<資料5-4>
平成11年度・第5回原子力政策円卓会議(10月30日、福岡)発言要旨
「東海村臨界事故に原子力政策関係者はいかに対応すべきか」
はじめに
99年9月30日に株式会社ジェー・シー・オー東海事業所で起こった即発臨界事故は
、86年のチェルノブイリ原子力発電所4号機の事故以後における、世界最悪の原子力事
故となった。
それは原子力発電に対する国民世論に重大な影響を及ぼしている。今日のショックが終
息したのちも、国民世論は事故前と比べ、原子力発電に対して否定的な傾向を強めると予
想される(ヨーロッパ人に対するチェルノブイリ事故のインパクトに相当する)。
この臨界事故に対して、日本の原子力政策関係者は、次の4種類の対応を行う必要があ
る。第1は、その真相究明を進め、そこで得られた全ての情報を公開すること。第2は、
国民世論・国際世論の動向に真摯に耳をかたむけ、それを尊重した対応を行うこと。第3
は、今回の事故の教訓をふまえて、法的・制度的な改革を行うこと。第4は、エネルギー
全体の中で原子力発電を特別に偏愛してきた今までの政策的な基本姿勢を捨てること。
以下、原子力政策関係者のとるべき対応について、9点にわたり箇条書きにする。
電力生産地と消費地のあり方について(メモ)
1.生産地とは、生産地住民を、消費地とは消費地住民を、それぞれ指すものと理解してよいか。
2.この問題設定は、意味不明である。他の産業分野について、このような問題設定がなされることは、あまりないからである。そこでは生産者(事業者)、消費者、市場、政府の4者を、登場人物(アクター)として考慮すれば十分。(天然ガス、自動車等)
3.なぜ電力においてのみ、第5のアクターとして、生産地住民を、考慮する必要があるのか。それとも、他の産業にも同様に考えるべき分野があるのか。理論的にどういう条件が揃った場合に、こうした問題設定が有効となりうるのか。
4.事業者が、生産地住民にとって「余所者」であり、かつ生産地住民がその事業によって「迷惑」を受けている場合は、その一例であろう(他に例があるかどうかは、わからない)。ウラン鉱山や、東南アジアのエビ養殖などが、それに該当。また生産活動ではないが、廃棄物処分サービス業も、それに該当。
5.その場合、消費者も、事業者の商品を買っている点において、一定程度の連帯責任を負う。
6.つまり、消費者は、次の4点に配慮する必要がある。
1)迷惑を減らすこと。
2)事業者や政府に、より迷惑の少ない方式の採用を要請すること。
3)もし可能ならば自分でそれを(部分的にせよ)引き受けること。
4)償いをすること。
7.もし発電所が、生産地住民にとって、利益よりも損害を多くもたらす「迷惑施設」なのであれば、消費者は、つぎのような行動をとることを考慮してよいだろう。
1)電力消費を削減すること。
2)迷惑度の少ない電源への切替えを、事業者や政府に要請すること。そのために一定程度の実力行使もすること(グリーン・コンシューマー運動など)。
3)都市近郊に天然ガス火力発電所をつくること。
4)主として事業者が負担すべきだが、消費者も電力使用量におうじて負担する。ただし発電方式によって差をつける理由はない。
8.しかしながら、発電所は果たして、生産地住民にとって、利益よりも損害を多くもたらす「迷惑施設」なのだろうか。一般論としては、決してそうではない。原子力や水力は、損害の度合が大きいが、他の発電所はそうとはいえない。また利益とはかりにかけた場合、原子力や水力についてさえ、「迷惑施設」であるとは断定しにくい。
迷惑施設でないと判断される場合、上記の議論は無意味となる。
(ちなみに、「原子力へのこだわりをなくせば、電源立地点は数多く存在しており、将来的には立地点間の誘致競争という事態も想定される」という指摘もある。山地編『どうする日本の原子力』121ページ)
9.ただし生産地住民の利益とは別に、公共利益も重要である。その観点から、電力消費を削減するとともに、総合的により好ましい(経済的観点、資源安定供給の観点、環境・健康・安全の観点、国際安全保障の観点などにもとづき)エネルギーを追求することは必要である。
10.電源三法については、廃止が妥当である。なぜならその基本的な考え方が、時代後れとなっているからである。
その目的は、電源開発を促進することであり、とくに原子力発電を促進することであった。それを受け入れてもらうために、分厚い札束を用意した。とくに原子力発電に対しては、単位出力当たり、火力に比べて数倍の交付金が用意された。
しかし今日、電源開発の促進の重要性は低下している。電力消費削減が時代の要請である。また、原子力へのこだわりをなくせば、電源立地にとくに困難があるとは思えない。したがって当初の目的は意味を失った。
また原子力発電を特別に優遇することの意味もない。原子力は他の電源よりも、総合的に評価してみて、劣っていると思われる。したがって、かりに何らかの交付金を残すとしても、原子力に手厚く交付金を出すのは適切ではない。
11.なお、電源開発を国策として進めるという考え方も、見直しが必要である。基本的に市場経済にまかせれば良い。国家計画として進めることは「社会主義」時代の発想を引きずった時代錯誤である。政府は、安全性や核不拡散に関わる規制と、環境保護などの観点からの政策的誘導のみを行えば良い。