1999.11.1
文責 原子力政策円卓会議事務局
平成11年度 第5回原子力政策円卓会議 議事速報
1.開催日時
1999年10月30日(土) 午後1時30分〜午後5時00分
2.開催場所
福岡SRPセンタービル 2階 SRPホール (福岡県福岡市早良区百道浜)
3.議 題
今後の原子力のあり方について(電力生産地と消費地のあり方)
4.出席者(敬称略)
モデレーター
石川 迪夫 | | 原子力発電技術機構特別顧問
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小沢 遼子 | | 社会評論家(司会)
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茅 陽一 | | 慶應義塾大学教授
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木村 孟 | | 学位授与機構長
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中島 篤之助 | | 元中央大学教授(副司会)
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オブザーバー
お招きした方
井手 俊作 | | 西日本新聞社 論説委員
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桑原 敬一 | | 前 福岡市長;元 労働事務次官
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肥前 洋一 | | 九州電力株式会社 代表取締役副社長
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松田 節子 | | 生活協同組合連合会 グリーンコープ連合 理事会室 組織委員会 担当事務局
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森 卓朗 | | 鹿児島県 川内市長
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森山 文彦 | | 前 社団法人 九州・山口経済連合会 九州エネルギー問題懇話会事務局長
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吉岡 斉 | | 九州大学大学院 教授
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(敬称略 五十音順)
5.議事の概要
- 木村モデレーター座長より会議の主旨の説明、公募意見の紹介、モデレーター・お招きした方の紹介
- 9月30日に起こった東海村、JCOにおける事故の経緯について石川モデレーターから、事故後の地元情勢について中島モデレーターから説明。
- 公募意見の紹介、お招きした方のプレゼンテーションを行った後に、自由討論。
6.発言要旨
井手 俊作
- JCOでの事故について柿の木から落ちる柿の実を思い浮かべた。柿の木は原子力発電、落ちる実は事故に例えられるのだが、今回の事故は皆が落ちると気を付けていた以外の枝から、予想外に実が落ちたという感じだ。即ち原子力発電の事故防止に対する注意に空白の域があったという点で衝撃的であった。
- 事故に対する海外の論調も呆れや驚きといったものが多く、これまで日本が持っていた技術大国として自尊心を深く傷つけるものであった。
桑原 敬一
- 現在、原子力に関しては多くの点で国中心の体制となっている。JCOのような事故が起きた場合、地方自治体は何よりも地域住民の安全・生命に対して責任があるのだから、国と地方自治体の役割分担について考え直す必要がある。
- 地震への防災ばかりについてではなく、原子力関連事故に対しての防災対策システムもしっかりと構築していくべきだ。
- 原子力発電は九州にとって、果たしている役割は大きく、必要不可欠なものと考えている。もしも原子力発電による電力が無くなったら、九州の経済は大きな打撃を受けることとなるだろう。
- 電力の生産地と消費地の関係では、消費地は生産地に対して常に感謝の気持ちを持ち続けていなくてはならない。また、福岡市は水の供給も他地域に依存しているのだが、同時に節水も進んでいる。同様に電力についても、省電力に取り組んでいくべきだ。
- 原子力行政は省庁縦割りの弊害の中、内閣直轄にすべきである。
肥前 洋一
- 電力会社として、原子力は危険なものであるという認識に立って、安全を最優先にして原子力発電に取り組んでいる。それだけに今回のJCOの事故は非常に残念だった。
- 長期エネルギー需給見通しでも地球温暖化対策推進の観点から、省エネルギーと共に原子力発電は重要と位置づけられている。九州でも将来の電力需要の伸びに対応するために、供給の安定性に優れ、かつ二酸化炭素排出量の点で環境負荷が少ない原子力発電は重要な電源であると言える。
- 原子力発電所の立地は広い敷地、強い地盤、豊富な冷却水が条件であるが、狭い国土の中では住民の理解を得ることが重要だ。そのために、関連情報の公開、パンフレットの配布等といった方策を講じている。
松田 節子
- 原子力発電は子供にとって負の遺産となるものであり、人類と共存できるものではないという確信を得たのは、チェルノブイリ事故がきっかけだった。
- 原子力に関する情報公開についても不満だ。JCOの事故でも付近の住民に対する情報伝達は遅かったし、普段も情報操作をしていると感じる。
- 原子力発電が危険であるために、金銭的に立地を確保しようとしていると感じる。
森 卓朗
- 電力生産地は地球温暖化防止、地域の振興を願いながら国の政策に協力してきた。また、自分たちで発電した電力が他地域の経済発展を担っているのだという自負も感じている。
- 普段から原子力発電のようなシステムを維持するのに大変な思いをしている。それだけに、JCOの事故により原子力発電は危険だというイメージが強く人々の中に残ってしまった点で、非常に残念だ。
- 原子力発電の安全確保にはこれまで以上に取り組まれる必要がある。例えば専門家を多く取り揃えた米国のNRCや航空機事故調査会のような組織が日本にも必要なのではないか。また、原子力防災については、現在、特別措置法の検討が進められているが、事故が起きないと対応しないことには怒りを感じる。電源三法の見直しを含め、国は思い切った政策をとってほしい。
- 原子力発電の立地のポイントとしては、安全確保、原子力防災、地域振興の3点が挙げられる。これらについて国が生産地域の要望を十分に受け入れているのかどうか疑問である。
森山 文彦
- 原子力発電は無資源国日本で使うエネルギーを確保する供給手段の中での選択肢の一つに過ぎないという認識が必要である。ただ、地球温暖化対策が運輸・民生部門で遅々として進展しない現状から、せめてエネルギー部門だけでも炭酸ガスを排出しない発電方式を優先すべきだ。
- JCO事故は杜撰な管理不在に起因するものであり、原子力安全文化の不備は免れないが、原子力の安全神話も危機神話も言葉だけの問題である。
- 供給者側によるエネルギー需給計画が信用されない現状を打開するため、需要サイドによるエネルギー需給計画を策定することが有効なのではないか。
吉岡 斉
- JCOの事故から考えられる原子力政策関係者がとるべき対応について示す。
- 国際世論の動向を正確に把握し、それを政策に反映させるということが日本は不十分であった。例えば国際原子力政策円卓会議のような場を設置することが有効である。
- 現在の損害賠償制度を全面的に見直して、賠償措置額を大幅に増額するとともに、政府ではなく、より事業者に支払いを求めるべきなのではないか。
- 原子力を特別扱いするのではなく、研究費の配分等については、他のエネルギーと同等に考える必要がある。
《休憩》
《自由討議》
●生産地と消費地
- 現状のままでは、エネルギー政策は上手くいかないと思う。自治体には、原子力行政に協力したい人もいるが、原子力に反対の人もおり、首長としてはそれらの最大公約数を選択していく必要がある。原子力立地の推進には、地域振興を推進し、最低限の文化的な生活の確保が必要である。
- 事故の後でも電力の需要は減少しないものであり、どこかの地域からは電力が供給されなければならない。他地域の原子力発電所で、緊急停止があっても、市民は心配して説明を求めるものだ。この様な事態は原子力特有のものであり、その意味から原子力立地地域への交付金を火力等他の電源と同じ扱いにすることには反対する。
- 電力をふんだんに使用している都市に住む者が、原子力発電に対し、賛成、反対の意見を軽々しく言うべきではない。
●JCO事故について
(組織構造とモラル)
- 下請け、孫請けという日本の生産構造の問題だと思う。元請けではちゃんとやっているものが、孫請け企業で事故を起こしてしまう所が問題である。
- ドイツのマイスター制度が下請けに出すことにより、崩壊し始めている。また、ローマ帝国は、自ら行わずに下請けに任せるようになって、国力が衰えた。新幹線のトンネル問題も、チェックを行うシステムにより、カバーするしかない。
- 下請け作業者の手記があるので紹介する。「原子力に係っている多くの技術者が、去って行った。それは、実態とかけ離れた状況を、プレスと反対派が騒ぎ立てるからだ。財政的に余裕のある電力会社など大手企業はまだいいが、下請けで働く従業員は、自分の仕事にプライドも持てず、つらいばかりである。」
- 下請けは、安い給料で働かされて、責任まで取らされるのはかわいそうだ。モラルは給料によって維持される面がある。
- 下請けも、仕事を受けたからには、それなりの責任があるはずだ。
- 原子力の技術開発は、進んでいるが、働く人が仕事の内容を理解し、モラルを維持していくことが必要である。安全への意識が低下することでトラブルが発生する。チェック機能を機能させることも重要。下請けまで、安全への意識を徹底しないと、大きな事故につながる。
(日本の技術力)
- 最近新幹線のトンネルコンクリート落下をはじめ事故が重なっている。技術大国が成熟し、老化の兆しをみせているのではないか。これらの事故が必然的に起きたものなのか、そのあたりまで議論を広めて行くべき。
- JCOで働いていた人は非熟練工であった。コストのために未熟練工を使った。個々の従業者に本来の意味の職人気質を植え付ける必要がある。どんなにハードがよくなってもこのような事故は起きる。
- 工業高校の退学率が普通高校の10倍もあるという現状は、日本の技術力確保の観点から危機的な問題である。
(事故と原子力行政)
- 「JCO事故の延長線として、原子力政策の問題がある」と一般国民が誤解する恐れがある。そうではなく両者を分けて議論すべき。
- JCOの事故を契機にこれまでの考え方を改めないといけない。原子力安全行政は破綻をきたしているという認識からスタートすべき。
- 「破綻」をきたしたという意見には異論がある。今回のJCO事故では犯罪行為が行われた。事故と原子力行政の問題は明確に区別すべき。
- 原子力発電所は厳しい規制の下にあり、事故により原子力安全行政が破綻した訳ではない。
- これまでの炉と燃料の安全審査の理念のずれについて、安全委員会が総括しきれず、内部矛盾に気がつかなかった。
- 国の体制が縦割りであることによって、国と県市町村の連携プレーを行う際に問題が生じる。
- 行政にも問題があったかもしれないがが、今後は原子力安全文化を原子力産業全体に広めていきたい。
- どこを改革すべきかを私が具体的に提示したように、確かに改める点が非常に多い。また、今回の事故と原子力政策を分けて論じるのは不可能。
- 審査が悪いのではなく、決まった手順を実行しなかったことが悪い。
- 背景には原子力産業政策の問題がある。JCOのような会社を育成すべきかどうかである。JCOは国際的に見て技術革新に遅れていた。電力会社からのコストダウンへの要求という間接的な原因がある。これによりJCOが弱体化した。
- 電力会社は自由化によるコスト低減の圧力の下、国内企業からではなく、外国から燃料を購入するようになってきた。通産省、原子力委員会もそこまで目が届いていなかった。
- 今回の事故によりこれまでに築き上げてきた信頼関係が崩された。
- 原子力安全委員会によるJCOのチェックは運転状況ではなく、施設・保安措置が中心であった。動いている時のチェックは非常に少なかった。また、JCOのような施設に対する安全審査指針が作られていなかった。末端まで面倒を見る必要があった。
- いつも事故があったらその事故だけについて議論する。もんじゅの事故など関連した事故を含めて議論すべき。世界的な流れの観点から考えて欲しい。原子力には未来がないと思う。
- 航空機事故の際に事故調査委員会が設けられるように、原子力事故に対する常設の委員会を設けることが、国民への説明責任上不可欠である。原子力船むつに関連して、総理直属の懇談会を設置したことは、当時としては評価できる。事故を調査するためには、推進派、反対派の偏りのない機関を設ける必要がある。
●安全確保のあり方
- 事故は、考えもしなかったところから発生するもの。今回の事故への対策だけでなく、事故は論理的に考えられるものではないということを意識して、広く全般的に見直すことが必要である。
- 事故というものは、最先端部分では起きないものであり、思わぬ原因で起きるものである。
- 原子力はハード面の対策はしっかりしているが、ソフト面に問題があった。
- 下請けも含めた各事業者の責任が重要である。事業者は、人はミスを犯すという前提で仕事をすることが、安全文化の面から重要である。
- 下請けの従業員への教育は重要である。ボイラーを扱うにも資格がいるが、原子力においても法制度上どうにかならないか。これに元受によるチェックを両輪として考え、取り組んでいく必要がある。
- IAEAの評価尺度では1〜3は「事象」であり「事故」ではない。今回レベル4で初めて「事故」になった。無事故神話という意識があったのではないか。イベント(もしくはインシデント)になぜ「事象」という言葉を用いたのか。これにより、専門家の意識と国民の意識に乖離が生じた。
- IAEAでは通常運転と事故とに分けており、レベル4以上が事故である。日本では通常運転、異常行為、事故に分けており、異常行為を「事象」と言うようになった経緯がある。もんじゅの事故の際はこの事が問題になったが、これはマスコミが受け付けなかったためである。
- 「事象」は非常に一般的に使われる言葉である。それを専門用語として使うのは間違っている。最初から「事故」と訳すべきであった。
- 食料供給において、危険性を管理する手法としてHACCPがあるが、同じ手法が原子力でも活用できないか。この手法では、各事業者が責任を持つことになる。
- ガソリンスタンドで事故が起きても、すぐに車社会を放棄するという議論にはならないのは、社会が車の必要性を十分認識しているからであるという意見があるが、原子力発電に対しては、その必要性が必ずしも認識されているとは言えない。
- 自分で運転することができる車の問題と、原子力発電の問題を同じ次元で比較すべきでない。
●原子力・エネルギー政策
- 国の体制を一元化することには賛成だか、私は原子力行政ではなく、エネルギー行政の一元化という見解を持っている。
- 省庁再編で、原子力委員会、原子力安全委員会は内閣府に移るが、機能は現状維持であり、これでよいのか。
- 「原子力ありき」との考えを持っている人たちには、その考えを見直してほしい。
- 自分の生活について、どこまで文化的な暮らしを追求して良いものなのか考えることが必要。
- 原子力発電は、単に原子力のために存在するのではなく、あくまでエネルギー供給手段の選択肢の一つにすぎないと認識することが大切。
- 電気は家庭用だけでなく、社会で幅広く使用されており、事故があったからといって、直ちに原子力発電をやめるべきだと簡単には言えない。
- 原子力発電に反対の意見があるのは、日本、ドイツ、フランス等の電気を贅沢に使っている国。電力確保が困難な国では、多少安全性に不安がある型の原子炉でも発電を止められないという現実がある。このような現状に対し、西欧諸国は有効な回答を持っていない。
- 原子力発電に対して反対の立場をとるのであれば、何を代替とするのかの案を出し、議論をすべき。
- 原子力発電を他のエネルギー源と対等の立場で考える状況になってきているのは従来に比べ一歩前進。
- 原子力発電は経済性では劣り、環境の面では、放射性物質の潜在的危険性のために、炭酸ガス排出削減効果を考慮しても必ずしも優れているとは言えない。さらに、核不拡散の問題など総合的に比較すれば、他のエネルギー源に対して劣っている。
- 今直ちに原子力発電を止めるのは不可能でも、何十年かかけて廃止の努力をすべき。
- エネルギー政策に対し、さまざまな立場、意見を持った人が議論できる場を作るべき。
- 原子力を始める時であれば、その是非を議論することも意味があるが、現実に電力の30数%を賄っている現時点では、むしろ安全を確保するためにどうすべきかの議論をすべき。
- 30数%程度の電力量割合は、原子力発電以外で十分代替できる数値。具体的には風力発電、太陽光発電等の開発を進めつつ、環境税の導入による省エネを図り、これらを前提とし、残りは化石燃料で賄う。
- 原子力発電に対して、賛成、反対の議論をする場合には、常に原子力に代わるものとして何を考えるかという代替の問題になる。
- 全てのエネルギー源を共通の枠組みの中で偏愛することなく議論することが大切である。
- 原子力発電と化石燃料による発電の比較において、環境問題の観点では炭酸ガスが地球に与える影響が必ずしも十分に解明されていないので定量的比較が難しいが、総合的な比較では、原子力発電が優れているとは思えない。
●その他
(マスコミの問題)
- 事故が起きた場合だけ騒ぎたてるようなマスコミの体質は改める必要がある。
- マスコミ各社の世論調査では、事故後も原子力推進及び現状維持の割合は、其れほど低下していない。一方、7割近い人達が不安を感じているのも事実であり、不安感が即原子力反対につながる訳でもない。
- マスコミには、原子力発電の良い面、悪い面いずれについても、常に事実を伝える努力をしてほしい。
(国民の理解)
- 火力発電所反対運動の中心的存在であった松下氏の著書に「暗闇の思想」があるが、都市に住む人達にとって、暗闇の思想を持ちつづけることは不可能であり、電気をぜいたくに使っている現実を踏まえ、原子力の問題を考える必要がある。
- 世論調査の解釈は設問や結果の見方による大きく変わりうる。
- 国民も発電所見学等により原子力がどの程度安全か自ら確かめることが重要。
- 発電所見学をしても、不正な手順まで確認できず、また、専門家にいくら安全と言われても、まだ何かあるのではないかとの疑問が残る。
- 原子力では想定外の事故が起こるのは事実であり、いくら説明を聞いてもまやかしとしか受け取れない。
- 原子力発電に関するコマーシャルを見ても炭酸ガスを出さないことのみ強調され、廃熱の問題等目に見えない悪い所は知らされていない。
- 原子力の熱効率は30数%、火力発電は40数%であり廃熱の問題では大きな差はなく、また、廃熱と温暖化は直接関係ない。
● | 本資料は原子力政策円卓会議事務局の責任で作成したものであり、速報版のため内容に不十分な点が含まれ得ますことを、あらかじめお断りいたします。
| ● | 詳細な議事録につきましては、発言者の校正・確認を経た後、速やかに公開致します。
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