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放射性同位元素を利用した職業病に関する基礎研究


労働省産業医学総合研究所

はじめに

 労働省産業医学総合研究所においては、昭和53年度より昭和55年度まで、“重金属作業環境適性に関する生化学的研究”を、昭和56年度より昭和58年度まで“労働作業環境適性の生化学的評価法に関する研究”を進めてきたが、さらに昭和59年度より、これらの研究成果に基づいて新しい研究テーマ“重金属中毒発現における高危険度群(high risk group)のスクリーニングに関する基礎的研究”を実施しつつある。

 そもそも、この一連の研究はメタロチオネインという新しく発見された生体物質に基づいている。この蛋白質は、重金属が生体に侵入した際、積極的に生体の細胞中に誘導合成されて、合目的々に重金属を結合して、その毒性を中和する生物学的役割を有している。

 また、生体にとってカドミウムや水銀のように有害な重金属ではなく、むしろ必要な重金属、たとえば亜鉛や銅の代謝に関係していることも証明された。

 さらに最近では、ストレスや有機溶剤によってもメタロチオネインが誘導合成されることが明らかにされ、この蛋白質が生体の防禦機構に深く係わり合っていることが示された。

 一方、メタロチオネイン遺伝子の解析も進められ、ヒト、マウス、チャイニーズハムスターなどのメタロチオネインの遺伝子構造が報告されている。この遺伝子のプロモーター領域を、他の構造遺伝子、たとえば成長ホルモン、につなぎ、新しく組換えたメタロチオネインのプロモーター部分をもつ成長ホルモンの遺伝子を作って、これを動物(マウス)の受精卵に入れて、生まれた動物に亜鉛を食べさせるとプロモーターに作用して、成長ホルモンが盛んに作られるようになり、巨大動物ができた。この実験を契機としてメタロチオネインに関する遺伝子工学的なまた分子生物学的な興味が急激に増加してきた。

 こうした学問的背景のもとで、我々の研究グループは、放射性同位元素を利用しながら、職業病、重金属中毒、有機溶剤中毒、作業ストレスなどとメタロチオネインの関係を追求してきた。

 これまでに得られた結果を短くまとめて述べてみたい。

(1) カドミウム投与によるマウスの肝臓におけるメタロチオネインの合成と睾丸組織障害の系統差に関する研究

 カドミウムによる障害が動物の個体によってその表われ方に差異のあることが認められているが、この原因が動物のメタロチオネイン誘導能力の差に基因するかどうかを検討した。

 DDY−Saitama、DDY(N)、DDN−Saitama、STD−DDYおよびSWRの5種類の系統のマウスに50μg(3回)、150μg(1回)、250μg(1回)CdCl2/kgを皮下注射し、その肝臓のメタロチオネインの生成量を検べたところ、DDY>DDN>SWR>STD−DDY>DDY(N)の順でメタロチオネインを生成していた。一方、睾丸組織の障害はSTD−DDY>DDY(N)=SWR>DDY>DDNとなり、必ずしも肝臓のメタロチオネインの生成順序と一致していなかった。

 こうした実験結果からメタロチオネインの生成量には系統差があることが判明した。このメタロチオネインの分離定量に109Cdを利用する方法も検討された。

(2) 純系マウスを用いたカドミウム投与による肝臓障害とメタロチオネインの誘導合成

 いわゆる純系マウス、DBA/2、BALB/CおよびC3H/Heの三種類を用いて、(1)と同様にカドミウムによる肝臓障害とメタロチオネイン誘導能力の因果関係を追究した。カドミウムによる死亡率、肝臓の組織学的変化、14C−Leuを利用した肝臓の蛋白合成、109Cdによる肝臓のカドミウムのとり込みとメタロチオネインの合成、腎臓へのカドミウムのとり込みと組織学的変化、精巣へのカドミウムのとり込みと組織学的変化を検討した。

 30μmolCd/kgを皮下注射にて投与したマウスの48時間後の死亡率はDBA/2、0/8、BALB/C、2/7およびC3H、7/9であり、肝臓でのうっ血、壊死はC3H系マウスが著明であった。14C−Leuによる蛋白合成は各系統マウス間著るしい差異は見出されなかった。肝臓へのカドミウムのとり込みには差がないにもかかわらず、メタロチオネイン合成はC3H系マウスで著しく低下していた。腎臓へのとり込みは三種類の系統で差がなく、その組織学的変化も認められなかった。一方、精巣へのとり込みはDBA/2系マウスが他の2種類の系統のマウスと比較して2倍以上高かった。このような実験結果から、カドミウムによるマウスの肝臓障害とメタロチオネイン合成には純系マウス間に明らかな差異があり、カドミウムの毒性防禦効果は遺伝的に支配されていることが示唆された。精巣はメタロチオネイン合成が盛んに開始される以前から障害が現われることから、メタロチオネインによる防禦機構が精巣では間に合わないと解釈される。精巣障害の系統差は別の遺伝的性状に支配されると考えられる。

(3) 各種細胞によるメタロチオネイン合成の差異

 メタロチオネインが特に肝臓や腎臓でよく合成されることが知られているが、細胞によって、その合成に差異があるかどうかは動物の個体差を考えていくうえに重要な知見をもたらすと考えられる。

 ヒト肝臓由来細胞株Chang Liver Cell、ヒト子宮がん由来細胞株HeLa Cell、ウサギ腎臓由来細胞株LLC−RK1 Cell、マウス胎由来細胞株A−31、マウス白血病由来細胞株FRD Cellおよびヒトリンパ球をそれぞれ培養し、Cdと共に〔3H〕thymidineを培養液に添加して、細胞内にとり込まれた〔3H〕thymidine量を比較した。また109Cd−チオネインおよび35S−チオネイン合成を109CdCl2および35S−シスチンを用いて比較した。メタロチオネインの分離定量にはセファデックスG75によるゲルロ過を使用した。

 上記6種類の細胞ではどれも1ppmCd曝露で80%以上の生存率を示した。〔3H〕thymidineのとり込みは、Cdの24時間曝露でリンパ球を除いて、Cd濃度が高くなるにしたがって減少した。

 109Cd−チオネインおよび35S−チオネインの合成を6種類の細胞で2.5あるいは5ppmCdの24時間曝露で比較したところ、ヒト肝臓細胞、子宮がん細胞、ウサギ腎臓細胞およびマウス白血病由来細胞は非常によくメタロチオネインを誘導合成したが、ヒトリンパ球およびマウス胎由来細胞は合成量が低かった。細胞によってメタロチオネインの合成能、合成速度および合成量に差異があることが明らかになった。

 メタロチオネインの合成には個体差がある。また細胞の種類によってもその合成が影響を受けることが示唆された。

 上述してきたように、メタロチオネインの合成量を各個体について測定するには、その測定法が定量的であるとともに簡易であることが望まれる。

(4) メタロチオネインの簡易微量測定法

 メタロチオネインの定量には、分子量に基づくゲルロ過分析が主として利用されてきた。この方法は手数がかかって、多数の試料を分析するには不向きである。メタロチオネイン合成の個体差の研究を進めるために、細胞内に誘導合成されたメタロチオネインを迅速に定量する方法を開発した。

 細胞を重金属(カドミウム、亜鉛、銅、水銀など)と35−システインを添加した培地で培養し、その35S標識化細胞の細胞質部分を調製する。細胞ホモジネート上清の35S−標識化蛋白質を還元カルボキシメチル化後、SDS−ポリアクリルアミドゲルスラブ電気泳動を行う。乾燥ゲルのオートラジオグラフィーを行い、メタロチオネインの黒化度を測定することによりメタロチオネインを定量する。

(5) メタロチオネインのモノクローナル抗体による定量法の開発

 化学的方法によらない、いわゆるラジオイムノアッセイによるメタロチオネインの測定法の開発も試みた。

 まず最初にチャイニーズ・ハムスターのメタロチオネインU(メタロチオネインには主分子種としてTおよびUの2種類があることが知られている)で純系マウスを免疫し、その動物から脾臓を摘出し、脾臓細胞を調製した。この細胞とマウス骨髄腫由来細胞株(NS−1)とポリエチレングライコール存在下で細胞融合させて、メタロチオネイン抗体産生細胞をクローン化した。このクローンよりモノクローナル抗体を作成した。

 プレートのウエルの中で試料中のメタロチオネインとビオチン化したモノクローナル抗体との反応をアビジン125Tによって測定するラジオイムノアッセイ系を確立した。この方法を利用して、このモノクローナル抗体が他のメタロチオネインとどのように作用するかを検討した。その一部の結果を表1に示す。抗体ACM−1はどのメタロチオネインとも反応するが、抗体ACM−4はもとのチャイニーズ・ハムスターMT−Uとのみ反応する。またポリクローナル抗体C−1(マウス・メタロチオネインUをウサギに免疫して得られた抗血清)はどのメタロチオネインとも反応することが判明した。ポリクローナルあるいはACM−1を用いれば、各種のメタロチオネインの測定が可能であり、ACM−4を用いれば、分子種別に測定することができる利点がある。

表1 種々のメタロチネネインに対するモノクローナル抗体とポリクローナル抗体の交叉反応性

(6) ヒトリンパ球のメタロチオネイン合成能の個体差について

 開発したメタロチオネインの定量法を利用して、ヒトの末梢血からリンパ球および単球を分離精製して、カドミウムによるメタロチオネイン合成の個人差を検討した。

 4人の男子の血液からFicoll−Paqueを用いて比重差による血球分離法でリンパ球および単球を得た。培養液中に1μg/mlのCd++イオンを添加して16時問曝露した。細胞を集めて、前述した還元カルボキシメチル化後のSDS−ポリアクリルアミドスラブ電気泳動法で、各人のリンパ球および単球のメタロチオネイン合成量を比較した。メタロチオネイン合成量を非メタロチオネイン蛋白量との百分比で求めると、各人のリンパ球では107.1、25.1、24.8、38.2および単球では14.7、18.5、19.0、15.8という値が得られ、明らかに個人(体)差があることが認められた。

結び

 放射性同位元素を利用して、重金属毒性の防禦、必須金属の代謝、ストレスなどに関係しているメタロチオネイン合成について研究を進めてきたが、この研究成果からヒトおよび動物のメタロチオネイン合成には個体差があることが確実となった。また、この個体差は重金属などによる障害に対する防禦作用の強さに反映されている可能性が強いことも明らかにされた。

 将来の計画として、メタロチオネイン遺伝子の解析や遺伝子発現の機構の解明から、この個体差の遺伝的背景を明らかにし、重金属や有機溶剤に対する高危険度群のスクリーニングに応用して行きたいと考えている。


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