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昭和41年度 原子力年報について


原子力委員会
昭和42年8月

 原子力委員会は、昭和31年度以降毎年、わが国における原子力開発利用の過去1年間の動向をとりまとめた原子力年報を作成し、公表してきたが、このたび、41年度を中心とする第11回の原子力年報を作成した。

 本年報は、14章からなり、第1章総論においては、動力炉開発計画の具体化、原子力開発利用長期計画の策定等41年度を中心とするわが国の原子力開発利用の主な動向と海外の状況を総括的に述べた。

 第2章から第14章までの各論においては、原子力発電、動力炉開発、原子力船、放射線利用、基礎研究、安全対策等の項目について具体的に述べた。

 これらのうち、41年度における重要な動きを述べるとつぎのとおりである。

(1)原子力開発利用の内外の進展に対応して、36年に策定した「原子力開発利用長期計画」が実情にそぐわなくなったので、原子力委員会は、これを改訂することとし、約半歳余に及ぶ検討ののち、新長期計画を策定し、今後のわが国における原子力開発利用のすすむべき方向と施策の大綱を明らかにした。

(2)わが国における原子力発電の開発規模については、新長期計画において、昭和45年度までに約130万キロワット、昭和50年度までに約600万キロワット、昭和60年度までには3,000〜4,000万キロワットあるいはそれ以上に達するものと見込まれるにいたった。

(3)原子力委員会は、昭和41年5月に高速増殖炉および新型転換炉の開発を「国のプロジェクト」として関係各界の総力を結集して推進する方針を内定した。

 同年6月、動力炉の開発を早期に実施に移すため、暫定組織として動力炉開発臨時推進本部を設置し、具体的計画の立案等にあたらせた。

 昭和42年7月に「動力炉・核燃料開発事業団法」が成立し、これにもとづき、この開発の中核体として「動力炉・核燃料開発事業団」が、昭和42年度半ばに発足することとなった。

 この動力炉の自主的な開発を関係各界の総力を結集して推進することが決定されたことは、わが国原子力開発利用の歴史のうえで画期的なことである。

(4)原子力委員会は、すでに41年9月に民間企業の責任にもとづく自主的な活動を促進するため、現在国有とされている濃縮ウラン、プルトニウム等の特殊核物質を民有化する方針を決定した。

 この方針のもとに、現在、政府は日米原子力協力協定改訂の準備を行なうとともに民有化にあたっての措置等、その実施方策の検討をすすめてきている。

 また、海外ウラン資源の確保について積極的な気運が高まり、このための海外調査が原子燃料公社をはじめ民間においても行なわれた。

 さらに、昭和46年度に完成を目途として、使用済燃料再処理工場を建設するため、その詳細設計が原子燃料公社において行なわれた。

(5)原子力委員会は、原子力第1船の建造に関し、昭和38年に決定した「原子力第1船開発基本計画」の実施上の問題点について、検討をすすめてきた。

 この結果、昭和42年3月、上記基本計画を船種、船型について改訂し、昭和46年度完成を目途に昭和42年度から原子力第1船の建造に具体的に着手することとなった。

(6)放射線の利用については、その利用技術の高度化とともに医学、農業、工業など広汎な分野にわたって利用分野の拡大がみられた。

 とくに、食品照射の総合的な研究開発については、具体的に検討がすすめられた。

(7)原子力の開発利用を推進するにあたり、ひきつづき安全確保についての努力が払われるとともに、中共の核実験および米国原子力潜水艦のわが国への寄港にともなう環境放射能調査が実施された。

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