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原子力開発四半世紀に当り想う



原子力委員会委員
島村 武久


 議員立法による原子力基本法が成立し、わが国が原子力の利用を平和目的に限り、民主、自主、公開の三原則の下に、原子力の開発に取組むことを決めてから四半世紀が経過しました。あっと言う間に過ぎたという感じと、長く険しい道程であったという矛盾した感慨を抱くのは、私一人ではないと思います。

 この間の日本の原子力開発の進展には、めざましいものがありました。原子力発電について言えば、日本は今日、21基の発電所で1,495万kwの容量となって、世界第二位に数えられるに至っています。使用済燃料の再処理も動力炉・核燃料開発事業団のパイロット・プラントの操業を経て、今や民間による再処理事業が計画され、会社の設立をみるに至りました。わが国独自の研究開発による高速増殖実験炉、新型転換炉の原型炉、遠心分離法によるウラン濃縮パイロット・プラントの建設等、いずれも成功を収めました。無限のエネルギーが期待される核融合の研究も、JT−60の建設によって先進国に仲間入りする体制が出来ました。また、ラジオアイソトープを利用する事業所の数は4,000を超えるまでになりました。今や原子力はここ25年の間に、日本の国民生活に密着し、切っても切れぬ存在になり、石油危機から代替エネルギー中最大のホープとして、その開発の加速が期待されるに至っています。

 しかしながら、このような成果に酔っていられない幾多の問題が山積している事実を認めないわけにはいきません。その第一はすべての面における計画の遅れであります。前述の高速炉、新型転換炉の開発も成功を収めたとはいえ、計画からはテンポが相当遅れた上、次のステップである高速炉原型炉、新型転換炉実証炉の建設がまだもたもたとしています。何よりも重大な問題は原子力発電であります。第一次石油ショック以来、各国は素早い反応を示し原子力発電の計画を拡大し、石油に代えて原子力発電指向を打出しましたが、最も石油に依存し石炭などの代替エネルギー資源もない日本は逆に原子力発電計画を縮小せざるを得ず、その縮小した計画すら達成が危まれているということであります。

 その理由は一にかかって立地問題であります。国民の大多数が原子力発電なくして日本の活きる道はないという認識を持ち、安全確保のためこれ以上の手段はないという程慎重な態度で臨みながら、立地問題で原子力発電を推進し得ないと言うことは誠に不幸と言わねばなりません。立地難の原因としては、住民の原子力の安全性に対する不安感、信条的、イデオロギー的に原子力発電に反対する人々の活動等が挙げられていますが、近年は更に見返りを望む、いわゆるゴネ得的風潮も加わっていると見られています。私は発電立地住民の心情、主張には充分耳を傾け、これに応える充分な努力と用意がなければならぬと思います。すべてを金によって解決しようというのでなく、住民の身になって親身に疑問に答え、共存の原理に立った対応が必要であると考えます。

 第二に、これは立地問題とも関係のあることだと思いますが、発電炉開発に対する従来の国の方針に誤りがなかったか、反省の必要があると思います。軽水炉は既に実用炉であって、その勉強と改良は民間の役割であり、国の役割は軽水炉の次に来るべき新らしい動力炉の開発であるというのが、当初からの考え方でありました。この考え方は筋として間違っているとは考えませんが、現実にはマッチしなかった感があります。軽水炉は民間でということの当然の結果かも知れませんが、海外特にアメリカからの技術導入に依存し、これに忠実に追随することに専念して、結局は真に自らの血肉とすることが出来ず、世界第二の原子力発電国と称しながら、つまらない故障にも周章狼狽、自信の無さを示す結果となったと思います。

私は米、英、ソ連等を見学しまして、原子力開発には氷山の水面下の如く表に現われているものの背後にはそれと較べものにならない位大きい、しかも地味な研究開発の裏付けのあることを思い知らされました。等しく技術導入から出発したと言いながら、これを自家薬籠のものとし、更に改良を加えて自分のを作り上げた西独、仏の行き方には大いに学ぶべきものがあると思います。西独は既に技術導入を打切り、或いは技術交流に切替え、フランスも1982年にはそのようにすると称していますが、日本では残念ながらその目途を聞きません。幸にして、スリーマイル島事故のあと日本でも自主開発の気運が電力会社にもメーカーにも盛上って来て、通産省主導の標準型或は改良型軽水炉研究が軌道に乗りつつあることは喜ばしいと思います。新型動力炉が実用化されるまでには、なお歳月が必要であり、その間数千万kWの軽水炉発電を見込まなければならぬという事実に着目するとき、私はこれを民間の役割ときめつけるだけでなく、国ももっと積極的に取上げて民間と協同の努力をしなければならないのではないかと考えます。

 第三に、私は研究開発とその成果の活用について一言申し上げたいと思います。原子力はいわゆる巨大科学であって、その研究開発には莫大な資金を必要とします。民間の研究開発は別として、日本も少なからぬ国家予算をそのために支出して来ました。それでもなお、やや似た環境にある西独、仏等に較べると、特に過去の累積投資において見劣りのすることは否めません。研究開発費はその進展に伴って飛躍的に多額の資金を必要とします。苦しい財政事情の下で支出の削減は当然だと思いますが、一率抑制ということでなく重点的配分が必要だと思います。その問題は別として、25年間の研究開発投資は徐々に成果をあらわしつつあります。前に述べた新型転換炉やウラン濃縮などはその例であり、技術的には既に成功と見てよく、残された問題は経済性にあると思います。

 言い換えれば、従来は研究開発にだけ専念しておればよかったが、技術的成功を見たものを如何に実用にもって行くかという新しい課題に直面する時代が来たと言うことであります。イギリスやフランスのように核燃料サイクルに関する事業はすべて国営或いは国の投資による会社で行い、電力も国営と言う国と違って、日本のように事業は民間会社で行う建前の国では、国家機関による研究開発の成果を民間事業に引継ぐには相当の問題があって、簡単ではない。正直に言って、この点に関する検討は従来必ずしも充分になされていたとは言えず、研究開発に従事する人達の不安でもありました。

 長期計画でも新型転換炉の場合は原型炉から次のステップに移る際にチェック・アンド・レビューを行い、実証炉に進む場合は改めて事業主体を検討することになっており、ウラン濃縮についても、実用化の前に実証段階を認めつつもその事業主体については検討課題としています。つまり実証段階は必ずしも国家機関である動燃事業団で行うことを前提としていない。更にはっきり言えば、実証段階から民間主体で行われることを期待していると考えられるのであります。私はこの考え方を否定するものではありませんが、少し安易にすぎてその条件については更に充分な検討を必要とすると思います。実用規模まで大きくすることを試みなければ技術的にうまく行くかどうかわからないという場合は別として、単に経済性の見通しを得るための実証というのはどうでしょうか。経済性だけであれば実証プラント建設の際に既にある程度明らかにすることが出来るでしょうし、実証プラント完成後であってもはじめから既に量産化されているものに匹敵する経済性を求めることは苛酷な気がします。もちろん、技術的にうまく行っても明らかに経済性のないものは本当の意味で研究開発の成功とは言えずに事業化に値しない訳ですが、実用化されれば経済的にもやって行ける見通しさえあれば、それを実証炉、実証プラントと言うかどうかは別にして、実用化、量産化に至る初期段階では国が必要な援助を行うべきであると思います。具体的な方法については新型転換炉と濃縮プラントの場合はそれぞれ実体に即して考えねばなりませんが、要するに、研究開発に成功したら次は民間でという図式に初期段階における国家の助成という問題を詰めることが企業化への必須の条件と考えるものであります。

原子力開発四半世紀に当っては、核不拡散問題をはじめとする国際問題を抜きにすることは出来ませんが、これに関しては本誌(第25巻第5号)に新関委員の執筆がありましたので省略致します。

 一昨年10月、従来の原子力委員会から原子力安全委員会が分離独立し、安全規制に関する所掌がこの新機関に移されましたが、それ以外の点では原子力委員会は昭和31年1月創設以来一貫して変らぬ任務を負って今日に至っています。すなわち原子力委員会は行政の実地官庁ではないけれども、原子力の研究開発利用に関する国の施策が計画的に遂行されるよう原子力政策を企画審議決定し、実地機関である各省庁の施策を調整することを使命としています。原子力基本法の精神を体しつつ、流れて止まぬ内外の動向に対しうまく棹さしたいと考えております。


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