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特別研究「サイクロトロンの医学利用に関する調査研究」について



放射線医学総合研究所

 放射線医学総合研究所(放医研)では、昭和51年度から昭和53年度まで3カ年計画で特別研究「サイクロトロンの医学利用に関する調査研究」を実施してきた。この研究は、速中性子線等の粒子線による治療方法並びに短寿命アイソトープ及び陽電子放出アイソトープを利用する診断方法の確立を目的としたものであり、所内外の関係研究者等の協力のもとに総合的に推進され、所期の目的を達した。

 現在、その研究成果に基づいて昭和54年度から新しい特別研究として「粒子加速器の医学利用に関する調査研究」を実施しているところであるが、このたび前回の特別研究の成果をとりまとめたので、これを機会に最近の成果も含めて報告する。

表1 放医研における粒子線治療の経過

表2 放医研病院において速中性子線治療を行った症例について調査した治療成績
 (昭和50年11月〜昭和54年12月)

治療の成果

(1) 速中性子線の治療は、昭和50年11月に開始されたが、本研究により照射技術及び線量測定技術が確定された。照射部位における線量分布が改善され、腫瘍に対する照射効果が正確に推定できるようになり、治療に伴う正常組織の障害の防止についてほぼ見通すことができるようになった。この3年間に実施された500例をこえる治療経験を分析することにより、骨肉腫、皮膚悪性黒色腫等の放射線抵抗性癌及び子宮頚癌、頭頚部癌等の局所進行癌に速中性子線は優れた治療効果を及ぼすことが明らかになった。

 一方、陽子線を用いると体内の照射部位における線量分布を最大とすることができ、正常組織の障害を最小に止めることができるため、陽子線治療は今後の癌治療法の一つとして注目されている。このため陽子線治療を昭和54年末に開始したが、本研究ではこれに先立って治療のための照射技術及び線量分布とその吸収線量の測定方法等について研究を行い、陽子線の生物効果に関して十分な基礎的知見を得た。

 陽子線治療は将来眼の網膜腫瘍等の微小で局所的な癌の治療に優れた効果が期待されているが、現在までに3例の症例について陽子線治療の臨床トライアルが行われ、いずれも経過は良好である。

(2) 短寿命及び陽電子放出アイソトープを利用する診断に関する研究については、サイクロトロンで製造されるアイソトープから標識化合物を製造する技術、その生体内分布と代謝過程等の動物実験、体内被曝線量を軽減するアイソトープの製造等の開発研究及び陽電子(ポジトロン)を放出するアイソトープを体内に投与してその分布像を高速で描出する高速ポジトロンカメラの開発研究とその試作を行った。これらの成果は人体被曝線量の軽減と診断精度の飛躍的向上をもたらすものと考えられているが、期待される主な診断領域としては、ガンマ線を利用するアイソトープとしてコバルト−57(悪性貧血)、カリウム−67(各種腫瘍)、タリウム−201(心臓疾患)、ヨウ素−123(甲状腺疾患)等があり、ポジトロンを利用するアイソトープとして、炭素−11で標識した一酸化炭素(肺、脳の機能及び疾患)、窒素−13で標識したアンモニア(心臓、肝臓、脳の機能及び疾患)等があげられる。なお“ポジトロンCT(ポジトロン・コンピューター断層撮影装置)”については、昨年、頭部用の試作装置を完成し、(本誌25巻5号、P7、参照)、現在、全身用装置について昭和54年度から関係省庁との協力のもとに開発研究をすすめている。

表3 放医研病院において速中性子線治療を行った症例について調査した臓器別治療成績

表4 長期経過観察した症例について調査した速中性子線治療成績

表5 放医研における陽子線(70MeV)治療経過

 以上の成果を踏まえ、昭和54年度から5カ年計画で実施している、新しい特別研究「粒子加速器の医学利用に関する調査研究」において、速中性子線治療の一層の改善、陽子線治療研究の本格化、短寿命アイソトープの診断利用の一層の推進等を図るとともに、新たに重イオンによる癌治療及び診断への利用に関する基礎的、臨床的研究に着手した。

診断利用

 病気の診断には「かたち」の変化と「はたらき」の変化とが重要な手掛りとなるが、そのうち特に「はたらき」の変化は、生命の営みの重要な部分に関係し、また「かたち」の変化より先に現われることが多くて、特に重要である。

 従来の医学では、この領域に手を出すにはおおよそ次の二つの手段があった。一つは、体内各種の器管組織で起こる物質代謝の変調の結果、血液なり尿なりに生ずる変化を検出するもので、いわゆる臨床生化学検査としてたいへん広く用いられているものである。この方法は極めて簡便だし、ある病気では極めて特殊な物質が血液なり尿なりに出て来るので、そのような場合にはたいへんな威力を発揮する。しかし、この方法はいわば下水道の水を分析して各家庭の食事の献立を言い当てるような一面もあるので、特定の家庭が特殊な排水を出すということがなければ、雲をつかむようなことになる。

表6 放医研における加速器の診断利用

 他の一つは、検査したい組織の一部を採取して、それを生化学的に調べることである。この方法は、前者の方法の一番の弱点であった場所に関する情報が明確な点、優れているが、逆に「よしの髄から天井のぞく」たぐいで、狭い範囲しか見られないし、それも病人の体を多少なりとも傷つけなければならないという欠点がある。

 そこで、病人の体を傷つけることなしに身体内のどういう場所で、どういう変調が起っているかを知るには次の二つの技術を完成させる必要があることは容易にわかる。その一つは、目的とする物質に標識すること、それも、人体外から容易に計測できかつ、炭素、窒素、酸素など、人体内各種物質を構成する元素での標識することが望ましい。

 なお、炭素、窒素、酸素などのアイソトープで、人体投与が可能なもの、体外から直接測定できるものは、いずれもサイクロトロンなどで作られるポジトロン放出核種であり、しかも、半減期が分単位の非常に短いものである。この結果、目的物質の標識に関しては、従来のように製薬会社の工場に頼り切りにすることができず、病院の検査室の近くに、サイクロトロンを設置し、院内作業としてアイソトープの生産、標識製剤などを行う必要が生じる。

 この目的で放医研が開発した放射薬剤を表7に示した。

表7 放医研サイクロトロン製造放射薬剤品質管理基準に収載されている薬剤

 第二の技術は、こうしたポジトロン核種の体内分布を、ちょうど動物実験の場合、連続切片を切ったと同じように断面図として見られるようにすることである。この技術がポジトロンCTである。

 この関係で放医研が手掛けた計測装置については表8に示した。

表8 放医研で開発した医用画像装置

 以上、薬剤と計測装置の開発によって種々な臨床検査が可能となるが、それらのうち放医研で臨床的に行っているものについては表9に示した。

表9 放医研で検討したサイクロトロン核種の診断利用


重イオン加速器の医学利用

 最近の人口動態の調査によると2,000年代の日本における癌罹患数は約400,000人を超えることが見込まれるとともに胃癌と子宮癌が減少し、大腸癌、乳癌、肺癌が増加するなどその内容も変化することが予測されている。現在、癌の治療は各専門分野の協力のもとに進められているが、放射線治療には難治癌の治療成績を向上させることと、正常組織損傷を軽減することが、重要な課題となっている。

 放医研においては、放射線治療成績の向上を目ざして、速中性子線、及び陽子線による臨床トライアルを進めてきたが、速中性子線は難治癌の治療に、従来の放射線よりも優れた治療効果を示し、又陽子線によって正常組織損傷を軽減できることが明らかになり粒子線治療への期待が大きくなった。

 一方、加速器物理工学の進歩によって速中性子線治療専用の治療装置の開発が進むとともに重イオンの医学利用も可能となった。重イオンは速中性子線以上の優れた治療効果と、陽子線とほぼ同様の優れた線量分布を兼ね備えた粒子線であり、癌治療成績の飛躍的向上のみならず放射線診断への応用範囲も極めて大きいものと期待されている。(昭55.7.25)

表10 癌治療に用いられる放射線


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