太陽への投資が原子力に比べて少ないのは、技術開発課題が前者は変換効率の高い素子の開発であり、後者はシステムインテグレーションであるためである。
<第1回・招へい者の意見発表>
- エネルギーについて、足りないから原子力が必要という議論が先行しているきらいがある。代替エネルギー、エネルギー需要の抑制の可能性を含めた選択肢の政策を議論した上で、システム選択がなされるべき。原子力エネルギーへの依存を高めないで、自然エネルギーなどの代替エネルギーの利用の促進がどの程度補完し得るのかを議論するとともに、今後のエネルギー源を総合的に考えて、省エネルギーを進めて行くべき。
<第2回・招へい者の意見発表>
- エネルギーに関係して、エンバイロメンタルな問題も避けて通れない。ラショナルでテクニカルなマインドで問題解決にあたるべき。また、これはテクニカルだけでなく、ソーシャルな面も有する問題。
- 人間はエモーショナルマインドをもっており、原子力問題はエモーショナルマインドで論議されることが多い。好きか嫌いではなく一つのエネルギー源として原子力発電の割合がどのぐらいであるべきかといったことを論議するべき。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 原子力政策はエネルギー総合政策の一部であり、エネルギー政策は国によって独自のものを持つべき。しかし原子力、石油ともに今や一国だけの都合だけでできるものではなくなった。
- 非在来エネルギー供給技術(太陽、地熱、原子力)の特徴を生かしつつ、開発利用を促進することによりエネルギー源のベストミックスの追求を図るべき。
- 現代は経済中心の社会であるが、将来は環境のことを考慮せずして人類は生き延びることはできない。
- 米国では1974年から新規原発の発注はない。そのかわりに、天然ガスへ移行している。
<第3回・自由討論>
- 都市で自然エネルギーを導入しようとするとコストが高くなるが、高くても導入するといった選択もありうる。そうした際には、専門家がいろいろな視点から、こうなったら、どうなるということを知らせてくれれば、非常にフランクに話すことが可能。現状は、エネルギー等について知る側も、知らせる側も努力が少ないと考える。
- 効率の良いエネルギーを目指すということはわかるが、「何が効率がよいか」や「メリット、デメリット」も複雑に変わってきている。そのため、単に「効率が良い」ということと「トータルで考えてみる」ということは、バッティングしているとも感じる。
- 人間圏が生まれたときからその内部システムの物質循環を駆動させるのにエネルギーを必要としており、木を燃やす、石炭を燃やすというふうに、人間圏が大きくなる度にエネルギー源を大きくしてきてた。そして、今は原子力に頼らざる得ない状況となっている。もちろん、原子力を使わないで、せいぜい地球上に1000万人規模の人口で生活をするという選択肢もあるが、大多数の人は、100億人の人がいるならその全員が豊かな生活を送れるように考えるのではないか。
- 米ソの核弾頭がすべて爆発したらどうなるかということを調べた「核の冬」という研究では、人類は放射能よりもむしろ気候変動のために滅びていく。放射能も人類に影響を与えるが、悪いのは放射能だけでない。だから、あらゆることを考えた上でトータルで判断するべきであり、個別的に判断していたら全部よくないことになってしまう。
- 地球の環境というものは、人間とは関係なしに大きく変化することもある。自然に優しくというキャッチフレーズがあるが、そういう意味で自然は必ずしも人間に優しくなく、今ある自然を私たちは利用してきたというのも確かである。そういうことも踏まえて議論する必要がある。
- メリット、デメリットを考えるには、広い視野からトータルに考えることが必要。
- 石油を使うと二酸化炭素が出るなどのデメリットがあるが、原発の事故に対しては、飛行機の事故と違って、我々はそれを回避する選択ができない。そういう観点でも環境問題を考えるべき。
- トータルに考えるというのはそうだと思うが、専門家でない人がトータルに考えることは難しい、また、今までもトータルに考えてやってきているはずであると思う。ただ、そのトータルというのもいろんな視点があるはずだから、それをすべて示してもらうことが必要。
- トータルで考えるべきというのはその通りであるが、最後には選択がある。その際に、選択からもれた提案に関して、人々に理解が得られるような理由が提示されることが前提。そのため、各提案のトータル像が様々な問題意識を持っている人に伝わり、また、人々の問題意識を反映したトータルな議論ができることが重要であり、それが、今、原子力委員会に求められている。
- デメリット、メリットを含めてトータルで考えるという議論の方向性は結構であるが、専門的な人で議論するだけでなく、一般の国民の方にもわかるようにし、科学的知識を底辺からあげるべき。
<第4回・招へい者の意見発表>
- エネルギー不足についての危機感を煽られている気がする。別に原始時代に帰るわけではなく、過去の石油ショック時にも省エネはされたわけで、これをもう少ししていきたい。代替エネルギー源から得られる発電量、省エネ器具や設備の使用を考え合わせた上で必要な電力量を計算し、それほど原子力発電に頼らなくてもいいという前提で計算してほしい。
- 来世紀のエネルギー問題を考えるときには、環境、資源、経済、人口、食糧、国の格差、文化、歴史、伝統などの問題と非常に深い関係があるため、これらの問題を無視して議論はできない。
- 炭酸ガスや酸性雨等環境に影響を与えるようなものを次世代に残してはいけない。特に炭酸ガスについては真剣に検討を行うべき。
- 生物に関わる者の立場から言うと、炭素がたくさんつながった非常に高級な物質である石炭、石油を燃やすことは非常にもったいない。しかも発生した二酸化炭素は元に戻せない。そうでないエネルギーの取り方を是非やらなければいけない。
<第4回・自由討論>
- エネルギー問題を考える場合に、重要なのは共通の基盤を持つことであり、まず、「日本において電力の消費をどこまで抑えられるか」、「新エネルギーの現状はどうなのか」という点について議論を徹底的に行い、共通基盤をまず作るべき。そうすれば、最後の選択が荒唐無稽の議論にはならない。
- 女性の意見は感情的と批判される傾向があるが、これまでエネルギー、原子力等を考える際に、感覚論を軽視し、女性の声をあまり聞いてこなかった事実がある。それも重要と認識されたことで、この円卓会議の場は設けられたと考えている。女性の感覚も考慮に入れていくことで、我々の感じている不信感の論点をわかっていただけるのではないかと期待している。
<第5回・基調発言>
- 本当に怖いのは、地球温暖化、オゾン層破壊等の二次的、三次的な原因により将来起こりうる地球的規模の天候・気候の変化とその影響である。
<第6回・基調発言>
- 賛成か反対かという議論は溝が深まるばかりである。原子力発電所は現実に動いており、我々は恩恵を被っている。この現状に対するベストではないがベターな解決方法として、やわらかく原子力発電所を包み、新エネルギーの普及にもっと資金を投じるべきである。
- エネルギーは次の3点において水や空気と異なる。まず、良質な石油があと20年で減産に転ずるなど、枯渇するという点。次に、毎年230億トンという二酸化炭素放出など環境汚染を引き起こす点。最後にエネルギー供給は技術が支えている点である。
- 豊かな経済発展、エネルギー消費、環境影響のトリレンマ状態は21世紀向けて人類に投げかけられた大きな課題。
- 全てを満足させるエネルギー源はない。石油には途絶の危険があり、石炭は環境影響が大きく、再生可能エネルギーは安定したエネルギーではない。
- 地域間、世代間の公平を考えたエネルギー技術開発を行っていくことが必要。
- 非再生的な資源、そこから生じる廃棄物、廃熱を自然の許容量の中に如何に抑え込むかが、エネルギー政策の最大の課題であり、産業システム全体もエコロジー・環境革命の波に巻き込まれだしている。
- 今後、化石燃料、原子力発電所などのコストは上昇していく。再生エネルギーのコストは、政策にもよるが、今後大きく低下していく。集中型でいくか、分散型でいくかが国民的な選択として問われている。
<第6回・他の招へい者の所感>
- 個人がエネルギー問題を自分の問題として考えることが大切であり、それをいかに普及していくのかが重要。
- 分散型エネルギー、大規模集中型エネルギーは対立させて考えるべきではない。現代の工業社会を考えると相互依存の関係であるべき。
- 資源の有限性や環境問題をクリアしながら現在の我々の考え方で、エネルギー問題に関わっていくことは非常に難しい。
- 限られた地球と限られた資源、後生に負の遺産を残さないということを肝に命じた上で議論しなければ、将来、同様の問題に突き当たるであろう。
<第6回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│将来のエネルギーに関し、 │
│・新しい技術については、時間的要素と、量的なものを評価し、社会システムに経│
│ 済的に入っていけるかを把握する事が重要。 │
│・日本では、資源状況が欧米諸国と異なることから、原子力も考慮するべきである│
│ し、在来型電源も見直しつつ、長期的に新エネルギーも評価し選択するべき。 │
│・自然エネルギーの普及にも大型エネルギー源の支援が必要であり、様々なエネル│
│ ギー源を多角的に使用することが重要。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 新しい技術はいろいろあるが、時間的要素と、量的なものをきちんと評価し、社会システムに経済的に入っていけるかを把握することが重要。ドイツ、イギリス、アメリカ等は、原子力の開発をあまり進めていないが、これは、天然ガスを使ったコンバインドサイクル発電という在来型の発電を見直しており、新エネルギー主体とはなっていない。また、豊富な石炭資源があるという背景もある。日本は、資源的にそれらの国と違うことから、原子力も考慮すべきであるし、今後は、在来型電源も見直しながら、長期的に、新エネルギーも評価し、選択していくべき。
- 今後の課題は、ピーク時の対策をどうするかであり、太陽光はそれに寄与することができるが、増えすぎると電力系統の信頼性の問題が出てくる。その対策には、バッテリーが必要であるが、直接太陽光の電気をバッテリーに充電するよりも、夜間使わない電気を充電していくほうが効率がいい。結局、自然エネルギーを普及する場合には、大型エネルギー源の支援が必要であり、様々なエネルギー源を多角的に使用することが重要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・エネルギーの議論に関しては、リサイクル社会を形成できるかの観点が重要であ│
│ り、原子力にはその可能性が十分あるとの意見が出された。 │
│・リサイクルはコストが問題であり、それにより見通しが大きく変わってしまうと│
│ の意見が出された。 │
│(なお、モデレーターより、リサイクルの議論は別の機会にすると発言があった)│
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- エネルギーの議論に関してはリサイクル社会を形成できるかどうかが重要であり、原子力は当初よりそれを目指して利用を進めているし、その可能性は十分あると考えている。
- 一般論としてリサイクルを実施することは重要であるが、問題はコスト。エネルギーの長期シミュレーションモデルにおいても、コストを少し変化させるだけで、結果が全然変わったものになってしまう。その見通しがよくわからない。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│エネルギーについては、経済性、環境保全等も含め総合的に考える必要があるとの│
│意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 火力発電から出るCO2は長期的に温室効果で影響があるとされている。原子力発電は、CO2を出さないが、放射性廃棄物が発生する。しかし、我々は、これは安全な処分が可能と考えている。全体を対比し、選択を考えていただきたい。
- 米国のように高い、安いだけで電源を決めてよいかは疑問。経済性も無視できないが、環境保全コストも含めて日本では原子力の意義を考えていくことが重要。
- 原子力しかないという方向ではなく、いろいろなトライアルがあっていいと考える。国には、科学技術の総合エネルギー政策を求めたい。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- また特定のエネルギーに偏るのではなく、様々なエネルギーの長所を組み合わせて利用していくことが現実的。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 今、世界の貧富の格差は拡大し貧しい国がでてきている。そういう国々がこれからの発展のきっかけをつかむためには、エネルギー、中でも使い易い化石燃料が必要であり、先進国は原子力を使い、これらの国々に化石燃料を使ってもらえるように、エネルギー市場を緩和していくことが重要である。
- 日本のエネルギーの少なさから言えば、一つの太い綱につかまっていることはできず、いくつもの細い綱を寄り合わせてそれにつかまってなんとか生きていくというのが日本の姿ではないかと思っている。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│資源の枯渇、世界人口の増加、新エネルギーの状況、化石燃料使用による公害等を│
│踏まえ、人類は将来のエネルギーをどうするかを国民全体で考えるべきという問題│
│提起に関して、 │
│・化石資源がなくなれば、地球上に50億、60億も住めない。そうすると │
│(一旦100億以上に増えた後)地球の人口は減って行くが、スムーズに減るよう│
│なプロセスを探すべき。 │
│・今までの延長上ではなくて、地球が限られた資源、空間ということに基づいて、│
│新しい価値観、生活様式、経済社会システムを構築しなければならない。 │
│との意見が出された。 │
│ また、モデレーターより多様な社会の中で、生き方に関して個人のポリシーが許│
│されるというのも、エネルギー、資源利用に関する一つの論点ではないかとの問題│
│提起がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 個人的には、原子力は最小限、必要だと思っている。また、使用済燃料のリサイクルも大いにやるべきである。原子力には、賛成でも反対でもどちらでもよいが、本当に将来人類がどうすべきかを教えてほしい。ただし、原子力を反対するならするでもいいが、その際は、自宅の冷房は切っていただきたい。自家用車もやめてほしい。贅沢にエネルギーを使いながらエネルギー問題を議論するのはやめて欲しい。それぐらいの覚悟をした上でエネルギーを論じるべき。
- 石油、石炭を燃やせば、公害が出る。それをどうするかも重要な問題。中国による酸性雨の影響が日本にも及んでいるということも考えると、今後、近隣諸国と協力して公害を取り除く努力も重要。そうしたことを、円卓会議で議論し、いいアイディアが出せればと考える。また、円卓会議では、国民が省エネにいち早く努力すべく提言していきたい。
- 現在、大学で、大学院生により「2040年の世界」をテーマにエネルギー経営学セミナーをやっている。それは、学生たちが現役を退く頃の2040年にはどんな世界に生きているか、2040年に向かって何をやるべきか、ということについて考え、議論するものである。これからの子孫に対して、エネルギー問題をどう考えるかに取り組んでいるそれらの学生達は、このままでは50年でエネルギーがなくなるという視点を、今後、世界で活躍していく上で非常に重要と認識している。
- 大量のエネルギーを消費したから地球上に50億、60億人が暮らせるようになっている。化石資源は50年から100年というオーダーで考えると、どうせなくなると思うが、そうすると、地球上の人口は10億程度にまで減っていくのが自然の姿。その人口に至るプロセスが、悲惨な目に遭わないように緩やかにもとの自然の状態に戻るというプロセスを探すべき。
- 恐竜はあれだけ繁殖していたのに、ある時バタッといなくなった。人類もそうなる可能性がある。そうならないように、徐々に経済、エネルギー消費、食料消費を下げていくというように人口も下げていくことが出来れば一番いいと思う。
- 環境倫理学という分野で、人類の歴史が10万年ある時に10万年先を考えるという人がいる。そうなると、エネルギーも太陽に頼らざる得ないし、地球上で養える人口も逆算できる。その人口に移る過渡期をどうするかというのが問題であると思う。
- 長い歴史の中で、最初に先進国が人口増加を急激に起こしてその資源を途上国に求め環境を壊したために、途上国の人口増加が起こっている。将来の人口がこれだけ増えるというので原子力を利用すると、環境を破壊し、その不安が人口増加を呼び込んでいく。このように悪循環を悪循環で解決していこうという施策そのもの自体が行き詰まっている。
- 人類が長年かけてここまで作り上げたものを一挙に元に戻すわけには行かない。しかし、エネルギーが足りないのだから原子力を利用するというのではなくて、全体的な構造の中でどうするかが求められており、原子力を減らしていくということが主要な課題。
- 原子力発電所と消費地が分断されていること自体が過剰消費を呼び、悪循環につながっている。今までの延長上ではなくて、地球が限られた資源、空間ということに基づいて、新しい価値、新しい生活様式、新しい経済社会システムを築かなければ、悪循環を続けることとなる。
- 途上国の状況をデータで示し原子力を利用するということが正当だという論理ではなく、途上国がなぜ原子力を必要するかを国力、政治等の広い文脈の中で捉えなければいけない。
- 原子力に反対ならば、冷房も自家用車も使うべきではないというのは不当な発言。
- アメリカには、完全に文明を否定して生活してる人たちがいる。しかし彼らは、隣の人が電気や車を使うことには反対しない。多様な社会の中で、生き方に関して個人のポリシーが許されるというのも、エネルギー、資源利用に関する一つの論点ではないか。
- 石油はあと50年、ウランもウラン235だけ使えば、あと45年くらいしかもたない。また、来世紀半ばには世界の人口は100億になるといわれている。新エネルギーについては、太陽光はコストが高いし、風力は東京の中心でやるわけにいかない。核融合はまだ先の話である。我々の時代はよいが、孫、子の時代には、エネルギーはないと考えなければいけない。こうした中、人類は将来エネルギーをどうしていくのか、どうすべきかを国民全体で考えてほしい。
- 個人的には数年前に車は捨て、家ではクーラーは使わずに扇風機で過ごしている。50年たったら石油はなくなるとの問題の立て方は、人を困らせるものであると思う。50年で石油がなくなるという命題には、いろいろな前提条件があると思うが、その条件を明らかにした上で発言してほしい。
- 50年でエネルギーが足りなくなるというのは、日本政府が政策的に脅かしているわけではなく、国際的にNGOも含めて評価して、言っていること。ただし、現在の2倍とか3倍のお金を使って掘り出せば50年たっても資源は残っているだろうが、今の値段では50年といわれている。
- 人口増加について、人口の問題は複雑であるが、インドなどでは医学が発達して子供が死ななくなったことが大きな要因である。
- 人口問題について、日本の合計特殊出生率が2を切ったのが1975年、人口がピークを迎えるのは2010年と推測されており、その間が35年ある。それが中国、インドの人口に適用できるかわからないが、事実として現在では8〜9%の経済成長している。これが原子力発電になったりしているのと思う。
┌─────────────────────────────────────┐
│自然エネルギーについては、加工過程で資源を大量に使うため高コストになり、将│
│来的に、ある程度までコストは下がっても、やはり、原子力を一つの核として多様│
│性を持たすことが重要との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 自然エネルギーは高いということがよく言われるが、なぜ高いかというと、それは資源を大量に使っているからである。例えば、太陽光はただであるが、それを電気に変える加工過程で土地という資源を大量に使っている。
- 自然エネルギーはある程度までは当然コストは下がるし、必要なところには使うべきであるが、やはりベースとしては原子力を一つの核として、多様性を持たすことが重要。
- 新エネルギーの研究開発については、太陽を中心としたエネルギーは大事であるが、それだけで済むのかという議論が、量的、質的な観点からされている。
<第9回・自由討論>
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 2回にわたる石油ショックでは、物が市場からなくなるかもしれないという不安感から、トイレットペーパー騒動が起こり、日本中がパニックになった。再発をさけるため、長期的視野に立ったエネルギー政策に取り組んでほしい。
- 地球環境問題への対応を考えるとエネルギー源として化石燃料に過度に依存すべきではない。貴重な化石燃料は日常生活用品等に振り向け、後世に資源を温存すべき。ウランは発電以外の利用が困難なため、大いに発電用に利用すべき。世界人口増、途上国のエネルギー使用増を考え、我が国のエネルギーシステムはしっかり確立する必要がある。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│発展途上国を中心とした人口増加、生活レベルの向上を考えると、今後の世界のエ│
│ネルギー需要の増加は避けられず、それには新エネルギー、省エネルギーだけで対│
│応することは難しい。また、地球環境問題への対応を考えると、原子力エネルギー│
│は不可欠であるとの意見が出された。 │
│これに関連して、 │
│・現在をベースにトレンドベースで将来を予測するのではなく、2050年の社会│
│ を真剣にイメージして、社会に必要なエネルギー体系を考え直すべきであり、原│
│ 子力発電所は現状に凍結することが必要 │
│・アジアで原子力発電所が増加すると日本のリスクが増加することも考えるべき。│
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 今後世界のエネルギー需要は増加する。
- エネルギー技術の計画は、例えば100年以上の長期的視野で方針を決めるべき。
- 2100年のイメージを、人口は120億人で静定し、エネルギー利用効率が向上し、人類の一人あたりエネルギー消費が現在と変わらない水準に維持されているものとすれば、今の2倍のエネルギーが消費されている社会となる。持続成長状態は、これを、化石、太陽、原子力で賄うことで維持されることになるが、現在はこの3つのエネルギー源それぞれが全消費量の50%は供給できるように考えることが世界全体として重要。原子力を候補から外す理由はない。
- 2100年のアジアにおける人口、資源、経済活動におけるわが国の相対的規模は現在のヨーロッパにおけるスイスの水準。我が国は、それまでにエネルギー技術などのストックを形成していくことが重要。
- 太陽への投資が原子力に比べて少ないのは、技術開発課題が前者は変換効率の高い素子の開発であり、後者はシステムインテグレーションであるためである。
- 電中研の資料では、2050年には世界の人口が100億人、エネルギー消費やCO2排出量も非常に増大するとしているが、人間が動物の次元を越えられないこと、温暖化や廃棄物など環境面からの制約やエネルギー資源、鉱物資源、水および食料の供給などの制約から、こういうことが現実になる可能性は考えにくい。
- 現在をベースにしてトレンドベースで将来を予測するのではなく、2050年の社会を真剣にイメージして、子孫が今ぐらい自由に活動できる社会に必要なエネルギー体系を考え直すべき。この際、原子力発電所は現状に凍結するということを打ち立てることが必要。
- 今日の問題が成長の限界をこれからどうやって解決するかであり、2050年の社会に関する会議中の指摘をもう少しきちんと分析して、その可能性を探っていくことが円卓会議開催の趣旨でもある。そしてそれに理解が得られることが大切。
- 今日の57億人の人口を養っていくためにはエネルギーが必要であり、この社会を支えていくためには、そのエネルギーをどうやって確保するかが大切。この現実を踏まえて議論しないと空論になってしまう。
- 将来のエネルギー展望をはっきり認識することが大切。短期的には2010年には日本のエネルギー消費量は10%増加する。この増加量だけでタイのエネルギー総消費量に相当する大変な量である。
- 途上国は先進国と同じ豊かな生活を求めており、アジアでは今後2000年までに年率で4.5〜8%のエネルギー需要増加が予想される。現実問題として増えるエネルギー需要を日本がどう考えていくのかを基本に、判断していくべき。
- 資料で示した2100年断面の絵はトレンドベースのものではなく、エネルギー利用効率が十分高くなることを前提とした社会が、持続成長可能な社会の一つのイメージではないかと考え、それに必要な主力供給力を伸ばしていくのが現在我々が取るべき選択ではないかとしたもの。
- グローバルな観点では、1920年〜2000年までに世界人口は年率1.5%、エネルギーは2.6%で増えており、一人当たりのエネルギー消費は、途上国の生活水準の向上などにより増えていくことが予想される。
- エネルギー供給の現在の内訳は、化石が90%、原子力7%、水力が3%で、21世紀前半までは、経済性、技術、資源を考えるとこの傾向は大きくは変わらない。これにより環境問題、安全保障問題、長期的には資源制約が発生する可能性はある。
- 新エネルギー開発、省エネルギーの推進は重要だが、これだけでは需要の増加に対応しきれない。供給を満たし、グローバルな環境問題をある程度解決し、持続可能な成長をするためには、原子力の役割は正当に評価されてしかるべき。
- 現代的社会は高品質のエネルギーに大きく依存している。地球規模の人口増加と現代的社会の拡大がおこっている。日本は将来とも、膨大なエネルギー資源の輸入により、現代的生活を維持、発展させようとしている。環境影響物質放出の低減の必要がある。このことから、原子力は、現在及び将来において、地球的及び地域的エネルギーベストミックスのひとつとして選択するのが合理的である。
- エネルギー源の選択に当たっては、ベネフィット、コスト、リスクと、将来の技術と産業の発展可能性を考慮して判断すべき。
- 原子力は現状の軽水炉と高速炉以外にも発展の可能性を広く持っている点も指摘したい。
- アジア地域で原子力が重要というのはいいが、原子力発電所は2010年には、日本、韓国、中国、台湾だけでも現状の2.8倍となる。これは、廃棄物も事故確率も増加することを意味しており、この点もよく考えるべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│・将来にわたってエネルギーの供給を拡大していくことは、経済活動による廃棄物│
│ の問題から不可能であり、エネルギー供給、経済活動の限界に達しないためには│
│ どうしたらいいかについて議論するべきとの意見が出された。 │
│・これに関連して、将来、サステイナブル(持続可能)な状況に入っていくプロセ│
│ スをなだらかにするには、ある程度のエネルギー源が必要との意見が出された。│
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 絶え間ない努力により、技術の信頼性を向上させていくべきとの考え方は、技術論としては同意。しかし、社会の混乱を避けるためにエネルギー供給を拡大していくことは、少なくとも50年、100年先を考えると不可能。拡大していく方向自体が大変な問題を引き起こす可能性がある。エネルギー供給は、経済活動をするためのものであり、これにより、発生した廃棄物をどうするのか。まず、どうやってエネルギー供給、経済活動の限界に達しないようにするのかということから議論するべき。
- 将来、エネルギー供給、経済活動の限界を迎えざるをえないだろうが、そういう状態に、どういうプロセスで至っていくのかということを議論するべき。原子力はそこに至る過程を悲惨な状況を起こさないでなだらかにしてくれるもの。人口が少なくて、サステイナブルな状況に入っていくプロセスをなだらかにするためには、ある程度のエネルギー源の確保が必要であり、そのプロセスの選択の議論が必要。
- まず、様々な経済活動等を考慮に入れてイメージし、目標を定めて、現時点の技術、知識を総動員して、その目標にどうやって迫るかということを議論するべき。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 省エネルギー、新エネルギーの積極的導入と併せて、原子力の継続的、漸増的利用が不可欠であると同時に、原子力発電の、なお一層の経済性向上もまた不可欠。
- また、近年は、温暖化等、地球規模の環境問題もある。このようなことを考えると、将来のエネルギーとして原子力が必要。
- 代替エネルギーは、21世紀になっても原子力発電を肩代わりするわけにはゆかない。また原子力なしのシナリオは地球環境問題の解決の観点から見ても難しく、日本の原子力発電は電源の1/3程度を担うことが不可欠。
- 原子力エネルギーは二酸化炭素、大気汚染の観点から「環境にやさしい」との主張がなされてきたが、Life Cycle Assessment(LCA)的に後世への負担などを全体的に考慮した上で、位置づけなり意味なりを考え直す必要がある。
- 小学校2年のときグランドキャニオンの下にあるウラン鉱山で、ウラン鉱石をもらって、長年タンスの上に飾っていた。危ないとも思わなかった。あのころのアメリカは原子力を信じ、技術を崇拝する雰囲気だった。
- 今のアメリカで新たに原子力発電所を建てることはもう無理であると思っており、大変残念。国民が話し合って必要性を議論しても当分建設は無理。フランスでは次々出来ていて、電気を輸出するほどになっている。これは民主主義のあり方の差だと思う。今は、中央集権が強い国が原子力発電所を作っていて、国民の声が政府に届く国では作っていない。この現状は、国民が原子力について十分に理解していないか、理解していて阻止しているかのどちらかの理由による。
<第1回・原子力委員の総括的見解>
- 幅広い貴重なご意見をいただいて感謝。世界のエネルギー全体のあり方、その中での原子力の役割等を含めて意見をうかがえたことは大変有意義。
- 原子力を単にエネルギーでなく、総合科学技術として捉えることが必要。
- 「利用」という観点から脱却して「調和」という観点で、原子力をとらえ直すことが重要。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 21世紀の地球環境を考えた場合、原子力を抜きに考えることは極めて難しい。
- 原子力を含む科学技術には光と陰があり、光だけを見て陰を無視したり、陰だけにとらわれて光を一切拒否していくというのは疑問。陰の部分を技術システム、社会システムでコントロールしながら、その光を享受してきたのが人類の知恵である。
- 原発は到底人間の幸福とは相容れない物であると確信している。これ以上地球を放射能で汚染しないでほしい。
- 日本では、今後いくら必要であるにせよ、原子力発電所の建設はできないというくらい、日本の民主主義は未成熟なままである。
- ビッグバンを1月1日とすると、大晦日の暮れる頃になって人類が登場し、同時に人口、資源、環境という問題が一気に浮かび上がってくる。そうした中で人間は、火の使用から始め、文明を築き上げてきたが、人類文明全体の中での、現在の原子力利用の位置づけをしっかりと知りたい。
- 米国でも原子力を巡る論議が確か20年前ぐらいにあり、原子力発電所を当分はやめようと決めた。議論がデモクラティックであり過ぎたために原子力が止まったのだと思う。
- 現代社会は、科学と技術の基盤の上に成りたっていることは事実。生活水準向上の多くは科学技術によるものであるが、環境破壊が起こっているのも事実。原子力についても、人類の将来、日本の将来においてどう位置づけられるかをはっきりさせる時期に来ていると思う。その際、ラショナルかつテクニカルなマインドとコミュニケーションが重要である。
- 終戦の年、ウラン核分裂によるエネルギー発生に対し、ノーベル賞が与えられた後、人類は原子力と切っても切れない関係になった。この会議自体がこれを裏書きしている。
- 原子力を評価する際にはコストという側面を無視できない。日本の電気代は米国の倍ぐらい高い。非常に安全にするというコンセンサスがあるなら、どのくらいコストをかければよいのかを考えないといけない。
- この30年間に原子力開発の条件が大きく変化したのに、昭和40年代はじめに定めたATR原型炉開発、FBR原型炉開発という基本路線を、政策担当者自らが変更できなかったのが問題。そもそも10年以上の長期計画策定は無責任ではないか。
- 早急に、新規原子力発電所の建設やプルトニウム政策を休止し、モラトリアムを実施すべきである。
<第2回・原子力委員の総括的見解>
- いつも新鮮な気持ちで拝聴。要旨集の中にある原子力を自然との関連でとらえるという視点が重要との意見に共感。原子力は技術中心の側面で捕らえられがちだが、今一度サイエンスの側面に立ち返ることも必要。また、一方では、文明論から考えていくことも重要。自然と科学技術との関わりの視点から、今後議論の場が持てることを期待する。
- 今後、原子力政策を考える際には、原子力発電、プルトニウム等のみならず、多層的、多次元的に関連した原子力の全体像を視野に入れ、幅広い議論を期待。
- かつて、市川房枝さんに原子力のご説明をした際、「原子力を進める上で一番大事なのは、人間的な信頼関係」との意見であった。「人間的な信頼関係の上に科学技術、現代技術は花を開く」とのポリシーを持っておられたが、それは現代でも変わらず適用するものと認識。
- 従来、日本におけるエネルギー問題は、日本的視点が中心だったが、今後は「地球市民」として考えていくべき時代。さらに、現代に生きる我々だけでなく、人類として後々の世代まで考える長期の視点が必要。そうした観点から、原子力の必要性、正しい使い方、受け止め方をどうすべきかを議論してもらい、「国民とともに生きる原子力政策」を進めたい。
- 将来の我が国、そして世界のエネルギー確保のあり方、その中での原子力の役割など様々な意見があった。また、現行の原子力政策に対して、多くの視点から改善点、問題点を伺えたことは極めて有意義。
<第2回・自由討論>
- 核分裂は天体の現象。また、放射能は人間の五感では感知できず、科学技術をもってしても無毒化できない。人為的に核分裂を起こして利用し放射能を作り出すことは人間の分を越えているのではないか。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 原子力は、深層防護(厚い守り)の哲学のもとで、環境負荷が小さく、安全性に優れ、他のエネルギー源に匹敵する経済性を有するエネルギー源である。
- 原子力について考えるにあたってエネルギーの問題を切り離して考えるのは無理。
- 基礎研究で原理的な発見がされ、実用になるまでには非常に長い時間がかかるが、原子力の場合、原爆という巨大で不幸な実用でデビューした。
- 人工放射性物質は自然界の生態系の外にあるものであり、地球上で人類と共存できない。
- 原子力は宇宙の究極のエネルギー源であり、星は核融合、惑星は核分裂である。
- 技術力の集約と規模の利益に関しては、原発は135万キロワット級以上の発電所を8基ないし10基、総出力1,200万kW以上を標準として企画すべきである。今後日本の原子力発電所建設は全日本的な規模で資本力、技術力を結集して建設すべきである。
- 原子力の不幸は、社会的重圧により基礎研究をスキップして今日に至ったことにある。その社会的重圧とは、水爆として利用されたこと、原子炉としての早期実用化の要請によるものである。
- 現在は「間氷期」であり、この間に基礎的研究を見直すべき。2050年くらいになると、第二の社会的重圧とも言うべき化石燃料問題、地球環境問題、人口爆発問題によって非常に困難な問題に直面することが予想される。
- 原子力分野ではウラン、プルトニウムの実用化に走ったあまり、その周辺の基礎研究や放射線応用の研究も大変遅れている。
- 原子力は人間圏のエネルギー源であり、これを必要としている以上、原子力かその他かという選択の問題がある。その場合、資源・エネルギー問題、核廃棄物処理、巨大な技術システムをどう考えるか、が問題である。
<第3回・自由討論>
- 迫りくる環境危機の至上命令として、先進国は化石燃料を電源とすることはやめて、化石燃料の火力発電は発展途上国に譲るべきという考えもあり、そういう意味から原子力の開発は差し迫った課題と考えている。
- 原子力の推進は必要だと思うが、ただし一定の条件がある。
- 人工の放射能が増えてもいいし、高レベル放射性廃棄物も増えても何ともないという判断をすればいいのか。それは疑問。
- 火については、人類はかなり使い込んでおり、モンゴルで火事が起きていても火を使うのはやめようということにはならないが、原子力はまだまだ50年の歴史しかないから、何かあるとやめようと言うことになってしまう。その辺を肝に銘じ基本的なところから行っていくべき。
- 様々な国際協定があること等から、原子力を特別なものとし、腫れ物に触るようにしてきたかつての時代と現在とではエネルギー政策に関する見方が変わってきていることを、政策を考える原子力委員会には、ぜひ認識していただきたい。
- 原子力発電所で事故が起こった時に、どのようにしてその事故の影響を避けることができるのか。
- 原子力はメリットとデメリットがあり、今後どこまでやるかを考えていかねばならないが、30〜40年にわたり原子力の平和利用に徹してきた日本が、今後、人類が原子力をどこまでやるかについてのビジョンの形成の呼びかけを、国際的にしていくべき。
- 環境問題に対する事実認識は、「環境問題があるからエネルギーを減らし、原子力もやめていく」、「環境問題があるから原子力発電が必要不可欠である」いうふうに二種類あると思われるが、後者の考えが重要である。
- 原子力を前提としてその政策を議論するよりも前に、何故原子力を使うことが必要なのか、本当に必要なのかを考えるべき。
(原子力委員意見)
- 科学技術の目指す世界が、「利用から調和へ」と変わってきていることを認識すべき。原子力についても、利用に先立って、自然環境、人類社会、社会環境などと調和できるかを考えるべき。
- 人工放射能と人類との共存という話があったが、放射能には人工も天然も関係なく、人体への影響も同じである。また、プルトニウムも天然の原子炉により自然界に存在していたが、半減期が短いため、今は存在していないだけ。
- 現在、医学分野では数百種類の放射性物質が利用されており、なくてはならないものになっている。原子力にはそのようなメリットもある。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 他の有効な代替エネルギーが開発されるまでの間、原子力は不可避。
- 環境への影響を考えると、従来型の燃料が良くて、原子力が悪いという考えは、全くの逆なのではないか。原子力を使う方がマイナスの影響が少ないのではないか。
- 原子力は核の中に閉じこめられた大きなエネルギーを取り出すという点でチャレンジすべき技術。問題なのは終わりまで、つまり廃棄物のところまで含めて技術が完成するということ。現在の原子力は完成しているとは言い難い。
- プルトニウムの特性(物理、化学、生物、医学的性質など)の周知、研究の推進をすべき。
- より安全で経済的な動力炉の開発を推進すべき。
- 原子力を輸出産業として育成すべき。
- 原子力の大々的利用に賛成。原子力政策担当者はもっと元気にアイディアを出し、それを国民に発表して物議を醸してほしい。このことから逃げているのが問題の始まり。
- 放射線は癌を作るがまた癌を直す両刃の剣。この立場に立って研究を進めるべき。
- 反原発論者が電気冷蔵庫等の近代文明をフルに使って、原子力発電所をやめろと言うのにはいささか抵抗がある。
- 先を見ると、石油もなくなるのだから、20年ぐらい先にはエネルギー戦争が起きてくる。今から高性能な原子力発電は必要なんだということは国、経済、政治のレベルではあると思う。不信感を持つのは、そこにビジネスが絡んで、不明瞭な部分がでてくるため。
- 原子力を必要とするにしても、小さな地道な試みを積み上げることで、計画を縮小できるのではないか。ニーズの本当の姿を真摯に確認する姿勢を怠ってはいけない。
<第4回・自由討論>
- 原子力関係者にはやましいと感じていることが二つある。一つは、「廃棄物を次世代に残すのか」という問題、もう一つは、「放射線の影響は次世代に残るのか」といった問題。高レベル廃棄物の消滅技術開発や放射線の遺伝的影響等、これら二つの問題の対応を国家は第一にやるべき。また、既にわかっていることは早く公開すべき。
- 原子力で解決されていない問題である「廃棄物の処理」、「放射線の人間への影響」がきちんとわからないと、技術者も自信を持ってやっていけない。この2つの問題にもっと力を注ぐべき。
- 在来型のエネルギー源は、環境汚染等の情報の積み重ねにより、ある程度予測できるが、原子力は情報の積み重ねがないことが問題。
<第5回・基調発言>
- 推進派側からは、原子力はクリーンで環境に優しいと常にいわれているが、原発は運転に伴って希ガス、液体(放射性)廃棄物、トリチウムという放射能が放出される。放出管理目標値以下だからいいというが、放出すること自体に問題がある。放射能、例えばコバルト60はいったん放出されるとなかなか0にならない。
- 原子力に対する日本の世論は、ほぼ安定しており、賛成、当分現状維持、反対が1:1:1の割合。
- アメリカでは、イニシアティブの制度により、住民投票によって原子力の是非を決定している例がある。唯一否定された例は、危険だとか事故があったということではなく、建設に金がかかるということから否定されたもの。
- 基本的に、原子力発電からは逐次撤退していき、特に高速増殖炉開発は断念すべき。
<第5回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力は環境に優しいといわれているが、管理目標以下といっても運転に伴って│
│ 放射能が放出されるので問題であるという意見に対して、原子力委員から、放射│
│ 線は宇宙に満ちているものであるが、原子力発電所を起源とするものは0.0数│
│ %と極めて低いという見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 放射線は、ビッグバン以来、宇宙に満ち満ちているものである。我々の通常受ける放射線は、3/4が自然放射線、2割が医療によるもの、残り5%のほとんどは大気圏核爆発のフォールアウト、原子力によるものは、割当値で、0.数%であるが、実際は0.0数%と極めて低いのが実状。
- 科学技術、原子力の分野でもマーケティングの研究におけるディマーケティング的なこれまでの逆の視点があってもいいのではないか。
- 原子力の話を日本ですると、10年くらい前の国際的な議論にタイムスリップしたような感じを受ける。これだけ海外との関係があってもまだ日本は鎖国を乗り越えていない。もっと幅広い国際的視野でものを考えるべき。
- 原発は現実的に社会的に建たないということを認めて対策を立てるべき。
<第6回・基調発言>
- 原子力におけるウランは、高速増殖炉では多少延命するとしても、枯渇性の資源である。放射性廃棄物についても現状では人類と共存できる状況でない。
<第6回・他の招へい者の所感>
- 地球全体の長期的な問題を考慮すると、原子力の位置付けをきちんと行い、どの程度原子力に依存していくのか議論するべき。
- 原子力は地球温暖化問題を解決する幾つかのオプションの一つであり、それらの中で原子力はどれだけ優れているのか、あるいはどのようなバランスで原子力を進めるのかが論点。
<第6回・自由討論>
- 産業規模で考えると、電力は、必要な時に、必要な量を、かなりの経済性を持って提供することが必要。新エネルギー、省エネルギーはもちろん大事であるが、総合判断すると、当面、原子力発電、さらに、軽水炉から将来的には高速増殖炉につなぐことが必要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・エネルギー問題は、他の生物も含めた自然界という観点からの議論が必要であり│
│ 、原子力は自然界から飛び出したものという意見に対し、原子力委員から、放射│
│ 線は宇宙、地球創世の時から存在し、我々は自然放射線に囲まれて暮らしており│
│ 、また、核分裂は、過去地球上で自然に発生しており、自然で行われていること│
│ を行っているだけであるという見解が示された。 │
│・また、太陽、バイオマスの自然エネルギーを大量に使うことは、太陽の恵みを人│
│ 間が独占する事になるのではないかという疑問が提示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- エネルギー問題は、人間だけでなく、他の生物も含めた議論であるべき。暮らし方も含めて、この問題は文化の問題。人間は、他の生物と同様に自然の中に含まれているものであり、またその文化も自然の中に含まれるものである。しかし、原子力などの先端技術開発には、その自然から飛び出してくる部分があり、その部分を利用することにより人間が非生物的存在になるのではないか懸念を持っている。遺伝子工学、宇宙開発のある部分も同様。
- 自然の循環を壊さないようなエネルギーができるかどうかではなく、是非やらなければいけない。
- 黒部ダムは、ものすごい自然破壊。あの広い面積は、人間が太陽の恵みを独占している。太陽光、バイオマスという議論があったが、人間だけが太陽の恵みを独占して他の生物に渡さないということはいいのかと感じている。
- 太陽の恵みはすべての生物の上に注いでおり、人間が利用しても他の生物にいかないということにはならないのではないか。
- 自然エネルギーでも大規模に利用するのには限度があるのは確か。しかし環境の負荷が小さいのも確かであり、知恵を出してうまく利用していくことが必要。そのためには、分散型のエネルギーが適している。
- 人間が地球上の一生物であるということを認識し、人間のエゴをむき出していてはいけない。
- 宇宙、地球の創世以来、放射性物質は地球の中にたくさんあり、我々も自然放射線という形でそれを受けている。関西と関東でも自然放射線の量は違うが、それで大きな差があるわけではない。原子力発電所から出てくる放射線は、そういう自然放射線の変動の範囲よりも2桁ほど小さく、自然から飛び出していないと思う。
- 原子力発電所に対して心理的に不安があるのも確かであるが、日本では自然に対して一番飛び出していない。例えば火力発電所などでは酸性雨による影響などがある。
- 原子を取り出して利用するような形は、自然からかけ離れた存在であり、自然の外に飛び出してしまう。
- 宇宙のエネルギー源としては、自然の原子力と人工の原子力しかない。今我々の使っている原子力は、過去、地球上で自然に発生したものを使っているだけであり、いずれにせよ自然に学ぶ以上のことはできないという認識。
- 太陽の光を利用するのと、人工で小さな太陽を作り出すのは文化の質が全然異なると思っている。
<第7回・基調発言>
- エネルギー面で原子力に頼らざるを得ないことは論を待たない。
- ウランには潜在的には化石燃料の何百万倍もの資源的価値がある。同じエネルギーを得る場合、廃棄物の発生量が最も少ない。環境調和型という点で非常に優れている。
- 原子力のエネルギー源としての利用は、エネルギーを制御しながら少しずつ取り出すという意味で、従来の「消費型」から新しい「制御型」エネルギーへの転回である。
- 我々は、原子力の文化を21世紀につないで行かなければいけない。
- 我々の住む日常世界のエネルギーは化学結合から生まれるものであり、世界の安定は原子核の安定の上に築かれてきた(地の平和)。核エネルギーの利用は、原子核の安定性を強いて破壊して、核結合のエネルギーを取り出すものであり、そこに大きな怖さ、特殊性がある。軍事利用に限らず、平和利用においても基本的な困難性がある。社会との間に基本的な困難をもたらすことを認識するべき。
- 核エネルギーの利用という「パンドラの筺」をいったん開けた以上、とことんこの技術を開発して最大限利用するべきとの意見もあるが、この本質を見極めて、好ましくないものであるならば、この「パンドラの筺」をどう閉じるのか−放射性廃棄物や解体核兵器の問題をどうするのか−ということに人間の知恵を結集するべき。
- 世界は現在、環境問題を抱えており、化石燃料に替わる代替エネルギー開発が優先的課題。原子力は火力に替わる電源として有力。
<第7回・他の招へい者の所感>
- 地球は太陽の恵みを受けている。今の石炭、石油も太陽の恵みでできており、それを掘り出して使用している。これは原子核の変換というのが役に立つということである。特にウランについては、安定な核から外れたものが使える状態にある。いかなる法則といえども自然に反した法則は作れないため、これは自然の恵みのうちにあると考える。
- 原子力を人間が見つけたというのは、人知と文明の発達の結果である。
- 原子力を人間の安寧福祉に役立つようにコントロールして使っていくのは当然である。
- 化石燃料だけに依存して地球環境を壊していくよりは、人知の究極として得られた核エネルギーをきちんと使うという方向に進んでいくのは当然である。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│核エネルギーの利用は、原子核の安定を破壊するので社会との間に基本的な困難を│
│もたらすと基調発言において指摘があった。 │
│一方、これに関連して、 │
│・人類文明の発達の中で核エネルギの利用は自然なこと │
│・CO2抑制の観点から原子力は有意義 │
│・原子力は利用効率といった点で最も理想的なエネルギー源 │
│との意見があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 個人としては、地球で人類が生まれ、化学エネルギーの利用に至って文明を構築したことを考えると、人類文明の発展の中で核の世界に入っていくのは、至極もっともなことと理解している。ただし、研究開発の理念を「利用から調和へ」と転換し自然や社会と科学技術の調和を優先させることが必要。
- CO2は地球規模で環境的に問題となっている。火力発電からは大量のCO2が出るため、電力会社はその放出の抑制に努めており、東京電力では、1970年から1995年の間に1KWhあたり54%カットした。しかし、そのうち70%は、原子力によるものであり、原子力なしには、それだけのCO2の抑制は出来ない。今後、目標とされている原子力開発を達成していき、一人あたりのCO2の排出量を今のレベルに抑えていきたいと考えている。
- 原子力について考える際、「人智の発達、進歩を促す可能性があるか」「人類の安寧、福祉に役立つか」「人間活動と環境との調和に貢献できるか」といった観点から、考えるべき。
- 人間の文明の発達、特に科学技術の発達から見ると、片やミクロの方向、片やマクロの方向に進んでいくものに分かれる。それら広範多様にわたるものを全体として体系化し、精緻化し、知識にしていくのが科学技術、文明の方向。その中で、核反応を使い、全体としては精緻な技術を使って、役立てていくのが原子力の特性の一つ。
- 原子力は他のものと比較して最も密度が高く、高温のエネルギー源である。利用効率といった点では、最も理想的なエネルギーである。核拡散防止、安全などでは十分なコントロールが必要だが、原理的な面では、未来へつなげていく価値のあるものと考えている。
┌─────────────────────────────────────┐
│現状の原子力政策について、 │
│・安全については、ある程度の実績があり評価している │
│・現在の政策は、基本としてエネルギーだけでなく原子力を総体として捉えている│
│ こと、リサイクル社会の形成の展望を持っていることから、認められる。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力発電の安全については、ある程度実績を積み重ねてきており、評価している。
- 今の原子力政策の基本は、原子力をエネルギーだけでなくガン治療への利用等も含め総体として捉えていることと、リサイクル社会を形成するという展望を持ってやっていること。そういう意味で原子力政策は認められると思う。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力利用について、 │
│1.原子力利用はこれからが正念場である │
│2.原子力はお金をかけすぎである │
│との指摘がなされた。 │
│なお、2については、モデレータより事実関係が紹介された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力利用はこれからが正念場であり、幸い安全性は確保されているようであるので、効率のよい、経済性の高い、技術の面でも信頼されるあり方を国民に示してもらいたい。
- 高速増殖炉には、科研費の7倍というすごいお金を使っているが、そこまでしてやる必要があるのか。せいぜい、科研費と同じ程度でプロジェクトをやるべき。原子力にあまりにもお金をかけすぎているのではないか。
- 「もんじゅ」は10年間で6000億円、宇宙は年間約2000億円、科研費は年間約1000億円である。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力発電所の廃炉について、地域経済、長期的な電力確保なども踏まえ、どのよ│
│うな計画があるのかという疑問点が提示された。 │
│これに関連して、原子力委員より、 │
│・長期計画では、地域社会との協調をとりつつ、原子力発電所用地として引き続き│
│ 有効に活用するとしている。 │
│・個別サイドの話は電力会社、通産省が検討しているが、原子力委員会としては、│
│ 長期的に整合がとれるようにする責任がある。 │
│との見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 最近、原子力発電所の廃炉が報道されているが、原子力政策を進めるための原子力委員会としては、廃炉の対策、その後の次なる立地、高レベル廃棄物の処分等について、見極めをもっているのか。
- 原子力発電が、廃炉になった場合、その場所にもう一度作りたいと考えている。これは、大量の水の確保、地盤がしっかりして、広い面積があるという原子力立地に適した地域がそれほど多くはないためである。
- 廃炉で解体するには、それなりに時間もかかるはず。その間、地域の経済などはどうなるのか。長期的な電力確保を考える上で、原子力委員会では、そうした点も全て踏まえた裏付けのある計画はあるのか。
- 廃止措置については、解体撤去後は、地域社会との協調をとりつつ、原子力発電所用地として引き続き有効に活用する、というのが、長期計画に示された基本的な考えである。非常に長期的に見て、全体的に整合性のある計画を示せるかといえば、方向性は示せるが、今の時点では具体的な地点における個別論まではいれない。ただし、電力会社は想定した将来計画を持っているであろうし、行政責任主体として通産省もスタディしていくと思う。原子力委員会としては、長期的に整合性を持ってやらなくてはいけないという責任を持っている、と考えている。
- 政策的な展望を見極めるためには、廃炉後の具体的立地などについて、全体的なことはつかめず、電力各々の会社で考えるということではいけないと考える。
- 福島第一発電所の1号機は25年経過しており、耐用年数が40年とするとぼつぼつ準備に取りかかる時期ではないかと感じているが、その辺については、指針として国が方針をきちんと打ち出す必要がある。
┌─────────────────────────────────────┐
│欧米の原子力発電が停滞している理由について、 │
│・原子力、火力などの大規模な基盤エネルギーシステムを当面追加的に必要として│
│ いない経済状況だからである │
│・かつて無いほどの反対運動があったことが背景にある │
│・米国で原子力が停滞しているのは、石油の価格が下がり原子力より火力が安くな│
│ ったからである │
│との指摘がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- OECD先進諸国の原子力発電量は、確かに停滞している。しかし、ヨーロッパ及び米国の失業率が高い一方、日本の失業率が低いこと等で示されるように、経済活動の差により、エネルギー需要に違いがあることが要因。つまり、欧米諸国では、原子力、火力などの大規模の基盤エネルギーシステムを当面追加的には必要としていないという背景により停滞している、と考えられる。
- 先進国が原子力を凍結しているのは、電力の需要が伸びていないからだという発言は、認識が異なり、そうした認識では困る。私の認識では、アメリカの原発が計画をやめたのは、かつてない反対運動があったためで、ヨーロッパも同様の背景と聞いている。
- アメリカで原子力が停滞したのは、反対運動が強まったのも一因だが、経済性が優先される国ということも大きい要因。つまり、石油価格が安くなったため、原子力より火力が安くなったことが非常に大きい理由。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 原子力の問題を考えるに当たり、国民一人一人がエネルギー事情や炭酸ガス規制を念頭において考えているのか疑問。太陽熱、風力、地熱の実用化までには時間がかかることもあり、それまでは資源の有限性、日本人の潜在的核アレルギー、安全性への疑問はあるものの、炭酸ガスを排出しない原子力の意義を改めて国民が認識する必要がある。
- 我が国はエネルギー資源のほとんどを輸入に頼っており、政情の不安定な国からも輸入している。供給安定性、炭酸ガスを出さないという特質をもつ原子力は安全に十分な注意を払いつつ進めて行くべき。
- 50年程前に、仁科博士の講演で「ウラニウムの核分裂反応は富士山の砂粒以上のもののもつエネルギーの反応」と聞いて「とんでもないものができた」と感じた。
- 強力なエネルギーをもつ原子力を、人類がどう制御していくのかが大変な問題である。
- ガンの発生メカニズムの解明や治療法の確立、放射能の消滅技術の確立は、原子力技術の社会的評価を全く違ったものとする。こうした技術が今後どのくらい進歩するかという技術予測は、現在の原子力政策を立案する時にも大きく影響するものであり原子力委員会の見解を聞きたい。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 今の世代については、原子力は石炭、天然ガスとともに脱石油3本柱の一つとして、安全性、信頼性、経済性の向上努力により、30%を占める重要な電源となっており、電気事業者として、コスト、信頼性面でも自信を持っている。
- 原子力開発とリサイクルは、世界規模で見てもエネルギー資源の増大に寄与できる。
- 石油ショックの時には、IEAで石油火力の新設中止が国際ルールとして決まり、省エネルギーと新エネルギー開発、脱石油が進んだ。二酸化炭素についても、IPCCで国際ルールが制定されれば、これの達成のため、省エネ新エネルギーは勿論だが、原子力のより効果的な活用を国際的に協力しながら進めていくことが重要となる。
- 原子力利用については肯定的な立場に立つ部分が多いが、しかし、原料、廃棄物、取水、立地の問題など日本の環境容量から見て、電力の3割という現状以上の原発依存は難しいのではないかと思っている。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力は、エネルギー利用だけでなく、実際は、医療分野をはじめとする広い分野│
│で利用されているという事実が指摘された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- ガン治療の将来的の見通しに関連して、原子力は、エネルギー利用が主として話に出てくるが、実際は広い分野の技術。医療分野はそのうちの重要な分野で、原子炉、アイソトープ、加速器など非常に広く利用されている。特にガン治療では、他でかえられない特徴ある利用が行われている。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力に関して、 │
│・21世紀のエネルギーセキュリティーを考えるとエネルギー源の多様化を図るこ│
│ とが重要であり、原子力は基幹エネルギーの大きな選択肢の一つ │
│・我が国において、新エネルギーや省エネルギーに期待することは困難な状況であ│
│ り、原子力、プルトニウム利用に関する安全性を高めつつ、技術を信頼しながら│
│ やることに国民の合意を得る努力をするべき。 │
│との意見が出された。 │
│ これに関連して、原子力の他にも選択がないかも含め議論をしてエネルギー政策│
│を作るべきとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 近隣アジア諸国のエネルギー需要の急増、CO2問題による大きな制約、また第3次石油ショックの可能性がないと断言できない現状において21世紀のエネルギーセキュリティを考えると、体力のあるうちに将来への備えをする必要があり、エネルギー源の多様化によりリスクを分散するべき。質、量、経済性を考慮した上でベストミックスの考え方の下に安定供給を図っていきたい。
- 原子力は基幹エネルギーの大きな選択肢の一つと考えることが重要。新エネルギーは補完的役割であり、基幹エネルギーになることは難しいと認識。
- 供給義務のある電力会社としては、不安定、不透明な新エネルギーだけでは自信がもてない。
- 世界的に我が国の省エネルギーはかなり進んでおり、これ以上の大幅な省エネルギーを期待することは困難。
- 年2%で伸びる電力需要を満たすのに、原子力発電以外にあるのか。竜飛岬で風力発電が試験的に行われているが、津軽半島から能登半島まで並べても100万kW程度であることを考えれば代替エネルギーといっても困難なことが分かる。省エネといっても、日本人が自動販売機は駅に一つだけといった辛抱ができるでしょうか。できないのなら、当分は原子力に頼るしかないというところから話が始まっている。プルトニウムにしろ、リサイクルにしろ、安全性を高めつつ技術を信頼しながらやることに国民の合意を得る努力を原子力委員会でしてほしい。
- エネルギー資源が本当に枯渇する状況、又は埋蔵量の半分を使ってしまった状況を考えると、過去の歴史を見ても、国際紛争のもととなることが予想される。日本のように国際紛争を軍事力で解決しない立場の国がそうした事態にどう対処できるかというと、「紛争をしなくてもこういう事も可能」という様々な選択肢を世界に示しうる技術を持っていることが必要。選択肢の幅を広げることが日本の安全、世界の平和に影響すると考える。
- 本日の議論を聞いていると、エネルギーの必要性を錦の御旗にして、「今やらねばならない」という錯覚を起こさせるが、今の状況はもう少し余裕があると認識している。原子力の他に選択がないかどうかを含めて、しっかり議論して国のエネルギー政策を作り上げてもいいのではないか。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 未来の地球を考えたとき、地球環境面からも原子力は大きなメリットである。
- 安全な地下層に大規模な原子力関係総合施設の建設を行い、その上には植林を行うほか、犬の訓練所施設を設ける。また、その周囲には特別区を設け、電力多消費企業を誘致し、安価な電力と土地を提供することを提案する。
- すべての発電にはマイナス面がある。原子力発電からでる高レベル放射性廃棄物の処分は不可能ではない。今後少なくとも50年は原子力が主力電源となる。原子力に携わる人が自信と誇りを持て、若者が原子力にチャレンジしてみようと思えるような原子力政策の議論を戦わせてほしい。
- 原子力発電の推進について、一刻も早く大多数の国民的な合意形成がはかられることを期待する。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│化石燃料による地球温暖化、新エネルギー技術の現状も踏まえ、資源小国の我が国│
│としては、原子力を基軸エネルギーとするべきとの意見が出されたことに関連して│
│、処分方法が解決されていない放射性廃棄物を作り出すエネルギー政策は間違って│
│いるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 資源小国である日本が今後生き残っていくためには、化石燃料の需給や価格変動に振り回されない原子力が基軸エネルギーとなるべき。
- エネルギーは必要だが、原子力が必要なのではない。そういう意味で放射性廃棄物を出さなければ稼働できない原子力に頼るエネルギー政策自体を見直すべき。
- 石油などは、地球温暖化の原因となるCO2を出すが、それをどうするかは、世界中でいい知恵がない状況。太陽光は、CO2を出さないエネルギーであるが、密度が低く効率も悪い。ただし、非常に優れたエネルギーであり、分散型としてやっていくのは大切であると考えるが、主流に据えるには無理がある。
- 同じ電力規模の施設を作るのに、太陽光は原子力の200倍の土地が必要。また、機械装置も現状、5倍から十数倍のコストがかかるといわれている。太陽光も技術的にブレイク・スルーし、将来のエネルギーとして育てて行かねばならないと思うが、この数十年は原子力に頼らざるを得ない。
- 原子力発電を批判するとよく「対案を出せ」と言われるが、普通の市民がそんな簡単に対案を出すことは困難。市民が考えてすぐできることは、偉い人がとっくにやっているはずである。そうした意味では「対案を出さなければ批判できない」という姿勢は改めてほしい。
- 原子力だけにエネルギー政策を偏らせていることが間違っている。様々なことを考えていくべきではないか。原子力発電は必ず廃棄物が発生し、それをどこかに持っていって捨てなければいけないものであるということを考えるべき。間違った方向に向かって英知や経済力を使うのではなく、本来あるべき方向に使ってほしい。
- 解決できないものをどんどん作って、それを押しつけられるのでは、押しつけられる地域は納得できない。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│フランスを除くヨーロッパ諸国、アメリカがなぜ原子力を選択しないのかという意│
│見に対して、 │
│・西欧、北米の石油、ガス、石炭の一人当たりの資源量はアジアと比較して多く、│
│ 選択の幅を持っているためである。 │
│・持続的な成長が可能な社会の概念を作りそれを支えるエネルギー体系を作るかと│
│ いう視点の有無である。 │
│・原子力が事故、廃棄物の不信を解決できなかったことにヨーロッパの選択の基本│
│ がある。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- OECD諸国で建設中の原子力発電所は、フランスと日本にしかない。フランスを除くヨーロッパ諸国、アメリカの選択がなぜこれまでのみなさんの考え方と異なっているのか、彼らは、エネルギー問題を楽観視しているのかに関して伺いたい。
- 世界は9割を化石燃料に依存している。石油、ガス、石炭の一人当たりの資源量を地域別に比較すると、西欧、北米と比べてアジア、オーストラリア地域は極めて少ない。アジアのエネルギー基盤は非常に脆弱で、エネルギー危機の影響を受けやすい。それにくらべ、西欧、米国はエネルギー選択の幅を持っている。この点がアジアと欧米の選択の違いに現れている。
- 米国を中心とした規制緩和の流れは、安いエネルギー価格を利用して、経済を活性化させるという短期政策である。これは、欧米では資源が豊富で、しかも安く、エネルギー問題がないため。日本でも最近はこの傾向があるが、長期的政策が入らず化石依存率も下がらないため、将来の危機に対する不安要因がある。
- エネルギーミックスが国により異なる要因は、国内に安い資源があるか、安全保障・安定供給、新技術に対する国民のアクセプタンス・立地しやすさなどの違いによる。発電を見ると、米国、ドイツ、イギリスでも発電の半分以上が石炭であり、ヨーロッパが原子力を増やさないでも対応できるのは、天然ガスがロシア、北海、アフリカからパイプラインで供給可能で、経済的にも有利という状況のため。日本ではどういう選択がよいのかは、そういう視点から議論すべき。
- 持続可能な社会をどう理解するかが基本的に異なっている。経済活動がどう持続するかという意味では、言われる通りである。しかし、今後50年、 100年後に我々が生きるために、どうエネルギーを調達すべきかという持続可能な社会という概念についてスウェーデンのように議論をすることが重要。日本ではその議論がない。持続可能な社会の概念を作り、それを支えるエネルギー体系を作るかという視点が日本にない点が決定的に違う。
- 欧米では原子力についてのナショナルコンセンサスを作ろうという動きがあったが、フランスを除いて成功していない。今日の議論にはエネルギー需給面から議論しているという一面性があり、政治、社会過程の面からのエネルギーの議論が弱い。原子力が事故、廃棄物処理問題などで不信を解決できなかった点にこそ、欧米の選択の基本があり、これが重要である。
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力モラトリアムは生産的な方法ではなく、個々の具体的な問題を抱えている│
│ ところが新しい提案を世の中に提起していくという方法で努力していくべきとの│
│ 意見が出された。 │
│・これに関連して、原子力発電所の立地をめぐってコンセンサスを作れると考える│
│ ことは幻想であり、ある年限を区切ってモラトリアムを実施し、その間議論をす│
│ るべきとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- モラトリアムや凍結などというのは生産的でない。具体的な提案を出すことが重要。世の中は、個々それぞれの拠点でそれぞれの方が誠心誠意努力をしてお互いに共通するところを見出していくものであり、個別具体的な努力なくして世の中は変わっていかない。個々具体的な問題を抱えているところが新しい提案を世の中に提起していくという方法で努力していくことが最善である。
- 原子力発電所立地をめぐってコンセンサスを作れると考えることは幻想。新しい原子力発電所建設計画が切れようとしている現在、原子力発電所建設のモラトリアムには良いタイミングである。5年あるいは10年間と期間を区切ってのモラトリアムは国民的に合意可能である。原子力政策に関しての合意でなく、エネルギー政策に関する社会的合意が必要。社会科学者が原子力問題にコミットしにくいのは、賛成か反対かという踏み絵を踏まなければ議論ができないということにある。年限を区切った原子力発電所建設モラトリアムであれば、かなりの社会的合意が得られ、その間に議論をするべき。それにより、省電力への取組が国家的に対応可能になる。
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力には世代的、地域的な不公平が根本的にあるのだという問題を立地点に即│
│ して議論することが問われている、との問題提起がなされた。 │
│・これに関連して、世代間、地域間の不公平の問題は原子力だけでなく、むしろ原│
│ 子力をやめることにより子孫や、途上国につけを残すこととなる様々な選択肢に│
│ ついて幅広く検討するべき、との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力施設の立地点では、内発的な地域おこしの試みはほとんどない。世代的、地域的な不公平が原子力には根本的にあるのだという問題を立地点に即してどういうふうに議論するのかということが、立地市町村から問われている。
- 世代間、地域間の不公平の問題は原子力だけではない。今、私たちは様々な形で痛みを分かち合わなければならない立場にある。原子力をやめるということになれば、子孫に安全性のツケを残す。途上国の問題を考えれば、先進国だけが都合の良いエネルギーを使ってよいのか。経済原則に従って石油、天然ガスだけを先に使ってしまってよいのか。そのような問題も含めて、地域間、世代間の問題を話し合うべき。このような問題を原子力だけに特化していくのは非常に狭い範囲の見方である。
- 将来のエネルギー、電力供給がどうあるべきかということについては、様々な選択肢がありうる。複数のシナリオを提示し、供給、需要サイドを含め、経済面、環境面等、幅広く比較検討するべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力の推進方策に関連して、 │
│・100年後のエネルギーを論ずるのであれば、3〜5年をかけて、100年先を│
│ 見越して廃棄物をどうするか等の全体としての議論を行うべきである。 │
│・原子力の推進側は、「このまま成長していける」ということを前提としているが│
│ 、このままいけるとは思われない。 │
│・たとえ原子力の安全性と廃棄物処理が 100%解決したとしても、原子力は無│
│ 理ではないか。 │
│等の意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力をただちに止めろといっているわけではない。100年後のエネルギーを論ずるのであれば、廃棄物についても、100年先を見越して、廃棄物の発生量、処理方法、さらに、原子力を続けなければならないのか、続けなければならないとしたらリスクは誰が負うのか、エネルギーそのものの消費を抑制する方策はないか等を含めた一種の物と金の100年間のバランス・シートを示した上での全体としての議論を、3〜5年のスパンを持って行うことが必要。
- 原子力については、技術論の範囲は問題ない。一番の議論は、将来をどうみるかの視点の違いである。「このまま、成長していける」というのが推進の側の前提であり、それであれば、原子力と化石燃料しかないと考えるが、このままいけるとは、思われない。
- 原子力発電所は仮に100%安全であり、廃棄物を100%処理できるとしても、原子力は無理ではないかと考えている。
- 原子力は現状の軽水炉と高速炉以外にも発展の可能性を広く持っている点も指摘したい。
<第2回・招へい者の意見発表>
- ODA大綱内にエネルギー問題に関する言及が少ない。住専の5000円については議論するのに、一人毎年12000円のODAの使途のチェックについては、マスコミも政治家も寡黙である。省エネ、効率的エネルギー利用を図ってもらうための援助がODAに占める比率はあまりにも少ない。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 英紙「エコノミスト」は巻頭論文で「アジアのエネルギーへの誘惑」と題する記事を掲載。
- エネルギーについてIAEAとIEAの21世紀にかけての長期ビジョンを日本としてリードするつもりで取り組むべき。
- エネルギー利用効率の高い社会システムの追求、高効率エネルギー利用技術及び非在来エネルギー技術開発を進め、「持続する成長」を目指す共同事業の一環として、これらの技術・成果を国際社会に移転するべき。
- 来世紀に困難が予見される一例に、ヘリウムガスがあるが、やがて空気中のものを採取せざるを得ない状況にある。空気中のヘリウム濃度が少ないので採取コストがかさみ、ある経済学者の評価では来世紀の途中にはコストが10倍以上になる。
- 地球システムの中に人間圏というものが生まれたというのが現代の特徴である。
- 地球システムの中で安定した人間圏とはどのようなものかを考える必要がある。
<第3回・自由討論>
- 戦後50年の歴史の中で、質が良くてコストの安い電力供給に努めてきた電力会社の苦心と、需用者が享受してきたメリットの大きさも見逃すことができない。
- 議論がエネルギー源の話に限られるのでは不十分。問題は、エネルギー変換の効率であり、それが核心にあるべきで、そのことについて十分な議論が必要。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 日本はエネルギー供給における安全保障のレジーム形成において、何らかの積極的な役割を果たすことが必要。
- 電力会社は原子力で30%ぐらい発電しているということであるが、水力、石炭、その他にしても、使えるものは使ってコストのことも考慮して様々な工夫をしていると思う。石炭ガス化による発電もかなり前から研究していると聞いた。電力会社も様々な面から研究していることに敬意を表する。
- 省エネルギーと節電を前提とする、エネルギー、特に電力の必要性について異議を唱える人はいない。
- エネルギー政策で、国民の信頼性を回復するためにも、国民が参加できる行動プログラム(省エネ週間の設定と実施など)を実施してはどうか。そして、その成果について国は責任を持って具体的な数値をあげて情報公開をし、自分達の行動が将来のエネルギーのキャスティングボードを握っているという認識を持たせることが必要。
<第4回・自由討論>
- エネルギーだけでの問題でなく、もっとグローバルな不安がある。局地的に見るのではなく、他国との経済関係など、大きなバランスの中で議論をするべき。例えば、食糧自給率が30%と低い中で、エネルギー問題だけを議論していても良いのかと思う。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 電気事業者の役割には、今の世代に安くて品質の良い安全な電気を送ることと、後の世代にも送り続けることとがある。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 現在の長期計画で初めて盛り込んだ先進的核燃料リサイクル技術開発の優先度を高めて、開発を加速してほしい。今の再処理、高速炉関係の技術は、核兵器開発からスタートしたが故にそもそもの「ゆがみ」を持っている。平和利用では使用済燃料中のアクチニドも再利用を図るべきだが、現在の再処理方法では利用するまでには至っていない。
- プルトニウムは在庫量や存在状態などを公表し、計画の透明性に留意することが肝要。
- リサイクル本来の目的は資源の保護と環境の保全。リサイクルコストは一種の環境保全コストという視点が重要。
- 原子力の燃料であるウランも有限な資源。現在は、0.7%のウラン235しか利用していないが、今後はリサイクルにより残りの99.3%を活用し、21世紀のエネルギー供給に資することを期待。ただし、プルトニウムは戦略物質でもあり、利用に当たっては、透明性、核不拡散に留意することが重要。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 核燃料サイクルの研究開発は、「もんじゅ」の事故を厳しく受け止め、先を急ぐことなく、国民合意のもとに、慎重に進めるべき。
- 長期的にはアジア・太平洋・途上国をはじめとしてエネルギー需要が激増。「リサイクル」は長期的、世界的に不可欠な選択。また、「使い捨て」路線は、まだ使える資源を高レベル廃棄物にしてしまい疑問。
- リサイクルの経済性を向上させるためにも継続と積み重ねが大切であり、使用済燃料の再処理、FBRの長期的なR&D、当面のMOX燃料の軽水炉利用を促進すべき。
- リサイクル技術の開発は技術先進国としての日本の責務。開発に関わるコストは、リスクヘッジ、セキュリティコストと認識すべき。
- プルトニウム利用技術開発には再処理等の革新的技術を基礎から開発するための時間的余裕があるので、様々な技術オプションを追求すべき。
- プルトニウム利用は、わが国のエネルギーセキュリティという観点からだけでは理解が得られない。あくまで、原子力が世界の21世紀の主要エネルギーとなるという地球的観点から有意義であると位置づけるべき。そういう観点に立てば、プルトニウム利用技術を地球的公共財として開発するべきであり、国際的に協力して実施するべき。
- プルトニウムの問題を違う視野から広く理解してもらう努力が必要であろう。
- 核燃料リサイクルの必要性について、もっと分かりやすく国民に説明し、理解を得られるよう積極的に対応をすべき。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 3県知事提言は、核燃料リサイクルについて国民合意が不十分であるとの認識から、核燃料リサイクルを中心とする原子力政策の基本方向について国民の合意を確認してもらいたいと考え、行った。
- 高速増殖炉により増殖されるプルトニウム及び冷戦終了に伴う核兵器解体により生じるプルトニウムをどうするのかは重要な問題。
- 核燃料リサイクル技術を実用化できれば、人類が長期にわたって利用できる有力なエネルギー供給源となる。
- 原子力を人類が等しく安心して使えるエネルギーに成熟させるとともに、その性能を十分発揮させることのできる核燃料リサイクル技術の開発利用を着実に進めていくべき。
- プルトニウム利用に係わる情報管理のあり方に関して、自治体と国との間に議論があると承知しているが、この問題は関係自治体の判断も十分に尊重すべき。
- もんじゅ事故からプルトニウムの研究開発を中止した方がよいとの意見もあり得るが、逆に積極的に推進すべきであると強調したい。加えて国民の健康の安全保障の確立の視点からも、研究を進めるべきとの強い要請もある。
<第3回・自由討論>
- 新型転換炉実証炉計画を長期計画策定一年後に中止し、「ふげん」の運転目的を変更したことや、「もんじゅ」の事故によりプルトニウム利用を中心とする原子力政策の進め方について国民の間に不信感がある。プルトニウム利用については、ウラン資源の有効利用という視点からだけでは国民の危惧や不安を払拭できない。国内外で幅広く議論し、プルトニウム利用計画について国民のコンセンサスを得つつ、方向づけ、その中でプルサーマル計画を位置づけるべき。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 原子力長期計画の路線であるプルトニウム利用はもはや追求すべきではない。新しい道を追求すべき時期が来ている。
- ATRについてはすでに建設コストの高騰から実証炉を電事連が拒否。
- 核燃料リサイクル路線は放棄して、ワンススルー路線にするべき。
- 現実的な選択肢としては
- - 核燃料リサイクルの放棄、ワンススルー路線
- - 核燃料リサイクル路線を進める、しかしテンポは少し緩め。
- - 今までの長計の路線に相当の修正を加える。
個人的には三番目について議論したい。
- 余剰プルトニウム、海外からの返還プルトニウム、高レベル放射性廃棄物について強い批判、懸念がある。
<第7回・基調発言>
- プルトニウム利用の透明性の確保のため、国は核燃料リサイクル計画を明確にしてほしい。
- 「ウラン資源もあと40年」と先が見えていると言われている。プルトニウム利用は不可欠となる。
- 原子燃料サイクル事業について国を挙げて取り組むべき事業であることを再度認識することが必要。
- 国策として位置づけられることが安全確保や地域振興に対する県民の安心感、信頼感の基礎を与えるもの。
- 再処理の意義は資源のリサイクル。使用済燃料を有効に活用していくことは環境保全につながる。再処理コストは一種の環境保全コストと考えることが重要。将来的には経済性を向上させていくことが重要。
- 原子力長計のプルトニウム関連計画は、ATR実証炉計画の中止、もんじゅの事故、六ケ所再処理工場建設の遅れなど、ほとんど全面的に破綻を来しており、プルサーマルをも含めたプルトニウム政策に国民が納得していない以上は大幅に見直しをするべき。
- 国の原子力政策が「核燃料リサイクル」の確立を基本として進められていることは承知。その意味で青森県六ケ所村の原子燃料サイクル事業は、エネルギー政策、原子力政策の中心に位置されるべきもの。
<第7回・他の招へい者の所感>
- 原子力政策、特にプルトニウム利用については、ターニングポイントまで来ているのではないかと感じている。
- プルトニウムを資源として有効利用する方法については、諸外国を含めかなりの実績がある。
- プルトニウムの平和利用についての研究は、ヨーロッパで長い時間実施されている。日本においてもプルトニウムの取扱いについては、非常に長い歴史と多くの実績を持っている。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│基調発言において、国の長期計画、特にプルトニウム政策はほとんど全面的に破綻│
│しているとの指摘がなされたが、これに関連して原子力委員より │
│・ATRの計画変更、六ケ所再処理工場についてはいずれも長計の基本を変えてい│
│ るものではない。 │
│・我が国のプルトニウム利用は余剰プルトニウムを持たない、平和利用に徹するこ│
│ とを全面に出しており、需給バランスについても白書で報告している │
│との見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- ATR計画の変更については、ATRの研究開発の目的を他のもので達成しうるか、という観点を中心に検証した結果、軽水炉の発展などにより達成できるとの見解が得られたことから、実証炉の中止となった。その他、経済的なファクターもあった。
- 再処理施設の計画が遅れているとの指摘があるが、長計では2000年過ぎの操業開始となっていたものが、日本原燃を中心に努力をされ、2003年開始と明示できる状況まで話が進んだものと考えている。
- 長計については、常に全体をみながらバランスのとれた方向へ向かうようにしていくべきものと思う。もちろん情勢に応じて適切に対応することは言うまでもないが、原子力長計は大枠うまくいっている。
- 再処理でプルトニウムの余剰が一方的に出るとの指摘もあったが、国の基本的見解として余剰プルトニウムは持たない、平和利用に徹することを前面に出して行っており、需給バランスについては白書で報告することになっている。
- 長計が大枠うまくいっているという認識が、基本的にみんなが原子力政策を納得しない理由だ。
┌─────────────────────────────────────┐
│核燃料リサイクル政策について、 │
│・再処理の意義は資源の有効活用と環境保全であり、再処理コストは一種の環境保│
│ 全コストと考えるべき。 │
│・プルトニウム政策は国民が納得していない以上大幅に見直しをするべき │
│という意見が基調発言で出されたが、これに関連して、 │
│・原子力発電所からの使用済燃料の取り扱いは、資源のリサイクルか使い捨てかと│
│ いった観点だけでなく、使用済燃料を直接処分すると、環境保護上、核不拡散上│
│ 問題もあるという意見が出された。 │
│・これに対し、再処理するとそれに伴う廃棄物が出てくること、廃棄物の容量は減│
│ るが放射能量は変わらないこと、プルトニウム社会の問題点は大きく代償が大き│
│ いこと等からリサイクルは賢明ではないという意見が出された。 │
│・また、プルトニウムについては、既に国際的な合意が得られている利用の形があ│
│ り、日本もその形でしか行っていないという意見も出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子炉を運転すれば、使用済燃料は必ず出てくるが、その処分方法は直接処分するか、再処理するかという2つしかない。使用済燃料中、廃棄物は約3%なのでこの問題は、資源のリサイクルか使い捨てかということでもある。また、プルトニウムを含む使用済燃料を処分するのは、環境保護、核不拡散上の観点から問題がある。
- 再処理することによって、再処理に伴う廃棄物も出てくる。高レベル廃棄物の容量は減るかもしれないが、放射能そのものは変わらない。また、海外委託に伴う返還輸送は国際的に大変な問題となっている。再処理工場も何年もつかわからないが、そのうち廃棄施設になってしまう。このように考えると、再処理することによって環境上プラスになるとは思えず、リサイクルは賢明ではない。
- 原子力の一番重荷となっているのは、廃棄物問題と、平和利用に徹していてもどこかで核兵器につながるのではないかという点。特にプルトニウム利用については、核不拡散、社会的制約、情報の公開の制限等、核兵器になるような物質に依拠するという社会の持つ問題は非常に大きく、何倍かの資源量になっても払う代償が大きすぎる。
- プルトニウム利用が核兵器問題につながるという議論は、既に1970年代に世界的に議論して、プルトニウムを使おうとすればこんな形であるという合意ができている。日本のプルトニウム利用もその合意の得られた形でしかやっていない。
┌─────────────────────────────────────┐
│核燃料リサイクルについて、 │
│・リサイクルといっても一般廃棄物のリサイクルとは質の違うものだから同じキー│
│ ワードを使うべきではない │
│・今後は、海外再処理委託をやめてもらいたい │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- リサイクルといっても放射線という質の違うものであるから、一般廃棄物のリサイクルと同じキーワードを使うことは国民が混乱するのではないか。
- 使用済燃料の海外再処理委託については、今後、30トンのプルトニウム、大量の高レベル廃棄物が返還されるということだが、もう既に返還されるものについては仕方ないが、今後これ以上世界の人に迷惑をかける危険性を与えることの無いように、今後の再処理委託はやめてもらいたい。
- 再処理工場を今建てるのは合理的ではないという意見があったが、そういう考え方をする人もいるだろうが、全く別な考え方をする人もいると思う。リサイクルを産業として確立するためには、ある量の活動を将来を目指して、研究開発も含めて実施していくことが重要。
- 円卓会議を通じ、リサイクル路線を国の政策として再確認することを切望。
- リサイクル政策が国策ということは認識しているが、そういう国策を再確認するする事が必要であれば、いろいろ議論をしていただき、それを見極めたい。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- アジアの人々に核兵器開発の危惧を抱かせる高速増殖炉、核燃料リサイクル路線は転換するべき。
- 高速増殖炉開発の凍結、使用済燃料の再処理の放棄、及び軽水炉原発の段階的縮小の方向に原子力政策を転換すること、要約するとプルトニウム・リサイクル政策からプルトニウム・ミニマム政策への転換がより合理的な選択と考える。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 後の世代のために長期的なエネルギー資源としてウラン資源をリサイクルして使うためには、再処理、プルトニウム利用、FBRなど、設備とともに、技術、人材育成、R&Dといったソフトも含めて、インフラを整備することが今の世代の責務である。
<第8回・基調発言>
- 有限の資源を今の世代で使い果たしてしまうべきではない。資源有効活用のため、国は、核燃料サイクルの必要性などをもっと解りやすく国民、諸外国に説明し、理解と信頼が得られる対応をすべき。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│核燃料リサイクルについて、経済面、資源面、安全の面も含め総合的に評価するこ│
│とが必要との意見が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルトニウム政策について、原子力委員会の責任において中立的な第三者機関を作ってほしい。その際、経済面、資源面、安全の面から、軽水炉との利害得失を様々な側面から評価すべき。
- 今回、比較検討の議論をすることは賛成。
- 各エネルギーの利害得失を論ずることについては、全く同感。
- 総合評価として、高速増殖炉路線、軽水炉路線の比較をすべき。資源的側面は総合評価する上での一つでしかない。また、ウラン資源の有効利用というのは、さらにその中の一つの側面でしかない。資源面だけを重視して論を立てれば、総合的判断を誤るおそれがある。
- 原子力無し(オプションI)とワンススルー(オプションII)とプルトニウム利用路線(オプションIII)を項目ごとに比較した表を配布された参加者の方がいる。その中で、たとえば、高速増殖炉の安全性が他のものより劣るとなっているが、そう書くだけのデータベースがあるのか。海外の評価などでは、比較的批判的なものでもそれをイコールとしているものもある。
- その表では、オプションIの路線は、すべての項目でIIよりまさり、IIはすべての項目でIIIより勝っているが、個々の項目でメリット、デメリットが輻輳している場合にのみ、それらを総合的に評価することに意味があるのではないか。これでは、総合評価するまでもなく、Iが圧倒的によいものとなってしまい意味がない。
- 原子力無しとワンススルーとプルトニウム利用路線を項目ごとに比較した表については、各オプションについて、様々な項目のメリット、デメリットを総合して比較し、議論することが大切という観点で出したもので、皆で議論するためのたたき台である。個々の評価については主観も混ざっており自信のない項目もある。
- 核燃料リサイクルかワンススルーかと議論が分かれているが、その分かれ目が何かについて明確にするのも一つの大きな目的であり大事な議論。
- 使用済燃料だから再処理しなければいけないというのは一つの考え方にすぎず、様々なオプションを総合的に考えるべき。
- 提出された資料中の表にある項目は大変おもしろいと思うが、評点については留保していると考えていいか。(提出者了解)
┌─────────────────────────────────────┐
│核燃料リサイクルの意義について、資源的側面及び環境影響の側面から以下の意見│
│が出された。 │
│○資源的側面 │
│・原子力発電所からは必ず使用済燃料がでてくる。それを資源として有効活用する│
│ 事が重要。 │
│・国際関係の観点からエネルギーセキュリティー上はマイナスであり、また、プル│
│ トニウム増殖は、人的資源、労力の観点から資源の有効利用にはならない。 │
│○環境的側面 │
│・再処理により、環境へのかなり大量の放射能が放出されるとともに、廃棄物を体│
│ 積的に増大させるものである。また、プルトニウムを燃やすと、また使用済燃料│
│ が出てくるのでプルトニウムが消えるわけではないし、放出放射能の影響評価は│
│ されているだろうが出さないで済むならその方がいい。 │
│・再処理により放射能量は明らかに少なくなるし、処分時の全体の容積についても│
│ 増大させるものではない。また、再処理による環境への放射性物質の放出につい│
│ ては、安全審査において問題ないと評価されている。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 総論
- 核燃料リサイクルの推進はエネルギーセキュリティの確保という観点のみならず、科学技術立国としての日本の責務である。再処理は廃棄物を低減するという点からも重要。
- リサイクルが持っている多くのやっかいな部分にふれずにプラスだというわけにはいかず、マイナス部分も多い。軽水炉ですら合意が成立しないのに、事態をさらに複雑にするリサイクルはすべきでない。
- ワンススルーかリサイクルかの選択があるが、直接処分を語るときには、その中のプルトニウムをどうするかという議論は、あまりされてないとの印象を持っている。リサイクルすれば、資源を有効活用でき、高レベル廃棄物を少なくとも40%減容でき、廃棄物のレベルに応じて処分できるというメリットがある。一方、直接処分は、技術的、コスト的に難しいと考える。
- 直接処分もリサイクルも否定するということになると、現在電力の3分の1を占めている原子力をどうするのかということになり、電気の無いリスクと資源の有効利用のリスクを比較して考えていくのが国民的課題となる。
- 資源的側面
- リサイクルに関しては、原子力発電を電源のある割合で進めていくとすると、使用済燃料は必ず出てくる。これをどうするかがポイント。考え方としては、なお有効な資源をリサイクルするというのが大切な考え方。
- プルトニウム利用は、ホットな国際政治の問題であり、世界情勢によって、民生用にも非常に大きく響いてくる。一方、軽水炉だけなら一応国際世論はほぼ合意している。そうした観点で、高速増殖炉と軽水炉を比べた場合、高速増殖炉は、資源の有効利用ではプラスでも、エネルギーセキュリティ上は、かえってマイナスであり、総合的には、資源面でマイナスが強いと考える。
- プルトニウムを増殖するためには、人的資源、労力が必要であり、環境への問題も生じるということを考えると、ウラン238の活用という観点だけで資源の効率化というわけにはいかない。
- 今の軽水炉路線を続ける限り使用済燃料は発生し、その中にはプルトニウムが含まれているのが事実であり、それをどう処分するかという問題につきると考える。
- 最近、米国内で直接処分と他のオプションについて比較検討した結論が出た。これによると、非常に慎重な言い回しはしているが、直接処分とリサイクルの差はないとしており、資源論からみてこのまま直接処分をすることがいいかについては留保している。しかし、高速増殖炉等の実現は、持続的、長期的な国のコミットメントがあってはじめて可能であり、現在のアメリカの状況ではできないとしている。
- 理解の仕方としては、プルトニウムを分離して新たな物質として考えるのでなく、使用済燃料自体を有効な資源として考えるかどうかという観点も重要。使用済燃料は直接処分という方針の国もあるが、それはかえって無責任と考える。使用済燃料は原子力発電を行う以上出てくるものであり、どうするかを計画的に進めるのが、責任ある態度。そうした意味から日本の原子力発電にとって、リサイクルの計画を着実に進めていくのが大切。
- 路線の総合評価の問題が重要であり、使用済燃料があるという前提で、再処理するか直接処分するかを、資源面から議論するのは本質的ではない。
- 環境影響の側面
- 「核燃料リサイクル」というが、軽水炉に戻すとした場合、プルトニウムのごく一部が利用できるだけで、大半はリサイクルされようのない廃棄物。再処理は、環境へかなり大量の放射能が放出され、低レベルを含めれば、廃棄物を体積的に増大させるにもかかわらず、リサイクルと称して、環境にやさしいというのは、まやかしの表現である。
- 再処理は、新たな廃棄物を生み出す上、回収されたものを使った後に、新しくより始末に困る廃棄物を発生させるという問題がある。そうしたことを含め、もう一度、議論して進めなければ、ただ先送りするだけになってしまう。核燃料リサイクルは、一度使ったものをもう一度使うからいいこと、という感じを与えているが、再処理路線は、廃棄物増殖路線ではないか。
- 再処理という技術は歴史があり、廃棄物をたくさん出し、環境を汚すという初期の頃のイメージが強い。しかし、最近の再処理工場は、廃棄物の管理、処理は非常に進んでおり、廃棄物を作り出すというかつてのイメージとは変わってきている。また、ワンススルーとの比較をするなら、使用済燃料中の放射能と再処理後の放射能の比較をすべきで、これは、明らかに再処理後の方が少ない。
- 再処理によって放射能の量が減るといわれたが、使用済みのMOX燃料に含まれている成分の長期的毒性が環境へどう影響するかいった点等からも評価すべき。さらに、再処理に伴い環境へ放出される気体廃棄物が出るが、それも問題。そうしたことを考えると、再処理によって、放射能が減るという認識はできない。きちっと評価して全体像を明らかにする必要がある。
- 確かに再処理の過程でトリチウムや、クリプトンとかが出るが、人間がエネルギーを使うと廃棄物は出てくるものであり、化石燃料を使えばそこから廃棄物が出てくる。それらと比較して、トリチウムやクリプトンが、許容できないほどの量が出るかについては、安全審査でそうではないと評価されている。そういう点で、リサイクルの方が環境に影響が少ないと考えている。
- これまでの研究開発の中で様々な答えがあってそれに基づいて、リサイクルの方が環境影響が少ないという意見になっているのだと思う。
- 再処理の安全審査の適切さについての批判はもっている。
- 高レベル放射性廃棄物と使用済燃料の処分の問題については、放射能の面からみれば、それらの放射能量の比較が出発点であり、リサイクルした方がプルトニウムが無いだけ明らかに低くなる。
- 再処理して抽出したプルトニウムを燃やしても、使用済燃料が出てくるのだからプルトニウムが消えるわけではない。さらに、超ウラン元素もできてくる。そんな簡単な話ではなく緻密な議論が必要である。これはもっと別なところでやるべき議論。
- 再処理により、捨てる放射能が減るというのはその通りだと思うが、トータルな容積が増えるかどうか、また環境影響がどうかというのが論点。環境影響については、直接処分については必ずしも実証できないが、再処理については歴史的に検証することは可能なのではないか。
- 歴史的には、再処理工場が環境を汚染したことはあると思うが、その反省にたって、フランスの新しい再処理工場では、データでも発表されているが、驚くほど廃棄物の発生量が減っている。
- 全体の容積についても、使用済燃料を直接処分できる状態にすると体積が増えるので、リサイクルした方が少なくなるというフランスの報告書もある。また、自分としても、少し余裕をみて考えても容積については、ほとんど差は無いと理解している。
- 再処理工場からの環境放射能の問題は、原子力発電所における環境放射能による放射線の影響と同じ考え方で環境安全性が確保されるべきと考えている。
- 現在のフランスの再処理工場でも、トリチウム、クリプトン、ヨウ素129が放出されている。長期的にそれが環境にどう影響を与えるかについてはいろいろな評価があるが、出さなくてすむならそれがいいとみんなが認めるのではないか。
- 使用済燃料問題であることは確かであるが、MOXとして燃やしてもまた使用済燃料ができるので、放射能が減るということにはならない。
┌─────────────────────────────────────┐
│・プルトニウムの需給計画について、高速増殖炉の計画が遅れてきたように、プル│
│ トニウムの消費が足りなくなり生産がだぶついてくるのではないかという意見が│
│ 出された。 │
│・これに関連して、プルトニウムバランスで重要なのは、回収されたプルトニウム│
│ が充分使い道があるという点。六ケ所再処理工場から回収される予定のプルトニ│
│ ウムは日本中の軽水炉燃料の10%以下であり、これは適正な規模であるとの意│
│ 見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルトニウム需給計画は数字あわせではないと言われたが、高速増殖炉の実用化の目標時期がどんどん延びてきたように、需給計画も消費が足りなくなり生産がだぶつくというようになるのではないか。
- 数字あわせではないというからには、それが違っていたらどのような責任をとるのか。あるいは、責任の取り方の制度的な仕組みを含めて、もう少した長期計画の内容についてけじめのある対応をとるべき。
- 計画が遅れると言うことがあったが、プロセスの正当性の議論はのこるが、計画を遅らせると合意した段階で責任の問題は終結していると考えられる。
- プロセスの正当性の問題と中身の問題とはかなり関わっていると思っている。また、計画そのものについても、何十年もかかって、結局実現しないということにはならないようにしないといけない。もし、そうなるのであれば、その計画はやめるべきであり、その冷静な判断を大勢の人数で密室にならないようにやるべきと思う。
- 使用済燃料をリサイクルするという考え方にたてば、再処理をすることになるが、それには工場の建設、いろいろな手続きがあり、適正な計画が必要である。それが今の計画と理解している。
- プルトニウムバランスで大事なのは、再処理工場で回収されるプルトニウムは充分使い道があるかという点。六ケ所の再処理工場で回収されるプルトニウムが、資源のリサイクルとしてどのくらいの原子力発電所でプルサーマルとして利用できるかと試算すると10%以下であり、適正な規模と考えられると思う。
┌─────────────────────────────────────┐
│・使用済燃料の直接処分に関して、地層への熱的な影響、地下水との相互作用等の│
│ 基礎的な研究が不足しており充分議論ができないとの意見が出された。 │
│・また、これに関連して、地層処分の基礎的な研究としてプルトニウムを含む使用│
│ 済燃料よりガラス固化体の研究を優先することは自然との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 直接処分の技術開発の努力は決定的に不足しており、議論はできない。
- 直接処分の研究開発が少ないという意見があったが、では研究開発として何が不足しているのか。
- 使用済燃料を減容し、安全に長期的に貯蔵して地層に処分するという場合に、ガラス固化体にせよ使用済燃料にせよ、どのような放射性物質が地下水を汚染する可能性があるのかなどについて基礎的な研究が足りない。
- 直接処分と再処理の廃液を固化したもので違うのは、プルトニウムが含まれていること。プルトニウムを処分するという研究を日本でどうやってやるのかと考えると、プルトニウムの含まれないガラス固化体の研究を優先することは偏った考え方と思わない。
- プルトニウムではなく、使用済燃料を直接処分するときの話をしているのであって、それが熱的に地層にどう影響を与え、地下水との相互作用がどうなるかという基礎的な研究の問題。
┌─────────────────────────────────────┐
│使用済燃料の処理に関して、 │
│・現在でも原子力発電所から使用済燃料が発生しているのに、リサイクルするか直│
│ 接処分するかの狭い選択を今ここで議論していること自体、地元としては釈然と│
│ しない。国として方向付けする一層の努力するべきとの意見が出された。 │
│・これに関して、モデーレターよりそもそも円卓会議がそういう議論をするという│
│ ことが前提になっているという説明と、一昔前は当たり前と考えていたことでも│
│ 、様々な問題が噴出したためそれが問われているとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力発電所は毎日、発電を行っており、今我々が核燃料サイクルについて考えられる幅はあまりない。原子力発電所を稼働させる限り使用済燃料が出るのであり、原子力発電所を全て止めるという極端な選択を除けば、リサイクルを行い有効活用をするか、直接処分するかの2とおりしかない。
- この狭い選択の議論を、今私たちのような立場の者が考えなければならないのか。この状況が、巻を町を二分する住民投票を選択させるまでに追い込んだ。
- これまでの円卓会議では、エネルギーが必要で、立地地域への配慮は必要で、発電所にある使用済燃料を早く搬出してほしいとの意見があったが、国として使用済燃料をどうするのかを決めるべき。青森は、交付金がなくなり地域振興ができなくなっても困る。
- 現在、原子力発電により使用済燃料がコンスタントに生まれつつあるという段階なのに、このような議論がなされていることに釈然としないものを感じている。
- 選択肢としては、2つくらいしかない。誰かにどこかで、正確な議論とデータを提示してもらいつつ総合評価をして選択する努力をしてもらわないと、現場にいる人間としてはたまったものではない。それにつながるのがこの円卓会議であると理解しているが、国として一つの方向付けをする一層の努力が必要。
- 現実に原発から使用済燃料が出てきているのにこのような議論をしているのは不満という声もあったが、現実の問題として円卓会議はそういう議論をやるということが前提になっているということを理解いただきたい。
- 廃棄物が出ているのに再処理するべきか議論しているのが問題という意見について、一昔前は再処理、高速増殖炉の開発が当然と原子力委員会は考えていたが、国際的な動向、いろいろな問題の噴出により、現在それが問われているからだと思う。もう少しこの点についてじっくり議論をするべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│六ケ所サイクル施設について、 │
│・燃焼度の高い燃料を再処理するようであるがそれがどのようなものか │
│・濃縮工場の劣化ウランを将来どう利用するか │
│・MOXの使用済燃料がまた青森に帰ってくるのか │
│などについてきちんとした説明が無く、現地としては納得理解できないとの意見が│
│出された。 │
│これに関連して、 │
│・高燃焼度の燃料はエネルギーがたくさん取り出されているのでその分高レベル廃│
│ 棄物が多く含まれている。 │
│・MOXの使用済燃料は計画的に貯蔵し、劣化ウランとともに高速炉で使っていく│
│ ことが正しいと思う。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 六ヶ所村の施設は、フランスで最新の再処理工場(UP3)をモデルにしているというが、我々が、実際そこで何が行われているか教えてほしいと事業者に質問しても、なかなか回答がされない。そのあたりをはっきり説明することが必要。
- 生活しているものの感覚としては、濃縮工場に大量のウラン原料が入ってきても、出ていくのはほんの少量で、あとは全部残され、将来資源になると説明されるだけ。また、再処理した後のものは、青森にとどめられ、かつ、取り出されたものが再利用された後、使用済燃料として青森に戻ってくる。なぜ、青森ばかりなのかと思う。そうしたことに、きちんとした説明がされなければ、現地としては理解できない。
- MOXの使用済燃料は将来的にはリサイクルしていくのがいいと思うが、それなりの技術的開発が必要。
- MOXの使用済燃料は計画的に貯蔵し、先ほど意見のあった劣化ウランとともに、高速炉で利用するのが正しいと思う。従って、長期的に蓄えるということを国民的なコンセンサスを得ながらどうしていくかということを別途考えるべき。
- 六ケ所で再処理しようとしている使用済燃料は燃焼度が高く、フランスのUP−3では割増料金が必要なものである。それは再処理するのが難しいからであると理解しているが、最近では、使用済燃料の発生量を減らすためか、燃焼度を高くしている。その辺についてもみんなのわかるような議論をしてもらいたい。
- エネルギーの話はあるが、負の部分として貯蔵される使用済燃料をどうしていくか、貯蔵は安全なのか、またどのくらいの燃焼度がいいのかなどについても示してもらいたい。
- 燃焼度は取り出したエネルギーに比例するものであり、燃焼度が高くなればエネルギーの取り出した量が多くその分使用済燃料に含まれる高レベル廃棄物も多くなる。このため、再処理コストが高くなると理解できるのではないか。
- 燃焼度によって、プルトニウムの同位体が変わってくる。それと同じようなかたちで、汚れもひどくなるから、再処理料金がかかるのではないかと理解している。また、プルサーマルで使用した使用済燃料の処理は技術的に難しいので時間を要するという説明とやや中間的なかたちにならざるを得ない。
- 「汚れ」ということがどういう意味かよくわからないが、燃焼度が進んでいるということはエネルギーをたくさん取り出しているので、高レベル廃棄物が多く含まれていることは確かである。
- 燃焼度が高くなると、プルトニウム同位体番号が高いものが増えるというのも確かであるので、再処理する場合は、軽水炉で利用するより、高速増殖炉で使う方が有効な使い方。このため、MOXの使用済燃料は、高速炉の燃料として利用するまで計画的に貯蔵していくことがいいと思う。
- 核燃料リサイクル、特にプルサーマル利用、バックエンド対策というものに対して、その実現の見通しが明らかでないということもあり、国民全般の合意が必ずしも十分とは言えない。地元ではもんじゅ事故をはじめ、使用済燃料の貯蔵保管対策など原子力政策の遂行に伴い派生する様々な課題に直面しており、その対応に苦慮している。
- 今は、プルトニウム政策を見直す絶好の時期である。第一に、全ての先進国がプルトニウム増殖政策を止めた。第二にもんじゅ事故は、プルトニウム政策への国民の関心を高めた。第三には、まだ研究開発段階にあり、止めても損失はない。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・核燃料リサイクルは、資源の有効利用、環境負荷の低減等の観点から妥当であり│
│ 、着実に進めていくべきとの意見が出された。 │
│・また、これに関連して、プルトニウムをめぐる国際状況等が変化しており、リサ│
│ イクル路線と直接処分路線の共存をしつつ、将来の問題を決めるのがよいのでは│
│ ないかとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 軽水炉サイクルから高速炉サイクルに向かうという技術的選択は、資源保護と環境保全という長期的視点からみて妥当と考えられるが、諸外国において、その熱が冷めているように見受けられるのは、社会的に、長期的視点をとり難くなっていたり、軽水炉サイクル自体も順調でなかったりするためである。
- 現代社会の進展の明確な一つの方向として、高度リサイクル社会の実現というものがあり、核燃料リサイクルは、核資源についてこの方向の実現を目指しているものである。
- 現在の日本の核燃料サイクルは、資源消費の最小化、廃棄物発生の最小化の原則に基づいて進められている。しかし、一挙にできるものではなく、再処理は、経済的に成立する最小限のものを作り、プルサーマルまたは高速増殖炉の研究開発に使っていって、事業を進めながら技術体系を確立していくという形が良いと考える。
- 核燃料サイクルは資源の有効利用、廃棄物の環境負荷の低減等の観点から行われているが、ウラン値段の低位、プルトニウムを巡る国際状況等、以前とは客観環境が変化しているのが現実。リサイクル路線と直接処分路線を共存させてしばらくやることを前提として、将来の問題を決めるのが良いのではないか。
┌─────────────────────────────────────┐
│青森県六ケ所村に建設中の再処理工場の建設を着実に進めていくべきであるとの意│
│見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 青森県六ケ所村に建設中の再処理工場については、将来的に日本の核燃料サイクル計画の中心的役割を担うものであり、これを着実に進めていくことが肝要。
┌─────────────────────────────────────┐
│再処理技術はこの10年くらいでどのくらい進展があったのかという質問に対して│
│、環境安全面で進んだ技術となっており、廃棄物の発生が非常に低減しているとの│
│意見があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 情報通信の分野などは、近年目覚ましい技術革新があったが、プルサーマル、使用済燃料の処理などのバックエンド対策をめぐる技術は、この10年でどれくらい進展があったのか。
- バックエンド技術の中心は、再処理技術であるが、フランスで新しくできた再処理工場とアメリカ、ロシア、イギリス等の昔のものの実績と比較すると、環境安全性の面で、際だった成果がでており、進んだ技術となっている。廃棄物の発生量も非常に低減している。その理由は運転そのものがスムーズに行われていることが大きい。ただし、大きな工場であり、要素技術で考えるのは難しい。
┌─────────────────────────────────────┐
│日本がプルトニウム利用で突出することは、政治的セキュリティ上危険であるとの│
│意見が出されたことに関連して、 │
│・現在の保障措置システム上、通常の商業ベースのプルトニウムを軍事利用するこ│
│ とは大変困難である。 │
│・海外からの懸念については透明性を確保しつつ進めることや、国際公共財として│
│ 他国と共同で進めることが重要。 │
│・日・米・欧の三極委員会では日本における原子力開発の期待が指摘されている。│
│との意見が出された。 │
│また、これらの意見に対して技術者の楽観論ではないかとの指摘がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルトニウム利用の持っている高度な政治性を考えると、高速増殖炉技術、プルトニウム利用で突出することは、政治的セキュリティ上、危険である。「21世紀は原子力の時代」で、その原子力技術で日本が世界をリードするという青写真を描いていると、脱原子力に向かっている欧米から第二のジャパン・バッシングを受けることも考えられる。また、環境団体からは「第二の鯨」として叩かれるおそれもある。国際社会をリードした経験のない日本が、高速増殖炉技術で世界をリードすると考えるのはリスクマネジメントとしても危険と考える。
- 高速増殖炉を進めることによる海外からの懸念等については、開発を進めるか、進めないかということより、透明性を確保しつつ進めることにより安心につながるものと認識。現在、日本は他国ではやっていないプルトニウムの在庫量のキログラム単位での公表を行っているが、こうした姿勢が評価されるし、安心につながっている。
- ジャパン・バッシングの話があったが、マスコミの論調は変わるもの。今、石油の依存度の高い湾岸が危うい状況にあるが、先日、日・米・欧の三極委員会で出された報告では、「湾岸諸国への過度依存は望ましくなく、日本は原子力発電に関する一層の技術開発に貢献することが重要」との指摘がされている。それに応じて、マスコミの論調も変化してくると思われる。
- 核不拡散の懸念に関していえば、現在のセーフガード・システムと今後の技術的対応では、通常の商業ベースのプルトニウム等を軍事利用することは大変困難であり、核不拡散を表明している国家が軍事利用するのは事実上不可能。
- 高速増殖炉というのは、核資源の高度利用である。核物質の高度利用は、ウラン238とトリウム232を使うしかない。トリウム232は、純粋な高濃縮ウランと組み合わせて使わねばならず、核拡散上も技術上も問題が多く、ウラン238から生成されるプルトニウムを利用することが、技術的には一番可能性が高い。そうした流れで現在のナトリウム冷却の高速炉が計画されている。
- なぜ、高速炉を開発するかといえば、100年のスパンで考えたときに、人類として持つべき技術と考えているからである。現在、各国固有の事情でそれぞれの方針をとっているのは、仕方ないとしても、国際公共財として開発する姿勢を維持していくことが重要。志を同じくする国があれば受け入れ、共同開発することも重要であり、それが国際的懸念の緩和にもつながるのではないか。
- 国際社会は、他国に対して常に懐疑的である。我が国の原子力推進の体制は「多くの人は自分の見たいと欲するものしか見ない」という言葉に象徴されるような、技術者サイドの楽観論になっていないだろうか。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 原子力の前半部分はほぼ完成しているのに、後半部分は未完成である。MOX燃料の軽水炉利用の方法もあるが、高速炉への橋渡しを、余剰プルトニウムを持たずに行うのは困難。使用済燃料の中間貯蔵の準備を開始すべき。
<第2回・招へい者の意見発表>
- プルサーマルの進め方については、まず、軽水炉の使用済燃料の長期貯蔵に関しきちんとした位置づけをし、プルトニウム利用計画に柔軟性を持たせるべき。
<第3回・招へい者の意見発表>
- バックエンド、使用済燃料の問題については、国が前面に出て真剣に考えて、方向付けをはっきりさせることが必要である。
<第7回・基調発言>
- 使用済燃料はエネルギー資源として有効利用することが重要。すぐに再処理できないものについては計画的に備蓄する等、再処理にあたっては計画性が重要。
- 再処理計画が大幅に遅れ、使用済核燃料の発電所内長期貯蔵が避けられない状況にある。使用済核燃料が永久に立地町に置かれることのないよう、国民的合意を基礎とした適切かつ慎重な対策を講ずるべきである。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・現時点では、再処理工場を建設するべきではなく使用済燃料は敷地内に貯蔵する│
│ べきであるという意見が出された。 │
│・これに関連して、核燃料リサイクルを産業として確立するためには、ある量の活│
│ 動を実施していくことが重要であるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 使用済燃料の処分について、現時点の科学技術の進展状況を見ると、まだ再処理工場は建設するべきではなく、敷地内に貯蔵することを考えていくべき。
- 再処理工場を今建てるのは合理的ではないという意見があったが、そういう考え方をする人もいるだろうが、全く別な考え方をする人もいると思う。リサイクルを産業として確立するためには、ある量の活動を将来を目指して、研究開発も含めて実施していくことが重要。
<第8回・基調発言>
- 再処理工場計画の延期により、発電所内での使用済燃料の保管量が増大し、長期保管をせざるを得なくなる状況にあるため、早急、適切な対策が必要。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│使用済燃料貯蔵の長期化に備え、敷地外の中間貯蔵施設を設けるべきとの意見が出│
│された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 福井県内の原子力発電所では、2001年、2002年くらいには貯蔵プールが満杯になる。使用済燃料貯蔵の長期化に対応するため、2010年くらいまでに敷地外に中間貯蔵施設を設け、敷地内にプールされているものをそこに移すようにしてもらいたい。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│使用済燃料の問題について、サイト内貯蔵は冷却されるまでの間との認識であり、│
│国は適切かつ早急に対策を確立してもらいたいとの意見に関連して、原子力委員長│
│より、真摯に受け止め真剣に努力していくとの意見が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 核燃料リサイクル政策が大きく崩れると、使用済燃料がサイト内に蓄積されていく。そういう意味で、使用済燃料の問題はもんじゅ事故と密接不可分。
- 使用済燃料については中長期的対策を要望していたところであるが、未だ示されていないことは残念。そもそも使用済燃料のサイト内貯蔵は冷却されるまでの間と認識。適切かつ早急に恒久的対策を確立して欲しい。
- 使用済燃料は再処理を行うことを基本としており、いずれは再処理工場に搬出する。永久に原子力発電所に貯蔵するわけではない。しかし現在のところ、使用済燃料の発生量と、六ヶ所、東海の再処理工場の能力との間に多少差があるため、貯蔵量が多少増えていくということがあり得る。中長期的にこの問題をどのように扱っていくのか、立地地域の人々、関係者の間でしっかり検討すべき。原子力委員会としてもしっかり対応したい。
- 使用済燃料の貯蔵は燃料が冷却されるまでの間と認識。10年や15年ならいいではないかということでは困る。国の方針を長期計画の中で明確にしてほしい。
- 使用済燃料貯蔵の問題、発言を真摯に受け止め、真剣に努力していく。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力発電所サイトからの使用済燃料の搬出について、まずサイトの地元において│
│プルサーマルや、高速増殖炉などのプルトニウムの利用に関する合意が得られてい│
│ないと、「なぜ青森だけが背負わなければならないのか」ということになるとの意│
│見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- これまでの会議でも、サイトから使用済燃料を持ち出してもらいたいとの意見もあったが、そこから取り出されるプルトニウムについては、プルサーマル、高速増殖炉で利用するしかないので、まず、使用済燃料を発生している原発立地点でプルサーマル、高速増殖炉の合意を得ることからはじめるべきである。
- 原子力発電所立地地域におけるプルサーマルなどの議論もなしに、使用済燃料の搬入をすることは、発電所サイトの使用済燃料搬出の要請に六ケ所が引き受けざるを得ないかたちとなっているということであり、青森県知事も、円卓会議において、国策としてその辺のことをはっきり示してもらいたいとの要望をしている。
- これから将来にわたって検討していかなければならないという形で課題を先送りする一方でも、使用済燃料は発生し続ける。再処理でプルトニウム回収だけをやり、事後処理をしないというのでは、腑に落ちない。
- 青森では、立地を引き受けたのだから使用済燃料を引き取ってくれといわれても、その先が明確でなければ、「なぜ青森だけが背負わなくてはならないか」と思ってしまう。
┌─────────────────────────────────────┐
│使用済燃料の管理に関して、 │
│・使用済MOX燃料の再処理技術に関する技術開発の場として東海再処理工場を活│
│ 用する方策を検討するべき。 │
│・使用済燃料は大事な資源であるので、適切な量を適切な時期に再処理していくと│
│ ともに、計画的に備蓄していくべき。 │
│・使用済燃料の貯蔵方策について、不透明性があるので、原子力委員会は適切な措│
│ 置をするべき。 │
│・原子炉の廃止措置後も使用済燃料だけを残すことはないと取り決めをするべき。│
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルサーマル利用をした後の使用済燃料の取扱については、発電所敷地内に貯蔵してからの計画が明らかになっていない。使用済MOX燃料の再処理技術に関する技術開発の場として東海村の再処理工場を活用する方策を具体的に検討すべきである。
- MOXの使用済燃料の再処理がこれまでのウラン燃料の再処理と本質的な差があるとは思えないが、色々な試験をして安全性を確認しつつ実施していくことが重要であり、東海再処理工場を活用していくべき。
- 使用済燃料は、大事な資源であるので、適切な量を適切な時期に再処理していくとともに、計画的に備蓄していくことも重要。
- 仮に六ケ所再処理工場が操業したとしても、2030年くらいには6000トンほどの使用済燃料の扱いが問題となるということで、3つくらいの選択肢をあげ議論するということとなっていると聞いている。さらに、海外再処理により回収されるプルトニウムを利用すると、使用済MOX燃料が発生するが、これらが東海再処理工場で全て再処理出来るとは思えない。
- 使用済燃料を将来の資源として残しておくのならば、燃焼度を上げるのは、アイソトープの問題などがあり、安全上問題なのではないか。
- 燃焼度が上がれば、使用済燃料中に含まれる放射能量は増えるが、それに併せて、安全上問題ないようにするのが大前提であり、安全性についてはそんなに問題はないと思う。むしろ、発電コストで考えた場合どちらが適切かということになると思う。
- 東海再処理工場の処理量は少ないのはその通りであるが、あくまでも技術開発の場として活用するということであり、実際に使用済MOX燃料をどのくらい再処理していくかについては、高速炉の必要性と関連することであり、長期的に考えることが重要。
- 使用済燃料については、「再処理されるまでの間、適切に貯蔵管理する」ということはすでに、昭和62年の長計で記述されているが、最近になってようやく当事者の間で切迫感がでてきて、その考え方の透明性が不足しているとの指摘もされていた。原子力委員会は、早急に理解を得るよう措置を行うなり、省庁への勧告をしてもよいのではないか。
- 個人的には、使用済燃料は、スペース、関連付帯設備の面でサイト内貯蔵が合理的と思うが、歴史的な経緯から、個別にはサイト間融通、敷地外貯蔵もありうべしと考える。
- 「廃止措置後も使用済燃料だけ残る」という懸念をされている向きがあるが、発電所の廃止措置後は使用済燃料だけ残すことはないと取り決めしてはどうか。
<第1回・招へい者の意見発表>
- プルサーマル計画については、国レベルでの議論はなく、事業者と自治体の問題とされているが、国は責任をもって国民的合意の形成を図るべき。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 既存のプルトニウム利用技術基盤を維持することは必要であり、それについてはプルサーマルが一番適切。
- プルサーマルの進め方については、まず、軽水炉の使用済燃料の長期貯蔵に関しきちんとした位置づけをし、プルトニウム利用計画に柔軟性を持たせるべき。
<第3回・招へい者の意見発表>
- プルサーマルの本格実施については、国民の合意形成が未解決である現在において、検討する考えはない。
- 軽水炉にプルトニウム含有燃料を装荷することが決定されていると思うが、これは現状の原子力技術のレベルからは何ら飛躍したものではない。
<第4回・招へい者の意見発表>
- プルサーマル計画について立地県は怒りを表しており、実現は困難。
<第7回・基調発言>
- プルトニウムを軽水炉で利用することは、資源の有効利用の観点からも、核拡散防止上の観点からも大きな意義がある。諸外国等での良好な利用結果から考えても、安全性について懸念するものはない。
- プルサーマルは世界的には既に500トン近い実績もあり、またウラン資源の節約につがなる。経済的な考慮も必要だが、ウラン供給国の環境のことも考慮するべき。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・プルサーマルは、資源の利用効率は2倍くらいにしかならなく、プルトニウムの│
│ 高次化、廃棄物中の超ウラン元素の問題、輸送、MOX使用済燃料の再処理の問│
│ 題等があり、メリットはないという意見が出された。 │
│・一方、これに関連して、プルサーマルは世界的な実績、「ふげん」によるMOX│
│ 利用の実績から、技術的に問題はない。また、軽水炉でプルトニウムができてく│
│ るのだから、貯めるよりもいろいろなタイプの炉で燃やすことは当然であるとい│
│ う意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- ATR「ふげん」の成果は、軽水炉利用のプルトニウムリサイクルについても反映できる経験と考えている。再処理、プルトニウム利用ができるのが動力炉・核燃料開発事業団の特色であり、今後、積み上げた技術を日本の原子力開発の役に立てなければならないと考えている。
- プルサーマルは愚劣な利用法である。利用効率は2倍くらいにしかならず、プルトニウムの高次化の問題、廃棄物中の超ウラン元素の問題もあり、メリットはない。現時点においては、プルトニウムリサイクルは遅らせるか延期するべきである。
- プルサーマルは愚劣とあったが、我が国は新型転換炉による100トンに上る利用、150トンもの燃料加工という世界的に見ても大きな実績を持っている。また、外国では、プルサーマルは、仏、独、ベルギー等で進められており、世界的に見てもプルトニウムの軽水炉利用は問題ある技術とは考えていない。
- 軍用プルトニウムの平和利用への転換についても是非ともやるべき問題
- プルサーマルの技術は1975年頃には確立している。確かに高速増殖炉に比較し効率的ではないが、軽水炉でウランを燃焼させるとプルトニウムができてくるのだから、それを貯めるよりもフレキシブルにいろいろなタイプの炉で燃やすというのは当然だと思う。
- プルサーマルについては、資源的にはほとんど大した意味がないのに、実施しようとすれば、輸送の問題もあるし、MOX加工施設を作ることが必要になる。また、その使用済燃料を再処理するかしないかという問題もある。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・プルサーマルは、使用済MOX燃料の再処理の問題や社会的安全性の問題が生じ│
│ るなど問題が拡大するにも関わらず、経済的にも資源的にもメリットはない。 │
│・リサイクルというのはそれ自体面倒でいろいろな困難が伴うもの。天然ウランを│
│ 海外から買っている日本としては、プルサーマルは立派な資源の節約であり、プ│
│ ルトニウム利用技術を育てていく重要なステップ。 │
│・プルサーマルの実施には、国民的な合意が必要であるが、現在はそれが充分でな│
│ く、この場で議論している段階。このような状態でプルサーマルの実施は困難。│
│との意見が出された。 │
│これに関連して、原子力委員より、プルサーマルは充分意義のあるものであり、今│
│後国民的合意が得られるよう努力するとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 軽水炉MOXは、使用済MOX燃料の再処理等の他、加工時の廃棄物、安全性、核拡散、輸送時の情報公開などの社会的安全性等と問題が拡大してしまう。それにもかかわらず、経済的にも資源的にもメリットはない。問題を複雑化しない分だけ、直接貯蔵、処分の方が賢明な選択。
- ある意味で資源のリサイクルというのは、それ自体、面倒でいろいろな困難が伴うものである。従って、電気事業が私企業であることから利潤の追求にもっぱら傾くと、資源のリサイクルをやめようということにもなりかねない。リサイクルは単純な経済原則だけでは、うまくいかないということもあって、こういう場があると認識しており、こうした場で議論することは大変重要。
- プルサーマルでは資源節約はわずかでしかない、という意見もあるが、天然ウランを海外から買っている日本という立場に立ち、どれだけ購入が必要かを考えれば、立派な資源の節約。また、高速増殖炉までのプルトニウム利用技術を着実に育てていく一環として重要なステップでもある。
- プルトニウム利用についての国民合意が現段階では不十分。プルサーマル導入スケジュールは、余剰プルトニウムを持たないという「プルトニウムバランス論」による単なる数字合わせだとすれば、国民の理解は得られない。
- プルサーマル計画は、もんじゅやプルトニウム利用を中心とした我が国の長計の見直しの中の中心的課題であると認識している。福井県内でのプルサーマルの実施には、プルトニウム利用への国民的合意が不可欠であるが、現段階ではそれが十分でなく、困難と考えている。
- このような状態で、プルサーマルについて、自治体を預かるものとしての自信ある判断を市民の皆様としろというのが無理だろうと考えている。
- 軽水炉でのプルトニウム利用は、数字あわせではなく、将来の実用規模の核燃料リサイクルに必要な技術の確立、体制の整備等の観点から重要。また、エネルギー供給面でも一定の役割を果たす。今後、国民的な合意が得られるよう努力していきたい。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│核燃料リサイクルの確立は重要であり、その本格化に備えプルサーマルを実施して│
│いくことが重要との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 核燃料リサイクルの確立は技術先進国である日本の責務。将来の核燃料リサイクルの本格化に備え、技術開発を進め、体制を整備していくことが重要であり、現在使用済燃料を再処理して得られたプルトニウムは、プルサーマルとして軽水炉で燃焼させていくことが資源の有効利用、核不拡散の観点からも重要。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│プルサーマルは、ウラン資源の有効利用、プルトニウム利用技術の確立等から意義│
│があるだけでなく、海外再処理委託により回収されたプルトニウムが現実に存在す│
│ることを考えると、国際的にも緊要な課題であるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 海外再処理委託により回収されたプルトニウムが現実に存在することを考えると、それを我が国の軽水炉で再利用できるようにすることは、国内的、国際的に緊要な課題。
- プルサーマルは、ウラン資源の有効利用、プルトニウム利用技術の確立、プルトニウムバランスの観点から意義があるもの。
┌─────────────────────────────────────┐
│プルサーマルの安全性について懸念が示されたことに関連し、ウランとプルトニウ│
│ムの核特性の差異には技術的に対応が可能であり、これまでの経験でもMOX燃料│
│の利用が原因となる特異な事故はなく、原子力安全委員会においても炉心に1/3│
│程度までMOX燃料を装荷しても安全上特段の問題は生じないとの判断を示してい│
│るとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルサーマルは、1960年代にウラン濃縮能力の不足への懸念から研究開発が始められ、現在ではヨーロッパ諸国を中心に相当量の実績がある。
- プルサーマルの安全性について、ウランとプルトニウムの核特性の差異は十分に技術的対応が可能であり、現在の軽水炉でも燃焼が進んだ段階ではプルトニウムの核分裂が約30%である。また、これまでにMOX燃料の利用が原因となった特異な事故はない。原子力安全委員会においても、炉心に1/3程度までMOX燃料を装荷しても安全上に特段の問題は生じないとの判断を示している。
- 今まで安全に運転してきたから、経済性を考えて燃焼度をあげてもいいとか、軽水炉でプルトニウムを燃やしても問題ないから、新たにプルトニウムを入れるというようなやり方は、綱渡りをさせられているような感じ。万が一の事故があったときの責任は誰がとるのか。その点、納得を得られるような形でやらないと立地点では了解を得られず、「使用済燃料ははやく搬出してくれ、ただし、プルサーマルは考えさせてくれ」という現状になる。
- プルサーマルの安全性について、確かにウラン燃料とMOX燃料を使った場合の原子炉の特性には差があるが、「その差はさほど大きくない」、「その差を考慮して同じ安全基準を満足するような炉心が設計できる」、「実際それで1500体もの実績があり、燃料破損等はない」という事実があり、これ以上何のエビデンスが必要なのか。専門家が様々な国際学会などで議論した結果、問題ないとされ、それが安全委員会の結論にもなっている。
- プルサーマルについて、専門家では安全性に問題ないとされても、これが地域社会に伝わっていないとすると、情報公開の問題として議論しなければならない。
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力発電所の立地地域で半数以上の理解が得られないまま、プルサーマルはや│
│ るべきではないとの意見が出された。 │
│・これに関連して、物事は必ずしも多数決ではなく、それぞれの地域で理解を得つ│
│ つ進んでいるものである。プルサーマルについても「ふげん」における実績をも│
│ とに地元に説明していくべき。その際、国が表にでて対話していくことが必要と│
│ の意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- タイミング的には、六ケ所再処理工場から回収されるプルトニウムを利用するより、海外再処理で回収されているプルトニウムを利用する方が早い。それを先行的に軽水炉でリサイクル利用することにより、安心が得られるのではないか。
- 原子力の立地地域は全国でも最も原子力についての理解が進んでいる地域と思う。新たなところでプルサーマルの安全性を議論するよりは、立地地域でまず理解が得られるのかどうか、半数以上の合意を得られるかということを当面を考えないと、プルサーマルはやるべきではないのではないか。
- 物事を決める時には、それぞれの地域でいろいろ議論し、データを示しながら、理解を得て、個別具体的に決まっていくのがこの世の姿である。全て多数決で半数以上が合意しないと進まないというのは現実的でなく理解できない。プルサーマルに関していえば、すでに「ふげん」で10年以上の実績があり、輸送、受け入れなどを含めた社会的経験もある。そうした経験を参考にして、地域社会に説明していくべき。
- プルサーマルについては、個別の問題だけでなく、国が表に出て立地地域と対話し、積極的に受け入れの努力をすることも必要。
┌─────────────────────────────────────┐
│プルサーマルと通常軽水炉の発電コストについて、いろいろなケース、条件で違い│
│があるが、現時点では、天然ウラン価格が低位で推移していることもあり、リサイ│
│クルの方が若干高いということが国際的に共通した認識であることが紹介された。│
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- プルサーマルと通常の軽水炉では発電コストはどれくらい違うのか。
- リサイクルするプルサーマルとそうでない通常の軽水炉での発電コストの違いは、再処理をどこでやるか等、いろんなケース、条件で違いがあるが、現時点では、天然ウラン価格も低位で推移していること等を考えると、リサイクルの方が若干高いというのが、国際的にはだいたい共通した認識。
<第1回・招へい者の意見発表>
- MOX燃料を最も効率的に利用する高速炉は、なお長期の研究開発期間を要する。
- 「もんじゅ」の事故は原子力の安全性に抵触するものでないが、ナトリウム技術に関する習熟度の向上の必要性を示唆。今後はナトリウム技術の開発に特化した新しいアプローチが必要。
- 平和利用の側面から、ウラン資源を全部利用するという原子炉(高速増殖炉)を完成する役割を日本が担っていると考えている。もんじゅ事故から多くのことを学んで、原型炉、実証炉というふうに段階的に着実に計画を進めてほしい。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 「もんじゅ」事故では設計面、運転面で反省すべきところが大。しかし技術的には必ずしも大事故ではない。最大の問題は広報面の不適切さであり、原子力のリサイクル路線の修正を不可避とする事故ではない。
- 現在の軽水炉ではウラン資源の潜在力の0.5%のみを利用。プルサーマルでも1%が限界。原子力を21世紀の主要エネルギー源にするためには、増殖炉でプルトニウムを利用することが不可欠であるとする基本目標は支援。しかし、この目標を実現するための技術的経路は必ずしも一本道ではない、また、プルトニウムではなくトリウムからウラン233への道も考えられる。
- 今回の事故は、動燃の技術への過信があった。また、「情報隠し」など、重大な過誤があり、これまでの原子力行政の問題点(体質)が顕在化した。「もんじゅ」事故の徹底解明と万全な対策の実施、地元住民の合意形成を図るべき。
- 「もんじゅ」の事故は、原子力行政、安全規制行政にまつわる矛盾が噴出したもの。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 原子力開発利用長期計画にある「高速増殖炉はウラン資源の利用効率を飛躍的に高めることが出来る」との視点だけでなく、いろいろな視点から国民的な議論を行うべき。
- 温度検出器の損傷原因の究明と再発防止策だけでは、国民、県民の理解は得られない。想定事故範囲、設計思想、安全審査方法、内容等について徹底的な再検討をし、それをふまえて、あらゆる角度から設備、システムの総点検をする必要がある。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 世界各国はナトリウムを制御できず、しようと思うと経費がかさむという悪循環の中でFBR計画から撤退。「もんじゅ」についてもナトリウムを制御できるのか徹底的検証必要。
- FBRは、ナトリウムの制御以外にも暴走しやすい、プルトニウムを利用する、軽水炉に比べて地震に弱いなどの問題がある。また英国PFR細管破断事故についても詳しい情報が知らされていない。計画通りやったとしても燃料が2倍になるのに90年かかること等問題ばかりである。
- 「もんじゅ」のような高速増殖炉は、絶対に持ちたくない、と言うのが個人的な感覚であり見解。
- もんじゅ事故は残念なことだが、これで高速増殖炉の開発を中止するというのではなく、世界のために開発し、その技術を世界に与えるということが日本の使命ではないだろうか。
<第4回・自由討論>
- 高速増殖炉については、各国が研究して行き詰まって撤退しているのに、日本が何故進めていくことができるのかについて、納得できる根拠が示されないことが問題。
- 「もんじゅ」については、研究開発段階であったにも拘わらず、関係者が自信を持ち過ぎていたことに問題があったと感じている。
(原子力委員意見)
- 将来的には、エネルギーを作り、燃料を作り、放射性物質を消滅させ、安全を確保できるという4つの目的を同時に達成できる整合性のある原子力システムを構築することが目標。科学的な可能性は証明されており、今後、技術がいかにフォローするかであるが、その研究開発過程において、高速増殖炉は不可欠。
- イギリスの高速増殖炉の事故は事実。しかし、技術は日々進歩しており、動燃の技術は世界でもかなり高いものと信頼している。
- 「もんじゅ」事故について、さや管の問題であり、プルトニウムや原子炉に関わる事故でなかったという主張もあるが、そのように部分でとらえるのは疑問。神ならぬ身としての技術の限界、人間のモラルの問題などを含めたトータルな問題としてとらえていかないと、もっと問題が発生すると感じる。
<第5回・基調発言>
- もんじゅについては、技術的にはナトリウム漏洩事故であり、人間の感じ方の問題と科学技術的な問題とでは取り上げ方を変えてほしい。
- 基本的に、原子力発電からは逐次撤退していき、特に高速増殖炉開発は断念すべき。
<第5回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│もんじゅ事故の捉え方について、 │
│・技術的には想定内の事故であるという意見と、地元としては高速増殖炉の根幹に│
│ 関わる事故であるという意見が出された。 │
│・また、国際尺度では0+(注)であるのに大問題になったのは、期待感への反動│
│ 組織の事故対応に対する失望であると意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「もんじゅ」の事故は、国際的な基準では、0+(注)であるのに、それがチェルノブイルと同じくらい社会的反応を起こした理由は、国民は「もんじゅ」に対し期待していたが事故を起こしてその反動が起きたということと、事故の起きた時に組織がどういう行動をとったかを見て、その裏にある安全への価値観に社会が失望したことが原因だと思う。
(注):事業者の暫定判断
- 「もんじゅ」の事故の時も、当初、動燃事業団は事象といっていたが、さんざん追求されて事故ということになった。そういうところに現地と中央の受けとりかたとの落差が大きいということを考えてもらいたい。
- 学問的にこうだといっても、地元ではそれだけでは納得できないものもある。今度のことは、これまでの事故隠し、通報の遅れなどの集大成が爆発したということを理解し、そこを原点にしてもらいたい。
- 「もんじゅ」の事故は、地元では感覚的には大事故だったかもしれないが、科学技術的には安全審査でも検討された範囲であり、事象と言っても責めるべきではない。科学技術的な話と、感覚的な話とは区別するべき。
- もんじゅの事故は想定内という見方もあるが、県は高速増殖炉の根幹に関わる事故と認識している。技術的に細かいことはよくわからないが、地元としては、根幹に関わる事故という認識は譲れない。
- 事象を事故と言い改めること自体が不信を生む。
- 不信がなければ、言葉遣いぐらいで問題にはならない。
- 高速増殖炉は一つ間違えれば、大きな事故につながると考えている。そのいい例が「もんじゅ」事故であったと思う。
- 高速増殖炉の開発路線は非科学的。原型炉から実証炉に行く路線が間違っているのではないか。
- 動燃事業団を解体してもらいたい。動燃事業団の体質は骨がらみであり、社会的、歴史的、政治的に作られたもので直る見込みはない。高速増殖炉の開発は事業団ではなく、少なくても原型炉までは、日本原子力研究所でやるべき。
- 高速増殖炉の商業炉5基が順調に、2050年に動いていると仮定し、なおかつ日本のエネルギー需要が現在と同じだとした場合、日本の必要とするエネルギーの1%しか作れない。そうしたものを日本のエネルギーの根幹にすることは社会的安全の面から見て重大。
- 何年たっても1%と言うのは、全く我々の認識と違う。これはまた別の機会に十分議論していただきたい。
<第6回・自由討論>
- 高速増殖炉の問題について、事故によって開発が停止したのではないか、という情報があるが、それについて説明すると、
- - フランスのスーパーフェニックスは、火災で運転を中断していたが、現在は問題を克服し、運転再開している。
- - ドイツのSNR−300は、州政府が燃料装荷を認めなかったこと、及び、経済的理由から運転できなかった。ただし、燃料装荷前に、ナトリウム漏洩を1〜2回経験し、修理している。
- - イギリスも、高速増殖炉を開発していたが、北海油田が開発されたという資源的な背景と原子力開発予算の民間移転の中で、停止した。なお、イギリスのPFRという高速増殖炉は、昔蒸気発生器の細いチューブ40本が壊れるという事故を経験している。ただし、放射性物質の漏洩はなく、修理後、運転を再開したが、成果が上がったので、現在は、運転を中断している。
- - 旧ソ連のBN−350は、20回くらい漏洩事故を起こしているが、修理し、今は順調に運転している。
これらの情報は、その都度、提供しているが、一般にはなかなか伝わっていない。今後とも、情報公開には努力していただきたいが、同時にそうしたことに関心を持ち続けて欲しいと考えている。
<第7回・基調発言>
- 現在の原子力発電所(軽水炉)はウラン資源を効率よく使っていない。将来的には潜在的な価値を最大限有効に活用するという考えが重要。そのためには高速炉の開発は非常に重要。
- もんじゅ事故は深刻に受け止め、今後の研究開発に活かすべき。研究開発の方法、内容を再構築していくことも考慮してよいのでは。
- 非現実的な計画のみが先走りして、技術と実態との間にひずみを生んだのが、「もんじゅ」事故を起こし、また事故隠しを生んだ原因。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│高速増殖炉に関連して │
│・審査や考え方の甘さがいたる所にあり、「もんじゅ」は凍結するべき。 │
│・資源的なメリットは認めるが、現状では技術がないことを認識するべき │
│・「もんじゅ」の今回の事故であきらめるのではなく、今後とも実験を重ねてもら│
│ いたい │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「もんじゅ」については、当事者、関係者が原因究明をはじめ努力している状況、今はそれをウォッチしている。
- 「もんじゅ」の再現実験では、動燃が当初思っていなかった事態が発生したが、FBRのいろんな想定される恐ろしい事態について、審査や考え方の甘さがいろんな所にあるのではないかと思う。「もんじゅ」は凍結していただきたいし、「もんじゅ」でこの状態だから、次の実証炉はとてもではないが出来ないのではないか。
- 高速増殖炉により資源の利用効率が100倍くらいになるのは認めるが、それは利用できる技術があってはじめて出来ること。今の状態では、絵に描いた餅であり、それがすぐ実現出来るように言うことが問題である。
- 「もんじゅ」の事故は残念であるが、それであきらめることではなくて、これから更に確かな安全性を確認しながら実験を重ねていってもらいたい。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 「もんじゅ」の安全審査体制そのものに「設計ミス」があった。「もんじゅ」は永久停止、すなわち核燃料サイクル全体の再検討まで視野に入れてやり直すべきである。
- 高速増殖炉の商業化が主として電力会社の私的決定に委ねられるならば、早晩、開発が延期ないし中止されるであろう。ゆえに単に経済性だけでなく、より広い視野から、高速増殖炉の正当性と合理性を検討するべき。そのためには公共的意思決定が必要。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│高速増殖炉に関して、 │
│・他の先進国はプルトニウム増殖路線から撤退しているし、半世紀研究開発をして│
│ きてもまだ成果が出ておらずフィージビリティーがあるとは思えない。 │
│・諸外国がやめているからやめるというのは、日本が先進国を追いかけて来た頃の│
│ 考え方。将来の重要性を考え研究開発に努力を傾注するべきであり、開発のため│
│ のチェック・アンド・レビューの体制を整えるべき。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 今は、プルトニウム政策を見直す絶好の時期である。第一に、全ての先進国がプルトニウム増殖政策を止めた。第二にもんじゅ事故は、プルトニウム政策への国民の関心を高めた。第三には、まだ研究開発段階にあり、止めても損失はない。
- FBRから世界が皆撤退したのに日本だけがなぜやるのかという議論については、日本が先進国を追いかけて来た頃の考え方。世界第二のGNP大国であり、科学創造立国である日本が一歩前を走るためには、なによりも科学技術が重要であり、FBRの開発も日本はすべき。
- 文明における先進国と後進国は歴然としており、ヨーロッパ、米国、日本の順である。先に進んできた者みんなが止めたのに、日本は脱プルトニウム後進国であるともいえる。先端技術を何でも進めるのが先進国であるというのは、19から20世紀の価値観であり、1970年頃から価値観が変わってきている。その最初の例がSST(超音速旅客機)。
- 海外ではFBRを止めたからこそ、むしろ、日本はやるんだとの意見があったが、太陽光発電をするとか、コジェネレーション、エネルギー依存型でない文明をどうするのかというような方面にこそ努力すべき。
- 先進国のうち、米国はプルトニウム利用を止めたが、フランス、ロシアは利用を行っている。利用を止めても損失がないというが、今はよくても、将来大きな損失を生ずる。先進技術を進めるのが先進的な考え方という世の中ではないという意見があったが、SSC(大型加速器)の失敗は、技術がなかったことによる。
- フランスは増殖炉としてのプルトニウム利用をやめた。ロシア、中国はGNPからみて先進国ではない。
- 将来的に損失を与えるかどうかについては、プルトニウム技術は半世紀たっても成果が出ておらず、フィージビリティーがあるかどうかさえ分からないので、損失が出るとはいうべきでない。先端技術の開発は、いいもののみを選択して進めていくべき。
- 研究開発途上のものについては、ある意味では、未来は我々の手中にあるともいえ、今の段階、過去の出来事で評価するのは不適切。また、長期の研究開発において、限られたリソースをどこに分配するかは、その国々が事情に応じ、決めていくことであり、他の国では止めているから駄目、という視点も不適切。むしろ、開発に対するチェック&レビューの体制をきちんとすることが大切。
- 研究開発の途上のものを完全に評価できないのは事実。しかし、歴史的に見て、半分の確かさをもって評価できると考えている。
- 60年代からは、原子力委員会も、チェック&レビューを掲げているが、うまく機能してきたか疑問。長計改定の度に、加速的に目標時期が遠のいていくというのは、そうしたチェック&レビューがきちんとかかっていなかったのではないかと考える。そうした方式の改革を行い、きちんとした評価システムの確立が必要である。
- ウランに限定していえば、高速増殖炉をやらねば資源的な意味はない。しかし、高速増殖炉は既に何十年も開発を行っているのに海外でも、うまくいかない技術で、何十年先に実用化するかも不透明。現実的に考えると、宝くじみたいなもので期待できるものではない。
- 高速増殖炉は、50年やってもものにならないので駄目だとの意見があるが、科学技術の発展はその技術の一つの世代がどれくらいの長さを持っているかに左右され、そのサイクルが繰り返されるごとに世代ごとに発展していく。原子力は一つの世代が非常に長い技術であり、50年やっているといっても、世代にしてはそんなにやっておらず、研究開発の努力は、これまで一生懸命やってきたが、十分尽くされているとは言い難い。将来の重要性を考えるとまだ、努力を傾注すべきである。
┌─────────────────────────────────────┐
│・将来の高速増殖炉のあり方について充分時間をかけ幅広く議論をするため、原子│
│ 力委員会に「高速増殖炉懇談会」のような懇談会を設置するべきであるとの意見│
│ が出された。 │
│・これに対し、原子力委員会からその方向で検討したいとの見解が表明された。 │
│・また、その懇談会に関して、密室の議論にならないようにしてもらいたい、将来│
│ のエネルギーのあり方をベースにした議論をしてもらいたいとの意見が出された│
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力委員会に「高速増殖炉懇談会」のような懇談会を設置して、将来の高速増殖炉のあり方等について十分時間をかけて幅広く議論することが重要。
- 高速増殖炉をどうすべきか等は、みんなで議論した方が良いのは確かであり、しかるべき場を設けて徹底的に議論することが、円卓会議の成果として出てくれば有意義。
- 「もんじゅ」事故の検討結果を踏まえ、核燃料リサイクル体系の中で高速増殖炉のあり方を議論し、今後、もんじゅの位置づけを明確にする必要がある。
- 長計では、高速増殖炉を将来の核燃料リサイクル体系の中核として位置づけ、将来の原子力発電の主流としていくべきものとうたっているが、国民的合意をはかるためには、そうした視点だけでなく、幅広い議論が必要。軽水炉技術の高度化も含め、将来の高速増殖炉のあり方について、十分時間をかけて幅広く議論するために原子力委員会に高速増殖炉懇談会の設置を提案したい。
- 日本でリサイクルに関する様々な形でデータは出ているが、こういう場でこれという決定版がないのも事実。そういう意味で懇談会で議論するべき。
- 高速増殖炉に関する懇談会については、設置する方向で、その内容を十分つめていきたいと思う。
- 懇談会という話しもあったが、それも密室にならないようにしてもらいたい。
- 高速増殖炉の懇談会を開催するのであれば、21世紀の日本のエネルギーのあり方をベースにおいて技術的にこういうものが必要であるということが、研究開発をする立場からすると重要なので、そういう点もいれてもらいたい。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- もんじゅは、事故を契機として、よりきめ細かな安全対策についても公表した方がよい。安全は作り上げるものであり、もんじゅは確認試験中にウミを十分に出し切り、信頼性の高いプラントにしてもらいたい。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│高速増殖炉の研究開発について、 │
│・高速炉の開発計画は「もんじゅ」事故の教訓や核拡散への国際的懸念の増大を配│
│ 慮しつつ再構築すべき時期にきている。 │
│・資源的、経済的側面から高速増殖炉の開発は多少スローダウンし、研究開発に重│
│ 点を置くべき。 │
│・原子力技術は開発に50年といった非常な時間がかかる。必要なときに始めたの│
│ では、リスクが高くなるため長期的観点から継続的な研究開発が必要。 │
│・諸外国が経済的負担を主な理由として高速増殖炉を撤退した経験を吟味し、開発│
│ する工夫が必要。 │
│との意見が出された。 │
│また、「もんじゅ」については、重要な研究開発手段の一環であり、高速炉の様々│
│な特性を研究開発する場として使って行くべきとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 高速炉の特徴はサイクルの柔軟性にあり、また実用化の鍵はより安心できるナトリウム技術の習得にある。高速炉の開発計画については、「もんじゅ」の事故の教訓を生かすとともに、核拡散に関する国際的懸念の増大にも配慮しつつ、再構築するべき時期に来ていると考える。
- 資源的には、ウラン資源の現状は以前より需給がゆるみ資源的側面では時間的余裕がある。経済的には、高速増殖炉が現状の軽水炉より安くなるとは予想しにくい面もある。そのため、高速増殖炉の開発は多少スローダウンし、研究開発に重点を置いてはどうかとの印象を持っている。
- 原子力技術は開発に非常な時間がかかる。信頼性を得るには50年くらい必要。50年後の世の中を考えると、原子力の中でプルトニウム利用が大事になってくるという考えも出てくる。その時、始めたのではリスクが高くなるおそれがある。現在、コストが高くても長期的にみて、技術基盤を確保するため、継続的な研究開発が重要。
- MOX燃料の取り扱い技術は高速増殖炉に直結するものであり、MOX燃料技術の信頼性を高めていくことも重要。
- 高速増殖炉に関して、研究開発をしっかりやっていくというのは多くの方の意見である
┌─────────────────────────────────────┐
│もんじゅの事故は、冷却部分の事故であり、それだけを取り上げ高速炉全体を否定│
│するのは短絡的。また、ナトリウム冷却技術は他にも共通する技術でもあり研究す│
│ることは重要であるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「もんじゅ」の事故は、高速増殖炉技術全体の中で、冷却の部分であり、他の部分はこれまでの実績をみても特段の問題は起こっていない。ナトリウムだけをとりあげ、高速炉全体を否定するのは、短絡的ではないか。また、ナトリウムを高温、高密度での冷却技術として扱うが、こうした冷却技術は、大型加速器、核融合などにも共通の技術であり、研究することは重要。
- 高速増殖炉というのは、核資源の高度利用である。核物質の高度利用は、ウラン238とトリウム232を使うしかない。トリウム232は、純粋な高濃縮ウランと組み合わせて使わねばならず、核拡散上も技術上も問題が多く、ウラン238から生成されるプルトニウムを利用することが、技術的には一番可能性が高い。そうした流れで現在のナトリウム冷却の高速炉が計画されている。
- なぜ、高速炉を開発するかといえば、100年のスパンで考えたときに、人類として持つべき技術と考えているからである。現在、各国固有の事情でそれぞれの方針をとっているのは、仕方ないとしても、国際公共財として開発する姿勢を維持していくことが重要。志を同じくする国があれば受け入れ、共同開発することも重要であり、それが国際的懸念の緩和にもつながるのではないか。
(5) 高レベル放射性廃棄物〜バックエンド対策
<第1回・招へい者の意見発表>
- 高レベル放射性廃棄物の処分は最も大きな課題。計画の進展や処分技術の内容が外からもわかるように進めることが肝要。
- バックエンド対策については国民全体で考えるべき課題であり、国が真剣に取り組み、早急に将来見通しを示すべき。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 放射性廃棄物の処理処分について真剣に検討し、将来計画を早急に提示し、実行すべき。
- 原子力とつきあっていくことを考えた際に気になるのは、高レベル放射性廃棄物の処理の目安や将来見通し、リサイクルに関する国の考え方や将来見通し、廃炉の見通し等である。
- 放射性廃棄物を人間環境から隔離して処分する考えもあるが、責任の持てる時間範囲を限定して、時限がくる度に改めて管理し直すという考えも議論してはどうか。
<第2回・原子力委員の総括的見解>
- 廃棄物処理処分、防災対策については安全を最優先にし、責任をもって対処する。
<第3回・招へい者の意見発表>
- バックエンド、使用済燃料の問題については、国が前面に出て真剣に考えて、方向付けをはっきりさせることが必要である。
- 放射性廃棄物も未利用エネルギー資源として考えることができるかもしれない。
- 国のバックエンド対策がはっきりしない限り、これからの立地地域と国との間の信頼関係は難しくなると考える。
<第3回・自由討論>
- バックエンド対策は、四半世紀を経過しても不明確であるが、原子力エネルギーを等しく享受している国民全体、とりわけ大量消費地の問題として、考えるべきであり、国の責任における真剣な取り組みが必要。
(原子力委員意見)
- バックエンド対策については、「この問題が解決しない限り、原子力の未来はない」と関係者一同、肝に銘じ真剣に取り組んでいる。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 放射性廃棄物のうち、高レベル、長寿命のTRU核種のような長期に残る廃棄物について、それを消滅させるための研究に積極的に取り組むべき。
- 次の世代にツケを残さないためにオメガ計画を積極的に推進すべき。
<第4回・自由討論>
- 軽水炉自体は高い安全の実績を収めている。原子力で一番問題なのは、廃棄物処理。技術的な問題はともかく、社会的な問題は答えが出ない。これが大問題。
(原子力委員意見)
- 高レベルの廃棄物対策は、現在、地層処分に関する研究開発が進められているが、この技術が確立しないと、原子力は完成したといえない。
- 消滅処理による廃棄物の環境の負荷の低減、群分離による廃棄物の有効利用が長期的な基礎研究として重要。銅の精錬は、硫黄、砒素等が出るため、過去は問題となっていたが、今では、それを回収し有効利用している。
- 一般産業で発生するゴミは、最初から捨てていたが、だんだんと問題となって集めるようになっている。原子力は、最初のスタートから、廃棄物の処分をきちんとしないといけないとしてやってきた。
- 原子力は、凝縮されたエネルギーであるため、廃棄物はその逆に100万分の1から10万分の1になる。それを閉じこめるのは十分可能。
<第5回・自由討論>
- 「リスクとベネフィット」を受ける側が異なるという問題について、原子力の分野の中で特にその差が大きいのは、「今の世代と次の世代間」という観点、つまり「高レベル放射性廃棄物」問題、そして、「日本と全く利益を受けていない輸送ルートの国々との関係」の観点からである。
- 廃棄物の問題は、その解決なくして原子力の未来はないと考えており、委員会としても、長計でうたっている他、高レベル廃棄物準備会等で着々と取り組んでいるが、長期的な問題でもある。また、それを考える際には、世代内の負担の公平に加え、世代間の公平を十分確保できるようにというのが、OECDなどでも確認されている共通見解。さらに、高レベル放射性廃棄物の地層処分については、技術的には十分出来るということが国際的な専門家の一致した意見であるが、社会的に受け入れられるのが難しく、今後、それをどうするかが課題。ただし、再処理により発生する高レベル放射性廃棄物の対策も大変な問題であるが、ワンススルーによる使用済燃料の直接処分はより大変な問題である。
- 廃棄物問題は長期的な問題と言うが、今の問題でもある。現実に現在も原子力発電所は稼働し、毎日広島の死の灰の120倍という膨大な量の放射性物質を作り出している。それをどうするかを解決せずに進めてきて、さらに増やそうとしていることは問題。また、電気のベネフィットを享受している消費者は、自分だけよければいいというのでなく、そうした現実をもっと自覚すべき。
- 原子力発電から生み出される放射性物質の量は膨大との話があったが、確かに発電した分、放射能のキュリー数は増えるが、体積的には非常に少ないのが現実。だから安全に隔離できると考えている。
- 広島の原爆の120倍という話があったが、放射性物質には、一秒の間に減衰するものなど多くの種類があり、その値は、刻々と変わるものであるから、そうした比較は、非科学的である。
- 高レベル廃棄物の地層処分について、国際的に安全は確認されているというが、科学技術庁でこの点を研究していたある専門家は、100年はたたないと学問的に見て安全は確認できないといっている。この点については発言を撤回してもらいたい。
- 地層処分について、100年立たないと安全性確認できないという説は、安全性の許容限度の幅の問題が関係すると推察するが、実際の意見を直接聞いていないので、宿題としたい。
- 高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵については、その安全性及び最終処分地が決まっていないことに対する懸念、不安が依然として続いている。再処理、プルトニウム利用を基本とする我が国の原子力政策が先行き不透明であり、青森県への放射性廃棄物や使用済燃料の搬入だけが進められていくのではないかという懸念がある。
- 国の原子力政策には、例えば高レベル放射性廃棄物の最終処分等、基本的方向は明文化されているものの、未だ全体像が明らかになっていない部分もあり、今後原子燃料サイクル事業の本格化を控えて、このような状態であることは疑問。
- 青森県は、立地協力要請を受諾する直前に、高レベル放射性廃棄物の最終的な処分については、国が責任を負うとの確認をいただいているところであるが、昨年9月の原子力委員会による取り組みの具体化までの11年間目に見えるものはなかった。したがって、今世紀中に高レベル放射性廃棄物の最終処分地を決定するよう国に願う。
- 放射性廃棄物の問題は国民的課題。高レベル放射性廃棄物については特に安全性に留意することが必要。また処分の実施主体をできるだけ早急に設立するべき。地下研究施設の建設は是非進めて行くべき。
- (地下研究施設の建設に)併せて安全から安心に向けた研究開発成果を広く公開するよう、より一層努力するべき。
- 廃棄物問題は、原子力長期計画が実態に即していなく、国民の不信感をもたらしている。
- 廃棄物問題について全体的にどうアプローチするかがないままに、「青森県には最終処分しない」などと「確約」しているのはおかしい。その場しのぎの口約束で事を進めてはダメ。
<第7回・他の招へい者の所感>
- 一般廃棄物については、経済的に許容していけるのかという視点から、国民のコンセンサスを作りながら、法律を2つ作ってきた。この考え方が原子力の中でも利用されていくと国民の同意も得ていけるのではないか、また、国民の選択する判断力も培われてくるのではないか。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・基調発言において、廃棄物政策について長計通りにいかないのではという指摘が│
│ あり、原子力委員より、現在専門部会、懇談会等で検討を進めているとの説明が│
│ なされた。 │
│・これに関連して、原子力委員会の考え方は楽観的であるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 廃棄物政策について、長計通りいかないのでは、との指摘もあったが、現在、原子力バックエンド対策専門部会、高レベル廃棄物処分懇談会を設けて、技術だけでなく、広く社会及び国際社会の問題として取り上げようと精力的に検討を進めているところ。
- 廃棄物などの非常に大きな問題に対し、原子力委員会の考え方は楽観的であり、これでは国民の不安への答えになっていない。
- 再処理しようと、直接処分しようと高レベル廃棄物の処分は必要であり、その実現のために最大限の努力をしたい。
┌─────────────────────────────────────┐
│・放射性廃棄物の処分に関して、安全性、コストについて国民に充分説明するとと│
│ もに、研究を進めデータを蓄積するべき。また、一般廃棄物との量の比較など質│
│ の違うものとの比較は国民の理解を得られないという指摘がなされた。 │
│・これに関連して、今後研究を進め、コストについても確実な試算をしていきたい│
│ との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 核廃棄物は発電量に比例するので、エネルギー不足をあおって、エネルギーを消費する政策を続けていくことは不安。核廃棄物の処分は安全か、または安全に管理できるかの情報を十分に出してほしい。そうすれば一般国民も、発電施設を、今後限りなく増やすかどうかを考えることが出来る。
- 高レベル放射性廃棄物の処分コストは、1kWhあたり数銭から10銭程度との試算が示されている。まず、この考え方の根拠を国民に知らせてほしい。また、これは処分コストだけしか含まれておらず、それ以外に入ってくるべき処理、貯蔵、中、低レベル放射性廃棄物等の費用は見えてこない。放射性廃棄物処理・処分コストの全体を国民に分かりやすく情報公開すべき。
- 核廃棄物のPRに関して「一般廃棄物に比べて1年に1000本しか出ない」等の表現が見られるが、全く質の違うものを比較に出すのはかえって不信感を招き、これでは国民の理解を得られない。
- スウェーデンでは、20年前から高レベル廃棄物の地層処分の研究所を作ってデータ蓄積をしている。日本は、そうした実証データが少ない。今後、国民が判断できるよう、そうした研究を進めていくべき。
- 放射性廃棄物の処分コストは、電気料金に入るが、CO2の処理はカウントされない。そうした面で、放射性廃棄物処理コストは環境保全コストともいえる。
- 放射性廃棄物処分のコストについては、不確定要素が多く、現在は、概算で試算している段階で、kWhあたり数銭程度と過大なインパクトを与えるものでないと、いうことが言える程度。今後、詰めていくとともに、スウェーデンの研究所みたいなものを作り、より確実な試算をしていきたいと考えている。
┌─────────────────────────────────────┐
│・廃棄物の問題は、我々の世代の責任としてまじめに考える必要があるが、原子力│
│ の推進とは別に議論するべきであるとの意見が出された。 │
│・一方、これに関連し、原子力の推進の是非に関わらず廃棄物の問題は難しい問題│
│ であり、原子力の推進と別に議論する、しないの問題ではないとの意見が出され│
│ た。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 現在、廃棄物はあるので、これについては我々の世代の責任として、きちんとまじめに考えていくべきであるが、産業の利害とは独立して、つまり原子力の推進とは別に議論するべき。スウェーデンのように一応将来は原子力を廃棄するとなっている国では議論がしやすい。
- スウェーデンや米国でもまだ使用済燃料処分のめどは立っていない。この問題は原子力をやるやらないに関わらず難しい問題であり、原子力をやめれば、廃棄物問題が議論しやすくなるという言い方をするのはおかしい。
- 原子力をやめれば、廃棄物問題が議論しやすくなるというのは、原子力の推進とは独立に、廃棄物問題を議論しなければいけないという趣旨だ。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- ガンの発生メカニズムの解明や治療法の確立、放射能の消滅技術の確立は、原子力技術の社会的評価を全く違ったものとする。こうした技術が今後どのくらい進歩するかという技術予測は、現在の原子力政策を立案する時にも大きく影響するものであり原子力委員会の見解を聞きたい。
- 高レベル放射性廃棄物の処理処分のように現在の決定が未来の社会に影響を及ぼす問題は、一部の人間だけにより決定されるのではなく、未来の人間がどう考えるであろうかということも考慮に入れ、国民が決定を行うべき。
<第8回・基調発言>
- 再処理施設、核燃料加工施設や廃炉解体等により発生する放射性廃棄物の処理処分に関する技術基準や制度といった将来計画を早急に決定し、実行すべき。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 使用済燃料は貴重な物質の宝庫であり、研究をすべき。オメガ計画はその実現をはかるべきである。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│高レベル廃棄物については、貴重な成分が入っており、それを有効利用できる可能│
│性があるため、将来的には、群分離、消滅処理の研究を進めることが重要との意見│
│が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 放射能消滅技術の将来予測について、高レベル放射性廃棄物の処理については、現在は地層処分の研究開発を進めているが、将来的な基礎的な研究としては、群分離、消滅処理の研究も重要。過去、産業革命時代はコールタールを捨てていたがその後貴重な資源として利用されるようになったとか、銅の精錬でも昔は垂れ流していた硫黄、砒素等を現在では分離し利用しているなどの例もある。また、排煙に電子ビームを使って、NOX、SOXを肥料に転換することが可能にもなっている。高レベル廃棄物にも貴重な成分元素が入っており、長い目で見るとそれを有効に使える可能性がある。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・六ケ所核燃料サイクル施設における廃棄物の将来計画が不明確であるという意見│
│ について、事務局より将来計画に関する事実関係が説明された。 │
│・また、説明のあった事実関係について、地元でもよく説明し、青森の住民に安心│
│ 感を与えるようにしてもらいたいとの意見があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- いつもエネルギーの必要性は認識しているが、なぜ青森だけなのか、将来どれだけのものが運ばれるのかがわからない。原子力発電を始めたときから、使用済燃料が出ることがわかっていたのに、未だに海外返還廃棄物の貯蔵施設や低レベル廃棄物等の将来計画が不明確。
- 青森について、将来どういう廃棄物がくるのかの全貌が見えないことについて、答えがほしい。
- 高レベル放射性廃棄物については、将来にわたって青森県に高レベル放射性廃棄物があるということではないことを約束している。
- この地域に、六ヶ所村にどれだけの量の廃棄物が集められるのかをはっきりしてほしい。
- 低レベル放射性廃棄物については、最終的には300万本のドラムをお願いしたいが、現在許可を得ているのが20万本相当であり、全体像を明らかにしながら現在の施設建設は20万本として進めている。高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵については、最終的に三千数百本の返還があるが、現在の施設は1440本である。
- 英国ではスワッピングの話があるが、海外に再処理を委託している中、低レベル放射性廃棄物についても青森に帰ってくるのか。
- スワッピングについては、英国において、一つの可能性として検討している。最初に六ヶ所村にお願いした中に、海外からの全体の廃棄物の返還をお願いするという全体としての位置づけがあるが、どの程度の量をどういう施設でお願いするかの具体化には至っていない。
- 廃棄物量の低減化も進んでおり、ここで廃棄物の明確な量を求めるのは無理。
- 自分の問題提起に対しては、私に答えるのではなく、青森で説明するなど、青森の住民に安心感を与えるような努力をしてほしい。
┌─────────────────────────────────────┐
│・バックエンド対策について、世代間の公平として我々が責任を持ってやるべきな│
│ のかも含め、きちんとその方法について議論をするべきという意見が出された。│
│・また、廃棄物については、世代責任の問題があり、きちんと対応するべきである│
│ が、研究は産業界の利害と独立した機関でするべきとの意見がでた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- エネルギーを使った後の負の遺産を世代間の公平として我々が責任を持ってやるべきなのかについてきちんと議論をするべき。高レベル廃棄物の最終処分については、地層処分という方向がでているが、これは我々の代にきちんと始末しようという焦りがあるのではないか。経済性、安全性、国民合意の方向についてこれから議論をしても遅くないのではないか。
- 廃棄物については、世代責任の問題が厳然とあり、放置していていいとは思わない。しかし、研究は産業界の利害と独立した機関でするべき。現在、動燃が研究開発をしているが、廃棄物を発生させている事業者であり、簡単に処分できるという方向になりかねず、適当ではない。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 高レベル放射性廃棄物の処分に関しては、我が国において処分予定地を選定することは困難と考えられるため、地球外への処分の研究、他国へのお願い、IAEAによる世界共同処分地の決定などについて進めることを提案する。
<第10回・自由討論>
- 原子力だけにエネルギー政策を偏らせていることが間違っている。様々なことを考えていくべきではないか。原子力発電は必ず廃棄物が発生し、それをどこかに持っていって捨てなければいけないものであるということを考えるべき。間違った方向に向かって英知や経済力を使うのではなく、本来あるべき方向に使ってほしい。
- 解決できないものをどんどん作って、それを押しつけられるのでは、押しつけられる地域は納得できない。
┌─────────────────────────────────────┐
│高レベル放射性廃棄物の処分に関しては地球外の処分、他国へのお願いも考えては│
│どうかという意見に関連して、 │
│・廃棄物の処分は自国ですることが基本であり、自国でできないから他国にお願い│
│ するのは国際的な問題になりかねない。 │
│・宇宙での処分は、打ち上げのリスクを考えるとどの国の人にも賛成してもらえな│
│ い。 │
│との見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 外国に廃棄物の処分を依頼する提案については、世界的に自国において処分することが原則となっており、各国での永久処分の技術の確立が必要。
- 地球外での処分については、打ち上げのリスクがあり、どの国の人にも賛成してもらえないと考える。
- IAEAにおいて、共同処分に関する話し合いをすることについては、長期的には意味があると考える。
- 廃棄物問題は重要であり、原子力では当初からきちんと処理することでスタートしている。放射能を含むなど質的には異なるものの、量の観点からは、産業廃棄物と比べて高レベル放射性廃棄物は100万分の1、低レベル放射性廃棄物も5万分の1であり、処理はしやすい。廃棄物は、貴重な成分を含んでおり、消滅処理、群分離などの技術開発により利用が可能となる。
- 海外では、放射性廃棄物の受け入れをビジネスとして検討していた国もある。ただ、自国でできないことを他国にというのは、対外的に通りにくい話で、話は進んでいないと理解している。
- 「国外に廃棄物をもって行ったら」という意見も聞くが、お金を渡せば受け入れてくれるだろうという安易な考えが見られる。国際摩擦の原因となったり、日本人のわがままと言われかねない。
┌─────────────────────────────────────┐
│原発からの廃棄物は国が責任を持って処分方法を確立するべき。30年近く努力は│
│してきても、イメージすら示されていないし、どのくらい努力しているかも示され│
│ないとの意見に関連し、原子力委員長より、 │
│・国としても全力を挙げて対応する。 │
│・努力している姿勢についても、もっと明確にご理解いただくような努力も必要。│
│との意見が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 廃棄物は出した本人が自己責任をもつべきとの意見があったが、放射性廃棄物については立地自治体に責任があるわけではない。そもそも、立地の際には、国が責任を持って間もなく処分方法は提示できるとのことで福井県や福島県は設置に協力した。しかし、立地から30年近く経つが、未だイメージすら見えてこない。そこに国に対する住民の不信もある。
- 放射性廃棄物対策が、今すぐできるとは思っていない。しかし、30年近く努力されてきてイメージすら国民に出すことができないし、また、言葉では努力していると言うが、どれだけ努力しているかについても見えない。
- 科学技術庁予算の大半を放射性廃棄物対策にあててもいいのではないか。放射性廃棄物処理処分まで含めて原子力が完成するとのことだが、つまり原子力は未完の技術ということである。放射性廃棄物の処理処分を最優先の課題とすべき。
- 放射性廃棄物対策については、予算編成その他において科学技術庁、また通産省を含めて全力を挙げる所存。
- 放射性廃棄物処理処分問題について努力の中身が見えないとの意見があったが、この点のPAが不足していると認識している。再処理工場の建設状況や高レベル放射性廃棄物処理処分の検討状況、それに対して努力している姿勢をもっと明確にご理解いただけるような努力が必要。
┌─────────────────────────────────────┐
│高レベル放射性廃棄物の地層処分は、技術的に確立しておらずそのようなも │
│のを青森県に押しつけるのは問題との意見に関連して、原子力委員より、 │
│・高レベル放射性廃棄物の永久処分として、専門家の間では地層処分が国際的に合│
│ 意が得られている。 │
│・青森県に貯蔵している返還廃棄物は永久に置かれるものではない。 │
│との意見が出された。 │
│また原子力委員長より、既に使用済燃料が存在することも踏まえ、全力を挙げてや│
│らなければならないとの見解が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- ウェストファーレン州の廃棄物処理に関する会議によれば、高レベル放射性廃棄物の地層処分は技術的に確立していない。これが原子力から撤退する最大の根拠になっている。六ケ所村には実際に全ての放射性廃棄物が運ばれる。これは命の問題であり、お金がもらえればいいというものではない。外国に廃棄物を押しつけるのはいけないと言いながら、日本の中で青森に押しつけるのはいいのか。
- 核燃料サイクル施設の建設により広い道路ができ、高レベル放射性廃棄物が運ばれて通った。関連施設で働く人々のためのマンション、バーなどが作られた。しかし村民はそのようなものができることを望んだわけではない。これでは地域振興とは言えないし、村民もそう思っていない。現に村民投票とまではいかないが、高レベル放射性廃棄物搬入に対して自主的な投票をしたところ91パーセントもの村民が反対としている。
- 返還高レベル放射性廃棄物は永久に青森に置かれるということではないという前提で、引き受けていただいている。
- 高レベル放射性廃棄物の永久処分方法として、専門家の間では地層処分が国際的に合意が得られている。
- 国が(返還廃棄物を永久には置かないと言うことを)回答していると言うが、曖昧でとても信用できない。
- 高レベル放射性廃棄物の地層処分は、現実に既に使用済燃料が存在することからも、技術的安全を確保しつつ、是非とも全力を挙げてやらなければならない。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│高レベル廃棄物問題について、国際協力が理解増進に寄与している欧米の例になら│
│い、アジア地域でも日本が中心となった国際協力プロジェクトを考えてはどうかと│
│の提案がされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 高レベル廃棄物問題について、欧米では地下研究施設を国際的に活用するなどの国際協力が社会的理解の増進に寄与しており、アジア地域においても日本が中心となり、国際協力プロジェクトを進めることも考えていいのではないか。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 従来、国や事業者は、原子力について「安全」とPRしてきたが、謙虚に危険であることを認めた上で、だからこそきちんと安全を考えるという姿勢で取り組むべき。
- 「もんじゅ」事故は社会問題として対策を講じるべきである。
- チェルノブイルのような危険な炉は早期廃炉にすべき。又、技術過信は禁物である。
- チェルノブイリ事故は特別であり、日本の軽水炉とでは炉型、安全管理体制が違うことについて国民に理解を求めるべき。
- 「もんじゅ」の事故は「設計不良」による「振動」が原因。福島3号機の事故も、美浜2号機の細管破断事故も同じく、設計変更の対応がとられている。流体があるところでは、振動による事故を起こさないことが重要。常陽の良好な運転実績がもんじゅに反映されているのか、温度計の設計をなぜ変えたのかが疑問。
- 「もんじゅ」の設置申請に際し、安全審査を受けた上で安全と結論され、設置が許可された。「もんじゅ」の事故の責任はどこにあるのか。
- 原子力発電所については安全性の確保が第一であり、安全審査、検査体制の充実強化が何よりも肝要。
- 原子力の開発利用は、安全性、地域との共生などが大切。特に安全確保は大前提であるが、この点、日本の原子力発電所はトラブルが国際的に見ても非常に少なく、利用率も高水準を達成している。
- 原子力発電は危なくないと信じてきたが、その信頼は長年少しずつ薄くなってきた。これは信頼が事故により何度か裏切られてきたため。事故が起きたこと自体は不思議とは思わないし、チェルノブイルをのぞけば他は大した事故ではないと思っている。
- 技術そのものは信じており、ほとんどの問題は技術により解決できると思っている。しかし、技術を扱っている人達の体制についてきちんと考えないと、その技術は国民の信頼を得られない。
<第1回・自由討論>
- 安全に厳しい原子力では、情報を隠すと犯罪と見なすくらいの厳しさが必要。
- チェルノブイルの警告を他人事と思わず、本気で受け止めて欲しい。
(原子力委員意見)
- ナトリウムが絶対漏れないというのは技術者の奢りであり、そうではなく機械装置は壊れることもあり、その場合でも大丈夫であると説明するべきであった。
- 事故の時、現場の判断で多くのことができなかったことは残念。原子力安全委員会で情報公開、伝達の対応について検討しているほか、動力炉・核燃料開発事業団も今までのやり方を見直している。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 国民の安全、安心を最優先にした行政を望む。
- 原子力施設に関する安全規制行政は一元的に国の重い責任のもとにあることを国は十分に再認識し、安全の審査基準や安全規制行政のあり方を見直すことが必要。
- 連合内には賛否様々な意見があるが、「原子力発電は重要なエネルギー源と位置づける。しかし、一層の安全性の確保が前提である。」と言うことで大方の合意となっている。今後は、地域の理解と合意形成が最重要課題である。
<第2回・自由討論>
- 原子力発電所に反対していない地元の人でも、ある程度の不安感を持っていることは事実。しかし不安感が悪いというわけではなく、何が不安であるかを共有し、情報を明確化していくことで信頼関係が得られる。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 我が国の原子力発電がこれまでに経験した事故は、何れもが40年前の技術水準で予防し得るものであり、この事故の内容から人事管理上の欠陥が指摘できる。
- 人事管理に関しては、原子力発電所の技術者が、原子力発電技術を通して人類文化に貢献するのだという誇りと使命感をもって業務を遂行でき、安全管理に徹底し得る人事管理を要望したい。
- 原子力発電は放射能に対しては十分な対策がされているが、人間とシステムとの関係ではその対策は十分とは言えない。
- 人間工学的事故対策として、
- - Inputしやすい情報を与えること
- - Outputにはfeedbackを与えて確認のサインを認めさせること
- - System Matchingをはかること
- - 人間に予測を与えること
- - Fail safeを考えること
- - Lock system(フール・プルーフ)を考えること
- - 錯覚−誤りの原因をなくすこと
- - 不適応状態が起こらないようにすること
- - Double Systemを考えること
- - 適当な警報システムを考えること
- - 緊急対応システムを考えること
- - チェックリストを活用すること
が重要。
- 原子力の基本は、「人は誤り、機械は故障することあるべし」の認識に立って、深層防護の確保に努めることである。
- 「もんじゅ」事故調査グループにはかつて安全審査を行った人物も加わっており、公正さに問題がある。別途公正な第三者機関を作るべき。
- 「もんじゅ」の温度計設計はなぜ「常陽」と変わったのか、また組織上チェック体制に不備がなかったのか疑問。
- もんじゅの事故における「隠し」は、もんじゅだけの問題ではなく、日本の原子力全体に対する不信感を増幅した。
- もんじゅ事故への国等の対応が切迫感に欠けたのは、安全、安心に対する中央と地元住民の感覚に大きな隔たりがあることの結果である。「国家的事業の推進には国民理解が不可欠で、積極的な情報開示が重要」との認識が国や動燃に欠けていたのは遺憾である。
- 死者の数からすれば、社会の安全確保のためには地震や交通事故の安全対策にもっと優先的に資源を投入すべきだと考えられるが必ずしもそうはなっていない。これを心理学では、「選択的不注意(Selective inattention)という。これを訂正するのは議会であり、様々な立場、ビューポイントがここで議論されて適正な資源配分にたどり着くのが我々の社会の原理。原子力の安全問題も他の安全問題と比較しながら、同時に国会で議論することが必要。
- 原子力発電所は巨大技術であるので、安全性は地元にとっては信用せざるを得ないものであり、その信頼関係は本当に細い糸で結ばれている。技術的な観点からの判断で住民の考えと違う世界の話になると難しいことになる。
<第3回・自由討論>
- 原子炉の事故はヒューマンエラーが多いといわれているが、そのような事故を防ぐ方法はないのか。次世代軽水炉として、本質的に安全な軽水炉の研究開発の話もあるが、どうか。
- ヒューマンエラーは教育や訓練ではカバーできない。最先端の技術で人間をカバーするか、支援できるかという視点が重要。
- 国民から支持される原子力行政を進め、関係者が一体となり「事故ゼロ」に近づける取り組みを強化するなどの積極的な努力が必要。
- デメリット論は大事だが、デメリットそのものというのは、生活の上での様々な分野にあるので、我々の安全を考えるには、リスクをトータルとして議論することが必要。
- 原子力発電所で事故が起こった時に、どのようにしてその事故の影響を避けることができるのか。
- 自分たちが避けられないリスクは受け入れられないという観点は重要であるが、そういうリスクは原子力だけではなく、道を歩いて交通事故に遭う、都市に飛行機が落ちる、というようにたくさんある。それに対して、我々は保険制度や、防災制度という社会システムの整備により対応してきた。いわば社会は、そういうリスクを、そういう生活の知恵でカバーしてきたわけであり、原子力についてもそのような考え方のもとで何をどこまでなすべきかという議論をするべき。
- どのような説明を聞いていも、現実に大きな事故が起これば恐ろしいと思うし、また、事故が起こらなくても通常運転でも放射性物質を放出しておりガンになるのではないかということもある。そういう不安は拭いきれない。
- 事故が起こらないように努力しており、原子力発電を行ったからといって環境放射能が何桁も増えているようなことはない。事故が起こったらどうなるかという議論は必要だが、その恐れがあるからダメだという議論をしても、建設的な議論にはならない。
- 原子力は、事故が起こったら人類は何もできなくなるという状況に陥る可能性もある。そのようなエネルギーを使うべきではない。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 「もんじゅ」に限らず複雑な技術を要する部品の製造において、発注側と受注側の間で直接相談することなくファックスのやりとりに終始したと聞いた。複雑な技術を使いこなす上でモラルがあるのか疑問。
- 朝日新聞世論調査によると「大事故への不安」が73%、「核燃料サイクル計画を再検討すべき」が61%、「エネルギー小国が故に計画続行すべき」17%、これらの数字は関西、特に福井ではもっと違うであろう。また「もんじゅ」凍結要求署名106万人、148地方議会での「もんじゅ」への意見書は国民の、とりわけ立地県県民の原子力に対する不信の大きさの表れ。
- 原子力発電所の周辺の癌の発生率、流早産率、先天異常児の発生率などを、そこの人たちが不安を覚えない形で公開してほしい。
- 原子力以外にも、ガソリンスタンド、火薬、航空機、自動車、といった危険物がいろいろある。これらに問題が生じていないのはそれぞれの担当省庁や当事者が責任をとっているからである。例えば自動車では毎年1万人が死亡しているが、国民は何も言わない。運転している自分が悪いと思っている。不信がなければ不安もそれぞれが引き受けることになる。この観点から原子力も自由化すべきと考える。
- 原子力が特別扱いされるのは、放射線はこわいという点に問題がある。どこまで怖いのかをはっきりさせずに、いたずらに怖がっている。これをはっきりさせるには、放射線生物学が必要。放射線は原子力発電だけでなく、自然にもあるもので、このなかで人がどう生きているのかということを、根本から研究する必要がある。
- 放射線の影響について、専門家はどこが解って、どこが解らないかを知っている。少しでも不明確な部分を減らす為には、研究が必要。人体への影響の解明のために原子力開発予算の一定割合をここに投ずるぐらいの考えを持ってほしい。
- 今一番未知な問題は、微量な放射線による発がんの有無である。この研究で、日本が世界のリーダーシップを取り、科学者に対する社会の信頼を取り戻したい。
- 環境問題の中でも特に注意を払うべきは原子力問題である。原子力には長期間にわたって人間の健康に悪影響を与える放射能問題があり、特に女性は子孫にまで影響が残ることに不安を覚える。
- エネルギーがなくなった時に、日本に高性能なエネルギーがあって、他の国々に対してモデルケースとして、安全性も指導していけるようにするにはどうしたらいいか、ということも一つのテーマだと思う。放射能消滅技術が確立しない限り、核の平和利用はあり得ないという論点に立てば、そんな不完全なものは持たない方がいいということも考えられる。
- チェルノブイル事故に関して笹川財団が15万人の子供を5年間調査し、白血病は2人しか出ていないと報告している。マスコミにはこういうことを考えてほしい。科技庁もこのことをどう考えるのかを明確に打ち出さないため、国民に不安と不信が生じる。
- ガン発生率や先天異常のデータなどを公表しろという意見があるが、これはプライバシーや経費その他解決すべき問題がたくさんあり、いわれるほど簡単ではなく、データそのものが殆どないのが実状である。
<第4回・自由討論>
- 原子力に関する安全性の議論は、20〜30年変わらず、すれ違ったまま現在に至っている。世の中の他のものと同様に、ある程度のところまで共通の理解を持ち、そこから先は、価値観により選択、議論が分かれるという方向に向かうよう努力しなければ変わっていかない。これまでのことを反省し、共通認識を作るよう歩み寄る努力が重要。
- 敷地の外の安全を確保することが前提という話があったが、内外を問わず全てに人間が非常に重要で、最も重視するべきなのが、そこで直接働いている人の安全。そこが100%管理されることがまず必要。
- 我々は、大学での研究経験から「もんじゅ」のさや管からのナトリウム漏れを十分予測しており、科学技術庁、動燃にも警告してきた。ただし、ナトリウム漏れと「もんじゅ」の安全性は全く別次元で、「もんじゅ」そのものに疑問を持っているわけではなく、ナトリウムという弱点があるので、それをきちんと対外的にも言うべきという警告である。また、関係者が自信を持ちすぎていたのも、気がかりであった。結果的には、それが聞き入れられず、安全性の区別のつかない一般の人に大きなインパクトを与えることとなった。
- ナトリウム漏れを予測、警告していたのに、その対応が無かったのは何故か疑問。
- 高速増殖炉の中で、イギリスのPFRでは、蒸気発生器細管が瞬時に40本破断する事故が起こっているが、「もんじゅ」の安全審査では、4本の破断しか設定されていない。これについて見直す必要があると考える。諸外国の経験を学ぶ姿勢が大事。
- 再処理工場の危険性が地球レベルにはならないということであるが、再処理工場は軽水炉に比較して大量の放射能を有しているし、仏における事故、英国における放射性物質の垂れ流しというのもあった。これは認識が間違っているのか。
- 放射性物質の放出を伴う安全性とそうでない安全性との区別が、原子力関係の人はできるが、一般の人にはつかない。そのため、原子力側の立場で物を言うのでは駄目であり、これまで原子力側が一般社会に近づく努力が足りないのではないかとを痛感している。
- 原子力は、「廃棄物の問題が解決されていないこと」が問題。また、事故が起これば、遺伝により放射能の影響が将来に亘り受け継がれると言った危惧もある。そうした点では、交通事故などの危険性と異なるものと認識。
- 放射線取扱者に放射線の危険を訴えて防護に万全を期することは理解できるが、これをそのまま一般公衆に当てはめることは問題である。例えばチェルノブイリ事故でも、実際に放射能が人体に与えた影響より、放射能恐怖症の影響の方が大きいと言われている。今後、放射線生物学をもっと進め、放射能の影響に関する未知の部分を解明していくことが、人々の安心につながっていくと考える。
- 「安全」という非常に物理的な問題と、「安心」という非常に人間的な問題が絡み合っている。医療と違い、原子力のような大きな技術だと、裏にいる人間が見えないし、技術者も出ていくという経験もない。インターネットなどで情報公開するのも良いが、そこにいる人間が顕在化することが大事。
- ラ・アーグでは、7000人もの人が働いており、その家族は周辺で農業をしている。そしてその人達に1年に1回工場の見学を実施している。そういうことにより、安全性が焼き付いている。
- 完璧な納得を追ってはいけないと思う。「絶対安全」の証明は不可能であるし、「絶対事故が起こる」の証明も不可能。それなら、確率で期待値を計算し、ある基準まで歩み寄るとするのか、それとも、国民投票でも行うのか。また、専門家は原発推進が多く、地元や一般の方は反対が多い。それは一般の知識の問題なのか、専門家の説明が悪いのか、あるいは過信しているのか。いろいろな可能性があろうが、同じ土俵で議論していかなければ、推進と反対の溝は深まるばかりと考えられる。
- 放射線によりガンになるかならないかは確率の問題。その場合、大きな集団の中でみてガンの発生率がどうかという議論をするべきである。また、確率というものを一般の人々に理解させていくことが安全を正しく理解させるということにつながる。
- 原子力の安全性に関する議論では、個人の価値観の影響が大きい。その人の価値観を尊重しつつ、分かり合うという姿勢が大切。
- 安全については、相互に理解する意志があれば、理解できると思う。
(原子力委員意見)
- 原子力の安全の基本的考え方は、いかに止め、冷やしていくか。これを行うことで、放射性物質の放出を防げるし、さらに、神ならぬ身という観点から、格納容器を設置し安全の厚みを増やしている。こうした全体の中で安全を考えることが重要。
- 安全審査は、人間が間違うことはあり得べし、機械・装置は故障すべしといったことが大前提で始める。それでもこうした対策がなされているから安全は確保されるといった考え方で、行っている。そうしたことを、一般の人に十分説明してきたかどうかは、反省すべき点もあると思う、今後一層努力したい。
- 原子力は日本で40年、世界で50年の歴史があるが、原子力発電所の敷地の外に影響のあった例は、日本では一件もなく、海外では軍事利用を除くとスリーマイルがあったが、格納容器があったため、大きな被害を与えることがなかったという実績がある。他の人類の産業活動に比べ、高い実績があると考えている。
- 敷地内の従業者へ放射線の障害がないことも当然大前提。そのため、訓練も実施しているし、システムも整えている。また、従事者20万人の1人1人について過去にどのくらい放射線を受けているかを掌握しており、また、最近その人達の疫学的な影響について調査したが、特段変化はないという結果を得ている。
- もんじゅ以降、問われている問題は、技術的安全の外側にある社会的安全、情報公開といった観点の問題である。これは、時代の変化、要請を十分認識して、原子力安全委員会が対処していくもの。
- 高速増殖炉の蒸気発生器の細管破断については、動燃のスワットという実験設備で長期にわたり、実験を行ってきている。これを踏まえ、安全審査では、これをどう事故評価に持ち込むか、何本相当にすれば十分かは、そうした議論の一連の流れの中で定めている。
- 核暴走については、軽水炉は既に核暴走から遠いものであるということは実績が示しており、高速増殖炉も知見を重ねつつ、安全評価しているが、かなり遠くにあることが、わかっている。ただし、これをやさしく説明するという段階に至っていない。今後は、安全優先で、しかもわかりやすい原子炉を造っていくことも課題の一つ。
- 細管破断の想定に関しては、例えば、日本の安全評価は、保守的に行っており、一本破断した場合を評価する場合、かなりの裕度を見て、複数破断した場合と同じレベルで評価している。また、通常の点検、検査での関連もあり、1度に40本も壊れるまで放っておくような検査の体制になっているのかという点、さらに、それが起こったときにどういう体制で対応するかといった点等も総合的に考慮している。
- 原子力に危険の可能性はあるが、自ずから上限はある。再処理施設で大事故が起こったら、北半球が壊滅するとの意見があったが、そういうことはあり得ない。そうした質の悪い情報が提供されていることは残念。情報公開は質のよい情報の提供が重要。
- 英・仏で工場の外で放射性物質がある程度出ているのは事実であり、また、再処理工場は放射性物質を大量に有しているが、それを地球(北半球)全体にばらまく力を有していない。
- ラ・アーグでは、環境モニタリングシステムが完成しており、誰でも見られるようになっている。そして過去十年間のデータでその値が減ってきているのという実績がある。
- 地域の人の安全への関心は、まず第一に「敷地の外に影響があるかないか」ということ。そのため、まず原子力の安全については、「敷地内でどんなことが起ころうと、敷地外に影響がないこと」をご理解いただくことが重要であり、今までは、必要最低条件として、敷地外に影響がないことをお知らせすればいいのではないかと思っていた。しかし、一般の方は、たとえ敷地外に影響無くても、敷地内で何が起こっているかを十分見て理解できる状況になっていなければ、不安が残るのが現実。「もんじゅ」事故ではそうした認識に欠け、十分説明できず、対応に大きな間違いがあったことは遺憾。そうしたことを反省し、今後、十分な情報公開、透明性の確保に努めていきたい。
(モデレーター意見)
- 飛行機事故は、過去の実績から事故の客観確率というのが推定できる。事故のロスと飛行機に乗ることによるゲインを比べて、人は飛行機に乗るか乗らないか決めている。しかし、その時自分の乗っている飛行機は落ちない、確率は0と考えてしまっている。それが主観確率。そうでないと、ロスが大きすぎて飛行機には乗れない。
- 原子力発電には国内においては、事故がなく、客観確率がない。しかし、主観確率は0から有為に隔たっている。チェルノブイル、スリーマイルのようなことが日本でも起きるのではないかと思われている。事故によるロスの評価も客観的に定められない。このため、人により評価が変わってしまう。
<第5回・基調発言>
- もんじゅ事故は高速増殖炉の根幹に関わる事故であり、安全審査のあり方を抜本的に改めるべき。
- 原子力安全委員会は事務局を含めて独立な組織とすべき。科学技術庁については、内部に推進と規制の両者が同居する組織は見直し、通産省の分を含めて安全に徹した行政組織にしてはどうか。
- 一般に不安感は、知らないこと、理解できないことに対する一種の警戒心であり、感情の現れ。安全性は、災害、危険の発生の確率的な指標であり、どちらが安全かの判断の根拠となるもの。いわば理性、智の世界。智と情の争いは相克性を持ち、これが社会を進歩させる。
- 原子力関係者は安全の確保に努めてきたが、これはたぶん安心感につながると考えたからであろうが、ここに錯覚があった。安全が確保されても不安感は一掃できない。しかし、国民的合意に向けて考えていけば、望みはあると思っている。
- 原子力発電の実績は、他の産業に比べて格段の安全性を示している。これまでの10000炉年近い経験の中で、原子力発電について原子力による死者はチェルノブイル以外にはない。
- 原子力発電所は、リスク評価では安全であるが、1990年に科学技術庁が実施した世論調査によると原子力発電所の事故は怖いという結果がでている。これは、社会的に考えた場合の安心の感情と、エンジニアリングとしての確率論的な安全性は全く違うということを物語っている。
- 原子力発電の安全感・危険感について、科学技術庁の調査の結果、原子力を安全と感じていても原子力は怖いという人が多数いる。これからはこういう謎を解いていかないと原子力発電所を受け入れてもらえるかどうかの問題の端緒をつかめない。
- 主婦を対象とした調査によると、危険で役に立たないものには食品添加物、フロンガス、喫煙があり、危険だけれども役に立つものは自動車、原子力発電所、飛行機、火力発電所、危険でなくて役に立つというものはビタミン剤、漢方薬というように評価されている。
- 原子力の専門家はプルトニウム、放射線治療を危険だけれども役に立つと考えている。
- 原子力に関しては、素人が危険だと考えていても、専門家は比較的安全だと考えている。
- 美浜の燃料棒折損事故などのこれまでの事故に共通するのが、事故隠しと通報遅れ。大事故になればなるほど事故隠しや通報遅れが行われてきたため、不信感が醸成された。
- 原子力発電所の立地時には放射能は一滴も漏らさないといっていたのに、今では国も電力も基準値以下であるので安全だと開き直る。低線量の放射能に対する疫学調査はやっていないのに、安心だ、安全だといわれても根拠がない。
- 人災による死亡の頻度についても、ラスムッセン報告書によると、原子炉100基のリスクは火災や航空機事故などに比べ1000倍も小さい。自然災害と比べても、隕石落下に近く、地震などより格段に安全に出来ているのは事実。こういうデータは原子力に批判的な立場をとる日本科学者会議のメンバーが書いた本の中でも使用している。こういうことは、一般の人に知らされていない。
- 日本だけではなく、世界全体がゼロリスクの原理に向かいつつあるのではないかという議論を1975年に展開。当時は「むつ」などで、ごくわずかでもマイナス面がある科学技術は社会が受け入れられなくなる兆候が見え始めた時代。
- ゼロリスクが現実の問題となり、政府、業界、学会において取り組まなければならない状況。
- 物事がどれくらい安全なのかという判断は「リスク評価」という言葉で呼ばれる。これは確率論をベースに、ある物事のリスク・安全性を計算によって出すもの。
- 1974年に出されたラスムセン報告によると、個人が急死する危険の確率は自動車が一番高い。これに比べて原子力の事故は危険度が極めて少ないと考えられていた。
- 雑多な危険の中で生きていくために、科学と技術の問題だけでなく、政府や行政が危険の問題を先取りし、円卓会議などを通じて、いろいろな種類の危険をあきらかにし、重要な問題については、今のうちから手を打っていく必要がある。これは、将来の日本の問題のみならず、世界全体の安全性を高めることになる。
- 原子力の安全度が確実に伝わっていくような情報が伝達されていけば、不安感も氷解していくものと考えている。
<第5回・他の招へい者所感>
- 社会心理学の立場からリスクとベネフィットの考え方をどうつないでいくかが問題と認識。
- 低線量域での放射線の人体への影響も非常に大切なテーマ。
- 技術的リスクによる説得では、社会的リスク感覚を納得させられない。
- なぜ社会を納得させられないのか、これからどうすべきかについて、安全、安心という面から議論すべき。
- リスクを受ける人と、ベネフィットを受ける人が異なる場合、リスクベネフィット分析というのは意味がないと同時に倫理に反する。
- 大変怖いもの−多いときには広島で降った死の灰の1000倍−が原子炉の中にあり、そこから出る可能性があるということを語ることが重要。
- 工学的、技術的、論理的にリスクゼロは不可能。あらゆるリスクを定量化して大きなリスクを排除、より小さなリスクをどうやって選択するのか考えるべき。
- 専門家は情報についてもっときっちり説明し、できることからやっていくべき。反対派、一般公衆に分かるような形で、同じ土俵で議論ができることが安心につながる。
- 低線量被ばくがどういう影響をもたらすかということは非常に大きな問題。まだ未解決の問題があり、謙虚に研究していくべき。
- リスクを受ける者とベネフィットを受ける者が異なる場合にリスク分析は生きてこない。そこに倫理的な問題がある。
- 原子力は飛行機事故等に比較し安全であるというデータを日本科学者会議のメンバーもいっているという意見があったが、それはよく存じないが、その方は、そういう意味でおっしゃったのではないと思う。
<第5回・原子力委員意見>
- 原子力施設の安全というものがどういうことであるか、もし漏れないという説明をしていたとしたらこの人は失格というべき。安全審査時には放射性物質は漏れるということが前提。それでも敷地外、一般公衆に影響がないという法律上非常に明確な安全に対する定義・要求がある。
<第5回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・社会的な活動の中には様々なリスクがあり、これをどう捉えるべきかという点に│
│ ついて、リスクを客観的に把握した上での選択の問題として考えていかなければ│
│ ならないとの考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- リスクに関しては、例えば、平常時に放出している廃棄物にしても、高レベルの廃棄物についても、どのような管理のもとに実績はどうなっているかをきちんと確認した上で、原子力だけでなく、他のものと比べてどうかということを基礎に議論すべき。放射線の影響については過大評価される傾向がある。
- 個人のリスクで言えば、原子力発電所周辺が、他のエネルギー産業に比して何よりも低いと自信をもっていえる。実際、火力発電所周辺の方が、原子力周辺よりリスクが高いことは、反対の立場の人も認めているところ。リスクについて考える際は、他の代替するものと比べるというアプローチをするべき。
- リスク及び放射能については、専門家を含めた徹底的な議論が必要。
- リスク論について、ある時期に専門家が徹底的に議論するのはよいと思うが、その際は、学会で認められた議論であるかどうかを確認しつつ、行うことが重要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・リスクを考える場合の問題点として、技術的にリスク評価による議論と社会的な│
│ リスクに対する感覚にはギャップがあり、両者をどう関連づけていくかについて│
│ 問題提起がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 昔から技術的リスク論と社会的リスク感覚が混同されているため、議論にならないままきている。円卓会議は、現在の社会において社会的リスク感覚が高まったことにより、開催されたものであると考えている。そうした意味からは、社会的リスク感覚がどうして持ち上がってきたかに焦点を絞った議論をすべき。20世紀後半には、原子核、遺伝子操作などエコロジーの中で触れてはいけない部分に、人類が踏み込みつつあることから来る科学技術への不安が高まっていることがその一因かと考えている。
┌─────────────────────────────────────┐
│・リスク分析は、リスクを受ける人とベネフィットを受ける人の異なる場合、意味│
│ がなく倫理に反するとの問題提起に対しては、リスクとベネフィットのバランス│
│ を考える際には心理的な面と経済的な面とを区別して議論するべきで、心理的な│
│ アプローチに対しては、この分析方法は十分意味があるものであり、また、経済│
│ 的なリスクを考える場合にも、総合的に社会活動を捉えれば十分意義があること│
│ が指摘された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- (リスク分析は、リスクを受ける人とベネフィットを受ける人の異なる場合、意味がなく倫理に反するとの指摘)があったことに関し、)リスクとベネフィットのバランスといった場合、心理学的に考えるものと経済学的に考えるものがあり、その二つは明確に区別すべき。経済学的には、その人の住んでいる場所などの条件によりそのバランスにかなりばらつきがあるが、心理学的には、そうしたものを捨象してしまい、個人がどう感じているかという問題になる。私が提起したのは、心理学的なアプローチである。
- 経済学的なリスクを考えた場合、リスクを受ける人と、ベネフィットを受ける人の間に距離があり、差別があるという考えは成り立ちうるが、その際も、リスクを受ける発電所に近い人もエネルギーの一消費者としてベネフィットを享受しているということ、さらに、例えば、工業災害の確率で言えば、原子力発電所よりも石油工場等の方がリスクが高いかもしれない、等の点も考慮することが必要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・リスクとベネフィットの客体が異なる例として、高レベル廃棄物の問題つまり「│
│ 今の世代と次の世代」の観点があると指摘されたが、それについて原子力委員よ│
│ り、廃棄物の問題を考える際には、「世代内の負担の公平」に加え、「世代間の│
│ 公平」を十分確保できるようにというのが、OECDなどでも確認されている共│
│ 通見解であることが示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「リスクとベネフィット」を受ける側が異なるという問題について、原子力の分野の中で特にその差が大きいのは、「今の世代と次の世代間」という観点、つまり「高レベル放射性廃棄物」問題、そして、「日本と全く利益を受けていない輸送ルートの国々との関係」の観点からである。
- 廃棄物の問題は、その解決なくして原子力の未来はないと考えており、委員会としても、長計でうたっている他、高レベル廃棄物準備会等で着々と取り組んでいるが、長期的な問題でもある。また、それを考える際には、世代内の負担の公平に加え、世代間の公平を十分確保できるようにというのが、OECDなどでも確認されている共通見解。さらに、高レベル放射性廃棄物の地層処分については、技術的には十分出来るということが国際的な専門家の一致した意見であるが、社会的に受け入れられるのが難しく、今後、それをどうするかが課題。ただし、再処理により発生する高レベル放射性廃棄物の対策も大変な問題であるが、ワンススルーによる使用済燃料の直接処分はより大変な問題である。
- 廃棄物問題は長期的な問題と言うが、今の問題でもある。現実に現在も原子力発電所は稼働し、毎日広島の死の灰の120倍という膨大な量の放射性物質を作り出している。それをどうするかを解決せずに進めてきて、さらに増やそうとしていることは問題。また、電気のベネフィットを享受している消費者は、自分だけよければいいというのでなく、そうした現実をもっと自覚すべき。
- 原子力発電から生み出される放射性物質の量は膨大との話があったが、確かに発電した分、放射能のキュリー数は増えるが、体積的には非常に少ないのが現実。だから安全に隔離できると考えている。
- 広島の原爆の120倍という話があったが、放射性物質には、一秒の間に減衰するものなど多くの種類があり、その値は、刻々と変わるものであるから、そうした比較は、非科学的である。
- 高レベル廃棄物の地層処分について、国際的に安全は確認されているというが、科学技術庁でこの点を研究していたある専門家は、100年はたたないと学問的に見て安全は確認できないといっている。この点については発言を撤回してもらいたい。
- 地層処分について、100年立たないと安全性確認できないという説は、安全性の許容限度の幅の問題が関係すると推察するが、実際の意見を直接聞いていないので、宿題としたい。
┌─────────────────────────────────────┐
│・低線量被ばくの影響について未解決の問題があり研究を進めていくべきという指│
│ 摘に対して、放射線防護の立場では、安全側にたってその影響を考慮しているが│
│ 、今後とも十分に研究をするべきテーマであるとの考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 放射線については、人類が先祖代々受けて、今の我々がある。しかし、現状、放射線防護的にいうと、放射線は高ければ害があることはわかるが、低いものが与える影響については不明な部分があるため、これをどう扱うべきかという問題がある。もし、リスクに敏感になり、低いものも拒否するのであれば、次世代にエネルギーが不足するリスクが生じることも考慮して考えるべき。
- 低レベル放射線の影響について、専門家の意見が一致しないとの意見もあったが、放射線防護の立場では、安全サイドの立場から一定の仮説を立てており、一方、放射線生物学の立場からは、メカニズム的には高レベルの影響から考えて直線であると考えられるが、人間を考えた場合、そう簡単でなくいろいろな説があるというのが事実。例えば、原爆のデータをもとにしても、低レベルでどういう直線、曲線が引けるかは、様々なモデルがある。
- 低レベル放射線の人体影響については、がんなどしきい値が定かでない確率的影響のものについては、安全側に立って、直線的に比例的な影響があると考慮していると認識。ただし、直線的であるか、しきい値があるのかどうかは今後、十分研究を進めるべき、というのが専門家の一致した意見と認識している。
- 平成2年度から放射線従事者の疫学調査を行っている。また、過去には、厚生省のデータを使い、原子力のある市町村とそうでない市町村の悪性疾患を検討し、学会などで報告している。
- 低レベル放射線の影響については、これからの課題であり、人類的に大変な問題。日本全体の力を結集して取り組むべき。また、若狭地域の疫学調査を実施すべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│専門家と一般の受けとり方の違いは、提供者、媒体(マスコミ)、受け手にそれぞ│
│れ問題があるという点に関して、 │
│・提供者については、一層の情報公開の促進することが重要であるとの考え方が示│
│ されるとともに、広報のまずさや、国民的な議論の重要性が指摘された。 │
│・媒体については、もっと技術を勉強し一般の人への通訳機能を果たすべき、受け│
│ 手については原子力・エネルギーに関する教育をもっと充実されるべきという考│
│ え方が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 提供者の問題
- 関係官庁のPR政策、広報のまずさが徹底的に追及されるべき。「むつ」の事故から二十数年ちっとも変わっていない。
- 国民の間に大きな議論の渦を巻き起こすことが重要。朝日ニュースターで放映したとのことであるが、普通の新聞に予告も載らないため、いつ何をするかわからず、お金の割には効果は薄い。それに対して、ラジオは全国190局あり、わりあい安くできるので、是非ラジオを使って流してもらいたい。
- 情報公開してもらいたい文献をリストで提出したが、それは84年までの文献。それ以降は文献名すらわからない。動燃に対して原子力学会でも情報公開が充分出来てないという非難があったように、専門家にすら情報がスムーズに流れていない。これを改善しないと事態は変わらない。その上で専門家に徹底して議論をしてもらい、一致した点について、国民に広報していくべき。
- 情報公開されていないものがたくさんあるので、それを早く公開する事が優先順位が高い。
- 安全の面で議論するときは、重要な情報を全部を公開した上で、時間を充分おいて、徹底的に議論することが重要。
- 安全と安心のもとは情報公開。一方通行の情報公開ではなく、双方向の情報公開というのが重要。今、公開されているのは、一方通行かつ選択されている情報。生の情報を出して欲しい。
- 情報の問題について、隠すつもりはなくても、出すまでにもたもたしていると隠していると思われる。可及的速やかに公開するべき。情報がそろわなければ、「今、集めているところであり、集まりしだい出します」という情報を発信することも重要。
- 情報が入ってきて、責任もって発表できるようになるには時間がかかる。生データを出して、その2、3日くらいは、間違ったことを言ってもかまわないというような文化が出来ればいいと思う。
- 日本のジャーナリストの特徴として、途中でカットしたり、要約したりして情報を作ってしまう。かいつまんで報道するのではなくて、なるべく全文を出すべき。将来、情報公開法の作られる時のことも考えて、そういう制度を確立しておくべき。
- 情報公開はもっと進めるべきであるが、情報公開の問題は、原子力だけでなく、日本的な共通するものだと思われる。
- 久米三四郎さんを委員長とした委員会から情報公開の要求が出されており是非対処してもらいたい。また、原子力資料情報室でも委員会をつくっており、そこからも今後要求があれば同様に対応してもらいたい。
- 再現実験の温度計は、事前にわかっていることのはず。それが、地元への資料では抜けていて、その後の資料には入っているというのは少し不親切だと思う。他にもいろいろあるが、双方向の情報公開を求めている。
- 敦賀市の原子力発電所懇談会で出した資料について、その場で出された意見を、後の原子力委員会、安全委員会にはそれを反映した資料とした。地元説明当時から追加資料があったわけではない。
- 公開を求めても、出てくるのは、白抜き、黒抜きされたもの。ほとんどタイトルと結論だけ。信じられないような状態。
- 「もんじゅ」についても事故の前に起こったいろんなことは、何も答がない。ベローズの話も、蒸気発生器の細管を調べるプローブや、三次元振動の話も情報公開していない。蒸気発生器はスワット(SWAT:Na−水反応試験装置)で実験しているから大丈夫といっても、そのスワットについては教えてくれない。暴走がなぜ起こらないかについても、米独よりやっているならば生データを出してもらいたい。今回の「もんじゅ」の事故もまだまだ隠されている。MOX燃料利用の調査も隠されたままであるし、地震に対しても大丈夫といってもデータは出さない。燃料加工工場のMUF量も隠したままである。
- 情報公開について、原子力開発で不幸だったのは、軍事利用から始まったこと。このため、核兵器国は情報非公開で始まった。日本は平和利用に徹しているのでその必要はなかったが、諸外国のその影響を受けて、情報公開に積極的でなかった。平和利用に徹している国の情報公開をこれから進めるべき。
- 公開の制度は、先進国に比べて遅れているのは事実。それは原子力だけでなく、いろいろな分野でそうである。そういう公開が前向きに進みつつあるということに期待したい。
- 素人に専門家が説明する時、素人から学ぶことが重要。それによって双方向の情報公開ができる。
- 媒体(マスコミ)の問題
- 新聞にも東海原子力発電所の廃炉の話があったが、読んでよくわからない。発表原稿をそのまま使っているのではないか。新聞の通訳機能に期待したい。
- 何か記事があるがよくわからないときには、反対派の人と賛成派の人と並べておけばいいという、比較的安易な記事の書き方もするということを新聞記者の方から聴いた。それが、学会などできちんと論文を出した方々同士であればいいのだが、そうでなければ非常に大きな問題。
- マスコミの方々も技術に対して十分勉強してもらいたいし、科学技術庁の人もよく説明する努力をしなければならない。
- 受け手側の問題
- 専門家はもっと一般の人に分かりやすく説明する努力をするべきである。また、小さい頃からの教育、小、中と教育を受ければ理解されやすくなる。
┌─────────────────────────────────────┐
│・調査の結果、原子力発電は安全だけど怖いという人がたくさんいるという点に関│
│ し、安心感を得るには、情報公開や安全の歴史・哲学の積み重ねにより、信頼感│
│ を得ることが必要との考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 不安の問題には、情報が少なすぎることからくる不安と、情報が多すぎることからくる不安の二つのタイプがあると思う。中途半端な情報が多くある状態は非常に問題があり、不安が不満や恐怖になったりする。
- マスコミのmagnifying effect(拡大寄与的効果)とよく言われているが、マスコミが何日も取り上げたり、各社がいっぺんに取り上げたりすると、些細なことでも大きくなってしまうということがある。これは原子力だけの問題ではないが、原子力の場合は頻度が多い。それは、国内外でのちょっとした技術的な問題まで報道されるからである。一度報道されると、それだけで終わらなくなり、また、事故隠しなどから不信が生まれる。情報を透明なものにし、それで信頼を回復していくべき。
- 情報公開とは別に、工学的な安全性の向上もきちんとやってもらいたい。
- 原子力発電は、1年、2年の問題ではなく、人類の将来を目指したエネルギー源としてやっているのだから、じっくり時間をかけてやるべき。その間に日本的な情報公開も確立されると思う。マスコミもそう簡単に体質が変わるものではないので、その間は、科学技術庁のほうから間違った報道に対しては、きちんと直していくべき。
- 発生確率が低くても、事故結果の大きいものに新幹線や、飛行機があるが、それらは安心感を持って乗られている。これは、例えば天候が悪ければ迷惑をかけるかもしれないが止めて安全を確保するなど、歴史と文化に裏打ちされた時間がある。報道のあり方よりも、そういう安全の歴史を続けていくことが重要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・リスクに関係し、「原子力発電所を過疎地に建てるのは、これは原子力の立地自│
│ 体がリスクを背負っていることを意味していると考えざるを得ない」という認識│
│ については、原子力委員より、「東京に何故原子力発電所を建てないかは、様々│
│ な要素がある。まず、土地代の問題。また、原子力施設の大きな事故の確率は0│
│ でないため、受ける人口集団の線量を少しでも小さくという観点が一つ、そのた│
│ めには、かなりの離隔距離が必要で、広い敷地が望ましいといった問題。さらに│
│ 、冷却水の確保の問題や岩盤立地が基本の原子力にとって東京は地盤が悪いとの│
│ 問題もある。」との認識が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力発電所を過疎地に建てるのは、これは原子力の立地自体がリスクを背負っていることを意味していると考えざるを得ない。
- 東京に何故原子力発電所を建てないかは、様々な要素がある。まず、土地代の問題。また、原子力施設の大きな事故の確率は0でないため、受ける人口集団の線量を少しでも小さくという観点が一つ、そのためには、かなりの離隔距離が必要で、広い敷地が望ましいといった問題。さらに、冷却水の確保の問題や岩盤立地が基本の原子力にとって東京は地盤が悪いとの問題もある。
<第6回・基調発言>
- 原子力には安全性についての不安がある。しかし、過去の大型プラントのリスクを分析した結果からは、石炭火力がもっともリスクがあり、自然エネルギーも製作、輸送時の事故などによるリスクが大きい。これに比べ原子力はリスクが小さい。
- 大規模事故のリスクは、水害、嵐、地震、火山などの自然災害と比べると小さい。このリスクを自然災害以下にする努力を人間はしていることがわかる。
<第7回・基調発言>
- 原子力発電所については、トラブルはあっても、安全性については問題なく推移している。もんじゅ事故でも安全性に連動されるものはない。
- 原子力発電所を取り巻く環境は、トラブルや阪神淡路大震災、高レベル放射性廃棄物処分、もんじゅ事故により厳しいものとなっており、立地町としても地域住民の不安の解消、安全安心の原子力行政の構築に全力を傾注している。
- 今後、原子力施設に関わる安全対策を強化し、安全確保の実績を積み重ねることによって、信頼が回復されるものと思う。
- 立地地域住民の不安をなくすための対策に電力会社のみならず、国が積極的な取り組みをするべき。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力、核燃料リサイクル政策は国策であると認識しているが、国策にふさわしく│
│、安全についてきちんとした対応をするべきであるとの指摘がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議を通じ、リサイクル路線を国の政策として再確認することを切望。
- リサイクル政策が国策ということは認識しているが、そういう国策を再確認するする事が必要であれば、いろいろ議論をしていただき、それを見極めたい。
- 国策といいながら、国策にふさわしく安全な対応なり、立地条件を科学的に英知を絞ってやっているかといえば100点満点とは言えない。東通沖の断層についても、資料に基づく十分な説明が必ずしもない。阪神大震災の後、ようやく県内の断層調査の交付金がきたが、国策なんだから当然科学者の持っている資料に基づいて、疑わしきは調査はするべきである。環境を論ずる場合においても、安全が第一義であることを確認する事が大事。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 原子力発電所が本当に安全であるならば、過疎地域でなく、エネルギーを多く消費する大都市につくるべき。過疎地域なら被害が少なくて済むという理由でおくのであれば間違い。
- 地震に関する安全基準が、絶対的に安全を保証できるものではないという不安がある。活断層の存在が、現在設定されている安全基準を脅かす大きな不安要因。専門家も地域住民と同様に危機感をもって対処するべき。
<第8回・基調発言>
- 「原発が安全ならなぜ東京に作らないのか」との問いかけに対して、国は、過去の法廷では「非居住地域や低人口地帯に必要な範囲は事実上敷地内に入っており、東京でもいけるが、地盤、冷却水等を考えると都心にできるか判断がつかない」と応えている。これに関係する先日の伊原さんの発言が後で訂正されているが、情報公開の始めにこの点をまずはっきりさせるべき。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 各種の交通機関、発電所などのリスク評価を、公害による喘息といったことまで含めて行うべきである。
- 原子力を含め、巨大科学等のリスク評価を行うべきである。
- 安全は理解されにくく、そこでは、原子力に携わっている人間に対する信頼感が大切となる。
- 原子力発電所では地元の人が働いており、安全であることは企業の存続の条件となっている。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│「原発をなぜ東京に作らないのか」という国の考え方が20年前と変わっていると│
│いう指摘に対して、原子力委員より立地審査指針の考え方については、20年前と│
│基本的に変わっていないとの見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「原発をなぜ東京に作らないのか」という国の考え方が20年前と変わっているという基調発言における指摘について、指摘した方が不在であるが、立地審査指針の考え方については、20年前の内田先生の考え方と基本的に変わっていない。
┌─────────────────────────────────────┐
│「原子力発電所を過疎地に建てるのは事故の被害を少なくするため」という考え方│
│はおかしいという指摘に対し、原子力委員より、そのような考え方はないとの見解│
│が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「原子力発電所を過疎地に建てるのは事故の被害を少なくするため」という考え方はおかしいという意見があったがその通りで、そのような考え方はない。
┌─────────────────────────────────────┐
│原発の地震に対する安全性に不安があるという意見に対して、原子力委員より、原│
│発の耐震問題については、阪神大震災の後、安全委員会を中心に積極的に取り組ん│
│でおり、報告書を一般の方々に紹介する努力を進めているとの説明があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 参加者の方から原発の耐震問題の話があったが、阪神大震災の後、安全委員会を中心に積極的に取り組んでおり、報告書も出た段階。これは一般の方々に紹介する努力を行っている。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・「もんじゅ」の事故については、徹底的に調査検討し、あらゆる角度から総点検│
│ し安全性を確認するべきという意見がでた。 │
│・これに関連して、原子力委員会から、規制当局、安全委員会でそのように進めら│
│ れているとの認識が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「もんじゅ」事故については、時間と労力を惜しまず、設計思想、安全審査のあり方までさかのぼって、徹底的に調査検討し、その結果を踏まえ、あらゆる角度から設備・システム全体を総点検して、「もんじゅ」全体の安全性を確認する必要がある。
- 「もんじゅ」について徹底的に検討して、「もんじゅ」全体の安全性を確立するべきという意見はその通りであり、規制当局、安全委員会においてその通りに努力していると考えている。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- チェルノブイル事故で安全神話は崩れたというが、安全に神話などありえない。自らの不完全さを認識し、事故の発生をおそれる気持ちを持ち続けることが、安全確保の基本である。
- 現状の安全評価尺度は放射能のみの評価基準のようだが、「もんじゅ」は化学プラント化してきているため、その面での見直しが肝要。
- 現状の原子力発電では同一トラブルの再発は聞いたことがなく、再発防止の対応が十分になされている。
- 安全に関しては専門家でないと判断できない。しかし国民は安心を求めようとしている。
- 心理的な安心が一層得られるように、原子力発電所を地下に作ることを提案する。
- 人が作った物に絶対的に安全、安心なものはない。絶対に安全でないと受け入れられないとなれば、多くのものが受け入れられなくなる。原子力についても、受けるメリットと、請け負うことになるリスクとのバランスを考えて判断すべき。
- 新聞で原発事故を見る度に実際には影響がなくても不安に思う人が多い。これは安全というより安心の問題であり、原子力情報の信頼性に対する不信や漠然とした不安に関するもの。これまでの国や事業者の安全への取り組みに関する不信感も一つの原因であり、その払拭の努力が必要。
- この30年間、国内の商業用原子力発電所では事故はなく、この積み重ねが、時間はかかっても信頼に、そして安心につながる。
- 「安全」だから「安心」の図式が得られれば、原子力発電所には賛成してもらえる。そのために、早い時期から原子力発電所に関する充実した教育を行うことを提案する。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力の地下立地について一般参加者の意見に関連して、 │
│・地下立地については、既に検討されており、メンテナンスがしにくいなどのデメ│
│ リットがある割にはその安全面のメリットは少ないということになった。 │
│・技術的な安全の観点からは効果は少ないが、それで安心感を得られると言うので│
│ あれば、再検討してみることも必要。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- これまで30年の歴史で、放射能の漏洩に関しては原子力発電所の「安全」は確保されてきたが、それだけでは問題が解決しない時期になりつつあることは認識している。「安心」は社会的問題を含む。地下立地については、技術的安全確保の観点からは効果は小さい。しかし、安心の観点から議論して、これで社会的合意がえられるのであれば、技術的には対応は可能である。
- ノルウェーやスウェーデンではかつて地下立地を行ったことがある。スウェーデンでは都市から約15キロ離れた岩山に穴を掘り、熱出力で10万〜15万キロワットぐらいの軽水炉をつくり、そこで発生した蒸気を都会に運び、暖房用に使うということであった。しかしメンテナンスがしにくい等の理由により途中でやめた。
- 地下立地はかなり高くなる。安全上のメリットはない。過去に技術的な検討はいろいろされていたが、検討に参加していた技術者は、技術的に地上立地で問題ない安全なものを、なぜ地下に立地しなければならないのかという考えだった。
- 地下立地に関連して発言するが、現在は安全論、技術論を超えた世界に入ってきていると思う。今まで、技術論で効果は小さいとされたものであっても、合意形成が得られるのであれば、もう一度再検討してみる必要はあると考える。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力の安全と安心について、 │
│・安全については、確立していると思われるが、今後とも事故ゼロに向けて努力す│
│ ることが必要との意見が出された。 │
│・安心感を得るためには、事業者や原子力技術が信頼されることが不可欠であり、│
│ 安全に対する取り組み、またその取り組みを含む様々な情報を一般の人にもわか│
│ りやすく提供することなどが重要との意見が出された。 │
│・また、安心に関連して、事故時の不正確な情報提供や、当初考えていた安全施設│
│ を取りやめたり、原子力施設付近の断層を当初から教えてくれなかったりでは、│
│ 不信感が生じるとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 技術的安全を社会的信頼につなげていくためには、情報提供、情報公開、安全実績の積み重ねが重要。また単に原子力の情報を提供するだけでなく、環境、資源、経済、コスト評価、ライフスタイルとの関り等、幅広く平易に国民に伝えることが重要。
- 安全については工学的には確立されていると認識。人為的ミスがトラブルにつながっている。「危ないと思ったらすぐ止める」といったマニュアルをはっきりと作成し、国民に公開していくべき。
- 安全とは何かということについてはよくわからないが、安心はイコール信頼と考えている。何かについて、信頼があると安心がある。信頼は何かということからすべては始まる。
- 放射能を外に漏らすことを未然に防ぐための、幾重の防護施設など安全を得るための装置なり制御があると聞いている。そういう安心感を得るための取り組みが広くわかれば、安心して原子力を受け入れていくのではないか。
- 「還元」ということを言った方がいたが、それは、地域振興のための金額で「安全と安心」を地域の方に提供するということか。
- 国家全体にメリットがあるのならば、地元振興に還元してもいいといったのであって、安全の対価ということではない。
- 原発がくると道がよくなるとか大きな建物が立つが危険が付いてくるという考えしかないが、安心感を与えるために国が何をやってくれるのかよくわからない。
- 技術的な安全についてはパーフェクトを求めて技術革新をしつつ確保する努力をするべき。
- 技術的な安全だけでなく見える形での安全というのが今求めれらているのだと思うが、そのためには、原子力発電所を見てもらうこと、わかりやすい形での情報提供をすること、地元の人に顔の見えるような原子力の事業者であること、などの努力が必要。
- 原子力は、悪ければ止めるという経営方針と、決められた期間での確実なメンテナンスをきちんとやることにより、安全と安心は得られると思う。
- 安心とは、危険度がゼロに近いという認識で安らかに生きることができるという心の安定。安心は、安全からきており、結局は技術力への信頼。しかし、技術がどこまでということについては、1000分の1か、1万分の1か、ゼロか、社会条件や放射能ということもあるのでなかなか判断できない。
- 六ケ所の濃縮工場の事故時の情報の不正確さや、「もんじゅ」の事故の1ヶ月前に、裁判で科学技術庁の安全顧問の方が「あれに関しては、施設で全然心配ない。何かあってもアフターケアができることになっている。」と証言していたりする。そういうことがあるから、一般市民が信じられなくなる。誇大妄想で不安を感じているのではなく、何かマイナスの事象により、こういう問題について疑義や不安を持つ。
- 六ケ所の再処理工場は、最初は放出放射能の除去施設をつけるとして申請しているが、着工するときには技術的に困難だから付けないといっている。反対している根拠は事実であり、単なる不安からではない。
- 安全神話という実態のないことに頼らない、事実を直視したその存在を認めた上でのパートナーシップが安心の前提。信頼の絆はそこから生まれる。そのためには、我々にも理解できる情報公開が必要。
- 原子力発電所ができるくらいだから地震がない場所なのだろうと考えていたら、大きな断層が何本かあることを後から知った。そのことは、最初の1号炉が建設される時からわかっていたこと。このようなことは後での信頼関係に大きな揺るぎが出る。すべてのことはオープンにしてもらいその俎上の上で議論することが重要。
- 理科系の人は「安全イコール安心」を当然のこととして技術開発をしてきた。実はそうではなかった。すなわち理系社会が科学技術を支配してきたことに限界があったのではないかと思う。理系の人から一般の人への言葉の翻訳の問題等に努力することが必要。
- 「放射能が漏れなければいい」ではなく、事故ゼロを目指して努力することが安心感につながる。また、小さい事故でも通報してもらうことが安心感を生むので、通報義務を法律上明確にすることも重要。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力委員より原子力の安全審査についての、取り組み、考え方が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子炉の設置にあたっては、法律に基づき許可を得る必要があり、申請を受けた規制当局は原子炉の基本設計が許可基準に合致するか審査し、それを安全委員会がチェックする。これを安全審査と呼んでいる。
- 安全審査の前提は、「人は過ち、機械装置は故障し破損することもあり得る」ということ。事故は起きないよう努力はするが、万が一の事故が起きてもそれが災害にいたらないように「多重防護」の考え方に従って何重にも防護措置をとることにより、放射性物質の外部への異常な放出の防止を図っている。
- すなわち、安全審査では、事故が起きても災害の防止上支障のない設計になっていることを確認している。
- 従って、安全審査に合格したにも関わらず事故が起きたことをもって、直ちに安全審査にミスがあったということではない。「事故は起きたが安全は確保された」ということは他分野での人類活動においても十分あり得ることであり、原子力も例外ではない。
- しかし、原子力の安全が安心につながるためには、透明性が重要。「敷地の中で起こっていることがわからない」というのでは、周辺の住民の方々が不安を感じるのは当然であり、発電所に何が起こったか知っていただき理解していただくこと、つまり情報公開が、安心につながる。
- また、原子力施設で働く従業員が平素から周辺の方々に信頼されていることも非常に大きな要素。
- 日本の原子力技術が世界でもトップであることは、諸外国が認めている事実であり、技術への信頼ということについて、これは世界のトップと理解いただきたい。
- また、このような考え方を地元の皆様方に繰り返し説明することによりご理解を得る努力をしていきたい。
┌─────────────────────────────────────┐
│安全と安心に関連して、原子力防災対策や、廃炉対策への取り組みを国としてもき│
│ちんとしてもらいたいとの意見が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力防災対策について、災害対策基本法とは別に特別立法を要請しているので、ぜひ実現してもらいたい。
- 廃炉対策について、2000年頃までに国の政策を確立してもらいたい。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力発電所の立地に伴うリスクについて │
│・リスクを公共的な立場で理解し合って、どう管理していくかを、議論していくべ│
│ き。 │
│・現実に工業文明を維持するためには、各種のリスクがあり、原子力発電所の立地│
│ に当たっても、そのリスクが総体で比較してどれだけ増えるのかということが重│
│ 要。 │
│・原子力発電については、リスクを負担するもの、利益を受けるものの間にギャッ│
│ プがあることが問題である。また、個人の問題である自動車事故とも根本的に違│
│ うもの。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- リスクに関しては客観性がまだない。現実に工業文明を維持するには、毎年1.2万人の交通事故死、数千人の火災、落下による死亡など各種のリスクが生じる。これをどう安全に管理するかが課せられた課題。一番のリスクはエネルギーのストップ。このような、社会的リスク、技術的リスクといったことまでを含めて、リスクを公共的な立場で理解しあって、どう管理していくかを議論していくべき。立地も、リスクの分散や負担といった面で、これに関わる問題である。
- リスク評価をする上で比較される自動車事故、航空機事故と大きく違うのは、リスクを負担するもの、利益を受けるものの間に大きな地域間のギャップがあることである。都市で大量の電気を使っているものがリスクだけを過疎地域に押しつけるべきでない。
- 原子力施設の設置により、それ固有のリスクが増えるということだけを議論するのでなく、地域社会の選択に係わるリスクを総体で比較した上で議論するべき。それぞれの選択肢について、リスクがどのように変わるのかという判断が重要。
- 自動車事故は個人の問題であり、原子力の立地のように地域の運命が固定されてしまう問題とは根本的に違う。
- 人々は現実に多数の死に直面すると、それを見ないで注意をそらすことがある。しかし、社会の安全水準の向上という観点から見て、こうした方が良いということを専門家はきちんとコメントするべき。自動車にしても、歩行者の被害は少なくないし、しかも、現状のままでは今後1年間に1万人が確実に死ぬ。それとわかっていて、自動車事故の問題をないがしろにするような発言はすべきでない。
- 原子力発電所の立地によるリスクが我々の生活空間の中でどのぐらいを占めているのかということについて、納得、理解することが重要。科学者、工学者は「安全」であるということを説明するのではなく、生活していく上で様々に経験するであろうリスクの水準と比べて、十分低い水準になっているというような、リスクの大きさを説明する立場。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 現地における原子力防災対策の機能強化などについて国に積極的な対策を望む。
- 防災を国の責任として明確に位置付けた「原子力災害対策特別措置法」を制定すべき。
<第2回・原子力委員の総括的見解>
- 廃棄物処理処分、防災対策については安全を最優先にし、責任をもって対処する。
<第3回・自由討論>
- 原子力災害は、放射線の影響が五感に感じられないこと、対策に専門知識を有することなど、特殊な災害であり、一般災害とは違った対応が必要。原子力の安全、安心を考える上で防災面での配慮は重要であり、国の責任を明確化した「原子力防災特別措置法」を制定すべきである。国、電力などの積極的な取り組みを期待。
<第5回・基調発言>
- 福井県の防災訓練では、企業と自治体の間の通信訓練のみが実施されており、住民参加の訓練は行われていない。「国が安全を保障しているから」とか「事故時には、一自治体に被害はとどまらないから」というのが理由。
- ヨウ素剤の配布については、国の指針では発電所から10キロ以内としているが、その外側の自治体が独自に保管を行い始めている。県と自治体、国との関係で、科技庁もこの問題を検討してほしい。
- 災害対策基本法の範疇には放射能災害は入りにくく、放射能災害はパニックにもなりやすい。原子力防災には特別立法で対応すべき。
<第5回・自由討論>
- チェルノブイリ事故では、大量に人を避難させたが、日本であのような大量避難させる体制が防災上とれているか疑問。事故が起これば、地元は遮断されてしまうのでは、というのが率直な地元の不安。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 事故は絶対にあってはならないが、最悪事故発生時の対処方法は考えておくべき。
<第8回・基調発言>
- 原子力防災対策は、市町村や一県での対応は不可能。国の一元的責任による安全規制上での防災対策を明確にした原子力災害対策特別措置法(仮称)を制定し、国が直接防災の指揮をとれるようにすべき。
<第10回・自由討論>
- 原子力防災対策について、災害対策基本法とは別に特別立法を要請しているので、ぜひ実現してもらいたい。
<第1回・招へい者の意見発表>
- アジアの開発途上国の原子力利用に関しては、技術的な支援とともに、そこで働く労働者がリスクと安全を理解し、しっかりした安全管理システムの構築により危険を回避することが必要。労働組合としても国際的連携の下に協力、支援する考え。
- 日本は東アジア地域の原子力開発利用、安全確保、核不拡散について協力すべき。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 原子力の安全確保については、国による一元的な安全規制のほか、自治体の立場から地域の実情に即し、第三者監視機構による環境放射能監視体制の確立、安全協定の締結等を通じて取り組んできた。
- 重大事故は国境を越えること、核兵器疑惑は世界の脅威となることから「一国主義」ではなく「国際協力」の枠組みづくり、特にアジアでの協力のための日本の貢献が必要。
- 非常に心配しているのは、アジアにおける原子力発電所の建設ラッシュ。建設ラッシュの実態を見ると、チェルノブイルが起こらないという保証はない。アジアの近隣諸国でチェルノブイルのようなことが起こったら、国民感情として、日本の原子力発電所は全て止めざるを得まい。
<第2回・自由討論>
- アジアの原発の安全性確保に協力を進めるべきと言う意見があったが、アジアから見れば日本の原発に不安を持っているところもあり、日本が主導して安全を守るための技術移転、指導ということではなく、相互に安全文化を高めるという方向での協力にしないと意味がない。
- 茨城県では、県の行政、議会、関係団体、専門家を入れて監視委員会を作り四半期に一回議論をする。例えば、原子力そのものに関係ない事故であっても原子力施設での事故となれば、一般の人々は大変なことと認識するので、そのような事故でも積極的に公開している。そのようなことが安心感に寄与しているのではないか。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 昭和63年にチェルノブイルに関連してスウェーデン、西独、仏、英国等のマーケット、農家、一般家庭等に行った。10年が経過した現在、新聞等で子供たちの病気のことが相当取りざたされているが、その当時は子供たちのことについて全く触れて来なかった。聞いた話はいいことばかりで困ったということを言われなかった。テレビ、ラジオで言っていることを正直に受け止めてそのように生活して食べていれば何も心配がないという話ばかりだった。今になってみると当時私たちももっとこの問題を追求すべきだったかと思う。
- 原子力発電の安全性について、他者に説くためには、自らのところで完璧になされていなければならないが、そのための情報公開と危機管理体制は不十分である。
- 原子力発電導入の問題について、供給国が消費国から地理的に遠いため、万が一の事故がおきても自分が影響を受けないことからメンテナンス、管理が非常にずさんになっている。現在はまだ事故は起こっていないが、今後楽観することはできない。
- 原子力発電を導入する消費国は供給国に対し、原子力発電所のメンテナンス
- 安全保障に最大限努力するように、各国の基準に則って要求を出すべきである。
- 国際的な枠組みとして、事故防止、あるいは法的な整備によってルーチンで原子力発電所のメンテナンスを検討する、調査を確実に行うといったことを取り決める段階にある。
- 供給国がアジア地域に原子力発電所を売り込んで収益をあげるという状況をストップさせたいが、現状の国際法ではできない。これに対する次善の策として考えなければならないことは、安全管理のレジーム形成に日本が関わることである。
<第4回・自由討論>
- 安全性について苦労しているのは原子力だけではなく、他の産業でも同じようなことが起きているということを認識すべき。
- 安全問題の議論を日本の中での安全の議論だけでなく、アジア地域全体で猛ピッチで原子力発電所を作っており、日本としてこの地域全体の安全管理の強化も検討するべき。
- 日本の原子力の安全の議論は、民主主義社会において、どういうふうにこの巨大技術が了解され、問題点が対話の中で改善されるかという、アジアにおけるモデルケースとして考えるべき。こういう観点から、この問題は、日本一国だけの問題ではなくアジア地域全体に影響がある問題。
<第6回・基調発言>
- 中国、インドネシアなどエネルギー資源に乏しいアジアでは原子力の開発が不可欠である。安全性の確保に技術力が必要なため、先進国は技術支援をせざるを得ない。
<第7回・基調発言>
- 原子力発電所を取り巻く環境は、トラブルや阪神淡路大震災、高レベル放射性廃棄物処分、もんじゅ事故により厳しいものとなっており、立地町としても地域住民の不安の解消、安全安心の原子力行政の構築に全力を傾注している。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 他国の原子力の安全性を把握し、もし危険があるのであれば、申し入れを行うべき。
<第8回・基調発言>
- 原子力施設の安全確保や住民の生活環境の保全のための措置は、法律上、国が一元的に管理監督を行い、地方自治体の関与権はないため、東海村周辺では、茨城県東海地区放射線監視委員会を設けたり原子力安全協定を結ぶなどして、環境への放射性物質の放出量の規制、新増設の事前了解、立ち入り調査、事故故障の通報基準を決めるなど、行政としてできうる措置を取ってきている。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・他国の原子力の安全性を把握するべきという意見に対し、中国の状況や事業者と│
│ しての原子力協力の状況が説明された。 │
│・また、事務局からアジアにおける原子力の取り組みについて説明があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 我々が原子力の安全に努力し自分の国だけ守っても、アジア諸国では原子力に関するテンポやものが違う。例えば中国では、安全は二の次にしてロシアの炉を導入しようとしているし、損害補償や定期検査の概念もない。しかしそういう中でも、原子炉の導入が進められている。
- 政府からは種々の報告書が出ている。例えば、外国の状況についての調査が報告書にまとめられて出版されているが、一般の市民の目に触れにくい。国が報告書をまとめて出せば公開したことになるのか、他に方法はないのかという気がする。
- アジアの原子力について、WANOという原子力発電所を運転している当事者同士の情報交換、人の交換などの協力の枠組みがあり、そこで協力をしている。これが、原子力の安全文化を国際的に共有するという役目を持っている。
- 世界で原子力発電を行っているのは約30の国、地域があり、全体の総発電力量の17.5%が原子力発電。
- アジア諸国では、韓国が運転中862万kWであり総発電量の35%、台湾が514万kWであり総発電量の31.7%と、この2つがアジアでは非常に進められている。また、中国では、現在運転中は3基であり総発電力量の約1.5%であるが、意欲的に建設計画に取り組んでおり、2050年くらいには3億から3億5千万kWとする記述もある。インドネシア、タイは原子力発電の導入について真剣に取り組んでいるのが現状。
- 今秋、東京でアジア地域の原子力発電所の安全に関する国際会議を日本が開き、原子力の安全に関する意欲、意識について高めてもらいたいと考えている。また、通産省、原子力委員会においてもアジアとの協力のあり方について検討を進めている。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・アジアの原子力発電所が増えるということは、リスクが日本周辺で増える。日本│
│ が原子力発電所増設をやめることにより、アジアのエネルギー政策の転換に貢献│
│ するべきとの意見が出された。 │
│・これに関連して、アジアの原子力発電所のリスクを下げていくのは我が国の責務│
│ であり、将来の重要なエネルギーである原子力の安全確保について、今後ともど│
│ う維持していき、どう世界に貢献していくかを考えることが重要との意見が出さ│
│ れた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- アジアの原子力発電所が増えるということは様々なリスクも日本周辺で増えるということであり、技術がリスクを解決できるのでないかという技術楽観論はアジアの原子力発電所の増加に従って問題が出てくる。日本は原子力発電所の建設をこれ以上増やさないという選択肢をとり、省エネルギー、省電力に国、国民が本格的に取り組むことにより、アジアのエネルギー政策の転換に貢献するべき。
- リスクは広くとらえていくことが重要。今後、アジアで建設されていく原子力発電所のリスクを下げていくのは我が国の責務。技術の信頼性を向上させていくことには非常に時間がかかる。絶え間ない人間の努力の下に技術は社会に定着していくものであり、私たちは将来に向けてその努力を続けていかなければならない。21世紀の貴重なエネルギー源となっていくであろう原子力をどうやって安全なものにしていくのか、安全技術の基盤をどうやって維持し続けていくのか、どうやって世界に寄与していくのかということを考えていくことが重要。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 原子力への依存を深めていくことの是非に関して、国内でも立地地域と需要地域の問題、リスク・費用の負担、精神的社会的負担といった広い議論が不足している。広い視点から立場の違う人たちが集まって、どのシステムを選択するかを決定すべき。現在まで、原子力政策はどちらかというと、産業振興や地域振興の側面が強調されてきたように思える。
- 原子力の問題は立地道県だけでなく消費側の問題でもあり、都市部を含めた全国的な理解を得る努力が必要。
- 立地地域の合意形成については、従来にも増して困難になってきており、立地地域とそれ以外の地域との負担のあり方なども考慮した施策等が必要である。
- 電源三法交付金制度の地域振興策のみで原発立地を進めていくのは困難であるが、一方で恒久的地域振興策を図ることが重要である。現在の電源三法交付金制度には、建設終了後の地域振興が不十分であること、交付金使途に使用制限があること等の問題点があり、これらの改善について検討してほしい。
- エネルギー資源の乏しい我が国は、原子力発電にある程度依存せざるを得ない。安全と環境の保全、地元の理解を前提に国のエネルギー政策に協力していくことが、新潟県のエネルギー政策に対する基本的考え方だが、なぜ、この地域に原子力発電所なのかについて合意形成のあり方について問題提起したい。
- 8月に行われる新潟県巻町の住民投票は町有地の電力会社への売却の賛否に関するもの。その結果は、法的拘束力をもたないものであるが、住民の意思決定の一つであり、以前の議会の原発推進決議の扱いがどうなるかなどについて議論がなされている。
<第1回・自由討論>
- 地方分権が言われている中で、原発という全国の電力需給に係る問題を考える際、地方と国の関係をどうとらえるかが、大きな問題である。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 茨城県において、原子力開発利用が順調に進展しているのは、地元の人々の理解と協力の賜物。
- 地域開発には外来型開発と、内発的発展とがあり、発電所立地は前者。外来型から自立的発展サイクルへの移行が議論されてきたが、現実に自立的発展サイクルへ移行した例は極めて数少ない。ポスト原発対策は再び原発建設という形になっているのが現実である。
- 「双葉地方まちづくりフォーラム」では、太平洋との共生、双葉地方を一つにした発想と実践による相互補完主義、医療、教育の充実による真の生活の向上、文化によるまちづくりの延長線上に地域づくりを考えるべきであると提起した。しかし、その後、サッカー・ナショナルトレーニングセンター(NTC)の建設が提起され、内発的地域づくりの考え方が希薄化してしまった。大規模設備の建設とその波及効果という在来型の開発パターンから抜け出せていない。NTC建設では「交流人口」の増加による地域振興という考えも出されているが、「交流人口」の概念は過疎農山漁村の内発的地域づくりの中から出されてきたものであり、大規模施設の建設とはズレがある。
- 国家としてのエネルギー政策を軸としてこれからの地域社会・経済を考えていくのか、現実の地域に目を向け、そこでの地域振興策を軸としてこれからのエネルギー政策を考えていくのかという選択の場合、後者から再構築し、その枠組みの中でエネルギー政策のあり方を考えるという手順の方が望ましいと思われる。
- 電源三法は地域の意に沿った方向で運用されておらず、根本から見直すべき。
- 立地地域の重い負荷は、消費地も含めた全国民が等しく負担するべきものである。そのことを国は改めて国民に再認識させる必要がある。そのためには、国は本質を見極めた広報を行うとともに、積極的に国民に説明するよう、情報の開示をも含め広報のあり方を見直すべき。
- 原発所在市町村は、これまで国策に協力してきたが、その苦労は、いまや限界に達している。国は、国民の合意形成に努力し、安全規制行政の信頼回復や原発立地地域住民の福祉向上に特段の努力をするべき。
- 東海村では、人が定着し、人口が増えており、原子力開発はうまくいっている。この点に留意すべき。
- 巻町で住民投票が行われるが、資源エネルギー庁が原発推進のPRを始めている。自分たちで原発の是非を決めようとしているのに、政府が横やりを入れていることに対し、納得のいく理由を聞かせてほしい。
- 住民投票、国民投票も問題によっては結構だとは思うが、ヨーロッパの歴史からみると、代議制民主主義は独裁を防ぐための一つのやりかただった。代議制民主主義と住民投票との関係、中央と地方の関係をどうするかなど、民主主義の根源的な議論なしに、個々の議論をアドホックに進められると、民主主義の基盤が崩れるのではないか。
<第2回・自由討論>
- 地域開発、過疎地での産業おこし等の場合、公と民のパートナーシップが重要。原子力発電所立地点以外のまちおこしなどでは、近年、それらの良い事例が見られるが、原子力発電所立地点では、それらの議論も十分にされていない上に、システムや組織形成の上でパートナーシップも弱いという二重の問題がある。
- 地域振興については、電源三法などがあり、多少は良いようなこともあった。しかし、福井県に原子力発電所が15基あるが、大して良いことはなかったと言う意見も現実にある。
- 環境問題の点でも、開発ということが、結局、力の弱い、声の小さい地域にしわ寄せがいっている。地域で協力して地域自らの声を発していくことが重要。
- 地元の人と話すと、かつては事故を心配し反対していたが、現実に建ってみると放射能を漏らすような事故も起こっていないし、一番欲しかった子供が働ける場所が出来たと感謝している人も多い。
- 原発を今すぐ持って帰ってもらうというのも無理であることはわかっている。立地地域の市民が世話になっているのも事実。安全にそして安心して原子力発電所と共存共栄できるようにしてもらいたい。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 原子力全体に対する不信感の中で、原子力立地地域の地方自治体の役割は非常に大きく、住民との信頼関係をかろうじてつなぎ止める存在となっている。
- 福井には15基の原子炉があり、日本の原子力発電の3割を占めている。25年余が経過し、県民の原子力問題に対する意識が変化してきており、原子力行政を巡る様々な問題が表面化してきている。
- 福島県は水力発電所に始まって電力の供給県である。電力供給地域の多くは過疎化が進んでいる。
- 原子力発電所の立地地域は所得等も増加している。20年たった今、エネルギー確保ということを考える場合、国は恒久的な地域振興策をどう考えるかを決めていかなければならない。
- 使用済燃料のプールの拡張工事の際に、使用済燃料の搬出時期を国に約束してもらったが、1年もたたないうちに約束が反故になった。こういうことで国と立地地域との信頼関係が崩れるのは非常に残念である。
- 電力経済構造上の変則的属地主義に基づく相剋性や阻止的矛盾を増幅することなく、相互促進的な経済発展を形成しうる、原子力の総合政策の確立を図るべき。
- 発電に適した自然条件を有するが故に経済的に劣勢になり苦労している地域がある。例えば、新潟県、福島県が、発電所建設に協力するほど東京は豊富低廉な電力を使用できるのに対し、新潟県、福島県はより高い電気料金負担の状態が続いている。
- 新潟県、福島県の歪みの解決のためには、県内における給電一元化を行えばよい。しかし、至難なので当面の問題として、原子力発電所に付随した原子力電力コンビナート、すなわち原子力発電所近隣に工業団地を作り、非常に廉価な電力を利用できる企業誘致が必要である。これは産業空洞化防止策になろう。
- 生産地と消費地との共感については、エネルギー消費地である大都市ではエネルギー確保の重要性をともすると忘れがちである。関西の電力の46%が福井県で発電されていることを大都市の人々にわかってもらいたい。
- 新幹線、高速道路などを求める地元の声についても、消費地に伝えるようにしたい。
- 個別的な問題としては、都市がエネルギーを必要としているのに、都市以外の所にエネルギー供給源を作るのが問題である。例えば、都市の地下空間を開発して原子力発電システムを作ったらどうかという発想をしてもいいのでは。エネルギー問題を、既存の枠の中で問題を考えるのではなく、発想を変えて考える必要がある。
<第3回・自由討論>
- 立地地域が、原子力を立地したため、地域のイメージを悪くし、地元が肩身の狭い思いをしている現実は遺憾。国において地元の声を吸い上げ、「安全で安心できる」県民の生活を守るよう、一層の努力を望む。
- 原発立地県として肩身が狭いという意見があったが、意外である。福井県では交付金がかなり支払われていると思うが、それが入りながら地域振興ができてないのは理解できない。
- 大都市の人が、原発の電力を消費しながら、「原発のような危険なものの立地をよく許した」とか「福井県は気の毒である」という見方をしていること自体が、我が国の原子力政策の縮図であり、それでいいのかと感じる。
- 原子力発電所がよかったという様になるには、原発のある地域に企業を誘致し、そこで人が根づき地域社会を形成していく原子力の総合政策が必要である。
(原子力委員意見)
- かつては、原子力が地方に情報を発信していたが、近年は、地方が原子力を見る時代であると考えており、今後、原子力が地域社会に適合し、調和していくためには何を考えていけばよいのか、といった視点でも議論を行いたい。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 地域に原子力発電所があっては困るという問題で、引き受ける「損」、「不安」には、それに見合う代価を支払うということと、不安感の除去が必要。
- 原子力の問題は、原子力発電所はない方がいいという存在そのものに対する問題と、原子力発電所は必要だが、我が町に原子力発電所があっては困るという地域の問題の2つに分けて考えるべき。
- 発電所の立地地域は大都市の犠牲者か国策の犠牲者かと言われるが、アイディア次第でそうではなくなる。補助金先決公募方式で先着順で地点を募集し、村営、町営発電株式会社を自己リスクで行う。大都市の地下発電所などの考え方もある。
<第7回・基調発言>
- 今後、原子力発電所の新増設を進める上では、原子力の安全確保と地域振興が最も重要と考える。道路、福祉、環境、教育など原子力発電所所在の住民が希望をもって快適に暮らせる住環境の整備が必要。
- 国の地域政策として、国の責任において、恒久的な地域振興策を講じてほしい。
- 原子燃料サイクル施設の立地協力要請に対し、国のエネルギー政策、原子力政策に沿う重要なものであるとの認識のもとに、安全確保を第一義に、建設、操業に係る地元雇用、地元参画及び高速交通体系の整備、複合的な地域開発等による地域振興を前提に受諾したが、具体化したのは原子力政策に直接関連するものにとどまる。
- 国の方針や具体的な実施計画の大きな変更は、立地地域住民の不安・懸念・不信感、地域行政の混乱に結びつく。
- 原子燃料サイクル事業の円滑な推進と施設立地に伴う地域振興を図るため、建設、操業に係る地元参画、地元雇用の拡大への取り組みと、原子力関連研究機関の設置、電源三法交付金の交付限度額の引き上げや使途の拡大、原子力発電施設等周辺地域交付金による電気料金の割引制度の全県適用等を要望。また、地震、活断層、津波等に対する十分な調査、気象観測体制の充実、強化、地域住民の健康管理に向けた具体的取り組みについても要望。
- 双葉地方には10基の原子力発電所があるなど、全国でも有数の電力供給基地となっており、国のエネルギー政策に大きく貢献してきたとの自負心を持っている。
- 政策決定及び遂行の過程で、国と立地地域との間で密接な情報交換、意思疎通を図ることが肝要であり、そのための常設の協議の場が必要。
- 原子力発電による多くの利益を享受しているのは大都市圏であるにも拘わらず、高レベル放射性廃棄物の受け入れなど、なぜ青森県だけがそれを受けていかなければならないのかとの問題を国民に提起したい。
<第8回・基調発言>
- 小さな村ではあるが、40年間原子力施設と村民が共存共栄し、資源小国日本のエネルギー政策に貢献したとの自負をもっている。
- 国主導の利益誘導型原子力立地政策は既に破綻している。
- リードタイムは長期化の一途をたどり、90年代には25年を越えた。これは、原子力発電が国民の支持を失ったことを示している。
- 通産省も科学技術庁も新規立地の困難さを認め、より細かな利益誘導政策で対応しようとしている。既に失敗した利益誘導政策を再度行うというのでは、政策とはいえない。
- 国主導の利益誘導型立地政策は、「原子力施設の安全を国が保障する」ことはできないのにできるかのように振る舞う国と、国からの給付金は”危険手当、迷惑料”であることを知りながら「安全は国に任せていただけるものはいただこう」とする地方自治体とのあいまいな阿吽の合意によって成り立っている。
- 「利益誘導型立地政策」により「電力生産は過疎地で、電力消費は都会で」の構図ができた。これにより、権力、金力の圧力によって立地地域の人間関係に亀裂が生じ、原子力政策に対する警告である珠洲市長選挙やり直し決定などにより「輝かしい原子力」が道義的な支持を失って「不潔な原子力」に転落するなどの「ゆがみ現象」が生じている。
- 東海村では、原子力施設立地を村の発展につなげようと考え、日本で初めての原子力立地を決定した。昭和30年当時は人口約1万1千人の小さな農村であったものが、現在では、人口は約3倍、就業構造でも第二次産業が39%、第三次産業が53%と大きく変貌した。
- 既存立地地域の恒久的地域振興のために、電源三法を抜本的に見直すべき。
- 先進国の任務はエネルギーをいかに減らしていくかということであり、また、昨年10月の電気事業法改正により電気の卸売りができるようになったが、それに応募が殺到している状況を考えると、今更電源立地の促進がなぜ必要なのか疑問。現在の利益誘導型の電源立地促進政策は、時代遅れではないかと思われるので、ぜひ、円卓会議で議論してほしい。
<第8回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力の立地政策に関し、現在の利益誘導型の電源立地政策は時代遅れであると│
│ の基調発言での意見に対し、原子力の立地地域では、地域振興策への取り組みを│
│ 要請する声が強いのが事実であり、今後、関係者の意見を伺いつつ 検討を進め│
│ ていきたいとの説明なされた。 │
│・これに対し、従来通り政策の経過説明をするようでは円卓会議の人気はなくなる│
│ という意見が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「利益誘導策について通産省が新たな政策を考えておりけしからん」との指摘があったが、東海村長からも発言があったように、原子力の立地にご協力いただいている地域の方からは、地域振興策への取り組みが強く要望されているのが事実。実際、原子力立地市町村の集まりである全原協から、恒久的な地域振興策を要請されており、そうした声は立地県の協議会にもある。こうした流れの中で、今後関係者の意見をよく伺いつつ、来年の予算編成に向けて、検討を進めていきたいと考えている。
- 円卓会議について、我々は従来の政策を一時中断してでも根本から議論するものと期待しているのに、従来通り、これまで政策をどう進めてきたかの経過説明をしているようでは、円卓会議の人気はなくなってしまう。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│現在の原子力政策は、国民全般の合意が必ずしも充分ではなく立地地域では対応に│
│苦慮している。国民的な議論を踏まえ、改めて国民合意を図るべきとの意見が出さ│
│れた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力政策は、国民生活あるいは我が国の将来を左右する大変重要な問題であるにも関わらず、立地地域固有の特殊な政治・行政問題になっており、消費地域を含めた全国民の関心事になっていない。
- 核燃料リサイクル、特にプルサーマル利用、バックエンド対策というものに対して、その実現の見通しが明らかでないということもあり、国民全般の合意が必ずしも十分とは言えない。地元ではもんじゅ事故をはじめ、使用済燃料の貯蔵保管対策など原子力政策の遂行に伴い派生する様々な課題に直面しており、その対応に苦慮している。
- 国は責任を持って、国民の理解、信頼、合意を得る努力を十分に行ってこなかった。国の努力不足を地方が肩代わりしていると言っても過言でない。
- 現状の原子力政策のままでは将来展望が開かれず、閉塞状況に陥ることは必死。国民的議論を踏まえ、原子力政策の基本的方向について改めて国民合意を図る必要がある。円卓会議、シンポジウム等において取り上げられた地元の意見、あるいは国民各界各層の意見を原子力政策に的確に反映して、原子力政策を現実的で柔軟性をもった将来見通しのあるものにするべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│巻町の住民投票の結果について │
│・十分時間をかけて議論した上のものであり、結果を率直に認めるべき。住民の理│
│ 解不足というべきではない。 │
│・国策と地域との関わりをどのように考えるのかについて問題提起されたものと理│
│ 解。立地地域だけの問題ではなく都会の人たちも共有の認識を持つべきことを問│
│ いかけている。 │
│・エネルギーについてもっと本質的な問題を直接対話をできればもっと理解が進ん│
│ だのではないか。 │
│・あのような問いかけに対してよく4割も賛成したというのが率直な感想 │
│・自治体の長としては、住民を二分にすることがないような解決に努力するべき。│
│との意見が出された。 │
│ また、原子力委員会からは住民投票の結果に関する委員長談話が紹介された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 住民投票の結果は尊重するべき。円卓会議の議論に、この結果を反映しないようでは、円卓会議が国民の意見を反映するものであるとは言えない。
- 住民投票の結果は、二十数年来の議論の末の住民の総合判断であり、住民の理解不足と言うべきではない。
- 住民の意見あっての国策である。国策を押しつけるべきではない。
- 住民投票の手法については疑問を持っているが、巻町の場合のような問いかけに対して、よく4割も賛成したというのが率直な感想。
- 昭和40年代の前半、柏崎では巻町と同時期に原子力発電所の問題が浮上してきたが、今の時点での状況の違いに複雑な気持ちを持っている。近隣である柏崎の地域振興は、より一層進まなければならないという思いを強くした。
- 地域住民の理解を十分進めるということが重要。東海村では40年の実績に基づき、住民の理解がよく進んでおり、原子力事業所に対する住民のサポートがよく得られている。
- 住民投票の結果は十分な時間をかけて議論した上でのものであり、率直に認めるべき。原子力政策は国策であるにもかかわらず、情報の提供や意見の吸い上げがない。一地域が巻町のような決定を行ってもいいのかという声に対しては、昔の滅私奉公を彷彿させて慄然たる思いを抱く。国策の進め方が今回問われたのであり、国は反省するべき。
- 国策として原子力政策を遂行している国は他にほとんど見あたらない。科学技術庁や通産省のような、原子力開発を進めるという党派性をもった団体が国策を指導する以上、推進という方向に傾かざるを得ない。原子力長期計画は国の関わるプロジェクトに限定するべき。通産省が巻町まで介入するのはやり過ぎ。
- 住民投票では、国策と地域との関わりをどのように考えていくのかということについて問題提起された気持ちである。このことは電源立地地域だけの問題ではなく、都会でその恩恵を受けている人たちも共通の認識をもつべきことを問いかけている。
- 明白な結果が出た以上、国と電力会社は原子力開発利用計画を一旦白紙にするべき。巻の計画は電調審からはずすべき。
- 原子力が受け入れられない理由を反対派のせいにするべきではない。原子力発電所を地方に押しつけるようなことは通用しない。私は、原子力はなくてもやっていけると考えるが、どうしても必要というなら都会に建設できるような原発を作って提起するしかない。
- 憲法は前文で「国民は代表者を通じて行動し」としている。これが基本であるべき。しかし、それにもかかわらず、この住民投票に象徴されるように先進国においては、権力が多重、多層構造化し、国の権威が低下しつつあることが専門家により指摘されている。権力構造、社会構造が今後そのようになるのであれば、そういう前提で、地域社会が受け入れやすい技術にしていかなければならない。また地域のリクエストを反映した技術の姿を設置者と地域が、共同で協議し、決定していけるような仕組みが必要。
- 巻町では、これから新しい町づくりをする気になっているのに、電力会社の引き続き理解を求め続けるとの発言には疑問。巻町が一体になって地域づくりに励めるような環境をつくってやることも企業の一つの責任ではないのか。
- 住民投票の結果は、エネルギーが国民に対してどういう位置づけにあるかということについて、表面的な問題で議論が進み過ぎたのではないか。もっと本質的な問題を直接対話できればもっと理解が進んだのではないか。
- なぜ巻町では町を二分するような住民投票に至ったのか分からないが、町の政策決定者が判断を住民投票にまかすことになったプロセスについて何だったのか、原子力発電所がもたらすものは何か、十分考えることが必要。町長、村長はできるだけ町、村を二分することがないような解決の方策を探る努力をするべき。
- 巻の住民投票の結果について、原子力委員会としての意見を聞きたい。
- 巻の問題については、中川委員長がこういう発言をしておられます。「今回の住民投票において、原子力発電所建設に係る巻町町民の意志表示がなされました。いずれにしても、原子力施設の設置に当たっては、地元をはじめとする国民の御理解と御協力を得ることが重要であり、今後とも原子力に対する一層の御理解と御協力が得られるよう更なる努力を行って参りたい。」
- 特に安全問題が大きな問題であったが、更に安全レベルを高めながら、原子力がどのような意味をもつのかについて、努力を重ねたい。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 原子力発電関係施設が遠くにできるのは賛成だが、近くにできるのは大反対。国民の大半は同じ考えだと考える。
- 原子力発電所の立地地域が持つ有形無形の負担や悩みを消費地の人が理解しているのか。また原子力発電所の立地地域は地域振興、発展といったメリットがあるから受け入れているのではないか。原子力発電所の立地のデメリットばかりが強調され、メリットが表に出てこない。
- 立地によってリスクを被る地域と、利益を享受する地域が別々にあり、その従来の解決方法としては電源三法等による交付金などが挙げられるが、これが有効に機能しているのか。我が家で払っている電力料金に交付金が含まれていて、立地地域に対しなにがしかの形で負担しているということを知らなかった。交付金は用途に制限があったり、住民の従来の生活パターンを乱したりといった問題もある。国民が納得する立地地域と消費地域とのバランスのあり方を検討し直す時期に来ている。
- 危険を立地県に押しつけているといわれるが、消費地には消費地の危険があり、猛毒ガス等と背中あわせの状況にあることを理解してほしい。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│立地地域が誇りを持てるように、国は消費地に立地地域の痛み、国のエネルギー政│
│策、原子力政策について理解させる努力をするとともに、恒久的、かつ地元の本当│
│に役に立つ地域振興策を、全省庁一丸となって実施することをお願いしたいとの意│
│見が示された。 │
│これに関連して、原子力委員長からは、立地地域が夢と誇りを持てるよう全力を尽│
│くしていくとの見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 地域自身が多様な価値観をまとめ町作りの計画を具体化するべき。国は広域的、恒久的、恒常的な地域活性化のための基盤整備を支援するべき。
- 大都市住民は電力生産地の思いをよく理解するべき。
- 誘致当時には骨肉相食むような激しい争いがあった。しかし町長、議会、住民の血のにじむような努力により発展してきた。
- 原子力発電所を誘致したが、地域経済へのインパクトは当初の期待を実現するものではない。また人口、観光客の入れ込み数についてもいっこうに効果が見えない。この辺りに原子力に対する不信の原因がある。高速道路、鉄道等の経済インフラが他の地域に比べて遅れている。立地目的は地域振興であり、電力供給ではない。
- 国民的コンセンサス形成にあたっては、まず電力消費者が立地地域の悩み、痛みを理解することから始めるべき。国策に協力してきた地域としてはやり場のない怒りを感じる。この問題は立地地域住民と都市地域住民との間の「痛み分け」の合意であると定義づけるべき。
- 電力移出入に応じた相対的電力料金体系の検討を望む。
- 自分に遠いところに立地する場合は賛成で、近いところの場合は反対という意見は国民の感覚として自然とは思うが、実は間違いであって、電力消費地と生産地は運命共同体である。
- 昭和40年代初め、敦賀では道もなく、投票用紙を船で運んでいたが、原子力発電所の立地により、地域社会が大きな利益を受けたことは事実。しかしながら地域住民は不安感をもっておりプラスマイナスは言い難い。
- 高速道路の建設などに当たって、各省庁は一丸となっておらず、内閣全体で力を入れているとは感じられない。政府広報も一般的広報でなく、都市住民向け広報である。もっと電力の3分の1は原子力立地地域から来ているといったことを訴えるべき。
- 立地地域と消費地域の問題については、共生の意識をもつことが重要。阪神大震災のときのボランティア活動に見られるように思いやりの気持ちが重要。
- かつては原子力に夢をもっていたこともあり、誇りがあった。しかし今では肩身の狭い思いをしている。
- 立地地域より様々な要請を行っているが、耳から耳へと抜けている感じがする。真剣に受け止めていただきたい。
- 従来の原子力政策の進め方を見ると、国民全体のエネルギー確保という大変重要な国家的命題であるにも拘わらず、立地地域固有の政治・行政問題に留まっており、全国レベルの関心事になっていないのが現状である。
- 福井県では原子力発電は、25年余の歴史があるが、本来、国家レベルで対応すべき諸課題に対し、県、市町村が対応を迫られ、苦労している実態があることを認識してほしい。
- 消費地サイドからは、「危険なものをよく立地させたものだ」「福井県の農林水産物は放射能に汚染されている」といったあらぬ誤解を受けるような発言があり、せっかく国のエネルギー政策に協力してきたのに、肩身の狭い思いをしているのは残念である。
- 「もんじゅ」の事故の場合も、中央と地方、立地地域と消費地の温度差を感じたが、これが今日の原子力政策の実態。国は、こうした実態に対し、もっと前面に出て原子力政策を推し進めるべきであり、学校教育でも政府関係機関が一体となって取り組むべき。
- 国のこれまでの地域振興への取り組みは、運転当初の一時期に傾斜した形で進められている。立地地域の恒久的な発展、振興につながっていない。新規立地だけでなく、現存するものの振興にも積極的に対応してほしい。
- 地域全体としての振興も必要。福井県嶺南地方は、原子力を立地しても高速道路、鉄道等が整備されていない。こうしたことを進める際には、内閣として地域振興はどうあるべきかを考えていく必要があり、そうした体制整備をお願いしたい。
- 電気事業者としては、低廉な電力を安定的に供給することが責務。そうした点から見て、立地させていただいている地域には、消費地のコンセンサスが得られる範囲で、最大限地域振興に協力していくことが当然と考えている。また、原子力を国策としてやっている以上、国としてメリットを得ているのであるから、国には感謝の気持ちとして、その一部を地元に還元してほしい。地域振興は金で買うと言ったものではない。
- 地域振興について、内閣全体で考える体制と言う意見があった。これまでも道路、鉄道の問題について、建設大臣に閣議の席でお願いしたりはしてきているが、しかし、それだけの問題ではなくなってきている。私なりに努力していきたい。
- 既設地域に対しては、電力移出県等交付金などで企業の誘致をはかっていただくなどの措置をしてきたが、もっと立地地域が夢と誇りを持てるよう全力を尽くしていかなければいけない。立地地域が長期的に発展することに協力できるような財政面、融資面など様々な面での努力を創設したいと考えている。
- 京都大学の原子炉がある熊取町が地域振興の成功例として紹介されていたが、これは、国立大学の研究炉なので、地域に対し金銭的援助は出せない。そこで、知恵を出し、以下の取り組みをした。つまり大学などを増やす努力の他、オーストラリアと姉妹都市協定を結ぶ努力をしたり、ガン患者治療を拡大した上、いざという時には熊取町の患者を最優先させるなどのことを議論している。さらに、京都大学の先生は、原則熊取町に住み、子供を地域の小・中学校にいかせる等のことも実施した。そうした努力による地域振興が、金銭的な援助より、地域の人達に感謝される結果となった。
- 当初原子力を誘致したときは、原子力は夢のあるものであり、誇りを持てるものであった。しかし、巻の例を見てもわかるように、現状では必ずしもそうではない。国には、責任を持って地域が誇れるようにしてほしい。
- 地域が原子力に誇りをもてるようになるためには、安全がまず第一。次に国民の認識、理解を深めることが重要。その二つを国は責任を持ってやってほしい。例えば、小さなトラブルは仕方ないと認識しているが、その際、原子力がきちんと全国民に理解されていれば、変な反応は起こらないと考える。
- 立地地域は法外なものを望んでいるわけではない。苦労をしながら大都市への電力供給の役割を担っているのであるから、都市のみなさんとの生活の差を少しでも近づけてほしいというのが、地域の願望。
- 交付金は、地域振興の一手段であると考えている。福井県嶺南地域の場合、何が不満かというと、高速道路と鉄道の整備の遅れである。これだけ原子力がありながら、なぜ整備されていないのかという不信感がある。国には、省庁の垣根を取り払った総合的な地域振興策を講じてほしい。
- かつて、地元に大阪の学校のセミナーハウス誘致の話があった。その役員会がきた時、「原子力は大丈夫か」という話になったため、実際発電所を見学してもらったところ、「見て良かった」との感想を持たれ、立地が決まった。このように都市と立地地域との交流を促進していけば、原子力は理解されると思う。
- 敦賀にも原子力関連の施設でたくさんの人が働いており、共存共栄していきたいと考えている。そういう点でも、自慢のできるようにしてもらいたい。
- 交付金として三法交付金があるが、大変制約がある。町づくりにはお金が必要であり、そういう意味での地域振興も図っていきたいことについて考えてもらいたい。
- 電気は、一般人にとって水や空気と同じになっており、かえって原子力に対する認識が国民の中に薄くなっているのではないかと思う。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力委員より、原子力発電所の立地について、「アトムポリス構想」にあるよう│
│に、原子力をどのようにコミュニティ形成に生かしていけるかを考えることが重要│
│となっているとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 最初は、立地問題を考える上で安全が最大の問題であった。そのうち、嶺南地域を中心に、原子力に対してエネルギー以外の捉え方もあるかという動き、つまり「アトムポリス構想」がでてきた。近年は、地方が原子力を考える時代へ移行しつつあると考えており、そのように地域が原子力を自らの問題として考えることは重要と認識している。
- 今後は、今までの国や集団中心の原子力から個人を対象とした原子力に移りうるかどうか、つまり原子力を総合科学技術として捉える目が大切である。ガン治療などは、原子力が個人を対象とするものの一例であり、若狭に作りつつある若狭湾エネルギー研究センターなどは非常に大切である。「アトムポリス構想」は、地元が発想した新しい地域としての原子力の捉え方であり、これは、新しい研究分野を要求することにもなるし、さらに福井県知事の考えてきた「環日本海構想」に合致するものとして、発展する構想と考える。
- 原子力開発は既に半世紀を過ぎており、原子核というパンドラの箱を開けかけてから、1世紀が過ぎた。原子力が人類文明を根幹で支えられるものにどうやったら発展できるかを考える時代になっていると考える。こうした大きな流れの中、地域や、地元は「自らのコミュニティ形成に参加できるものとしての原子力」に関していろいろなアイディアを出してほしい。
┌─────────────────────────────────────┐
│このような円卓会議を開催し政策を今一度振り返って考えようと言う時期に、新た│
│な交付金を創設するのは疑問であるとの意見に関連して、まだ構想段階であるが、│
│このような要望があることは事実。今後様々な意見を踏まえつつまとめていきたい│
│と考えているとの見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 国が原子力の新交付金を創設するといった報道がされていた。原子力政策を今一度振り返って考えようという趣旨の「円卓会議」が開催されている最中であり、かつ第8回の円卓会議で「利益誘導型の立地政策には誤りがある。電源三法交付金などの交付金制度はやめるべき」との意見が出されているのに、片一方で国が新交付金を創設するというのでは、何のために議論をしているのか疑問。このように議論をなし崩すような姿勢では、提言を含む見直しの意見が出る素地を失わせる。
- 新交付金制度については、全くまだ構想段階であるが、今週から与党各党と議論を始めたことがきっかけで報道されたものと思う。この後、議論する中で円卓会議での議論も配慮、反映して、まとめ上げていきたいと思っている。ただし、これまでの円卓会議の中でも、とりわけ地元の苦労に対し、地域の恒久的な発展への配慮を求める意見が多数あることも事実であり、そうしたことを踏まえた今後の構想という段階である。地域自らの発展に役立つようなものになるよう配慮しながらやっていきたいと考えている。
- 恒久的な地域振興策について、円卓会議でも強い要望があったことは事実。また、全原協、知事会、立地地域からの要望もある。行政としては、それを無視するわけにはいかず、新交付金の検討を始めたのは、そのとおりと認識している。ただし、「従来の利益誘導策では駄目」というのも貴重な意見として承っており、それらを含め持ち帰りたい。
┌─────────────────────────────────────┐
│交付金制度は、地域自ら創造する力を阻害し、本当の地元振興にならないのではな│
│いかという意見に関連して、原子力委員長より、電力の3割が原子力に依存してい│
│る中、苦労をされている立地地域からの要望にお応えすることは間違っているとは│
│思わないとの見解が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力発電の交付金については、二十数年いろいろ行われてきたが、それで地域が発展したとは誰一人評価していない。敦賀では、今は中断しているが、敦賀発電所3,4号機増設の話があったが、その際敦賀商工会議所は「二十数年、国のエネルギー政策に協力してきたが、見るべき地域の発展はない」ことを理由に増設を陳情していた。これは、これまでのやり方が地域にとって長期的に有効な振興策となっていない表れである。
- これまでの原発の交付金制度は、地域が自ら創造する力、自立する力、つまり地場産業を中心に自ら発展する力を育てることをかえって阻害してきたのではないか。本当の地域振興を考えるなら、交付金制度で増設を進める姑息な手段をとるべきではないと考える。
- 交付金があるため、地域の発展を阻害するという意見には少々誤解があると思う。地域が発展するためには、自立性や創造性はもちろん必要であり、交付金もそうした地域の発展に役立つものとして使っていただこうというもの、そして必要なものであるとの認識で行っている。電力の3割は原子力に依存している中、立地地域が苦労しているという現実もある。そうした地域からの要望に対し、お応えすることは、行政当局、政治として間違っているとはいえないと思う。
- 補助金、交付金については、明治以来大蔵省を中心としたそういう統治方式を採ってきており、そういうところを一部改める必要がある。
┌─────────────────────────────────────┐
│・東海村において、原子力施設との良好な関係にあるのは、原子力の研究機関があ│
│ るからであり福井県においても安全文化に関わる研究機関などを充実させるのも│
│ 一つの方法ではないかという意見が出された。 │
│・これに関連して、嶺南地方にエネルギー関係の大学があってもいいとの意見が出│
│ された。 │
│・また、原子力委員長より青森県において研究機関の充実を図ってきており、また│
│ 、敦賀においても若狭湾エネルギー研究センターが来年スタートする段階。研究│
│ 開発が地域産業おこしにつながるよう充実させていきたいとの意見が表明された│
│ 。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 東海村長が村と原子力施設とは良好な関係にあり、その原因は施設者と村民がお互い顔が見えているから、と言われていた。もう一つの大きな理由は、発電所とともに原子力の研究機関が一緒にあったことではないかと考える。研究者がそこに住み、子供を地元の学校に入れ、また地元の原子力の仕事に携わるといった状況もある。世界最高級の原子力の研究機関と原子力施設とそして村民の間が密接不可分に関わって、発展してきている。地域の安心につながっているのではないか。
- 福井県も、安全文化に関わる研究機関などの施設を充実させることが今後の一つの方法ではないかと思う。それにより地域の方に大きな安心を与えることにつながると考える。どんな研究機関をおくかについては、私案であるが、解決されていない問題といわれている高レベル放射性廃棄物の分量や寿命を減らす「超ウラン元素の消滅処理」等の研究機関の立地をしてはどうかと提案したい。
- 文化的なこととしては、嶺南地方にエネルギー関係の大学があってもいいのではないかと考えている。
- 青森においても、むつ市の海洋研究所、六ケ所村の環境科学技術研究所や新しい研究設備を設けている。これらは地元の要望に応えて努力しようということでやっている。
- 放射線によるガンの治療も地方展開していきたいと考えており、福井県、立地地域でも検討してもらいたい。
- 敦賀では、若狭湾エネルギー研究センターが今年度着工し、来年からスタートするが、こういう研究開発ということが地域産業おこしにつながる展開ができるよう充実を図っていきたい。
<第11回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力発電所の立地について │
│・巻の住民投票の結果は、従来の立地の手法が通用しなくなったことの端的な現れ│
│ である。一度立地すれば、21世紀を通じて原子力から逃れられないのでは地域│
│ はノーというのは当然。 │
│・東海村では原子力に対するアクセプタンスは高く、他の地域と何か根本的に違っ│
│ ているとの気がする。 │
│・原子力の必要性は認めるが、近くに作るのは反対という傾向があり、そうであれ│
│ ば、電力の需要の抑制についてどの程度の社会的な規制が可能かまで踏み込まな│
│ ければ対応できない。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議は、立地地域が現状に対して疑問を呈したことから始まっている。そうであるなら、将来のエネルギー問題を議論する前に、まず、現状のエネルギー利用のしかたがこのままでよいのかといったことを議論するよう、原子力委員会やモデレーターは議論をリードしてほしい。
- 巻の住民投票は大きな意味を持っている。これについて、円卓会議を1回開く価値がある。
- 9月6日に資源エネルギー庁長官が巻町長に会わなかったという事件があったが、立地点を政府がどう見ているかを象徴していると考える。
- 巻の住民投票は地域格差を前提として、経済的恩恵で穴埋めする、また、地域有力者を切り崩すなどの従来の立地の手法が通用しなくなったことの端的な現れだと思う。
- 自己決定権を求める住民たちの声は大きな流れ。円卓会議で、廃炉になった地域に再度原子力発電所を作るということが明らかになったが、一度立地すると、21世紀を通じて、地域が原子力発電所と使用済燃料から逃れられないというのでは、地域がノーというのは当然ではないか。
- 立地に関しては、東海村と他の多くの立地点の雰囲気の違いを感じる。東海村では原子力に対するアクセプタンスは高い。他ではリジェクトされ、東海村ではアクセプトされるという状況がどういう経緯から生じたのかをもう一度勉強してみてはどうか。東海村の方々は多くが原子力をリジェクトの対象とせずに、むしろ誇りとしているという感じがある。何か根本的に違ったのではないかという気がしている。
- 原子力の必要性は認めるが、近くに作るのは反対(not in my back yard)という傾向がある。これは都市ゴミの問題と同じで、人間の本性に近いもの。この意味で、今のエネルギー、特に電力の使い方を考えるべきとの考えは全く同意見。家庭用、業務用の需要の伸びが大きい。自由社会では市場メカニズムが原則で個人の自由は規制してはいけないが、公共的な問題となってきている以上、最低限どの程度の社会的な規制が合意できるかまで踏み込まないと、社会システム、ライフスタイルと言われるが、小手先の対応では需要は大幅には減らない。原子力がいるかいらないかという社会的なコンセンサス作りというのは裏を返せば、使い方についてもコンセンサスを作っていかないと対応できないと考える。
- 工業化社会を営む場合には廃棄物、ゴミ問題は避けて通れない。原子力問題も同じ。
- エネルギー、電力供給システムの形成は社会基盤整備である。自由な消費活動を前提とする経済社会の中で計画的な要素をどうやって取り込んでいくのか、ということになると社会的信頼を得る以外にない。現代の世代を説得して、次世代の健康、文化的生活を保障する、そういう主体がまず信頼されることが必要。国、電力会社とも社会的使命をもった存在として、我が国国民の永続的安全を提供するという長期的利益の観点から無私の心を持って、行動するべき。
┌─────────────────────────────────────┐
│立地地域が電気という特産品を生み出している拠点という誇りを持てる仕組みを考│
│えることが必要との意見が出された。 │
│これに関連し、 │
│・原子力は地域の外側からの技術であり、特産品にはならない。地域を二分するよ│
│ うな葛藤があることも踏まえ議論するべき。 │
│・国は、これまでの原子力政策を反省し今後の方策を打ち出すべき。 │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 立地地域が、電気という特産品を生み出している拠点であるという誇りを長期間にわたってもてるような仕組みを考えることが必要。そのためには立地地域の人々がその中で働く仕組みが重要。
- 地域を二分するような様々な葛藤が立地点にはある。地域の重苦しさを私たちは受け止めるべき。原子力というのは地域の外側からもってこられた技術であり、地域の内在的な個性と全く結びつかない。地域の実情に即して立地問題を議論するべき。
- これまでの原子力政策に対する反省を率直にするべきである。国、事業者等関係者が反省点を踏まえて、今後の方策を打ち出さない限りは、巻町と同じような動きがまだまだ出てくる。
┌─────────────────────────────────────┐
│六ケ所村が結局ゴミ処理場になってしまうのではないかという懸念と、それに対す│
│る責任のとり方として、六ケ所村に首都機能を移転することが提案された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「余剰プルトニウムを持たない」というのは、大切な国際公約であるが、これにより日本は余剰プルトウムに関し、硬直的にしばられる。たとえば、もしプルサーマルが進まないとすれば、プルトニウムが余り、六ケ所の再処理もオープンできず、六ケ所村は結局ゴミ処理場になってしまうのではないか。それに対する政治の責任のとり方として、六ケ所への首都機能の移転を提案したい。
6.円卓会議の意義及び運営
<第1回・招へい者の意見発表>
- 今回のような公開の場での議論が見せかけのものにならず、実質的なものとして意思決定に反映されることや、他の分野でも前例として有効に生かされるものになることを希望する。
- 円卓会議そのものの位置づけが不明。「円卓会議」が批判的な一般の意見をどれくらい汲み取れるか不明確なままスタートしているとの印象。その点が明確でない以上、ここで原子力の是非について議論を行うことは不適切。また、人選のプロセスが明確でない。さらに、最初に国民的合意ありきは問題。円卓会議が開かれた経緯を考えれば、原子力長計の全面見直しを議論すべき。形を作り、意見を聞き、最終的に原子力委員会が決めましたでは、従来と変わらない。円卓会議が、「意見を聞き置く場」、「形づくりの場」とならないよう希望。
<第1回・原子力委員の総括的見解>
- これから、多くの観点から議論をしていく中で、論点が比較的早く明らかになるものについては、原子力委員会や専門部会の場で鋭意議論を詰めることができるように取りはからいたい。
- 原子力委員会は、現在の長期計画の策定の際にも多くの方にご参加いただくとともに、国民の御意見を伺ったが、まだまだ不足であると認識。そのため、円卓会議において摘出される様々な問題に対して十分に対応していく。
- 円卓会議において原子力政策に反映すべき事項については委員会自ら弾力的かつ真摯に対応し、詰めるべき事項は科学技術庁や通産省の行政側において検討を進めてもらう。
<第1回・自由討論>
- このような場を持ったこと自体をまず評価すべき。さらに、議論の結論をどう政策に反映させるか工夫してほしい。
- 原子力関係者は狭い世界に閉じこもりがち。このような場で色々な人の意見を聞くのは重要と考えており、今後とも続けてもらいたい。
- 具体的に政策に結びつくまでのプロセスが長いかもしれないが、円卓会議を開催すること自体が一歩前進であると評価する。
- 4時間は非常に短く、こういう場を常設とし、テレビの生中継で流してもらいたい。そうすれば、一般の人々もファクシミリで意見を送る等により参加できる。
- これまで原子力にあまり関心を有していなかった人々が、円卓会議を経て今後どう考えていくかが大切。
- 各回の議論に次回以降の議論がきちんと積み上げられ、共通の認識、結論が得られるよう工夫してほしい。
- ガス抜きだけではない会議であってほしい。論点整理を是非お願いしたい。
- エネルギー問題について、今回議論して中途半端に終わらせるのはよくない。
- 今回の意見を速やかに取りまとめ、次回の会議に反映してほしい。
- 自由討論のテーマに取り上げられなかったテーマに関しても貴重な意見が今日の参加者の意見の中にある。次回以降にそれらを重点的に取り上げてほしい。
- 原子力委員と異なる意見を持つ人を入れることが重要。
- 地域で反原発運動をしている人を含めて女性を呼んでもらいたい。また、若い世代の人の意見を聞く場を設けてもらいたい。
- 人選は、このような形式で実施する4回まで通してみないと一概には言い切れないが、かなり公平に選んでいると思う。
- 今回はテーマが広すぎ議論しようがない。もう少しテーマを絞ればその知見を有している方が自ずと浮かんでくる。
- きちんとした考えを持つ人のみならず、何が正しいのかわからないと言う人も含め、いろいろな人の意見を聞くべき。
- わからない人にも参加する権利と義務がある。そういう者が参加しやすいような状況を作ることが情報公開であり、円卓会議の考え方のベースとなるべき。
- 背後に多くの情報チャンネルを持つNGO(非政府組織)の参加を求めるべき。
- 一般の人を募集するなら、少なくとも書類審査し、一通りの知識を持っており、しっかりした意見を持っている人にするべき。そうでなければ議論は進まない。
- モニターと円卓会議の注目度は全然違うのだから、やはり円卓会議として円卓会議の概要やその場での議論を説明した上で一般募集するべき。コストがかかると言うが、そういうところで手を抜くと不信感が増大する。
- メンバーは、新鮮な人、若い人を出してほしい。
- 円卓会議の場では相互議論の場を保証すべき。
- ここでの議論が何らかの形で政策に反映されるには、それをチェックするような常設の委員会が必要。
- 常設の円卓会議を開催し、テレビの生中継などによりいろいろな人たちが参加できる方向に向かってやることが情報公開を考える上で重要。
(原子力委員意見)
- 参加者の意見について原子力委員会の見解を示すだけでなく、さらにそれについての反論を聞くことが必要だと考えている。
(モデレーター意見)
- 円卓会議の開催期間は広く意見を聞きつつ判断。円卓会議で明確になった論点については、早期に原子力委員会側で検討してもらう。
- できるだけいろいろな人を呼ぶとの趣旨で人選を行った。参加者についても招へい者の意見を積極的に聴取したい。
- 一般の募集は、原子力モニターを利用することを考えている。モニターは、応募した以上、原子力の問題には関心があると思われる。そのような方を加えて会議を開催したい。
- 若い人、地域の女性、一般からの参加について、モデレーターとして努力したい。
- 意見は必ず異なるものであり、意見が全て同じになることはあり得ない。意見を反映させるという意味は、採用する理由や採用しない理由を明確にすることだと考えている。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 「円卓会議」は単に意見聴取に終わらせず、真に国民の意見を反映できる場にしてもらいたい。
- 2年前に始めたもんじゅ凍結署名が、今月初め100万人を超えた。長官もこれを重く受け止め、「円卓会議を始めに結論ありきということにはしない」と言ったと聞いている。
- 長期エネルギー見通しでは、あなた達はたくさん使うだろうから原子力が必要だといっているが、消費者はそこまで全体を考えていない。今後、この会議に消費者をもたくさん呼んで、エネルギー消費のあり方について考えないといけない。
<第2回・原子力委員の総括的見解>
- 前回、原子力長計を策定する際も、広く一般の意見を承る努力をしたが、さらに、本円卓会議を通じ、虚心坦懐に皆様の意見に耳を傾け、その結果、原子力政策に反映すべき事項は弾力的に反映する努力を行う。具体化する必要のあるものは、関係省庁にお願いし、結果を会議に報告してもらう。
- この議論の場については、結果について予断を持たず、広く忌憚なく意見を言って欲しい。円卓会議の運営についても意見があったが、必要に応じ改善し、本会議を実りのあるものとしたい。
<第2回・自由討論>
- 今日の議論はほとんどが国内問題であったが、国際的な視野における原子力の中で日本がどうしていくかという視点も重要。円卓会議でそういう問題も是非取り上げてもらいたい。
(モデレーター意見)
- 地方、立地点で円卓会議を開催すべきとの意見については、重要と認識。
- 前回の議論でも、若年層、女性を含めた一般市民の方をこの円卓会議においても参加させてもらいたいという意見があり、その方向で現在努力している。
- 政策決定のプロセスにおける市民の参加の重要性について今日認識の一致を見たと考えられる。本会議も市民参加の一形態であり、また、そのような方向に進むように努力したい。
- 当初数回はテーマを決めないが、その後はテーマを絞って議論する中で国際問題を取り上げることも考えたい。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 円卓会議の出席について最初自分には場違いと思ったが、場違いと一人一人が思うことに問題があると考え直し、出席することとした。
- この円卓会議は、3県知事提言を真摯に受けとめ設置されたものであると認識している。
- 円卓会議を地元や反対派などの意見を聞き置く場にすることなく、円卓会議に取り上げられた意見を国の原子力政策に確実に反映し、必要があれば次の改定時期にこだわらず長期計画の見直しも行っていただきたい。
- 円卓会議等でもっと一般の、若い人達や女性の意見を聞くべき。
(モデレーター意見)
- エネルギー論について、いずれデータをもとに議論をしなければならない。
- 女性や一般の人の意見を聞くと言うことについては、努力する。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 円卓会議を開いたことを免罪符にせず、危惧の念を呈している専門家もいるのだから、安全性の問題について検討していただきたい。
- これまでの円卓会議で、否定論から積極論に至るまであらかた議論に上り、ロジック、感情も分かってきた。今度はそれを整理した上で具体的な選択の話に移して議論を詰めるべき。
- 今、円卓会議が開かれているのは事故が起きたからだ。討論会などで「絶対に安全だ」と応えていたのに、事故が起きたことで不信感が渦巻いている。これは、原子力発電所を作っていかなければいけないと考えている人たちは、マズイなと考えている訳だし、なくしてほしいと考える人間との間に大きなギャップが生じたから。
<第4回・自由討論>
- この会議の議事は公開されているが、記事にならなければ会議をしていないのと同じ。モデレーターの方は、次回からは論点を絞るといっていたが、そうなれば、報道しやすい。今のように全て議論していては、記事にしにくい。
- 今回は経済性の話はなかったが、これも経済優先で良いのかということも是非議論してもらいたい。
<第5回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・円卓会議を聞き置く場にならないようにするべきという意見に対して、原子力委│
│ 員より、きちんと検討しフィードバックするとの考えが示された。更にモデレー│
│ ターより、議論の成果を的確に政策に反映させていくよう要請するとの考えが示│
│ された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議は、「問題を誰が、どう摘出するか」それを「どういう形で検討するか」さらに、「フィードバックした時点でどう議論するか」をはっきりし、聞き置く場にならないようにすべき。
- 委員長をはじめ、会議でも何度も言っているとおり、円卓会議は聞き置く場でなく、きちんと検討し、フィードバックする。
- モデレーターとしても、聞き置く場とすることなく、議論の成果を的確に政策に反映させていくよう要請していく。
<第6回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力政策円卓会議に関する資料の表現について、円卓会議の設置が『原子力政│
│策を推進』との前提でなされたものと受け止められるとの指摘に対して、モデレー│
│ターより、円卓会議では、原子力の推進という意味でなく、改廃を含めて議論する│
│という解釈で、モデレーターを引き受けているとの見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力政策円卓会議に関する資料の表現について、「円卓会議の設置が『原子力政策を推進』との前提でなされたものと受け止められる。その立場はおかしいのでは」との意見があったが、円卓会議では、原子力の推進という意味でなく、改廃を含めて議論するという解釈で、モデレーターを引き受けている。また、この会で意見が多くだされ、意見の一致を見たものは、委員会に要請し、積極的に対応してもらうものと理解してほしい。前回も、それまでに意見の多かった情報公開について、原子力委員会に具体的な要望を行ったところ。
<第7回・基調発言>
- 円卓会議の進め方や人選・議事概要のまとめ方について、不透明さがあり、国民の声を真に政策に反映させるために一層の努力が必要。
<第7回・他の招へい者の所感>
- 円卓会議のあり方について、今までの経過、また、本日の開催に関しても、非常にたくさんの不公平さを感じている。
- 会議の性格について、20年前の原子力船「むつ」の時に「原子力行政懇談会」というのがあった。「原子力行政懇談会」は首相の諮問機関であったが、この会議は科学技術庁長官の主催で開催されている。当時の危機に比べて、今日の危機はより低いものというふうには考えられないので、もう少し構えを大きくしていく必要があるのではないか。
<第8回・基調発言>
- 一昨年6月の原子力長期計画に基づく原子力政策の破綻は明白であり、その理由の検討を行わない円卓会議では、「大山鳴動してねずみ一匹に」終わる。
<第8回・他の招へい者の所感>
- 円卓会議に対する不信感については、プロセスについて、第4回から第5・6回に移る時にもっと努力しておくべきだった。信頼感を取り戻すためこの点に腐心すべき。
<第8回・自由討論>
- 円卓会議について、我々は従来の政策を一時中断してでも根本から議論するものと期待しているのに、従来通り、これまで政策をどう進めてきたかの経過説明をしているようでは、円卓会議の人気はなくなってしまう。
┌─────────────────────────────────────┐
│・円卓会議の議論がどのように政策に反映されるかについて、円卓会議の発言者有│
│ 志17名からの要望書が提出されたことに関し、原子力委員会から、 │
│ ・円卓会議では結論に予断を持たず、審議をつくすことが基本 │
│ ・政策に反映すべき事項が摘出された場合には、原子力委員会の専門部 │
│ 会、関係省庁などで具体的に検討する。 │
│ ・既に要請のあった情報公開等については検討を進めている。 │
│ との見解が示された。 │
│・また、モデレータから、個人的な見解として │
│ ・提言については、原子力委員会で充分検討してもらいたい。 │
│ ・このような提言は、本来モデレータがするものであるが、それは難しい。ど│
│ のような形で提言がされることがいいか、相談して対応していきたい。 │
│ との見解が表明された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
<提言の説明>
- これまでの会議で、何人もの人が「円卓会議での発言がどのように政策に反映されるのか」について疑問を呈したが、それについての討議枠が設定されないまま、進められていることから、先日、第1回から第6回までの円卓会議で発言した有志17名により、「円卓会議での意見を政策へ反映する具体的方法を明らかにすべし」という趣旨の「提言書」を提出した。
<原子力委員会>
- 原子力委員会としては、円卓会議をより実りのある会議となるよう心を配っており、この観点から、提言については、誠意を持って対応する所存。
- 円卓会議の目的について提言があったが、これまでも委員長も何度も申し上げているとおり、円卓会議では結論に予断を持たず、審議を尽くすことを基本としている。
- 円卓会議での議論の成果は、的確に政策に反映させていくため、政策に反映すべき事項が摘出された場合は、原子力委員会の専門部会、関係省庁などで具体的に検討する。既に、原子力委員会は円卓会議より「情報公開及び政策決定過程への国民参加の促進」について要請を受けており、検討を進めているところである。
- 今後とも、モデレーターと相談しつつ、円卓会議が実りあるものとなるよう努めていく。
<モデレーター>
- 提言の内容そのものは考慮すべき点が多々あり、原子力委員会で十分検討してもらいたい。
- 円卓会議から委員会へ提言を行うプロセスは、本来、モデレーターが、参加者皆様の意見を聞き、提言案をまとめ、皆様に諮った上で提出するのが望ましいと考える。モデレーターは、そうしたリエゾンであるべきと考えている。しかし、そうしたことを行うには、メンバーが毎回違い、了承のプロセスがとり難いこと、現在の開催頻度では、専従でないこともあり、モデレーターが全ての会議に出席し、意見をくみ取ることは難しいことから、現状では大変難しい。
- 今回の招へい者からの提言は、タイムリーではあるが、それが一番いい方法とは思わない。運営、モデレーターの選定を含め、相談し検討させてほしい。ただし、これだけの会議なので、今すぐ対応できるものではない。今後、十分考え、モデレーターがモデレーターらしいことをできるようにしていきたいと考えている。
<関連議論>
- 円卓会議の開催趣旨などを見て、円卓会議が「もんじゅ」の事故による市民の不安に応え、政策そのもののタガを締め直そうとするものとの印象を受けている。
- 現代は地球社会の時代。今後は、「地球益」と「未来益」が得られるものでなくてはならない。日本人だけでは生きられないことをもっと正視して、国家の利益だけでなく地球的視点を重視すべき。そうした視点から考えると、異なる立場を越えて社会的合意を探る円卓会議は、もともとの目的はどうあれ、現代において必然的かつ理想的な会議形式と考える。
- 科学技術庁長官が委員長を兼ねる現在の原子力委員会では、国家利益を越えた政策は難しいため、委員会の改組を提言する。早急な改組が実現しないのであれば、円卓会議を原子力委員会の諮問委員会とし、政策決定の公平性、透明性の有効手段とすべき。また、円卓会議を原子力立地自治体にも設置すべき。
- 円卓会議での意見の提言については、モデレーターが意見をとりまとめ、参加者に諮るという手続きをとらなくても、これまでに出た意見を踏まえ、6人のモデレーターが率直に提言を行うことがあってもよいと考える。
- 「会議の議論の結果、今後の原子力政策に反映すべき事項が摘出された場合、または、更に検討すべき事項が明らかになった場合は、検討を求める」とあるが、もっとわかりやすく、具体的に回答していただきたい。また、関係省庁に検討をすでに求めているかどうかをお聞きしたい。
- モデレーターとしては、円卓会議での意見をとりまとめ、提言したいと思いモデレートしてきている。今回、招へい者有志から原子力委員会に提言がされたが、それを眺めているのは、モデレーターとして悲しい状況と受け止めており、今後、より積極的にリエゾンをするための良い方法はないかを考えていきたい。
- 情報公開については、できるところからやっていこうということでやっているところ。また必要に応じ、これからも通産省、科学技術庁に指示していこうと考えている。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│円卓会議の議論のとりまとめやモデレーターの役割が不透明という意見が出された│
│ことに対して、モデレーターより、 │
│・円卓会議の意見をとりまとめ原子力委員会に提言するのがモデレーターの役割 │
│・モデレーターのあり方も含め、今後の円卓会議のやり方については検討していき│
│ たい │
│との見解が表明された。 │
│ また、円卓会議はよく努力しているが、「国民の意見を聞いていない」という│
│問題は常に残るので、別の形で議論を発展させることを考えてもよいとの意見が出│
│された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議の議論の結果をどのように取りまとめてどのように発展させていくのか不安。モデレーターの役割が不透明である。
- 円卓会議の意見をまとめ、吸い上げて原子力委員会に提言として提出するのがモデレーターの役割。(今後の円卓会議のやり方については検討していきたい。)モデレーターの人選も含めて、モデレーターのあり方を検討中である。今後の円卓会議のやり方については検討していきたい。
- 円卓会議は、前回の参加者はくじで決めるなど、枠の中でかなり努力していると考えるが、それでも、「国民の意見を聞いていない」という問題は常に残る。今後、円卓会議というやり方は、例えばどこかで区切って、別の形で議論を発展させる様なことを考えてもよい。
┌─────────────────────────────────────┐
│他の発言者の意見を前もって提出してもらいその要点を説明してもらいたかったと│
│いう意見が提出された。これに対して、モデレーターからフリーな議論を多くする│
│観点や、出席者の準備時間の余裕がないことからこのようなやり方でしているとの│
│説明があった。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 議論をかみ合わせるため、他の発言者の意見を前もってもらい、要点を説明してもらいたかった。
- これまでの円卓会議では事前にレジメを提出してもらっていたが、これを読み上げる方が多く、フリーな議論の時間が少ないという弊害があり、出席者の準備時間の余裕がないこともあり、やり方を変えた。
- 青森の住民の参加は、今回初めてのはず。もっと、発言時間などについて配慮してほしい。
┌─────────────────────────────────────┐
│議事の進行について、原子力委員の意見を聞きたいとの意見がでると原子力委員を│
│指名するのではなく、ポリシーを持って議事を進め、原子力委員会には意見をまと│
│め提言として出すべきとの意見が出されたことに対してモデレーターより、今回は│
│原子力委員からの発言がなかったから求めたものであり、原子力委員会を追及する│
│つもりはないとの説明がなされた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 議事進行についてだが、招へい者が意見を聞く相手を指定するのではなく、モデレーターがポリシーをもって議事を進めてほしい。原子力委員の意見を聞きたいとの意見がでると、原子力委員を指名するのではなく、モデレーターが提言をまとめて原子力委員会に出すべきで、ここで原子力委員会を追及するという運営は円卓会議にそぐわない。
- モデレーター、原子力委員、招へい者で議論するのが円卓会議の建前。今日は、原子力委員からの発言がなかったので、質問を振ったのであり、原子力委員会を追及するつもりはない。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│円卓会議の出席者は推進派ばかりとの意見に対して、原子力委員長より、一般公募│
│も抽選でしており、そのような恣意的な人選はしてないとの見解が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 円卓会議は推進派ばかりで進められており、出るべきではないと言われたが、国の政策に意見が言えると考え出席した。
- 円卓会議の人選は恣意的に原子力の賛成派ばかり集めるようなことは考えていない。一般からの招へい者も一般公募等で抽選により選んでいる。
┌─────────────────────────────────────┐
│円卓会議の今後のあり方について │
│・原子力に依らないエネルギー政策を議論する会議の設定してもらいたい。 │
│・意見を聞きっぱなしでなく今後の政策に取り入れてもらいたい。 │
│・これだけのメンバーを集め今後何回もやるのは困難なので、一度区切りをつけ、│
│ 論点を絞るべき。 │
│・原子力委員が立地県を回ってやる形式にしてはどうか。 │
│という意見がでた。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力政策円卓会議なので、原子力ありきで進めざる得ない。原子力に限らないエネルギー政策、クリーンエネルギーの議論をする円卓会議を設定してもらいたい。
- 新エネルギー開発については、通産省、科学技術庁などで実施しており、例えば、サンシャイン計画、ムーンライト計画など色々な形で、少々でないお金をつぎ込んで研究開発をやっているが、現実には発電できる量も足りないし、規模も足りない。この会議の場でも、新エネルギーでは、現実的に間に合わないという議論もあった。総合的に全力をあげていくことが国の方針。原子力に頼らない政策についても視野に入れてこの円卓会議で議論はしている。
- ご提案なのでモデレーターで検討させていただく
- いつまでも円卓会議をやるのは聞こえはいいが、この会議には行政の最高の幹部が出席しており、行政が足踏みするというマイナス点もある。これだけのメンバーを捕まえて何回もやるのは無理ではないか。あるところで区切りをつけて必要な問題に絞ってやるべき。
- 円卓会議で出された事項を聞きっぱなしでなくて、今後の政策に取り上げて欲しい。
- ATRの実証炉の中止、「もんじゅ」の事故、新増設の遅延、第一再処理工場建設計画の大幅変更などあり、そういうことを背景に長計の見直しを行うべき。そのためには、まず専門部会を設置するべきであるし、見直しの過程を明らかにしてやってもらいたいし、徹底的な情報公開への特別な取り組みが必要。
- 同じ形式でやるのは得策ではない。原子力委員会が立地県を回ってこのような地域を中心とした会議を開催したらどうか。
- 国が原子力の新交付金を創設するといった報道がされていた。原子力政策を今一度振り返って考えようという趣旨の「円卓会議」が開催されている最中であり、かつ第8回の円卓会議で「利益誘導型の立地政策には誤りがある。電源三法交付金などの交付金制度はやめるべき」との意見が出されているのに、片一方で国が新交付金を創設するというのでは、何のために議論をしているのか疑問。このように議論をなし崩すような姿勢では、提言を含む見直しの意見が出る素地を失わせる。
<第11回・自由討論>
- 円卓会議は、立地地域が現状に対して疑問を呈したことから始まっている。そうであるなら、将来のエネルギー問題を議論する前に、まず、現状のエネルギー利用のしかたがこのままでよいのかといったことを議論するよう、原子力委員会やモデレーターは議論をリードしてほしい。
<第1回・招へい者の意見発表>
- 国は今後原子力を開発していこうとしている開発途上国への安全問題について積極的に力を貸していくとか、核爆弾・核ミサイルを安全なようにしていくということに関する技術支援、経済援助等にもっと積極的に取り組むべき。さらに、唯一の被爆国として、核実験、核兵器等へ断固たる姿勢を示すべき。
- 21世紀は「後始末の世紀」と考え、国家百年の計が求められるとき。
- 科技庁、原子力委員会の存在は原子力行政の中では薄い感じ。失った信頼を取り戻すためには国の強力なリーダーシップが必要。また、原子力安全委員会は動きの見えやすい組織とするべき。
- 日本のエネルギー教育は海外に比べて遅れており、日本のエネルギー事情について現実をはっきり示すべき。
- 技術的な問題に対して素人が異論を述べると非科学的な反論として専門家から反発がある。しかし、すべて「科学的」が正しいかどうかも疑問である。教育においても、長いこと中学では技術・家庭科が性別で分けられ、女子は技術から疎外されてきた。これからは、科学・技術を学ぶ女性を育てると同時に、女性がこうした問題に積極的に発言し、議論する場を設けてほしい。科学・技術の場にも男女共同参画があってこそバランスのとれた発展ができる。
<第1回・自由討論>
- エネルギー問題に関する教育を強化し、まず国民がベースとなる基本的な知識を得た上で議論をしてほしい。
<第2回・招へい者の意見発表>
- 旧ソ連の核弾頭は管理がずさん。それらの処分の仕方としては燃料として燃やすしかない。
- 原子力委員会、原子力安全委員会、行政の位置づけを明確にすべき。
- 「国策としての位置づけの一層の明確化」との記載のある文書があったが、これでは、国策として推進するという姿勢に変わりなく、批判意見を取り入れる余地がない。国策(原子力基本法)の見直しも必要である。国策も誤ることがある。
- プロジェクト遂行時の責任を明確にすべき。
<第2回・原子力委員の総括的見解>
- 国際的な視点、政治的議論の必要性、地域振興に関するもの、また、原子力政策に対する厳しい意見等をいただき、今一度、原子力政策のあり方について考えてみたいという印象を受けた。
<第3回・招へい者の意見発表>
- 生体中の水を見ることができるなどの優れた性質を持つ中性子は、来世紀には現在のX線と同じくらいの実用性が出てくるだろう。
- 国際的核ハイジャックに備えて万全の対策をするために、小規模原発を各地に散在させて建設するのは、警備上不利なので、立地条件の良い所に集中立地した方が警備保安上有利である。
- 現在、原子力に対する魅力が薄れているため、大学ばかりでなく産業界や、研究機関の人材確保に困難を生じている。
<第4回・招へい者の意見発表>
- 核兵器の解体問題について、日本は知らぬ存ぜぬで通しているが、やはり何らかの国際的貢献をしながら、次世代に核兵器を残さないための努力を積極的にすべき。
- どこまでいけば「国民的合意」ができたと認定できるのかということは、政治家がどこかで判断する他ない難しい問題。
- 国民的合意を求めるためには、国会がまずエネルギー政策全般のあり方、原子力政策の安定性の再構築について議論すべき。
- 国民の不安はプルトニウムそのものよりも、原子力政策にある。政策の基本が確定していないので、原子力利用は海外、マスコミ、業界、電力ユーザーの圧力によりその間を「漂流」する。各種の圧力によって変わるような政策は信用されない。
- 文部省で放射線生物学の分野を削る一方で、科学技術庁で原子力を引き続き進めるといった省庁間の壁は是非なくしてほしい。また、原子力安全委員会と協力してプランを作っても、実施については、原子力委員会の方で決めるといわれる。原子力安全委員会をしっかりしたものするように努力してほしい。
- 放射線取り扱いのための安全基準を、個人プレイではなくコンセンサスによって作成すべき。それにはアメリカのようにコンセンサス報告を行う委員会を作るべき。
- 放射線生物学を軽視した原子力政策には、人の健康という基本が欠けているように思える。
- 原発反対運動は、技術に対する警告であると受けとめるべき。
- 「なくしてほしい、こわい」という感覚と「何としてでも持っていかなければならない」という方向とのギャップをどう埋められるのか、ということが大切。
- これからの国際政治においては、human security:(人間一人一人が安全か)という点にいろいろな観点からアプローチし、すべての政策が見直さなければならない。
- 国民は原子力に関して、どの程度、関心や知識があるのか疑問。即ち、女子大生に対する原子力に関するクイズの結果では、原子力発電の燃料がウランと答えられたのは56%、原発事故は旧ソ連のどこで起きたのかでは74%、IAEAが何の略称かがわかったのは6%であった。あまり知識はない。
- 一方、子供たちはエネルギー問題に結構関心を持っており、21世紀に必要な科学技術として一番関心が高いのがクリーンエネルギーとなっている。高校生の3人に1人が核に危機感を持っている。
- エネルギー問題について小、中、高校でどのぐらいのことを勉強しているかが問題。具体的には、中学の理科の時間数は非常に減ってきている。高校の教科書ではエネルギー問題については高度な内容を扱っているが、原子と原子核に関する分野での大学入試出題率が2%と低く、この分野は受験勉強では切り捨てられている。
- エネルギー関係の教育は、フランスでは非常に徹底しており、イギリスでも多い。一方日本では、理科離れが進んでしまっており、オカルト関係を信じる高校生が増えてきてしまった。
- エネルギー教育をより充実させることが課題であり、これからどうやってエネルギー教育をし、正しい議論をするための知識を若者に持たせるかが問題。そうしないと、人類生き残りのための重大時を単に怖いとか必要だとかの狭い視野で賛成、反対を判断してしまう。
- 生活の利便性を得るときは、それと同時にトレードオフの代価を支払わなければならないというイメージを国民に正しく理解してもらい、選択する機会を与えるべき。そのためにはエネルギー教育の徹底が必要。
- 原子力の教育の問題として、国民の科学離れを止めるために科学技術庁は文部省任せでいいのか疑問。日本では、原子力そのものについて国民にほとんど教えられていない。
<第4回・自由討論>
- 科学者のモラルという問題もあり、いろいろ新しい発見がされているが、使い方によっては大変危険なことになる。例えば博士号を与えるときに、知識だけでなく、人の審査も必要ではないかと思う。科学技術の進歩とモラルはバランスをとってやって行くべき。
- 10年くらい前にチベットに行ったが、自然エネルギーの宝庫のような所なのに、突然、「原子力発電所を作りたいので日本にもっと協力してもらいたい」と言われてびっくりした。日本の経験、ノウハウ、そして原子力への考え方なども教育ODAみたいな形で発信していくことにもっと取り組むべき。原子力こそ、ボーダレスに捉えないと意味がない。
- 原子力の問題については、時間をかけて全国各地で討論するべき。そのため、政策は一時猶予(モラトリアム)するべきである。
- 原子力については、国家が背負い込み過ぎ。民間にもっと任せて、民間が自分の責任と自分の利害においてやる方が自由に出来、ちゃんと説明もするのではないかと思う。
- 原子力委員会、科学技術庁だけの範疇で留まらず、文部省も含めて、例えば、「エネルギーと環境」を独立した1つの科目にするなど教育上の措置が必要。
- 定常的な教育を続けていくことが必要であるし、また、先生も一年間通して教える知識がなく、教員の養成も必要。
- 教育の話は極めて有効な話。受験科目でないから、生徒に教えないと言うのは教育の怠慢。
- これまでエネルギーに関する学科がなかったが、今年の四月から、京都大学の大学院にエネルギー科学研究科が出来た。そこでは、文系の教官・学生も混じって議論をしている。今までは、理系と文系の会話が少なかったのではないか。
- 教育といった時に、一般の人達へのパンフレット等を作成することだけでなく、原子力をどう考えるか判断できる人を作るための教育が重要。そのため、技術論だけでなく、科学技術の全体像、科学技術の歴史その中でのエネルギー、原子力をどうとらえていくかという言う教育が必要。
- 教育の面で重要なのは、科学技術教育というよりも、民主主義教育。つまり、民主主義社会を支える一員として責任のある判断や考える力を持つようになる、専門家である前に一人の人間としての良心が持てる、批判的な精神を持ち、建設的批判が展開出来る、といった能力を身につけさせる教育が重要である。これが20年にわたって育てられれば、原子力だけでなくいろいろな巨大技術の問題について、国民的合意は形成しやすくなる。
(モデレーター意見)
- 教育については、原子力委員会、科学技術庁でどこまで出来るかわからないが、科技庁、原子力委員会で多少文部省に申し入れていただくというようなことをお願いしたい。
- モラトリアムについては、また原子力委員会で判断すること。
<第5回・基調発言>
- 原子力界の体質については、やはり改めるべきものがあると思う。
- 動燃事業団については、既に信頼が失われており、解体して、日本原子力研究所に統合すべき。
- 受け手の能力に関しては、フランスが、原子力発電を始めたときに学校で放射線の教育を始め、これにより、冷静な受け入れ方が得られている。原子力の不安感の大部分は放射線という訳の分からないものによるものである。是非、文部省とも話をしてもらって、義務教育で教育を実施してほしい。
<第5回・他の招へい者所感>
- 小学校時代からの放射線、エネルギー教育が必要。
- 2人の招へい者の考えが対立するところが印象的。なぜこうなるか説明してくれるのが例えば原子力委員会ではないのか。
<第5回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力の行政組織に関して、原子力委員会及び原子力安全委員会を独立な機関に│
│ するべきなどの意見があり、原子力委員から、現在の体制は昭和50年代前半に│
│ 国会でも十分議論を経た上でなっており、特に安全委員会は構成員やこれまでの│
│ 実績を見ても十分な第三者機関であると認めてもらうことが重要。しかし批判が│
│ あることも事実でありそれについては、十分説明していくことが重要との認識が│
│ 示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 一般の人に不信を抱かせている要因に原子力行政組織の問題がある。原子力委員会にも立場の違った人、他の分野の人を入れるべきである。また、科学技術庁長官が原子力委員長になるのをやめ、事務局も科技庁から独立させて、完全に独立した組織にするべき。安全委員会も同じ。
- 両委員会については、昭和50年代に原子力行政懇談会の指摘を受け、その後国会でのかなりの議論を経て、現状の規制と推進を分けた体制となっている。特に安全委員会については、高い見識と専門的知識を備えた先生方から構成されており、国会同意人事でもある。立派な第三者機関であり、今まで活動の歴史もそれを充分裏付けている。しかし批判があることも事実であり、それについては、十分説明していくことが重要。
┌─────────────────────────────────────┐
│・原子力の問題についてじっくりと考えていくべきという意見が出されたのに対し│
│ 、長い視野は必要だがあまりのんびりしていられず、まず教育が必要との意見が│
│ 出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 「17歳で非行が発生したらそれを直すのに17年かけよう」という言葉がある。原子力の世界でも二十数年かけてこのような状態になっているが、やはり二十数年かけて方向を修正するつもりでやってもらいたい。
- エネルギー問題は長い視野で考えるべきであるが、世論というものが形成されるとそれを変えるは難しいので、あまりのんびりしてもいられない。やはり、教育ということをきちんとやってもらって、そういう人たちがプレスや地元にいると理解してもらいやすくなる。
┌─────────────────────────────────────┐
│・国会をベースに立法的な改革等についても検討するべきという意見に対し、原子│
│ 力委員より国会で原子力政策が議論されることは歓迎すると認識が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力委員会が設置した円卓会議で、行政的な面はカバーできると考える。ただし、円卓会議とは別に国会をベースに立法的な改革、改善の方法についても検討していくべき。
- 国会で原子力政策が議論、検討されることは、歓迎。
<第7回・基調発言>
- 我が国の基本的原子力政策には一貫性があることが重要。原子力は基軸電源の一つであることを重視すべき。
- 長期的視野に立った計画を着実に遂行することが重要。同時に社会情勢の変化にも的確に対応していくことが必要。
- 現行の原子力長期計画は実態と大幅にずれた設定であり、原子力政策を歪めている。国民の不信感もここにある。全面的に見直しすべきである。
<第7回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力の三原則が完全に保証されるように提言するという意見とともに我が国の原│
│子力利用の精神は基本法の三原則に基づいてなされており、特に平和利用は徹底し│
│ているとの意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 自主、民主、公開の原子力三原則が今日のようなインチキな形でなく完全に保証されるよう提言する。
- 我が国の原子力の利用は、そもそもの始まりが平和利用に徹する、人間社会に幸せと豊さをもたらすものという意味が込められており、その精神は基本法の三原則に基づいてきちんとなされていると考えている。海外では、軍事利用から始まったところもあるが、日本は平和利用に徹底しており、誇らしい利用と思っている。
┌─────────────────────────────────────┐
│原子力推進体制について、 │
│・原子力委員会を廃止し、研究者の公選制による会議を設置すること │
│・原子力安全委員会は一定の権限を持たせた行政委員会とすること │
│・日本原子力研究所を国立研究所とすること │
│・動燃事業団を廃止すること │
│との意見が出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 原子力委員会は、今日では、原子力推進のための機関となってしまい、国民の立場でチェックするという観点からは必要なくなっていることから廃止すること、原子力安全委員会は諮問機関でなく一定の権限を持たせた行政委員会とすることを提言する。
- 原子力安全委員会は国民の側に立ってチェックする姿勢が重要。
- 原子力委員会の代わりとして、研究者の公選制による原子力研究会議を設置して進めていくことを提言する。
- 原子力研究所は特殊法人とされているが、これは国からも民間からも独立して研究を進めることができるためといわれている。しかし、実状はそうなっていなく、官僚支配が貫徹している。それならば、特殊法人でなく、公務員としてそれなりの権利を持った国立研究所とすべき、と考える。
- 動力炉・核燃料開発事業団は廃止すべき。原船「むつ」の際、事業団というのは、大量の国のお金を民間に配布するトンネル機関で、技術的蓄積はあまり無いという問題点が指摘されたが、今日その過ちが繰り返されていると考えている。
<第8回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- チェコの教育学者のホメニウスの「あらゆる政治の根本問題は教育である。」という言葉がある。その人の教授法の4原則は 1、実物教育をせよ。 2、断層性をもて。3、模倣段階を経よ。4、実習せよ。
- 明治のある先人が「人間は用意を極めて、用意を通し、その実感が持てるべく、それぞれの仕事、科学、様々なものをやっていけ」と言ったが、これが原子力の研究者、国民のもっている原子力に対する気持ちではないか。
- 子供の頃から日常生活の中でエネルギーに対する意識づけを図っていくべき。また地球規模の資源問題、環境問題に関わっていくためには世界的視野も必要。学校教育の中で、総合的な実生活と関連づけたエネルギー教育を取り入れるべき。
- 事故発生時、その内容が的確に公表されることは当然だが、国民はその内容を判断する能力を持つことが重要。
- 一般国民は原子力の知識を豊富に持ち合わせていないため、事故の程度について理解、判断することが難しい。「もんじゅ」の事故では、ナトリウム漏れという科学的不安よりも、事故後の対応などに不安を持ったのでは。一般国民は科学的部分に注目するよりも、原子力を運営管理している側の動きや対応に敏感である。
<第8回・他の招へい者の所感>
- エネルギー源が50年でほとんどなくなること、新エネルギーはせいぜい家庭電力であることなど、エネルギーに関する問題を一般国民や小中学生に教育する必要がある。エネルギー源が枯渇するであろうということを十分国民に知らせた上で、エネルギー源の選択ができるようにすべき。
- 原子力学会の中の教育委員会で、教科書がどのくらいエネルギー問題を間違って記述しているかを3年間かけて調査し、間違いの内容と望ましい教育について、先ほど文部省に要望書を提出した。
- 受け手である国民の原子力等への理解の度合いにも問題がある。国民が自分が判断できるまでの情報を持つことができ、それを理解できることが必要である。原子力や環境の問題をきちっと捕らえて、感情的でなく理解をして自分の意見を言う国民を育てることを教育において考えなければいけない。
- 原子力委員会そのものが考えるべき数多くの指摘が久米さんからあった。萩原さんがまとめた疑問点は率直なもの。藤田さんのいわれた一部の人による決定と時間と空間を超えた波及という点などに共通部分を感じた。
- 円卓会議が開かれたからには、原子力委員会としても原子力政策の見直しに重大な決意を持って臨んでいるのであろうということを深く心にとめた。
<第9回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│大間に計画されているABWRを例に、原子力の開発手順への疑問が示された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 今までは、ある意味で実験炉、原型炉、実証炉、商業炉という手順を踏んでやられてきたが、ここにきて、それが一足飛びに最初から実用炉を考えた形となっている。その一番いい例が青森県大間でATRからABWRのフルMOX燃焼炉という形が打ち出されたことではないか。
<第10回・一般公募・原子力モニター参加者からの意見>
- 原子力に関して周囲の人に確認しても、漠然と危険とは思っているが、「チェルノブイル」はもちろん「もんじゅ」でさえ遠くの話と思っており、これに関する認識も知識も少ない。この理由には学校教育で原子力を取り上げていないことがある。情報公開にも関係するが、今後、何が必要で何をすべきかを教育すべき。
- エネルギー問題、原子力に関する学校教育がほとんど行われておらず、また、教科書の記述にも不正確な表現が多く見られる。
<第10回・自由討論>
┌─────────────────────────────────────┐
│エネルギー、原子力教育の必要性について一般参加者からの意見が出されたことに│
│関連して、原子力委員長より、文部省もある程度やっており、教科書も公平な記述│
│がされていると認識しているが、受験の関係もあり教育現場ではパスされてしまう│
│こともある。その点については、科学教育学会総会でもお願いしているとの意見が│
│出された。 │
└─────────────────────────────────────┘
(議事の概要)
- 教育問題については、文部省の指導要綱、教科書検定等、いろいろ公平な立場での議論をある程度やっており、教科書についても、かなり公平な記述が一般的にはなされていると認識している。しかし、現実には大学受験への出題がないため、教育現場ではパスしてしまうケースもあると聞いている。その点、先日、全国の科学教育学会総会の場でも、公平な立場での教壇での努力をお願いしてきたところである。
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