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昭和42年度原子力年報について


昭和43年8月
原子力委員会

 原子力委員会は、昭和31年以降、毎年、わが国における原子力開発利用の過去1年間の動向をとりまとめた原子力年報を作成し、公表してきたが、このたび、42年度を中心とする第12回の原子力年報を作成した。

 本年報は、13章からなり、第1章総論においては、「原子力開発利用長期計画」の改訂とともに、動力炉開発をはじめ、新たな段階に踏み出したわが国原子力開発利用の42年度を中心とする主な動向と海外の状況を総括的に述べた。

 第2章から第13章までの各論においては、原子力発電、動力炉開発、核燃料、原子力船、放射線利用、基礎研究および核融合、安全体策等の項目について具体的に述べた。

 このうち、42年度における重要な動きを述べると、次のとおりである。

(1)原子力委員会は、42年4月13日、36年に策定した「原子力開発利用長期計画」を改訂した。

 42年度は、この新長期計画の初年度として、わが国の原子力開発利用は、新たな段階への第一歩を踏み出した。

 とくに、動力炉の開発に関し、原子力委員会の示した方針にもとづきその計画の具体化とともに体制の整備がすすめられ、42年10月、動力炉・核燃料開発事業団が発足した。

 これにより、わが国がかつて経験したことのない大規模な研究開発計画が「国のプロジェクト」として関係各界の総力を結集して推進されることとなった。

(2)わが国における原子力発電は、運転中の東海発電所のほか新たに、3基の軽水炉の原子力発電所の建設がすすめられているが、さらに、43年3月および5月に、各1基の軽水炉の設置が許可され、その規模を増大させつつある。

 この結果、原子力発電の長期見とおしは、原子力委員会が新長期計画において想定した数値を上回るすう勢にある。

(3)このような原子力発電の増加に対処して、核燃料の低廉かつ安定な供給とその有効な利用をはかる観点から、国内における適切な核燃料サイクルの確立をはかるため、動燃事業団において使用済燃料再処理工場建設計画の具体化が促進されたほか、ウラン資源の確保、ウラン濃縮およびプルトニウム利用等の研究開発等の施策がすすめられた。

 なお、民間においても海外ウラン資源確保のための動きがみられた。

 また、特殊核物質民有化にともなう施策の検討を行なうとともに、政府は、濃縮ウランの入手をはかるため、日米原子力協力協定の改訂交渉をすすめ、43年7月、新協定の発効をみるにいたった。

(4)原子力委員会は、42年3月「原子力第1船開発基本計画」を改訂したが、42年度には、この新たな基本計画にもとづき、日本原子力船開発事業団により原子力第1船の建造に関する業務がすすめられた。

 すなわち、42年11月、青森県むつ市に地元の了解を得て定係港を設置することとなり、さらに原子炉設置の許可が行なわれ、原子力第1船の建造は、本格的に着手されるにいたった。

(5)放射線利用に関しては各分野においてそれぞれ着実な研究開発がすすめられ、42年度には、放射線化学とラジオアイソトープ工業利用の分野で注目すべき成果が収められた。

 また、食品照射に関し、原子力委員会はその研究開発を「原子力特定総合研究」としで実施することとし、「食品照射研究開発基本計画」を定め、これにより関係各機関の協力のもとに研究開発の推進がはかられた。

(6)核融合研究に関しても、原子力委員会は、43年7月、「核融合研究開発基本計画」を定め、これを「原子力特定総合研究」として、44年度から大学および民間企業の協力のもとに、日本原子力研究所をはじめ関係各機関において実施することとした。

(7)原子力開発利用の推進にあたり、ひきつづき安全確保についての努力が払われた。

(8)中共およびフランスの核実験ならびに米国軍艦のわが国への寄港にともなう環境放射能調査が実施されたが、とくに43年5月、米国原子力潜水艦ソードフィッシュ号の寄港に関し、従来みられなかった値が観測された経緯にかんがみ、放射能調査体制の一層の強化整備がはかられることとなった。

(9)42年度には、前述した日米原子力協力協定のほか、日英原子力協力協定についても、その改訂がすすめられ、相互主義の原則のもとに原子力開発利用に関する協力が行なわれることとなった。

 他方、核兵器の不拡散に関する条約に関し、原子力委員会は原子力平和利用の推進をはかるうえに、同条約がいささかもこれを阻害することのないようその見解を明らかにし、政府は、この原子力委員会の見解にもとづき、同条約草案に対し、わが国の意見を反映せしめる努力を払った。
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