<資料5−4>
平成11年度・第5回原子力政策円卓会議(10月30日、福岡)発言要旨
「東海村臨界事故に原子力政策関係者はいかに対応すべきか」
1999年10月28日作成
吉岡斉(九州大学教授)
はじめに
99年9月30日に株式会社ジェー・シー・オー東海事業所で起こった即発臨界事故は
、86年のチェルノブイリ原子力発電所4号機の事故以後における、世界最悪の原子力事
故となった。
それは原子力発電に対する国民世論に重大な影響を及ぼしている。今日のショックが終
息したのちも、国民世論は事故前と比べ、原子力発電に対して否定的な傾向を強めると予
想される(ヨーロッパ人に対するチェルノブイリ事故のインパクトに相当する)。
この臨界事故に対して、日本の原子力政策関係者は、次の4種類の対応を行う必要があ
る。第1は、その真相究明を進め、そこで得られた全ての情報を公開すること。第2は、
国民世論・国際世論の動向に真摯に耳をかたむけ、それを尊重した対応を行うこと。第3
は、今回の事故の教訓をふまえて、法的・制度的な改革を行うこと。第4は、エネルギー
全体の中で原子力発電を特別に偏愛してきた今までの政策的な基本姿勢を捨てること。
以下、原子力政策関係者のとるべき対応について、9点にわたり箇条書きにする。
- 事故経過を詳細に検証し、それに関する全ての情報を公開すること。少なくとも、航
空事故調査委員会と同等以上の、詳細な調査を行い、報告書をまとめる必要がある。事
故関係者の責任を明確化することは重要だが、警察的捜査の観点ばかりでなく、幅広い
観点から調査を進める必要がある。
- 放射線・放射能の発生量・放出量と、従業員・住民等の放射線被曝量を正確に究明し
その経過・結果を公開すること。ここで重要なのは、特定の種類の放射線や、特定の核
種のみのデータを出して済ませるのではなく、全ての種類の放射線・放射能に関するデ
ータを出すことである。(相当程度の推定が入るのも致し方ないが、推定の客観性につ
いては、可能な限りの担保を行う必要がある)。
- 国民世論の動向を正確に把握し、それを政策に反映させること。今までの原子力政策
は、国民世論の動向を軽視したものであったが、公共政策が国民世論に背反したものと
なってはならない。そうした観点から正確な国民世論の把握につとめ、それを尊重した
政策の企画立案を行うべきである。国民の3分の2が原子力発電の拡大に否定的な意見
をもっているのに、「それでも原子力発電の重要性に変わりはない」などと強弁したの
では、公僕としての資質を疑われる。なお大規模なアンケート調査を行うことは必要だ
が、それだけでなく、この円卓会議の機能強化など、さまざまの措置がありうる。
- 国際世論の動向を正確に把握し、それを政策に反映させること。今までの日本の政策
は、国際世論に十分配慮してきたとはいえない(プルトニウム利用計画への固執や、あ
かつき丸によるプルトニウム海上輸送など)。今回の事故をきっかけに、海外の人々の
日本の原子力に対する関心が高まっている。とくに今回の事故は、日本の核燃料サイク
ル政策についての疑問とからめて取材・論評されることが多い。そうした国際世論の動
向を詳細にモニターするとともに、それを真摯に受け止めて政策に反映させる必要があ
る。その一環として数回にわたり、国際原子力政策円卓会議(仮称)を開催するのが適
当である。
- 原子力防災対策を的確・迅速におこなうための体制の整備をはかること。そのために
原子力防災対策に関する新法の制定作業を進める必要がある。これからの原子力防災に
おいては、政府が中心となり関係自治体と密接な連携をとった災害対策を行えるように
する必要がある。また避難計画・避難訓練などの充実を行う必要がある。
- 全ての原子力施設に対する安全規制を抜本的に強化すること。従来は、商業用原子炉
や核燃料再処理施設など、ごく一部の原子力施設においてのみ、厳しい審査・規制・検
査等が行われてきたが、これからは全ての原子力施設において、同等の厳しい審査・規
制・検査等を行うべきである。原子炉等規制法の抜本的な見直しは不可欠である。
- 公正かつ十分な損害賠償を実施すること。「原子力損害の賠償に関する法律」および
その施行令によれば、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱」の場合をのぞき、事業
者が限度なしの賠償責任を負う。賠償金額が、施行令に定められた賠償措置額をこえる
場合であり、かつ「被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発展に資する」ため
に必要と判断される場合には、政府が国会の議決により、損害賠償の援助を行うことが
できる。だが今回の事故の場合、政府の援助は行うべきではない。それはサボタージュ
により大きな人災をもたらした事業者を免責し、モラルハザードを助長するからである
。親会社が全財産を整理しても支払えない場合に限り、政府が対応すべきである。
- 現在の損害賠償制度を全面的に見直すこと。つまり、賠償措置額を大幅に増額すると
ともに(2倍では不十分であり、10倍程度とする必要がある)、それを越える分につ
いては、原子力産業が相互扶助制度によって全額自己負担する制度を作る必要がある。
10兆円程度までは、この制度によって事業者が連帯責任において支出すべきだろう。
それでも支払い切れない場合に限り、政府が資金を出すのが妥当であろう。現在の原子
力損害賠償制度の骨格は、原子力開発の草創期につくられたものであり、その当時は原
子力発電は未来のエネルギーの主役として期待されつつも、事故リスクが高かった。そ
こで事業者の参入を促進するために国家補償の導入がはかられた。しかるに現在、原子
力発電はエネルギーのひとつの選択肢でしかなくなり、また原子力発電の安全度は大き
く向上している。(少なくともそのような宣伝がなされてきた)。それゆえ国家補償は
、破局的な過酷事故の場合にのみ発動すべき、最後の手段にとどめる。
- 原子力を偏愛するエネルギー政策を抜本的に見直すこと。原子力を他のエネルギーと
は別扱いにして、特権的な地位を与えようとするいかなる態度も、国民世論の厳しい批
判を受けること必至である。政府はそうした原子力を偏愛する姿勢から脱却する必要が
ある。それは制度面・思想面の双方についていえる。前者については、エネルギー研究
開発予算における原子力偏重の状況を改めること、また電源立地のさいの補助金におい
て原子力発電を他のエネルギーよりも優遇することを止めること(都市住民は、原子力
による電気を買うことを望んではいない)、などが必要である。後者については、炭素
・炭化水素系の化石燃料を悪玉扱いし、原子力を善玉扱いするような論理繙繻エ子力委
員会や総合エネルギー調査会の多くの報告書が活用してきた繙繧、卒業しなければな
らない。
以上。
電力生産地と消費地のあり方について(メモ)
1999年10月30日
吉岡 斉
1.生産地とは、生産地住民を、消費地とは消費地住民を、それぞれ指すものと理解してよいか。
2.この問題設定は、意味不明である。他の産業分野について、このような問題設定がなされることは、あまりないからである。そこでは生産者(事業者)、消費者、市場、政府の4者を、登場人物(アクター)として考慮すれば十分。(天然ガス、自動車等)
3.なぜ電力においてのみ、第5のアクターとして、生産地住民を、考慮する必要があるのか。それとも、他の産業にも同様に考えるべき分野があるのか。理論的にどういう条件が揃った場合に、こうした問題設定が有効となりうるのか。
4.事業者が、生産地住民にとって「余所者」であり、かつ生産地住民がその事業によって「迷惑」を受けている場合は、その一例であろう(他に例があるかどうかは、わからない)。ウラン鉱山や、東南アジアのエビ養殖などが、それに該当。また生産活動ではないが、廃棄物処分サービス業も、それに該当。
5.その場合、消費者も、事業者の商品を買っている点において、一定程度の連帯責任を負う。
6.つまり、消費者は、次の4点に配慮する必要がある。
1)迷惑を減らすこと。
2)事業者や政府に、より迷惑の少ない方式の採用を要請すること。
3)もし可能ならば自分でそれを(部分的にせよ)引き受けること。
4)償いをすること。
7.もし発電所が、生産地住民にとって、利益よりも損害を多くもたらす「迷惑施設」なのであれば、消費者は、つぎのような行動をとることを考慮してよいだろう。
1)電力消費を削減すること。
2)迷惑度の少ない電源への切替えを、事業者や政府に要請すること。そのために一定程度の実力行使もすること(グリーン・コンシューマー運動など)。
3)都市近郊に天然ガス火力発電所をつくること。
4)主として事業者が負担すべきだが、消費者も電力使用量におうじて負担する。ただし発電方式によって差をつける理由はない。
8.しかしながら、発電所は果たして、生産地住民にとって、利益よりも損害を多くもたらす「迷惑施設」なのだろうか。一般論としては、決してそうではない。原子力や水力は、損害の度合が大きいが、他の発電所はそうとはいえない。また利益とはかりにかけた場合、原子力や水力についてさえ、「迷惑施設」であるとは断定しにくい。
迷惑施設でないと判断される場合、上記の議論は無意味となる。
(ちなみに、「原子力へのこだわりをなくせば、電源立地点は数多く存在しており、将来的には立地点間の誘致競争という事態も想定される」という指摘もある。山地編『どうする日本の原子力』121ページ)
9.ただし生産地住民の利益とは別に、公共利益も重要である。その観点から、電力消費を削減するとともに、総合的により好ましい(経済的観点、資源安定供給の観点、環境・健康・安全の観点、国際安全保障の観点などにもとづき)エネルギーを追求することは必要である。
10.電源三法については、廃止が妥当である。なぜならその基本的な考え方が、時代後れとなっているからである。
その目的は、電源開発を促進することであり、とくに原子力発電を促進することであった。それを受け入れてもらうために、分厚い札束を用意した。とくに原子力発電に対しては、単位出力当たり、火力に比べて数倍の交付金が用意された。
しかし今日、電源開発の促進の重要性は低下している。電力消費削減が時代の要請である。また、原子力へのこだわりをなくせば、電源立地にとくに困難があるとは思えない。したがって当初の目的は意味を失った。
また原子力発電を特別に優遇することの意味もない。原子力は他の電源よりも、総合的に評価してみて、劣っていると思われる。したがって、かりに何らかの交付金を残すとしても、原子力に手厚く交付金を出すのは適切ではない。
11.なお、電源開発を国策として進めるという考え方も、見直しが必要である。基本的に市場経済にまかせれば良い。国家計画として進めることは「社会主義」時代の発想を引きずった時代錯誤である。政府は、安全性や核不拡散に関わる規制と、環境保護などの観点からの政策的誘導のみを行えば良い。
以上。