可能なのか。そのようなものをいろいろ足してみても,原子力がなかったらどうにもならない。原子力はそれでは一体何%ぐらいほしいのか。それに対して,ガスなどはよその国からパイプラインを引いてきてでももっと持ってくるかどうかというようなことも,いろいろありますけれども,私は自給率というのは,第1に取る軸だろうと思います。

【茅】西尾さん。

【西尾】いきなり評価軸の話に入ってしまっていますが,むしろここではその議論をするのは無理だろうと思います。その意味で言えば,鳥井さんが言われたように,ではそういう議論ができる場所を,あるいはどういう形でできるのかということを,むしろ考えたほうがよいのだろうと思っているのです。
 それからすれば,前回の議事録を見せていただいて,脱原子力というのも選択肢の1つという話もありましたけれども,脱原子力と言っても実は1つだけではなくて,いろいろな考え方が当然あり得るわけです。原子力を進めるとしてもいろいろな進め方があるだろうと思うのですけれども,それをどうやってどう比べられるのかというのはなかなか難しいと思うのでけれども,例えば多少はっきりした代表的な例を2つ出して,その中で鳥井さんが言われたようないろいろな評価軸でプラスマイナスを検討して,それがうまくできれば,その2つのケースの代表的とすれば,他の中間的なところもうまく議論に乗せられるかもしれない。何かそういう仕組みをむしろ考えたほうが,この場ではよいのではないかと思っているのです。
ただもう1つは,しかしそういうこともここで考えて,実行性があるのかどうか。つまりここでこういうやり方がありますよと考えたら,それが実行ができるのかどうか。ないとすると,この円卓会議の続きの話になってしまうのですけれども,何かおしゃべりして終わってしまうのではつまらないなと思っています。

【小沢】西尾さんは円卓会議は井戸端会議だとおっしゃっているのですが,井戸端会議でもやったほうがよいと思っているのですよ。というのは,私は2年ぐらいですけれども,この円卓会議に関係して,やはりどうしてこれはこんなに閉鎖されているのだろうという印象がすごく強いのです。いつも同じような人が出てきて,同じようなことを言っている。もう少し違う考え方を持った人がどこかにいるのではないかと思うのですがいつも同じ。結局先ほど中村さんがおっしゃったように,推進しようという側が強いわけで,私は原子力の存在というのはある意味では常識だとは思っているのですが,しかしだからといって,つまり原子力に反対したり,批判したりの風が吹いて利用できる地域もあるではないかと言うと,利敵行為だと言わんばかりにいきり立つというのは,それはよくわからないのです。
先ほど村上さんがおっしゃったように,風で何とかなる地域というのもいくつかあるかもしれない。日本全体を一括した電力で考えたらば,供給力不足だということになっていくのだろうけれども,ある村はここで風車を回せば大丈夫だとか,そのようなことも考えながら原子力の問題も考えたほうが,私は国民的な問題になると思うのです。ですから,それを井戸端会議だとおっしゃって,これがいかんということになると。専門的知識を持ってなければ井戸端会議にならざるを得ない時はあるのですよ。「風でどうですか」とかね。それを西尾さんのように「井戸端会議はけしからん」と言ってしまうと,私は情けないんですよ。

【茅】では,ちょっといまの点で。

【西尾】はい。井戸端会議だからもう嫌だと言って出てこないと言っているわけではなくて,せっかくやるのだから,もう少し何か実行性のあることが考えられませんかということを言っているつもりなのですけれども。

【小沢】でも,昔は井戸端会議でご町内のいろいろは決まってきたのですよ。

【茅】では,この問題はその辺にして。山地さん。

【山地】私は井戸端会議は反対です。これだけ時間と金を使って井戸端会議をやることはないと思うのです。
 基本的に言うと,鳥井さんの言ったことに賛成で,いつかもそんな議論をしていたのです。去年か何か最後近藤先生もいらっしゃったと思うのですが,どういう体制がよいか。私はですから当然,二段階論でした。いまの審議会は,井戸端会議をやる人,一般の利害代表と専門家とが一緒にいるわけです。そこで1つの結論を出そうとしているわけです。そこで非常に不満が起こっているのです。
 二段階に分けると,ワンステージの専門家のところで1つだけの結論ではなくて,これは西尾さんの言ったのと私も同じ考えで,専門家が評価をした複数のオプションを出して,それから井戸端会議をしてもらわないと,一緒にやり出すともうどうしょうも収拾がつかないと私は思います。
 ですから,専門家で一段階で,複数評価つきのオプションを絞って,その上でそのオプションについて井戸端会議をやる。井戸端会議という言葉は,要するに利害関係があって,最終的に決める。専門家は最終的に決める責任が取れませんので,専門家に1本に絞らせること自体が間違いだと私は思いますので,ですから,最後は責任を取れる人がオプションの中から選ぶ。
 ところが,いまの審議会の体制の中では全然分かれてなくて,そして毎回同じ議論を繰り返している,そして,不満はたまる一方,そのようになっているのではないかと思います。
基本的には鳥井さんのおっしゃったことと私は同じことを申しあげます。

【小沢】専門家のというのはあるのでしょう。茅先生が議長をなさったり。専門家というのはもうちゃんとあって,他にこれがあるのではないですか。

【茅】原子力に関してはそうですね。

【西尾】総合エネルギー調査会とか,原子力の委員会の,例えば長計の委員会の分科会が専門家の委員会かというと,私は少し違うように思います。

【鳥井】原子力の専門家たちが集まって原子力の話をしている。だけれども,そうではなくて,いろいろなエネルギーの専門家が集まって,それでいろいろなことを考えて下さいというのが私の申しあげていることです。ですから,資源エネルギー庁にも原子力何とかというのがあるのですけれども,だけどそこでやると,今度だれかを呼んできて話を聞いてすぐ終わってしまうとか,ですからいろいろなエネルギーの専門家が集まってどう考えたらよいのかという話を1回してくれないかという,こういう。

【小沢】いや,それはもうやっているのかなと思ったのですが,やっていないのですか。茅先生が座長の会議は,そういう専門家が集まっている……。

【茅】私が説明するのもあれですけれども,お役所の会議では,例えば通産省だと総合エネルギー調査会,それから科技庁だとこれは原子力委員会の委嘱した形なのですが,長期計画策定会議ですか,こういった形のものがあって……。

【木元(原子力委員会委員)】はい,でもそれは,長計を作成する場合に,そういう会議が設定されますけれども,常設的にはないです。

【茅】ですから,その中では当然,そういった評価の問題というのも議論の対象にはなっています。ただ,いまお話になったようなことは,例えば評価の因子をどの程度どのように取るべきかということだけに絞った議論を,少し専門家でやったらどうかというご意見ではないかと聞いたのですが,そうですね。

【小沢】それはもう絶対そうだと思います。当然やっているものだと思っていました。

【中島】よろしいですか。

【茅】はい。

【中島】それはこの間国会議員の方に集まっていただいて,私はもう少し国会というのはそういうことを議論して下さるところかと思ったら,どうも大変難しいところらしいという感じがしました。ですから,逆にやはりいま鳥井さんからお話があったような,やはり専門家の会議は,どういう場を作るかはわれわれがいま提言の中で1つは考えていることなのですが,必要ではなかろうか。新エネルギーか原子力なのかという議論が不毛であるということはもう1年半やってさんざんわかっているわけです。
 そうではなくて,これは実際に起こっていることは,原子力のほうは原子力長計が決まると,それが閣議決定になってしまって,閣議決定になってしまうと,閣議決定という形で国会に出るわけです。そこで承認されてもし予算でも通ってしまうと,あとはお役所は「もう国会を通りましたから」というだけで進んでいく。その辺が,国民が原子力に対していろいろなフラストレーションを感ずる1つの理由になっているのです。これはやはりシステムの問題に欠陥があると私は思うのです。
 都合のよい時は国策で,そうでない時は民間に任せるということになるわけですね。ですから,風力にしても,北海道が風力が相当増えてくると,北海電力はもう買えないよという話が出てきてしまう。こちらは国策になっていない。原子力は国策だというようなことで,齟齬が生じているのです。ですから,対立が起こっていると私は思っています。ですから,やはりエネルギーを議論する場がないなというのが感想です。
 といって,エネルギー基本法を作って国会で議論をさせれば良いかというと,どうもその基本法をだれが最初に立案するかということを考えると,とんでもない,できないんですよ。いろいろエネルギーの研究機関,シンクタンクは,電力中研をはじめいろいろありますけれども,それがどちらかというと色が付いてしまっているという感じがあって,中立公正でない。
逆に原子力からそういうことが意識されてきたから,私は改善される方向が出てきていると思うのです。

【茅】いまの話は国会の中の話で,行政の中では一応先ほど申しあげたような組織があって,そういう議論は,十分かどうかはともかくとして,一応はやっているわけです。
 正直言うと,私はいま座長という立場なので,あまり自分の意見は言えないので残念なのですが,私自身としては,評価という問題は全く議論されていないのではなくて,ある程度のコンセンサスがあって,その前提条件で具体的にどうするかという議論が進んでいるというのが現状だと思うのです。ただそのコンセンサスと皆が思っていたのが,意外に違うのではないか,あるいは国民の中との間にギャップがあるのではないかという議論は,確かにあまりしていないので,そういった議論は今後そういったところでやるべきではないかという気は,個人的にはしているところです。
近藤さんも若干関連しておられますので。

【近藤】座長がものを言いにくいとおっしゃったので,私もものを言いにくいと言い訳をしようかと思ったのですが,座長は違う意味でおっしゃったのですね。
 私は,先ほどの安全管理もいわば国のリスク管理問題であり,エネルギー問題もナショナルパワーというか,国際社会においてわが国が生きていくためのパワーの源泉であるエネルギー供給を適切ならしめるということでは,リスク管理の側面があると思っています。英国のブレア首相を支える理論家と言われているギデンズの書いた「第三の道」という本には,リスク管理の適切な実施こそ政府なり国の正統性の根拠だとありますが,それはともかく,このエネルギー政策についても国が国たりうるかという問題に関わっているという問題意識で国は取り組むべきだと思うのです。それがまず第1に申し上げたいことです。
 したがって,それほどに大切なことですから,リスクコミュニケーション,つまり,国民がエネルギーに関わるさまざまなリスクについての情報をきちんと持つようにしてさまざまな機会に意見を発し,情報交流を行っていく過程で政府の決定が行われていることが大切だと思うのです。
 問題付けそのプロセスですが,私もエネルギー総合調査会原子力部会において,審議結果のドラフトの,パブリックコメントを求めるとどうも審議テーマについてのコメントが多い。そこで,最初に何を審議するか,こんなことについてどういう範囲で検討したらよいかということの意見を聞くということをやったらどうかと提案をして,皆さんにもご参加いただいてやってみたことがあるのですけれども,なかなか難しいですね交流というのは,なかなかうまくポイントが出てこない。
 行政機関における審議会は,国民の代表選手をメンバーに意見集約をはかる一種の代議制度に近いと思うのですけれども,いまや国民はそういうものにお任せするという時代ではなく案づくりにおいては,その審議会自体が国民との対話をしている。それだけではないにしろ,そのようにしないと結果も信任されない時代になってきているのではないか。審議会自体が何らかの信任を得る手続きを要求されている。そういう認識がまず重要なのではないかと思っています。
 それから第2には,エネルギー問題の関係者の広さを考えた国会の役割についてここの席でもさまざまな提案があったので,これを検討したらと。山地さんがおっしゃったような二段階方式とか,飯田さんが確か提案されたけど,国会議員も交えた,やや主旨がわからなかったのだけども,国会の中か外かわからないけれども,国会の一部を取り込んだ国民会議的なところで議論をしたらよいという提案ですね。これは小国,スイスとかスウェーデンなら成立するかもしれないけれども,日本で成立するのか疑問ですけれども,政府あるいは国会がそういうヒアリングのシステムをもっと充実するとことを考えたらという提案はできるのではないか。
議員にすべてのことを考えさせるのは,どこの国でもやっていないわけであって,議員はジャジメントをするマシンですから,そこにさまざまな意見を放り込む仕組みをきちんとするという意味で,国会は法案審議の最後に数人の参考人を呼ぶのではなく,政策監査の責任を果たすために専門家や国民の意見を十分聴取するような仕組みを持つべきではというような提案をしてみたらと思っています。

【茅】はい,木元さん。

【木元】よろしいでしょうか。いまいろいろ伺っていますと,本当に時間が終わりのほうに来てから一番根源的なとてもよいお話が出ているように思うのです。先ほど鳥井さんがおっしゃったいろいろな各分野のエネルギーの専門家を集めていろいろな話をしてみるというのは,とてもよいと思うのです。
 例えば茅先生にお尋ねして申しわけないのですが,総合エネルギー調査会がある。その下にいろいろな委員会がありますね。原子力部会もありますし,それから石炭,石油もありますし,新エネ部会もあります。こう言っては何ですが,原子力なら原子力,石油代替エネルギー,石炭とか一生懸命やりますが,結果的に見てみると,予算はどれだけ取れるかみたいな方向に行ってしまい,それぞれが独立してしまって整合性がないように見えるのです。
 例えば電力の自由化で規制緩和の話が出る。そうすると規制緩和でIPP(独立発電事業者)を初めとして自由に電気事業に参画することが好ましいという話がこちらの部会で出て,石油とか石炭をボンボン焚くことになる。一方でCO2の問題がある。硫黄酸化物などの話もある。すると,今度はこちらの部会で,やはり環境のために原子力は20基建てなくては,となる。そうすると,同じエネルギーを考えるそれぞれの部会を見比べると矛盾が噴出しています。
そういう実態を整理するためにも,例えば総合エネルギー調査会の中で,本当に総合的にエネルギーの基本を考えるものということができそうな気がするのです。

【茅】いまさら役所の審議会の構造を議論する気はあまりないのですが,実際に総合エネ調では,需給部会というものと,それから臨時的には長期展望小委員会というのがありまして,そこでいまのように相互に関連の深い問題を総合的に議論するという枠組みになっているです。ですから,いまの鳥井さん,あるいは西尾さんのほうからの,何かの枠組みがいると,仕組みがいるというお話については,新しいものを作るというよりは,いまあるものをいかにうまく利用して,そういうことをやるかと考えるのが筋だと思っています。

【木元】一回ガラガラポンをして,やり直したほうがいいみたいな気がするのです。

【茅】はい,わかりました。では,西尾さん。

【西尾】既成のものを使ってと言われるわけですけれども,例えば総合エネルギー調査会のようなものがあって,いろいろな分野の人が入っていますというけれども,例えばその構成と,先ほど村長が言われた東海村民の意識のようなことからいったら,まるっきりずれていると思うのです。そのようなこと,地元の人たちの考えのようなものをきちんと入るようなものなのかどうなのかということが,やはり非常に大きなこととしてあると思うのです。
この円卓会議も,ちょっと書いたのですけれども,現地の地元の住民の人の声というのは,やはり全然聞こうとしてこなかったと私は見ているのですけれども,その辺は,ちょっといまの総合エネルギー調査会はそれができますと言われても無理だと思っています。

【茅】村上さんどうぞ。

【村上】全く素人ですが,私はまずやはり自然エネルギーなり新エネルギーを推進しようという姿勢が,日本の国内というか,日本政府には希薄だと思うのです。推進しようとする,そのためにはやはり金をきっちり付けて,補助金を出して,個人なりある地域なり,そういうものを導入して,その上で実績が作っていく。日本は議論をする前の実績がちょっといままで欠けているのではないか。ですから,議論はきわめてすべて技術論とか何かで平面的な話になっている。どうか国のほうで,地方自治体で「お前,こういうことをやってみろ」とか,あるいは「お前のところにこういうソーラーパネルを付けるならば,もっと金を出すよ」と。そこから入ってこなければという感じが私は以前から持っていたのです。

【茅】ありがとうございました。中村さん。

【中村】いや,原子力というのは,総合的なエネルギーの中で論じなければいけないわけでしょう。先ほどからの皆さんのご意見もそのようです。私もそう思っていますが,原子力委員会には長期計画部会というのがあって,原子力だけを議論しているわけですね。これは非常におかしい。こんなものはいらないと思いますね。それをやめるということは作るよりもっと難しいのかもしれませんけれども,とにかくやめたほうがよいと思います。長期計画はいらない。通産の総合エネルギー調査会でやればいい。

【木元】長期計画,今回出そうとしているものもいらないですか。

【中村】いらないです。

【木元】はい。

【茅】小沢さん。

【小沢】どこかのテレビで,日本の大学の資料室がボロボロでお金がなくて,何か資料を置こうとするとだめになってしまうので,外国に送ってしまうと。管理もできないし,保存もできない,何もできないというのを延々とやっているのを見て驚いたのですけれども,研究にはお金をあまり出したがらないのですね。そんななかで「もんじゅ」は開発研究だから当然だという声はあるようですけれども,ものすごいお金を。やはりエネルギーを,原子力を推進する側も,同時にやはりそれでなくても済む所,先ほどからしつこく言っていますけれども,風でも済むような所があるならば,少しでもそういうものを生かしていくということが大事なのだと思うのです。そういう姿勢をやはり円卓会議などは提言していくべきだと思いますね。

【茅】石川さん。

【石川】全くその通りで,その意味では全然反対ではないのですが,ひょっとして事実誤認があるといけないと思いますので。新エネルギーにどれぐらいの研究費が実際に使われて,また原子力にどれぐらい使われているか,これは科技庁か通産の方で知ってらっしゃる方がいらしたら報告して下さい。茅さんは大体知っているのではないですか。

【茅】いま急に言われても,数字そのものは出てきませんが。

【木元】茅先生,近藤先生のところの,私もご一緒ですが,原子力部会で試算してみたことですが,この円卓会議の場で脱原子力のシナリオを書いてみようという話が,アイリーン・スミスさんがご提案なさいましたね。私どももそれを受けて,考えてみることはとてもよいことで,つまり原子力を抜かした場合にどういうことができるのか,何によって補填できるのかやってみようということで,近藤先生の原子力部会で,例えば風力であったらどうか,太陽エネルギーでやったらどうかということを試算しています。その中にどれぐらい新エネルギーに,予算を使っているかというペーパーがあるのですが,いま(資源エネルギー庁)国吉さんはいらっしゃいますか。すみません。資料はありますか。

【石川】この議論はいままで2,3回出ていますから,私の記憶間違いでなかったら,確かいままでのエネルギーの予算の中で原子力が研究費に8割ぐらい使われているが,後の20%ぐらいは新エネルギーに使われている。ただ作っている電力の量から言うと,原子力が99%ぐらいで新エネは1%とか,そのようなことを聞いたように思うのですが。その辺のところの正確なものを言っておいていただいたほうが,議論が間違いがないと思いますので。

【茅】いまの問題につきましては,あとで資料を見つけて配らせていただくということで。

【小沢】それは去年1年分だけではなくて,これまでの長い間にやったもの全部でなければね。

【木元】それと今回出している分と。

【石川】ですから,村上さんのおっしゃるように,新エネルギーや自然エネルギーに対し全然お金を出していないという話ではなくて,お探しになれば,風力のほうの補助金を得ると言う道もあるのではないでしょうか。

【茅】いまのデータの件については,そういったことで処理をさせていただきます。
それでは,西尾さん。

【西尾】いまアイリーンさんの話とかで,脱原子力という1つの選択肢があり得ると。ただその場合に,原発ではなくて太陽とかそういう話とはまた少し違うと思うので,そういう選択肢というものがどういうもので,ではどのように考えたらよいのかという,ですから先ほど総合エネルギー調査会で足りるという話がありましたけれども,そういったことを本当に検討するとしたら,どういう形でできるのかというところから,やはり新しいものが私はいると思うのですが,そういったことを,それこそ円卓会議で提案ができれば非常にありがたいと思います。

【石川】ちょっとよろしいですか。おそらくいままでのいろいろな提案が出ているのは,提案を作っていく時の前提条件になるといったようなものがあって作られているのですけれども,その前提条件になっている物事が国民に知らされていないのですね。それから国民にとってはそれだけか,もっと他にもあるのではないかという気分がある。いままでやられていた審議会では,出てくるのはたった1つの提案ですから。提案を出すのを,審議会で作るのも手ですけれども,もし国民全体の中のいろいろなアクションの中で,もし提案があれば,例えば脱原子力シナリオなどというのはそのようなものですけれども,そういうものを責任を持って出してもらえばよいと思うのです。夢物語ではなくて。
その提案を作るに必要なデータのようなものは共通ですから,これは通産省なら通産省,科技庁なら科技庁のほうに要求して,出して貰って責任有る案を作る,例えば実際上3割エネルギー消費量を削減するのだという提案だったら,それが本当にできるかどうか演習も含めてやるぐらいの決心でエネルギー問題には将来取り組んでいかなければいけないと思うのです。ですから,口で言うだけではなくて,先ほどの評価軸を探すとおっしゃったけれども,軸を探してそれをやっていくのならば,政府としてもそれを実行していく,また国会でもやっていただくというようなことをしなければいけないのではないかと,私は思っています。

【茅】それから,いま西尾さんが言われたことですが,いままでのエネルギーシナリオ以外のシナリオを作るべきだというご意見はもう何遍も出ていまして,前回国会議員の方も出たわけです。それに対して,モデレーターの側はこれは大変よいご意見だと考えているわけですが,われわれのほうでそういった場合,それに対応する別なシナリオというのは何も原子力をただちに太陽で替えるなどという乱暴な話ではなくて,それを例えば原子力がこれこれであった場合には,いったいどういうものでそれを埋められるのかというので,総合的に考えるという意味でして,何もAとBをただすり替えるだけというものをシナリオと考えているわけではありません。それは,われわれのほうもそんなつまらないものを提案するつもりは全くありませんので,その点念のため付け加えます。
中村さん,どうぞ。

【中村】先ほど小沢さんがおっしゃった,風でいける所は風でいくように考えようではないか,それは非常に結構なことだと思います。同時に,東京や大阪の電力はいったいどのようにして供給するかということも,併せて議論をしなければだめだと思います。

【小沢】それは先ほど村上さんがいみじくもおっしゃっておられましたね。大きい所はだめだろうけれども,地域によってはできる所があると。そういうこととして考えればよいのではないですか。私はそう思っています。

【茅】はい,鳥井さん。

【鳥井】エネルギーを考えるときに,例えば自然エネルギーはとてもいいよと普通だったらそう思うわけです。ですが,思わぬ副作用のようなものがあるかもしれない。原子力だって原子炉のような事故が起こったわけです。では,どういうことが考えられるのかということを,もう一度きちんと専門家の方に研究してほしい。そして,科学振興調整費でしたか,科技庁の中にはそういう制度があるわけで,そういうお金を使ってでもいいから,チームを作って,少しわれわれが議論をする叩き台を作ってほしいと私は思っているのです。
変な話ですけれども,こうやって相談して決めるという事柄ではないはずなのです。これとこれとこれとを考えなくてはいけないという,相談事ではなくて,ちゃんとした科学的な詰めが必要なことだろうと思うのです。

【茅】西尾さん。

【西尾】もし,そういうことができるとすれば,2つぐらいの典型的な例を作る。その作るのは,ではどのような形で,最初の条件はどのように設定してどうするかのようなことをまず議論して,それによって2つのケースを作って,できあがったものについて,ではそれぞれのプラスとマイナスはどうなのかというのはそれぞれが評価して,そのそれぞれが評価したものをまた合わせて評価をして,その中で,ではこの評価については一致するかもしれない,これは一致はしないけれども私のほうはこう主張するというようなことを全部やりながら,ある程度の形を作って,そういう段階を作った上で,それにもっとさまざまな他の専門の人とか,一般の人とかいろいろな形で加わって議論をするようなことが作れれば,いわゆる空中戦のようなことでなくて,もう少しできるのではないかと思います。

【茅】はい,わかりました。近藤さん。

【近藤】総合エネルギー調査会の需給見通しは原子力20基(増設)以外のことを考えていないような,全ての可能性を考えていないようなそういう話を伺っていて,ちょっと私の理解を正しくしておきたいと思ってお話しするのですが。
 現在の需給見通しというのは,ご承知の通り2010年をターゲットデートにおいて,環境問題についてはCOP3の約束を果たしましょうと。それから第2として,皆さん経済成長はお好きでしょうから,2%の経済成長は考えましょうと。それから,第3としては,安いというか,エネルギーは安く供給が安定して使えるからこそ国力の監査になるので,だから安いというか委員性も含めた経済性ということについて配慮しましょうと。この3つの目標を用意し,それを達成すべくさまざまな手段の組み合わせを作って見通しとしているのです。その手段としては採用されているのは決して原子力20基だけではないわけでして,1つとしては何よりも省エネ。2010年に発生すると予想される需要を87%まで落とすように省エネルギーを頑張りましょうと。これは前代未聞だと,それはとてもできないというご意見もあるわけですけれども,しかしそれまで頑張りましょうと。それから,原子力は,20基とは言っていないわけですけれども,4,600億kWh にまで供給を期待しましょうと。それから3番目として,新エネは 3.1%,現在の3倍にしましょうと。こういうセットが解として合理的と言っているわけです。
ですから,これイコール原子力20基論とさられるのは,私は非常に不可思議であって,どうして,こういう3本柱であるということが伝わっていないのか。これに替わるエネルギーのシナリオを作るのは楽しいのだけれども,これに替わるシナリオというのは2010年という計画期間を考えると,そんなにないのです。新エネ5%という位はあるかもしれないけど。それだって脱原子力というわけにはとてもいかない。それが現実なのです。
そのことについて,まずそれが間違って別のシナリオがあるかないかという議論をちゃんとやるのか,はたまたそういう結論に至った手法なりデータがおかしいとか,さらには自分は経済成長2%を希望していないのだと,だれが2%にしろと言ったのかという異議申し立てはたくさんある。そこは確かにあると思うのです。で,いろいろなところでこの話を伺っていると,ほとんどの問題はそういう決定,選択に際して自分は相談をうけていないという。いまやこれだけ情報技術が進歩して,実は情報は不足しているのではなくて,皆情報を持っているのだといわれる時代であるところ,自分の情報を使っていないではないかという意見が多いのです。政府は情報を独占できていると思っているかもしれないがいまは,皆が情報を持っている,それをどう評価し,取捨選択して決定に至るか,そこのところが見えることが重要だという時代が来ているという認識で議論をしていなかったところにほとんどの問題があるようにいます。ですから,そこのところをどうするかということを述べるほうがはるかに重要と思います。その上でエネルギーの評価の軸云々というのは,本当にキーイシューなのか。それの決定の参加が求められているのであって,それ自体をここでどうこうすることの重要性については,やや疑問なしとはしないのですが。

【茅】山地さん。

【山地】いまの近藤先生の話はわかるのですけれども,ただ,その時は自分も解が出せないということを言ってもかまわない,それが異議申し立てになる。それともう1つは,先生はユニークな解しかないと言われましたけれども,やはり違う考えを持っている人というのはいないわけではない。彼らに出させてみて,説明させてみる。そういう機会をやはり与えないと,議論は進まないと思うのです。私はだから,そういう意味では確かに対抗シナリオというのはあまり出たことがないのです。風でやればいけるとか,個別の話は出るのですが,では日本全体として2010年,経済成長とかCO2 とか考えるてどうですかという,全体のシナリオというのはなかなか出てこない。市民エネルギー研究所というところが何年か前に本を書いて,これなどが非常に希な例ですけれども。しかし諸外国は結構やっていますので,やはり日本もそういうことを,やはりいまからやっていかなければいけないと思うのです。
先生の言うことは,ある意味ではわれわれの1つの常識に近いとは思うのですが,でも違う考えもきっとあるのだということを,いつも思っていないとやはりだめだと思うのです。

【茅】西尾さん。

【西尾】その意味では,違う考えというのはわれわれも出していかないといけないなというのは1つ思っているのです。それと別にして,いま2010年,2010年と言われて,確かにいまの計画は2010年になっているから2010年なのですけれども,私たちがシナリオを考えるとすると,たぶん2010年より先で考えないと,2010年というのはもうわりとすぐですから,これはそんなに違ったものにたぶんならないだろう。むしろ先のことを考えてどのようにするのか,その上でもう一度戻ってきて,では最近の何年間では何をするのかということでしょう。2010年ゴールというだけで議論をされてしまうと,たぶん違うだろうなと思います。

【茅】ありがとうございました。まだ議論はいろいろあると思うのですが,実は時間がもう5時近くでして,一応予定の時間です。本当はこの議論だけではなくて,最初申しあげましたように,円卓会議の今後という問題もご議論いただきたかったのですが,やはり時間がなかったようです。これに関しましては,モデレーターのほうでもある程度議論をしていますので,モデレーターの側でどうするかについての提言は少し考えさせていただきたいと思います。
先ほどの資料の問題ですね。

【通産省】通産省の国吉でございます。先ほど木元委員のほうからお話のありました10月に総合エネ調の原子力部会に出された資料が手に入りましたので,ご紹介させていただきます。これによりますと,通産省関係のエネルギーの予算をご紹介していまして,1999年の予算で申しあげますと,新エネ関係は 1,012億円,原子力関係が 1,317億円。一方でエネルギーの供給量は 1,158万キロリットルが新エネ関係,それから 7,763万キロリットル,という比率になっているということが,資料として出されております。

【西尾】それは通産省のだけですか。

【国吉】はい,での数字です。

【西尾】ちょっとそれは比べものにならないのではないですか。比べようはないですね。

【小沢】それは累積でいままで使われたお金がどれだけなのかも出てこなくては。99年だけではだめでしょう。

【西尾】科学技術庁の分を出してもらわないと。それで比べろというのは無茶ではないですか。

【小沢】いままで使ったお金と効率の問題を言うのならばです。

【科学技術庁】いま過去の累積については私も承知してございませんが,政府全体の原子力の関係予算というのは,確か 5,000億近くだったかと思います。そういう意味で先ほどの2:8というのはおおむね実態を表している数字かと思います。ちょっとそれ以上詳しいのは……。

【茅】何と言いましても,これはいま急にこちらから出た要求ですから,ただちに官庁側にそれを準備しろというのは,これはちょっと無理な相談なので,その点はあとからデータを送ってもらうということでご容赦いただきたいと思います。よろしいでしょうか。

【小沢】最後,もう終わりでしょうけれども,どうか新しい人たちのエネルギーを発掘して,こういう会議に入れていただきたいと私は思います。それから,いくつもいくつも掛け持ちしている専門家ばかりを置くのはまずいと思いますよ。時代が変わっているのですから,原子力行政も変わらなければいけないと思います。ぜひ新しいエネルギーを発掘して下さい。

【近藤】原子力の経験は,あるいは他のエネルギー技術の歴史が教えるところは,エネルギーの持つサイズの大きさからして,何しろある新しい技術が世界のエネルギー局面を変えるのには30年,50年はかかるということです。そこのところを肝に銘じた上で,たえず新しい技術を発掘することに挑戦せよという小沢さんの提案を肝に銘じて頑張りたいと思います。

【茅】いまの近藤さんのを締めくくりということにさせていただきまして,本日の円卓会議はこれで終わりにさせていただきたいと思います。どうも長時間ありがとうございました。

【事務局】それではこの辺で本日の原子力政策円卓会議を終わらせていただきたいと思います。
始めに,円卓の先生方,長時間のご議論まことにありがとうございました。
傍聴の皆様方におかれましては,本日は長時間最後までご静聴下さいまして,本当にありがとうございます。事務局より深く御礼申し上げます。

--終了--


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