資料

昭和39年度原子力年報の総論



§1 海外の動向

 第3回原子力平和利用国際会議が、1964年9月、国際連合の主催によりジュネーブにおいて開催された。
 会議では、米国において開発された軽水型炉(加圧水型炉と沸騰水型炉)および英国とフランスにおいて開発された黒鉛減速・炭酸ガス冷却型炉のいわゆる実証ずみ炉による原子力発電所の運転実績が報告されるとともに、その各炉型の経済性について活発な論議がなされた。さらに、この実証ずみ炉の改良研究および実証ずみ炉によるプルトニウムの利用についての報告もなされた。
 また、なかば実証ずみ炉とみなせる重水減速・冷却型炉なども含めて、新型転換炉さらには高速増殖炉が、たんにウラン資源の有効利用の点からのみでなく発電コストの点からも、長期的にみると現在の実証ずみ炉より一層有利となる可能性があるとして各国で意欲的に開発されている最近の状況も明らかにされた。
 近年、原子力発電所建設の気運が各国においてますますたかまってきており、そのことは、第3回原子力平和利用国際会議において、実証ずみ炉による原子力発電の経済性が大いに論議されたことに象徴されているともいえよう。この会議が開催された時点において、世界における電気出力4万キロワット以上の規模の発電用原子炉についてみると、米国、英国、ソ連、フランス、イタリアなどで三十数基が完成し、その総発電容量は400万キロワットに達している。これらの原子炉は、実証ずみ炉が大部分であるが、実証ずみ炉の経済性について炉型別に優劣をつけるほどにはまだ世界的にも十分な経験が蓄積されていない。他方、各国とも新型転換炉や高速増殖炉の将来性に寄せている期待も大きいだけに、これらの炉の開発をどのようにすすめていくかが、各国の原子力開発政策にとって重要な問題となる。
 わが国が、動力炉開発方針を再検討しつつあるおりでもあり、この1年間における世界の原子力開発の動向を、主として、各国の原子力開発政策と動力炉開発の観点からみてみよう。
 まず、米国についてみると、特殊核物質の民有化に関する法律(民有化法)が1964年8月に成立したことが注目される。この法律は、1954年の米国原子力法において、特殊核物質(濃縮ウラン、プルトニウムおよびウラン233)が主として軍事上の配慮から全面的に政府所有とされていたのを、移行段階における措置を定めたうえ、1973年7月以後、原子炉用として賃貸している政府所有の特殊核物質を特別の場合を除いて全面的に民間所有に切換えるように改正する内容のものである。この改正の理由は、米国における特殊核物質の保有量が増加してきたことから、それにともなう政府の財政負担増を軽減すること、さらには企業の自由競争の原則に立脚して原子力技術の改善進歩を促進し、もって原子力発電の将来の健全な発展を助長することの必要性があるためである。なお、民有化法の成立は、わが国も含めて世界各国における将来の核燃料政策に大きな影響を及ぼすことが考えられる。
 英国についてみると、1964年10月に成立した労働党内閣は、原子力公社(AEA)の所管官庁を、教育科学省から新設の技術省に移した。また、中央発電公社(CEGB)に対しては、原子力発電事業が適正利潤の追求を意図して運営されるべきことをあらためて強調した。それよりさき1964年4月に発表された英国の第2次原子力発電計画においては、1970年から1975年の6箇年間に合計500万キロワットの原子力発電所の建設が見込まれている。これに採用される炉型は、原子力発電の経済性を今後とも一層重視すべきであるとの観点から、AEAが開発してきた高級ガス冷却型炉(AGR)と米国の軽水型炉とが同等の基準で比較検討されており、近く決定されることとなろう。
 フランスは、1966年から1970年の5箇年間にわたる第5次原子力開発計画を1964年12月に決定した。計画立案にあたってフランスは、自国の経済的自立を確保することを目的に、エネルギーの安定供給を保証するあらゆる方策をとるべきであるとの考えにたっている。この観点から、同計画期間中に建設される合計約250万キロワットの原子力発電所の炉型は、主として天然ウラン・黒鉛減速・炭酸ガス冷却型が予定されている。また、将来は国内のウラン資源のみでは十分でないので、その入手先を広く海外に求めることとしており、現在カナダとウラン精鉱を長期購入契約によって入手するための交渉を行なっている。
 西ドイツにおける原子力技術の開発は、民間企業の努力に負うところが大きい。すなわち、製造会社は、電力会社との共同によって実証ずみの炉の導入とその技術の消化に努めるとともに、独自に種々の炉型を積極的に開発している。西ドイツは、1964年7月に建設が決定されたオプリッヒハイム原子力発電所(加圧水型、28万キロワット)も含めて、原子力発電所3基(合計約68万キロワット)を、主として技術導入によって建設中である。
 イタリアは、各種の実証ずみ炉による原子力発電所3基(合計約60万キロワット)をすでに完成しており、これらの運転実績を確認してから、今後集中的に建設すべき原子力発電所の炉型を決定する方針ですすんできた。この方針は、1964年6月、新しい原子力委員会のもとに策定された第2次原子力開発5箇年計画にひきつがれているが、同計画では、新型転換炉と高速増殖炉の開発にも重点をおいている。
 原子力発電所建設計画の具体化は、この1年間、カナダ、インド、スペイン等においてもみられた。カナダは、従来から一貫して重水減速・冷却型炉を開発している。カナダにおいては、CANDU原子炉(20万キロワット)が建設中であり、またCANDU改良型を採用した原子力発電所(50万キロワットの炉2基)を建設する計画がすすめられている。インドでは、第2号のラーナ原子力発電所(CANDU型、20万キロワット)の建設が、またスペインではゾリタ原子力発電所(加圧水型、14万キロワット)にひきつづき、第2号のカタローニア原子力発電所(黒鉛減速・炭酸ガス冷却型、60万キロワット)の建設がそれぞれ決定された。
 以上に述べたように、実証ずみ炉の建設が一段と進展するとともに、なかば実証ずみ炉とみなせるCAN−DU型炉とAGRのほかにも、各種の重水減型炉、高温ガス冷却型炉が各国で活発に開発されている。重水減速型の原型炉としては、英国のSGHWR(蒸気発生方式、9万3000キロワット)、フランスのEL−4(炭酸ガス冷却方式、7万5000キロワット)、チェコスロバキアのボーニス原子炉(炭酸ガス冷却方式、15万キロワット)がすでに建設中である。また、西ドイツ、スペイン、イタリアなどにも重水減速型実験炉の建設計画がある。このように、各国とも重水減速型炉の将来性に着目しており、かって重水減速型炉の開発に消極的であった米国が1965年3月カナダと重水減速型炉に関する共同研究協定を締結したことも注目に値する。高温ガス冷却型炉については、欧州原子力機関(EN−EA)、米国、英国および西ドイツにおいて開発がすすめられている。とくに、ENEAのドラゴン原子炉(熱出力2万キロワット)は、1964年8月に臨界に達し、その運転成果に各国の期待が寄せられている。なお、米国は、新型転換炉のうち、高温ガス冷却型、重水減速・有機材冷却型およびシード・ブランケット型の3種をとりあげて、それらの実用炉の開発を推進しようとしている。
 高速増殖炉については、近年、各国の関心が急速にかたまりつつある。しかし、その開発にあたっては、燃料、材料、炉の安全性等の面において解決されるべき技術上の問題点が多く残されており、各国とも、高速増殖炉の実用化時期の目標を1970年代末ないし1980年代末ごろにおいて、研究開発をすすめている。高速増殖炉の開発には、技術上の困難さに加えて多量の濃縮ウランまたはプルトニウムを必要とすることからも、この分野における国際協力がとくに活発に行なわれている。すなわち、米国のSEFOR計画(酸化物燃料大型希釈炉心の高速増殖実験炉、熱出力2万キロワット)に、西ドイツが協力参加することになったのにひきつづいて、1964年、米国と欧州原子力共同体(ユーラトム)との間に高速増殖炉開発10箇年協力協定が締結されたが、この協定においては、相互の技術交流のほかに、米国による特殊核物質の供給保証が大きな支柱となっている。
 海水からの真水製造と発電とを同時に行なう2重目的原子炉については、原子力の新しい動力利用として、米国、ソ連、イスラエルおよびアラブ連合が大きな関心を示している。ソ連は、第3回原子力平和利用国際会議において、高速増殖炉(電気出力換算合計35万キロワット)による2重目的原子炉をカスピ海に面したフォルト・シェフチェンコにおいてすでに建設に着手していることを明らかにした。
 原子力船の建造については、西ドイツのオットーハーン号(鉱石運搬船、1万5000重量トン)が1964年6月に進水したが、そのほかには、英国における原子力船開発方針も具体化されず、各国においてもあまり大きな動きはみられなかった。しかし、米国のサバンナ号(貨客船、2万2000総トン)が数回にわたって欧州各国の港を訪問し、このことによって実際の原子力船の運航経験が蓄積された。また、将来改良型舶用炉を搭載した高速原子力船を新造することが米国の民間企業によって提案されており、この民間における原子力船の開発、建造および運航を援助するための法案が、1965年1月、下院に提出され、現在審議されている。
 放射線の利用については、各国で地道な研究がすすめられており、その成果が新しい利用分野を開拓しつつある。とくに著しい成果のえられたものとして、食品(野菜、肉類等)の長期保存の一部実用化と果実あるいは畜産動物に寄生するある種の害虫の撲滅とをあげることができる。また、遠隔地の気象観測所や無人燈台などの動力源に、ラジオアイソトープが利用されるようになった。
 このように、各国での原子力平和利用が進展し、原子炉等の諸施設および濃縮ウラン、プルトニウムなどの核燃料物質等を取扱う国が増加するにつれて、これらが軍事目的に使用される可能性、すなわち核拡散の可能性を防止することが、世界にとって重大な関心事とならざるをえない。 
 米国をはじめ原子力分野における先進諸国は、他国の原子力平和利用を援助するため原子力施設や核燃料物質等を提供する際には、相手国と2国間協定を締結し、これらが軍事目的に転用されることを禁止することとし、その確保をはかるための査察の実施等を含む保障措置の適用を取り決めている。そして、米国は、すべての2国間協定にもとづく保障措置を国際原子力機関(IAEA)に移管し、国際原子力機関に保障措置を一元的に実施させるべきであるとの方針を提唱している。わが国は、1963年9月、日米原子力協力協定にもとづく保障措置を他国に率先して国際原子力機関に移管した。
 他方、1963年8月、米国、英国、ソ連を含む109箇国によって調印された部分的核実験停止条約も、この核拡散を防止することを主要な目的としている。フランスと中共は、この部分的核実験停止条約に調印せず、独自に核装備の道を歩んでおり、中共が、1964年10月、その最初の核爆発実験を行なったことは、世界に大きな反響をよび起した。

§2 わが国の原子力開発の概況

 わが国の原子力開発は、原子力委員会が昭和36年に策定した原子力開発利用長期計画の線にそってすすめられ、38年度をもって初期段階において必要な開発体制の整備がほぼ終了し、今や新たな発展段階に移りつつある。原子力発電の分野においてはわが国最初の商業発電所が完成に近づき、これにつづく発電所建設の計画も活発にすすめられている。放射線利用の分野においてもその実用化がすすみ、また、放射線化学の工業利用のための中間規模試験が本格的に開始された。また、新しく2基の研究炉が完成し、材料試験炉の建設がはじまるなど、研究施設の充実にもみるべきものがある。原子力委員会は、このような状況のもとに、39年度においては、前年度に決定した「国産動力炉の開発のすすめ方」に対して再検討を加える一方、原子力発電推進のための基本的政策の樹立をはかるなど、新段階への移行を円滑にすすめるべく努力を行なった。
 以下、39年度における原子力予算と人員の規模の概略を説明したのち、主要な動きについて述べることとする。

1.予算および人員の規模

 39年度は総額約108億円の政府予算をもって、原子力委員会の定めた「昭和39年度原子力開発利用基本計画」(付録II−1参照省略)に示された諸事業が行なわれた。この予算額を38年度と比較すると、約13億円(13.4パーセント)の増額となっている。予算額の内訳を主な機関についてみると、日本原子力研究所が予算額の約40パーセントにあたる約60億円、原子燃料公社が約20億円、日本原子力船開発事業団が約3.2億円、科学技術庁放射線医学総合研究所が約5.3億円、その他の国立試験研究機関が約5.9億円である。なお、29年度以降の政府予算累計額は約670億円となっている。
 39年度末の定員は、科学技術庁原子力局および水戸原子力事務所が156名、日本原子力研究所が1754名、原子燃料公社が616名、日本原子力船開発事業団が68名、放射線医学総合研究所が403名であり、合計2997名である。これは、前年度末の定員と比較すると206名の増加となっている。
 予算の詳細については、付録III−1(省略)に示すとおりである。

2.動力炉の開発

 わが国におけるエネルギー政策のうえから、将来の原子力発電の占める地位はきわめて高く評価され大きな期待が寄せられている。発電用動力炉の開発は、原子力開発利用長期計画の方針にそってすすめられてきた。すなわち、すでに諸外国で開発され経済性もある程度実証された炉型については、その国産化技術の開発を主として民間に期待している。長期計画の後期に実用化が期待される国産新型動力炉および核燃料サイクルからみて理想的なものと考えられる高速増殖炉については、その研究開発を日本原子力研究所を中心としてすすめてきた。
 これら一連の動力炉の開発のうち、国産新型原子炉の開発計画については、38年6月の原子力委員会の決定にもとづいて日本原子力研究所において重水減速型炉の検討がすすめられた。しかし、その第1段階である最適の冷却方式選定の作業にあたり、原子力委員会決定に指示された要件を満たす単一の炉型をえることが困難であって、容易に結論がえられずゆき悩んでいた。
 他面たまたま、第3回原子力平和利用国際会議において、原子力発電の実用性があらためて高く評価され、各国がそれぞれ独自の開発計画にもとづいて意欲的に動力炉の開発をすすめている最新の状況が明らかとなった。
 原子力委員会は、これらの事情を考慮し、前述した一連の動力炉開発の在り方についてあらためて検討を加えることとし、39年10月、動力炉開発懇談会を発足させた。懇談会は、これまでの経過にこだわらずより高い立場で議論をすすめ、すでに諸外国で開発され経済性もある程度実証された炉型の国産化およびこれの改良、新型転換炉の取り上げ方、高速増殖炉の研究開発のすすめ方、核燃料政策のあり方ならびに政府、日本原子力研究所、学界、産業界などの役割などについての問題を検討している。
 原子力委員会は、懇談会の結論をまって、わが国の動力炉開発について新しく方針を決定する予定である。

3.原子力発電所の建設

 35年着工の日本原子力発電株式会社東海発電所(黒鉛減速・炭酸ガス冷却型炉、16万6000キロワット)は、ようやく完成に近づいた。英国で製造された第1次装荷用燃料も39年12月までに全量が入荷し、発電所では燃料装荷前の各種試験が慎重にすすめられた。燃料の装荷は40年4月21日から開始され、同炉は5月4日に無事臨界に達した。営業発電を開始するのは40年秋の予定である。実用規模の原子力発電所の建設はわが国にとって最初の経験であったため、工事期間の延長、建設費の増加などがあったが、とにかくここに原子力発電が実用第一歩をふみだすことになったのは喜ばしいことである。この発電所の建設と運転を通じてえた経験は、わが国の原子力発電の進展におおいに貢献するであろう。
 日本原子力発電(株)は、東海発電所につぐ第2号発電所として、敦賀発電所(軽水型炉、約30万キロワット)の建設契約の準備をすすめている。
 東京、関西、中部の3電力会社も、それぞれ福島県、福井県、三重県に建設候補地を定め、45年度完成を目途として、30万キロワット前後の原子力発電所の建設準備を着々とすすめている。なお、このほか各電力会社とも原子力発電所建設の意欲を表明している。
 上に述べたように、45年ごろには100万キロワット以上の原子力発電所が完成する見通しであるが、これらの原子力発電所の建設を円滑にすすめるには、原子力発電の経済性に関し、使用済燃料の処理などに不確定要素がなお残されている。
 原子力委員会は、わが国の原子力開発利用がすみやかに、かつ、自主的な体制のもとに推進されなければならないとの基本的な考え方にたって、開発段階における原子力発電推進の基本的措置について検討を行なってきた。その結果、39年5月、当面政府が講ずべき措置として、使用済燃料再処理施設(処理量1日あたり0.7トン)の建設、使用済燃料から取出されたプルトニウムの買上げ、使用済燃料の適正な再処理料金の設定などについての方針をとりまとめた。
 原子力委員会は、この原子力発電推進の措置を確定し実施に移すため、さらに具体的検討をつづけてきたが、さきに述べた動力炉開発のすすめ方における核燃料政策とも密接な関連を有する措置であるので、最終決定を40年度にもちこすこととした。

4.原子力船の建造

 日本原子力船開発事業団は、原子力委員会が定めた原子力第1船開発基本計画にそって作業をすすめている。39年度は、総トン数約6900トンの海洋観測および乗員訓練用の実験船の設計についてさらに詳細な検討を加えるとともに、海外調査団を派遣して米国のサバンナ号関係者とも意見を交換して見積仕様書を作成した。40年3月1日、本船建造のため指名造船会社7社による競争入札を行なったが、応札者がなかった。その後、同事業団は、随意契約方式をとることとし、日本造船工業会の斡旋によって石川島播磨重工業株式会社と契約の折衝にはいったが、39年度中には成約するにいたらなかった。

5.研究開発施設、機構等の整備

研究開発施設の整備
 わが国では、8基の研究炉が稼働しそれぞれの目的に利用されている。39年度には、さらに新しく、遮蔽実験を目的として日本原子力研究所のJRR−4、全国の大学関係者の共同利用施設として36年から建設がすすめられていた京都大学原子力炉実験所の研究炉の2基が臨界に達した。なお、日本原子力研究所のJRR−2、JRR−3が本格的運転にはいり、ラジオアイソトープの生産に新しい力が加わった。
 原子力委員会が38年8月に設置を決定した材料試験炉(JMTR)は原子力産業界5グループの能力を総合し、その特色を生かして建設する方針ですすめられ、40年3月、日本原子力研究所と5社との間に建設契約が締結された。この炉は、核燃料、原子炉材料等の開発に重要な役割を果たすもので、43年度完成の予定である。また、原子燃料公社の人形峠鉱山に一貫製錬技術を総合的に検討するための試験製錬所が完成し、運転にはいった。

研究開発機構の整備
 38年度から懸案となっていた日本原子力研究所の体制の刷新整備については、将来のわが国の原子力開発のあり方とも密接に関係するので、原子力委員会としても重大な関心をもっところであった。日本原子力研究所は、39年6月から新理事長のもとで組織運営の改善について検討を行ない、理事会議の運営の改善、経営管理機能の強化、人事労務管理体制の強化、動力炉開発部門、サービス部門およびアイソトープ事業部門の整備などについて、40年2月、大幅な組織改正を行なって、一応新段階へ臨む体制を整えた。

東海地区原子力施設地帯の整備
 茨城県東海村には、わが国の原子力センターとして多数の原子力施設が設置されているのみならず、東海村およびその周辺の市町村は産業経済的にも近年急速に伸長しているので、この地帯の計画的整備をはかり、地域としての調和的発展に資する必要が生じてきた。この意味から37年9月、原子力委員会は、原子力施設地帯整備専門部会を設置して、「東海地区原子力施設地帯整備に関する計画のうち原子力利用に関するもの」について検討せしめた。
 同専門部会は、人口分布、都市計画等について審議を行ない、39年12月、原子力委員会に答申した。この答申は、東海地区原子力施設地帯の住民の安全の確保と福祉の増進をはかるため、一定の仮想条件にもとづく人口や各種施設の配置とその規模の適正化を期しつつ、この地帯の健全な発展をはかるとの基本的考え方のもとに、地域内の道路、公園、緑地、上下水道等につき具体的整備方針を述べ、これらが主として都市計画法にもとづく都市計画等に反映されるべきものであるとしている。

6.各国との協力

 わが国は、原子力平和利用に関して、世界の各国と積極的に協力を行なっている。
 38年9月、わが国は、各国に率先して日米原子力協力協定にとづく保障措置を国際原子力機関に移管することとしたが、さらに、日英、日加両協力協定の保障措置を国際原子力機関に移管する交渉をつづけている。また、国際原子力機関の後進国援助計画への協力の一つとして、4箇国に対し、照射カプセル1600本を寄贈した。
 さらに、国際原子力機関の第9回総会がはじめてウィーンをはなれて40年9月に東京で開催されることが第8回総会で決定されたことを特記しなければならない。
 わが国は、経済協力開発機構(OECD)への加盟にわもない、その下部機構である欧州原子力機関(EN−EA)に加盟し協力する希望をもっていたところ、40年2月、第87回OECD理事会の決定により、準加盟国となった。

7.安全確保への努力

 原子力の開発と利用がすすむにつれて、原子力関係施設の従事者および一般国民の安全確保をはかることはきわめて大切なこととなる。放射線審議会は、放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一をはかることを目的として総理府に設置されており、39年度において、国際放射線防護委員会の勧告を審議するとともに、原子力船および原子力設備に関する放射線障害防止に関する技術的基準、放射性物質の航空機による輸送基準、大量放射線事故に対する応急対策の放射線レベルなどについて審議を行なった。原子力委員会廃棄物処理専門部会は放射性廃棄物の処理処分について審議し答申を行ない、原子力船安全基準専門部会は原子力船の港湾等における運航の方法、停泊の条件等に関する基本的な技術基準の検討を開始した。
 このように安全確保のための努力がつづけられているが、39年度中とくに大きな動きとして、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(原子炉等規制法)の一部改正および米国原子力潜水艦の寄港の問題とについてつぎに述べる。

原子炉等規制法の一部改正
 原子力船の運航に備えて関係各国で署名され、わが国もすでに批准している「1960年の海上における人命の安全のための国際条約」(海上人命安全条約)は40年5月に発効の運びとなった。同条約は、原子力船が外国をを訪問する場合、自国政府の承認をうけた当該原子力船の安全説明書を相手国政府に事前に提出して、その審査をうけなければならない旨を規定している。
 わが国においては、原子炉等規制法にもとづいて船舶に原子炉を設置する増合には内閣総理大臣の許可をうけなければならないこととしているが、外国原子力船に対する取扱いの規定を欠いていた。
 政府はこのような状況に対処し、わが国における外国原子力船の規制とあわせて国内原子力船についても入港の際の規制をあらたに加えるため、40年5月、この法律の改正を行なった。
 改正の要点は、外国原子力船がわが国に立ち入ろうとする場合、あらかじめ内閣総理大臣の許可をうけなければならないこととし、その際に原子力委員会において海上人命安全条約に規定された安全説明書等にもとづいてその船の安全審査を行なうことを定め、また、すべての原子力船がわが国の港湾に入港しようとするときは、あらかじめ届出なければならないこととし、この際、政府は、原子力災害防止の見地から所要の措置を講ぜしめることとしたことである。

米国原子力潜水艦の寄港
 38年1月に米国から原子力潜水艦のわが国への寄港について申し入れがあって以来、原子力委員会は、原子力潜水艦が国際法上軍艦としての特殊な地位を有するものであるとの前提にたって、とくに安全性の問題について慎重に検討し、日米両国政府間における交渉を通じて、わが国民とくに寄港地周辺の住民の安全を確保するために必要な措置を明確にし、その措置に遺憾なきを期するための努力をつづけてきた。
 39年8月、米国は、それまでの日米間において照会回答された諸点をまとめた覚書と米国原子力潜水艦がわが国に寄港するにあたり、順守すべき諸措置を示した声明を送付してきた。原子力委員会は、これら文書を慎重に検討した結果、これら文書に含まれた米国政府の保証がそのとおり確保されるならば、原子力潜水艦の寄港は、わが国民とくに寄港地周辺の住民の安全上支障がないものと判断し、8月28日、この旨を政府に申し述べた。政府は、原子力委員会の見解にかんがみ、米国原子力潜水艦の安全性について確信をえるにいたったので、同日閣議を経て米国原子力潜水艦のわが国寄港に異議ない旨を米国政府に同答した。
 一方、政府は、科学技術庁を中心として、原子力潜水艦の入港が予定されている佐世保および横須賀の港湾について、原子力潜水艦入港による放射能変化の調査を行なうこととし、その体制を整えた。
 米国原子力潜水艦は、39年11月および40年2月の2回佐世保港に入港し、数日間停泊した後出港した。
 放射能調査は計画どおり行なわれ、その結果、原子力潜水艦入港による環境放射能レベルの異常は認められなかった。