第5回原子力政策円卓会議 議事速報
1.開催日時
1999年1月21日(木) 13:30〜17:00
2.開催場所
横浜アリーナ センテニアルホール(横浜市港北区新横浜3-10)
3.議題
「原子力の運営体制のあり方について(2)」
4.出席者(敬称略)
モデレーター
石川 迪夫 | 原子力発電技術機構特別顧問
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小沢 遼子 | 社会評論家
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茅 陽一 | 慶應義塾大学教授
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中島 篤之助 | 元中央大学教授
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オブザーバー
招へい者
碧海 酉癸 | 消費生活アドバイザー
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飯田 哲也 | (株)日本総合研究所 技術情報部 主任研究員
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| 市民フォーラム2001 運営委員
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| 自然エネルギー推進市民フォーラム 理事
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飯田 浩史 | 産経新聞社 論説委員長代行
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近藤 駿介 | 東京大学教授(大学院工学系研究科 システム量子工学専攻)
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山地 憲治 | 東京大学教授(大学院工学系研究科 電気工学専攻)
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吉岡 斉 | 九州大学大学院教授(比較社会文化研究科)
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5.議事の概要
- 茅モデレータより円卓会議の今後のとりまとめ方について説明
- 今回の円卓会議司会:中島、副司会:茅
- 招へい者から6人が約10分間のプレゼンテーションを行った後に、自由討論
6.発言要旨
○司会より、スケジュールの確認、今回の円卓会議のテーマの紹介
○招へい者からのプレゼンテーション
碧海
- 原子力に関する情報公開、広報の必要性は以前から言われてきた。しかしながら、それは上から下へ情報を流せばよいというのではなく、市民、行政両者の対等な会話を行っていくことが必要である。
- これまでの円卓会議を見ると、女性の出席者が少なすぎるのが問題である。対話を重視する観点から、より多くの女性が参加する円卓会議とすべきである。
飯田 哲也
- 日本はムラ社会であるが、その弊害を認識して、見直そうとすることが重要である。
- 日本では「官」と「公」とが同じ意味になっており、「官」が「私」になる場合もあり、このことが「原子力ムラ」を閉鎖的なものにしている。
- 日本では「タテマエ」と「本音」、即ちダブルスタンダードが固定化している。このことが電力コスト、原子力の立地問題について顕著である。
- 日本には「見えるもの」が過剰に重視される一方、「見えないもの」が軽視される、いわば物神信仰がある。このことが特に原子力の事故という危機へのリアリティを欠いている背景となっている。
- 原子力ムラの原子力推進を揚げる「ムラの神話」に反論が難しい状況がある。
- 日本の社会の中で、支配的な操作意識、愚民意識に代表される「トップダウン社会観」と、近年の市民派に代表される「ボトムアップ社会観」という2つの社会観がある。これら2つの社会観をすり合わせる努力が希薄である。
飯田 浩史
- 平成8年に円卓会議が始まったときは、原子力の賛成派と反対派が一堂に会することは非常に意義深いと思い、大きな期待を寄せていた。しかし、会議の回を重ねるに従い、新聞も取り上げなくなったのはエネルギー社会にとって不幸である。
- 情報公開こそ最も重要なものであるといっても、原子力に関しては、事故などのリスク情報のみがマスコミに取り上げられ、ポジティブな情報は取り上げられない。情報の受け手が備えるべき節度の重要性も訴えたい。
- 我が国で起きた原子力事故はIAEAの分類で0〜3で、約1,000人が犠牲となっている航空機事故と比べて本当に危険なのか。「もし、原子力事故が起きたら」という仮定の議論は疑問である。
- 全原発に地元自治体の職員を24時間派遣し、事故の監視と自治体との連絡、通報を行わせ、将来は幹部に登用させるべきである。
- 電力生産地、電力消費地の問題に対しては、1:2程度の電力料金格差を設けるべきである。
近藤
- 民主主義とテクノクラートの混合システムで今の日本のシステムが運営されている。
- 現在の原子力の運営体制は日本のこれからの成熟社会への過渡期で、あるべき運営方法を見出すことに苦しんでいるのではないか。
- 「委員会」という形態は、専門的なものを扱い、かつ長期間にわたる検討を行う観点から採用されているが、国民に対してより説明責任を果たせる体制にすべきである。
- 現在、規制緩和が進んでいるが、それが公的関与の縮小を意味するのであれば、これからのエネルギー行政がどうあるべきかという位置づけ、分担についても議論されるべきである。
山地
- 運営体制として、「組織設計」と「運営」の両面を考えるべきである。
- 原子力の運営体制について市場に任せるべき部分と公共的な部分がある。具体的には、原子力発電と使用済み燃料貯蔵は民間にまかせるべきである。一方、プルトニウム利用は現時点では市場性がないが、公共的には必要である。
- 公共部門に任せる部分としては(1)環境・安全性の確保、(2)長期的な主要エネルギーとしての開発、(3)平和利用への限定・核不拡散の推進がある。(1)、(2)は別々の組織で担当すべきであり、(3)については平和利用の番人としての役割とともに、世界の核不拡散・核軍縮に積極的に貢献していくことが必要である。(1)については、ゼロリスクは人間社会には有り得ないという認識を前提にすることが必要である。
- 運用については、専門家が採用可能な選択肢を複数用意して、議論を透明にして、ステークホルダー(利害関係者)の間で政治的な決着をつけることが現実的だ。これが代議制民主主義の基本である。
吉岡
- 円卓会議では、できるだけ多くの提言を行うことが必要である。
- 円卓会議は原子力政策改革のアジェンダ発掘・開発機能を担うものとして、維持されることが望ましい。
- 原子力開発利用路線のあり方について、本格的に検討する全国民的議論の場を設ける必要がある。
- 中央政府の原子力政策システムを抜本的に見直すための懇談会を設置すべき。
- 原子力委員会を総合エネルギー委員会(仮称)に発展的に改組し、原子力をエネルギーの一つとして取り扱うべき。
- 原子力開発利用長期計画の役割と内容について第三者評価を行うべき。
- エネルギー政策及び原子力政策に関する政策研究を振興すべき。
○自由討議
以降の自由討議での発言については以下の枠組みで整理した。この枠組みは、一昨年度行われた原子力政策円卓会議での経緯も踏まえて、我が国における原子力政策のあり方に関する議論について、その共通の土俵とするために設定したものである。
議論1:エネルギーの中の原子力のあり方に関する議論
我が国としての原子力の選択に関する基本的なテーマである。ここでの議論は主として、社会経済要因と安全要因に関するものとなる。これらを通じて一義的には国としての方向性を考えることになる。
議論2:運営システム/情報開示に関する議論
具体的な原子力開発・利用にあたっての運営と国民的コンセンサスを得るための手続き(情報開示等)に関するテーマである。情報開示の内容については、安全性に関するものが主であり、これに運営システムについての内容が含まれる。
議論3:立地のあり方に関する議論
原子力施設の立地に関する経済的利益と安心感を含む住民感情等、地域住民の選択のプロセスに関するものである。
議論2:運営システム/情報開示に関する議論
運営システム・制度の運用
●各主体の果たす役割
- 原子力発電所の立地に当たっての許認可に知事と市町村長の同意を義務付けるべき。また、立地については、申請者と自治体のみの問題であり、国は関与すべきでない。
- 戦略とルールの中で市場を運営して行くべき。現状は、国家レベルで「官」が「公」を乗っ取っていることが問題。「官」は過去を絶えず正当化し、表面的な秩序を重視する傾向がある。日本的な「ムラ社会」には良い面もあるものの弊害もある。「公」の側面を重視すべきではないか?
- 民主政治の枠では4年に一度人が入れ替わる。専門性を有するものがまず知恵を出す必要がある。これがテクノクラートで現在官僚がその役割を果たしており政策の決定過程の国民の意見を聞くシステムを導入することが必要である。
●政策決定のプロセス
- 原子力について全国民的な議論の必要性の提案があったが、全国的に議論をしてもまとまらないし、まとまれば大政翼賛会になる。原子力政策の決定を国民に委ねる様な意見もあるが、国民は新聞等マスメディアに影響を受けやすく、新聞が必ずしも正しいとは限らない。
- もんじゅの事故後、国民的合意形成を図れという三県知事の提言があったが、プルサーマルや原発の増設については十分な議論なく決められた。裁判形式で全てのオプションを国民的に論ずることが必要である。
- 国民的会議は第二の議会を作れと聞こえる。国会が国民を代表しており、原子力政策の意思決定を全て国民に直接委ねるという意見には反対である。原子力政策の決定プロセスを透明化し、説明責任を果たして民主主義を一歩一歩進めて行くべきではないか。
- 専門家が複数のオプションを評価し政策を決めて行くべきであるが、現実にはステークホルダーとしての地元自治体が大きな権限を持っている。
- スウェーデン、オランダ、デンマークは、原子力についての議論から意識の亀裂を埋めるための新しい仕組みを作ってきた。現状の原子力立地では、国策としての原子力に反対でも言えない状況になっている。
- 専門家がいないと議論はできない。しかし、事業者、行政、学識者等の利害関係者が原子力政策の議論に参加すると、推進が議論の前提となる。利害関係者以外で、原子力についてよく勉強している人が議論に参加すればいい。
- 政治を補完するサブシステムは多様であるべき。住民投票やデンマークで行われているコンセンサス会議といったものを実施すべき。
- 原発20基の増設、MOX推進などの計画は一旦止まってその評価を国民的に議論すべき。
- 日本では、問題が生じても「なし崩し的に元に戻る」という現象が起こる。過去を風化させないための方法を考えるべき。
- 長期計画、電源開発長期計画エネルギー需給見通しなどの政府計画の中から民間事業や商業化プロジェクトを除外すべきではないか。「公共利益に沿った電力供給」と言う場合の「公共利益」とは何なのか。選択肢を挙げて評価を行い科学的な論理で政策決定を行うべきである。
- 専門家の役割をまず重視した上で議論しなくてはならない。そしてその次にステークホルダーが入るべきであるが、前段がまずできていない。
- 民主政治の枠の中で選挙で変わる人と長期的に検討する専門性を持った人の組合せはローマ時代からあった。官僚が政を乗っ取っているのは問題だが、官僚が政策決定プロセスを公開し、国民の意見を聞きながら進めるという方法が最良のシステムではないか。
- 政策を決定するに当たっていかに国民の意見を聞くに当たっての仕組みを議論してきた。問題は、職業的な所からしか聞けていない点で、消費者の声が聞ける仕組みの工夫をしなくてはならない。
●体制
- エネルギー選択を市場に任せる議論と、「総合エネルギー委員会」の設置議論は相反する。環境とセキュリティの問題は、長期的なものであり市場のみに任せるのは不安であり、公的関与が必要。また「国の計画」についても各種あり、意味を明確にする必要がある。委員会は時の内閣から独立するとの趣旨で設置されている。
- 原子力に関わる主体として、「民間」、「公的機関(行政庁および委員会)」があり、いずれの役割も存在する。「総合エネルギー委員会」を内閣府に置くという意見があるが、経済産業省だけで十分に対応できるのではないか。
- 昭和30年代から、原子力委員会、原子力安全委員会はその時期に応じて一定の役割を果たしてきた。内閣府に両委員会が移ることになるが、安全委員会は独立させた方が良いと考える。
- 通産省は原子力を推進する立場の省であり、所管の委員会を新たに設けたとしても「推進」という結論を出すことは明らかであり、有効なカウンターバランスを働かせるため「総合エネルギー委員会」は通産省から離し内閣府に置くべき。
- 現状のシステムを壊して、新たなシステムを構築すれば、状況が改善されるという考えには疑問である。
- 「総合エネルギー委員会」については、それそれの人のイメージが少しずつ違う。今までとどう違うのか。また「総合エネルギー委員会」と国会との関係はどうなのか。意見をどう反映させるのか。エネルギー全体を素人である市場に任せるのか。まず、このような暮らしをしたいということを提示する必要があるのではないか。
●その他
- 前回までの議論の感想として、違う立場からしかものが言えないという印象。原子力は、発電分野とともに、食品照射や放射線医療等に使われているが、生活の中でのエネルギーとして幅広い原子力利用について国民に関心を持ってもらうべき。
- どうして役所の担当者が2年位で変わり専門家がいないのかが不満。本当に官に頼れるのか。
円卓会議の運営について
- 現在の様な円卓会議の議論では、国民的な議論の起爆剤になっているのか。「素人」にとっては、ここでの議論は特殊で分からない。参加者が自分の意見を主張しお互いに綱を引き合っている印象がある。
- 円卓会議のモデレーターは、全くの「素人」ではダメであり、「専門家」のみに偏ることも望ましくない。
- 「素人」や「専門家」が望ましくないならば、「評論家」のみが参加すれば良いのか。
- 原子力について「見識」のある人が望ましい。いわゆる「専門家」は原子力を推進する立場であり、それに偏るのは良くない。「見識」があり、かつ出席したい人から人選を行うしかないのではないか。
- 今回のような議論はそれ自体、数年前まではできなかったことを考えれば意義がある。
- 政府、原子力委員会、総合エネルギー調査会、国民等の関係を具体的に絵を描いて議論したほうがよい。
- 絵を描くために総合的に評価した上で決定する懇談会を作ることを提言している。
原子力に係る議論のあり方
- 戦後の女性の暮らしは、大きく変化しているが、その原因はエネルギーが十分に供給されてきたことによる。男女共同参画や日常の暮らしと関わってくるので原子力を止めて昔に戻るとは簡単には言えない。原子力に対して不安という人は多いが、そのため原子力を不要と言う人はまずいない。原子力をなぜ選択するのかとことん議論することが重要である。
- 「素人」では議論にならない。あきらめを感じる。「専門家」とは一体だれなのか。今産業界は「専門家」の発想でものを作っても売れず、買ってくれる人の動向を意識している。原子力にはこのような危機意識がないのではないか。
- 原子力に関する有識者の調査が行われた際、女性の比率は3%だけであった。本当に国民の総意を得るつもりなのであれば、女性がもっと参加する必要がある。
- 肩書きや専門性から人を選ぶと結果として女性が少なくなる。選ぶ基準を非専門家で、バックグランドを問わずに選べば女性は増える。
- 生活者としての専門家という部分もある。
- 現在の委員会ではその分野の専門家でないと議論できない。度量を広げて議論できる組織にすることが必要である。
その他
- 原子力発電の公開ヒアリングは、形式化している。立地に当たって1年位とことん議論すべき。
- 第三次石油ショックが起きれば、日本が如何にエネルギーを確保するかを本気で考える機会となる。
- 原子力は既にある。無くなってしまえば昔の生活に戻るかもしれないというところから議論が必要だが、そのような機能は原子力委員会でも持っている。
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