前頁 |目次 |次頁

昭和41年度原子力年報総論


総論

 今日、原子力開発利用は、各国において多大の努力がはらわれ、各分野における実用化が着実にすすめられ、とくに原子力発電は、世界的に、著るしい進展をみせるにいたった。

 わが国においても、エネルギー資源を海外に依存せざるを得ない実情から、原子力発電は、その経済性の向上とともに、将来におけるエネルギー供給の有力な担い手として、その開発が積極的に推進されようとしている。

 このような情勢に対処して、わが国に適した動力炉を自主的に開発する必要が関係各方面において認められ、そのすすめ方に関し、かねてから検討が行なわれてきたが、原子力委員会は、これらの検討にもとづき、昭和41年度に、動力炉開発の基本方針を内定し、さらに、動力炉開発計画の具体化をすすめた。

 また、原子力発電の進展にともない、必要となる核燃料に関し、その確保をはじめとする核燃料政策の確立のために努力がはらわれた。

 原子力船についても、最近における船舶の高速化、大型化のすう勢を背景として、その実用化の見とおしが明確になってきた。

 これとともに、かねてからの懸案であった原子力第1船の建造に関し、その計画の具体化がすすめられた。

 さらに、放射線利用についても、医学、農業、工業など産業と国民生活の広汎な分野にわたって、利用分野の急速な拡大がみられ、利用技術の高度化とともに、ますます発展しつつある。

 このようにして、原子力の開発利用は、国民生活と産業経済にますます密接に結びつき、その実用化が大きく期待されるようになった。

 これにともない、わが国においてこれを可能なかぎり自主的にすすめるため、長期的総合的視野のもとに、明確な指針を確立し、施策の充実をはかることが緊要な課題となった。

 原子力委員会は、このような情勢の進展に対応して、36年に策定した「原子力開発利用長期計画」(長期計画)を改訂することとし、約半歳余に及ぶ検討ののち、42年4月、新たな長期計画を決定し、今後のわが国における原子力開発利用のすすむべき方向と施策の大綱を明らかにした。

 §1 国内における原子力開発利用の動向

 (原子力発電)
 41年度には、3基の軽水炉が建設されることとなり、その建設工事がそれぞれ開始され、この結果、45年度までに、わが国で運転される原子力発電の規模は、総計約130万キロワットに達することとなった。

 さらに、41年度において、電気事業者により、これらにつづく原子力発電所の建設計画の具体化が検討され、また、関係各機関において、わが国エネルギーの長期需給見とおしおよび原子力の位置づけが検討された。

 原子力委員会は、これらの検討結果を勘案して、長期計画において、原子力発電は、わが国エネルギーの安定かつ低廉な供給に資するものとして、積極的にその開発が推進される必要があること、そして、原子力電発の経済性向上の見とおし、わが国のエネルギー供給に占める石油の比重の大幅な増大、原子力発電と他の電源との最適な組合せなどを考慮して、原子力発電の長期開発見とおしをたて、60年度には、3,000万ないし4,000万キロワットに達すると見こみ、50年度には、600万キロワットの開発が行なわれていることが妥当であるとした。

 (動力炉開発)
 原子力委員会は、41年5月、高速増殖炉および新型転換炉の開発を国のプロジェクトとして推進することとし、それぞれ60年代の初期および50年代の前半に実用化することを目標として、42年度から開発の体制を整備し、その開発を強力にすすめる方針を決定した。

 この開発計画は、約20年間にも及ぶ大規模な国家的事業であり、これらの動力炉の実用化により、ウランの有する潜在エネルギーを最大限に活用し、資源に乏しいわが国において、核燃料の有効利用をはかり、さらには、わが国科学技術水準の向上と原子力産業基盤の確立が期待される。

 この国情に適した動力炉の自主的開発を各国の動力炉開発計画に伍して推進することは、わが国原子力開発利用のうえで画期的なことである。

 (核燃料)
 急増する原子力発電に対応して、これに必要とされる核燃料は、ここ当分の間、わが国の原子発電所の建設が軽水炉を中心としてすすめられることを前提として試算すると、天然ウラン精鉱に換算して、今後20年間に約9万トンの累積所要量が見こまれている。

 それ以降においては、原子力発電が電源開発の主流となるとともに、核燃料の所要量はさらに増加し、高速増殖炉が十分開発されるまでこの傾向はつづき、その累積所要量は相当な量に達することが予想される。

 したがって、今後、わが国の原子力発電をすすめるにあたって、動力炉の開発を促進し、その実用化によって、将来における核燃料の所要量を可能なかぎり少なくすることが必要である。

 しかしながら、当面の問題として、濃縮ウランをはじめ、ウラン資源の確保につとめるとともに、わが国に最も適した核燃料サイクルを早期に確立し、核燃料の安定供給と有効利用をはかることが、緊要な課題として、関係方面において認められるにいたった。

 一方、核燃料の所有方式については、濃縮ウラン、プルトニウム等の特殊核物質は国有のもとにおかれていたが、国際協定のうえで必ずしも国が所有する必要がなくなったこと、最近における上述のような原子力発電の進展と核燃料物質に関する平和利用の保障、安全性を確保するための国内管理体制が整備されてきたことなどにかんがみ、原子力委員会は、これを民有とする方針を決定した。

 これにより、今後のわが国における核燃料に関する施策は、民有化に対応して必要な安全保障措置等の整備を行なったうえで、すすめられることになった。

 ウラン資源の確保については、濃縮ウラン入手のための日米原子力協力協定改訂の準備がすすめられ、また、海外ウラン資源の確保のための予備調査が、原子燃料公社(公社)により実施されたほか、民間産業界においても、海外調査団が派遣された。

 核燃料サイクルの確立に関しては、核燃料加工事業の健全な発展を期待するとともに、国内において使用済燃料の再処理を行ない、プルトニウム、減損ウランを有効に活用することがとくに重要である。

 この観点から、原子力委員会は、公社に再処理工場の建設を行なわせることとし、公社は、その計画の具体化に関し、41年度には、すでに再処理工場の詳細設計を行なうにいたった。

 また、この再処理によって取出されるプルトニウムについても、核燃料として有効に利用するため、公社ならびに日本原子力研究所(原研)の研究施設の整備をすすめ、必要な研究開発が行なわれようとしている。

 以上のように、わが国においても、原子力発電が急速に進展するすう勢に即応して、その円滑な推進をはかるため、長期的な観点から、ウラン資源の確保をはじめとする適切な核燃料政策を確立すべき段階にたちいたっており、このため、原子力委員会は、長期計画にもとづき、さらにその具体的な施策について検討をすすめることとしている。

 (原子力船)
 原子力委員会は、前年度、原子力第1船の建造について、その着手を若干延期し、船価ならびに技術的諸問題等の検討をすすめてきたが、42年3月、これらの検討結果にもとづき、「原子力第1船開発基本計画」を改訂し、関係業界の協力をえて、42年から、その建造に着手することとなった。

 一方、世界海運の動向と舶用炉の技術進歩の見とおし等を考慮すると、10年後には、原子力船の実用化が予想されるので、40年代の後半に、実用原子力船の建造に着手しうるように、それに必要な舶用炉の改良研究のすすめ方について具体的に検討されることとなった。

 (放射線利用)
 放射線利用については、41年度においても、ひきつづき、原研、国立試験研究機関等における研究を推進し、その実用化の促進をはかってきた。

 最近、放射線利用の新しい分野として食品照射の実用化が注目されるようになり、原子力委員会は、40年度に食品照射専門部会を設置し、その具体的な研究開発の推進方策について検討をすすめ、これにもとづき、42年度から研究開発をすすめることとしている。

 (安全対策)
 このようにして、原子力発電、動力炉および原子力船の開発、さらに放射線利用の拡大等、わが国における原子力開発利用がようやく本格化するにともない、これに即応して、原子力施設の安全を確保することが、ますます重要な課題となってきた。

 このため、原子力委員会は、今後とも、安全基準の確立、実証的な安全研究の充実を推進するなど、原子力の実用化の進展に対応した安全対策の整備をはかり、万全を期すこととしている。

 原子力開発利用は、経済活動の基礎として、国民経済の発展に大きな役割が期待されるものであり、しかも、上述のように、いまや実用化、産業化の移行段階に到達している事情から、長期的な国家的利益に即して、関係各界がその役割の重大性を自覚して、これをすすめることが強く要請される。

 以下に、海外における原子力開発利用の動向を概観し、原子力委員会を中心とした41年度における原子力全般にわたる開発利用の進展について、述べることとする。

 §2 海外における原子力開発利用の動向

 海外諸国における原子力開発利用については、それぞれ国情に応じて、その進展がはかられている。

 わが国の原子力開発利用を有効にすすめるためには、国際協力を積極的に活用するとともに、世界の動向を的確に把握しつつ、これに対処して行くことがきわめて重要であると考える。

 このような観点から、以下に、原子力発電、動力炉開発を中心として、41年度における海外諸国の動向を述べる。

 (米国)
 米国においては、軽水炉の著るしい技術進歩にともない、その経済性は、在来火力発電に比較して有利になることが見とおされ、発電所建設の重点が在来火力発電から原子力発電へ移行しつつある。

 1966年(41年)中に発注された原子力発電設備は、21基、約1,710万キロワットに達しており、なかでも、テネシー河流域開発公社(TVA)が建設することになった原子力発電所は、110万キロワット2基という大容量のもので、産炭地という条件にもかかわらず、より優れた経済性を有することが明らかにされた。

 現在、米国の原子炉製造業者は、内外からの原子力発電プラントの発注をうけ、とくにゼネラル・エレクトリック社およびウエスチングハウス社の両社は、1966年末における受注量が、それぞれ20基1,300万キロワット、17基900万キロワットであり、受注能力の限界に達しているといわれ、原子力部門の拡充を急いでいる。

 このような原子力発電の急速な進展により、将来の開発見とおしも大幅に修正され、1966年6月、米国原子力委員会(AEC)は、1980年(55年)には、8,000万ないし1億1,000万キロワットに達するという想定を発表したが、その後の予想外の進展をも考慮し、さらに修正を行なうべく検討がすすめられている。

 このような内外における原子力発電所建設計画の進展に対処して、AECは、すでに、1964年(39年)に濃縮ウラン等の特殊核物質を民有に移すことを決定し、同時に、濃縮ウランの供給方式について、賃濃縮を実施することとし、その準備をすすめている。

 このような情勢からウラン需要の急増に対処し、一時停滞をつづけた探鉱活動が再び活発に行なわれるよ うになってきた。また、民間において初の再処理工場が稼動され,さらに,新たな再処理工場の建設も民間企業により計画されている。

 AECは、ここ数年の間における原子力発電の進展により、1962年(37年)に大統領に提出した原子力発電に関する報告を改訂し、1967年(42年)2月、新たな報告を行なった。

 この報告において、すでに商業的に実証されつつある軽水炉を用いた原子力発電所の建設をすすめ、原子力産業を早期に確立すべきであるとし、さらに軽水炉の実用化と併行して、原子力発電を、ウラン-238およびトリウムのもつ潜在エネルギーを最大限に利用可能とならしめる方向へ導くため、ひきつづき、新型転換炉および高速増殖炉の開発をすすめ、その早期実用化をはかることとしている。

 新型転換炉については、従来より、重水減速有機材冷却炉、高温ガス冷却炉およびシードブランケット炉の3炉型について開発をすすめてきたが、その成果をもとに、開発炉型を絞って開発をすすめていくこととしている。

 一方、高速増殖炉については、はやくから実験炉および臨界実験装置により研究開発がすすめられており、その開発の重点はナトリウム冷却の高速増殖炉に集中している。

 現在、AECは、燃料照射用大型実験炉として、高速中性子束試験施設(FFTF)を建設中であり、民間においては、エンリコ・フェルミ原子力発電所により、燃料の照射試験の計画がすすめられている。

 なお、同炉は、燃料溶融事故により、運転が一時停止されている。

 一方、AECの援助のもとに、民間の酸化物燃料高速実験炉計画である SEFORの建設がすすめられており、この計画には、ドイツ連邦が参加している。

 米国では、これらの成果をもとに、1970年代には、いくつかの実証炉を建設すべく開発をすすめている。

 このほか、AECは、原子力発電と海水の淡水化装置を組み合わせた二重目的の大規模なプラントについてその経済性を検討した結果、メトロポリタン水道局による建設計画を内務省とともに援助することを決定した。

 また、この二重目的のプラントについては、イスラエル、ギリシャ等の諸国と共同研究がすすめられている。

 原子力船については、はやくから、実験船的性格のものとして、サバンナ号を建造し、原子力商船の運航経験を得るため、西欧各国を歴訪し、最近は極東諸国を訪問したが、今後の措置について検討が行なわれている。

 一方、1965年(40年)に、アメリカン・エクスポート(AEIL)社から、米国海事局に対し、原子力コンテナー船3隻を米国東海岸から極東航路に配船する計画の申請が行なわれ、また、1966年に、米国海事局において、原子力船の建造見とおしが行なわれるなど、実用化についても検討がすすめられている。

 (英国)
 英国においては、エネルギー政策の観点から、原子力発電は国産石炭に近い地位を占めているとの評価のもとに、その開発を強力にすすめ、今日では、世界第一位である343万キロワットに達する原子力発電所が運転されている。

 1965年には第2次原子力発電計画による発電規模が800万キロワットに修正され、これにもとづき、改良型ガス冷却炉(AGR)によるダンジネスB原子力発電所の建設にひきつづき、1967年には、同じく60万キロワットのAGR 2基のヒンクレーポイントB原子力発電所の建設が着手された。

 さらに、ランカスター地方に、60万キロワットのAGR4基により発電所の建設計画が、中央電力庁(CEGB)により発表された。

 この発電所は、人口稠密地帯に接近して建設されるもので、AGRの安全性に対する高い信頼性を示すものである。

 また、燃料部門を強化するため、ウインズケールの再処理工場の改造、ケーベンハースト濃縮工場の拡充等が行なわれている。

 一方、原子力産業グループの再編成の検討が行なわれるとともに、AGRの国際市場への進出をはかるため、1966年6月、原子炉輸出のための機関として、BNX(The British Nuclear Export Executive)が建設された。

 動力炉の開発については、新型転換炉としての重水減速炉の開発および高速増殖炉の開発が積極的にすすめられている。

 とくに、高速増殖炉の開発については、かねてからすすめられてきたドーンレイ高速実験炉等による研究開発の成果にもとづき、実証炉の建設を1978年(53年)までに行なうことを目途として、1966年に25万キロワットの原型炉の建設が着手され、開発計画の一段の進展がみられた。

 この英国における原型炉建設は、各国の高速増殖炉の開発を強く刺激することとなった。

 原子力船については、将来の舶用炉として、パルケイン型炉の研究開発を行なうにとどまっていたが、1967年3月、産業界において、原子力船に関する実用化の見とおしについて検討が行なわれた結果、高速コンテナー船を早期に建造する気運がみられている。

 (フランス)
 フランスでは、自国で開発した天然ウラン黒鉛減速炭酸ガス冷却炉(EDF型炉)による原子力発電計画がすすめられており、1964年(39年)策定の第5次原子力開発計画(1966年〜1970年)に従って、約250万キロワットの原子力発電所が建設されている。

 1966年3月に、48万キロワットのEDF-3が臨界に達した。

 また、サン・ロラン・デ・ゾ一において、EDF-4の1号炉が建設中であり、さらに、2号炉の建設も開始された。

 近年、フランスでは、とくに原子力発電の経済性向上を目ざして研究開発の努力がはらわれており、建設費の軽減をはかるため、EDF-4型炉の改良型で、燃料に濃縮ウランを使用する炉型の研究開発が行なわれている。

 そのほか、1966年7月には、ラ・アーグ再処理工場の運転が開始され、また、原子力産業界の再編成がはかられるなど、原子力発電の進展にともない、国内体制の整備がすすめられている。

 一方、対外的には、1972年(47年)運転開始を目ざして、スペインに両国の共同出資による50万キロワットのガス冷却炉による原子力発電所の建設計画がすすめられているほか、軽水炉技術の習得等のため、ベルギーとの共同計画による26万6,000キロワットの軽水炉によるSENA発電所が建設され、1966年10月臨界に達した。

 動力炉の開発に関しては、新型転換炉として、EDF炉の経験にもとづき、その技術を改良発展させ、経済性を一層向上させるため、重水減速ガス冷却炉の開発がすすめられ、1966年12月、7万3,000キロワットの原子炉EL-4が臨界に達した。

 高速増殖炉については、すでにナトリウム冷却の実験炉ラプソディーが臨界に達し、1970年代の実用化を目途に、1969年(44年)に原型炉の建設を開始する計画が検討されている。

 そのほか、当面、軍事目的のものではあるが、ビニルラットのウラン濃縮工場は、すでに操業が開始され、1967年中に最終段階である高濃縮ウランの生産が行なわれる予定である。

 (ドイツ連邦)
 ドイツ連邦(ドイツ)では、1963年(38年)から1967年(42年)にわたる原子力開発5ヵ年計画にもとづき、原子力開発利用の推進をはかっており、原子力発電に関しては、政府の積極的な援助のもとに、電力会社の協力をえて、すでに国内原子炉製造業者が米国で開発された軽水炉を国産化するにいたっており、現在、1966年8月に臨界に達した23万7,000キロワットのグントレミンゲン原子力発電所のほか、2基の軽水炉が建設中である。

 動力炉の開発については、将来、原子力産業を輸出産業として、発展させることを目途に、積極的に自主開発がすすめられている。

 新型転換炉については、核燃料の有効利用とともに経済性の向上を目的として、各種の炉型について併行的に開発がすすめられ、1966年8月には、独自に開発した1万5,000キロワットのペブルベット型高温ガス冷却炉(AVR)が臨界に達したほか、重水減速炭酸ガス冷却炉について、10万キロワットの原型炉の建設が決定されている。

 高速増殖炉については、米国のSEFOR計画に参加するとともに、従来の開発計画を繰上げ、1968年(43年)にナトリウム冷却およびスチーム冷却の両炉型について、それぞれ30万キロワットの原型炉の建設に着手することを明らかにし、その準備がすすめられている。

 また、原子力船についても、鉱石運搬用の実験船オット・ハーン号の建造がすすめられており、1967年末に試運転を行なう予定で、その完成が急がれている。

 (カナダ)
 カナダでは、世界有数のウラン資源国として、天然ウランを燃料として使用しうる重水減速炉の開発がすすめられている。

 1966年には、当初から開発がすすめられてきた重水減速重水冷却炉(CANDU)を用いた初の商業規模の原子力発電所として、20万キロワットのダグラスポイント原子力発電所が完成した。

 さらに、50万キロワットのCANDU炉2基からなるピッカリング発電所の建設が開始されている。

 このピッカリング発電所は、1980年(55年)までに、400万キロワットの規模に拡張することが計画されている。

 また、この重水減速炉の一層の経済性の向上をはかるため、新型転換炉として有機材冷却炉と沸騰軽水冷却炉の2炉型について研究開発がすすめられており、すでに、沸騰軽水冷却炉(CANDU-BLW)の25万キロワットの原型炉が、1971年(46年)に完成を目途に建設がすすめられている。

 このようにカナダにおいては、動力炉開発の促進により、原子力産業基礎の強化がはかられ、すでに、インド、パキスタンへCANDU炉が輸出され、その他の諸国に対しても、原子力発電所の建設に際しては、すすんで国際競争入札に参加するなど重水減速炉の輸出に積極的な姿勢をみせている。

 一方、世界的な原子力発電の推進とともに、厖大な核燃料の需要量が見こまれるようになり、その確保をはかるために、その豊富なウラン資源が注目され、海外諸国からの働きかけが活発になってきた。

 1966年10月に、英国が、1971年(46年)から20年間にわたり、天然ウラン精鉱8,000〜1万1,500トンを購入するための長期購入契約を更改したほか、フランス、ドイツ、イタリア等の欧州各国も、それぞれカナダとの間に交渉がすすめられている。

 (ソ連)
 ソ連では、はやくから加圧軽水型炉の開発がすすめられ、これにより原子力発電所の建設が行なわれ、現在、原子力発電設備容量は約100万キロワットに達している。

 また、国外に対しても、1966年に40万キロワット級の加圧軽水炉をハンガリア、ブルガリア、東ドイツ等の東欧諸国に対し輸出することが発表された。

 動力炉の開発については、とくに高速増殖炉の開発が意欲的にすすめられており、1959年(34年)に運転を開始した高速実験炉BR-5を発展させ、カスピ海沿岸に、1969年(44年)臨界を目標に、35万キロワットの海水淡水化装置を加えた二重目的の高速増殖炉BN-350の建設がすすめられている。

 また、将来の炉心の高温化、高出力密度化に対応した研究開発をすすめるため、6万キロワットの高速実験炉(BOR)の建設が、1968年(43年)臨界を目ざしてすすめられている。

 (その他)
 イタリアでは、軽水炉、ガス冷却炉を導入し、その国産化がすすめられ、一方、新型転換炉としては、重水減速軽水冷却炉(CIRENE)および有機材冷却炉の開発がすすめられ、さらに、高速増殖炉の研究開発が、ユーラトムとの協力のもとに行なわれている。

 原子力船についても、1966年12月、原子力海軍補給船エンリコ・フェルミ号の建造計画が決定された。

 インドでは、軽水炉18万キロワット2基の建設を行なうとともに、カナダより重水炉を導入して、20万キロワット4基の建設を行なっており、さらに、この重水炉により自国で豊富に産するトリウム資源を活用するための研究開発についても、これを積極的にすすめている。

 このほか、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、スペイン等においても、それぞれ重水減速炉の開発がすすめられている。

 以上の各国のほか、オランダ、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーおよびルクセンブルグの各国をもって構成される欧州原子力共同体(EURATOM)においては、新型転換炉として重水減速有機材冷却炉の開発がすすめられており、また、高速増殖炉についても、加盟国と密接な速けいをとりつつ、研究開発がすすめられている。

 経済協力開発機構(OECD)の下部機構である欧州原子力機関(ENEA)においては、1966年7月、ユーロケミック再処理工場の運転が開始された。

 さらに、動力炉の開発については、高温ガス炉のドラゴン計画および重水減速重水冷却炉のハルデン計画等がすすめられている。

 §3 原子力発電

 原子力発電は、その技術進歩とともに、経済性も著るしく向上し、とくに米国において開発された軽水炉は在来化石燃料の安価な地域でも火力発電と競争可能となるなど、本格的な実用化の段階を迎えるにいたった。

 わが国でも現在建設中の軽水炉は、その発電コストは重油専焼火力発電に比較してなお若干高いが、その後に建設される軽水炉は、逐次、これと競争が可能となり、40年代の後半に運転を開始するものは、重油専焼火力発電と同等またはそれ以上の経済性を達成するものと予測されている。

 このような原子力発電の経済性向上の予測のもとに、原子力発電は、低廉かつ安定なエネルギー源として、長期的には、電力供給の主力となることが期待され、原子力委員会は、さきに述べたように、その長期計画において、長期の開発見とおしを明らかにした。

 電気事業者は、原子力発電所の建設計画をさらに具体化し、積極的に原子力発電所の建設計画に取組み、41年度には、3基の軽水炉の建設が着手されるにいたった。

 日本原子力発電(株)(原電)が茨城県東海村に建設した東海発電所(コールダーホール改良型炉16万6,000キロワット)は、すでに運転を開始し、41年度においては、出力約11万キロワットで営業運転をつづけ、全出力営業運転を目標に各種の整備が行なわれている。

 また、同社の福井県敦賀市に建設する敦賀発電所(沸騰軽永型炉、32万2,000キロワット)は、41年4月に設置の許可をうけ、米国ゼネラル・エレクトリック社と建設契約を結び、44年度完成を目途に建設がすすめられている。

 東京電力(株)(東電)が福島県双葉郡に建設する福島原子力発電所(沸騰軽水型炉、40万キロワット)は、41年12月に設置の許可をうけ、米国ゼネラル・エレクトリック社と建設契約を結び、45年度完成を目途に建設工事が着手された。

 関西電力(株)(関電)が福井県三方郡に建設する美浜原子力発電所(加圧軽水型炉、34万キロワット)は、41年12月、設置の許可をうけ、米国ウェスチングハウス社および三菱原子力工業(株)と建設契約を結び、45年度完成を目途に建設工事が着手された。

 さらに、中部電力(株)においても、原子力発電所の建設が計画されているが、41年度には、建設予定地の地元との接衝がすすまず、計画の具体化が遅れている。

 また、中国電力(株)が国産機器による原子力発電所の建設方針を明らかにし、建設候補地の調査を開始した。

 さらに、東電、関電においては、2号炉の建設計画の検討をすすめ、その他の電力会社においても、具体的な建設計画の検討がすすめられている。

 §4 動力炉開発

 原子力委員会は、41年5月、高速増殖炉、新型転換炉の自主的な開発および開発の中核となる特殊法人の設立を骨子とする「動力炉開発の基本方針について」を内定した。

 なお、この方針のもとに、新法人が発足するまでの間、開発に必要な諸業務にあたらせるため、41年6月、原研に動力炉開発臨時推進本部を発足させた。

 一方、同年5月、原子力委員会の内定に先立って、衆議院の科学技術振興対策特別委員会は、動力炉の開発は、わが国のエネルギー政策の自主性を確保するとの観点から、その動力炉開発小委員会の委員長報告により、動力炉開発計画の策定を強く原子力委員会、および政府に要請した。

 原子力産業界は、41年9月、日本原子力産業会議を通じ、この原子力委員会の動力炉開発計画は、産業基盤の強化に資するばかりでなく、わが国のエネルギー政策からも、官民の協力による大規模なプロジェクトとして推進すべきであるとし、開発計画の推進ならびに特殊法人の設立を関係各方面に強く要望した。

 原子力委員会は、関係各方面と協議のうえ、特殊法人の設立を含む動力炉開発計画を「原子力開発利用長期計画」の一環としておりこむとともに、その実現を政府に強く要請した。

 その結果、42年度政府予算に、新事業団の設立を含む動力炉開発に必要な経費が計上された。

 また、この事業団は、従来、核燃料の開発を担当してきた公社を改組し、その業務をひきつぎ、新たに動力炉・核燃料開発事業団として設置することとした。

 この動力炉開発計画は、高速増殖炉および新型転換炉について、その早期実用化をはかるため、必要な研究開発を行ない、最終的に原型炉等の建設、運転等を行なう総合的開発計画である。

 高速増殖炉については、ナトリウム冷却炉を開発対象として、60年代の初期に実用化することを目標に、40年代のなかばに実験炉の建設に、40年代の後半に原型炉の建設に、それぞれ着手することを目途とし、また、新型転換炉については、重水減速沸騰軽水冷却炉を開発対象として、50年代の前半に実用化することを目標に、40年代の前半に原型炉の建設に着手することを目途としている。

 動力炉・核燃料開発事業団は、核燃料の開発に関する業務を行なうとともに、動力炉開発を推進する中核として、高速増殖炉および新型転換炉に関する研究開発をすすめ、その成果を集約して原型炉の建設等を行ない、これらの新しい動力炉の実用化に資することをその業務とするものであって、研究開発の推進にあたっては、原研、民間企業等の協力のもとに、関係各界の総力を結集してこれをすすめることとしている。

 §5 核燃料

 原子力委員会は、今後の原子力発電の進展とともに、必要とされる核燃料の低廉かつ安定な供給とその有効利用をはかることの重要性にかんがみ、長期計画において、核燃料政策に対する基本的な考え方を明らかにした。

 核燃料の所有方式については、米国において、1964年(39年)、特殊核物質民有化の措置が決定されたこともあり、原子力委員会は、わが国においても、民間企業の責任にもとづく自主的な活動を促進するため、特殊核物質を民有化する方針を固めた。

 軽水炉に必要な濃縮ウランを確保するため日米原子力協力協定の改訂にあたり、特殊核物質の民間所有を認めることとし、安全保障措置等必要な国内的環境の整備をはかるとともに、濃縮ウランの安定した供給の確保とその購入等の取引を民間が直接行ないうるよう、41年9月、必要な措置を講ずる方針を決定した。

 政府は、この方針を閣議において了承し、これにもとづき、日米原子力協力協定改訂の準備を行なうとともに、民有化にあたっての措置等、その実施方策の検討をすすめている。

 ウラン資源の確保については、ひきつづき国内資源の把握につとめるとともに、海外のウラン情勢の的確な調査を行ないつつ、世界の大勢に遅れないよう早期に探鉱開発の実施、長期購入契約の締結等、ウランの低廉かつ安定な入手をはかるための措置を講ずる必要があるとの基本的な考え方を明らかにした。

 42年1月、原子燃料公社により、カナダ、オーストラリアにそれぞれ調査団が派遣された。

 このほか、民間においても、鉱業界から42年3月、カナダ、アメリカに調査団が派遣され、さらに電力業界からも、42年3月、欧米諸国に独自の立場で調査団が派遣されるなど、海外ウラン資源の確保に対し積極的な気運が高まってきた。

 加工事業については、原子力発電の進展にともない、核燃料の需要見とおしが明確になってきたことなどから、民間企業から加工事業の許可申請が提出された。

 また、使用済燃料の再処理については、これを国内において行なうこととして、原子燃料公社において、46年度完成を目途に、その詳細設計がすすめられている。

 原子力委員会は、長期計画に示した核燃料に関する基本的な考え方に関し、さらにその具体的施策の確立と推進に資するため、42年6月、関係各界および学識経験者からなる核燃料懇談会を開催し、42年度中に一応の結論をうることとして審議をすすめている。

 §6 原子力船

 原子力第1船の建造については、40年7月、日本原子力船開発事業団(事業団)から、39年度末以来すすめられてきた業者との契約交渉にもとづき、約60億円の見積船価が提出されたが、この船価は、予算化された36億円と大幅な差があり、なおかつ、そのなかに多くの不確定要素がふくまれていたので、原子力委員会は、その着手を延期することとし、40年8月以来、原子力船懇談会を開催し、原子力第1船開発基本計画の実施上の問題点、国産舶用炉と輸入舶用炉の比較等について、検討をすすめてきた。

 41年7月、これらの検討結果ならびに最近における原子力船をめぐる国際情勢の進展等を勘案し、既定計画の線にそって、国内技術を主体とする原子炉を搭載する原子力第1船の建造を推進すべきであることを確認した。

 この方針にもとづき、関係省庁は、関係産業界と民間出資額等につき、数度にわたり意見の調整を行なった。

 原子力委員会は、41年8月、原子力第1船開発の総所要資金を約108億円と見積り、このうち、民間出資は、20億円とすることを関係各界に要請した。

 さらに、42年3月、原子力第1船は、実験航海終了後、当初の海洋観測船として利用する計画を改め、特殊貨物船として利用することができるものとした。

 原子力委員会は、42年3月、46年度完成を目途に、42年度からその建造に着手することとして、「原子力第1船開発基本計画」の改訂を行なった。

 さらに、42年度予算に、これにともなう予算が計上され、また、民間出資についても、20億円とすることについて関係各界の了承がえられ、原子力第1船の建造は、42年度から、いよいよ具体的に着手されることとなった。

 一方、長期計画においてその見とおしが明らかにされているごとく、原子力船は、10年後には、30ノット級の高速コンテナー船をはじめ、50万トン級の巨大油送船などが在来船のそれと十分経済的に競合し得ることが予想されるので、原子力委員会は、実用原子力船を昭和40年代の後半に建造に着手することを目途に、これに必要な高出力舶用炉の改良研究のすすめ方について、具体的に検討することとしている。

 §7 放射線利用

 放射線利用は、その利用技術の確立にともない、医学、農業、工業等の各分野にわたって着実に普及し、最近では、放射線利用機器をはじめ、粒子加速器の発展とともに利用技術が著るしく高度化し、利用分野も一段と拡大し、放射線を使用する事業所の数は、42年3月末現在、1,425に達している。

 原子力委員会は、このような放射線利用の進展に即応して、原研、国立試験研究機関等における放射線利用に関する研究を推進するとともに、ラジオアイソトープの生産、廃棄物処理等の促進をはかるため、原研のラジオアイソトープ事業部の整備を行なった。

 医学利用の分野では、放射線による悪性腫瘍の治療技術の確立にともない、コバルト-60照射装置、リニアック、ベータトロン等の粒子加速器が、各地のがんセンターをはじめ、全国の主要病院に設置され、全国的な普及がはかられている。

 また、ラジオアイソトープによる各種疾病の診断についても、短寿命アイソトープの国産化、放射線医療機器の精密化により著るしい進展をみせ、主要病院において内臓血管等の診断にラジオアイソトープが用いられるようになった。

 農業利用の分野では、施肥法、農薬の散布等に関する研究にラジオアイソトープが用いられ、その成果が実際面に応用されている。

 また、放射線による品種改良の研究がすすめられ、水稲、大豆等において優良品種が育成され、これらの品種が実際に栽培されるようになった。

 工業利用の分野では、原子力局が41年8月に実施した工業利用実態調査によれば、放射線を利用している企業は、今回調査した16業種の資本金5,000万円以上の企業において10.3%となっており、その業種も、化学工業をはじめ、鉄鋼、機械、電機などの諸工業に及んでいる。

 また、その利用方法においては、厚さ計、液面計などのゲージング利用、バルブ、ボイラー等の欠陥検査のためのラジオグフラィー利用、工程解析等のためのトレーサー利用、高分子化学製品の改良等を行なうための照射利用等、多面的な利用がはかられている。

 放射線利用の研究開発については、原研高崎研究所等における放射線化学の分野で一段の進歩がみられ、すでに粉末ポリエチレン、トリオキサン重合による新製品等の製造に成功し、さらに技術の改良、進歩がはかられている。

 また、原研高崎研究所の研究開発に関連した基礎研究を充実するため、42年6月、日本放射線高分子研究協会大阪研究所が原研に移管され、新たに原研高崎研究所の大阪研究所として発足することとなった。

 食品照射の研究開発については、食生活の向上と食品流通の安定化に資する観点から、40年11月、原子力委員会に設置された食品照射専門部会において、具体的な研究開発の推進方策が検討され、41年7月、同部会は、それまでの審議結果をとりまとめ、原子力委員会に中間報告を行なった。

 原子力委員会は、この報告にもとづき、すでに海外で実用化されている馬鈴薯および玉ねぎの発芽抑制ならびに米の殺虫、殺菌に関する研究開発を42年度から推進することとしている。

 ラジオアイソトープの供給については、現在、その大部分を輸入に依存しているが、原研におけるラジオアイソトープの生産体制の整備にしたがい、短寿命アイソトープを中心に国産アイソトープの生産も増大しつつある。

 §8 安全対策

 原子力開発利用の推進にあたっては、原子力関係施設の安全を確保し、原子力関係施設の従業員および一般国民を放射線から防護することがきわめて重要であ
る。

 このため、原子力委員会は、万全を期すための努力をはらってきた。

 原子力委員会の原子炉安全専門審査会は、商業用発電炉として建設される原電の敦賀発電炉、関電の美浜発電炉および東電の福島発電炉の設置の許可申請に関する安全審査を行なったほか、米国の原子力貨物船サバンナ号の本邦水域立入りの許可申請にともなう安全審査等を行なった。

 これらの審査には、40年11月、大型原子炉の安全解析のために作成した「原子炉安全解析のための気象手引」が適用された。

 原子力委員会は、原子炉安全専門審査会の審査結果を検討し、敦賀発電炉については、41年4月、福島発電炉および美浜発電炉については、41年11月、それぞれ設置の許可基準に適合する旨、内閣総理大臣に答申した。

 内閣総理大臣は、この答申にもとづき、敦賀発電炉については41年4月、福島発電炉および美浜発電炉については41年12月、それぞれ設置の許可を行なった。

 サバンナ号の安全審査については、原子炉安全専門審査会においてその安全性が確認されたが、わが国の法律上、外国原子力船か本邦水域立入りの許可を受けるに際して、必要なもう一つの要件である原子力損害を賠償するに足りる措置が国際約束により講じられなかったため、同船運航の責任者であるFAST社の希望した42年6月の本邦寄港は実現しなかった。

 再処理施設安全審査専門部会では、原研の再処理試験施設および46年度に完成する公社の再処理工場について、立地条件、事故対策等の検討をひきつづきすすめている。

 さらに、原子力委員会は、核燃料加工事業の許可に関する申請が内閣総理大臣に提出されたことにかんがみ、核燃料加工事業の許可に際し、加工施設の安全性を確保するため、その安全審査の基準となる事項について、あらかじめ指針をえることとし、加工施設等安全基準専門部会を設置した。

 同部会では、加工施設小委員会において、加工施設の立地条件、事故および災害に対する安全性の解析および評価、臨界管理等について検討をすすめ、42年各月、「加工施設の安全審査指針」を作成し、原子力委員会に報告した。

 原子力委員会は、この指針にもとづき、加工事業の許可に関する審査を行なうこととしている。

 また、原子力委員会は、核燃料の再処理によって生ずる低レベル放射性廃棄物の海洋放出に関し、わが国の特殊な環境諸条件にかんがみ、その安全確保についてあらかじめ調査研究を行なうこととし、41年度から海洋放射能汚染に関する調査研究を関係諸機関が協力して、総合的に行なうこととした。

 総理府に設置されている放射線審議会は、38年、内閣総理大臣から諮問された「放射性物質の大量放出事故に対する応急対策の放射線レベル」について審議を行なっていたが、42年3月、審議結果をとりまとめて内閣総理大臣に答申した。

 一方、かねてから災害対策基本法にもとづいて防災業務計画を検討していた科学技術庁は、この答申をおりこみ、42年6月、科学技術庁防災業務計画を作成し、これを公表した。

 茨城県東海地区には、国の施策の進展にともない、原研等の多数の原子力施設が設置され、これら施設の従事者も多数に達しておりこさらに同地区が将来にわたりその周辺に人口の増加が予想される特殊な事情にあることにかんがみ行なうこととした東海地区原子力地帯整備については、5ヵ年計画によりすすめることとし、初年度の41年度には、道路、有線放送施設の整備が行なわれた。

 環境放射能調査については、中共等の核爆発実験にともなう放射性降下物に関する調査および米国原子力潜水艦の寄港に関する調査が、ひきつづき実施されたが、とくに対策を講じる必要は認められなかった。

 §9 原子力関係予算の規模

 41年度原子力関係予算は、現金129億円、国庫債務負担行為額25.9億円である。

 これを40年度予算と比較すると、現金額において10.6億円(9.0%)の増額となっている。

 41年度予算における主なものには、原研における材料試験炉の建設、高速増殖炉に関する研究開発、公社における使用済燃料再処理施設の設計、プルトニウム燃料の開発、理化学研究所におけるサイクロトロンの建設、さらに、東海地区原子力地帯整備などがあげられる。

 41年度末の定員は、科学技術庁原子力局および水戸原子力事務所157名(1名増)、原研2,009名(130名増)、公社692名(35名増)、事業団68名、放医研401名(5名増)で、合計3,327名である。

 これを40年度末と比較すると、171名の増加となっている。
前頁 |目次 |次頁