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環境・安全専門部会中間報告書(低線量分科会)


環境・安全専門部会低線量分科会報告書
低線量分科会
昭和48年6月21日

   1 まえがき

 低線量分科会は原子力委員会「環境・安全専門部会」の諮問により、昭和47年7月11日以来原子力開発利用の進展に伴って、当然問題となる低線量放射線のヒトにおよぼす影響に関する研究の効果的進め方について審議を行なってきた。

 審議にあたっては諸外国における研究の現状ならびに国内における関連専門分野の研究者の数、研究能力等を考慮しながら、緊急に解決を必要とする課題の中で、わが国として実施することが適当と判断される低線量放射線のヒトにおよぼす危険度推定に必要な資料を得るための研究に焦点をしぼることにしたが、これら研究を進めるうえで必要となる基礎的研究および水産生物への影響についてもあわせて検討を加えた。

 なお、審議の途中ご研究の必要性、問題点、研究課題等については、とりあえず中間報告の形でとりまとめ、昭和47年12月1日報告を行なったが、その後さらに検討を加え、研究課題、年次計画等を含め最終的にとりまとめを行なったのでここに報告する。

 本分科会の委員名簿および分科会開催状況は次のとおりである。

低線量分科会委員名簿(50音順)

(主査)  田島弥太郎  国立遺伝学研究所形質遺伝部長
(委員)  江上 信雄  東京大学理学部教授
 岡田 重文  東京大学医学部教授
 仮谷  柱  農業技術研究所放射線育種場長
 近藤 宗平  大阪大学医学部教授
 菅原  努  京都大学医学部教授
 外村  晶  東京医科歯科大学医学部教授
 高橋 正春  理化学研究所理事
 田中 克己  東京医科歯科大学医学部教授
 寺島東洋三  放射線医学総合研究所生理病理研究部長
 中井  斌  放射線医学総合研究所遺伝研究部長
 長岡  昌  NHK解説委員
 御園生圭輔  放射線医学総合研究所長
 渡辺  漸  国立ガンセンター病理部長
 原  現吉  文部省大学学術局科学官
(オブザーバー)
 松岡  理  放射線医学総合研究所障害基礎研究部研究室長

 低線量分科会開催日

第 1 回  昭和47年7月11日(火)
2 〃   8月4日(金)
3 〃   9月1日(金)
4 〃   9月25日(月)
5 〃  10月13日(金)
6 〃  10月28日(土)
7 〃  11月18日(土)
8 昭和48年1月22日(月)
9 〃   3月19日(月)
10 〃   4月16日(月)
11 〃    5月9日(水)
12 〃   6月21日(木)

  2 低線量放射線の影響研究の必要性と考え方 ※注)

 原子力開発利用の進展に伴い、原子力施設から環境に排出される放射性物質に由来する低線量域の放射線が、長期的にみてヒトに障害を与える可能性があるか否か総合的にこの危険度を推定し、その対策を講じる必要性が国際的にも大きな関心をひき起している。

 これら放射性物質によるヒトへの被ばくの様式としては、低線量もしくは低線量率の放射線による長期間被ばくが予想される。

 低線量放射線のヒトに与える影響は、急性障害として現われることはなく、発ガン、寿命の短縮、突然変異の発生等の晩発性障害として発現するもので、しかも、発現までにきわめて緩慢な経過をたどり、それが意識された時点ではすでにとり返しのつかない状態になっている可能性が高い。

 とくに突然変異に起因する遺伝的障害については、これがいったん発生したのちは、突然変異遺伝子保持者の結婚により集団の中に拡散して集団全体としての遺伝的劣化を招来するおそれがあるので、これをどのように防ぐかは現代に生きるわれわれが将来の世代に対して負わなければならない重大な責務であると考える。

 このようなことから、原子力が今後人類の繁栄に大きな貢献を果すか否かは、いかにして放射線による障害を防ぎうるかにかかっているといえる。

 とくに、わが国においては人口が稠密である等の特殊事情により、この問題解決の緊急度はきわめて高い。

 放射線の人体への障害に関する調査研究について、わが国においてはこれまで主として原爆被ばく者を対象とした晩発障害を中心として行なわれてきた。

 しかし、低線量放射線による障害については病理学的に非特異的な晩発症としてあらわれるので、実験的にこれを明確な形でとらえ、線量と効果との間に関係づけを行なうことが難しく、高線量の障害に比べて未解明の点がきわめて多い状況にある。

 また、本分野における諸外国の調査研究の状況をみても、いまだ十分な成果が得られているとはいいがたい、しかし、このためのアプローチとして低線量率効果に関する研究が米国を中心に精力的に進められ、実験生物については、すでにかなり豊富なデータが得られている。

 これに対し、ヒトについては直接実験を行なうことができないばかりでなく、実験データ等からヒトへの影響度を推定する手法等についてもきわめて難しい点が多い。

 したがって、この問題の解決のためには、わが国の研究者はもちろん、国際協力によって各国の研究者が研究の分担を行ない、効率的な研究開発を推進する必要があると考える。

 このため、わが国から諸外国に対し、本研究の協力分担に関して積極的に提起を行なう必要がある。

 また、研究逐行にあたっては多大の労力、経費、時間等を要すると予見されるのみならず、未知の分野が多いので、関連専門分野の研究者の総力を結集したプロジェクトを計画する必要があると考えられる。

 さらに、本研究を国家的研究課題として強力に推進するためには重点的な予算措置を講ずる必要がある。

 原子力委員会はこのために十分な努力をはらうのみならず、基礎部門に関する文部省、疫学部門に関する厚生省等の役割についても総合的な立場から研究協力を得られるよう強く働きかける必要がある。

 なお、研究効率化のためには研究開発体制の整備、確立についても改善の余地があると考える。

 (注)この報告で「低線量」とは、これを明確に定義することはむずかしいが、ここでは照射によって急性障害をあらわさない線量をその上限とする。

 3 低級土放射線のヒトへの危険度の推定に関する研究の問題点

 環境からヒトが受ける放射線量は、一般にきわめて低いものであるが、かなり高い精度で測定することが可能である。

これに対し、このような線量の放射線のヒトへの危険度を定量的に推定することはきわめて難しい。

 しかも、この種の放射線被ばくは、線量は低いが長期間にわたることが予想されるので、このような場合の線量と効果との間に、はたして直線関係が存在するか否か、とくに低線量域でこの関係にしきい値が存在するか否かを知ることがもっとも重要である。

 このような推定を行なうためには、適当な放射線被ばく者集団について疫学的な調査研究を行なう方法とヒト以外の生物で実験研究を行ない、そのデータをヒトに外押する方法との二つが考えられる。

 疫学的調査研究は、放射線のヒトへの影響を直接評価することのできる唯一の方法であるが、このためには統計的に有意と判定しうるに十分な大きさの被ばく者集団と長期間にわたる追跡調査が必要である。

 一方実験研究においては実験生物についてのデータからヒトへの影響を推定する場合に、@実験生物からヒトへの外挿と A高線量から低線量への外挿との2つが問題である。

 遺伝的影響については、米国および英国でマウスを用いて大規模の実験研究が行なわれ、その結果放射線による突然変異率については数十ラド程度までのデータ、低線量率についてのデータおよび機構もある程度明らかになっている。

 しかし、マウスで得られた線量と効果の関係をヒトに外挿するに際してどのようにすべきかという点については、種種の提案がなされてはいるが、まだ解決されていないので、この解明がもっとも重要な課題と考える。

 低線量の放射線による身体的影響は、外部被ばく、内部被ばくの様式のいかんを問わず、晩発障害として、現われる。

 このため、障害の推定には長期にわたる辛棒強い研究を行なう必要がある等急性障害の場合に比べてはるかに困難が予想されるが、社会的重要性からみて早急に解明しなければならない問題である。

 そのうえ、晩発障害のうち放射線による発ガン・寿命の短諸および老化については、それらの発生機構そのものがいまだ明らかにされていないので、まずこの機構を解明するための研究を、とくに低線量に限定することなく進める必要がある。

 内部被ばくにおける線量と効果の関係については、米国でアルファー核種についてビーグル犬を用い、数十ラド程度までの豊富なデータがあるが、このデータに基づいてヒトへの影響を推定するためにはなお外挿方法に関して問題がある。

 内部被ばくと外部被ばくを比べると、前者には関与する放射線の種類がアルファー、ベーター線が中心であるのに対し、後者はエックス線、ガンマー線を主とするという相違がある。

 このほか、前者の場合には線源となる放射性核種そのものの人体内における代謝というきわめて複雑な要因を伴う。

 したがってヒトにおける放射線の影響の研究に当たり、内部被ばくについては特殊な研究が必要である。

  4 低線量放射線のヒトへの危険度の推定に関する研究課題



 (1)晩発障害の危険度の推定に関する研究

 この研究では、晩発障害に関与する低線量放射線の影響を、定量的に求めることが最終的に要請されるわけであるが、それを直接に求めることは実際には必ずしも容易ではない。

 したがってある線量以下ではその機序を仮定しての外挿によらざるをえないことを留意しておく必要がある。

 晩発障害に関する研究課題としては、発ガン、非特異的寿命短縮および胎児被ばくの影響が考えられる。

 このほか、特殊な組織に限定されるものとして、自内障、不妊、皮膚障害、甲状腺腫、骨壊死なども可能なかぎり研究課題としてとりあげることが望ましい。

 A 実験的研究
 晩発障害についての実験的研究は、急性障害のそれに比し設備と経費をより多く必要とし、これがわが国でこの方面の研究が十分に行なわれなかった最大の原因である。

 とくに、実験動物の長期飼育施設とその維持・管理の充実は、きわめて重要で、現在計画されている放射線医学総合研究所のそれのほかに、全国に数カ所新設する必要がある。

1)放射線発ガンに関する研究
 放射線医学総合研究所でマウス(一部ラットも使用)を材料として放射線白血病に主眼をおいた放射線発ガンの研究が計画されている。

 そこでの第1の主題は「放射線発ガンの諸過程における生体内調節機構の関与(免疫、内分泌、網内系などとその年令、遺伝的背景などの関係を含む)」の解析である。

 第2の主題は、「マウスのデータをヒトへ外挿する」という問題であり、そこでは、a)トランスフォーマントの誘発、b)上記発ガンの諸過程についてのマウスとヒトの比軟検討がおもな研究対象となる。

 ことに低線量の場合の発ガンの動物実験には、発生率の再現性はきわめて大切である。

 そのためには、化学物質と放射線とを併用するなどの試みも必要であろう。

 また、マウスはウイルスの関与が少なくないので、マウスのほかにラットを材料として研究を進めることが適切と考えられる。

 さらに囓歯類以外の動物についても、発ガンの実験を進める必要がある。

2)晩発障害一般に関する研究
 発ガンに限定せず非特異的寿命短縮を含め、全身または部分照射による晩発障害を種々の動物について追求する。

 これには問題のとりあげ方から2つの型の研究が考えられる。

a)主として現象面から追求するもの。
 発ガンと寿命短縮との関係、免疫機能、生体調節機構などの変化、組織の機能、細胞増殖能、細胞数などの変化に関する研究等

b)主として機構面から追求するものDNA損傷、体細胞突然変異の誘発とその消長(トランスフォーメーションの研究を含む)酵素活性、生体高分子などの変化、血管系障害の本態とその影響に関する研究等

3)子宮内被ばくに関する研究
 放射線障害における子宮内被ばくの重要性は早くから認められ、現実に被ばく量制限のもっとも直接的な指標の一つとなっている。

 これは発生または発育の障育として形態または機能上に障害を示すものと、腫瘍の誘発とがある。

 従来の研究は、前者についてはマウスにおける骨格異常を対象としたものが主であり、後者については疫学的研究が主である。

 今後の研究課題として大脳神経細胞の発生、発育におよぼす低線量の効果(どの位の低線量まで効果がみられるか)および動物とヒトの胎児組織の放射線感度性の比較(組織培養法による)の研究が考えられる。

 なお、腫瘍誘発の動物実験も検討すべき課題の一つである。

 B 疫学的研究

 前述のように、放射線のヒトへの影響を直接評価することのできる唯一の方法は疫学的研究方法である。

 ただし疫学的研究には統計的に有意と判定しうるに十分な大きさの被ばく者集団の存在が必要であり、とくに低線量の影響を明らかにするためにはさらに大きい集団の調査が必要となる、研究対象としては次のような被ばく者果団が考えられる。

1)原爆被ばく者調査
 原爆被ばく者については、米国の原爆被ばく障害調査委員会(ABCC)および国立予防衛生研究所(予研)が昭和25年に共同で基本集団を設定し、一定の方式に従って調査を続け、その結果、白血病の発生が受けた放射線量に比例して増加し、また甲状腺ガンその他若干の新生物が被ばく者に増加してきた事実が明らかにされつつある。

 この長期にわたる疫学的調査研究は世界的にも重要であり、特筆に値する。

 しかし、本分科会は以下に述べる理由により、わが国として独自の立場から強力にこの研究を推進すべきであると考える。

 すなわち、@ABCC、予研が共同で実施していることになっているが、わが国の予算、人員での参画はきわめて微々たるものであり、その運営は全く米国側にゆだねられていると言っても過言でないこと。

 Aこれまでの調査の方式は指標等が固定してしまっているが、実際には次々と新らしい指標を追加していく試みが必要であること。

 B調査の集団は死亡その他により次第に減少の傾向にあるので、早急に再編成の必要性にせまられていること等である。

 研究の手順としては、@被ばく者(被ばく者手帳所持者)の記録を集め、Aそれについて線量の推定を行ない、Bそこから各種集団を抽出して医学的調査を経年的に行なう。

 このうち研究の中心になる医学的調査については大学関係でパイロット研究を行ない、方式が決定されたならば、国として大規模な調査を特別な事業として行なうのが適切であろう。

 なお、この際悪性腫瘍については比軟的問題が少ないが、寿命短縮さらには加令促進の有無については指票に関する広範な検討が必要である。

 被ばく者の記録の収集については広島大学では昭和41年厚生省実態調査を利用して被ばく者集団の記録を作り、これをデータバンクに蓄積しつつある。

 また、長崎大学では現在資料センターが中心になって作業を進めている。

 いずれも多額の経費を要するので、今後この調査研究を進め、それを完全なものにしていくためには十分の予算の裏づけが必要である。

2)医療被ばく者を対象とする晩発障害の研究、
 全国的にみて医療被ばく者の数は多く、ことにガン治療患者の長期生存例がふえつつあるので、診断用も含めて医療被ばくの登録制度ができれば、疫学的研究の好材料になるものと考えられる。

 放射線治療患者についての予後調査的な研究および白血病などの悪性腫瘍患者についての既往調査的な研究などは現在文部省科学研究費などでごく小規模に行なわれているにすぎないが、この程度では不十分なので、大規模に計画的な調査を行なうことは効果的である。

 また、特殊な材料として、戦時中の戦傷に対する、トロトラスト診療患者があり、nの概数は1,300〜16,000と推定され、すでに50〜80歳に達し、年々死亡等により減少しつつあるので、早急に登録センターなどを作り、その経過を観察、研究する必要がある。

3)ヒトについての集団細胞遺伝学的研究
 現在のところヒトについて研究上取扱い可能な体細胞突然変異の唯一の指標は、未梢相リンパ球の染色体異常である。

 この実態を年令別、各種集団別にサンプルしたものについて、経年的変化について調査することは、長寿命細胞に対する被ばくの晩発的影響の一つの指標として意義があろう。

 また、染色体異常の生物学的線量計としての意義からいっても、低線量域においてはその平常値の把握はかかせない。


(2)遺伝的障害の危険度の推定に関する研究

 放射線による遺伝的障害は、被ばくした個人のみの問題ではなく、それが遠い将来の子孫にまでおよぶという点で国民全般の問題として受けとめなければならない。

 これが前述の身体的障害の場合と決定的に異なる点である。

 しかも、遺伝障害は、被ばく様式のいかんにかかわらず、受けた全線量の影響が集積するものと考えなければならない点に十分注意しておく必要がある。

 遺伝的障害は遺伝子突然変異と染色体異常とに区分される。

 これらによって表現される遺伝的欠陥には目立たない程度のものから致死的なものに至るまで、あらゆる程度のものがあり、軽度のものは多くの世代にわたって子孫に引き継がれていくのに対し重大な遺伝的欠陥を示すものは、その異常をもつ個体が早期に死亡することによって比較的早く集団の中から失われる。

 放射線によって新たに加えられた遺伝的影響が長い世代にわたって、人間社会にどのような損失を与えるかは重要な問題であるが、その大きさを見積ることはきわめて困難なことで、国際的にもいまだ十分に信頼できる推定は行なわれていない。

 一方遺伝的障害の中には被ばく次代にすぐ影響をあらわすようなものもある。

 優生遺伝子突然変異や染色体異常の大部分はもちろん、劣性遺伝子突然変異の中にも次代に部分的にその影響をあらわすものがある。

 このようなものについては遺伝的障害のおよその大きさを推定することが可能である。

 放射線によるヒトの突然変異率の大きさを推定するためには晩発障害の場合と同様、実験的研究と疫学的研究の2つの手法が考えられる。

 実験的研究については、従来マウスを用いて研究が行なわれてきた。

 これは突然変異の研究にはきわめて多数の実験個体を必要とするからである。

 すでに米国や英国においては、マウスについて放射線による突然変異発生に関し、膨大なデータが得られているが、それをいかにしてヒトに外挿するかという点になるとまだ問題は解決していない。

 また、得られたマウスの突然変異がヒトではどのような遺伝的欠陥に相当するかも明らかでない。

 さらに、従来マウスの遺伝子突然変異研究に用いられてきた方法を用いて低線量の問題にとりくむとなると、数100万匹の個体数を必要とするものとみられる。

 したがって、低線量域の問題に本格的に取組むためには、十分に感度がよく、障害の程度についてもヒトに類推でき、しかもヒトへの外挿が可能な実験系を選ぶ必要がある。

 このような条件にかなうものとして、本分科会ではヒトに近縁な霊長類を取り上げ、かつ細胞単位で検出することが可能な染色体異常を指標に研究を進めることが適当であるとの結論に到達した。

 しかし、この研究方法では遺伝子突然変異による危険度の推定については何ら言及できないことをあらかじめ注意しておく必要がある。

 このためには、霊長類の研究とは別途に必要な研究を進めるようにしなければならない。

 一方、疫学的研究は、被ばく者集団の大きさが十分にないと信頼できる数値を得ることはむずかしく、被ばく者集団の把握に困難があり、調査研究の成果を期待するには長い年月を必要とするなどの欠点があるが、ヒトにおよばす影響を直接評価できるという点できわめて重要であり、この研究も実験的研究にあわせて推進する必要がある。

A 霊長類の染色体異常に関する実験的研究

1)霊長類の染色体異常に関する比較遺伝学的研究近年細胞学的技法の進歩によって、哺乳類はもちろんヒトについても末梢血中のリンパ球細胞の染色体をたやすく観察できる方法が開発され、これを用いて放射線の影響の研究を進めることが可能になった。

 しかも哺乳類の染色体は放射線に対して感度が高いので、低線量の影響研究の材料としても好適である。

 問題は、これらの細胞は体細胞であって直接子孫には関係しない点である。

 遺伝的影響を調べるためには生殖細胞を対象としなければならない。

 ところが生殖細胞では、ヒトについての実験は不可能である。

 しかし、その場合でも実験動物については細胞単位で染色体異常を検出することは可能であるので、同じ照射条件下で誘発される両種の細胞における染色体異常の比を知っておけば、ヒトのリンパ球細胞の異常頻度を指標として、ヒトの生殖細胞に起る異常を推定することは可能である。

 このためには、実験動物として霊長類を用いることが適当と考えられる。

 理由は生殖細胞と体細胞の両者の研究が可能で、しかもできるだけヒトに近い動物が望ましいという考えに基づいている。

 要するに「ヒトに類似(Hamananalogue)」の霊長類を用い、マウスの生殖細胞、霊長類の体細胞と生殖細胞、ヒトの体細胞について厳密な比較を行なって信頼できるヒトへの外挿値を得ようということである。

 この際対象とする染色休異常(遺伝的影響の立場からは相互転座がもっとも重要である)の後代への伝達割合、障害発生の実態などもあわせて研究する必要がある。

2)染色体異常に関与する低線量域の効果に関する研究

 本研究の目的は遺伝障害の研究において問題となる範囲の低線量域での線量効果関係を求めることにあり、しきい値の存在の有無が重要な点となる。

 本研究における重要な因子は線量と線量率の両者にあり、前者のためには実験の規模を十分大きくする必要があり、後者のためには長期の実験が必要となる。

 前項に述べた染色体異常を指標とした場合においてもこれらのことを考慮しなければならない。

 本研究の実施に際しては、まず線量率を十分小さくして照射する実験から着手するのが至当であろう。

B 遺伝子突然変異率に関する実験手法の開発

 放射線による遺伝子突然変異の誘発に関する線量効果関係についての実験的研究には「人に類似している(Haman analogue)」としてこれまでマウスが用いられ、英米においてはすでに膨大なデータの蓄積がある。

 しかし、前にも述べたとおり、この方法ではヒトへの外挿が困難なほか、実験のために莫大な数のマウスを必要とする。

 今後研究を推進していくためには、これらの欠点を除いた新しい実験系の開発が必要である。

C ヒトにおける突然変異の有害度に関する研究

 ヒトにおける遺伝的危険度の総合的評価のためには放射線による突然変異誘発についての線量効果関係の研究とともに、誘発された各種突然変異形質の有害度を明らかにする必要がある。
このため各種遺伝病の頻度、遺伝様式、適応度、生化学的変異型の臨床的意義などの研究を進めておく必要がある。

 この研究がないと、たとえマウスで得られた突然変異発生に関する詳細な線量一効果関係のデータをヒトに外挿する方法が完成したとしても、それを用いてヒトに起る障害の実態を推算することは難しい。

D 日本人集団の遺伝疫学的研究

 被ばく者集団はもちろん、非被ばく者集団についての遺伝疫学的研究および日本人集団の遺伝構造の研究は、実験的な研究とは別の角度から放射線の遺伝的危険度推定に必要な材料を提供するものとみられる。

 ことに日本人の障害推定のために必要な資料は日本人自らが働き出す以外、外国の研究に期待するわけにいかない。

1)非被ばく者集団の遺伝疫学的調査
 この研究は、将来果して人間の遺伝的資質が環境中に放出された放射性物資、化学物質等によって障害を受け、劣悪化されるかどうかを推定し、監視するうえで決定的重要性を持つものである。

 この研究では適当な非被ばく者集団について体細胞の細胞遺伝学的調査を行ない、その平常値を把握することはもちろん、各種遺伝性疾病の発生率、各種蛋白酵素の生化学的特性を支配する遺伝子の頻度、近視婚その他集団の遺伝構造のパラメータなどが主要な調査対象として考えられる。

2)原爆被ばく者集団の遺伝疫学的研究
 現在広島・長崎についてABCCにより広汎な疫学的研究が行なわれている。

 ABCCは被ばく後の早い時期から流死産、新生児死亡、子供の性比などを指標として遺伝的障害を推定するための大規模な研究を行なったが、必ずしも明確な結論を得るには至っていない。

 しかし、被ばく28年後の今なお被ばく者の体細胞に染色体異常が認められる事実から染色体異常に着目すれば放射線のヒトにおよぼす遺伝的影響についての手がかりをつかむことができるかも知れないという考え方で被ばく者子孫の染色体異常についての研究が進められている。

 これらの研究は単に原爆の影響としてのみならず、低線量放射線の障害を評価する上で重要な手がかりを与えてくれることも考えられる。

3)内部被ばくによる危険度の推定に関する研究
 内部被ばくによる障害は、外部被ばくの場合ととくにかわるところはなく、わずかに内部被ばくに固有の障害の発現形式としては、元素変換効果によるものをあげることができる。

 しかし障害が発現するまでの生体内でのエネルギー吸収およびそれに直接間接に関与する要因については、外部被ばくとはかなり異なっている。

 つまり内部被ばくは対象となる放射性核種の体内での代謝、分布と障害の発現が密接につながっているので、研究の方法論にもかなりの相違がある。

 障害発現に至るまでの機構で内部被ばくの特徴というべきことは、体内における線量の時間的、空間的分布の変化による体の各部の不均等照射と、対象となる放射線の線質の大幅な変化である。

 とくにアルファー線、中性子線、自発核分裂生成粒子等高LET放射線では外部被ばくの場合と大きく異なる。

1)放射性核種の代謝に関する比較動物学的研究
 実験動物の障育をヒトへ外挿するため、マウス、ラット、ウサギ、サル、イヌ等について重要な核種の代謝に関して比較動物学的研究を実施する。

2)放射性核種の臓器内分布の比較に関する研究
 重要蔵器内の線量分布が動物によってどのように異なり、それがヒトへの外挿上どのような意味を持つかについて研究する。

3)内部被ばく影響のヒトへの外挿に関する研究
 内部被ばく影響の発現の時間的要因の動物差、

 同効果を生ずるために要する蓄積線量の動物差を比較し、ヒトへの外挿法について研究を実施する。

4)内部被ばく影響の特殊性に関する研究
 重要核種による内部被ばくが外部被ばくの場合とどのように異なるかを従来検討されていない新しい指標について検討する。

 たとえば、免疫機能への影響が核種沈着パターン、LETとどのような関係があるかなどである。

5)内部被ばくの修飾因子に関する研究
 線量効果関係を修飾する化合物の形態、投与法、年令、性別等の各種の修飾因子について検討する。

(4)低線量域における基礎的研究

 低線量域における線量効果の関係を明確にするためには、ヒトを対象として進めるべき(1)〜(3)の研究課題のほかに、その底辺をなす基礎的研究を同時に推進する必要がある。

ことに低線量率効果や放射線障害の回復機械の研究をヒトにとらわれることなく、基本原理の解明を指向して進めることが大切である。

 これらの研究は主として大学等において自主的に計画、実施していくことが望ましいが低線量域の問題はたとえ適当な実験生物を材料に選んだ場合でも研究規模をかなり大きくする必要があり、かつ、長期間辛棒強く取り組んでいかないと解決困難なものが多い。

 この意味で課題によっては相当長期にわたるプロジェクト研究として強力に推進をはかる必要がある。

 さし当たり実施すべき課題として次のものが考えられる。

1)培養細胞における突然変異とガン化に関する研究
 動物固体やヒトにおける突然変異やガン化の研究が大きな困難をもっているので、試験管で培養した細胞に生じる突然変異やガン化(トランスフォーメーション)を研究し、放射線のヒトへの影響の推定に役立てる基礎手法を開発する。

2)動物固体の体細胞における突然変異と染色体異常に関する研究被ばくした動物固体の一般的細胞について、体細胞突然変異と染色体異常の生成とその消長、動態を研究する。

3)高等植物における突然変異および染色体の感受性に関する研究放射線感受性が高いムラサキツユクサ等にみられる突然変異や染色体異常の放射線との関連性について研究を行なう。

4)昆虫および微生物における突然変異に関する研究

 わが国でこれまでよく研究されているこの分野は、低線量問題を指向してさらに発展されるべきである。

5)DNA修復と突然変異の分子機構に関する研究
 単なる線量効果関係についての実験データの蓄積のみでは低線量のヒトへの影響の科学的推定の信頼性は得られない。

目標としては、作用機作の解明が必要であるが、とりあえず現在若干の手がかりが得られている放射線ならびに類似作用物資によるDNA障害の修復と突然変異誘発の分子機構の研究を推進する。

6)動物胎児培養系における催奇形性に関する研究
 動物の胎児を培養し発育させ、それを用いて放射線や類似物質による催奇形性を研究する。

7)内部被ばく影響を支配する要因に関する研究
 臓器内の線量分布測定のための定量的オートラジオグラフィーや高LET粒子線(アルファー自発中性子、自発核分裂生成核)のRBEについて培養細胞による検討が必要であり、さらに内部被ばく影響の指標としての免疫機能、染色体臭常についても新しい角度からの基礎的検討が要求されよう。

 また元素変換に関しても障害評価上の意義を明らかにする意味で基礎的研究を推進する必要がある。

8)モデル動物に関する研究
 低線量放射線の影響研究に適すると考えられる霊長類およびそれ以外のモデル動物をいくつか選定し、その繁殖、飼育技術および適性について比較研究する。

9)染色体分析技術の開発
 ヒトを含めた実験生物の多数の染色体試料を迅速に観察する技術の確立をはかる。

  5 低線量放射線の生物への影響に関する研究の問題点と研究課題

 低線量放射線が直接、ヒトにどのような障害をおよぼすのかを明らかにする必要がある一方、環境問題の一環として原子力施設より排出される低レベルの放射性廃液が水産生物、さらには環境全体にどのような影響を及ぼすのかを明らかにしておく必要性が近年高まっている。

 これまでに行なわれた淡水および海産の生物における放射線の影響に関する研究の成果として、水産生物の生殖細胞および初期胚の中に、きわめて放射線感受性の高いものがあること、水産生物の種により放射線の感受性に大きな差がみられること、およびある種の生物に対する影響が生態学的にみて他の環境に変化を与える可能性があることなどがあげられる。

 しかし、これらの研究ほ小規模かつ断片的であり、実験手法が必ずしも斉一でないなどのため満足すべき知見が得られているとはいいがたい。

 したがって、次の事項についていくつかの研究機関の協力によって計画的かつ組織的に調査研究を進める必要がある。

1)施設周辺の生物相の変遷に関する研究
 原子炉またはその周辺の地域についてその近傍における各種生物(代表的プランクトン、底棲生物等)の分布の現況を記録しておき、さらにこれらの生物相の経時的変化を明らかにする。

2)放射性核種の有用魚介類に対する影響に関する研究
 代表的で移動性の少ない魚類(たとえば、カレイ、ヒラメ、タイ等水産上価値の高いもの)や甲殻類の生殖および発生に対し主な放射性核種の影響を実験的に明らかにする。

3)低線量放射線の水産生物に対する影響に関する基礎的研究 より基礎的にウニ、ホヤ、浮遊性および定着性の甲殻類、藻類、魚類等の代表種を選び、配偶子形成および初期胚発生に対する3H、90Srその他の重要な核種の影響を定量的に明らかにする。

   6 むすび

 放射線の影響研究については、高線量による急性および晩発障害に関する知見はかなり蓄積されているが、低線量による障害に関する研究については、哺乳類はもとより実験小生物に関する基本的データでさえ満足とはいいがたい。

 原子力施設から環境中に排出される放射性物質に由来する低線量域の放射線が、長期的にみてヒトにいかなる障害を与えるのか、人口が稠密であるわが国では、とくにこの問題に真剣にとり組み、緊急に解決をはかる必要がある。

 このためには、大規模な施設と多くの研究者の長期にわたる地味な努力を要するが、問題の重要かつ緊急性にかんがみ、国はつぎの点に関し、特別の考慮をはらう必要がある。

1)晩発障害、遺伝障害、内部被ばくによる影響等とくに緊要かつ応用的な研究については国立試験研究機関を中心とし、基礎研究等については大学を中心として組織的総合研究を研究年次計画により重点的に実施することが望ましい。

また、疫学的研究についても国家的見地から推進していく必要がある。

2)本分野関係研究者のきわめて少ない現状にかんがみ、人材の養成にはとくに意をはらう必要がある。

 また、研究には放射線による障害の専門家のみならず、他の関連分野の研究者もすすんで参画できるような措置を講ずるとともに、現在大学で計画されつつある基礎研究施設の設置等についても格段の努力をはらうべきである。

3)研究の効率化をはかるため、定期的に研究推進状況の検討を行なう組織を整備する必要がある。

4)本研究には予算的、時間的にも相当の負担が予想されるので、予算措置については十分の考慮をはらう必要がある。

5)本研究を推進するに当たっては大量の実験動物の飼育、観察が必要である。

 このため、実験動物の供給体制等を含め研究に必要な施設の整備をはかる必要がある。

6)低線量放射線のヒトへの被ばくについては、わが国のみならず、世界的な問題であるので、研究課題によっては国際協力を推進することにより解決をはかるのが効果的である。

 このため、各国との間に研究協力のとりきめ等を締結し、積極的に情報の交換をはかることが望ましい。
 
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