新プロメチウス時代への展望 |
原子力委員会委員長代理 井上五郎 |
〔はじめに〕
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本稿は昭和48年2月15日国立教育会館で開かれた原子力学会原子力総合シンポジウムにおける総合講演「新プロメチウス時代への展望」および同年2月3日名古屋の中部科学技術センターにおいて開催された東海技術サロンでの、同一題目の講演を併せ記録としたものである。
独り日本のみならず、世界を挙げてエネルギーの危機感が高まっている。
私はこれを解決するものは結局原子力であると考えている。
永い人間の歴史の中で原子力の秘密を力として利用しえたことは、二十世紀になってさらにパンドラの箱から新らしい災禍が飛び出したのではなくて、これこそがパンドラの箱に残された人間の希望が漸くにして飛び出したものと考える。
これを悪魔の力とせず平和の力とすることは人間の一つに叡知にかかっている。 |
〔エネルギー資源の危機〕
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今年元日の朝日新聞のトップ記事に、今年は「エネルギー調整の年に」と云う題の記事が出ております。
これは驚いたことであると思います。
世界には今実に沢山の問題がある。ベトナムの問題、中近東の問題、或いはドル不安の問題等々の中で日本の最大の新聞が、元日のトップ記事に今年はエネルギーを調整しなければならない年であると云うことをとり上げたことは、如何に問題が深刻であり、かつ切迫しておるかを示すものと考えねばなりません。
その記事は、1月の中旬にホノルルで開かれる日米経済人会議の中で、日本側からエネルギー憲章とでも云うべきものを提案し、併せてエネルギーの軍縮会議を相談しようと云うのであります。
先般そこへ出られた方に伺ったところでは、公式にはこの提案は延期されたようですが、近い中に実現される模様です。
ご承知のように、ニクソン大統領がエネルギーに関する教書を出すと云われております。
これは就任式その他の事情で延びておりまして、恐らく3月頃になるのではないかと云われます。そこで如何なる新方針が打ち出されるにしても、近い将来に日米間でこの問題を取り上げなければ、大きな資源戦争が起る、正に世界的な立場でエネルギー資源の調整をしなければならないと云う認識が、米国側にも日本側にも高まっていると云うのが元日のトップ記事に扱われた所以であります。
エネルギーに関するニクソン教書は、実はご記憶かも知れませんが、2年程前に1971年6月に出ております。
アメリカが当面するであろう将来のエネルギー政策、しかも将来のエネルギーは綺麗なエネルギーでなければならないと云うことから、同じ原子力発電をするにしても、高速増殖炉が開発されなければならないと云うことがその教書に唱われております。
またアメリカには大きな大統領直属の調査機関があります。
そこの調査報告が昨年の11月に発表になっております。
この調査局は、日本語では緊急準備局とでも云うのでしょうか、Office of Emergeney
Preparednessと云う名称であります。
そこで発表された調書はおそらく今度のニクソン教書の基調になるものと想像しますが、それは今後20年間に非常に大きなエネルギーが必要になる。
ご承知の様に何でもあり余ると思われていたアメリカが、エネルギー資源では危機に直面することを警告しているのであります。
数字的に申しますと、1971年にアメリカが消費をした総エネルギー量(電力・石炭・天然ガス・石油等あらゆるものを含む)が、69×1015BTUであります。
これが80年の予想におきまして96×1015BTUになり、90年において145×1015BTUすなわち2倍以上に達する。(第1表参照)1980年のエネルギー(主として石油)輸入金額は150〜200億弗に達すると予想されているのです。
しかもこの調書では、実は非常に内輪めに予想したのだと注釈がつけてあります。
20年間で2倍になると云うのは、我々の常識から考えれば確かに内輪であります。
しかしそれにはそれだけの理由があるので、一つの根拠はエネルギーの入力に対する出力と申しますか、利用効率が上ると云う点です。
アメリカ人の人口が増えると同時に、アメリカ人1人当りの消費が増えますが、総供給量はその相乗積程は増さない、すなわちエネルギー消費の効率が上るのだと云うのであります。
いま一つは、エネルギーの消費構造からの問題です。
アメリカのエネルギー消費を大別すると、運輸で25%、工業で29%、それから電力(2次エネルギーとしての)のために25%、それから住宅・商業用に21%使っていることになる。
と云うことは工業用は全体から云うとまず40%前後と云ったところですから、将来は伸び率の鈍化と云う事が考えられる。
そこで極めて内輪な想定をしたけれども、少くとも20年間にエネルギー消費が2倍になることは必至である。
とするとこれに対してはエネルギーの値段が上がるのと同時に、ナショナル・セキュリティー、すなわち供給安全確保の問題が起って来るのは当然であります。
この想定数字が正しいとするならば、1980年においてアメリカは総エネルギーの30%を輸入しなければならない。
これは石炭も水力も天然ガスも凡てを含めた総量ですから、若し石油だけで云うならば1980年においての輸入比率は50%に達する。
日本で考えますと、これは実に贅沢な、また余裕のある数字であると云えましょうが、アメリカで石油を50%輸入しなければならないと云うことは、とんでもない危険なことだと考えられておるわけであります。
そこでどうすればいいか。これは恐らく間もなく発表されるニクソン教書で答えられる中心課題でありましょうが、前に述べた調査局報告で云っておることは結局2つしか方法はない。
その2つの方法とは何だと云えば、一つは消費を取締って節約するベルト・タイトニングと云う言葉を使っています。
もう一つは無駄を防ぐ、リーク・プラツキング、すなわちロスを省くことであります。
とにかく消費を制限し無駄をつめる。しかしそれでもアメリカが世界のいずれかの国からその所要石油の50%を輸入しなければならなくなると云うのは、これはアメリカだけの問題でなく、日本にとって大変なことになるに相達ありません。
今、いろいろとオペック(OPEC)の運動が話題になります。オペックが最初は一種の値上げカルテルであると云うふうに一般の人は考えたのでありますが、決してそんな生易しいものではない。
結局オペックは石油の生産ひいては石油の経営についての発言権を持つ、現に既に石油株式の或るパーセンテージを取得したことはご承知のとおりであります。
今日までアメリカのメイジャーと称する人達が持っておった石油に対するヘゲモニーは崩れ出しておるのであります。
その上彼等は10年或いは数十年の間に非常な金を持つことになります。とするならば、その人達の発言権が今日考えておる以上に大きな問題になるであろうことは確かであります。
終戦後最大の問題は東西問題であり、それが転じて南北問題になった。
そしてさらにこれは資源国と非資源国の問題になるとすると、戦前に云われた持てる国と持たざる国との問題が違った形で再現するおそれが無いでしょうか。
そしてその場合再び惨めな状態に置かれるのが日本であり、誠に危いと云うことを感ぜざるを得ません。
石油の値段が騰がる、或いは数十万トンと云うマンモスタンカーが太平洋に数珠つなぎになる、或いは国内のパイプ輸送は容易に出来ないなど、いろいろな問題もさることながら、このオペックを向うに廻してアメリカと日本とが石油獲得競争をしなければならないとなると、これは容易ならぬ問題であります。
そこで冒頭に申しましたように、何とか世界のエネルギー資源に対して一つの基本的な憲章を作ろうじゃないか、そうしてエネルギー資源の獲得に対して一種の軍縮会議をやって獲得競争を抑制しなければ大変なことになる。
これが今年の大きな課題になると云う考え方が取上げられる所以であります。
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〔エネルギー源の救世主原子力〕
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そこでエネルギー資源と云うものが果してそれほどに枯渇しているのか、或いはこれに替わるべきものがないのかと云うのが本日お話申上げたい原子力の問題であります。
結局人類の歴史が何万年であるか知りませんが、50万年と唄する人もあるし、100万年と唄する人もありますが、人類が火を使い初めてからまあ10万年のオーダーであるかと思いますが、それに対して20世紀において人間が原子力を使い出したことを、新プロメチウス時代と呼んでいる学者がおるわけであります。
電気の発見が第2の火であり、第3の火が原子力であると云う考え方は確かにあります。
また事実使う効用の高さと云う意味においては第2の火と云い得るかも知れませんけれども、電力はそのものがエネルギー源ではないわけであります。
ところがそれに対して原子力そのものが非常に大きなエネルギー源であると云う意味から云うと、やはり人類が今日原子力を使い初めたと云うことが、新プロメチウス時代であると云うことは間違いではないと思うのであります。
一体エネルギーの先き行きが不安であると云う考え方は、20世紀の可成り当初から呼ばれております。
一番それを早く唄え出したのは石油であろうと思います。
石油は非常に古くから判っておりながら、多量かつ工業的に使い初めてからまだ100年と云ったオーダーであります。
18世紀には石油を使っておりません。
ところが石油需要が急増してそのうちに掘りつくされて了うのではないか、石油がどの位残存埋蔵量を持っているかと云うことで、私共学校で習った時代には石油は30年しかもたないであろうと云われたのであります。
これに対して石油業者は、常にR/Pと云う比率を云うのであります。申すまでもなく採掘可能量(R)に対する年生産量(P)の比であります。
これがずうっと50年位の歴史を調べてみますと、大体30年前後、多くても40年を越しませんし、少なくても20年を下がったこともない、実に人をバカにした話なのであります。
ちゃんと要子だけのものは何処かで探してくるので、これだけ石油が余計に使わたるようになったに拘らずR/Pは今日大体30年前後に考えられています。
そしてまた30年経つとまた30年分位出て来る。これは技術進歩その他によって可採量が増したのでしょうが、さりとてこれを無尽蔵であると云うふうには考えられない。
一方いわゆる産業革命をもたらしたエネルギー資源は石炭であります。
天然ガスが最近クローズアップしております北海で、非常に多量の天然ガスが出ておりますけれども、アメリカの国内的に見ますと、天然ガスは寧ろもう枯渇しているのではないかと思います。
只今申しました緊急準備局の報告書を見ますと、天然ガスをボイラーで使うような勿体ないことは、今後は禁止すべきであると云うことを云っております。
然らば一体どの位エネルギー資源の埋蔵量はあるであろうか。
これはいろいろな調書がありまして、私はどれが確かな数字であるか知りませんが、少々古典ではありますが割合確からしい数字の一つとして、今から20年位前にパットナムが発表しておる数字をご覧に入れます。
この数字によりますと、石油の今日或いは将来採掘可能であろうと考えられておる数量は7Q、これに対して石炭は72Qであります。
(注)1Qは10の乗B.T.U.
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第 1 表 |
人類が産業革命(1850年前後)迄に消費したエネルギー全量 |
9Q |
それからの一世紀(1950年前後)迄に消費したエネルギー全量 |
4Q |
20世紀の後半からの約半世紀に追加使用されるであろうエネルギー |
11Q |
21世紀の中間即ちこれからの100年間のエネルギー総量 |
72Q |
以上に対してエネルギー資源の埋蔵量は |
石油 7Q 石炭 72Q |
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ご説明の必要はないと思いますが、これは第1回のジュネーヴ会議が1955年に開かれたときに、原子力によるエネルギーと云うものを考える上で参考に供された数字です。
これはアメリカ政府の命令で出来た分厚い調書ですが、その冒頭の大変長い頁を使ってまず人口問題を取上げています。
エネルギー消費を考える場合に人口がどう云うふうに増えるであろうかと云うことが前提になるわけであります。
皆さん恐らくローマクラブの「成長の限界」と云う報告をお読みになっておると思いますが、ここでも矢張り基本は人口の問題であります。
ローマクラブによるマサチューセッツ工科大学(MIT)の調書は5項目を取上げて将来予想をしていますが、人口がその前提であります。
この報告には賛否両論と云うか、随分反論もあります。
一番極端な反論をしておりますのは、例えば有名なハーマンカーンもその1人です。
人間は探せば必ず資源なんかは出てくるのだと云う考え方かと思います。
確かに「成長の限界」を読んでみますと、他のカーヴはみんな一旦は上って或るところへ来てサチュレートし、或いは下がる。
ところが資源と云うものは使えば使うだけ減ると云う考えに立っております。ところが資源の或るものは再使用が出来ましょう。
もう一つは新しい、考えられない資源がまだまだ地球上には沢山ある。ですから必ずしもローマクラブ的考え方には賛成はされているかどうか知りませんが、人口が増えると云うことだけはもう間違いない事実であるかと思 います。
ローマクラブに限らず人口増加の統計はいろいろありますが、1例として西暦紀元0年既ちキリスト誕生の頃で云うならば、世界人口は3億人位だったと云われております。
産業革命の18世紀において人間の数が9億人位、そして現在20世紀の中頃、戦後1960年位の統計で先ず36億人位。と云うことは、その昔の人口は1800年で3倍になったが、最近は150年で4倍になっているわけです。
ところが最近の増加率は2.1%でありますから、この調子でいきますと35年すると倍になるわけであります。
有名なマルサスの人口論では、人口は幾可級数的に伸びるけれども食料は算術級数的にしか伸びないから、そんなに世の中の人間の生活がよくなると云うことは考えられないと云う有名な悲観論が出たわけであります。
ところが人口が幾可級数的に増えるなどと云うのはとんでもない間違いいでして、超幾可級数的に増える。
云い替えれば今地球上では入間が爆発的増加をしておる時代に来ておるわけであります。
そこで人口1人当りのエネルギー消費量がどの位増して来るかには議論があるにしても、その相乗積たるエネルギーの総需要量が非常に大きくなるであろうことは、想像に難くないわけであります。
これに較べるとパットナムの20年前の予想は大変控え目で、乱暴な数字を言うならば、5割位少ない人口増加率を想定しております。
しかしそれにも拘らず 過去においてどの位人間がエネルギーを消費し、そして未来どの位人間がエネルギーを消費するであろうかと云う数字は下記の通りであります。
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第 2 表 |
1971年(年間総量) |
69×1015 |
BTU(17×105 Kcal) |
1980年(同上予想) |
96×1015 |
BTU(24×1015Kcal) |
1990年( 〃 ) |
140×1015 |
BTU(85×1015Kcal) |
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これによると産業革命前までに人間がそんなにえらいエネルギーを使ったとは考えられない。
それをパットナムは9Qと推定しております。
それからの100年余に4Q増した。それが紀元2000年までに恐らく11Q使うであろう。
そして2050年までに累計72Qになるであろうと想定しております。若しこれが正しいならば,開闢以来と申しますか。
或いは人問が火を発見してから今日まで使った、総エネルギーの5倍を今後100年間に使うであろうと云うことであります。とんでもない数字と云わざるを得ません。
さて、それだけのエネルギーを使いましても72Qでありますが、先刻申しました石炭と石油を合わせて80Qでありますから、まあ100年間はそうは云うけれども在来エネルギーで賄なえる。
しかし100年間でエネルギーが無くなる。
或いは無くなるに近いと云うことになったらばこれは大変なことであります。そこへ原子力が出て来たわけであります。原子力エネルギーと云うものをどの位に見るか、これは実は解らないのであります。
と云うのは原子力の利用の中で今のような形でウランを使う。それもウランの235だけを使う。
或いは高速増殖炉の時代になりましてウラン238が使える、或いはトリウムが使える。
モザナイトは世界的に云うならば、ウランの鉱量などよりは余程多いのでありますからトリウムが使えるかどうか、或いは核融合になりますれば重水素が使える。
その仮定の置き方でいろいろ違いますが、パットナムが当時想定したウラン並びにトリウムのエネルギー量の換算から言いまして、当時発表しました数字は1800Qであります。
石油だ石炭だ天然ガスだと仰有るけれども、原子力のエネルギー量と云うものが桁違いであると云うことだけは間違いない事実であると思います。
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〔原子力はどの様にして使うぺきか〕
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そこで原子力が先き長い間には相当大きな役割を占めるであろうことは問題ないとしまして、目先そんなに急激に原子力に移行するかどうか、これは矢張り問題が残ります。
一体如何なるエネルギーをどう云う形で使っていくのがいいか。
一つは勿論価格であります。
経済的でなければならない。一つは使い易さと申しますか、何と云っても電力と云うものは最も使い易い形のエネルギーであるに違いない。
しかしそれだけでは済まない。
安全性と公害の問題がありますし、また十分に確保出来るかどうかと云うセキュリティの見通し。
こう云った諸条件が満たされなければ将来のエネルギー資源として使うわけには行かないのであります。
これについて今では一つの歴史的文献と申しますか、皆様ご承知の2つの大きな主張が戦後あったと思います。
戦後のエネルギー政策をどうするかと云うことをヨーロッパ連盟が調査をし、2つの調書を出しております。ハントレー報告とロビンソン報告と云われておるものであります。
ヨーロッパのエネルギー政策をどうするか。
ヨーロッパには多量に石炭があるわけでして、ドイツ・フランス・ベルギー等大陸並びにイギリスには非常に石炭の埋蔵量があります。
それにも係らず大きなエネルギー資源(石油)を域外、例えばアラビア地域或いはアフリカ地域、南米地域等から輸入したのでは、ヨーロッパの経済はその輸入の重圧で経済発展が出来なくなる。
どうしても石炭の保護政策をとって、石炭の自給或いは国産奨励をする必要がある。
これがハートレイ報告の根本の趣旨であります。
ところがその報告が出て2年位の間であったと思いますが、今度はロビンソン報告と云うものが出たのであります。
この結論は全く反対で、エネルギー需要者の撰択に委されるべきである。
と云うのであります。
エネルギーはそんなに枯渇はしない。どんどん輸入をして必要ならパイプラインを造って、そして一番使い易くて安いものを需要家が選べば、それは石炭であれ石油であれ一向にかまわない。
このロビンソン報告が一般に承認された結果とでも云いますか、いわゆる燃料の流体化と云うものは急速に実現したのであります。
そして日本は折からの買手市場を良いことにして99%輸入しながら安い石油に依存して、国内の炭鉱などは片っぼしから潰して了ったわけであります。
この政策が賢明であったか、或いは止むを得ないものであったか知りませんが、今日アメリカではいわゆる石油のメージャーと称せられるグループが盛んに石炭山を買収していることは、注目して置く必要のある問題と思います。
前回のニクソン教書では、石炭のガス化を早急に研究すべきことを強調しております。将来原子力の対抗馬は、石油でなくて石炭瓦斯化である と云った時代が来ないとも云われません。
一朝事があった場合も考えてみると、99%エネルギーを外国に依存するなどと云うことは一寸考えられない危いことです。
国内備蓄日数を少々増す位で解決する問題ではありません。これに対して対称的なのは米です。戦後最も重点を置き、そしてそれが成功したのは米だと思います。
とに角米だけはもう自給自足、高くても安くてもどんなことがあっても日本人は米を食い損なうことはないのであります。それに反してエネルギーの問題はお寒い限りですが、独り日本だけの問題ではありません。ハートレイ報告が見直されている所以であります。
そこで先程申しましたように、単にオペックの動きが何うであるかと云うようなことでなく、エネルギーの長期的確保に対する問題、アメリカの今度の大統領教書にも恐らくそのナショナルセキューリティの問題がうたわれるであろうことを、注視せざるを得ないのであります。
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〔原子力はクリーン・エネルギー〕
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今ひとつ重要な問題は公害の問題であります。最近非常に公害の問題がやかましく、一部には多少の行き過ぎはあるかも知れませんけれども、とに角公害はストップしなければならない。
この機会に若干の行き過ぎは別として、人間環境を守るためには大いに反省を加えなければならない。
そしてそれは技術的また経済的に不可能だとは思われません。それは自然と云うものは復元力があり、環境には環境容量といったものがあるからです。
その限度内に公害を留めるであろうならば、人類の進歩を停止することなしに地球は綺麗に保てるわけであります。
昨年ストックホルムの会合では、Only One Earthと云う標語で新聞記事なども大きく取上げたのでありますが、この考え方は決して今に始まったわけではありません。
パットナムの報告は20年前に出ておりますけれども、そこにはPlundered Planet,すなわち汚されつつある地球と云った表現が使われております。
それは今のままで行けば、地球がだんだん荒廃して行くことは事実でしょうが、それを何とか復元する。それは決して出来ないことではないと思います。
しかし話題が逸れますので今日は発電問題に限りたいと思います。
私は世界エネルギー会議に関係しておりまして、昨年のストックホルム会議にはエネルギー発生業界からの汚染問題について一つの報告書が提出されています。
これは主として在来型火力発電所の問題を世界的にアンケートを出して、その結果を取纏めたものです。
この結果を如何に評価されるかは別として、如何に低硫黄化燃料を使っても若干の空気汚染が起ることは避けられません。
問題はそれと原子力発電による公害との比較です。私はドグマと云われるか知りませんが、原子力発電の方が遥かに公害が少ないと信ずるものであります。
なるほど硫黄および窒素酸化物については、そうかも知れない、しかし原子力発電においても環境放射能などの未解決または不分明な問題が数多くあるではないかといわれる。
現にラルフネーダーの如き有力者が72項目の質問を挙げてAECの回答を求めております。
これは専門的な事項ですし、今日の主題でもありませんので、ここでは私は一つの講演記事だけを引用いたします。
それは最近まで米国AECの委員長であったシュレヂンガー氏が全米健康保護協会の創立100年記念会での講演です。その中で彼は何故医師が原子力の放射能のみを問題にして、医療用の照射を問題にしないのかを問いかけているのです。
アメリカでの自然放射能は、大体年間100ミリレムです。ご承知と思いますが、東京が100ちょっと、大阪が150の方に近い量のようです。
世界的に多いところは300ミリレム以上、まあ200程度のところは珍らしくない。これだけの自然放射能はもう人間は何万年も受けているわけであります。
そのために突然変異が起ったり、妙な遺伝や癌が起ったりしているのかどうか知りませんが、とに角これだけのものは自然に存在している。
それに対しまして一般アメリカ人は健康診断のたびに放射能を受けておる。肺の結核検査、或いは癌の検査であるとか、その他医療用のためにアメリカ人が受けているレントゲン撮影による照射は、平均年率70ミリレムであります。
ところがアメリカ発電所設置の場合に許容される放射能の設計目標は、発電所の周辺の公衆の個人に対して5ミリレムであります。
しかも実際に発電所が出来ても、何も5ミリレム出るわけではないのでありますし、またそれは多くは人口の希薄なところに出来るわけであります。
従って現実にアメリカ人が、原子力発電所から何等からの意味において受けておるであろう放射能は、全部の放射能のうちの恐らく1/1000のオーダであろうと思います。
シュレヂンガーはお医者さんの有力な団体に対して一般の人の健康のためにとは云い乍ら、70ミリレムの照射を認めることに寧ろ疑問を投げ掛けると同時に、原子力に対して5ミリレムを問題にする点を反論して、若し皆さんがジェット飛行機でアメリカの東海岸から西海岸まで往復飛行をするならば、5ミリレムは照射されます。
1万メートルから2万メートルくらいまで行きますと、可成り自然放射能が強いらしいのです。原子力発電が放射能を出さないとは申しませんが、原子力発電から出るであろう放射能と云うものの程度を、もう少し一般の方に認識してもらいたいのです。
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〔パンドラの函〕 |
演題に掲げましたプロメチウスと云うのは、申上げるまでもなくギリシア神話中の巨人であります。またギリシアの神様の中で一番えらいのがゼウスであります。
神々は火を使うと云う特権を人間に与えなかったのでありますが、プロメチウスかそれでは如何にも人間が可哀そうであると云うので、ゼウスを騙したのでありますが、ゼウスは騙されたことを非常に怒ってプロメチウスをコーカサスの山に縛りつけておいて、鷲の嘴で肝臓を突つかせると云う大変な極刑を与えた、と同時にゼウスの神様がパンドラと云う女をつくりまして、その美人に箱を持たせて人間界によこしたわけであります。
そのパンドラがプロメチウスの弟の妻君になると同時にそのパンドラの箱を開けたわけであります。
そこでパンドラの箱がありとあらゆる人間の災厄、或いは悪徳、闘争であるとか嫉みであるとか怒りであるとか、そう云ったもろもろの悪事が飛び出したのでありますが、最後に一つだけぐずぐずしてパンドラの箱から未だに出て来ないで残って了ったやつがある。
これが希望であると云うのがギリシアの神話が語るところであります。
原子力と云うものが原子爆弾と云う形で最初に人間の手に扱われたと云うことは、正にパンドラの箱から出たものだと思います。これは人間の発明、発見の歴史の中に極めて残念なことであります。
若し原子力が最初から原子爆弾でなくて人間の手に使われたであろうならば、今のような原子力アレルギーと云うものを人間は持たずに済んだと思います。
正にパンドラの箱であります。
しかし原子力がパンドラの箱から出た諸悪の一つであるが、最後までぐずぐずして出損なったもの即ち人間の希望であるか。私はパンドラの箱が開けられてから1万年したのか10万年したのか知りませんけれども、原子力が出たと云うことこそパンドラの箱に最後まで残った希望であると考えます。
何故か?私は人間にいろいろの希望はありますけれども、最大の希望は平和であると思います。どんなにいい生活をしても、20年に1ペんか80年に1ペん大戦争をやればすべてぶち壊しになる。しかし残念ながら人間の平和と云うものは、戦争の合間合間に平和があり、或いは平和の合間合間に戦争があったので、かつて戦争が無かった100年間と云うものはどんな国でも極めて稀なのです。
そして私は若し未だ原子力が人間の手で利用出来なかったら、人間は何時の日にかはエネルギーのために戦わざるを得なくなる。
エネルギー無しに恐らく21世紀の初頭には地球に70億の人間が住むであろうと云うことは、考えても恐ろしいことであります。
かつて世界戦争が石油戦争と云われた如く、次はエネルギー戦争をせざるを得ないのではないか、それが今日は未解決の問題があるにしても、エネルギーに関する限り人類は戦争を避け得るのではないか。
私は原子力爆弾が出来たことで、かつてダイナマイトの発見者がノーベル平和賞を作ったように、いや、ノーベル平和賞を作ったに拘わらず戦争が繰返されたとは、別の意味で戦争が出来なくなるであろうことを希望します。
しかしエネルギーが困らないと云う見通しがついたと云うことが、将来の平和を保証する大きな問題解決になるのではないかと考えます。そう云う意味で私は人間が原子力を使い得るに到ったと云うことは、かつて人間が火を使い初めたに匹敵するほど大きな発見であると同時に、それが人間の平和への希望と云うものを最終的にもたらし得たパンドラの箱ではないかと考えるのであります。 |
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