第1回原子力政策円卓会議配布資料
「この原子力政策円卓会議で議論したい主題について」

平成10年9月7日
吉 岡  斉

I. 基本的な考え方

  1. この会は、「原子力政策(の在り方)」に関する円卓会議である。したがって、審議の対象は、「原子力政策(の在り方)」でなければならない。主題を「原子力発電」や「原子力問題」としたのでは、焦点がぼやける。(原子力政策をどうするかが、この会の根本課題であり、原子力発電をどうするかが根本問題ではない。)

  2. 原子力政策のさまざまの問題点を、洗いざらい総点検し、その上でできるだけ具体的な提言を、できるだけ多く出すことに、この会の存在意義があると思う。(「今、なぜ原子力問題か?」という問いについては、「今、なぜ原子力政策問題か?」と読み代えて考えたい。)

  3. そうした考え方を取るのは、前回の円卓会議の反省に立ってのことである。前回は、原子力発電と核燃料サイクル事業の拡大の是非に関して、それぞれの論者が信念を述べることに終始したと思う。このやり方では、議論が並行線をたどり、コンセンサスにもとづく提言を出すことが不可能に近い。その具体的提言が、新円卓会議の設置、高速増殖炉懇親会の設置、情報公開と市民参加の促進のわずか3点にとどまったのは、むべなるかなである。この上は思い切って発想を転換する必要がある。

  4. 原子力政策の在り方に関しては、誰もが、全面肯定や全面否定の姿勢を取らない思われる。誰もが「部分肯定・部分否定」である。原子力発電の拡大を是とする者でも、原子力政策には多くの点で批判的な見解をもつと思われる。個別の論点については原子力発電に対する賛否の如何を問わず、一致して提言できるものが多いはずだ。(情報公開・市民参加の促進に限らず。)是非論で並行線を辿るのは不毛である。

  5. 従って、招聘人に求められる貢献は、原子力政策のできるだけ多くの具体的問題点を指摘し、その改革のためのできるだけ多くの具体的提言案を出すことである。原子力発電の是非について、一般的議論をしても仕方がない。原子力政策のあり方に関して独自の見識をもつ「第三者」を揃え、原子力事業の関係者は外すのが妥当。

  6. 審議の対象とする「原子力政策」については、できるだけ包括的に理解したい。つまり原子力委員会の管轄のみならず、原子力安全委員会、科学技術庁、通産省、外務省、国会、裁判所、地方自治体など、すべての公的機関を含むものとする。官僚の縄張りに縛られる必要はない。また原子力政策の問題点の多くは、歴史的観点から捉えることによってはじめて、明確に浮かび上がる。従って歴史的アプローチを重視したい。(原子力政策の歴史的アセスメント。)

  7. 最初の3〜4回で、原子力政策の問題点を発掘・整理し、そのあと重要な個別主題ごとの審議を行う。(複数回の会議を当てるべき個別主題も少なくない。)

II.この原子力政策円卓会議で議論したい主題リスト(抄)

 「制度論的主題」と、「路線論(戦略論)的主題」に、大きく二分される。前者は、原子力政策の制度面での問題点とその改革に関わる。後者は、原子力政策の開発利用路線面での問題とその改革に関わる。両者合わせて10個ばかり、重要と思われる主題の例を挙げてみたい。(是非論で不毛な言い合いをしたくないので、是非論に直接関わらないもののみを列挙した)。

  1. 原子力事業の推進における政府の権限の抜本的な見直し
     原子力では、他の産業分野と比較して、政府の権限が異常に強い。そこでは全ての事業が「国策」として進められている。一電力会社の一発電所の建設計画でさえ、電源開発調整審議会、原子力委員会、総合エネルギー調査会などの政府機関の決定によって拘束されている。せめて他産業(自動車等)並に、規制緩和すべきではないか。政府の役割は、推進に関しては、基礎的な研究開発とそれに関する政策立案、並びに間接的な政策的誘導にとどめ、主として規制業務(安全性、核不拡散等に関する)を担当するようになるべきである。

  2. 原子力事業の許認可における政府と地方自治体の関係の抜本的な見直し
     ほとんど全ての権限が政府に集中しているのは、世界的にも例がない。地方自治体に大きな許認可権を、法的権限として与える必要がある。また裁判形式の双方向的な公聴会や、国民投票・住民投票など、国民・住民の意見を直接反映させる仕組みの整備が必要である。

  3. 政府内における推進機能と規制機能の分離
     政府内において事業推進機能と許認可機能とが分離されていないのは問題である。原子力開発推進官庁とは独立したシステムのもとで行う必要がある。(例えばアメリカ方式のように、原子力規制委員会NRCが許認可業務を担い、通産省と科学技術庁はそれ以外の業務を担当するという方式一考に値する。)

  4. 原始力委員会の在り方の抜本的な見直し
     原子力委員会は不要である。推進に関しては、個別の官庁がそれぞれ必要な業務を行えばよい。また規制に関しては新たな独立のシステムを構築すればよい。その場合、現在の原子力委員会は、原子力開発利用評価委員会へと改組し、中立的立場から政策の評価と勧告を行うようにするのが良い。

  5. 原子力開発利用長期計画(長計)の在り方の抜本的な見直し
     現在の長期計画は民間企業のやるべきことまでも定めており社会主義的である。原子力開発利用長期計画については、廃止しないまでも、政府事業に関する計画のみにとどめるべきである。なお、今までの長期計画の基本的な欠陥のひとつは、原子力開発利用の将来に関して現実的な判断にもとづくビジョンが示されず、いたずらに希望的観測に依存したビジョンが示されてきたことにある。この長期計画の内容上の非現実性(実用化目標時期の加速度的な後退など)についても、歴史を踏まえた厳しい点検を行い、二度と非現実的な計画とならないよう、教訓を抽出すへきである。

  6. チェックアンドレビュー機能の抜本的な強化
     欧米では厳しいチェックアンドレビューによってプロジェックトが中止となったケースが多い。それに対して日本では「プロジェクト不滅の法則」的状況が蔓延している。たとえば今ままでの長期計画では、プロジェクトの是非とあり方についての本格的な見直しがなされず、長期計画が更新されるたびに、計画難航の原因についての真摯な究明なしに、目標年次が大幅に繰り延べられてきただけである。さらに最近では、目標年次そのものを曖昧する傾向が目立ってきている。その大きな原因は身内のチェックアンドレビューだったことにある。原子力開発利用推進行政の外部の第三者によるチェックアンドレビュー機能の抜本的な強化が必要である。また在野の第三者的研究への支援を充実させる必要がある。

  7. 政府系研究開発実施機関の在り方の抜本的な見直し
     動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、もんじゅ事故(平成7年)と、東海再処理工場事故(平成9年)の2度の事故の他、数々の不祥事を起こしてきた。それは秘密主義的・情報操作的体質をもつことが明らかとなり、安全対策や危機管理能力の貧弱さも露呈させた。また開発の責任体制が不明確で動燃とメーカーがもたれあっているという問題点も指摘された。それは動燃改革検討委員会と新法人作業部会の決定にもとづき、核燃料サイクル開発機構へと改組される見込みだが、そうした決定が妥当だったかについて再検討が必要である。またその後の動燃の組織面(労使関係を含む)における改善の動きについても厳しい点検が必要である。

  8. 情報公開・市民参加の達成度についてのアセスメント
     平成8年以降、原子力政策において情報公開・市民参加が進展したことは、原子力発電に対する賛否を問わず、大方の論者によって肯定的に評価されているが、かなり辛い評価が多く論者から出されていることも事実である。また民主化のもうひとつの課題である委員等の人選の公正化・透明化についても、多くの厳しい批判が出されててることも事実である。これら全ての問題について、もんじゅ事故以後のひとつひとつのエポックを取り上げ、アセスメントを加える必要がある。また将来の課題についても検討する必要がある。(たとえば情報公開法にもとづく過去の資料の公開と、そのための資料保存を、どのように具体的に進めるかなど。)

  9. 意思決定方式の非科学的性格、党派的性格からの脱却
     有力と考えられる全ての政策オプションを列挙し、それらの利点と欠点を総合的に検討し、最後に最善の政策オプションの実施を勧告するという意思決定方式(筆者はこれを「総合評価」と呼んでいる)を確立する必要がある。これはアメリカでは、政府機関の諮問委員会が政策的な勧告を行う際の標準的様式として、すでに確立しているものである。公益実現に責任を負う行政当局が、事業の是非に関して客観的・中立的な判断を下すためには、アカウンタビリティーを確保するために、これ以外の適切な方法論は内。

  10. 円卓会議、進円卓会議の在り方の再検討
     平成8年の円卓会議について十分な総括と反省を行わずしては、今回の新円卓会議を、国民意見を原子力政策改革の効果的に反映させる場とすることはできない。また、新円卓会議についても、市民団体などからすでにさまざまの批判が出されており、それの検討が必要である。(モデレーターや招聘人の選考等について)。

以上