第5回原子力政策円卓会議 議事録

第5回原子力政策円卓会議

1.開催日時

1999年1月21日(木) 13:30〜17:00

2.開催場所

横浜アリーナ センテニアルホール

3.議題

「原子力の運営体制のあり方について(2)」

4.出席者(敬称略)

 モデレーター

 オブザーバー

 招へい者

5.議事録
【事務局】
 大変お待たせいたしました。定刻になりましたので,ただ今より平成10年度第5回原子力政策円卓会議を始めさせていただきます。
 本日はご多忙の中,傍聴の方々をはじめ多数ご参加いただきまして大変ありがとうございます。はじめにお願いでございますが,お手元のチラシにも書かせていただきましたように,傍聴の皆様方におかれましては議事の円滑な進行にご協力賜りますよう,よろしくお願い申し上げます。
 本日の円卓会議ですが,モデレーター会議の木村座長がやむを得ぬ事情によりご欠席ですので,モデレーターの茅陽一先生に座長代行をお願いしてございます。茅先生のほうにまずはマイクをお渡し申し上げたいと思います。それでは茅先生,よろしくお願いいたします。


【茅(慶應義塾大学教授)】
 ご紹介いただきました慶應大学の茅です。木村座長が本日欠席ですので,その役割を私が代行させていただきます。と言っても,別に難しいことをやるわけではありませんで,皆様方のご紹介と,初めておいでになった方もいらっしゃいますので,この会議の簡単な経緯だけを,私のほうからご説明するということです。
 最初に本日の出席者ですが,まずモデレーター側,5人おりますが,今申し上げましたように木村座長が欠席ですが,本日4人が出席しております。このうちの2人が毎回の会議で議長,副議長を務めることになっていますが,本日は私の左側にいらっしゃいます元中央大学教授の中島さんに議長をお願いしております。本日は私が副議長を務めさせていただきます。私の右側,社会評論家の小沢遼子さんでいらっしゃいます。さらにその右側,原子力発電技術機構特別顧問の石川迪夫さんです。オブザーバーとして,原子力委員会から木元教子委員においでいただいております。
 本日の招へい者ですが,このうちの2人の方は一度すでにおいでいただいている方ですけれども,アイウエオ順でご紹介させていただきますと,まず消費生活アドバイザーの碧海酉癸さん。日本総合研究所主任研究員で兼務がいくつかあるのですが,これはちょっと省略させていただいて,飯田哲也さん。産経新聞論説委員長代行の飯田浩史さん。東京大学教授の近藤駿介さん。同じく東京大学教授の山地憲治さん。九州大学大学院教授の吉岡斉さん。以上の6人でいらっしゃいます。このうち,近藤,吉岡のお二人は前回に引き続いておいでいただいているということです。
 この会合でのモデレーターないしオブザーバーの立場についてですけれども,これはわれわれのほうで一度議論を十分しており,それにしたがってやっています。どういう形かと申しますと,議長,副議長は当然のことですけれども,この会合の進行を円滑に進める。特に公平に進めるということに最大の努力を傾注するということで,原則として自分の意見を主張するということはしないと思います。ですが,他のモデレーターのお二人,今日は小沢,石川のお二人でいらっしゃいますが,この方々には議論の中に入って,ご自分の意見を述べていただくということは十分にやっていただいてけっこうであるということにしています。  実は最初の段階で「少しモデレーターの方の発言が多いのではないか」という議論がありましたが,当然のことですけれども,モデレーターはやはり全体の会合を円滑にやるという基本の目標はよく心得ていますので,言い過ぎるということはおそらくなされないだろうと期待をいたしております。
 原子力委員会からおいでいただいている木元さんにつきましては,オブザーバーという名前にはなっていますけれども,やはり原子力委員会側のご意見を伺うということも必要ですし,また木元さんご自身は原子力委員会委員という立場よりは,エネルギー問題の評論家として非常によく知られておられますので,むしろそういった立場からのご意見も聞きたいというお考えも多いと思います。そういったことで,発言をしていただくことについては,歓迎するという立場をとっております。これが一応皆様方の立場です。
 それでは今回の会議をごく簡単に説明させていただきます。実はこの円卓会議の第1回というのは今から2年半ほど前,平成8年に開かれていまして,合計11回いたしています。私もそのときにモデレーターの1人として参画をしていますが,そのときの提言に基づいて再開されたのが今回の円卓会議で,今回が本年度の5回目,最後になります。
 ただ,性格としては前の時と少し違っています。と申しますのは,前回の場合には原子力委員会が主催するという形式をとり,そのためもありまして,原子力委員会の方は全員おいでいただくという方式をとっていたのですが,今回はむしろこの円卓会議というものが独自に運営されるべきであるという考え方に基づきまして,お金は国から出ているのですけれども,モデレーターがすべての運行について,自分たちで独自に決めるという方式を取っています。そのために原子力委員会からは,今申し上げましたようにオブザーバーお一人だけをお呼びしているという形になっています。
 目的は,お配りした資料にも書いてあるのですけれども「国民各層の間の原子力に関する議論を徹底して行なって広く公開し,原子力問題の状況をより明確に国民に理解していただくと同時に,独自の立場から,原子力委員会に原子力政策の方向について積極的な提言を行なう」というのが目的となっています。
 実はこの会合の対象という原子力問題というのはいろいろな局面がありまして,これを限られた時間の中で全部について議論すると,かなり放漫になりやすいわけです。そういったこともありまして,これも招へい者の方々には事前にお配りしましたように,簡単に問題を図の上で分けまして,ある程度議論の対象を絞って議論をしていただくようにしています。  前回は「原子力の運営体制」ということで,原子力委員会,原子力安全委員会といったものから始まって,国,地方自治体,電力会社,あるいは地域住民という,それぞれの立場,あり方をどうするかというわりと広い問題なのですけれども,この問題についてご議論をいただくという形にしています。
 前回のときにはやはりいろいろな意見が出ていまして,原子力委員会と原子力安全委員会の形が今のままでよいのかどうか,これについてはいろいろなご意見もありましたし,いわゆるダブルチェックという方式はおかしいという議論もずい分ありました。またさらに原子力問題について,国会の中で懇談会をつくれというご意見もありました。
 いずれにいたしましても,この原子力の問題に対してはいろいろな面がありまして,運営体制と言いましても,国がどこまで原子力の今後に対して関与すべきなのか。つまり電力会社といった民間の直接の建設の担い手がいるわけですが,これと国との間がどの程度の関係であるべきなのか。あるいは,原子力というのはやはりエネルギーの一部なのだから,エネルギーの一部として常に議論すべきである,今のようにエネルギー全体と原子力を分けているという考え方は取るべきではないというご意見もありました。国と地方自治体の間の関係をどうすべきか。これはしばしば問題になることですが,これもやはりもっと議論すべきだという議論が出ています。
 こんなことが,私の個人的に感じています前回の印象ですけれども,これについての詳細な議事録はいずれ公開されると存じています。本日はこういったことについて,少しいろいろな角度からご議論いただきたいと思います。なお,もう1つだけちょっと申し上げますと,今後どうするかということですが,今後というのはこの円卓会議ですが,われわれの希望としては来年度もやるということでお願いをしています。政府の予算ですので,来年度の予算を今からわれわれが決まったとか何とかと言えないのだろうと思うのですけれども,私の伺っているところでは可能性はきわめて高いと伺っています。
 今回,実は核燃料サイクル,あるいはプルサーマルということをもっと議論すべきだというご意見はありましたけれども,時間的制約もありまして残念ながらできませんでした。しかし,やはり原子力問題を論ずる場合の一番キーになる問題ですので,来年度円卓会議が行なわれた場合には,当然のことながらこれを十分議論させていただきたいと考えています。
 提言を出すということが,先ほども申し上げましたように,この円卓会議の1つの目標になっていますが,これはモデレーターの責任で今回はまとめさせていただくという予定です。実は議論を始めていますけれども,今回はまだ5回,しかも核燃料サイクルといった重要な問題には触れない形でやったということもありますので,あまり内容的に具体的な結論めいた提言を出すということはまずできないだろう。おそらくかなり中間的なものになるのではないかと考えています。これは今後,この会議の後,モデレーター同士の議論で内容を煮詰めることになるかと思いますが,そんな形の提言になるだろうということだけを本日申し上げておきたいと思います。
 ちょっと長くなりましたが,私のほうから申し上げることは以上でして,この後は議長の中島さんにバトンタッチさせていただきます。よろしくお願いします。


【中島(元中央大学教授)】
 これからの司会をしばらく務めさせていただきます。今,茅モデレーターが言いましたように,今回は前回大阪で行ないました「原子力運営体制のあり方」の続きのようなことです。しかし,新しくお招きした方もいますので,前回のことにこだわらず率直にご意見を承りたいと思っています。
 大体今まで最初にお招きした方々から5分と申し上げているのですが,大体5分で終わる方はまずありませんで,5分と言うと,7分になる。しかし,ここで7分だと言うと10分になりますから,あとの自由討議の時間を十分取る意味からも,一応メドとしては5分を目標にしてご提言をいただきたいと思います。ひとあたり終わりましてから,それについての質疑応答をして,それから休憩を取って,次の自由討議に移るというのが今日のスケジュールです。
 発言の順序は,席の通りでまったくアイウエオ順です。今日は飯田さんがお二人いらっしゃいますので,あとで少し混乱するかもしれません。まず最初に碧海先生からお話をお願いいたします。原子力の運営体制のあり方についてのご意見を伺いたいと思います。それではよろしくお願いいたします。


【碧海(消費生活アドバイザー)】
 消費生活アドバイザーとご紹介いただきましたが,消費生活アドバイザーとか,消費生活コンサルタントとか,消費生活相談員とか,似たような名前が日本の国内ではたくさん使われていますが,消費生活アドバイザーというのは通産省が認定した試験による資格であるということを一言一応ご説明させていただきたいと思います。
 私どもの仕事というのは,企業と消費者とか,あるいは行政と市民の間のパイプ役をするという仕事です。そういう意味では,今日の私の発言というのも,その立場に立って発言をさせていただく。ただ,1人の市民という立場ももちろんありますが,どちらかと言えば,エネルギーとか原子力について,企業とか行政がしていらっしゃる仕事を一般市民の方に説明をするとか,あるいは一般市民がエネルギーとか原子力に対してどういうことを考えているかということを逆にフィードバックする,国なり産業界に対してフィードバックするという,そういうことに多少なりとも役立つような仕事をするという立場です。
 私の時計はデジタルでないものですから,5分というのは非常に見にくいのですが。1つ申し上げたいのは,私は平成6年に原子力の長期計画のほうの長期計画懇談会の委員を依頼されまして,そのときに初めて原子力委員会というものがあるということを実は知りました。20年も前から電力会社で省エネルギーの普及活動をしてきまして,原子力発電所の見学等ももちろんやっていますし,原子力発電というのがどういうものかということも,知識としてはもちろん最低限の知識は持っているわけです。ところが,原子力委員会というものが実はあったのだというのを,平成6年に初めて知りました。
 この長期計画の懇談会が終わりましたときに「普通の人として,新しい長期計画についての感想を述べよ」という依頼がありまして,原稿を書かせていただいたことがあります。そのとき「なるほど私は普通の人か」と。つまり「普通の人として意見を述べよ」ということで期待されたのだなと思いました。
 そのときに国際的なプルトニウムの利用に関わる円卓会議というのがありまして,なぜか,江田さんが長官でいらしたからだと思うのですが,普通の人として,また国際的な円卓会議に1人出されてしまったわけです。これは非常にビビる体験でしたけれども,その中で私は原子爆弾というものの中で,長崎に落とされたのは実はプルトニウムを使ったものだったのだということを初めて知りました。わが家に帰って夫に直ちに「あなた,長崎に落ちた原子爆弾というのはプルトニウムを使ったものだって知っていた?」と言いましたら,夫が「いや知らない」と申しました。私の夫がよほど物を知らなかったのかよくわかりませんが,そんなものでした。
 そういう意味で,この円卓会議の中でも原子力に関して一般市民に対する情報が不足しているとか,広報とか,教育の必要ということが何回も皆さんの口から語られていますが,その点私もまったく同意見なのです。つまり,情報が不足している。ただ,私は教育の中に原子力を入れさえすればよいというものではないと思っていますし,一般的に上から下へというような形で企業から消費者にとか,あるいは行政から一般市民に情報が流れればよいというものではない。必ず両者の対等の対話というか,交流というものがさまざまな形で行なわれるということが必要なのだと身に沁みて感じていますので,この円卓会議というものも,そういう意味での役割というのは十分評価したいと思っています。
 ただ,もう5分になると思いますが,最初ですから1つだけ言わせていただけば,この5回あった円卓会議にいったい女性は何人出たのだと。木元さんを女性のうちに入れますと,毎回せいぜい2人です。今の日本の社会というのはすでに 300万人女性の人口は男性よりも多いのです。その中でいったいなぜ女性をこんなに入れないのか。おそらく女性で,ごめんなさい,小沢さんを忘れていましたね。小沢さんがもう1人女性です。ごめんなさい。失礼しました。
 そういう意味では,少なくとも半分は女性がいてもよいのではないか。おそらく女性には原子力の専門家はほとんどいませんから,これはとんでもなく話が分散するというようなことが十分あると思うのです。でも,そういう意味の円卓会議というのもやられてみてもよいのではないか。少なくとも,次回円卓会議をなさるなら,思い切ってそういうこともされてもよいのではないかと思います。
 というのは,つまり女性の視点とか,女性のものごとに対するアプローチというのは,これは優劣の問題ではなくて,男性と明らかに違う部分があるということなのです。つまりその利点というものをもっと活かすべきである。特に原子力に関する対話をもっと重視するならば,そのテクニックというのをもっと研究すべきであると思います。それだけをまず最初に申し上げさせていただきます。


【中島】
 どうもありがとうございました。大体正確に発言時間が守られています。それでは飯田哲也さん,お願いいたします。


【飯田(哲)(株式会社日本総合研究所主任研究員)】
 私も5分は超えるかもしれませんが,10分は絶対超えないようにします。お手元にレジメをお配りしています。最初に茅さんから「日本総合研究所の他にいくつか兼務している」と紹介されたように,いくつかのわらじを履いています。経歴としても,かつて私は科学技術庁の原子力の基準づくりのお手伝いもしたこともありますし,電気事業連合会の原子力の委員会にいろいろ出てお手伝いしたこともありますし,原子力企業の社員として通産省の御前会議のような安全審査の一番後ろに座っていたこともあります。そういう意味で,私が言うところの「原子力ムラ」を多面的な角度で見たことがあります。
 かつ,今は環境NGOのほうの活動に軸足を置いていて,日本社会における非常に大きな価値の亀裂の両サイドから社会のあり方を見ているという,そういう視点から今日はちょっと発言したいと思います。特に今日は原子力の運営体制ということですので「原子力ムラ」ということを軸足に置いて,提言の部分はあとの議論の部分で述べるとして,問題点のところだけ簡単にご説明します。
 日本はいまや日米欧と呼ばれるように,民主主義かつ資本主義の先進国の3極の1つを占めるに一応至っている。かつ21世紀を目前にした今日において,形式としては確かに民主主義は整っていると思うのですが,実態を見ると,あまりに恥ずかしい社会システムではないか。例えば宮台真司という社会学者がこの社会を「うそ社会」と呼んでいるとおり,非常に建前だけがまかり通っていて,実態の部分がほとんど放置されている。あるいは第1回目の円卓会議で猪瀬さんが文化論を問わなければいけないということを言われていましたが,やはりまさにそういった部分をきちんと議論しなければいけないのではないか。
 「原子力ムラ」と言い出した人間の1人として,ムラ社会とは何かを説明します。その前にまず誤解のないように言っておきたいのはムラ社会が悪いと私は言っているわけではなくて,ムラ社会というのは長い歴史の中で積み重ねられてできあがった日本社会の文化だと思いますので,そう一朝一夕に変わるものではない。けれども,ムラ社会がもたらしている弊害というのをきちんと見つめて,その弊害を防止するようにいろいろな制度とか政策を工夫していくということが今のこの現代社会において必要ではないか。そういうことを言いたいがために問題点を指摘するわけです。ムラ社会の定義は,レジメに書いてある通り,5点から成ります。
 まず1つは共同体論理ということです。場の論理とか言われますが,特に日本の「公」,パブリックというのは非常に海外と比べると異質である。しかも,官僚の人は自ら自分たちのことを「国」と平気で呼びますけれども,まさに国というものが日本の場合,「公」,パブリックになっていて,かつプライベートとパブリックの概念がいれこになって,一見「公」を装った「官」がその内側では実は非常に私的なものに変質してしまって,いわゆるイエ社会,家族のようなものになってしまうわけです。そういう点が1つ。
 2点目はダブルスタンダードです。どこの社会でもダブルスタンダードというのはあると思うのですが,日本の場合は本音と建前という言葉があるように,それが非常に硬直化して,固定化されている。あとでもうちょっと具体例を示しますが,原子力のコストもそうですし,立地プロセスなども公開ヒアリングも電調審も明らかにダブルスタンダードとして実態が固着化している。こういったものを見直さなければいけないのではないか。
 3つ目が物神信仰,あるいはフェティシズムと言ってもよいのでしょうか。数字とか,金という価値が重視されて,概念であるとか,基本的人権とか,そういった価値が軽視される社会,そのように見ていますが,特に危機へのリアリティ,警告に対する対応というのが社会の中で軽んじられる。そういう傾向にあるのではないかと思います。
 4点目がムラの神話。山本七平は「空気」と言っていますけれども,神話が漂っていて,これがなかなか合理的な理論では反証不可能な形で神話が漂っている。
 5点目がトップダウン的社会観です。この国の統治システムの中では支配的で,愚民意識がその中では支配している。  そういった5点がムラ社会の特徴ということです。
 2ページ目から「原子力ムラ」のムラ社会性がどういう病理と言うか,問題点を生んでいるのかということで7つ事例を書きました。最初は特に「縦割り官主主義」と私は言っているのですけれども,特に通産省が暴走しているのではないか。今日原子力委員の木元さんが来ておられますが,原子力委員会というのは内閣総理大臣の諮問委員会です。今日は原子力部会長の近藤さんが来ておられるわけですが,通産省のほうには通産大臣の諮問委員会の総合エネルギー調査会があって,さらにその下に原子力部会があるわけです。私の図はこれを示したもので,吉岡さんが第1回目に指摘されていますし他の論文でも書いておられますが,まったく同感なのです。
 2つの中心を持った原子力ムラになって,1つは科技庁が中心になって,通産省がもう1つの中心になる。通産省の回りに電力会社があって,もう一方の科技庁のまわりは原研と新しいサイクル機構があって,その二つの周辺を原子力産業が取り巻いている。明らかにこういう構造になっている。
 原子力委員会は実は原子力政策全体を見ているはずなのに,科学技術庁が事務局を務めているがゆえに,科学技術庁ムラのシャーマンになっている。かつ通産省のほうは自分たちのシャーマンとして原子力部会を掲げている。実はこういう円卓会議,この円卓会議は独立性を持ってある種勝手にやっているのだと,先ほど茅さんが言われましたが,こういうことをいまやろうとしているにも関わらず,去年COP3が終えて,総合エネルギー調査会長の茅さんがいらっしゃいますが,通産ムラのほうでは原発20基というのを平気で決めてしまったり,あるいは特にMOX利用を,先ほど核燃料リサイクルは来年度以降議論すると言うにもかかわらず,実態としてはあちらで先に決めてしまった。
 特にもんじゅの事故の後,立場が逆転してしまって,それまでは一応原子力委員会が先に出して,原子力部会があとで追うという,建前の順列が一応は維持されていたのですが,もんじゅの事故の後これが逆転したというのが,日付でも確認できます。  あといくつか問題点を指摘しましたが,時間がないのでここで終わりますが,実態に基づく弊害というものを防止する装置というものを,あとの提言の部分ではもっときちんと議論していければと思います。以上です。


【中島】
 どうもありがとうございました。今ご指摘のあった方々がだいぶおられますから,あとで反論を活発にやっていただくのが円卓会議の目的でもありますから,どうぞお願いいたします。それでは次に飯田浩史さんにお願いいたします。


【飯田(浩)(産経新聞論説委員長代行)】
 今日のテーマは原子力の運営体制ということなのですが,私はこの会議に初めて出ますので,参加するに当たって,テーマの前提になる見解を実は持っています。したがって,論点から多少はずれる内容になるかもしれませんが,私はこれまで機会があるたびに文章で発表したり,あるいは人様の前で言葉でしゃべってきたことなので,この際皆さんにもぜひ理解していただきたいと考えて,あえてその見解を述べさせていただきます。
 まず円卓会議の評価について申し上げますと,平成8年に円卓会議が組織されたときに,私は大変大きな期待を寄せました。なぜかと言えば,今から6〜7年前になりましょうか,大阪でわが国で初めての原子力の推進派,あるいは反対派それぞれの立場の専門家が一堂に会しまして討論したことがあります。
 私はそのとき新聞記者ではなくて,一傍聴人として一般傍聴席で傍聴しましたが,回りの席にいた集団は,あとでわかったのですが,敦賀市の方々でした。私に私語が手に取るようにわかり,それぞれの発言者に対する感想を言っているわけです。私が考えたこととは多少違ったことを言っておられるなと思ったので,こういう形で賛成,反対両者が一堂に会するのは大変意義のあることだ,しかも一般の方にもわかりやすいということで,大変期待したわけです。
 ところが,実はこの円卓会議の内容について,私も新聞の一員ですが,初めの2,3回は大変詳しく載ったのですが,11回も重ねられますとほとんど載らなくなってしまう。載ったのを一般の人に「読んだか」と聞いてみますと「何それ?」と,円卓会議そのものを知らない人のほうが実は多いのです。もちろん何を討議しているのかもわかるわけないですね。こういうことでは,日本のエネルギー社会にとって非常に不幸なことだと思います。
 それが円卓会議の評価なのですが,マイナス評価を与えながらなぜ出てきたかということになりますが,これは原子力の政策決定実施に国民が最大に望むのは,情報の公開だと思います。が,情報と言えば,いわゆるもんじゅのトラブルや動燃東海事業所の火災爆発といったネガティブな情報,言い換えれば,リスク情報を指すものと勘違いしている方がかなりいらっしゃいます。  もちろんこのような事故やトラブルを隠したり,虚偽の報告をするなどというのはとんでもないことであり,こんなことは情報公開以前の問題です。それに対していちいち担当者の偉い人が「今後はこういうことをなくします」と言っているのを,情報公開などというのはとんでもない,とてもおこがましいと,私などは思っています。ただ,情報公開というのはこのようにネガティブなことだけではなくて,ポジティブなことも当然あるわけです。
 ところが,私の所属するマスコミの習性としては,取り上げるときはやはりネガティブなことを大々的に取り上げます。古典的なたとえなのですが,マスコミでは「犬が人を噛んだときにはニュースではない。人が犬を噛めばニュースだ」と。これも本当に言い古された教えなのですが,例えばある大学の先生が「このようなところに原発立地するのは,コンニャクか,あるいは豆腐の上に建てるようなものだ」という講演をなさいました。また青森県の大間町で計画されているプルサーマル原発に反対する大学の先生が「事故が起きたら,対岸の函館市民 4,600人が即死する。5年後の生存者はゼロだ」というお話をなさいました。それをそのまま載せる新聞もあります。これなどはまさに人間が犬を噛んだものとして扱ったのだと思いますが,実際にそういう発言をする先生がいたのですから,決して虚偽の報道ではありません。
 しかし,そうであれば,だれが考えても「ちょっとおかしいぞ」と思わなければならないのに,「安全だ」という先生方も当然いらっしゃるわけですから,この話も同時に掲載して読者に提供する。これが私は情報公開の原則だと思うのです。ですから,情報公開はもちろん大切ですが,受け手の節度と言いますか,理性にも私は訴えたいと思っています。
 その意味では,昨年の暮れにNHKのBS放送がインターネットを利用して世界から集めた「地球法廷,原子力が必要か否か」,これは3時間番組でしたが,非常に見応えがあり,私などでも非常に参考になりました。まったく中立的な視聴者であっても,おそらく参考になったと思います。言っては何ですが,とかく不公平だという批判が目立つNHKなのですが,この番組は評価されるものだと私は思っています。だが原子力政策運営に当たって,多くの人に見られたかということから言うと,このNHKBS放送もはたしてどうなのか。ちょっと検証してみたいと思っています。
 今私は事故という言葉を盛んに使いましたけれども,またその事故に基づいて国民の70%以上が原発に不安を抱いている。これも事実です。しかし,本当にこれは危険な事故だったのでしょうか。あるいは危険な施設なのでしょうか。これをよく見きわめる必要があると思うのです。
 ここに今日ご参集の皆さんはご承知でしょうが,原子力施設の事故について世界的なレベル,いわゆる尺度が決められています。この中でわが国で起きた事故はゼロから3までです。例の「もんじゅ」でさえ,1です。一番重い7というのは,言うまでもなくチェルノブイリです。東海村の事故は3です。ですから,わが国の場合,本当に危険なのか。危険と感じているのは確かですが,本当に危険なのか。どの程度危険があるのかということが問題になろうかと思うのです。
 原子力推進に反対する方々が,よく「もし」とか「あるいは」とか「何々したら」ということを言われます。その方々は航空機にも乗れなくなるわけです。わが国の国内で昭和40年の初めから起きた主な航空機事故というのは20件で,犠牲者が1,100人。もうちょっと半端があります。日本の航空機が外国で起こした事故は,死者を伴うものだけで5件で120人が亡くなっています。世界的に見ますと,日本国籍の航空機を除いて25件,約6,000人が亡くなっています。これは「たら」とか「もし」とかという数字ではないのです。現実に起きた事故なのです。次元が違う問題を一緒にするなと当然言われると思うのですが,レベル3以下の事故はこの航空機事故と同じレベルの機械的な事故,あるいは人為的な事故です。
 だいぶ道草をしてしまいましたけれども,本題の原子力の運営体制については具体的に1つ,2つ提案させていただきます。  1つはすべての原子力施設には地元自治体の正式職員を24時間体制で派遣すること。万一事故が起きた場合,一番大切なのは事故の拡大を防ぐことだと思います。次が地元自治体への通報だと考えます。この派遣職員の仕事は,この自治体への通報だけでなく,常時施設内を自由に巡回,あるいは立ち入りする権限を持ち,おかしな行動や小さな事故が隠されたような場合,すぐその自治体の首長に報告する義務を負わせます。会社で言えば,今会社の犯罪が問題になっていますが,外部の非常勤監査役のような役目を負わせるわけです。義務は自治体首長にのみ負うことです。
 ただし,これは自治体が給料を払うわけではなく,原子力施設が当然のコストとして受け持つべきだと思います。それから,癒着を防ぐためにも,任期は長くても2年間。派遣経験は自治体に戻ったときの幹部になる条件の1つとする。そうしますと,なり手も多いでしょうし,専門知識の習得にも熱が入ると考えます。
 もう1点は,電力に対する大消費地と生産地,相互理解のためには電力料金の格差の導入を提案したいと思います。これまでは電源三法による交付金が目玉でしたが,今電力生産地で一番思い悩んでいるのは,雇用の場所がないために若い人材が都市部へ流出して,それに伴う過疎です。
 世界的な自然保護団体からも批判のある,三峡ダムの建設を共産政権という国家権力で進めている中国,あの中国でも原発立地では発電した電気を地元優先に供給しています。常時慢性的な電力不足で時間給電をしている中国だからこそできるのですが,どんな辺地でもスイッチ1つで電気が灯り,パソコンが使える日本ではとてもこういうことにはいきませんが,電力料金が安いということは産業誘致,事業所誘致に大変な武器になります。これは即雇用の創出につながります。
 こうして見ますと,電気のありがたみを感じない大消費地の人たちと,生産地の電力料金の格差は,およその検討ですが,2対1ぐらいにしてもよいのではないかと思っています。ありがとうございました。


【中島】
 どうもありがとうございました。それでは次に近藤先生からお願いいたします。


【近藤(東京大学教授)】
 私は前回のメモで,原子力運営体制のあり方について全体的な考え方を申し述べましたので,それを繰り返す必要もないのだろうと思いますので,あまり冒頭として発言することもないのですが。
 基本的なスタンスを要約的に申し上げますと,わが国社会の運営というのはいろいろ批判があるけれども,いわゆるデモクラシーと言うか,民主主義,民主政治という仕組みと,有能なるテクノクラート,つまり有能な官僚によるテクノクラシー,この2つの混合システムとして運営されるのが合理的であり,世界中探してもたぶんこれ以外の選択肢はないのではないか。したがって,そういう認識のもとで,いかにして優れた国家目標とそれを達成する計画がテクノクラートによって生み出されるか。それがいかにして民主的な手続きでの,憲法で言うところの「国民は代表者を通じて行動し」というところの議会による統制,民主的統制を含みつつ実施されるかというところで,現在の運用に欠くるところありやなしやということが議論されるべきだろう。  しかも,おそらく昭和40年という原子力に限って言えば,原子力技術システムというものをエンブリオの段階から形成していくというプロセスにおけるこのシステムのあり方と,今や成熟社会と呼ばれている,あるいは成熟を目指そうとしている段階におけるそれとはたぶん違うわけでしょうから,これをいかにトランジションと言うか,作り変えていくかという,たぶんその移り変わりの悩みの故に,今こういうことをここで行っているのかなと,そんな感じを持っています。
 そこでまず,前回はいわば民主的統制というところの国会における行政の統制,特に原子力行政に関して言えば,国会の科技特などの議論について,われわれ国民はほとんど知らされていないということに大いに問題があるのではないかということを申し上げたわけですが,原子力委員会も少しそのことについても問題提起をされてたようですので,そこには今日は触れません。  もう1つ,やはりその観点で,今日,行政改革が議論されているところ,原子力に関しては委員会というシステムが21世紀においてもなお委員会という行政組織のあり方が妥当なのかということは,もう少し議論されてよいと申し上げました。何となれば,委員会というのはもともとの主旨は,例えば公取,国家公安委員会というように,非常に専門的な法律で明定された行政事務に関して合議制をもって,それ自体ある種の1つの閉じた議会と言うか,自ら法律も制定できる,そういう機能を持ったのが本来の委員会という行政機関,行政組織です。日銀とかも一種のそれの類ですけれども,8条機関ですがそのような格好で原子力行政を始めたということについては,前回申し上げましたように,それなりの曰く因縁があるわけです。
 つまり,原子力というものが持つ巨大なポテンシャルの開発については,4年ごとに選挙で変わるような政権でなされるべきか,もう少しロングタームでやるべきものだという判断があったことと,専門性という2つの観点で,委員会という仕組みでこれをなすことをしたのでしょうけれども,このように国民的課題になってきますと,はたしてそういう形で行政をやるべきなのかということは,もう少し議論されてもよい。
 あるいはこの組織で今後もやるとしたら,いかにして皆さんが問題提起されるような民主的統制を機能させるか,あるいは行政内容・手続き等の公正性,正当性の説明責任というものを,もう少しはたせるような仕組みにしていかないと,成熟を目指す社会では,その存在意義や責任が問われるというわけです。
 もう1つ,今日おそらく議論になると思いますのは,そうした中ですでに規制緩和ということが電気事業において,あるいはエネルギー産業において行なわれている中で,エネルギー行政というのがどういう役割を持つのかということです。つまり,なるべく公的関与を廃していくというのが規制緩和とすれば,先ほど申し上げた意味での国家目標,国家というコンテキストでの国民の福祉,あるいは人類の社会の貢献というのは決して国の役割としてなくならないとすれば,明らかに公的関与が必要なのだろうと思いますが,それに関わるコミットメントをこの規制緩和の流れの中でどのようにして位置づけていくかが議論され整理されなければならない。
 そういう公的関与が必要なことは,おそらく定性的には皆さん認めるところだと思うのですが,問題はどの程度,あるいはその決定がどういうプロセスを通じるべきなのかというところがイシューになるのかなと思っています。今日その辺の論客がおられるから議論をお聞かせいただくことを楽しみにしています。以上です。


【中島】
 どうもありがとうございました。それでは続きまして山地先生。メモを用意していただいておりますが,それがレジュメですね。

【山地(東京大学大学院工学系研究科教授)】
 実は私的メモですが,それに沿って話をさせていただきます。初めて参加させていただきますので,言いたいことはたくさんあるのですけれども,本日のテーマは原子力の運営体制のあり方についてということですから,その点に絞って簡単に話をさせていただきたいと思います。
 運営体制については現在,中央省庁再編,これは基本法が通っており現実の動きがある。それを前提としてということも考えたのですけれども,むしろ少しそれから離れて理想論を述べてみようということで考えました。そもそも運営体制とは何かということになりますと1つは組織,あるいは制度も含めてそういう設計です。原子力委員会であるとか,あるいは電源三法であるとか,こういう組織・制度の設計をする。とともに,それをいかに運用するか,情報公開するとか,決定過程を透明にするとか,あるいは市民参加を求めるとか。組織・制度の設計とそれの運用の両面を考えるべきであろうと考えます。つまり「仏作って魂入れず」とここにも書きましたが,そういうことは十分あるわけですから両面を考える必要があるだろう。
 しかし,順番にいきましてまず組織からですが,組織ということになりますと結局,市場,民間にまかせる部分と,それに対峙する側の政府あるいは計画と言ってもよいでしょうか,そこにまかせる部分。民間による運営,公共部門による運営,この選択の問題がある。これに関しては原子力は「国策・民営」ということを非常に強く言われる方もいる。わりとよく定着している言葉だと思いますが,本当にその「国策・民営」というのでよいのか。あるいは現実にそうだとしても,それが望ましいものなのかどうか。決めるのは国であって民間は手足という意味あいがありますが,それでよいのかということから切り込んでいきたいと思います。
 私はそうは思わなくて,市場にまかせる部分が今原子力部門にあると考えています。これは軽水炉発電はすでに商業化されている。電力会社の方も自覚されているわけで,この商業化している部分は,競争的市場の中で民間が責任をもって担当をするというのが適切でありまして,政府はその競争条件の整備に回るべきだと考えます。つまり,ここの部分は国策ではなくて民間で進めるべきところと考えています。
 では,こういう民間でやるところはどこまでか境界を引く必要があるわけですが,ここは路線の議論にもなって議論ははてしないでしょうが,私の思っているところを簡単に言いますと,発電と核燃料サイクルのうちのフロントエンドと,使用済燃料の貯蔵までは私は民間でやれるところだと思っています。
 問題はプルトニウム利用が現在市場競争力がないということです。歴史的な過程で今民間でもプルトニウム利用に関わることをやっていますが,もし今選択できるとすれば,再処理してプルトニウム利用というのは,おそらく市場あるいは民間は選択肢として選ばないと思うのです。
 つまり,プルトニウム利用というのは現在の市場の選択を超えた選択だろうと考えています。ただ私は「こういう選択があってはならない」ということを言っているのではなくて,これは公共的には原子力を長期的に展開するために必要だ。商業化についても,いつかの時点でタイミング上持っていく必要があるけれども,今民間が担当する部分ではないと考えているわけです。  もう1つちょっと余計なことを書いてしまったのですが,高レベル廃棄物についても民間の対応能力を超えるのではないかと私は危惧しています。ただ費用負担の問題は別です。どこが責任をもってやるかというと,私は民間では無理ではないかと考えています。
 これが民間部門ですが,では公的部門にまかせるところはどこかというと,これは3つに分けて考えられると思っていまして,1つは環境安全性の確保ということです。これは基本的に市場ではできないとよく言われている外部性の問題です。
 2番目は長期的に主要エネルギーとして原子力を開発をしていくことでして,この中にはエネルギーセキュリティとか,あるいは1番目で言う環境というのは何となく健康・生命の保護なのですが,それよりもう少し広い意味での環境問題である地球温暖化対策とか,あるいは脱化石燃料であるとか,あるいは長期的な基盤的なエネルギーの研究開発であるとか,こういうことはやはり公的な部門の役目だと考えます。
 3番目は原子力特有ですが,原子力を平和利用へ限定し,核不拡散と核軍縮を推進すること。この3領域が公的部門の責務と考えています。
 これをどういう組織でやるかということですが,まず最初の環境安全,それから長期的な主要エネルギーとしての開発は別々の組織にしたほうがよいというのが私の基本的な理想論的な考え方です。かつ,この2つについては原子力専業としないほうがよいと考えています。
 まず,2番目のエネルギー政策に関連する,主要なエネルギー源としての原子力開発ですが,これについては現在の省庁再編の動きが私の考え方と合っていまして,経済産業省で一貫してエネルギー政策を担当する中で原子力をやる,これでよいのではないかと思います。基礎的な研究は教育科学技術省でやるということになっていまして,これもよいかなと思っていますが,原子力がここで聖域化されて生き残っていくというのは私は反対です。基盤研究の中で原子力をその中で厳しく評価していってやっていくということが大事だと思っています。
 非常に問題というか難しいのは,1番目の安全・環境の確保という点ですが,ここは原子力とか放射能の環境安全性というのは,今までそこだけを取り上げて,「突出して」という表現はよいかどうかはともかく,これだけを取り上げて専業で扱ってきたわけですが,これはむしろリスク概念によって原子力以外の他の安全環境問題と整合的に扱ったほうがよい。
 先ほど航空機事故の話もありました。自動車の事故もあるし,あるいはダイオキシンのような話もある。そういうわれわれの周りのリスクはたくさんあるわけです。ゼロリスクというのは原子力に限らず人間社会にはあり得ない。こういうのはリスク論の専門家はよく知っていますけれども,なかなか民間の一般の方に通用していないですが,そこをやはり通用させるような議論をして,そうしておいて全体の中で扱うべきだ。
 これは今の省庁再編の動きとだいぶ違うところでありまして,現在は今までのやり方を残して,しかもダブルチェックもするということです。商業的なところは経済産業省でやるということになっていますが,私はここは独立したほうがよいと考えています。推進側と規制側が独立するということです。ただ独立した原子力の安全規制組織をつくると無用の混乱と巨大な規制コストがかかるという懸念があります。アメリカのNRCを見ろという心配があるのですが,これは制度設計と運用で対処すべきものと考えています。
 こういうことであれば私はダブルチェックは不要だと思っています。そうすると原子力安全委員会というものの役目はなくなってきて,原子力安全委員会と,経済産業省では原子力安全・保安院をつくるという話ですが,これは統合して,これをエネルギー政策を担う部分から独立した環境安全を担うところに一元化して合流する。これが理想論として私が考えていることです。
 3番目の核不拡散,平和利用に限定のところについては,現状の問題点はわが国の平和利用を守るという姿勢だけでこの問題が捉えられていることです。つまり世界の核の平和,不拡散ということを考えるべきなのですけれども,むしろわが国がプルトニウムを使うための防波堤としてこれをやっているわけです。これは平和利用と軍事利用には境界があって,そこの番人をするという位置づけですけれども,現実には原子力の平和利用と軍事利用,この両者は深い関連があるわけです。こういうことを認めたうえで,むしろ積極的に世界の核不拡散,核軍縮体制の構築に向けてリーダーシップを発揮するという姿勢への転換が必要だと考えています。
 こう展開してくると,では原子力委員会というのはどうなるかと考えますと,やはり原子力委員会は原子力専任の組織です。これは今のような整理をしますと,結局,3番目の平和利用の番人という言葉を昔使ったと思いますが,これをもう少し日本の平和利用の番人と言うのではなくて,世界の核不拡散,核軍縮というところを視野に入れたような役目として,それを原子力職員が担うのが適切ではないかと考えています。
 時間があまりなくなってきましたから運用について簡単に申し上げますが,運用はどうするかと言うと情報公開は当然だと考えていまして,現在インターネットがこれだけ使われて,これは非常に有効で,私もずい分利用させてもらっていますけれども,これでよいと思います。あとはステークホルダーと言われる人達,市民,地元など,これをどうするかですが,これが一番難しいところで,私は実は答えがないのです。一応ぐちゃぐちゃとは書いてはみました。ここに書きましたのは,「戦争のように重大なことを将軍たちに任すわけにはいかない」と,これはたしかクレマンソーが言ったのだと思いますけれども,有名なこういう言葉があります。
 同じように原子力も「原子力のような重大事を専門家ごときに任せられない」という側面はたしかにあると思うのです。ここはやはり広い意味での政治の出番であって,必要なのは責任をとれる決定者,あるいは納得できる決定プロセスということが大事であって,専門家としては採用できるような選択肢を合理的な評価とともに出す,しかも複数出すということが大事です。議論を透明にして,ステークホルダーの間でよい意味での政治的決着をつけるということしかないのではないか。
 しかし,ステークホルダーはだれか。こういう円卓会議のようなところで,いろいろ市民参加を得て議論をすることかと言うと,私はそうは思っていないのです。やはり代議制の民主主義というのが原子力問題の場合には正当であって,そこの決定過程の透明性と公開性というのが重要だろう。宗教裁判,人民裁判と悪い例をわれわれはたくさん知っているわけですので,それを避ける。しかし実は言いわけを言いましたように,ここは決定打はありません。
 私のメモの最後の「独り言」と書いたところは「独り言」ですから申し上げませんが,論理的に正しいということと,公明正大という意味で正しいということは,実は独立なのです。オーバーラップしている部分もあるし,オーバーラップしていない部分もある。私のような研究者としては,論理的に正しい選択の中から公明正大に正しい選択をしていただきたいと考えています。しかし必ずしもそうではない場合もあると思っています。そこのオーバーラップの部分をつくりたいというのが,私の個人的な希望であります。以上です。

【中島】
 どうもありがとうございました。後半で時間がありますので,どうぞ「独り言」についてももう一度おっしゃっていただいてけっこうです。それでは吉岡先生お願いいたします。


【吉岡(九州大学大学院比較社会文化研究科教授)】
 私は3回目の出番になるのですけれども,一応5回で最後ということですので総括をするつもりで,発言要旨資料「原子力委員会への提言(吉岡案)」というものを準備しました。「これをモデレーター会議がそのまま採用せよ」とは申しませんけれども,とにかく私は第1回のときに申したのですけれども,できるだけ提言をたくさん出すことによって有意義な機能を果たさねばならない、そのためには賛成・反対を言い合っていただけではだめで,組織論に絞って合意できるところは賛成・反対両派にとって多くあるはずだというような提言をしたのですけれども,幸いそのように流れているという印象を持ちます。
 今年度の最終回ということで,思い切ってこういう提言を出せということを提案して,今日のたたき台にしようかと思っております。ちなみに私は批判派と言われていますけれども推進派,批判派という表現はやめて,提言派か非提言派と二分法に分けようと思っています。私は提言派です。
 6つ挙げましたけれども,1項目目から順次話したいと思います。
 第1に重要なのは「原子力政策円卓会議の常設化」ということで,これは幸い認められそうだというような話を聞いて大変心強く思いました。ただ,原子力政策円卓会議というのはいったい何をやるのかということをより明確にする必要があると思いました。本来は個々の審議会すべてにおいていろいろな立場の人を入れて議論をするという手続きを踏むのが必要だと思います。円卓会議ももちろんその1つでありますけれども,単にいろいろな人を入れて議論するというだけでは独自性がない。
 そこで下線を引っ張りましたけれども「原子力政策改革のアジェンダ発掘・開発機能を担うものとして」常設化する。つまり今年度は年5回でしたし,来年度もどのくらい回数があるかわかりませんけれども,回数はきわめて少ないと思うのです。そこで内容上の決定ということをすることはおそらくできないというように判断しますので,ですから重要な問題を発掘してそれの定義を行なって,原子力委員会あるいはより上位の組織に引き継ぐというブローカー的な役割を果たせるのではないのかという気がします。それは独自の役割であり,来年度以降も引き継ぐべきであるのではないか。
 ここで皮肉を書きましたけれども,モデレーターの人選についてはいろいろな批判が出ていまして,原子力開発利用の関係者がそれをつとめるのはやはりまずいだろうと思います。関係者というのは何であるかということについてOHPを用意していますけれども,もし必要ならばあとでお話します。それと,やはり技術者が多いというような問題点もあります。山地さんも言いましたけれども,技術の問題を技術者にまかせるのはよくないと思います。技術者というのは開発を進めるのが仕事です。それが国民の利益にとってどうか,公正に客観的に判断するのは技術者ではないと思っています。極論ですけれども,そういう観点からモデレーターの人選も年度ごとに見直したらどうかというのが1点目です。
 2点目は「原子力開発利用路線のあり方に関する全国民的な討論の場の組織化」ということで,ここでも皮肉を書きましたけれども,原子力円卓会議というのは簡易仕立ての小屋がけの会議であって,本格的に議論を尽くすということをやるにはもっとはるかに大がかりな組織が必要である。しかしながらもんじゅ事故が起きて以後,われわれは議論をするチャンスがあったのですけれども,核燃料サイクルをどうするかを含めて満足な議論がなされていない。それを本格的に一から立ち返って包括的に検討するための国民的な討論の場が必要であろうと思って,ぜひ実現してほしいと提言してはどうかというのが2点目です。
 3点目ですけれども,この円卓会議に私は5回中3回出ましたけれども,中央政府の原子力政策システムを抜本的に見直す必要があるというのが、招聘人の発言の中にもっとも多く入っていたと思います。今回の話でも,例えば山地さんが「環境安全については環境庁に移管せよ」という意味のことを言ったと理解しているわけですけれども,そういう中央政府の役割をどうするか。せっかくの見直しのチャンスですから「すでに行政改革会議でやっているだろう」と言われるかもしれませんが,あまり議論がされているというように私は思っていないので,やはり行政改革会議の後になったとしても,改めて改革をするという観点から,やはり原子力政策システムの包括的見直しの機会を,場を設けるべきであろうと思っています。
 4番目ですけれども「原子力委員会のあり方の抜本的な見直し」ということで,これは原子力委員会というのは原子力だけを扱って,しかも原子力予算というのは他のエネルギー予算とは別枠でものすごいお金がついていたわけです。当然ここにおられる大方の方が一致していると思いますけれども,エネルギー政策全体の中の1つとして位置づけるのが妥当であろうと思います。  例えば高速増殖炉開発というのは実用段階からほど遠いわけですけれども,これは風力や太陽と同じ枠組みの中で議論して,その中で競争的に資金を配分するという,例えばそういうやり方で考え直す必要があるだろう。再処理もおそらくそうだと思っています。そういう形で原子力を独立したセクターとするのはやめる。それをやめる限りにおいては,原子力委員会というのも抜本的に役割を変えなければいけないということになってきます。
 それでどうするかということで「原子力委員会そのものを廃止せよ」と前回の招へい者の中村さんなどが主張して,それも一理はあると思いますけれども,別の案としては原子力委員会を発展的に改組して,総合エネルギー委員会をつくる。総合エネルギー調査会というのが通産省の諮問委員会としてありますけれども,エネルギー政策のように重要なものは一省庁の強い影響力の下で形成されるべきではないという気がしますので,日本全体の,内閣全体の意見が反映される組織形態に変えて,改組をして,新しく生きる道を探る。その中に山地さんがおっしゃったような核拡散の問題を取り入れるということは妥当なところであろうと思っています。
 それと前回,一番の要点として言ったのですけれども,5番目として原子力開発利用長期計画について、来年度から改定作業が始まると言われていますけれども,今まで40年間にわたり、きちんと歴史的役割とその問題点の総括がされてこなかった。それをやはり第三者評価として実施して,それに国民意見も反映させたうえで提言をまとめる。改定作業が始まる前にこれを急いでやったほうがよいのではないか。急いでということで,期間をあまり長引かせるなということには同意いたしますけれども,とにかくやったほうがよろしいのではないかというのが5点目です。
 最後の点ですけれども「エネルギー政策および原子力政策に関する政策研究の振興」ということです。民主主義の発展のための条件というのは,やはりいろいろきちんと勉強してきちんとものを言う個人あるいは集団が出てきて,熱烈な議論を展開することだという,それが前提だと思いますので,そのためにいろいろなものを言う,しっかり勉強をしてものを言う連中を,私もその1人になりたいとは思いますけれども,育てる必要がある。
 そのために政府は一定の役割を果たし得るのではないだろうかと思います。例えば民間団体の調査研究活動に対する物質的便宜をなるべく多く提供するような枠組みを考慮するとか,例えば原子力資料情報室とか他のNPO組織が考えられますけれども,お金を出して,しかも政策に反映させてやるということになれば,頑張って勉強をして提言を出すグループというのは引きも切らずとなるかどうかはわかりませんけれども,グループがいろいろ輩出するということが期待できるので,その活性化の役割を原子力委員会として検討されてはどうかというのが6番目の提言であります。以上です。


【中島】
 どうもありがとうございました。


【茅】
 今ひとわたりお話を伺って1つ気がついたのは,ここはちょっとホールが高いものですからわりと反響しやすいのです。したがって,あまりマイクの近くですとかえって反響して聞きにくいのです。今伺った中では実は吉岡さんの距離が一番聞きやすかったので,皆さん,あまり近づかないで発言していただけますでしょうか。つい興奮されると近くなってしまうかもしれませんが,その辺は他の方が聞けるようにということの配慮をよろしくお願いいたします。

【中島】
 どうもありがとうございました。これでひとわたり,大体皆さん正確に時間を守っていただきまして,多少オーバーした方もございますが,予定通り進行していると思います。コーヒーブレイクが予定されておりますが,3時15分まであと30分ぐらい,今のそれぞれの招へい者からの発言について,相互に発言したい,あるいは質問をしたいという方,ちょっと挙手をしていただいて順次発言をしていただきたいと思います。モデレーターもどうぞ。
 では一番先に手が挙がりましたから,飯田哲也さんからどうぞ。


【飯田(哲)】
 吉岡さんからの提言派か非提言派という話になりましたので,このままだと非提言派になりますから,提言の部分を山地さんの話や近藤さんの話に申し添えるような形でちょっと追加したいと思います。
 1つは,先ほどの原子力安全規制の話は山地さんに私もまったく同感で,とにかく今の公開ヒヤリングが本当にまったく虚構化していると思います。先ほど「エネルギー政策のような重要な問題を一省庁に」という話もありましたし,原発1基をつくるというような問題を,あれだけ形式的な公開ヒヤリングで,本当にわずか1日ですましてよいのか。質問も決まって時間も決まって,ほとんど官僚が代わりに答弁をするような形で。これも例えば本来だと1年ぐらいとことん議論するような形も含めて,今の省庁再編の中でも,片方では議論されていますが,きちんと独立性を持った安全規制のあり方はやはり議論する必要があるだろうというのが1つです。
 もう1つは総合エネルギー委員会の話で,これも山地さんと近藤さんも「原子力委員会のあり方」と言われましたし,吉岡さんの話に同感ですが,ステークホルダーに関して私の理解を少し申し添えたいと思います。
 山地さんの話で代議制民主主義が基本だという話がありましたし,これが基本であることは私もそうだと思います。ただし現代社会ははたしてこれだけでよいのかというところが今問われています。もともとこの代議制資本主義というのは,かつて富を分配するために延々と組みあがってきた代議制のシステムで,それを補完する形で労働組合とか福祉システムがサブシステムとしてあったわけです。しかし,今非常に,特に原子力などでは,いったん事故が起きると,例えばある一村とか市が代議制で「イエス」と言っても,実は事故が起こったら地域どころか下手をすれば国を超えるという,そういう領域を容易に超えてしまう。それから世代も容易に超えてしまうわけです。
 これは原子力に限らずダイオキシンとか環境ホルモンもそうですが,このリスクをどのように分配するか。そのリスクを合理的に扱うという部分までは,山地さんと先ほどのもう一人の飯田さんとは合意するのですが,もう一歩進んでそのリスクをどのように分配するかという新しい政治サブシステムが,今求められている時代だと思います。そのために特にヨーロッパなどでは,コンセンサス会議とか新しい政策プロセスを求めて本当にいろいろな取り組みをやっています。山地さんがおっしゃるように,今その解はたしかにないと思います。ないけれども,それを模索していくということが,非常に現代的,今日的に必要とされていると思います。
 その視点から原子力に対するステークホルダーを例示しました。5ページ目に示したとおり,原子力総合エネルギー委員会のステークホルダーというのはやはり代議制民主主義のサブ政治システムとして,ある種の提言を出す形で,通産省などのコントロール下ではなくて,きちんと独立した内閣もしくは国会に付属する形で,しかし政党だけではだめだと思います。政党だけではなくてエネルギー事業者,エネルギー消費者の代表で,エネルギー消費者と言っても一般消費者の代表と産業消費者,それから労働組合,環境NGOなどです。他にもあるかもしれませんが,これはそのエネルギーあるいは原子力政策に関してある種の価値観を共有する人たちの代表です。そういうものがステークホルダーとして,これはもっと個別には議論していかなければいけないと思いますが,そのように今の審議会の仕組みを大きく変えていかなければいけないだろうと考えています。以上です。


【中島】
 はい。それでは碧海さんどうぞ。
【碧海】
 先ほど,自分自身のエネルギーとか原子力に関する考え方というのをほとんど申し上げなかったのですが,私は原子力の発電というのは支持している立場です。それは戦後の生活の変化の中で,特に昔の日本と違って,女性の生き方というのは非常に変わったわけで,家庭とか家族とかのあり方というのも,もちろん非常に激しく変化したと思っています。私はそういう社会の変化というのが,やはりエネルギーを昔とは違って十分に使えるということと並行してきたということは否めないと思っていますし,そういう意味では,例えば男女共働社会というのをもう少し逆戻りさせなければならないような意味での昔の生活に戻ると言うのは絶対反対であるということははっきりしています。
 例えば家電製品が非常に使われるようになったことにしても,あるいは日常の生活の快適度が上がったことにしても,この生活の仕方そのものがとにかく変わったことというのは,必ず私たちの日常の暮らし方と関わっているわけでして,それを簡単に「もう一度昔の生活に戻ればよい」などということは言えないと思っているわけです。
 ちょうど第2次世界大戦が終わった頃の東京の一般の住宅の契約アンペアというのは大体平均して10アンペアぐらいであったわけですが,それが今は東京電力の管内で平均すると30アンペアと言われています。新築の住宅を造った場合には,そこに住む人の思惑には関係なしに,電気工事店がさっさと60アンペアにしてしまうという傾向は今ありますので,そういう意味では30アンペアがどんどん60アンペアに近くなっているかもしれませんが,でも契約アンペア10アンペアの生活が30アンペアの生活になったということは,私はそんなに贅沢な生活になったとは思っていないわけです。
 その程度の快適性というのは,今後もむしろ保持したいと思っておりますし,特に高齢社会ということを考えますと30アンペアから60アンペアぐらいまでの契約アンペアで賄える家庭の電気,これは電気に限っての話ですが,これは納得しているわけです。ですから,そういう意味でそういう使い方をするならば,やはり原子力発電というのは日本の資源のなさからいけば,これは仕方がないと,絶対に必要であると私は思っています。
 それから,一般の市民あるいは女性の中には原子力発電に対する不安が非常に大きいという話がありますが,これも「原子力発電が不安だから原子力発電は絶対反対である」という意見がどれだけあるかということで突き詰めていくならば,必ずしもそれは多くないわけです。つまり「どちらとも言えない」というように答えを留保する数が圧倒的に多いのであって,「原子力発電は絶対反対です。ただちに今ある原子力発電所を全部なくすべきです」とはっきり答える人の数というのは,決して多くないということだと思います。
 そういう意味では,私は「どちらとも言えない」と答えている人たちに対して,原子力発電の問題をいきなり考えてもらうのではなくて,やはり私たちが生活で必要とするエネルギーというものについてどう考えるのか,あるいは自分の生き方とエネルギーの使い方というのをどのように結びつけて選択するのかというところを,とことんやっていくより他しょうがないのではないか。そのようにして最終的に「私はやはり原子力発電を納得する」あるいは「今の原子力発電はもう少し減らすべきだ」とかという結論が出せるというような努力を,少なくとも私などはこれからもしていきたいと思っているわけです。
 不安のことを,先ほどおっしゃった飯田さんのお話とちょっと重ねて1つだけつけ加えさせていただきますと,私は「原子力発電所について不安がまったくない」と言ったらたぶんうそになると思いますが,ただ例えば東京に関西の地震並みの地震が来たらどうなるかとか,自分が出張に出掛けるときにこれから乗る飛行機がはたして落ちないだろうかという不安に比べたら,私の場合にははるかに薄いと申し上げられると思います。


【中島】
 はい,どうもありがとうございました。今度は飯田浩さんからどうぞお先に。


【飯田(浩)】
 大変失礼にあたるかもしれませんが,この場は討論の場ということなので,あえて質問のような形で,吉岡さんにお願いします。第2項目に「原子力開発利用路線のあり方に関する全国民的な討論の場の組織化」とありますが,非常に耳あたりもよろしいし「うん,その通りだ」と思う方も,私はいらっしゃると思います。字面から見ますとたしかにこの通りですが「全国民的な討論の場」というのは実はなかなか難しいことを要求されていると思うのです。ここはわずかの人間ですが,これだけ意見が合わないのですから,これを全国民的でやったら意見が合うわけがない。
 私は新聞の中では社説というのを担当しているのですが,うちの場合は社説と言わず「主張」と言っています。人の原稿もチェックするような立場にいますが,かりにこの言葉が出てきたら没にします。というのは,これがもし全国民的討論でまとまったとします。これは大政翼賛会と同じなのです。意見は多様にあってよいわけで,討論してそれで結論を導き出そうとすれば,そこはほとんど不可能に近い。
 その場合,ではどうすればよいか。これはやはり専門家と政治家。政治家の場合は多少疑問があるのは,選挙で出てきている人というのは選挙民のあれに弱い。その選挙民というのは,ではどのようにして原子力なら原子力について認識を持っているか。私が一番最初に申したように,正しい情報だけとは限らない。私の新聞をたびたび引用して悪いですが,キャッチフレーズで「新聞を疑え」と言っているわけです。それはポスターにもなっています。新聞協会からは「自らをおとしめるな」と非常に怒られました。実はそうではない。「新聞というのはいろいろなものがあって,正しいと思って読んでいる人が多いけれども,実はそうではないんだよ」ということも知らしめる必要がある。その選択をするのはやはり読者である。  そういう意味で言えば私の読者は少ないですから非常に信用がないのかもしれませんけれども(笑)。逆説的に言えばそういうことになるのですが,新聞というのは量が多ければ,どこかのオーナーが言うのだけれども,多ければよいというものではないです。ちょっと言葉はきついのですが(笑)。
 もう1つ,もう1人の飯田さんがおっしゃったのは,山地さんのステークホルダーをだれにするかというのが非常に難しい問題だというのは,今の全国民的というものと非常によく似た悩みだと思いますが,これが解決できれば一番よいのではないかというように考えます。


【中島】
 なるほど。次は。


【吉岡】
答えを言わなければいけないと思います。とりあえず今のことに答えたいと思います。後でOHPも使います。全国民的討論の場というのは難しいと飯田浩史さんはおっしゃられましたけれども,具体的にこれは何を意味するのかをちょっと説明したいと思います。
 1995年の末にもんじゅの事故があって,そのあといったん今までの原子力開発全体を見直す,特に核燃料サイクルについて整合的な計画を国民的議論によってまとめて,それを承認する,それによって再出発をするという提言が3県知事から出されて議論が始まったと思います。
 前回の4回目でも私は言いましたけれども,しかし議論がなされないままにいろいろなことが決まっていってしまった。たとえば、総合エネルギー調査会の近藤原子力部会長の担当された会で1997年1月にあまり議論されないまま再処理とプルサーマルの推進が決められてしまった。
 私が出た高速増殖炉懇談会はそれなりに議論しました。不十分だったけれども,一番ましだったと思うのですけれども。そのあと原発をどうするかについては1998年6月の総合エネルギー調査会の需給見通しで2010年度までに21基の計画が示されまして,これは国策になったのです。あまり議論されないで,こういうものが次々に決まっているというのは,これは非常に問題であると思っています。もう少し実質的な議論がなされないままに,このまま今のような形でなし崩しで進めるというのはまずいのではないか。
 それを再検討するために何らかの場が必要であるというのが私のアイデアでして,それをいったい具体的にはどうするかということですけれども,前の飯田哲也さんの議論にかかわるのですけれども,やはりステークホルダーを議長団に立てた議論を組織をする。ステークホルダーの正当な代表とは一体何なのか,あるいは環境NGOのなかでいったい誰が正当なメンバーなのか,このようなことを考えると非常に頭が悩むのですけれども。飯田さんの議論のよい点はステークホルダーの中に官僚代表が1名も入っていないということで,これは大変けっこうなのですけれども,ステークホルダーを官僚が決めたのでは,また元の木阿弥になってしまうわけですから,何らかの形で国民を代表していると見られるステークホルダーを選び出して,議長団として組織をして,その場において,政策当事者が今までの日本の原子力政策がどうかということや,政策当事者がはたして今の政策がアカウンタブルなものなのかということを,今の路線が正当なのかということを,いわば推進者は被告人ですけれども詳細の報告書で出して,それに対して異議申し立てを全部募って議論をしようというような裁判形式の議論をしてはどうかというのが,具体的な私の提案です。
 裁判形式で議論をした後に,ステークホルダー代表のモデレーター会議が一応の結論を出して,それをやはり国会にかけなければ当然いけないわけで,一応そういう段取りを考えています。その議論をどのような形でやるかということで,私はしつこく言っていたのは総合評価の考え,方法論ということです。「原子力はよいか悪いか」という議論ではなくて「電力供給路線をどうするか」について有力なすべてのオプションを列挙したうえで,それぞれについていろいろな側面から評点をつけて,最後に1つ「これが最善だ」ということを推進者が提案をして,はたしてそれが合理的なのかどうかということを異議申し立てのプロセスによって総点検をするという手続きです。

OHP

1.4つのオプションに関する総合評価(吉岡案)

 

 

高速増殖炉

軽水炉再処理

直接処分

脱原子力

実現可能性

平和・人道

環境安全健康

経済競争力

資源安定供給

総合評価

 

上記は、第1回円卓会議で示したもの。その後、改良の余地があることが判明。高速増殖炉路線は、再生可能エネルギーなどとともに、開発途上技術の枠に入れて、そのなかで競争的な評価を行うのが妥当。実現可能性の評価項目は、はずす。

 これは1回目に出したのですが評判が悪かった。何が評判が悪かったかと言うと評点で,「高速増殖炉はDばかりつけて,先入観を与えるからよくない」という意見が出た。このような評点はどうでもよいですけれども,実はこれはもう高速増殖炉ははずしてよいです。風力や太陽と同じ枠でやっていただければよいので,残りの3つのオプションだと思いますけれども。こういうことを,合理性を原子力政策の担当者が立証する。それに対して反対尋問をする。そしてモデレーター会議というのは陪審員ですけれども,陪審員が決めるという手続きなのではないかと思っています。

OHP

2.第三者とは誰か

第一者:当事者(供給者/製造者)

第二者:当事者(購入者/使用者)

第三者:当事者と無関係で独立していると認められる者(とくに職業的・金銭的関係があるのは困る。)

原子力では、次の人々は第三者から除外される。

    (1)原子力関連メーカー等の社員等(給与等の支給を受けている者は、社員でなくても該当する)。

    (2)電力会社等の社員等

    (3)原子力関係の行政機関等の職員等(日本では、原子力事業は全て国策として進められているので、彼らは皆、第一者である。)

    (4)原子力工学等を専攻する学識経験者(学識経験者は一般的には第三者である。しかし実用学において、学界は業界としての性格を濃厚にもつことを考慮すれば、彼らも原則的に第一者と見るべき。)

    なお、具体的な適用に当たっては、グレイゾーンに属するケースが多いと思われるが、それについては常識で判断するしかない。

 最後にもう1つ言ってしまいますと,地方についても同じようなことが言えまして,地方については何の権限もないというのはまずいということで,原子炉設置法上の許認可権要件を都道府県知事,市町村の同意が必要であるというように変える。これは地元におけるステークホルダーなのに許認可に関する何の権限もないというのは妥当ではないだろうと。それと立地協定,安全協定についても同じようにする。これは立ち入り検査も含めるわけですので,その点では飯田浩史さんには賛成です。
 それと,やはり私も大学の教師をやっているので一種合理主義的テクノクラートを理想としているのですけれども,やはり徹底的な議論を,内容のある,ダブルスタンダードではなくてちゃんとした実績値データにもとづく議論を徹底的にやりあう必要があるだろう。これはドイツ,バッカースドルフなどでは丸3週間やったようですし,イギリスだと 340日やったというサイズウェル公聴会もあるそうですけれども,こういうものをやはりやるべきではないか。
 4番目は政府の役割は,商業的な事業については政府は許認可権を持つにとどめる。国家計画によって推進するという,それは出すぎではないだろうか。政府事業については政府が事業者でありますからやってもよいですけれども,立地問題の当事者は,申請者と,申請者というのは電力会社が大体の場合ですけれども,それと自治体,この2者がステークホルダーではないだろうかと思います。以上です。


【中島】
 はい,どうもありがとうございました。それでは近藤先生,先に。


【近藤】
 皆さんのおっしゃっていることを私なりに整理しますと,前回申し上げたのですけれども,代議制民主主義では,基本的には行政の民主的統制は議会を通じてなされるのが原則だと思うのです。そこのところを外すとおっしゃっているのか。飯田さんの話のステークホルダー・ミーティングというのは,それは例えばフランスで言えば,それは議会のアクションです。ですから議会が民主的統制を行なうために,そういう専門性の観点から,あるいは議会は本来的には国民の利害を代表しているはずなのだけれども,それについてステークホルダーを必ずしもすべて網羅していないという認識を議会が持つと,それはそれなりのシステムをモビライズするということは当然あってしかるべきだと思うのですが。
 そのところ,わが国の議会は何を言っているかというと,例えば原子力基本法の改正の場合にも、「今後とも整合性ある原子力開発を行なうためには燃料サイクルにかかわる政策については,今後とも国民的議論を継続し,合意形成に努めること」と言って,行政に投げているのです。これがわれわれの議会だということ,ですから「この議会の態度はけしからん」ということなら,そのように言うべきだと思うのです。
 他方,このように行政が責任を託されているのだから,行政はしたがって議会の付託に応えて,議会機能を補完する観点から,さまざまな政策選択,行政選択の妥当性を,さまざまな民主的手続きの補完機能を自ら起こして,例えばこの会議もその一つだと思いますけれども,こういう努力をもっと行うべきだという意見提案もあり得る。  そして,先ほどの山地さんの言葉ですけれども行政にも設計論と運用論があるのですけれども,運用論に立って今の原子力委員会もそういう意味の議会を通じて国民から付託されていることに関して十分な責任を果たすべきだ,政策設計からして,もう少しさまざまなステークホルダーの意見を聞いて政策設計をしたらよいのではないかという運用の提案というのがあり得るわけですが,そこのどの辺をおっしゃっているのかなと。
 私はわが国会に「今日から変われ」と言っても急には無理なので,これはなかなか難しいので,両方あるのだけれども,やはり順番として今責任があるのは行政,原子力委員会や総合エネルギー調査会でしょう。これが独断先行とおっしゃるが,会長がおられるからお聞きしてもよいが,私はそうではないと思っているのです。そういうご批判があることは事務局に伝えます。けれども問題は吉岡さんのようなことを言ってしまっても,議会の代わりをつくれと,第二議会をつくれと言っているように聞こえるのですが,それは原子力の問題だけならばいいかもしれないけれども,すべての問題がそういう問題を抱えていると考えられるところ,そこのところは原子力に特化して第二議会論というのは,あまりに原子力に入れ込みすぎているのではないかなという気がします。
 もう1つ「安全行政とかエネルギー行政は,一省庁にまかせておけない」とおっしゃるのだけれども,それを言いだしたらまた大変な話で,財政は大蔵省にまかせておけない。環境は環境庁にまかせておけない。労働,厚生も労働省や厚生省にまかせておけないとなるが,そういう議論はあまり意味がない。こう考えると,皆さんのおっしゃりたいことは結局,最初の問題に戻るわけで,行政計画の過程にステークホルダーの意見を反映させるプロセスが見えないことに対する不満であって,その表明の仕方として,そういう用語法を使っておられるとしか思えないのです。でも,そうならそうと,その手段を考えようとストレートに言ったほうが,話が早いのではないかと思います。
 繰り返しになりますけれども,私はそういう意味の成熟社会,成熟した民主主義社会,まだまだムラ社会で成熟などという言葉を使う段階ではないと飯田さんに言われるかもしれないけれども,私はそれなりの成熟の道を歩むという問題意識を持って,そのような民主政治の仕組みというものを,総合的とか包括的という言葉を使わずとも,個々具体的な例で,具体的に一歩でも進んでみることを考えたほうが生産的ではないかと思います。


【中島】
 はい,山地先生。


【山地】
 今議論になっている全国民的討論の場とかステークホルダーに関して,3点ほど考えています。1つは,皆さんは同じ議論をしているということです。ステークホルダーの話,全国民的討論,あるいは近藤先生の言う民主的統制というものはいずれも決定するための仕組みです。これをどうやるかということは勿論重要ですが私は現実的に考えるとその前にもっともっと準備しなければいけないことがあると思っています。そこに専門家の役割があると思います。先ほど吉岡さんがお見せになったスコアボードを出すときに,そこでやはり専門家は十分活躍すべきなのです。そこで複数のオプションについていろいろな評価をつけて出して,それからでないといわゆる政治的な決着の場,あるいは全国民的議論というのは少なくとも合理的に始まり得ない。いきなりそういう準備なしに,専門家が問題点を整理して煮詰める前に,全国民的議論を始めても,おそらくうまくは絶対に機能しない。
 問題点は,今までわが国では複数のオプションを専門家が評価して「どうしますか」と言って決めたことは実際にはないということです。少なくともそういう過程が明らかに見えたことはないわけです。それを見せるということを行なうことが,現実的な第1のステップではないかと私は考えています。
 もう1つは,先ほど原子炉をこれから20基作るという,2010年の目標を,あれは総合エネルギー調査会の長期エネルギー需給見通しの中にあるということで国策だと言う話が出ましたが,これをどう捉えるか難しいところです。民間の電力会社がつくる発電所ですから決めるのは民間です。要するにあれはCOP3対応で二酸化炭素をいくらという目標を掲げると,ああならないと大変だということです。それはわかるのですが,それに対してどこまでやるか。電力会社に命令している訳ではないでしょう。あれは国策なのかなと,私はちょっと疑問に思っています。
 ですから,そこは民間は民間でやるのだというところを,やはりはっきりさせたほうがよいのではないでしょうか。国民的議論をするのはやはり本当の国策について議論をすべきではないのか。そこの仕訳をしたほうがよい。  3点目は,ちょっと私自身あまりよく知らないところをちょこっと言うのはかえって議論に混乱を招くかもしれませんが,ステークホルダーとしての地元という話がやはりあるわけです。吉岡さんの話などを聞いていますと,地元には原子炉設置許可などの法的なところで関与する場がないとおっしゃるのですけれども,現実を見ますと地元市町村,特に県知事は非常に絶大なる権限を持っているわけです。これは原子炉設置許可という原子力の設置に対する法体系の中には実は位置づけられていないのだけれども,例えば発電所を設置するというプロセスの中では非常に大きな権限が集中していますし,それから,これは私的契約と言えば私的契約ですけれども,安全協定とかそういうことで,結局,実際の首根っこを握っているのは県知事さんだというところも現実問題としてはあるわけです。
 したがって,そういう現実を置いて,原子炉の設置許可のところで権限がないから云々というのは,どうも私には現実的な議論と外れているなという違和感がありました。最後の点は本当にコメントのようなもので恐縮です。以上です


【中島】
 そうですね。そういうことはもんじゅについても言える状況ですが,地元が「うん」と言わなければ動かせないということですから。ちょうど予定の3時15分になりましたので。


【飯田(哲)】
 手短に。


【中島】
そうですか。それではどうぞ。


【飯田(哲)】
近藤さんの問い掛けに答えたいと思います。近藤さんの問い掛けに答えて,不満の表し方の言い換えではないかという話があったのですが,そうではなくて,第二議会をつくるというのではなくて,先ほど私も申し上げたように代議制民主主義が基本だ,政治サブシステムをつくるという話でというのがまず確認です。
 それから省庁にまかせておけない,信頼できないというのではありません。何でもかんでも総合エネルギー委員会ががめってやるという話ではなくて,基本的な方向性をつくる場を特定省庁から離れてつくるということです。膨大な実務作業は省庁にもちろん委ねてやるべきだ。特に日本のムラ組織というのは,方向を与えるときわめて高いパフォーマンスで達成するわけです。しかし,基本的なストラテジーをつくるのが非常に苦手というか,自己暴走しがちだ。そこを抑制する装置が必要だろうと思います。それを最後に決定するのは議会制民主主義だと私は考えています。
 それで原子力に偏りすぎだという話はあるのですが,他にもいろいろな委員会を同じような形で当然つくっていく必要があると思いますけれども,原子力は私は1つのチャンスだと思います。それはスウェーデンでもそうでしたし,デンマークとか,あるいはオランダや環境首都で有名なフライブルグもそうですけれども,今非常にうまい仕組みをつくって,少なくとも環境政策先進国と言われている国の歴史を見ると,原子力に関する非常に大きな価値亀裂が1970年代にあって,そこにいろいろな社会の知性が集まって,ディベートを繰り返して新しい仕組みを検討して,そこに一次元高い仕組みを,何とか自分たちの経験の中で生み出してきた。そういう意味では原子力というのはだれも口に出さないけれども,非常に大きな価値亀裂が今日本の社会にあることはだれも知っていることで,そこをきっかけに新しい仕組みを生み出し得るチャンスではないかと思っています。  国策の話は,私はもっと「国策ではない」ということを明確にしてほしいと思います。というのは,地元に実際に行って歩かれると,皆さんは会ってもらえないかもしれませんけれども,本当に「国策に反するものは国賊だ」という言葉が,平気で田舎のほうに行くとまかり通っているのです。それで結局「反対だけれども,泣く泣く」というようなことが日本の地方では平然とまかり通っているという実態も私は見なければいけないと思っています。以上です。


【中島】
 はい,どうもありがとうございました。今の飯田さんのご議論は,後半の討論でも繰り返されてけっこうです。運営体制のあり方について関わっている問題ですから継続したいと思いますが,だいぶ時間が経ちましたので,ここで一休みして,この次の自由討議のときにどういうことを言うかをお休みの間によく考えていただきまして,コーヒーブレイクに入りたいと思います。


【事務局】
 それではこの辺で休憩に入らせていただきたいと思います。20分ほどの休憩です。円卓の先生はいったんご退席になりますが,事務局よりちょっとお知らせがございますので,おそれいりますが傍聴の皆様方はそのまましばらくご着席下さい。
 初めに会議の再開でございますが,3時35分とさせていただきたいと思います。それまでにご着席いただければと思います。
 またロビーにてドリンクサービスをいたしておりますので,ぜひご利用下さい。また,再入場なさる際に,受付にてお渡ししたバッジをご確認させていただくことがございますので,必ず胸のほうにご着用願います。また,会場内は禁煙となっておりますので,よろしくお願いいたします。それでは今から約15分程度休憩に入らせていただきます。繰り返しになりますが,3時35分に後半の部を再開させていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。また,出口右側に1回目から4回目までの原子力政策円卓会議の議事録のほうをいくつか用意してございますので,ご入用の方はどうぞお持ち下さい。よろしくお願いいたします。

   −−休憩−−


【事務局】
 それでは原子力政策円卓会議,後半の議論に向けて再開させていただきます。中島先生よろしくお願いいたします。


【中島】
 それでは再開いたします。最初に吉岡さんからちょっと質問に答えたいというのがありますので,なるべく手短かにお願いいたします。


【吉岡】
OHP

3.立地許認可手続きの改正すべき点

(1)都道府県および市町村の同意を、原子炉等設置法上の許認可要件とする。

(2)立地協定、安全協定等の締結を、原子炉等設置法上の権限とする。

(3)事前の公聴会開催を、義務づける。なお公聴会は、異議申し立てにもとづいて開催する。双方向的な議論の場として、実質的な意味をもたせるようにする。許可官庁の決定に関して、申請者と異議申し立て者は、訴訟を提起できる。 (4)政府の役割は、政府事業の場合を除き、許認可のみにとどめる。立地問題の当事者は、申請者と自治体のみである。

 前半で山地さんからコメントがあった3点について,今お答えしようと思うのです。  第一のコメントというのは,国民的討論を準備するために専門家が役割を果たすべきであるということで,役割を果たすべきというのは大賛成なのです。今日準備した最後のOHPです。
 第三者評価,あるいは第三者審査というものが最近よく言われていますけれども,それは何かというと,当事者と無関係で独立していると認められるもの,特に職業的・金銭的関係があるのは無条件で第三者ではないと認められるということなのですけれども,それでは第三者から除外されるのは誰なのかという一応のリストをまとめてみました。
 原子力関連メーカーの社員,電力会社及び行政機関,これは除外される。4番目が重要なのですが,原子力工学等を専攻する学識経験者,つまり日本は実用学が非常に強いですけれども,実用学は業界だと,学会であると同時に業界だと私は思っています。専門家というのは利害を背負った人間である,進めることに利害を持つ人間であるということであって,微妙な話になりますが,システム量子工学は入るけれども,電気工学は入らないかもしれないとか,微妙な個別ケースの判断が必要です(笑)。
 やはり,専門家というのは利害を担ったものであるという認識が第一に必要であって,彼らには大いに役割を果たしてもらいたいのだけれども,それで固めるというのは非常に困るというのが第一点です。それに総合評価をする際の枠組みづくりにおいても,当然専門家の党派性というのが入ってくるであろうと思います。
 2番目ですが,総合エネ調の政策は国策なのか。国策であると地元では思われているが,実際はそれほど有効には機能してはいないというのはそうなのです。つまり現実には国策とは言いながらもそうではない。実際にはそうではない。原子力委員会の長計もそうではないようにすべきだと思うのですが,そうではないとは言えないような面があり,あれに書かれるとお金がつくというような仕組みになっていますから,その辺の,国策でない方向に自治体としてより一歩進めようというのが私の提案です。  3番目は,県知事が実際に非常に強い権限を持っているではないかということですけれども,これは1990年代以後の現象だと,つまり平成的現象であると私は理解しています。なし崩しにこのようになって,もんじゅの事故以後急速に,県のイニシアティブというのが,国に対する発言権というのが強まった。それは原子力だけではなくて,アメリカ軍基地の問題とかもろもろもそうなので,実際にそう動いているというのは大変よいことなのですけれども,法律に基づく社会という点で,より一歩進めてもよいのではないかというのが私の考えです。以上です。


【中島】
 どうもありがとうございました。それでは,後半の議論に入ります前に,前半の議論を聞いていまして,茅副議長のほうから,このように議論していただく必要があるのではないかという議論の焦点についてご提案したいと思いますので,どうぞお聞き下さい。


【茅】
 あと1時間20分ほどです。長いように聞こえますけれどもあまりないものですから,できるだけ議論を噛み合うようにするために,私のほうで聞いた印象からの意見を言わせていただきます。
 この原子力の運営体制という議論の中で,前半に出てきた議論というのは,基本的には3つのポイントがあると思うのです。1つはそれぞれの主体がどのような役割を果たすべだというポイント。これは具体的に言うと国とか,自治体とか電力会社,住民,それがどのぐらいの役割を果たすのがよろしいのかというので,例えば吉岡さんのご意見を伺っていると,国というものの持つ役割というのはきわめて限定されていて,許認可に限ったほうがよいというご意見であったような気がします。これは1つの例ですけれども,いずれにしても,それぞれの主体がどの程度の役割を果たすのが望ましいのかというのが1つのポイントかと思います。
 2番目は政策決定のプロセスです。これについてどのようにしたらよいのか,これもいろいろなご意見があったのですが,例えば山地さんのほうからは専門家に,これは吉岡さんのご意見と近いと思いますけれども,いろいろな選択肢について評価はさせて,その複数の選択肢に対してどのような選択をするかについては,専門家あるいはテクノクラートだけではなくて,政治家,あるいは何らかの意味での国民の代表者にそれを委ねるというご意見があったかと思います。具体的にどうするのか,その辺のご意見がもう少し深められればという気がします。
 それから,3番目はまさに体制というのに近い議論なのですけれども,現在の原子力委員会,原子力安全委員会があり,そして通産省ではエネルギーに関しては資源エネルギー庁,そして審議会では総合エネルギー調査会があって対応するという形を取っていますが,こういった形はもっと変えるべきではないのかというご意見がいろいろありました。特に具体的なご意見としては,何も原子力を分けないで,総合エネルギー委員会という形で議論するのがむしろ筋ではないかという議論があったわけです。しかし,今まで逆に言うと,原子力が分かれていたのはそれなりの理由があって,核拡散の問題,その他いろいろあったわけですが,そういったことを含めて,どのような形にした場合にどうであるのかという特質,これについてのご意見というのものが,やはり具体的に出たほうがよいだろう。
 私はどの側面でもよいと思うのですけれども,一般論ではなくて,少し今言ったような具体的な内容についてご意見がいただけると,問題が噛み合ってやりやすいと思いますので,そのようにお願いしたいというのが発言した意図です。よろしくお願いいたします。


【中島】
 今の茅副議長の提案は大体皆さんの発言を少し整理しただけなので,ご異論はないと思いますが。さて,これをどう深めるかというのはなかなか難しいと思うのですが,一応この順番,つまりそれぞれの主体がどのような役割を果たすべきかといった問題について,まず議論を深めたいと考えます。主体というのは結局行政であるとか,あるいは国,地方,あるいは一般住民もそうですし,それから電力会社等も入るわけです。

 はい,どうぞ。
【小沢(社会評論家)】
 今整理されたのとは少し違ってしまうのですけれども。碧海さんが最初に「高齢化社会などのことで元に戻るようなことはいやだし,原子力は推進だ」とおっしゃっていましたけれども,今までの議論を聞いたところでのご感想はどのようなものですか。この議論に対しても。


【碧海】
 今までの意見に対する感想というよりも,今回この円卓会議に出席するように言われて,過去の4回の資料で最近にないぐらいの勉強をさせていただきました。つまり,あれを全部読み通す。結局あれを読み通してみて,今日決意してきたことは,本当は,今までの4回のような円卓会議の土俵では私は絶対発言はできないなということだったのです。もうちょっと,全然違った次元の世界というか,立場からものを言うことしかできないと思ってきたので,その意味では先ほどからの他のメンバーの発言を聞いていても,やはりそうなのです。ですから,これは私の耳の穴が何か詰まっているのかなという気がするぐらいに,何か,なるほどというように入ってこない。これがすごく残念なことだなという気が1つしています。
 ただ,具体的な例というか,部分的なところでは賛成というところはあります。例えば,今の3つに分けられた話の中で,原子力というのをとにかく特化しないほうがよいということは,私は意見として持っています。というのは,原子力の平和的な利用というのをいかに私たちの生活に結びつけるかということで言うと,例えば原子力発電だけではなくて放射線というのは,私たちの健康に関わる医療の分野でも放射線の利用があるとか,あるいは私が関わっている食品の分野で言えば食品の殺菌に放射線食品照射を利用するとか,あるいはつい最近の経験なのですが,非常に微量な放射線というのは人間の生命活動にプラス効果があると,私自身は糖尿なものですから,もしかしたらその微量な放射線を照射してもらえば糖尿の症状が少しよくなるのではないかというような期待を持ったりというような,非常に広い意味での原子力の平和利用というものについての関心というのを,もっと国民に持ってもらうべきなのではないか。
 それが,それこそ先ほど申し上げた例えば高齢者社会であるとか,男女共働社会であるとかという社会にも,どこかで結びついてくるのではないかいう気がしていますので,そういう目でしか原子力というものを私は見られないということなのです。  あともう1つは,生活の中で使っているエネルギー,これとの関連というのはしっかりありますので,それなりに捉えてはいます。
 ですから,原子力をあまり狭めて,原子力政策というものを狭めて問題にすべきではなくて,むしろ今まで知らされなかった原子力の利用というのを,もっと広く国民に知ってもらうことだと思っています。
 ちょっとお答えにならないかもしれませんが,部分的にはそれは賛成だということです。


【小沢】
 円卓会議も今年度はこれで終わりだろうと思うので感想として。私は,国民的議論を巻き起こす起爆剤にこの円卓会議はなるだろうかと思いますと,ならないのではないかという気がするのです。
 やはり皆さんはいろいろな言葉を駆使していろいろなことをおっしゃっているけれども,結局自分の意見は正しいということは皆さんそれぞれおっしゃるし,自分の意見に人が近づいてくることを望んでらっしゃるように見えるけれども,いったい原子力について皆がどのように思ったらよいのかということについては,これまでの5回の議論を通じても私にもよくわからないのです。  まったくの素人としてここにいて原子力について,吉岡さんのおっしゃっている「こことこことを対立させて議論すべきだ」ということについては,これはやったほうがよいなと思うような点がありましたけれども,それ以前はやはり,ムラだとおっしゃる人もやはりムラで,反対する人も賛成する人もそれぞれのムラとムラの境界線を押したり突いたりしている感じで,耳が詰まったのかということを,私も本当に思います。
 例えば「全国民的議論」というのは,吉岡さん,どういう形になると「全国民的議論」なのですか。あるいは「モデレーターの人選」というのは,例えばどうなると真の民主主義になるのでしょうか。


【吉岡】
 簡単に答えますけれども,私の考えでは,やはりこの原子力政策円卓会議というのは,国民的議論の起爆剤を提供するのが目的なのかというと必ずしもそうではなくて,今日のプリントに書いたように,政策改革のアジェンダを発掘して開発をするという,ある種専門的な機能をになうものであって,やはり素人は出ては困るというのが私の意見です。
 それでは素人と玄人の違いは何かというと,技術専門家が牛耳るのもまたこれは困るということで,やはりこの問題に原子力あるいはエネルギー問題について継続的に一生懸命勉強して意味のある意見を言っている人,この中から選ぶという形でやらなければ仕方がないと思います。他の審議会もそうなのですけれども,そういう面で一定のフィルターにかかるということは仕方がないと思うのです。そうしないと収拾がつかない話になりますから。
 ですから,民主主義というのは結局は何かというと,そういう勉強をしてワアワア言う人がたくさん出てくる,そういう人が実績を積むことによって,意思決定の場に関与できるようになっていくという,そういう手続きだと思います。その決定に対しては,国民意見からあらゆる異議申し立てを受けて,それに対して官僚ではなくて,国会の政府委員はやめるという話になっていますけれども,それと同じように,審議会委員自身が責任をもって答えていく。ある種テクノクラート路線と言われるかもしれませんけれども,円卓会議もそうではないのであろうかとイメージとして持っています。


【小沢】
 わかったような,わからないような話ですけれども(笑)。わからないのは仕方がないですね。


【中島】
 それでは問題を少し元に戻しましょう。


【近藤】
 今の小沢さんのおっしゃりたかったことは,ここで原子力というものの甲論乙駁がはなばなしく論じられて,何らかのメッセージをモデレーターが持って帰れることを期待しておられたということですか。そうではないのですか。


【小沢】
 いや,そんなことはありません。


【近藤】
 そうすると,どこが問題なのかなと思って,私はご質問の主旨が理解できなかったのですが。


【小沢】
 そうですか。私はこのように思っているのです。先ほど産経の飯田さんがおっしゃったように,円卓会議というのは,これはただやっているという言い訳でこういうものを設置しているわけではないと思うのです。こういうことをやって,こういう議論が行われたとかというのを少しでも知ってもらいたいし,例えばこれを主催している側は原子力について一人でも賛同してくれる人が増えることを願っているかもしれないし,もっとつくりたいところの立地の人たちが賛成してくれるようになるのを望んでいるのかもしれない。とにかく,ただ会議をやっているだけではないと思うのです。だけれども,この議論というのは本当に外へひろがるのかなと思うのです。傍聴の方々なども含めて質問の時間をとったりしたほうがいいのかもしれない。1回,1回,議事録として残れば公開だということにはならないような気がしているのですけれども。何かいつも学者が集まって,お互いに綱を引き合っているだけで,おもしろくないなと思ってしまうのです。
 碧海さんのご発言がありましたが,この意見はたぶんここでは議論の対象にならないだろうと思ったので,今冒頭に伺ったのです。


【石川(原子力発電技術機構特別顧問)】
 今小沢さんのおっしゃったことは,本当に原子力について国民に関心を持って是非を論じてもらうためには、このようなグループで今のような話をしていているだけでよいのであろうか,例えば今日のような体制についての議論だけだとたぶん碧海さんが発言されるチャンスがないのではないかと思うのです。碧海さんが言われたような違った立場からのことをしっかりと議論をしていかないといけないのではないか。
 1つ吉岡さんに反問しますと「素人は困る。専門家はだめ」。「それでは評論家だけで原子力は決まるのですか」と私は聞きたいのですが,どうでしょう。


【吉岡】
 簡単に答えますけれども,専門家とは何かというと,それほどリジットな定義はしていなくて。


【石川】
 それは困りますよ。


【吉岡】
 この問題について継続的に調査・研究をしてきている見識のある人間であるということです。技術の専門家というのは,それは進めるという利害を持っているわけですから,一部は参加してもよいけれども,主導権を握るのは困る。ですから,ある特定の資格を持った専門家という形では,こういう場では立てることはできないと思うのです。その問題について強い問題意識を持って,出たいと言っている人の中からどのように選ぶかというのは,飯田哲也さんが言っているように,非常に難しい問題ですけれども,ステークホルダーから選ぶという形でしか,実際的な選考のやり方というのはないのではないか。今まで原子力について発言していなかった人が突然審議会に出てきて,それでどうするかというと,大体黙ったり,あまり関係のないことを言ったりしているわけですから,そういうのはやはり困るなということです。


【小沢】
 でも,だれでも初めは皆素人ですよ。何かのきっかけでそれに関心を持てばいいではありませんか。そういう人が一人でも増えることが目的なのだから。最初から玄人,素人と分けられては困りますよ。


【飯田(哲)】
 今の素人と専門家の話を,もう少し発展させる形で……。


【中島】
 今だんだん議論が……。


【飯田(哲)】
 政策プロセスに若干関連していますので。


【中島】
 そうです。1をすっぽかしてしまって,政策決定のプロセスに入っているようなのです。そう理解して,どうぞ。


【飯田(哲)】
 この総合エネルギー委員会は,私は吉岡さんが言われるような,ある種のフィルターのかかった専門家の仕組みであってもよいのではないかと思います。しかし,これもいくつかある政治的なサブシステムの1つにすぎないという位置づけで,もっと多様な道も併存させるべきだと思うのです。
 というのは,住民投票も,私は1つの政治サブシステムとして,これは賛成の人も反対の人も含めてものすごくよい勉強のチャンスです。これも1つのサブシステムとしてあります。
 それから,一例としてもう少し詳しくご紹介したいのは,デンマークでコンセンサス会議というのをやっているのです。これは議会の中に独立の技術アセスメントのDBTというDanish Board of Technologyという独立した組織があって,そこが今度こういう課題についてやると,例えば遺伝子操作についてやるとか,化学物質についてやるというようなテーマを全国民から募集して,そこに応募してきた人たちの中からデンマークの典型的な国民構成になるように,参加者を選びます。男女別とか職業,学歴とか,20人ぐらいを選んで,1年ぐらいをかけて徹底的に討論してコンセンサス・ドキュメントをつくるのです。それはその問題に関して単に合意するというのではなくて,こういう点は合意できるとか,こういう点は理解はできるけれども不安だとか,こういう点は合意できないというところの合意もすべて書き込む。それは決定文書ではないけれども,議会の決定に反映したり,他の技術者も専門家もそういう意見のすくい上げを尊重するとか,いろいろなチャネルを用意していく必要がたぶんあると思うのです。  地方自治体でもアジェンダ21をつくっていく時に,非常にいろいろな主体を巻き込んで地域の未来像をつくっていくとか,そういうものを,今われわれ日本社会は必要としています。どこかの硬直的な場で決めて,それが国策で知床半島から南の与那国まで津々浦々それを徹底的に水戸黄門の印籠みたいなものを掲げてそれをやるのではなくて,現代の代議制民主主義を尊重しながら,やはり本当にそういういろいろな形のサブシステムを模索していく。そういう知恵が今必要とされているのだろうと私は考えています。その1つのシステムとして,総合エネルギー委員会をという形で議論していくのは賛成です。


【小沢】
 ちょっと質問をさせて下さい。先ほど原子力政策は価値機軸の亀裂というものが非常に大きいから,サブシステムの模索ということになり得るとおっしゃいました。だけれども,例えば沖縄などあれだけ大きな亀裂があって,全国民的な議論に一時はなったわけです。でもやはり,必ずしもそういうふうにはならなかった。原子力だけはなりますか。


【飯田(哲)】
 歴史的には前後,行きつ戻りつしていますけれども,少なくとも原子力に関して,例えば私がかつて電力とかそういう仕事をしていた頃には,こういう議論は公然とはできなかった時代です。本当にわずか数年前でした。そういう形で,今わりと社会のいろいろな公開性とか,議論をする場とか,この円卓会議も含めて,それは着実に進んでいると思うのです。
 あと,先ほどの3つの論点の前提条件として私が提起したいのは,ここの円卓会議を国民的議論というかもっと社会的に軸のある議論にするという意味でも,今通産省などは軍隊が進行するようにちゃくちゃくと進んでいく,先ほどの原発20基であるとかMOXといったものを,いったん止めて,先ほどの吉岡さんがいろいろ提案されている技術評価であるとか,議論の場をつくるという現実性を持たせるということが,前提条件で必要ではないかと思います。
 あまり長くなりますから,以上でやめておきます。


【中島】
 今の議論は,飯田さんのお書きになったものでもそれを前提にしておられるというか,例えば原発モラトリアムが必要である。飯田さんが考えておられるのは,例えば成田の空港の場合に結局強制着工はしないとか,そういうものが前提にならないと,本当の議論というのはできないのではないかという主旨でおっしゃっていると私も理解しましたけれども,原発の場合,それは何だろうかということもあると思うのです。
 今言われている,共通しているのは,いろいろなことがあったにもかかわらず,現状がなし崩し的に元に戻っているのではないかということについては,やはり日本では何年か経つと風化してくるという現象がありまして,ですからそういう意味で,せっかくの教訓を活かそうではないかということで,例えばこのように変えればそういうことが風化しないようになるのではないかと,それは先ほど言われたように原子力政策の決定プロセスをもっと透明化しようとか,今の原子力委員会なり電力会社なり通産なりのあり方を討論しようとか,そういう問題が出てきて,そういうことは実は皆さんから先般出たわけです。それをどう具体化するかということで,もう少し今日詰められれば詰めたいということです。


【近藤】
 よろしいですか。


【中島】
 はい。


【近藤】
 総合エネルギー委員会の具体化が話題ということですが,これは先ほどの茅先生の問題提起の1つ目に絡んでいると思うのですが,国の役割に関しては,国の政策を決めるプロセスは民主的であらねばならぬとして,それはいかなる手続きによるべきかということで考えるべきですが,それでも国会の責任のとり方なのか,あるいは行政が国会から付託された責任に対していかなるプロセスで,それを果たすべきなのか,と,いろいろあると思うのです。
 でも,むしろその以前の問題として,山地さんのいうようにエネルギー選択は,市場に任せればいいではないかという意見もあるわけです。そういう立場からすれば,エネルギー委員会をつくるということ自体あわない,違う話ですね。つまりそこにも選択があるわけです。エネルギー問題について行政・公的関与が必要とされるのか,それが必要としてそれはいかなる原理・原則,いかなる観点でなされるべきかがまず議論されるのだと思うのです。
 山地さんはたしか環境と安全と,セキュリティといいわれたと思うけれども,私は環境とセキュリティ,安全は当然として,環境問題とセキュリティ問題というのがほとんど,環境問題に関して原子力は太陽と両立しうるわけですけれども,この2つがエネルギー問題で議論されている。ですから,これらの点でエネルギー問題は市場に任せておけない,やはり公的関与は必要ということでしょう。原子力は規制だけとおっしゃっている,安全だけでいいよとおっしゃっている人もいるけれども,私はこの2つ,環境問題,環境問題も安全問題だとおっしゃるかもしれないけれども,市場の目が届かない長期性のある環境問題,それからセキュリティ,この2つの問題に関して公的関与は必要ではないかと考えるわけです。
 ですから,ご質問に対しては,問題は公的関与の必要性をこのように承認すると今度は程度やアスペクトの問題であり,関与がいかにして国民の納得のいく形でされるかという,透明性とか説明責任の問題,プロセス論になっていくと思うのです。
 そこでおそらく,非常に大きなイシューは,たぶんこれは国の計画でも答えられていないと思いますが,経済学の専門家の方がいらっしゃるからむしろ答えを聞きたいのだけれども,環境とかセキュリティのコストはいかに払うべきかということだと思うのです。現状,環境問題がこれだけ言われて,炭酸ガスの問題がこれだけ言われても,温室効果に関しては結局のところその外部性を内部化していないわけです。
 で,通産省は,そういう性格の計画と言っても指針と言ってもいいのですが,計画を決めている。行政計画には非常に種類があるわけです。都市計画のようなリジッドな規制的なものから,エネ庁の指針的な計画まで,なかには何となく「皆さんがこちらの方向を向いて歩いてくれたらいいね」と国民にメッセージを発しているぐらいのものもあるわけです。エネ庁の需給の話は規制がないからそれに近いと思うのですが,そういう格好のあり方も含めて,公的関与の議論がなされる。その手続きをどう設計するか,あるいは委員会となるとその行政主体をどう変えていくかということになりますね。  委員会というのは,繰り返しになりますけれども,委員会というのは,行政法の考え方では,時の内閣と独立したほうがよいとか,もう少しロングタームでものを考えるべきある特定のテーマ,専門的事項に関しては行政委員会という制度をとるのがよいとされているわけです。私はそれも1つの案としてよいと思うのです。ただ,皆さんはエネルギー問題がそれだけのもので,そういう行政分野であるとお考えなのか。
 アメリカでは,政治的に任命されている行政官があまりにも多すぎて,行政がたちいかなくなる。4年ごとにすっかり変わってしまう。これはまずいから,独立行政法人というか,行政委員会的なものをもっと増やしたほうがよいという議論が,アメリカではあるわけです。
 それと同じような意味で,エネルギー行政はそういう長期的なあるいは国民のコンセンサスが成立するような行政であるべきというなら,そういう行政事務に関しては,長期的な観点で行政を淡々と,原理原則は国会が承認して,そのあと淡々と行政が進められるような委員会がよい,あるいはそこが国民のときどきの意見を踏まえながらちゃんとした行政をやるのが,時の内閣からはずした委員会がいいよという意見です。
 その辺は皆さんはどういうコンテキストで委員会とおっしゃっているのか,失礼ながら今1つわからないのだけれども。私はそういうコンテキストで委員会というのならば,わかるのですが。というのは,これからの社会では,内閣なり政府というものは時のイシューに集中する,一内閣一イシューというような,だれかの文句ではないけれども,そういう政治のほうが,これからの社会にはふさわしいのかなと思っているものですから。


【中島】
 山地先生。


【山地】
 ちょっと議論が少し混乱してきたというと批判的になりますけれども,少し述べさせていただきます。新しいことを言うのではなくて,私が前に言ったことを,もう一度今のコンテキストで整理して申し上げると,まず民間でやるということと公的にやるということについてですが,公的にやるものの中でも,ある省がやる行政庁がやるというのと,内閣府として委員会という形で1行政庁を超えてやるなど,いくつか段階があるわけです。私は申し上げたように,民間でやる部門もあるけれども,もちろん公的にやる部門もあるのだと,それを3つ指摘して,核不拡散の問題を別にすれば,環境安全と,エネルギー対策は行政庁でやるべきだと考えている。ここでエネルギー政策の中には,私はエネルギー・セキュリティを含めてと言ったつもりですが,エネルギー・セキュリティを含む,あるいは環境安全というのは人間の健康・生命というほうを指していまして,地球環境のような問題はむしろロングタームの環境問題で,これはエネルギー政策により近いところがありますから,これを含む長期のエネルギー政策,このあたりは公的に任せる部門だと考えているわけです。
 その時に,その文脈の中で総合エネルギー委員会というのが出てきているわけですが,ところがこの委員会は,吉岡さんですか,原子力委員会に替わるものという形で出てきていますからどうも行政庁ではないのです。内閣府におかれるものという位置づけのようですけれども,そこが私と違うところで,私はそのエネルギーの長期的なセキュリティとか地球環境問題とか,あるいは脱化石とかいうことを含めて,行政庁の,具体的に言えば経済産業省というところでやっていけるのではないかと思っているわけです。  これを総合エネルギー委員会という形で,原子力委員会を引き継ぐような形でやらなければいけないほどのものなのかどうか。私はそれほどの必要性はあまり切実に感じません。確認しただけのことのようですが。


【中島】
 飯田さん,どうぞ。


【飯田(浩)】
 今までの議論でちょっと気になるのは,国策という言葉なのです。国策に対する反語が国賊だそうですが,今国策だからと言って進めて,これは原子力にかぎらないと思うのですが「あなたは国賊だよ」と言って,そのために国策に協力するような市民はいないですよ。私たちは実際に地方も歩いていますけれども,そういう形で原発に反対する人はまずいない。やはり,安全の問題で反対されている。ですから,国策という言葉が,まずこれは国策というよりも,もう少し次元の高いものだと思う。
 例えば第二次大戦の原因は,何と言ってもエネルギーの確保です。そうすると,エネルギーというのは国の存立をかけたものですから,だた安っぽく国策などと言ってもらっては困るのであって,エネルギーというのは,絶対的に必要な確保しなければならない資源だと。
 アメリカは,原子力については足踏みをしていますが,石炭も石油も自由にある。スイスは10年間のモラトリアムで新しいのをつくらないと言っています。しかし火力発電所は1基大きいのをつくりましたが,これはまだ一度も使っていません。それはなぜか,いざという時はそれを使うということでつくったのですが,環境問題もあって使っていない。そのかわり夏は他の国に輸出し,冬はフランスの原子力発電でつくった電気を買っているわけです。ヨーロッパの人に聞くと,大体スイスというのは非常に身勝手な国だ,マネーロンダリングはやるわ,武器は売るわ,何が中立国家だというのです。スイスをそんなにあがめるのは日本だけなのです。
 スイスという国は実際は施政能力はないのです。何かと言えば国民投票です。 800万人ぐらいですからできるのですが,それもあまり多いので,毎週日曜日には国民投票だと,今日は何の投票日だっけというぐらい頻繁です。それより,施政者には何の責任もないわけです。国民投票で決まったことは,法的に決めてしまうわけですから。スウェーデンはちょっと違いますが。  ですから,そういう形でやっている国と,日本のように資源はまったくなくて,それでもエネルギーは確保しなければならない。その観点からのものが,国民の合意をまったく得ていないわけです。ですから,極端な言い方をすると,第三次石油ショックが起きれば私はよいと思っているのです。もっと極端に言えば,韓国なり中国でチェルノブイリ並の原発の爆発が起きればよい。そうすれば日本では絶対的に原子力発電は使えません。今のチェルノブイリでさえ,日本が受けた影響というのは大きいわけですから。そうした時に,日本がではたしてエネルギーが確保できるのか。それから石油ショックと原発が両方来たらどうするのだ。それこそ,薪炭の時代に戻れるのか。パソコンなどというのはとんでもない話で,便所はくみ取り式というような生活が,はたして日本の国民に耐えられるのか。そういう観点からも考えなければならない。
 組織として考えることは,私はたまたまチェルノブイリの直後にヨーロッパ各国を見たのですが,フランスだったと思うのですが,ちょっと古い話で忘れたのですが,それに合わせて,日本で言う科学技術庁と通産省と環境庁それから経済企画庁,4つの省をまとめたのです。1つの省にした。その省のそれぞれの代表の方がわれわれに会ってくれた。どうやってものを決めるのか。それぞれの人がもう勝手なことを言っています。われわれの目の前で大議論をしている。しかし,その人たちは皆専門家なのです。例えば環境庁出身の方は生物学者でした。それから科学技術庁の方は本物の原子力学者でした。通産省の方は多少経済的なことを加味した人文科学の方でした。それから,経済企画庁の出身の方は完全な経済学者でした。皆いわゆる学者なのです。その方がさかんに,われわれがそばにいるのもまったく気にせず,議論されている。最後にはそれがうまくまとまるのだそうです。フランスの場合は,やはり日本と同じようにエネルギーがない国ですから,今の原子力のシェアを見てもフランスが一番高いわけですが,それを背景に,言い合うだけは言い合うけれども,やはり最終的にはフランスもいわゆる国益に沿ったものになるのだと聞かされて,なるほどと思いました。国民的議論というのは難しいけれどもそういったものです。
 日本の場合一番悪いのは,やはり役所の縄張り争いで,これはもうどんな場合にも出てきます。ですから,この際最初から4つの省庁をまとめてしまうのです。それで,強力な副総理格の大臣をおいて「省内ではいくらやってもよい。しかし,まとめる時は,最後にはまとめろ」という形でまとめるのがよい。そういう意味では,総合エネルギー省もよいだろうし,それから原子力庁でもよいだろう。ただし日本の,国策という言葉は好みません。国益という言葉は大事にしたいと思うのです。


【中島】
 今の体制については,飯田さんはどうお考えになりますか。現在の体制を変えるとすればどうするか。


【飯田(浩)】
 私も原子力黎明期に新聞記者になりましたので,東海村を希望したのですが,前任者が動かないのでそこに行けませんでした。その当時からスリーマイルまでの期間というものは,ほとんどの国民世論も新聞論調もアメリカに追いつけ,追い越せというのがロマンだったと思います。スリーマイルで急ブレーキがかかり,さらにチェルノブイリではもう原子力はいらないと,もんじゅでは高速増殖炉もいらないということになったのですが,私はその時期に応じて,原子力委員会も,それから後に分離した安全委員会も,一応は役割を果たしてきたと思うのです。それはどこをとらえて役を果たしたか,もう果たしていないと言う人は大勢いらっしゃる。だけれども,どんなミスがあったのか。それは管理責任のようなもの,それは例のもんじゅにしても東海村にしても,虚偽報告なり事故隠しなり,そういった管理責任はあるのですが,技術的に安全を脅かすような責任がはたしてあったのかどうかということを考えると,今の体制でも決して悪くはない。さらに改善はされるであろうけれども,そんなに悪者ではないという気がします。
 ただ心配なのは,内閣府になって,その中の一委員会として両方が存在するという,これについては多少私も疑問があります。安全委員会だけは,やはり何か独立したものがあったほうがいいのではないかと考えています。


【中島】
 吉岡さん。


【吉岡】
 議論がちょっと拡散しかけたので,先ほどの議論に戻そうと思うのです。推進に関して,茅さんが,私が国の役割を許認可に限ったほうがよいと総括されたけれども,それは立地に関してだけであって,いろいろ役割はあると思います。基礎的な研究開発,実用化以前の研究開発というのは,相当額の予算をエネルギー全体として使う必要がある。それと間接的手法での政策的誘導を,税制とかいろいろなものを,環境税も含めて,活用するというような,そういう手だてがあります。それと,安全性と核不拡散に関する規制業務というのがあって,そういうことで政府の果たすべき役割というのは非常に大きいと,そういう点では近藤さんには一致するのです。
 1つだけいらないものがあるということで,それは長期計画とか電源開発調整審議会の基本計画であるとか,総合エネルギー調査会の需給見通しとか,そういう数値とか具体的な施設までも明示した国家計画というのは,これは少なくとも商業化段階のものについては省く,あるいは民間の事業については削除をするのが妥当ではないか。実際には縛りは弱まっている,空洞化しつつある,形骸化しつつあるとは言われますけれども,形骸化するなら実際に制度自体を形骸化したほうが,一歩進めたほうがよろしいのではないかと思っています。
 それと,いかに公共利益に沿った電力供給政策,あるいはエネルギー供給政策を実現するかということですが,それは最初に議長が出された政策決定のプロセス,いろいろな選択肢について評価する必要があるということと密接にかかわってきます。電力供給に関して,何が公共利益であるか,あるいは飯田さんの表現によれば何が国益であるかというような,それについての合意が存在しないし,合意を得るための正しい方法論をわれわれは今までほとんど使ってこなかった,選択肢をきちんと挙げてそれぞれに評価をしてというようなことをやらずに,非常にファジーな論理でいろいろな報告書が作られてきたと思うのです。
 よくわからないのは,総合エネルギー調査会の新しい長期需給見通しです。それを例に取ると,CO2 の排出抑制と,エネルギー安全保障のために2010年度までに原発21基が必要だと,簡単に言えばそういうことであって,他のオプションとの比較とかそういうことがきちんと行われないでこんな決定がなされている。これでは本当に国益なのかの証明がないわけです。
 ですから,その辺を,私は高速増殖炉懇談会の委員の時にそれをやれと主張したのだけれども,結局認められなくて,少数意見でだけそれが取り上げられるという結果になったのですけれども,やはりファジーな論理ではなく,科学的な論理で政策決定をするように改めていく。それを総合エネルギー委員会で行うというのがベターだと私は思っています。
 近藤さんがその前にストレートに言ったらどうかと言ったから言いますと,通産というのは原子力発電の推進官庁であって,推進に利害を有する機関であるから,エネルギー全般を新たに担うというようなことになった場合に,当然推進という結論が,有効なカウンターバランスがかからなければそういう結論になるに決まっているような組織だと思いますので,そういう点で長期的にものを考えるために必要だからということではなくて,一省庁を超えたより全体的な,国全体としての公共利益ということを考えた場合に,経済産業省に委ねるのはどうかという懸念があるわけで,総合エネルギー委員会を内閣府に置くということをアイディアとして言っていたわけです。以上です。


【近藤】
 質問になるのですが。


【中島】
 では,近藤先生。


【近藤】
 吉岡さんの話でわからないのは,1つは,規制以外の政策誘導をなすかなさざるかですが,セキュリティとか環境とかということでは「なされるべし」とおっしゃっているわけですね。
【吉岡】
 一般論として。


【近藤】
 で、そのあとは手続きの話をされていて,それを通産省がやると通産省イコール原子力推進庁だから,通産省はいやだと。内閣府に何か委員会を置くとよさそうだと。そういう話ですね。通産省が原子力推進庁と,たしかにそういうふうに見えるところがあるかもしれないけれども,私はそうは思わない。けれどもそれはいいでしょう。しかし,それは,通産省がエネルギー行政の透明性とか説明責任をきちんと果たしているかとか,それからさまざまな国民の意見を取り入れて政策形成をしているかという手続きについて,通産省だから問題が多いということをおっしゃっているのですかね。
 省庁というしくみでは国の行政事務を分割してやるのは,それなりの効率性があって合理性があるわけです。それに対してエネルギー行政に関しては,今の省庁のシステムの合理性を乗り越えても守りたい価値があるとおっしゃっているのですか。そんなにおっしゃっているのに,その価値はとなると何となく包括的云々でしかありませんね。
 ついでにもう1つ申し上げると,高速炉懇談会の評価の話,毎回同じことをおっしゃるけれども,ご自身の評価をおっしゃるチャンスはずっと持っていたわけですよ。ですから,何も大々的に今から評価をやりますということをしなくても,ご自身で十分調べてきて,ご自身の意見を,まさにあなたがさっき言ったように,自分で調べて発言すればよいわけで,私の評価が気にくわなければそうおっしゃって,反論していただければよかったのでは。私はあまりちゃんと反論を受けた記憶はないですが。  民主政治というのは仕方がないところがあって,声が大きい者が勝つという変なルールがあって,そこできちんと言った人が勝つ,でそれをマジョリティが支持だと思えば皆さんそれ以上議論しないというのは,小学校からそうやってやってきたわけですね。私はそこはそんなに悪いシステムではないと思うのだけれども,そこをオールクリアで新しいシステムをつくらなければうまくいかないというのは,つくったらうまくいくかの幻想を踏まえても,私はあまり生産的ではないと思うのですが。  ちょっと今日は挑戦的になってしまって(笑)。


【飯田(哲)】
 そんなに議論ははずれないと思います。先ほど総合エネルギー委員会でもいいのですが,要は公的関与の話です。市場というある種のバトルを設定する時に,やはり本当の意味の公共役割は,ストラテジーとルールをつくることとして絶対に必要だと思うのです。ストラテジーとは,市場の方向性です。環境を重視するなら全体をグリーン化していくストラテジーでしょうし,あるいは単なるシャロー(底の浅い)経済のほうに向かっていくかという非常に大きな流れもあるでしょうし,それから先ほど長期の研究開発の話もあります。それからルールというのは,法律であり制度です。その中で市場というバトルが闘われるという理解で私は考えているのですが,その公の概念を官が乗っ取っていることが問題だと思う。
 先ほどの「通産が原子力のプロフィットセンターになっている」というのは,それはそれで問題なのですが,そのこと自体よりも,官が公を乗っ取っていることが問題です。官僚というのはものすごく,過去にやったことをとにかくたえず正当化しながら次のことを生み出そうとします。そういったもの,あるいは表面上の秩序をものすごく重視して,ルールを維持することを,逆に非常に軽んじるのです。
 先ほど小沢さんは,私もムラだと言われてました。それは私も最初に申し上げたように日本社会はムラだし,私も含めてムラで,これはそんなに簡単に変わらなくて,庶民レベルで日本の文化というのはものすごく,ある意味で快適なのです。言わなくても阿吽の呼吸とか,以心伝心のようなものは,ある種よい面はあります。
 だけれども,それがもっと肥大化して,官という形でいわゆる公を乗っ取った時に,ナショナルレベルでつくるものは,国際的・普遍的に通用する公(パブリック)の概念でなければいけないのではないか。そのためには,私は,やはり通産に総合エネルギー委員会がついていたら,そこが通産ムラに取り込まれるのは火を見るよりも明らかですから,それを引き剥がして,内閣府なりあるいは国会に附属して,内側をインタレストグループという異質なものが,後ろに背負うものを持った人たちが議論を闘わす場という,そういう内側のデザインすることで,ムラ社会の人たちがようやくユニバーサルなパブリックに近いものをデザインできるのではないかと私はイメージしているのです。ですから,原子力が逆に今度は通産省が原子力反対プロフィットセクターになって,それはそれでも困るわけです。ですから,ナショナルなレベルにおいてはそういう官に公を乗っ取らせない。そのためにムラ人であるわれわれは何ができるかという,そういう意味でデザインをしていく必要があるのではないか。そう思っています。


【小沢】
 そこの異端のムラ人は,どういう出自なのですか。


【飯田(哲)】
 それは,先ほどいろいろ出ているインタレストグループと呼ばれるある種の価値を共有しているグループであり,そこの中でやはり中央政府レベルのルールをつくるのであれば,ある種のフィルターがかかった専門性を持っている人たちが所属するべきだろうと。


【小沢】
 すみません。言葉に惑わされてしまうのですけれども,フィルターのかかった専門家というのは何ですか。


【飯田(哲)】
 具体的には私が挙げたのは,与党と野党,国会に議席を持つ政党の代表,野党は一人ずつで,与党は二人とか,ここにも挙げていますが,この中で自治体を私は抜かしていましたけれども,それからエネルギー事業者の代表,とりあえず電気事業者とか,これは直接利害を持っているわけですから,参加する資格はあると思っています。逆にエネルギーの消費者とか,あるいはIPPとして今度参入するような,ポテンシャルIPPのようなところの人たち,その人たちの内がわもまた民主的に開かれた形で組織されている必要があると思うのですけれども。それから一般消費者の代表できちんとエネルギー問題でいろいろなオピニオンを発言している人。それから労働組合でエネルギー問題をきちんと専門的にやってきた人。それから環境NGOは当然入ってくる。他にも地域,先ほどの地方自治体をどう入れていくか,あるいは地方レベルでも同じようなステークホルダー・モデルをつくっていくとか,それはあると思いますけれども。


【小沢】
 第一当事者とか第二当事者とか,先ほどのとは違う。


【飯田(哲)】
 あれは第三者レビューの話ですから。私は中央政府レベルで戦略や方向性,ルールをつくるときには,当事者(ステークスホルダー)が議論すべきです。逆に日本の場合は表面上の秩序を,ムラ社会だからわりと穏当に済ませようとするあまり,当事者を入れないという文化があります。それで何となく有識者に任せてしまうのですが,それは私はほとんどアニミズムのシャーマンだと思っているのです。そうではなくて,当事者がとことん議論を尽くす文化は,そろそろ,少なくとも中央政府レベルではできている。


【石川】
 ちょっと私も確認のために質問をさせていただきたいことがあるのですが,よろしいでしょうか。非常におもしろい議論を伺ったと思うのですけれども,例えば今のシステムでも,要は官が公を凌いでいるかのような状態が改まればよいわけですね。そうなると,今国会で議論されているのは,たしかもう国会で官僚が答弁するのを無くすということになってきていますね,ああいった状態が進むと,官が公を凌ぐ状態は失われてくる訳です。今ここでは今日の状態で論じているけれども,その点はどのように考えておられるでしょう。例えば,行政改革がスムーズにいって,官が公を凌ぐような状態がなくなっていけば,特に今のお話のようなややこしいことは,新しいシステムをつくるかつくらないかは別にしなくても,よろしいわけですね。


【飯田(哲)】
 それは先ほど私が申し上げたように,今の代議制システムはあくまでも中心だけれども,それはある種の古いシステムなのです。リスクを分け合うというか,逆に奪い合うというか,リスクの定義もそうなのですが,とにかく新しい政治サブシステムが必要であることはたしかなのです。


【石川】
 どうしても新しいものをつくらないといけない?勘弁できない?


【飯田(哲)】
 それは申し上げたように,ダイオキシンの問題にしても原子力もそうですけれども,新しい巨大テクノロジーとかケミカルのいろいろな問題が,従来の政治システムの中では決めるにはきちんと利害代表を反映する仕組みにはなっていない。


【石川】
 その意味では私は原子力の専門家ですから,吉岡さんから言わせると「出て行け」のくちなのですけれども,原子力が他の社会現象の是正のための起爆剤に使われるのは,迷惑なのですよ。原子力は特別扱いされたくないと思っているのです。確かに原子力は非常に巨大であるし,たしかにいろいろな問題を提起してきましたけれども,皆さん方のおっしゃっておられる「原子力だけ特別にするんじゃないよ」というのは,私は大賛成なのです。


【中島】
 たくさん議論が出てきましたが,はい,山地さん。


【山地】
 これも新しくなくて,また繰り返しになるのですが,先ほど来の議論で,官・公とか言っていますけれども,どうもそれは最後のステークホルダーの議論のところなのです。私はその前の議論,先ほども申し上げたけれども,専門家が複数のオプションを評価つけて出す,それが本当にできているかということが問題だと思っています。私がこの発言をしようと思ったきっかけは先ほどの近藤先生と吉岡さんの話の中で,近藤先生がFBR懇談会の中でそういうオプションの議論ができるではないかとおっしゃったことです。あの懇談会はそういう複数のオプションを評価するというミッションを明確に持った委員会だったのでしょうか。メンバーはそういう構成で選ばれていますか。やはり必ずしもそうではない。そのあたりが曖昧だったのではないかと思うのです。ステークホルダーも入っていて,そこで何か1本まとめて上に上げて,上でオーソライズしようと,そういう図式しか見えてこなかったわけです。そうではなくて,やはり専門家の役割というのをもっと重視しないかぎり,いきなり官だ公だという議論をしても,それは絶対に決着はつかないと思います。
 先ほど,例えば通産省は原子力推進するだろうから通産省に総合エネルギー政策をまかしたら心配だという話がありましたが,私は非常に乱暴な言い方だと思うのです。私自身は近藤先生とむしろ同じで,個人的に話しますと,一般的には通産省は今原子力に非常に冷たいですよ。私のほうがずっと心配していると思っているのですけれども(笑)。
 本当はそういうことですよ。ですから,問題になるのは,専門家がちゃんと機能を果たすような,組織設計がまだないということです。それまず行う。そしてその後に運用の問題があるのです。運用の問題のところで透明性とか公平性とかの議論をしなければいけないけれども,まずは専門のところで詰めて,それからたぶんステークホルダーが入ってくるところが議論されるべきで,私はその前段ができていないと思うのです。


【中島】
 いや,懇談会という名前からして日本的ですよ。懇談していればいいわけですから。ですから,必ずしも,権限は明確ではないのです。そういうのが懇談会であったり,部会であったりというような形でやってきたのが日本の行政なわけです。原子力でもそういうことがそのまま使われてきて,最近進歩したのは,多少部会の議論が公開されるようになって,普通の人の目に触れるようになったということだと私は思っているのです。ですから,そういう意味で,われわれはこれから提言をするのに皆さんに意見を一生懸命聞いているのが今日なのですけれども,大変難しいですね。


【小沢】
 近藤さん,そこのところで,日本の社会は民主的なシステムと優秀な官僚のテクノクラートが手を携えてというか,それでやっていくのが一番よいというようなことをおっしゃったのですけれども,それは本当はその優秀なテクノクラートと民主主義的システムというのは矛盾するとお考えなのですか。何とか両々相まってやっていく方向に行ってほしいという意味で先ほどおっしゃったのでしょうか。


【近藤】
 何回か申し上げたと思いますが,民主政治の手続きの枠の中では,4年に1度選挙で人が替わるという仕組みと,それは非常に大事なことなのですけれども,それと同時に専門性,テクノクラートという言葉は,官という言葉を使うかどうかしらないけれども,一言で言えば専門性だと思うのです。さまざまな専門的能力を有する者がまずは知恵を出すのでしょうと。ポリシー・クエスチョンに対しては,ポリシーは国会が決めるにしても,それを実体化,計画として落として転がしていくのは専門的な技術が必要でしょうと。それはテクノクラートと言うのです。
 ですからおよそローマの時代以来,その2つは,必ずある種の決定者とテクノクラートというのは必ずあったと思うのです。王様がなくなって,民主制議会がその王様の替わりをしていると,私は理解しているのです。その意味で,必ず必要だと思うのです。そういう意味で必要だと言っているのです。


【小沢】
 この「優秀なテクノクラート」という時に「官僚の」というようにつけたのは,私の間違いでしょうか。


【近藤】
 いや、実態として,官僚がそうです。問題は官僚が公を乗っ取る,仕切ることです。今は公どころでなく「政」を乗っ取っていると,だから国会から官僚を追放しろという発言が盛んなわけだけど,私からすれば,「政」の責任としてポリシー決定や行政統制のきちんとした役割を果たしてほしい。国会から官僚を追い出すかどうかではなく,飯田さんの言うように,第二議会というか,そういう格好で専門的な領域ごとに,もう少し別のメンバーを増やした,もちろん国会には公聴会とかさまざまな方法論はたくさんあるのですから,そういう格好でもよいと思うけれども,それをつかってね。
 もちろん,国会は専門的なところに踏み込んで議論をしたほうがよいと,そちらに期待する向きと,そうではなくて,専門性は官僚が高いのだから,むしろ官僚の決定プロセスをきちんと議会が統制をする,政策を決定する用意するプロセスにおいてもっと国民の意見を聞きなさいよと,ステークホルダーの意見を聞きなさいよと指導する方式で,テクノクラートがそういうプロセスの専門家としても頑張ってくれとするのがあると思いますが,いずれにしても,私は官僚とそういう議会の活動とがなければいけないということしか申し上げていないわけです。
 他に選択肢があればよいのですが,私はそういう2つの機能の混合システムでしかこの社会は運営できないのではないかと思っています。


【中島】
 どうぞ,碧海さん。


【碧海】
 先ほどから「もう発言したくない」というのが本音です。つまり,何べんも言いますが,要するに「議論にならないな」という非常にあきらめの気持ちが1つあるのです。と言うのは,先ほどから出てる,例えば「専門家」というのは,いったいだれをもって「専門家」というのかというのが1つすごく疑問です。
 今産業界は,少なくとも企業は,専門家だけで物をつくって開発して売ろうと思っても売れないということは非常によくわかっていて,買ってくれる人たちをどれだけ理解するか,把握するかということに必死になっているわけです。そういう意味で言うならば,私は原子力とかエネルギーの問題というのは,まだまだそういう意味での危機意識というか,これがないのではないかという気がちょっとしているのです。
 ここにも何人かご存じの方がいらっしゃいますが,昨年ある団体が全国の有識者を対象にした原子力に関する調査というのを行いました。その時に,回答の中で女性が占める比率というのが,実は3%程度だったのです。私はその時に,有識者の調査ということで,その結果を新聞に発表する時にも「有識者というものが,実はどういう対象なのかという解説をきっちり付けて出してくれ。それに対して新聞社がどういうふうに解説をするかは別として,とにかくそれをやってほしい」ということを,その時注文で出したのですが,その後新聞の発表を見ると,どの新聞も「有識者調査が行われた」という記事であるだけで,その「有識者」というのがいったいどういう構造なのかということについては,結局解説が全然ないわけです。  先ほどから「国民的総意」とか「国民の意見を聞いて」とかということが言葉としてはいくらも出ていますが,私は最初に申し上げた,なぜもっと女性がいないのかということは,そのことに関連して申し上げているわけです。つまり,国民の総意を本当に聞くつもりならば,もっと本気になって方法を考えてほしいと。そうでなければ,それこそ巻町の住民投票のような結果が現れるのは当然だ。例えば原子力の立地に対してどれだけお金が使われようと,それがそこに住んでいる女性たちが納得するような形でそれが活かされていなければ,女性たちにとっては何のありがたみもないわけです。  ですから,そういうことを本当にどうしてもうちょっと本気で考えられないのか,日本の女性が参加していない形というのがいかに変則的なものかということを,どうしてもっとわかってもらえないのかというのが,私がひとえに言いたいことなのです。  ですから,ここで茅先生がおっしゃるような整理の仕方で議論が進む限りは,たしかに私たちの発言する場はないという気がするのです。


【茅】
 今の点だけ少し私のほうから説明させていただきますと,最初にもご説明申し上げたのですが,原子力の問題をどういう切り口で議論をするかということで,最初ずい分議論をして考えたわけです。そして1回目,2回目は,原子力というものをもう少し広く捉えて,必要か必要でないかという問題を含めて議論をしようということで,女性の方も何人かご参加いただいています。もっとも半数同士とはなっていませんけれども。ただ正直言いますと,そういう議論だけだと結局前回の円卓会議とまったく同じになってしまうものですから,やはりある程度議論を集約して,できれば何かの形で提言につなげたいということをわれわれは考えました。そこである程度議論を振り分けたわけです。そして今回は運営体制ということになったのですが,これはたしかに吉岡さんが言われたように,吉岡さんの第1回の時の問題提起にわれわれが答えたという意味でもあるのですが,その段階になると,正直言うと一般の方々は多少ご存じないのはどうしてもあるのです。したがいまして,どうしてもある程度知った方ということになると,男性が多くならざるを得なかった。
 私も工学部の人間ですので,工学部にもっと女性が来てくれないかといつも思っているのですけれども,今でも女性の方になかなか来ていただけない。ですからこれは社会がそういう方向に人間が少ないという問題なので,これは議論を絞ろうとするとどうしても仕方がないので,おっしゃることは大変よくわかるのですが,今回はそういう事情で少なかったということだけはご了解いただきたいのです。


【碧海】
 それで,今日の議論に対して全然意見を言わないのは,これは木元さんに呼ばれて申しわけないと思うので,官僚ということがしきりと先ほどから出ていますが,私は今まで原子力にかかわらずいろいろな分野のお役所と関わってきて,一番不満に思っていることは「担当者がなぜどんどん替わってしまうだ」ということなのです。つまり,スペシャリストがいない。意思決定にかかわるようなところのスペシャリストが非常に少なくて,結局原子力にしてもエネルギーにしても,私が関わった名刺交換する方は,2年経てばもういなくなってしまう。しょっちゅうそれが行われているという状況なので,先ほどから官の話が出ていますが,本当に官に頼れるのかという実感も非常にあります。
 かと言って政治家は,ではエネルギー問題や原子力に関してちゃんと意見を言っているか,これは全然言っていないじゃないかというのもあります。私は最高裁の裁判官については,新聞に出ている情報を基にしてはっきりバツをつけるものはバツをつけていますが,例えばエネルギー問題に関して,やはり政治家に投票する時に,私は一度も棄権したことはありませんから,政治家に投票する時に,しっかりその情報を出してほしいと思っています。


【中島】
 よろしいですか。それでは,特別にオブザーバーの発言を認めますので,どうぞ。


【木元(原子力委員会委員)】
 今日は本当にしっかり私も聞いていましたが,いや,いつもちゃんと聞いていますけれども,今日が最も頭を使ったような気がするのです。
 というのは,総合エネルギー委員会という言葉が出てくるのですけれども,それぞれがイメージしているもの,あるいはその中身が少しずつ違うのです。
 例えば飯田哲也さんがおっしゃる委員会が「異質のものを背負った人が,ユニバーサルなストラテジーとルールをつくる」と。つくったとしますね。そうするとそれを構成している人というのは具体的にどういう人か,また,その人たちがつくったものは,国会にどう反映させるのか。国会との力関係はどうなっているのか。これは国会が上ですよね。そうすると,今までやってきたこととどういう違いが出てくるのか。今までも,審議会,委員会その他たくさんありますね。個別具体的な政策決定のプロセスで,これに似たものもかなりあると思います。おっしゃっている委員会が国会にどう反映できるのかがよくわからない。  それからもう1つ,他の方のご発言の中で,例えば「総合エネルギー委員会があるとしても,エネルギーの選択は市場に任せてみようではないか。こういう委員会でこういうメンバーで構成されているから,選択は市場に任せようではないか」と。今度は市場に渡すわけですよね。そうすると市場というのは,本当に普通の素人です。
 先ほどから素人と専門家の線引きをどうするかとかという議論もあるけれども,皆本当は普通の人で,普通の生活をしている。それぞれの社会的立場で違うだけのこと。だけど,こういうところに出てくると,何か背負って出てきて,専門家風に言っているわけです。でも家に帰れば「母ちゃん,ご飯」という立場でしょう。そういう普通の人がこういうところにくると,格好をつけて理屈を言っているような気がしてならないのです。ですから,最初に碧海さんがおっしゃった,耳に聞こえない部分も私にもあるかもしれないけれども。
 原子力はよいにつけ悪いにつけ,現在あるのです。あるところから話が始まってしまっているけれども,さっき飯田浩史さんがおっしゃったように,例えばいろいろなものがなくなってしまった終戦直後ぐらいの生活のお話がある。そういう状況まで陥るかもしれないということは,観念的に,本当にお話としてには言うのだけれども,実生活の場で本当に普通の人たちがどれだけ自分たちの暮らしのあり方を認識し,どういうエネルギーを選択するかということは,全然見えていない。これからどういうエネルギーを選択するかを,いきなり市場に任せのるか。そうではないと思う。やはりまず最初は自分たちはどういう暮らしをしたいのかという討議があって,次に「ああそうか。私たちはこのレベルの暮らしをしたいのか。じゃあエネルギーの選択肢としてこういうものがあるよ」,そういう段階を踏んで,選択肢の提示を委員会が出していくものだろうと思うのです。  私は原子力委員会にいますけれども,私個人の発言で言わせていただくと,その機能であるならば,エネ庁の総合エネルギー調査会もありますし原子力委員会もあります。ちょっと構成の成り立ちは違いますが,そういうところで論議した場合とどう違うのかという疑問が出てくるのです。
 今回の私の結論は,皆さんのアイデアを絵に書いてほしいのです。本当はここに大きい黒板があれば,ここに政府があり,内閣があり,内閣府があり,ここに原子力委員会がある,この部分はエネ庁にもってくる,いや科技庁という議論もある。そういう絵が画けます。そういうことの中で,ビジュアルにものが見えてくるといいなと思うのですが。もう今日は5回目で,最終回。まにあわないのです。でも,私としては,疑問として,まだ自分の中に絵が画けないでいるのです。ですから,根元的なことからやはりやっていって,きちんとしたものをもう1度ぐらいやらなければならない、という気がしているのです。絵に書いて。そうでなければ見えない。報告も出せない。そんな気がしてならないのです。


【小沢】
 提言と報告を出そうとするからいけないのよ。


【木元】
 出さなきゃいいの?


【小沢】
 出ないのにムリすることはない(笑)。


【木元】
 では,もういろいろな論議を書いておくだけで終わってしまうということですか。

【小沢】
 全国民的規模とは何か,とか。


【木元】
 合意をはかるというどういうことか,とか。


【小沢】
 真の民主主義とは何か,とか。透明化とは何か,とか。


【木元】
 それぞれイメージしていることが違うのです。


【小沢】
 もういやになってしまった。ずっと5回,それだもの(笑)。


【中島】
 もう少しリアルに見れば,今までの議論で非常に貴重な意見はありますよ。


【小沢】
 専門家から見ればね。


【中島】
 いや,専門家ではありませんよ。


【近藤】
 私は小沢さんの期待にこたえたいと思うのだけれども,小沢さんが何を期待しているかがわからないから,申しわけない(笑)。
【小沢】
 いや,私は皆さんが何を考えて,どんな立派な考えをお持ちなのかを,興味津々で見てきました。立派な方が集まっているのだろうと思って,でもやはり碧海さんに皆吹き飛ばされてしまうでしょうね。困ったものだ。


【中島】
 吉岡さん。


【吉岡】
 今の木元さんの発言を受けたいのですけれども,組織図を絵に書かないといけない。それは当然のことであって,組織図を絵に書くために新たな懇談会を設置しようと私は提案をしているわけです。それの提言はできないのだろうかと。
 つまり,経済産業省に新しい委員会を置くのがよいのか,内閣府に置くのがよいのか,私の案では明言はしていません。両案がありますということを書いているだけで,断定はしていないので,まさに近藤さんが言う総合評価を行ったうえで決定をするような懇談会ができればよいというような,そのぐらいの提言はできないのだろうかということを感じています。
 それと,女性の話ですけれども,私個人の話ですけれども,私は家事は何でもできます。実際やっていますし(笑)。これからの時代はそういうふうになるはずです。脱原発運動の中では,女性がマジョリティだという印象を私は持っています。


【木元】
 私も持っています。


【吉岡】
 変わりつつあります。これは,どんどん変わります。


【木元】
 それと1つだけ付け加えさせて下さい。碧海さんがおっしゃった「女性が少ない」というのは,私はちょっとそこの視点が違うのですが。何かこういう場に,こういう発言をして下さる方を選びたいといったときに,例えば肩書きであるとか,どういうものを専門職としているかとか,例えばエネルギーに関係してこういう勉強をしている方であるとか,あるいはそういう企業にいる,大学にいるとか,そういう肩書きというか背負ったものから選んでいくと,結果として男性が多くなってしまうのです。ですから,結果として女性がいないということで,やはり選ぶ基準を,先ほどから何度か出ているような素人,普通の人ということで,その人のバックグラウンドを,固定化された一定の枠の中で評価しないで選ぶと,結果として意外に女性が多くなるかもしれない。
 私が自分でそう思うのは,原子力委員会の中で私は一匹狼だと思っています。というのはどこにも所属していません。それから学者でもないし,エネルギーを専門とする学部で学んでもいない。そういう範疇で言うと,私は非専門家なのです。非専門家で民間から来て,しかも女だと。これが私のバックグラウンドにあるだけのことなのです。でもこれは,いわゆる国会の承認人事ですから,総理大臣が任命したということなのですが,そうなると私をだれが選んだかということになるのです。だれが選んだのですか。ですから,何かやはり,それは官のほうが動いてお選びいただいたと思うのだけれども,国会に何回もいろいろな方を出したけれども国会がウンと言わない,それで民間の私に来たという話も聞きましたから,国会,つまり国民の代表に選ばれた。やはり官は少しずつ変化し,動いているのだろうと思うのです。


【中島】
 近藤さんどうぞ。
【近藤】
 私は小沢さんの言うように「もうお前たちは,皆ぶっ飛ばされたから帰れ」と言われたら,帰るしかないのですけれども(笑)。


【小沢】
 そんなことは申しません。


【近藤】
 今ほとんどの時間を費やして議論したのは,まさしくそこであったと私は思っているのです。つまり,政策が決定されるプロセスにおいて,いかにして国民の声を聞くかというプロセスの設計論を,運用論を議論したと思うのです。そこで女性のパーセンテージが多い少ないというのは,それを今変えろと言ったって,今の社会の断面で,それは歴史的な産物でしかないわけで,だからこれからその方向を変えるというところはいくらでも提案できると思うのだけれども,私など「東京大学では男女の比率を決めて入試をせよ」などということも言っているのだけれども。
 で、女性問題はちょっと置いておいて,しかし今日議論をしてみて,問題はどうもこういうプロセスでアクセスしても,国民の意見を聞くというプロセスをとってみても,どうも職業的なところにしかつながっていないと,もっと本来の意味の消費者の声が聞けるような仕組みにしなければいけないという問題提起だとすれば,私はそれはまったく賛成です。それは工夫しなければいけないと思います。それはぜひもっと。そういう人々のグループもあるわけですね。


【小沢】
 私は女というには全然こだわらないですけれども。


【近藤】
 私もこだわらないほうなのだけれども。ですからそういうのは,NPO法案も通ったわけだから,そういう人にもがんばってやっていただくしかないわけで,「俺のところに来ないからけしからん」と言われても困る面もあるのだけれども,しかし十分広い人々の意見を聞いているかとなると不十分である実態もあるし,そういう人の声も聞かなければならないこともまた明らかなのだから,官は霞ヶ関にふんぞり返っていなくて,もっと出ていって話を聞けと言うならば,それは同意しますけれども。
 だけれども,ここにいるお前たちはアウト・オブ・スコープだ,帰れと言われたら,ちょっと話にならないと思うのです。


【小沢】
 そんなことはいいません。


【碧海】
 でも,学者の世界でも,社会学者とか心理学者の分野でしたら,女性はたくさんいますよ。それは例えば学者であったって,もちろん女性でこの席に出られる専門家とおっしゃる方はいくらもいると思いますし,生活者は専門家ではないとは私は思いません。つまり,ある部分については専門家はけっこうたくさんいますので。そういう意味では,もうその議論は蒸し返す気はありませんが,やはりもう少し違ったメガネをかけてほしいということを言いたいだけです。


【木元】
 今の関連で一言いいですか。


【中島】
 実は今日申し上げるべきだったのですが,前回は体制問題を議論するということになりましたから,ここにおられる石川モデレーターから現在はこんなふうになっていますよということをあらかじめご説明したのです。それから議論を始めたたのです。今日は2回目ですから,お出でになった方は大体知っているだろうということで,特にそれはやらなかった。


【碧海】
 それは読んでいます。


【中島】
 そうですか。


【木元】
 わかったうえです。ですから,専門家ではない,例えば素人で,出席して委員会に出ますね。委員会に出た時に,いわゆるここの事務局でもどこでもいいですが,委員会内部の人の認識の専門家とは違う。そうすると例えば私の例で言えば,私は原子力基本法を一から十まで知っているわけではない。それで何か発言した時に「あなたはそう言うけれど,それは何項,何条に書いてあることか」などと言われると,答えられないわけです。つまり,そういうような形で見られてしまうのが今の委員会その他だろうと思うのです。ですから,そうではなくて,もっと幅広い議論をするためには度量を広げた組織にもっていかないと,新しい委員会なら委員会でそういう度量を持っていないとできないだろうということを,あえて申し上げたい。


【石川】
 簡単に述べます。碧海さんのお話は,われわれこの会議の中で今までちょっと気がつかなかった視点だと思うのです。次回,来年も円卓会議を続けるとすれば,私は碧海さんの提言を何とか実現したいと思っています。後はモデレーターの皆さんと議論をしてからのことになりますが,そういう感想を申し上げたいと思います。


【中島】
 予定の時間がきてしまいました。これでモデレーターがなるべく早い機会にモデレーター会議を開いて,はたして提言がまとめられるかどうか議論をしなければなりません。2度ほどやるつもりでいますので。議論がまとるのではないかということで,2回集中したのですが,存外難しいというのが今日の感想です。しかしこの他にも,例えば地方の電源特会のあり方とか,そういうことについてはある程度わりにまとまった議論もあります。それから情報公開のあり方については第1回にかなり集中して議論もしましたので,そういうようなことは,提言として「こういう点は改善すべきではないか」という程度のことは言えるのではないか。ただ今日の議論は最後のところで皆さんが違ってしまっているものですから,これは相当苦心をしなければなるまいと,私は議長としてはそう思いますが,これはモデレーター会議のほうにお任せ願うより仕方がないということでご了解いただきたいと思います。
 どうも今日はありがとうございました。これで一応今回の第5回は終わるということにさせていただきます。


【事務局】
 それでは本日の円卓会議は,この辺で終了させていただきたいと思います。
 円卓の先生方におかれましては,長時間のご議論,大変ありがとうございました。また,傍聴の皆様方におかれましても,長時間ご静聴いただきまして,大変ありがとうございました。事務局より御礼を申し上げます。

−−終了−−

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