第1回原子力政策円卓会議 議事録

第1回原子力政策円卓会議

1.開催日時:1998年9月9日(水) 13:35~17:05

2.開催場所:サンシャインシティ・プリンスホテル(東京・池袋)

3.本日の議題:「今、なぜ原子力問題か?」

4.出席者(敬称略):
 モデレーター

 オブザーバー

 招へい者

5.議事録:
【事務局】大変お待たせいたしました。定刻の時間も過ぎましたので,ただいまより平成10年度第1回原子力政策円卓会議を始めさせていただきたいと思います。本日はご多忙の中,傍聴の方々をはじめ,多数ご参加いただきまして大変ありがとうございました。
 開会に先立ちまして,1つお願いがございます。本日の円卓会議では招へい者の方々や,モデレーターの先生方による,円卓での原子力問題に関するさまざまなご議論が期待されておりますので,傍聴の皆様方におかれましては大変恐れ入りますが,大きな声でお話しになったり,ヤジを飛ばすといった議事進行の妨げになるような行為はご遠慮いただきたく,よろしくご協力のほどお願い申し上げたいと思います。
 それでは本日の円卓会議では,議事進行役といたしまして,前東京工業大学学長・現在学位授与機構の機構長でいらっしゃいますモデレーターの木村先生のほうにお願いしてございます。それでは木村先生よろしくお願いいたします。
【木村(学位授与機構長)】ただいまご紹介いただきました木村でございます。生涯教育に参画されております皆様方の学位のお世話をさせていただいております国の機関,学位授与機構の機構長を務めております。よろしくお願い申し上げます。今回の原子力政策円卓会議の発足にあたりまして,一言ご挨拶を申し上げます。わが国の原子力政策の方向をめぐりまして,平成8年に原子力委員会は,原子力政策円卓会議を組織し,11回にわたりまして会合を開かれ,原子力の今後のあり方について国民各層の意見を広く集めました。
 会議のモデレーターの皆様方は,会合の終わりにあたりまして原子力委員会に提言をされておりますが,その中で新しい円卓会議の設置の要望がなされております。今回の円卓会議は,この要望に応えて設置されたものであります。前回の反省もありまして,今回は原子力委員会の下部組織ではなく,できるだけ独自の立場から,国民各層の間で原子力に関する議論を徹底して行うとともに,これを公開し,原子力問題の状況をより明確に国民の皆様に把握していただくと同時に,原子力政策の方向について,原子力委員会も積極的な提言を行うことを目指しております。
 このような今回の円卓会議の目的が達成されますためには,国民の皆様方の広い範囲からの多様な意見が出され,それについて充分な議論が行われることが必要であると考えております。今第1回のテーマは原子力の議論の基本に立ち返るという意味で「いまなぜ原子力問題か」とさせていただきました。原子力は現在すでに我が国の電力のかなりの部分をになっておりますが,原子力維持推進の主な理由としては,1)エネルギー資源の乏しいわが国では,エネルギーに関する自立性を高める必要があること。2)コストが他のエネルギーに比べ,総体的に安いこと。3)CO2エミッションが少なく,環境等への影響が少ないこと。などが挙げられているかと思います。
 これに対して,原子力開発に批判的な意見も多く出されておりまして,その主な理由として,1)チェルノブイリ事故で代表されるような安全性に対する疑問。2)発生する核廃棄物の輸送処分に対する不安。3)核兵器への転用の不安。などが挙げられております。一昨年の円卓会議でも当然こうした問題に対する議論が展開されていましたが,これらの要因に関する議論が咬み合ったかどうかについては,モデレーターの皆様の印象は否定的であったようであります。また,その後これらの要因をめぐる状況は大きく変化してきております。
 すなわち,推進側の要因で言いますと,温暖化に関する京都会議COP3での合意形成ですとか,あるいは電力需要の依然たる伸び。批判側の要因で言いますと,一連の動燃のトラブルや,インド,パキスタンでの核実験の挙行,実行等が挙げられるかと思います。
 このような状況を踏まえまして,先に述べました原子力をめぐる諸要因について,できるだけ広い視野から議論を行い,原子力の今後のあり方,推進という立場もありましょうし,モラトリーアムの全面廃止という立場もありましょう。それについての考え方の基盤を明確にすることが第1回の会議の目的であると私どもは考えております。
 それではまず,今回の原子力政策円卓会議のモデレーターをお引き受けいただいた先生方をご紹介申し上げます。アイウエオ順でまいりますが,原子力発電技術機構特別顧問の石川迪夫様,社会評論家の小沢遼子様,慶應義塾大学教授の茅陽一様,私,木村でございます,それから元中央大学教授の中島篤之助様でございます。オブザーバーとして原子力委員会から木元教子様にご出席いただいております。
 今回第1回の,私どもは招へい者というように表現しておりますが,ご議論をいただく方を引き続いてご紹介申し上げます。弁護士の浅岡美恵様,気候ネットワークの代表でもいらっしゃいます。作家の猪瀬直樹様。財団法人電力中央研究所の内山洋司様。財団法人日本消費者協会理事の長見萬里野様。慶應義塾大学経済学部教授の深海博明様。九州大学大学院比較社会文化研究科教授の吉岡斉様でございます。
 今回の円卓会議は現在のところまだはっきりとしたことは申し上げられませんが,5回ほどを予定いたしております。
 毎回,座長,副座長を1名ずつ選びまして,会議の進行役を行うということにいたしました。本日は座長として私,木村と,隣に座っておられる茅先生に副座長を務めていただきますのでよろしくお願いいたします。なお前回と違います点は,座長と副座長は進行役に徹しまして特に発言をいたしませんが,その他の3名のモデレーターの方は発言をされますので,よろしくお願いをしたいと存じます。それでは議論を始めるにあたりまして,簡単にスケジュール等についてお願いを申し上げます。
 先ほどご紹介申し上げた6人の招へい者の皆様方から,冒頭5分程度ずつご発言をいただきまして,すぐ自由討議に入りたいと存じます。3時間半という大変トータルで長丁場でございますので,頃合いを見計らって休憩を20分か15分考えておりますが,休憩を取らせていただきます。そして,また自由討議を続ける。最後にこれはなかなか難しいところでありますけれども,座長・副座長で本日の議論のまとめをするというように考えております。ということで,前置きが少し長くなりましたが,早速ですが本題に入りたいと思います。
 それでは,ただいま申し上げましたように招へい者6人の方からプレゼンテーションをいただきますが,まことに恐れ入りますが,5分程度ということでお願いできればと思います。これは会議をやりますときは大変司会者はいつも悩みでありまして,なるべくご協力いただければと思います。それではトップバッター,浅岡美恵様からよろしくお願いいたします。
【浅岡(弁護士・気候ネットワーク代表)】私はこういう場に大変不案内でもありますし,また,経験のないことでございますけれども,昨年京都で行われました地球温暖化防止京都会議に,市民の立場から気候フォーラムという名前で多くの市民が参加をいたしました。その経験から若干のことを申し上げたいと思います。
 まず,いまなぜ原子力かというテーマですけれども,このテーマは,私にとりましては,なぜまたいまなのかということを率直に申し上げたいと思います。これまでの長い議論は私自身は参加しておりませんでしたけれども,いくつか読ませていただきました。
 例えば,約10年ほど前チェルノブイリの事故のあと,大変議論が活発であったようでありまして,そのときにパブリック・アクセプタンスにつきまして議論がなされていった。特にチェルノブイリの事故のあと,電気事業連合会のほうで出されました「原子力発電に対する疑問に答えて」という内部資料,これが推進派の方々の主張が尽されているのであろうと。それに関しまして,これに反対なさる立場の皆様から大変また活発な主張,反論がなされてきております。これらにテーマは尽くされているのではないかというように感じます。
 そして,そこでの議論を私なりに第三者として評価してまいりますと,反対派の皆様から出されている安全性について,運用の段階,あるいは廃棄物処理におきましても出されている疑問や反論に対して,やはり適切なお答えはまだないのではないかと。その後の10年についての事実の経過をみましても,やはり事故が現実起こっているということに加えまして,廃棄物問題についても特段の解決もないということから言いますと,第三者としての判断といたしましたところは,大きく変わることはむしろなく,また,最近の動きから見ますと,住民投票などが実施されるという状況の中で,住民の意思はもっと明確に出されてきているのではないか。
 基本的なものの考え方といたしましては,こうした大きな大変深刻な根源的な安全性に関する問題提起がある議案でありますから,事の性質に絡みましても,推進される政府,国,あるいは事業者の側で安全性についての主張,立証を尽される,そういう諸責任をを負っていると私は思います。
 そうした議論の中で,なぜいま原子力なのかということでありますが,今回のご案内の中にもありますように,昨年の京都会議が二酸化炭素の排出削減を国際的にも約束をしていくと,日本もそれなりの責任を負っていかなければいけないという国際約束をしたわけでありまして,原子力や原子力発電がこれも大変有益ではないかという意見が出ているので,そのことを言っていらっしゃるのかなと思います。
 10年前の議論でもすでにそのことは出されていて,議論はされているわけでありますが,本年度,平成10年の原子力白書をみまして,私はちょっと違和感を覚えましたのは,国情の違いから原子力については京都議定書に明記されることはなかったものの,先進国であるわが国は,今後いかに原子力エネルギーを全人類のために役立てていくべきかを示していく必要があり,COP3はその第一歩としてきわめて重要な意義を有するものと考えられると,こういうまとめをしておられます。しかし,私はこの少なくとも2年間は国際交渉過程をみてまいりましたけれども,京都議定書に明記されることはなかったと言いますと大変議論をされたように聞きますけれども,まったくそういうことはございません。議事の記録をいくら探されてもないと思います。どのような削減政策を取るかは,国内対策の問題でありまして,国際会議の場でそのような議論はなされませんでしたし,また,私の承知するところでは,特に原子力を代替措置として考えているという国は日本ぐらいではないかと。他にはあまり聞いたことがございません。
 そういう中で京都会議があったからということは,きわめて日本的な状況であるというように私は申し上げたいと思います。国民の認識はどうなっているのかということについて,若干私は最初のお話の中で付加しておきたいと思います。

--OHP--

 これが平成2年,1990年に総理府が行いました世論調査でありまして,温暖化対策などに対して原子力発電は有用なのかということについてのご返事であります。「そう思う」と言う方,「そう思わない」と言う方がばらついています。「あまりよくわかっていない」と,確かにこういうことをおっしゃっておられます。これは1990年でございますが,このほんの少し前でありますけれども,NHKで公開討論をいたしまして,視聴者から初めての企画であったようですが,意識調査をいたしました。電話での意見を聞いております。
 ここで1989年,ほんの少し前のことでありますが,「原子力に頼る」と言う方は14%であって,それ以外というお返事のほうが圧倒的に多かった。これは先ほどの調査とほとんど同じ時期であります。これは回答者が,特に関心の深い方がNHKのテレビを見ておられて反論したのだろうと,こういう反論があるかと思いますけれども。
 昨年の6月に行われました総理府の世論調査であります。これは温暖化を防止するためにどのようなエネルギー対策が必要なのかということに対しまして「原子力を」と答えた方は6%に減っております。その他の太陽光等,あるいは省エネをする,節エネをするということを言っていらっしゃる方がほとんどになっている。
 この間に何があったのかということを考える必要があると思います。この点は1つはチェルノブイリの事故の影響というのが私どもの心に残っていますけれども,もっと大きいのはやはりバブルの崩壊ではないか。そのことによって拡大生産と言いましょうか,ひたすら成長するということに夢を追うという時代については深く反省をし,京都の会議自身はそうした大量生産,大量廃棄の社会を見直すと。エネルギー対象に,社会を見直して,もう少し将来に明るい見通しを持てる,原子力に頼って将来どうなるのかという不安を抱くという社会ではない,新しいイメージをわれわれは求めようとしていることに,人々の気持ちも,あるいは情報もだんだん行き渡っているというように,私は見るべきではないかというように思います。
 あまり時間をとってはいけないと思いますので,私のいま考えていること,感じていることを申し上げました。
【木村】ありがとうございました。それでは猪瀬さんよろしくお願いいたします。
【猪瀬(作家)】この間の高速増殖炉のもんじゅの事故で非常に象徴的だったのは,日本の技術水準は世界的にかなり高いものだと思われていると思いますけれども,あの事故で温度計がまっすぐ立っていたわけですけれども,これは非常に初歩的な技術ですね。つまり,山の強い急流のような流れがあるようなところに,まっすぐ棒を立てていれば倒れるのは当たり前で,これはある程度小学生でもわかる。非常に高い技術を持ちながら,非常に初歩的なミスをおかすという,これは何なのかということなのですね。
 私はハードの部分については専門家ではないのでわかりませんが,ソフトの部分から考えていく,システムの部分から考えていくということはできるわけです。それでこういう温度計を1本立てるということは,例えばまっすぐだったら倒れるというのはたぶんだれでもわかることだけれども,おそらく全体の設計の中で,ある部分で下請けのまた下請けとか,あるいはそれぞれの組織と組織のつなぎかたとか,そういう部分におそらく欠陥があったのだろう。全体をきちんとした1つのシステムで何かとらえるような,そういう部分が弱いのではないか。
 これは実は日本の組織のあり方一般に,特に市場社会でない特殊法人とか,特殊法人とはすでに皆さんご存じですけれども,道路公団とか,住都公団とかいろいろなものがあります。そういう特殊法人によく見られるちぐはぐさなのです。そういう普通一般に見られる特殊法人で見られるちぐはぐさみたいなものが,最も技術の究極の先端をいっている動燃でもシステムの中に出てきてしまった。それが象徴的なのはその温度計をまっすぐ立てているような,そういうところなのですね。
 したがって技術の水準をいくら高めても,システムがだめであればそれはだめなのです。そういうことを私は動燃の事故から感じるのです。そして,さらに言えば動燃という特殊法人は12年間ぐらいに約 6,000億円ぐらいお金を使っていますけれども,そのお金の例えばコスト計算,どういうように使われたのかというような,それはまた非常に測定が難しいところはあるのですけれども,そういうものについての議論が非常に少ないのです。
 このあいだあるテレビ局の記者が,会計検査院が指摘した無駄遣いで,厚生省が二百何億円で建設省が7億円であると。ついては厚生省というのはひどいむだ遣いをしているのではないかと,このように言いに来たのですけれども,それは違うのですね。会計検査院が指摘して,厚生省は隠し方が下手だったのです。一番公共事業に使っている建設省が7億円のわけがないんですね。そういうふうに隠し方が下手というのは変ですけれど,会計検査院が指摘しやすかっただけです。だから指摘しやすいところを指摘する,指摘しにくいところは指摘できないのです。しにくいのです。
 例えば,動燃でどれだけどのようにお金が使われたかというようなことについて,そういうきちんとしたわかりやすい表現の仕方があるのかどうか,あるいは会計検査院がそれをチェックできるのかどうか。さらには,例えば会計検査院というのは,非常に枝葉末節な数字を指摘するだけで,そのプロジェクトについて適否かどうかについての意見は出さないのです。私は実は,動燃というよりも高速増殖炉というのは,お話をいろいろと聞いていると理想的な核燃料サイクルだというように,未来の理想の技術だと言われて,お話を聞いている限りでは本当によいなと思うのです。
 しかし,なぜそういう未来の理想的な究極のエネルギーリサイクルが,初歩的なミスを起こすのかという,それが一番わかりにくいですね。そういうことでシステムの問題,情報公開の問題,そういうところでものを考えていく方法,ソフトの側から考えてみたいと,できるだけそういう方向で議論が展開されることを期待したいのですけれども。
 それからもう1つは,先日NHKのBSで「地球法廷」というのをやっていましたけれども,情報公開ということで言えば,リスクの公開ということです。NHKの「地球法廷」ではフランスか何かのどこか,ある原発のすぐ近くの住民がヨード,薬を配ってもらっていると。つまり,何か起きたときにこれを飲みなさいというように指示されていると。その薬をその原発の近くの住民が持ってみせるわけです。つまり「これだけ危険ですよ」と。「これだけ危険だけれども,何かあったときにはこうしなさいよ」と。
 日本の場合はひたすら危険を,リスクを隠すということで,だから,リスクを公開しながらそのリスクを引き受ける,そういう考え方を,日本の場合は何でもちょっと隠すという体質がありましたものですから,リスクを公開しながらそれをどう引き受けるかという議論をする,そういう意味でやや遅れているのではないかというように思います。以上です。
【木村】どうもありがとうございました。それでは続きまして,内山さんよろしくお願いいたします。
【内山(財団法人電力中央研究所)】内山です。私はいま日本社会全体がモラトリアム的になっているのではないかというように思います。不良債権問題をみましても,先送り先送りと,問題を先に転嫁することによってだんだん傷口が大きくなって,まだ完全に破局が生じなければまだ先送りするかと,そういう状況が非常にあるのではないかと思います。最近のエネルギー情勢はそれに近いようなものがあるのではないか。
 1つは最近の世界経済の停滞によりまして,先進国の電力需要が非常に低迷している。当然そのことによって大型電源の建設受注が落ちている。石油価格はオイルショック以前の価格に戻ってしまって,また,規制緩和によってコストを削減すると,当然安い石油をどんどん使う。ますます化石燃料依存度は高まる傾向にあるわけです。そういう中で国民の根強い不安感が原子力問題に対してあるわけですが,こういったことが原子力に対するモラトリアムという流れを作っているのではないかと思います。
 しかし,エネルギーというのは,やはり問題は長期の問題でありまして,われわれが長期的にいかに安定なエネルギー源を確保するかということに対する責任があると思います。短期的なモラトリアムでしたらそういう責任は回避されてしまいますが,われわれはやはりエネルギーあるいは環境問題に対しまして,そういう長期的な視点を持つことが大事ではないかと思います。
 先ほど座長のほうから説明がありましたように,いま温暖化に対して政府はどのように2010年まで削減していくのかと。いま年率1.1%削減しなければ多分目標は達成できないわけです。それは目標を掲げても具体策が何にもない。そこにやはりモラトリアム的なところがあるわけで,その中で持つ原子力の役割は大きいということはだれしもが知っているわけです。
 将来のエネルギー問題も考えましても,21世紀は途上国の現在人口で75%,1人あたりエネルギー消費で9分の1の人たちが大量のエネルギーを使う時代になるわけです。それに対してどういう安定なエネルギー供給をするかということもだれも考えていない。21世紀はまさに化石資源の枯渇と温暖化のダブル危機に陥る可能性があるわけです。その中でも,アジアというのはエネルギー資源に最も恵まれていない地域であるというのはだれしもがわかっているわけです。
 そういうことで,途上国に対するエネルギー政策,あるいは子孫に対するエネルギー政策ということは全然議論されていないと。エネルギーというのは基本的には,人間は氏より育ちと言いますけれど,育ちより氏なのです。先ほど浅岡さんの説明にありましたが,国民の多くが太陽光や風力に期待をしていると。これは私も大賛成です。どんどん入れていくべきだと思います。しかし,石油ショック前から20年以上にわたって技術開発を電力関係者はずっと開発してきています。しかしそれがいかに導入が難しいかということも痛いほどわかっているわけです。われわれは,せいぜい日本のエネルギーの2%も賄えばたいしたものだと思っています。そういうこともあまりよく理解されていない。まさにエネルギー教育そのものも社会において完全ではないのではないかと思います。
 バイオマスにしてもそうです。バイオマスエネルギーを発電するのに効率はいくらになるのか。1%です。それだけ森林を破壊しなければいけないのです。バイオマスを使って電気を得るということは。そういったこともわかっていない。あるいは水力にしても,地熱にしても,国立公園内で立地しなければならない。自然を破壊しなければ立地できないという問題もあるわけです。エネルギーというのはやはり化石燃料や原子力のように質のよいものを使えばきわめて安定に,大量に供給できるわけですが,そういうこともなかなか理解されていないということが,非常に不安でなりません。その安定なエネルギーを確保するということは,非常に時間がかかるのです。軽水炉技術でも40年の歴史があって,やっとここまで技術が確立されてきたわけです。
 将来のプルトニウムを利用する場合でも,新しいナトリウムという技術を開発するためには,これはやはり時間がかかるのです。技術は事故がなくて技術開発なんかできないわけです。しかしそれを乗りこえていくことが,やはり将来のエネルギーを安定に,社会を安定に維持する基本になるのではないかと思いますが,そういうこともなかなか理解されない。そこに,いま原子力問題は何なのかという基本的な問題があるのではないか。ただ,いずれにしても将来のエネルギーを確保するためにはモラトリアムになってはならないということを私は言いたいと思います。
【木村】ありがとうございました。それでは長見さんお願いいたします。
【長見(財団法人日本消費者協会理事)】長見でございます。私は原子力の技術的な中身というのは,まったくの素人ですのでわからないという前提で聞いていただきたいと思います。往々にしてしてこの原子力問題というのは,過去長年推進派と反対派,最近は批判派という表現をされていますが,どちらかに色分けされるような表現のされかたがずっとしてきていましたが,国民の大部分はそういうどちらにも属さない,おおかたはよくわからないけれども不安があるという人種だと思うのですね。そういう人たちに向かって,どう説明をしていくかということが一番の大きな問題ではないかと思います。
 その大方のわからない,われわれにとって,推進派でも反対派にもなり得ないわけですから,どこがわかりにくいかということが最大の問題だと思うわけです。原子力というのは,そのものが決して安全なものではないというように思うわけです。最近はちょっと変わってきていますが,原子力の広報はほとんど原子力は安全ですというような表現がされてきたわけです。それに対してはみんなそんなことはないという感覚で聞いているわけです。そこからも食い違いがでてきているわけです。
 最近だいぶ変わってきていると思いますが,その安全でないものをどのように安全な仕組みの中に入れて安全性を保っているかということが,われわれは知りたいわけなのです。中身の原子力が安全でない,それからそれを取り巻く原子力発電所という非常に高度なメカニズムという,機械的な工場としてのメカニズムというものが,これはまたわれわれにはまったくわからないものなのです。いくら説明されても,われわれの知識でそれが安全なのかどうかという判断はできないわけです。
 そうすると私たちは何に期待するかということは,それぞれの専門家の方にきちんとその安全を管理していただく,それを信用するかどうかに関わっているわけです。原子力に頼れるかどうかというのは,実はそういう仕組み作りを信頼できるかどうかに関わっているのではないかなというように思うわけです。そしてチェルノブイリのときも,大体私達の周りの人たちは,「日本はああいうことは起こらないだろうけれど,周辺国で原子力発電が増えていくと不安がある」というような表現がされるのをずいぶん聞いておりました。
 ところが残念ながらもんじゅの事件,それから引き続いてまた東海発電所での事故というように,非常にこの仕組みとか運営,管理する人達の問題ということがクローズアップされてきてしまったわけです。これが非常に,少し関心の高い人たちにとっては,自信の揺らぐ,原子力に対する安全性に危惧感を持つ大きな理由になってきてしまっていると思うのです。このことを,信頼性をどうやって回復するかということが,これからの問題だと思うわけです。
 確かに,この安全でないエネルギーをできるだけ使わないようにしてほしいというのが率直な気持ちであるわけですが,現実の問題として3分の1のエネルギーをすでにわれわれは利用しているわけで,それを否定しきることができないわけです。いかに多くしない努力をするかということがあるわけで,われわれ一般消費者も省エネルギーの生活をしていくということに努力していく必要はもちろんあるわけですが,だからと言って原子力がなくて,では近代的な生活ができるかというところが,本音のところやはり難しいと思っているわけです。
 そうしますと,やはり何はともあれ,仕組みを完全なもの信頼性の高いものに再構築していただきたい。それから,やはり情報がわかりやすくなってほしいと思うわけです。社会生産性本部が1997年に調査をしたというエネルギーに関する世論調査の結果というのがありますけれども,その中で原子力に関する情報については,かなり情報は出ているだろうと思われているわけですが,ただし知りたい情報だとか,正確な情報だとか,わかりやすい情報が得られやすいとか,そのようなことに関しては非常に不足していると思っている人たちが80%を超えているというデータが,これは総合エネルギー調査会の中間報告書の中に入れられた資料にすでにあるわけですが,そういう状況で非常に情報がわかりにくいということです。
 いつまで経っても原子力という,これだけ歴史をかけてきたものでさえ私たちにはわかりにくい,ぴんとこない,何か隠されているのではないかと常に思うような仕組みというのを,解決していかなければならないのではないかと思うわけです。以上です。
【木村】はい,ありがとうございました。では深海さん,お願いします。
【深海(慶応義塾大学経済学部教授)】これはフロアーの皆さんに配られているのでしょうか。
【木村】会場にはいっているそうです。
【深海】配られていますか。それでは申しわけありません。それでは私の基調発言要旨という「いまなぜ原子力問題なのか?」というのを見ながらしゃべりますと要領よくしゃべれると思います。
 最初に私は2つぐらいお断りをした上で,きょう,私が基調として発言したいポイントを申し上げたいと思います。1つは,ここに招へいされて,最初違うテーマだったのですが,何で「問題」というのがつけ加わったのだろうか。「問題」を議論するというのはいったいどういう意味なのか,そこがあまりよくわかりませんでしたので,あとでその点をちょっと主催者側から教えていただけるとありがたいと思います。
 第2番目ですが,私の発言要旨の後ろにもう1枚「参考資料」というのがついていまして,これは通産省の総合エネルギー調査会の原子力部会が今年の6月11日に「原子力を選択することに関する基本的な考え方」という小冊子を出したわけでして,ある意味で言うと基本的な論点あるいは原子力というものを,これから推進しようという基本的なフレームワークとか指標というのがよく整理されていると思いますので,これをつけたわけです。
 きょう,私はせっかく招へいされましたので,こういう従来型の議論というのでないものを提起してみようと思った次第です。
 そこで私の「発言要旨」をちょっと見ていただきますと「原子力の基本的な位置づけ--原点に立ち戻っての再検討・選択と新たな発想の必要性」という意味で,やはり個々のイシューにわたって議論する前に,もう少し原点に立ち戻って考えていく必要性があるのではないかと思えてならないわけです。すでに最初から地球温暖化問題,その防止における原子力の役割ということが議論されていたわけですが,例えばCOP3で決まったことというのは科学的な遅延がIPCCの第2次報告書等々で求められているものと,それから京都議定書で決まったものとの間には大きなギャップがあるということは大変重要だと。
 もし地球温暖化を現在ただちに防止するのだったら,CO2 をただちに6割とか8割とか削減しなければならないということでして,結局そういうことができないから,せいぜいあるときに産業革命以前の2倍等量にすると。そこに接近していく第1次的なものとして先進国全体としてかアネックス・ワンの国で-5.2%,日本は-6%と決まったわけです。ですから,これは最初の過程にすぎないわけですから,もし地球温暖化防止をわれわれが考えるのであれば,どんどん強化していくという前提条件のもとに考えていかなければならないわけでして,COP3の議定書ですべてが解決するという発想も非常におかしい。
もう1つ,私は「いまなぜ原子力なのか」という意味で言えば,結局(2)に書いてありますように,これは私が非専門でこのようなことを言うのは申しわけないですが,やはり従来型の化石燃料使用による火の使用と原子力の使用というのは,原理的にもその他でもまったく違うものである。ですから,問題は原子力発電と火力発電というのは同じで熱をつくるところが違うのだというのではなくて,やはり原理的に違って,例えば重量当たり石油と比べれば現在のところでも軽水炉で1万倍,これが理想的になれば 200万倍もの集約度を持つエネルギー,しかし,同時にそれは非常にに技術に依存しているし,あるいは放射性物質と切り離すことができないのだといういろいろな問題がある。
したがって,私の問題は,基本的に原理の違う従来の化石燃料にプラスして原子力,核エネルギーというものをわれわれ社会がうまくコントロールして使えるか使えないかという,そこに立ち戻って選択を考えるべきではないかと思われてならないのです。
ですから,そういう面でわれわれの社会がそういうものを受け入れて,ある程度コントロールして「使える」ということになるとすると,原子力の位置づけというのは私は変わってくるのではないかというように思えてならない。これから途上国とか,豊かな生活とか,工業化ということを前提にわれわれがもし考えていくとしますと,原子力というのは多くの人々の考え方である。例えば太陽光だとか自然エネルギーが使えるまでの必要悪だとか過渡期のエネルギーということですが,むしろ持続可能の発展のためのエネルギーという意味で,もう少し前向きに積極的にとらえることができるかもしれない。
ですから,そういう面で言えば原点に立ち戻って,そういう原理の違うものを受け入れるのか受け入れないのか,人間社会,あるいは経済社会がそれをうまくコントロールして使えるのか使えないのかという判断,評価,選択が大変重要でして,そうだとすれば原子力の位置づけその他も当然変わってくるはずだと。これを原理論ではなくて,もう少し現実に立って考えていくとすると,私が問題提起したいのは,やはり日本でも,あるいは世界でも,原子力がこれまで開発されてきた初期段階というのは非常な期待を持って光が強調されていたわけです。
それが影へ転換してきて,これだけの反対が起こってきている。それはいったいどうしてなのだろうか。その要因とか,あるいはなぜそういうことが起こったのだろうか。そうすると,そこに原子力そのものの開発に伴う特殊性というものがあって,それを出して国民が理解,受容できる原子力開発が,日本あるいは世界でできるかできないかというところの問い直しも非常に重要であるように思われてならないわけです。
 しかし,2つだけ注をつけておきたいと思いますのは,地球温暖化防止,CO2 の排出をしないので原子力だという話にいまなっているわけですが,初期の開発者はそのために原子力を開発したのではなくて,これは天から与えられたように後になってつけ加わった論理だとも考えられるわけでして,原点でいったいどこでわれわれが原子力を開発してきたのかという問題もよく考えてもらいたいし,同時に原子力だけで,では地球温暖化問題が解けるか言えば決してそうではない。いまのところは電力供給だけでして,ですから重要であっても,それは限られた範囲のものであるということにならざるを得ないのだと思います。
ですから,そういう面で言いますと原理的,現実的,あるいは究極的という形で,やはりわれわれは原点に立ち戻って問い直していくという姿勢が,個々のイシューは大変重要だとは思うのですが,私がきょうここへ来て提起したのは,やはりそこを突っ込んで議論しない限り,こういう問題について結論が出ないのではないかと思います。
たくさん申し上げたいことがあるのですが,譲りますけれども,あと「Ⅱ」と「終わりに」に私がいろいろ書いてあることで2つだけ問題点を指摘したい。こういう議論で私はなぜ原点に立ち戻って,あるいは過去だとかいろいろなもの,あるいは究極的な目標で考えたらよいというのは,例えば個々の問題別,論点別に議論していきますと非常に困った事態が起こる。
これはスウェーデンの国民投票によるケースというのはまさにそうでして,まず1980年に原子力,これは2010年までに廃止する。次は水力発電はやはりダムをつくったりその他で自然破壊する。水力発電も増設しない。そしてCO2 問題が起こってくると火力発電は使わないということを決める。そうするとトータルで考えてみると,いったい電力供給はどうなるのかということですから,むしろ総合的に,あるいは「合成の誤謬」に陥らない形で選択する必要性があるのではなか。
もう1つ重要なことは,時間的な要素です。これは内山さんが言われましたので後で具体例を挙げたいと思いますが,時間的な要素を考慮して現実的に考えていく必要があるということ。もう1つ,私は日本の議論というのは非常に錯覚しているということがあると思います。これはきょうはだれも申し上げなかったのですが,木村座長が提起されたのですけれども,原子力問題には,それからまた日本のようにリサイクルをやっているというところであると,プルトニウム利用等々で核拡散の問題等々に結びつかざるを得ないのです。
 日本人は「日本は非核3原則を持っていれば広島,長崎の経験を経ているから絶対に日本は軍事転用などしない」と考えいるわけですが,外の評価は全然違うのです。外の欧米の国際政治学者あるいは軍事専門家は何を言っているかと言えば「日本は着々と核武装をやっているのだ」ということを論理的に説明しているわけです。
例えば北朝鮮のミサイルがいま問題になっていて,衛星を打ち上げたのか,それともミサイルでなったのかということが問題になっているのですが,日本はH2ロケット等々で宇宙空間にあれだけ数トンのものを打ち上げているのです。それで再突入の材料実験もやっている。そうしたら専門家たちは「日本は十分もう輸送技術も持っている。プルトニウムを持っている。爆弾に点火する技術は持っている。輸送技術も整備した」と。そうすると,あとはそれを国民が許すか許さないかということでして,外国の国際政治学者たちが何と言うかというのは後で説明したと思いますが,そう考えてみますと,日本の常識と外の常識との間に大きなギャップがある。
ですから,私が申し上げたいことは日本は非核3原則,それから広島,長崎の経験を持っているから絶対に核武装をしないし,そのようなことはあり得ないと考えているわけですが,それは内からの発想にすぎないわけでして,外が信用してくれるために非核をやろうというのだったら,もっと実で示す必要性がある。ですから,私が申し上げたいポイントは原点に立ち戻って考える必要性があるし,部分的に考えるのではなくて総合的に議論をしたい。
 第3番目として内で発想して,われわれが常識に思い,世界に通用すると思っていることは決してそうではない。そういう内と外とのギャップ,あるいは世界と日本とが相互に信頼でき,お互いに協力できる方向を考えるというのは,日本人の独自性,あるいは内でそういうことを思っているにすぎないのではないかというポイントも指摘したいと思います,以上です。
【木村】はい,ありがとうございました。それでは最後になりましたが吉岡さん,お願いします。
【吉岡(九州大学大学院比較社会文化研究科教授)】手短かにお話ししたいと思います。話せない部分はこの後の討論で補いたいと思います。
 原子力委員会がこのたび,国民の多様な意見を今後の原子力政策に反映させることを目的にこの会議を作ったというのは大変けっこうなことだと思うわけです。それで招へいされた立場として言えば,反映されるべきできるだけ具体的な意見,要望,注文を多数出すというのが,この会の使命であろうと私としては思っているわけです。
 これから配付プリントをもとに少しお話をします。ですから「原子力政策に注文つけろ」と原子力委員会が言って下さっているわけだから,どんどん注文をつけようではないか。ですから,この会の主題というのは原子力政策のあり方を原点に立ち返って,洗いざらい総点検して問いなおし注文を出すという会にするのがよいのではないかと思うわけです。
 しかし具体的な注文を出すというのは,それなりに相当に勉強しなければいけないわけですけれども,それは私は十分勉強しているつもりですけれども,十分われわれ自身も勉強した上で具体的な注文を出すということにしたいと思います。
 前回,私は円卓会議の9回目に呼ばれたのですけれども,どうもそれぞれ賛成・反対の人たちが意見を一方的に述べ合って,議論が平行線を辿ったという印象を持っています。ですから平行線を辿らないためにはどうすればよいかということを,2つほど案がありますけれども,このプリントには1つ目の案を書いて,もう1つの案というのは議論の中で示したいと思います。
 1つ目の案としては,結局,すべての人は原発拡大に賛成か反対かに違いはあるにせよ,いまの原子力政策に対しては部分肯定,部分否定だと思うわけです。全体として原子力発電拡大に賛成という立場をとる人も,いまの原子力政策には多々の非常に強い批判を持っている人も数多いと思います。逆に知っていればますます注文も多いという面もあるかと思います。そういう具体的な注文については賛成・反対の立場の違いを超えて一致できる点というのが非常に多数あるのではないかというのが私の考え方です。
 例えば「情報公開,市民参加を促進せよ」という意見については,賛成・反対を問わず大多数の人が支持をするわけです。そういう論点が非常に多いのではないか。それをできるだけたくさんコンセンサスを形勢して突きつけると言えば木元先生には気の毒ですけれども,差し出すというくらいの言い方がよいかもしれませんけれども,それをやりたいと。私が仕切っているような言い方ですみませんけれども。
 ですから,一般的に原子力問題がどうか,原子力発電がどうかについての議論をしてもしょうがないので,政策のあり方がいままでどうであって,それをどう変えるのかということ関して,具体的に議論を戦わせたいと期待しています。
 その際,この会は原子力委員会が設置した会でしょうけれども,われわれが審議する対象というのは原子力委員会の管轄だけではなくて通産省の管轄のものも含む,外務省のものも含まれる,できるだけ包括的に動燃のものも含まれるというように,幅広く具体的にどこがまずくてどう変えるのかということを議論したい。
 それから,私は歴史屋なのです。出身は物理ですけれども歴史,科学史を20年ぐらい研究しているので,歴史的に考えて出発時点はどうだったのか,大体半世紀の開発の歴史があるわけですけれども,どうして目算が狂ってきたのか,それをどこが間違っていたのかということを歴史的に1つ1つ検証していきたいと思います。
 いまの原子力政策の問題点というのをきょうも含めて何回かで出し尽くして,その上で重要と思われる個別問題について,1回1回深い議論をしていきたいなと期待をしています。
 2ページ目をごらん下さい。「この原子力政策円卓会議で議論したい主題リスト(抄)」とありますが,これを全部やったら何年かかるかわかりませんけれども,例として挙げてみただけです。主題というのは2つのカテゴリーに分けられて,1つは制度論的な主題で,これについては賛成・反対の立場を超えて一致する論点が多いだろうと思います。
 もう1つは路線選択の問題,どの路線をするのか,高速増殖炉路線を取りつづけるのか,それとも軽水炉ワンスルーでいくのか,それとも脱原子力を長期的に図っていくのかというような路線選択の問題というのを,ちゃんとした方法論にもとづいて体系的に路線選択の問題を議論したいと思っていまして,それについてはいまは時間がないので,討論のところでできれば時間があれば述べさせていただきます。
 ここに書いたのは,制度論的なものを10点ばかり挙げてみました。重要なのは,例えば1番が重要だと思います。政府が非常に強い権限を持っていて,社会主義的というのか,例えば自動車開発利用長期計画というのはないわけです。テレビ利用長期計画もないわけです。原子力だけにこういうものがあるというのは,はたしてどうなのかという政府の役割というのを抜本的に見直すということが必要であろう。それは2番目に書いた自治体と政府の関係ということもあります。
 この5番目が重要なのですけれども,原子力開発利用長期計画の改定というのを,おそらくこの会が進行中に検討が開始されると思いますけれども,こういう長計というのが必要なのか,あるいは残すとしてもどういうステータスでやるのかという問題を基本的に考えなおさなければいけないと思います。
 3ページ目ですけれども,時間がないので手短かに言いますと,一応,忘れられないために10点挙げました。8番目はきょうは弁護士の方もいらしておりますので情報公開・市民参加の達成度がどうか,あるいはこれから情報公開法が作られたときにいったいどうなっていくかということを議論するというのは重要であろう。
 9番目は原子力政策の意思決定方式がいままで非科学的,非合理的で党派的だったと私は思っているのですけれども,それは後の議論で説明しますけれども,それをどう変えていくかということを重要なテーマとして提起をしておきたいと思います。
 全体としてこのような感じですけれども,隣の深海先生と問題意識を共有するところが少なくないと思いますので,これからの議論においてもそういう突っ込んだ話をしたいと思います。どうも。
【木村】はい,どうもありがとうございました。一渡りきょうの招へい者の方からご意見をお出しいただきました。いまからそれぞれというか,具体的な議論に入るわけですが,その前に先ほど,深海さんのほうから「テーマをどうしてこうしたか」ということに対するご質問がありましたので,茅先生のほうから簡単にお答えいただければと思います。
【茅(慶応義塾大学教授)】このテーマの選択は,ここにいるモデレーター5人がどういうテーマにしようかという議論をしまして,それで決めているわけです。最初はたしかに「いまなぜ原子力か」という話になったのです。ところが議論をしているうちに皆で感じたのは「いまなぜ原子力か」という日本語が,「いま原子力をなぜやるのか」という意味に非常に取りやすいのです。ところが意図しているのはそうではなくて「いま原子力問題をここで議論をしよう」と。きょうの6人の方のお話にありますように,単に原子力がよいか悪いかということだけではなくて,原子力のいろいろな側面,例えば吉岡さんが言われたような組織の側面とか,そういういろいろな側面を議論したいわけです。ですから,そういう意図を,皆さんに間違いなくわかってもらうために「問題」という言葉をつけたと,そのように私は考えています。
 他のモデレーターの方,もし私の解釈が間違っていたらつけ加えていただければと思います。
【木村】よろしいですか。モデレーターの方,小沢さん,何か言いたいことは……。
【小沢(社会評論家)】私が余計なことを言って「問題」とつけたからまずかったかなと思ったのですけれども,わからないです。私が「『原子力か』ではなくて『原子力問題』でしょう」と言ったのは,どこまでいってもいまのところ日本は国民は反対しているわけですよね。ところがいままでの資料を読んでみると,やはり情報公開されていないからだとか,科学技術庁は隠しているとか,もんじゅはどうなったとかという議論はしているのですけれども,片方では,実は日本では原子力はちゃんと使っているのですとか。
 原子力について言い合いだけで,あまりちゃんとした話をしていないような気がしたのです。私がとても心配だなと思うのは,先ほど浅岡さんが出されたように,どんなにこれが重要だと言っても国民が嫌がっていて,しかも研究者まで減っていると。子どもの頃からきちんとした科学教育のあり方がなされていないために,先ほど猪瀬さんから「日本は大変優秀な科学者がいるはずだ」というお話があったのですが,それさえも危うくなってきていると。そうすると,これから先,原子力をどうしてもやっていかざるを得ない,急にはなくならないとしたら「優秀だ,優秀だ」と言っているのに,もっと違うことが起こってきてしまうかもしれない。だったら,これは国民の問題なのだから,もっとばらけたところで話し合ってみたらどうだというように私は思ったのです。「ここに立地するのが反対か賛成か,わっしょわっしょ」という意味ではなくてね。
 先ほど深海さんがおっしゃったのはだいぶ「そうですよね」ということがありますよね。独善的な事業でどんどん国家的事業だとやられてきたけれども,国家的事業でよかったものというのは,今度の公共事業のいろいろなことを考えてみれば,ずい分たくさんがそうでないものがあるわけですから,そこでの批判だって絶対にあるはずですし,そういうことをちゃんとばらけて話してみたらどうだろうかと,専門家でない人間としては思います。何でこんなに国民は嫌がっているのだと。
【深海】私がちょっと質問をした意味は,なぜ原子力問題……。
【小沢】CO2 のことでは絶対にないのです。
【深海】いや「なぜ原子力問題なのか」と言うと「問題」というのは,いまおっしゃったようにいろいろなものが全部あるわけです。ですから,これは何でも議論してどのようになるのかなと,そういう面で。ですから,ここにちょっと私がメモに「問題というのは具体的,内容的に何なのか」と。「問題」と言うとあらゆるものが含まれてしまうから……。
【小沢】だからよいのです。
【深海】だからよいけれども,同時に何か焦点が絞られないのではないか。何か意図がもしモデレーターの間であれば,ある種のどういう問題,私が感じたのは具体的,内容的に何か絞るならよいし,いま小沢さんがおっしゃったように全面的に問題として取り上げてやるというのであれば,それもかまわない。
【小沢】たぶん1回ではできないと思うけれども,そのようにしなければ。問題は,見るともういままで言い尽くされているのです。実行をどうするかは別として,議論としては,いままでの資料を見るとかなり言い合いは出ているのではないかと思うのです。
【深海】そうですね。わかりました。けっこうです。
【木村】では石川さん,お願いします。
【石川(原子力発電技術機構特別顧問)】いや,いま言われたのでね。最後のところがポイントだったのですが。これは一番はじめにわれわれの中でも議論がありまして「いまなぜ原子力か」ということではなくて「もう11回で出ているのだから,それをまとめてそれを1つ1つディベートに移そうや」という話もありましたけれども,ひょっとして,またこれが新しい会議になったのだから,数回はこのテーマでやってみようということで始まったのです。
 ですから,きょうは気楽にと言うか議論を出していただいて,これまでの11回のものと集めまして,今度は何か具体的なテーマにして,1つ1つだけを片づけるのではなくて先生のおっしゃる総合的な見地から。ただ,いままでの原子力の議論というのは何か議論しながらひゅっと横へ行ってしまうのです。それでまたぐちゃぐちゃと行きながら,またひゅっと横へ行ってしまってぐるりとやっているけれども,結論とか何とかは1つも進まないというのが日本の議論のあれですから,これだけは今回,私は改めたいと思っています。 実質的な議論が大事だと思っています。
【木村】どうも。さっそく「なぜ原子力問題……」の「問題」についてこだわりが出ましたけれども,いろいろそれぞれモデレーターの中でもこのテーマについては解釈の仕方があるのではないかと思います。
 それではいかがでしょうか,どういう切り口にしたらよいか,ちょっと私はいまにわかには決められないですが,多少あれの中で言い残したことが猪瀬さん,吉岡さんがあおりのようなので,猪瀬さんを皮切りに議論をこれから始めるということで。
【猪瀬】その前に,深海さんが15分近くしゃべって吉岡さんは10分近くしゃべっているので,こういうのは5分と言ったら5分で回さないと(笑)。それから後で議論しないと。全部言おうとするから15分になってしまうので,それはやはり全部言おうとすると大体これだけのこういう会議というのは無理なわけです。
 私が申し上げたいのは,これまでにいままで多分相当議論をしてきたと思いますし,技術的な問題もかなりやったと思います。でも深海さんや吉岡さんがおっしゃっていることは非常によくわかるのです。つまり,いま必要なのは文化論なのです。結局,このタイトルが「いまなぜ原子力問題なのか」ではなくて「日本人にとっての原子力問題」なのです。いわゆる広島的な話はもうよいからそういう話ではなくて,組織の運営の仕方とか,つまりシステムが,例えば先ほどもんじゅの事故のことを言いましたけれども,これはこの部分は下請け会社にやらせたわけでしょう。ですから,温度計がぽとっと倒れたわけでしょう。ですから,そのようなことがあるわけで,東海の事故も原子の原子でなくて非常に原始的なレベルの事故ですね。ですから,これもシステムの問題ですよね。
 ですから,いま長銀破綻とかいろいろなことが言われているし,特殊法人の問題とかいろいろ言われているけれども,最後に吉岡さんの問題提起に近いですけれども,まあ同じだと思ってよいですけれども,要するに日本の官僚機構とか特殊法人のやり方とか,情報公開全部入ってきますけれども,例えば情報公開と言うといかにも情報公開するんですよ。ところが,具体的な「ではどの下請け会社が何人いて,どうやった」ということをちゃんと情報公開をしないのです。ですから,情報公開というのは技術の部分ではきちっとしていますと,非常によくできていると思います。ですから,そういうことではなくて,文化の問題でシステムや組織の問題とかそういうあり方の議論をしたほうがよいだろうと思います。
【木村】さて,いかがでしょうか。私もある意味では猪瀬さんのご意見に非常に同感なのですが,情報公開ということでもよろしいですし,そういう線で少し議論を進めてはいかがでしょうか。どうぞ浅岡さん。
【浅岡】それはけっこうです。私も1点だけ明確にしておかなければいけないことを忘れましたので,追加しておきたいと思います。私たち市民の側で昨年の京都会議に臨むについて,市民側,われわれのグループのコンセンサスづくりをしました。その中でエネルギーについて今後の方式をどうしたらよいかということについては,原子力は化石燃料の代替エネルギーとはなり得ないという点で共通項に,コンセンサスになったわけです。そういう前提で動いて活動しました。その意味は,現在,三十数%の電力量を持っていますが「これをすぐとめろ」という趣旨でコンセンサスをとったわけではありません。増設をする,さらに拡大するということではなくて,今後,二酸化炭素削減をしていくについては別の原子力でない代替エネルギーを求める,自然エネルギー等を重視する,あるいは省エネを進めるということです。
 現在ある原子力については安全な運転管理をしていただきつつ,これは自然的には一定の寿命とともに,増設しないですから小さくはなっていくだろうと。そういうところが基本のコンセンサスだという点を,いますぐ「よいのか悪いのか」という議論だけで終わっているというわけではない。
 それに対しまして,政府の側で京都会議の前後で,いかに数値目標がどのようになろうと,何%の国の約束であろうと変わらないのは原子力政策であったわけです。原子力についてはもう第9次の長期エネルギー需給見通しのときも,いまの2010年には 4,800億kwhはすでに出ているわけで,それをまったく変えれないという主旨できている。他のエネルギー源については水力も同じです。水力発電所はいったんつくると決めたら変えない。その他については動いているわけですけれども,そこが私たちは問題だと考えているということです。
【木村】いまの浅岡さんのお話は猪瀬さんのシステム論と完全に同一線上にありますね。そういうところでどうぞ,内山さん。
【内山】ただ,いまの浅岡さんの意見に対しては,それは浅岡さんの意見であって,本当に国民の皆さんがそう思っているのかというのは疑問です。というのは,たしかに原子力をいまの容量以上増やさない,建設をしないと言っても,原子力というものが社会的に必要だということは,その産業を作っていく必要があるわけです。ですから,現状を維持するのでも将来は更新があるわけですから,そういう形で原子力技術というのが社会の中でどのように技術の継承が行なえるのかということが基本になければ,電気というのは自然に出てくるものではなくて技術が作り出すのです。
【猪瀬】たしかに浅岡さんの意見がそういう誤解されやすい表現を含んでいたとは思うのだけれども,そういうことではなくて,いま木村さんがシステムだと言ったのは,例えば水力発電でも原子力でも,それがよい悪いと言っているのではなくて「それが1回決まってしまうと直らないよ」という話をしているわけで,ですから「増やすとか増やさないということも議論のうちだ」という話をしているわけです。
【内山】いま私が言いたいのは,技術の継承をいかに図っていくかということを,エネルギー技術開発においては基本に据えておかないと,将来の安定供給というのはないのだということを理解してもらいたいのです。
【猪瀬】いま安定供給がないと言っているのではないです。安定供給は前提にしている。
【木村】ちょっと猪瀬さん,待って下さい。吉岡さんどうぞ。
【吉岡】内山さんの意見というのは,技術の継承というのは原子力発電が存在する限り必要だとは思いますけれども,それは浅岡さんの言っている議論とはあまりかみ合っていない論点であって,浅岡さんが言いたいのは,どんな社会状況が変化しても変わらないのが原子力政策だったという点で,私は歴史家ですからこの辺はよくわかるのですけれども,例えば原発の増設ペースというのがありまして,1970年頃から本格的に実用化,商業炉が建ちはじめたのですけれども,大体年に2基ぐらいで直線的に発電設備容量が増えている。石油危機があろうがなかろうが増えている。エネルギー需要が,経済成長が高かろうか低かろうが増えている。石油の値段が上がろうが下がろうが増えているというような形で伸びてきたというのは,これは猪瀬さんの言う文化論であり,私の言う制度論,同じ意味だと思いますけれども,そういう日本的なあり方というのが,やはり原子力政策の問題としてこれからどうなのだということで,問い直さなければいけない問題だという1つの例だと思っています。
【猪瀬】いま吉岡さん,非常によくまとめていただいたのだけれども,例えば高速道路を延長するのにもコストが合う合わない関係なく,ずっと延長計画があるわけです。いらない高速道路といる高速道路があるということと同じ議論をやはり原子力もしなければだめだという話です。いま言っているのは原子力そのものを否定している話ではないわけです。そういう意味です。
【小沢】要するに吉岡さんがおっしゃっているのは,これだけは特別な保護のような中にあってお金が無制限に使われているという意味ですか。
【木村】ちょっと私の司会でごめんなさい。会場の方がどなたがお話しになっているかわからないので,必ず手を挙げて,私のほうからお名前をできるだけお呼びして発言をするということにしましょう。われわれだけでやっているわけではないので,すみません。では小沢さんどうぞ。
【小沢】いまのは,いちいち聞きなおさなければいけなかったり,いちいちだれさんの言っている意味はと説明しなければいけないのは変な会議ですが。ちょっと伺いますけれども,それは計画がちゃんとあるということではなくて,何はともあれ原子力というのは「やるんだ,やるんだ」でやってきたということを,吉岡さんの最後のご発言はおっしゃりたいわけですか。「制度の点で」とおっしゃった。
【吉岡】基本的にそうだったと私は思っています。というのは,原子力をなぜ進めるかという理由が1950年代からいろいろ言われたきたのですけれども,それは最初は外貨節約であったわけです。外貨の節約,日本は構造的に貿易赤字でしたので,原子力のほうが化石燃料よりドルを使わなくてすむというような議論があって,地球環境が1980年代に一番最後に出てきた。
 理由づけはころころ変わるのだけれども,計画自体はそれに影響されずに単に拡大していくと。ですから,それは原子力というのが,何らかの政策的必要性ということと密接に連動して臨機応変に柔軟に時代の変化に対応していったというメカニズムではなくて,そういう形の自己拡大のような傾向がかなりあったのではないかということが,歴史としては……。
【木村】では深海先生,お願いします。
【深海】まず事実が,非常に重要だと思います。日本の長計が一度も下方修正しなかったということではなくて,例えば1971年の原子力長計というときはどういう数値になっているかと言うと,1971年に設定したときは原子力発電の規模は1985年度は 6,000万キロワット,1990年度は1億キロワットという目標は掲げられていたわけです。ですから,そういう面で言えばやはり石油危機後状況は変わるとか,いろいろな形で一度決めた目標を何が何でも推進するという形ではないのではないかと私は思います。
 ですから,いまのところは,これはまた,でも私は日本のいまの政策についてきょうはコメントをあまりしたくなくて,もう少し大きな問題だと思ったのですが,ですから,そういう面で言えば,やはりまったく一度決めたものはずっと維持してきたというのではなくて,やはり石油危機その他があったときには大幅改定はしているわけだし,日本のエネルギー計画というのはご存じのように高度成長期においては長期エネルギー需給見通しもそうですけれども,過大評価をずっとやってきて,それが変わってきているのだと思いますので,その点は事実としてもあるのではないかと思います。
【猪瀬】ちょっといまの話で,化石燃料がいま非常に安いですね。このところずっとずい分安いです。けれども,それで見直しはしていませんね。それぞれのエネルギーはそれぞれの事情が全部あるのだけれども,ですから,先ほどオイルショックのときの話をおっしゃいましたけれども,いまも事実上かなり安い原油価格になっていますね。そうしたら,またそれに合わせた何か見直しとかあってよいはずですね。
【木村】内山さん。
【内山】先に手を挙げさせていただいたもので。私も猪瀬さんがおっしゃるように政策面で原子力のこれまでの開発のあり方が体制的にどうだったかという問題,これは反省するあれが,それはそういうのをいろいろ考える時期には来ていると思います。しかし,先ほどの吉岡さんの話ですと,原子力がもう必要性がないのにどんどん作っているような意見で出てきます。それはおかしいのであって,例えばこういう事実を見せますと電力需要はずっと伸びてきているのです。ちょっとOHPで見せましょう。

--OHP--

 たしかに長計の予測ははずれていまして,おっしゃる通りです。だいぶ下方修正していますが,1970年代から長計はこうですが電力需要はコンスタントに伸びている。オイルショックがあっても伸びているのです。そして去年は実質経済成長がマイナスにもかかわらず 2.5%も電力量は伸びているのです。ですから,電力は需要が伸びているのです。エネルギーの電力シフトというのは,社会というのはさらに進んでいるのです。ですから必要性がないということではないのです。あるのです。ですから,その辺は……。
【猪瀬】吉岡さんはそのような意味で言ったのではないと思いますよ。
【内山】そのようにとらえるような言い方をするということが,ちょっと問題があるのです。
【木村】ちょっと待って下さい。では石川さん。
【石川】この議論が非常に最初で,ですから私は大事だと思いますけれども。皆さん,ご意見をおっしゃっておられるわけですけれども,同じ1つのデータベースにもとづいての解釈ではないように思います。いま深海先生がおっしゃられたように,きちんとしたデータにもとづいて議論をしないと,せっかく議論しているのは,ある考え方,もしくは感じでわっと話が出て進みますと,これは何の議論も意味がなくなってきますから。
 私,実は先ほど手を挙げたのは,深海先生のような実際はどうなったのか,これは私は知りませんからたぶんエネルギー調査会か何かのほうから聞いてみれば出ると思ったので,かわりに出していただいたから非常によかったのですが。
 ですから,ここのところのコンセンサスは原子力というのは変わっていないのではなくて,原子力といえどもその時代時代に応じて,皆そのときのベストかどうかは知りませんが,チェックしてきたのだということは事実だろうと思います。
 それから,内山さんが言われたのと猪瀬さん,浅岡さんと,ちょっと私も次元がずれていると思いましたけれども,それはまた今度は逆に事実というものが急に「きょうやるから明日」というものではないからもんじゅの問題が出てきたのだと。そういう話ですので,そのあたりもきちんと整理をしながら議論をしていく,そういった意味でよい議論になっているのではないかと思いますけれども。
【木村】では吉岡さん。
【吉岡】ちょっと誤解があったようなのでOHPで説明します。

--OHP--

 長期計画自体がいったん立てられたら,それを何としても実現しようと進められてきたというようには私は言っていないで,いつの時代にも他の国だと開発がまったく止まって,長期間にわたって建設がストップしたりとかいう例があるのだけれども,日本では常に一定のペースで伸びてきたというような,それが得意なのだと。
 長計については内山さんが「原子力発電規模が常に下方修正されてきた」と言いましたけれども,これはもんじゅですけれども,高速増殖炉ですけれどもそれと同じで,これはひどい下方修正です。最初の1957年の発電炉長計では1970年頃にできると言ったのが,私も参加した去年の暮れのFBR懇談会では重水炉移行については柔軟に考えると,消えてしまったということで,すべての分野で下方修正ですけれども,絶えず少しずつ前進をしてきたと,それが日本の特徴なのではないかというのが私の意見です。
【木村】他にいかがでしょう。
【小沢】下方修正して何が前進したのですか。
【木村】下方修正して何が前進したかという……。
【小沢】少しずつ……。
【木村】えーと……。
【小沢】いいです,それではやめます。
【木村】いやいや,やめなくていい。
【小沢】留保しようと思ったのですけれども……。
【木村】下方修正は私もよくわからなかった。
【吉岡】ですから,成長速度が予想より低かったけれども,一定水準で成長してきて,その結果としてもんじゅというのは予定より何十年か遅れて臨界に達するとか,そういう予定より遅れて,いったん立てられた計画がとりあえず実現はしたという,最近まではです。最近は実はそうでもなくなってきているのですけれども。
【木村】どうぞ,石川先生。
【石川】吉岡さん,それだけの例だとやはりアンフェアなのですよ。ATRというのはやめてしまったのです。ですから,このように完全にやめてしまったという事例もあるわけですから,下方修正しながらごねごねごねと言うだけでは,それはやはりいけませんね。お互いに共通のデータベースを持ってきちんと話し合おうとしているのですから。
【木村】ちょっと待って下さい,中島さん。
【中島(元中央大学教授)】いまATRの話が出ましたが,これはまだどういった会議でも何も議論していないですけれども,私はATRを非常にあっさりとやめてしまったのは,原子力委員会の政策の誤りだったと思っています。しかもフ(?)という問題などが問題になっている今日,動燃で一番実績を上げた原子炉を止めて,しかもそれに対して打つべき手をあまり打たないで,つまりもっと技術的にも改良するとかいうことをやれば別の役割があったかもしれないと,これは私の個人の意見ですけれども思っています。
 そちらはやめてしまって,どうも未来永劫ちょっと見込みもしばらくつけられないようなもんじゅばかりやっているほうが,私には不思議だったのです。ここはモデレーターでも意見が違いますけれども,これは今後,議論をやっていきたいと思います。
【木村】石川さん。
【石川】ちょっといまのレスポンスだけで。実は中島さん,きょうはいいのですけれども,私がその点が一番心配なのは,いまの議論をしているのは政府の計画自身が本当にやめてしまわないか,ぐねぐねしているということに対して申し上げたので,ATRが政治的などのような事情でやっているかという議論とは違うのです。原子力の議論というのはいつでもそうで,何か言うとこちらがわっと向こうへ行ってしまって,それで結論が出ないものですから,一番はじめに私はそれはやめようと申し上げたわけです。
【木村】では深海さん。
【深海】先ほどの猪瀬さんの指摘で,例えば石油価格が下がってきたと。それで変わらないという話があったのですけれども,やはりこういう電源開発とかそういうものはどれだけ,例えば開発するのにリードタイムがかかるのか,石油なら石油の値段がいったい今後どうなっていくのか等々,そういうある種の目先の動きに対応するだけではなくて,時間的な要素,それから現在安くなっていても,これもまたいろいろな見方があるわけですが。
 ですから,そういう面で言うと非常に総合的に,特にリードタイムが非常に長くかかるようなものについては,そういう目先の変化という話ですし,それから,例えばいま日本のエネルギー政策というものを見たときに,非常にある面で言えば当面の景気回復のために高コスト構造是正とか,電力の自由化だとか,これはある面では非常によいと思いますが,同時にIPPという独立発電業者を入札させて安いということにはなっているのですが,これは実は皆IPPは何を燃料として使っているか,それは残滓とか,あるいは石炭なのです。
 ですから,そういう意味で言うと,当面安いということと,それから究極的な意味で,例えば地球温暖化防止のためにCO2 を大幅に削減しようという目標との間にはトレード・オフの関係が生じてくるという意味で,ですから,私がここで議論したいことは個々の問題よりはそのように考えたときに,例えば価格を安くするということと,われわれが究極的に考えていることとは,本当に両立するのだろうかどうなのだろうか。
 あるいはそういう電源を考えたときに,いったいどういう判断に立って決めるべきかとか,いろいろな要素があるので,何か先ほど私はちょっと長くしゃべって申しわけなかったのですが,そういうピースミルに個々のことで議論をしていくと,それはそれなりに意味があるとは思いますが,むしろ非常にある面で言うと危険なというか,あるいは本質的なわれわれが判断を誤るということがある得るのではないかと感じて,もう少しいまのシステムとか,あるいは科学政策のあり方というのはけっこうだとは思いますが,あまり個々の論点とかいう議論をここでやるべきかどうかというところの問題も感じてならないものですから,ちょっと座長に,問題提起も含めて私の意見も申し上げさせていただきました。
【木村】はい,わかりました。吉岡さん,どうぞ。
【吉岡】深海先生からそのように言われましたので,ATR問題の突っ込んだ議論はぜひ中島さんとも3人ぐらいでやりたいのですけれども,それは置いておいて,ちょっと3,4分話させてほしいですけれども。
 深海先生のレジメにあるⅠの8に「客観的な評価・判断,そのメリット・デメリットの総合的・冷静・客観的な評価・判断の必要性」ということで,これは前の円卓会議でも話したのですけれども,ちょっとOHPで説明させて下さい。

--OHP--

 歴史家ですから歴史的アセスメントと言っているのですけれども,なぜ50年経って原子力政策というのがうまくいっていないのか。それを歴史を点検することによってどう間違ったのかということを検証するというのが,私の言う歴史的アセスメントの基本的な作業です。それを十分踏まえたうえで,どういう路線を選ぶかについての体系的なアプローチで決めるべきではないかというのが私の意見です。
 これは私,去年のFBR懇談会でも言ったのですけれども総合評価と言っています。有力と考えられるすべてのオプションを挙げると。ここでは路線としては高速増殖炉をやるというものと,軽水炉でMOXをやると。3番目は軽水炉でワンスルーで直接処分,4番目は脱原子力。これのそれぞれの路線の利害得失は総合的にどうなのかということを考えればよろしい。
 その基準としては実現可能性というのが1番,2番目が平和・人道に関する合理性。これは先ほど深海先生が詳しく議論されていたような核拡散の問題です。3番目は一般国民にとっては一番関心の強い環境,安全,健康です。4番目は経済。経済だけで物事を決めたら誤った判断を下すわけです。安いからよいのだという,これは重要な観点ですけれども,それだけで決めてはいけない。総合的な合理性で決めなければいけない。5番目は資源の長期安定供給ということです。
 この各々のクライテリアについている4つの路線を総合的に点数をつけようというのが私の2,3年前からやってきたことです。こういう表も前に示しましたけれども,ABCDで大学の成績のようにつけて最後の総合評価で評点をつける。これは重みをどうつけるかが問題ですから,重みのつけ方によって評点が変わるということもあり得ますけれども,とにかくこういう表をつくってみる。できれば各々のアイテムについて1回ずつぐらい議論をして,最後に総合評価で3回ぐらい議論をすればよいかなと思っています。
 私の評価を示しますと,皆さんが議論の結果,この評点は書き入れられるはずですけれども,これです。脱原子力が一番ベターであると。ただ軽水炉直接処分方式との差は見方によっては小さいし,あるいは直接処分軽水炉を使ったほうがよいという判断も,判断の仕方によっては下せると思うので,具体的にはこの2つの路線の勝負です。他のはちょっと話にならないだろうと私は考えています。
 こういう形で議論してオプションをすべて列挙して,それは医学で言われるインフォームド・コンセントと同じですけれども,手術をするか抗がん剤をするかというようなこと,それぞれの余命とか,いろいろな生活が仕事ができるかできないかとか,そういうアイテムごとに議論をして,最後に総括討論をするというやり方を,制度論は制度論としてやって,これはこれで路線論としてやればよいのではないかと思っています。
 こういう方法でやれというのは,実は最初に言った制度論あるいは文化論とも密接なかかわりがあるので,いままでの原子力政策というのはこういう形ではやられてこなくて,どうも弁論術的な理屈によってやられてきたと思っていますので,ここで1つ真剣にこういうアプローチの採用を考えてみてくれないだろうかというのが私の提案です。
【木村】はい,ありがとうございました。もう少しやりましょうか。いまのことでもけっこうですが,ご発言ありませんでしょうか。中島さん,どうぞ。
【中島】吉岡さんのような,政策を立てるときにそういう手法を使うというのは,合理的な面があると思いますが,共通しているのは軽水炉というのは固定的に考えておられるのではないかと,率直に言って私は思います。私はその意味で深海先生がおっしゃったように,いま原子力,われわれは原子力発電というと軽水炉しか考えられなくなっているのは,やはり歴史的な現象だろうと思っています。
 根本的に見直しますと,はっきり言いますと,いま大体日本でこれから作られようとしているのはABWRという大きい炉をたくさん作ろうとしているけれども,30年寿命があるとすると2030年までああいう炉が日本にたくさんあることがよいことかということで,むしろ疑問を持つのです。
 そうではなくて,私は深海先生が言われたように原子力というのは素過程では 100万倍もの,つまり化石燃料に比べれば 100万倍もの効率があるのに,現在は実際は1万倍程度です。しかも軽水炉というのは何十年も前から 300度60気圧とか 150気圧とかひとつも変わらないわけです。
原子力を少しやったものとして,それよりよい原子炉ができないはずはないと私は思います。そのためのことがあまり明確になっていなくて,そして軽水炉=原子力発電にしてしまっているところにも非常に大きな問題が残っている。吉岡さんのようにそれだけを前提にしてそれで再処理する,再処理は現在の軽水炉でやったらプルトニウムが出てきますから,先ほど言ったようにアメリカのやっているように直接処分をするのか,日本のように再処理をやるのかというのは,どちらも1つのチョイスとしてあり得ると思います。だれが点数をつけるかは別として。
 ですから,やはり原点まで帰って問題をやるとすると,特に原子力委員会に考えていただきたいのは,私はむしろ少し将来,つまり実現可能,かなり長い2030年とか相当先を見据えて,いまどういう原子力技術を開発すべきなのだということのポリシーが,どうもはっきり言って明確ではないというのが,私が原子力委員会に対して大変不満を持っている最大の理由はそこにあるわけです。電力会社の言いなりに仕事を進めているだけでは,やはり困るではないかと私は思っています。
【木村】では茅先生。
【茅】ちょっと司会をサポートしている立場ということから申しますと,吉岡さんが提起されている一連の問題というのは,皆原子力政策のあり方をどうしたらよいかという例として出されるのであって,例えば,いまの表も表の分類の仕方がおかしいとか,よいとか,あるいはその点がよいとか悪いとかという議論をするためではなくて,ああいうやり方を考えるべきだというご意見だと思います。
 したがって,中島さんのお話もわかるのですけれども,やはり議論をかみ合わせるためには,例えばここではそういう政策のやり方を議論するとか,あるいは,そうでなかったら現実にこういう問題そのものを議論するということを決めて議論をしていただきたい。たまたま時間がもう3時過ぎましたので,多分しばらくしたら休憩になると思いますが,そこでちょっと同時性(?)をわれわれのほうも立て直しますので,少し話が事実と仕組みとか組織というのが,こんがらからないように何とか皆さんのほうもご協力をお願いしたいと思います。
【木村】それでは深海先生,ずっと発言を切ってしまって申しわけありませんが,それでは……。
【深海】ちょっといいですか。茅さんと同じようなことで。
【木村】では休憩前に一言だけ。
【深海】私,先ほど問題とか内容とかという話で,例えばいまの吉岡先生の表についてコメントしようというのではなくて,あれを議論するためには,いったいわれわれはどのくらいのタイムフレームで考えているとか,供給サイドだけではなくて需要サイドはどう考えるかとか,そういう枠組みがないと,あれがぽっと出てきても議論できない。
 ですから,私が最初に「問題とは何ですか」と。「あるいは何か問題を設定しないで問題全部をやるのですか」と。個々の問題が出たときにいまのような問題を感じたので,私は茅先生の整理はとてもよいと思いますが,いまのようなことがなければあれの評価は,こういうフレームワークでやろうというのはわかりましたけれども,評価の内容まで出てきてABCDがついているということは,非常にあまり,そこまで言わないですけれども,そういう意味ではわれわれの議論の前提条件とかその他が明らかでなければ,はっきり言ってフェアではないと思います。
【猪瀬】それは先ほども茅さんが言ったように1つの例ですね。つまり火力発電にしろ,水力発電にしろ,代替エネルギーにしろ,原子力にしろ,それは皆問題があるのです。それぞれが問題を等価だと1回考えなおしてみて,それでなおかつ,では原子力発電だけに特殊なものは何かというようにもう1回振り返って戻って,そして言えば,先ほど吉岡さんが政府の権限の抜本的な見直しというようなことをおっしゃっていたけれども,基本的には国策であることは,これは前提ですけれども,やはり国策のあり方とかシステム,何度も言うけれどもその辺に絞っていかないと,他のエネルギーのことを言ってもしょうがないと思います。
 ですから問題点は等価だととして,ここだけちょっと違うのではないかというところをやはり分析していったほうがよいと思います。
【木村】それではここで議論を切るのはどうかと思いますけれども,少し頭を冷やしたほうがいいような気がしますので,何分ぐらいにしましょうか。では事務局,お願いします。
【--】それではこの辺で休憩に入らせていただきたいと思います。まず最初に円卓の先生方がいったんご退場になりますので,傍聴の方はそのまま着席のままお待ち下さい。その間に事務局のほうからお知らせがございますので,傍聴の方はしばらくそのままお待ちください。
【事務局】事務局より連絡させていただきます。まず会議の再開ですけれども,20分程度休憩ということで,15時30分より再開ということでお願いしたいと思います。なお事務局からお詫びがございます。円卓にお座りの方以外に,招へい者の方々が発言のさいにご利用になられた資料が配られていないということがあったようでございます。一般の方々につきましては会議終了時に受付までお申しいただければ,準備しているようにいたしたいと思います。報道関係の方につきましては,報道控え室までお申しつけ下さいますようお願いいたします。なお,トイレにつきましては,ロビー左奥,2階,1階,地下等をご利用下さい。ロビーにおきましてドリンクサービスをいたしておりますので,ぜひご利用下さい。なお,受付にてお渡ししましたバッジ,いまお付けいただいているバッジですが,会場内への再入場のさいに必要になりますので,必ず胸に着用して下さい。よろしくお願いします。

--休憩--


【木村】それでは時間になりましたので,後半の部を始めさせていただきます。私はきょうは司会を務めておりますけれども,原子力問題についてはエンジニアですが素人でありまして,なるべく皆さん方に闊達にご意見をいただくということでやってまいりましたら,完全に3時少し前に混乱をしまして,この後どう進めるのか,大変頭の痛いところで,茅先生に切っていただきましたので大変助かった次第です。
 私は皆さんのご議論を聞いておりまして,様々な意見が出ましたけれども,やや専門家の議論に走ってしまったような気がしております。もう少し,国民の平均的なレベルでの議論をしたほうがよいのではないかという印象を持ちます。
 そのような意味でいきますと,長見さんの議論に,ある意味では共感を持ちました。おっしゃったことをかいつまんでまとめますと「要するに国民の大部分というのはどちらにも属さないのではないか。けれども不安なのだ。それはどうしてだろう」という問題提起です。結局は仕組みとか,運営管理などに携わる人々の問題ではないか。そのようなところで,はっきり申し上げますと情報発信がされていないということが,非常に大きな国民の危機感につながっているのではないか。もちろん原子力がいるかいらないかという議論はありましょうけれども,やはりそのところが一番大きいということで,ご提言になったのは仕組みの再構築,それから情報発信の問題,この2つの問題をご提議になりました。
 「情報というのは,じつは量としては出ているのだけれども,知りたいものが足りない。何か隠されているのではないか。それが国民に大変な不安感を与えている」。そのような問題提起でしたので,その辺のところから,これは猪瀬さんのシステムの問題にも関係してくるのだと思うのですけれども,その辺の問題から入って少し入ってみたい。
 それから吉岡先生は,大変ディテールにあたる議論を展開していただきましたけれども,今後その問題についてはさらに機会を設けてやりたいと思いますので,できましたら,いま申し上げたような観点から,システムの問題,それから仕組みの再構築,情報発信,その辺の問題について議論をしていきたいと思いますが,いかがでしょうか。
それから,少し音響効果が適当でありませんので,お声が取りにくい方がいらっしゃいますので,なるべくマイクに近づいてソフトにしゃべっていただきたいと思います。
 どなたからでもよろしいと思いますが,いかがでしょうか。
内山さんどうぞ。私が申し上げたように,あまり技術論に走らないところでお願いしたいと思います。
【内山】仕組みと情報発信という問題で議論をすると,ただ聞いている方も,いま仕組みと情報発信は何が問題かというのがよくわからないと思いますので,その辺について,提案された方に具体的にどのようなところが問題かを,説明していただくのが最初ではないかと思います。
【木村】いかがですか。長見さん。
【長見】私もよくわかっているわけではありませんので,仕組みと情報発信はちょっと分けて議論したらよいと思うのです。仕組みと言ったらマネジメント的な要素がかなり強くありますし,先ほど前段に議論になりました政策決定の仕組みもありますし,それから実際に民間が行うのか,官が行うのか,それに第三者の市民の参加をどうするのかとか,いろいろな部分での仕組みというのがあると思うので,仕組みも少し分けて議論していかないと,話がやはりいったり来たりして飛んでいってしまうような気がするのです。ですからどの順番がよいのかわかりませんけれども,先ほど問題になりました政策決定の仕組みとか,実施を決定する仕組みとか,その辺からされるのか。それとも原子力について意思決定をする市民参加の仕組みを考えるのか。私もちょっとその辺はまだ見えておりませんけれども,どこか決めて議論を進めていったほうがよいと思いますので,それは議長さんのほうで提案していただければと思います。
【木村】内山さん,何かありませんか。
【内山】猪瀬さんあたりが,何かその辺,あるのではないのですか。
【猪瀬】情報公開という言葉が基本的にあって,政府の情報公開法もいずれ出るのですけれども,これもいろいろ問題があるのですけど,それはちょっと置いて。例えば阪神大震災の時に,あの事故が村山総理大臣に伝わるのにどのくらいの時間がかかったのかという問題があったのですけれども,例えばこのあいだ北朝鮮のミサイルが飛んできた時に,韓国ではもう夕方に発表しているのですけれども,日本では外務省と防衛庁がもめて,夜の11時ぐらいにやっと発表されるのです。問題はこのような体質なのです。したがって,例えばもんじゅの事故が起きた時に,私などが一番知りたいのは,記者会見で「これこれこうでありました」という模範的な作文で,後で反省をして頭を下げて説明なさってもあまり意味がない。実際には「何時何分,だれがどこで何をしていたか」ということを,徹底的に肉声で語ってもらえるような,そのようなものが本当の情報公開なのです。
 よくNHKスペシャルなどでよくやりますけれども,そのようなものを,私なら私がアクセスをして,ホームページとかあるいは分厚い原子力白書などを貰ってもしょうがないのです。基本的にはそのようなことをさせてもらえるかどうかなのです。だから私がもんじゅに行って,全員にインタビューをして,肉声で全部しゃべってもらえるということが前提です。そのような風土とか,そのような文化ができて,初めてこの問題が解決してされていくのだと思います。
【木村】ありがとうございました。浅岡さんどうぞ。
【浅岡】政策決定という場面で,この会合も「原子力政策円卓会議」ということですから,まさに政策を議論しようということだろうと思いますし,私たちは一昨年から去年にかけての会議の中で,京都会議の関係で大変問題が大きい深刻だと思いましたのは,本当に政策決定のプロセスが国の方針として不透明である。行政省庁間のやりとりの中で,密室の中で決まっているということを,本当に目の当たりにしたきたわけです。審議会というのもお墨付き機関だと言われても仕方がないのではないか,やはりそう思わざるを得ないのではないかと,私もつくづく思いました。
 そこをどう変えていくかという点では,私たちが求めてきたのは,もっと政策決定に市民が参加できる制度的な仕組みをつくる。「意見を聞きます。皆さん,言いたい方はホームページにでも書いてください」ということではなくて,やはり,この円卓会議がどれだけの政策決定権限があるのかわかりませんけれども,それなりの決める場に参加できるという仕組みなのです。これはとても大事だ。それをしていくために,情報が開示されなければいけないということは言うまでもないことでして,私は情報公開は当然なのですけれども,先ほど立証責任は国のほうにあるのだと申し上げたのは,情報公開という前に,もっと本当に自分たち政府が,あるいは電力業界側のご主張を,納得させようと思うような説明をしようとしているとは思える(?)のが大事だと思うのです。でも,いろいろ説明を聞いていましても,きょうの議論の中でもなかなかそうは見えないの
 です。例えば内山さんが先ほどの話の中で「電力需要はこれだけ伸びているのです。だから必要なのです」と言われる。そのような理論で言うと,去年の会議などは何をしたのかわからないわけです。資源やエネルギーをどんどん使っていくということではない,次の世代をどうして築くかという議論をしている時に「伸びるのですよ。しょうがないのですよ」と言ったのではしょうがない。やはり,もっと元に戻って議論しようではないかとみんなが考えている。
 そして,先ほどの世論調査の中で総理府がなさった 100名の世論調査の中で,先ほども言われましたように,本当に国民側の意見としては,原子力を増設して解決をするという解決はほとんど選んでいないという現実を,あっても,あっても,それを示されても「いや,それは間違っているのだ」と言わんばかりの手続きの進め方を感じられると,このあたりは,それではやはりいくらそうして進めたいと思われても進まないということを,特にここ最近数年の国のいろいろ政策,公共事業などどう進めるのかということで,デッドロックに行き当たっているのと,共通する問題があるのではないかと思います。
【木村】いまの浅岡さんのご発言は,長見さんの最初の仕組みのほうです。政策決定,市民参加,全部入ったご意見ですけれども,仕組みのほうだと思います。浅岡さんは市民が参加できるシステムとしてはどのようなのがよいとお考えですか。外国でもいろいろなケースについて悩んでいる問題だと私は思うのですが。
【浅岡】これは私は,いま国会で地球温暖化対策推進法案というのを議論している過程でも,そのような議論が出ています。市民側で政策決定,また見直しも,実施においても参加できるようなシステムでということを提案してまして,これはもういろいろなレベルであります。最終的には国の一番大枠の中の政策決定の中の決定権者は誰なのか。こういう円卓会議であるとすれば,そこにだれか参加できているのかということになりますし,でもそれを支えるのは,やはり各地で,それぞれの地域でどのような人々がどんな考えを持って,どういう温暖化対策をしていこうとしているのかということが,現場での仕事があって,始めてつながってくるのです。ということは,ローカル政府のレベルででもそうした場が必要ですし,またそれを支えるための地域の住民のグループ化した活動というのも,本当に必要になってくると思います。
 ずいぶんいろいろなレベルであります。いろいろなレベルで,やはり市民が参加型で議論をする。そしてお互いの意見も聞き,再考する機会をお互いに持ち,実践しつつそれを考えていきつつ,また修正もしていく。そのようなおだやかなシステムというのが当たり前だというようになることが必要です。
もう1点,中身について言い忘れたので申し上げますと,原子力を進めるのか進めないのか,いま問題は,私たちの関心から言いますと,もんじゅは横に起きまして,さらに増設するのか,そうではない方法を取るのかということのところで議論をしていたわけです。そのような意味で進めるかどうかというのは,どんな代替措置があるのか,どのような節エネルギーをしましょう,省エネルギーをしましょう,あるいは自然エネルギーの普及をしましょうというのは,どのようにすればどんなことが可能なのかというのが決まって,では原子力はどうなるのだろうかとなるならわかるのですけれども,しかし昨年から今日に至るまでのエネルギー政策というのは,まずエネルギー供給政策ありきなのです。ここが決まったうえで,その枠の中で何かとしかなってこなかったのです。
 ここは国策だとおっしゃいますけれども,やはり国策であればあるほど,もっと議論に参加できるようにしていかないと,われわれ縁側から見れば困りますけれども,国の側から見ても政策が進まないということになるのではないかと思います。
【茅】整理の意味で発言をしますが,長見さんが最初に言われた市民参加という話は,市民が充分この問題についてわかっていないと,それに対してどうやって充分情報が供給されるかと,そのための仕組みというご意見だったと私は聞いていたのですが,いまの浅岡さんのご意見というのはそうではなくて,市民の持っている意思を政策に直接反映させる手段についての参加の仕組みというご意見だったと思うのです。その意味で言うと,長見さんが言われたものと若干違う意図であるように思うのですが,長見さんはその辺はいかがですか。
【長見】いろいろな参加の仕組みというのがあると思うのです。
 いまの直接の答えにならないのですけれども,ヨーロッパの仕組みというのは,私は最近すごくうまくできているなと思うことがよくあるのです。それはOECDでもEUでも,その機構の中に消費者政策委員会でというのを設けています。ISOの中にもコポルコと私どもは言っているのですが,消費者政策委員会というのが作られておりまして,これはもっぱら本体のほうに提言していく役です。提言とチェックをしていく役割を組織の中に入ってあるわけで,横切りにあるわけです。
それからもう1つはEUがECになった時ですけれども,デュークという消費者組織を作っています。これは日本で考える大衆運動的な消費者の組織ではなくて,専門家のスタッフによる組織になっておりまして,いまの時点ではちょっと変わってきているのですが,最初の段階ではECとEC加盟国が費用を出しているわけです。そして専門スタッフをおいて,例えばECが農業政策について施策を出しますと,それについてもっぱら批判的に見て,消費者の立場からチェックしていく役割をするわけです。
 それが法律にもありますし,それこそPL法のときにも,やはりEU,EC指令の時に消費者の立場で,それをどう判断するか,議論をするわけです。批判をして,議論をして,妥協するということをやっていくという仕組みが作られているのです。それはやはりずいぶん優れているし,一方的にものの考え方が偏らないというチェック機構,リスクを回避する仕組みではないかと思うようになってきたのです。
 私が関わっているISOのコポルコという仕組みでは,ISO自体は産業界のものですが,ISOは各国政府に対して国際的な意思決定の場に,消費者団体の参加を支援するようにしろという宣言も出しています。おかげで私たちは,去年から国の補助を得て1名分が参加できるような手当てを得るようになったのですけれども,そのような思想というのは非常に重要ではないかと思うのです。
 ですから,情報を共有するための参加も必要ですし,政策決定に対してもっと専門的な立場で参加することも必要なわけです。何も大衆そのものが参加するということでなくても,さきほどのデュークのように専門家スタッフが確実に消費者の立場から,国民の立場から発言していくという役割をきっちり守っていく,そのような良識を持った考え方の社会構成というのがあれば,それでよいのだと私は思うわけです。
原子力の問題は,残念ながら私は前にどこかでも言ったことがあるのですか,専門家を全部一枚岩に,体制側に抱え込まれてしまったわけです。他の意見の人たちが,専門的な意見をだれに聞いたらよいのかわからない状況になっているわけです。そしてそのような事態がずいぶん長く続いていたわけです。そうではなくて,違う場の,利用者とか立地条件の人たちとか,そのような場に立つ役割の組織というのも残しておいてもらわないといけないことではないかと思うのです。そこに専門家を置いておくというのは大事なことだと思うのです。原子力関係の各種団体というのもずいぶんたくさんあるのだということもわかりましたけれども,そのどの組織にも国民大衆がコンタクトは非常にとりにくい。また,非常に専門的な言葉でしか情報は語られないということに,すごく問題があるわけです。ですから,始めからスタンスは国民側にと言いますと非常に曖昧ですけれども,わからない人たちの立場のほうに立地しているというように,スタンスをおくべきだと思うのです。
 私ども日本消費者協会というのも財団ですけれども,最初からわれわれは中立ではないと言っているのです。私もいろいろな人間の養成をしますけれども,われわれの立場は中立ではない。明らかに消費者側に偏るのだ,そちらの味方なのだということを,私たちは人材育成のときにはしているわけです。そのような仕組み,仕組みという言葉は非常に曖昧ですけれども,考え方というのは必要ではないかと思います。
【茅】いまのご意見でしたら,情報を伝えてもらう,情報を受け取るというための仕組みという話と,それからわれわれが持っている意思を政策に反映させる,あるいは直接そこに投げ込むための仕組みの両方が必要だということですね。
しかし,一応ファンクションはそれぞれ違うわけです。浅岡さんが最初におしゃっいましたのは,意思を反映させる仕組みのことをおっしゃったので,長見さんがおっしゃたのは,情報を受け取ることを最初におっしゃって,そのあとで政策の決定に参加することが大事だということですか。
【長見】それは浅岡さんがおっしゃっているのと同じなのですが,何層にも,そのような参加の場面というのは必要なのだと思うのです。そしてそれによって,どのような形になるのかの違いが出てくる。
【茅】わかります。これは議事の整理の意味で発言しているわけで,私の意見を言っているのではないのです。意味は,したがいまして,議論として仕組みと言っても,いかに情報を国民に正しく伝えるかというための仕組みの話と,それから国民が持っている意思をいかに政策に伝えるかという2つの面があるわけです。これを一緒に議論をしてしまいますと,ちょっと混乱をしますので,取りあえず今回はどちらかに,まず最初に分けて議論をしていただいたらどうか。
 両方確かに関係があることは事実ですが,やはりちょっと違う側面がありますので,そこは切り分けてご意見をいただいたほうがよいのではないかというのが,私の意見です。
【木村】はい。吉岡先生,その線でのご意見ですか。
【吉岡】基本的にはそうなのですけれども,論点を整理してみたいと思っています。
前回の円卓会議で3つのことが主に決まったのですけれども,1つは次の円卓会議の創設と,もう1つは高速増殖炉懇談会の設置,私も出ました。それと情報公開,市民参加の促進ということで,具体的に決まったのは情報公開,市民参加の促進というこの1点であって,これは大変だれから見てもよかったと,やらないよりはよかったという皮肉を言う人もいますけれども,効果は大であれ小であれプラスであるということを一様に評価しているわけです。
その後,2年ぐらいが経過しているわけですけれども,この間にいろいろな政府の決定というのがなされました。その2年間の情報公開,市民参加の成果と限界というのを検証したいというのが,私の歴史家としての希望なのですけれども,その際情報公開,市民参加というのは何なのかというと4つの側面からなるだろうと。いままでの数人の論者が言って下さったのを整理すると4つの側面からなる。
 1つは情報自体は出ているのだけれども,市民に非常に判りにくい。あるいはミスリーティングな形で伝わる。それをいかに効果的かつ中立的,客観的にしかもわかりやすく伝えるかというのが1つの問題である。
 第2の問題というのは,非公開の情報がまだ非常に多いというように私は思っております。それをどのように解除していくか。特に公開決定前については,審議会の議事録とか,経過とか,そのようなことまで判っていないわけです。情報公開法ができたら,私はせっせと歴史家として請求はしたいと思っておりますけれども。
 いま,特に問題になっているのは,経済的な情報であって,アカウンタビリティという言葉がありますけれども,アカウントが可能であるということで,アカウントというのは会計のことです。それが不可能なのです。例えば再処理オプションを取った場合にどのくらいのコストになるのかとか,それが非常に虚構的なデータであったり,あるいは数値目標であったり,単なる目標がそのような見通しという形で言われていたりとか,そのような情報公開はまだまだだというような印象は持っています。
 それから3番目は市民の意思を反映させるという論点で,これはいろいろな委員会が出て,その報告書,原案に対する国民意見の反映というのが掲げられていろいろなされたわけですけれども,私の印象ではほとんど取り入れられていないというような,いくつかの,FBR,高速増殖炉懇談会に実際に関わってみて,その取捨選択もやったわけですけれども,あまり反映されていないという印象をもたざるを得ないので,これをどうするのかという問題が3番目としてあるわけです。
 最後の4番目は,いま長見さんがおっしゃった,専門家や学識経験者がみんな推進サイドに取り込まれてしまっていて,第三者的な立場から,政府とは独立の立場から,専門的,政策的勧告をできたり情報発信をしたりする,そのようなものの整備が必要ではないかと言われたのですけれども,私は大賛成で,じつは個人的には原子力政策グループの立ち上げとか,そのようなことをもしできたらやってみたいと思うのですけれども。それに重要なことは,政府がお金を出して支援してほしいというような,いままでは政府関係の機関にしか研究費を出さなかったけれども,いろいろな団体に,ある研究をするからには推進サイドの研究もやってもらうのも大いに結構だけれども,批判サイドにも同じ金額を出せとは必ずしも申しませんけれども,そのようないろいろな意見が専門的な立場から出てきて,それを一気に与えられると国民は混乱すると言われるかもしれませんけれども,多様な言論状況を作り出して,その中で取るべき点はそれぞれ取り合ってという形での,最終的な合意は成り立つかわかりませんけれども,よりよい理解の仕方に到達することはあるのではないかと思っております。こういう4点について。
【木村】いま茅先生から問題提議ありました。長田さんの私が提案させていただいたのは2つありまして,情報をいかに正しく伝えるかということ。それからもう1つそれと違う側面で,国民の意思をいかにその政策決定に反映させるかということに2つの問題を切り分けたほうがよいということに対して,吉岡先生から情報公開と,あとの市民の意思の反映ということで,それぞれ問題の指摘がありました。情報公開については長見さんもおっしゃいましたけれども,情報が出ているけれども判りにくい。それをいかに効果的に判りやすくするかという問題が1つ。それからもう1つは,これはなかなか難しい問題ですけれども,非公開の情報が多い。その辺の問題をどうしていくか。
それから,意思の意志を政策に反映させるについては,ご自分のご意見で,現在のところそれほど反映されていないのではないか。それからもう1つは専門家,学識経験者が,これは長見さんもおっしゃいましたけれども,ほとんど一枚岩になってしまっているという状況をどうしていくか。このような問題提議だと思います。その辺で,深海先生。
【深海】いままでの議論は非常に納得的だし,あるいは正論だと思うのですが,情報をわかりやすく伝えるという側面と,それから意思の反映というその両面について,私が具体的に問題点だと思うところを申し上げたいと思います。
1つは,やはり情報を公開する,あるいは情報をわかりやすく伝えるという場合に,もちろん政府が何も隠すことなく,フェアに情報を出すということもすごく重要だと思うのですが,もう1つの問題は,やはり当事者が出す情報を信じることができるのかどうかという問題です。ですから第三者機関とか,そのような機関がむしろない。当事者同士で話し合うというのであって,何かその客観性をどう求めるかということが,私はこの問題の専門家ではないのですけれども,何か第三者機関とかよくわからないのですけれども,そのようなものが非常にフェアな情報を出すというイメージを国民に伝える。先ほど言われたように,何か専門家がみんな取り込まれているというのは,むしろそのような意味を持っているのではないかと思うので,その情報を公開するという場合の公開の仕方の問題,あるいはその点がやはり非常に重要ではないかと思うのです。
それから第2の問題なのですが,いったい意思の反映という場合に,どのようなことが行われたら意思が反映されたというように言えるのかという問題です。例えば長計でも,私もキボ(?)さんと一緒にやったことがあるのですけれども,この現行の長計というのにご意見を聞く会とかいろいろなことをやったのです。しかし,これはむしろ反対意見の方にとってみたら,意見が聞かれただけで反映されていないという形になる。だから,意見が言われて意思の反映ということをどういうふうに理解し,あるいはどういう仕組みなのか。例えば,そのような委員会,あるいは審議会にある何人かのメンバーが,消費者とか生活者代表で登場することが意思の反映なのか。必ず,これは消費者,あるいはある人たちの立場が,政策に必ず実現されなければ反映と言えないということだとすると,何かそのような仕組みは一体どうなるのだろうかということで,もう少し現実的に考えてみる必要性があるのではないかと思うのです。
 ですから,情報を公開しよう,それから意思の反映を考えようという建前論は非常によくわかったのですけれども,それは具体的にどのような形でどうやることが具体的なシステムとか,例えば,実際にいまの原子力政策の場で,どのようなことを考えたらよいのだろうかということです。
それから,いまのは論議なのですが,ややそれにプラスして私がいままでの議論を聞いていて思ったことを申し上げたい。
第1は,私は要するに当事者はいまのところ政府と,ある意味で言えば市場,あるいは化学メーカーその他と言ったら,経済界,産業界と言いますか,市場と政府と市民と言いますか,消費者,生活者という当事者がいると仮定します。しかし,いままで論議されているのは,このようなことを言うとまた大議論になると思うのですが,政府の失敗というのがいま一番問題になっていて,そこで政府を「小さな政府」にしよう,効率化しよう,規制緩和しようということを言っているわけです。
 しかし,同時に,私は経済学者だから言うわけですが,もともと政府の必要とされる,市場の失敗ということがあって,それで政府が登場したり,あるいは公共性を確保しようということがあるわけですから,市場の失敗,政府の失敗という問題は,一応正面切って議論されたのです。
 しかし,市民の判断というのが常に正しいのか。市民の失敗ということも当然あり得るわけです。一昨日でしたか,LPGの業界の方と夕食を共にした時にも出たのですけれども,例えば1950年代に某都市の主婦連の方が「LPGというのは可燃性で,危なくてしょうがない。フロンガスのスプレーを愛用しましょう」という運動をした。その時は当然正しかったわけです。それを言おうというわけではないのですが,いま言ったような当事者間が,市民と,あるいは市場と政府という,私はその3つの当事者を挙げたのですけれども,そういう面で,それぞれの判断・評価を交えながら,どのように意思の反映,あるいは最終的にそれをまとめ上げていくかというところが,非常に重要なように思えてならないのです。
 あと2つ言いたいのですけれども,もう1つは,いったい意思の反映はどのレベルで考えているのかということがあると思うのです。
 これは具体的に,国の基本政策の決定レベルの話なのか。あるいは,私が個人的に関連しているという意味で言えば,東京都のレベルの話で,地方公共団体の都のレベルでも,そういうエネルギー政策とか環境政策などをやる場合があるわけです。原子力プロパーについて都でやるとは思わないのですが,しかし,東京都には「環境パートナーシップ会議」というものがいま設けられているのです。
 「パートナーシップ会議」というのはどういうものかというと,環境問題の決定をする時に,都民と,事業者と,それから東京都という3つが集まって,一応意思の疎通を図ったり,その意見を反映しようということをやっているのです。さらに,それがいまは区のレベルにもなってきまして,実はこの10月から発足するわけですが,慶應義塾大学は港区にあるものですから,今度は港区で,市議や,区の当事者や,それから生活者といったレベルでそういうものを作って,一応の政策決定,あるいはその反映をしようというような形になっています。
 ですから,原子力については,たしかにほとんどの場合国のレベルの問題だとは思うのですが,そういう意思の反映のシステムなどの場合に,それぞれの問題によってはいろいろなレベルを考え,あるいはそこでの特殊性を考えていくということが必要ではないだろうか。
 それから,最後のことですが,私は大変重要なことは,やはり国民なり市民が,例えば原子力について言えば,開発利用計画に対して自分たちが参加したり,あるいは,これは社会心理学的にはエフィカシー,効力感ということを言っているのですが,効力感を持てるところであって,自分の意識が正しく反映されるという,先ほど私は「何が意思の反映ですか」と言ったのですが,だから,ある意味で言えば賛成でも反対でも,それらがきちんとフェアに議論されてという意味でのエフィカシーというのを得るようなシステムというもの,ですから,賛成が通らなければだめだ,反対が通らなければだめだ,というのではなくて,そういったことではないかと思われてならないのです。
 最後に,私はそれを実証しているとは決して言わないのですが,これは「エネルギー情報工学研究会議」という向坊(?)先生が理事長をやっているところなのですが,ここが実はエネルギー,原子力に関して,1989年から2年ごとに世論調査を隔年でやっていまして,1995年10月に行った世論調査の結果というのは非常におもしろいのです。
 これは,全国 3,200人と,それから原子力発電立地をしているサイトの 800人を対象としてやっているのです。細かな内容は省略いたしますが「原子力政策で今後重視することは何ですか」というのを,7つの選択肢から行ったのです。
 この円卓会議が設けられたのもまさにそうで,科学技術庁の方には大変申しわけないのですが,その時には「原子力開発に関する国民の合意形成を一層促進しよう」というのが1つの建前であったように思うのです。これを1番目の選択肢に置いたのですが,全国・サイト共に「合意形成」というのを選択した人は一番少なかったのです。全国で19%,サイトで18%なのです。
 では,どういう選択肢が一番選択されたかというと「原子力情報の公開をさらに進め,技術的な内容などについて理解しやすいように解説する」,これが第1位で,全国61%,サイト64%です。ですから,情報公開というか,わかりやすく説明するということを一番求めていると思えるわけです。
 2番目に多かったのは「具体的な開発計画について,その必要性と国民経済的な利点などについて,わかりやすく解説し,理解を得る」というので,第3番目が「原子力政策の策定,開発計画の決定などに,国民の意思がより反映できるような方策を導入する」ということになっています。
 ですから,ある面で言うと,やはり情報が公開されて皆が理解,認識するということで,それが行われて,いま申し上げたような意味での意思の反映のシステムを選択するのではないかという感じを持ちました。以上です。
【木村】はい,ありがとうございました。
【猪瀬】深海さんのいまのお話の流れで少し付け加えさせていただきたいのですが。「市民」という抽象的な存在はないと僕は思っています。だから,それは例えば政策を合理化するための審議会というのが市民の意見だとされることもあれば,あるいは周辺住民の,具体的に市民が存在するとしたら,利害関係のある周辺住民,それからあとはNGOですね。
 あとは,一般的には僕は「国民」だと思いますが,国民というのは世論だと思います。世論というのは,基本的にはメディアだと思います。したがって,メディアが一過性の報道ではなくて,きちんとした調査報道ができる。調査報道というのは基本的には検証報道です。わかりやすい説明というのもそれですけれども,基本的には,おそらくほとんどがメディアに委ねられると思います。
 狭い審議会の政策で市民の意思反映というやり方は従来からありますけれども,それは正確には世論の反映ではないと思います。したがって,世論というものを,つまり極端な言い方をすると,アメリカは戦争をやるにも世論の反映なのです。世論がどう動いたかによって,戦争を始めたりするくらいです。世論というものを作るのは,やはりメディアです。もう1度言えば,そういう意味でメディアの責任は非常に大きいのです。メディアが本気で,要するにプロフェッショナル意識で問題に関わるかどうかによって,大げさに言えば国家の命運が決まってくるのだと思います。
 したがって,ではいまのメディアがその役割を果たしているかという問題になるのですが,メディアはもちろん果たそうとしていると思いますが,やはり基本的には出てくる情報の少なさですね。そういう意味で,今度情報公開法案が出るのですが,これも例外規定ばかりなのです。
 こういうことでは,たぶんこの原子力の問題も,よい意味での方向性は作れないと思います。相当その関係者が,情報公開ということについて,どのようなものが情報公開なのかということを認識する,「これだけ情報を出せばよいのだ」と本人は出しているつもりかもしれないけれども,先ほども言いましたが,具知的にメディアが踏み込んで,肉声をきちんと取れるくらいのところまで許容範囲を認めていかないと,おそらく国家の機密など,ぎりぎりのところに関わらない限りは,ほとんど許されてよいはずなのだけれども,しかし絶対に,この間の経験ではそれはできないですね。したがって,健全な世論形成ができないと僕は言いたいわけだけど。
【木村】いま,情報発信のところへかなり議論が来ているのですが,猪瀬さんが言われたことも理解できるのですが,私は深海先生が言われたように,本当に当事者が情報を出して,それが信頼できるかということが非常に問題だと思うのです。
【猪瀬】ですから,メディアがそれを検証する優秀なメディアでなければいけないわけです。
【木村】ですから,申し上げたいのは同じことで,少し話を飛ばしますが,例えばいま大学の評価というのをやっているのですが,どこでも盛んに自分のところでやっているわけです。大変なパブリケーションを出しているのですが,だれも読んでくれない。結局,行き着くところはどういうことかというと,第三者機関でやろうということになってしまうのです。
 ですから,当事者の情報というのはなかなか難しいところがあります。いま,猪瀬さんがおっしゃったのは第三者評価,深海先生がおっしゃった第三者機関はメディアという言い方ですね。
【猪瀬】第三者機関と言ったので,僕はそれはちょっと待ってください,ということがあったのです。深海さんが第三者機関と言った時に。これは,非常に抽象的なのですよ。
【木村】小沢さんがイライラしているから,ちょっとよいですか。
【小沢】この間,東京新聞か何かに載っていたのですが,世田谷区の後藤さんという人でしょうか,いつも出てくるのですが,財務局か何かの情報をずっと調べたら,何億円ものお金が使われていて,ぬいぐるみや家具,ラジカセが50台といったものが議員に送られていて,いったいこれは何なのだということで問題になったというのです。
 あの人はいつもいつもやるので,新聞社は新しい人がやると好きで,専門家的にやり出すとすぐに離れますからあまり報道されていないけれども,本気でやろうとしたら,私はいまある情報公開で相当のものが出てくると思うのですよ。
 ただ,原子力という問題は,私は市民の意思の反映というのはたった1つだと思っているのです。「電力はいまのように使いたい,だけどそれが安全であってほしい」。それだけなのだと思うのです。
 しかも,本当のところは,例えば火力や水力などいろいろやっていまの生活の水準が保てるのかという問題,そこを内山さんが最初に「モラトリアム」と言われましたけれども,それがもしだめで原子力が必要だということになると,これはちょっと困るというので,皆原子力いついては触れたがらないのですね。
 例えば,私などにこんなモデレーターが回ってくるというのは,たいてい評論家と言われている人はどこかの審議委員を2つも3つも引き受けて,私のところなどには絶対に来ないのに,これが来たというのは,皆恐がって原子力には近寄らないのだと思うのです。だから,賛成になっては困るし,反対と言ってもよいものかどうか,そういうことをやっているのだと思うのです。だから,本当に情報公開ができているのか,できていないのかということさえ,いまのところわからない。
 それから,先ほど長見さんが言われましたけれども「御用学者がけしからん」という声があるのです。やはり,皆抱え込まれているという。しかし,抱え込まれているのかということだって,本当のことは。抱え込まれて安全なら,それでよいのです。別に,私はよいと思うのです,安全ならば。
 ちょっと長くなってわるいのですが,なぜかというと,この原子力関係というのは,電力会社なども絡んでいるけれども,やはり官のものなのね。官が全部持ってしまっているから,官というのはとにかく後ろ暗いことをしているに決まっているということで,いまや疑われていますから,時間が経てば経つほど,官が指導しているというか深く関わっているものは疑われてきていると思うのです。
 そこのところは,関わった者は丸裸になるくらいの覚悟でやらなければいけない。だけど,安全に供給できるということが,こういう問題については第1だということを考えなければいけない。
 それから,私などがなぜモデレーターを引き受けたかというと,化石燃料の問題というのは,これは本当になくなってしまうかもしれないわけでしょう。これについても,具体的なことはわからないけれども,考えてみたら私たちはバンバン限られた第三世界から買っているわけですよ。あそこは,私たちがバンバンお金を払えば払うほど,それは独裁国家を現出しているわけでしょう。王様などが好き勝手なことをする世界を作っていて,そして私たちは「原子力は危ないから嫌だから」,それは置いておいて,王様が何をしようとそこのところは目をつぶって,あそこにお金を注ぎ込んでいるわけではないですか。
 そのように,ずっとこの間いろいろな形で原子力を巡る状況は変化してきているのだと思うのです。私たちがこのままの生活をやっていこうとすれば,何を選択しなければいけないかということが,先ほど内山さんが言われましたが,本当に問われてしまったのだと思うのです。できれば,触らないままにいまの生活を維持していたいという気持ちは皆の中にあるし,自分のところにそれを持ってきてもらっては困るというのはあるけれども。
 それと,小説などを読みますと,皆原子力反対をテーマにしている人が英雄なのです。つまり,原子力というのは昔,SFの物語が始まった時は本当に刺激的だったのに,いま想像力を刺激しないものになっていて,反対するほうが刺激になってしまっているのです。これは,やはり官が乗り出してきて,しっかり固めて,国策で秘密にしてしまったことの結果だろうと思うのです。だから,いまや,もっととにかくばらける方向に行ったほうがよい。
 ただ,先ほどからしつこく言いますが,「私たちはいまの生活を維持していたい。そして,化石燃料があるのだからいいじゃないか」ということは,成り立たないのではないかと思うのです。私にはそこに対する非常な危惧があって,ただし,市民運動の側から「生活を何とかしましょう」と言っても,かなり無理なのです。官がものすごい指導をかけて,ファックスも1日に1時間しか使ってはいけないとか,シンガポールのように自動車に1人乗りで入ってくると罰金を取るような方法でやっていく方法まで導入して,私たちはエネルギーに対する考え方を変えていくのでしょうか,そういう議論なしに,市民の意思の反映と言われても,私にはやや疑問なのです。そこのところを,ぜひ聞かせていただきたいと思います。
【木村】1度にたくさんの手が挙がりました。では,石川さんどうぞ。
【石川】1番目と4番目,4番目の御用学者のほうから,私は原子力をずっとやってきましたから,お話によると御用学者に取り込まれているのかもしれませんけれども,原子力学者が「取り込むからお金をやるよ」って,僕は一文ももらったことはありません。だけど,原子力をやっている人が一枚岩に見えるのは,逆に言うと,それほど原子力というのが素晴らしいからなのです。その点があることを,1つ忘れないでください。
 そしで,それが本当かどうかというのは,情報公開でわかるわけです。私は,情報公開というのは情報の出し手,受け取り手,それからそれを繋ぐメディア,この3つがどのように働いているかによって決まると思います。
 たしかに,猪瀬さんが言われたように,原子力関係のは話が下手です。きちんと話をしません。こういうところは,情報の出し手は改めていかなければならないと思っていますし,改めるように,私はいま一生懸命いろいろな所へ行って話をしているところですが,皆技術屋で,なかなか話が下手で改まらないのです。これは申しわけないと思っています。
 それから,受け取り手,これがだめです。先ほど言われたように,国民のほとんどはわからない。これがいけないのです。わかってください。なぜわからないかと言いますと,僕は北海道大学で6年ほど教えたのですが,北海道大学へ入ってくる生徒というのが,原子力工学部へ入ってくる前は,ほとんど原子力のことを知らない。
 なぜかと言いますと,高等学校や中学校で教えないのです。1つは,入学試験に出ないから,だから教えない。2つは,原子力に対して反対をしたのは,一番強かったのは社会党と日教組です。ですから,現場の先生で原子力を教えたいと思う人も,教えられない雰囲気にあるのです。この2つで来るものですから,入ってくる学生は文科もいるし医学部もいます,教養学部もいます,工学部もいますけれども,これがマスコミの報道しか頭になくて批判をしているわけです。これがずっと続く。これを改めなければいけない。
 それから,3つ目はマスコミです。これは難しいのですが,世界的に原子力とマスコミというのは相性が悪いです。ほとんどがマイナスのほうの報道でしょう。ですから,もう少しこのあたりがフェアになるように,私はマスコミのOBの方たちと「原子力報道を考える会」というので,非常に極端な記事については,それをいろいろなところに書くというボランティアの仕事をしているのです。
 そのようなことをして直していってほしいとは思っていますが,そこまではできませんけれども,教育は国のほうのシステムで,何も原子力が安全だということではなくて,放射線であるとかエネルギーであるとか,こういったものは非常に大事なことだから教えていってもらいたいと思っています。
 それから情報の出し手は,これは原子力の関係者がやることですから,皆が一生懸命やらなければしょうがない。特に,事故の時などに安全委員会がきちんとお話しになっておられたら,もんじゅのことも違っていたでしょうね。原子力委員会がいままできちんと原子力のほうの政策を出しておられたら,これもこんな状態にならなったかもしれない。木元さんが来ておられる前で悪いのですが。
 そういったところも,もう少し言ってもらわなければならないことだけは事実だと思います。ですから,外から見たら一枚岩に見えるかもしれませんけれども,中でこれだけずけずけ言っている人間もいるということだけは,1つ覚えておいてください。
【木村】では,浅岡さんが先ほどから手が挙がっていますので。できるだけ,いまの情報公開について。
【浅岡】いろいろな議論が出ていますが,私は法律家の観点から情報の開示の決定について申し上げたいと思います。その他,消費者,市民は何を望んでいるのかとか,化石燃料から脱却する方向を原子力なくしてやる方法があるのかという議論はしなければいけないと思いますが,私どもも言いたいことがありますけれども,少し横に置いておきます。
 情報公開については,かねてからやらなければいけないということを皆さんが言われているわけです。けれども,実践されていないわけです。
 先ほど,いまの制度でできるではないかというお話もありましたが,現在日本の都道府県には,全部ではありませんけれども,条令では情報公開条令があります。しかし,日本の国として,政府としては情報公開法はありません。ですから,国民は権利として国に情報を求めることはできません。出されないからといって,裁判所に訴えることも,情報開示を求める訴訟を起こすこともできません。ですから,いま情報公開法を作るべきだという議論になっています。欧米諸国の中で,本当にそういう意味で日本は法的制度が陥没した国になっています。
 なぜできないのか。現在,行政改革委員会等で議論されたものが,先の通常国会で法案提出されて,現在衆議院で継続審議になっています。1つには,法ができればよいというものではないという点があります。
 しかし,何もないというのも現状ではあります。法ができればよいということではないということは,非公開にしてよい,開示請求があっても出さなくてよいという領域を,情報公開法は必ず含みます。そういう意味では,政府がすべての情報を出さなければいけないということには,やはりならないのです。
 もちろん,情報公開で大事なのは,政府はどんな情報を集めなければならないか,どの情報を出さなければならないか,どれを出してはいけないか。やはり,非常にわずかですけれども,出さないというものもあり得る。ゼロとはならないわけです。これは,かなり世界的な考え方で,あるいは,ある時期は無理だということもあるということですが,しかし,あまりにも出さなくてもよい,公開請求があっても出さなくてもよいという領域が曖昧で広い法案としていま提出されています。
 特に,この問題に絡みましては,法人の持っている情報,法人が行政に提出した情報については,ずい分出さなくてもよい枠を設けています。また,どのような行政機関,あるいは法人の関係者が関わったのか,だれがどのように関わったのかという人を特定する方法について,これはまた大変に限定的な法になっています。
 そういう意味で,アカウンタビリティを全うするには不足ではないかということでありまして,条令も10年ほど前にできたことでありますけれども,この10年間,訴訟をしていく中で,情報開示をして出されないのは不当だということで,裁判所の中で「何を出すべきなのか」という議論がなされてきて,いまずい分改善されてきました。
 いまの国の法の中でも,そうした可不開示決定に対して訴訟ができるようにということを全うするための制度を私たちは求めていますが,ほとんどが東京地裁でしか裁判ができない法ということになっています。ということは,北海道の人も沖縄の人も,東京でしか裁判ができないということは,争うなということに等しいわけです。
 こういったことを改めないと,本当に開示するようにならない。こういう制度ができていない下で,いくら「出しています」あるいは「出そうと思います」と言われても,やはりこれは信頼を得ることもできませんし,これまでの歴史はそうです。ただ,2年ほど前,この行政改革委員会の審議の中で,科学技術庁にもヒアリングがありました。「原子力情勢は公開が原則になっています。だから出しています」,こういう返事なのです。こういうことでは,やはりそれは無理だということが1つです。
 それからもう1点,アメリカは大変情報公開が進んでいるという議論はよくなされていると思います。情報公開法に基づく公開請求によって情報が出されるというのは,Aさんがある省庁に対して情報を求めて出される,ということです。請求者が働きかけることが,まず第1です。それは,そういう意思のある方に,開示請求の理由を問わず出すのが,この本来の制度でありますけれども,いまアメリカの最近の動きの中で顕著なのは,政府の側から,国民から請求される前に出していくのだということです。その領域をどれだけ広げるか,ということです。
 私は,冒頭に「これは情報公開といっても,本当は政府の説明責任の問題なのだ」と言いましたのは,問われるまでに出すということが,本来いままででもあって然るべきであった,その部分が大変ないということです。
 これは出し手の問題なのですが,受け手としましては,言われる通り受け手もしっかりしなければいけません。それだけ,判断能力も必要でしょう。経験も必要でしょう。そうしたものを育てていくシステムがいると思います。
 そこで,いわゆるNPO法というものがいま言われています。これも,日本に特有の,そうした日本の社会の中で市民活動が自立してできない。お金がないわけです。だから,人がいないし,情報も得られないわけです。なぜお金がないかというと,日本は法人化することがほとんどできません。寄付金に対して税金の控除がありませんから,お金を集めることはできません。これは,欧米と2桁,3桁の違いがあるわけです。これが,市民社会を健全にしていくことを大変に妨げているわけです。
 もっと,この点は,NPO法はできましたけれども,寄付金に対する税金の控除はありませんから,まだ健全に働かせることはできません。こうしたものを,制度整理をしていくことなくして「私たちがきちんとやっています」とか「やります」とおっしゃっても,私は当面のところ,国民から理解を得ていくことにはならないと思います。
 やはり,基本的な国の構えを変えるということが必要だと思います。
【小沢】原子力問題で言えば,例えば何が一番隠されていて……。
【猪瀬】僕は,それは浅岡さんにまったく同感なのね。これは 100年遅れているの,はっきり言って,法務省が情報公開法の要綱案を作ったわけです。そこに,今度は各省庁がああでもないこうでもないと言うから,もとからたいしたものではないのだけれども,どんどん骨抜きになって,それが結局例外規定ばかりになるわけ。浅岡さんもその本を書いていますし,僕も原文を読んでいますけれども,今度皆さんに読んでもらうと,とにかく例外規定ばかりです。
 石川さんはいろいろおっしゃるけど,そういう情報公開法について,石川さんのような方のほうから問題提起してもらわないと,いまの情報公開法案はひどいのですから。こんなことでは話にならないのですよ。
【石川】情報公開法というのは,僕はあまり知らないので,勉強していないので,その点はご勘弁ください。ただ,いま浅岡さんがお話しになられた点で,ちょっと誤解があるといけないので申し上げておきますと,原子力というのは,ついこの間まで米ソの壁がなくなるまでは,やはり軍事技術の中の平和利用だったということを,もう1度思い出していただけませんか。
 と言いますのは,日本は平和利用だったのですけれども,アメリカ等においてはそういうものでありましたから,コマーシャル・シークレットというところで出てこなかった情報,もしくはどうしてもこれはあれであるからといったようなことがあったことは事実です。もし,その時になって情報公開がアメリカであったのだと言うならば,そこでそれは入ったはずなのだけれども,入らなかったのはそういうことだったのです。
 それがここ数年間,ベルリンの壁の崩壊以降,ずい分崩壊が進んでいることも事実であります。それは,まだ足りないと言われるかもしれません。ただ,具体的に言っていただければ,それはまた出てくるようになっていくと私は思います。
【浅岡】あの,私が言っているのは,原子力に関する情報でもたしかに,だれにでも知らせられないことがあると思うのです。こうすれば核爆弾が作れますというようなことは,アメリカでもいまは出せません。
 しかし,どんな事故があるのか,どんな人が働いているのか,再処理にどれだけお金をフランスに払っているのか,なぜそれすら出ないのですか,ということなのです。
【猪瀬】そういうレベルの話ですよ。
【木村】要するに,いま浅岡さんがおっしゃっていることは,もちろんわれわれの主題は原子力ですけれども,原子力に限らないのです。冒頭の猪瀬さんのご指摘と同じように,その国全体のシステムの問題というように捉えたほうがよいと思います。
【猪瀬】だからこそ,原子力で問題になるのです。
【内山】すみません,いつの間にか情報公開のほうへ話が移ってしまったのですが,仕組みのほうで言い残したことがありますので。
 きょうは原子力問題で,仕組みをどうするかということで議論をしているわけですけれども,これはやはりいまの工業社会の場合は,巨大技術をこれからどうやって基本的に皆で理解して,そこの情報公開,あるいはその仕組みづくりも含めてなのでしょうけれども,そういう話でもあると思うのです。
 これは,原子力もいわゆるニンビ(?)と言われているように,身近なところですとごみ焼却炉もそうですし,それから基地の問題もあるのかもしれませんし,あるいは,巨大技術というと飛行機もそうなのです。
【小沢】空港ね。
【内山】空港もそうですし。そういう,全体の問題がやはり基本にあるのです。ですから,もちろん原子力というのは巨大技術で,何となく恐怖心があるというようなことは,それだけに原子力に焦点が当たっているというのはわかるのですけれども,やはり基本は,いまの社会をどうやって皆で理解し合って支えるかというところにあるわけですから,そういう仕組みというのをあまり特化して,何かそこだけが特異な状態にならないで,バランスは基本に持つべきだと思います。
 それが,やはりいろいろなところで無駄な面が出てこない,1つの流れにもなると思うのです。そういう形で仕組みを捉えてほしいとお願いしたいのですけれども。
【木村】はい,吉岡さんどうぞ。
【吉岡】3点ほどあります。1点目は苦言なのですが,この会というのは,やはり招へい人が主人公の会であって,この中には複数回出る人もいるかもしれないけれども,1回だけという人も多いと思うのですけれども,その場合,次回以降モデレーターの人はできるだけ簡潔に話していただけないか。きょうはずい分,時間が限られているわけですから,それによって言いたいことが言えなかったような招へい人が多いのではないかと思います。もうそろそろ終わりに近づいていますし。
 次回からの運営について,その辺にご配慮願えないかというのが1点です。
【小沢】そんなにモデレーターがしゃべったかな。
【吉岡】2点目ですが,当事者の出す情報の客観性というのは,これがあるはずはないというように思っておりますので,第三者機関を強化する,NPOを強化する,あるいは第三者的な学識経験者,私のような,そういう活動に支援をするとか,そういうことも必要なのだけれども,その他に政府部内での改善策というのは非常に多くのものがあるのではないかというように思います。
 1つは,推進機能と規制機能の明確な完全な分離というようなことで,それはアメリカで例えば規制はNRC原子力規制委員会が握っていて,推進の方はエネルギー省があるというような,そういう形で切れているわけですけれども,日本は必ずしも切れていない。だから政府部内での推進,規制機能の分離というのが1点検討してもいいのではなのか。
それから政府と実施機関との関係です。行政というのは,公益の立場に立つと私は思っています。立つべきだと思うのだけれども,残念ながら,技術者というのはそうではないのです。技術者は,問題があったら問題を解決することによって,それを業績として前に進むという,それが技術者の役割です。本質です。それはそういう機能を持つという人たちを私は非常に高く評価するのですけれども,行政の役人というのはそうではなくて,公益の立場から,はたしてその技術者的なマインドというのが成功する場合もあるけれども,不適切な場合も多い,それを客観的な視点からチェックをするという,第三者的に技術の開発の推進ということに対して第三者的に評価をするということが,これからの行政官全般に求められているのではないだろうか。だから,第三者的機関を強化するということは重要だけれども,それだけではなくて,第三者性,客観性というようなものを政府部内で,中立性,そういう機能を強化するという手は,いくらでもあるのだというように思っています。
それともう1点ですけれども,市民の意思を反映させるという,どうすればよい,どういう仕組みなのかということが議論になって,あまり結論が出ていないようです。ここでは,1つはちゃんとした情報を,いま言った第三者的な立場から情報が伝わるようにする。それに関しては,深海先生は政府の失敗,市場の失敗,市民の失敗と言われましたけれども,学会の失敗というものも当然考えられます。学会の責任,学識経験者の責任は極めて重いものがあって,学会全体が前進の立場に立ってもらっては困るのだと,公益の立場に立ってほしいということです。
その上で,市民の意思をどのように反映させるかということになると,やはり政府がでしゃばり過ぎたというような気が私はしているわけで,政府は研究開発と規制と政策的誘導,これを中心にやればよいのであって,国策はその範囲に止めて,1発電所をどこに作るかとか,そういうことについては関係者だけに,つまり電力会社と自治体に委ねればよいのではないだろうか。そういう形にして,政府の意思というのをあまり強く働かないようにするという,それが逆の意味で市民,国民の意思の反映を強化させる道ではないのだろうか。そのように,大胆なことをやらなくても,現実的にみるといろいろと策はあると思うのです。以上です。
【木村】はい,いまの吉岡先生のお話,後半の議論に設定しましたものより少し広がったような気がします。それで重要な点を含んでいますので,次回以降に議論したいと思いますが,とりあえず時間もそうありませんので,先ほどの情報の開示の問題,それから市民の件は非常に難しいと思いますが,市民の意思の反映,その辺のところでもう少しご議論をいただければと思いますが,いかがでしょうか。
【猪瀬】情報開示と意思の反映というのは別のコースではなくて,イコールなのです。つまり情報開示されれば自ずからそれがメディアに反映され,メディアがある意味で意思を表現しているという形になりますから。
【木村】他にございませんでしょうか。
【深海】私はこういう問題の専門家ではないので,議論を聞いていて思ったことなのですが,まず第1は,われわれがきょう議論しているのは原子力政策のことです。先ほど石川モデレーターも言おうとされていたようにも思うのですが,一般的な情報公開問題と原子力とは本当にイコールなのか,あるいは原子力の特性とか,そういうものがあるのかどうかという,その問題というのがあまり議論されていないように思います。
 また,その意思反映についてもそうだと思うのですが。ですから,一般議論と同時に,我々が原子力問題なのか,あるいは原子力政策円卓会議ということになっていますから,そうなったときに一般的な論議と原子力政策としての特徴,特性みたいなものがあるのかどうかというところが,いままでの議論の中で抜けているというか,あればやってきただきたい1つのポイントだと思います。
それからもう1つは,いま猪瀬さんが言われて,私も先ほど世論調査の資料を使って申し上げたのですが,情報公開と意思決定というのはものすごく絡んでパッケージだし,それから意思決定の前提条件としてちゃんと情報を得,理解しているということはぜひ必要なので,あまり切り離さないで,先ほど申し上げたように,まず情報公開をわかりやすく説明され,それで意思反映という選択を世論調査でも出ていましたので,トータルなシステムという形で,先ほど言ったような原子力政策の特徴,特性を反映させると同時に,そういう一貫したシステムとして論議されていったらよいのではないかと思います。
【木村】他にありますでしょうか。はい,浅岡さん。
【浅岡】ただいま原子力情報と一般の情報公開と,どこか違いがあるのかということがありました。私の感じでは,決して原子力が不開示情報が増えてよいということにはまったくならないと。どのような企業でも,物をパテントを取って生産してパテントを交換されているものはともかく,ノウハウとか製造上の本当の企業秘密というものは保護されます。これはどこでも同じであって,それに類するのは特に原子力爆弾をどう作るというような類のところはそうかもしれませんが,いまの原子力発電所をどう運営していくのかというような議論に関して,不開示情報は極めて少なくすべき課題であって,不開示を増やしていってよいという領域だと捉えることはまったく逆だ。そういう姿勢で,原子力は特別なのだから,こうなのだから,だからあまり知らなくても皆さん信頼してくださいということは,そういうように推進されたやり方が国の中に大きな方針としてあるとすれば,それはまったく逆効果であろうと思います。
【小沢】ちょっとよいですか。原子力委員会に伺いたいのですけれども,特別だからここは出さないでおこうというのは,どのくらい考え方としてあるのですか。
【木村】一番最後にお話いただこうと思ったのですが。
【木元(原子力委員会委員)】よろしいですか。あまり言ってはいけないのかもしれないけれど。私は原子力委員という肩書ですが,私は常勤ではなくて非常勤です。ですから,定例の委員会が火曜日と,原則金曜日にある日もありますが,「伺う」というレベルで参加させていただいたのですが,私が原子力委員になったのは,なぜ原子力委員になったのか,取り込まれていたのではないのです。私は取り込むつもりで入ったのです。
というのは,あまりにもいま原子力というものが見えてなかった。原子力委員会というものの存在もわからなかった。私が原子力の勉強をしていたのは,子供が小学校の時に,先ほどおっしゃった日教組のペーパーが来て原子力は恐いものだということがあったからなので,私も怖いものかと思って勉強しだしたら,どうも違うところがあるというので,いろいろと発言もさせていただいた。
その中で,原子力という言葉が非日常的な分野で語られることがおかしいと思っているわけです。日常的な中で,なぜ原子力があるのだろう,なぜ私たちはこれを取り込んだのだろう,きょう原子力はお元気なのかしら,とそれくらいの感触で原子力を語られるような状況にまで持っていきたい。
そういう状況に持っていったときに,この情報が出る,出ないというのが見えてくるだろうし,いまはもうほとんど公開されています。原子力委員会も公開です。定例会議だけ公開されて,他は公開されていないではないかとおっしゃいますけれども,原子力委員会で,例えば私の発言でも聞いてください。どうやってそのプロセスを歩んだかということがわかると思うし,いまたいへん活発です。
例えばインド,パキスタンの核実験の反対が出たときも,いままでは,例えば原子力委員長の談話という形でほんわりと出ていました。「そんなものではないよ。これはちゃんとした抗議を申し込もうではないか」。そしてこれは,抗議というよりも声明という言葉になりましたけれども,それも異例のことだと言われました。でも異例のことだけれども,やはりやらなければいけないことはやらなければいけないのです。そして「原子力ありき」から始まるのではないのです。「原子力がなぜあるのか。なぜ原子力か」というところから始めるという,常にそこの原点に立ち戻ろうということで始まったことだと思います。
それから市民参加という言葉もありましたけれども,私は浅岡さんとこれからも一緒に省エネでお話し合いをするし,しっかり2人で見つめていこうという部分もあるのですが,そうするとその市民参加ということは別立てでやらなければいけないのだけれども,議会制民主主義の中で何をどうやるかという問題も出てくるだろうと思います。そういうことを踏まえてやらなければいけないし,いまの情報公開だけで言った浅岡さんのご疑念もすごくあると思います。それはぶつかってみて下さい。
それから出す方の側も,いままではこれは国際的な関係の間で,例えばフランスとの契約になっているから,例えばパシフィックサンが帰っているときも行路は航海できないという条約がある,そういうことをはっきりと言えばよいのです。
ところが,相手国のことを慮って言わないという部分がずい分あったと思います。だからそういうことは,原子力委員会が中心となって,堂々と胸を張って原子力情報に対して言わなければならないのです。堂々と胸を張る部分がないから,皆が疑心暗鬼になってしまうわけです。
そのこともはっきりと申し上げたいし,それからこれからもずっとご議論が続くわけですけれども,需要の伸びというのは,先ほど内山さんが示してくださいましたけれども,国内の需要の伸びと,それから世界,地球だけの需要の伸びと考えたら,これはとんでもない数値になっていくわけです。その中で,日本だけが自分の国だけがと鎖国的に考えるわけではないし,そういうこともぜひ次のステップに,逃げないでやっていきたい。
 これからはすべて,逃げない原子力,見える原子力,それでやらせていただきたいと思っていますので,お答えになるかどうかわかりませんけれども,私のそういう決意を表明させていただいて。原子力委員は皆そうだと思います。メディアの問題もありますし。
【猪瀬】いいですか。モデレーターの方々の方がわりとイデオロギー論争の後遺症がおありのようで,我々の方はむしろ実務的に話をしているのですけれども。
 いま1つは木元さんに言いたいのですけれども,例えばフランスで,最初に言いましたけれども,周辺住民にヨード剤を配って,「これを飲みなさい」とやっているわけでしょう。そのくらいの開き直りができなければだめなのです。
【木元】私もそう思います。
【猪瀬】そう思ったら,そう言ってください。
【木元】まかせて。
【猪瀬】つまり,そのくらいの開き直りができなければだめだというのは,つまりそこまでやらないと,情報公開というものをする場合の覚悟が出てこないのです。情報公開をする覚悟がないのです。だから,そういうへっぴり腰でやっていると,怖いわけです。危ないなと思うわけです。そこのところなのです。
【小沢】私も情報公開法について,埼玉県ですけれども,条例の制定というのにずい分関係をしましたけれども,隠したいところは,最終的に出てしまえば実は何でもないのに,ここはいけない,ここはいけない,と隠したがるのです。でもあれはおかしなもので,一度出してしまうと大問題でも何でもないのです。悪いことをしていれば別だけれども,悪いことというのはつつかれて初めて直るので,悪いことではないと思ってやっている人もいるわけだから,官庁というのは特にそうだと思うのです。
だから,これは表に出すようになるべくしてほしいし,条例がどうであれ,原子力というのはわかってもらいたいわけだから,積極的に情報を出していったほうがよいと思います。きちんとテーブルに乗らないと,いつまでもウジウジウジウジ,もんじゅはこうだったじゃないかとか何だとか,あの失敗は本当にたいへんだったと思います。
【木元】あれは馬鹿よ。馬鹿なんて私のような人が言ってはいけないけれども,いま外して言っているわけですけれども,猪瀬さんがすごい応援団で私は嬉しいです。だから例えばもんじゅにしたって,先に失敗しても「あっ,失敗を隠そう」という意識ではなくて「あっ,失敗しました」と出せば,どんなに気が軽かったか。あれは隠したから大変なことになったので,その意味がわからないのは,国もそうかもしれませんし,現地事務所もそうかもしれない。
【猪瀬】それは,いまだに反省はしていないのです。
【木元】今度,委員になってください。
【猪瀬】それは別の問題で。その検証を自らきちんとしていないのです。
【木村】猪瀬さんちょっと待って下さい。中島さん,どうぞ。
【中島】いまの原子力ではやはり隠すべき情報があるのかという点で,他の分野と違っている点がやはりあるのです。例えばPP条約というのがあるのです。これは核物質防護条約,物理的防護条約,これは核物質の在り方がテロリストにわからないようにするということで,日本もこれに批准しているのです。
それだけならよいのです。「もんじゅ」の時に具体的に三百何十か所かブランクがあった,公開されない部分がありました。それが問題になって開示をしてみると,ほとんどは財産権擁護と称する,これがどこのメーカーのものかということを知られたくないというだけで隠したというのが大部分で,PPに関するところはほんのわずかなのです。だけどそういう条約がありますと,それを官庁の方は縦に取って非公開を多くしていたという問題があった。
 私はPP条約というのは,本来日本は批准すべきではなかったと思うのです。本当に原子力三原則というものを堅持してやってるという外交政策に自信があるのなら,あれは軍事国家,石川さんが先ほど言いましたけれども軍事秘密があった時代の,ソ連崩壊以前のそういうものからきているのです。
しかしやはり今後核兵器がなくなっていく時代でも,ある程度の国際的な管理というのは必要になって,そういうものが残るかもしれません。それは,きょうは結論を言いません。これはこの円卓会議でもきちんと取り上げていただいて,議論すべき問題ではないかと私は思っているということだけ申し上げておきますが,まったく一般論とは違う分野もあるということ,現状では残念ながらまだ核兵器はなくなっていませんから,その方向に向かっているとも言い難い点があるから,私は原子力が最後のところで引っ掛かっているのはそこだろうということを申し上げておきます。
【木村】ありがとうございました。内山さん。
【内山】いま,情報公開のことで議論があったのですけれども,いろいろな社会的な批判もありまして,事故に対する情報公開はかなり進んだと思うのです。原子力関係は,アクセスすればいろいろな情報が得られて,本当にいらないくらいの情報があるような感じがします。
 ただやはり,政策決定に関する情報は不確実性があるのです。それに対して,将来どう見るかでいろいろと判断が違う場合があって,特に原子力とかエネルギー政策というのは長期にものをみなくてはいけないものですから,それに対する情報公開をどうするかというところが,例えば経済性の問題とか,先ほど質問がありました,その辺がこれからの情報公開のポイントだなというような感じがしました。
【小沢】それが一番,税金がすごく目茶苦茶に使われるではないですか。特にこういう国策めいたもので,反対運動があったりすると隠しておいたりするようなものというのは,すごくお金を使うと思うのです。私は大反対なのだけれども,もんじゅは,高速増殖炉などといくら使ったのだろうかという気がするわけです。あのようなことを全部知りたいです。どこが有用だったのか,どこが困るのか。私は自分で納得して,賛成するなら賛成したいし,お金のことが一番隠されていますよね。
【木元】でも,いまはほとんど公開されていますよ。もんじゅが,いままで何に使ったか,どうしたかというのは。だから,後でもらいますか。
【小沢】いままで,私が県会議員の時などは,核燃料輸送と言っただけで大変だったのです。危ないところを通るのにどうなのだと。そういうことはかつてはたくさんありました。ただ,いまは変わっているだろうと思っていますけれどね。
【猪瀬】防衛施設庁みたいなことがあるのですよ。いろいろと業者がね,その辺が随意契約とかいろいろとあるから,そういうところがむしろ隠したいので,本当の軍事的な機密みたいなものは仕方がないわけで,本当はそういうことではないわけです。
【小沢】お金ですよね。
【木元】それから何か質問があったり,テレビでもんじゅのこととかプルトニウムのどうのこうのといったときに,当事者が堂々と出てきてほしいのです。それが,何か恰好つけてだか,やられるのが嫌だからとかで出ないことも事実ありました。私がまだ現職になる前です。私は1月からですから,それ以前はすごくありました。ですから,そういうことが後を引いていますね。
【木村】それでは,われわれの方も言いたいことがありますので,どうしても言いたいですか。では,簡単に。
【浅岡】先ほど,政策決定に関連する情報開示が必要だと。それは長期的なことがあると。冒頭にも内山さんが,エネルギーの需給は非常に長期的なものなのだと。私は長期的な視点でもっと発想を変えていただきたいと思います。

--OHP--

これは世界の風力発電量について,1966年の時点の発電容量の設備状況です。これは環境白書にも載っているようなものですから,皆さんご存じだと思いますけれども,1966年という時点で,世界に対して日本は 0.2%です。この風力などを含めて,いまEUでは,2010年までの目標として自然エネルギーを12%まで増やそうという政策を持って,これから進めようとしているわけです。非常にこれは長期的な取り組みが遅れた象徴的なケースです。やはり原子力だけを考えていくということではない,もっと広い代替政策も一緒に議論しながら,原子力政策を議論していただきたいと思います。
【小沢】どこかに,その風力発電を見に行かれましたか。ものすごい騒音で環境破壊で,動物のためにも風力発電はやめてほしいという運動が,アメリカの一部などでは起こっているという話を聞いたばかりなのですけれども。そういうようなことをお調べになりましたか。
【浅岡】いいえ,私はそのようには聞いていません。むしろ騒音はそれほどでもないということで,もっとそれを推進しようということに,アメリカでもまだ推進ですし,ドイツでもデンマークでも推進しています。この辺は,きょうの議論ではないですからやめましょう。
【木村】時間ですから,最後に簡単に吉岡さん,お願いします。
【吉岡】簡単に言いますと,やはり木元さんがおっしゃったのに賛成です。出るなら堂々と出てほしいと。堂々と違う立場で議論する,これはやはり民主主義の学校だというように思います。できれば,どんな場にも,長期計画においてもあらゆる場においても,いろいろな毛色の違った人を呼んでほしい。そしてそこに委員として参加しますと,委員ですからわからない情報で外で聞くのと違う情報が入ってきますから,それを流すことによって風通しが非常によくなるというので,その点では木元さんにエールを送ります。
【木元】ありがとうございます。頑張ります。
【木村】頑張ってください。それでは最後に中島さん。
【中島】浅岡さんに初めからお聞きしようと思って忘れてしまったのですけれども,COP3が原子力発電の問題を議論しなかったというのは非常に不思議に思うのですけれども,どうお考えなのですか。
【浅岡】どのようにCO2 の削減をしていくのかという政策措置については,この京都議定書の中でも,それぞれの国でフレキシビリティを持って考えていくということになっています。第2条にはたくさんの政策オプションが書かれてはいますけれども,これをこのようにするというようなことはありませんし,そこに原子力ということが入っているというわけでもありません。
 むしろ今回は,先進国のCO2 の排出削減措置目標を決めたわけです。目標達成年と数値目標を決めたわけですが,それらの国のほとんどと言ってよいのではないでしょうか,むしろ国内での原子力比率というのは下がっていくということでありまして,増やすという方向を出しているのは日本くらいではないか。なぜなのだろう,他の国々がそうではないときになぜなのだろうと,私はそこが不思議で,国民もそう思うのではないでしょうか。
【木村】その辺はいろいろと議論があるところだと思うのですが,きょうはたいへん活発なご議論をありがとうございました。前半は,先ほど申し上げましたようにいったいどうなるのか,私も原子力は素人ですので,吉岡先生あたりの政策論が出てきたときにはどうしようかなと思いましたけれども,後半にモデレーターで少し相談をして,私が一番わかりやすいと考えました長見さんの議論を中心に取り上げさせていただいた次第です。
議論を伺っていまして,やはり冒頭に猪瀬さんがおっしゃいました,日本が原子力だけではなく,すべての面で行き詰まっているのです。たまたま私は,合計4年ほどですけれども,ばらばらに英国に住んでいて,先年の10月から3月までまた英国に住んだのですけれども,あの英国がものすごく変わっているのです。どうしてだろうと前から考えていたのですけれども,やはり彼らの社会の中に自己変革のメカニズムがあるのです。それが日本にはないところが,こうしてしまったのではないかと非常に思っているわけです。
前にトンネルの大会議をやりました時に,青函トンネルができてそれを大々的に日本が打ち上げたのですが,参加者からいったいいくらお金がかかったのだと聞かれた時に答えられないのです。結局その後,青函トンネルを造ったほうがよかったのか悪かったのか,ある大蔵省の主計局の人が昭和の三大愚行とか言ったらしいのですけれども。
【猪瀬】三大馬鹿サセイ(?)です
【木村】ところが,それに対する反省というか議論がないのです。ご承知のとおり,ユーロトンネルがいま大問題になっていますけれども,ものすごい議論をしています。BBCが半年に一度くらい大プログラムを組む。フランスが議論する。そういうようなことを日本もどうしてもやっていかなくてはいけないのではないか。
 きょう,非常に緊張してこの会議に来て,うまくいくかどうかと思ったのですけれども,だいぶ脱線しましたけれども,たぶんこれで座長をやらなくてもよいのではないかと思いますけれども,ちょっとほっとしています。では茅先生,よろしくお願いします。
【茅】実は私は前回の円卓会議のモデレーターをやりまして,今回,1人もいないというわけにもいかないというのでつなぎというのをやりまして,参加をしたわけなのですが,モデレーターという立場からすると,はやりなかなか議論は難しいものだと思いました。
「なぜ原子力問題か」というテーマで,最初は少し基本的なところをやろうということでスタートしたのですが,そうすると皆さんのおっしゃっていることはかなりいろいろな方向のベクトルで,どうしても議論がなかなかうまくぶつからない。それで後半は,情報公開ということにかなり木村座長が絞られて,それである程度その内容について,私は充分だったとは思いませんけれども,ある程度いろいろなご意見は出たと思います。
 特に第三者機関を入れるべきであるというご意見とか,法的な対応についてもう少しきちんと考えるべきであるというようなことは,私は非常に大事なポイントだという気がいたしています。
 いずれにしても,こういう円卓会議,これは吉岡さんは前に参加されたのでよくおわかりだと思いますが,ただ言いっぱなしで終わってしまったら,やはりやっている人も不満が残るし,円卓会議ももったいないし,第一これは国がお金を出しているわけですから,税金の無駄遣いになってしまいます。だから,やはり意味のあることを提案しなければいけないと思うのです。
そういう意味で言いますと,提案に至るまでの議論は残念ながらまだできなかったと思うのです。それをやるには2つ方法があって,1つはもっと長時間やるか,それから最初から話題を絞ってしまうか,どちらかしか結局方法はないのです。ところが長時間やるといっても,この時間以上やるというのはだいぶ大変で,しかもモデレーターは実は一部の方はわかりませんので言いませんが,皆60歳を越しているわけです。これ以上続くとちょっと無理なのです。ですから,1回でそんなことはできないから,やはり複数回しかない。
したがいまして,考えられることは,ここに出ていただいた招へい者の方も複数回出て,議論を続けていただく方法をある程度考えなければ,やはり出来ないだろうと思います。そういったことで,この後,そういうようにお願いする方もずい分出てくるかと思いますが,その時にはぜひご協力をいただきたいという点が第1点です。
それからきょう,議論としてこれは本当はもっとしたかったのだけれどもできなかったというのが,浅岡さんとか小沢さんが事あるごとに出された「なぜ本当に原子力がいるのか」という話です。これはやはり基本の原点だと思うのです。これについて,コンストラクティブな提言ができるかどうかはわからないのですけれども,やはりこれなしで円卓会議の議論を進めるというのは無理が多すぎるように思います。だから,私はぜひこの問題はやるべきだと思いますし,そこではぜひ詰めた議論をしたいと思います
それから吉岡さんが文書で書いていらっしゃることを今回も繰り返しおっしゃったのですが,私もたいへん賛成で,いまある政府の原子力の体制,あるいは民との分担の問題,これは具体的にもっと議論をした方がよいと思いますし,これこそまさにこういった円卓会議が提言できる一番よいポイントではないかという気がするのです。ですから,これはぜひ今後考えたいと思います。
ただこのためには,現在どういう組織で原子力が支えられているかということを皆さんが理解してここに来ないと,議論がなかなかうまくぶつからないので,その時は多少招へいする方も,そういうことをある程度知っている方を選ばないといけないだろうと思いますが,私はどうしてもそれはやるべきだろうと思います。
最後にもう1つだけ,吉岡さんはモデレーターにあまりしゃべらせないこととおっしゃったのですが,これは1つ問題点,きょうはまず初めなのです。私以外,私はここにいたのでほとんどしゃべらなかったつもりですが,他の方はおわかりのように,まずしゃべらないことは無理な方ばかりなので,その意味でご理解いただきたいということと,それから基本のけじめは,議論を占有しないことだと思います。それはモデレーターとして必要なのですが,モデレーターでも充分意見は持っていますし,われわれは最初からモデレーターは議長,副議長をやっている時以外は自由に発言してよろしいという前提で,委員の数も招へい者の数も選んでいますので,そのモデレーターの方が発言することについては,何とぞご容赦をいただきたいというのが私としてのお願いです。ちょっと長くなりました。
【小沢】しゃべるのは,当たり前じゃない。モデレーターがただ座ってなければいけないというのなら,私はモデレーターなどはやりませんよ。この話は議論をしなければ進まないじゃないですか。私は議論をするために来ているので,お説拝聴に来ているのではありません。
【木村】ありがとうございました。それでは時間になりました。次回の予定ですが,次回以降の予定と申し上げたほうがよいと思いますが,全体として5回くらいを予定しています。次回は10月26日,月曜日です。同じ時間で予定をしています。
 ただ,いま茅先生からもお話がありましたように,正直なところモデレーターの中でも,次の招へい者をどういう方をお願いするか,その辺はまだコンセンサスが得られていませんので,何回か会合を重ねて決めたいというように思っていますので,ぜひ皆様方の積極的なご支援,ご参加される方もいらっしゃるかもしれませんし,そうでない方もいらっしゃるかもしれませんが,ぜひご支援をお願いしたいというように存じます。それでは事務局,お願いします。
【事務局】それではこの辺で,本日の原子力政策円卓会議を終わらせていただきたいと思いますが,初めに円卓の先生方がご退場になりますので,できれば拍手でお送りいただければと思います。先生方,長時間のご議論,たいへんありがとうございました。

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