1999年3月31日
−モデレーターからのメッセージ−
円卓会議モデレーター |
木村 孟(座長) |
石川 迪夫 |
小沢 遼子 |
茅 陽一 |
中島 篤之助 |
今回の原子力政策円卓会議は、平成8年に行われた原子力政策円卓会議からの提言を受けて開催されることになったもので、私達5人がモデレーターとなり、平成10年9月から平成11年1月にかけ、5回の会議を持ちました。
もともと円卓会議は、原子力に関して国民が率直な意見を交換し、その声を少しでも多く原子力政策に反映していくことを目的としたもので、いろいろな立場の人による公開の議論が重要なポイントになります。しかし、平成8年の円卓会議においては、原子力のさまざまな側面についての議論を必ずしも十分深めることが出来なかった、という反省がありました。そこで、今回は、この反省を生かすために、1)毎回の参加者をモデレーターを除いて数人程度の比較的少数に限定する、2)何人かの参加者には複数回の会議に参加を依頼し、議論を深める、3)各回毎に議論を一定の範囲に絞る、などの工夫を加えました。
また、円卓会議の議題の選択や議論の進行がなるべく中立性を保てるよう、原子力委員会とは出来るだけ独立の立場をとることとしました。そのため、事務局は民間機関に依頼し事務的な作業は一切その機関に任せ、議題や参加者の選定など会議の運営については私たち5人のモデレーターがすべて責任を負うこととしました。
この提言は、このように準備して行った5回の会議での議論をもとに、私たち5人のモデレーターが議論し、作成したものです。今回は、我が国のエネルギーの中の原子力の役割、立地地域への対応策、原子力行政体制などに絞って議論を行いましたが、残念ながら時間の制約もあって会議総回数は5回に過ぎず、まだ十分な議論が行われたとはいえません。また、核燃料サイクル(プルサーマル、放射性廃棄物処理処分などを含む)とそれにからむ問題を直接的に論じるには時間が不足で、この問題は来年度にまわすこととしました。
このような事情により、今回の提言は、前回会議への反省にもかかわらず、まだ中間的で、一般的な色彩の強い提言とならざるを得ませんでした。私達も残念に思っているのですが、この点は御理解いただければ、と思います。
平成8年に円卓会議が設置されたのは、先にも述べたように、これまでの原子力政策の進め方が、透明性に欠け、国民の幅広い意見を反映していないのではないかとの批判に応えてのことでした。この考えに沿って、今後さらに国民の声を反映した政策を実現していくためには、円卓会議の場に限らず、国民一人一人が、自ら原子力を含むエネルギーの問題に関心を持ち、真剣に考えていくことが大事です。その意味で、この提言は、原子力委員会への提言であると同時に、国民全部にあてたメッセージでもあります。
<提言>
1) | 原子力のエネルギー源としての政策は、他のエネルギー源に関する政策とあわせて論じるべきもので、国がその整合に常に努力を怠らないことを望みます。また、国民の代表である国会議員など政治家が、政治の場において、総合的な立場から、国民に見える形でエネルギー政策を論議することが、国民の意向をエネルギー政策に反映するという意味でぜひとも必要でしょう。 |
2) | 原子力行政にあたっては、原子力基本法の基本理念に沿って、今後一層民主的な運営に心がけるべきでしょう。そして、原子力政策の決定の際は、多様な選択肢を準備し、その選択に出来るだけ広く国民の声を反映するような努力を行うと共に、そのプロセスをきちんと公開していくことを望みます。 |
そしてこのことの前提として、円卓会議が常に幅広い国民の意見を反映できるように努めていくことが必要で、我々モデレーターもこのような考えにもとづいて招聘者の人選や会議の進め方などを工夫していくつもりです。