前頁 | 目次 | 次頁

昭和55年原子力年報(総論)


昭和55年12月
原子力委員会

はしがき

 「昭和55年原子力年報」は、昭和55年12月9日の原子力委員会において決定され、同12月16日の閣議に提出の後、公表された。

 本年報は、例年のとおり、総論、各論、資料篇から構成されている。

第1章 原子力発電推進の必要性と今後の進め方

1 エネルギー情勢と原子力の位置づけ

(世界のエネルギー情勢)

 エネルギー問題は、世界が抱えている緊急に解決しなければならない重要課題である。エネルギー源の主流となっている石油については原油価格の高騰、エネルギーの多消費先進国での石油消費節約による需要の低下等により、現在、世界的な需給は安定しているが、昭和54年の原油生産の約50%を占めたOPEC諸国においては、昭和55年に入り、その大半が減産政策を打ち出しており、さらにイラン及びイラクの間で紛争が始まったこと等から今後の原油生産の見通しには依然として不確実な要因が多い。また中長期的にみても、OPEC諸国の原油の大幅な増産は期待できず、アラスカ、北海、メキシコ等の非OPEC地域の生産増を見込んでも、石油需給のひっ迫化傾向は避けられないものと見られる。

 エネルギー問題は、一国の問題にとどまらず、各国の経済活動に直接影響を及ぼすものであるため、国際的レベルでの対応が必要とされる。この観点から昭和55年5月、経済協力開発機構国際エネルギー機関(OECD-IEA)閣僚理事会が開催され、①中長期的なエネルギー構造変化の達成状況をはかる目安として、国別の石油必要量の試算値を作成する。②昭和60年の現行IEAグループ全体の石油輸入目標を相当程度下回るよう努力する。③石油輸入削減の努力を昭和60年以降も続け、その結果昭和65年におけるIEA全体としての石油依存度が40%に低減するものと期待される等の合意がなされた。さらに、6月にイタリアのベネチアで開催された第6回主要国首脳会議においても、①昭和65年までに代替エネルギーの生産及び利用をサミット国全体で1,500~2,000万バーレル/日増大させる。②石油の生産及び利用を昭和65年までに倍増する。③原子力の拡大利用を図る。④ベースロード用石油火力発電所の新設を原則として行わないこととし、石油から他の燃料への転換を加速する。⑤昭和65年までにサミット国全体で石油依存度を約40%に低下させる、等の趣旨宣言が採択され、エネルギー問題の解決のため各国が最大限の努力をすることが要請された。特に、ベネチアサミットにおいては、原子力発電がエネルギーのより確実な供給のために極めて重要な貢献をしており、原子力発電能力を増大しなければならないことが指摘された。

 世界の原子力発電については、各国の原子力発電拡大の努力にもかかわらず、その伸びは近年やや鈍化する傾向にあるが、昭和54年には新たに10基約1,000万KWの原子力発電所の運転が開始されており、主要各国とも、原子力に相当の比重を置いて、今後ともその規模を増大させることにより、エネルギー問題の解決を図ろうとしている。

 即ち、世界の先進国のエネルギー事情を見ると、フランスにおいては、昭和55年4月、総エネルギー供給の構成比を昭和65年時点で、原子力、石油、石炭・天然ガスをそれぞれ30%ずつとし、このための原子力発電規模を現在の約7倍にまで急速に高めるとのエネルギー10か年計画が発表され、また、大規模な北海油田の発見により、エネルギー事情に恵まれている英国においても、昭和54年12月、新しい原子力政策として昭和57年より原子炉を毎年少なくとも1基ずつ発注し、10年間で1,500万KWの原子力発電所を建設する計画が発表された。

 世界の原子力発電規模の約40%を占め、世界一の原子力発電国である米国では、発電用原子炉の発注は昭和50年から5年間で合計7基であり、また昨年スリー・マイル・アイランド(TMI)原子力発電所事故を経験したことなどにより、原子力発電所建設計画のキャンセルが相次いではいるものの、エネルギー省の1979年年次議会報告書においては、原子力発電の規模を、昭和53年の約5,500万KWから昭和65年には1億2,100万KW~1億3,900万KWへと2.5倍程度にまで拡大することとしている。また昨年来停止されていた原子力発電所の新規許認可業務については、昭和55年に入って2基が試運転を、2基が本格運転を認められるようになった。

 西ドイツにおいては、昭和52年以来国のエネルギー開発計画は発表されていないが、国内に豊富に賦存する石炭の活用を優先しつつも、あわせて、原子力発電を安全確保を大前提としつつ推進する方針であり、長期的には高速増殖炉及び多目的高温ガス炉の開発を精力的に進めることとしている。

(我が国における原子力の位置づけ)

 天然資源に恵まれない我が国は、国民の生活水準の向上を図っていくためには、各種の天然資源を輸入し、多量のエネルギーを使って工業製品を生産し輸出するという、いわゆる工業立国の道をとってきており、今後ともこうした道をとっていくことになると考えられる。従って高度な国民生活水準を維持し、さらに向上させていくためには、産業用、生活用両面にわたり多量のエネルギーが必要とされる。世界的なエネルギー情勢がひっ迫している今日、エネルギー資源を海外に大きく依存し、しかもエネルギー多消費国である我が国としては、エネルギー多消費的な産業構造の改善や省エネルギーの推進とともに、新しいエネルギー源の開発を進めることが最優先の課題である。

 先進各国の一次エネルギー供給全体におけるエネルギーの海外依存度を見ると、米国及び英国は約2割、西ドイツは約6割、フランス及びイタリアは約7~8割という依存度を示しているが、我が国はこれら諸国よりもさらに高く、8.7%(昭和54年度)を海外に依存している。特に我が国の一次エネルギーの72%(昭和54年度)を占める石油については、その99%以上を海外から輸入している。したがって石油供給に支障が生じた場合には、直ちに産業活動のみならず国民の日常生活も不安にさらされることとなるため、石油依存からの脱却を図ることが、我が国にとって緊急の課題となっている。これらの状況に加えて、我が国は、昭和54年6月に開催された東京サミットにおける合意を踏まえ、一次エネルギー供給全体における海外石油への依存度を現在の72%から昭和65年度において50%にまで低減させることとしている。このように、石油依存度を低減させることは、我が国に課せられた国際的責務でもあるが、我が国において、海外石油依存度を今後10年間に20%以上低減することは容易なことでなく多大の努力を必要とするものであり、省エネルギー、石油代替エネルギーの開発等に対する強力な取り組みを進めていかなければならない。

 一方、原油原価は、昭和54年9月の1バーレル当たり22.1ドル(CIF価格)から昭和55年9月の34.6ドル(同)へと高騰しており、物価謄貴の大きな要因として国民生活を脅かすとともに、貿易収支の面においても重大な影響がでてきている。すなわち、昭和54年においては、我が国の輸入総額約24兆2千5百億円のうち、エネルギーの輸入は41%の約9兆9千8百億円を占めており、そのうち石油(原油、粗油及び石油製品)を輸入するために約8兆3千7百億円という巨額の外貨を支払っているが、これは、我が国が自動車、鉄鋼、テレビ、ラジオ、カメラ及び腕時計の輸出によって得ている外貨の合計額(約8兆3百億円)をも上回るものである。石油需給のひっ迫につれ、今後も石油価格は上昇していく傾向にあり、物価の安定や貿易収支の改善の面からも、石油依存からの早急な脱却が必要である。

 石油代替エネルギーについては、各種のエネルギーの開発が進められているが、石炭及び原子力以外は、その技術開発に相当の期間を要するとともに量的には基幹エネルギーとしての寄与を期待することは離しい。また石炭についても石炭の安定供給の確保、流通コストの低減及び物流施設の整備、使用設備及び関連設備費用の低減、環境保全技術の開発等種々の問題があり、石炭のみに過大な期待をもつことができない。

 一方、原子力は、立地の推進、核燃料サイクルの確立、国際問題等打開しなければならない多くの課題はあるものの、既に実用段階に達しているとともに、経済性面、燃料の備蓄面でも有利であり、さらに、高速増殖炉が導入されれば利用可能な資源量は飛躍的に増大するなど石油代替エネルギーの中核として位置づけられるべきものである。

 このような観点から、中川科学技術庁長官(原子力委員会委員長)は、昭和55年9月、ウィーンで開催されたIAEA総会において、我が国代表として一般演説を行い、代替エネルギーの本命である原子力開発利用を促進することが不可欠であるとの我が国の基本的姿勢を述べたところである。

 我が国の将来の原子力発電規模については昭和55年11月28日の閣議において、石油代替エネルギーの供給目標として、昭和65年度において、原子力発電により、2,920億キロワット時、原油換算7,590万キロリットルとすることが決定されたが、この目標を達成するために必要な設備容量は、5,100~5,300万キロワットと見込まれており、原子力委員会としては、この目標の達成に向かって努力を傾注していかなければならないと認識している。

2 原子力発電の推進と今後の方向

 前節において述べたように、エネルギー資源に乏しい我が国が、国民生活の水準を維持し、向上させていくためには、今後積極的に原子力発電を推進してゆかなければならない。このため、我が国は、当面、軽水炉の定着化による発電規模の拡大を図るとともに、高速増殖炉及び新型転換炉の開発を進め、昭和70年代には高速増殖炉の実用化を実現し、更に、21世紀には、究極のエネルギー源である核融合の実用化を目指すこととしている。しかしながら、原子力発電を中心とする原子力の研究開発利用は、巨大な科学技術体系であり、個々の研究開発プロジェクトが大規模であるのみならず、関連する分野も広範であり、基礎的研究段階から実用化まで長期間を要し、巨額の研究開発資金と優秀な人材の確保が必要とされる。従って、これらのプロジェクトを推進していくためには、国の総力をあげた取り組みが必要とされる。

 原子力の開発利用を進めるに当たっては、安全性の確保が大前提であり、安全性の確保こそが原子力発電の推進について国民の合意を得るための基本的要件である。

 我が国における安全性の向上については、原子力安全委員会の設置、安全規制の一貫化、安全審議・検査等の厳格な実施、安全研究の推進、軽水炉の改良・標準化等の信頼性の向上をはじめ様々な施策が進められてきた。一方、我が国が原子力の研究開発に取り組んでから既に20数年経っており、この間には原子力施設の建設・運転の経験及び研究開発の成果により多くの知見が蓄積され、それに基づいて安全性の向上が図られてきた。さらに、米国TMI原子力発電所事故の教訓を踏まえて、運転管理監督体制の強化、安全基準の充実、安全研究の充実等が図られるとともに、万一の事故に備えた防災対策の充実が図られてきた。

 原子力委員会としては、このような多くの経験と様々な対策により、我が国においては安全性は十分に確保されていると考える。しかしながら、些細なトラブルも国民の不安の因となりかねない現状を考慮すれば、原子力発電のより一層の定着化と拡大を図るに当たっては、今後とも原子力施設の設計段階から建設・運転に至るまで細心の注意を払い、一層の安全性の向上を図っていくことが重要である。

(軽水炉の定着化)

 軽水炉は、経済的にも技術的にも実証された発電用原子炉として世界で最も広く利用されている炉型であって、昭和55年6月現在、世界で運転中の軽水炉は154基約1億700万kW、建設中・計画中のものを含めると506基約4億7,000万kWに達している。また、その設計、建設、運転に至る諸々の技術データは、長年にわたって蓄積されており、実用上十分な信頼度を有する原子炉である。我が国における商業用発電炉は1基(ガス炉)を除き、全て軽水炉で、現在運転中のものが20基約1,480万kW、建設中・建設準備中のものを含めると34基約2,770万kWに達しており、今後とも高速増殖炉が本格的実用段階に入るまでの間、長期間にわたり原子力発電の主流をなす炉であり、その定着化を図ることが重要である。今後は、さらに軽水炉の改良・標準化、負荷変動に追従しうる高性能燃料の開発等を進め自主技術の蓄積を図り、これらの技術開発の成果を軽水炉の設計・建設・運転に積極的に取り入れるとともに、品質保証活動の一層の充実を図り、海外技術に安易に依存することなく、軽水炉技術を完全に我が国自らのものとすることに努めていくことが必要である。

 このような努力が、安全性、信頼性の一層の向上にも貢献することとなり、我が国に適した軽水炉の定着化が進められるものである。

(新しい炉の開発)

 発電用原子炉の炉型については、軽水炉から高速増殖炉へ移行させることが、我が国の基本路線であるがこの基本路線を補完する炉として新型転換炉の開発を進めており、既にその原型炉が順調に運転されている。新型転換炉は軽水炉の使用済燃料を再処理して回収されるプルトニウム、減損ウラン等を有効に利用できる炉であって、燃料資源の弾力的活用に優れた性能が期待できるため、高速増殖炉の実用化時期との関連において特に重要な意義をもつものであり、昭和60年代の実用化に向けてその開発に努力する必要がある。このため、現在原子力委員会において、新型転換炉実用化の意義、技術評価、経済的評価等につき検討を行っているところである。

 高速増殖炉は、プルトニウムを燃料とし、かつ、消費した以上のプルトニウムを生成する炉があり、将来の発電用原子炉の基幹をなすものである。ウラン資源の制約を考慮すれば、できる限り早期に高速増殖炉を実用化することが望まれ、昭和70年代に本格的な実用化を図ることを目標としてその開発を進める必要がある。他方、実用化に際しては、高速増殖炉の使用済燃料の再処理が必要であり、その研究開発もあわせて積極的に進めなければならない。

 さらに、長期的には核融合が期待される。核融合エネルギーは、実用化された暁には半永久的なエネルギーの供給を可能とするものとして、実現に大きな期待が寄せられて、特に、エネルギー資源に恵まれない我が国としては21世紀の実用化を目標としてその研究開発を推進してゆく必要がある。

(核燃料サイクルの確立)

 原子力発電が安定したエネルギー源としての役割を果たしていくためには、核燃料を安定的に確保し、その有効利用を図ることが極めて重要であり、特に、最近の核不拡散強化をめぐる厳しい国際情勢に鑑みるとき、その必要性は一層痛切なものとなっている。このため、天然ウランの確保はもとより、核燃料の濃縮及び加工、国内再処理事業の推進、プルトニウム利用の推進及び放射性廃棄物の処理処分対策について、積極的な施策を講じ、我が国として自主性を確保できるような核燃料サイクルを、早期に確立することが重要である。

 核燃料サイクルの確立のためには、まず第一に、ウラン資源の確保の面における努力が必要である。

 ウラン資源の乏しい我が国は、必要な天然ウランの大部分を海外に求めざるを得ない。昭和60年代後半までに必要な天然ウランについては既に確保されているものの、今後の世界的なウラン需要の増大に対処し、安定的にウランを確保していくためには、供給の多角化を図ることが重要であり、新規長期契約の確保はもとより開発輸入の比率を高めるため、海外における探鉱開発を積極的に進める必要がある。このため、政府は、動力炉・核燃料開発事業団による海外探鉱活動を逐年強化する一方、民間企業における探鉱活動の推進のため、金属鉱業事業団等の成功払い融資及び出資並びに開発に対する債務保証を拡充強化していくこととしており、民間企業における積極的な探鉱活動の展開が望まれる。

 第二に、国内におけるウラン濃縮体制等の確立が必要である。

 我が国の原子力発電に必要な濃縮ウランについては、現在のところ全面的に海外に依存しており、昭和65年頃までに必要とされる濃縮ウラン役務は米国エネルギー省及びフランスを中心とするユーロデイフ社との契約により確保されている。しかし、近年核不拡散の強化を目的として、濃縮ウランの供給に伴い種々の制約が課されるようになってきており、国内において核燃料サイクルを確立し、我が国の原子力平和利用における自主性を確保するとともに濃縮ウランの安定供給確保を図るとの観点から、濃縮ウランの相当部分を国産化する必要性が高まっている。我が国は、遠心分離法によるウラン濃縮技術の開発を国のプロジェクトとして推進しているが、パイロットプラントの建設・運転により基本的な技術は確立されつつあり、今後、その開発成果を踏まえ、ウラン濃縮の早期国産化に向けて官民の協力による積極的な努力を進めていく必要がある。また、これに加えて化学法ウラン濃縮技術についても、その確立を図っていくこととしている。

 なお、燃料の加工については、軽水炉用燃料及び研究開発用燃料のいずれについても既に国内における生産体制は整っている。しかしながら、低濃縮ウラン燃料の加工については、未だ企業基盤が総じて脆弱であり、今後はさらに、負荷変動に追従しうる燃料の開発など一層の技術開発を続ける必要がある。また、現在、動力炉・核燃料開発事業団で開発が進められているプルトニウム燃料の製造技術については、新型炉の実用化に備え、新型炉の開発と併行してこれを民間に移転していくよう努めなければならない。

 第三に、核燃料サイクルの要となる再処理事業の推進が必要である。

 再処理についての我が国の政策の基本は、限られたウラン資源を効果的に活用し我が国のエネルギー供給の安定確保に資するため、使用済燃料を再処理し、その中に含まれる燃え残りのウランの再利用及びプルトニウムの活用を図ることであり、これを自主的に進めていくために、国内での再処理体制の確立を図ることとしている。

 このため、東海再処理施設の建設・運転を通じ、我が国における再処理技術の確立を図るとともに、これにより再処理需要の一部を賄うこととしてきた。今後必要となる本格的な商業再処理工場については、電気事業者を中心とする民間企業の共同出資により、昭和55年3月に日本原燃サービス(株)が設立され、その建設を進めることとなっているが、今後の再処理需要から見て、昭和65年頃の運転開始を目途に速やかに建設に着手しなければならず、国際的な核不拡散強化の動きに対応し早急に国際的な理解を取り付けるほか、資金面、技術面にわたる国の強力な支援が必要である。

 第四に、放射性廃棄物の処理処分対策を推進する必要がある。

 原子力発電所等において発生する低レベル放射性廃棄物については、固化処理し、または減容して容器に封入するなどして各施設において安全に保管されているが、原子力施設において発生する低レベル放射性廃棄物の量は、最近ではドラム缶にして年間5~6万本程度であり、昭和54年度末までの累積量は約28万本に達している。この量は、今後の原子力発電の拡大に伴いさらに増大することが見込まれるものであり、最終的な処分をできるだけ早く開始することが必要である。処分の方法としては、処理の形態に応じて海洋処分と陸地処分とを組み合わせて実施するとの方針のもとに、海洋処分については昭和56年度以降できるだけ早い時期に試験的海洋処分を開始することを計画しており、陸地処分については昭和50年代後半から地中処分の実証試験を行うこととしている。

 海洋処分については、ロンドン条約(廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約;昭和50年8月30日発効、我が国は昭和48年6月22日署名、昭和55年10月15日批准書寄託、同年11月14日我が国について発効)及びIAEAの勧告及びOECD-NEAの国際基準等により国際的な規制の体系が確立され、さらにOECD-NEAには海洋投棄の協議・監視機構も整備されているところである。このような体系のもとで欧州諸国(英国、オランダ、ベルギー及びスイス)は毎年併せて10万キュリー弱の処分を継続的に行っている。我が国においては、これまで、法制面では国による安全性確認の規定を新たに設けるとともに国際基準に則した基準の整備を行ってきている。また技術面では処分される固化体の安全性確認試験、処分予定海域の海洋調査など安全性について十分な調査検討を行ってきた。これらの成果を踏まえて、昭和51年8月に科学技術庁によりとりまとめられた海洋処分に関する環境安全評価について、原子力安全委員会がその内容を再評価し、昭和54年11月には環境の安全は十分に確保されるとの結論が得られている。処分を実施するに当たっては、内外の関係者の十分な理解と協力を得る必要があり、そのための努力を進めてきているところであるが、未だ国内の水産業界等の了解を得るに至っておらず、国際的にも太平洋の一部地域を中心として強い反対が示され、さらにこれに関連して国民の一部にも疑問の声があがっているのが現状である。このような現状に鑑み、原子力委員会としては、海洋投棄の安全性は前途の如く十分に確認されていること、国際的に確立された規制の体系のもとで実施されるものであること、深海底とという人間の生活環境から十分離れたところに隔離するものであること等について、今後とも広く内外の十分な理解を求めていくことが重要であると考える。

 一方、陸地処分については、海洋処分に適さないもの、回収可能な状態で処分しておく必要のあるもの等を陸上の施設に貯蔵し、あるいは地中に処分することとしているが、これについても早急に処分方法等を確立することが必要である。このため、我が国の立地条件を踏まえた上で陸地処分サイトの選定、安全な陸地処分の技術の開発、安全評価方法等の検討を進めており、今後陸地処分を早急に実施すべく、これらの施策を鋭意推進するとともに、処分用地の確保に努めていかなければならない。

 再処理施設において発生する高レベル放射性廃棄物については、半減期が長く、かつ高い放射能を有するため、半分の間は再処理施設において厳重な安全管理の下に貯蔵し、その後は安全な形態に固化し、さらに冷却のため一定期間(数十年程度)貯蔵した後処分することとしている。高レベル放射性廃棄物は、その量が低レベルの物に比較し極めて少なく、当面は安全に貯蔵することとし、その処分を行うまでには十分な時間的余裕があるもので、原子力委員会が昭和51年10月に決定した「放射性廃棄物対策について」に基づき、計画的に研究開発を進めているところである。

 なお、現在、放射性廃棄物処理処分の推進方策をさらに具体化するため、原子力委員会放射性廃棄物対策専門部会において審議を進めている。

3 自主技術開発の推進

 そもそも我が国の原子力開発利用は自主的に進めることを基本原則の一つとして掲げ諸施策を進めてきたが、原子力開発利用に関し後発国であったことから、技術面においては外国から技術を導入し、その消化吸収を図るという方法が先行してきた。

 しかし、今や我が国の原子力開発利用は、軽水炉については定着化と拡大の時代を迎え、また、新型転換炉の原型炉やウラン濃縮パイロットプラントの運転の開始、あるいは高速増殖炉の原型炉や民間再処理工場の建設を間近に控えるなど各分野において新しい展開を見せるに至っており、他方、原子力を取り巻く国際環境は、核不拡散の強化をめぐり厳しい情勢が展開されている。

 原子力委員会としては、このような国内外の情勢の展開において、自主技術開発の重要性がますます高まっていることを認識し、ここに改めて自主技術開発についての考え方を述べることとした。

(自主技術開発の意義)

 我が国の原子力開発の個々のプロジェクトは、対象となる技術の位置づけ、開発の経済性等によって我が国の国情に最適な観点から選択され、展開されているが、原子力分野における自主技術開発の意義は以下の4点に要約される。

 まず第一は、自主技術開発を行う過程において、技術が国内に蓄積され、豊富なデータと経験を自ら持つことができ、これによって実用化に際して生ずる各種の問題に的確かつ迅速に対応し、実用化を円滑に進めていくことができることである。

 我が国は原子力研究開発利用に当たって、軽水炉をはじめ多くを導入技術に頼ったが、これを消化吸収して我が国に適合した技術体系とするための努力が遅れていたことは否めず、今後一層独自の研究開発を進める必要がある。

 第二は、外国からの原子力技術の導入が難しくなってきていることである。

 先進国の産業戦略や研究開発投資の停滞傾向を考慮すると、今後海外の先進技術の導入が期待できず、また近年とみに問題となっている核不拡散の観点から、濃縮、再処理、重水製造技術などの機微な技術の移転や導入が制約されているなど、従来の導入技術の消化吸収による開発は困難になっている面があり、したがってこれらの点に十分に配慮し、枢要な技術については自ら開発していくことが重要である。

 第三は、原子力分野の国際協力において積極的な役割を果たしていくうえで、自主技術の開発が必要なことである。

 我が国の経済面及び技術面での国際的な高い位置づけ及びエネルギー多消費国でありながらエネルギー資源の海外依存度が非常に高いという国情を考慮すれば、我が国は原子力分野の技術開発において国際的な場で積極的な役割を果たしていく責務がある。この意味において、我が国は高速増殖炉や核融合等の巨大かつ困難な先進技術に関する国際協力に積極的に対応していかなければならないが、その際、先進国に比肩しうる我が国独自の考えや技術を持っていなければ、真に実りのある協力を行い、成果を挙げることはできない。また、我が国は発展途上国との国際協力においても先導的な役割が期待されているところであるが、自主技術の蓄積のうえに立ってこそ真にこれに貢献していくことができるものである。

 第四は、我が国の将来産業としての原子力産業の発展にとって、自主技術の開発が不可欠なことである。

 今後世界的な原子力平和利用の拡大が期待されること及び原子力産業が幅広い関連分野を有する高度の知識集約産業であることを考慮すれば、原子力産業は我が国の将来の産業の中核として位置づけられるべきものであり、原子力産業の発展を図るとともに、これを将来の輸出産業にまで伸ばしていくためにも、核燃料サイクルの全ての分野にわたり自ら開発した技術を持つ必要がある。

(自主技術開発の展開)

 既に相当の規模で実用に供されている軽水炉は、米国からの技術導入によって開始されたものであるが、我が国最初の発電炉である日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)が発電を開始して以来17年を経過し、この間における米国技術の消化吸収及び国内における技術開発と経験の蓄積により、軽水炉技術は相当程度に我が国自身の技術となりつつある。ハードウェアの面については、既に国産化率90%以上に達し、ほぼ国産の原子炉といってよい段階にあり、特に、周辺機器や部品類の一部については、我が国の厳しい基準に適合させる過程において相当に高い水準のものとなっており、溶接技術、バルブ、燃料体自動取替技術、耐震設計などは海外と比較しても優れたものとなっている。しかしながら、今後とも、さらに信頼性の向上、作業性の向上、従業員の被ばく低減、トラブルの根絶等を目指して、個々の機器にとどまらずシステムについても改良を加えていく必要があり、このためプラント全体にわたる改良標準化を初め、我が国の国情を十分に踏まえた、いわゆる日本型軽水炉の完成に向けて努力を払っていかなければならない。これらの努力により得られた成果は既に建設中の軽水炉に生かされており、今後一層その努力を進め、軽水炉技術の定着化を図っていくことが重要である。

 新型転換炉及び高速増殖炉の開発は、いずれも当初より自主技術で進められ、新型転換炉については原型炉が、高速増殖炉については実験炉が完成し、運転されている。この両炉の開発においては、これまで十数年にわたる技術開発の成果が蓄積されており、開発に当たっては、動力炉・核燃料開発事業団の大洗工学センターにおいて実規模での各種試験を行い、その結果を踏まえつつ進めるなど、開発途上で生ずる問題点について技術面での対応が十分に可能な体制が整えられている。さらにこの両炉に必要なプルトニウム燃料についても自主技術により、すでに製造・供給されており、また高速増殖炉の使用済燃料の再処理技術の開発も進められている。このような努力の結果、今や両炉の運転の実績が着々と蓄積され、次の段階である実証炉あるいは原型炉の設計に対し、その結果が充分に取り入れられるなど、開発の着実な進展が図られている。また、実用段階を間近に控えた新型転換炉については、原子力委員会新型転換炉実証炉評価検討専門部会において、その実用化の意義、技術的評価、経済的評価等について審議を行っており、今後の施策の確立に資することとしている。

 ウラン濃縮技術については、核不拡散上の観点から、海外からの導入が不可能であったこともあり、自ら開発することとし、昭和48年に遠心分離法の開発を国のプロジェクトに指定して、動力炉・核燃料開発事業団において開発が進められてきた。この技術開発の中心課題は、高性能、長寿命かつ低価格の遠心分離機の開発及びその生産技術の確立にあり、開発は同事業団とメーカーとの密接な協力のもとに進められた。この結果、今や我が国の遠心分離機の性能は国際水準に達したといわれており、昭和54年9月にはパイロットプラントが部分運転に入ったことにより、我が国は自主技術開発によって世界で8番目のウラン濃縮技術保有国になった。この施設の建設・運転により、我が国のウラン濃縮の基本的技術が確立し、将来の本格的な濃縮ウラン国産化への礎が固まるものと期待されている。このため、これらの開発成果を踏まえ、原子力委員会は新たにウラン濃縮国産化専門部会を設置し、実用濃縮工場の建設・運転に至るまでの具体的な道すじとその推進方策について検討し、ウラン濃縮の早期国産化を図っていくこととしている。

 再処理については、動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設は、フランスからの導入技術によるものであるが、その建設に際しては、一部の輸入機器を除き国内で制作、施工しており、また、建設、試運転の過程においては幾多の箇所に改良を加えるなど技術の消化・吸収に努めてきた。さらに、放出低減化技術、ウラン・プルトニウム混合抽出技術、混合転換技術等についても、我が国の国情に合わせた技術体系を確立すべく研究開発が進められており、昭和55年8月には混合転換技術によるプルトニウム転換施設の建設が開始された。この東海再処理施設のこれまでの運転及び今後の運転を通じ蓄積される技術と経験を基に、自主技術の向上を図り、我が国の民間再処理工場の建設、運転にその技術を十分に生かしていくことが重要である。

 放射性廃棄物の処理処分技術については、自主技術を中心に、諸外国の研究動向を参考にしつつ研究開発が進められている。低レベル放射性廃棄物の海洋処分技術については、日本原子力研究所、電力中央研究所等において、セメント固化処理技術の開発、安全性評価試験等が行われ、既に十分安全を確保し得る技術として確立されており、試験的処分を開始し得る段階に達している。特に我が国は高水圧下における投棄物の強度試験を実施した世界で唯一の国である。また、低レベル放射性廃棄物の陸地処分については今後実証試験を行うこととし、比較的放射能レベルの高い廃樹脂等の処理技術については、我が国独自の技術の開発も進められている。高レベル放射性廃棄物に関しては、我が国として最適な処理処分技術の確立を図るため、我が国の再処理施設において発生する高レベル放射性廃液の特性に適したガラス固化プロセス等の処理技術の研究開発が進められるとともに、我が国の条件に適合した安全性の高い処分技術を目指した調査研究が、動力炉・核燃料開発事業団において実施されている。また処分処理に際しては安全性評価が重要であるが、これに必要な研究が日本原子力研究所等において進められている。

4 原子力発電所等の立地促進

 原子力発電を推進するためには、原子力発電所をはじめ核燃料サイクル関連施設、研究開発施設等の立地を円滑に進めていくことが極めて重要である。

 電源開発調整審議会で決定された原子力発電所の基数について見ると昭和45年度から49年度までの5年間には17基が決定されたが、昭和50年度から54年度までの5年間には8基であり、これらは全て既設地点における増設で、新規立地県及び地点は1地点もなかった。また、米国TMI原子力発電所事故直後の昭和54年度には1基も決定に至らなかった。昭和55年度に入ってからも、四国電力(株)伊方原子力発電所3号機及び中国電力(株)島根原子力発電所2号機について、電気事業者から地元に建設の申し込みが行われ、引き続き両者の話し合いが進められる一方、東京電力(株)柏崎・刈羽原子力発電所2号機及び5号機について第一次公開ヒヤリングが行われるなどの動きがあるに止まった。

 これらのことは、原子力の安全性に対する不安感など様々な問題から新規立地地域を中心に、原子力発電所への取り組みが極めて慎重になっており、特に最近においては、立地調査段階においてすら地元の協力が得られ難くなっている場合が多いなど、建設までの期間が長期化する傾向があるということである。

 一方、我が国は、原子力発電規模の目標として、昭和65年度には5,100~5,300万KWを掲げており、この目標を達成するためには、今後10年間に2,300~2,500万KWの原子力発電所を新たに開発する必要があり、政府及び関係機関の格段の努力により、立地の円滑な促進を図らなければならない。

 原子力発電所等の立地促進については、原子力先進諸外国においても共通した課題であり、各国において国民の合意を得るために相当の努力が払われている。

 我が国においても、昭和49年には電源三法(発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法、及び電源開発促進対策特別会計法)を新設して、国として立地対策について積極的な取り組みを進めてきており、また、国が積極的に対策を講ずる必要のある個別の立地地点については、昭和52年以来、総合エネルギー対策推進閣僚会議の了解のもとに「要対策重要電源」(昭和55年10月現在28地点うち原子力発電所12地点)に指定し、国の出先機関及び関係地方公共団体で構成する電源立地連絡会を設け、関係機関の連絡調整を密にするとともに、地域振興のモデルプランの提示や地域の実情に応じたきめ細い広報活動等の施策が講じられている。

 原子力発電所の立地難の共通の要因は、原子力発電所の安全についての国民の不安であるが、安全性について国民の信頼を得ていくためには、原子力発電の安全規制の強化、安全性研究の充実等に努めることはもとより、何よりも現実のトラブルを少くし、稼動率を向上させていくことが必要であり、政府、電気事業者、メーカー等の建設・運転に関する人々の一層の努力が望まれる。また、原子力発電所の事故については周辺公衆に影響を与えるような事故は、未だ一度もなく、そのような事態を招くようなことのないよう万全の施策が講じられているが、TMI原子力発電所事故の経験をも踏まえ、万一の場合の防災対策についても体制の整備を進め、住民に安心感をもってもらうよう十分配慮する必要がある。

 一方、原子力発電の必要性とともに、安全性についての国の広報活動の積極的展開が必要とされる。政府においては、これまでもマスメディアを通じての広報、各種研修の実施、広報資料の作成配布等を実施してきたが、昭和55年度においては、従来、都道府県のみを対象としていた広報対策交付金を発展的に解消させ、都道府県に加え、立地地域の市町村における広報活動を積極的に進めるための広報・安全等対策交付金制度を新設した。なお、今後立地初期の調査段階における対策の重要性が増していることに鑑み、原子力発電所の立地予定地点等における広報活動についても、早い段階から積極的に展開していく必要がある。

 さらに、立地地点の調査に関しては、地元の協力が得られやすい形でその促進を図るとともに、単に原子力発電所としての技術的側面からの立地の調査のみならず、地域の実情を踏まえた社会的経済的影響について調査を十分に行い、地域の側に立った立地受入れについての判断資料を整えていくことも必要である。

 また、原子力発電所の設置のためには、設置地域の福祉向上を図っていくことが必要である。このため、電源三法により、道路、港湾、公園、水道、教育文化施設等の公共施設を、立地市町村及びその周辺市町村が整備することとしており、これに必要な経費として発電所の出力に応じた電源立地促進対策交付金を自治体に交付することとし、その額は、原子力発電所について他の発電所より優遇措置を講じている。昭和55年度においては、地域の要望を踏まえ、その交付限度額の増額及び交付期間の延長を行い、改善を図っているところであり、今後ともその充実に努めていくことが重要である。

 さらに、建設予定地点周辺海域における漁業活動との調整も、立地問題における大きな課題である。これら漁業活動との調整は、一義的には当事者間における問題であり、電気事業者と漁業者との間における円滑な調整が進められることを期待するものであるが、発電所の立地と漁業との共存共栄が図られなければならないという立場に立って、国においても、漁業関係者に対し原子力発電の安全性について理解を求めつつ、両者の間で十分な調整が図られるよう配慮すべきである。

 原子力発電所の立地は、地域へのインパクトが大きく、その影響が各方面にも及ぶため地域の関係者の合意のうえに進められなければならない問題であり、特効薬的方策を見出すことは難しく、原子力発電の必要性及び安全性についての地域住民の理解と協力を根気よく求めていくとともに、地域の要望を踏まえつつ地域住民の福祉向上の方策の改善を積み重ね、原子力発電所の立地と地域社会との調和の方途を探究していかなければならない。

 昭和55年11月28日、「石油代替エネルギーの供給目標」の閣議決定に際し、原子力委員会としては、原子力発電所の立地促進の重要性に鑑み「原子力発電の開発促進について」との委員長談話を発表し、その中で原子力発電所の立地促進について関係方面の一層の努力と協力を強く呼びかけたところであり、原子力委員会としても、今後一層の努力を傾注していくこととしている。

第2章 原子力研究開発利用の進展状況

1 原子力発電

 昭和54年12月以降の我が国の商業用原子力発電設備は合計21基1,495.2万キロワットであり、国内の総発電設備の約12%を占め、また昭和54年度の総発電電力量の約13.3%を原子力で占めている。また建設中の原子力発電所については11基977.9万キロワットとなっている。建設準備の原子力発電所については、昭和54年度及び昭和55年度上期について、国が定める電源開発基本計画に新たに組み入れられた原子力発電所建設計画が1件もなかったことから3基、315万キロワットにとどまっており、現在我が国の運転中、建設中及び建設準備中の原子力発電の規模は合計で35基2,788.1万キロワットとなっている。

 昭和54年度の原子力発電所の設備利用率については昭和54年3月の米国TMI原子力発電所事故への対応措置として、安全点検を実施したこともあって、上期の設備利用率はPWRを中心にかなりの低下が見られた。しかし、下期については徐々に回復し、昭和55年1月から3月の期間には70%以上の好稼動率を示したため、昭和54年度の設備利用率は、全体として54.6%と、ほぼ昭和53年度並みの水準となった。また、昭和55年度の上半期については、61.6%の設備利用率を示している。

 将来の原子力発電規模については、昭和55年11月28日の閣議において、石油代替エネルギーの供給目標として、昭和65年度において、原子力発電により、2,920億キロワット時、原油換算7,590万キロリットルとすることが決定され、この目標を達成するために必要な設備容量は、5,100~5,300万キロワットと見込まれている。しかしながら、新規立地点等において立地が難航している状況からこの目標の達成のためには、立地点住民の理解と協力を得るための施策を従来に増して進めていく必要がある。

 原子力発電の立地促進対策については、電源三法(発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法)による施策の充実に努めており、昭和55年度においては、立地交付金の交付限度額及び交付期間等について拡充が図られるとともに、県、市町村の行う広報活動や安全対策関連業務、防災対策業務等についての国の支援施策の拡充強化が進められることとなった。

 第91回国会においては、電源開発促進税法及び電源開発促進対策特別会計法が改定され、石油代替エネルギーの開発利用の推進のため、電源開発促進税の税率を現行8.5銭/KWhから30銭/KWhに引き上げるとともにその使途を拡大し、電源多様化推進のための経費にもあてられることとなり、また、従来から電源開発促進対策特別会計で進められてきた施策は同会計の電源立地勘定において経理されることとなり、電源多様化のための施策は電源多様化勘定において経理されることとなった。

 原子力発電関係においても、高速増殖炉等新型動力炉の開発、再処理技術やウラン濃縮技術の開発、原子力発電支援システム開発、あるいは原子力発電施設及び核燃料施設の安全解析コードの改良整備など、実用化段階にあるものについての支援施策及び実用化に近い段階の研究開発プロジェクト等についての施策が、この新会計により、強力に進められることとなった。

 原子力発電の安全性に関しては、原子力安全委員会において米国TMI原子力発電所事故の教訓を踏まえ、我が国の原子力安全確保対策に反映させるべき事項として52項目が指摘され、この指摘事項につき、原子力安全委員会の審査会及び各専門部会において精力的な検討が行われた結果、昭和55年6月までにその実施方針が決定された。

 これらの検討結果は安全審査に逐次取り入れられるとともに、これらに基づき、安全基準の充実、安全研究の拡充等が、また運転管理監督体制の強化が行われた。さらに万一の事故に備えて、防災対策の充実整備が図られている。

 また、原子力安全委員会により第2次公開ヒアリングが、昭和55年1月以降、関西電力(株)高浜原子力発電所3、4号炉、東京電力(株)福島第2原子力発電所3、4号炉、九州電力(株)川内原子力発電所2号炉及び日本原子力発電(株)敦賀発電所2号炉の4地点について実施されており、昭和55年12月には、通商産業省による第1次公開ヒアリングが東京電力(株)柏崎刈羽電子力発電所2号炉及び5号炉について実施された。

 さらに、昭和54年11月26日には、原子力安全委員会と日本学術会議の共催により「米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故の提起した諸問題に関する学術シンポジウム」が開催され、学問的立場から卒直な討議が行われた。

 また、軽水炉技術の一層の信頼性の向上、検査の効率化等を目的として、通商産業省により第二次改良標準化計画が、昭和55年度終了を目途として、産業界の積極的参加のもとに進められており、その成果は、逐次現在建設中の軽水炉に取り入れられてきている。一方、原子力発電施設についての品質保証をより一層充実させるための活動が官民一体で進められている。

 なお、運用期間を終了した原子力施設のデコミッショニング(運転廃止後の措置)に伴う問題については、技術面、安全面、経済面等について、長期的観点から検討が進められており、原子力委員会においては、昭和55年11月28日、廃炉対策専門部会を設置し、廃炉対策の基本的事項について審議することとしている。

2 新型炉の研究開発

(新型転換炉)

 軽水炉から高速増殖炉へという我が国の動力炉開発の基本路線を補完するものとして位置づけられている新型転換炉については、昭和60年代の実用化を目途に動力炉・核燃料開発事業団において研究開発が進められている。

 新型転換炉の原型炉「ふげん」は昭和54年3月の本格運転開始以来順調な運転を続け、昭和54年度の運転実績は発電電力量約10.5億キロワット時、設備利用率72.4%となっており、昭和55年度に入ってからもおおむね順調な運転を続けている。

 原型炉「ふげん」に続く実証炉については、動力炉・核燃料開発事業団において調整設計及びこれに関連する研究開発が進められたほか電気事業者の意見を実証炉設計に反映させるため、動力炉・核燃料開発事業団と電気事業者との間でATR合同委員会が設置され、原型炉「ふげん」の運転実績と実証炉の設計方針に関する評価検討が行われた。

 また、実証炉の建設については、原子力委員会は、原型炉の建設・運転経験及び大型炉の設計研究を通しての技術的、経済的評価に基づき、総合的な評価検討を行い、昭和50年代半ばまでにこれを決定することとしている。この評価検討に必要な情報及び資料は前述の実績を通して得られつつあるので、原子力委員会は昭和55年1月新型転換炉実証炉の開発に関する今後の施策の確立に資する目的で「新型転換炉実証炉評価検討専門部会」を設置し、新型転換炉実用化の意義、技術的評価、経済的評価等について審議を行っている。

(高速増殖炉)

 高速増殖炉の開発については、内閣総理大臣決定の動力炉・核燃料開発事業団の動力炉開発業務に関する基本方針及び基本計画を昭和55年3月に改正し、昭和70年代の実用化を目途に動力炉・核燃料開発事業団において研究開発を進めることとし、原型炉「もんじゆ」については昭和62年度に臨界に至らしめることを目途に建設に着手することとした。

 高速増殖炉の実験炉「常陽」は、昭和52年4月の初臨界以来順調な運転を続けており、原型炉の開発に必要な技術的データや運転経験を着実に蓄積してきている。現在「常陽」は熱出力7万5千キロワットで定格運転が行われているが、将来高速増殖炉の燃料材料の開発目的のため照射用炉心(最大熱出力10万キロワット)に改造されることになっており、その準備が動力炉・核燃料開発事業団大洗工学センター等で進められている。

 原型炉「もんじゆ」は、その設計、建設、運転の経験を通じて発電プラントとしての高速増殖炉の性能、信頼性等を確認し更に将来の実用炉としての経済性の目安を得ることを目的としているが、設計については動力炉・核燃料開発事業団においてこれまでの研究成果を踏まえ、制作準備設計、耐震設計の見直し等最終的な作業が進められている。また、建設準備に関しては、立地について最終的解決には至っていないが、昭和55年9月に、福井県による環境審査が終了した。一方、国においては、昭和55年7月に科学技術庁及び通商産業省による環境審査がそれぞれ終了し、現在は、関係省庁との調整が図られつつあり、これと並行して次のステップである安全審査のための準備が進められている。建設のための資金及び体制に関しては、昭和55年度の電源開発促進対策特別会計電源多様化勘定において原型炉建設費が計上され、また民間企業等により建設費の20%に相当する800億円の搬出が図られるなど、資金面での手当てがなされた他、建設に当っては、9電力、日本原子力発電(株)、電源開発(株)など民間企業等による協力体制が整備された。

 また原型炉に続く実証炉の開発については、動力炉・核燃料開発事業団により実証炉概念設計が進められるとともに、電気事業連合会においては電力サイドでの高速増殖炉開発体制の基本方針策定を目的として高速増殖炉推進会議が設置された。

(多目的高温ガス炉)

 昨今のエネルギー情勢のもと、電力以外の分野での石油代替エネルギーとしての核熱エネルギー利用への期待が高まっており、民間においても産業用エネルギー源としての多目的高温ガス炉及び熱利用システムの開発に対する関心が高まりつつある。

 我が国においては、従来からこの分野での調査研究が進められてきたが、特に日本原子力研究所は、昭和44年から多目的高温ガス炉の研究開発を進めてきた。同研究所においては、昭和54年度には、実験炉用機器の実証試験を目的とした大型構造機器実証試験ループ(HENDEL)の建設を進める一方、実験炉のシステム総合設計を完了し、ついでその詳細設計及び関連する研究開発を進めている。

 また、通商産業省は従来から「高温還元ガス利用による直接製鉄技術の研究開発」を進めてきたが、現在までに基礎的な要素技術に関して所期の目標を達成したため、昭和55年度で一旦中断されることとなった。今後は、多目的高温ガス炉開発の進展状況等を勘案しつつ、その推進について適宜検討していくこととしている。

3 核燃料サイクル

(天然ウランの確保)

 原子力発電規模の進展に伴い、我が国のウラン需要は今後増大するものと考えられる。しかしながら国内資源に期待できない我が国としては、必要なウランを海外に依存せざるを得ない。

 このため、我が国においては海外のウラン鉱山会社との購入契約及び開発輸入により、昭和60年代後半までの必要量(17.7万ショートトンU3O8)を確保している。それ以降に必要とされる天然ウランについては、引き続き海外ウランの購入契約を進めるとともに、海外ウランの調査探鉱、開発活動を進め、長期的に開発輸入の比率を高め、その確保に努めていく必要がある。

 このウラン資源の安定確保の一環として、動力炉・核燃料開発事業団においては、カナダ、アメリカ、オーストラリア、アフリカ諸国等でウランの調査探鉱を実施している。このうち、アフリカのマリ共和国のプロジェクトのように、大規模に実施され、成果が期待されているものもあるが、多くのプロジェクトは、いまだ開発までの見通しを得るに至っていない。また、民間企業においてもウラン調査探鉱で7社、ウラン鉱山開発で2社が、それぞれ外国企業と共同又は単独で探鉱及び開発を行っている。このうちアクータ鉱山会社では既に生産が行われ、昭和54年度において、我が国の年間ウラン供給量の約1割を供給している。

(ウラン濃縮)

 ウラン濃縮役務については、我が国の電気事業者と米国及びフランスとの長期契約により、既に昭和65年頃までに必要な量を確保しているが、それ以降の分については安定供給の確保という観点からその国産化を推進する必要がある。

 ウラン濃縮技術については、動力炉・核燃料開発事業団が我が国の自主技術により建設している遠心分離法によるウラン濃縮パイロットプラントが昭和54年9月から第1運転単位4,000台の遠心分離機のうち1,000台による部分運転を開始し、同年12月には国産初の濃縮ウラン(3.2%濃縮)約300kgの回収に成功した。同プラントは昭和55年10月からは第一運転単位の全遠心分離機4,000台による運転を開始し、またこれと並行して第2運転単位(遠心分離機、3,000台)の機器据付工事も鋭意進められており、昭和56年秋には、遠心分離機7,000台による全面運転に入る予定である。

 また、パイロットプラントに続く次の段階のプラントについては、昭和55年度から新たに概念設計が実施されている他、より高性能の遠心分離機の開発等が引き続き実施されており、原子力研究開発利用長期計画に示された昭和60年代中頃の実用工場の運転開始に向けて所要の研究開発が進められている。

 一方、遠心分離法以外のウラン濃縮技術の研究開発については民間企業における化学法ウラン濃縮技術の試験研究及びシステム開発調査に対し、科学技術庁及び通商産業省により助成措置が講ぜられている。

(再処理)

 使用済燃料の再処理については、我が国は動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設及び、海外への再処理委託により当面の必要量を賄うこととし、将来は、より大規模な民間再処理工場を建設・運転することで、今後増大する使用済燃料の再処理需要に対処していくこととしている。

 海外再処理委託については英国及びフランスと我が国の電気事業者との間で再処理委託契約が既に締結されており、既契約分と東海再処理施設による再処理分とで、昭和65年頃までの必要量は確保済みとなっている。

 東海再処理施設については、昭和53年8月以来機器の故障で停止していたが、昭和54年11月からホット試験が再開され、昭和55年2月には、予定された試験を全て完了し、現在原子炉等規制法に基づく科学技術庁による使用前検査が行われているなど、本格運転開始のための諸準備が進められている。また昭和52年9月の日米共同決定及び共同声明でとりあえず2年間とされた運転期間については、現在までの処理量が当初合意された99トンに達していないこともあり、昭和56年4月末までの延期が日米間で合意された。

 更に、前記日米共同声明の了解事項に基づき、ウラン及びプルトニウムの混合抽出、混合転換等核不拡散を目的とする技術の研究開発が進められてきたが、このうち混合転換技術については、実用化の目途がたち、これを受けて、同じく共同声明のなかで当面建設を見合わせるとされたプルトニウム転換施設に関し、混合転換法により建設が行われることとなり、昭和55年8月、その工事が開始された。また混合抽出等その他の核不拡散技術については今後とも研究開発を継続していくこととしている。

 民間再処理工場については、昭和54年6月の原子炉等規制法の改正を受けて、昭和55年3月電気事業者を中心とする民間企業の共同出資により日本原燃サービス(株)が設立され、原子力研究開発利用長期計画に示された昭和65年頃の運転開始を目途にサイト選定のための調査等諸準備作業が進められるとともに、技術的能力の一層の蓄積が図られている。

(放射性廃棄物処理処分)

 第1章において述べたように、低レベル放射性廃棄物の処分については、海洋処分と陸地処分とを組み合わせて実施するとの方針のもとに所要の施策を進めている。

投棄予定海域の位置

 海洋処分に関しては、濃縮廃液、紙、布等の可燃物の焼却灰等を均一のセメント固化体にして海洋投棄することとしている。

 我が国が当面実施を計画している試験的海洋処分は、放射能量が総量で500キューリー以下(ドラム缶5,000~10,000本)と少なく、また放射能レベルも国際基準の100分の1以下と極めて低いものであり、安全評価においては、その影響は最悪の場合を想定しても自然放射線による影響の1,000万分の1程度に過ぎないとされている。また投棄予定海域はIAEAの勧告に示された基準(深さ4,000メートル以上で、火山帯、地震帯、海溝を避ける等)を踏まえ北太平洋に4つの候補海域を選定して海洋調査を行った結果、北西太平洋の北緯30度、東経147度深さ約6,000メートルの海域が最も適当と考えられたことから、この海域への試験的投棄の計画が進められている。この海域は東京までは約900キロメートルである。ちなみに外国で最も近い北マリアナ諸島までの距離は、その最も近い島で約1,100キロメートル離れているものである。海洋処分については、安全性について環境への影響の恐れがないことが既に確認されており、この点に関し、政府は国内の水産関係者等あるいは太平洋諸国に対し、専門家を派遣して説明を行ってきたが、未だ十分な理解を得られない状況にあり、今後とも一層の努力が必要である。

 陸地処分については、貯蔵及び地中処分が考えられており、放射能レベルの基準から海洋処分に適さない廃樹脂及びセメントによる均一固化の困難な不燃性雑固体、大型部材等海洋投棄に適さないものあるいは将来回収可能な状態で処分しておく必要のあるものが対象となる。これらの廃棄物の処理については、廃樹脂等一部のものについて処理法の研究開発を進めるとともに陸地処分用パッケージ、基準の検討を進めている。陸地処分の進め方としては、貯蔵については昭和50年代後半に本格的に実施することとし、地中処分についてはまず実証試験を行い、これに引き続き本格的予定地において試験的陸地処分を実施し、その結果を踏まえつつ本格的処分に移行することとしている。

 この一環として科学技術庁は、昭和53年より処分サイトに適したモデルの設定を目指して、秋田県尾去沢において(財)原子力環境整備センターに委託し、模擬廃棄物を用いた実証試験を進め、陸地処分の具体化を図っている。また、現在同センターにおいて陸地処分候補地の選定作業が進められており、今後処分用地の確保について官民を挙げて取り組んでいく必要がある。さらに、これと並行して同センター、日本原子力研究所等においては低レベル廃棄物の陸地処分の安全評価手法の確立を目的とした調査研究を行っている。

 高レベル放射性廃棄物については、固化処理及び処分の技術開発を進めている。

 固化処理技術については、近い将来実用化が見込まれるガラス固化処理技術を重点に、動力炉・核燃料開発事業団において、昭和53年度より模擬廃液を用いた工学規模での試験を進めており、また現在建設中の高レベル放射性物質研究施設が完成する昭和56年度からは実廃液を用いた実験室規模での試験を開始することとしている。さらに、これらの試験の結果を踏まえつつ、同事業団において、東海再処理施設に附設する固化・貯蔵パイロットプラントの設計、建設を進め、昭和62年度から固化及び固化体貯蔵の実証試験に入ることを目標としている。一方、処分技術については、昭和51年度から動力炉・核燃料開発事業団が調査研究を進めてきたが、昭和60年代から処分の実証試験を行うことを目標に、地層処分に重点を置いて、我が国の社会的、地理的条件を考慮した処分方法について調査研究を進めている。また、高レベル放射性廃棄物の処理処分の各段階において必要となる安全評価のための研究は、日本原子力研究所において実施されており、昭和57年度からガラス固化体の安全評価試験を行うべく廃棄物安全性試験施設の建設が進められている。

4 安全研究等

 原子力の研究開発利用は、安全の確保を大前提として進められているところであるが、原子力発電規模の拡大に対応し、さらに今後の原子力施設の一層の改善向上をめざし、安全基準、指針、解析モデル等の判断資料の充実及び安全裕度の定量化を図るとともに安全技術の向上を図るため、安全研究を一層進める必要があり、長期的な観点から計画的総合的にその推進を図っている。

 なお、このような安全研究は、我が国が進めている自主技術開発を一層推進する上でも意義あるものである。

(原子力施設の安全研究)

 軽水炉施設、核燃料施設及び核燃料輸送容器についての工学的安全研究は、昭和54年7月に原子力安全委員会が策定した「原子力施設等安全研究年次計画(昭和54年、55年度)」に沿って進められた。

 軽水炉に関しては、新たに、軽水炉燃料の挙動に関する研究について実用燃料の照射後試験が昭和54年末から、また冷却材喪失事故に関する研究として、米国TMI原子力発電所事故に鑑み、PWRの小口径配管破断時の影響評価を行うROSA-IV計画が昭和55年度から、日本原子力研究所において開始された。

 原子力施設からの放射性物質放出低減化に関する研究については、再処理施設からのクリンプトン、トリチウムの除去・回収技術の開発が動力炉・核燃料開発事業団を中心に行われた。

 また、昭和55年6月には、原子力安全委員会によって「原子力施設等安全研究年次計画(昭和56年度-昭和60年度)」がとりまとめられ研究内容の充実が計られたが、特に米国TMI原子力発電所事故の教訓を踏まえ、ヒューマン・エラーに関する評価分析等原子力施設の確率論的安全評価研究の分野が拡充強化されている。

 さらに、高速増殖炉等新型動力炉の安全性に関する研究については、動力炉・核燃料開発事業団において、燃料、材料、ナトリウム、蒸気発生器等に関する安全研究が行われた。

(原子力施設の安全性実証試験)

 原子力施設を実規模又は実物に近い形で模擬した装置で試験し、その安全性及び信頼性を実証することにより原子力発電所等の立地の円滑化を図るため、各種安全性実証試験が電源開発促進対策特別会計により実施されている。軽水炉については日本原子力研究所を中心に大型再冠水効果実証試験、格納容器スプレイ効果実証試験等が、また(財)原子力工学試験センターを中心に原子力発電施設耐震信頼性実証試験、パルプ信頼性実証試験等が継続して実施されており、また核燃料サイクル分野についても、使用済燃料の再処理施設及び輸送容器について安全性実証試験が実施されている。

(環境放射能安全研究)

 環境放射能に関する安全研究については、放射線医学総合研究所を中心として、国立遺伝学研究所等の国立試験研究機関、日本原子力研究所、大学等において、昭和54年7月に原子力安全委員会の策定した「環境放射能安全研究年次計画(昭和54・55年度)」に沿って進められた。

 低線量放射線の影響研究については、晩発障害、遺伝障害、内部被ばくによる影響等の研究が実施された。特に内部被ばくの研究においては実験施設の有無が重大な意味を持つため、昭和54年度から放射線医学総合研究所において内部被ばく実験棟の建設が進められている。

 被ばく線量評価研究については、環境放射能モニタリング技術等の研究が実施されるとともに、特に米国原子力発電所事故の教訓を踏まえ、環境放射能予測手法及びシステム等の調査研究が拡充強化された。

 また、昭和55年6月には原子力安全委員会によって「環境放射能安全研究年次計画(昭和56年度~昭和60年度)」がとりまとめられた。

5 原子力船の研究開発

 出力上昇試験の際に発生した、遮蔽の不備による放射線漏れのため開発が停滞している日本原子力船開発事業団(昭和55年11月29日からは、日本原子力船研究開発事業団)の原子力第1船「むつ」については、所要の修理、点検を行ったうえで、出力上昇試験等を実施することとして、昭和55年8月から、長崎県佐世保港において遮蔽改修工事が開始された。

 我が国における原子力船研究開発の今後の進め方については、第82回国会における同事業団法の一部改正法案の審議に際して、同事業団を研究開発機関に移行させるべき旨指摘された経緯を踏まえ、昭和54年2月に設置された原子力船研究開発専門部会において審議が進められてきた。原子力委員会は、昭和54年12月20日に提出された同専門部会報告に基づき、特殊法人の統廃合に関する政府の行政改革への要請を踏まえ、慎重に審議を重ねた結果、昭和54年12月27日に「日本原子力船開発事業団の統廃合問題について」、さらに昭和55年4月11日に「原子力船研究開発の進め方について」を決定した。

 原子力委員会はこの中で、21世紀に入る頃には欧米先進諸国において原子力商船の導入が相当進んでいる可能性があると予想されており、石油需給のひっ迫化が予想される将来において、海運に対するエネルギー供給面の制約を緩和する見地から、原子力船については我が国こそ、その実用化を図るべく研究開発を積極的に推進する必要があるとし、原子力船研究開発の必要性についての見解を明らかにするとともに、原子力船の研究開発を進めるに当たっては、実際の運行状態における舶用炉の挙動等原子力船を運航することによって得られるデータ、経験が不可欠であることを考えれば、早急に「むつ」の修理を終え、運航試験を実施することが今後の我が国の原子力船研究開発の第一歩であると指摘した。また今後の我が国の原子力船研究開発体制については、我が国としては「むつ」の開発に加えて、小型、軽量で、かつ、経済性、信頼性の優れた舶用炉の開発を中心とする研究開発についても、国が中心となって相当長期間をかけて取り組む必要があるとの見地から、同事業団にこのような研究開発の機能を付与するとともに、将来は同事業団を他の恒久的な原子力関係機関と統合し長期にわたって一貫した体制で原子力船の研究開発に取り組んでいくこととした。

 政府においては、このような考え方を踏まえて、昭和55年2月15日、同事業団が「むつ」の開発に加えて、原子力船の開発に必要な研究を行うことができるよう、日本原子力船開発事業団を日本原子力船研究開発事業団に改組するとともに、昭和59年度末までに同事業団を他の原子力関係機関と統合するものとする旨定めることを主な内容とする日本原子力船開発事業団法の一部改正法案を第91回国会に提出したが、本法案は衆議院の解散に伴い審査未了となったため、同趣旨の法案が再度第93回国会に提出され、昭和55年11月26日に成立し、同月29日施行された。

 なお、「むつ」に関して、現在最大の課題は定係港問題であり、昭和55年8月、科学技術庁から青森県の大湊港を「むつ」の定係港として使用することの可能性について、青森県の関係者に検討を依頼するなど、政府及び日本原子力船研究開発事業団において地元の理解と協力を得るための努力が続けられているが、すみやかにこの問題を解決することが望まれる。

6 核融合

 核融合動力炉実現へ向けての課題は、臨界プラズマ条件の達成であり、日本、米国、EC及びソ連にあっては鋭意本課題に取り組み、大規模な研究開発が進められている。

 日本原子力研究所においては、第2段階基本計画の主計画である、「臨界プラズマ試験装置(JT-60)」の製作が進められ、昭和54年度にJT-60実験棟及び電源棟の工事を開始し、昭和55年度には制御棟の工事に着手した。また、JFT-2においては加熱実験が行われ、円形断面におけるベータ値について世界的な成果を挙げている。

 電子技術総合研究所においては、「圧縮加熱型核融合実験装置(TPE-2)」の建設が進められた。

 大学関係では、名古屋大学プラズマ研究所における「JIPPT計画」、京都大学ヘリオトロン核融合研究センターにおける「ヘリオトロン計画」、大阪大学レーザー核融合研究センターにおける「レーザー核融合計画」、筑波大学プラズマ研究センターにおける「タンデムミラー計画」等においてプラズマ物理及び関連分野における幅広い研究が行われた。

 核融合研究開発は、長期的かつ極めて大規模なプロジェクトであり、人的及び物的資源の有効利用をはかることが肝要であるとともに研究開発面にあっても国際的な相互啓発をはかることが重要である。これらの視点より核融合研究開発に関する各種の国際協力が積極的に進められているが、特に昭和54年5月2日には米国との間で核融合研究協力を含む日米エネルギー等研究開発協力協定が締結され、米国のプラズマ試験装置タブレットⅢによる共同研究、交流計画等の具体的協力が開始されたが、昭和55年度においても引き続き活発な協力活動が進められており、有意義な成果が挙げられつつある。

7 放射線利用

 放射線及び放射性同位元素(RI)の利用は、原子力発電とともに原子力平和利用の重要な一環として、早くから基礎科学分野から医学、工業、農業等の応用分野に至るまで幅広く行われ、今や国民生活に不可欠なものとなっている。その利用は年々急増しており、昭和55年3月で放射性同位元素や各種放射線発生装置を使用して放射線障害防止法の規制を受ける事業所数は3,979ヵ所にのぼり、この1年間でも約160ヵ所余も増えている。

 このような利用実態の変化及び国際的な防護基準の近年の改訂を踏まえ、放射線障害防止対策の強化を図るため、第91回国会において、20年振りに放射線障害防止法の一部改正が行われた。その改正点の主なものは、放射性同位元素装備機器の設計承認及び機構確認制度の創設、使用前の施設検査及び定期検査制度の創設、輸送の確認制度の創設、放射線取扱主任者制度の改善、指定代行機関による放射線取扱主任者試験事務、施設検査業務等の代行制度の創設であった。

 また、放射線取扱主任者試験事務、施設検査業務等を国に代わって行うため、昭和55年10月1日(財)放射線安全技術センターが設立された。

 放射線の利用面を分野別に見ると、社会のニーズに即応し、医療に関する利用開発がめざましく、また、その他の分野における利用技術も年々多様化、高度化しつつある。

 まず、医療の分野では、医療用加速器の利用開発にめざましいものがあり、治療面では放射線医学総合研究所において速中性子線治療が有望な成績をあげており、診断面では、理化学研究所において開発された超小型サイクロトロンが既に実用化されるとともに、放射線医学総合研究所を中心に短寿命RI標識有機化合物製造技術及びポジトロンCTの開発が厚生省及び工業技術院との協力のもとに進められている。工業分野では、測定器のユニット化、コンピュータ化が進みつつあり、また、日本原子力研究所において放射線を利用した機能性高分子材料の開発等が進められている。農業分野では、放射線により不妊化した虫の放飼による害虫根絶技術が実用化しており、また農業技術研究所等における放射線育種研究、国立衛生試験所等における照射食品の健全性の研究などが進められている。環境保全の分野においては、国立公害研究所において、汚染物質の拡散、循環、沈着機構の解明、組成の分析等に放射性物質が利用されており、また、日本原子力研究所においては、排煙中のNOx、SOxの除去廃水処理、汚泥処理等への放射線の利用技術について研究が進められている。

 なお、これらの放射線利用に関し、放射線化学及び加速器の医学利用の研究開発の推進等について調査審議するため、昭和55年11月25日、原子力委員会は放射線利用専門部会を設置した。

8 原子力産業

 原子力産業は、原子力施設という巨大かつ複雑なシステムを対象にし、極めて高度かつ広範な技術分野によって成り立つ典型的な知識集約型システム産業であり、その発展は、幅広く産業に影響を及ぼすものであり、我が国産業全体の高度化にとって重要な意義を有するものである。

 しかし、原子力産業はその需要の大半を原子力発電所の発注に依存しており、その消長は原子力発電規模の拡大に直接左右されるものである。現在、我が国の原子力産業の原子力発電所の受注能力は、発電設備容量にして年間800~900万KW程度といわれているが、過去においても最も受注が多かった昭和44年でも約400万KWであり、昭和54年の新規受注はわずかに110万KWに止まっている。このため受注が安定しないということもあって、事業収支は依然として不安定であり、原子力産業の経営基盤は脆弱な状態にある。

 一方、我が国の原子炉メーカーが主契約者となって建設した原子炉は、すでに11基744.9万KWにのぼっており、これまでに製造、建設等について相当の経験を蓄積してきた。このため、技術面においては、個々の機器の製造では今や欧米先進国の水準に比らべうるところまできている。

 また、第一章3節で述べたとおり、近年進めてきた軽水炉の国産化、改良・標準化等の努力の成果もあって、今後着工が予定されるものについては、原子炉プラント全体としてのシステム設計についても相当の能力を持つに至っているが、海外への技術依存から完全には脱しきれていないのが現状である。

 このような観点から、原子力産業界においては、自主技術により、更に原子炉技術の向上が図られるとともに、エンジニアリング技術の向上について一層取り組みが強化されつつあり、同時に核燃料リサイクル技術についても取り組みが進められつつある。また、原子力産業界は、脆弱な経営基盤を乗り越え、将来のエネルギー供給産業の一翼を担うべく経営面での努力も進められている。これらの技術面及び経営面での不十分な点は、輸出という観点から見ると、我が国の原子力産業が現段階において必ずしも原子炉のプラント輸出を可能にするだけの核燃料サイクル全般にわたる総合的技術水準及び経営基盤の確率にまで至っていないことを示すものである。このため、今後、より積極的に技術開発を進めるとともに多くの経験を蓄積し、これまでのコンポーネントや部品等の輸出から、長期的には、我が国独自の力により原子炉のプラント輸出を行いうる技術基盤及び経営基盤の確立を目指し、一層の企業努力を続けることにより、将来の輸出産業として発展することが期待される。

 原子力産業界の動きにおいて注目すべき点としては、昭和53年2月に、ウラン濃縮遠心分離機の生産技術、量産化のための体制等を民間側において検討するためUCエンジニアリング事務所が設立され、また昭和55年3月には商業再処理工場の建設を担当するため、電気事業者を中心に関連100社の共同出資により日本原燃サービス(株)が、さらに同年4月には高速増殖炉に関し、原型炉の設計とエンジニアリングのとりまとめを民間側で共同で行うため、メーカー四社の共同出資により高速炉エンジニアリング(株)が設立されたことが指摘される。我が国の原子力産業は、これまで5つの原子力グループの競争関係の中で進められてきたが、最近のこのような動きは、一層巨大化し、長期的な取り組みが必要とされる原子力分野の新たな展開に対し、産業界が内部的な協調を促進することによって対処していこうとすることを表わすものであり、原子力産業界における体制整備の一つの動きとして注目される。

第3章 原子力をめぐる国際動向と我が国の立場

 原子力の開発利用を推進していくためには、核不拡散の強化をめぐる国政的動向や近年とみに活発化しつつある国際協力等の国際関係に適切に対応していく必要がある。

 特に、国際的な核不拡散の強化の動きは、同時にそれが原子力の平和利用に対する制約につながる可能性もあり得るため、我が国の原子力政策にも大きな影響を及ぼすものである。

 エネルギー資源に乏しい我が国は、核燃料サイクルを国内において確立しプルトニウムの利用を図ることを原子力政策の基本として、これまでウラン濃縮、再処理などの核燃料サイクル関係施策並びにプルトニウムを利用するための高速増殖炉及び新型転換炉の開発等を進めてきた。

 我が国においては、これらの原子力開発利用は平和目的に限ることを旨として進めており、同時に、国際的には、当初より我が国と米国、英国等との二国間協定に基づき、国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受け入れてきた。その後、核兵器の不拡散に関する条約(NPT:昭和45年3月発効)を昭和51年6月に批准したことに伴い、IAEAとの間に保障措置協定を締結するとともに国内保障措置制度の確立を図り、同条約下での義務の忠実な履行等によって、我が国の原子力の平和利用は国際的信頼を得るに至っている。

 しかし、インドの核実験を契機とする米国カーター大統領の政策等の核不拡散強化の国際的動向は、日米再処理交渉、日加原子力協力協定の改正などの形で我が国の原子力開発利用に対しても大きな影響を及ぼしてきている。

 このような中で、核不拡散問題に関して昭和52年10月から2年余にわたって開催された国際核燃料サイクル評価(INFCE)においては、保障措置等の核不拡散手段を講ずることにより、原子力の平和利用と核不拡散は両立し得るという我が国の主張を基本的には反映させることができた。

 今後、これらの情勢の展開を踏まえつつ、国際的な協議・交渉に我が国が適切に対処していくためには、現行保障措置制度を核不拡散達成の基礎に置きつつ、我が国自らが保障措置技術の改良等を積極的に進めることにより核不拡散体制の強化充実を図っていくことが不可欠であり、かかる努力を基礎としてこそ我が国の原子力の平和利用が自主性を保った形で進められるものである。

 国際間におけるもう一つの重要課題である国際協力については、原子力先進国の一員である我が国の技術、資金、人材等を提供し、核融合などの巨大かつ困難な研究開発のリスクの分担及び効率的な推進を図り、もって国際社会に貢献するという観点から、従来より積極的に推進してきたところであり、これら研究協力を一層強化する必要がある。また、我が国は、開発途上国における原子力開発利用の推進に貢献することが国際的に期待されており、我が国としては、核拡散防止を担保しつつこれらの国との原子力技術協力・研究協力に応分の役割を果たしていく必要がある。

1 INFCEの成果

(INFCEの経緯)

 INFCEは、原子力の平和利用と核不拡散を両立させる方途を探求するため、核燃料サイクルの全分野における技術的、分析的作業を行うことを目的として、昭和52年10月の設立総会(於ワシントン)でその発足をみた。その後、核燃料サイクルの各分野毎に8つの作業部会が設けられ、46カ国、5国際機関の専門家によって精力的に検討が行われた結果、昭和54年10月までに全ての作業部会で最終報告書が作成された。一方、各作業部会の調整を行うために設置された技術調整委員会(TCC)においても、各作業部会の作業全般をとりまとめたTCC報告書が作成された。これらの作業結果を受けて、昭和55年2月ウイーンにおいて、最終総会が開催され、各作業部会報告書及びTCC報告書を採択して2年4カ月にわたる検討作業を終了した。

 原子力委員会は、INFCEの開始に当たって、「INFCEに臨む我が国の基本的考え方」(昭和52年10月14日決定)を示し、「INFCE対策協議会」を設けて対応策を検討してきた。また、INFCEにおいては再処理、プルトニウムの取扱い及びリサイクルを検討する第4作業部会で、我が国は英国とともに共同議長国を務め、また最終総会においては、我が国代表が議長を務めるなど検討作業に積極的に参加した。

(INFCEの成果と意義)

 INECEにおいては極めて幅広い分野にわたって、多様な観点からの分析が行われたため、原子力全般に関して重要な成果が生みだされたと考えられる。特に核不拡散の観点から、再処理、濃縮、プルトニウム利用などが評価されたが、保障措置が核不拡散と原子力の平和利用の両立のための手段として最も有効であり、この保障措置をさらに効果的なものとするため、保障措置技術の改良を進めるとともに、国際制度の整備や核不拡散に有効な技術的代替手段の確立を図ることによって核不拡散と原子力の平和利用は両立し得るとの結論となった。

 また、核不拡散に有効な核燃料サイクルの問題については、現在及び将来にわたって核不拡散上有効と評価される特定の核燃料サイクルは存在しないとの結論になった。すなわち再処理については、再処理を行う核燃料サイクルはこれを行わない核燃料サイクルに比べて核不拡散上不利ということはなく、再処理を行う場合には、経済性の観点及び世界全体として再処理工場の数をあまりふやすべきでないとの核不拡散上の観点から、まず、原子力先進国は、自国内に大規模な工場を建設し、原子力後発国はそれから再処理サービスの提供を受けるのが良いとの結論となった。濃縮については施設の数を制限し、需要に見合った形でその能力を拡張すべきであり、資金的技術的な面から大規模原子力発電国及び大規模ウラン資源国のみが、一国単位の濃縮施設を作る立場にあるとの結論になった。高速増殖炉燃料サイクルについては他の核燃料サイクルと比べ、それ程核拡散上の違いはなく、高速増殖炉が原子力システムに採用されていけば、世界的にみてウラン資源上の制約から解放されるとの結論となった。プルトニウムの熱中性子炉への利用については、経済的にそれ程メリットはないが、エネルギー自立と供給保証の観点から重要と考えている国もあるとの結論になった。

 以上がINFCEの機微な分野における結論であるが、INFCEの真の成果は、核不拡散の観点から原子力の平和利用の面における制約を拡大するという米国の政策とそれに反対する日本及び西欧諸国との深刻な対立に調整のための対話の場を与え、その対話を通じて各国の原子力事情に関する相互理解が深まったことにある。

 なお、昭和55年6月イタリアのベネチヤで行われた先進国首脳会議の最終コミュニケで、本件が取りあげられ、INFCEの検討結果が歓迎されるとともに、全ての国が原子力の平和利用のための政策、計画を策定する際にはこれらの諸検討結果を考慮に入れることが強く要請された。

2 INFCE後の諸問題

 INFCEの結果を受けて、核不拡散に関する国際間の具体的な政策や措置が、今後多国間や二国間の協議の場における検討を経て実施されていくことになるが、原子力委員会はこのINFCE後の諸問題のうち国際制度に関する多国間協議についての重要事項を審議し、我が国の適切な対応策の確立に資することを目的として、関係行政機関及び学識経験者等よりなる「ポストINFCE問題協議会」を昭和55年4月に設置した。

(多国間協議)

 INFCE後の諸問題のうち国際的な制度に関しては、国際プルトニウム貯蔵(IPS)、国際使用済燃料管理(ISFM)及び核燃料の供給保証の3つの事項の検討がある。

 IPSについては、昭和53年12月からIAEAの専門家会合が開始され、IPS構想のより具体的なシステムについての検討が行われている。我が国としては、IPSを重要な核不拡散手段の一つと考え、国際協調を図りつつも、我が国のプルトニウム平和利用が阻害されることのないよう対応していくこととしている。その際、現行保障措置体制との関係についても慎重な配慮を払う必要がある。

 ISFMについても、昭和54年6月以降、IAEAの専門家会合において検討が行われている。我が国としては、長期的に使用済燃料を貯蔵する意志はないが、世界的にみた場合、再処理能力を上まわって使用済燃料が発生することも事実であり、ISFMシステムを検討することは有意義であると考えている。

 天然ウラン、濃縮ウラン等の供給保証の問題については、INFCEの結果を受け、これをさらに十分に検討するためIAEA理事会の諮問機関として「供給保証に関する委員会(CAS)」が、設置され、昭和55年9月第1回会合が開催された。このCASの審議においては、核物質等が核拡散防止上の考慮に合致した形でより予見可能で長期的に保証される方策について、十分な討議が行われることとなる。

 また、保障措置の有効性の確保については、現在IAEAにおいて検討が進められるとともに国際協力計画も進められている。我が国としては、これらの作業に積極的に参加し、保障措置の有効性を高めることに貢献するとともに、そのために必要な研究開発を積極的に進める必要がある。

(二国間協議)

 INFCE後の諸問題のうち、我が国にとって今後の二国間の問題としては、日米、日豪等の原子力協力協定改正、東海再処理施設の運転に関する日米共同決定の改正、太平洋ベースン使用済燃料暫定貯蔵構想のフィージビリティ調査などの交渉があげられる。

 日米原子力協力協定については、米国が昭和53年に核不拡散法を制定したことに伴い、我が国に現行の日米原子力協力協定をより厳しい規制権を含むものに改正することを要求してきているものであり、昭和54年2月に非公式協議を行った。我が国としては、今後とも米・ユーラトム協定締結交渉の動きを注目しつつ核拡散防止のための国際的努力に積極的に協力しながら我が国の原子力平和利用の促進を図るとの基本的立場に立って慎重に対処していく必要がある。

 日豪原子力協力協定については、昭和52年の豪州の核不拡散の観点からのウラン輸出政策等の変更に伴い我が国に改訂を要求してきているものであり、これまでに、3回交渉を行ってきているが、この協定についても、上記日米原子力協力協定の場合と同様、現在交渉中の豪-ユーラトム協定等の進捗を見極めつつ対応していくこととしている。

 東海再処理施設に関する運転問題については、昭和52年9月に、2年間、99トンの枠内での運転に関して日米間で共同決定を行った。その後昭和54年9月、INFCEの期間延長にあわせて、東海再処理施設の運転期間の延長を行ったが、さらに、昭和55年4月には、99トンの再処理がまだ終了していないこと、核不拡散のための研究開発をいましばらく継続する必要があること及びINFCEの結果の消化に十分な時間が必要であることなどを理由として、昭和56年4月末まで運転期間を延長することとした。なお、二度目の延長の際、東海再処理施設に付設されるプルトニウム転換施設については、混合転換法により建設に着手することとされた。昭和56年5月以降の再処理問題については、INFCEの結果及び核不拡散のための技術開発の成果を考慮して日米間で協議していくこととなるが、INFCEで得られた成果を十分に活用し、再処理に関する我が国の立場について米国の理解を得ていく必要がある。

 太平洋ベースン使用済燃料暫定貯蔵構想については、我が国の再処理政策からすれば、このような暫定貯蔵の必要性はないが、世界的な核不拡散に貢献するとの観点から、昭和55年7月、今後2年間にわたり日米共同でフィージビリティ調査を実施することに合意した。

3 NPT再検討会議

 NPTは、発効の5年後にこの条約前文に掲げられた目的と条約規定の実現を確保するため締約国による条約の運用を検討するための会議(NPT再検討会議)を開催することを規定している。これに基づき、昭和50年5月にジュネーブでNPT第1回再検討会議が開催され、保障措置の充実、原子力資材等の供給確保、核物質防護のための国際的な取極の勧奨、核軍縮、第2回再検討会議の1980年開催提案等を盛り込んだ最終宣言が採択された。

 次いで第2回再検討会議は、昭和55年8月~9月にジュネーブにおいて75か国が参加して開催され、核不拡散、核軍縮及び保障措置等原子力平和利用問題についての検討が行われた。この会議においては、主として非同盟諸国側から、核兵器国による核軍縮の進展が不十分であること、平和利用の面で供給国がNPT加盟国に対する原子力資材、技術等の供給について、助成するどころか、むしろ規制を強めていることなどの強い不満が表明された。特に核軍縮努力を定めたNPT第6条の実施振りの評価について核兵器国と非同盟諸国の意見対立が調整できず、このため昭和60年に第3回再検討会議を開催する旨を含む手続的文書が採択されたに止まり、実質的な内容を含む最終宣言をとりまとめるに至らなかった。しかしながら、NPTを中心とする核不拡散体制自体に対する基本的な批判はみられず、むしろ、NPT体制の維持、強化の重要性と必要性が再確認されたことの意義は大きいと思われる。

 なお、我が国代表は、この会議において核保有国に対し、核軍縮を強く呼びかけるとともに、NPTを基礎とした核不拡散体制強化の重要性を強調した。

 また現行のIAEA保障措置制度の意義については、参加国間で基本的に認識されており、今後IAEAにおける国際的な諸制度の検討の場において、具体的原子力平和利用の促進のあり方について引き続き検討が行われていくことになると考えられる。我が国は、原子力の平和利用についてNPTに基づくIAEAの現行保障措置を基礎としつつ核不拡散と平和利用の両立を図っていくという考え方に立って、今後、国際的な動向に対処していく必要がある。

4 保障措置と核物質防護

(保障措置)

 保障措置をめぐる国際動向について述べると、前述のとおりINFCEに於て原子力の平和利用と核不拡散の両立をはかるための手段として保障措置が最も有効であるとされるとともにまた、NPT第2回再検討会議に於てもNPT体制を支えるものとしてIAEAの保障措置制度が評価された。

 NPT批准に伴うIAEAとの間の保障措置協定において、我が国は独自の国内保障措置制度を確立することとなっており、今後とも自主的に保障措置技術の改良に努めるなど国内保障措置の充実・強化に積極的に努力していくこととしている。特に保障措置技術の改良については、保障措置の改良をめぐる上述のような国際的動向に主体的に対処するうえでも重要であり、計量管理技術、封印監視技術及びそれらを合わせたより高度な保障措置、トータルシステム技術の開発を我が国独自で、あるいはIAEAの諸作業に積極的に協力するなど国際協力でも進めてきているところである。例えば、昭和52年9月の日米共同声明の趣旨にのっとり、我が国は米国、フランス及びIAEAと共同して動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設において再処理に関する改良保障措置の研究開発を実施してきた。

 なお、懸案であった動力炉・核燃料開発事業団ウラン濃縮パイロットプラントへのIAEAの特定査察については、トロイカ(英国、西独及びオランダ)の濃縮施設と同様、機微な技術を含む工程への立入りを行わない方式で実施することで、我が国とIAEAとの間で合意が成立し、昭和55年7月、第3回特定査察が行われた。また、遠心分離法ウラン濃縮施設に関する保障措置技術開発についても、効果的かつ効率的な保障措置の適用を目指して、日本、米国、トロイカ、豪州、IAEA及びユーラトムによる国際協力プロジェクトが昭和55年11月7日に発足し、我が国はこれに積極的に参加していくこととしている。

(核物質防護)

 原子力開発利用の進展に伴い、核物質が各施設において大量に扱われるようになったため、これを盗取等により入手し平和目的以外に利用することを防止するいわゆる核物質防護が極めて重要となってきた。国際的にはIAEAの場で2年間にわたって検討されてきた輸送面における国際的な連携システムの確立を目的とする核物質防護条約草案が昭和54年10月に採択され、昭和55年3月署名のために開放されており、昭和55年9月現在、27ヶ国及びECが署名を行っている。

 従来、我が国は核物質防護の重要性に鑑み、IAEAの勧告及びロンドンガイドラインの基準を十分満すような対策を講じてきたところである。

 また、原子力委員会においては、昭和51年4月原子力委員会の下に核物質防護専門部会を設置し、核物質防護のあり方について検討を行ってきたが同部会は、昭和55年6月に核物質防護体制整備のための検討結果を報告書としてとりまとめた。

5 研究開発における国際協力等

 原子力の研究開発利用は、個々の研究開発プロジェクトが大規模で、膨大な研究開発資金を必要とするばかりでなく、基礎的研究階段から実用化まで長期間を要し、一国で行うには負担が過大となるため、これを各国で分担し、効率的な研究開発を進めるという観点から、近年、国際的な研究開発協力が各国における重要な課題となってきた。このような国際的動向や我が国の研究開発水準の向上と相まって、我が国における国際研究開発協力は、最近、飛躍的な発展を遂げている。

 我が国としては、原子力研究開発利用における自主性を確保する一方、適宜協力相手国と協力形態とを選びつつ国際協力を積極的に推進することとしている。

 我が国が行っている国際協力には安全研究、新型炉の開発、核融合の研究等がある。

 安全研究については、軽水炉について日本と同様に軽水炉路線をとる米国、西独、仏国との間で協力が進められており、また、高速増殖炉及び高温ガス炉について米国との間で協力が行われている。特に軽水炉については、従来から冷却材喪失事故や反応度事故に関する研究等幅広い分野での協力が活発に行われてきたが、昭和55年4月には新たに日米独三国間の大型再冠水試験研究協力が開始された。また、昭和54年5月及び6月の日米首脳会談において原子力の安全研究に関する日米協力の拡大・強化についての合意が得られ、その後事務レベルの専門家会合等により、協力の具体化のための検討が進められている。この他、原子力発電の安全に関し、昭和55年10月IAEAは、これまでの原子力発電の約20年に及ぶ経験と米国TMI原子力発電所事故の教訓を踏まえ、今後の安全性の一層の向上の方向を探ることを趣旨として、原子力発電所の安全問題に関する国際会議をストックホルムにおいて開催したが、我が国からも原子力安全委員を始め、関係省庁職員、専門家、電気事業者、メーカーの関係者などがこの会議に参加した。

 新型炉については、重水炉についてカナダと、高速増殖炉について米国、英国、西独、仏国及びソ連と、また高温ガス炉については西独との間で協力を行っている。

 核融合の研究については、米国、ソ連等との間で協力を行っている。特に、日米間においては、昭和54年5月に締結された日米エネルギー研究開発協力協定において、核融合は協力の当初の重点分野とされ、米国のトカマク型プラズマ試験装置ダブレットⅢを用いた共同研究、交流計画等の協力を実施することとなった。昭和54年8月には、日米核融合調整委員会及びダブレットⅢ計画に関する交換公文がそれぞれかわされ、日米核融合調整委員会が設置されるとともに、ダブレットⅢを用いた共同研究が開始された。その後、2回の日米核融合調整委員会が開催され、協力分野全般についての具体的計画が協議され、共同研究、研究者の相互派遣等が積極的に進められている。

 また、我が国は国際原子力機関(IAEA)、経済協力開発機構(OECD)等の主要メンバー国として、これら国際機関との協力を活発に進めており、原子力安全、放射線利用、核融合等の研究開発プロジェクトに参加している。

 さらに、最近、原子力先進国としての我が国に対し、開発途上国における原子力技術水準の向上のため一層の貢献をすることが求められており、今後、ふさわしい協力分野、協力形態等について核不拡散の観点をも踏まえた総合的な検討を早急に行い、協力を軌道に乗せていく必要がある。このような開発途上国に対する協力の一環として、我が国は昭和53年8月に、IAEAの「原子力科学技術に関する研究・開発及び訓練のための地域協力協定(RCA)」に加盟した。同協定のもとでは、アジア・太平洋地域の開発途上国を対象として、現在、農業及び工業分野へのラジオアイソトーブ・放射線の利用を中心に協力活動が活発に行われている。我が国も開発途上国における喫緊の課題である食糧・工業・医療問題の解決に資するため、資金の拠出、研修員の受入、専門家の派遣、ワークショップの開催等を通じて、本RCA活動に積極的な協力を行っている。

前頁 | 目次 | 次頁